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エンジニアリングと技術とインテグレーションと

以前、「英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと」https://brevis.exblog.jp/24622591/(2016-08-28)と題する記事で、イザムバード・ブルーネルのこと書いた。19世紀前半のイギリスで活躍した、傑出した技術者だ。たまたまロンドンに来る用事があったので、ブルーネルが作ったパディントン駅を見た。とても美しく、かつ機能的な、優れた建物である。改良の手は入れているだろうが、建築物としての骨格は、おそらく最初のままだと思われる。実物を見て、あらためてブルーネルという人の天才的なセンスを感じた。
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そのパディントン駅から多少歩いた公園・ハイドパークの南側に、「アルバート記念碑」が立っている。大英帝国の最盛期を作ったビクトリア女王が、亡き夫君のアルバート公を記念して建造を命じた、巨大なモニュメントだ。こちらはネオ・バロック様式で、すごく美的だと思うかどうかは、見る人の感受性による。

ただし、この記念碑は、あるはっきりした主張・テーゼを表現している。それは、大英帝国が支配する4大地域と、帝国の国力を支える4大産業で、それぞれがグレコローマン風の彫像群によって表現されている。帝国が支配し、あるいは強い影響を及ぼす4代地域とは、(1)ヨーロッパ大陸、(2)アジア大陸、(3)アフリカ大陸、(4)アメリカ大陸、である。ま、七つの海を支配する人たちの発想というのは、こういうスケールなのだろう。この彫像群は、記念碑の四隅の外陣を守っている。

ところで、帝国を支える産業として、19世紀中盤に彼らが選んだのは、以下の4つだ。これらが記念碑の内陣を支えている:
(1) 農業 Agriculture
(2) 商業 Commerce
(3) 製造業 Manufacture
(4) エンジニアリング Engineering
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今の日本なら、何を選ぶか。あるいは'90年頃の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と自ら酔っていた頃なら、何を選んだか、ちょっと考えてほしい。製造業はまあ、入るだろう。農業は、微妙だ(今やGDPの数%しかない)。ただ、賭けたっていいが、4つの中に「エンジニアリング」が入る気づかいは、ない。皆無だ。

エンジニアリングとは何だろうか? アルバート記念碑についての観光案内を読むと、エンジニアリングではなく「工学」と書かれていることがほとんどだ。だが、工学は学問の一部であって、産業の呼び名ではない。だからここは、「エンジニアリング」との表記にこだわりたい。ほかに、適切な訳語が、日本語にはない。

いや、日本語だけではない。エンジニアリングに対応する欧州の言葉は、ドイツ語ならIngenieurwesen、仏語ならingénierieで、まあはっきり言うと、英語からの派生である。Engineeringという概念それ自体が、英国生まれ、英国の産物なのだ。

エンジニアリングとは何か。長年「専業エンジニアリング会社」に勤めてきたわたしでも、一言で言うのは、簡単でなない。でも強引に縮めて表現するなら、「科学の発見・発明を、具体的な形に構築し実現する仕事」だといえよう。出来上がった装置や機構、あるいは巨大なプラントなどは、利用者が使う。エンジニアリングの仕事は、それを作り上げるところまでである。

エンジニアリングの中心的な業務は設計だが、設計図だけでは仕事は終わらない。資機材や部品を調達し、組み上げ、設置しテストし運転が可能であると確認するところまで、全てを含む。

エンジニアリングは技術を中心とした仕事である。ただ、その「技術」という言葉がどこからどこまでを指すのか、またどこに価値の源泉があるのかは、案外理解されていないように思う。

たとえば、構築対象物の斬新な基本設計は、たしかに価値ある技術である。ブルーネルの革新的な広軌鉄道や蒸気船(復水器を取り入れて長期航路を可能にした)から、現代の電気自動車EVまで、そこには発想の飛躍ときらめき、創造性があり、誰にも分かりやすい。そして基本設計は、主に用途(IT風に言うと機能要件)と、性能値を目標として行われる。

これに対し、詳細設計はもっと地味な仕事だ。だが、技術は細部に宿る。鉄道を広軌にしたら、トンネルの掘削量は倍増する。長航路の船は巨大な構造を力学的に支えなければならない。ブルーネルはそうした工法・製造法(=実現法)の工夫も怠らない。もちろん、作業に当たる従事者と利用者の安全性確保も含む。こうした点は、科学法則と、運用上の経済的・社会的要請の両方を、複眼的にとらえる必要がある。そこをきちんとおさえないと、技術は社会で実用化できない。

あるはまた、わたしになじみの深い天然ガスの液化プラント(LNGプラント)を例にとろうか。基本的な原理は単純だ。天然ガスを冷やすと、液体になる。冷やすのには、冷蔵庫と同じ原理を使う。いたく単純である。だが、超低温・高気圧に耐える熱交換器や調節弁、大出力のガスタービン駆動圧縮機などを含むプラント一式を、安全にかつ安定して運転できるよう組み上げるためには、機械・電機・制御・化学・土木・建築など様々な分野での、詳細設計が必要だ。それらが、さながらオーケストラのように協調しあって、はじめてプラント・エンジニアリングという仕事が達成できる。少数の天才がいれば成り立つ仕事ではない。

そして、詳細設計や実装においては、安全性・安定性・信頼性・保守性・・といった、いわゆる「非機能要件」を満たすことが重視される。だから、「傑出した技術力」のためには、独創的な基本設計の能力だけでなく、実装の経験を、設計にフィードバックし、その改良ループを回して進化するような能力が必要とされる。

事実、ブルーネルの仕事はそうだった。かれは基本設計にも長けていた。他人の独創的な仕事を大胆に取り入れ、組み合わせることも上手だった。彼は大学を出ていなかったが、しかしきちんと科学計算の裏付けをとって設計した。そして、工事まですべて手掛けて、数々の偉業を実現したのだ。

ところで、ブルーネルが没してから150年がたった。では、現代の英国で、彼の偉業をついで、技術の進化をリードしているのは誰なのか? 英国はいまだに、世界のイノベーションの先陣を率いているのか? いや、もっと端的に言おう。あなたは、英国企業から、次の自動車でもいい、飛行機でもいい、あるいはパソコンでもいい、新製品を心待ちにしている物が何かあるだろうか?

もし、あまり見当たらないのだとしたら、この国はどこかで、技術におけるリーダー精神を失ってしまったのだ。だが、それはどこで間違ったのか?
(まあ、こんなことを書いたら、皮肉な英国人から「次のイノベーションが待ち遠しい日本のIT企業は、どこかな?」と逆襲されるかもしれないが・・)

わたしは、英国人のお得意な『専門化と細分化』が、彼らの技術開発力を奪ったのではないか、と疑っている。当地の知人によると、ロンドンには本当にありとあらゆる種類の、細部化された領域を得意とする専門家やコンサルタント達がいて、顧客のどんなニーズにも対応できるという。それはエンジニアリングの分野でもそうだし、金融や法律といった分野もそうらしい。

そのような専門分化において、彼らはさらに、一種の規制や障壁を立てる。土木建築分野における、「設計・施工分離原則」がその一つである。設計・施工分離の原則とは、設計者が建設工事をも請け負ってはいけない、という規制だ。したがって、設計は設計事務所が行い、建設(実装)は工事業者が行う、という風に分業している。見積積算は、さらに第三者のQSと呼ばれる人たちが行う。

このような原則は、19世紀後半に、英国で都市が急拡大し、建築ブームが起きた際に、あちこちで手抜き工事が発生した反省によるものだと、聞いたことがある。それまでは(つまりブルーネルの時代には)、設計者と施工者は一緒で構わなかった。しかし、手抜きや見積での嘘を防ぐため、設計→見積→工事という仕事を、異なる企業間に分断して、互いにcheck & balanceが働くような仕組みにしたのである。まことに英国的な発想ではないか(憲法だの三権分立などの社会統制原則も、かなりが彼らの発明だ)。

ちなみに日本では、官庁工事などがこの原則に従っている(日本は明治時代に、建築技術を英国からならった)。だが、民間工事では設計施工一貫の例も多く、事実、日本のゼネコンはかなり高度な設計能力を持っている。ところが、英米の工事業者は基本的に、設計機能を社内に抱えていない。

しかし、このように設計と施工を分離した結果、何が起きるか。建設工事の現場で、設計に起因した施工の難しさが生じたとき、その教訓が設計側にあまりフィードバックされにくい、ということだ。なぜなら別会社だからだ。さらに、新しい施工方法を開発して、そこからさかのぼって設計法を生み出す、という動きも働きにくい。

設計・施工分離原則は建築業界のことだが、他でも類似したことが起きているのではないか。たとえば石油ガスのプラント・エンジニアリング業界では、'80年代以降、基本設計と、詳細以降が別フェーズに分割することが普通になった(ただし同一エンジ企業が請け負うケースもありうる)。そして、かつては英国にも優れたエンジ企業が存在していた。だが、今やその多くが買収されたり解体されたりして、米国企業などの傘下に入っている。今でも英国の企業は、まあプラントの基本設計はうまいが、詳細設計・調達・建設工事を含めたプロジェクト全体をまとめる「技術のオーケストラ」機能が弱い。

こうした、いわゆる『分業病』の弊害については、英国人も気が付いているのだろう。だからこそ、マネジメントの必要性の認識が強いのだと思う。それも、専門性のないゼネラリストをマネージャー職に就けるのではなく、マネジメントのスペシャリストを育成する方向に進んでいる。まあ、優秀なオケの指揮者を育てようという訳だ。そして英国人は、マネジメントの体系化・システム化にたけている。PM分野でいえば、PRINCE2とか、Managing Successful Programme(MSP)といった英国の作成した標準は、米国PMIの同等のものより、実用的でレベルが高いと感じる。 

彼らは仕事をシステム化し、手順とアウトプットとメトリクスで動くように仕向ける。つまりプロセス(手順)を整備し、プロセス中心にする。すると、仕事から属人性がなくなる。誰でも60-75点を取れるようにすることが、システム化の目的だからだ。同時に、システムかは仕事をオーディット(監査)可能にする。冷静な第三者的オーディットこそ、英国人の得意科目なのだ。

このようなマネジメントのシステム化のメリットは大きく三つある。リピータビリティ(再現性)、ポータビリティ(可搬性)、スケーラビリティ(拡張性)だ。仕事が属人的でなくなれば、再現性が上がる(標準化できるともいう)。また、他の場所、他の国にも仕事を移しやすくなる。さらに、仕事のキャパシティを拡張しやすくなる。仕事が属人的だと、キャパを増強するにはキーマンを増やすしかなく、キーマンの育成にはひどく時間がかかるからだ。

そしてマネジメント・システムの上に、優秀なマネージャーを配置できれば、90点代の仕事もできるようになる。はずだ。

では、仕事をシステム化して、超優秀なマネージャーと、百の専門家たちで仕事を回すのがエンジニアリングの「インテグレーション」なのだろうか? 非常に大規模な仕事では、それしか方法がないかもしれない。部門間の自主的すりあわせと、「現場力」と、ブラックな労働環境のがんばりだけでは、仕事がいつ終わるのか、まったく読めないからだ。それよりは、ずっと良い。

ただ、このような発想に欠けているものが、ある。この英国式発想は、非常にプロセス中心の考えだ。インプットを、プロセスして、アウトプットする。頭文字をとって、IPOモデルともいう。仕事の効率化には、非常に役に立つ。英語風に言えば、"Do things right"だ。

問題は、プロセス志向の発想に、何をインプットしても、独創性が出てこないことだ。つまり"Do right things"が見えなくなる。そして、このことが、英国のエンジニアリング産業の限界を生んでいるのではないか。危険予測ばかりが目立つリスクマネジメント・システムの中で、冒険的な発想をためすことは困難だ。

独創性、そして進化のループは、分業化された組織の中に確保できるのか? たとえ技術のオーケストレーションが上手になっても、作曲家(基本設計者)と演奏者(実装者)が、分業したままでいいのか? 聴衆の本当のニーズを肌でつかんでいるのは、聴衆の前で演じる演奏家の方ではないか? 作曲のモチーフと、聴衆のニーズを、うまくマッチングしないと、本当にイノベーティブなものは出てこないのではないか?

そう。英国企業で、次の製品が待ち遠しい企業、わくわくして驚くような製品や技術を出してくるメーカーとして、唯一名前があがりそうなのは ダイソンくらいだろう。基本的には家電メーカーだが、ダイソンは確かに、誰も思いつかない、真にイノベーティブな製品を、出してくる。

創業者のジェームズ・ダイソン氏は、そういう意味で、現在ブルーネルの後継者の地位に一番近い人だろう。ダイソン氏は経営者ではなく、会社のCTOであり「チーフ・エンジニア」である。会社経営のマネジメントは、人に任せている。彼の作る掃除機、扇風機、ヘアドライヤーなど、いずれもまことに独創的で、かつ、美しい。

ダイソンは製造にもこだわっている。第一、精密で高性能なため、かなり自動化した製造ラインが必要だ。あの空洞型ヘアドライヤーは、毎分11万回転のモーターが中心になっている。この自動化製造ラインを作ったのは、前回の記事で紹介した、日本の平田機工である。よくありがちな英米企業のように、製造を安い受託製造業に安易に外部委託することもしない。かわりに、ダイソンは製品を高い価格で売る。高くても売れる製品を作る。

そのダイソンは今、電気自動車EVを準備しているらしい。布石に、蓄電池メーカーを買収したとも聞いている。どんな製品を出してくるのか、聞くだけでワクワクするではないか。これこそ、エンジニアリング技術の魅力でなくて何なのか。それが可能なのは、ダイソンが、単にマネジメント・システムと分業化思考だけでなく、基本設計から製造・販売まで、全部をインテグレーションする企業だからだ。

もちろん、ダイソン氏は傑出した技術リーダーだ。そうした、ビジョンを持ち、際立った力量を持つ人には、技術仕事の属人性を残し、インテグレーションの焦点になってもらった方がいい。実装まで任せて、細部にまでこだわってもらうべきなのだ。故スティーブ・ジョブズなんかも、実はそうだったのだろう。そして、普通の人、ないし、まあまあ優秀程度の人は、システムの中に組み込むべきなのだ。

一番ダメなのは、分業型組織のバケツリレーの中で仕事を回すことだ。全体ビジョンもなく、システムをマネージする人もいない。変化と進化のループも弱い(PDCAのAが、自分の分業の壁の中だけに留まる)。
結果として、その場しのぎだけが横行する。これが、ボトムの在り方だ。もしこんな組織に働いているなら、それを変えるか、脱出する努力を考えるべきだ。

英国は、エンジニアリング産業の父である。英国の技術の歴史は、欧州大陸や米国と比べても、独特である。英国の技術は、科学の単なる付属物でもなかった。金儲けの単なる道具でもなかった。科学に立脚し、お金も生み出すが、実用的でかつ、ユニークだった。それがだんだんと衰退していく姿を、わたしは見たくない。できればもっと、いい意味で驚かせてほしい。英国に学ぶべきこと。それは、「エンジニアリングとは技術のインテグレーションである」ということではないだろうか。


<関連エントリ>
 →「英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと」 https://brevis.exblog.jp/24622591/ (2016-08-28)


by Tomoichi_Sato | 2018-06-19 05:24 | ビジネス | Comments(0)
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