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クリスマス・メッセージ--「学び」と「気づき」と「見通し」のある社会を

Merry Christmas !

Lessons Learned”という言葉をはじめて聞いたのは10年ちょっと前のことだったろうか。米国系メジャーオイルのためにプロジェクトをしていたころだ。ちょうど私が責任者として担当していたMES関連のサブ・プロジェクトが完了した時に、相手側の責任者が、「じゃあ、君が帰国する前に、Lessons Learnedをまとめておこうじゃないか」と言ってミーティングに呼ばれたのである。

ミーティングの場では、客先側と、私たちエンジニアリング会社側とで、それぞれ良かったと思う点、失敗だったと思う点などを、ざっくばらんに挙げることになった。まずかった点は、次の機会にはどうするべきかについても、一緒に考えた。客と受注側では立場も見解も異なるわけだが、まあプロジェクトが終わる頃は一応リラックスして話もできる。そこから、次回への教訓を汲み上げて、リストにまとめて文書化しておこう、というのが彼らの言うLessons Learnedであった(Lessons & Learnsという場合もあり、略してLLとも呼ぶ)。

米国の大企業には腹の立つ点も少なくないが、感心するところもいくつかある。知識や情報を文書化するのを面倒くさがらない点は、その一つだ。おかげで文書が山のようにできあがるが、それをインデックスをつけて体系的にファイリングしていく。情報処理の基本的スキルが、しっかりしているのである。だからこそ、業務もITに乗せやすいわけで、その点は自分たちとはずいぶん違うと感じる。

私の知っている日本企業はどこも真面目で製品もきっちりしているが、情報の蓄積・ファイリングとなると自前で体系を持っているところはあまり知らない。設計書・指図書とか発注書といった指示帳票は、さすがに小まめに作るが、仕事の最中に得られた様々な「ふりかえり型」の知識や教訓は、不定型なメールか会議での発言の形で発せられるだけで、それは風のように消えていってしまう。情報のフローはあるが、ストックにならないのである。「気づき」が“ぼやき”にしかならない。過去は過去として水に流して、未来だけを指向している--よく言えば、そういう態度であろう。だがそれは、経験に学ばない態度と言うこともできる。

学び」とはいったい何だろうか。こんな問いを考えるのは、最近大学でも学生達に教えるようになったからかもしれない。かりに、授業は熱心に聞くがぜんぜんノートをとらない(あるいはノートを持っていない)学生がいたら、学ぶ姿勢に問題があるといえるだろう。過去を決して振り返らず、前だけ見て進む人は、本当は学びには向かない。学びとは、新しい知識を得ることだけでは成り立たないからだ。少なくとも、時に立ち止まって手を休め、自分が得たはずの知識を、くりかえし反芻し消化して、はじめて自分のものになるのである。それは、鉄棒の逆上がりの方法を一度聞いただけで、鉄棒ができるようになる訳ではないのと同じだ。

年の瀬になると、私たちは「忘年会」という行事に精を出す。“今年一年の労苦は忘れて、また来年フレッシュな気持ちでやりましょう”との趣旨だ。それにしても、「忘れること」に私たちは随分のエネルギーをつぎこむ社会だな、と感じてしまう。同じ行事は英語ではYear-end partyだろうが、そこには「忘れる」という意味は全くない。中国や韓国ではどうか知らないが、欧米では“何かを記念する(memorial)ためのパーティ”はあっても“忘れるためのパーティ”というのは非常に考えにくい。彼らのエネルギーは、もっぱら過去の教訓を(それが良い体験であれ辛い体験であれ)覚え続けておくことにつぎ込まれる。

人間の脳は、いやな体験の記憶をなるべく底に隠すように働く。だから、過去のことを覚え続けておくことは、辛いことでもある。しかし、それを乗りこえて初めて、「大人」になれるのだという認識がそこにはあるのだろう。過去の「気づき」を学ぶことで、ようやく未来に対する「見通し」が自分のものになるのだ。

世界の多くの場所で、ひととき皆が手を休めて、来し方行く末を想う季節に入った。私たちも、今年一年気づいたことをゆっくりと思い起こして学びなおし、来るべき新しい季節を見通せるようになりたい。そのために、どうか地上が平和でありますように。
by Tomoichi_Sato | 2009-12-25 23:39 | Comments(0)
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