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「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(10月8日)開催のお知らせ

各位:

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2020年第3回会合を開催いたします。COVID-19感染症問題がなかなか落ち着きを見せないため、研究会日程が定まらず、前回からまた間が空いてしまいました。今回もオンライン開催といたしますので、ご了承ください。

現在のモダンPM論は、設計のマネジメントという重要な仕事について、ほとんど何も語っていません。この問題は、以前から指摘してきたとおりです。エンジニアなら誰でも知っている通り、設計は構築・実装のあり方の大勢を決めます。ですから、きちんとプロジェクトを進めたければ、まず良い設計をすることが先決です。ダメな設計を受け取って、「あとはよろしく」と言われたって、プロマネとしてできることは限られているからです。

しかし、この自明の理に正面から向き合って、プロジェクト・マネジメントを論じる人はわずかです。PMBOK Guide(R) の規定している10のマネジメント知識エリアにも、『設計のマネジメント』は含まれていません。PMBOKの次期・第7版は、従来の構成を根底から変え、プロセスベースから原則(Principle)ベースに転換すると言われています(10の「知識エリア」は、なくなる見込みです)。しかし、現時点では、プロジェクト・デリバリーの原則の中にも、設計論は見当たらないようです。

プロジェクトの成果物が価値あるアウトカムを生み出すためには、その設計が重要です。しかし現実のエンジニアは、過去の事例のコピー&ペーストや、外注先との折衝・チェックといった仕事に忙殺されているようです。設計の業務プロセス自体が、個別化・属人化している事の現れかもしれません。まして、肝心の設計ロジックの構築や、その伝承理解に使える時間は限られています。

今回は、自動車メーカーの設計部門を経験した後、大手ITベンダーでPLM等のコンサルティングに従事してこられた西本明弘様に、設計プロセスの分析・最適化技法である「Design Structure Matrix (DSM)」手法についてご講演いただきます。
昨年12月の梓澤様のご講演に続いて、「設計論シリーズ」の第2弾となる企画です。どうぞ、ぜひご期待ください。


<記>

■日時:2020年10月8日(木) 19:00~20:15

■講演タイトル:
「Design Structure Matrix(以下DSM)の概要と応用~テレワーク時代のプロジェクト管理手法~」

■概要:
設計・開発プロセスは暗黙的かつ多職種連携で、手戻り要因も判りづらい。また、テレワーク時代で細かなコミュニケーションもとりづらく、プロジェクト運営のリスクは増している。
そこで、設計工学手法DSMを応用し、設計プロセス全体を俯瞰してプロジェクトを最適計画&省力運営(PMの負担軽減)する方法について解説する。

■講師:プロセス設計塾 代表 西本 明弘
 
■講師略歴:
三菱自動車にて小型トラック・バスのシャシーフレーム設計。   
IBMにて金融・POSプリンター、自動改頁機構、漢字OCRスキャナーなどの開発。    
IBMにてPLMコンサルタントの後、プロセス設計塾を開業。
2003年より研究しているDSMを用いて、複雑な業務プロセスの改善を支援中。

■シスコシステムズさんのご厚意により、WebExを用いた、オンライン開催となります。
 研究会への参加は、下記のURLからご登録ください。

 はじめてWebexに参加される方は、下記の説明資料も御覧ください(Dropboxへのサインインは不要です)。

 なお、オンライン形式のため、リアルの研究会よりも講演時間は少し短縮しています。ただし、講演とQ&A終了後、希望者だけで別途、オンライン懇親会を行う予定です。

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。
 
 以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2020-09-24 18:18 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

農業に還ろう

今回のパンデミック禍は、世界中が手こずり、当初皆が想像していたよりも、長引いている。そして、パンデミック後の「ニュー・ノーマル」どころか、5年後、10年後の社会のあり方について、あまり前向きで積極的なビジョンが語られないところに、今の世の心理的な病の深さを感じる。

今回の事象は、現代の三つの側面を、大きく痛打した。まず、世界規模にストレッチしたサプライチェーンである。それから、都市への人口集中と濃厚接触型に依存した業務・サービスであり、さらに、レジリエンスのための仕組み(とくに医療資源)を削減してしまった社会であった。この三種類に近い領域ではたらく人ほど、影響を受けた。

そして、影響を受けた職種といえば、独立自営業者と、非正規雇用の労働者である。わたしの身の回りで見ても、一番苦労しているのはこの層だ。他方、若干不思議ではあるが、大企業はそれなりに忙しいように見える。コンサルティング業界などに聞いても、そういう返事だ。景気は悪いが、忙しい。

結果として、社会の格差は確実に広がった。

ただし、グローバリズム的な思想は、影響力を少し弱めたとも思う。グローバリズムとは、「ビジネスは国や場所に関わりなく移転可能であり、だから、もっとも経済効率の高い国際水平分業が望ましい」、という考え方だ。そして、ビジネスにおいては、働く人間の国籍も文化も問わない、とする(ただし、英語ができることは必須の条件らしい)。こうした姿がカッコいい、というトレンドは、各国が国境を分断している今、たしかに魅力度を下げている。

とはいえ、わたし達の社会はあらためて、望ましいビジョンを必要としている。それは、日本人に向いている職種、産業はなにか、という問いだ。日本はこの先、何で食べていくのか。そして、わたし達が働いていて、本当に楽しいと感じられるのは、どんな業種の、どんな仕事なのか? 

それは、「職人的な仕事」であろう。これが、最近のわたしの考えだ。職人的な仕事、すなわち自分の目と手を使い、自分の五感を駆使して、具体的な対象を最新に作り上げていくような働き方。これが、日本人にはとても向いているのではないか。

そのことを、3年前の新潟で、なぜかわたしは急に悟ったのだ。「新潟・酒の陣」というフェアで活躍する、造り酒屋の人たちを見ていたときのことだった。それまで漠然と感じていたことが、自分の中で言葉になった。「職人の国の生産性を上げる、最良の方法」 (2017-07-23)という記事にも書いたから、ここでは繰り返さない。

職人的な仕事に長けている、とは、その逆のタイプの仕事は苦手ということだ。それは、たとえば目に見えない「コト」や仕組みを作り、回していく仕事である。あるいは、抽象的な概念や論理を展開していく仕事だ。こういう事ができる人たちも、もちろん一定数はいる。だが、多数派ではない。

日本の高度成長は、じつは職人的な仕事が支えていた。高度成長を支えたのは日本の技術だと、わたしより上の世代は信じている。だが、多くの製造業を訪れ、その仕事ぶりを見るにつけ、次第に疑問を感じるようになってきた。技術者がラフな図面や仕様を与えても、製造現場がキチンと仕上げてきたというのが現実ではないだろうか? そうでなければ、なぜ今になって、現場の熟練工が引退していなくなる前に、「AIで匠の技をデジタル化すべし」などという議論を、慌ててしているのか。

農業に還ろう。

それがわたしの、提案である。自然の中で植物を育て、眼と手と五感を使って作物と対話する、そういう農芸職人的な生き方のほうが、ずっと日本人には向いている。自分たちが大して好きでも得意でもない、『技術イノベーションだ』の『デザイン思考』だの『データ・ドリブンな経営』だのに、無理して取り組むふりをして経済成長を志向するのは、もう、やめにしよう。

日本は世界第5位の農業大国である。わたしはこのことを、浅川芳裕著「日本は世界5位の農業大国、大嘘だらけの食糧自給率」という本で知った。これによると、2011年FAO数値による世界の農産物生産額ランキングでは、1位・中国、2位・アメリカ、3位・インド、4位・ブラジル、と広大な大陸を占める国が並んでいる。だが、5位はなんと、国土の狭い我が日本だ。ブラジルとの差は、2割以下しかない。ちなみに6位はフランス、7位がドイツである(なお、数値のとり方の差によるのか、7位ないし8位という統計もあるが、農業において有力な国であることは変わらない)。

たしかに国土は狭い。でも、日本は温暖湿潤な気候と、肥沃な山野に恵まれている。世界でも稀に見る、農業の適地と言うべきではないか。大げさに聞こえるかもしれないが、実際に砂漠やツンドラ、乾燥した大地の国々を巡ると、その違いが分かる。
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(小豆島の千枚田)

日本人の職人芸的な仕事ぶりは、農産物の品質に、すでに結実している。日本の農産物は、そのクオリティ(味)の良さと安全性により、すでに中国を始め、アジア各国で定評を得つつある。忍耐強い丁寧な仕事ぶり、出来栄えへのこだわり、いずれも日本人の性格的特徴が生きる部分ではないか。

そして、農業は成長産業である。これも同書で知ったのだが、世界の農産物貿易額は、過去半世紀の間に約30倍に膨れ上がっており、とくに21世紀に入ってからは、年平均10兆円の勢いで伸びている。だからこそ、米国を始めとして各国が農業貿易を重視するのだ。

だとしたら、都会での勤め人の仕事に倦み疲れた人々は、サラリーマン稼業など見切りをつけ、農業に転身したほうが向いているのではないか。満員電車に長時間揺られて、都会に通うオフィス仕事のストレスよりは、自然と生き物を相手にした仕事のほうが、多少きつくても心理的には健康だろう。

外気の下で働く農作業は、「コロナ」や「三密」とも、ほぼ無縁である。

ちなみに、農業は工業や商業よりも、広い土地を必要とする。だから農業にシフトすれば、都市の人口集中問題は、そして地方の過疎問題も、自然に解決する。

農業は、工業や金融業よりも、参入に必要とする資本も小さくてすむ。これも利点の一つだ。製造業を始めようとすると、工場建屋と機械を買い揃えたら、たとえ町工場の規模だって、下手をすれば億の金がかかるのだ。
(もちろん世の中には、ノートPC1台、いやスケッチブック1冊抱えて商売できる、インテリジェントでノマドな職種だってある、との意見もあろう。ごもっとも。ただし、PCやノートが、直接、お金を生み出してくれる訳ではない。そうした仕事は、たいてい、成果物や仕事にかけた工数の対価を、顧客企業が支払ってくれるだけだ。つまりPCやノートは間接的な道具であって、それさえあれば経済的に自立できる生産手段、とは言えないのである)

こうした状況を予感してだろうか、若い人たちの中には、工業よりもむしろ農業に積極的な興味を持つ人が増えている。それは、たとえば東京農工大の農学部と工学部の偏差値を見るとわかる。その昔は、工学部のほうがずっと難関だった。今は、農学部のほうが偏差値が高い。それだけ、農学を志す人が増えたのだ。

農業に適した国土がある、高度な農業を志す人達もいる。それなら、なぜこの国には耕作放棄地がたくさんあるのか? 日本全国で450万haの農地面積があるが、耕作放棄地はその約1割にも及ぶのだ。そして農業は、なぜ、「過去の産業」として、低く見られてきたのか。

それは大きく3つの要因があるように思われる。

第一に、農業が規制産業であり、参入障壁があることだ。具体的には「農地法」の規制があり、農地を売り買いするには「農業委員会」に届け出と許可が必要なのである。言いかえると、農家の子弟でない限り、簡単には農地を取得しにくいのだ。数年前に多少、規制緩和されて、企業は参入しやすくなった。だが、肝心の個人事業主(いいかえると自作農)を、増やす方向には進んでいない。

むしろ、日本の農業の生産性が低く農家が貧しいのは、各戸が所有する農地が狭く、機械化に向かないからだという、「農地のスケールメリット論」がずっと根強くあり、国や財界は大企業の参入と所有農地の拡大を歓迎する方向にある。でも、これでは、農業に興味のある人に、「だったら雇われて小作農になれ」と言っているようなものではないか? また、JAの新規就農者への「農業融資」にもいろいろと制限がついている。

第二に、農業政策自体が歪んでいて、ビジネスとして育ちにくいことが挙げられよう。周知の通り、長らくこの国では、コメの買取制度を中心とした農政だった。それは、農村が長らく保守政党の「票田」だったことの結果でもある。さらに、農水省が奇妙な「カロリーベースの食料自給率」を目標とした政策を、取り続けていることもある(この問題は上述の本がかなり詳しく批判をくわえている)。さらに言えば、農産物のサプライチェーン自体に問題があることも加えていい。

そして第三に、世の中の人の持つマインドセットの問題があろう。農家は、「カッコいい」職業ではないと思われてきた。「田舎」「百姓」という言葉に象徴されるイメージが、長らく広まっていたのだ。実際、昭和時代(とくに戦後の昭和20-30年台)は、現金収入を得られる「サラリーマン」こそが、近代的でカッコいい職業だった。だが、令和の今、サラリーマンがカッコいいと思っている人は、どれだけいるだろうか?

いや、そもそも「サラリーマン」対「専業農家」、という問いかけ自体、おかしいのだ。現代では、兼業農家という生き方こそ、主流なのである。地方の兼業農家には、豊かな生き方をしている人が、じつは少なくない。

ウィークデイは地元の工場なり役所なりでサラリーマンをして給料をもらい、週末だけ自分の田畑を手入れする。当然、収入も比例して大きくなる。安定性と職人性を両立できる生き方である。そして、それで農業ができるくらい、今の農業技術も進歩している。小さい農地だって、ちゃんと機械化できるよう、それこそ日本の技術は進歩したのだ。
 
実際それは数字を見れば分かる。年間の農業GDPは約8兆円だ。そして農業従事者は日本に160万人いる。ということは、一人年間500万円という計算になる。え、500万円じゃ一家4人は養えない? いや、これは収入ではなく付加価値額で、収入から外部経費を差し引いて手元に残る額を示している。ちなみに日本の全産業の平均の一人あたり付加価値額は、約800万円だ。つまり、これは兼業が多いことを示している。事実、全国平均で農家の81%が、兼業農家である。

もちろん、わたしは何も、日本の国全体が農業で食っていけるとか、製造業や流通業を全部やめて農業にもどれ、といった極端な提案をしているわけではない。また、農業が誰でもできる簡単な仕事だ、などと主張するつもりもない。ただ、新たに農業を志す人達が今や一定数いて、その人達のニーズを今の仕組みが救いきれない点を改善すべきだ、そうすれば数十万人単位の雇用が創出できよう、と言っているのである。

兼業という生き方が広がれば、むしろ地方の工場や流通での人手不足だって、少しは緩和されるはずである。家族を含め数十万人が農業に関わるようになれば、農政その他のおかしな点も、必然的に議論の的となるし、それだけの人数がいたら、政治家たちだって無視できないはずだ。

***

COVID-19のパンデミック禍が地球を覆うまで、グローバリズムの思想が、世の主流だった。その世界観の下では、人は巨大なグローバル企業の経営者になるか、あるいは社員として働かされるか、2つに1つを迫られる。そこには、自分自身の生産手段を持つ、自立した自営業者の姿がない。

実際、地方の個人商店は淘汰されて、ロードサイドのチェーン店ばかりになった。町工場も淘汰されて、廃業するか大企業の傘下に入るか、いずれかを選択するケースが多かった。職人もまた「一人親方」という名前の、契約労働者に過ぎなくなってきている。本当にこれが、わたし達の気質にあった、働く幸せの姿だろうか?

わたし個人は技術者で、プロジェクトが好きだから、企業の組織人でいる。だが、これは自分の選択の結果である。誰もが同じ選択肢をとるべきとは、わたし自身、思わない。会社員という生き方以外に、「経済的に自立可能な生産手段を持つ、職人気質の独立自営業者」が社会にたくさんいる姿の方が、ずっと日本らしい、とわたしは信じるのである。

だから今、あえて言おう。「農業に還ろう」と。


<関連エントリ>
 (2017-07-23)


# by Tomoichi_Sato | 2020-09-15 23:04 | ビジネス | Comments(2)

設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 競争的基本設計(Competitive FEED)とは何か

前回の記事「設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 問題の所在」 (2020-08-22)で、わたしは「設計で知恵を出しても、ビジネスとして評価されにくい」点に、SI業界を始め、多くの業種が抱える問題の根本原因がある、と書いた。

製品のコストと品質の殆どを決める設計段階でこそ、知恵を出すことが重要である。一般消費者向けのB2Cビジネスでは、製品・サービスの評価や売れ筋から、設計の良し悪しが、すぐ分かる。良い設計はビジネスの結果にダイレクトにつながって現れる。

だがB2Bビジネス、たとえばSI業界の分野などでは、顧客要求をもとに設計をした後、その基本設計書からRFPを作って複数社に引合いを行うのが通例だ。たとえ良い設計をしても、それは価格競争というレース場への、入場券にしかならない。結局は安い単価で実装をオファーできるところが勝って、利益を得る構図になる。SI以外の業界でも、受注産業のB2Bでは、似たような事例を見かけることが少なくない。

だとしたら、誰が好き好んで設計の技を磨こうとするだろうか。良い設計が、利益という形で自分たちのビジネスの評価につながらないなら、誰がエンジニアなどという職種を目指すだろうか? 日本の産業の技術力が下がっていく一因は、ここにある。

とはいえ、このような問題は、必ずしも日本だけで起きるわけではない(日本社会の固有の特殊性については、後で触れる)。設計段階と実装段階が分離され、途中に価格競争のプロセスが挟まるような慣習のある分野では、どこでも生じがちである。わたしの働いているエンジニアリング業界だって、そうだ。

プラント・エンジニアリングの業界の仕事の流れは、ある意味、SI業界とよく似ている。図を見てほしい。エンジ業界におけるプラントの基本設計は、FEED (Front-end engineering design)と略称されるが、IT業界における「要件定義」段階にほぼ、相当する。顧客はどんな製品を年産何万トンほしいか、程度のイメージしかなく、どのようなプラントの機能構成で、どう実現するかは、この基本設計=FEEDの段階で決まる。
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FEEDの作業が終わり、基本設計書が出来上がると、それをもとに投資額を見積もる。これは通常、複数のエンジニアリング会社をよんで、競争入札の形で行う。その上で、(普通は最安値をオファーした企業の価格をもとに)投資判断であるFID (Final Investment Decision)を行う。これは、SI分野で、FRPを元に複数SIerから提案価格を受け取り、その中から1社を選んで、投資判断するのと同じである。

そして、次に実装の段階が来る。プラントの場合は、詳細設計・調達・建設の仕事になる。Engineering, Procurement & Constructionの略をとって、EPCと呼ぶ。SIでいう開発段階、すなわち設計・実装・テストの各段階に相当する。この段階は、一括請負契約で行われるケースが通例だ(例外もあるが)。

プラントの場合、建設を終え、溶接などの品質検査と機能テストを終えると、このEPCの構築段階は終了になる。これをMechanical Completion = MCと呼ぶ。ちょうどITシステムの結合テスト・総合テストの完了にほぼ相当する。ここでプラントは顧客に引き渡され、立上げ(Start-up)段階に入る。そして実際の原料をプラントに導入し、操業の人員を配置して、100%稼働になるまで立ち上げていく。パフォーマンス・テストなどもここで行われる。

いわゆるエンジニアリング会社が活躍するのは、基本設計(FEED)段階と、詳細設計・調達・建設(EPC)段階である。ただ、前者は設計なのでほとんどが人件費なのに対し、後者は資機材を買って現地で工事するので、報酬の対価はかなり大きくなる。したがって、ビジネス的な利益は、EPC段階の方が魅力的に見える(赤字リスクだって大きいが)。

前者のFEED=設計段階で仕事を得るポイントは、もちろん設計能力である。他方、後者のEPC段階で仕事を勝ち取る主な要因は、価格競争力とプロジェクト・マネジメント能力だ。そして設計段階で、いかに良い設計アイデアを出しても、その成果は入札書類の形で、ライバルを含む入札企業全員に共有されてしまう。もちろん、価格競争に勝てなければ、どんなに良い設計をしても、EPC構築段階は受注できない。

このような慣習が続いた結果、何が起きたか。プラント業界の仕組みを見ると、いかにも「設計能力に秀でた企業に基本設計をやらせ、コスト・マネジメントに強い企業に構築段階を任せるのだから、ベストな設計のプラントを一番安く手に入れられる」ように見えるだろう。

だが、現実には、違う結果が生み出されるようになっていった。実際にしばしば起きたのは、品質の低下とスケジュールの遅延だった。なぜか?

まず起きたのは、エンジ会社の専門分化(すみ分け)だった。欧米系のエンジ企業は、設計には秀でているが、人件費が高いので、コスト競争力が弱い。彼らの中には、FEED段階の仕事のみに特化するものが増えてきた。他方、韓国を含むアジアのエンジ会社などは、技術的差別化よりも価格競争に強みを見出して、EPC段階をもっぱら狙うようになった。

その結果、構築段階での経験が、基本設計に反映されにくくなった。当たり前だが、本当は「建設しやすい設計」「立上げ・運転しやすい設計」こそが、真の意味でコストダウンにつながる。だから建設や試運転部門から、いろいろ文句をつけられてはじめて、設計技術者も育っていくのだ。

だが自分で実装・構築しない会社が、設計だけやるようになると、そのフィードバックループが切れてしまう。設計図面が「絵に描いた餅」になりやすい。こうした危険性は、実装を知らないアナリストが作る要件定義書の危なっかしさ、という点でIT業界の人にも理解できると思う。

かくして、基本設計に隠れた品質問題を抱えながら、熾烈な価格競争でEPC構築段階の契約を勝ち取ったエンジ会社は、どうなるか。もちろん、途中でどんどん設計変更問題が生じる。人も足りなくなる。だが、全体は一括請負契約になっている。追加交渉だって時間がかかる。かくして、赤字と納期遅延がしばしば生じるようになった。

こうした状況の遠因は、基本設計と構築実装の分業化にある。基本設計でいくら知恵を出しても、それが構築ビジネスにつながらず、直接の利益にもならない。誰が苦労して、良い知恵を出そうとするだろうか?

ところで、(ようやく本題に入るが)プラント・エンジニアリング業界で近年行われている『競争的基本設計』(Competitive FEED)という方式は、この壁に風穴を開けるものだった。

『競争的基本設計』では、まずエンジ会社を2〜3社選び出し、彼らに並行して基本設計(FEED)を行わせる。無論、ライバル同士がどのような設計をしているかは、お互いに知りえない。基本設計がおわったら、各社に、自分たちの設計をベースにしたコスト見積を行わせる。そして、技術面およびコスト面で優れた方を選び、そこにEPC構築を任せるのである。敗退した方にも、基本設計の費用は支払う。

この方式のメリットは明らかだろう。設計で良いアイデアを出した企業が、構築段階の仕事を受注できる。構築をよく知らないと、プラントを要求性能通り、しかし安価に作る設計はできない。しかも自分の基本設計を自分が実装するのだから、ヘマな設計をしたら自らの首を絞めるだけだ。また、コスト競争と言っても、単なる単価の安値だけではなく、設計能力を含めた総合力が問われるのである。

ちなみに、こういうやり方をすると、調達・建設コストダウンを追求するあまり、実際の運転段階にはいってからの操業コストや保全コストがかえって高くつくような設計が、生まれる可能性がある。そこで顧客は、投資額(Capital expenditure = CAPEX)と、運転コスト (Operational expenditure = OPEX)の両方を見積らせ、総合的に勘案して比較を行うのが通例だ。

なお、『競争的基本設計』が行われる背景として、プラントの基本的な技術(プロセス・ライセンス)を比較選定したい、というニーズも強い。たとえば液化天然ガス(LNG)分野では、APCIとかPhilipsとかLindeといったライセンサーがいて、競い合っている。IT業界でいうと、SAPやOracleなどパッケージ・ソフトウェアの選定に相当する。そこで、ぞれぞれを得意とするエンジ企業を1社ずつ選んで、競争的基本設計を行わせるのである。

こう書くと、いい事ずくめのように聞こえるかもしれない。だが、このやり方にも限界があることは、指摘しておこう。

一番の問題は、発注する顧客側の手間がかかることである。基本設計を二重・三重に進めるのだから、当然である。基本設計をするためには、顧客側の技術者がかなり、はりついてインプットを与え、適時レビューし、注文をつけなければならない。それを公平に、かつ同時に進めるのだ。

そして基本設計費用だって、2倍ないし3倍かかるわけである(大型プラントの場合、基本設計だけで数億から十数億かかる)。良い知恵を得るため、とはいえ、構築段階のコスト競争で差があまり出なかったら、何を得したのか分からなくなってしまう。

また、ある程度分業化の進んでしまったエンジ業界において、このような『競争的基本設計』を発注できる相手もまた、限られてくる。日本のエンジ会社は比較的、設計も構築も両方できるが、世界を見渡すと、そういうプレイヤーばかりではない。基本設計はあまり得意でないが、価格競争では非常に突っ込んでくる新興国のエンジ企業を、うまく使って安く仕上げたい、と考える購買責任者だって、発注側には、いるだろう。

ひるがえって、日本のSI業界で、この競争的基本設計の方式を取れるかと言うと、なかなか微妙だと思える。要件定義を二重、あるいは三重に、進められるだけの発注側企業が、どれだけいるだろうか。また基本設計費用をダブルで・あるいはトリプルで払う案を、経営者はのめるだろうか。そして、何よりも、出てきた基本設計書と見積書を、きちんと適切に比較できるだろうか? いずれも可能性はあるが、ハードルは高い。

こうして書いていくと、<設計の知恵を、リアルな価値に変える>ための、真の障害がどこにあるか、分かってくる。それは、実は発注者側の技術的能力にあるのだ。発注者側の能力が高く、設計にもちゃんと口を出せ、コストや納期を決める技術要因も熟知し、かつ、きちんと構築・実装段階のプロジェクトを、発注側としてうまくマネージできる能力があれば、たしかに、望ましい結果を得られるだろう。たとえ競争的基本設計方式をとらずとも、技術の目利きがあるのだから、良い設計にはきちんと評価とビジネス的なリワード(継続的な発注と育成など)を工夫できるはずだ。

だが、発注者側に技術能力が欠けていて、自分が何を望んでいるのかもよく分からず、提案の技術評価もうまくできないまま、業者選定に入るようだったら、どうなるか。技術の目利きの不足の代わりに、購買のコストダウン交渉が上手ならいい、と経営が考えている場合、どういう結果が生じやすいか。読者諸賢ならば想像がつくだろう。

設計の価値というのは、対象が単純で、結果が目の前にできあがっており、かつ自分が使い方に熟知しているものほど、分かりやすい。設計の良し悪しが、B2Cの消費財やサービスで、すぐ結果に出るのはこのためだ。

逆にいうと、対象が複雑なシステムであり、かつまだ設計書の段階で、しかも機能や使い方が広範囲でイメージしにくいものほど、設計の良否を評価するのは難しくなる。B2Bでは基本要件は顧客から与えられるから、設計の自由度もおのずから絞られる。では、これを正しく評価できるのは、どんな人間か?

当たり前だが、設計の価値が一番良く分かるのは、優れた技術者なのである。優れた、というのは、それがどう作られ、どう使われるかも熟知した技術者、という意味である。発注者の側に、そうした技術者がいることが、実は業界全体の技術レベルを上げるためには、死活的に重要なのだ。

良い技術者をを育てるには時間がかかる。職場環境という土壌を整え、仕事という水をやり、報酬という肥料を与えても、技術の花が咲き、知恵の実がなるまでは年月がかかる。それを惜しんで、「技術がほしければ、世界中の良い技術をカネで買ってきて使えばいいじゃないか」とする気短な発想だけでは、自国の社会の中から技術がしぼんでいくのだ。ちょうど肥沃な耕適地を耕さずに、海外から安価な商品作物だけ輸入すればいい、と考えている国のようだ。

技術とは自らの能力を増強するイネーブラーである。もし産業界がそれを必須と考えるならば、技術の価値をビジネス上の報いに直結させる仕組みを、ぜひとも工夫すべきであろう。そして、そうした知恵を出すことこそ、経済団体や官界の仕事ではないだろうか?


<関連エントリ>
 →「設計の価値」(2006-01-01)


# by Tomoichi_Sato | 2020-09-05 15:00 | ビジネス | Comments(0)

お知らせ:BOM/部品表とPMに関するオンライン講演を行います(9月10日・9月17日)

えー、前の記事では「この項続く」と書いたばかりですが、ここでスポンサーからお知らせです(笑)。
9月に2件のオンライン講演を行います。前者はエンジニアリング・チェーンとPLMに関する話題(無料)で、後者はスケジューリング学会シンポジウム(有償)でのプロジェクト・マネジメントに関する研究発表です。

実はつい最近、拙著『BOM/部品表入門』の増刷が決まりました。おかげさまで累計1万2千部です。2004年に上梓した一種の専門書が、16年後まで現役で売れ続けているのはとてもうれしいこですが、逆にそれだけBOM関係の情報のニーズが高いのだろうなと想像します。結局、設計から製造への機能的な橋渡しに悩む企業が多いからでしょう。同書の中国語版も売れ続けていますので、悩んでいるのは海を隔てた向こう側も変わらないようです。

今年の『ものづくり白書』でも、「サプライチェーン」と「エンジニアリング・チェーン」が生産で合流する、という概念の説明が出てきます。サプライチェーンは物づくりの順番に従い、受発注から始まって、生産計画→生産→流通・販売→保守・アフターサービス、とつながっていきます。これに対して縦軸は、研究開発→商品企画→製品設計、という製品開発の「エンジニアリング・チェーン」がぶつかり、両者が『生産』で合流します(より正確に言うと、製品設計の後には、工程設計→試作→量産準備→がはさまってと生産につながる訳ですが)。

エンジニアリング・チェーンを統合的に支えるソフトウェアは、PLM(Product Lifecycle Management)と呼ばれます。現時点では、その主力製品は欧米製です。複数部署をまたいで、データ中心に業務プロセスを統合する取り組みは、欧米製造業の方が先を走っているのでしょう。その統合の要は部品表/BOMデータベースで、その中にE-BOM→M-BOMが整合性をとって格納される姿になっています。

ところが現実には、PLMソフトの導入と、 SCM/生産管理系との統合は、なかなか一筋縄ではいきません。もともとPLMは、量産型の製造業を念頭に置いて作られたからです。他方、日本の多くの企業は受注生産、とくに個別性の強い受注設計生産の形態に取り組んでいます。こういう状況下で、BOMのあるべき姿について、皆が頭をひねる必要が出てきている訳です。

ここで登場するのが、設計という業務にまつわる「個別性の罠」です。どんな設計作業でも、つねに一度限りの営為です。これをどうマネージするかに、多くの組織が悩んでいます。

そして、そこで鍵となるのがプロジェクト・マネジメント(PM)の技術です。プロジェクトは、つねに個別性との戦いです。そこでは繰り返し型業務における、お得意の「PDCAによるカイゼン」が、うまく働かないからです。そうした意味で、製造業におけるPMの有用性は非常に高まっています。

しかし、現代のPM手法にも大きな課題があります。とくにプロジェクトが大規模化すると、「崩壊現象」と呼ぶべき事象が、ときおり起きるのです。人員を追加しても生産性が上がらず、いわゆるデスマーチ状態に陥って、いつ全体が終わるか誰も見えない、そういう状況です。モダンPM理論は、EVMSとかクリティカル・パス法などの技法で、プロジェクトの先行きを予測・計画していきます。しかし、それが機能しなくなる状況が生じるのですから、今の理論にはまだ、足りていない部分が残っている訳です。

2つのセミナーはテーマも内容も異なりますが、ここに述べたような問題をめぐって、皆さんと一緒に議論できればと思っています。関心のある方のご来聴をお待ちしております。


<記>

(1) 「BOM/部品表とエンジニアリング・チェーンのマネジメント」

日時: 2020年9月10日(木) 13:30 ~ 16:45(小生の講演は13:35~14:35の時間帯です)
テーマ: 「BOMで改善! 中小企業の設計効率を上げる業務改革」
主催: エスツーアイ(株)+ダッソーシステムズ(株)
セミナー詳細: 下記をご参照ください(無料、定員なし)
  なお、セミナータイトルには「中小企業」と書いてあるのですが、中堅あるいは大企業の方も歓迎です。
  むしろBOMマネジメントの問題は、ある規模以上の組織の方が難しい面がありますので。


(2) 「プロジェクトのコスト超過と崩壊現象のシミュレーション」

日時: 2020年9月17日(木) 14:30~15:45
主催: スケジューリング学会 「スケジューリングシンポジウム2020」
    オーガナイズドセッション「プロジェクト・マネジメントの教育と実践をめぐって」講演(1)
概要:
プロジェクトの完了日予測と、完了時点でのコスト予測は、プロジェクト・マネジメントにおける重要な課題である。従来、完了日はPERT/CPMのクリティカル・パス分析と、各アクティビティの進捗から計算してきた。また完了時点のコスト予測(Cost EAC)はEVMS手法により推定した。これらの手法はいずれも確定的予測であって、リスクと不確実性を反映することが難しい。他方、プロジェクトの実践現場においては、大きな納期遅れとコスト超過を伴う「崩壊現象」が、時おり生じることが知られている。本発表では、プロジェクトのアクティビティ・ネットワークにおける遅延とコスト超過の連鎖反応のパターンについて、シミュレーションを元に考察する。

シンポジウム詳細: 下記をご参照ください(有償です)


以上、よろしくお願いします。
               (佐藤知一)


# by Tomoichi_Sato | 2020-08-27 22:25 | サプライチェーン | Comments(0)

設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 問題の所在

エンジニアだったら誰もが、「自分の出した知恵で、評価されたい」と思うだろう。優れたアイデアを出せば、それが高く評価される。逆に、つまらぬ設計しかできない者は、たいして評価されない。世の中は、そういう風であってほしい、と感じている人は多いはずだ。

評価という言葉には、いろいろな意味がある。同僚や周囲からリスペクトされるのも、評価だ。新しい重要な仕事のリーダー格に取り立てられたり、昇進するのも、評価だ。もちろん、給料やボーナスに反映されるのも、評価だ。ともあれ、優れた知恵を出したら、尊敬され、リーダー役に抜擢され、ちゃんと経済的にも報われるべきだ。つまり、良い設計の知恵は、リアルな価値に、ちゃんと具現化されてほしい。

だが、そうあってほしいと感じる人が多いのだとしたら、それは逆に、世の中はそうなっていない、という事の証拠であろう。自分の身の回りを見る限り、あんまりそうなっていないな、なんとも世の中アンフェアだ。それが多くのエンジニアの実感ではないか?

*** *** ***

「SIer」という業態は、本当に将来性があるのか、という質問を、SI業界の人に会うたびに、何年も前からするようになっている。説明の要はないと思うが、SIとはシステム・インテグレーションSystems Integratrionの略で、ITシステムの受託開発ビジネスを指す。そしてSIer(エスアイヤーと読む)は、それを業としている会社のことだ。将来性があるのかという質問は、もう少し今風に表現するなら、『サステイナブルなビジネス』なのか、ということだ。

こういう質問をすると、SI業界の人はたいてい、苦笑いしたような表情になって、「そうですねえ・・」と言葉を探す。「もちろんですよ!」という希望と自信にあふれた答えがかえってくることは、まずない。「正直、将来性は無いんじゃないでしょうか」と、ぼそっとつぶやかれることもある(もちろん会社の会議室ではなく、懇親会の席上であったりはするが)。そういう状況だから、優秀な若手人材も、なかなか集めにくいという問題が生じる。

ITとかデジタル技術とかいうのは、時代の先端をゆく技術分野である。そして知恵のカタマリであるはずのシステムを作っている。なのに、なぜ、将来性があるかという質問に、前向きな答えが来ないのか。なぜ有能な若手にそっぽを向かれるのか? それは、受注型プロジェクトで金を稼ぐ、この業界の構造ないし行動習慣に問題があると、多くの人が認識しているからだ。

日本のIT業界の特徴は、ITエンジニアの大半(約7割)が、ITベンダー側に属していて、ユーザ企業側にはそれほどいない事である。これについては、元日経コンピュータ編集長の谷島宣之氏が『ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国』 という興味深い本を著して以来、広く知られるようになった。つまり、企業内の業務システムの殆どは、自社内で作るのではなく、外部のIT企業に作らせるのである。そこで、ITシステム開発(システム・インテグレーション)は、受注型プロジェクトとして遂行されることになる。

別に内製ではなく外注でもいいじゃないか、大規模なシステム開発プロジェクトなんて、普通は何年に一回しか無い。その時のために、ITエンジニアを大勢、社内に抱えておくのはもったいない。――そういう意見だって、もちろんあるだろう。

ついでにいうと、上述の谷島宣之氏の著書によると、米国では日本と逆に、ITエンジニアの7割がユーザ企業にいて、自社のシステム開発プロジェクトに携わっていると書かれている。それはそのとおりだが、米国では企業間の転職が多く、プロマネ職種の人達も、渡り鳥のように案件単位であの会社からこの会社へと、わたっていくことが少なくない。ある意味、彼らだって「外の人」なのである。

だから、日本のSI分野の問題は、内製か外注かにあるのではない。実は、「設計で知恵を出しても、ビジネスとして評価されにくい」点に、根本原因があるのだ。エンジニア個人の評価が、最終的にはポジションや給料で決まるように、企業の評価は、利益を出したり、継続的に良い条件で仕事をもらえるか、という点で測られる。つまり、ビジネスとしてのサステナビリティである。

今日のITシステムの開発は、ふつう「要件定義」段階と、「実装」段階とで、契約フェーズを分けて、進められる。これは、たとえば製造業やエンジニアリング産業における、「基本設計」と「製造・構築」に相当すると思えばいい。当然ながら、要件定義(=基本設計)段階は、全体に占める割合は小さい。そして実装(=製造・構築)段階は、はるかに金額が大きくなる。まあ、一桁くらい違っても不思議ではない。

ちなみに、現在の業務系システム開発の多くは、まるきりゼロからプログラムコードを書く、いわゆる「スクラッチ開発」をするケースは多くない。しばしばパッケージ・ソフト、ないし開発フレームワークがあって、それをベースにFit & Gap分析などをしながら、要件定義を進め、コンフィギュレーションやアドオンで実装をする、というスタイルだ。

「要件定義書」が出来上がり、それを核とした提案依頼書(RFP=Request for Proposal)がワンセット揃ったら、複数のSIerに競争見積を出す、というのが今の主流のスタイルだ。

要件定義段階は、いわゆる「準委任契約」で進められる(これは製造・エンジニアリング産業における「実費償還契約 Reimbursable contract」とほぼ同じだが、日本のIT業界はなぜか、準委任という民法用語を好んで使う)。だから受注側に赤字リスクは小さいが、金額も小さいので、旨味が少ない。

ビジネス的に売上が大きくなり、かつ、うまくやれば利益も大きくなるのは、実装段階の一括請負契約である。だからSI業界では、要件定義はある意味、「海老で鯛を釣る」ためのエビであって、本当の狙いは、実装というタイを釣り上げることにある。

SI業界は「人月商売」、と揶揄されることもある。人月(man-month)とは、作業量の単位だ。これに単価をかければ、すなわち売上額になる。だから、なるべく受託側としては要件定義段階で、開発に要する規模=人月を大きくした上で、実装の仕事を一括請負型プロジェクトで受託し、そこで売上と利益を確保したい、という思考習慣が強い。

もちろん発注側としては、それではたまらないので、同じスコープ(役務範囲≒作業量)ならば、なるべく単価の安いところに発注しようと考える。だから複数のSIerに引合いを出し、価格競争に持ち込もうとする。そして受託側は、単価を下げるために、たとえばオフショア開発などの比率を上げて価格競争力確保にいそしむ、ということに相成る。

以上のプロセスの、どこに「知恵を価値に変える」部分があるだろうか。要件定義段階で良い基本設計をして、少ない労力で開発できたり、運用保守のコストが低減できたりしたとして、それはどこで誰が評価してくれるのだろうか?

図を見てほしい。これは経産省の『ものづくり白書』2020年版の、第1部第1章3節に掲げられた図だ(ちなみに、今年の「ものづくり白書」は例年以上に、面白い)。
設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 問題の所在_e0058447_19171340.png

これは製造業におけるものづくりのプロセスを例に取っているため、横軸は「企画→製品設計→工程設計→製造」となっている。読者諸賢は、SIその他、ご自分のよく知っている分野に置き換えてみてほしい。

ともあれ、仕事のプロセスの進展とともに、設計の自由度は減っていき、逆に出来上がるアウトプットの品質・コストはどんどんと確定度が上がっていく。そして、設計段階で品質・コストの8割が決まる。設計の終わりをどこに置くのか、8割という数字が妥当かどうかは議論の余地があろうが、この傾向自体に反論する技術者は少ないだろう。

だから、製品のコストと品質の殆どを決める設計段階で、知恵を出すことが重要なのだ。そして、そこで出した知恵こそが、利益や、リカレントな受注という、ビジネス上のリアルな価値に直結してほしい。それが、エンジニアの共通の願いである。

ここまで、SI業界を俎上に上げて、人月ボリューム志向のビジネス慣習が、いかに設計の価値を阻害し、最終的には優秀な人材の離反を招いているか、論じてきた。SI業界の読者の中には、不快に思った方もいるだろう。じゃあ、お前のいるエンジ業界はどうなんだ。あるいは、製造業や、他の業界はどうなんだ、と。

実は、その問題構造は通底している、というのがわたしの認識である。プラント・エンジニアリング業界のプロジェクトのあり方は、意外なほど、SI業界のあり方に似ている。だから、わたし達も実は、よく似た悩みを抱えている。

そして製造業、とくに日本が得意とする部品・素材業界も、やはり設計の知恵をリアルなビジネス価値に結びつける点で、悪戦苦闘しているように思える。部品・素材業界は、多くは受注ビジネスだ。顧客である自動車会社や電機会社の要望する特性・品質の材料部品を、個別の要求に応じて設計し、毎月の注文に応じて生産している。つまり、同じようにB2Bビジネスをしている訳だ。

そして、製品の企画・設計段階から、ユーザ企業に呼ばれて、いろいろ要望を出され、対応するために知恵を絞って、部品材料を設計提案する。もちろん試作もする。でもって、めでたく採用かと思った段階で、購買部門が出てきて、他社との価格競争に巻き込まれるのだ。設計の知恵は、ようするに価格競争というレース場への、入場券でしかない。こういう事例を、ときおり耳にする。

このような状態が、あちらの業界でもこちらの業界でも生じているのだとしたら、誰が喜んでエンジニアなどという職種になりたがるだろうか? 知恵を出しても、会社の利益にもならず、当然、自分の評価にもつながらない。

経済団体やら識者らが、ときおり、日本の技術力の低下について、嘆くことがある。まあ、世のおじさん達の頭の中では、未だに日本は「技術一流、政治三流」みたいな信仰が残っているらしいが、技術の現場で走り回っている若手中堅の実感とは、相当に開きがあるだろう。今、日本のIT技術が、世界で超一流と思っているITエンジニアって、どれだけいるだろうか?

本来、経済団体などは、そういう業界構造やビジネス慣習を改革するためのイニシアチブを取るべき立場にあるはずだ。だが、どうやら、日本の技術をめぐる、根本問題の所在に気づいていないらしい。

では、問題の在り処を理解したとして、具体的には、どうすべきか。

システム開発の外注をやめて、全部内製化し、それもアジャイル開発でMVP(Minimal viable product)を短期間にローンチし、UI/UXを磨いてユーザをひきつけ、新しいビジネスを切り開けばいい、というのが、現在出回っている回答の一つだ。いわゆるデジタル・トランスフォーメーション(DX)戦略である。

なるほど、確かに、設計や実装におけるアイデアを、すぐにビジネス価値につなげられる方法である。ただし、このやり方、万能ではない。まず、すべての業務システムがアジャイル開発に向いている訳ではない。また、とくに、B2B業界でのカスタマーとの関係のあり方を考えると(←まさにこの点が、上述した問題の根本原因なのだ)、カッコいいUXだけでビジネスを引きつけられる訳でもない。

では、どうしたら良いのか。他に何か、良い知恵はないのか。長くなってきたので、わたしの業界における一つの取組み、『競争的基本設計』(Competitive FEED)について紹介した上で、この問題の出口について考えてみることにしよう。

(この項続く)


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# by Tomoichi_Sato | 2020-08-22 20:18 | ビジネス | Comments(0)

『佐藤、お前は傲慢だ』 〜 あるいは、経験から学ぶことの困難ついて

「佐藤。お前は傲慢だ。」

−−随分昔、上司のSさんに言われた。言われたが、自分がなぜそんな事を言われるのか、よく分からなかった。

たしかその時、わたしは顧客の要求事項について、Sさんに説明していた。客先は、こことここを、こうしてほしい、と言ってきています。でもそれって、元の設計の方針とは少し、ずれてきています。客先の意図と背景を推測すると、実はこれこれこういう要望事項が、隠れているんじゃないでしょうか。だとしたら、顧客の真のニーズに合わせた開発をするべきでしょう。

「顧客が『欲しい』と口で言うことを、ただ実現するよりも、顧客が自分でも気づかない真のニーズを満足させることが、設計者の使命だと思います。」

という意味のことを言ったら、Sさんに

「佐藤。お前は傲慢だ。」

と叱られたのだ。上司に言われたので引き下がったが、内心わたしは納得していなかった。顧客が欲しがる解決手段(How)としての「ウォンツ」ではなく、顧客が何故それを必要とするのか(Why)を示す「ニーズ」にフォーカスすべきだ、と、今でも思っている。

しかし、その時、Sさんがわたしに諭した「お前は傲慢だ」という指摘は、それでも正しかったのだ。ただ、それが分かるまでには20年以上の時間が必要だった・・


この文章を書いている今日は、8月15日、いわゆるお盆の日だ。終戦記念日でもあり、西洋キリスト教社会では、聖母被昇天の祝日(≒聖母マリアの命日)でもある。先祖を追悼し、昔のことを想う日だ。なので、ここにいささか恥ずかしい、自分の反省の記録を書いておく。

2週間前の日曜日である8月2日、本来わたしは演奏会のステージに立って、合唱を歌っているはずだった。曲目はJ・S・バッハ『マタイ受難曲』。指揮は佐々木正利(声楽家・岩手大学教授)、演奏は「佐々木バッハセミナー合奏団および合奏団」。だが、周知の通り、現下の状況では、とても合唱演奏会を開ける状況にない。わたし達は涙をのんで、演奏会の中止・延期を決めた。

この合唱団の母体となったのは、毎年夏に、池袋・目白にある「自由学園明日館」で4日間に開催される、「佐々木バッハセミナー in 明日館」 というセミナーの参加者だ。このセミナーは後援団体のない自主セミナーで、中心となるTさん・Kさん・Tさんらが、佐々木先生をお迎えし、2002年から毎年手作りで開催してきた。曲目は、佐々木先生のご専門であるバッハの声楽曲がほとんど。わたしも一応、運営スタッフの末席にいるが、大したことはしていない。
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自由学園明日館(本館)

このサイトの読者諸賢は、合唱、ことにバロック時代の合唱曲など、興味のない方がほとんどだろう。だからくだくだしい説明は省略するが、多作家だったバッハの作品の中でも、「マタイ受難曲」は最高峰とされている。長大で(演奏すると全部で3時間半くらいかかる)、編成も大きく(二重合唱でオーケストラも二手に分かれる)、名曲のほまれも高いが、演奏技術面でも難曲かつ大編成なので、簡単には演奏できない(費用が相当にかかるからだ)。

だが、バッハの音楽を好む人にとっては、「一生に一度はチャレンジしてみたい」大曲でもある。それは「バッハセミナー in 明日館」の面々も同じだ。とはいえ、わずか3日半のセミナーで、全部を仕上げるのは不可能だ。そこで、段階的なアプローチをとった。まず2017年夏は、マタイの第1部。翌2018年夏に、第2部を、それぞれセミナーで勉強する。その上で、2019年から希望者を募り合唱団組織を作って、月2回の練習を続け、2020年夏に、全曲演奏会を行う、というプロジェクトである。

ところでその第一歩、2017年の夏のセミナーで、わたしはとんでもない経験をした。ゲネプロの舞台の上で、自分のソロの箇所で、立ち往生したのだ。

ゲネプロというのは本番直前の総練習をさす。セミナー最終日の、事実上の仕上げ段階だ。それなのに、自分が歌うべき箇所を、わたしは歌えなかった。それも、長い曲ではない。全部でわずか、7小節である。でも、歌えなかったのだ。緊張であがって歌えなかった、のではない(そんな可愛らしい年齢ではないよね)。拍の長さを、数え間違えたのだ。

わたしは合唱が趣味だが、別に歌がうまいわけでもないし、声量があるわけでもない。この明日館の夏のセミナーで、ソリストとして舞台に立つのは、たぶん7年ぶり、2度めだったと思う。ちなみにセミナーでは、器楽演奏家はプロの方をお願いするが、歌のソリストは毎回、参加者の中から希望を募り、オーディションで決めることになっていた。希望者が多い場合は、1曲を分割し、リレーして歌い継ぐ。ただ参加者は上手な歌い手が多く、それでも競争は厳しい。わたしはあえて、ソロは希望してこなかった。

でも3年前、セミナーの始まる初日に、家を出る前、連れ合いに「今年はテナーのオーディションを受けようと思う」と告げた。第1部には20番という、比較的短いテナーソロ(合唱のオブリガードつき)があり、そこなら歌えそうに思ったのだ。すると連れ合いは、「度胸だけじゃなく、ちゃんと猛練習しなきゃ恥ずかしいわよ。このごろ、仕事は度胸だけで乗り切っているでしょ」と言い返してきた。図星なところがあってドキリとした。

2017年度のセミナー参加者は、過去最高の103人。自由学園明日館の講堂は、F・L・ライトの流れをくむ名建築で文化財だが、このときばかりは狭く見えた。これじゃソリストへの競争は厳しいな。だが不思議なことに、20番のソロの希望者はわたしを含む2名のみで、佐々木先生は「時間がもったいないから」オーディションは省いて、当選ということになってしまった。

セミナー3日目に、器楽とソリストの合わせ練習が始まる。わたしが分担する箇所は7小節。歌詞なんかワンセンテンスで、「わがイエスのそばで、わたしは目覚めています」だけだ。だが、なぜか、わたしは間違えてしまい、恥ずかしい思いをした。第25小節目(楽譜の印のある箇所)で、シの♭(ドイツ音名でB)を、八分音符で6個半分の長さ、伸ばさなくてはいけない。それを、短く切り上げてしまったのだ。
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その日の午後には、器楽演奏者が全員揃い、舞台配置で再度練習があった。伴奏してくれるのは、チェロ・田崎瑞博氏、オルガン・能登伊都子氏、といった当代一流の演奏家たちである。それなのに、また切れ目を間違えてしまい、2回やり直してもダメ、3度目の正直で、ようやくなんとか通った。家に帰ってピアノで曲をさらい直した。気づきはもちろんあったが、音型自体は単純なのだ。なのに、なぜ間違えるのか?

そして最終日。午前10時からのゲネプロでも、自分のソロの部分を見事に間違えてしまった。今度は逆に、1拍遅れた(伸ばしすぎた)のだ。その後のダメ出しで、お願いしてもう一度やらせていただき、ようやく成功。しかし単なるまぐれで、薄氷だったことは、自分でわかっていた。

本番前のお昼休みの時間に、講堂の裏でもう一度、一人で練習をしなおした。昨日のリハの録音を聞きかえしているうちに、自分のどこが間違えていたのか、ようやく少しずつ分かってきた。練習の時、肝心の25小節に入ると、なぜか器楽が妙に遅くなったように、いつも感じていた。だが、もちろんプロがそんな事をするわけがない。実はその前の23〜24小節の、メリスマ(早い動きの箇所)で、焦ってしまい、自然に自分の側のテンポが早くなっていたのだ。だから音を伸ばす25小節目に入ると、オケが遅くなったように感じたのだった。

ようやく原因がわかった。だとしたら23〜24小節を、ちゃんと正しいテンポで歌えるようにするしかない。昼休みの残りの時間、たぶん20回以上、その箇所を録音とともに繰り返して歌った。

本番の修了演奏会では、幸いなことにソロの部分も、指揮する佐々木先生の顔だけを見ながらテンポをおっていたおかげで、ちゃんと歌い通すことができた。本当にラッキーだった。天の助けだと思った。

あの日の修了演奏会の後の打ち上げパーティのことは、はっきり覚えている。明るい盛夏の午後だった。明日館本館の、ライト自身が設計した食堂に皆が集まって、おいしい食事と飲み物を取りながら、互いに感想を述べるのだ。そして何人もの人に、「ちゃんと歌えて良かったですね」「アルトは皆、数を数えて応援していましたよ」などと声をかけられ、ありがたく感じるとともに、顔から火が出そうな気がしたのだった。

さて、興奮がぬけた翌朝、もう一度、冷静に考え直してみた。Q1:なぜ、わたしはあの簡単な箇所で伸ばし間違えたのか?

答えは、A1:その直前の小節で歌い急ぎすぎたからだ。

ではなぜ、Q2:前の小節で歌い急いだのか? 答えは、A2: 指揮のテンポや器楽の音に注意が向かなかったからだ。

では、Q3: なぜ、指揮や器楽に注意が向かなかったのか? そんなの、音楽演奏の基本じゃないか、とわたしの中の声がいう。もちろん、そうなのだ。でも、A3: あそこは細かい動きの続くメリスマの箇所だった。

なるほど。だが、Q4: なぜ、メリスマで急いだのか。そのメリスマの箇所はそんなに難しかったのか? −−そう言われると、やや答えに窮するのだ。だって、バッハはメリスマの作曲家と言っても過言ではない。彼のカンタータや受難曲は、長大で困難なメリスマが山のように詰まっている。その中で、この20番など、平均的なものでしかない。

だとしたら、答えははっきりしている。A4: 練習が足りないからだ。

普通なら、ここで自問自答は終わる。だがわたしは、もう一歩だけ先の扉を押した。

Q5: だったら、なぜ練習が足りないのに、お前はソロのオーディションにエントリーしたのか?

A5: 自分が傲慢だからだ。

ここで初めて、わたしは本当の答えを得たように思った。あの歌がちゃんと歌えなかった根本原因は、自分が傲慢だったからなのだ。

曲のオーディションに受かるかどうかなど、結果に過ぎない。大事なのは、自分が納得できるまで練習したかどうかなのだ。それをせずに、ノリで受けるだけだとしたら、それは、誠実に準備してきた他の人達を侮辱することになる。わたしがしたのは、そういうことだった。「佐藤。お前は傲慢だ。」という元上司のSさんの声が、そのとき耳に蘇った。

わたしはその月、すぐに尊敬する声楽家の門を叩いて弟子入りし、歌の勉強を一からやり直すことに決めた。今までも、発声指導の先生についたことはあった。だが長い間、合唱が趣味だと言いながら、ちゃんと歌を習ったことがなかった。それがそもそも、怠惰なのだ。

翌2018年夏のバッハセミナーで、わたしは再び、「マタイ受難曲」第2部の34番、短いテナーのソロに応募した。わずか10小節のレチタティーヴォだ。2人で分け合うことになり、わたしの割当は前半6小節だった。本番当日は風邪気味で、十分な出来ではなかったが、少なくとも今度は間違えずにちゃんと歌えた。その1ヶ月半くらい前から、家でずっと繰り返し練習してきたからだ。家族は(またその曲か、いい加減にしてほしい)という顔をしていたが、我慢してもらった。

それに、歌の先生についたことで、少しは進歩もあったようだ。自分では何が変わったのかよく分からないのだが、佐々木先生からは練習時に、「知一さん、例年に比べて声が出るようになったな。」といわれた。それが一年前のつぐないに思えた。

これでわたしの、短い思い出語りは終わりだ。まことに無様な失態から、ようやくひとつの学びを得たということだ。

それにしても、「お前は傲慢だ」と上司に言われてから、20年近くたって、やっとその意味が分かるとは。これは、「学び」の深さと、難しさを示している。わたしのような自惚れの強い人間が、何かを学ぶには、痛い思いをしなければ、きっかけを得られないらしい。

おまけに、学ぶためには、乗り越えなければならない障害、ないし敵がある。

学びの第一の敵は、傲慢なのだ。傲慢だったら、何も学ぶ必要はないと、うぬぼれる。それでも、たまたま運が良ければ、あまりひどい失態を経験せずにすむ。あるいは、自分の失敗を見ないふりして、生き続けることも、できるだろう。

ただ、それでは、周りが迷惑だ。わたし達の社会は、互いに支え合いながら、できあがっている。どこかに傲慢な人間や組織があると、その負荷を周囲が担っていくことになる。傲慢な人間たちは学ばないから、同じような失敗を何度でも繰り返す。繰り返しつつ、糊塗していく。そのツケは、結局、社会の周囲に回されていく。

わたし達の社会は、わたし達の父祖が苦労して築いてきたものだ。傲慢さは、それを蝕む。もし、わたし達が先人たちの魂に何か感謝を示したいのなら、まず、謙虚になって、「わたし達は経験から学びます」と誓うべき事であるはずなのだ。


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# by Tomoichi_Sato | 2020-08-15 15:18 | 考えるヒント | Comments(0)

欠品を起こさないための在庫手配入門(3)――安全在庫を確保する


前回は、営業所の在庫手配において、「物理的にはそこに存在しているが、近い将来出荷用に予約されている」状態の在庫品、すなわち『引当て』の考え方を説明した。手元にある総在庫量の内、自由になるのは、したがって、まだ引当されていない分である(もちろん不良品はないという前提)。これを未引当在庫量、ないし有効在庫量という。

 [有効在庫量] = [総在庫量] − [引当済み在庫量]

工場の部品在庫などでも、すでに製造オーダーが切られていて、使用予定が決まっている分は、「引当されて」いる状態にある(たとえ仮にまだ、資材倉庫の棚にあっても、近い内にピッキングされて製造現場に払い出される)。だから、MRP(Material Requirement Planning)の資材所要量計算では、各品目について

 [総所要量] − [有効在庫量] = [正味所要量]

という計算をする決まりになっている。この正味所要量から、さらに子部品の総所要量へと、部品表(BOM: Bill of Material)にしたがって展開していく計算を、MRPの部品展開という。

さて、営業所にいるあなたの場合は、できあがった製品在庫だけを相手にしているため、部品展開だの製造オーダーだのといった話は、関係がない。純粋に、現時点での有効在庫量を元に、先々顧客から入るであろう注文の数量(需要量)と、本社から補充供給される予定の数量(供給量)から、在庫量の推移を考えればいい。

あなたは、担当する製品Xについて、現在庫量が24日分、そして来月初に18日分の供給予定があることを知っている(なお、1ヶ月は平均20営業日とする)。だが、現在庫量のうち、11日分はすでに引当されていて、有効在庫量は実質13日分だ。

引当済みの分は、一週間後、すなわち5営業日後に出荷される予定になっている。ということは、今月の需要を1ヶ月分=20日分とすると、そのうち11日分はもう引当済みだから、残る20-11=9日分の需要を、賄えれば良い。手元には13日分の有効在庫があるから、なんとか今月は乗り切れそうだ。今月末の在庫は13-9=4日分まで減少しているだろう。だが、来月の月初には、先月手配した18日分の追加供給があるから、月初在庫量は4+18=22日分ということになる。来月末まで、なんとかもちそうだ。

ただしこのままでは、来月末の在庫は22-20=2日分しか残らない。再来月の早々には、欠品が起きる可能性がある。だから本社に今日、生産依頼をかける必要があると、あなたは判断した。納期は2ヶ月なので、今日頼めば再来月の頭には届く。そこで、製品Xの需要は比較的安定しているという先輩の経験知にしたがい、発注から納入までのリードタイム日数分、すなわち40日分(数量でいうと200個)を、本社に依頼しようとした。

ところが先輩はあなたに、「それだけじゃ、足りないんだ」という。

――なぜですか。200個あれば、次の補充までの2ヶ月間の需要には間に合う計算です。

「計算上は、な。だが世の中、計算通り行くとは限らないんだ。月の需要量が100個と言っても、それは平均だろ。もっと売れる月もある。あまり売れない月もある。たくさん売れたらどうする。たちまち欠品するじゃないか。たくさん売れたら自分が困るような営業所じゃ、ビジネスにならない。」

――てことは、もっと多めの生産依頼をかけろ、ってことですか?

「とりあえずは、な。2ヶ月分ってのは、いわば最低必要な基準の数量だ。それじゃ欠品が起きる可能性があるから、それにゲタを履かせるべきだ。安全在庫ってやつだな。」

――分かりました。それじゃ、いくつ上乗せすればいいですか?

「いちいち聞かずに、自分で調べて考えてみろよ。」

先輩はそう言い残すと、客先まわりに出かけてしまった。あなたは例の、累積需給曲線を描いて考えてみる。需要を表す線は、毎日平均的に売れていく場合、右上がりの 45度の直線になる。横軸も縦軸も、おなじ日数単位だからだ。どの品種をとっても、この図の描き方に従えば、右45度の線になる。それが、この図の利点だ。

欠品を起こさないための在庫手配入門(3)――安全在庫を確保する_e0058447_20481848.jpg
だが、先輩の言うことも分かる。たしかに、多く売れる月もあれば、あまり売れない月もある。売れ行きの良いときは、線の傾きはきつくなるし、逆に、売れ行きが芳しくないときは、傾きは緩やかになるのだ。傾きが急になると、供給線とぶつかってしまう。需要線が供給線を上回るときは、欠品の発生を表す訳だ。欠品を起こさないためには、本社に手配する生産依頼の数量を増やして、供給線を需要線からもっと離す必要がある。

では、どれくらい離せば良いのか? 自分一人では、見当もつかない。仕方なく、あなたは過去1年間の製品Xの出荷量を調べてみることにした。といっても、販売管理システムには、個別の受注オーダーと出荷実績しか残っていない。しかたなく、全部をリストアップして印刷し、手元のExcelに転記して、月ごとに集計してみた。結構めんどくさい仕事だったが、次のような数字を得た。

月  出荷量
  1  89
  2  41
  3 147
  4 122
  5 101
  6 123
  7  70
  8  83
  9 126
 10 114
 11  82
 12 102

ウーン。この先どうすれば良いのかなあ。ともあれ、数字を眺めてみると、たしかにずいぶんバラツキがあることは分かった。安定した需要だ、なんて先輩はいっていたが、一番多い月は、147個も売れている。平均のほぼ5割増しだ。逆に少ない月もある。一番売れなかった月は、41個で、平均値からは6割減だ。ちなみにExcelで平均値を見ると、ちょうど100個になった。まるで作った問題みたいだ(笑)。

だとすると、最大値の147個から見て、ざっくり50個ほど、余裕を見て「安全在庫」をもっておけば良さそうに思える。でも、これって、過去1年分の数字を見ただけの結果だ。それで十分と言えるのか? あなたはだんだん意地になって、先輩の鼻を明かしてやりたいような気持ちになっている。ただ、じゃあ過去3年分を調べるかというと、あんな面倒くさい作業はもう嫌だ。何か、もっとうまい方法はないのだろうか?

あなたは、ネットで検索してみた。すると、安全在庫の計算式というのを見つけることができた。なんとかコンサルタントの日誌から、というようなタイトルのサイトだったが、そこには、発注点管理の場合の適正在庫量は、次の計算式で求める、と図が示されてあった。

 適正在庫の発注点 = 基準在庫量 + 安全在庫量
 
 基準在庫量=手配から入手までのリードタイム期間分(L)
 安全在庫量(安定需要の場合)=
  サービス率:95%    1.65 × 需要量の標準偏差 × √L
  サービス率:99%    2.33 × 需要量の標準偏差 × √L
欠品を起こさないための在庫手配入門(3)――安全在庫を確保する_e0058447_20532252.jpg

手配から入手までのリードタイム期間分(L)、ってのは、2ヶ月分だな。それが基準在庫量になる、と。あなたが考えていた事はそこまでは正しかった訳だ。ただ、安全在庫量のところにある「サービス率」って何だっけ? 以前、先輩が何やら口にしていた気もするが、これも調べてみると、「サービス率とは、顧客の要求に応じて製品を出荷できる割合。欠品率の逆。」と書いてある。

すると、サービス率が95%というのは、欠品する確率が5%ということなのだな。サービス率99%は、欠品率1%だ。どっちが良いのだろう?

2ヶ月分ずつを発注するんだから、まあ平均すると2ヶ月に一度、発注手配をかけるわけだ。すると、サービス率95%なら、20回に1回、欠品が起きる。つまり40ヶ月=3年と4ヶ月に1回ずつ、という訳だ。これがサービス率99%だと、100回に1回、つまり200ヶ月に1回だ。それって18年弱だ・・そんなに先まで、この営業所にいないよな。そもそも、製品Xだって、そんな先まで売れてるかどうかあやしい。じゃあ、95%でいいや。これでも3年は持つわけだから、立派なもんだ。

あとは、需要量の『標準偏差』かあ。聞いたとこはあるけど、どうやって求めるんだっけ。・・えーと、なになに、「標準偏差は、ExcelのSTDEVA関数で求めれば良い」か。親切なサイトだなあ。

言われたとおり、Excelで過去1年分のデータを選択して標準偏差を計算してみると、28.9個という数字になった。それに、1.65をかけて、さらにリードタイム期間の2の平方根をかける、と。2の平方根は、SQRT(2)だな。結果は、67.5個となった。まあ端数は繰り上げて、68個が、適正な安全在庫量ということだ。需要量の平均は1営業日に5個だから、3週間分よりちょっと少ない程度の量だな。

あなたは外回りから戻った先輩に、今月は268個の生産依頼を本社にかけます、また今後(再来月以降)は、在庫量が268個を切ったら、200個ずつ手配をかけることにします、と伝えた。先輩は「わかった」とだけ答え、特にそれ以上、何も言わなかった。サービス率や標準偏差について、聞かれたら説明しようと思っていたので、あなたはちょっと拍子抜けだった。だが、ともあれ宿題は一つ果たしたのだ。

ただ、こういう作業を担当する全部の品種についてやらされたら、たまらないな、とも思った。こういうのは、販売管理システムか何かの中で、自動的に計算してほしい。コンピュータなんだから、さ。この式は、どんな品種にも、当てはまるんじゃないか。それが安定した需要である限り(そして安定需要かどうかだって、コンピュータで計算できるはずなのだ)・・


以上が、欠品を起こさないための在庫手配の顛末である。なお、もう少しだけ注記を付けておく。

(1) サービス率について:

需要量には上限がないので、あたりまえだが、サービス率=100%ということは、理論上ありえない。だから、99% とか95%とか、実用的な目標値を設定することになる

(2) 安全係数と需要変動のパターンについて:

上の式に出てくる1.65とか2.33という数字は、『安全係数』と呼ばれる。これは統計学的に言うと、正規分布において、標準偏差のn倍の領域内の面積比率に対応している。だが、世の中の需要パターンが、正規分布に従うとは限らない。だから本当は、まず過去の出荷量の変動パターンをきちんと分析して、正規分布に近い場合にのみ、使うべき係数である。

たとえば、もっと間欠的な需要(つまり、数ヶ月おきにポツリポツリと出ていくような製品)の場合、上の式の安全係数を当てはめると、在庫が大きくなりすぎる傾向がある。その場合は、別の計算式(ここでは省くが)を使ったほうがいい。

(3) 計画手配時の安全在庫について:

上に説明したのは、「不定期・定量発注」で、発注点方式の在庫手配を行う場合の計算方法である。毎月、定期的に行う「定期・不定量発注」方式の場合は、先の期間の需給量を予測して、計画手配を行うことになる。この場合にも安全在庫の考慮は必要だが、上の式を機械的に適用してはいけない(安全在庫がかなり多くなってしまうはずだ)。計画手配を行う品目は、売れ筋商品の場合が普通だし、季節性を伴うケースもあるだろうから、より深刻な在庫過剰を招く。

同様に、MRPなどの計画生産を行っている工場での部品資材在庫にも、適用すべきではない。この問題については、機会があれば、また別に解説することにしよう。

ともあれ、心に留めておいていただきたいのは、上に述べたような考え方は(在庫理論としては初歩に属するが)、どんな業種のどんな品目にも当てはまる汎用的な式だ、という事である。このような方法論を、『マネジメント・テクノロジー』とわたしは呼んでいる。

マネジメント・テクノロジーの領域は、どんな業界の、どんな会社でも共通に当てはまる。いわば協調領域の知識である。あなたの会社が知らなければ、あなたの会社は見えない損をしている。しかし、ライバルも知らないだろう、と思ってはいけない。少なくとも、海外の有力なライバル企業は、よく知って活用していると想像したほうが良い。日本にはまだ、マネジメント・テクノロジーを教える大学は少ない。だが、欧米では確立した分野だし、中国やアジアの優秀な人材は、そうした国々に留学し、現代的な手法を学んで帰ってきているのだ。

我々だって、気合と根性の「竹槍時代」を卒業し、もう少しモダンの時代に飛び込むべきときが来ているはずである。


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# by Tomoichi_Sato | 2020-08-05 21:12 | サプライチェーン | Comments(0)

欠品を起こさないための在庫手配入門(2)――引当てとストック在庫

前回のつづき:)あなたは新米の営業マンとして、営業所の製品在庫の手配担当を任されている。あなたの担当する製品Xは、平均して1営業日あたり、平均5個の需要がある。そして本社に製品Xの生産依頼をかけると、納入されるのは最長2ヶ月先になる。

さて、製品Xの在庫量は月初に24日分(=120個)あった。加えて、先月のはじめ、すでに18日分(90個)の生産依頼を本社に出していた。それは来月初に入荷するから、累積で24+18=42日分(210個)の供給がある訳だ。でも逆に言うと、42営業日(=2ヶ月と2日、再来月の月初め)後には、欠品が起きる見込みだ。

だからあなたは、再来月中に欠品を起こさないためには、やはりここで、40日分(200個)の生産依頼を出しておこうと考えた。ところが、隣の先輩が、「おい、製品Xの在庫のうち、55個はもう引当てしているからな」と、あなたに言うのだ。

在庫の引当てって、なんだろうか?

前回記事でも説明したとおり、在庫問題を考える際には、「累積需給曲線」を使うと便利だ。これは横軸に日時をとり、縦軸に製品量の日数基準(=数量を1日あたり平均消費量で割った値)をプロットしたグラフである。ここに需要(出荷)の線と、供給(生産)の線を書き入れて、バランスを見ていくのに使う。生産管理分野で使う「流動数曲線」のバリエーションだが、縦軸に日数基準を使うのがポイントだ。

ところで、前回の図では、累積需要線は右肩上がり45度の直線で描いた。これは毎日、製品Xが律儀に5個ずつ売れていくならば、正しい。しかし、現実には、そんな風には売れていかない。個別のお客様から、もっと大きな数量単位で、ときどき注文が入っては出荷していくのだ。だから実際の需要線は、図に描くと階段状になる
欠品を起こさないための在庫手配入門(2)――引当てとストック在庫_e0058447_23250786.jpg
上図の例を見てほしい。ここでは向こう3ヶ月分の需給状態を示している。青が需要で、赤が供給だ。需要の正確な予測は難しいから、当初は計画線として、45度の右上がりの青い点線を引いた。しかし、個別の顧客からの注文と出荷の累積線を描くと、青い実線のような階段状になる。5日後と17日後に、それぞれ10日分を出荷した。ちなみに本日は、25日目であるとしよう。

そして、当然のことだが、受注をうけた日と、実際に出荷する日はイコールではない。お客が八百屋の店頭にやってきて、大根を買って持ち帰るような訳にはいかないのだ。顧客は普通、複数の製品をまとめて引き合ってくる。こちらは、まずは価格を見積もり、さらに該当する製品の在庫状況を調べて、納期を回答する。営業所に在庫がない場合は、近隣の営業所から「横引き」してもらうか、あるいは本社に緊急の生産依頼をかけなければならない。そして価格と納期を回答し、交渉して、ようやく確定注文をもらえるのだ。もちろん欠品を理由にその注文を断るという選択肢もありうるが、それはできる限り避けたい。

図でいうと、本日ある顧客から16日分(80個)の注文を受けたが、出荷予定日は10日後の35日目になる。この80個の在庫品は、もう出荷が予定され、「予約済み」状態になっている。

このように、受注日と出荷日の間には、通常、ある程度の日数の開きがある。言いかえるならば、手元には在庫品として物理的に存在しているが、すでに近い将来出荷用に予約されている。これを在庫の『引当て』と呼ぶのだ。

さて、ここで重要な概念を一つ、理解してほしい。在庫には、『ストック在庫』と『フロー在庫』の二種類があるのだ。ストック在庫とは、文字通り、ストック用途であり、まだいつ消費するか、どこに出荷するかが定まっていないような在庫だ。これに対して、フロー在庫とは、具体的な消費予定が決まっている種類を指す。引当てされた在庫は、フロー在庫の範疇になる。

営業所の製品倉庫の中には、じつは二種類の在庫がある。まだ出荷先の決まっていない「ストック在庫」と、すでに出荷予定に引き当てられている「フロー在庫」である。同じ品目でも、この二種類がある。顧客から新規に注文が入った時、割り当てて良いのは「ストック在庫」の分だけである。これを区分できないような受注管理システムや在庫管理システムは、いささか機能不足と言えよう。

また、たとえば本社から営業所に向かって「輸送中」の在庫(トラックの車上や輸送船上にある在庫)も、同様にフロー在庫である。少なくとも、向かうべき営業所は決まっているからだ。だなお、営業所の倉庫に入った途端に、その物品は「ストック在庫」のカテゴリーに戻るかもしれない。でも輸送中はフロー在庫なのだ。から、車上や船上にある在庫を、ストックだと思って勝手に転用してはいけない。

あなたのケースに戻るならば、先輩が、「55個はもう引当てしている」というのは、すでに受注済みの分として、その55個(=11日分)が近い内に出荷され、在庫から無くなってしまうことを意味している。ということは、24-11=13日分しか、手元にはストック在庫がないのだ。これでは今月中に欠品の可能性がある。ただ、来月の月初に既手配済みの18日分が入るので、一息つくことはできるが。

それで、どうすべきか。いずれにしても、本社への生産依頼は不可避だ。じゃあ、何個を手配するべきか。あなたの選択肢は、2つある。一つは、前回の記事で述べたような考え方、すなわち、発注から納入までのリードタイム=2ヶ月間分の数量(製品Xでは200個)を、まとめて手配するというもの。そして、入荷したら、在庫量を定期的にチェックして、残りの数量が2ヶ月分を切ったら、また2ヶ月分を手配する。

そうなると、納入される直前には、在庫はほぼゼロになる。納入直後は、2ヶ月分=200個になる。だから、営業所における製品Xの平均在庫量は、長期的には、その半分の1ヶ月分=100個になるだろう。

だが、もう一つの考え方もある。あなたは、とにかく毎月のはじめに、製品Xの生産依頼をかけるのだ。その時の数量は、累積需給曲線から予測される、2ヶ月後の基準在庫量からの不足分とする。基準在庫量とは、もちろん月初に1ヶ月分(100個)の在庫があることだ。今のあなたの状況では、2ヶ月(40日後)には在庫ゼロになっている。だから、とにかく1ヶ月分100個を、依頼する。来月も同じように、1ヶ月分を依頼することになるだろう。でももし、たとえば翌月末に5日分でも在庫が残る見込みなら、20-5=15日分の手配で良い。

このようなやり方をすると、長期的に製品Xの平均在庫量は、手配量の半分の0.5ヶ月分=50個になるだろう。

営業所の先輩は、「営業部門には『在庫責任』があり、過剰な在庫量を抱えていると、査定でマイナス点をくらう」と言っていた。だとしたら、平均在庫量は少ないほうが良いはずだ。だとしたら、後者のやり方のほうが良いではないか。

いやいや、ちょっとまてよ。あなたは考える。毎月1回、100個からの不足分を頼むより、毎週手配すればいいではないか。基準在庫量を、1週間分の需要量25個とする。週のはじめに、そこから不足している分を補充するよう、生産依頼する。そうすれば、平均在庫量はその半分の12.5個にまで下がっていくはずだ。ああ、なんと名案なのだろう。

さっそくあなたは先輩に、毎週、生産依頼をかけることにします、と報告すると、
「馬鹿じゃないのかお前は!」
と叱られてしまった。

――えっと、なぜですか?

「鉛筆みたいな文房具を手配するんだったら、そういうやり方も分かる。注文すれば、明日くるからな。だが、ウチの製品は本社に依頼しても納品は2ヶ月後だ。来週のことすらよく分からないのに、なんで基準在庫量を1週間分25個にできるんだ。もしお客から26個以上の注文が来たらどうする? たちまち欠品だろうが」

――あっそうか。そうですね。

「そうですね、じゃないだろが。それに本社工場の立場になってみろ。毎週毎週、うちの営業所から小刻みな生産依頼を受け取ったって、月次生産計画にはどうせ全部の営業所からの依頼を集計して、まとめ生産を考えるんだ。生産ってのは、まとめて作るほうが安くなるからな。」

――そうすると、生産依頼の手配の間隔は、月より短くしても意味ないですね。

「そうだ。生産計画のサイクルが月次である以上、それより短くはできない。無理に短くしたら、工場に対しては、月の半ばで追加変更をかけているのと同じことだから、迷惑なんだ。これが商社みたいに、よそから仕入れた商品を売ってるなら別だがな。」

――でも本社の計画サイクルがもっと短ければ、もっと在庫は減らせますね。

「理屈じゃあ、そうだ。だがな、本社工場からこの営業所まで、トラックの配送にかかる運転手の時給やガソリン代なんかは、製品を1個運ぼうが、トラック満載で運ぼうが、コストはほとんど同じなんだ。だから少量多頻度の配送は、相対的にコスト高になっちまう。」

――じゃあ、どうしたら良いですか。やっぱり、月1回ずつ生産依頼するのが良いでしょうか?

「まあ多くても月1回だろうな。ていうか、そもそも毎月、定期的に需給の傾向を見て、足りなそうな分だけ手配するやり方ってのは、要するにベースになる予測が必要なんだ。そいつは手間がかかる。精度も必要だ。製品Xなんか、わりと一定のペースで売れていく商品だし、季節性もあんまりないから、在庫量があるラインを切ったら発注をかける方式でも、十分じゃないのか?」

(ちなみに在庫管理学の分野では、在庫があるレベルを切ったら一定数量発注手配する方式を、「不定期定量発注」とよぶ。また、定期的に在庫の推移をチェックして、不足分を発注手配する方式を「定期不定量発注」とよぶ約束になっている。前者は、ある意味、受動的・簡易的な手配方式であるのに対して、後者は、能動的・計画的な手配方式である。だがそれゆえ、計画=予測の精度が要求されることを、先輩は先輩は指摘している訳だ。

また、この記事の例でも分かる通り、定期不定量での補充手配を行う場合、発注から納入までのリードタイムよりも短いサイクルで期間を設定すると、手配した品目が入荷する前に、次の手配をかけなければならなくなり、難易度が高いので、注意が必要である)

――そうですね。分かりました。じゃあ、製品Xはとりあえず、2ヶ月分の200個を注文しておきます。それで、再来月以降も、在庫量が200のラインを切ったら手配するようにします。

「いやいや、お前さんまだ分かっていないな。それだけじゃ、足りないんだ、」

(この項続く)


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(2020-07-20)



# by Tomoichi_Sato | 2020-07-26 23:39 | サプライチェーン | Comments(1)

欠品を起こさないための在庫手配入門(1)――まず、累積需給曲線を理解しよう

あなたは新米の営業マンである。営業所に配属になって、先輩と一緒に客先まわりをするかたわら、営業所の抱える製品在庫の手配担当になった。具体的には、顧客の注文に応じて「出荷指示」を出し、また足りなくなりそうだったら、補充のために本社に「生産依頼」をかける仕事だ。出荷指示も生産依頼も、コンピュータの販売管理システムから入力する。箱詰めとか荷揃え・入出荷などの手作業は、委託先の物流会社がやってくれる。

あなたの担当する製品Xは、平均して毎月100個の需要がある。週休2日で月20日の営業日と考えると、1日あたり平均5個、売れていく勘定だ。

本社に生産依頼をかけると、納入されるのは2ヶ月先になる。なぜそんなに時間がかかるのか、と疑問に思って、先輩に聞いてみた。先輩の説明によると、各営業所が入力した「生産依頼」は、月締めで本社が集計し、翌月の生産計画に反映する。生産計画も月単位で動くし、本社から営業所への配送も、トラックに複数製品をまとめたりするので日数がいるから、最大2ヶ月のリードタイムがかかるという。

ここで、やさしいクイズを一つだそう。今が月初だとしようか。あなたがコンピュターの端末から調べてみると、営業所の手元には、製品Xの在庫が120個あった。では、あなたが本社に依頼すべき生産数量と、その結果起きる事を考えてみていただきたい。

別に難しく考える必要はない。今、製品Xは120個の在庫がある。月間の需要量は平均100個だ。だから今月は間に合う。しかし、来月になったら早々にも、在庫がなくなって、注文を受けても欠品状態になる。たとえ本社に今日、生産依頼を出しても、それが納入されるのは再来月だ。あなたの営業所は、製品Xについて、来月は欠品のため100-20=80個分を売り損なう、ということになる。

この売り損ない(販売機会損失)を防ぐ方法はあるだろうか? 今からでは、方法はない。だとしたら、せめて次回以降は二度と、こういう欠品の事態がおきないようにするしかないと、あなたは考える。

では、あなたが今日、本社に依頼すべき生産数量はいくつかのか?

生産依頼をかけてから納入されるまでのリードタイムが2ヶ月間、ということは、少なくとも、2 x 100 = 200個分を依頼しなければ、次回以降もまた同じ問題が起きるはずだ。だから、最低でもあなたは200個の生産依頼を出す必要がある。さらに、在庫数量はコンピュータの端末を見れば分かるのだから、あなたは定期的に製品Xの在庫レベルをチェックし、残りが200個を切りそうになったら生産依頼をかけるべきだ、と分かる。

このように、在庫レベルを見て、ある数量を切ったら補充のための手配をかけるやり方を取る場合、その基準となる在庫量(=手配数量)は、発注リードタイムの期間内に消費(=出荷)する数量に等しくなる。

 基準在庫量 = 発注リードタイム期間の需要量

では、あなたの営業所における、この製品Xの在庫量の平均値はいくつになるのだろうか?

この計算も、それほど難しくはない。あなたは製品Xの在庫数量が200個を切ると、生産依頼をかける。その後2ヶ月間で、ちょうど在庫はゼロになる。ゼロになったタイミングで、200個が補充される。つまり、在庫数量は、200個と0個の間を、行ったり来たりするのだ。だから在庫量の平均値は、ちょうどその中間、100個になることが分かる。

こういう在庫量の問題を考える際に、よく「ノコギリ状の線図」が使われる。横軸に日付をとり、縦軸に在庫量を取るグラフだ。在庫から毎日、需要に従い出荷されていくと、在庫量は右下がりのスロープで減っていく。そして補充があると、垂直にぽんと立ち上がる。縦軸は数量を取る場合が多いが、金額で表示するケースもある。

だが、わたしはそのかわりに、『累積需給線図』を使うことをおすすめしている。横軸は日付で、そこは同じだ。しかし、縦軸には毎日の需要量と供給量を取る代わりに、期初からの需要量と供給量の累積値を取るのだ。生産管理の分野では『流動数曲線』と呼ぶことも多い。

また、縦軸には個数や金額ではなく、「日数分」を取ることをおすすめする。日数分というのは、数量を、1日あたりの平均需要量で割った値だ。あなたの製品Xのケースなら、1日平均5個の需要があるから、120個ならば24営業日分、という計算になる。

図を見てほしい。これは、会社全体における、ある製品の需給の状態を示している。青い線は、累積需要曲線を示している(ここでは直線的だが)。毎日、1日分が顧客に出荷されていく。赤い線は累積供給曲線で、こちらは生産計画に従って描く。
欠品を起こさないための在庫手配入門(1)――まず、累積需給曲線を理解しよう_e0058447_20013770.jpg
供給曲線の傾きが、なだらかだったり急だったりするのは、一日あたりの生産量の変化を示している。傾きが急なときは、高速な製造ラインを使っているとか、あるいは複数工場で生産しているなどの事情を表している。また、縦軸に切片があるのは、期初の在庫量を示している。もちろんこのチャートは、工場単位や営業所単位に、個別に作成することもできる。

そして、ある日の時点で、流動数曲線における供給曲線と需要曲線の縦の差は、その日に会社が持っている在庫量を表している。だから、供給曲線は原則として、需要曲線よりも上にあることが望ましい。供給曲線が需要の下に来ていると、その時点で欠品が生じていることを表すからだ。

また、グラフを横方向に見た際に、供給曲線と需要曲線の差は何を表すかというと、「納期余裕」を示すことになる。これがゼロになっていれば、ジャスト・イン・タイムに供給している訳だ。つまり累積需給曲線(流動数曲線)での、縦の差は在庫量を、横の差は納期余裕を示すのだ。だから、結局、

「生産マネジメントの主要な目標の一つは、需要曲線と供給曲線を可能な限り一致させること」

にある、と言ってもいい。ジャスト・イン・タイムで、かつ、在庫も最小である、と。これが、製品のみならず、半製品や部品を含めた、すべての品目について達成できている状態が、一つの理想だ。

在庫量それ自体の表ではなく、累積需給曲線のようなチャート形式に表現することで、あなたは在庫手配について、時間軸をもって考えることができるようになる。さらにいうと、倉庫の中に静かに寝ている「在庫」というイメージではなく、もっと動的な「フローの視点」を得られることが、より重要だ。

ちなみに、縦軸に日数分換算をとるメリットは、2つある:

(1) 需要のブレが少なく一定の場合、需要曲線がちょうど45度の傾きの線になること
(2) 尺度が共通になるため、複数の品目間の比較ができるようになること

もっとも、日数分を計算するためには、個別の品目の平均需要量をおさえる必要がある。これはまあ、製品については取りやすいだろう。必ず出荷(納品)記録があるからだ。だが、工場内の品目となると、きちんと部品倉庫で入出庫を記録していないと、難しい。もちろん、生産量から部品表をつかって逆算(バックフラッシュ)することも可能だが、現場在庫の処理など、やや面倒ではある。


さて。営業所におけるあなたの話に戻ろうか。あなたは製品Xの在庫量が120個あることを確認して、今から本社に生産依頼をかけようとしている。ところで、じつは先月、あなたの先輩がすでに90個、生産依頼をかけていたことを、販売管理システムの端末から、あなたは知ることになった。すると、来月の月初に、90個が補充される訳だ。てことは、来月末の在庫は、いくつになる計算だっけ。

そう。こういうときに、流動数曲線の表示が便利なのである。月初に120個(24日分)ある。来月初に90個(18日分)入るから、累積で210個(=42日分)の供給線だ。営業所の供給線は、階段状になる(毎日工場から製品が供給されるわけではないので)。それに対して、需要線は、45度の右上がりの線になる。来月末(40営業日後)には、まだ2日分の在庫が残っている。しかし、42営業日(=2ヶ月と2日)後に、両者はクロスしてしまう。それは再来月の月初めだ。
欠品を起こさないための在庫手配入門(1)――まず、累積需給曲線を理解しよう_e0058447_20084552.jpg

だからあなたは、再来月中に欠品を起こさないためには、最低でも60-42=18日分(90個)の生産依頼がいるのかな、と考える。もっとも、それではまた来月の頭に手配をかけなければならなくなるから、やはり40日分(200個)を依頼しておくべきかもしれない。

ところが、外出先から隣の席に戻った先輩が、妙なことを言いはじめた。
「おい、製品Xの在庫のうち、55個はもう引当てしているからな」

引当て? 在庫の引当てって、なんだろうか?
(この項続く)


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  (2015-01-11)



# by Tomoichi_Sato | 2020-07-20 20:18 | サプライチェーン | Comments(0)

プロジェクトの発想を活性化させる、『チームの思考能力』とは何か?

「あなたは、同期30人の集まるパーティの幹事になりました。
 あなたが最初にすべきことは何ですか?」

以前も書いたが、これは、わたしがプロジェクト・マネジメントを学生や社会人に教えるときに、最初に出すクイズの一つである(「Structured Approachができる人、できない人」)。「店を探して予約する」「日取りを決める」「参加者を確定する」、等々、いろんな答えが考えうるし、どれも間違いとは言えない。しかし、わたしがあえてPM講義の最初にこの問いを出すのは、「計画を立てる」という、もう一段抽象度の高い答えが欲しいからだ。

時限的で一過性の取り組み、それも複数の人が関わって、失敗のリスクも伴うような事に取り組む際は、「まず計画を立てる」という思考習慣がほしい。言われなくても、当たり前のことである。そう思う人も多いだろう。ただ、その『当たり前』が、ちゃんと意識され言語化されていてほしいのだ。

ちなみに上記の記事を書いたのは、8年前の2012年7月だ。この年、わたしは東大大学院の柏キャンパスで、毎週金曜日の午後に「プロジェクト・マネジメント特論」の講義を持つようになった。東大PM講義の資料をもとに、2015年には著書『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』を上梓した。もっとも、大学の講義同様では面白くないので、製造業の若手エンジニアを主人公にした、ストーリー仕立ての対話編である(わたしが本を書くときは、なぜか対話篇が多くなる)。

東大柏キャンパスの講義は、今年からは同じ勤務先の後輩に譲ることにした。とても楽しい仕事で好きだったのだが、移動も含め毎週、半日を割くことが、次第にきつくなってきたのである。ただ、同じ東大の本郷キャンパスでの講義は、まだ引き受け続けている。こちらも10年くらいやっているが、年2コマのみなので、時間的にはずっと楽である。幸い評判も良いらしく、複数講師の交代する形式だが、毎年、継続のリクエストを頂いている。

ところで今期は、パンデミック禍の影響で、どこの大学もオンライン授業形式になっている。だから先週の東大本郷の講義も、横浜の自宅からzoomで行った(東大はzoomが標準らしい)。わたしは授業を極力、インタラクティブにやりたい人間なので、ずいぶん勝手が違ったが、まあそこは仕方がない。

プロジェクト・マネジメントの入門編を教える場合、まずは「アクティビティ」の概念と、WBSについて理解して貰う必要がある(無論、ここでいっているWBSとは、プロジェクト・スコープの階層的構成の意味であり、世間で誤解しているようなガントチャートのことではない)。

これを教えるため、上記の同期会パーティの質問に加えて、わたしは次のような簡単なグループ演習を出すことにしている。

「あなたは同期30人の集まるパーティの幹事になりました。企画のはじめから、パーティを終えるまで、やらなければならない作業(アクティビティ)をすべて洗い出してください。
 ただしアクティビティは、1枚のカードに1つずつ、必ず動詞を使って書くこと。」

こういって、いつもは学生たちを二人一組に分け、それぞれの組にPost-It!の付箋カードを、20枚ずつ配って考えさせている。もちろんパーティについては、予算その他、もう少し条件をつけて説明し、イメージが湧きやすいようにしてある。こうすると、一気に教室の中が活性化し、隣同士でああでもないこうでもないと、議論雑談が始まるようになる。

わたしは教室の中を巡回して、課題がちゃんと理解されているかどうかをチェックし、進んでいない班には相談に乗ったりして、授業を進めることにしている。パーティの幹事とは、いいかえればプロジェクト・マネージャーである。プロマネがプロジェクトを始めるにあたり、計画の第1ステップとして、やるべきアクティビティを洗い出してリストアップする。これを体験してもらうのが、この演習の狙いだ。

ところが今回はオンライン形式だったので、やむなくzoomのブレークアウトセッション機能を使って、二人一組に分けて、考えてもらうことにした。Post-Itは配れないので、Excelの表を共有してもらい、そこに書き出すやり方である。

簡単な、ある意味で他愛もない演習だが、学生たちの頭がブーンと回りだす音が聞こえる。ここが楽しいところだ。なぜなら、事を始めるにあたって、最初にやるべきアクティビティ(作業)を、全部洗い出してリストアップする、という行為自体を、たいていやったことがないからだ。

全アクティビティの洗い出しというのは、プロジェクトの最初から最後までを、頭の中でシミュレーションすることに他ならない。パーティ程度なら身近だから、想像力さえ惜しまなければ、別に有名大学の学生でなくたって、ちゃんとできる。逆に東大生だって、考えなければ、答えは出てこない。この問題は正解のない、暗記型では解けない問題だからだ。

この演習をやっていると、開始して10分をすぎる頃から、議論の声で騒がしかった教室の中が、しだいに静かになってくる。だんだんと、洗い出すべきアクティビティの種が尽きてくるのだ。アクティビティの数も、足りなければカードを追加で配る、と宣言してるが、20を超えることはめったにない。これはどこの大学だろうが、あるいは社会人だろうが、あまり変わらない。わたし達の頭の作りは、だいたい似たようなものなのだろう。

そこで、12〜15分たった時点で演習を打ち切りにし、どこかの班を指名して、出した答えを言ってもらう。カードに書き出したアクティビティを、順不同でいいので、はしから読み上げてもらうのだ。他の班は、それを聴きながら、自分たちの出した答えと、どこが一致して、どこが違うかを考えてもらう。聞いているうちに、「え、それがあったか!」という顔が、あちこちに浮かんでくる。

たとえば「店を予約する」とか「参加者数を確定する」とかは、どの班でも書いている。しかし「部屋の飾りつけの調達をする」とか「司会プログラムを作成する」とか「二次会を予約する」とかは、まちまちだ(別に必須ではないから、ないと間違いだとはいえない)。

そして、「参加費を集める」はあっても、「終わってから会計報告をする」は忘れる班が多い。だが30人の集まるパーティともなれば、費用は10万円をかるく超えるだろう。だとしたら、会計報告はしたほうが良いよ、と学生には教える。

時間があるときは、もう一班くらいに、答えを言ってもらう。案外違っているものだし、それでいいのだ。その違いを体験してもらうことが、もう一つの狙いだからだ。

わたし達が頭の中でプロジェクトをシミュレーションするとき、その想像は個人個人の見方、観点によって、かなり固定されてしまう。だから、二人一組で演習するのである。二人で話し合うと、自分の盲点や死角になっていた部分を、相方が気づくことがある。

でも、二人で考えても、まだ視点は固定されがちで、見えていない。それは3人目、4人目がいて、やっと気づくことだったりする。それが、チームの力なのだ。複数の人間で、異なる視点から、対象となる問題を分析して、総合的に考える。一緒に考える能力を持つことーーそれがチームの能力なのである。

チームワークというと、スポーツで、ポジションを決めてパスを回したり、スクラムを組んで一緒に押したりすることを思いがちだ。それはそれで大事である。しかし、複数の人間が同じ問題を、多面的・総合的に考える、というのも、チームの効果だ。このときは、各自の分担や持ち分を超えて、互いに対等に発想できることが大事になる。「複合的な知の創出」だとか「グループによるデザイン思考」、などとカッコつけてよんでもいいし、三人寄れば文殊の知恵、という古い諺を出しても良い。

下の図は、以前「どうどう巡りの議論を避けるために」に描いたものの再掲である。ディスカッションでは、視点が限られているため、ある時間を超えるとだんだん煮詰まっていってしまう。しかし、そこに新しい視点が加わると、また一段レベルがあがるケースが多い。
プロジェクトの発想を活性化させる、『チームの思考能力』とは何か?_e0058447_15253563.jpg
このように、東大生が一人でウンウン考えるよりも、普通の人間が数人寄り集まって、あれこれ議論し合うほうが、こうした想像力の部分では、まさることが多いのだ。このことは、暗記上手で、正解をすばやく手繰り寄せるタイプの受験教育を受けてきた学生には、ちゃんと理解して貰う必要がある。もっとも、直接対面している方が、 オンラインより創発効果は高いが、それでも意義は実感できるだろう。

逆に言うと、プロマネは、自分のプロジェクト・チームが、お互いにフランクに議論して、「知の創出」が闊達に起きやすいよう、組織をマネージしていく必要がある、ということだ。

そしてこれが、とても難しい。たいていの会社組織は、ピラミッド型の構造になっている。上司部下・先輩後輩の関係があり、能力もこの順に高いはずだ、ということになっている。予算や人事評価の仕組みも、その構造の中に組み込まれている。上司一人と部下数名でプロジェクト・チームを組んだ時、その中で、対等に議論できるのか?

わたし達の社会で、チームが知的生産性において十分機能しにくい理由は、チーム内のディスカッションがちゃんとできないからだ。理由は3つほど考えられる:

(1) 権威の存在

上司先輩は、仕事の能力・経験において上である、という建前がある。事実かどうかは別として、彼らは仕事上の意見において、より大きな権威をもっている。意見が異なる場合、権威を持つ側の発言力のほうが強い。賢い上司は、自分の意見は言わずに、部下や若手の発言を待つものだが、(わたし自身を含めて)さほど賢くない上司は、部下の話を遮って、自分の意見を先に出したりする。そうすると、その時点で新しい視点や発想も、打ち止めになってしまう。

(2) 権力者への忖度

上司自身ももちろん、権力を持っている。もっとも、プロジェクト・チームの場合は、複数部門からのメンバーがいて、直属の上司部下関係とは限らない。だが、たとえばプロマネより、もさらに上級のマネージャー(部長や役員など)が、プロジェクト・スポンサーとして影響力を持っていることも多い。この場合、当然ながらチーム員は、その意志を「忖度」して物事を決めやすい。「自分たちとしては、この方式が良いと思う。でも役員は、あの方式を望んでいるんだろうなあ」という具合である。このような場合、判断の結果に自分たちのオーナーシップ(当事者意識)を持ちにくいから、問題が表出すると挫折しがちになる。

(3) 批判・質問を嫌う態度

ワイガヤ的議論では、「なぜ?」「誰が?」「どうやって?」といった質問を投げかけることで、さらに発想をかきたてることが大切だ。だが、他人から質問されると、まるで批判されたかのように反応する人も、案外多い。質問の仕方にも上手下手があるのは事実だが、質問を封じられたり自粛したりしていたら、そこで新しいアイデアの種は芽を出さずに終わってしまう。

ことに(3)番目の問題は根が深い。わたしは授業だとかワークショップだとかをいろいろやってきたが、多くの場合、最後に「ご質問はありますか?」とたずねても、海外と違い、日本ではほとんど挙手して質問する人がでないのが普通だ。だから、本当に相手が理解してくれたのか、講演する側が逆に不安になる。それは、質問=批判である、という通念が邪魔するのかもしれない。ただし日本でも、メールや紙で質問を出させると、それなりに出てきたりする。質問を活性化させるには、一種の「心理的安全性」が必要なのだろう。

かつてオズボーンが「ブレーン・ストーミング」技法を案出した際には、「他人のアイデアを批判しない」をルールにした。しかし質問までは禁じていない。質問=批判を嫌う態度は、「俺の言うことが聞けない(伝わらない)のか?」というスタンスである。逆に言うと、「このアイデアの所有権は俺自身だから、意見への質問・批判は俺に対する批判になる」と考えている訳だ。

こうした態度は、プロジェクトを個人やグループ単位に細分化して分業させ、その間で互いに競わせるような競争原理型の組織で、強まりがちだ。アイデアの発案者=アイデアの権利者、という考えでいる限り、「良いアイデアは組み合わせで生じる」「生まれたアイデアはチーム全体のパフォーマンスを上げるための、共有財産」との思想には、たどり着けない。分業・競争型組織は、繰り返し型オペレーションでは効率的かもしれないが、プロジェクトの計画・設計段階ではクリエーティブになりにくいのである。

それでも、天才的なリーダーがプロジェクトを率いて、彼が一から十まで全てを完璧に計画すれば、仕事はうまくいくはずだ、というのが英米式の思想なのかもしれない。PMBOK Guideなどをよんでいると、紙面の背後にそういった考えを、うっすらと感じるときがある。わたし達の社会も英米型に影響されやすいので、「天才型リーダー」を嘱望する声は高い。

ただ、社会がそんなに大勢の天才を供給できないのも、事実である。東大生は天才的に頭がいい、と思っている人も世の中には多少いるかも知れないが、本人たちに「貴方は天才ですか?」と聞いてみれば分かる通り、そんなのはまるきり見当違いである(笑)。無論、稀には本当に頭のいい人もいたりはするが、そうした人の社会適合性が高いかといえば、また別だ。

わたし達は基本的に、個人個人ではそんなに頭の良くない存在なのである。視点も限られていて、記憶力も頼りなく、判断ミスもする。それでもチームとしてなら、もっと高い思考能力を持つことができる。もし良い成果を出したければ、誰かリーダー個人に頼るのではなく、組織レベルで「知的生産能力」を確保するしかない。そのためにはチームが、対等で率直な議論=ディスカッションの場になるよう、工夫していく必要があるのだ。

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# by Tomoichi_Sato | 2020-07-11 15:45 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)