先日、コンサルティング会社の方の訪問を受けた。日本の化学産業の課題について、エンジニアリング会社の視点から意見を聞きたいのだという。難しいテーマだが、何かヒントになることくらいは言えるかもしれないと思い、同僚と一緒にヒアリングを受けることにした。
相手は若くて優秀そうなコンサルタントの方が2名だった。まず先方が、自分達の考える仮説です、と前置きして、見解を述べられた。日本の化学会社は、いわゆる汎用化学品の大量生産から、機能性材料や医薬・農薬原材料などの高付加価値な化学品の生産にシフトしている、という。さらに、国内の限られた市場から脱して、海外展開する方向に向かっている。だから、これからは海外で高付加価値製品を作る化学プラントを建てていくだろう、との仮説をたてています、という。 ここで知らない方に注釈しておくと、化学業界では、汎用化学品をバルク・ケミカル、高付加価値の化学品をファイン・ケミカルと呼ぶ習慣である。言葉自体に現れているように、前者はバルキー(大量)であり、石油ナフサなどから製造する。後者は精密ないし細かい品目の製品であり、前者を原料として作る。たとえて言うなら、化学業界は一本の樹のようなもので、太い幹はバルク・ケミカルに相当し、それらが次第に細く枝分かれしていき、枝の先にファイン・ケミカルという花や実をつけると思えばよい。 このコンサルタント氏の仮説は、材木をつくる商売から、花や実を売る商売に、業界がシフトしつつある、というものだ。そこまではわたしも同意だった。似た分析をして、数年前に学会で講演したりもした。また、化学会社が生産の海外展開を考えているというのも、その通りだろう。しかし、だから海外にファイン・ケミカルのプラントを作りたがっていると言えるのか。A→Bはわかるし、B→Cも同意しても良いが、だからA→C、とビジネス戦略の世界で単純に推論できるものだろうか? わたしは少し疑問を感じて、質問した。「バルキーな汎用品は、体積のわりに単価が低いから、輸送費がかからないように需要地の近くで生産する、というのなら分かります。しかしファイン・ケミカル製品はずっと高価で、量は少ないのです。輸送費は問題にならないのだから、日本で高品質なものを作って輸出していてもよさそうじゃないですか?」 相手は自動車産業などの例を挙げながら、日本製造業の海外展開の流れについて力説した。たしかに機能性樹脂のうち、自動車向けの材料は、現地生産せざるを得ないだろう。なにしろ顧客は納期にうるさい自動車業界である。しかし、それ以外のファイン・ケミカル品は現地生産の必要があるのだろうか。わたしはもう少し質問した。「もし、その仮説が本当ならば、先行する米国や欧州の巨大化学会社も、アジアその他にファインの工場ばかりをたくさん持っているはずですが、事実でしょうか? そもそも、バルクを切り捨てて、ファインだけで生きている化学メジャーなんて存在しますか?」 しかし、向こうも逆に聞き返してきた。「ファインは高収益で、バルクは儲かりにくいはずなのに、なぜバルクを抱え続けるのでしょう?」--わたしは理由を探して、少し言葉に詰まった。すると、同僚が助け船を出してくれた。「ファイン・ケミカルの市場はvolatilityが高いので、それだけに頼るとリスキーだからでしょう。」 Volatilityの元の意味は『揮発性』だが、マーケットについて言うときは価格や需要の変動の激しさを言う。機能性材料など特殊品の世界は、価格よりも仕様の競争になる。とくに電子材料の世界は、「シリコン・サイクル」に似た需要の激しいアップダウンが起きやすい。たとえば携帯電話用の導電性樹脂を開発したとしても、その携帯が半年後に世代交代して売れなくなってしまえば、需要激減である。ファイン・ケミカル品は、良い用途が見つかれば、急成長する。量も少なくてすむから、プラント設備を新設する必要はない。マーケットに追随するのは早いが、すたれるのも早いのだ。 それにくらべて、エチレンやプロピレンやパラキシレンに代表されるバルク品の世界は、大規模な製造プラントが必要とされる。建設するだけで2年も3年もかかる。ただ大資本が必要だから、他社は急には参入しにくい。マーケットの需要も比較的安定している。たしかに汎用品は価格勝負だ。利幅も小さい。それでも、安定して量がさばけることは、ビジネス上のメリットでもあるのだ。 わたしは生態学における「r戦略」と「K戦略」のことを思い出した。この用語は、生物の個体数の増加を表すロジスティック関数の、二つのパラメーターrとKからとられている。rは成長の早さを表していて、r戦略をとる生物は、「早く子孫を作る戦略」に賭けている。早く成体になるために体は小さくていい。一度に多くの子を産卵する。チャンスがあれば、さっと増えていく。いわば『ネズミの戦略』である。ファイン・ケミカル品によるビジネスは、このr戦略を思わせる。そのかわり、環境が厳しくなると、小さな体の個体は生き延びることが難しい。 K戦略とは逆に、個体が多少の環境変動にも絶えて生き延びることを狙っている。だから必然的に、体は大きくなる。いわば『ゾウの戦略』である。むろん大量の資源(食料)を必要とする。バルク・ケミカル品はK戦略と言っていいだろう。ただし成体になるまでに長い時間がかかるし、一度に生む子どもの数も限られている。だから急に数が増えたりはできない。安定志向だが、ネズミよりは絶滅しにくいのである。 そして、世界の大手化学会社を見る限り、この二種類の戦略をミックスして、適度なバランスを保っているように思えてならない。どちらかに偏りすぎると、環境変化に適応できなかったり、絶滅しやすかったりするのだ。<高付加価値化>、<海外展開>のトレンドだけを足し算して考える訳にはいかない。くだんのコンサルタント氏たちは、だから「もう一度、検討し直してみます」と言って、帰って行かれた。 不思議なことに、ゾウの頑健性(Robustness)とネズミの敏捷性(Agility)の両方を、完全な形で兼ねそなえた生き物はいない。これは生物というもの、あるいは一般的にシステムというものが本質的にもっている矛盾なのかもしれない。二つの目的関数、あるいは生存のための評価尺度があり、前者は積分的、後者は微分的な性質であるとき、両者の間にはトレードオフの関係が生じるらしい。 である以上、わたし達は『戦略』を語るとき、それがr戦略(早さ)なのかK戦略(安定)なのかを、つねに自覚しておく必要がある。企業は幸い、複数の製品や事業分野をポートフォリオとして組み合わせて持つことができる。その中で戦略のミックスを試みることも可能だ。ただ、その中の個別の決断については、自分が今どちらを優先して、どちらを犠牲にしているかを意識しておくべきなのである。
by Tomoichi_Sato
| 2012-03-12 23:56
| ビジネス
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Comments(4)
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素人刀鍛冶
at 2024-07-12 01:49
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「前者は積分的、後者は微分的な性質~トレードオフ」ですが素晴らしい。まるで久保田博士の「材料物理数学再武装」を読んでいるような感覚を覚えました。
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マクロ経済学
at 2024-07-14 16:14
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「材料物理数学再武装」か。関数接合論ですね。
1/h^n=1/f^n+1/g^n、 第一式おもしろい着想ですね。経済学のホットな話題として財政均衡主義と現代貨幣理論(MMT)の競合モデルの方程式や関数なんてものはできないのでしょうかね。
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グローバルサムライ鉄の道
at 2024-08-19 08:48
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最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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グリーン経済成長
at 2024-08-27 08:56
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世界自動車戦争といわれて久しいが、やはり世界を引っ張るハイブリッド日本車の技術力の前に、EVシフトは不調をきたしていますね。特にエンジンのトライボロジー技術はほかの力学系マシンへの応用展開が期待されるところですね。いくらデジタルテクノロジーを駆使しても、つばぜり合いは力学系マシン分野がCO2排出削減技術にかかってくるのだとおもわれます。
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