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人材のサプライチェーンを正すには

夏休みのある日のこと。予備校から帰ってきた息子が、ニコニコしている。理由を聞くと、「今日、予備校で『実験屋台』を見てきた」という。予備校の広い部屋に、いくつか実験用の机を屋台のように置いて、それぞれの種類の物理・化学・生物などの実験を講師がやってみせるイベントらしい。むろん生徒も好きな実験屋台で、自分で手を出して触ることができる。「炎色反応が、あんなキレイな青や緑の光を出すなんて、すごい!」と素直に感動したらしい。

さらに聞くと、驚くべき事が分かった。息子は高校の3年間、一度も理科の実験というのをしていない、というのだ。物理も化学も生物も、である。息子の通った高校は、特別な進学校ではない。平均的な生徒の通う、ごく平凡な私立高校だ。それなりの規模があり、一応の施設もそろっている。実験室だって、ちゃんとあったはずだ。でも、一度も実験はさせてもらえなかったという。あるとき、生物の教師に実験のない理由をたずねたら、答えは、「人数も多いし、費用もかかる。教科書で読めば分かるはずだから」だった。

実験をしないで科学の教育が可能だと思っている高校の姿勢に、驚くよりも、あきれた。およそ誰だって、五感にふれる体験無しで、身につくものなど無い。単なる言葉による知識など、時間とともにすぐ忘れられていくからだ。英語も国語も社会もしかりだが、理科では何よりそれが必要である。わたし自身は不器用だから中学から大学院まで、実験には難儀したが、それが不要だと考えたことはなかった。自分で苦心して取ったことのないデータは、分析できない。その数字の意味が、体でピンとこないからだ。生徒が理系に進むか進まないかの問題ではない。いやしくも理科が必修科目である限り、それを「分かる」ためには実験が必須なのである。

3年間まったく実験がないなどと分かったら、父母会に出て学校にクレームをいうべきだったか、と考えている内に、逆のことに気がついた。もし、わたしと同じ意見の人が多かったら、とっくに学校は対応していたはずだ。ということは、むしろ実験を無駄だと考え、もっと教科書での講義を望む父母の声が強かったということではないか。実験で事故や怪我をされるのを高校側が恐れたのかもしれぬ。事実、そうでなければ、なぜ実験室も持たぬ予備校がわざわざ、『実験屋台』などというイベントをひらくことになるだろうか?

わたしの息子は、典型的な「ゆとり教育」の世代である。この、教科内容の30%を削減した「ゆとり教育」なるものは、世の中ではかなり辛らつな批判を浴びている。ただ、知識教育偏重の詰め込みを排するという意図の元に行われた「ゆとり教育」がもたらしたものは、父母としての当事者から見ると、明らかに逆の結果であった。子供たちが学校と塾で過ごす合計時間は増え、進学競争はむしろ激化・低年齢化した。小学生が塾通いのため家族と一緒に夕食をとる事ができない状況は、明らかに異常である。

なぜこうなってしまったのか。幼児教育→小学校→中学→高校→大学→とつづく教育システムは、人材のサプライチェーンだと言っていい。サプライチェーンにおいて、このように「意図と逆のことが起こる」場合、その背後にはかならず、『局所最適』の発想がある。

「ゆとり教育」の最も根本的な誤認は、教科内容の量を削減すれば、教育にゆとりができる、と教育者側が考えた事だ。教育というものが教師と生徒だけの閉じたシステムなら、正しいだろう。親たちは、だが、そうは考えなかった。“良い大学”や“良い高校”に自分の子供を入れることが教育の目的であり、そのためには、同年代の競争に勝たなければならない。学校教育の内容が減るなら、その分を塾で補わせなければならない、というのが親たちの発想だった。中学の公的教育が頼りにならないなら、私立中学に入れねばならないと大勢が信じた。

こうして、小学生の「夜の塾通い」が蔓延するようになった。年端のいかない子供に夜間生活を強いて、遊びの時間を奪うのは、正常な発達をさまたげる--というような私の意見は、たぶん少数派だったろう。息子の小学校の教師は、「塾での勉強に差し支えるから」という父母に配慮して、学校で出す宿題を減らしたほどだ。昼の学校は添え物で、夜の塾の教育がメインの座を占める雰囲気が漂いはじめた。

その結果どうなったのか? 学力が下がったのか上がったのか、論議は実はまだ決着していない。はっきりしているのは、子供の時間に「ゆとり」が無くなったことである。著書『時間管理術』でもこのサイトでも何回も書いたが、“ゆとり時間”は考えるための時間として必要である。時間管理の目的は、一見、何もしていない無駄に見える時間--落ち着いて考えるための時間--を作り出すためにある。日々に追われると、考えることができなくなる。試験問題を睨んで「考える」のは、正解という枠内での思考ゲームに過ぎぬ。本当に大事なのは、正解のない自分の生き方について、考える事ではないか。そして10代というのは、まさにそれが一番重要な時期ではなかったか。

教育というものを「PDCAサイクル」「顧客満足」など、ビジネスの語調で語るのが最近の流行りである。だが、加工時間を3割減らしました、だから工場内にゆとりが生まれました、というのはサプライチェーンを知らぬ経営者だ。あまりに発想がプロダクト・アウトである。工場での作業は、製品に対してマーケットが求める機能や品質によって決まる。つまり、需要側の品質要望によって決まるのである。では学校における品質要望とは何か。それは「上の学校の受験に合格する」ことだ、と多くの父母達は信じている。教育を改善するなら、まずこの要求自体の品質を改善しなければならない。ここをそのままにして、加工作業だけ削減できると思うのは愚かである。

だが、話はこれだけでは終わらない。なぜ、親たちはそんなにまでして一流といわれる高等教育を子供に望むのか? なぜ「一流大学」に入れたがるのか。

それは、日本社会が「学歴」という奇妙な人材品質保証制度(Qualification)で、今だに動いていると信じられているからである。この品質制度は、定期的な更新登録も研修教育もない。18歳のある日、入試問題に対してグッドなパフォーマンスを示せれば、その後一生ついて回るのである。その試験は、知識を主に問うものだ(だから体験など不要だと思って、高校は実験をやめてしまう)。そして現実、多くの企業が、出身大学名によって採用のスクリーニングをしている、といわれる。大学名を伏せて募集しても、秀才型の志望者を採用してしまう例があったほどだ。

(私たちの社会における、試験ならびに採用制度の背後には、中国の科挙を無意識に見習った影響があるのではないか、とわたしは疑っている。試験が知識重視であること、合格者が社会のトップとして登用され生涯優遇されることなど、いかにも似ている。そもそも「秀才」という言葉自体、科挙の用語だった)

結局、私たちの社会の教育をダメにしているのは、学歴というレッテルで人を登用する官庁や企業なのである。産業界の一員として、わたしにもその責任の一端はある。だから、再度言おう。教育を良くしたかったら、まず実社会の側が、入学歴でなく、能力とパフォーマンスで人を採用・評価する仕組みを作らなくてはいけない。18歳の一時点ではなく、その後の継続的な努力と体験を含む学習が、良い処遇の条件にならなくてはいけない。文科省がゆとりのない教育を正したかったら、真っ先にやるべきことは、意味不明な中央官僚の「キャリア」システムを捨てて自己改革することだったはずである。

サプライチェーンというのは、求められるアウトプットから、その機能と構造が決まる。サプライチェーンの側が自分だけの発想で、勝手に「最適化」をしても、それが需要側に受け入れられなかったら、代替サプライチェーンが発達するだけだ。なぜなら、最適性とは、目的関数に対して使う言葉だからだ。目的関数とは何か。それは、使用者とアウトプットとの関係で決まる価値属性なのである。


関連エントリ:
「『わかる』ことと『知る』こと」
→「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか(2) 学歴社会の矛盾
by Tomoichi_Sato | 2010-10-16 15:43 | 考えるヒント | Comments(4)
Commented by 三十路 at 2010-10-16 21:44 x
私は高校卒業が12年前でゆとり教育直前ですが、理科の実験がほとんど無かったのは同じでした。これで致命的なのは、学習内容の定着を妨げるのもさることながら、理科そのものに好奇心を抱けない学生を産み出してしまうことです。(私自身その実例です)

もちろん実験がなくても親や周囲の人々の影響で好奇心を持つ子供は多いでしょう。しかし適切な人物が身近にいない場合そうはいきません。そしてそういう環境で育つ人の割合は少なくないと思います。
Commented by けろけろ at 2010-10-17 19:28 x
これ、解りますね。 仕事でも、実際の段取りもしたことの無い人達が、頭数を揃えてその問題のあった作業について
会議室で改善対策を立てている。 あーだ、こーだっと想像
だけで原因を考えてるから、何一つ現場に沿った対策には
ならずに、下手をすれば余計な作業になってしまうことが
しばしば。 
Commented by Tomoichi_Sato at 2010-10-17 23:13
なるほど。理科の実験をやらなくなったのは、「ゆとり教育」の前からはじまった傾向なんですね。たしかに、体験してみたら好きなったかもしれない生徒が、そのチャンスを得られないのはとても残念です。皆が皆、理系志望になる必要はないですけれど。
Commented by mement at 2010-10-18 08:42 x
私は13年前卒ですが、同じく高校ではほとんど実験はなかったですね。おかげで物理の授業は辛かった思い出しかありません。

企業側が学歴で選ぶのは、終身雇用という制度で採用失敗のリスクが非常に大きくなっており、為に前例を踏襲する方向になるからではないでしょうか。人事部・担当者だけではその方針は変わらないのでは。

雇用がもっと流動化すればいいと考えています。
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