横浜・妙蓮寺の中華点心舗「混江龍」は、わたしのひいきにしている店である。すべてテーブル席で、7、8人で満員になってしまうような、小ぢんまりした店を、店主が一人できりもりしている。しかし食べ物はどれも驚くほど美味しい。自然な材料を、余計な人工調味料など使わずに、一つ一つ丁寧に調理して出してくれる。この店は中華なのに、珍しくメニューに麺類がない(夏など、店主が気が向くと手打ちの冷やしそばを出してくれることはある)。客は普通、昼定食とか夕定食とかをたのむ。主菜に副菜、スープと漬け物、ごはんのセットで、料理の内容はその日の季節や素材を活かしたものだ。料理の質と価格の比から見て、横浜広しといえども、(超高級料理店でとんでもないお金を払うなら別だが)勤め人が気軽にいけるクラスでは一番お値打ちの店の一つだと、わたしは思う。
ところで今、勤め人という言葉を使ったが、これで思い出すことが一つある。わたしの息子が大学に入りたてで、アルバイトを探している頃のことだった。わたしは連れ合いと二人でこの店に食べに来ていて、ふと思いついて冗談交じりに店主に提案した。せっかくこれだけの腕を持っているのだから、この店をもうちょっとだけ拡張して、せめて10人以上のお客が入れるようにしたらいかがか。その折には、給仕応対係としてウチの息子をバイトで雇っていただいて・・ すると店主は、いつものように温和な笑顔で、こう答えた。「そうですねえ、ちょっと無理じゃないでしょうか。勤め人のお子さんに、客商売は向かないんですよ。」 勤め人の子弟に客商売は向かない、といわれて、わたしはちょっと考え込んだ。わたしの勤務先はエンジニアリング会社である。工場を設計して作るのが仕事だが、ある意味ではもちろん、客商売である。そしてわたし自身、勤め人の子弟なのだ。てことは、わたしは向かない仕事を長年してきたことになる。 そしたら、隣にいた連れ合いが、ぽつりと別のことを口にした。「そういえば、チェーン店とかファーストフードとかでも、都内の古い街にある店よりも、郊外のベッドタウンの店の方が、応対が良くないのよね。店員が気が利かないの。」 それは要するに、ベッドタウンで働いているアルバイトや店員のほとんどが、勤め人の子弟だからだ。そう、彼女は思ったらしい(ちなみに、連れ合いは町なかの商売の店に生まれて、小さい頃は家に住み込みの職人が大勢いたという)。 サラリーマンの子弟は客商売に向かない、というのは店主の長年の経験によるのだろう。店主ご自身も飲食経営の家に生まれ、大きな店で修行してこられた方ときく(一時は勤め人もされたらしいが)。むろん、勤め人の子弟で立派に客商売をしている人だって大勢いよう。これはまあ比較の問題であって、強いて言えば女性より男性の方が、概して背が高い、という程度の違いなのだろう。だが、わたしにとって、妙に納得感のある話だった。勤め人の子弟は、客商売において大事なところが欠けているらしい。 それにしても、なぜ、そうなのか? 気が利かないからだ、というのが彼女の説明である。では、『気が利く』とは、どういうことなのか。 ここでわたしは、アメリカの空港で見たファーストフードの店を思った。早朝、空港に着き、飛行機を待つ間に朝食をとろうと、あいている数少ない店に客が行列する。早番のレジ係はてきぱきと端から応対し、オーダーをとっては奥に伝え、伝票を客に渡して待たせる。客は伝票番号を呼ばれたらカウンターに来て、伝票とつきあわせた上で品物を受け取る。まるで工場の流れ作業だ。そしてあちこちに、オーダーが間違わないよう、順番や品物が混乱しないよう、工夫が凝らされている。実に見事だった。アメリカの企業は、どこもこうしたシステムやマニュアルを作らせたら、とてもうまい。 ![]() アメリカは多民族国家である。どこの誰が雇われても一定の、70点のレベルで仕事ができるよう、仕組みとシステムを組み立てるのがビジネス文化である。きっと、顧客満足度調査だって、定期的に組み込まれているに違いない。だが、かりに味のことは置いておくにせよ、これは気が利いている状態なのか? そうとは言えまい。 都会のファーストフードで店員の気が利かないのは、安い賃金や、劣悪な労働環境のためだ、という説明もあるだろう。しかし、それでは、ファーストフードのアルバイトの賃金が今の倍になったら、どうだろうか。今の倍も払ったらビジネスが成り立たない、という反論がすかさず来そうだが、世の中には(どこかの国の農政を見れば分かるとおり)補助金なる仕組みも立派に存在している。経費の半分をお上が負担してくれる、というのは良くある仕組みだから、バイトの給料が倍になったら、という思考実験を妨げるものではない。そして労働環境も、労働基準監督署も満足するくらい改善したら。そうしたら、どこのチェーン店も気が利くようになるのか。「スマイル0円」以上に、顧客にうれしい店になるのか。70点が90点に上がるだろうか? あれこれ想像してみたが、そうはなるまい、とわたしは思った。なぜなら、働いている人たちは、チェーン店の良くできた「システム」から逃れられないからだ。顧客がその店を選ぶのも、立地や価格がメインであって、満足度のためではあるまい。だから手頃な競合店が現れたらすぐ客を奪われるだろう。顧客のロイヤルティを上げたければ、店員の別の面を、つまり「気が利く」といったような面を上げる必要があるのだ。だが、どうやって? もう一つ、思い出した事例があった。かつてあるコンサルタント会社の人と、北陸に出張したことがある。この方は一種の顧客満足度調査をいろいろやられている方で、面白いことを言った。航空会社のJ社さんの、全国の空港地上職員の応対を調べたとき、これから向かう北陸の空港だけが、図抜けて成績が良かった、という。ところで、その空港のチーム員は、社員ではなく全員が派遣会社のスタッフなのだそうだ。「じゃあ、その派遣会社が良いんですか?」「ところが違うんです。実はライバルのA社さんも、同じ派遣会社から地上職員をやとっているんのです。ですが、J社さんの方がずっと評判がいいのです。」 じっさい、わたし達二人がカウンターに近づくと、まだ数mも離れているうちから、カウンターの向こうに座った5名の女性職員全員がにっこりと立ち上がり、お辞儀をする。いやみがなく上品で、とても感じが良かった。もちろん応対も丁寧でしっかりしている。客が来たら椅子から立ち上がって、礼をする。ただ当たり前のことだが、それが自然にできると、こんなにも違うのか。わたしは同僚が自分の席に何か依頼に来るとき、いつも立って話を聞いているだろうか? 同僚は客ではないとしても、自分が横柄な人間に思えてきた。 「でも、どうして同じ会社なのに、こんなに違うんでしょうか?」わたしはたずねた。「そうですね。よく分からないのですが、一番右に立っていたチーフの個人的な資質の違いが、影響しているんじゃないかと思っています。チーム員を、よく引っ張っているんです」と、その方は答えたのだった。そういえば近くには古都・金沢がある。チーフはそこの商家の出身だろうか、などと根拠もないことを想像してみた。 気が利くという事柄の中身を、少しブレークダウンして考えてみよう。それはおそらく、四つくらいの要素から成り立っているらしい。 (1) 顧客が何を望んでいるのか、言われなくてもすぐ気づくこと (2) どういう対応を取ったら、どうなるか先読みができること (3) 瞬時の判断ができ、機転を利かせられること (4) 自分に許された裁量の範囲内で、リスクを取って行動できること これらが満たせれば、“うん、たしかに気が利いているな”と顧客にも認められるはずだ。 わたし自身のことに引きつけて考えてみると、どうも(1)と(3)に問題があるらしい。わたしは他人が何を望んでおり、どういう感情を持っているかに対して、どうも気づきが鈍感だし、おまけにクルクルと瞬時に頭が回るたちではない。だから、「優しいんだけど、思いやりがないのよね」というのが、わたしに対する批評である(たぶん、わたしの部下だったらもっと厳しい批評を言うだろうが)。 テクノロジー、技術というものは、移転可能である点に特徴がある。技術とは、ある、うまいやり方を移転可能にしたものだ。うまいやり方が個人に属していて、誰にもすぐ伝えることができない場合は、スキル(技能)と呼ばれる。ところが、電気回路の設計であれ、機械の設計であれ、誰が計算しても基本的に同じ数字が得られるというのが、科学法則に基づく技術の本質だ。 そういう意味で、仕事をきちんと部品に細分化して、それぞれを動かすための技術を整備し、全体をとりまとめるためのシステムを組み上げていく事は、仕事から属人性をなくして、一定レベルの品質を保つ上ではきわめて有効だ。だが、そのような仕組みの中で働いている人間は、どう感じるか。最終的には、自分であっても、他の誰であっても、同じ結果になるわけだから、自分がまるで交換可能な部品であるような感じがするだろう。働いている人を、部品かモノのように疎外していく状態が、今の技術やシステム化の行き着く姿なのだ。 このような職場では、基本は指示と報告で人を動かす。指示に従えば、規定通りの給料を払う。従わなければ、クビにするぞと脅すことになる(だって交換可能なのだから)。こうした人の使い方を、”Management by Fear”=「恐怖によるマネジメント」と呼ぶのだと、最近聞いた。当然ながら、働く側のモチベーションは、「言われたとおりのことをやっていればいいんだろ」という、最低の状態に留まることになる。言われたことはする。言われないことはしない。こうした勤め人であるわたし達の態度は、無意識のうちに子弟に伝わっていく。彼らにとって、上記の(1)から(4)までを発達させるインセンティブは、何もない。 もっとも、日本の企業の場合、もちろんマニュアル化もしているし、システムも作り込んでいる。だが、ある程度の部分は品質を個人個人の、属人性で担保するところが、残っている。だから、働いている人間(とくにホワイトカラー)は、そうしたシステムの隙間を自分で埋めることによって、自分が代替不可能であることの担保にしようとする。かつて、「必要な人はいつもたった一人しかいない」に書いたとおりだ。だが技術的ソリューションの進歩は、そのスキマを少しずつ確実に埋めようとしていく。 でも、職人や個人商店とその子弟は、なぜ、少しは気が利くようになるのか。そうしないと、店がつぶれるからか? ——だとしたら、結局それは「恐怖によるマネジメント」と同じ事ではないか。何か別の要因があるはずだ。 そう考えていたら、隣のテーブルのお客さんが、席を立った。「ごちそうさま。ああ、美味しかった!」といって、勘定を払っていく。店主もまた温和な笑顔になって、おつりを渡しつつ、何か声をかけている。なんとなく、ここには勘定のやりとりだけでなく、感情の交換があるな、と、シャレのようなことを考えた。美味しい食べ物を出す。食べた人はそれで、ハッピーになる。出した人もそれを感じて、ハッピーのお釣りをもらう。 そして、そこにこそ「気が利く」の本質があるのではないかと、思い至った。取引はビジネスだが、その上に感情のやりとりがある。相手が幸せになり、自分を認めてくれれば、自分もうれしい。だから、先読みやリスクテークをしてでも、相手に満足してもらえるようになりたいと思う。そうしたことが、ほとんど無意識の習慣として、身につく。それが、気が利くということではないか。それを、「倍の給料」や「恐怖のマネジメント」で人に強いることができると思うのは、愚かである。 それにしても、顧客が幸せになる姿を、直接見られる仕事は、なんてうらやましいんだろうと思った。わたしの仕事は、一つのプロジェクトが3年も4年もかかる。今、自分が設計したことが、結果になって現れるのはかなり先であり、それを使う人たちだって、今目の前にいる担当者とは別のことが多い。だから、相手の満足度がよく見えないのだ。誰かに幸せになってもらった、という実感が、とても得にくい。食べ物屋さんは、目の前の人をその場で幸せにできる。なんてすごい仕事だろうか。 (むろん、これは勤め人のセンチメントであり「隣の芝生」であることは分かっている。自営業者から見れば、休暇を取っても給料の出る勤め人が、とても楽に見えるに違いない) 企業というのは、仕事の質が70点あればビジネスとして成り立ちうるし、75点もあれば、大企業に成長できるかもしれない。だが、顧客ロイヤルティの高い、イノベーティブな企業になるのは、75点では無理だ。おそらく85点か90点くらいのパフォーマンスが、コンスタントに出なければいけないのだ。ところが、マニュアルだとか、システムだとか、そういった技術的なソリューション、テクニカルな方策だけでは、どうしても破れない壁がありそうだ。その壁は、働いている人間の感情面、もう少し言えば、自尊感情と同僚や顧客へのリスペクトから来ているのではないだろうか。そして働く人間の自尊感情は、基本的に「他者による認知」=ありがとうという感情、から来るのだ。そして大組織で直接顧客と接しない立場でも、自分の下流側部門、あるいは自分が支援する対象部門が、自分たちにとっての「顧客」である。 わたし達の仕事をさらにもっと良くしたければ、もう少し感情のやりとりに、注意を向ける必要があるのだ。対人的に鈍感な自分にとって、それこそが必要なトレーニングなのだろう。いや、まず手始めは家族に対してかもしれない。・・お皿に残った美味しい点心風デザートを平らげながら、わたしはこっそり、そう思った。 <関連エントリ> →「アメリカン航空に乗るおじさんの日記 - サービス業の本質とリスクについて」/(2014-03-30) →「R先生との対話 — 受注ビジネスにおける顧客満足とは何か」 (2015-02-01)
by Tomoichi_Sato
| 2015-03-11 07:33
| ビジネス
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