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感情のマネジメントとは、どういう事を指すのか

夜中に目が覚めて、しばらく眠れなくなった。仕事の多忙で、身体は疲れているはずだ。なのに、うまく眠れないまま、いつの間にか、ある問題状況について考え始めていた。最近起きた、ひどくイライラするトラブルだ。おかげで頭がさえて、さらに眠りから遠ざかってしまう。「夜中にそんな事を考えても、仕方がない」−−そう自分に言い聞かせてみたが、心はまたその悩みに戻って行く。そして堂々巡りの思考の中で、休息すべき時間が失われてしまう・・

こういう経験をしたことがない人は、うらやましい。働いていて悩みが全くない人は、滅多にいないだろうが、悩みに煩わされる程度は、人によって違うようにも思える。夜中に目がさえるような時は、起きている間も、いつの間にかその問題を考え続けている。ただ、考えるといっても、たいていは同じ場所を巡っているだけで、出口の見つからないことが多い。つまり、脳の中のある部分がずっとループしたまま回り続けていて、メモリやリソースを占有してしまっている感じだ。

とはいえ、わたし達の脳がコンピュータと違うのは、そこに『感情』というモードが伴うことだ。怒りだとか、不安だとか、恐れだとか。もちろん幸福という感情だってたまにはあるが、夜中に幸せすぎて目が冴えたという体験は、まだない。大抵は不快な、ネガティブな感情が伴っている。いや、逆かもしれない。感情的な問題がまずあって、それを解決したくて、知的な回路がぐるぐる回っている、という事なのだろう。

感情とは、なんだろうか。それは、マネージすることができるのだろうか?

自分は感情というものに対して、決定的に鈍感なのではないか。そう、疑い始めたのは、中年になってからだった。ずっと技術職だったから、理屈を通すことで仕事を回してきた。若いうちは、それで仕事を回せると思ってきた。

だが、プロジェクトというのは、複数の人間が協力し合って、共通の目的を達成する仕事である。人と協力するには、人の役割分担や能力も大切だが、人のモチベーション、その気分や感情も大切だ。信頼関係のないところに、良い仕事は生まれない。

自分はちゃんとチームを動かしているつもりなのに、「〇〇さん、あとで怒ってましたよ」「××君、ひどく疲れてがっかりしていたね」といった指摘を、人から受けることもたびたびあった。そして家族からも、他人の感情について鈍感だ、と思い知らされるに至って、これは何とかしなければ、という問題意識が生まれてきた。

先日、わたしが主催する「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」で、『感情のマネジメント』という珍しいテーマを選んで講演してもらうことにしたのも、その問題意識からだった。アイシンク(株)の丸山奈緒子様に講師をお願いした。ところで驚いたことに、この回は過去最高の参加希望者があり、しかも初参加の方が多かった。このテーマに関心を持つ人が自分だけでないことに、あらためて印象付けられた。

以下、わたしが学んだことを、研究部会における丸山さんの講演資料「プロジェクトマネジャーが高めたい『感情マネジメント』スキル」をベースに、多少引用させていただくが、もちろん文責は筆者にある。

まず、感情とは何か、である。

当たり前だが、わたし達が抱える感情には、多種多様な種類がある。では、何種類に分けられるのか? じつは感情というものは、基本的な分類基準さえ、世間的には確立していないのだ。自家用車にはどんな種類があるか、金融投資にはどんな種類があるのか、わたし達は大まかな分類の軸をあげることができる。だが、感情はそれができない。それくらい、近代的なわたし達の生活において暗黒大陸、ないし未開の沃野なのだ。

それでも、とりあえず感情にはポジティブとネガティブがありそうだ、というくらいは分かる。ネガティブ感情にしばしば悩まされると、上にも書いた。では、ネガティブな感情は、さらにどう区分できるのか?

わたし達は赤ん坊の時から、感情をもっている。知性や自我の前から、あるのだ。ただ最初は、未分化な状態にある。自分が成長していく過程で、少しずつ、「あんたは怒ってるの?」「うれしそうね」「ぼくはそれ悲しい」「さびしいな」などと、言葉で表現するようになる。名付けることによって、感情は対象化され、また自分でも気付きやすくなるものらしい。感情の分類と、感情の発達・分化は関係しているのだ。
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そこで講演では、参加者に、自分が感じている感情を、言葉と数字を使って、表の形で書いて見るワークが出題された。直近の一週間を振り返って、自分はどんな時、どの感情を感じていたか。その強さは0-100%であらわすと、何%か?

単純なワークだが、これをやっていると、自分が毎日、いろんな気持ちを抱きながら過ごしている事に、あらためて気づく。それもプライベートだけではない。職場などの公的な時間でも、いろんな感情とともにいるのだ。

丸山さんによると、感情には、二つの重要な機能がある。一つ目は、自分自身への「信号」として、である。感情は、自分にとって重要な何かが起きていることを、知らせる。それによって、直接的具体的な行動を促す働きがある、という。たとえば、怒りは「戦え!」「相手を排斥しろ」という信号だし、恐れは「走れ、危険が迫っている!」 と自分に知らせてくれる。

もう一つは、他者との「コミュニケーション」を活性化する機能だ。感情は、他者に自分に関する副次的情報を伝えることで、他者とのコミュニケーション活性化のきっかけとなる。たとえば、悲しみは「助けて!」「わたしは傷ついています」と他人に訴えかける力がある。喜びは、「協力しよう」「再現しよう」 という気持ちを伝えてくれる。

ポジティブ感情には、「心身を回復する」ないし「注意と行動の範囲を広げる」働きがある。そして、ポジティブな感情は、その大きさ・深さよりも「頻度」が大切だという主張にも感心した。小さくても、頻繁に、自分に対してポジティブな感情のストロークを蓄積する。それがストレスを軽減するのだろう。

講演はさらに、ネガティブ感情を受け入れる、というテーマに進む。ネガティブな感情も、適度であれば、自分にメリットをもたらす。不安は、慎重さや準備、予防策のきっかけになるのだ。しかし、不安感情が過剰だと、デメリットが目立つようになる。パニックになる、他のことが手につかない、などの状態に陥るからだ。

そして、自分のネガティブ感情に「応対戦略」を考えるワークを、皆で行った。二人一組になって、それぞれ、自分がしょっちゅう悩まされるネガティブ感情をとりあげ、それに「あだ名」をつけるのだ。このとき、ちょっとコミカルなキャラづけになるような名前を考えるのがいい、という。

自分の場合は『怒り』だな、とわたしは思った。じつは気が短いので、つまらぬことでもすぐ怒ってしまう。とくに馬鹿げた、筋道の通らない話をされると、ついカッとなり、それが攻撃的な口調となって出てしまう。これで何度、損をして痛い目にあったことか。では、なんてあだ名をつけようか。

よし、「イカール大帝」にしよう、と決めた。ご存知の通り西洋史には、カール大帝という、英雄だが戦争好きな君主が出てくる。それのもじりだ。イカール大帝が登場すると、しょっちゅう、あちこちでケンカをやらかして、まずい事態を引き起こす。自分の中にいるのだから、そんなに偉大な存在ではないけれど、暴君なのだ。では、どんな時に現れてくるのか。この人と、どう付き合ったらいいか。それを考えて、相方に説明し、一緒に相談する。

これはなかなか興味深い体験だった。何より、自分が前からとらわれている感情を対象化し、しかもコミカルに擬人化するところがいい。そうすると自分にとって、何とか応対可能な相手だという感じがする。あだ名をつけるというアイデアが、卓抜だ。さすが専門家はだてに専門家ではないな、と思った。

それと同時に、こうした研修講演にはワークが必須なのだ、と気づいた。聴いて、知った気になるだけでは、自分の行動に結びつかない。身に着けるには、練習が必要なのだ。ただ、実りあるワークのためには、ある程度、自分の感情を人に晒せるような、相互に信頼感のある場づくりが必須である。

今回は、本来1日かかる研修コースの内容を、丸山さんを拝み倒して、わずか1時間半に凝集してもらった。ただ、明らかにこれだけで十分ではない。だから、自分自身で感情に気づくエクササイズを、日常で繰り返す方がいい。そのためにも、日誌による「ふりかえり」の習慣は有益だろうと思う。

ところで、以下は個人的な感想ないし疑問だが、はたして感情とは「マネージ」「コントロール」するべき対象なのだろうか?

感情のマネジメントという考え方が広まった背景には、EQという概念の普及も関係しているらしい。EQは、80年代後半に米国のメイヤーとサドベイが提唱したもので、IQ(知能指数)にヒントを得た用語であある。彼らは、「感情をうまく管理し、利用することは、知能である」と主張する。

優秀なリーダーは、自分の感情を把握・コントロールする能力と、他者の感情を知覚する能力が優れている、という研究があり、彼らの主張はこれに基づいている。つまり、ビジネスの成功には、知的なIQと、感情のEQが必要だ、という主張である。まあ、ある意味、いかにも「ビジネスの成功=社会的理想」とする米国的な考え方ではある。

ところで、日本語には「知情意」という言葉がある。知性、意思、感情という、心の働きの主要な3つを表した言葉だ。この三つについて、上記のEQのような考え方では、意思に基づいて知性を働かせ、その知性によって感情をマネージする、という風にとらえられる。つまり、

 意思>知性>感情

という優越関係にあるようだ。ただ、本当に感情とは、自分(自我の持つ意思・目的)が利用すべき資源にすぎないのか。暴れん坊だからコントロールすべき、家畜のような存在なのだろうか?

感情は、じつは自分の一部ではないのか。知性や意思と対等な、自分自身を作り上げる構成要素ではないか。そういう風にも、わたしには思える。感情の働きは、じつは自分の生に意味や価値を与えるのではないか。

人間は、なぜかしらないが、感情を共有したがる生き物である。丸山さんはこのことを、感情には「伝染性」がある、と表現された。そしてまた、感情には「流れ」があり、それはお金の流れと同様に重要だ、という経営者もいる。興味深い考えだ。

そして、感情は身体とかなり直接、結びついている。負の感情が肉体的な不調を呼び起こすことも、よくある。身体だって、自分の一部であって、単に「自分の所有物」ではあるまい。所有物みたいに思って暮らしていると、そのうち、身体の反乱によって痛い目にあう日が来る。同じように、感情をただ「マネジメント」の対象として、上から目線で考えるのは、いささか一方的だと感じるのだ。

「プロマネの仕事は技術をリードすることだ、だから優秀な技術者がやればいい、と信じている組織が世間ではほとんどです。だが本当は、感情とリスクのマネジメントがその8割以上なのではないかと、参加した皆さんもきっと思われるようになるはずです。」--研究部会の案内文に、わたしはそう書いた。

夜、目覚めて眠れず困る時間をすごす代わりに、自分の中の感情に気づき、自分を支える一部として認め共存することが必要なのではないか。そして、他者の感情をも、同じように尊重することが大切なのではないか。これが、理詰めで世の中を渡ろうとしてきたわたし自身の、最近の本心である。


by Tomoichi_Sato | 2019-04-26 21:36 | 考えるヒント | Comments(0)
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