ザ・ジャストインタイム 〜現地現物が最高の利益を生む
技術はある。製品も売れている。上場したばかりのその会社は、傾いたライバル企業を買収し、工場と人と生産能力も手に入れたはずだった。だが、なぜか資金繰りが苦しくなり、銀行からは与信枠の拡大を拒まれて、今や八方ふさがりの状態に陥っていた—— この小説は、窮地に陥った若き経営者フィルが、友人マイクの父親で、リーン生産の専門家であるボブの助言をかりつつ、何とか会社を建て直していくスリルに満ちた物語である。ボブはかつて自動車部品メーカーの役員をしていた人だが、いくつもの会社を渡り歩き、経営を好転させては、避けがたい権力抗争に敗れて会社を去ることを繰り返した後、引退し趣味のヨットに打ち込んでいたのだ。 ボブをなんとか口説き落として、生産現場を見てもらうことになったが、ボブは現場を一渡り見てから、こう宣言する。『ここは金脈だと自分に言い聞かせなさい。われわれの仕事はそれを見つけ出すことだ。わかるか?』(p.60) 生産管理とは、宝の山である。しかし、ほとんどの経営者は、それに気づかない。おまけに技術者や製造技能者も、かっこいいモノを設計したり作ることが自分たちの本来の仕事だと信じ、生産管理は「雑用の山」だと考えている。だが、その雑然とした山の中にこそ、金脈は隠れているのだ。まさにこの小説が"The Gold Mine"という原題をもつ所以である。 本書の舞台はアメリカ西海岸だが、著者のフレディ・パレとマイケル・パレはフランス人の親子である。フレディは長年ルノーに勤務し、トヨタ生産方式の欧州における普及に尽力してきた。息子のマイケルはパリ・アメリカ大学の准教授で作家だ。つまり、この小説のマイク(大学教員で心理学者)とその父親ボブは、彼ら自身がモデルな訳だ。ともあれ、フランス人が書いた、トヨタ生産方式による企業改善の物語という点で、本書はまことに異色、かつ新鮮である。米国式経営一辺倒でもない、単純な日本礼賛でもない、そのきわどいバランスに成功している。ほんのちょっぴりだが、ロマンスの香りもある。 世にビジネス書は数多く、いわゆる経済小説も少なくない。しかしたいていの小説が描くのは、もっぱら経営者の人物ストーリーである。事業の成功も失敗も、すべて経営者個人の人格と手腕による——こうした説明は分かりやすいが、つねに真実ではない。現実に事業のプラスとマイナスを分ける微妙な差は、生産管理のようなシステム・レベルの問題で起きている場合が多いのだ。 そして生産の仕組みをきちんとしたければ、まず生産に関わるもの全員に、「生産とはシステムである」という思想をインストールしなければならない。生産管理とは、この動的なシステムを御するための手立てである。しかし、このような抽象的な考え方は、あいにくメディアの手短かな感動記事になりにくいし、勉強したくとも世の中に良い生産管理の本は、案外少ない。だから、本書のような小説形式による説明が有用なのである。 多くの経営者は、規模を拡大すればスケールメリットで生産コストが下がると、単純に信じがちだ。だが、それはB2Cで企業向けに受注生産している会社には、ほとんどあてはまらない。この点を小説は最初に指摘する。 「生産数量が2倍になれば、コストはおよそ10%下がる。(中略)しかし、製品の種類を倍にすると、やはり10%か、それ以上コストが上昇する。困ったことに、工業製品の顧客はたいてい特注品をほしがるものだ。だから、たとえ主力製品ないし技術だけを扱っているつもりでも、実際に売っているのは単一の製品ではない。よってスケールメリットは具体化しない。コストは生産数量に応じて上昇するんだ。」(p.19-20) この会社が製造しているのは、エネルギー・プラントに使う高圧電流用の真空遮断器である。一般読者には馴染みのない種類のものだろうが、組立加工業種に属する点では、多くの製造業とかわりがない。ボブは、改善の着眼点を教える。 「(製品の)流れを一つ選んで、上流に向かって歩く。そして、工程をたどりながら在庫の数を数える。ムダはほとんど目に見えない。だが在庫は目に見える。そして在庫があるところ、裏には必ず何らかのムダがひそんでいると推測できる」(p.63) 「あそこの女性、部品の山をかき分けて、次の作業に使うたった一つのものを探している。明らかに彼女は仕事をしている。だが、彼女の努力は製品に何一つ価値を付加していない。動きと働きは別物であることを認識すべきだ。(中略)作業の改善とは、動きを働きにかえることだ。」(p.41) この会社が資金ショートに陥っている理由は、明らかに在庫の過多だった。しかし、ボブは在庫削減に手をつけることはしない。真っ先に指摘したのは、不良の問題だった。 「納品した1,000台のうち5台が不良品というのは、わたしの感覚からすれば許しがたい多さだ。それでは航空会社が乗客の荷物を紛失する確率と大して変わらない。」(p.40) 「赤いプラスチックのゴミ箱をいくつか用意したまえ。それをそれぞれの持ち場に置く。作業者に与える指示は一言、『作り直すな』だけでいい。手に取った部品に何か気に入らないところがあれば、それが前工程から流れてきた装置だろうと、材料だろうと、赤いゴミ箱に入れる。それだけのことだ。」(p.126) ここには、優先順位の問題がある。これこそ、多くの企業がトヨタ生産方式に関して誤解している、最大の点である。真っ先に考えるべき事はコストダウンではなく、顧客満足、すなわち顧客に迷惑をかけないことなのだ。 「わたしの会社が初めてトヨタと仕事をしたのは、彼らのサプライヤー開発プログラムに参加した時だったが、トヨタは、われわれの工場で納品が滞っている全てのエリアの在庫を増やせと言ったんだ。(中略)それは、いわゆる緩衝在庫だったがね。それはすなわち、何より納品に全力を注げと言うことだ。(中略)納期の遅れも数量の不足もなく、確実に納品できるようになったら、放置してきた在庫の削減に集中する」(p.95) もちろんボブは、アメリカ流の数字至上主義の経営思想が、工場を窮地に追いやり、結果として製造業の空洞化をまねいたことを指摘するのも忘れない。 「最も効果的なコスト削減の方法は、工場をたたんでしまうことだ。(中略)わたしが知っているある工場は、親会社の経営陣によって『コストセンター』に変えられてしまった。工場の経営層のボーナスは、削減できたコストの額と結びつけられた。当然ながら彼らはコスト削減に励んだ。顧客への出荷はとめどもなく落ち込んで、製品に質はどこまでも悪化した。1年後、最大の得意先2社に見限られ、工場全体を閉鎖するしかなかった。」(p.94) ——このような事例は、遺憾ながら、わたしの関係する業界でもみかけたことである。 若き経営者のフィルは、もともと物理学者で、研究から画期的な新技術を発明して企業化した人間である。生産については素人なのだ。ボブは彼に、生産管理の基礎的な式や定義も含めて、ゆっくりと説明していく。 「タクトタイム = 1日の稼働時間 ÷ 1日あたりの顧客需要」(p.115) 「作業者数 = 作業内容の合計 ÷ タクトタイム」(p.118) そして、在庫問題の発生する本当の原因が、作業のばらつきに起因するムダにあり、標準作業を工夫する必要性に気がついていく。かくて話は、しだいに流れの整流化の方向に向かう。 「ミスをなくし、作業を標準化する最善の方法は、1人の作業者のサイクルを1分以内にすることなのだ。いいかね、1分だぞ。」(p.229) 「(ラインから人を減らすときに)仕事のできない者を外す傾向があるが、それは大間違いだ。そんなことをしていたら、いつまでも仕事を覚えないからな。」(p.109) 「翌週、何を作るかを知るためには、顧客の計画を知らなければならない。」(p.412) しかし当たり前だが、このような生産現場の改革は、あちこちで人の抵抗に遭う。現場の労働者からも、リーダークラスからも、そして開発技術者や、経営者からも反発・批判・無理解が出る。 「大事なのは人だ! 機械でも、組織でもない。金ですらない。人には考えも感情もある。自分の仕事もよく知っている。部下とは協力関係を築くべきであって、敵に回すのは論外だ。金は結果に過ぎない。協力し合った時、人がどれほどすばらしい仕事をなしとげることができるか、金はその記録帳のようなものだ。」(p.154) 「責任感を持てと命じても仕方がない。感情の問題だから。命令されて責任感を持つようになるものはいない。」(p.184) 後半、現場を見ずに、頭の中だけでジャストインタイム風の施策を講じ、MRPを週次で回してはサプライヤーにJIT納品を押しつける管理職が出てくる。彼に対するボブの態度はきわめて辛辣だ。「大事なのはアティテュード(態度)の問題だ。」と彼は言う。結局この男は職場を去ることになるが(このあたりはいかにもアメリカ的である)、日本だったら簡単に辞めることはないし、クビにすることだってできない。そういう点では、この小説を読んでそのまま日本に当てはめようとしても、そう問屋はおろさないだろう。我々は我々なりに、別のタクティクスを考えなければならない。 小説の最後に近くなってから、田中さんという日本人が出てくる。大野耐一から直接教えを受けたという老人だ。もちろん西洋のドラマだから、彼は(まるでスター・ウォーズのヨーダの如く)東洋風の叡智に満ちた人間に描かれる。しかし、この小説は、毎度毎度同じ事を繰り返し説くトヨタ流への風刺も忘れない。たとえば在庫量を湖の水位にたとえ、水位を減らせば隠れていた岩(問題)が見えてくる、という話を引用したあとで、こんなジョークを紹介する。 「ペルーでフランス人と日本人とアメリカ人が工場を建てようようとしていた。だがゲリラに捕まって人質にされ、資本主義の手先だから銃殺すると言われた。ゲリラは3人に、最後の言葉を残すことを許した。フランス人は『フランス万歳!』と叫んで撃たれた。次は日本人の番で、『では湖と岩について話したい』と言った。その途端にアメリカ人が飛び出してきて、銃口の前でシャツの胸をはだけて叫んだ。『湖と岩の話をもう一度聞かされるくらいなら、先に撃ってくれ!』」(p.264) 大野耐一については、こんなジョークだ。 「たとえば100人の人員が、ある生産を問題なくやりとげられるとする。すると大野耐一がやってきて、10%もの人員を連れ去り、残りの90%で同じ内容の業務に当たらせる。当然ながら、残った人員はありとあらゆる問題に直面する。そして、ようやく問題を解決して、新しい目標を達成したかと思うと、また大野がやってきていう。『よし、今度はもう10%連れて行くぞ』。彼らは全員叫んだらしい。『Oh, No!』 そこでこの方式は、『オーノ』方式として知られるようになった。」(p.83) もちろん小説だから、改革はいくつもの抵抗に遭いながらも、次第に成功の方向に向かっていくし、読者だってそれは予期している。ただ、その過程で経営者フィルは大事な部下を失ったり、いくつもの辛酸をなめた上で、次第にスタートアップの発明家からリーダーに成長していく。 「常に優秀な人間からいなくなる。それがリーダーにとって2番目に大きな問題だな。」(p.440) 「チームのメンバーに、自分の職場が一番だと思わせなければならない。この雰囲気、この価値を実現する職場は、他にきっと見つからないと。」(p.442) 他方、友人マイクは心理学者らしく、その問題にコメントする。 「人が仕事をしていて何に幸福を感じるかを、ずっと調べている研究者がいる。その調査によると、課された仕事の難しさと、その人の仕事に対する習熟との間で、バランスが取れていなきゃならないらしい。仕事が重すぎるとストレス過剰になり不安な気分になる。(中略)もう1つ大切なのは、人には自分の置かれた状況を合理的に説明してくれる理論が必要だということだ。きちんと説明がなされれば、彼らは幸福でいられる。」(P.217) 当たり前だが、仕事の問題は人にはじまり、最終的には再び人に行きつくのだろう。 「部品を作る前に人を作るべし。」(p.217) 「改善はむしろ、人を作る1つつの方法だ。」(p.403) しかし、その円環の途中には、混沌を排し、人が単なる『動き』でなく『働き』に集中できる生産システムの構築が必要なのだ。そして、そのシステムの設計と構築には、たしかに理屈が必要だ。だから本書には、数字による四則演算レベルの説明例は多く出てくる。けれども、難しい数式など一つもない。生産管理とは、別に文系理系を問わず、普通の知性の持ち主ならば理解できるし、理解しておかなければならないはずのものである。小説としてはけっこう分厚い方だが、きちんと生産の思想を学びたいと思う人には絶好の入門書であろう。強くお勧めする。翻訳も読みやすい。
by Tomoichi_Sato
| 2014-10-26 16:40
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