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クリスマス・メッセージ: 地には平和を


Merry Christmas!

一日の始まりをどこにとるかは、地域や分野によって様々だ。わたしたちは現在、太陽が南中する正午のちょうど裏側、深夜に一日の始まりをおいているが、このような習慣は各戸に時計があるのが当たり前になってきた近世以降のものに違いあるまい。日時計や水時計しかなかった中世以前にとって、深夜に一日の切り替わり点を置くのは不便だったはずだ。だから、日の出や日没のように、誰の目にも明瞭な気象上のタイミングを選ぶのが自然だろう。

古代の中東・パレスチナでは、一日の始まりは日の出ではなく日没だった。夕暮れになると新しい日が始まるというのは、わたし達の習慣からすると奇妙な感じがするが、これは慣れの問題なのだろう。だからクリスマス・イヴというのは、まさにクリスマス(降誕祭)の日の始まりであって、祝うのは当然なのだ。クリスマスに限らず、大晦日の夜をNew Year Eveと呼んだり、そのほか何かにつけ前夜祭を祝う習慣が西洋人にあるが、これは一日の始まりを日没とした中東の伝統を引きずっているわけだ。

一日の始まりもさることながら、新年の始まりのタイミングを今のような、冬の途中に置く理由が何なのか、わたしは時々不思議に思う。太陽暦ならいっそのこと冬至に合わせればよいと思うのだが。ちなみに1月1日もキリスト教では祝日に当たるが(だから西欧諸国ではその日だけは仕事もお休みだが)、わざわざそれを選んで新年にしたのだろうか。南半球では真夏の直前に新年が来るわけだが、これもどういう気分なのか、うまく想像できない。

今年は家族の事情のために、年賀状ではなく欠礼状を用意する状況になった。それはともかく、欠礼状は文面に悩む必要があまりない。しかし知人友人には、賀状をどういう文面にしようかちょっと迷っている、という人が多い。なんだか単純に“謹賀新年”でもないしなあ、というのである。その気持ちはよく分かる。あれほどひどい災害のあった年を過ごし、新しい年はせめてもっと良い事があるように祈るのは当然の気持ちだ。しかし、謹賀新年だけでは、気持ちに切実感が足らないのである。

今年1年のことを思い出そうとすると、たしかに3月のあたりで記憶がぽっきり折れて、時間が続いていないように感じる。むろん、日誌を読み返せばたしかに日々の記録はとってある。だが、あの震災と津波と原発事故の恐ろしい日に、もう日本がすっかり変わってしまったのだと感じた人は多かったはずだ。ちなみに、わたし自身がこの1年間、何をどう考え、感じてきたのかを、このサイトに書いた記事からたどって振り返ってみると、こうなる。

1月の最初は3つのリーダシップ・タイプを論じて始まったのだった。それから、仕事の最小単位であるアクティビティの構造を理解するレクチャー。そしてビジネスにおける「政治的」であることの意味を考える話。これが2月末だった。ついで入学試験の不正に絡んで、人材のサプライチェーンの話題。

ここで震災が起きたのである。「休めない人々」は翌3月12日だった。それからあの馬鹿げた「計画停電」の日々。それを批判するため「計画技術者の目から見た『計画停電』」を書いた。さらに「危機における技術のマネジメントとは」「安全第一とはどういう意味か」あたりまでは、一般論として名指しは避けたが、どこの誰のことを念頭に置いて書いたか、読まれた方にはおわかりだと思う。

「『正解のない問題』を考える能力」は多くの方の目に触れた記事だった。ここら辺からわたしは、現代日本の社会におけるマネジメント能力の貧困に目を向けるテーマを多く選ぶようになった。「トラブルの『技術的解決』と『マネジメント的解決』はどう違うか?」「「責任」には三つの意味がある」「ヒノモト家の人々 - マクロ経済学的素描」「知識労働、肉体労働、そして『感情労働』」などがそれである。しかし、こういう記事だけでは堅苦しくなってしまう。そこであえて若手向きに「仕事のレポートはこう書こう」や「新任リーダー学・超入門」シリーズをはさんだりもしたのである。

首都圏における生活が震災の直接の影響を抜けて、なんとか「日常生活」化してきたのは、暑い夏の頃からではなかったか。わたしも、自身が主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」をスケジューリング学会で立ち上げ、そのほか講演依頼が9月10月にいくつか重なったりした関係上、なんだか多忙な秋だった。その講演テーマがリスクと問題解決に関わるテーマだった関係もあって、撤退に関する「ストップ・ロス・オーダーと撤退の知恵」「埋没コストの原理、または撤退の判断はなぜ難しいか」「失敗の無限ループから抜け出すマジックナンバー『5』」のシリーズを書いたりした。

「そんなものを戦略というのですか?」も、多くの読者を集めた記事だった。どうも、ネットの世界では『戦略』というキーワードが人気らしい。わたし自身は、あまり積極的に使う言葉ではない。ところがどういう巡り合わせか、11月から経営企画部門に移ることになり、いやでも毎日その言葉に直面することになってしまった。

こうしてみると、わたしのこの1年間のテーマは、マネジメントとリスクとの二つの焦点をめぐって楕円のように周回していたような気がする。

それにしても、ちょうど1年前の12月に、わたしはチュニジアの首都チュニスに日本アラブ経済フォーラム出席のため出張していたのだった。その時は、まさか29年間続いていた長期政権が、その直後わずか29日間で崩壊することになるとは思いもしなかった。わたしの観察眼のなさと言ってもいいが、あのような政治的地殻変動を予見できた専門家が、他にどれだけ居ただろうか。小国チュニジアで起きた地滑りは、津波のようにアラブ世界を襲ったのだった。

そのような潮流は時を同じくして、世界のあちこちで発生している。この1年間、ひどい変動に揉まれなかった国の方が少なかったくらいだろう。世界は今、政治の時代に移ろうとしているように見える。経済の時代が、ここしばらくは続いていた。経済が穏やかに安定している時には、政治は動きを止めていく。しかしその淀みの中でいつの間にか不条理と不満が発酵していく。そして経済が一旦つまずくと、民意が沸騰して政治の時代に表裏反転してしまう。

経済の時代は、ルールの枠の中で競い合う経済合理性の、言いかえれば計算づくの理性の時代である。そこでは予測が成り立ちやすい。あいにく、政治の時代はルールを作るための闘争の時代であり、感情の時代になる。予見しがたい、リスクの大きな時代と言ってもいい。

そうした時を生き抜くために必要なことは、たぶん二つなのだろう。一つは、変化に機敏に対応できる『勇気』を持つこと、もう一つは、ゆるがぬ道しるべとなる『価値観』を持つこと、なのではないか。それはつまり、今この瞬間を大切に生きろ、ということかもしれない。二千年前にパレスチナで生まれ、激動の時代を走り抜けた賢者も言ったというではないか、明日なにを食べ何を着ようかと思い煩うなかれ、一日の悩みは一日にして足れり、と。

あの恐ろしい災害の後の時代を、わたし達は生きている。生き残ったわたし達に託された宿題は何だったのか、新年に移り変わるひととき静かな今の季節に、もう一度考えなくてはならない。そのためにも、ひととき、この地上が平和でありますように。
by Tomoichi_Sato | 2011-12-25 23:56 | 考えるヒント | Comments(0)
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