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「探し物」という名前の時間泥棒

ある工場に調査に行った。工場は2階建てになっていて1階に機械加工工程、2階に組立工程がある。ごく典型的な日本の工場レイアウトだ。金属部品を削ったり曲げたりする部品加工は、しばしば大きくて重たい工作機械を使う。だから1階に置く。他方、手作業中心の組立工程はさしたる設備は必要ないので、2階になる。これを逆にすると、2階に重たい機械を並べることになり、床荷重の確保や振動の防止、耐震強度などで建物に余計なコストがかかることになる。ちょうど戸建て住宅の設計でも、冷蔵庫や風呂桶など重い物のある台所や風呂場などは1階に置くのが通例であるように。

ところで、住宅の玄関が1階にあるように、工場の資材・製品の入出荷場も、普通は1階にある。家が斜面の途中にでもない限り、わざわざ2階から出入りするような口は作らない。組立工程は2階にあるわけだから、できあがった製品は1階に下ろし、逆に加工の終わった中間部品類は2階に上げなければならない。こうして、工場には必ず縦の物流動線が必要になる。そして、搬入した素材部品、加工した中間部品、ならびにできあがった製品の置き場所も必要だ。これらをどうレイアウトするかで、じつは工場の生産性はけっこう左右される。

さて、調査に行ったその工場で、組立ラインのそばに立ち、作業の様子を見ることにした。ちょうど生産は最盛期で忙しいはずの時分だった。だが、どういうわけか組立工程の作業者が寸暇を惜しんできびきび立ち働く、という感じを受けない。組立作業は奇妙に断続的に、ある意味では間延びしたテンポで行われていた。働いている人の顔は真剣そのもので、のんびりした表情はない。ただ、見ていると、数名一組で作業班が編成されているのに、その中の1,2名が、つねに作業場から出たり入ったりして持ち場から居なくなるのだ。

しばらく見ているうちに、だんだんと理由が分かってきた。持ち場を離れた作業者たちは、部品か工具のような物を手にして戻ってくるのだ。どうやら何か捜し物をしにいくらしい。この組立ラインには、主要部品は工程担当者が手押し台車で搬送してくる。また主なサブ部品は、作業場横の常備品棚に置かれている。だが、それでは足りない部品がしょっちゅう出るらしい。

組立ラインから中間部品倉庫に回って歩いてみて驚いた。倉庫は組立を待つ部品で一杯で、入らずにあふれた物が、近くのフロアに所狭しと床置きされている。この工場はすべての部品にきちんと現品票をつけているのだが、それでもこの中からめざす物を探すのは一苦労に違いない。中間部品倉庫の位置と大きさが適切でないせいで、こういう状態になっているのだろう。組立工程の作業者は、しばしば捜し物のために時間を奪われ、組立のスピードが落ちる。すると中間部品の消費が減るので、さらに倉庫の物が増え、捜し物がもっと大変になるというダウン・スパイラルが生じている。

あるいは、たぶんこの工場だって、20年以上前に建てられた時にはこれで十分だったのだろう。しかし、顧客の特殊仕様によるバリエーションが増えて、必要な部品の種類が増大し、現場の常備品棚や中間部品倉庫に収まりきれなくなったのかもしれない。いずれにせよ、この工場では組立がボトルネック工程のようだから、工場全体のパフォーマンスが、少なく見積もっても5%くらい落ちている、と推測された。工場のレイアウト設計は、かくも重要な問題なのだが、いまはそこには深入りしない。

わたしが問題にしたいのは、捜し物をしている作業者は、一所懸命に働いていると自分で考えているだろう点だ。たしかに、彼らが仕事をさぼっているとは、誰も非難できない。捜し物が出てこなければ、製品は出荷できないのだから、必要な仕事でもある。だが、この捜し物の時間は、付加価値創造には何ら結びつかない時間なのだ。

ミヒャエル・エンデの童話『モモ』には、“時間どろぼう”なる連中が出てくる。彼らは大人たちをたぶらかして、その時間を盗んでしまう。おかげで人々はゆとりを無くしていつも忙しく生きている。わたしは著書「時間管理術」を書いた際に、タイム・マネジメント能力を向上したいと思うのなら、自分の仕事にとって何が“時間どろぼう”なのかを考えてみるべきだ、として練習問題をつけた。また、タイム・マネジメントについて学生に教える際も、何が自分の“時間どろぼう”だと思うか聞くことにしている。通学時間、TVを見る時間、ネットで費やす時間、答えは様々だ。

この工場の例では、「探し物」が明らかに“時間どろぼう”だった。困ったことに、探す作業は主観的には立派に仕事をしている時間なのだ。タイム・シートをつける職場ならば、当然、作業時間として記録する。でも、企業全体から見ると付加価値時間ではない。その無駄は、部品の適切な置き場所と、探しやすい置き方の工夫を怠ったことで生じる。

そして、わたしたちも同じようなことを、オフィスでしているのではないか、とときどき感じる。わたしの職場のPCのハードディスクにはフォルダが何百も(もしかすると何千も)ある。ファイルサーバのフォルダ数は、その何倍もだ。そしてキャビネットに収められている膨大な書類ファイル群。その中をしょっちゅう、ひっくり返して何かを探している。米国のデイヴンポートという人によると、オフィスワーカーは平均して年間に140時間も、探し物に費やしているのだという。つまり、12ヶ月のうちほとんど1ヶ月は、無付加価値のことで時間を費やしているのだ。

なぜモノが見つからないのか。それは整理整頓の問題だ、という人がいる。たしかに正論だ。だが、「整理」と「整頓」を一口でいっしょにしていいのだろうか。書斎の中の本を、女中は整頓できるだろう。だが、整理は主人しかできない。整頓はいわば物理的な保管場所の整列と、通路の確保である。ところが、整理は「探しやすい」ようにモノを並べることである。整頓がハードウェアの保全の問題だとしたら、整理はソフトウェアの要求定義の問題なのである。整理するためには、最低限、これから使うもの、いつか使うかもしれないもの、そしてもう使い終えたものの認識と区別が必要だ。こういう当たり前の習慣を作らぬまま、やれITだマネジメント・システムだと流行り言葉を弄しても、空しいだけだと思うのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-30 22:41 | 時間管理術 | Comments(0)
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