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パンデミック後の『ニュー・ノーマル』の姿を考える

りんごが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力の法則を思いついた、という有名な逸話がある。17世紀中盤のことだ。ところで、ケンブリッジ大学の多忙な研究者だったはずのアイザック・ニュートンは、なぜ、のんびりと林檎の木の下なんかで、寝転がっていたのか? (寝転がっていたというのは、もしかしたらわたしの誤解なのかもしれないが、でもなぜ彼は、田園地帯でブラブラしていたのか?)

答えは、「疫病のため、都市のロックダウンが行われ、ケンブリッジ大学も封鎖されていたから」である。当時、恐ろしい疫病ペストがロンドンを始め英国の各都市をおそい、ニュートンも1年半にわたって故郷の田舎に帰っていたのだ。

ペスト(黒死病)は、中世末期から何度かにわたって欧州に蔓延し、ヨーロッパの人口の1/4以上が亡くなるほどの恐ろしい病気だった。農民反乱が頻発して、封建領主は農奴への負担を軽減し、また貨幣地代への移行も進んで、ヨーロッパ荘園経済は衰微する。他方、宗教と学問の権威は失墜する。ペストの大流行は、中世社会の秩序を崩すきっかけとなるほど、インパクトある出来事であった。

西洋社会は、これまでの歴史上、パンデミックを何度も経験してきた。彼らにとって都市封鎖は、決して今回が初めての体験ではない。そしてパンデミック現象は、すでに限度に近づいている社会制度の歪みを、あぶり出し、突き崩すものだということを、彼らは経験的に知っている。世界規模での疫病の流行は、社会に不可逆的な変化をもたらす可能性が高い。それが、西洋人の基本的な認識なのだ。

“New normal”という言葉は、3月頃から欧州のメディアに登場するようになった。今回のCovid-19によるパンデミック禍の後に来る、新しい社会秩序である。今の疫病が去った後も、社会は、決して元と同じ状態には戻らない。それを、『ニュー・ノーマル』と呼ぶ。ニュー・ノーマルの語は、2008年の世界金融危機(リーマンショック)後にも使われたが、今回はより真剣な形で、多くの人が論じている。

たとえば、10年前から感染症の危険について警告を発してきた、ビル・ゲイツ。ちなみに彼の財団は、米国についで2番目に多くWHOに資金を拠出している。中国寄りと批判されたWHOだが、誰の影響が強いか、話はそう単純ではない。

あるいは、自分自身もCovid-19に感染して入院し、ICUまで行った英国のボリス・ジョンソン首相。彼はSocial distancingが今後の常態になり、学校再開も以前の形では行えないとする。

(余談だが、英語で"social distance”という時のソーシャルとは、「社交上の」「人と人の間の」という意味だ。これを「社会的な」距離、と訳してしまうと誤解する。西洋人や中東人は、握手し合ったり、体を接して頬を寄せ合ったりする、接触的な挨拶が習慣だ。だから、他人と1.5m以上の距離を取れ、などと言われると、ひどく面食らった気分になるだろう。知り合いのフランス人は、「わたし達はお互いに、まるで日本人みたいに挨拶するようになった」とジョークを言っていた)

そしてもう一人、イアン・ブレマー氏の「ニュー・ノーマル」論も紹介しておこう。彼はビル・ゲイツやジョンソン首相ほど有名ではないが、地政学リスク専門のコンサルティング会社「ユーラシア・グループ」の社長で、毎年「世界の10大リスク」を発表してきた人だ。彼は3つの潮流を予想している(日本経済新聞4月16日朝刊)。

1. 脱グローバル化:グローバル企業は「ジャストインタイム」方式のサプライチェーンを世界中に構築してきたが、生産拠点を国内に戻すなど再構築を迫られている。
(彼は最近、これを"Great decoupling"とよんでいる。ちなみにDecouplingとは、在庫によってサプライチェーンを機能分割することであるが、日本の経済メディアはSCM用語をよく知らないらしく、「分断」と訳している)

2. ナショナリズム:今回の危機に各国はバラバラに対応しており、協調性の欠如は世界の新秩序の特徴になる。また貧困層が打撃を受け、社会には極端な意見が飛び交うようになる。

3. 中国の台頭:経済大国や技術大国としてだけでなく、今回のコロナ危機を機会に政治超大国として「ソフトパワー」を高めている。

まあ、こうした御託宣を信じるかどうかは、読者次第である。ただ、ロックダウン解除後も、「社会は元の状態に決して戻らない」と予測する西洋人が多いことは、頭に入れておいたほうが良い。

とくに、いつ封鎖が解除されるかに加えて、どのように解禁するのか、の方が重要である。というのも、ワクチンや有効な治療方法が現れるまで、我々の社会は、見えないウィルスとの危険な共存を強いられるからだ。おそらく、1〜2年程度は、「だまし運転」のように社会をソロソロと動かしていかなければならない。うっかりアクセルを吹かすと、また感染流行の再燃になる。これが不可逆的な社会変化になる理由である。

たとえば日本でもこの3ヶ月間、少なからぬ職場で、在宅勤務・テレワークを導入すべく、四苦八苦してきた。そして今回の事態が、我々に対しすでに明らかにした事が一つある。それは、「直接業務」と「間接業務」の区別である。

直接業務とは、対人・対物的な付加価値を生む仕事である。それは、製造・物流・建設・医療介護・農業など、現場のある業務だ。こうした仕事は原則的に、テレワーク不可能である。

これに対して、テレワーク可能なのは間接業務である。それは、情報のやり取り(文字・データ・視聴覚)だけで済む種類の業務であり、たとえば、販売・購買、設計、マネジメント、教育、などだ。ちなみに、わたしの職場も4〜5月は全面的に在宅勤務に入ったが、それはエンジニアリング会社のホームオフィス業務が、ほぼ情報処理的な間接業務であることを示している。

緊急事態宣言が開けて、今後、また出社勤務が増えるが、多くの職場ではテレワークも当分、併用され続けるだろう。その結果、仕事の中から情報処理機能だけを、切り出す動きが加速するに違いない。会議も、テーマと人数を絞った、短いものが望まれるようになる。Web会議は1時間を超えるとけっこう疲れるし、参加者が30人以上になると、司会進行や発言権の譲り合いが難しくなるからだ。

もちろん対面コミュニケーションと感情のやり取りは、仕事の上でも重要だ。だが、その一部(週1回の顔合わせ等)は切り捨てられるだろう。ハンコ文化は衰退し、ワークフロー承認に変わる。

テレワークでは、集中して行う知的仕事や処理作業は、むしろ能率が上がると言われている。ただ、それは在宅勤務に適した環境を持てる、恵まれた場合の話だ。小さな子供がいたり、家に自分のPCがなかったりすると、いや、そもそも机がないとか、逆に家族の間でPCが取り合いになったりするケースでは、落ち着いて在宅勤務などできたものではあるまい。

実際、Unipos社の調査では、「チームの生産性はテレワーク開始前と比較してどのように変化したか」と質問したところ、「とても低くなった」「やや低くなった」と回答した人の割合は合計44.6%となり、「とても高くなった」「やや高くなった」と回答した合計の7.6%を大きく上回っている、との結果が出ているという。

しかし、先日参加した欧州主催の石油ガス業界におけるWebカンファレンスでは、大手企業の元CDOが、「今回のパンデミック禍によって、業界は図らずも大規模なテレワークにシフトせざるを得なかったが、その結果かなり生産性が上がった」と、キーノート・スピーチで発表していて、彼我の違いにあらためて驚いた。

結局、多くの人が指摘するように、わたし達の社会では、そもそもテレワーク向きな形に、業務が設計されていない。職場のアドホックな対話で、すり合わせ的に仕事が進められる。職務範囲を示すJob description(職務記述書)もないし、仕事の公式な手順を示すStandard Procedure(業務要領書)もない。何がインプットで、どういうツールやリソースを使い、何をアウトプットすべきか、すべて「臨機応変」と「暗黙知」と「俺の背中を読め」の中で、できあがっている。業務評定は「結果が全てだ」といいながら、労働時間(拘束時間)と態度(やる気)が最低条件になっている。

しかしこれからのニュー・ノーマルの時代では、間接業務は、勤務時間ではなく、細かな作業指示(Ticket)ごとに、スキル(能力)とパフォーマンス(成果)で管理・評価していくように、変わらざるを得ないだろう。そのためには、業務知識・手順の文書化やビデオ化が、必須になるはずである。結果として、ホワイトカラー業務のJob description化が行われる。そして、ネットを通じた短期契約、いわゆるギグ・エコノミーも広がって、人材流動化も進むだろう。それはある意味、アメリカ・中国型の社会に近づく、といってもいい。

ただし、直接業務が回らなければ、製造業も建設業も物流業も、お金を稼げない。ニュー・ノーマルの状況下では、従来よりも直接業務の側(現場側)の発言力が、間接部門(本社側)に比べて増すであろう。なぜなら、危険をかけて現場仕事をする人々の希少性が、高まるからだ。直近は失業の影響で労務費が下がるだろうが、中期的にはむしろ上がると思われる。

テレワーク普及とともに、通勤の移動量も激減する(東京圏では一時、7割台に減った)。また地方間の移動も抑制されるので、鉄道需要・航空機需要の減少が起きる。

しかし、より大きな視点で見ると、従来のトレンドだった、グローバル化、都市集中、経済のサービス化、資源浪費型の産業といった、社会構造自体の見直しが迫られるはずである。それは、今回の事態が以下のような課題を突きつけたからだ:

* 都市封鎖とグローバル・サプライチェーンの分断、
* 実物経済(供給・在庫)の重要性、
* BCP(事業継続計画)の実装、
* 医療・保険など社会的セーフティネットの役割、
* 食料・エネルギー資源の海外依存の危険性

その結果、よりレジリエンシー(復元力)の強い、分散型の産業・社会構造への変化が加速するだろう。こういう予測は、とくに欧州で多い。彼らの好きな言葉で言うと、サステイナブルな経済への移行を意味する。また、ベーシックインカム制度などの試行も始まるだろう。

もっとも、極東のわたし達の社会では、全く別の議論も耳にする。それは、「早くもとに戻って欲しい」「身をすくめて台風一過を待つ」という態度だ。今回のパンデミック禍により、旅行・観光業をはじめ、多くの業種が痛手を被った。とくにその被害は中小企業や独立事業主に著しいが、そうした人々に対して、いわゆる経済団体が、具体的になにか助けの手を緊急に差し伸べた、という話も聞かない。この国では、DGPにも匹敵する500兆円近い内部留保を、大企業が抱えているにも関わらず、である。

サプライチェーンに関しても、中国リスクが顕在化したから、チャイナ・プラス・ワンの東南アジアや、欧米3極体制の強化、という方向に考えが向くらしい。上にあげたイアン・ブレマーは、「ジャスト・イン・タイムからジャスト・イン・ケース(=万が一)へのシフト」と、うまい表現をしていたが、日本ではリーンな調達をやめて、部品在庫を積み上げたという話も、ほとんど聞かない。サステイナブルどころか、SDGsもパリ協定も、コロナ不況で当然棚上げだ、という論法もきく。

このような考え方の違いは、どこから来るのだろうか。

疫病というのは、個人で防ぎようのない外部環境の変化である。こうしたリスク事象に対応する戦略には、回避・転嫁・軽減・受容の4つあると、PMBOK Guide(R)やリスク・マネジメントの教科書は説く。このうち、軽減戦略は、ワクチンや治療薬の開発だから、これは年単位の時間がかかる。もちろん受容戦略(=何もしない)など、誰だってとりたくない。すなわち、転嫁戦略か、回避戦略を選ぶことになる。

転嫁戦略とは、すなわち社会的に保険をかけることを意味する。保険とは、多数の人間が少しずつ保険料を負担して、被害にあった人を助ける費用を用意する、という仕組みだ。いいかえると、共有によるリスク分散である。医療・保険制度は、その典型だ。もっと分かりやすく言うと、支え合いである。

これに対して回避戦略とは、極力、リスク発生を避けるために、自分の行動に制限をかける方策だ。すなわち、ロックダウンであり、外出時は三密を避けることであり、巣ごもりで自分を守る(その間は貯金をおろして食いつなぐ)、を意味する。つまり、自助努力・自己責任の論理だ。

そして世界中の国が、このどちらの方策もとってきた。問題は、どちらに軸足を置くかだ。たとえば、ロックダウン解除後の生活で、お金(経済=賃金)をとるか、安全をとるか。その選択と責任は、転嫁戦略では社会全体がカバーすることになる。回避戦略では、個人の側にヘッジされる。

たとえばイタリアの場合、EUから財政赤字と巨額累積債務の削減を迫られ、医療費がカットされた。公的病院は統廃合され、病床数は減少、医療従事者の早期退職と給与削減を進めた。結果として医師は民間病院や海外に流出し、医師不足を引き起こしたと言われる。医療制度という社会的な保険のシステムを、やせ細らせた結果が、今回の疫病流行だった(もちろん、それ以外の要因もあるだろうが)。

アメリカなどは、州によって(ないし州知事の所属政党によって)対応方策はかなり分断されている。そして世界には、回避戦略どころか、そもそもこの問題の所在を認めない国もある。そうした国では、疫病は基本的に個人責任である。疫病だって、個人が強い意志を持てはコントロールできるはず、というのがその背後にある論理だ。

結局、環境原因によるパフォーマンス低下は、100%本人の責任なのか、それとも一部を社会が背負うべきなのか。これが、現在突きつけられている問なのである。そして、答え方によって、ニュー・ノーマルの将来の姿が異なってくる。

ただ、社会の95%を解決しても、5%が未解決で残ったら「失敗」なのが、感染症の問題だ。そういう意味では、たとえ強い個人が大多数でも、社会に少数の弱者がいたら、封じ込めは難しい。シンガポールの場合、当初の対応は称賛されたが、のちに外国人労働者の低劣な環境から、感染症が外に広がってしまった。つまり社会の中に、極端な格差が共存すると、問題が発生するのだ。同じように、たとえ日本や先進諸国が感染症問題を解決しても、アジア・太平洋やアフリカのどこかに感染国が残ったら、やはり失敗なのである。

欧州中世末期のペストの流行は、パリなど都市の下水道整備のきっかけとなった。社会全体で、対策のシステムを共有した訳である。しかし英国ではこれが遅れて、19世紀まで下水道が整備されなかった。ニュートンが疫病流行で故郷に帰っていた背景には、そうした違いもあったのだ。社会レベルでリスク対策のシステムを考えるべしというのが、パンデミック後のニュー・ノーマルの姿なのだろう。


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# by Tomoichi_Sato | 2020-06-30 23:36 | ビジネス | Comments(0)

IT、プライド、プロフェッショナル 〜 人間不在のデジタル論議

Tさん、メールどうもありがとうございます。久しぶりですが、お元気そうで何よりです。
あの奇妙な「半強制的自粛」の数ヶ月間も、ずっと職場で忙しくされていたと伺い、少し驚いています。たしかに現場を持っておられる立場ですから、やむを得ないとはいえ、まことにご苦労様です。

ところで今回、突然、新任の上役からTさんに降ってきた「DX化」の指示の事を伺い、失礼ながら思わず、昔読んだDilbertのマンガを思い出してしまいました。「Dilbert」とは、ハイテク企業のバカバカしさを風刺した、米国の新聞連載マンガです。

その中で、ずっと部長の秘書をしていた女の子(たしかティナとかいう名前でした)が、秘書業という仕事の報われなさに嫌気が差して、エンジニアに職種転換を希望しようとします。しかし、同じ職場のアリスという女性エンジニアが、忠告して言うのです。
「エンジニアになるには、何年もの訓練がいるのよ。」

そして、付け加えます。
「でも、エンジニアのボスになるには、何の訓練もいらないわ。それって、労力のいらない労働なの。」
これを聞いてティナも答えます。
「だったら、わたしにもできそうね。」

エンジニアに、ただ指示や命令を下し、また結果を論評して業績評価をするだけなら、何の訓練もいらない。また、訓練なしに、エンジニアのボスになっている人間が、あまりに多い。そういう状況を、作者のScott Adamsは皮肉っています。

もちろん、本当にちゃんとエンジニアを指揮したかったら、少なくともその仕事の概形について、また難所やトラップについて、熟知している必要があります。また仕事を頼んだ際に、そのコスト感や必要なスケジュールの感覚を持っていなければ、まともな指揮ができる訳はありません。

それはちょうど、オーケストラの指揮者と同じです。指揮者は、別にヴァイオリンやファゴットやティンパニなど、全部の楽器を演奏できる必要はありません。でも、譜面からまともな音を作るための構想を持ち、ほしいアウトプットについて、各演奏者に的確に伝える能力が必要です。演奏のどこが難しいのか、足を引っ張りがちなのはどのパートなのか、分かっていなければなりません。もちろん、指揮者になるには、楽器演奏とは別の、専門的な訓練が必要です。たんに棒だけふればいい、という訳ではないのです。

それにしても、DXですか。IT業界という世界は、どうして繰り返し、バズワードの流行を追いかけて回っていくのでしょうか? DXすなわちDigital Transformationという用語に、正確な定義があるかどうか知りませんが、少なくともそれは、ビジネスの転換(すなわちBusiness transformation)のための手段であったはずです。それが、いつの間に目的に昇格してしまったのでしょう。

まあ、手段が目的化するのは、人間社会の常だといえなくはありません。プロジェクトなんてのも、多分にその性質を持っていて、わたしも身の回りでよく見かけますし、自分も苦しくなるとそういう病に落ち込んだ経験があります。なんとか青息吐息、プロジェクトを完遂した。しかし出来上がったプロダクトは、ユーザがちっとも使ってくれなかった。大声では言えないですが、そういう事だって一度だけではありません。

ただ今回、Tさんが受けたご指示のように、「ITのプラットフォームを作れ、プラットフォーマーになれ」という話となると、あらためて「それは目的ですか、それとも手段ですか?」と問い直してみる方が良さそうです。DXの物語は、なぜかプラットフォーム化とワンセットに語られることが多いようです。が、企業や市場の規模の大小も無視して、誰もが目指すべきことでしょうか。

iPhoneのアプリ市場は、Appleがプラットフォーマーですが、個別のアプリを売っているプレイヤーだって、それなりに利益を上げ、成長している所も多いのです。プラットフォーマーになるか、プレイヤーの立場を取るか。必要な先行投資額も違いますし、リスクも収益モデルも違います。結果さえ出れば、別にライバル企業のプラットフォーム上で、プレイヤーとして活躍するのでも、良さそうに思えます。まずは落ち着いて、戦略的選択をするべきじゃないでしょうか。

AI活用の話も同様です。ITには素人だという、その新任の役員の方が、AI=人工知能なるものを、どう理解されているのかは分かりません。ただ現時点のAIというのは、要するに機械学習です。機械学習がちゃんと働くめには、相当量の「教師データ」が必要です。ところで、たいていの職場で障害になるのは、「データがない」という問題です。

データがない? そんなバカな! この会社な何十年、業界で稼いできたと思っているんだ。過去のデータなんていくらでもあるじゃないか。第一、そうでなけりゃ、毎回の見積だって出せやしない・・そんな声が聞こえてきそうです。

しかし、大抵の人が「ウチには沢山あるはずだ」と思っているのは、『情報』であって、『データ』ではないのです。こんな事をいまさら、Tさんに申し上げる必要はないと思いますが、世の中の多くの人は、データと情報の違いを知らないし、混同して使っています。

情報とは、「人間にとって意味をもたらすもの」です。
これに対し、データとは、「数字や文字の形式化・定型化された並びのこと」を言います。

さらに言うなら、データとは、きちんと索引化され、機械が迷わずにアクセスできる状態になったものでなければなりません。大抵の人は、Excelで作った請求書の金額の数字を、「データ」だと思っています。しかし、もし請求書の欄の位置や行数がバラバラで、毎回少しずつ違い、かつ、保管されている請求書のExcelファイル名もきちんとルール化されていなかったり、PCのフォルダに勝手気ままに保存されていたりしたら、それは「データ」とは呼べません。

少なくとも、そんな状態では、過去のAIのインプットとしてのデータの名には値しない、ということになります。それをAIに食わせて「学習」できる状態にするまでに、相当の手間暇がかかるのは、火を見るより明らかでしょう。

でも、メールを拝見して、何よりも気になったのは、そういった戦略論や技術論ではありません。心配なのは、Tさんの配下にいる、ITエンジニアの方々の事です。

「そもそもウチみたいな部品メーカーに、ITがやりたくて、入社してくる人間は居ない」と、上役の方はおっしゃる。「だから、本当のプロフェッショナルがいない。だったら、外から連れてくるしかない。」とも。そして、「DX実現のためなら、高い給料を払ってでも良い」と、Tさんの前で発言されたそうですね。

それを、周りのITエンジニアの皆さんが、聞いていなかったことを祈ります。まあ、役員室の中の会話だったのでしょうが。ただ、もしこの理屈が通るなら、同様に、財務や法務や人事のプロだって、御社にいないはずになります。だって、そうした仕事を求めて部品メーカーには来ないはずですから。

それなのに、なぜITエンジニアだけが槍玉に上がるのでしょうか? もし、その乱暴な断定にも一理あるように見えるのだとしたら、なぜでしょうか。

それは、失礼ながら、御社では、ITエンジニアとして技術を極めても、能力を磨いても、あまりいいことがない、と見えているからではないでしょうか? 財務畑や営業畑からは、役員レベルに出世できる。だがITエンジニアからは、部長レベルより上には、上がれない。違っていたら、お許しください。でも、もしそうだとしたら、IT職種の人は、どこに評価ややりがいを見出し、何を励みに勉強して技術を磨くでしょうか。

かなり以前のことになりますが、わたしがはじめてリーダー格として中間管理職になったとき、大先輩から教わった教訓があります。それを、ここにもう一度披露させてください。部下を持ったら、心がけるべき3つのレベルの話です。

・第一レベル:部下が、安心して働けるようにすること
・第二レベル:部下が、責任感をもって働けるようにすること
・第三レベル:部下が、よろこびをもって働けるようにすること

これは、この順序で達成すべし、と言われました。まず、安心して働けること。安心できなければ、責任感を持てるはずがない。そして責任感がなければ、よろこびを持てないから、と。

安心して働けるとは、すなわち、働く職場の労働環境を、清潔で心地よくすることであり、また、労働時間と賃金が一致する(つまり残業はちゃんとつけられるし、サービス残業などない)ことです。さらにいえば、いつクビになるかと、心配しながら働く状態でもない、英語で言うジョブ・セキュリティが確保されていることも大切です。

責任感を持って働けるとは、言いかえれば仕事への「オーナーシップ」と、プライドを持つこと意味します。部下が、これは自分の仕事であると、前向きに思い、結果に対してプライドを感じること。「やらされ感」やリスク回避だけで、仕事をやっつけないこと。そうしないと、まともな結果は出ません。

ただ、昨今多くの人は、「プライド」という言葉についても、妙な誤解をしているようです。プライドとは、誰か他人と自分を比べて、自分に優越感を感じることだと、思い込んでいます。それが故に、だれかマウンティングできる相手を、無意識のうちに探していたりする。しかし本来、自尊感情・プライドとは、自分自身の矜持を指します。つまり、かりに自分がどんなに社会的・経済的に苦しくなっても、「これだけはしない」という矜持を心の中に持つことです。

プライドという英語を、あえて「気高い心」と訳した知り合いの翻訳家がいますが、名訳に思えます。気高い心を持つ人は、すぐ他人や他国をバカにする人ではありません。そういう行為は、あまり気高くないですから。

そして第3のレベル、よろこびをもって働けるとは、すなわちプロ意識と、成長のキャリアパスが明らかである状態を指します。誰でも、成長して新しい能力を身につけることは、よろこびです。よろこびのない職場から、良い仕事が生まれるはずはありません。また矜持のない人間がプロ意識をもつことも不可能でしょう。

プロ意識を持つ人は、他のプロも尊重します。逆に、他人の職域やスキルに敬意を持たない人は、自分がプロ意識を求めていないのでしょう。そういう人は、たぶん別の何かで、自分を支えているのです。たとえば地位だとか学歴(入学歴)だとかで。そして、プロ意識がない人は、他人の職域に対して勝手に口を出したり、批評したり、「自分ならもっとうまくできる」と思い込んだりする傾向があります。

そして、もし御社のIT部門で、「DXに向けた人材不足」が語られるのだとしたら、上記のレベル3やレベル2が、十分満たされていないのかもしれません。将来のキャリアパスも見えず、希望も喜びも感じられないなら、誰が成長しようと頑張るでしょうか。社内のIT人材の、希望の在り処はお構いなしに、ビジネスの道具として外部デジタル技術にばかり目を向ける「デジタル論議」は、人間不在で歪んでいるとわたしは感じるのです。

そして、この根底には、ITシステムという仕組みの経済的価値が「見える化」されていない、という問題があるのでしょう。もし、ITシステムの構築と運用が、目に見える形で金銭化され、利益や資産に計上されるなら、社内での位置づけも変わってくるはずです(会社って、そういう「現金な」場所ですから)。

それはちょうど、御社における設計の位置づけの問題に、少し似ています。以前、Tさんが技術部門にいたとき、こぼされていましたよね。「一所懸命がんばって良い設計をして客先に持っていっても、それでお金になる訳でもなく、結局、量産段階になって横並びで買い叩かれるだけ」と。そういう状態では、設計部門のエンジニアが社内的に報われるはずがありません。なんとかして「価値の見える化」を具体的に講じて、エンジニアのモチベーションを高める道を、探す必要があると思います。

・・すみません、いつもの癖で、つい長広舌をふるってしまいました。ITエンジニアのキャリアパスについては、まだ論じたいこともあるのですが、別の機会にしましょう。こういう時勢で、なかなか県境を超えた移動もままならない日々が続いていますが、できれば近い内にまたお目にかかれますように。
どうかご自愛ください。そして御社のDX論が、実りあるものになることを祈っております。


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# by Tomoichi_Sato | 2020-06-19 23:56 | ビジネス | Comments(0)

お知らせ:次世代スマート工場に関するオンラインセミナーを開催します(6月23日15:00〜)

という訳で、お知らせです。
(「という訳」の意味を知りたい方は、前回の記事 をご覧ください)

次世代スマート工場に関する、オンラインセミナーを6月23日に開催します。もちろん無償です。1時間枠で、わたしが40分ほど講演し、その後20分ほどQ&Aをオンラインで行うという形式でやろうと思っています。

わざわざ『次世代』スマート工場とつけたのは、理由があります。現在あちこちで語られている(そして実証実験=PoC等が進められている)「スマート工場」と、少し区別したいからです。

もちろん、世の中にスマート工場の厳格な定義はありませんので、誰でも、どんな工場だって、「これはスマート工場です」と呼ぶ権利はあります。ちょうど、昨今のDX=デジタル・トランスフォーメーションという言葉にまつわる状況にも、少し似ています。

ただ、スマート工場という言葉が普及し始めて3〜4年たちますが、その多くは、現場の機械やセンサーからデータを取得し、蓄積・分析して、故障予知や生産性カイゼンに活かす、という枠組みの活動に見受けられます。分析にはデータ・アナリティクスや深層学習なども、利用するのでしょう。そうした取組み自体の価値を、否定するつもりは全くありません。ただ、それだけでは、新しく登場したデジタル技術やIoTの使い方として、非常に勿体ないと思っているのです。

わたしは、デジタル技術やIoTが、日本の工場の在り方を根底から変えるインパクトを秘めていると考えています。すなわち、工場全体レベルでの操業の知能化であり、また物理的なレイアウトの劇的な変革です。もう少し言うならば、工場全体が「インテグラルな(統合された)システムとして設計され、スマートに操業される」存在にかわる可能性を持っているのです。それを称して、「次世代スマート工場」とよぶ次第です。

そして、この話を理解していただくためには、どうしてもシステム工学的な視点=システムズ・アプローチを持っていただく必要があります。ただし、システム工学といっても、ITプログラミングの話ではありません。人と、機械と、モノと、建築と、データとからなる、実体を持つシステム=工場に関する、総合的なアプローチのことを指しています。

こうしたアプローチや技術を教えてくれる大学・学科は、あいにく、日本にはありません。ですから、自分の本来の専門とは別に、学ぶ場が必要です。自分が電気屋だろうが土木屋だろうが機械屋だろうが、もちろんITエンジニアだろうが、ある意味平等に、「工場のシステムズ・エンジニアリング」のプロになれるチャンスが有るのです。(ちなみに、そうした教育を施してくれる大学・学科は、他所の国にはあります。そういう違いが、日本との競争力の差を少しずつ生んでいるのです)

という訳で、今回のセミナーは、デジタル技術に興味を持つ技術者で、製造業の仕事に関わる方ならば、どんな職種・ご専門でも、興味を持って聞いていただけると思います。

おっと、いつものように、前口上ばかり長くなってしまいました。 委細は下記のとおりです。

<記>

日揮の考える《次世代スマート工場》とは  ~どう動くのか、どう作るのか〜

日時: 2020年6月23日(火) 15:00~16:00 (講演40分+質疑応答20分)
主催: 日揮ホールディングス(株) IT Grand Plan 2030事務局

講師: 佐藤知一(日揮ホールディングス(株)デジタル統括部 Chief Strategic Analyst )

講演概要:
「スマート工場」の概念は、IoT技術の進展やドイツIndustry 4.0などの動きとともに、世界的に注目を浴びています。しかし日本国内の取組みの多くは、単純なデータ収集・可視化に留まり、工場全体のスマート化につながらないように見受けられます。本講演ではまず、一般的な組立加工系の工場に生じやすい問題を、システム工学の観点から分析します。その上で、工場全体の知能化のために必要な『中央管制システム』の概念を紹介し、これからの新しい工場づくりのあり方を論じます。

参加費: 無料(事前登録制)
申込み: 下記をご参照ください
 または、itgp2030@jgc.com までお問い合わせください。
※ご登録後、ウェビナー参加に関する確認メールが届きます。
※定員100名となっておりますので、定員を超えた場合は別途ご連絡させていただきます。

以上、よろしくお願いします。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


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# by Tomoichi_Sato | 2020-06-11 21:36 | 工場計画論 | Comments(0)

工場のデジタルツインとは何か、製品のデジタルツインとはどこが違うか

1.「デジタルツイン」概念はどこから来たか

デジタルツインという言葉を、以前よりよく聞くようになった。例によって、DX(デジタル・トランスフォーメーション)に関連する文脈で、登場する。とくに製造業のDXと共に、語られることが多い。

デジタルツインとは、物質的(フィジカル)な存在のモノの、双子のコピーを、サイバー(デジタル)空間内に構築したもの、というほどの意味である。IT関係の流行言葉の常として、あまり厳格な定義がある訳ではない。だから、いろんな人が、思い思いの文脈で使っている。

デジタルツインという概念は、ドイツの「Industry 4.0」戦略とともに注目された。Industry 4.0それ自身も、ずいぶんと広範な概念だが、一応リファレンスとなる定義文書がある。とくに2013年にドイツのAcatech(国立科学技術アカデミー)が連邦政府に提出した、「『戦略的イニシアティブ Industrie 4.0』の実現へ向けて」は、初期の重要な文献である。ドイツ語版だけでなく英語版もあるし、さらには野村総研の藤野直明氏らが訳した日本語版も存在する。

この文書の最初の方に、Industry 4.0は、Cyber Physical Systems(CPS)の活用によって実現し、それは「スマート製品」と「スマート工場」の二本立てで行う、という意味のことが書いてある。とくに、スマート製品というコンセプトは重要である。ここから、デジタルツイン概念までは、ほんの一跨ぎだからだ。

ところで、不思議なことに日本では、「インダストリー4.0は無人工場を目指すものだ」といった誤解が案外、広まっている。昨年わたしは、慶応大学の松川弘明教授らと一緒に、ドイツのフラウンホーファー研究所や複数の工科大学を訪問して、インタビューを行ったが、無人工場が理想だ、などとは誰も言わなかった。むしろ、Industry 4.0は"Human-centered production"(人間中心の生産)を目指す、という発言を聴き、なるほど明確な思想に基づいているな、と感じたものだ。

人間が生きて働くことの中心には、ものづくりがある、とドイツ人たちは思っている。だからデジタルが、それを支えるべきだ、と。

ところが、ものづくり大国ニッポンに来ると、話は全然逆の受け止め方をされるらしい。デジタル技術やロボットは人間を駆逐する、だから無人化の最先端の競争に乗り遅れてはならない、というふうに。どうやらよほど、日本の製造業は(少なくともメディアは)「人間ぎらい」であるらしい。他方、日本のものづくりの現場を見ると、働いている人の「やる気」と、職人的な「感覚」にばかり頼っている。まこに奇妙である。それとも、日本企業は人間ぎらいというよりも、「労働者ぎらい」なのだろうか? たしかにロボットは労働組合を作ったりしないが。

話がそれた。

Industry 4.0の中核にあるCPS (Cyber-Physical System)というのは、これまた一種の抽象概念である。これは特定の種類のITシステムを意味している訳ではない。サイバー世界と現実世界の間に紐づけ、ないし橋渡しをして、上手にマネジメントを進化させる「仕組み」についての概念だ。

フィジカル(現実)空間内だけで戦わないで、サイバー空間内でシミュレーションや分析を行い、決断を下す。これがI4.0のCPSが目指すところである。現実世界で何か試したり、実験したりすることは、製造業の場合、必ずしも容易ではない。サイバー空間内なら、もっと気軽に予測や検討ができる。そこで、現実に瓜二つな「双子」をデジタルで作ろう、という発想になる。これが「デジタルツィン」だ。

もっとも、CPSもデジタルツインも、別にドイツ人が発明した言葉ではない。CPSは2006年に、米国国立科学財団(NSF)が言い出した概念だ。Digital twinという言葉はもっと早く、2001年に米国ミシガン大学のM. Grievesらによって提唱された。だが、どちらの言葉も2010年代の半ばになるまでは、あまり普及しなかった。その証拠に、2012年にGEが作ったIndustrial Internetのコンセプト・レポートには、CPSという言葉は登場しない。

ただ、デジタルツインの概念については、GEによる積極的な喧伝が大きかった。ジェットエンジンや火力発電用のガスタービンはGEの主力商品の一つだが、彼らはそれを早くから3Dモデルで設計しただけではない。その動作状況を各種センサーとIoTでモニタリングし、コンピュータ内で3Dで精密に再現することを、新しいビジネスモデルのコア技術として採用した。GEのデジタル戦略自体はいささか迷走気味で、業績も近年はふるわないが、IICコンソーシアムの設立活動と共に、デジタルツイン概念を皆に知らしめる上で大きな力となった。


2.スマート製品・スマート工場・デジタルツィン

ところで、ドイツIndustry 4.0でいう「スマート製品」とは、ユーザの手に渡ってからも、自分の状態を克明に検知発信できる機能を持つ。まさにGEがガスタービンで実現しようとした機能である。いや、そればかりか、製造途中の段階でも、それぞれの半製品や部品が、複数工場からなるサプライチェーン上で、次にどこに行くべきかを、自分で知っていて、行き先も自発的に制御できるという、いささかSFチックなコンセプトでもある。

彼らは、なぜ、こんな事を考えたのか。その理由は大きく2つあった。一つは、スマート製品が、顧客の手に渡ってからも、IoT技術を使って、顧客の使用状況をリアルタイムにモニタリング可能とすることで、新しい製品の付加価値をもたらしたり、設計に有用な情報をフィードバックできるようにするためだ。スマート製品は、「自らが最適に機能可能なパラメータ、及び、ライフサイクルを通して消耗の徴候を検知可能な、パラメータ」をビルトインしている(上掲書P. 19)。それによって、ベストな使い心地をユーザに提供できる、という。

もう一つは、スマート製品(スマート部品も含む)により、生産におけるマス・カスタマイゼーションを実現したいからだ。マス・カスタマイゼーションとは、顧客の個別ニーズに応じた製品でありながら、大量生産の利点も得ようとする生産思想である。そのためには、製品のコンフィギュレーションに応じて、部品・半製品が、異なる工順や工場ルートをたどる必要が出てくる。そこで、スマート製品は「製造中でさえ、自らの詳細な製造プロセスを知っている。これは、スマート製品が半自律的に個々の生産段階を制御できることを意味する。」(同、P.19)のである。

このような流れから、とくに、ジェットエンジンや風力タービン、あるいは電気自動車など、複雑な機械の分野におけるスマート製品の開発において、デジタルツィンが注目されるようになった。さらに、ビジネスモデルのサービス化(サービタイゼーション)の道具にもなることで、GEやロールスロイスなどの取り組みが注目をあびた。

ところで、自動車とか携帯電話ではなく、素材を作る業界、たとえば資源・化学・石油・建材などの業界では、どうか。こうした分野では、さすがに「スマート製品」は実現困難だ。そこで、デジタルツインの関心の向かう先は、「スマート工場」の取り組みとなった。

たとえば、海外での石油・化学業界のDXに関する最近のカンファレンスを見る限り、この分野でのデジタルツィンの目的は、生産設備の効率化が主眼にある(彼らはこれをAsset optimizationと呼ぶ)。とくに石油・ガス企業は、オフショア(洋上)生産設備のデジタルツインに関心が高い。洋上設備だけに、安全性の要求も厳しいし、問題が起きたからといって、すぐ見に行くという訳にも行かない。したがって、コンピュータ内に双子のモデルを作り、遠隔から監視・操業できるならばメリットも大きいはずである。

そういう意味で、デジタルツィンは、工場・プラントのO&M(操業・保全)が主目的になっている。そしてITベンダーの積極的な宣伝もあって、デジタルツィン実現への期待は高い。しかし、その具体的な定義や内容はまちまちで、業界としてまだ定まっていないのが実情である。


3.スマート工場のデジタルツイン――その機能と構造を考える

では、デジタルツィンはどのような機能と構造を持つべきなのか。多くの人の期待感を抽象化してみると、ある程度の共通項が見えてくる。すなわちデジタルツインとは、機械や建築など人工物に対して、以下のデータと機能をサイバー空間内に表現したものである:

(1) 設計データ(とくに形状に関する3D modelと、構成部品に関するBOM・属性データ)
(2) オペレーション・データ(使用状況、入出力、パフォーマンス、保守履歴等)
(3) 分析・表示・予測機能(シミュレーション機能)
工場のデジタルツインとは何か、製品のデジタルツインとはどこが違うか_e0058447_21263149.jpg
データは当然データベースに格納されマネージされるが、通常は、3Dモデルのビューから、ユーザに統一的なアクセスを与えるようなUIを持っている。またオペレーションデータは、時系列で膨大となるため、データ・アナリティクス技術の対象となる。もちろん、BIツールでコックピット表示などもできるだろう。しかし、単に過去を分析し、現状を「見える化」するだけでは、意思決定に役立ちにくい。やはり予測のためのシミュレーション機能が必要である。それは以前、「工場コックピットで、何を見たいか?」にも書いたとおりだ。

そしてデジタルツインは、自動車や航空機など機械製品の分野が先行してきた。これに対し、建築や工場・プラントなどの分野では、利用企業もITベンダーも、機械業界のアナロジーから出発しているように見える。だが、機械・建築・プラントでは、特性や機能に差異が大きい点に注意が必要だ。まとめると、以下のようになる。

(1) 機械業界(自動車・航空機など)

・デジタルツィンの対象は、製品である。
・機械製品においては、部品の幾何形状と、その力学的機能・構造が一体化している点に特徴がある。そこで設計データとしては、3Dモデル・部品表(BOM)・材質等が必要になる。オペレーション・データとしては、個別製品の使用状況(IoT技術で取得)、位置・速度・燃費などで、製品数が多いため、ビッグデータになる。
・予測機能としては、動きのシミュレーションが中心だが、構造解析、伝熱なども必要かもしれない。

(2) 建築・土木業界

・デジタルツィンの対象は構築物であるが、この分野では「BIM(Building Information Modeling)概念」を業界全体が志向している。
・建築の全体構造と、設備や各室の機能は、相対的に分離している点が特徴である。そこで、3Dモデル・材料表・コンポーネント属性(ベンダー固有情報等)が設計データになる。オペレーション・データとしては、利用者(人間)の動きが中心で、センサーが少ない。いわゆるビル・マネジメント系+補修履歴などで、データ量は比較的少ないだろう。
・予測機能は、建築では動きのシミュレーションの要素は少なく、構造解析と流体力学が主になる。

(3) 一般製造業(素材産業を含む)

・デジタルツィンの対象は、工場・プラントである。
・工場においては、プロセス(機能)設計と空間設計とは、ある程度独立している。そこで設計データとしては、機能的なVSM(プラントならばP&ID)と、3Dモデル、機械設備(アセット)とその部品表(BOM)・材質・属性等になる。とくに機械設備はベンダー固有情報が多い点が要注意だ。また人の作業が重要な要素となるため、人間のモデリングが必要である点が、特徴だ。
・オペレーション・データとしては、4M(人・機械・物品・製造方法)のデータ収集が望ましい。センサーデータをPLC/DCSがリアルタイムに処理し、データロガーやヒストリアンに蓄積することになろう。保守履歴データも要蓄積である。
・予測機能としては、機械と人による製造・物流のシミュレーションが必要だ。ただ化学プロセスでは、反応を含む動的シミュレーションが必要で、こちらは難易度が高い。応力解析や腐食もテーマだが、優先度は低い。

そして、CPS(Cyber Physical System)の観点から言えば、工場のデジタルツインを実現するためには、少なくともMESが必要であることは分かる。それがないと、現場の機械やデバイスがいくら自動化されIT化されても、そのデータが上位系とつながっていかないからだ。現在の日本の多くの工場では、そこを人手とExcelあたりが繋いでいる。おかげで、現場の機械にセンサーをいくら付けても、それが「どのオーダーの何を作っているのか」すぐに分からず、分析も簡単でないという状況になる。

なお、工場のデジタルツイン構築についていえば、既設の工場やプラントの双子を、ゼロから作成するのは非常に手間がかかる。無論、3D Scanなどの技術は利用可能だろうが、それでも大変な仕事だ。他方、新設の工場・プラントならば、設計・建設を請け負うメイン・コントラクター(もし居れば)に、アセットの設計データ部分の作成協力を依頼しやすい。そういう理由か、最近プラント分野では、海外の先進企業から、「フィジカルなプラントだけでなく、デジタルツインも納入してくれ」といった要求が出てくるようになった。

だが、業界としてまだ共通の合意がないので、どこまでがスコープの範囲なのか、から始まって、まだまだ解決すべき道のりは遠い。デジタルツイン構築のためには、プラントのオーナーやエンジ会社だけでなく、多数の機器・装置ベンダーなどの協力も必要になるため、もっと互いのベネフィットとリスクを共有できる、標準的な合意点をつくりたいところだ。


4.スマート化に関する勉強と議論の場の必要性

・・と、ここまで書いてきて、あらためて気づいたことが、ひとつある。本サイトの読者諸賢には、製造業に働く技術者、とくに生産技術者やITエンジニアの方が少なくないと思われる。そういう方々にとって、デジタルツインだの、スマート製品・スマート工場といった話題は、技術的興味の対象にはなりえても、実際の日々の仕事からは遠い領域のトピックに、聞こえるのではないか? 興味はある。だが現実にはあまりに障害が多い、と。

実際、日本の製造業における生産技術者は不足しており、非常に忙しい。しかも、長年の不況の結果、工場への設備投資は抑えられ、通信ポートさえ持たない旧式の機械のお守りや、頻繁な新製品の試作対応、そして海外工場への支援対応などで忙殺されているケースをよく見かける。さらに、製造現場に詳しいITエンジニアが、SIベンダーには驚くほど少ないため、製造用ITシステムの導入・保守もままならぬ。デジタル音痴の上層部については言うに及ばず、という具合だ。

しかたなく多くの技術者が、自分の関われる範囲で、こつこつ実践を重ねてスキルをつけたり、経験をもとに将来の絵を描いたりしている。ただ、それが自らの状況の枠内からの発想に留まっているとしたら、とても残念なことだ。

技術者にとって、環境依存の知識やスキルを積み上げても、これからはあまり活きない。環境依存というとIT系の人は、OSやマシンのことかと誤解されるかもしれないが、そういう意味ではない。「自社内という環境」に特化した知識・技術、という意味だ。自社でしか通じない用語・概念、自社の固有の業務ニーズ、そして自社がたまたま伝統的に使用してきた特定メーカーの技術や製品。そういった物事の上に、自分のスキルや技術成果を積み上げても、汎化も転用もできない。別の言い方をするなら、不況で自分が会社からバイバイを言われたら、その瞬間に価値がなくなるような技術スキルのことだ。

どうせ情報収集をするなら、自分のバリューにつながるような勉強をしたほうが良い。バリューにつながるとは、すなわち「抽象化された概念モデルにもとづく」思考や技術であろう。なぜなら、それならば特定の環境にもベンダーにも依存しないからだ。

そして、そういう問題意識を持つ技術者のために、情報収集や意見交換の場を作りたい、というのが最近のわたしの願いだ。

そこでトライアルとして、今月の後半に、1時間程度の短いオンラインセミナーを、わたしの勤務先の応援を得て実施しようと計画している。くわしい案内は後ほど開示するが、現時点では6月23日(火)午後14時頃からを予定している。テーマは、「次世代スマート工場とは何か」である。わたしがまず40分ほどお話し、残る20分程度を質疑応答にあてたい。

デジタルツインだのスマート工場といった物事は、この会社・この業界・この国では夢物語かもしれない。だが、他の会社・他の業界・別の国では、もう手の届く現実だったりする。そこで、何を考え、どう現実を変えていくべきなのか。簡単な答えはない。だが、少しでも一緒に議論できればと願っている。


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# by Tomoichi_Sato | 2020-06-03 22:18 | 工場計画論 | Comments(0)

お知らせ:BOM/部品表に関するオンラインセミナー講演を行います(6月16日)

お知らせです。
来る6月16日(火)に、BOM/部品表に関する有償オンラインセミナーを行います。昨年12月に行った対面セミナーのアンコール版です(お陰様で昨年は満員でした)。ただし昨今の情勢を鑑み、オンラインで受講可能としております。

2004年に「BOM/部品表入門」を上梓して以来、わたしは15年以上にわたって、BOM=部品表のマネジメント重要性を、訴え続けてきました。幸い本書はいまだに現役で、累計1万部以上が売れたばかりか、中国語版もかなり好評です。

いやしくも製造業である限り、どの企業も、BOMは必ず持っています(そうでなければ材料も購入できませんから)。しかし、BOMのデータをきちんとマネジメントできている会社は、決して多くないようです。なぜ、BOMのマネジメントが難しいのか。それは、生産の中核に位置づけられる基準情報であるにもかかわらず、複数の部門がいろいろなフェーズとタイミングで関わるからです。

とくに近年は、
 ・新製品開発・投入のサイクルが早くなった、
 ・製造のサプライチェーンが国境をまたいで海外に伸びた、
 ・企業買収や提携が進んだ、
などの要因が相まって、BOMデータの維持運用を難しくしています。

他方、最近は製造業でも「DX」ブームの声とともに、データ・サイエンスやデータ・マネジメントに関心が集まり、あらためてBOMのあり方が注目されているようです。さらに、BOP(Bill of Process=工程表)概念の普及や、海外を中心としたPLM(Product Lifecycle Management)ソフトウェアの発達など、この分野での進展も確かにあります。

今回は、前回の内容をさらにバージョンアップし、著書に述べた量産型製造業だけでなく、BOMを扱いにくい個別受注生産にも光を当て、「自分で考え身につく」セミナーを目指します。

BOM/部品表マネジメントに関心のある方のご来聴を、心よりお待ちしております。


<記>

BOM/部品表の基礎と効果的な活用ノウハウ

日時: 2020年6月16日(火) 10:30~17:30
主催: 日本テクノセンター(東京・新宿)

セミナー詳細: 下記よりお申し込みください(有償です)
なお、PC環境等の制限によりオンライン視聴が難しい方は、日本テクノセンター研修室でも受講が可能です。


よろしくお願いします。
               (佐藤知一)

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# by Tomoichi_Sato | 2020-05-28 21:48 | サプライチェーン | Comments(0)

AIで設計は自動化できるか(3) 〜機械にできる仕事、人間が果たすべき仕事

「佐藤さん。AIを使って、設計を自動化することができると思われますか?」

――おやおや。何かご相談があるという話でしたが、いきなり難しい質問ですね。どうしてそんなことを考えておられるのですか。

「自分はこのところずっと技術部門で、いわゆるPLMと呼ばれるような設計用のITツールに関わる仕事をしています。ただ、単に設計図面や部品表を共有するだけではなく、もっと画期的に設計の生産性を向上するには、AIの力が必要だろうと思って調べはじめたんです。そうしたら佐藤さんの会社の、『ITグランドプラン2030』構想が検索に引っかかりました。その中に『AI設計』という活動があって、興味を持ったんです。」
AIで設計は自動化できるか(3) 〜機械にできる仕事、人間が果たすべき仕事_e0058447_22300144.jpg
日揮ホールディングスHPより引用(https://www.jgc.com/jp/news/assets/pdf/20181218_1.pdf

――なるほど。ただ、我々のようなプラント・エンジニアリング会社と御社では、設計業務も随分違うと思います。御社では、なぜAIに自動設計させたいのですか? 狙いはなんでしょう。

「それは…ですから、設計生産性の画期的な向上です。」

――と言うと? 御社では設計の生産性がこまるほど低いのですか?

「いえ、そう言うと語弊がありますが…ただ設計のミスとかは、案外多いですね。出図の後の、変更のフォローも悩みの種です。」

――つまり、省力化と正確性の向上を図りたいから、AIに設計をやらせたいと。そういうことですか?

「佐藤さんの会社では、違う狙いがあるんですか?」

――正確性の向上も、目的の1つにはありますよ。でもそれは部分に過ぎません。他に、例えば大量で単調な設計作業を肩代わりさせたいから、ということもあります。プラントの世界では、追いかけなければならない設計対象品目の数が、半端なく多いですからね。でも、一番最終的な狙いは、これまでの人間では発想できなかった設計を得たいから、です。

「そこなんです! 自分が言いたかったことも。今まで思いつかなかったような形状の製品を設計する。これができれば凄いじゃないですか。佐藤さんの会社が発表されているロードマップを見ると、『革新的なプロセス機器の自動設計』が最終ゴールに描かれています。これがそういう意味ですよね?」


――その通りです。非常にクリティカルな操作条件の反応器や熱交換器などを、まったく新しい形状で設計できるようになることを、目指してます。でもそのためには、3D Printerや新素材の開発も同時に必要でしょうがね。それも同じロードマップに入っています。

「なるほど。ただ、そこに至る道筋とステップが、よく分かりません。なんだか一本道ではなくて2つの線が合流した形になってますよね。これはどういう意味ですか?」

――それを説明するには、まずこのロードマップ図の見方を説明しなければなりません。ロードマップの横軸は、図中のそれぞれのテーマの狙いを示しています。図の左側に位置するのは、短期的な狙いです。ここではキャパシティーアップと書いていますが、これは私たちの組織の生産性を上げると言う意味です。」

「生産性。まさに私たちの課題と同じです。」

――図の真ん中へんに位置するのは、品質向上・リスク低減です。すなわちプロジェクトをより可視化して、突然問題が吹き出すことを防ぐのが目的です。そして1番右側にするのは、新しいデザインや価値を、顧客に提供することです。つまり左側にあるのは短期的な課題、真ん中が中期的で、一番右はより長期的な狙いになります。

「AI設計は、比較的左側に寄っていますね。」

――その通りです。そして縦軸は、それぞれの取り組みの難易度を表しています。上に行けば行くほど、難しい。ですから、このロードマップの全体配置で言うと、左下のほうにある取り組みは、短期的な狙いで、かつ、難易度も低いですから、すぐ着手べき、となります。逆に右上のほうにあるテーマは、長期的な狙いで、難しいですから、当然将来の取り組みになります。ですから、全体としては、左下から右上に向かって、我々のいわば「デジタルジャーニー」の道筋があるわけです。

「なるほど、図の構造はよくわかりました。」

――それで、AI設計に話を戻します。出発点になるのが1番左下の、単純作業の自動化です。先程言ったように、私たちの設計業務には、多量で単調な作業がかなり含まれています。チェック作業とか、ツールや図面間の転記作業とか。そこでRPAなどを使って自動化し、エンジニアをつまらない作業から解放する。

「RPAはAIとは言えないですが。」

――もちろんです。ただ、こうやって設計作業を棚卸しし、最初に整理しておく必要があります。その上でAIの応用を考えねばならない。ところで、AIのエンジンと言うのは、買ってくれば、そのままポンと使える道具ではありません。そこには設計の知識やルールの埋め込みが必要になります。そのためには、ベテランのエンジニアが持っている暗黙知を、形式知化して、AIのエンジンが理解できる形に埋め込んでやらなければいけません。

「それが左上にある、『シニア技術の形式知化・ルール化』なんですね。ただ、どうしてこれは、こんな外れた場所にあるんでしょうか?」

――われわれはこのテーマに、昔から何度も取り組んできたんです。ところが、なかなかうまくいきませんでした。難易度が高いので、図の左上にあるのです。

「実は、うちの会社でも、同じような問題に突き当たっています。なぜこれって難しいのでしょうね?」

――理由はいくつかあると思います。単純に、シニアが忙しすぎて、時間を捻出できない、から始まって、センスや感覚論で説明してしまう傾向があるとか、いろいろです。でも1つの問題は、設計プロセスを形式化するための、方法論なり技術が、曖昧だったことにあります。そこで我々は、DSMという手法を導入して取り組むことにしました。

「DSMって、なんですか?」

――Design Structure Matrixの略で、米国のD. V. Stewardが1981年に、設計プロセスのモデル化のために提案した技法です。設計変数(設計諸元)をマトリクスの縦横に取って、設計における依存関係を表現します。Bという設計変数を導出するのに、設計変数Aが必要だったら、マトリクスのB行のA列に1を記入します。記法は単純ですが、複雑な設計プロセスを形式知化し、設計上の問題を抽出することができます。
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「というと?」

――通常の順次導出関係は、対角線よりも左下にある”1"で示されます。逆に、対角線よりも右上に1があったら、それは設計の後工程から前工程へのフィードバック(つまり手戻り)を示すのです。そこで設計変数の順序入れ替えやグルーピングを行って、マトリクスを整理し、プロセスを改善するのです。もちろん、1のマス目で表される、それぞれの設計変数間の導出関係の後ろには、計算ロジックがある訳です。

「なるほど」

――わたし達は、シニア技術の形式知化から、メインのAI設計の流れに合流する点を、「AIローディング・ポイント」とよんでいます。これをちゃんとやらないと、設計へのAIの活用は成り立ちません。

「その次にある『プロットプラン自動設計』というのは何ですか?」

――プロットプランとはプラントの配置計画のことで、空間設計の基礎になるものです。化学プラントの設計では、最初にプロセスシステム、つまり全体の機能的な設計をします。電気工学で言う回路設計だと思ってください。それから、システムを構成する個々の要素、つまり機器や配管などの空間的な配置を決めます。これがプロットプランです。プロットプランは全体コストに大きな影響を及ぼすので、エンジニアリング会社の競争力の源泉ですが、考慮すべき要素も多く、現在はベテランにかなりを頼っています。

「そこでAIの登場ですね」

――うーん、そうなんですが、話はそう単純じゃありません。プロットプランはコストを左右する、といいましたが、じゃあ単に、敷地面積や配管の物量だけを最小化すればいいかというと、そうではないんです。施工性であるとか、地下埋設物の存在とか、操業時のアクセス性とか、かなりいろいろな要素が関わります。つまり、評価尺度が複数あって、しかもあちらを立てればこちらが立たず、というトレードオフ関係が生じやすいのです。

「そうなると、最適化問題という訳ですか」

――そうです。それも多目的最適化問題になります。多目的最適化ではパレート・フロンティアとか、いろんな概念とテクニックが登場しますが、要するに答えは一つとは限らないのです。しかも、配管長とかケーブル長とか敷地面積などは、明示的に計算できますから、最適化エンジンの中に組み込めますが、施工性とか操作性は、ある意味とても定量化しにくいものです。だから、エンジンには組み込めない。

「じゃあ、どうするんですか?」

――出てきた答えを、人間が評価するしか無いのですよ。多目的最適化エンジンに、制約条件と目標値を与えて、複数のケースを計算させてみる。その結果を、エンジニアが評価して、部分的には修正して、またエンジンを動かす。こういった、一種のマン・マシン・ループの生じる仕事になります。

「それは、あまりうれしくないですね」

――そうでしょうか。でも、現在はすべてのプロットプラン設計作業を、ベテラン技術者がやっていますから、限られた納期の中では1ケースのプランを作るのが精一杯です。それが、複数ケースを比較評価して、ベターなものを選べるのだったら、十分うれしいと思います。

「なるほど、省力化は図れるのですね」

――いや、省力化よりも大事なことがあります。それは、技術者が『評価』という、価値ある仕事に集中できることです。さまざまな観点・尺度から、設計成果物を評価し、必要に応じて改善する。この部分は、AIにはできません。計算機には価値観も思想もありませんからね。人間の大事な仕事なんです。従来は設計のバルキーな計算や作図作業にほとんどの時間を取られ、せいぜい設計結果のチェック&レビューくらいしかできませんでした。評価尺度についても、十分意識化してこなかった。そこは大きな前進になります。

「ふーん。そうなると、AIの出番はどうなるのですか?」

――まあGartner社などは、最適化もAIの領域内に含めていますが、技術的には以前からあったものです。それで、現在、世の中でAIと呼ばれているものは、ほぼ機械学習、それも深層学習です。その中心機能は、パターン認識、つまり類似性の判別と判定にあります。具体的には、画像認識による個人の顔の特定や、音声認識などのアプリケーションですね。もちろん、故障の予知保全なんかも応用分野の一つです。

「そこは弊社でも注目しているところです」

――そうですか。ところで、パターン認識技術って、設計に応用できると思いますか?

「できるんじゃないでしょうか。過去の設計事例から類似パターンを引っ張り出して、サジェスチョンしてくれるとか、でるといいなと思っています。」

――たしかに、サジェスト機能くらいなら、ありえるでしょう。保証はないけど、おおよその答えを言うだけですから。でもね、いやしくも科学法則に縛られた理工学領域の設計では、ベストの類似パターンを探し出してきたって、その計算結果が制約条件を満たさなければ、アウトですよ。設計の世界では、yesかnoかは白黒はっきりしています。耐荷重が100kgの条件なのに、出てきた答えが98kgしかなかったら、アウトプットには使えないのです。そこは、SFじゃないけど「冷たい方程式」が支配する領域なんです。

「だったら、シミュレーション機能と統合して、条件を満たす順に類似結果を表示したらどうですか。PLMの中に過去の設計図面をすべて登録し、PLM得意のシミュレーションI/Fを使って計算すればいいでしょう。そこから人間が、いいものを選ぶ」

――はい。だから、機械学習は、わたしのいう「選択的設計問題」だったら使いやすいと思うのです。もちろん、過去の設計成果物が、きちんとデジタル化され、かつ、設計変数や制約条件などのメタデータも、標準形式化され登録されている前提ですが。

「まあ、そこはちょっとハードルが高いですけれど、頑張れば可能ですね」

――ですね。で、そのとき課題になるが、設計ルールや、設計変数間の関係、つまり設計知識の扱いなんです。過去の図面は、頑張ればデジタル化できるでしょう。ただ、メタデータやルールや知識を、扱いやすい形式にする部分がポイントです。今の深層学習系AIソフトと、一世代前のルール型AIや知識ベースの両方が、じつは設計の自動化には必要なのです。

「ふーむ。でもIBM Watsonなんかは、何でも知っているという話ですが」

――クイズ番組に出るような知識ならね(笑)。ただ、御社の設計作業に関する知識は、知らないんじゃないですか。それをインプットするのは、御社の仕事のはずです。

「たしかに。」

――しかも、今のAIが活用できるのは、選択型問題や、演繹的決定による設計問題に限られます。先ほど説明したプロットプランのような最適化問題は、パターン認識ではアプローチできません。ましてや、形状や構造を設計する、システム合成問題は、なお難しいでしょう。

「じゃあ、AIでの設計は不可能、と思われるのですか?」

――そうは言いません。今の深層学習とパターン認識によるアプローチの最大の問題は、過去の設計データの蓄積に依存している点です。深層学習は、万の単位の教師データを必要とします。しかし、設計という行為は、つねに一回限りです。製造では全く同じ製品を繰返し作ります。だからパターン認識による欠陥検出や故障予知などがきくのです。他方、設計は、全く同じ図面を再生産することはしません。毎回、必ず何かが違うのです。エンジニアリングには「個別性の罠」があるのです。

「ますます、不可能に思えてきましたが」

――それは、過去の設計結果に頼ろうとするからです。そうではなくて、計算機が、自分で設計結果を生み出していけば良いのです。少しずつ、設計パラメータを変えて、結果を計算する。そして、評価関数を与えてやって、良いものを選んでいく。計算機は飽くことなく、いくらでもランダムな組合せで設計をジェネレートします。そこから、よりベターなパラメータ群を選んでいく。

「それって、強化学習ですね」

――そうです。AIで設計を自動化したかったら、強化学習しかないのですよ。このように、計算機が自分でベターな設計を生成していく手法を、Generative Designといいますが、その代表例が、「トポロジー最適化」の技術です。これは、機械部品などの形状について、人間がある初期値を与えてやり、そこから自動的に肉付けを変えていって、もっとも重量が少なく強度の高い結果を求めていくような手法です。すでに商用のソフトウェアも存在します。

「やっと、トンネルの向こうに光が見えてきたような気がします」

――そうですか。ただね、強化学習では、設計をジェネレートするたびに、その評価をしなければならないのです。単純な構造部品なら、重量と強度の計算程度ですみます。しかし、たとえば熱交換器程度でも、ちゃんと評価しようとすると、毎回、熱伝導計算と計算機流体力学の両方を解かなければなりません。かなりマシンパワーを食う計算です。

「でも、マシンパワーはクラウドと並列化技術のおかげで指数関数的に進化し続けています。そういう意味では、強化学習による設計も、楽観視して良さそうですね。」

――まあ、そうだといいですね。ただ、ちょっと気になる点もあります。現在のAIコミュニティを見ていると、強化学習の分野は倒立振子問題から始まって、ロボットアームの制御みたいな、連続変数の制御問題の枠組みばかりを注視しているように感じられます。トポロジー最適化のような、形状の連続的変形の問題は、それでもいい。連続変数の最適化制御問題は、非線形性が強くても、最後は偏微分方程式を力づくで解く方向に進めます。

「はあ。」

――ところが、形状の設計ではなくシステム構造の設計となると、問題は離散的な設計変数の組になります。離散系の最適化問題は、連続系とは全く異なる難しさがあるんです。詳しい話は省きますが、NP完全になりやすいので、経験的なヒューリスティックが必要になる。そのことを、ORの分野の人はよく知っていますが、まだAI系の人は無頓着に思えます。

「というと、結局、AIは設計をどこまで自動化できるんでしょうか?」

――将来に渡って、設計エンジニアは不要にはならない、ということです。要求を分析し問題構造を理解する、設計の知識ベースを入力・更新する、複数の目的関数を設定する、でてきた結果を評価する、必要に応じてそれを修正する、そして設計のツール自体を進化させる。こうした仕事は、相変わらず人間に残ります。もしAIが将来、設計技術者を不要にすると思うなら、それは無用な心配です。むしろ今のAIは、設計に活用しようとすると、ずいぶん寸法が足りない。一寸法師のようなものです。
 一寸法師だって、大勢を上手に使えば、エンジニアの退屈な仕事はそれなりに手助けしてくれます。ただ、それを上手に進化させられるかは、わたし達にかかっているのです。


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 (2020-05-07)
  (2020-05-15)



# by Tomoichi_Sato | 2020-05-24 23:12 | 考えるヒント | Comments(1)

AIで設計を自動化できるか? (2) 〜「良い設計」の条件を考える

前回の記事「設計とはどういう行為か、AIで設計を自動化できるか?」 でも書いたとおり、設計とは『機能を形状・構造に落としこむ』(そして必要な場合は制御機構も与える)行為である。だから、設計は典型的な逆問題になる。逆問題とは、アウトプット(結果)から、インプットやプロセス(入力・過程)を逆算する問題だ。一般的には、一意に解けない。だからこそ、設計者のスキルやセンスの活躍する領域がでてくる。

設計者に、スキルの高低とかセンスの良しあしがあることを、否定するエンジニアは少ないだろう。毎回、画一的な答えを出すだけなら、ロボットでも代替できる。だが、設計者はロボットではないはずだ。では、設計者という人間のスキルやセンスとは、何を指すのか。

当たり前だが、それは、「良い設計」を作れる能力を意味している。誰が見ても、「うーむ、良い設計だ」と感心する出来栄えのアウトプットを、ある程度コンスタントに生み出せる能力。そういう人は、スキルが高い、センスが良い、と言えよう。

では、「良い設計」とは、何なのか? 

良しあしを言うからには、そこに、何らかの評価尺度と基準があるはずである。前回の記事では、機能・構造・制御の3要素に関連して、3つの評価項目を取り上げた。

(1) 有用性:有用でないモノは、作るに値しない。有用性とは「機能」が生み出すもので、設計対象の性質やふるまいのうち、使用者の期待に合致する(あるいは他の機能を助ける)部分を指す。若干ニュアンスはかわるが、「機能性」と呼んでも良い。

(2) 存続性:ちゃんと存続しないモノ(作っても瞬時に壊れるような物)は、使えない。存続性は、「構造・形状」(と材質)が、保証する。力学的安定性ともいう。ただしソフトウェアのような無体物は、構造的単純性(スパゲッティ状態でないこと)で置き換えて、解釈すべきだろう。

(3) 操作性:使用者の意思に沿って動かないモノは、使えない。操作性は、「制御」の機構が実現するもので、制御性といっても良い。普通はそのために、ユーザ・インタフェースが必要になる。

言いかえると、ユーザの期待を上回るような機能・性能があり、形状や構造は単純ながら堅牢安定で、かつユーザの意のままに動かせるようなモノを作れたら、良い設計だという事になる。

しかし、評価基準はこれだけか? そんなことはない。

まず、真っ先に設計者の脳裏に浮かぶのは、『コスト』であろう。コストが優先、コストは安いほうが良い。これは多くのエンジニアに刻み込まれた価値観だ(とくに日本では)。もちろん、正確に言うと、「同じ性能や品質が実現できるならば、コストは安いほうが良い」である。コストダウンで性能や品質が犠牲になっては、本末転倒だ(だが、しばしば設計者が、「コストダウン優先」という『転倒』を、要求されたりするのが見受けられるが)。

その「コスト」はさらに、設計作業それ自体の人件費、材料部品の購入費、そして製造や検査の労務費、機械設備の減価償却費や光熱費、などから構成される。このうち、最後の製造間接費は普通、企業の製造部門が固定費として担うので、設計部門の責任範囲外だ。しかし設計人件費・材料費・労務費のどこまでが、設計部門の「コスト」の対象になるかは、その企業の組織ポリシー次第でかわる。

だから、ある者は、たとえ材料費が少し増えても、製造の手間が下がれば、全体コストが下がるから「良い設計」と思い、別の者は、材料費さえ下がれば、製造が面倒になっても「良い設計」だと考える(労務費は設計者の責任範囲外の場合)、といった現象がおきる。もちろん、設計作業の人件費しか見ない者もあるだろう(製造を外部企業に委託している場合など)。このように、何が良い設計なのかは、その会社の経営のモノサシにかなり依存するのだ。

さて、同じ性能や品質が実現できるなら、コストは安いほうが良い、と上に書いたが、では「性能」や「品質」は、どんな評価尺度なのか? とくに設計が実現すべき『品質』とは何なのか。まさか、製造品質のことではあるまい(さすがに普通それは製造部門の責任だ)。では、設計図や仕様書に誤りがないこと? 誤字や転記ミスがなければ、「良い設計」になるのか? それって最低限、守るべきことではないか。

設計における品質の問題とは、ユーザの要件や無意識的期待への合致、で測られるべきであることを思い出そう。そこで、よくITの分野で行うように、「機能要件」と「非機能要件」という角度からとらえなおすほうが、分かりやすい。

 性能=機能要件に属する特性
 品質=非機能要件で決まる特性

たとえば自動車でいえば、『移動』という主要な機能目的に直接付随する特性、つまり走行距離、最高速度、可載重量、馬力、加速性、燃費、回転半径などが、性能の範囲だ。逆に、高速安定性だとか剛性だとか衝突安全性、そして空間の広さや居住性、運転のしやすさといった非機能要件が、品質と関係する。良い設計というのは、機能要求を満たしつつ、非機能要件も適度に満足させるバランス感にある。

つまり、設計とは、与えられた制約条件の中で、複数の評価尺度を、なるべく最大化するような設計変数の組を見つける作業である、ととらえることができる。ORの分野の用語でいいかえると、設計とは多目的最適化問題なのである。

そして、複数の評価尺度の間には、しばしば、「あちらを立てればこちらが立たず」というトレードオフの関係が生じる。自動車の例を続けると、走行距離を伸ばすには燃料タンクを大きくすることになる。だが、そうすると車体重量がまして、燃費や加速性が犠牲になる。加速性を上げるためにエンジンの馬力を上げると、今度は燃費が下がる、じゃあ車体を軽量化しようとすると、高速安定性が損なわれるし材料コストが上がる、といった具合だ。

AI(機械学習)の分野には、「ノー・フリー・ランチ定理」と呼ばれる定理がある。すべての最適化問題に対して、最強の性能となるようなアルゴリズムは存在しない、という定理だ。魔法の「銀の弾丸」はない、といってもいい。設計で突き当たるトレードオフの問題は、この定理を思い出させる。どこかを強めると、どこかが弱くなるのだ。

そこで、評価尺度の間にトレードオフが生じるとき、どの項目を優先して、どこは犠牲にすべきかを決める、より高いレベルの指針が必要になる。これを『設計思想』Design phylosophyと呼ぶ。良い設計とは、すなわち設計思想の明確な仕事である。ジョブズの生みだしたiPhoneは、たしかに設計思想の明確な製品だった。逆に設計思想の薄弱な、八方美人的な製品は、個性が薄く人を引きつける力が弱くなる。

もっとも、自動車や携帯電話のような複雑なシステム製品の設計となると、それ自体が設計変数の多い大規模な問題で(部品点数だけでも相当になる)、評価尺度の項目も多く、非常に難しい。これに比べて、前回取り上げた、椅子の設計だったら、形状も構造もずっと単純だ。設計変数も、ずっと少ない。座面の高さや耐荷重量、脚の本数などの主要な設計パラメータは、たぶん所与で決まっているだろう。

そのような場合、主に問題となるのは、形状と材質を与えたとき、所定の力学的強度を満たすかどうか、のチェックであろう。これなら単純なシミュレーション計算(場合によっては手計算)で確認することができる。さらにキャスターなどの制御機構を考え、総重量を求め、部品表とコストを計算し・・という具合に、設計作業は順次、進んでいく。こういう仕事ならば、手順書を作って、スキルの低い設計者や外部に委託することも可能になる。

いや、もっと単純な設計作業だって、無いわけではない。それは、あらかじめ決まっている選択肢の中から、要求仕様に基づいて、条件に合致する物を選ぶような作業である。わたしの職場では、よくこうした仕事を「カタログ・エンジニア」とよんだりする。分厚いカタログの中から、適切な製品や部品を選んで、その特性を仕様書に転記するだけの作業だからだ。

このように考えると、設計という仕事には、カタログから選ぶだけの単純な作業から、複雑なシステム製品の内部構造と制御機構を実現する仕事まで、大きく4つくらいのレベルがあることが分かる。それは、考えるべき設計変数の数と、評価尺度の複雑性に応じて、図のようにマッピングすることができよう。
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つまり、設計行為には4つのレベルがあると考えられる

1. 選択的決定:いわゆるカタログ・エンジニア
2. 演繹的決定:設計計算で主要な設計変数を逐次導出する
3. 最適化決定:評価関数を最大化する設計変数の組を探索する
4. システム合成:多軸的な評価関数をバランスよく満たすような構造と制御機構を合成する

当然ながら、この順番で設計は難しくなる。ただ、4の「システム合成」の高度な大仕事も、その中のプロセスを細かく分解してみると、部分的機能モジュールの最適化決定や演繹的決定、あるいは単純な部品の選択的決定、などが含まれているのが分かるだろう。そして設計チームの中で、スキルに応じて、そうした作業が振り分けられていくはずである。

このように考えると、AIで設計を自動化できるか、という問いに、さらに一歩近づいた訳である。その答えについては、次回の記事で考えてみよう。


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(2019-09-22)



# by Tomoichi_Sato | 2020-05-15 12:18 | 考えるヒント | Comments(0)

設計とはどういう行為か、AIで設計を自動化できるか?

2月の中旬、まだ大勢の人の集まる会合が可能だった頃(なんだか遠い昔のようだが)、「日本学術振興会 プロセスシステム工学第143委員会」(通称「PSE143委員会」)という場に招かれ、講演をさせていただいた。会合全体のテーマは「新しい設計手法・視点」で、わたしは『システム設計は果たして工学たりうるか?』と題するお話をした。

設計とは何か、という問題について、最近あれこれの角度から考えてみている。わたし自身はエンジニアリング会社でずっと働いており、とくに駆け出しの頃は、設計部門でキャリアを積んだ。今は設計の現場から離れてしまったが、今でも設計の良し悪しこそ、その後の仕事の質や利益を、大きく左右すると信じている。そして、プロジェクト・マネジメントの分野に設計論が欠けていることが問題だ、とは以前も書いたとおりだ。

では、ひるがえって、設計とはどういう行為なのか、設計の質とは何が決めるのか、そして昨今皆が注目しているAI(人工知能)という道具は、設計において役立つのかどうか。こうした議論は、あまり十分されていないように感じる。そこで、上記の講演の内容を一部再録する形で、読者諸賢の検討の俎上に差し出そうという次第である。

ちなみに委員会の名称にある「プロセスシステム工学」とは、簡単に言うと化学プラントの全体設計及び制御に関する工学、というほどの意味である。プラントというのは、外観を見た方はご存知の通り、装置や機器を多数の配管が網の目のように縦横無尽につないだ形をしている。あれ自体が、非常に複雑なハードウェア・システムなのである(もちろん制御ソフトウェアもその上で動く)。だから、わたしの講演タイトルにある『システム設計』は、ITソフトウェアの設計というよりも、もっと広い意味でとらえていただきたい。

さて。そもそも、設計とはどういう行為なのか。設計という仕事を、真っ向から研究対象としてとらえた学問は存在するのか。すなわち、『設計論』の系譜とは、どうなっているのか?

不思議なことに、ここがまず、出発点として曖昧なのである。読者の中には理工学系の教育を受けた方も少なくないと思う。では、一般的に設計とはなにか、どういう原理で考え、どう進めるものなのか、教わった方は多いだろうか? わたし自身の記憶は、あいまいだ。工学部では、それぞれの専門領域の手法論は細かに教わる。だが、分野を横断した、一般的な設計論というのを、あまり聞いた覚えがない。

じつは早くも1960年代に、この点を問題視した人がいた。後に東大総長となる故・向坊隆である。彼は応用化学系の研究者だったが、戦後日本における工学教育の見直しの必要を説き、エンジニアが共通に学ぶべき『基礎工学』の21の科目を提案した。その第10科目が「設計論」で、第21科目は「システム工学」だった。

設計論を担当した渡辺茂は、後に著書「設計論」(岩波書店、1975)をまとめる。彼の「設計の定義」は、こうだ:

「設計とは思いついた“あるもの”に具体的な形を与え、その着想の正しさを確認することであって、次の三つの行動からなりたっている。
1. “あるもの”を作りたいときめる
2. それに形を与え、使用する素材をきめる  
3. その作り方をきめる」
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・・感心しましたか?

率直に言うと、「何それ?」というのが、読んだ時のわたしの感想だ。渡辺茂は機械工学の人だった。だから形と素材に、主要な関心がある。しかし、電子回路の設計や、プラントの制御方式に悩んでいる設計者にとって、<形を与え、素材を決める>と言われて、心に響くとは、とても思えない。ソフトウェア設計者には、いうに及ばずだろう。

もう少し時代が下って、1979年。東大の精密機械工学科の吉川弘之は、設計についての公理的理論として『一般設計学』を提案する。一般設計学では、基本的な概念として「実体」,「実体概念」,「属性概念」が定義され、位相空間論の方法が用いられる。たとえば、「公理1(認識公理):実体は属性(あるいは機能,形態などの抽象概念)によって認識あるいは記述することが可能である」、といった具合だ。

わたしはここで、その内容を詳しく解説するつもりはない。あまりに抽象的で難解だからだ。もしご興味があれば、たとえば、下記の講義録などを参照されたい。

また、後に角田譲は、位相空間論ではなく「チャンネル理論」の数学的枠組みを用いて、「抽象設計論」を提案する(2001年)。その内容については、以下の文献も参考になる。
菊地誠(2003): 一般設計学と抽象設計論に関する考察. 京都大学数理解析研究所講究録 1318, 136-148,

ただ、エンジニアとして正直に言うと、上記のような公理論的な枠組みをいただいても、実際の設計の仕事にどう活かしたらいいか、さっぱり分かりません、との感想になってしまう。

という訳で、いつものことながら、自分で納得できる答えを自分で考えるしかない、という事になった。
設計とは、どういう行為か? わたしの答えは、こうである。

設計とは、『機能を形状・構造に落としこむ』作業である。
設計対象に可動部分があったり、対象が入力を出力に変換する仕組み(システム)である場合は、その構造に、制御機構を与える作業が続く。

これだと分かりにくいだろうから、具体的な例をあげてみよう。たとえば、椅子を設計することを考える。

椅子は、人がその上に一時的に腰掛けるためのものだ。すなわち、一定の高さに座面を提供することが、その機能である。そこで、座面の高さ、かかる体重(外力)などが、主要な設計パラメータになる。設計パラメータというのは、問題固有の特徴的な設計変数のことだ。
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野良の切り株だって、座る役には立つ。だから、考えている椅子が、もし「切り株」のように、単一の材料からなる場合、形と材質だけを決めれば、事足りる(構造の概念は不要だ)。

だが、もちろん異なる形状と材質からなる、座面と、それを支持する脚部からなる「構造」を考えてもよい。そして普通の椅子は、そうなっている。この場合、座面の広さ・材質、座面を支える脚の形状と本数、地面との接し方、などの設計変数を決める。

その上で、手で持ち上げられる重さにおさめたい、とか、耐荷重は最大100kgとか、回転できるようにしたいとか、背もたれも必要だとか、さまざまな要求仕様や、製造上の制約条件を加味して、考えを進める必要がある。

最終的には、製造する人にとって必要な、製作図面と、部品表(BOM)と、製造仕様書とを設計のアウトプットとして出さなければならない。もし売り物にするならば、さらに「使用説明書」(ユーザマニュアル)もいるだろう。

ところで、椅子の設計において、形状や構造はたしかに分かる。だが、椅子の「制御」とは何だろうか? そんなものは必要なのか? どこかにマイコンをつけて、モータをサーボ制御するのか?

そう思うのは、制御ということを、現代制御理論の枠組みで捉えすぎるからである。制御の原義とは、「設計対象のふるまい方を、ユーザの意思や動きに合致させる仕組み」なのだ。それはユーザとの入出力操作により、性能(有用性)や安定性を変えるメカニズムである。

椅子の場合はどうか? たとえば、キャスターつきの脚部は、ある意味、椅子の位置を「制御」しやすくするための仕組みだ。また、そのキャスターにストッパーがついていたら、それは移動性のみならず、安定度を確保するための制御の仕組みでもある。また、座面の高さや、背もたれの角度の調節メカニズムだって、立派な制御機構である。

ちなみに、上に述べた「機能」と「構造」の概念についても、きちんと記しておいたほうがいいだろう。

機能とは、設計対象のふるまいや、対象がもたらす変化のうち、ユーザの期待に合致して(あるいは他の機能とつながって)有用なところを意味する。すなわち、製品の生み出すアウトプット(物・運動・情報)や、あるいは働きを「機能」と呼ぶのだ。椅子ならば、座面を提供して人の体重を支えることが、主たる機能である。ちなみに、アウトプットや変化を生むだけでなく、自然な変化を防ぐ事も、「働き」の一種である。だから、塗装は鉄のサビを防ぐ「機能」を持っている、という。

構造とは、モノとして存続性(安定性)があり、そのふるまいにおいて機能(有用性)がもたらされるような、要素の形と材質の組合せをいう。なお、これは設計対象が、物理的な実体を持つような場合の話である。ソフトウェアとか、あるいは「企業組織を設計する」際のように、実体がない設計対象の場合は、「構造」とは、要素的な機能のかたまり(モジュール)と、その連携関係のことを示す。

余談だが、宮崎駿の映画「風立ちぬ」で、主人公の堀越二郎が、食堂で出てきた魚の骨をつまみあげて、「なんて見事な形なんだ」と賛嘆するシーンがあった。堀越は航空機工学のエンジニアだから、部品の形状に、非常に興味がある。

機械・土木・建築など、物理的な形状に近い設計の分野では、『形状』は機能と、構造(力学的構造)を橋渡しする、重要な要素である。だから最初の定義に、『機能を形状・構造に落としこむ』と書いたのだ。ちなみに電子回路の設計や、化学プラントのプロセスシステム設計(=プラントの回路設計)では、機能的な要素の結合関係が重要であって、物理的な距離は、まあ副次的な役割にとどまる。そして無体物の設計では、形状は問題にならない。

少し長くなってきたので、これまでのところを簡単にまとめよう。

1.設計とは、『機能を形状・構造に落としこむ』作業である。必要な場合は、さらに制御機構を与える作業が続く。

2.機能とは、設計対象のふるまいや変化のうち、ユーザの期待に合致する(あるいは他の機能とつながる)ところを意味する。つまり「有用性」が評価基準となる(無用なものは設計する価値がない)

3.構造とは、設計対象を構成する要素の形と、つながり・組合せを意味する。機能として期待するふるまいをし、かつモノとしての「存続性」(力学的安定性)が評価基準となる

4.制御とは、設計対象のふるまい方を、ユーザの意思や動きに合致させる仕組みであり、ユーザとの入出力操作により、性能や方向性・安定性を変える。つまり「操作性」が評価基準となる

さて、わたし達が工学部で習うような実験手法とか、あるいは利用可能な計算ソフトなどがやってくれる仕事は、基本的に「形状・構造が与えられたときに、その性能・ふるまいを計測・予測する」道具である。有限要素法による構造力学計算も、空洞実験やCFDの流体力学計算も、電子回路シミュレータも、分子軌道法による計算化学も、そうした手法論である。

だが、設計という仕事において必要とされるのは、ちょうどその逆の動きだ。つまり、
「形状・構造 → 機能・性質」
ではななく、
「機能・性質 → 形状・構造」
を考えなければならない。

形状・構造から出発して、機能や性質を導出するプロセスは、手順は複雑かもしれないが、答えは一意に決まる。しかし機能から、それを実現する構造・形状を求める作業は、一意に決まるとは限らない。おそらく非常に広い可能性の領域から、適切な形状や組み合わせを求める必要がある。

つまり、設計とは典型的な逆問題なのである。『逆問題』とは、アウトプットからインプットを推測する(あるいはインプットの変換プロセスを推定する)タイプの問題だ。そして、逆問題の答は、一意に決まらない場合が多い。でも、設計においては、何か答えを出さなくてはならない。だから、ここに設計者の経験値や「センス」が介在する余地が生まれるのだ。

設計という仕事には、サイエンスだけでなく、アートの部分がある。「良い設計」と「ダメな設計」が分かれるのは、このためだ。答えが一つしかないなら、設計に良し悪しなど生じるはずがない。だが、現実には設計者のスキルが、重要な役割を果たすのだ。

こう考えてくると、「AIで設計を自動化できるか?」という問題も、アプローチの方向が見てくる。長くなってきたので、この続きは項を改めて、また書こう。


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# by Tomoichi_Sato | 2020-05-07 20:07 | 考えるヒント | Comments(0)

書評(巣ごもり読書のための):「経営戦略全史」「三体」「浄瑠璃を読もう」

連休である。ただし緊急事態宣言の下、行楽も映画もパーティも自粛要請で、家に「巣ごもりGW」を余儀なくされている方も多いと思う。そういう方々のために、少し厚めで読みごたえのある、でも案外スイスイ読み進められてしまう本を3冊、ご紹介しよう。いずれも最近、面白く読んだ本ばかりである。


1. 「経営戦略全史」 三谷宏治・著

テレビのニュースを見ていたら、今回の世界的パンデミック危機に対して、ニュージーランドと台湾が、素晴らしい対応力を発揮したと報じていた。ニュースキャスターと解説者は、ニュージーランドの女性首相が国民に切々と協力を訴えるビデオを紹介しながら、成功の最大の理由は、この首相のリーダーシップにあると断じた。

やれやれまたか、とわたしは思った。ニュージーランド政府がどのようにこの問題を把握監視し、どういった体制を組んで、どのような政策をとったのかは、ほとんど報じない。つまり危機対応の戦略については、何も触れないのだ。

組織が成功したら、それはリーダーのおかげだと考える。リーダーシップとは、やる気によって決まると、この国では理解されている。つまり成功したら、やる気のおかげだと考える。失敗したら、やる気が足りなかったのだと考える。

このような社会では、自他の経験から何も学ぶことがないので、何の進歩もない。もちろん、何の戦略論も生まれない。

経営学と言う学問が生まれたのは、ほぼ100年前だ。米国のテイラー、フランスのファヨールらから始まって、特に1960年代以降、米国で隆盛した。その中心テーマは、経営戦略。そして経営戦略コンサルタントと言う専門職も発した。

著者の三谷宏治氏は、名門ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)でキャリアを積み、現在はビジネススクールの教授と著作業に勤しんでいる。複雑な経営戦略論の広大な地平を、わかりやすい見取り図にまとめて、示してくれる能力は大したものだ。

著者によると、経営戦略論は大きく2つの系譜に分かれる。「ポジショニング」派と「ケイパビリティ」派だ。これはとてもうまい切り取り方だと思う。経営学における科学主義と人間主義の2つの見方を代表させ、2つの陣営(「大テイラー主義」vs.「大メイヨー主義」)の対抗するドラマのように描き出す。

日本ではアカデミアの経営学と、実業における経営層との間に、大きな分断があるため、本書のような良い解説がとても価値を生む。また、経営戦略に関心を持ち始めた若手中堅層のビジネスマンにとっても、とても面白い入門書になっている。もちろん著者は、最後に、自分の編み出した手法の詳しい解説を付け加えることも忘れない。

戦略論を編み出した学者やコンサルタントたちの人物像と似顔絵をつけているのも、この本の良い点だ。架空対話も含めて、学問のダイナミズムを、活き活きと描き出している。

本書を読むと、自分まで頭が良くなったような感じになり、経営戦略を自家薬籠中にしたような気持ちになれる。ただ読者が注意すべきところがあるとすれば、これら戦略論のほとんどが、分析と解釈のための道具であって、発明と発想の方法論ではないことだ。

コストリーダーシップとか、ブルーオーシャンとか、定石の枠組みを知ることは大切だ。だが具体的な戦略は、やはり自分の頭で考え出さなければならないのでる。



2. 「三体」 劉 慈欣・著

1967年春、北京。「文化大革命」に沸く若き紅衛兵たちの狂乱的状態と殺戮から、いきなり小説は始まる。長年続く飢餓と貧困と圧制に、当時の中国の若年層は、怒りの感情を内心たぎらせていた。そのガソリンにも似た感情に火をつけたのが、毛沢東の文化大革命キャンペーンだった。彼らは徒党を組んで『紅衛兵』等を自称し、競い合いながら、暴力による「反動的分子」狩りを都市の内外で始める。

その悲劇に巻き込まれた一人が、大学教授の葉哲泰だった。コペンハーゲン解釈やビッグバン理論などの「ブルジョア的反動的」科学理論を講義したという理由から、大勢の目の前で、父親が愚かな若者達に殴り殺されるのを見ているしかなかった、娘の葉文潔。彼女がこの小説の前半の主要人物だ。

「三体」は、物理学者の物語である。天体物理を専攻したがゆえに、遠い寒村に下放され、さらに「紅岸」と呼ばれる電波基地に幽閉された彼女が、どうやって文革時代を生きのびたかは、次第に明らかになるが、ストーリー自体は序盤が終わると、いきなり40数年後の現代に飛ぶ。ナノマテリアルの専門家・汪淼は、トップクラスの物理学者が、次々と謎の自殺を遂げるという事件に巻き込まれ、その背後を探りはじめる。

高エネルギー粒子加速器プロジェクトに関わった、天才女性物理学者・楊冬の遺した「物理学は存在しない」という、不可思議な遺書の意味を探る内に、彼は『三体』と呼ばれる、他の星の歴史を、追体験できる参加型ゲームへとはまり込んでいく・・

互いに引力を及ぼし合う三つの質点系の運動は、一般には解析的に解けず、数値的な予測も至難である。では、三重星系を周回する惑星に生まれた知的生物にとって、宇宙はどのように見えるのか。この小説の中心テーマは、決定論的な宇宙観への挑戦だ。それを、複数の主要人物が織りなす、群像的なストーリーで、きびきびと描き出していく。

物語は密度が高く、テンポも早い。1963年生まれの著者・劉慈欣は、天性のストーリーテラーである。2006年に発刊された本書は、英訳されて、2015年にヒューゴー賞を受賞し、その名声が世界的に確定する(英語以外の作品がヒューゴ—賞をとるのは史上初めてだった)。ただ、物理学者達が主要人物といっても、この小説は、科学的考証を核としたハードSFではない。作中人物が「三体」ゲームを称していうように「時代考証は結構いいかげん」で、科学の面でも該博な知識のかたわら、随分と楽しい空想が膨らんでいる。

それにしても、わたし達、現代日本の読者にとって、この小説の面白さの大きな要素は、現代中国のメンタリティを知ることにあるだろう。中国というのは、「英雄たち」と「その他大勢」が、くっきり二つに分かれる社会らしい。そこでは庶民は、要するに「虫けら」である。めまぐるしく権力者の入れ替わる中国社会の支配層を見上げる彼らは、ちょうど予測不能な三つの太陽の動きを見上げる異星人たちに、似ている。ただ、その庶民達にも、強い上昇志向がしばしば湧きあがる。そうした反エリート感情を代弁する、私服刑事・史強のキャラが、この小説に複雑なひと味をつけ加えている。

本書は、波に乗っている現代中国を象徴するような、波瀾万丈のエンターテインメントだ。だが、そのストーリーの背後には、文化大革命の深い傷跡がある。それは、危機に陥った独裁者が、社会の最弱層の怒りに火をつけて、政治に利用しようとした、暴力と狂気の時代だった。だからこそ著者は、1967年の北京から話を始めたのだ。抑圧された人間社会の行く末を予言することは、三体問題を解く事よりも、難しいらしい。

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3. 「浄瑠璃を読もう」 橋本治・著

橋本治は、鑑賞の名手である。鑑賞とは、我が国語の世界にのみ存在する特殊なジャンルで、引用を中心とした肯定的解説であり、かつ、それ自身が良質な文学となっていなければならない。つまり文章の下手な人は、良い鑑賞が書けないのだ。批評の1ジャンルと言うこともできるが、欧米の批評 Critiques とは全く異なる。批評は、対象との間に距離を取り、その客観的価値を分析しようとする。だが、自分が対象と同一化することこそ、日本文学の鑑賞における重要な要件なのだ。

とはいえ、1年前に亡くなった作家・橋本治は、現代日本を代表する知性の一人であった。彼は浄瑠璃の物語世界に、深い愛情を示すが、それを生み出した社会の有様や、矛盾に満ちた江戸時代の倫理観を、冷静に見通すことも忘れない。

浄瑠璃とは、人形浄瑠璃(いわゆる文楽)の台本テキストである。「丸本」と呼ばれた浄瑠璃の台本が江戸時代は多数出版され、貸本屋経由で読まれていた。もちろん、歌舞伎のドラマも、かなりの部分は浄瑠璃によっている。近代日本人のメンタリティを築いた浄瑠璃の物語群は、しかし今日は忘れ去られ、出版物さえなかなか入手できない。

本書はその中から、代表的な8作品:
  • 「仮名手本忠臣蔵」(かなでほんちゅうしんぐら) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1748年)
  • 「義経千本桜」(よしつねせんぼんざくら) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1747年)
  • 「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1746年)
  • 「本朝廿四孝」(ほんちょうにじゅうしこう) 作:近松半二(1766年)
  • 「ひらかな盛衰記」(ひらかなせいすいき) 作:文耕堂(1739年)
  • 「国姓爺合戦」(こくせんやがっせん) 作:近松門左衛門(1715年)
  • 「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく) 作:近松門左衛門(1711年)
  • 「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん) 作:近松半二(1771年)
を紹介してくれる。

18世紀前半のおよそ60年間をカバーする上記8作品は、人形浄瑠璃という高度な芸能ジャンルの盛衰を表している。初期の立役者・近松門左衛門の時代、人形は一人遣いだった。人形が複雑微妙な感情表現のできなかった当時、太夫の語る台本こそが、文学性を差配していた。だからこそ、日本生まれの日中ハーフの英雄・鄭成功を主人公とする「国性爺合戦」のような、外国を舞台とするスペクタクルもヒットしたし、実在の心中事件に取材した「冥途の飛脚」の、非情なストーリーも生まれたのだ。

近松門左衛門の没後10年経った1734年に、はじめて現在と同じ人形の「三人遣い」が現れた。この技術的イノベーションによって、一挙に人形の感情表現が豊かになり、浄瑠璃の隆盛を招く。竹田出雲らトリオの作になる忠臣蔵、源義経の悲劇、そして「寺子屋」シーンで有名な、菅原道真の3人の家来達の物語が、円熟期の代表作となっていく。

しかし、時代は下って、近松半二の頃(彼は近松門左衛門の孫弟子にあたる)になると、浄瑠璃はもはや、人間が演じる派手な歌舞伎に押されて、衰退期に入っている。彼の巧みなドラマ性で一旦は息を吹き返すが、彼以後の浄瑠璃はもう、新作が現れずに「古典化」し、演奏の芸術として生きながらえる。

浄瑠璃の台本は長くて複雑で、細部がバロック的に装飾され、どんでん返しも多くて、全貌が分かりにくい。現代では「通し」でなく、部分単位でしか上演されず、橋本治もストーリー全部を紹介するようなことはしない。彼が解説し鑑賞するのは、封建社会に生きる人達の、メンタリティと死生観である。それはたとえば、こんなものだ:

「今となっては見過ごされたやすく忘れられてしまう『人形浄瑠璃を貫く価値観』というものがある。(中略)その最大のものは、『きっぱりと決断出来ない人間はだめだ』である。ぐずぐずしているのはバカで、人は、きっぱりと決断すべき時にはさっさと決断していなければだめなのであるーーこの前提があって、その先にもっと重要な『心構え』がある。それは『バカはだめ』である。

 きちんとした結論を出すのに必要なのは、情報収集とその分析である。江戸時代で情報収集などということは簡単じゃない。伝聞と噂話だけで、この確認が容易にはできない。だから情報分析の方が重要で、自分に関わりのある人物の情報であればこそ、その断片を耳にしただけで『核心』にピンとこなければならないーーつまり『人に聡い』のである」(P.191-192)

また、こうも書く。

「『明確な状況認識があれば、事態は必ず打開される』というのは幻想で、そうだったら、頭のいいサラリーマンは会社を変革できているのである。明確な状況認識があったって、事態は打開されないーーこれは、封建的な江戸時代管理社会でも、現代管理社会でも、同じである。

 だからといって、『明確なる状況認識』を放棄してもいいという理由にはならない。だから、『明確なる状況認識』をして分析し、その後に『覚悟』が訪れる。(中略)状況認識の結果『こりゃだめだ』をひそかに理解した人は、だからこそ、孤独の内に覚悟を決める。」(P.193)

浄瑠璃の登場人物たちは、今日の我々の目から見ると、あっけないくらい、すぐに死んでゆく。彼らも我々も、命が惜しいのは同じだし、色や欲に惑わされやすいのだって、同じだ。違いがあるとすれば、聡さへの希求と、覚悟のあり方であろう。窮屈な封建時代は、また、庶民階級でさえ、大人と大人でない者の区別が、はっきりしていた時代でもあった。かの時代の「大人」とは、今のカタカナでいう「オトナ」とは、まったく別のものだ。人に聡く、決断でき、密かに覚悟を持てる大人になれ。浄瑠璃の劇は、そう、我々観客に指し示しているのである。

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# by Tomoichi_Sato | 2020-04-29 23:36 | 書評 | Comments(0)

サービス経済から、ふたたび実物経済の時代へ

私のプロファイル」 にも書いているとおり、ここ数年は勤務先での中長期的なIT戦略の立案と遂行に、たずさわっている。世の中は少し前からDigital Transformation、略してDXというバズワードが席巻しており、わたしのような者のところにも、戦略コンサルやらITベンダーが入れ代わり立ち代わりやってきては、DXの話をしてくれる。何事も勉強と思い、ありがたく拝聴させてもらっているが、だんだん耳にタコができたような気がしてきた。だって、皆が同じ話をするのだ。

その最大のキーワードは、経済の『サービス化』である。サービタイゼーション(Servitization)という、あまり聞き慣れない英語もついている。これまでの世の中は、せっせとモノを作っては売る、物の経済の時代であった。しかしその時代は終わりを告げ、いまやサービスを中心としたソフトなビジネス・モデルに転換すべき時である。そう、来客の方々は力説される。

モノを作って売り切り、その時点で顧客と縁が切れ、しかも安値競争にさらされるような旧式のビジネスは捨て、これからは、顧客から継続的に収入を得る「サブスクリプション・モデル」に転換するべきである、らしい。すなわち経済のサービス化であり、これがなぜか、DXと共に語られている。御社もぜひDXを進められるべきです、それには、センサーとIoTとビッグデータ解析とAI(機械学習)の活用が必要で、という風にセットで売ってくださる話になっている。

さらに上記に加えて、「デザイン思考」と「アジャイル開発」と「MVP」が、おまけについてくる。MVPって誰のことかと思ったら、Minimum Viable Productの略で、実用になる最小限のプロダクト(といってもモノとしての製品ではなく、ECサイトのようなITシステムを指す)のだそうだ。デザイン思考を使ったグラフィックなファシリテーションをすると、驚くような素晴らしいアイデアが次々と生まれるから、それをベースに、アジャイルなチームが最小限のMVPシステムを短期間にローンチする。そこから顧客接点のデータを収集して、AI分析で製品改善に加速度をつければ、驚異的なスピードでビジネスが成長する、らしい。

あのー、ウチはプラント・エンジニアリング会社で、顧客の数はごく限られていて、一つの受注プロジェクトは終えるまでに3年も4年もかかるんですけど。顧客接点のMVPって言われても、何作ったらいいか想像もつきません。そうお答えしても、なにせ新しき良き便りをたずさえて来られるエバンジェリストの方々には、馬耳東風のようだ。

ご訪問いただく各社とも、いかに自社がユニークな顧客サービスに特化しているかを訴えるくせに、ほぼ同じ提案をしてくる点は、感心するくらいだ。外資系戦略コンサルタントも、欧米ITベンダーも、国内大手SIerも、ドイツ人も日本人もアメリカ人も、全員が似たようなことをいう。こういうのがグローバリゼーションというのだなあ。それとも世界宗教と呼ぶべきかな?

経済のサービス化こそ、救いにいたる道です。そういう話を聞いているうちに、ときどき瞼の裏に、ある工場の部品倉庫の姿が浮かんでくる。中規模な電子機器の組立工場だったが、真ん中にとても立派な部品倉庫を持っていた。そこに部品在庫を、16週間分も保持していると、説明者から伺った。つまり4ヶ月分である。在庫回転率にすれば、わずか年3回。会計士や経営コンサルが聞いたら、目をむきそうな数字だ。

その会社の名前は、Beckhoff Automation。ドイツの制御機器メーカーである。本社は北ドイツの小さな地方都市にあって、わたしは日本法人のご厚意で、3年近く前に、そこを訪れる機会をいただいた。同社は産業用のIPC(Industrial PC)を中心とした高性能な製品群を、開発販売している。

わたしは同僚と一緒に、同社の開発部門のエンジニアと、石油ガス系プラントでの応用についてディスカッションした。石油プラントは爆発性で危険なものを扱うため、安全計装には特別厳しいところがあり、さらにプラントの中はDCSが支配する世界だが、井戸元に近い領域では有用だろう。技術的な内容は省くが、そんな議論を交わした後に、本社の近くの工場の一つを見学させていただくことになった。

その工場の様子については、以前すでに一度書いたので、繰り返さない。平屋造りで天井は高く、内部も明るいし、ドイツらしく清潔で、良い工場だった。夕方近かったので、働いている人たちにもリラックス感があった(なにせ基本は、残業などしない人たちなのである)。でも一番印象に残ったのは、部品在庫を16週間分、持っている、という話だった。

なぜ、そんなに在庫を抱えているのか。それは、「日本に学んだ」からだ、というのだ。といっても、日本企業が得意とする、在庫ミニマムの“JIT生産”や“JIT納品”に学んだのではない。まるで逆である。あの恐ろしかった3.11の震災時に、サプライチェーンの途絶を見て、これは危険だ、と思ったらしい。部品がたった一つ欠けても、製品はちゃんと機能しない。だとしたら生産を継続するためには、部品を保つ必要がある。

ドイツには地震なんて起きないじゃないか。ま、それはその通りだろう。だが、どのような事態が起きて、外部からの供給が途絶するか、誰もわからない。現にドイツは数週間前から、東側との国境を閉ざしており、すでに自動車工場が操業停止に追い込まれた。今年のはじめ、誰がそんなことを想像しただろうか?

Beckhoff社の製品は、高機能・高信頼性が売り物の、産業用システムである。壊れたら、納入先の製造ラインや工場全体が止まりかねない。だから、すぐに代わりの製品やスペアパーツを納入できる体制が大事なのだろう。4ヶ月分の部品在庫は、それを保証するための担保なのである。

供給責任』という考え方がある。顧客が頼りにするモノは、継続して供給できるようにする責任が売り手にも生じる、との意味だ。医薬品や医療機器・材料の業界では当然とされる考えだが、他の業界ではあまりポピュラーではない。だが同社は、この考え方に立って経営判断をしていると、わたしは感じた。

産業用の製品は、当然ながら性能と信頼性が大切だ。ただ、「信頼性」には、製品の品質的な信頼性(故障率の低さ)以外に、供給の信頼性も含まれる。在庫という「実物」が、彼らの信頼性を保証する。だから、わたし達のような来客に、それをちゃんと見せて説明してくれるのだ。

もちろん、だからといって、バリエーションの多い製品の形で在庫を持つのは愚かだろう。同社は賢いから、そんな事はしないはずだ。部品の共通化をはかりやすい設計思想のもとで、共通部品を在庫するようにしていると思われる。そしてこれは、経営判断の結果である。Beckhoff Automation社はドイツの典型的な中堅企業(Mittelstand)で、創業者がオーナーの同族企業だ。だから、経営者が自分でリスクを取って、決めることができる。

ひるがえって、JIT納品を誇る日本のメーカー各社は、どうやって供給の信頼性を約束するのだろうか? たしかに日本のメーカーは、JITで在庫をギリギリまで削減したおかげで、内部留保のキャッシュはいっぱい持っている。サプライヤーも、忠実だ。だが、供給の継続は、手形のような「約束」でしかない。

いうまでもないが、パンデミックが世を覆う今は、不安の季節である。そして不安の反対語は、信頼ではないか。あなたは口約束と実物と、どちらを信頼するのか。

別の言い方をしてもいい。経済学風にいうと、世の中には実物資産と、金融資産がある。実物資産は目に見えて、その使用価値もはっきりしている。金融資産は紙の上の数字(あるいはどこかの計算機上のデータ)であって、実物資産との交換可能性を示しているだけだ。それが債権であれ手形であれ、あるいは銀行口座であれ、何らかの手段で、実物と交換できるはずだから交換価値があるのだ。

ただ債権も手形も、いや、たとえ銀行口座でも、貸し倒れになるリスクが必ずついて回る。いや、貨幣そのもの無リスクだろうって? でも、お札をよく見てほしい。「日本銀行券」と書いてあるはずだ。あれは実は、譲渡可能な銀行預金証書の一種なのだそうだ。え、日銀はつぶれない? うん。わたしもそう信じたい。だが、インフレでお札の交換価値がみるみる下がっていく可能性は、ゼロではない。実物資産の利用価値のほうが、むしろ安定してる。

ちなみに経済のサービス化におけるサブスクリプション・モデルは、モノの所有権を売買するのではなく、モノの利用権をベースに商売しよう、という思想だ。その事例を、わたしもずいぶん教えてもらった。

たとえば、ジェットエンジンというモノを売るのではなく、エンジンの稼働時間を売る。これは英ロールスロイス(Power by the Hour)、GEもやっている、賢いやり方だ。あるいは、タイヤを売るのではなく、走行距離を売る。これはミシュランとか、ブリジストンなどが試みている。IoTとセンサー技術で、データを取って分析し、活用もできる。かくして、モノを売るのではなく、成果を売るビジネスに転換が進んでいるのだ、と。

またゼネコンは、建物を売るのではなく、建物のサブスクリプション型ビジネスを、一斉に志向し始めた、とも聞いた。すなわち、不動産というアセットを所有し、保守メンテ付きで賃貸する訳らしい。これって、PFI事業と同じに聞こえたが、まあ顧客が民間の場合はPFIとは言わないのかもしれぬ。

あるいは、その昔、計算機メーカーがやっていた、大型ホストコンピュータのレンタルも、一種のサービタイゼーションだったのだろうか? TSSサービスも利用料モデルだった(まあ、こんな化石時代の話を知っているITエンジニアなんて、もうほとんどいないだろうが・・)。

サブスクリプション事業の利点は、大きく3つほどある、という話である。すなわち、

(1) 顧客からみて試しやすい。なにせ資産を買うより、ちょっとだけの期間の利用料を払って、試しに使ってみることができるからだ。言い換えると、新規顧客開拓が容易だ、ということである。

(2) 顧客の囲い込みで安定収入を得やすい。売り切りはワンタイムの収入に過ぎず、安定しないが、サブスクリプションならば継続的に日銭を得られる。

(3) 顧客と継続した関係を築きやすい。なんといっても、良い顧客体験(UX)を売ることで、フィードバックを得て、さらにベストなUXへと磨きがかけれられるし、新しいニーズを知ることもできる。

そういう風に、良い事だらけだと、推薦者たちはおっしゃる。だが、どうして光のあたっている良い面ばかりを見て、反対側を見ないのだろう? 物事には必ず両面がある、というのは基本的な常識、思考習慣だと思うのだが。

新規顧客を得やすい、ということは、顧客が離れやすい事をも、同時に意味している。それは当然だろう。隣にもっと魅力的なサービスを提供するライバルが出たら、顧客はそちらもすぐに試して比較できるのだ。したがって、上記のメリットは、スイッチング・コストが高くて、顧客の囲い込み(ロック・イン)が可能でない限り成立しないはずである。

スイッチング・コストとは、他の製品に替える際のコストである。たとえば、ジェットエンジンは、そう簡単に取り替えられない。だからロールスロイスやGEのサービスは成り立つのだ。

まあ仮に顧客を囲い込めても、まだ問題がある。

このサイトでは何回も書いているが、サービスとは、リソース提供ビジネスである。自社が保有している、人的リソースや、物的リソースの利用料(占有権)を、お金に変える商売だ。そして、リソース提供である以上、その稼働率が、収益性の最大の鍵になる。リソースの維持には、固定的にお金がかかる。だから、つねに高稼働率の状態で回っていないと、利益が出ない。

いいかえると、サービス業は、急激な需要減少に弱いのだ。今回のパンデミックの事態で明らかなように、航空機需要が落ち込んで、エンジンが地上で寝ている間は、サブスクリプションでは一銭もお金が入ってこないことになる。

もう一つ、サービス経済でまずい点がある。それは、需要回復のスピードだ。今回の危機が去って、世の中の需要が元に戻ったとしよう。その時、実物経済ならば、たしかに需要もV字回復するだろう。たとえば医療機関では、マスクその他が足りずに在庫が底を打った。もしもマスクの供給が無事に復活したら、元の在庫レベルまで補充・回復するため、沢山買うだろう。あるいは今後のことを心配して、もっと買いだめするかもしれない。つまり、需要はV字回復する。

しかし、サービスの場合はどうか。あなたは外出自粛要請が終わったら、たくさんの場所を旅行しまくるだろうか? ホテルに泊まりまくるだろうか? 映画を見まくるか? 飲み会を10件、はしごするか? それはちょっと、無理だろう。

低迷期が終わっても、サービス業の需要はV字回復しない。これがサービス経済と実物経済とで、最も違う点である。サービスは「同時性」(リアルタイム性)という特性があるからだ。サービスでは占有時間に応じて、料金ををチャージする。そして、誰にとっても時間は有限だ。1日は24時間しかない。

つまり、サービスは在庫できないのだ。

今回の騒ぎが終わって、パンデミックが去ったあと、どんな世の中になるのか、いろいろな予想がある。ただ、全くもとのままの姿には、もう戻らないだろうと、多くの人が予測している。その理由の一つは、リーン(在庫最小)でグローバルに伸び切ったサプライチェーンの、脆弱性が明らかになったからだ。

だとしたら、供給の信頼性を再び高めるために、また配下のサプライヤーに事業を継続してもらうためにも、ある程度の部品在庫を持っておく選択肢もあるのではないか。もちろん全部の会社が、4ヶ月分も部品在庫を保つ必要は、ない。だが幸にも、大企業の多くは、すでに無借金経営で、キャッシュを持っている。だったらそのお金で、国内のサプライヤーに発注し、自社の常備在庫を増やしてはどうか。むしろ今なら、良い買い物ができる可能性が高い。

このご時世に、金融資産の数字だけ積み上げたって、リターンはそれほどは多くあるまい。むしろ天下の回りものとして、実物経済に寄与するほうが、少しは役に立とうというものだ。お魚券の論議じゃないが、今の大企業は、貯蓄性向が妙に高すぎないだろうか。お金とは、生きた使い方をしてこそ、ご利益(りやく)があるはずなのである。


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# by Tomoichi_Sato | 2020-04-23 22:48 | サプライチェーン | Comments(0)