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IT、プライド、プロフェッショナル 〜 人間不在のデジタル論議

Tさん、メールどうもありがとうございます。久しぶりですが、お元気そうで何よりです。
あの奇妙な「半強制的自粛」の数ヶ月間も、ずっと職場で忙しくされていたと伺い、少し驚いています。たしかに現場を持っておられる立場ですから、やむを得ないとはいえ、まことにご苦労様です。

ところで今回、突然、新任の上役からTさんに降ってきた「DX化」の指示の事を伺い、失礼ながら思わず、昔読んだDilbertのマンガを思い出してしまいました。「Dilbert」とは、ハイテク企業のバカバカしさを風刺した、米国の新聞連載マンガです。

その中で、ずっと部長の秘書をしていた女の子(たしかティナとかいう名前でした)が、秘書業という仕事の報われなさに嫌気が差して、エンジニアに職種転換を希望しようとします。しかし、同じ職場のアリスという女性エンジニアが、忠告して言うのです。
「エンジニアになるには、何年もの訓練がいるのよ。」

そして、付け加えます。
「でも、エンジニアのボスになるには、何の訓練もいらないわ。それって、労力のいらない労働なの。」
これを聞いてティナも答えます。
「だったら、わたしにもできそうね。」

エンジニアに、ただ指示や命令を下し、また結果を論評して業績評価をするだけなら、何の訓練もいらない。また、訓練なしに、エンジニアのボスになっている人間が、あまりに多い。そういう状況を、作者のScott Adamsは皮肉っています。

もちろん、本当にちゃんとエンジニアを指揮したかったら、少なくともその仕事の概形について、また難所やトラップについて、熟知している必要があります。また仕事を頼んだ際に、そのコスト感や必要なスケジュールの感覚を持っていなければ、まともな指揮ができる訳はありません。

それはちょうど、オーケストラの指揮者と同じです。指揮者は、別にヴァイオリンやファゴットやティンパニなど、全部の楽器を演奏できる必要はありません。でも、譜面からまともな音を作るための構想を持ち、ほしいアウトプットについて、各演奏者に的確に伝える能力が必要です。演奏のどこが難しいのか、足を引っ張りがちなのはどのパートなのか、分かっていなければなりません。もちろん、指揮者になるには、楽器演奏とは別の、専門的な訓練が必要です。たんに棒だけふればいい、という訳ではないのです。

それにしても、DXですか。IT業界という世界は、どうして繰り返し、バズワードの流行を追いかけて回っていくのでしょうか? DXすなわちDigital Transformationという用語に、正確な定義があるかどうか知りませんが、少なくともそれは、ビジネスの転換(すなわちBusiness transformation)のための手段であったはずです。それが、いつの間に目的に昇格してしまったのでしょう。

まあ、手段が目的化するのは、人間社会の常だといえなくはありません。プロジェクトなんてのも、多分にその性質を持っていて、わたしも身の回りでよく見かけますし、自分も苦しくなるとそういう病に落ち込んだ経験があります。なんとか青息吐息、プロジェクトを完遂した。しかし出来上がったプロダクトは、ユーザがちっとも使ってくれなかった。大声では言えないですが、そういう事だって一度だけではありません。

ただ今回、Tさんが受けたご指示のように、「ITのプラットフォームを作れ、プラットフォーマーになれ」という話となると、あらためて「それは目的ですか、それとも手段ですか?」と問い直してみる方が良さそうです。DXの物語は、なぜかプラットフォーム化とワンセットに語られることが多いようです。が、企業や市場の規模の大小も無視して、誰もが目指すべきことでしょうか。

iPhoneのアプリ市場は、Appleがプラットフォーマーですが、個別のアプリを売っているプレイヤーだって、それなりに利益を上げ、成長している所も多いのです。プラットフォーマーになるか、プレイヤーの立場を取るか。必要な先行投資額も違いますし、リスクも収益モデルも違います。結果さえ出れば、別にライバル企業のプラットフォーム上で、プレイヤーとして活躍するのでも、良さそうに思えます。まずは落ち着いて、戦略的選択をするべきじゃないでしょうか。

AI活用の話も同様です。ITには素人だという、その新任の役員の方が、AI=人工知能なるものを、どう理解されているのかは分かりません。ただ現時点のAIというのは、要するに機械学習です。機械学習がちゃんと働くめには、相当量の「教師データ」が必要です。ところで、たいていの職場で障害になるのは、「データがない」という問題です。

データがない? そんなバカな! この会社な何十年、業界で稼いできたと思っているんだ。過去のデータなんていくらでもあるじゃないか。第一、そうでなけりゃ、毎回の見積だって出せやしない・・そんな声が聞こえてきそうです。

しかし、大抵の人が「ウチには沢山あるはずだ」と思っているのは、『情報』であって、『データ』ではないのです。こんな事をいまさら、Tさんに申し上げる必要はないと思いますが、世の中の多くの人は、データと情報の違いを知らないし、混同して使っています。

情報とは、「人間にとって意味をもたらすもの」です。
これに対し、データとは、「数字や文字の形式化・定型化された並びのこと」を言います。

さらに言うなら、データとは、きちんと索引化され、機械が迷わずにアクセスできる状態になったものでなければなりません。大抵の人は、Excelで作った請求書の金額の数字を、「データ」だと思っています。しかし、もし請求書の欄の位置や行数がバラバラで、毎回少しずつ違い、かつ、保管されている請求書のExcelファイル名もきちんとルール化されていなかったり、PCのフォルダに勝手気ままに保存されていたりしたら、それは「データ」とは呼べません。

少なくとも、そんな状態では、過去のAIのインプットとしてのデータの名には値しない、ということになります。それをAIに食わせて「学習」できる状態にするまでに、相当の手間暇がかかるのは、火を見るより明らかでしょう。

でも、メールを拝見して、何よりも気になったのは、そういった戦略論や技術論ではありません。心配なのは、Tさんの配下にいる、ITエンジニアの方々の事です。

「そもそもウチみたいな部品メーカーに、ITがやりたくて、入社してくる人間は居ない」と、上役の方はおっしゃる。「だから、本当のプロフェッショナルがいない。だったら、外から連れてくるしかない。」とも。そして、「DX実現のためなら、高い給料を払ってでも良い」と、Tさんの前で発言されたそうですね。

それを、周りのITエンジニアの皆さんが、聞いていなかったことを祈ります。まあ、役員室の中の会話だったのでしょうが。ただ、もしこの理屈が通るなら、同様に、財務や法務や人事のプロだって、御社にいないはずになります。だって、そうした仕事を求めて部品メーカーには来ないはずですから。

それなのに、なぜITエンジニアだけが槍玉に上がるのでしょうか? もし、その乱暴な断定にも一理あるように見えるのだとしたら、なぜでしょうか。

それは、失礼ながら、御社では、ITエンジニアとして技術を極めても、能力を磨いても、あまりいいことがない、と見えているからではないでしょうか? 財務畑や営業畑からは、役員レベルに出世できる。だがITエンジニアからは、部長レベルより上には、上がれない。違っていたら、お許しください。でも、もしそうだとしたら、IT職種の人は、どこに評価ややりがいを見出し、何を励みに勉強して技術を磨くでしょうか。

かなり以前のことになりますが、わたしがはじめてリーダー格として中間管理職になったとき、大先輩から教わった教訓があります。それを、ここにもう一度披露させてください。部下を持ったら、心がけるべき3つのレベルの話です。

・第一レベル:部下が、安心して働けるようにすること
・第二レベル:部下が、責任感をもって働けるようにすること
・第三レベル:部下が、よろこびをもって働けるようにすること

これは、この順序で達成すべし、と言われました。まず、安心して働けること。安心できなければ、責任感を持てるはずがない。そして責任感がなければ、よろこびを持てないから、と。

安心して働けるとは、すなわち、働く職場の労働環境を、清潔で心地よくすることであり、また、労働時間と賃金が一致する(つまり残業はちゃんとつけられるし、サービス残業などない)ことです。さらにいえば、いつクビになるかと、心配しながら働く状態でもない、英語で言うジョブ・セキュリティが確保されていることも大切です。

責任感を持って働けるとは、言いかえれば仕事への「オーナーシップ」と、プライドを持つこと意味します。部下が、これは自分の仕事であると、前向きに思い、結果に対してプライドを感じること。「やらされ感」やリスク回避だけで、仕事をやっつけないこと。そうしないと、まともな結果は出ません。

ただ、昨今多くの人は、「プライド」という言葉についても、妙な誤解をしているようです。プライドとは、誰か他人と自分を比べて、自分に優越感を感じることだと、思い込んでいます。それが故に、だれかマウンティングできる相手を、無意識のうちに探していたりする。しかし本来、自尊感情・プライドとは、自分自身の矜持を指します。つまり、かりに自分がどんなに社会的・経済的に苦しくなっても、「これだけはしない」という矜持を心の中に持つことです。

プライドという英語を、あえて「気高い心」と訳した知り合いの翻訳家がいますが、名訳に思えます。気高い心を持つ人は、すぐ他人や他国をバカにする人ではありません。そういう行為は、あまり気高くないですから。

そして第3のレベル、よろこびをもって働けるとは、すなわちプロ意識と、成長のキャリアパスが明らかである状態を指します。誰でも、成長して新しい能力を身につけることは、よろこびです。よろこびのない職場から、良い仕事が生まれるはずはありません。また矜持のない人間がプロ意識をもつことも不可能でしょう。

プロ意識を持つ人は、他のプロも尊重します。逆に、他人の職域やスキルに敬意を持たない人は、自分がプロ意識を求めていないのでしょう。そういう人は、たぶん別の何かで、自分を支えているのです。たとえば地位だとか学歴(入学歴)だとかで。そして、プロ意識がない人は、他人の職域に対して勝手に口を出したり、批評したり、「自分ならもっとうまくできる」と思い込んだりする傾向があります。

そして、もし御社のIT部門で、「DXに向けた人材不足」が語られるのだとしたら、上記のレベル3やレベル2が、十分満たされていないのかもしれません。将来のキャリアパスも見えず、希望も喜びも感じられないなら、誰が成長しようと頑張るでしょうか。社内のIT人材の、希望の在り処はお構いなしに、ビジネスの道具として外部デジタル技術にばかり目を向ける「デジタル論議」は、人間不在で歪んでいるとわたしは感じるのです。

そして、この根底には、ITシステムという仕組みの経済的価値が「見える化」されていない、という問題があるのでしょう。もし、ITシステムの構築と運用が、目に見える形で金銭化され、利益や資産に計上されるなら、社内での位置づけも変わってくるはずです(会社って、そういう「現金な」場所ですから)。

それはちょうど、御社における設計の位置づけの問題に、少し似ています。以前、Tさんが技術部門にいたとき、こぼされていましたよね。「一所懸命がんばって良い設計をして客先に持っていっても、それでお金になる訳でもなく、結局、量産段階になって横並びで買い叩かれるだけ」と。そういう状態では、設計部門のエンジニアが社内的に報われるはずがありません。なんとかして「価値の見える化」を具体的に講じて、エンジニアのモチベーションを高める道を、探す必要があると思います。

・・すみません、いつもの癖で、つい長広舌をふるってしまいました。ITエンジニアのキャリアパスについては、まだ論じたいこともあるのですが、別の機会にしましょう。こういう時勢で、なかなか県境を超えた移動もままならない日々が続いていますが、できれば近い内にまたお目にかかれますように。
どうかご自愛ください。そして御社のDX論が、実りあるものになることを祈っております。


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by Tomoichi_Sato | 2020-06-19 23:56 | ビジネス | Comments(0)
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