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モチベーション重視という名の危険思想

息子がまだ小さかった頃、幼稚園でお泊まり会というのがあった。みんなで先生と一緒に、一晩、幼稚園でお泊まりをする。それだけの行事だ。だが、親元を離れたことがない幼児たちにとっては、一大試練だった。


息子もその日は朝から緊張して、ああだこうだといろんなことを母親に要求していた。でも何とか夕方幼稚園に送り出した。翌朝、夫婦で迎えに行ったら、機嫌よく幼稚園の門から出てきたから、どうやら何とか楽しく過ごせたらしい。


その日の午後には、遠くに引っ越した仲の良い友達・ツーちゃんが、遊びに来てくれた。ひとしきり一緒に遊んであげて、友達を送ってから、わたしは息子に言った。


「ツーちゃんが遊びに来てくれて、よかったね。昨夜お泊まり会で頑張ったからだよ。がんばるとね、きっといいことがあるんだ。」


頑張れば、必ず良いことがある』--これは子供が小さいうちに、親が伝えるべき大事な教訓だ。だから、わたしもそうした。


ところで、わたし自身は、この教訓を信じているだろうか? 実は、あまり信じていない。特に「必ず」と言う部分については。世の中には「無駄な頑張り、役に立たない努力」というものもある。今はそう考えている。


例をあげよう。


一番端的な例は、上司や先輩よりも先に帰りにくいために生じる、長時間残業やサービス残業と言うやつだろう。実質的な成果につながらない時間の使い方をしているおかげで、能率は下がるし、疲れは溜まるし、会社は余計なコストを払うことになる。良いことなど一つもない。


まぁもしかすると、上司の覚えめでたく、次の人事評定で少しは良い点を稼げる、という副次的効果があるのかもしれない。でも、部下に無駄な残業を強いるタイプの上司は、人事評価においては、だいたい減点主義者なので、あまり大きな効果は望めないだろうが。


あるいは、競争見積における過剰なコストダウン努力も、見かけることがある。これは見積設計を必要とするような、個別仕様の案件で生じやすい。なるべく安い値段で見積もって、受注競争に勝とうとするあまり、顧客の示した技術条件を、無理に都合よく解釈して、少しでも安く設計しようと努力する。


見積期間は大抵短いから、通常の見積設計だけだって大変なのに、その上さらに無理なコストダウンの工夫をしなければならない。この社会では、お見積は全て無料サービスだから、受注できなければ努力は全て水の泡である。


仮にめでたく受注できたとしても、今度は仕様条件上の解釈をめぐって、発注者との厄介な交渉が待っている。こうしたネゴシエーションは、発注者の言い分の方が、ずっと強い。結局安値で受注したのに、赤字が増える結果に終わる。


競争相手が3社も4社もあったら、自社の受注確率は3割以下だろう。また顧客との関係から見て、有利な競争も不利な競争もある。顧客サイドの情報を収集し、的確な案件の分析を行って、無駄な競争を避けるのが良い営業戦略のはずだ。だが、どんな案件にも等しく「頑張りズム」だけで応じよう、と言う営業部門の態度が、この問題に拍車をかける。


最初に挙げた過剰残業の例は、頑張る行動が、仕事の目的に対してずれているケースである。また、2番目にあげた見積における無理なコストダウンは、大きな見通しや戦略もないまま、現場の頑張りだけで目的を達成しようとするケースを示している。


ところで、払う努力の方向性が、仕事の目的と合っており、かつ、仕事の見通しも立てているのに、努力が報われない場合もあるのだ。それはいわば、仕事における科学法則を知らない、ないし無視した場合に生じる。


次の図は、少し前に書いた記事「EVMSとアーンド・スケジュール法の弱点 ~ プロジェクト予測のミクロとマクロ」https://brevis.exblog.jp/28381225/(2019-06-09)で使った、非常にシンプルなプロジェクトのスケジュールの例だ。

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例えばこのプロジェクトで、納期を短くするために、サプライヤーと交渉の努力を重ね、25日間かかるハードウェアの納品を、5日短縮して20日間にしたら、どういう結果が生じるだろうか? もちろん言うまでもない。プロジェクト全体の納期は1日経って短くはならない。なぜならば、ハードウェアの納品は、クリティカル・パス上にないからだ。


もしもプロジェクト全体の納期を短くしたければ、ソフトウェア開発の方をなんとか短縮しなければならない。例えば30日間かかると見積もられているソフト開発のアクティビティーに、人を増員して、期間を短縮する。これが正しい方向の努力だ。無論、それに伴って、余計なコストがかかるかもしれないが。


ただし、この時も考えなければいけないことがある。例えば、ソフト開発の要員を、倍に増員して、30日間かかる作業を半分の15日間に短縮できたとしよう。もちろん人数を倍にしたからといって、単純に期間が半分になるわけは無いのだが、仮にそれが実現したとして、ではプロジェクトの全体期間は15日分減るだろうか。


実は、減らない。なぜならば、その時にはハードの選定と納品の方に、クリティカルパスが移動してしまうからだ。こちらのパスは、現在10日間のフロートをもっている。という事は、ソフト開発の方法を11日以上短縮しても、プロジェクト全体の納期は10日間までしか減らないのだ(これを、「ハード納品のCritical Path Drag値=10日間である」、と表現する)。


仕事の個別の局面に払う努力と、仕事全体の成果やパフォーマンスの間には、ある種の科学法則が成り立つ。そして、その法則に従って、最も効果的な方策を立てるべきである。ところが、わたし達の社会は、あらゆる局面において、過剰な努力を要求することが、あまりに多い。


わたし達は「報われない努力」というものに、もはや疲れている。長い不況の時代を通じて、疲れきっていると言っても過言では無い。


それはわたし達の社会が、仕事のマネジメントにおける科学法則やテクノロジーを、理解していない、ないし軽視していることから生じている。でも、それを軽視しているのだとしたら、一体何を重視しているのだろうか?


答えは「モチベーション」だ。仕事の成果を上げる最大の方策は、働く人のモチベーションである。--これが平成の30年間を通じて、日本社会が信じてきた最大の信念であり、イデオロギーではないかと、最近考えるようになった。


この信念は、冒頭に挙げた、「頑張ればきっといいことがある」と言う教訓と、密接にリンクしている。


モチベーションを第一の信条としている人たちの会話はこんなふうに始まる。


「あの仕事だがねえ、どうしたら成果が上がると思うかね?」

「それはやはり、やっている人間のモチベーションから生まれるものでしょう。」

「ふうむ。つまり、責任感をもって取り組んでもらう、という事だね。」

「はい。やはり、ある程度、現場に任せる必要があると思います。」


ここまではまあ、ノーマルな会話である。ただし、この人たちが言っている仕事の成果とは、つまり売上と利益であることが多い。損益計算書の「ボトムライン」である。


それと、「任せる」といっても、現実の企業では、権限移譲は簡単ではない。重要な決定権限(たとえば予算や人事権など)は、ラインの部門長は譲りたくないし、譲れないものである。したがって、仕事を任せるとは、実は「やり方(プロセス)を任せる」と言うケースがほとんどになる。


「まぁ、やり方は自分で考えてもらいましょう。やり方にまで、こちらが口をはさむと、結果に責任感がもてなくなる可能性もありますし。」

「その通りだね。何もかも指示してしまうと、言われたことしかしない、指示待ち人間をつくることになりかねない。」


ということで、責任感を持つことでモチベーションを上げるといっても、そこで言う責任とは、『結果責任』と言うことになる。言い換えれば、


「甘えるな! 結果が全てだ!」


と言う、よく聞くセリフと同じことを言っているのである。


ところで仕事の成果がモチベーション、つまり個人の主観的な頑張りに依存するのだとすると、成果は予見が難しい、ということになる。誰だって、他人の先々の気分までは読み切れないからだ。


したがって、このようなマネジメントスタイルをとっている組織では、売上目標や利益目標は立てるが、その確度は高くないことになる。当然、生産計画や要員計画のベースラインには使えない。そうなると、なるべく固定費になるものは(人も設備も)抱えない。急な変動のリスクは、外注先にヘッジする、という方策をとるしかなくなるだろう。


また、従業員のモチベーションを鼓舞するためには、当然、成果主義の報酬体系を組み入れることになる。頑張れば、その分報われる。逆に頑張らなければ、首切りリストラによる脅威にさらされる。アメとムチである。そして同期や同僚たちの間で競争させる。


かくして、平成を通じて進んできた、三つのトレンド:

・成果主義

・非正規雇用化

・競争原理の導入・強化

は、モチベーション重視という信念からも正当化される。すなわち、年功序列主義からの脱却であり、これを別名、構造改革ともいう。


またモチベーション重視は、主観主義に結びつきやすい。物事の状況判断において、客観的な事実やデータを積み上げる代わりに、自分の側の主観的な解釈や希望によって、対策を考える。何かを試みて、うまくいかなったとしても、それは頑張りが足りなかったのであり、もう一度がんばり直せば今度はきっと成功する。こういう信念が強いと、結局、失敗した経験からレッスンを学ぶことができなくなる。


・・それにしても、ここまでの説明は、日本企業におけるカイゼン文化とPDCAサイクル重視と矛盾していないだろうか? 作業プロセスを標準化し、PDCAサイクルを回して改善を重ねていくことが、マネジメントであると多くの製造業で考えられている。プロセスを標準化することで、誰でも一定の成果を出せるようにする。これがカイゼン文化の思想であった。


そうしたやり方は、とくに繰り返し性の高い業務(量産型工場)にフィットする。だから高度成長期から、昭和の終わり頃までの日本の製造業では、TQCとカイゼン活動が、とてもよく機能したのだ。


しかし、平成の時代に入って増えてきた、個別性の高い業務、クリエーティブな仕事はその限りではない。だって毎回個別なのだから、改善しようがないではないか。そうした状況においては、仕事の成果はモチベーションから生まれる。こう考えるのが自然な成り行きだったろう。そして、総員がその持ち場で全力を尽くせば、良い成果が生まれるはずである・・


わたし達は一体、どこで間違えたのか?


仕事の成果は、関数系で表すと、


 f(人の能力、業務プロセス、モチベーション、環境条件)


といった形になるだろう。仕事の成果は、人の能力と、仕事のやり方(業務プロセス)と、人のモチベーションと、そしてその仕事を取り巻く環境条件の、いずれにも左右される。

関数f(x) は、仕事と成果を結ぶ科学法則だ。それは単なる足し算にはならない事も、しばしばである。


カイゼン文化の思想では、PDCAを回すことがマネジメントであると考える。4つの中では、業務プロセスを重視するといえるだろう。ただし、それは繰り返し性の高い業務でないとあてはめにくい。また、A(改善アクション)は、個人の創意によるものだ。TQC七つ道具などの技法はあれども、肝心の部分は、じつはモチベーションに頼っていたのかもしれない。


では、個別性の高い業務のマネジメントとは、どういう意味なのか? それは、まず、結果を予見できるように(計画可能に)することである。次に、その業務を、繰り返し可能にすることであるはずだ。そうすれば、皆がお手の物であるPDCAサイクルに接続することができるようになる。そのための技術、マネジメント・テクノロジーの知恵を、皆が共有していく必要がある。

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わたし達の社会は、どうやらこちらの視点を、忘れていたように思える。かわりに、モチベーション重視と、科学法則を無視した足し算の論理が闊歩している。モチベーション重視という思想においては、上記の式の4つの項の中で、モチベーションだけが異常にに肥大化している。あとはこれに従属する、と考える。


当たり前だが、モチベーションは仕事において、とても大切な要素である。だれだって、ロボットのように、やりたくもない仕事を無理やり、やらされたくはない。ここで今さらマズローやダニエル・ピンクの議論を紹介するまでもないだろう。だが、それなりに長い平成の時代を通して、成果に結びつかない無駄な頑張りによって、わたし達は大切なモチベーションの感情を浪費してきたように思う。


平成の最初の数年間は、バブル経済の時代だった。あの頃は、環境条件が最大の項目で、相場が上がるかどうか、あるいは東京で家付きの家庭に生まれるかどうかで、人生が決まると皆が信じていた。それが崩壊した後の長い年月、人々が頼るのは、やる気・頑張り・モチベーションだった。


平成が終わって新時代に入った今、できればもう一度、仕事の成果の方程式を眺め直すべきだろう。そして何が一番肝心なのか、全体を一番支配する律速段階は、どこにあるのかを探るべき時が来たように思う。それを理解した時、初めて、わたし達は安心して、子どもに「適切に頑張れば、きっと良いことがある」と教えることができるようになるはずである。



<関連エントリ>

 →「EVMSとアーンド・スケジュール法の弱点 ~ プロジェクト予測のミクロとマクロ」https://brevis.exblog.jp/28381225/(2019-06-09)

 →「新しい決意と、『今のお気持ち』主義」 https://brevis.exblog.jp/21798589/ (2014-03-18)



by Tomoichi_Sato | 2019-07-13 23:56 | ビジネス | Comments(1)
Commented by SIerですが at 2019-07-17 14:36 x
数十億円以上の大規模やプラントのようなクリティカルな案件のマネジメントとは状況は違うと思いますが、一桁億円くらいの情報システム開発の世界では、予見が難しい時代となり個別性の高い業務が増えたことに対するマネジメント手法として、パイプライン管理が採用されるケースが多い気がします。そもそもプロジェクトを5個やって2個成功、3個はトールゲートを通らずに中止といった割り切り。
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