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危機なんて、ほんとに管理できるのか?ーー現場感覚という事

わたしのこのサイトでは、管理という言葉を極力使わないようにしている。このことはすでに何回か書いたので、あまり詳しくは繰り返さないが、日本語の管理に対応する英語は、Management, Control, Administrationの3つのレベルがあって、海の向こうでは使い分けされている。これに比べ、日本語の『管理』は語義が広すぎて、何のことを指しているのか誤解しやすい。

それでも、管理が何を指すかは、「管理できていない状態」と比べると、少しは明確になるかもしれない。管理できていない状態というのは、どんなイメージか。

70年代、ようやく少しずつ開放の始まった中国を、私の父が訪れた。父は機械エンジニア出身で、機械メーカーの役員だった。中国でいくつかの大規模な工場を訪れ、当時普及し始めたNC(数値制御)工作機械の、研究と導入について相談を受けたという。

しかしそこの工場たるや、加工品を床の上に積み上げて、通路だか物置だか分からないような状態になっていた。積み上げた加工品が崩れて、そこに何種類の部品がどれだけあるか誰もわからない。それを見た父は遠慮なく言ったらしい。「ここの工場のような管理体制のところにNCを導入してもナンセンスですよ。」

後に父は著書「実践的NCマネジメント入門」(技術評論社、1974)に、だらしない工場のあり方について書いている。

「整理整頓などと言うことは目的ではなく、しっかりした管理体制ができているかいないかの、むしろ結果の表現である。」
「何はともあれ、物には置き場が対応しなければならない。計算機には、図番と同時にその部品のありかが記録されねばならない。通路にものを置くなど論外である。(中略)工場内いたる所、足の踏み場もないほど、部品入荷待ちの半製品が散らばっており、棚の裏にでも入った日には、その部品は永久にお蔵入りで、部品がないと称して作り直である」(p95, 35)

もっともこれは、半世紀も前の話だ。今では日本でも中国でも事情はよほど違っているはずだ。ただ、問題の本質は同じである。

ものがどこにあるのか、全部でいくつあるのか、誰の所轄なのか、この先の過不足はどうなのか。そうしたことが全くわからない状態を、無管理と呼ぶ。このことには皆さん、異存はあるまい。

だとしたら、危機管理ができていないとは、どういう状態なのか。危機とは、通常のオペレーションや、日常的な生活を、全面的にストップさせてしまうような重大なトラブルであろう。すると、アナロジーで考えてこうなる:

「重大なトラブルが、どことどこに起きているのか。全部でいくつあるのか。誰が担当して、それと戦っているのか。この先どうなるのか。そうしたことが全くわからない状態にある」

世間の人が危機管理という言葉でで何を期待しているのか、わたしにはわからない。だが、少なくとも上記のようなシチュエーションでは、目的を達成できてないのは明らかだろう。

危機管理と言う言葉は、95年の阪神淡路大震災から、世間で広く使われるようになったらしい。今世紀に入り、特に3·11以降は、代わりにリスク・マネジメントと言う言葉が、多く用いられるようになった。だが本来これは、別の概念である。

もともとリスクとは、起きる可能性のある事象を指している。リスクが一旦現実化して、トラブルになってしまった場合、プロジェクト・マネジメントの分野では、それを「イシュー」と呼ぶ。潜在的な可能性だったリスクと、現実に起きたイシューは別のものである。また、イシューは放置しておくと、二次的な影響が発生して、雪だるま式に膨れていく危険性がある。

前回の記事で、対応能力には、事前対策と事後対応がある、と書いた。現実化してしまったイシューへの対応を、モダンPMの世界では「イシュー・マネジメント」と呼ぶ。リスク・マネジメントとイシュー・マネジメントは、車の両輪である。片方だけではちゃんと走れない。

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イシューはその影響によってランク付けされる。最も深刻な影響が懸念されるもの、普通、危機と呼ぶわけだ。

大規模なプロジェクトでは、イシュー(トラブル)は多数発生する。そこで普通は、「課題管理表」(Issues Log)を作って把握整理する。しかし、把握だけでは足りない。イシューの中でも、プロジェクト全体の遂行を阻害してしまう重篤なものは、他のアクティビティの手を止めてでも全力で対応しなければならない。さもないと、プロジェクト全体が崩壊してしまう。

プロジェクトを含みどんな組織でも、普通は末端の人々が、それなりに問題を解決しながら進めている。つまり、一定のレジリエンス(復旧能力)があるわけだ。しかし、重篤な危機的事象は、通常の体制が持つレジリエンシーを超えている。したがって、危機と闘う体制を整える必要がある。

そのためには、まず人を動員する事になる。人を動かすためには、ロジスティクスの手配が大事になる。つまり働く場所、働くための道具や材料、食事をしたり休んだりする場所、移動手段、宿泊手段など、様々な予算と手当がいる。

もちろん働く人の環境と安全が、第一優先である。それに、安全な退路の確保も必要だ。さらに言えば、トラブル事象に無関係な通常の人間が周囲にいる場合は、その人たちの避難(隔離)も考えなければならない。

危機のときの技術のマネジメントについては、すでに以前記事に書いているので、繰り返さない。ただ、このような時に大切になるのが、「現場感覚」であろう。わたし自身は別に危機対応の専門家ではないが、仕事柄、現場とはどういうものか、多少は知っている。

現場と言う言葉で、普通の人々がイメージするのが、どんな場所だろうか? 具体的には例えば、製造現場、建設現場、物流現場、イベント現場、医療現場、報道現場などが挙げられるだろう。こういった仕事場は、普通の場所とどこが違うのか。

現場が通常のオフィスと違う点は、大きく3つあるように思われる。それは、リアルタイム性(同時性)、危険性、対面・対物性、の3点だ。

(1) リアルタイム性(同時性): 現場の状況は、日々刻々変わっていく。分析や意思決定に、何週間もかけてはいられない。遅巧より拙速を尊ぶ、という言葉があるが、厳密に正確性より、まず手を打つことが求められる。

(2) 危険性: 製造現場や物流現場、医療現場など、どこでも大きな機械装置を使ったり、病気を相手にしたりしなければならない。だから働く人にとって、仕事は常に危険性と隣り合わせである。労働安全が最優先されるのも、そのためだ。

(3) 対面・対物性: 言葉や数字だけをやり取りすれば済むオフィスワークと違って、現場の仕事では、具体的なものや人を、目の前の対象とする。対面したら、何かをしないわけにはいかない。だからこそリアルタイム性が出てくるのである。

まあ、このほかにも、リモート性とかいくつかの特性が考えられるが、ここでは省く。

上記のような性質があるため、たいていの現場では、働く人たちに、制服による識別がなされている。さらに、位階による指示命令系統が決められている。仕事に危険性があるからだ。

しかし、リアルタイム性の要請があるため、命令がなくてもルールの規定がなくても、すぐに判断しなければならない場合が、多々ある。つまりルールより有効性が優先なのである。

夜間に患者の容体が急変したら、医師を呼んで到着を待つ間にも、看護師はどう対応するかを決めてアクションを取る。看護師が医師の指示を持ちだけで、何もアクションを取らなければ、患者の命に関わるかもしれない。それが医療の現場のリアルタイム性なのだ。経験を積んだ看護師は、エリート大学を出た若い医師よりも、はるかに重要な時がある。

さらに、現場で利用可能なリソース(人、道具、資材)には限りがある。だから、優先度をつけて着手(トリアージ)していかなければならない。そして人が限られているから、分担を超えてなんでもやる必要も出てくる。失敗の可能性と背中合わせで、賭けをするのが、現場仕事の宿命なのである。

危機対応のための現場とは、特定目的のための、一時的・時限的な組織であり、そしてリスクと共存している。

このような危機対応のための仕事のあり方は、それと対極的な組織と比較してみると分かりやすいだろう。対極的とはすなわち、日常の場所に恒常的に存在するような組織だ。

そこでは有効性よりルール、前例が大切にされる。仕事の分担は細かく規定されていて、他の領分に手出ししてはいけない。末端が自分の権限を超えて考え、判断するのも許されない。もちろん、失敗も許されない(だから前例主義になる)。事前的なリスク回避は周到に行う。そして、管理することが大好きだ。それも、管理のための管理が大好きである・・。

これを官僚主義的組織という。このような組織は別にお役所には限らず、民間企業でも、いくらでもある。組織は安定した時代に、大きくなると、官僚主義的になりがちだ。うっかりするとプロジェクト組織でさえ、そうなってしまう。

官僚主義の最終目的は、自己保全である。有用かどうかは、どうでもよくなってしまうのだ。それよりも、非難されないことが大事になる。すなわち、リスキーな決定は、排除される。誰が決めたのかも、よくわからないように、手続きの中で隠蔽される。そのため、どうしても意思決定が遅くなる。

官僚主義的組織の最大の問題は、リアルタイム性の欠如である。だから、危機に応対するには向かないのだ。

誤解しないでいただきたいが、わたしは公務員が良いの悪いのという話をしているのではない。どんな組織にも、つねに潜む傾向について語っているのだ。半世紀前の中国の工場の話を、思い出してほしい。共産党政権下の計画経済(=命令経済)での工場組織だ。官僚主義的な「管理」は万全だったに違いない。だが、部品がどこにどれだけあるか、というようなコントロールは、全然できていなかった。工場が上から命令されたアウトプットさえ出していれば、たいして機能的でなくても効率的でなくても、構わない。品質が悪くても、言い訳さえ立てばいいーーそういうメンタリティを、問題にしているのだ。

予防的なリスク・マネジメントと、事後的なイシュー・マネジメントは別物だが、どちらも重要である。ちょうど計画と統率が、車の両輪であるように。だが組織が官僚主義的になりすぎると、予防側のみが肥大化してしまう。そして「危機管理マニュアル」で全てに対応できるかのような幻想が闊歩する。できなくなると、「想定外でした」など言い訳をする。だが、わたしの知る限り、本当のイシュー・マネジメントは、マニュアルにもルールにもない状況で、どう考えるべきか、から出発するのである。


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by Tomoichi_Sato | 2020-03-16 07:21 | リスク・マネジメント | Comments(0)
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