少し前のことだが、あるコンサルタントの方から知恵を貸してほしいと依頼されたことがあった。公立の某研究機関に対して、要員教育の提案を出そうとしているところで、その中のリスク・マネジメントについて内容をどうすべきか悩んでいるとのことだった。客先担当者の要望は、「我々は公の予算で動いている以上、失敗することは許されない。そこで、所員達に失敗しないためのリスク管理を教えてほしい」という内容だ、という。どうカリキュラムを組むべきか、うまいアドバイスはないだろうか、と私は問われた。
私はちょっと困ったが、正直にこう申し上げた。「“失敗しない方法”は、私には思いつきません。失敗したくなければ、何もしない事しか方法はありませんね。でも、それでは研究所として成り立たないでしょう。およそ研究というのは知らないことを発見するためにやることですから、失敗しない研究などというものは、私には想像がつきません。」 それから、少し言葉を継いだ。「ただし、言えることが一つあります。大きな失敗を防ぎたかったら、小さな失敗を上手にして、そこから学ぶ必要があります。“上手に失敗する方法”だったらお教えするのを手伝うことはできます。」 --でも、上手な失敗、ってどういう意味ですか、佐藤さん。 「えーとですね。たとえば、スキーとかスケートを学ぶとき、最初にインストラクターが教えるのは、“上手な転び方”なんです。ケガをしないよう、ひどく頭を打ったり体に衝撃が来ないよう、安全に転ぶ転び方があるんです。スキーやスケートは、上級者は転びません。でも、上達するまでの間は、必ず転びます。転ばずに上達する方法はないんです。そのとき、どう転ぶかが大事で、うっかり恐怖心が植え付けられてしまっては、もう先は望めません。だから、尻餅の付き方を最初に練習するんです。」 --たしかに、柔道も最初は『受け身』の練習ですねえ・・。 その仕事は結局、取れなかった。誰か売り込みの上手な人が、「絶対転ばない方法」をうまく売り込んだのかどうかは、定かではない。ただ、その仕事からわたしは一つ学んだ。それは、リスクに対する態度、アプローチには、大きく二種類あるということだ。 リスクに対する従来型のアプローチは、この某研究機関の客先担当者の態度に、典型的に表れている。「失敗は許されない」→これが中心テーゼである。だから可能な限りリスクを回避し、失敗を起こさぬ事を求める。『安全第一主義』と言ってもいい。 これに対して、新しいアプローチがある。これには、まだ適当な訳語がないので、英語のままRisk-based Approachとよぶことにしておく。こちらは、どんな行為にも失敗のリスクが存在することを前提に、なすべき事を考える、という態度を取っている。必ず失敗の可能性はある。それをベースに考えよう、とのアプローチである。 従来型のアプローチには、別名もある。それは『完全主義』であり、また『前例主義』である。失敗は許されないのだから、当然前例は成功していることになる。だから前例にならえばよい。これは論理の必然である。お役所だとか、大企業だとかは、こうした態度で仕事をしている人が非常に多い。このアプローチに従えば、人事評価においては必ず減点主義になる。なぜって、失敗しないのが当たり前なのだから、失敗があったら担当者個人がいけないのであって、そいつの減点になる。 これに対して、新しいRisk-based Approachは、日本語で別名を与えるなら『現実主義』になることは、お分かりになると思う。 「まなび」についての方針も、両者ではずいぶん違う。従来型の安全第一主義では、“前例を学ぶ”が唯一最大の方法である。なぜなら前例は成功している(はず)だから。こうした組織では、訓詁学が発達する。そして、失敗は個人の無能力のせいということになる。他方、Risk-based Approachでは、大きく失敗したくなければ、小さな失敗を上手にする方法を学ぶ必要がある、と考える。 そして、両者はコストにおいても大きく異なる。従来型のアプローチでは、コストが際限なくかかる。なぜって、完全を求め、「絶対安全」が命題だからである。しかし、Risk-based Approachでは、そうは考えない。リスクに見合う最適なコストにおさめる--これが思想である。コストには最適点がある、と考える。 日本企業の多くが、次第次第に高コスト体質となっていった背景には、従来型アプローチがあったのではないだろうか? 少なくとも、公的事業、あるいはそれに準ずるような事業(たとえば公共土木・鉄道・発電・通信・防衛・保健・公共システムなど)を主要市場としてきた企業は、技術的完璧主義につき合う中で知らず知らずのうちに、仕様が水ぶくれしていたのではないか? それを「世界最高水準の技術」などと自称し栄華を誇ってきたが(なにせ公共系は金払いだけは良いし、日本は人口が多いから市場も大きい)、いつのまにか背後のアジアから、『現実主義』をひっさげたライバル達に蹴落とされそうになっているのではないだろうか。 もちろん、こうした心配が杞憂であって、日本の多くの企業が果敢にリスクに挑戦しているのだと信じたい。信じたいが、しかし、「目をつぶって」どんなリスクも取る、というのは、現実主義とはもちろんほど遠い。目をつぶって全てを避けるのと、すべてを取るのは、どちらも現実を見ていない点では同根であろう。 では、Risk-based Approachとは具体的にどういうことをするのか? それについては手短には答えられないので、この場所で追って書いていくこととしよう。
by Tomoichi_Sato
| 2010-09-01 22:41
| リスク・マネジメント
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Comments(2)
Risk-based Approachというのは、たとえば、労働安全衛生における「リスクアセスメント」を、正しく運用すると、その形になるのでは?
リスクの定義が、「危険事象の発生度合いとその影響度の組合わせ」とされており、安全の定義も「受入不可能なリスクがないこと」(ISO/IEC Guide 51)だそうですから。その意味で、「主なき安全~リスクアセスメントの暴走~」(労働調査会)は、畑違いとは存じますが、ご一読の上ご感想頂きたいと思います。(ご多忙なこと、重々承知しております。ムリは申しません)
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