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交渉学から見たロシア・天然ガス大型商談の実相

仮にあなたが、重要な商談で遠くに出張に行っているとしよう。相手は近ごろ羽振りの良い大企業で、タフな交渉相手だ。あなたは新商品を、この相手に売り込もうとしている。それも一度きりの注文ではない。3年にもわたって継続的に供給する、総額40億円以上の大型商談だ。

長引く不況で、自社の財務状況はピンチにあり、何としてもこの売り込みを成功させたい。それもできれば市場相場に近い価格で決めたいところだ。ただし、あなたの側には弱みが一つある。この新商品はまだ開発中で、早くても半年後でないと供給できないのだ。投資額もかかる。だから、キャッシュフローを考えれば、頭金を少しでももらえるとうれしい、と内心思っている。

さて、出張先で2日間、膝詰めの打合せをしたが、なかなか妥結に至らない。出張日程を延ばすことも難しい。しかし、とうとう帰る時刻の直前に、契約をまとめる事ができた。飛行機に乗り込む直前、あなたは本社にメールを打つ。「無事、販売契約を取れました。それも、こちらの希望する製品価格で決める事ができました。」

さて、あなたのこの商談、成功だったろうか、失敗だったろうか?

売り込みの契約を取れたのだから、成功だ--そう判断する向きもあろう。だが、よく考えてみてほしい。「希望する製品価格で妥結できた」ということは、逆に言うと、頭金はもらえなかったことを意味する。もし、当面は納品もないのに頭金を払ってくれるような場合、タフな相手は必ず、逆に製品価格に値引きを要求してくるはずだ。

ということは、あなたの会社は頭金をもらえず、製品ができるまではろくに収入もないまま、ぎりぎりの状態で、開発投資を続けなければならない。しかも約束してしまったのだから、その開発投資のお金を、別の用途にふり向けることも、もうできない。開発に失敗したら、もうおしまいだろう。

おまけに、あなたが帰りの便に飛び乗る直前にやっとサインできたという状況は、あなたが価格にあらわれない条項で、かなり譲歩したことを意味している。営業マンは、手ぶらでは帰れない。だから、帰る直前の交渉が、一番効くのだ。まったくタフな相手である。--そう考えると、この結果は、成功とはいえ、ほとんど赤点ぎりぎりの成績ということになりそうだ。

そして、今週、ロシアのプーチン大統領が中国を訪問してとりまとめた、超大型の天然ガス商談は、これとよく似たシチュエーションなのだ。

すでにメディアに報道されているように、ロシアは、シベリアの天然ガスを、中国に対して30年間継続して供給する契約を交わした。総契約額は4000億ドル(約40兆円)を上回ったとみられる。
(ロイター報道 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0E10SH20140521
ウクライナ問題のため欧州と疎遠状態に陥ったプーチンが、アジアに活路を求めて見事に成功した、と報じる向きもある。だが、この話はそんな簡単なものではない。

国家規模のプロジェクトは数字の桁が大きすぎて理解しにくい。そういうときは、金額を1万分の一にすると企業的な規模になり、1億分の一にすると個人的な規模になって分かりやすい。ちなみに日本のGDPは年間500兆円弱だが、これは企業なら500億円、個人なら500万円の年収というわけだ(日本は人口が1億人ちょっとだから、GDPを1億で割るとほぼ一人あたりの数字になる)。最初の『商談』の数値は、その方式で「40兆円」を「40億円」に換算し、さらに時間は10分の1に圧縮し、「30年」から「3年」にして、作ったものだ。

さて、この天然ガスは、シベリアのChayandinskoyeおよびKovyktinskoyeガス田から供給することになっている。だが、どちらのガス田も、まだ生産設備は十分開発されていない。さらに、このガスは通称「シベリアのパワー」と呼ばれる長大なパイプラインで中国に運ばれる。総延長距離は約4,000km。米国の西海岸と東海岸くらいの距離である。そしてこのパイプラインも、これから建設するのだ。したがって、中国にガスが供給されるのは、最低でも4~6年後だと想定される(だから冒頭の例では10分の1で「半年後」に供給予定と書いた)。とにかく、気の遠くなるほど遼遠な、大陸的商談なのだ。

交渉学から見たロシア・天然ガス大型商談の実相_e0058447_20261269.jpg

Power of Siberia Pipeline - Gazprom社ホームページより引用
http://www.gazprom.com/about/production/projects/pipelines/ykv/


契約の詳細は、この文書を書いている現時点では、ほとんど明らかになっていない。ロシア側が中国に求めていた、開発プロジェクトのための投資協力(「頭金」の支払い)についても、中国が受けたのか拒絶したのか、互いに相矛盾した発言が、別々の情報源から聞こえてくる。

ただ、ガス価格については、ロシア側の希望に近い線で妥協できた模様だ。International Oil Daily紙によると、ロシアは$9.75/MMBtuを最低条件と言ってきたが、投資採算性を考えて$11を希望したらしい。他方、中国はトルクメニスタンからの輸入価格と同じ$9以下を要求したが、最終的にはそれ以上を払うことを合意したというのだ。この値段から逆算すると、かりに中国が投資協力するとしても、かなり限定的であることがうかがえる。

ちなみにこの商談、じつは10年以上前からロシアと中国の間で続けられてきた。しかし、ずっと折り合わなかった。主な意見の相違点は、無論、価格だ。最近の報道を見ていると、
 「合意は近い」
 「(プーチンが上海を訪問する)5月までには決まるだろう」
 「価格以外の条項については、全て合意できた」
 「上海で調印するらしい」
ときたが、肝心の上海二日目の夜になっても合意発表はなく、今回も決裂かと思われた。だが、帰る予定の日の朝4時(!)にとうとう合意に達した。いかにギリギリの決断だったかわかるだろう。

金額以外の項目は、すでに事前合意に達していた。すなわち、石油価格に連動するフォーミュラ(方程式)でガス価格を調整するとか、テイク・オア・ペイ条項がある、といた事である。

(テイク・オア・ペイ条項というのは、天然ガス契約によく出てくる条件で、製品を引き取らなくても、金を払わなければいけないという、一見非常識な契約である。食べ物屋にたとえれば、お食事に手をおつけにならなくても、代金はいただきます、ということになる。天然ガスはパイプラインで運ぶ場合も液化して運ぶ場合も、相当の先行設備投資が必要なので、このような条項が出てきたのだ。いわば、100人前の宴会を用意していたのだから、急に宴会やめましたと言われても、それなりのお代はいただきます、という論理である。)

そして結局、価格交渉だけが残った。しかし、大きな案件の交渉をした経験がある人はお分かりと思うが、「お金だけが討議事項」という状況は、交渉戦術上、最も避けるべきことなのだ。なぜなら、交渉とはすなわち天秤の両側にいろいろな果実の重りを置いて、両者が納得できる均衡状態を作ることだからである。そのためには、金額以外に提出できる手持ちの駒が、多ければ多いほどいい。値段の代わりに、保証期間だとか利用権だとか保険だとか頭金(支払タイミング)だとか、あれやこれやを置いてみる。

交渉論の分野に、BATNA (Best Alternative to Negottiated Agreement)という概念がある。最低限譲れない線を割り込んだ場合に、とるべき別の選択肢をいう。これを心の中に持って、交渉の席に着く。ロシア側にとって譲れない線が$9.75だったとしよう。もし価格がそれを割り込んだ場合、中国側から出してもらうべき別の交換条件が、何か必要だ。ところが、他の契約条件にすべて事前合意してしまっていたら、打つ手がなくなる。

結局、プーチンの持ち出した最後の手は、税金の緩和だったらしい。この契約は一応、ガスプロム社と中国CNPC社との企業間契約である。だが、もはやガスプロム社のレベルには、手駒が残っていなかったのだろう。いくら国営企業だといっても、税金までは決められない。だから、プーチン自身も、朝の4時まで交渉を見届けていたのだと思われる。まったく独裁者というのも、楽な商売ではない。

ただしこの結果は、ロシアの交渉戦術の失敗だけで生じた、というより、もともとそれだけ不利な闘いだったと見るべきだろう。交渉の基本的な優劣は、せんじつめると、双方がどれだけたくさんBATNAを持ちうるかで決まる。中国も確かに石油・ガスの一大輸入国だが、選択肢(売り手)は世界中に探しうる。しかしロシアが抱えるシベリアのガス輸出の選択肢(買い手)は、どう見ても地理的に限られているからだ。交渉戦術だけで、この差をひっくり返すのは難しい。むしろ、今は「金額」より「合意のタイミング」の方が重要だ、と考えて決断したプーチン大統領はさすがである。

もっともここまで読んだ方の中には、「お前は結局、何が言いたいんだ」とイライラする人もおられるかもしれない。プーチンをほめてるのか、けなしてるのか。ロシアと中国は親密なのか疎遠なのか。いったいどっちなんだ!?

別にどちらでもない。わたしはプロジェクト・アナリストとして、シベリア天然ガス開発というメガ・プロジェクトの一局面を、限られた情報からザッと分析してみたまでだ。ちょうど、株式アナリストが企業のニュースから、業績の上下を予測するように。今後、取引の詳細が明らかになるにつれ、この分析の当否も明らかになるだろう。

リーダーの人格論や好き嫌いだけで、仕事の成果を評価するやり方は、わたしはとらない。株式アナリストが、経営者の人柄や会社への好き嫌いで株価を予想しないのと同じである。

人格論や好き嫌い、仲の良しあしといった、人間関係のアナロジー(類比)で国家レベルの事案を解釈するのは、たしかに素人にもわかりやすい。しかし予測には適さないと、わたしは考える。現実はもっと複雑だからだ。大企業間の交渉や国家間交渉というのは、握手しながら、同時に空いている方の手で、互いにスキあらば殴り合っているようなものだ。たとえばそれは、最近の中国とイランの石油をめぐる関係を見ればわかる。だが、例によって長くなりすぎた。この話は、次回書こうと思う。

(追記:直近のニュースによると、ガスプロム社のメドヴェージェフ副代表は、中国は頭金として2.5兆円を払い込む約束だと行っている。ただし、このプロジェクトには、ロシア側だけで5.5兆円、さらに中国側パイプライン等でさらに2.2兆円を必要とする。だからロシアは制裁で苦しい中を、さらに資金調達に走らなければならない訳だ。なお、ガス価格については相変わらず口をつぐんでいるが、専門家の間では$10.7という観測も出ている--International Oil Daily紙による)
by Tomoichi_Sato | 2014-05-24 20:28 | ビジネス | Comments(0)
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