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風雲忍法帖・舞竹城あじゃいる異聞

「半蔵。半蔵はおらぬか!」

−−・・御前に。

「おお、そこか、半蔵。苦しゅうない、近く寄れ。・・い、いや、そんなに近くなくてもよい。もちっと下がれ。・・よし、そこでよい。」

−−ははっ。して、殿、御用向きは。

「うむ。他でもない。隣の藩の動きじゃ。我が藩の長年の宿敵・舞竹藩の動きが、ちかごろ不審との噂が耳に入った。行って、動静を探って参れ。」

−−その事でしたら、手前どもも耳にして、すでに調べを開始しております。街道筋の商人の話では、所蔵米を放出して売り先を探しているとか。また特産品の漆を増産させて現金を得る傍ら、木材・砂鉄を買い集め、職人たちも呼び寄せているとのこと。何やら大掛かりなものを造ろうとしているフシがございます。」

「そうか。気づいておったか。さすが忍び頭じゃ。敵の様子を知ることこそ、兵法の要ぞ。」

−−敵情報知、略して情報

「うむ。情報を制する者こそ、天下を制す。だからこそ、お主を『最高情報責任者』に任じておるのだ。行って、舞竹藩が何を造ろうとしているのか調べて来い。」

−−はっ。(姿を消す)


<ご承知のように『情報』という言葉の語源や意味については、議論がある。森鴎外が考案したとの説もあるが、実はもう少し古くから、「敵情の報知」という意味で用いられていたらしい。「情けに報いる」との意味だという解説もときおり聞くが、俗論だろう。というのは、昭和中期までは「諜報」に通じる、暗いイメージの伴う言葉だったからである。いずれにせよ中国では『信息』という別の用語を使うから、日本で生まれた漢語であることは確かだ。>


−−殿、戻りましてござりまする。

「おお半蔵か。ご苦労であった。どうだった。詳しく聞きたい。近うよれ・・い、いや、何もくっつかなくてもよい。暑苦しいではないか。」

−−失礼つかまつりました。それで、舞竹藩の動静ですが。

「うむ。どうであった。」

−−やはり、藩をあげて大がかりな構築事業をしているのは、確実でございます。最初は、古くなった舞竹城の改築かとも思ったのですが、それだけではありません。出入りする職人の種類が違います。

「なんと。城を作り直すだけでなく、それ以外にも何かを築いていると申すか?」

−−御意。なんでも、老朽化した城塞を近代化して軍備にそなえるかたわら、藩の得意とする産業を成長させ、国を富ます政策とか。産業育成のため、城の隣地に大きな建屋をつくり、藩直営の作業場とする計画のようです。それを『富国強兵策』だか『新成長戦略』だとか申しております。

「なにを生意気な。だが捨て置けぬ奴らだ。しかし、そのような策にはかなりの金が入り用であろう。」

−−さすがは、殿。それがため、かなりの資金を必要としているようです。舞竹藩の勘定奉行はもともと非力な方で、奥方の弥生さまの助けを借りて公務を執行していた様子。しかし、城主お世継ぎの若殿が江戸より赴任されたのを機会に、権益を強めようと画策し、外から軍師を呼んで助言を得つつ、職人集団に築城をさせています。そこで殖産を同時に進める策をとったようです。

「築城は金がかかるからのお。」

−−おおせの通りです。殿は以前、シメジ藩で新規築城があったのをご存じでしょう。

「おお、シメジ城のことか。白鷺が飛び立てずに、うずくまったような姿の城だと聞いておるが。」

−−シメジ藩では失敗を認めずに、「300年後は世界遺産でユネスコに登録だ」などと強がりを申しております。が、そもそもあの種類の築城方式では、ゼロからすべて人足が手作業で組み上げますゆえ、時間も費用もかかります。

「うむ。難儀なことじゃ。」

−−それを見た舞竹藩では、手作りをやめて、外から半製品を買ってきて組み上げる方式を考えております。それがため、あえて新参の職人を雇ったと。

「なに。城作りといえば、老舗に任せるのが習慣ではないか。」

−−はっ。これまでは、公儀ご用達の、肥立組・不二痛組・日雷組など大手に築城を任せるのが通例でござりました。しかるに、舞竹は、渡りの特殊職人集団を呼んでいます。

「ワタリの集団じゃと。まさか頭目の名前は『四貫目』ではあるまいの?」

−−いえ、違います・・殿は昔の少年マンガにもお詳しいようで。なんと毛唐の集団『強拍組』を雇ったとのこと。そして南蛮渡来の、『いーあーるぴぃ』なる築城法を用いると。

「いーあーるっぴぃ? なんとも奇態な名前じゃのお。毛唐からものを買うなど、ご禁制の抜け荷ではないのか?」

−−数年前黒船が現れて以来、ご公儀も半ば無理矢理、いろいろな品物の持ち込みを許可させられています。また強拍組は、いーあーるぴぃ導入こそグローバルスタンダードでベストプラクティスなストラテジーだと申しております。

「なんだか急にカタカナが増えたが、それでうまく行くのか?」

−−そこが肝心なところでございます。そもそも舞竹藩の特産品は漆とロウソク。その製造は釜で蒸したり漉したり反応させたりと、化学処理によるものづくりです。ところが、舶来のいーあーるぴぃは、元々、組み立て型の作業向きとか。適用に手こずって、集められた藩内の農民たちからも不満の声が上がっており、費用も余計にかさむのではないかとの噂です。

「ふん。いいざまじゃ。ちなみに、似たようなことに手を出した先例はないのか。」

−−先年、北国のナメコ藩が、もっと小型のいーあーるぴぃに手を出したと聞きましたが、内実は、まだ。

「半蔵。行って、ぜひ探って参れ。舞竹藩のたくらみが思わぬ失敗に陥るかどうか、もっと情報を集めるのじゃ。」


<歴史的に見て、忍者という存在がどのような職能集団に起源を持つかについても、諸説ある。また徳川家の抱えた伊賀者のみならず、各地に同種の技能者集団があったらしい。一説には、築城職人とも関係があるといわれるが詳細は不明である。ただ、築城は秘密漏洩が最大のリスクであり、逆に敵の城内を知れば攻略もたやすい点で、情報戦の焦点になりやすい。なお忍者は武装を許されているものの武家の身分ではなく、足軽ないしそれ以下の階級であった。>


「・・どうであった、半蔵。何か役に立つ知らせは得られたか。」

−−はっ。興味深い情報を得ました。

「そうか。苦しゅうない、近く寄れ。ただし、90cmまでだぞ。お主は対人的な距離感が、なんだか今ひとつ欠けておるからな。」

−−はっ、恐縮です。それでまず、ナメコ藩の内実ですが、いーあーるぴぃ導入の事業は、業務に合わせるための追加構築費用がかさみ、当初10万両だった予算が最後は25万両まで膨れ上がったと聞きました。

「なんじゃと。あそこは、ただでさえ小藩。そんなに費用が超過したら、国が傾くではないか。築城で国が傾いては、本末転倒であろう。愚かな。」

−−その通りにござります。さて、問題の舞竹藩ですが、さらに忍び込んで調べましたところ、意外なことが分かりました。

「何だ。」

−−舞竹藩は、勘定方の業務には、いーあーるぴぃを使うものの、漆の生産・物流・商流には断念し、別の方式で構築を行うと決めた、とのこと。それが、非常に興味深いやり方でして。合い言葉は『あじゃいり』方式とか。

「阿闍梨? 仏僧の職位のことか。」

−−語源は定かではありませぬ。が、これの面白い点は、少数精鋭の職人集団が、図面も引かずにいきなり建物の一部を作り始めることです。それを、使用者に見せ、使い勝手の意見などをもらいながら、改修増強しながら建て増して、最後には立派な建物としてしまう方法だそうです。これを根来の忍び衆が差配しております。

「それの、どこが面白いのじゃ。そもそも建物は、最初に大工の棟梁が施主の要望を聞いて図面を描き、木材にケガキして切り出すのが基本であろう。」

−−ですが、そのやり方ですと、水が高きところから低きに流れるように、やり直しがきかぬ上、どうしても時間がかかるため、できあがった頃には施主殿の求めと異なるものができあがる懸念がありました。ジャストインタイムの思想に反しておると、トヨタ駕籠屋の古参も批判されているとか。

「お主もカタカナに毒されてきおったな。」

−−どうか、殿、お聞きください。当藩の天守閣も、すでに築城以来年数がたち、業務に合わぬ点も多くなって参りました。しかし、おっしゃるように築城改修は大仕事。棟梁に命じて職人を多数集め、いったん作業を始めたら、簡単には方向を変えられませぬ。築城特殊技術を本務とする、我が配下の忍び衆さえも、図面や指図書を出す諸奉行の人足扱いになってしまいます。築城の仕掛け工夫の知恵は、人一倍ありながらも、です。

「しかし半蔵、それが昔からのしきたりではないか。」

−−たしかに。ただ、この『あじゃいり』方式、従来よりもずっと早く結果が出せるとのこと。わが藩にても、試す価値はありかと。

「何を言う、半蔵。さては舞竹藩の異人に接して、かぶれたのか。」

−−恐れながら、殿。わが忍び組は、このところ毎年のように経費削減を命ぜられ、手当も前年比1割カットの憂き目を見ております。しかし、かの新方式が、安価に築城を可能にできるなら・・

「愚か者。畏れ多くも御開祖様から受け継いだこの城、前例もない方法で手を入れるなど、もってのほか。それに考えてもみよ。この天守閣は多層階構造だ。そんな、最初に犬小屋みたいなものを建てて、それを建て増す方法で作れるわけがないではないか。」

−−ならばせめて、厩舎の建て替えで試させていただきたく。敵情を学んだ我が部下達も、やらせてくれと首をそろえて願い出ております。

「ならん。おまけに、そちのいう阿闍梨方式とやらでは、忍びの者が主役で、武家は単なる脇役になってしまう。それでは主客転倒である。舞竹が何をしようと勝手だが、当藩では許さん。」(立ち去ろうとする)

−−殿、今のままでは開国の時代に間に合いません。お待ちを! (袴の裾にすがりつこうとするが、90cmの距離のためにつかみそこね、あわてて走って後を追う) お聞きください! 殿・・!

 〜 幕 〜


<付記>
アジャイル開発の方法論については、その利点についてさまざまな意見が交わされている。わたし自身はまだ本格的な取り組みの経験がないが、それに近い形のプロジェクトは自社でも見ており、それなりの有効性は感じている。

ところで、技術論や経済評価は別として、わたしがこの運動を見て感じたことが一つある。それは、これがプログラマにとって、’70年代のウィメンズ・リブ運動のような意義を持つ、ということだ。「ドキュメントよりも動くソフトウェアを、契約より協調を、計画より変化への対応を」という宣言にも、そのような気分は現れている。
プログラマという職能従事者は、わたし達の社会では(そして世界中どこでも)SEやPMやユーザよりも、一段下の階級であるかのように、扱われてきた。給与待遇面の格差は「需要と供給の関係で決まる」と言えなくもないが、それよりも意識面での格差が酷い。このような状態はまた、優秀な人材がプログラマを志望することへの妨げにもなっており(ごく一部の例外は除く)、それは技術力や生産性の低下にもつながっていく。

それでは、アジャイル開発がすべての問題を解決していくか? わたしは、それほど楽観的ではない。IT業界では、皆がずっと「銀の弾丸」を探してきた。だが、そういったものは聖杯伝説と同じで、無さそうだと気づいてもいいころだ。すべての問題を、一気に解決していく手法などない。適材適所、フィットする分野にフィットする人と方法を適用していくしかないのである。ただ、ウィメンズ・リブ運動が、(全世界の不平等問題を一気に解決しなかったけれども)多少は人々の意識に変化を与えたように、プログラマの復権の運動にも、もう少しきちんと日を当てていい時期ではないかと思っている。
by Tomoichi_Sato | 2014-11-23 22:50 | ビジネス | Comments(0)
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