ITシステムのオーナーシップとは何か

男が道を歩いていたら、「言葉を話せる犬、売ります」という看板を見つけた。興味を惹かれて門をくぐり、中にいた犬にたずねた。「お前さんがその犬か。これまで、どんなことをしてきたんだい?」

すると犬は答えた。「自分はとても充実した生活を送ってきました。まず、アルプスで雪崩の犠牲者救助をしてました。その後は、イラクで米軍の補助犬として働き、今は近くの老人ホームの人たちに本を朗読してあげているんです。」

感心した男は、オーナーに向かってたずねた。「こんな立派な犬を、何であなたは手放すんです?」
オーナーは答えた。「大嘘つきだからだよ。そいつが言ったことなんて、実は何一つやってないんだ!」

・・アメリカのジョークである。犬はまあ、それなりに知的な生き物だが、人間の所有物だ。オーナーの役に立つことをするから、飼ってもらえる。役に立たなければ、オーナーは手放したり売ったりするだろう。特に、それが「できる」と称している機能と、現実とにギャップがあれば。おまけに、米国の商品には(ソフトを含め)案外その手の品質ギャップが多いのだ。

前回の記事『プロジェクトのオーナーシップとは何か』https://brevis.exblog.jp/27925736/ で、わたしは「プロジェクト」という目に見えない活動のオーナーについて考えた。今回は、ITシステムという、同じく目に見えない道具について検討してみよう。

そもそも、オーナーシップとは何か。それは、端的に言って、何らかの対象を「自由にできること」を意味する。自由とは、例えば、利用したり、譲渡したり、変更したり、破棄したり、といったことだ。

もちろん、そのためには、自分がその対象を、正当に取得した(ないし自分で作成した)のでなければならない。そして、自分はその対象の価値を知っているし、はかることができる能力を持つ。
法律的には、いろいろなモノに対し、所有権とは区別して「利用権」を設定でき、他者に譲れる。土地がその良い例だ。所有しているということと、現在使っているということは、別なのである。

オーナーは、所有する対象から直接生じる便益や損失についても、対外的に責任を持つ。経済的な利益も損害も、そしてそれに伴う栄誉も、不名誉も、オーナーに帰せられる。犬を飼う人は、犬が他人に迷惑をかけたら、賠償したり詫びたりしなければならない。

また、その対象に依存して何かを行う他者がいる場合、オーナーはその維持にも責任を持つ。自動車の場合、特定他者とは、例えば家族の場合もあるだろう。あるいはレンタカー業で、ユーザと個別に契約を結ぶ場合もあろう。さらに、利用者が不特定な場合だって、何らかの社会的な責任というものは生じる。
要約すると、何らかの対象について、お金を出して取得し、その価値を活用し、さらに改善し、無価値になったら破棄することを、責任を持って行うのがオーナーシップである。つまり、
 PDCAサイクルを回す主体 = オーナーシップ
だと考えていい。
さて。読者諸賢の職場では、IT予算は誰が決めて、誰が払うのだろうか。情シス部門? ユーザ部門? それともケースバイケース?

IT予算に関する調査レポートは、日本情報システムユーザ協会(JUAS)をはじめ、いくつかの調査機関が出しているが、あまり予算の出所や管理権の所在について、書いたものを読んだ記憶がない。わたしが気づいていないだけかもしれないが。
じゃあ、別の聞き方をしよう。IT開発プロジェクトのオーナーは、誰か。IT開発チームのプロマネの上司である、情シス部長やCIOか。

ここで問題にしたいのは、社内の業務で使うタイプの業務系ITシステムのことだ。外部顧客向けのソリューション商品とかの話ではない(その場合は、プロダクト・オーナーが当然いるはずだ)。
実は、そのシステムを使って実現する「業務プロセス」のオーナーが、オーナーシップを発揮すべきだ、というのが今回の話だ。それが販売系プロセスであれば営業部門、製造系であれば生産、設計系であれば技術、物流系であれば物流部門がオーナーであるはずだ。

業務ユーザ側の部門が、開発予算の実質的スポンサーであり、IT投資からその価値を引き出す任務に当たる。である以上、開発投資(予算)の決断も、その内容とスコープ(範囲)も、その主たる業務機能も、業務ユーザ側部門が最終的な判断権を持つ。(なお、サーバやネットワークといったITの基幹インフラ系システムは、情シス部門がオーナーで構わない)

そして、業務ユーザ側が、IT投資に見合う価値があるかどうかを、判断する。これが、あるべき姿ではないか。
こう書くと、早速反論が寄せられそうだ。「ITのことなんか何にもわかんないユーザ側が、決められる訳ないだろ。第一、開発工数のことも、運用保守の負担も、テクニカルなアーキテクチャーの良否も、判断できないじゃないか? だから、俺たちが一番良いように、ちゃんと考えて決めてやるさ。俺たちが作って与えた通り、ユーザは使ってればいいんだ・・」
あえて嫌味な書き方をしたが、こういう感覚を内心持ったことのあるITエンジニアは、案外多いのではないか。
だが、これは危険な、官僚主義への道だ。その昔、汎用計算機しか世の中になくて、1台なん億円もした時代の感覚だろう。高価なリソースを管理し、使わせてやっている、という時代は、「専門家判断」に全てを依拠するのが主流だった。

だが、こうしたあり方は、かつての鉄道事業や電気通信事業のあり方を思い出す。あの当時、10円玉と100円玉の両方を使う公衆電話で、技術的にはできるくせに100円玉にお釣りを出さなかった電電公社のことを、覚えている人はまだ多い。こうした官僚主義のサービス事業は、みんな民営化されてしまった。

同じように、社内の情シス部門が聞く耳を持ってくれないと感じるユーザ部門は、しまいには自分たちで外部に直接アウトソースし始める。つまりITサービスが社内で「自由化」され、外部との競争にさらされることになる。今はそれが、十分可能な時代だ。昔の汎用機の時代とは違うのだ。そうして、社内バラバラなシステムが横行したら、最後に困るのは自分たちITエンジニアではないか。

「いえいえ、わたしは言われた通りのものを作るだけです・・」そういう受け身のITエンジニアたちも、もちろんいる。ただ、その姿勢はどうかというと、ユーザ部門の要望に従って作った結果、どうなっても、それは知りません、という印象をしばしば与える。つまり、オーナーシップを忌避ししてる訳だ。だが、ユーザ側にオーナーシップを求めている訳でもない。
結果として、「オーナー不在」なまま宙に浮いた業務システムが、社内に多数存在することになる。そうした業務システムは、PDCAサイクルを誰も回さない。いずれ、アーキテクチャ的にも機能的にも、温泉旅館的つぎはぎ構造になっていき、誰もまともに保守できなくなる。それもありがたくない話だ。

一番望ましいのは、ユーザ側が企画構想と実業務適用と評価・改善のPDCA責任を持ち、IT部門が開発と運用についてプロの専門家として委託される形だろう。

そして、IT機能の実現方法について、複数の案が存在するときは(たいていの場合はそうだが)、IT側が比較表を作成してユーザ側に提示する。比較表に記載すべき項目は、以下のようなものだ:

  • 実現手法
  • 実現できる機能要件
  • 想定される非機能要件(レスポンスタイム、スケーラビリティ、オペラビリティ等)
  • 初期コスト及び運用コスト
  • 長所
  • 短所

そして、ユーザ側が総合的な観点から、比較評価して決める、という手順を取るべきである。この時、開発予算や運用予算は、ユーザ部門側がオーナーシップを持って起案することになる。

ただ、ユーザ側がITにまるきり無知なままでは、ちゃんとしたオーナーシップを持てないのも、事実だ。結局、これは社内一般ユーザのIT的な育成という課題にたどり着く。

無論これは、かつてのような社内OA講座みたいな「コンピュータ・リテラシー教育」の問題ではない。ITとは何で、ITシステムとはどういうもので、開発プロジェクトはどう進められ、運用保守は何が大切か、といった研修が必要なのだ。業務をITに合わせるべき点はどこで、逆にITシステムにはどういう機能要件を持たせるべきか、という最適バランスを、ちゃんと議論できるようになってもらわなければ、良いITシステムは作れない。
ところで、単独の部門の業務に関わるシステムの場合はいい。複数の部門にまたがるような、複雑広範な業務プロセスのITシステムは、誰がオーナーシップを持つべきなのか?

これがまた、現実には厄介な問題なのである。ここでも、前回と同様、「ステアリング・コミッティ」方式を取るしかない。関係する部門からメンバーを出してもらい、委員会方式でコンセンサスをとっていくのだ。

ただ、その場合でも、リーダーとなる部門は明確に決めるほうがいい。そうしないと、意思決定の責任所在が不明の、いつもの「日本型無責任体制」になりかねない。

なお、米国などのグローバル企業には、「業務プロセスのオーナーシップ」という考え方がある。例えばマイクロソフトには、数名のエグゼクティブがいて、彼らがそれぞれ業務プロセスについてグローバルに責任を持っている体制だと、数年前に聞いた。しかし日本企業では、こうした体制になっている例は、寡聞にして聞いたことがない。目に見える「モノ」には非常にこだわるが、無形の「プロセス」には興味がない人が多いから、だろうか。

だが、ITシステムというのは、より競争力の高い業務プロセスを実現するための、ツールなのだ。だから、本当はITシステムではなく、『業務プロセスのオーナーシップ』を考えるのが、より適切なのだろう。ただ、これまた、確立するには、随分と道のりの遠い話だ。だが、そうしないと、言葉はペラペラ喋るが、内実は全く伴わない犬を飼っているのと同じで、カッコいいけれど出費だけが虚しく続く生活に陥るのである。



by Tomoichi_Sato | 2019-01-27 21:21 | ビジネス | Comments(0)
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