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システムとは何だろうか?

京都賞」をご存じの方は多いと思う。基礎科学・先端技術・思想芸術の3部門で、毎年世界の傑出した研究者に賞が与えられている。ある意味ではノーベル賞のむこうをはっており、数学・哲学・言語学・生物学・建築・音楽など『ノーベル賞のもらえそうもない分野の人を選んで賞をあげている』という印象もある。たとえば、K・ポパー、N・チョムスキー、アラン・ケイ、J・グドールなどの人が授賞している。

今年の京都賞基礎科学部門は、生態学者のサイモン・レヴィン博士が授賞した。彼は数理生態学・空間生態学の分野で若い頃から研究分野をリードしてきた人だ。そのニュースを聞き、私はとてもうれしく思った。というのも、たまたま昔、私はレヴィン博士の知遇をえる機会があり、彼の研究室を訪ねたり、あるいは来日した時は横浜の自宅に招いたりしたこともあったのだ。だから11月12日に京都で行われた記念シンポジウムには、私もはせ参じて、授賞を祝し、再会を喜びあった。

レヴィン博士の業績の一つに、"The Problems of Scales and Patterns in Ecology"という論文がある。これは90年代を通じて最も広く引用された生態学の論文と言われる。彼の主要な研究テーマは、生態系(=エコシステムecosystem)のさまざまなスケールにおいて観察されるパターンと多様性が、いかにミクロな生物個体レベルのルールから生成するかを調べることである。生態学とは、エコシステムの機能と構造を研究する学問だが、彼はエコシステムが特定の目的と機能をもって存在するかのような目的論的見方とは異なる、パターン認識的見地から取り組んでいる。

初めて知り合ったとき、レヴィン博士はコーネル大学のCenter of Ecology and Systematicsの所長だった。私はSystematicsとは「システム科学」のことかとたずねたが、「いや、系統分類学の意味だ」との答えが返ってきた。系統分類! それをシステムと呼ぶのか。その時の驚きは、その後、英語におけるsystemの語の意味を深く知るようになるにつれ、次第に納得にかわっていった。たとえば、太陽系のことはSolar Systemと呼ぶのだ。

システム」というとコンピュータのことだと思う人は少なくない。いや、世の中の大多数だろう。技術の世界では、ガスタービン発電システムとか自動倉庫システムとか、ある種の機械的な仕組みのこともシステムと呼ぶことがある。しかし、私のように工場やら製品までをシステムと考える人間は少数派だ(「システムとしての工場、システムとしての製品」参照)。

製品がシステム? じゃあ、パン屋が焼くあんパンも、家具職人が作るテーブルもシステムだというのか? そう問いつめられると、私も、ちと違うな、と答えざるを得ない。「所定の目的を達成するために要素または系を結合した全体」「特定の機能を果たすように配置した、相互に関係するアイテムの組合せ」という定義(JIS工業用語大辞典)から見ると、4本の脚と天板からなるテーブルだってシステムに合致して良さそうなものだ。だが、どうも要素が静的に結びつけられた構造は、今ひとつ「システム」というイメージに合わないのだ。

「システム」という語がフィットするものは、どうやら動的な機能や特性をもつものに限られるようだ。ジェームズ・ワットの発明した蒸気機関は、回転数を安定化させるための巧妙な調節弁の仕組みをそなえていたが、ここらへんがシステムの始まりらしい。彼のフィードバック制御は機械要素の組合せで実現していたが、目的は力を伝達することではなく、制御にあった。

つまり、「制御」の有無こそ、システムを単なる部品の集まりから区別する鍵なのだ。そして、制御のために、一種の神経系統をもつこと。現代ではこの神経系の役割をたいていコンピュータが果しているので、「システム=コンピュータ」という思いこみが固定化したのだろう。たしかに、テーブルのように部品材料の寄せ集めだけでは、動的特性は発揮できない。

「システム」が制御機構を持つ動的な仕組みである以上、システムの『価値』も、その動的特性にある。だからこそ私は、「工場という名のシステム」は“計画・指図・報告”という制御機能のよしあしで性能が変わりうることを、くり返して主張したいのだ。

しかし、こうして見てみると、日本語の(=JISの)システム概念は、かなり「目的」「機能」にしばられていることが分かる。太陽系やら生物系統分類やらも含む英語のsystemからは、かなりずれている。英語の世界のsystemとは、せいぜい「一つ一つの要素を数え上げずとも、系統的に、頭を使わずに展開できるようなまとまり」という程度の意味しかない。

無論、生態系ecosystemの中には、全体を安定させるフィードバック的な仕組みも確かに存在する。しかし、生態系には「目的」はない。自然界に存在するものには、特定の目的はなく、しいて言えば、「存続自体を目的と見なせる」程度なのである(レヴィン博士が目的論的見方を退けるのは、この危険性があるからだろう)。企業もこれに似ていて、本来は何らかの目的があって結成されたはずなのだが、多くはもはや目的を失って、存続自体が自己目的化してしまっている。こんなところにシステムの機能論を持ち込むのは、場違いなのだ。

私は、あまりにも多義語化している「システム」の概念を、もう一度、再整理すべき時が来ているように思う。たぶん、システム・場・メカニズムなどの使い分けを、もう少しきちんとするべきなのだ。そして、それこそ「システム・アナリスト」の最重要な仕事だと思う。なぜなら、これを怠ると、システム分析の仕事自体が、ひどく混乱したものになってしまうに違いないからだ。
by Tomoichi_Sato | 2005-11-27 23:31 | Comments(0)
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