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書評:「読めるが話せぬ人の英会話」 渋谷達雄・著

読めるが話せぬ人の英会話」 日本能率協会・刊 (Amazon.com)
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あなたが知り合いの英米人の結婚式に呼ばれたとしよう。あるいは、その知人が日本に来ていて、「じつは、もうすぐ結婚することになったんです」と、あなたに言った場合でもいい。その時、相手に何というか。

相手が男性なら、”Congratulations!"(おめでとう!)で良い。しかし、相手が女性のとき、”Congratulations!”と言ったら、ずいぶん失礼になる。それでは、

「あなたはいろいろと旦那探しにご苦労されましたね。苦心の結果ようやく相手の承諾を得られ、ご結婚の運びに漕ぎつけられたことをお祝い申します」

という言外の意味になってしまうからだ(本書P.89)。どうやら英語圏の世界では、男性が苦労して女性を探して射止める、という暗黙の物語が文化の構造の中にある、らしい(たとえ現実は違ったとしても)。だから、女性に対しては、本当は
“I hope you will be very happy.”(お幸せにね!)
と言うべきである。

そして、こういう点が、英語でコミュニケーションするときの難しさなのだ。英語を上達したい、英会話が上手くなりたい、と願う多くの日本人(わたしもその一人だ)にとって、最も注意すべきな点は、こうした文化・習慣・発想の違いである。つまり、わたし風の言い方を許してもらえれば、『OSの違い』なのである。だから、一番学ぶべきは、こうした違いを良く知っている人から、その差分に特化したトレーニングを受けることなのだ。

ところが、たいていの人は、「ヒアリングさえできれば」「ボキャブラリー(語彙)がなあ」「文法を間違えやすくて」「発音が大事だから」といった事が、いちばんの壁だと考えている。それはもちろん、そうだろう。だが、日本人の多くの人は、中学・高校そして大学まで、長い期間にわたって英語に努力を注いでいる。だから、『読めるが話せぬ』状態にある人が、ほとんどなのだ。

「もともと、”話す、聞く”のはやさしく、”書く、読む”のはむずかしいのです。(中略)どこの国の子どもでも、まず話し、聞くことができるようになり、そしつぎに、書いたり読んだりするようになるのが当然です」(P.15-16)と、著者は書く。そして、

「現在いわれている英語習得のメソッドとしては約五十種類くらいありますが、どれも似たりよったりで、(中略)たいてい他国の人は言葉に対して赤ん坊である、という前提の教え方である」ために、「日本の中堅幹部や経営者のかたがたの"話す英語力の再建”には、必ずしも適していないと言ってよいでしょう」(P.17)

という考えの基に、著者は独自の「渋谷メソッド」と呼ばれる方法論を作り上げる。著者・渋谷達雄氏は、幼時を英人家庭で育ち、英語発音学を専攻、そして戦後、米軍司令部行政官を経て、以来30年以上にわたり、一貫して日本の財界・官僚のトップクラスを対象とする英会話講座を担当してきた。本書の後ろ見返しには、土光俊夫氏をはじめとする錚々たる大物たちによる「渋谷達雄先生」への感謝状の写真がのっている。

ちゃんとした知的教育を受けた日本人にとって、「九分九厘は、多少奇妙で国際場裡に通用しにくいが、すでに学校英語としてできている。わたしはただ、一厘お手伝いするに過ぎない」(P.20)というのが著者の主張だ。

その「一厘」の第一は、発音を徹底的に正しく、よくすることだ。「発音さえ正しければ、多少言葉が前後していても、相手にはよく通じます。何しろ相手にとっては、自分の国の言葉なのですから」(P.21)というのは、自分たちの日本語の経験に照らしても、うなづけることである。

「ヒアリングのチャンスがないから、ヒアリングができない、と言われる方が多いようですが、これもおかしいのです。(中略)自分が正しい発音ができ、英語らしいリズムで言えるようになっていれば、相手が正しい発音をしていたら、分からない方がおかしいのです。」(P.23)。これと似たことは、英語教育家だった故・中津燎子氏も言われていたと思う。

著者はそこで、毎日英語で1から50までone, two, three, .. fiftyの発音を、声を出して練習することをすすめる。この50語の中には、英語の重要な発音要素が全部入っているからだ。所要時間はせいぜい、3分。「一日に2,3分の発声発音練習もしないで上手にしゃべるようにしろといっても、あまりに無理なことです」(P.27)

ただ、そこで発音の基本的な理解やコツが大事になる。よく、LとRの区別が問題になるが、「LとRは全くのアカの他人で、Lの兄弟はTなのです。したがって、waterはワーラーとくずれやすい。littleはリルにくずれやすい」(P.26)。またRは先に"ウ"をつけて練習する。rightはウライトと言ってみる。「英語では日本人の想像以上に唇を突き出す発音が多いのです。唇を突き出して発音することになれる必要があります」(P.39)。またthirtyを「セーティ」と発音せよ(つまりir, erをエーで代用する)、というのも著者独自の工夫だろう。

しかし、発音の基礎の上に築くべき大切なことは、欧米人のものの考え方、礼儀やマナーの理解だ。本書の多くはその点に割かれている。

たとえば挨拶の最初は、"How are you?"だが、
「日本人の全部といってもよいほど不得意なことは、"How are you?”のあとに、挨拶する相手の名前を言えることです」(P.65)。
"How are you, Mr. Brown?”と、相手の名前を入れることによって、はじめて、日本語でいう「ございます」調の丁寧感がでる。これを知って、会得できるかどうかで、ずいぶんと商売上での相手の印象が変わるのだ。

あるいは、違いはお礼の言い方にも現れる。誰かにご馳走されたら、翌朝また会ったときに「昨晩はご馳走様でした」というのが日本の普通の礼儀だ。しかし、欧米人はそれをしない。そのかわり、食事の最中や終わりに、日本人の何倍となく礼を言ってほめます。「いってみれば礼の言い方が、日本人の場合は月賦払いで、むこうのは一度に現金払いというわけです」(P.86)

最後の章は、「これが英語で言えたなら…」<すぐに役立つビジネス用語集>で、とくに交渉(negotiation)に必須な言い方がたくさん載っている。これだけでも自分の身につければ、有用な武器となるだろう。たとえば、

「それはちょっとオーバーですね」 I think you’re exaggerating.
「値段については、折れ合ってもいい」 We are ready to meet you half-way regarding the matter of price.
「あなたとはどうも意見が合いませんね」 I just can’t see things your way.
「あいつは図々しい」 He (she) has a nerve.
「この契約はお互いのためになりましょう」 This contract will benefit us mutually.

こうした一つひとつに、簡単な解説がつく。それがまた簡潔明瞭で、しかも日本風と欧米との発想の違いを的確に教えてくれる。非常に有用である。さすが、日本人のビジネスマンや官僚を相手に、長らく教えてきた人だけのことはある。

実を言うと本書は、わたしが30年以上も前に、亡き父の書棚から借りたまま持っていたものである。大半は読んでいたのだが、今回、英国出張の機会に全部を読み直したので、書評を書くことにした。奥付の発行年は昭和53年。だから今では古書としてもなかなか手に入れにくい(Amazonでは書影さえないため、自分でとった表紙の写真をつけておく)。

こう書くと、「内容が古いんじゃないの?」「ブリティッシュ英語じゃ米国相手には使いにくいし」みたいな反応が、出てくるかも知れない。だが、著者も指摘するように、知的教育を受けた「頭のいい」日本人は、どんな教師教材にも何らかの批判点を見つけた上で、なぜか我流にカスタマイズし応用したがる。それによって、自らの知的優位性を確保したいのかもしれぬ。誰か他者のいうことを、そのまま受け入れて真似るのは、沽券に関わると思っているかのようである。

しかし、著者も引用する独語学者・関口存男氏の言葉にもあるように、言葉の習得というのは、ザルで水を汲むようなものである。最初は、すべて流れ落ちて、何も残らない。しかし辛抱して何百回、何千回とすくっていると、いつかはザルに苔が生え、ザルの目がつまってくる。そうしてはじめて、水をすくえるようになるのである。何かスキルを学びたかったら、良い教師を得て、原理原則を学び、あとは繰り返し練習するしかない。そこには知的背比べゴッコの入る余地はない。

すべて無益な教科書というものはない。有益にできるかどうかは、読んだ後の行動にかかっているのである。


by Tomoichi_Sato | 2018-06-24 19:24 | 書評 | Comments(0)
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