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書評:「アナバシス 〜敵中横断6000キロ〜」 クセノフォン・著


アナバシス―敵中横断6000キロ (岩波文庫) (Amazon)

紀元前401年。西ユーラシア世界で圧倒的な力を持つ大国ペルシャ王家には、内紛が生じていた。ダレイオス(ダリウス)2世の没後、王位を継いだ長兄アルタクセルクセスに対し、弟のキュロス王子は謀反の意志を抱く。彼は当時、エーゲ海に近い現在のトルコ西部を統治していたが、勇猛果敢で知られたギリシャ人の傭兵1万数千人を密かに集め、手勢とともに、兄王のいる都バビロンに向かって上征をはじめる。本書のタイトル「アナバシス」とは、『登り、上征』を意味するギリシャ語である。

キュロス王子とギリシャ傭兵軍団は、小アジア半島を横断し遙か遠路を突っ切って、バビロンに急進する。兄王の動員できる軍勢の方が、人数は明らかに多い。だが、(ペルシャは)「国土と人口の巨大なる点では強力である半面、連絡路が長大で兵力が兵力が分散しているために、急戦をしかけられたとき場合には弱体をさらすのである」(p.37)。彼らはシリア、アラビアをへて、現在のイラク南部にあるバビロン目前まで到達する。ここまでですでに1500キロ以上の行軍だろう。

ところがバビロン近郊クナクサの戦いで、血気にはやったキュロス王子は乱戦中に命を落とし、なかば手中にあった勝利を逃してしまう。そして敵中に取り囲まれたギリシャ人傭兵1万数千は、敵王に降伏して許しを嘆願するか、包囲網を脱出して故国まで帰る道を探すか、いずれかを選ばなくてはならなくなる。

このとき、部隊の中にいたアテナイ(アテネ)出身のクセノポン(クセノフォン)という、まだ30歳そこそこの若手が隊長達の議論に加わって、脱出の戦いを進言する。理路整然たる弁論の力で、事実上の指揮官の地位についた彼が、真っ先に命じたことは、なんと軍が所有する運搬用の馬車と、野営用の天幕と、余計な糧食・荷物をすべて焼き捨てることだった! 彼はいったい、何を考えたのか?

クセノフォンは、哲人ソクラテスの直弟子の一人である。彼が遺した「ソークラテースの思い出」(メモラビリア)は、若い頃読んで以来、わたしの座右の書となった。騎士階級に生まれた彼は、ギリシャ全土を巻き込んだ内戦であるペロポネソス戦争の暗い時代に育つ。戦争自体は前404年にアテネ側の敗北で終わるが、彼はソクラテスの元で学び薫陶を受けた後、荒廃したアテネの現状に見切りをつけ、ペルシア行きを考えるようになる。相談を受けたソクラテスは、デルポイ(デルファイ)の神託をたずねることを勧める。

だがクセノフォンが実際にアポロンにたずねた問いは、無事に旅たち帰国するためには、どの神に祈願すべきか、であった。それをきいたソクラテスは、それ以上彼を引き留めることはしなかった。そしてクセノフォンが出立した2年後、ソクラテスは偽善的な弁論家たちの讒訴によって、刑死するのである。(この間の事情は「メモラビリア」に詳しい)

さて、ペルシャ王の軍勢を辛くも逃れたクセノフォンたちギリシャ傭兵軍団は、チグリス川沿いに北上して雪深い古代アルメニアの山中に分け入り、さらに山脈を越えて黒海沿岸まで北上する。その間、謀略あり裏切りあり戦闘あり分裂ありだが、ともあれ最後には5千人のギリシャ兵士たちが、エーゲ海に近いペルガモンまで帰還する。それが、この「アナバシス」の物語である。

クセノフォンは名文家として知られ、著書も何冊か残している。とくに、上記の「メモラビリア」と並んで、古代の農園経営を論じた「オイコノミコス(家政について)」は有名で、現代の経済学”Economics”という名称は、この著作のタイトルから由来している。ソクラテス門下の同輩であるプラトンが、哲学や美学といった抽象的学問を創造したとするならば、クセノフォンは経済学や家政学など実学の基礎を築いたのである。

本書「アナバシス」の一つの特徴は、クセノフォンの従軍記であり回想であるにもかかわらず、すべて三人称で書かれていることだ。それも自分自身は、第3巻になってようやく「さて、部隊の中にアテナイ出身のクセノポンなる者がいた」という風に登場(?)してくる。なぜ彼がこのような書き方をしたのかは不明だ。しかし、登場してくる人物たち一人一人に、的確な人物批評をしている点が、本書の魅力でもある。たとえば、プロクセノクスという将校については、「彼は善良で優秀な人間を統括する能力はあったが、部下の兵士たちに敬意や恐怖心を抱かせる能力は十分でなく、部下が彼を憚るより、むしろ彼の方が兵士を憚るほどであった」(p.105)と書く。こんな風に客観的な人物論を展開したいからこそ、三人称を選んだのかもしれない。

また、出てくる数々の固有名詞や、距離・人数・物量・金額などの数字の詳細さにも驚くべきものがある。これはクセノフォンの記憶力がすごかったというよりも、むしろ正確に記録をつけておくことに、こだわったためではないかと想像する(彼より70年後になるが、アレキサンダー大王は進軍をはじめたときに、カリステネスという従軍史家を随行させたほどだった)。こうして記録をとっておくことによって、次の行軍で過去の教訓を生かせるからである。記録をつけずにすべて曖昧な記憶に頼るということは、結果として、計画をやめて出たとこ勝負、気合いと勘と根性に頼って行動することになる。「航海日誌をつけない船長の船には乗りたくないし、プロジェクト日誌をつけないプロマネの仕事はしたくない」とわたしが思うのは、このためである。

電話も無線もなくGPSも正確な地図もない時代の行軍とは、いかなるものだったのか、現代に生きるわたし達にとってはなかなか想像が難しい。移動は基本的に、徒歩である。ペルシア軍は機動性の高い騎兵をもっていたが、ギリシャ傭兵たちにはそれもほとんどなかった。遠隔地との連絡は、伝令によるしかないのだ。そのような時代の戦記だが、それでも非常に面白く、かつ勉強になる。なぜなら、道具立てのハードウェアは随分違うが、人を率いるときのあり方、戦略の立て方と決断、リスクと危険の予知、弁論と説得と交渉、そして未知なる相手の評価といった、リーダーとして必要なソフト・スキルは、現代とほとんど変わりがないからだ。

その分、わたし達は2400年前と比べて、あまり進化していないのだとも言える。だとしたら現代の軽佻浮薄な人士のビジネス書などを読むよりも、時代の風雪に耐えた古典を学ぶべきではないだろうか?
by Tomoichi_Sato | 2016-05-31 21:14 | 書評 | Comments(0)
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