わたしの大学時代の先輩が、あるとき外資系の会社に転職しようと思い立った。米国の技術系ソリューション・ベンダーで、世界的に急成長中の企業だ。大学の恩師に相談に行ってその話をしたら、かえってきたのは思いもよらぬ言葉だった。「外資系に行くなら、技術でなく営業をやれ。」恩師は言葉を継いで、次のような意味のことを語った。 技術力が売り物の会社であればあるほど、技術開発の中心部分は目の届く米国内で、米国人によって行う。日本で技術屋がやらされるのは保守サポートのつまらぬ仕事で、そんなことをいくらやっても上には行けぬ。もし外資系の会社で上に行きたいのなら、セールスをやるべきだ。販売の仕事だけは、各国の現地でやるしかないからだ。仕事を一杯とって、十分な売上と利益を上げられれば、本国からも重視されるようになるだろう。 この先輩は悩んだ後に、恩師の言う道を選んだ。営業部門に入って、やがて華々しい成果を上げるようになったのだ。わたしは後日、その先輩に会って、営業で成功する秘訣は何か、たずねてみた。わたし自身、事業部の売上に悩んでいたからだ。すると、先輩の答えは意外にも簡単だった。「アメリカ人の書いた“Solution Selling”という本を勉強して練習し、その本に書いてある通りを実行してみた。そして事実、売上が上がった。それだけだよ。」先輩はわたしにこう言った。「佐藤君も、もし興味があるなら読んでみるといいよ。」 そういういい話を聞きながら、すぐに実行しないのがわたしの至らないところだ。和訳の『ソリューション・セリング』を読んだのは、それから2年近くたってからのことかと思う。読んで、すぐ感心した。内容は、以前書評に書いたとおりだ。わたしは営業の仕事ではないが、セールスの現場に同行することはよくある。本に書かれている「9ボックス・アプローチ」を使って、小さな案件ではあるが、受注につなげたことも数回あった。 その先輩の方は、いつしか日本法人の社長にまで上りつめていた。その地位に何年かおられた後、独立して自分の会社を作られた。独立後に再会したとき、ソリューション・セリングの技法の話をして感謝の意を表したら、先輩は思いもかけぬことを言われた。「セールスはたしかに大事だ。だが、もっと大事なことがある。それは、良い営業マネジメントをすることだ。」 「営業マネジメントって、何ですか? 営業マンの管理のことですか。」 「違うよ。セールスの状況を定量的につかんで、案件のパイプライン・マネジメントをきちんと転がしていくことだ。」 「パイプライン・・案件リストのことですか?」 「そうだけど、市場から会社に価値をもたらす管だから、パイプラインと考えた方がいい。」 先輩は続けた。「パイプラインに十分な案件が詰まっているか。それぞれの案件はどれだけの規模と受注確率があるか。営業プロセスのどのステージにあるか。こういうことを常時リアルタイムに把握しておかなければならない。ぼくは毎週、営業のキーパーソンを集めて状況をチェックしていた。営業会議には必ず出席させる。出張の場合も電話会議で参加させる。案件数が不足して、四半期ごとの販売目標に満たない場合は、フォールバック・プランを取ることを考える。外資系は四半期毎に成績を求められるから、これができないと生きていけない。」 私たちの社会が「モノ余り社会」となってから、すでに20年近くたつ。その間、販売はつねに苦戦し続け、生産は供給能力過剰と言われ続けた。これを背景に、生産から販売へのパワーシフトが起きたことは、すでに前回述べたとおりだ。企業内でも、サプライチェーン間でも。それでは、そのパワーシフトに見合うだけの、販売手法やマネジメントの仕組みは、発達したのか? 「○○生産システム」や「△△ウェイ」という言葉は製造業で有名だ。だが、それに対応する販売システムや営業ウェイは各社で開発されたのか? 販売側にパワーシフトが起こるということは、言い換えるならば製造業が全体として「受注産業」化した事を意味する。見込生産から、Pull型の受注生産へ。今や製造業の9割は受注生産に大なり小なり関わっていると見ていい。したがって、営業部門は、販売だけでなく、物流も、生産手配も、設計依頼も、すべてをコントロールするセンター機能を果たすことが求められる。 同時に、営業にはもう一つ主要な機能がある。顧客を、自社の提供する製品と価値に誘導することである。顧客、とくにB2Bの顧客は、つねに何らかの問題意識を抱えていて、それを解決してくれる手段を求めている。スコップが売れるのは、顧客が(スコップという道具自体ではなく)地面の穴を必要としているからだ、という格言が販売の世界にはある。顧客の悩み(ペイン)を掘り当て、自社製品による解決に誘導すること、それによって高い価値(値段)で製品を売ること。このPush型の作業こそ、パイプラインを引くべき付加価値の「源泉」である。 今日の販売部門は、上記のようなPull型業務とPush型業務の二つを同時に摺り合わせて行う、きわめて高いインテリジェンスを求められる仕事に変わっている。対象市場は、世界史上例を見ないほど高度に教育の行き届いた、かつ高齢者の多い知的大衆と企業社会である。そこから個別ニーズをくみ上げて、自社のサプライチェーンを動かす。もしこれが可能であれば、わたし達の競争力は、他のどの国にも負けない先進的なものになっているはずである。 では、現実の日本はどうだったのか。ここでくだくだと述べることはしない。読者諸賢が、実際に見てこられた状況から推察できるであろう。わたし達は明らかに、新しい市場ニーズという酒を入れるにふさわしい、新しい革袋としての「販売マネジメント思想」を作ることに失敗している。あの先輩の言葉を借りれば、“腕の良いセールスマンは時々いるけど、能力のある営業マネジメントができる人は、日本には滅多にいない”。相変わらず、個々の営業マンを売上で追い立てるだけの管理がやられていないか。 以前、「豹のリーダーシップ、狼のリーダーシップ」で戯画化した二種類のマネジメント手法は、じつは典型的な営業部門と生産部門のやり方を元にしたものだ。豹のやり方では、 組織全体の成績=Σ(個人の成績の総和) になる。一方、狼のやり方では、 組織全体の成績 > Σ(個人の成績の総和) となる。当然であろう。生産においては、個人ではできないことを組織で実現しているのだから。なのに、なぜ販売はいつまでたっても個人プレーの合計だけで指標をとらえるのか。 わたし達の社会は、あらためて、「新しい販売マネジメント思想」とそのシステムを作り直すことが求められているのである。念のため言うが、わたしはあえてパワーシフトを「営業=文系」対「技術=理系」の対立図式で論じないようにしてきた。文系理系のどちらが得か、というような矮小な議論ではないのだ。むしろ必要ならば、これからはどんどん理系マインドを持った人が販売側に入っていく方がいい。ちなみに例の先輩は、工学博士の学位を持っている。
by Tomoichi_Sato
| 2010-11-21 15:56
| サプライチェーン
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