早春が好きだ。
3月、コブシの白い花が空に向かって問いかけるように咲きはじめる。まだ冷たい空気の中にも、草木の芽吹く気配がする頃。一年で一番美しい季節になったな、と思う。そういう気持ちは、年を追うごとに強くなる。昔は季節などに興味はなかった。いまは歳をとってきたせいか、少しずつ花が咲き、いのちの生まれかわるときが心にしみる。 3月は卒業と進級、別れと新しい決意の季節でもある。なにか未経験のことにチャレンジし、衣を脱ぐように古い自分から脱皮したい。そんな気持ちをいだくことも多いだろう。望み、あこがれ、訣別、スリル、そして少々の怖れ、いろいろな気持ちが混じりあって新しい決意を形づくる。 「決意」から「実現」へと向かって進むために一番大切なのは、もちろん自分の強い気持ちである。気持ちとはすなわち、意思であり、感情であり、好みでもあり、また気合いでもあろう。それらをひっくるめて日本語では「気持ち」と呼ぶ。これは理屈とか技術とか計算とかとは別のものである。今日はこの気持ちの持ち方について、書いてみたい。 去年の何月頃だったか、外で晩飯を食っていたら、テレビでナイター中継をしていた。9回の裏に劇的な逆転になって、ファンは大喜びだ。早速、ヒーローインタビューが始まった。逆転打を放った選手に、インタビュアーが質問を放つ。 「××さん、今の気持ちはいかがですか? 」 選手がそれに答えると、さらに2つ3つと質問を重ねる。 「途中、 4点差まで引き離されましたよね。その時はどう感じましたか?」 「9回表、何とか守りきったときのお気持ちは?」 「最後の打席で、第二球目を打った時の感触は? 」 質問の細部まで正確に記憶しているわけではないが、内容はずっと“どういう気持ちですか”だった。ヒーローインタビューというのは、ファンが選手の受け答えに一緒になってワーッと歓声を上げるのが目的みたいなものだから、これでいいのかもしれない。でも、もう少し気の利いた質問もありそうなものだ。どんなコンディションだったかとか、監督の指示はどうだったかとか、何が一番難しかったかとか。そうでないと、試合の面白みが分からないじゃないか・・ちょっぴり不思議であった。 この時以来、状況や考えではなく、気持ちをもっぱら興味の中心に置くアプローチを、「今のお気持ち」主義と、わたしは勝手に呼ぶことにした。一流のアスリートというのは、頭が良くなくては、なれない職業だと、わたしは思っている。筋力や運動神経だけでは十分ではない。工夫も計画も作戦もあって、はじめて本当のトップ・プロになれるのだ。アスリートに限らず、どんな分野のプロだって同じだろう。だとしたら、なぜ相手に『お考え』を質問しないのか? それは、チームの成果を最終的に決めるのは、理性でも技巧でも運でもなく、やる人の「気持ち」だと皆が信じているからだ。気持ちのあり方で、試合の結果を理解したいのだ。 わたし達の脳は『ものごとを説明する』ことをつねに求めている。よく分からないものがあると、不安で、それこそ「気持ちが悪い」のだ。たとえば三回転半ジャンプの技巧と危険などは、素人にはほとんど理解できない。しかし、それをやる人の「気持ち」だったら、誰にも推察できる(ような気がする)から、納得感がある。ものごとの帰結を、『やる人の気持ち』で説明する問いかけが増えていくのだ。 「どんなことでも、やる気になればなんとかなる」「なせばなる」--そういうテーゼを、人は求めているらしい。いかなる苦難と逆境にあえいでも、強い意志さえあれば、最後は成功できる。そうした物語は、落ち込んだ人の心を、再び立ち上がらせる効能がある。「今のお気持ち」主義の背景には、そんな物語へのニーズがあるのだろう。 「どんなことでも、やる気になればなんとかなる」で、全面的に成り立っている娯楽が、昔の『講談』だったと、作家の橋本治はいっている。講談は江戸時代から昭和初期まで、ずっと人気のある娯楽だった。今、その伝統は、主に少年マンガが受け継いでいる(少年マガジンの発行元は、その名も「講談社」だ)。 講談的な物語は、なぜ多くの日本人の心をつかむのか。それは、もっと古くて強力な考え方、すなわち「人の能力は、生まれつきで決まる」という思想への、アンチテーゼだからだ。センスや素質のない奴に、いくら教えたってダメだ。上に立つべき人間は、それなりの器であるべきだ。そんな風な言い方は、身の回りにごまんとある。 人が生まれつき持っている資質が、成果を左右する最重要ファクターだ、という意見はとても根強い。だから「素質のある人を早く見出し、リーダーシップを発揮できるポジションに早くつける」ことが大事だ、との主張が生まれる。ビジネススクールの教師など、いかにも言いそうだ。いわゆる「エリート養成機関」を出た人たちも、同種の意見の持ち主が多い。 この「資質主義」を徹底していくと、教育は“育てる”より“選別する”ことが第一義になっていく。日本の入試制度は、まさにこの思想を強く反映している。 そして資質主義の最たるものは、血統主義である。講談が生まれたのは、身分制社会の時代であったことを思い出してほしい。士農工商の差別と桎梏の時代にあって、下層出身者が、強い意思とやる気だけで戦国をのし上がっていく講談は、多くの人々にうけたにちがいない。 いったい仕事の成果は「やる気」で決まるのか「資質」で決まるのか。どちらが主でどちらが従なのか。ここでは、その問いに答える代わりに、「今のお気持ち」主義がもつ問題点を考えてみよう。 「今のお気持ち」主義の最大の問題点とは、「予測がうまくできない」ことにある。“あの人があんなに熱心に取り組んだのだから”という予測(願望?)だけでは、結果は見通せない。そもそも気持ちというのは、ふらふらと変わりやすく、しかも客観的にはうかがい知れぬものである。そのうち「気持ちメーター」が発明され、「気持ちが4.6点まで上がっているから、あとジャンプ3回は大丈夫よ」と判断できる世の中がくるのかもしれぬが、来ないかもしれぬ。来ないような「気が」する。 「今のお気持ち」主義のもう一つの危険性は、精神主義への傾斜と、客観的な事実把握の軽視である。当然だろう。“気合いさえあれば必ず乗りこえられる”のだから、現実を直視するとか、数字で客観的に測るといった行為は、ムダなばかりでなく、意思の力をそぐから、嫌われるようになる。もちろん、数字にもとづく作戦立案とか、オペレーションズ・リサーチ(OR)なども軽視される。ビジネス社会でも、ときおり見かける傾向である。 しかし、「気持ち」中心主義の一番まずい点は、別にある。それは、成功していない者に対して、激励ではなく、逆に排撃に働くことである。「どんなことでも、やる気になればなんとかなる」というテーゼは、「成功していないのは、やる気がないからだ」と等価である。社会の『負け組』、底辺にいる奴らは、やる気がないのだから、酷い扱いを受けて当然だ、との考え方がここから出てくる。身分制思想よりも、ある意味もっとひどい、苛烈な差別感情である。 もちろん、新しい決意を成功に向けるため、いちばん大事なことはやはり「気持ち」であり、やる気の持続である。ただ、気持ちだけでは、足りないところがあるのだ。別に素質や生まれや血統のことではない。それらは、あるに越したことはない"nice-to-have"だが、今さら自分ではどうにもできない。そうではなく、「気持ち」や資質とは別に、知っておくべき「考え方」「やり方」があるのだ。たとえば、上記のヒーローインタビューで、「気持ち」を全部「お考え」に置きかえたら、どんなに質問の雰囲気がかわってくるか、ためしに見直してみてほしい。 新しくチャレンジする事柄や分野はいろいろでも、そこに共通する方法論が、じつは存在する。ちょうど、様々な挑戦の分野をアプリケーション・ソフトにたとえると、どれにも共通の土台となるチャレンジのOSのようなものだ。 たとえば、「気持ち」はうつろいやすいものだが、どう支えて維持していくか。そのための大事な方法が、同じ志を持つ仲間をつくり、交流のための「場」を作ることだ。--なあんだ、そんなことか。誰でもやってらあ、とお思いだろうか。だが、方法として自覚して選ぶことと、たまたま結果としてそうなったことでは、大きく違う。 本サイトの大事な目的の一つは、「チャレンジのOS」の仕組みと道具を、ひとつひとつ取り上げて検証することだ。そうした道具立ては、多くがプロジェクト・マネジメントやプログラム・マネジメントの技術と通底する。プロジェクトとは、人々が協力して一度限りのゴールをめざすものなのだから、当然かもしれない。ともあれ、新しい決意のこの季節に、本サイトが読者にフレッシュなヒントを少しでも提供できれば、望外の喜びである。 <関連エントリ> →「クリスマス・メッセージ:求めよ、さらば与えられん」
by Tomoichi_Sato
| 2014-03-18 23:15
| 考えるヒント
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Comments(1)
Commented
by
774
at 2014-03-19 00:37
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「今のお気持ちは?」って質問するのは、単にインタビュアーの能力不足だと思ってた。
--- 「士農工商」って、1990年代ごろからは認識が変わってきているらしいです。
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