持続不可能性―環境保全のための複雑系理論入門
原題は"Fragile Dominion"。『はかない住み処』の意味である。本書は、京都賞を受賞した数理生態学の大家S. Levinが、一般人向けに書いた(珍しく数式が一つも出てこない)生態学の集成である。 著者レヴィンの主たる業績は、空間生態学にある。従来は生物相の時間的遷移を扱う学問だった生態学に、空間分布とスケールの意味概念を計量的に持ち込んだ。彼の論文"The Problems of Scales and Patterns in Ecology"は'90年代を通して生態学で最も広く引用された論文だと言われている。私は'80年代の後半に、米国東西センターの環境政策研究所にいて、生態学におけるスケールアップ問題を研究しており、このときの縁でレヴィン博士の知己を得ることができた。 さて、本書でレヴィン博士は、地球の生態系を「複雑適応系」だと定義している。『複雑系』の概念は、サンタフェ研究所が中心となって'90年代に発展し広く普及したが、レヴィン博士はこの思潮に一役買っているらしい。生態系を機能と構造から考える、というのが米国の生態学の主流だが、ここに「目的論」の観点を密輸入する傾向が、以前からあった。彼はこれを警戒して、「エコシステムの生成は適応の結果であって、合目的な意志が働いている訳ではない」と繰り返し主張している。 長い年月をかけて織り上げられた、この地球のエコシステムは、しかし人間活動と欲望のために危機にさらされている。これが、原題『はかない住み処』の問題意識であった。彼は生態学(生物進化学を含む)の発展経緯と視点を丁寧に記述して、生物多様性とエコシステムのパターンが、生物の局所的な適応戦略から発生してくることを説明する。エコシステムを、安定性と自己修復性を持つ実体的な概念(つまり“生き物”)ではなく、パターンとして理解する著者の立場は非常に明瞭で、説得力に富んでいる。 しかし、レヴィン博士のこのような研究のアプローチは、どこかで適応と進化の「ゲーム理論」的な生物観をもたらす危険性をはらんでいる。それは、彼の活躍してきたアメリカの知的風土においては、とても自然なものだったのかもしれない。じじつ、京都賞の受賞記念講演で、レヴィン博士は「囚人のジレンマ」の例を引き、生物行動のモラルの発生を突き止めたい、と言っていた。生物界には、「利他的」としか言いようのない、不思議な現象が時々ある。それを、めぐりめぐって最終的には自己や自種の適応可能性を高めるから、という視点から説明しようという、いかにもネオ・ダーウィニズム的な研究アプローチである。 しかし、本当にそういう説明ですべてが納得できるのだろうか。進化ゲーム理論やネオ・ダーウィニズムには、競争原理はあれども、協働原理は存在しようがない。前提条件から排除されているからだ。 素人の私が、直感だけに頼って発言しても、何の意味もないことは重々承知している。ただ、本書の結論にある環境管理のための8つの提言の、奇妙なインパクトの弱さは、レヴィン博士を含むアメリカ現代科学が見過ごしてきた、協働原理の欠落によってもたらされたものではないか。彼の知性と、ユーモアに満ちた人柄に敬意を持つからこそ、この点についてあらためて考えてみてほしいのである。
by Tomoichi_Sato
| 2011-04-29 18:21
| G 書評
|
Comments(0)
|
検索
カテゴリ
全体 A 生産マネジメントとSCM A1 生産マネジメント全般 A2 生産計画と生産スケジューリング A3 在庫・調達計画 A4 コスト・品質・安全 A5 BOM(部品表) A6 サプライチェーン B プロジェクト・マネジメント(PM) B1 プロジェクト・マネジメント全般 B2 スコープ・WBS・プロジェクト組織 B3 プロジェクト・スケジューリング B4 プロジェクト・コストと見積 B5 プロジェクトの価値とリスク B6 プログラム・PMO・ガバナンス C システムとしての工場 C1 工場計画論 C2 スマート工場論 D 情報システムのマネジメント D1 製造業のITシステム D2 ITアーキテクチャ・データ活用技術 D3 ITって、何? E ビジネス・マネジメントと管理技術 E1 マネジメントの技術論 E2 設計のマネジメント E3 組織・経営・戦略論 E4 ビジネスのソフト・スキル E5 時間管理術 E6 メンタルと働き方のマネジメント F 考えるヒント F1 思考とモデリングの技法 F2 社会・言語・文化 G 書評 H English articles 未分類 最新の記事
記事ランキング
著書・姉妹サイト
ニュースレターに登録
私のプロフィル My Profile 【著書】 「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書 「時間管理術 「BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務) 「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究 【姉妹サイト】 マネジメントのテクノロジーを考える Tweet: tomoichi_sato 以前の記事
2026年 04月 2026年 03月 2026年 02月 2026年 01月 2025年 12月 2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 more... ブログパーツ
メール配信サービス by Benchmark 最新のコメント
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||