書評:「ななめの音楽」(Ⅰ・Ⅱ) 川原由美子・著

ななめの音楽1 (ソノラマコミックス)」 「ななめの音楽Ⅱ (ソノラマコミックス)」(Amazon)

現代マンガの一つの到達点を示す傑作。それが川原由美子の「ななめの音楽」である。

2017年の個人的ベスト3は、「怒りの葡萄」(スタインベック・著)、「ケセン語訳 新約聖書 【マタイによる福音書】」(山浦玄嗣・著)、そして本書「ななめの音楽」だった。本書の実際の発刊は2011年だが、わたしが読み終えたのはたまたま昨年なので、ここであえてとりあげたい。

現代日本のマンガはきわめて豊穣だ。そのバラエティの幅広さ、表現の深さ、作者・読者層の多様さ、どれをとっても第一級の文化的ジャンルと言える。その中で、あえて本作品を「一つの到達点」と呼ぶのはなぜか。それは、この作品が、手塚治虫以降に発明されてきた現代マンガの主要な技法を、あえて捨てたところで表現を作っているからだ。

こうした話は、実物を見ないとうまく伝えられない。そこで、本書のII巻にある1ページをここに掲載することにする。(こういうことをすると著作権者から抗議されるのかも知れないが、その場合は画像を削除し取り下げることにする)
e0058447_14004871.jpg
見ていただくと分かるとおり、1ページが正確に4つの同じ大きさの長方形のコマに分割されている。本書は全頁がこのようになっている。つまり、どのページも黒地に4コマで、大小のコマ割りもなく、斜めのコマ分割や枠線の消失もない。手塚治虫が「新宝島」で導入した、映画的でダイナミックなコマ割りを一切、使っていないのだ。

それだけではない。空中を飛んでいる飛行機に、その動きを表すような線が一切、描かれていない。そして爆音も描かれていない。つまり、いわゆる「漫符」がないのである。動きの線、心理状態を表す模様、「シーン」といった沈黙音の表現、その他マンガ特有の一切の補助表現が、ここにはない。まるで江戸浮世絵か西洋絵画を見ているようだ。ただ、本当に目に見えるものしか描かれていない。

そして、会話を表す吹き出しに、吹き出し線がないことにも注目してほしい。このため、このマンガでは誰がしゃべっているセリフなのか、言葉の内容のみから推測するしかない。一コマ目、

 「こゆるさん ひとつお話ししておきたいことがあります」
 「はい」

この対話から、最初の話者が、「こゆる」(主人公の名前)以外の人物であること、これに対して、こゆるが相づちを打っていること、などがわかる仕組みになっている。吹き出し線抜きで、空の上でのこうした対話を描写することが、実際にはいかに難しいか、想像にかたくない。

このような制約を自らに課すことで、作家・川原由美子が表そうとした世界は、いったい何か。

「美しい機体と少女たちが 蒼い空を翔る 近未来ドラマティック スカイ・ストーリー」
と、帯のアオリ文句にある。戦闘機と、空中戦と、そして戦う美少女たち、というのは、実に現代日本のマンガが大好きな題材だ。しかしここに展開されるのは、きわめてシリアスな心理ドラマだった。

主人公の高校生・伊咲こゆるは、大好きな先輩・光子を追って、北ヨーロッパの空で展開される航空機レースに一緒に参加する。そして光子の祖父(ドイツ系の貴族)に仕える女性ラウラ・シュミート、日本からTV局の中継のために訪れているアイドル歌手の久永まな希らと出会いつつ、奇妙で複雑なバトルレースに巻き込まれていく。その中で、こゆるは、なぜ光子がいつも笑わずにいるのかを次第に知るようになり・・

タイトルの「ななめの音楽」Shrage Musikとは、どういう意味か。「ジャズのことですよ。」と、I巻でラウラは、こゆるに説明する。アメリカからジャズが輸入されたとき、ドイツの音楽家たちは、歪んでズレた音感(と彼らには聞こえたのだろう)を、そうよんで揶揄した、という。ただし、「ななめの音楽」にはもう一つの意味があった。それはII巻をよんでいただくとして、無邪気で美しく見えた世界が、すこしずらすと深刻で悲劇的な意味を持ち始める、というテーマは、本書に繰り返し現れてくる。

本書の扉には、”Based on non existent novel written by Michiaki Sato”というクレジットが書かれている。イラストレーターでメカデザイナーの佐藤道明氏による、刊行されていない小説を原作としているという意味だ。ネットの情報によると、佐藤道明は一時、川原由美子のアシスタントだか助手だかをしていたことがあり、実際、同じタイトルによる作品を’90年代に共作で発表しているらしい。ただ、その時は光子が主人公であったようだ。本書は視点を、こゆるという後輩の少女に移している。つまり佐藤道明のストーリーをベースにしつつ、20年後に川原由美子が一人でリライトしたのが、本作品なのである。

ちなみに川原由美子氏は高校を中退して漫画家になったらしい。1960年生まれだから、ずいぶん長いキャリアである。わたしは本書がはじめて読む作品だったが、初期の本の書影を見ると、じつにまあ、ごく普通の正統的少女マンガである。絵も単純に見える。近年は寡作のようだが、本書のような造形はそうスピード生産できるものでもない。そして絵も信じられないくらい、巧い。本書の次に刊行された「TUKIKAGE カフェ」も読んだが、こちらも美的に見事である。たとえ中卒であっても、職人芸をつきつめて、ここまでの表現レベルに達する作家がいるのだ。それが、現代マンガの豊穣の証左かも知れない。

戦闘機の飛び交う世界でありながら(第II巻の巻末には、ご丁寧に「ラウラさんの翼くらべ」と題する航空機解説ページがおまけについている)、しかし本作品は、伊咲こゆるという主人公の成長の物語であり、まことに正統派の少女マンガになっている。

正統派の少女マンガの主題とは何か? それは、「自分が女性であることを選択する」物語である。

男女の性別は、生まれついたときから備わっているが、子どもの時はだれもが無性な存在だ。しかし、この世界は基本的に男性中心にできあがっている。その中で、自分自身が女性になることを、女の子たちはある段階で、自分から選び取らなければならない。これが少女マンガの中心にあるテーマなのだというのが、わたしの仮説だ。

だから、こゆると光子との二人の魂の、変転と成長を描くこの物語は、まことにこの作者にふさわしい正統な少女マンガなのである。この伊咲こゆるというキャラの視点がよほど気に入ったのだろうか、作者は後に、こゆるとの共作名義の本も出しているくらいだ。(ちなみに男性中心に出来上がりすぎた社会は、結局、男の子をも不幸にする。だから最後の方で作者は、「つぎの世紀は男性につらい時代になるはず」と、光子のセリフを借りて予言している)

美しく静謐な画面と、劇的な序破急のストーリー。それに加え、魅力的なキャラクター、意外な結末、そして鮮やかな幕切れ・・本書は、じつに多彩なマンガの魅力を持っている。まことに傑作である。


by Tomoichi_Sato | 2018-02-18 14:30 | 書評 | Comments(1)
Commented at 2018-02-19 14:20 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
<< 「プロジェクト&プログラム・ア... 人間主義のプラスとマイナス >>