あるところでプロジェクト・マネジメントの簡単な講義をすることになって、何か参考につかえる本はないだろうかと探してみた結果、手に取ったのが本書であった。PMをテーマにした本は数多い。しかし、抽象的な教科書風の本やITプロジェクトを暗黙の前提としたものはたくさんあるのに対し、新製品開発プロジェクトの事例を、製造業を舞台に描いた本はあまりない。本書はそのわずかな例の一つであり、その意味では貴重かもしれない。
ちなみに、プロジェクト・マネジメントの世界で標準的な教科書のように思われているPMBOK Guideには、ひとつ大きな問題点があると私は考えている。それは、「受注型プロジェクト」と「自発型プロジェクト」の違いを区別していないことだ。というよりも、初期の版のPMBOK Guideは、米国の航空宇宙産業とエンジニアリング産業の人々が中心になって作ったらしく、「最初にスコープありき」でプロジェクトが開始する。その意識は版を重ねるごとに少しずつ薄まってきたが、それでも、最初に「プロジェクト憲章」と「作業範囲記述書(SOW)」のインプットで立ち上げプロセスがはじまり、そのアウトプットとして「スコープ記述書(暫定版)」が作成される、という記述は違和感を感じる人が多い。これは分厚い調達要求書と契約書が客先から渡されてプロジェクトがスタートすることを当然と信じている業種の人間にとってのみ、理解できることだろう。 受注型プロジェクトと、自社がイニシエーターとなって発案し進める自発型プロジェクトは,本質的にちがうものである。前者は行き先が明確に決められており、予算と時間の制約がきつい。後者は進むべき方向があるだけで、到着地点がどこかは定かでない。本書で例として取り上げている新製品開発プロジェクトは、後者の典型例だ。ここでは、『高齢独居者住宅用セキュリティシステム』の開発にチャレンジするセンサー製造開発の企業が舞台になり、ストーリーが進んでいく中で、プロジェクトの進め方の勘所を解説する、という構成になっている。 一般に製造業では、新製品開発には複数の部署がからむ。そうなると、プロジェクト・チームの組織や方向付けや権限関係が悩みのタネになる。複数部署から担当者が任命されて、プロジェクトを進める方式を、ふつう「マトリクス型組織」と言うのだが、これにはプロマネの役割や権限レベルに応じて、いくつかのバリエーションがある。プロマネがとくに指名されないタイプを「弱いマトリクス型組織」という。逆に、PM専門の部署からプロマネがアサインされ、マネジメントに専念するタイプを「強いマトリクス型組織」といい、私の所属するエンジニアリング業界でよく見られる。 ただし製造業での新製品開発の場合、マネジメント専業の人間をおくほどの余裕が無いことが多い。そこで、機能部門からプレイイング・マネージャーがアサインされる。これを、「バランス・マトリクス型」と呼ぶ。もっとも著者はこうした世間一般で使われている用語ではなく、タイプ編成型とかクロスファンクション型とか呼んでいるが、これはまあ言葉の好みの問題だろうからかまわない。 それにしても、私は本書を読んで心底驚いた。何に驚いたかというと、まず最初の章に、 「『プロジェクトはタコ壺であり骨壺だ。一度入ると生きては戻れない』--こんな感想をよく耳にする」 と書いてある。さらに第2章のストーリーのはじまりには、 「立ち上げ段階では、集められたメンバー全員が、それぞれの立場で大きな不安を抱えている。過去の経験から、あるいはまわりの状況を見聞きして、『プロジェクトは人をつぶしてしまう、不幸にしてしまう』という固定観念をいだいているからだ」 と解説がつき、さらに追い打ちをかけるように 「プロジェクトマネージャーが目先の作業をこなし目先の進捗をもとめるだけでは、プロジェクトを支える大きな方針も示せず、リスク対策もできないままに、プロジェクトは無間地獄化していくしかない」 と説明される。ここに至って、あわてて著者略歴を見ると「日立製作所の情報通信部門にて、プロジェクトマネージャーとして数多くの立て直しを経験。2002年に独立して経営コンサルタントとなる」という。“そういう会社だったんだなあ”--思わず、同社の知り合いの人たちの顔を思い浮かべて,考え込んでしまった。 その後も、私には意外の連続である。プロジェクトには、綿密な計画が必要だ、という。当たり前ではないか! テスト工程に入る直前になって、はじめてテスト方法について議論をはじめる。遅すぎないのか? また単体テストの実施率を高める方が工程の品質が上がるという“新発見”もでてくる。検査部門と開発部門とが合格品質基準の有無をめぐって激しく論争する・・どれも、私のように毎日「プロジェクト」でずっと生きてきた者にとって、想像もつかないような状況のパレードである。 ちなみに、本書に出てくるマネジメントのテクニックは、徹頭徹尾、人にかかわることだ。モチベーションを上げる、メンバーの成長を促す、幹部を味方につける、問題の解決を皆で喜ぶ・・。一つ一つには、何の異存もない。しかし、ここにはWBS辞書もクリティカル・パスもEVMSもリスク管理表も、いわゆる近代的プロジェクト・コントロールの技法が一切出てこないのだ。理工学的なアプローチはほとんど皆無で、ひたすらヒューマン・ファクターの面のみに指導がいく。日経文庫の「はじめてのプロジェクトマネジメント 」が、これでいいのだろうか。たしかにEVMSだけで新製品開発プロジェクトはマネージできないと、私も思う。しかし、EVMSを知らないのと、知っていて乗り越えるのでは、大きな違いではないか。 本書を読んで、つくづく学んだことがある。それは、組織には2種類あると言うことだ。プロジェクトが“当たり前のこと”である組織と、プロジェクトが“珍しい厄介物”である組織だ。両者では、マネジメントのあり方が質的にちがう。前者では、プロジェクトは家畜である。だから、体重や身長を計量し、毛並みをととのえて、育てようとする。それに対して、後者では、プロジェクトは野獣である。計ることなどとんでもない。踏み倒されずに手なずけられれば、上出来なのだ。そして、日本最大の製造業のOBが書かれた本書を勉強するにつけ、その差をあらためて思い知るのである。
by Tomoichi_Sato
| 2009-05-18 23:06
| 書評
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