「買い手の側のレベルをうまく計れる物差しってないものかしら。たとえばほら、会社がITにたいして出費しているエンゲル係数みたいなもので。」
--出費といっても経費と投資とがあるけれど、それを単純に合計していいのかという問題がまずある。それに、さっきもいったとおり、妙に独占的な規制があるために出費がかさむ場合はかえって不公平だ。 「それなら、電子メールの普及率なんてどう? あ、これは携帯電話の分が入ってくるから問題かしら・・」 --うん。電子メールの普及率だと、たぶん日本は世界一だと思う。それは悪いことではないだろう。でもね、道を歩きながら親指一本でメールを打ってりゃIT先進国なのか? 前にも同じ事を言ったけれど、オフィスでPCを配っても、みんながワープロとメールと表計算ばかりで、定型化されていないデータの卵みたいなのがあちこちのハードディスクに散らばっている状態って、決してIT化されているとは言えないと思う。 「お、久しぶりに出たわね、『定型化』」 --ちゃかさないでまじめに聞いてくれよ。営業マン一人一人にノートPCを配ってるけれど電子メールだけに使っている会社とさ、端末数は少ないけれど全製品の在庫数が正確にわかる会社と、どっちのITが進んでいるか、考えてみてほしい。 「後の会社の方だ、とあなたは言いたい訳ね。」 --そう。なぜなら客観的な事実認識に秀でているからだ。どんなにメールをばんばんやりとりしても、そこに曖昧な情報が行き交うだけだったら、あまりIT的とは言えない。ぼくにとってITってのは、このカーナビと同じ、事実のための道具だからさ。 「そしたら、社会における『カーナビ普及率』みたいなものが物差しになるんじゃないの? もちろんこれは喩えで言っているんだけど。」 --そういう、ツールの普及率だけに注目していてはダメなんだ。ツールの背後にあるものをみなくちゃ、本当のレベルは分からない。 「背後にあるものって、何よ?」 --このカーナビが動くためには何が必要か。これってどう働いているか知ってるかい? カーナビの基本はね、GPS=Global Positioning Systemといって、通信衛星をつかって自分の今いる場所を瞬時に計算する技術なんだ。これはもともと米国の軍事技術の応用だった。 「軍事技術がカーナビの背後霊だったわけね。」 --でも、それだけじゃない。もっと大事なものがある。それは、地図が完全に電子データ化されていることだ。地図のデータがなければ、自分がどこにいるか分かっても、道案内には何の役にも立たない。そうだろ? では、完全な地図のデータとはどうやってできるか? そのためには、まず自分の国の中がきちんと、小さな縮尺のレベルまで正確に測量されていなければならない。 「それって国土地理院とかがやっているんじゃないの?」 --そう。その点で日本はまあ合格だ。世界には、自国の詳細な測量ができていない国がじつはたくさんある。領土問題という障害もあるのかもしれないけれど、まず政府がそうしたことに意識をもつかどうかが問題だ。 次に測量結果が電子化されているかどうか、そしてそれが一般に公開されているかどうかだ。 「一般に公開、ねえ。日本ってここらへんからあやしくなってくるのよね・・」 --日本では地形図データは完全に公開されている。しかし、まだ次がある。住居表示が正確で、地図上に表現されているかどうかだ。目的地の住所が地図上でマッピングできなければ、カーナビにはならない。 「そんなの当たり前じゃない。・・え? ・・・ちょっと待ってよ。」 --じつは日本では、都市部をのぞいては、『字』の表示のまま、町丁目の境界線が曖昧なところがたくさん残っている。そもそも、地番の付け方が都市部でさえずいぶんぐちゃぐちゃだ。宅配便のお兄さんから、近所の住所を聞かれたことはないかい? タクシーで、町の名前と丁目をいえば正確につれていってくれるだろうか? 「そうよね・・。えーと、欧米だとね、住所って通りに面してついているの。知っているでしょ? 何々通りの何番、という具合に。だから、タクシーに乗って正確な住所をいえば絶対間違わずにたどり着けるのよ。通りさえ分かれば、番号は着実に順番通りになっているから。日本って、丁目の中を区割りして行くから番号が分かりにくいのよねえ。」 --欧米が線のシステムだとしたら日本は面のシステムなんだろうね。 「だからね、外国からお客さんが来たときに困るのよ。タクシーで住所をいっても役に立たないから。東京のタクシーなんか、もうとっくの昔になくなっちゃっている旧町名で言わなきゃならなかったりして、いったい何なのよ、もう! って感じだわ。・・でも、何の話だった?」 --IT。 「・・IT、かあ。なんだかあなたの言いたいことが少し分かってきたような気がするわ。」 --カーナビという機械をいくらたくさん工場で作ってばらまいても、それだけじゃ事実認識の道具にはならないことがわかるだろ? 事実を認識するためには、事実の側に、認識しやすくするための仕組みが必要なんだ。番号をふり、定型化して、データに加工しやすくするための工夫。情報を公開し共有しようというモチベーション。対象を正確に観測する努力。それに計算機技術が相まって、はじめて意味のあるITになるのさ。 「なんだか批評される側から批評する側になって、急に強気になったわね。」 --そりゃどうも。でも、こういった消費者側のレベルを、単一の指標で計ることの難しさはわかっただろ? データの定型化が進んでいないせいでIT導入によけいお金がかかったとしても、それはレベルの高さではなくて低さをあらわしているんだ。ちょうど地盤が軟弱なところに建物を建てるようなもので、坪当たりの単価が高いからといって、ゴージャスで先進的な建物とは限らない、ってことさ。 「そうね。そういうことなら、でき上がった建物の広さや価値を比べるべきで、それにかかった費用を比べるべきじゃないわ。また費用と価値の議論になっちゃったけど。」 --まあITってには「目にみえない建物」だから、その価値の評価となると不動産鑑定士よりもなお難しい仕事になるだろうな。おまけにその建物たるや、建てたとたんに陳腐化がはじまって、ものすごいスピードで減価消却していかなきゃならない。へたをすりゃ「過消却」で古いIT資産はマイナスの資産価値になっちまう。つまり負債だ。ほんとに難しいね。 「それを国別に比べるとなると、なおさらね。」 --うん。日本はね、いろいろな大規模情報システムをかなり早くから作ってきてはいる。たとえば旧国鉄の座席予約システムなんて世界レベルでもすごいしろものだった。日本全体でシステム構築に投下した資産はかなりの量さ。だからITの大国だとは言ってもいい。しかし、世界が今、その進歩のスピードに舌を巻いているか? 否だね。大国ではあるがもはや先進国ではない。 「そういうことって政治家の人達はわかっているのかしら。」 --もちろんわかっていないだろ。そうか。君にそう言われてはじめて、日本のIT政策のどこが変なのか気がついたよ。ようするに今までの政策のほとんどは、IT産業対策、つまり「作る側」を助ける政策だったんだ。 「ふうん。でも、ありそうな話ね、日本なら。」 --まあ、30年前の、文字通りコンピュータ産業の幼年時代ならそれも意味はあっただろう。海の向こうにはIBMをはじめとする巨人たちがいて、それに日本市場を席捲されないように、国内のメーカーを助けて、しかもIBMの互換機路線をとらせた。一種の温室政策だね。まだひ弱な国内産業の芽を北風から守ろうというんだ。 「木が育ってたくさん実を結ぶようになったのに、あいかわらず温室政策の考え方がつづいたのね。」 --分岐増殖で新しい枝が生えて来ると、いちいちご丁寧に温室作ってかこったり、温室間で縄張争いしたり・・。あるところから先はね、君のいうように、消費者側をこんどは育てるべきだったろう。生産者側を保護して安価な商品を供給させるのではなく、消費者側を賢くして良い製品を選ばせるように仕向ければよかった。そうすれば競争原理が働いて、たぶん自動的に価格は下がって行く。 「でも、使う側を育てる政策ってどんなものかしら? 作る側なら、補助金で工場を立派にするとか、目にみえて分かりやすいでしょうけれど。」 --それはさ、うーん・・それはね。結局、人の問題になってしまう。工場をどうするかではなくて、人をどうするか。つまり文字通り、教育だね。 (この項つづく)
by Tomoichi_Sato
| 2011-04-12 22:07
| ITって、何?
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