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書評:「ザ・クリスタルボール」 エリヤフ・ゴールドラット著


クリスタルボール(水晶玉)とは、西洋の女占い師が、未来を予見するときに使う道具だ。そしてもちろん、占いの予言など、科学的に信頼できないものの代表例である。

しかし消費者向けのB2Cビジネスの世界では、どうしても「需要予測」なるものに頼りたくなる。とくに小売りの世界では、そうだ。何が売れるかを見極めて、売れ筋の商品を仕入れる。手元にない商品は、売れない。もちろん自動車のディーラーのように、納車まで数週間単位で待ってくれる業種もあるにはある。だが、一般消費財は、「じゃ別の店に行って探すわ」といって商機を逃してしまう。

より科学的で正確な予測を得て、万全な計画を立てたい。そうした思いを、一般消費財の分野で持つ人は多い。少なくとも、欧米的な思考では、そうなる。だが、『計画重視』が導く、「あらゆる細部を完全に計画すれば、ビジネスの問題は解決する」という思考習慣に反対するのが、著者ゴールドラットの基本的スタンスだ。

本書はエリヤフ・ゴールドラットが2009年に発刊した、最後のビジネス小説である。「制約条件の理論」(TOC = Theory of Constraints)で有名なゴールドラットは、イスラエル人の元・物理学者だが、むしろアメリカでビジネス・コンサルタントとして活躍した。最初はOPTという名前の生産スケジューラを開発して売っていたが、彼の名を一躍有名にしたのは『ザ・ゴール』というビジネス小説だった(初版は1984年で、Jeff Coxという作家が執筆に協力した)。爾来、彼はむしろコンサルタント兼作家として、カリスマ的な影響力を発揮してきた。

考えてみると、彼の小説を日本語の翻訳で読むのは初めてだ。初期の三部作”The Goal”, “It’s Not Luck”(日本語訳のタイトルは「ザ・ゴール2」), “Critical Chain”(「クリティカル・チェーン」)は、いずれも90年代に英語で読んだ。当時、彼の著書は日本語に翻訳されていなかった。ゴールドラットは日本嫌いで、ザ・ゴールは世界各国語に翻訳されたのに、日本語訳だけは許可されなかったと言われていたのだ。

ちょうど90年代後半は、「サプライチェーン・マネジメント」という概念が日本にも紹介された時期だった。わたしが中村実氏や本間峰一氏らと共著で「サプライ・チェーン・マネジメントがわかる本」を執筆したのが1998年。この時期、ゴールドラットのTOC理論は、SCMの概念に大きな影響を与えており、彼の著書は必須の文献だったのだ。


ポールとキャロラインは、ハンナズショップ(「ハンナのお店」)という、家庭用品チェーン店の経営に関わっている。主な商品はホームテキスタイル(繊維製品)、つまりテーブルクロスとかベッドシーツとか羽根布団のたぐいだ。妻のキャロラインは、このチェーンの創業者の娘で、仕入の責任者をしている。ポールは娘婿という形で、フロリダ州のボカの店長を任されて3年目だ。

しかしポールの店は、売上を順調に伸ばしているとは言い難い。その上に、地下倉庫の天井で水道管が破裂し、店の在庫品が水浸しになるというトラブルに見舞われる。彼の店は、陳列棚を含めて2,000 SKU (Stock Keeping Unit) 以上の品目を、合計で4ヶ月分保有していた。倉庫の修理は数ヶ月かかる。その間、彼らはギリギリまで圧縮した約20日分の在庫で、店を回さなければならなかった・・

ビジネス小説では、主人公が陥るトラブルの設定がポイントになる。トラブルは物語に、スリルと緊張感をもたらすからだ。陥るトラブルが簡単すぎると、サスペンスが薄くなる。しかしトラブルが深刻すぎると、抜け出して解決するのに知恵のみならず、かなりの幸運が必要になって、ご都合主義的な匂いが出てしまう。またトラブル状況が特殊すぎると、読者にとって参考になりにくい。ここらへんがなかなか、難しいのだ。
(『ザ・ゴール』がベストセラーになったのは、主人公アレックスの工場がピンチの上に、彼の仕事一辺倒の姿勢に嫌気が差して、妻がいなくなってしまう、という公私両面のダブルパンチ状況が見事だったからだ)

ともあれ、ポールはやむなく、地域倉庫(フロリダ州のその地域の店舗群に、商品を供給している物流センター)のロジャー主任に協力を頼む。本来の規則では、一定の搬送ロット数量を満たさない限り、オーダーをためてからでないと出荷できないのだが、毎日必要な分を、すこしずつ小口で配送してもらうようにする。

ところが、この方式が意外な功を奏して、彼の店は翌月、急に売上が20%も上昇し、利益率も地域でトップになる。こまめな補充で、品切れとなるSKUの種類が減ったためだった。ポールは、この方式を他の店にも広げたらどうだろうか、と考え始める。だが、「販売=商品在庫を抱えること」という固定観念にしばられた売り手たちの考えを変えさせるのは容易なことではなかった・・

他方、妻のキャロラインは、仕入先であるインドの縫製業者との交渉に難儀していた。価格ネゴも大変だが、そこはバイヤーとして手慣れている。むしろ品質や納期に、トラブルが頻発するのだ。しかし、彼女も次第に、大ロットの注文に問題の原因があることに気づき始める。そして染色布の段階でサプライヤー側に預け在庫しておき、小ロットの注文で分納させるという方法を思いつく。

・・小売業の仕事に関わった経験のある読者は、店舗の保有する在庫が4ヶ月分、と聞いて腰を抜かしたかもしれない。日本では考えられないことだからだ。だが、米国のサプライチェーンを理解するためには、あの広大な大陸の距離感覚について、ある程度の想像力をもつ必要がある。彼らにとって、500マイル(=800km)以下、つまり東京-広島間より短い距離など、「長距離」の言葉に値しないのだ。

そうした大陸を、東岸から西にむけて、順に制覇していった彼らにとって、「ロジスティクス」(輸送と補充)ほど重要な物事はなかった。モノが手元にないからといって、すぐ取りに戻るなどという事はできないのだ。現在でも、米国の端から端まで自動車輸送すると、最低で丸4日かかる。業者に電話すれば必ず翌日モノが届く日本とは、基本的な感覚が異なるのだ。必然的に、輸送は大ロットになる。

そして彼らは、「1ダースなら安くなる」というビジネス倫理(?)に忠実に従い、店を作るときでも工場を立てるときでも、最初から大規模なものを考える。生産も大規模、購入も輸送も大ロット、消費者もまとめ買い。だから米国のスーパーで売っている、普通の牛乳のサイズは1ガロン(=4L)のボトルで、紙パックは2Lが標準だ。

このような大量生産・大量消費・広大な流通網の世界で、気ままな消費動向を抱えながら、すべてを完璧に計画しつくそうというのは、確かに無理な相談である。ゴールドラットの制約理論(TOC)は、こうした「計画至上主義」の問題に対する解決策として、「バッファー・マネジメント」の考え方を提案する。

バッファー』とは、モノについてもリソースについても、また処理キャパシティについても使う言葉だが、モノのバッファーとは、要するに在庫である。消費の変動に対応するために、バッファーとしてのストック在庫を置く。問題は、そのバッファーをどこに、どれだけの量、配置するかである。

互いに独立に変動するばらつきは、足し算すると、変動の程度が相対的に小さくなる、という性質がある。それは増減が、互いに打ち消し合うからだ。だから1店舗でのシーツの売上の変動よりも、複数店舗合わせた売上の変動のほうが、相対的に(=平均値でばらつきを割ったら)小さくなる。

だから、大きな原則としては、在庫を各店舗で個別に持つよりも、地域倉庫や、さらに上位の工場倉庫に集約するほうが、変動に対する安全在庫量が小さくなる。これがバッファー集約の効果である。

また逆に、製造(仕入)で言えば、サイズやカラーなどおびただしいバリエーションの製品群について、個別に生産量を計画するよりも、それを上流側で集約した共通材料(=染色布)でストックし、個別の需要に応じて小口に製造オーダーを切る方が、リードタイムも短く無駄が少ない、ということになる。

では、そのバッファー在庫の量はどのようにして決めるか。TOCでは、青(安全)・黄色(注意)・危険(赤)の3つのレベルを設定して、ユーザーが実際の在庫推移を監視しながら、発注点などを調整することを推奨する。これがゴールドラットの「ダイナミック・バッファー・マネジメント」(Dynamic Buffer Management = DBM)の基本的な考え方だ。

何か理論式で天下り式に決めるのではなく、現場の担当者が、現実を見ながら調整する。米国では、在庫量は1日あたり平均需要量の何倍分、といった計算式で、本社が機械的に決めることが多いのだが、TOCはそういう点で、ボトムアップ的でもある。この小説には、『ザ・ゴール』に出てくるジョナ氏のような、老賢者は登場しない。主人公たちが、自分たちで頭を捻りながら、解決策を見出していく。そこにスリルもあるのだが、「怪我の功名」みたいな話の運びには、若干の物足りなさがある。

それに、率直に言うと、読んでいて内容的に、いささか古さを感じる面もある。地域単位の営業倉庫をやめ、全国で1箇所の(あるいは、せいぜい東西2箇所の)物流センターに在庫を集約する動きは、日本ではすでに2000年代のはじめから、いくつもの先進的な業界で進んでいたことだ。もちろん米国と事情は違うにせよ。

また、イタリアのベネトン社は、非常に数多くの種類のカラー製品を扱うために、すでに80年代の終わりから、白地の布でストックし、需要に応じて染色加工して出荷するサプライチェーンを構築していた。HP社もインクジェットプリンタの国別仕様の違いを吸収するために、主要部品は米国で集中生産し、電源モジュールだけ各国で後づけする方式をとっていた。いずれも上流側にバッファーを持つ工夫だ。

そして在庫をサプライチェーンの上流側で集約するといっても、商品の平均的な出荷量や変動、そしてその単価によって、実際にはどこに主要な在庫ポイントを持つべきかは変わる。ジョージア工科大学のSpearmanとHoppらは、98年に「Factory Physics」(工場物理学)を著して、すでにこの問題に数理的に取り組んでいた。そうした成果や知恵は、いずれも本書が現れる前から世にあったものだ。

もちろん、本書に書かれている解決策を、そのまま適用して、劇的効果の出る企業は、今でもいくらでもあると思う。DBMを通じて、現場がボトムアップに在庫問題に取り組むというアプローチは、現実問題としてはとても適切だろう。しかし、もう少しマクロな観点から、理論的なGuiding principle(指導原理)があってもいいとは思う。

本書がそうした理屈を議論する場でないことはもちろんだ。だが、物理学者だったゴールドラットの事実上最後の著作が、あまり意外性のない解決策を経て、メザニン・ファイナンスや集中出店戦略といったエピソードで閉じるのは、少しだけ寂しい気がする。

ゴールドラット博士は2011年に64歳で没する。あれだけの影響力のあった人だから、伝記の一つも出ていいと思うのだが、まだ米国でも出版されていないようだ。TOCは未だに人気が高く、とくに思考プロセス(TP)手法は信奉者が多い。ゴールドラットという人には、一種の宗教的なカリスマ性があったのだろう。

だが、そうした自信と熱狂が、かえって一般的普及の阻害になっている面もあるように思える。彼自身にも、未来を予言するクリススタルボールがあれば良かったのだろうか。


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(2018-08-11)


by Tomoichi_Sato | 2020-03-30 08:12 | 書評 | Comments(0)
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