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従業員番号のない会社、あるいは、わたし達の社会のアキレス腱について

その国には、住所というものがなかった。住所表記の仕組みがないので、場所を伝える時は、X市場の前とか、XXホテルの東隣3軒目というしかない。誰かに郵便を出すには、市の名前を書いて、あとは私書箱(PO Box)の番号をつける。だから誰もが、郵便を自分で取りに行くことになる。

その国の名前を、サウジアラビアという。初めて行った時には、ずいぶん奇妙に思えた。だが、毎日の生活は、普通に行われている。最近は、いくつかの市では通りの名前と番号による、欧米式の表記もされているようだ。だが、全国的ではない。カーナビがどうなっているのか、わたしは知らない。

そんなのはごく特殊で例外的な事例だ、と思われるかもしれない。のんびりしたアラブの途上国の、それも国土の大半が砂漠である国の特殊事情だろう、と。多くの日本人は、そんな風に思うかもしれない(現実のサウジはG20のメンバーで大国だが)。

さて。

その会社には従業員番号がなかった。すべては氏名でリスト化していた。

給与台帳も姓名の五十音順だった。部署の配属も昇進も、人事管理はすべて名前ベースで管理していた。PCのログインも自分の名前だ。

こんな運営している会社は、同姓同名がいたらどうするのか、結婚して苗字が変わったらどうするのか、と、はたで余計な心配をしたくなるだろう。

そんな企業はないって? 零細企業以外はありえない? では、先に進もう。

その会社には、製品番号がなかった。製品はつねに、製品の名前と仕様(の略号)でよばれた。注文書も、製品名ベースで営業部から製造に渡された。出荷伝票も請求書も同様。半期に一度の製販予算会議には、製品名がズラリと表に並んだ。

製品カタログはないのか? あっても、顧客はどう注文を入れるのか。また、仕様を少しだけ変更したくなったらどうするのか。よく注意書きにある「予告なく仕様を変更」の類いである。あるいは製品名を変えたくなったら? そうでなくても、長い名前だったら、入力だって不便だし、間違えやすいはずだ。
だからたいていの(まともな)企業なら、製品に管理番号をつけて、「製品マスタ」を作成する。製品に関する情報の台帳である。その台帳を見れば、重要な情報は、全て分かる。それは皆が共有していて、何か変更があったら、全員が共有できる。各人が勝手にメモを持って歩いているのではない。

製品番号がない企業なんて存在しないって? 今どき、よほどの零細企業でなければ、そうか。でも、もう少し先に進もう。

その会社には、取引先リストがなかった。つまり、顧客のリストだ。取引先は、企業であれ、個人であれ、すべて名前で区別していた。同じ名前の時は、住所を参考にして区別した。

これが不便なのは、いうまでもないだろう。

会社は勝手に合併したり、分社化したり、移転したりする。大きな企業だと、事業所ごとに別々に取引が発生する。さらに厄介なのは、代理店の存在だ。実際の納入先と、金銭の支払者が異なったりする。物流と商流のズレという現象である。取引先とは与信管理もしなければならない。あまり貸し売りをしすぎて、貸し倒れになったりするリスクを避けたいからだ。

取引先にどんなコードをつけて整理したらいいかは、悩ましい問題だ。でも、お金の取りっぱぐれがあってはこまるから、やはり普通はなんらかの会社コードをふって、リスト化する。していなかったら、奇妙だ。そう、思われるだろう。

でも、そうだろうか。まあいい、もう一歩だけ、先に進ませていただく。

その会社には、資材に品目番号(部品番号)がなかった。

設計部門は、製品組立図を作り、部品図に展開し数量を拾って、仕様とリストを資材に渡す。資材購買部門は、そのリストと図面を見比べながら、「30φの真鍮の丸棒」「シールXY123相当品」といった調子の、業界内なら常識的に通じそうな記述で、注文を出していた。受け入れた資材は、担当者が、どこの場所に置いたか記憶する。

こういう会社は、実は案外多い。結構な大手でさえ、見かけたことがある。

こんなやり方が非効率なことは、考えれば明らかだ。資材台帳がないから、何を合計いくつ買ったか、よく分からない。保管場所も、各人の記憶に頼っている。つまり、まともな在庫管理ができないということだ。

それでも通用する工場があるのは、そうした品目がすべて都度手配品で、あまり在庫が残らないような生産形態の時だ。いいかえると、個別受注生産では、これでも、かろうじて回っていく。ただ、とても属人的だから、担当者が辞めたら何がどうなっているのか、訳が分からなくなる。

まあ、ここまで極端でなくても、品目コードのかわりに、部品の図面番号(図番)で代用する会社は案外、多い。これができるためには、各部品に一品一葉の図面を起こしていることが、条件になる。一品一葉の図面は、良い習慣だ。だが、工場の製造工程を考えると、図番だけでは不便であることに気づく。同型だが材質違いの部品はどうするのか。あるいは、加工段階を追って、表面処理や熱処理が進んでいく部品はどうするのか。

いや、ウチの工場は、ちゃんと加工段階を区別できるように、品目コードをつけている、という企業もあるだろう。だが、たとえば、設計部門と工場が、同じモノを別のコードで呼んでいる場合は、けっこうある。設計部品表(E-BOM)と、製造部品表(M-BOM)が、乖離しているようなケースだ。この悩みは、あちこちで聞く。

中には、E-BOMとM-BOMの品目コードの対照表をつくって、ITシステムで読み替え処理をしているところもある。その対照表は、いつ、誰がメンテするのか。その表の品質は、誰がどうやって担保するのか。まことにご苦労様である。

マテリアル(品目)にコードをとり、台帳を作るのは、正確な情報を共有するためだ。個人の記憶のかわりに台帳があれば、仕事の品質も生産性も上がるのは、明らかだろう。だが、異なる部署で違うコードを使っていたら、それは情報を共有することになるのだろうか。

マテリアルには全社共通のコードはないが、取引先コードはある。そういう会社もあるかもしれない。だが、よくよく調べると、案外問題があったりする。たとえば、顧客コードと、業者コードと、振込先コードが、別々の体系になっているケースはないだろうか? 同一の企業が顧客でもあり仕入れ先でもあるケースは、ときどき生じる。だが、受注業務と、発注業務と、支払い業務とで、別々のコード体系を使い、同一の事業所を別々のコードで呼んでいる。おかしくないだろうか?

それでも製品コードはさすがに、普通の会社はもっている。だが、国内用と輸出用で、仕様が違うのに、同じ製品コードがつけられたりしている。部品表は、どう作って維持しているのだろう。社内の部署間では共通、業務でも共通、だが国が違うと別物、という訳だ。同じコードで別物を差すというのは、言い方を変えると、コードに重複があるということだ。

そして、従業員番号である。従業員番号のない企業は、珍しい。どこでもたぶん、持っている。部門間でも、全業務でも、共通だろう。だが、その番号は、親会社・子会社を通じて、グループ内でユニーク(一意)だろうか? 

よくあるのは、新しく海外子会社を作った。そこの人事系の仕組みは、親会社のやり方をそっくり真似た。従業員番号の桁数やコード体系も、そのまま真似た。おかげで、親子間でコードが重複してしまう、という問題だ。当然、同一企業グループ内で、そこに属する従業員全体の台帳が存在しない(作れない)ことになる。系列内で、人が異動や転籍になったら、どうするのか。こういう発想の企業は、グループ全体の人材については、ケアしません、といっているのに等しいではないか。

ITエンジニアは良く知っていることだが、コードというのは、たとえ1万件のデータの中にたった一つでも重複があれば、それは識別キーとして使えないのだ。つまり、それを頼りに、マスタは構築できない。だからこそ、コード体系をどうとるのかが、データの収集と同じくらい、大切な技術になるのだ。

コード体系の設計が技術であるという認識が、そもそもわたし達の社会では、とても薄い。これが、ITリテラシーの低さ、情弱社会を象徴している。ITリテラシーというのは、何もパソコンソフトを上手に使えるというような事ではない。そんな陳腐化しやすいスキルを学校で教えて、何が得られるのかと、わたしは思う。

それより、コード化の大事さ、コード設計の基本、データの体系化と分析の重要性を教える方が、ずっと社会のためになる。ここが、わたし達の社会のアキレス腱だからだ。

何かをコントロールしたかったら、コードをつけて、整理する。そしてリスト化し、台帳を作って、皆で共有する。コードは部門にも、業務にも、国にも、資本関係にも依存せず、いつもユニークである。そうしたことは常識であり、生産性の基本だと思うのだ。

サウジアラビアに住居表示がないのは、理由がある。あの国には今でも、結構な人口のベドウィン(ラクダ遊牧民)がいるのだ。遊牧民には、固定した住所がない。テントを持って、土地から土地へと移動する。だから連絡を取りたかったら、どこか決まったオアシス(現代なら郵便局)に手紙を預けておくしかないのだ。そういう国では、私書箱の番号がアドレスのキーになるのは、当然だ。

わたし達の社会は、少し違う。わたし達は、いろんな事がいやに固定的なくせに、数字や番号やデータには無頓着な社会に、生きている。その生きにくさの一部、生産性の低さのある部分は、ちゃんと整理番号をとって情報を共有できていないことから、生じている。わたし達はもっと、コード化に関するリテラシー、データに対するインテリジェンスの高い社会に、なるべきなのだ。


<関連エントリ>
 →「意味無しコードのすすめ」 https://brevis.exblog.jp/2615881/ (2006-01-29)

by Tomoichi_Sato | 2018-10-19 00:24 | ビジネス | Comments(3)
Commented by nanashi at 2022-07-08 06:44 x
とても参考になり、興味深いお話でした。
せっかくなので誤字を見つけたので報告させていただきます。
「そして、従業員番号である。授業員番号のない企業は、珍しい。」 授業→従業
Commented by Tomoichi_Sato at 2022-07-11 00:13
ご指摘ありがとうございました。修正しました。
Commented by 名無し at 2023-05-30 08:53 x
とても興味深く読ませていただきました。
IT業界出身からすると当然と考えていたコード定義・管理が、実際のクラアント企業では全くなされていないことを多々目にします。
どうしてコード定義が必要かということを整理する助けになりました。
ありがとうございます。
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