コンサルタントは何かの役に立つのか?

 ある日、白雪姫が森の中を歩いていると、5人のこびと達が座って、シクシク泣いていました。
——まあ! どうして、みんな泣いているの? それに、あと2人は、どこにいるの?
 すると、5人のこびとは答えました。
「コンサルタントのA. T. ○ーニーが来て、7人も要らないからって、2人リストラされちゃったの。」

・・いつだったか聞いた、アメリカのジョークである。ちなみに、特定の会社を批判するのが目的ではないので社名は伏せ字にしたが、A社は大手経営コンサルティング会社である。とくに、コスト削減のアドバイスで有名な企業だというあたり、皮肉がきいている。

経営コンサルタントという業種は、20世紀初頭から存在するが、以前の記事にも書いたとおり、米国で大きく伸びたのは1970年代からと言われる。なぜ伸びたかというと、少なからぬ大企業が、事業の再編成を強いられる状況になったからである。

「再編成」(Restructuring)は、日本では「リストラ」というカタカナ言葉に略され、首切り人減らしの意味で使われている。米国では全く違っていて、組織を再設計することであり・・といいたいところだが、結果としては、大量の人減らしを伴うのが普通だ。働いている人にとっての心配の種であることは、かわりがない。むしろ、米国では人のクビを切るのも割と簡単だから、よりシリアスだ。

そして経営コンサルタントの利用価値の一つは、この「組織の再編成」を、経営者のかわりに立案してくれる点にあった。基本構想を作り、組織案を練り、職種と人数を定め、どんなクオリフィケーション基準で残る者を決めるかを、きれいなレポートの形で提案してくれる。あとは取締役会で通すだけ。リストラの首謀者は、自分の手を汚さずに、人減らしを遂行できる。’70年代は、アメリカの製造業の曲がり角の時代だった。だから経営コンサルタントが繁盛するようになったのだ。

経営コンサルは首切りのために雇われる、というのは別にわたしの勝手な私見ではない。たとえば著名な経営学者C. N. パーキンソンは、「パーキンソンの成功法則」の中で、早くも'60年代に、こう書いている。

「ビジネス・コンサルタントの戸口に現れるお客は、次の二つのうち、どちらかの動機を持っていることがわかった。ひとつは、かれらがすでに決意している組織の再編成(=リストラ)遂行の身代わりを求めるためだし、もうひとつは、こういう再編成の生ずるのを防ごうとするためだ。」(P. 63)

「デトロイトのホースレス・キャリジ社の重役連中は、その幹部の半分をクビにし、残り半分に何か仕事らしい仕事をさせようと決定した。(中略)そして、自分たちの提起した再編成案を外部のコンサルタントに委ねることに同意した。(中略)コンサルタントが用いられるのは、コンサルタントにはその場でまごまごしている必要がないという利点があるためだ。かれはジェット機のドアに片足をかけながら、報告書を提出し、誰かが第一節(そこには協力者への謝意しか記していない)を読み終えぬうちに、2万フィートの高さまで逃げ出すことができる。」(P. 64)

パーキンソンらしい、皮肉に満ちた書き方だが、米英でコンサルタントがどう利用されたかを、見事に描き出している。もちろん、首切りだけではなく、本当に事業の再展開や、内部の遂行の合理化などを、まじめにアドバイスしたコンサルタント達も、大勢いたとは思う。彼らはとくに、新事業のマーケティングや、財務問題をうまく整理してくれただろう(その一端は、たとえば『世界一やさしい問題解決の授業』渡辺健介・著などに見て取れる)。

だが、英米の経営者にとって一番主要な機能は、こういうことだ:

1 外部コンサルタントは、首切りと社内政治に役に立つ


世の中に存在するのは、個別で特殊な会社ばかりだと、前回の記事https://brevis.exblog.jp/27520991/ でわたしは書いた。しかし、組織再編成の計画づくりは、その会社の業種や技術の特殊性にあまり依存しない。どんな会社にも人事部や営業部が存在し、部長社長といった職位が存在する。それを再設計するのは、分野を超えた共通性の高い仕事なのだ。だから、経営コンサルタントたちは、個別性の泥沼に足を取られずにビジネスができるのである。

ところで、日本の経営事情は、英米などとはだいぶん違う。まず、人のクビを簡単に大量には切れない(少なくとも、以前は切ることに抵抗が大きかった)。新規事業に人を採用するといっても、人材市場の流動性は少なく、大勢を短期間で採用することは難しい。

じゃあ、日本の経営コンサルタントは、どうやって仕事を確保してきたのか。その答えは、人材研修・社員教育ではないかと、わたしは見ている。残念ながら根拠となる統計調査データは示せないが、それなりに大手から独立個人まで、いろいろな経営コンサルタントと付き合ってきた中で得た感触である。おおざっぱにいって、中小規模のコンサル会社の仕事の半分以上は、じつは教育研修ではないか、とにらんでいる。

理由は簡単だ。日本企業のかなり多くが、人材育成で悩んでいるからだ。たしかに、社内に立派な教育の仕組みをつくっている超大手企業も存在するが、それはむしろ例外で、たいていの会社は、教育にまでは手が回らない。人を育てるとしてもOJT(実地教育)しかなく、つまり「俺の背中を見て育て」方式である。会社は教育機関ではないのだから、「即戦力」だけを採用しよう、と考えるところもある。だが昨今の人手不足では、それもままならぬ。

人材育成に共通する悩みとして、技術継承の問題と、ナレッジマネジメントもあげておこう。今後はシニア世代層の引退がつづく。しかし若年層は、そもそも人口が少ない。どうやって、先輩世代が蓄積した技術やノウハウを継承するのか。これもまた、広い意味の研修である。またナレッジマネジメントとは、経験したプロジェクトの失敗事例などから、教訓(Lessons & Learns)を、他の案件にも共有し、品質問題を避けることを目的としている。これも知識の移転だから、広義の研修に隣接した概念だろう。

そこで、経営コンサルタントが呼ばれる、という訳だ。

でも、なぜ、異なる企業をまたいで、研修ができるのか。業種分野が違えば、異なる知識が必要ではないのか? その答えは、人材研修に共通な課題があるからだ。一般の経営コンサルタントは、直接、技術や技能を教えたりしない。製品の設計の仕方や、旋盤の回し方をコーチはしない。そうしたことは、技術コンサルの仕事である。

経営コンサルタントが教えるのは、業種や分野をまたいだ共通性の高い知識、すなわち経営や管理にかかわる考え方である。わたしの言い方でいえば「マネジメント・テクノロジー」である。在庫管理の仕方は、それが日用雑貨であれ半導体であれ建材であれ、ほぼ共通だ。人事評価の方法論や、財務諸表の見方なども、会社の違いに関わらない。むしろ、積極的に他社と比較することが望まれる。そしてほとんどの会社員は、こうした事柄を、高校や大学で教わっていないのである。

ついでにいうと、日本のホワイトカラー層は教育程度が高い上に、自分の余暇時間にビジネス書などを読んで、勉強熱心な人も少なくない。こうした人たちは、他業界や外国の先進的な経営スタイルを見て、自分の会社でも取り入れてほしい、と願う。ところが、彼らの上司たる経営者たちは、なかなか、そうしてくれない。それは、経営者の知識が足りないからだ、あるいは意識が低いからだ、と思える。こうした人たちは、コンサルタントに、自分の会社の経営層をこそ、教えてやってほしいと期待する。

だから、日本における、経営コンサルの主要な機能は、こうだ:

2 外部コンサルタントは、社員を(または経営層を)教育するのに役に立つ


ところで、上では「技術継承の問題」という言葉を使ったが、多くの企業で問題となっているのは、本来は「技能継承」の問題、とよぶべきものである。え、技術と技能は、どう違うかって? 

技術と技能の違いは、いわば、<電卓とそろばんの違い>である。電卓は手にすれば、誰でも、計算にすぐ使える。そして素早く正確に計算できるようになる。後輩に電卓を渡せば、翌日から、素早く正確に計算ができるようにになる。電卓による計算の能力は、移転可能なのである。

しかし、そろばんによる計算は、そうはいかない。そろばんは、習練に長い時間がかかる。そろばんを後輩に手渡すことは簡単だ。だが、翌日から素早く計算できるようには、ならない。そろばんの計算能力は、属人的なスキルだからだ。こうした属人的スキルを、本来は『技能』とよぶ。

技術は元々、移転可能なものである。なんらかの能力を、移転可能な状態にすることを、技術化という。これに対して、技能は簡単に移転できない。訓練に長い時間がかかるのが、ふつうだ。もちろん、真に上達すれば、機械をしのぐ能力を発揮する人もいる。そろばんの上級者は、頭の中だけで、素早く正確に計算をこなす。だが、その能力は、すぐ移転可能ではない。

だから多くの企業が、移転継承になやんでるのは、技術ではなく技能の問題なのである。たとえ、見かけ上は工学的な設計上の能力に見えても、個人のセンスや経験に依存するのであれば、それは技能である。トヨタ系のように「技術員」と「技能員」を区別している会社もあるが、多くの企業では、そもそも技術と技能について、概念上の区別ができていない。

そして、日本企業の共通の悩みというのは、じつは「仕事の成果を個人の技能に頼っていて、技術化を怠っている」ことにあるのである。だから、経営コンサルは、業種分野が違っても、クライアント企業ですぐ仕事のタネを見つけられるのだ。わたしは大昔の2001年に書いた記事「特別な我が社」で、

「日本の製造業が抱えている問題点というのは驚くほど共通性が高い。それは、『大量・見込み生産の体制を残したまま、多品種少量の受注生産に移行しようとしている』ということだ。」

と書いた。だからコンサルタントは、たとえ作っているモノが違っても、製造業相手に仕事ができるのだ、と。それと似たようなことが、人材育成についても言えるのだ。

前回引用した、ジェラルド・ワインバーグの『技術コンサルタントの秘密』には、コンサルタントの3つの法則が書かれていた。第1と第2は、次のようなものだ:

コンサルタントの第一法則
 依頼主がどういおうとも、問題は必ずある。
コンサルタントの第二法則
 一見どう見えようとも、それはつねに人の問題である。

人の問題を解決するのに、「人を入れ替えれば良い」というのが、英米式の考え方だった。だから彼らは、経営コンサルタントに、リストラの支援を依頼した。

日本企業は、「人を育てるしかない」と考える。そこで経営コンサルに、人材育成の支援を依頼する。それはいいけど、本当に経営コンサルタントは、この問題を、クラスルームの集合研修で、解決できるのか? マネジメント・テクノロジーそれ自体の教育は、たしかに役に立つ。しかし、企業が本当に継承したいと考えている仕事の能力が、属人的な技能なのだとしたら、そこにギャップが生じないか?

そうなのだ。もし、仕事のパフォーマンスに関する悩みが、「人の問題」ならば、解決法は二つあるはずだ。一つは、人を育成して、仕事の技能を身につけさせること。これは長い時間がかかる。バラツキも大きい(向かない人にはソロバンはできない)。

もう一つの解決法は、「仕事から属人性をなくすこと」である。誰が仕事をやっても、一定のレベルの成果が出るような、仕組み(システム)を作っていくこと。たとえば人材教育なら、OJT以外の教育の仕組みをつくること。たとえば在庫管理なら、在庫レベルをコントロールする方法論とシステムを導入すること。こうすれば、人によるバラツキの悩みは小さくなる。

そして、本当に有能な、役に立つコンサルタントは、社員研修の仕事を半分受けるかたわら、顧客が「仕組みの欠如」という真の問題に気づくよう、仕向けていくのである。

経営コンサルタントは、問題解決のために雇われる。それも、パフォーマンス問題という、構造の見えにくい、やっかいな問題だ。そして人々は無意識に、期待する。コンサルは、新しい知識を持ってくる。そして問題を解決してくれる、と。問題が解決すれば、業績が向上して、企業が成長できると。

ところで、成長すると言う事は、変わると言うことだ。変わらなければ成長できない。

だが、自分自身や周囲を見回して、よく考えてみよう。人は、そう簡単に変わるだろうか。あなたは、誰かを変えることができただろうか。いや、説得してその人の意見を変えさせることさえ、滅多にできないのではないか。

人はある年代を過ぎると、生き延びることが先決になり、成長することは二の次にしてしまう。その時点で、人は他人の言うことをきかなくなる。その年代がいくつ位かは、その人のキャリアパスや働く環境によって異なるだろうが。とにかく、「変わらない人」になってしまう。

そういう人にとって、問題解決とは、自分以外の誰かを変えることである。問題のある部下とか後輩とかを変える、あるいは他の部署の融通のきかない同僚を変える、あるいは無能な上司を変えることが、解決である、と。そういう人から見た問題は、自分自身の変化は決して含まない、非常にゆがんだ問題設定になりがちだ。組織全体のパースペクティブから俯瞰した問題認識ではなく、他責的な問題になってしまう。

このような、偏った問題設定を排し、いろいろな業界を見てきた目から、客観的でよりベターな問題を設定できることが、外部の人を入れる価値なのだ。だから、コンサルの最も望ましい使い方は、こうだ:

3 外部コンサルタントは、より良い問題設定をする役に立つ


そして、当たり前だが、問題解決の行動をするのは、自分たちである。自分で汗をかかない限り、問題は解決できない。コンサルが解決するのではないのだ。ここが一番、誤解の多いところだろう。コンサルは道具の一種だ。道具を買っただけで解決できる問題は、少ない。ゴルフの腕前に悩む人間が、1本10万円のゴルフクラブさえ買えば、万事OKだろうか?

だからワインバーグのいう、コンサルタントの第3法則は、こうなっている。
「料金は時間に対して支払われるのであって、解答に対して支払われるのではない、ということを忘れてはならない。」

役に立つコンサルタントとは、カーナビのようなものである。あなたが行きたい目的地を明確に示せば、そこへの道を示してくれる。複数の可能な経路を示してくれるかもしれない。だが実際にアクセルを踏み、ハンドルを切り、障害物を避け、現実の走行規制に従って車を動かすのは、あなたの方の責任なのである。


<関連エントリ>
 →「生産マネジメント手法の系譜を考える(2) 日本型生産思想のあり方」 https://brevis.exblog.jp/27462519/ (2018-08-02)

 →「書評:『世界一やさしい問題解決の授業』 渡辺健介・著」 https://brevis.exblog.jp/23647609/ (2015-09-06)

 →「パフォーマンス問題へのシステムズ・アプローチ」 https://brevis.exblog.jp/24951754/ (2016-11-21)



by Tomoichi_Sato | 2018-09-05 22:24 | ビジネス | Comments(0)
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