半年ほど前のことだが、好川哲人氏の主催する「プロジェクトマネージャー養成マガジン 1000号記念セミナー」というイベントに参加した。好川さんはPM業界(?)における著名なコンサルタント兼エヴァンジェリストである。プロジェクトマネージャー養成マガジンという密度の高いメルマガを、ほとんど一人で書いて毎週何本も発信し、累計1000号に達したというのは、この分野にかける情熱の証拠であろう。16,000人ものの購読者がいることが、それを裏付けている。
さて、ラ・フォンテーヌ汐留で開催されたこのイベント、たしか30人近い人たちが参加した。その多くはIT業界である。好川さんは最初にキーノート・スピーチとして問題提起をされた。多くのプロマネにとって、仕事が苦しくなってきているというが、それをどう打開するべきか。苦しくなってきている、の箇所は、統計的な証拠を示したり会場の意見を聞いたりして、ほぼ全員の賛同するところとなった。その先の論理展開については、好川さんの言葉どおりというよりも、わたし自身の解釈(誤解?)も交えた形になるが、こんなストーリーだったと思う。 従来、日本企業では、組織のサポートが不十分なままプロジェクトをプロマネにまかせ、足りないところは「リーダーシップ」を発揮しろ、とやってきていた。ところが過去10年間かけて、PMBOK GuideやPMPの資格が次第に浸透・普及してきた。これととともに、組織のサポートはしっかりして来つつある。また多くのIT系企業では、PMO(Project Management Office)組織も設立され、プロマネを支援・指導するようになった。 だが、その結果、プロマネの仕事はしだいに『中間管理職』化してきている。わたし自身、PMOの仕事を何年もやったから知っているが、あれはプロマネから見ると一種の小姑のような組織なのである。うるさいことこの上ない。しかも、顧客から指定されるScope, Cost, Scheduleの制約条件=『鉄の三角形』は、ますます厳しくなるばかりだ。 この状態を脱却するために、プロジェクト・マネージャーはビジネスを創造する方向に、もう一度リーダーシップを発揮すべきだ、というのが好川さんの主張だと理解した。ここでいう「リーダーシップ」は、10年前に会社がプロジェクト・リーダーという名前の一担当者に押しつけていたそれとは、内容を異にしている。いわば、「リーダーシップ2.0」だ、という話なのだろう。好川さんはたしか、“マネジメント過剰・リーダーシップ不足”という表現もしていた。ジョン・コッターの定義を借りて、 マネジメント:現在のシステムを機能させ続けるために、複雑さに対処すること リーダーシップ:現在のシステムをよりよくするために、変革を推し進めること というのが氏の用語の使い方なのである。 (わたしがこのサイトで使っている用語の定義とは違うが、ここでその議論はしない。語の意味は、辞書的定義よりも、各人の文脈の中で理解すべきである。ちなみに『リーダーシップ』という語は、とくにアメリカでは後光を伴ったMiracle Wordであって、定義は千差万別なのに、皆がその内容を知っているつもりになっている不思議な概念だ。他方『マネージャー』の語は、アメリカではプランテーションの奴隷管理人を連想させる、鉄と鎖の匂いがあることを記憶されたい。) 近年のプロジェクト・マネジメントのあり方が、プロマネの手を縛って自由度を削減し、その覇気を萎縮させる方向に行っている、との告発は、ある程度わたしも賛成である。もちろん、プロマネ達がみな「一国一城の主」になって、“上納金(=利益)を払ってるんだから、会社は俺のやることに口をはさむな”とうそぶく状態が望ましいとは、思わない。逆に、困難に直面したプロマネを放置したり(あるいは叱責したり)する愚からも遠ざかった、といえよう。さらにリスク・レビューも真剣に行うようになってきた。その結果、企業でのプロジェクトの採算は向上した。だが、実は、“技術的に難しい(チャレンジングな)仕事は見送る”という、消極的受注選別の結果だという声もある。プロジェクト・マネジメント・システムの強化は、良い面ばかりではないのだ。 そこをブレイクスルーするのが、主体的なビジネスの創造だ、という主張はまあ、わかる気はする。けれど、わたしにはむしろ、目指すべき方向はプログラム・マネジメントではないかとも思えた。でも、その前にもう一つ、思い出したエピソードを紹介しよう。 昨年のPMI日本支部による、あるシンポジウム形式の席上だったと思う。わたしもパネラーとして壇上にならび、質疑の輪に加わった。最後に、司会者の方が、しめくくりの質問として、パネラー全員にこんな問いを発したのだ:「皆さんの会社におられるプロの火消し人が、愛読する書を教えてください」。 パネラーの中には、日本最大のICT企業出身で、傑出した火消し人として有名なHさんという方がおられたので、こんな質問が出たのだろうか。だが正直、わたしはこの質問に絶句した。自分自身が火消し人でないことはもちろんだが、わたしの勤務先には『火消し人』と呼ばれる者はいないのである。プロジェクトがトラブって、火を吹くことは無論ある。そのとき、PMOのメンバーが火消しに行ったりはしない。PMOは現業に手を出さないのが鉄則である。手を出したら、当事者が「仕事のオーナーシップ」=当事者意識を失うからだ。他の部署から腕利きのプロマネをリリーフ投入して助けたりもしない。 ではどうするか。それは、プロマネの上司が問題解決に踏み込むのである。上司はそのためにいる。わたしの業界では、トラブルは建設段階になって吹き出すことが多い。したがって、プロジェクト部門の部長やら役員やらが、問題を起こした海外の建設現場に1年も2年も駐在して、陣頭指揮をふるう例を何度も見てきた。その人はプロジェクト・スポンサーである場合も、そうでない場合もある。希にはプロマネが途中交代になることもあるが、原則は職制上の上司がカバーすることになっている(その間、同じ部門の他のプロジェクトは、別の管理職が管掌することになる)。 問題解決は、マネジメントの職能の一つである。必須の、重要な職能だ。これができなければ、プロマネ達のマネジメントはできない。つまり上司である意味がない。「成功したら、全部お前の手柄だ。でも万が一失敗した時には、骨は拾ってやる」--これがプロマネに与えるべき、一番大事なメッセージではないか。むしろわたしが不思議なのは、「火消し人」が存在する組織である。誰か、消火隊が機内に待機しているジャンボ飛行機に乗りたいだろうか。消防署員が常駐している化学工場の隣に、誰が住みたいだろうか。発注者の立場で考えた場合、プロの火消し人がいるようなSIerには、仕事は出したくないとわたしなら思う。 冒頭の、プロマネが中間管理職化して不自由になってきている問題も、火消し人のいる組織の問題も、根っこは同じだろう。それは、「プロマネの問題は、プロマネ・レベルで解決すべきだ」という考え方から生まれている。プロマネの悩みは、プロジェクト・マネジメントよりも上位のレベルでこそ対応すべきではないか。それはすなわち、通常の用語では「プログラム・マネジメント」レベルということになる。そして、その仕事は(PMOなどではなく)職制上のラインが引き受けるべき仕事である。プロマネよりも一段階上のマネジメント・レベルの重要性に、もう少し皆が気づけばいいのにと、その時以来、わたしは思い続けているのである。
by Tomoichi_Sato
| 2012-06-24 22:44
| プロジェクト・マネジメント
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