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ひとはなぜ、同じ話を繰り返すのか

10代の頃読んだスタインベックの短編に、同じ話を孫たちに何度も繰り返すお爺さんの物語があった。西部開拓時代の生き残りであるこの老人は、駅馬車がインデアンの攻撃にあった時、どう防ぐかという持論を、たまに会う息子や孫に、繰り返しするのだった。

年寄りはなぜ、誰に何を話したかを、覚えていないのだろう? 10代の頃は、そう思った。さて、それから長い月日がたって、自分が《若い衆》に何か話す側になると、なんだか同じ話を何回もしているような気がする。

とくに、大学で授業を持つようになってからは、その印象が強くなっている。まあ、いたし方ない面もあるが、「この話、前にもしたな」と感じる。それがいやなので、講義内容は毎年少しずつバージョンアップするようにしているが、それでも部分的である。

それにしても、人はなぜ、同じ話を繰り返すのか? 一番単純な理由は、「誰にどの話をしたか」を覚えきれないからである。そんな単純なことを、なぜ覚えきれないのか。答えは、「そんな簡単」なことではないからだろう。

例えば、自分に5人の友達がいるとしよう。そして、皆に伝えたい話題を、4つ持っていたとする。すると、誰に何を話したかは、5行4列の、簡単な表で表すことができる。縦に並ぶ行は、それぞれの友達だ。横には、話題を表す列が並ぶ。友達2に話題3を話したら、2行3列目に、チェックマークを入れる。

さて、この表というかマトリクスは、全部で何パターン、あるだろうか?

答えは簡単だ。表の各マス目は、空欄かチェック済みかの2つの状態を持つ。マス目は全部で20個あり、お互い独立に変化しうる。ということは、このマトリクスは、

2の(5×4)乗 = 2の20乗 ≒ 100万個

のバリエーションがあるわけだ。自分はこの100万個の中から、一つの状態を覚えておかなければならない。

では、自分が少し成長して、友達は6人、話題を5つ、持っているとしよう。すると今度はが、5かける6で30個のマス目を持つマトリクスが必要になる。このマトリクスがあり得るパターンは、

2の(5×6)乗 = 2の30乗 ≒ 10億個(!)

になる。あなたはこの中の一つを、覚えておかなければならない。これは、思ったほどたやすい仕事ではないことが、分かるだろう。実際には、マトリクスは連続的に成長していく(友達は入れ替わるし話題も賞味期限がある)から、パターン数は絞られるけれども、なかなかややこしい。

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であるからして、大人になると、誰に何を話したかなんて、「いちいち覚えちゃあ、いられないんだぞ、小僧!」ということに、あいなる。年長の大人が何回も同じ話をして、なおかつ威張っているのは、このためなのである。少なくとも、半分は。


半分は、と書いたのは、残り半分には、別の理由があるからだ。大人は、分かっていて、同じ話を繰り返すことがある。

例えばわたしは、大学の授業の中で、「マネジメントとは、人を動かすこと」「人に働いてもらって、共通の目的を達成することである」という話を、日を変え場面を変えて、5、6回は繰り返してしゃべる。東大の大学院生など、一回聞けば忘れずに覚えるタイプの人が多いけど、それでも、「マネジメントは多義語だが、その中核にある意味は『人を動かす』という事です」としつこく語り続ける。

なぜなら、しつこくなければ全員に伝わらない、からである。授業というのは、基本的なことは全員に理解してもらわないといけない。プロジェクト・マネジメントの授業では試験はしないが、仮に試験をしたとしたら、基本部分は全員が満点を取れるようにするのが、教育である。試験結果で差がつくのは、教育の本義ではない。品質検査をしたら全品が良品である、というのが製造の目標であるように、全員に理解させるのが教育であろう。

実際のプロジェクトでも、大事なことは繰り返し、皆に伝えないと徹底されない。

目的や方針や指示を、末端まで徹底すること。そのために、メンバーに繰り返し伝えること。それが数人の小規模プロジェクトでも、数百人の大規模プロジェクトでも、本質的な部分は変わらない。

ただ組織が大きくなるほど、難しくなるのは道理だ。だから、たとえばプロマネは部下のリーダークラスに指示を出したら、さらに一階層下のメンバーにちゃんと伝わっているか、自分で確認したりする。たとえ部下たちが「前にも聞いた」「耳タコだ」などと感じても、伝えなければならない。マネジメントが「人に働いてもらう」ことである以上、指示を徹底することはプロジェクト・マネジメントの生命線だからだ。

これはたとえば、噂に聞くトヨタのしつこさ、にも通じる。自動車生産の系列は巨大だから、その末端まで思想を浸透させようとすると、たしかに同じ話を何度も繰り返すことになる。以前紹介した、フランス人作家パレの小説「ザ・ジャストインタイム」の中に、それを物語るジョークがあった。トヨタ生産方式では、在庫量を湖の水位にたとえ、水位を減らせば隠れていた岩(問題)が見えてくる、という話をよくする。ところが、あまりにもこのたとえ話を何度も聞かされるので、

「ペルーでフランス人と日本人とアメリカ人が工場を建てようようとしていた。だがゲリラに捕まって人質にされ、資本主義の手先だから銃殺すると言われた。ゲリラは3人に、最後の言葉を残すことを許した。フランス人は『フランス万歳!』と叫んで撃たれた。次は日本人の番で、『では湖と岩について話したいと』言った。その途端にアメリカ人が飛び出してきて、銃口の前でシャツの胸をはだけて叫んだ。『湖と岩の話をもう一度聞かされるくらいなら、先に撃ってくれ!』」(p.264)

という訳である。

トヨタ生産方式なら、一応そこに理屈があるわけだが、理屈抜きにそれを繰り返し聞かされるとなると、もはや宗教の領域であろう。それこそ同じ祝詞やら念仏を、1千回、いや百万遍くりかえす、というのは、マントラを深層心理に植え付ける効果があるに違いない。

ただしまあ、ずっと何度も繰り返すだけというのは、伝達の手段としては芸のない話だ。人に何かを理解してもらいたいのなら、むしろ、その内容を他の人に伝えさせる、という方がずっと有効である。人に教えには、自分が理解していないとならない。だから人に教えさせるのが、一番勉強になる。つまり間接教育である。

それにしても、同じ話を何度しても、相手に全く伝わらない場合も、けっこうある。つまり、相手に「聞く耳がない」という事態である。とくに相手が、思い込みの強い人だったり、「信念の人」だったり、あるいは年配者だったりする場合である。こういう人達は、ひとのいうことをあまり聞かない。むしろ逆に、自分たちは同じ話(彼らの持論)を、何度もしたがる。こういう人達も社会には一定数いるので、つき合い方を考えなければならない。

そして、こういう人に出会うたびに、なんとなくわたしは「コミュニケーション伝導度」の測定器が発明されればいいのに、と思ったりする。コミュニケーション伝導度とは、熱伝導率と電気伝導度などと類似の概念で、

[相手の理解の増加量] = [コミュニケーション伝導度] × [自分の理解度 — 相手の理解度]

によって定義される量だ。コミュニケーションとは基本的に、ある事実や思考について、理解のギャップを埋める行為である。自分と相手の理解度の差が、いわば差圧というか、Driving forceになる。そして、相手のコミュニケーション伝導度が高ければ、こちらの話す情報が、相手にすっと入っていく。伝導度が低いと、何度話しても伝わらない。

なので、相手の伝導度が0.3だと分かれば、(うーむ、この相手には3回以上、同じ話を繰り返さないと伝わらないな)といった判断ができるようになる。0.5なら、2回ですむ。もちろん、理想的な聞き手の伝導度は1である。一度いえば、なんでも100%すっと理解してくれる。伝導度ゼロの人は、何を言っても決して受け付けてくれない。話すだけ時間のムダである。

これを測定するスマホアプリができたら便利だろうな。誰か発明してくれないものか。

ただ、言うまでもないが、こうした伝導度というのは、相手だけでなく、話題の種類に依存する。誰だって、自分が聞きたい話に対しては、伝導度が高くなり、聞きたくない情報に対しては低くなる。そして、こちらの話し方にも依存する。だからこそ、「伝え方のテクニック」というものが存在するのだ。

拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』にも書いたとおり、わたしは、「発信者責任の原則」が、世界のビジネス上のコミュニケーションにおけるデフォルト標準だと考えている。情報を伝えるのは、発信者の責任である。だから話し手は、相手が理解したかどうかを確認し、伝わるまで繰り返し話すべきだし、あるいは伝え方を工夫していくべきだ、と考えている。

あいにくわたし達の社会におけるデフォルトは、「受信者責任の原則」である。教師が教壇から何かしゃべったら、生徒はそれを聞き漏らしてはならない。理解できないのは、生徒の側に責任があり、だから試験で罰せられるべきだ、となる。分からないのは、分からない奴がバカだ、という論理である。講演をしても、質問の時間に皆、あまり手を上げない。質問するのは理解できなかったことを意味し、それは頭の悪い証拠だ、となるからだろう。

わたし達はそろそろ、こうした上意下達型の論理から卒業すべき時が来ている。むしろ、現場の側から、マネジメントに対して、いろいろな不便や問題点を伝える必要のある時代なのだ。そうした話は、管理者の側にはたいてい都合の悪い話題なので、伝導度が低く、そう簡単には伝わらない。だが、正しい情報が上がってきてこそ、マネジメントは適切な判断ができるのだ。である以上、わたし達は、繰り返し伝える勇気も持たなければならないことになる。


<関連エントリ>
 →「書評:『ザ・ジャストインタイム』 フレディ・パレ&マイケル・パレ 著」 https://brevis.exblog.jp/22515622/ (2014-10-26)
 →「プロジェクト・コミュニケーションのベーシック 〜 情報のトレーサビリティを確立する」 https://brevis.exblog.jp/24679751/ (2016-09-25)



by Tomoichi_Sato | 2018-12-17 22:15 | 考えるヒント | Comments(2)
Commented by lcpam at 2019-07-19 17:03 x
いきなり失礼します。lcpamと申します。
素晴らしい考察ありがとうございます。ツイッターにて勝手に引用したこともあり、挨拶も兼ねて引用リンクとコメント残しました。

https://twitter.com/lcpam2/status/1152119799343808512

無駄のない綺麗な文章で、納得できるロジックな説明と構成(リズム)がまた素晴らしいと思います。有難うございます。

もし私の引用が迷惑でしたら、いつでも教えて下さい。すぐ削除いたします。

では、失礼しました。
Commented by Tomoichi_Sato at 2019-07-26 20:05
Icpamさん、わたしがこのサイトに書いた事は、出所さえ記していただければ好きなだけ引用していただいて結構です。
ここに書いているのは、落ち着いて考えれば誰でも思いつくようなことばかりで、それを自分で独占しようというつもりは全くありませんので。

佐藤知一
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