「 ありがとうございました、こちらがタイヤ交換サービスの領収書です。でも、プントって、なかなかおしゃれな車ですね。」 オートバックスのサービス員は、そう言いながら、キーをわたしに返した。お世辞だろうが、言われて悪い気はしない。 ——まぁ、ずいぶん古い車ですけれどね。そう、わたしは答えた。 誇張ではない。わたしが乗っているフィアットの『プント』という車は、ほぼ20年前に買ったものだ。プント Punto はイタリア語で「点」を意味する。小さなコンパクト・カーだ。でも、たまに街乗りをするだけのわたしには十分である。そして気に入って、使い続けている。 わたしは基本的に、ひどく壊れない限り、工業製品は買い替えないポリシーである。世間では、数年ごとに車やコンピューターを買い換えるのが、常らしい。だが、 壊れてもいないものを手放すのは、なんだかもったいない気がする(単にケチなだけかもしれないが)。 とはいえ、20年間の走行距離が2万5千キロというのは、あまりにも利用回数が少なくて、車がかわいそうかもしれない。機械は、それなりに使ってあげる方が、機嫌良く動いてくれる。「機嫌良く」という、擬人化した感情的形容詞を、機械モノに使うのは奇妙だが、それが多くの技術者の実感でもある。あまり使わないと、かえってトラブルが起きやすい。 今朝もそうだった。連れ合いを送っていく予定だったが、「車、ちゃんと動くかしら?」と聞かれた。冬の間、動かさないのでバッテリーが上がってしまった事があるからだ。「先週も乗ったから、大丈夫だと思うよ」そう答えたが、何のことはない、ガレージに行ってみるとタイヤがパンクしている。このタイヤも10年前に買ったものだから、まあ経年劣化だったろう。 しかし、いざ使おうとするたびに、「ちゃんと動くだろうか?」と不安になるのは、小さなストレスである。別に時間を取られる訳でもない。具体的にお金がかかる訳でもない。だが不安感情は、確実にわたし達にとって、コストになる。金銭を想起させる「コスト」という用語が適切でないならば、リスクとでも呼ぶべきだろうか。 連れ合いを送っていく予定の場所も、初めていく所だった。でも道順は、カーナビのアプリで、事前に確認できる。そちらの不安感情は、地図アプリというITシステムが、低減してくれるのだった。
ITシステムのもたらす価値とは、何だろうか。いきなり話がデカくなったが、 たまたまこの1週間、何度かこの問いに直面したのだ。一度は、次世代スマート工場に関する研究会の議論の席上だった。MES(製造実行システム)などの、工場スマート化のための仕組みを導入する際に、しばしばネックになるのは、投資に経営層の同意を得る段階である。 我々の調査では、IT投資のROI(Return on Investment=投資収益率)を示すことが、多くの場合、求められる。平たく言うと、「それ入れたら、ナンボ儲かるねン?」という、経営者からの問いである。これが、難しい。 工作機械やロボットを導入する場合だったら、計算は比較的簡単である。 それで、どれだけ生産能力が増大する、あるいは手作業が減る、などを推計できるからだ。ところがMESを 入れて、現場の作業進捗が見える化されたとしても、それで生産量が上がるだろうか? 在庫が減るわけでもない。現場の人員削減にもつながらない。ただ、「可視性」が良くなるだけだ。 その効果を、どう経済評価するべきか? 別のある日、社内のITガバナンスに関する委員会でも、似たような問いに直面した。 議題は、業務系システムの導入・稼働後の投資対効果のモニタリングだった。もちろん、投資対効果の評価が必要であることについて、反対するものは誰もいなかった。 プロジェクトの出発時に、目標を設定して、それが達成されたかどうかをチェックすべき、と言う点でも異論はなかった。 だが、本当に客観的に数値化できるのか? わたしの勤務先のビジネスは、大規模プロジェクトを中心に回っている。プロジェクトに適用した際の効果を測定するといっても、本当の意味で結果が出るまでに、2年も3年もかかったりする。おまけにプロジェクトの成果は、外部環境に大きく影響されやすい。コロナ禍で国際サプライチェーンが分断された時、良い結果が出なかったと言って、情報システムの評価を下げるのは適切なのか。 プロジェクトにはリスクがつきものである。情報システムによって、リスクが減少したとしても、その結果は、当初のプロジェクト計画通りにプロジェクトが進行した、ということで示される。でも計画通りに進行するのは、当たり前ではないか、と言われたら、反論しようもない。
そして三番目は、あるIT系の研究会に呼ばれて、マテリアル・マスタの話をしたときだ。マテリアル・マスタ(品目マスタ)とは、企業のBOM=部品表マネジメントの中核になる、重要な基準データである。 その品目コード改革に関する事例を紹介した際に、「この改革を行ったからといって、業務プロセス自体は大きく変わっていないので、生産性は向上していません」と説明したら、参加者からかなり質問が出た。「どうして上がらないのか?」「生産性が上がらないのだったら、なぜ改革に承認が得られたのか?」という、驚きとも当惑ともつかない反応だった。 それでも、システムが何か新しい機能や業務を実現できるなら、まだ受け入れ可能なのだろう。だがマテリアル・マスタをきれいに整合性を取ったからといって、特段素晴らしい、画期的なことができる訳ではない。もちろんITエンジニアなら、その意義は共感できる。だが本当に、それで上の承認が得られるのか? 結局、3つの場面に共通する暗黙の仮説は、こうらしい: 「 ITシステムの効果は、生産性向上というモノサシによって測られるべきだ」 日本企業の生産性が低すぎるという認識は、この数年間、 ほとんど呪縛のようにビジネス界を支配しているらしい。企業の付加価値労働制を上げるべきだとの見解には、わたしも異存がない。 しかし本当に、モノサシはそれ1本でいいのか。 特に、ITシステムの価値を、「生産性」(もう少し広く捉えて、効率性や正確性を加味してもいいが)だけで評価していいのか? それは言いかえると、「スマートである」とは、どういう意味か、との問いでもある。 スマート工場とは、生産性だけが高い工場でいいのか? だったら高性能な機械とロボットばかりを並べて、単一製品だけを大量生産すれば、生産性は極大になる。それが本当にスマートなのか? 最近は「データ・ドリブン経営」なる言葉も、流行りはじめている。それはつまり、データによって、生産性が最高の経営が実現される、ということを意味するのだろうか? じゃあ、経営の生産性とは、いったい何のことなのか?
ここで冒頭の話に戻る。フィアット・プントの話である。20年前、安価なモデルとはいえ、イタリアからの輸入車を買うことには、故障などの面で不安もあった。だが最後に決め手となったのは、「ミッション系は富士重工製です」というディーラーの一言だった。だったらまあ、信頼できるかな。そしてこの20年間、電装系などのトラブルはあったが、駆動系自体はちゃんと動いてくれた。 ユーザの不安感情を取り除く事は、とても重要な価値なのである。たかが感情、されど感情だ。人は感情に基づいて決断し、理性でそれを正当化する、という〔英語の)標語もある。 ちなみに20年前に車を買ったとき、カーナビはまだ標準装備ではなかった。だから別に購入して付けてもらった。運転の上手でない自分には、カーナビは必須だと思ったからだ。 カーナビは何の役に立つのか。少なくとも、燃費向上のためではない。燃費はむしろ、わずかだが下がる。加速性や積載重量も上げない。つまりカーナビは、「クルマの生産性」を一切、上げないのだ。ブレーキやハンドルさばきなど、運転のスキルも助けてくれない。 だが、カーナビはGPSを通じて現在位置を地図上に示してくれる。つまり現状の「可視性」を上げるのだ。通ってきた場所を記憶してくれる。そして、知らない場所でも適切なルートを提案してくれる。さらに渋滞状況を加味して、到着時刻も予測してくれる(「予見可能性」の向上)。 すなわち、現在・過去・未来について、事実に基づく判断の根拠を示してくれる。それによって、我々運転者の不安感情を取り去り、「判断の質」を上げてくれるのである。質の高い判断ができること——これが、「スマートである」ことの意味なのだ。 こうしてみると、ITシステムの価値には、大きく3つの側面ないし目標があることが分かる。 一つ目は、たしかに生産性(効率性・正確性)の向上である。すでに保有し実現している自分たちの能力を、増強してくれる。これが、世間では一番強調され、期待されている事だ。 二番目は、新しい能力の獲得である。今までできなかった事を、可能にしてくれる。瞬時に計算する能力は、新しい設計プロセスを生み出しうる。正確な幾何学的画面表示は、CADからゲームまで、あたらしいビジュアル体験を創出できる。そしてこれもまあ、近年はUXなどの言葉で、よく語られてきたことだ。 そして三番目はリスク〔不確実性)の低減を通じて、判断の質を向上することだ。判断は「判定+決断」と分解することもでき、自動判定はAIの普及でかなり可能になった。ただ、『決断』はどうしても、人間の領域として残る。そして人の決断力は、つねに不安感情と表裏の関係にある。ITシステムは、データに基づくサジェスチョンの形で、決断を支えることができる。 とはいえ判断の質は、計測するのが簡単ではない。たとえば、プロジェクトのキーパーソンに誰を当てるべきかは、とても重大な判断だ。だが、仕事は一回限りで、環境条件に影響されやすい。判断の質の善し悪しを、数字で測れるだろうか? それでも、組織の決断力は向上させなければならない。そして、そのためにこそ、情報システムの最大の価値があるのだ。決断こそ、マネジメントの一番大事な仕事だからである。 #
by Tomoichi_Sato
| 2024-09-08 13:50
| ビジネス
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(前回 に続く。ただし、途中のアカデミックな研究発表の部分は省略しています) ・・という訳で、2013年に「コストとリスクのトレードオフ問題」を、2015年に「コストとスケジュールのトレードオフ問題」を、そして2020年には「プロジェクトのコスト超過と崩壊現象の問題」について取り組み、研究成果を発表しました。問題を解決したとまでは言いませんが、理論的なアプローチの方針は示せたと思っています。 しかし、今でもよく覚えているのですが、2015年にスケジューリング学会でこの研究を発表した時の聴衆は、7人でした。そして2020年の発表の時の聴取は、わずか3人でした。この時点で、この種の研究を続ける意義ってあるのかなと、正直、思うようになりました。 日本でこの種の研究をしても、誰も関心を持たない。たまたま最後の二つは、スケジューリング学会で発表したのですが、この学会に集まるのは、非常に優秀な人たちです。理論もそうだが、それなりに現実の問題に興味がある人たちですけど、それで3人ですよ。 わたしのPM研究は全部、自分の勤務以外の時間を使って、自分の手金でやってる研究です。やり続ける意義って何なんだろう? という思いになった。ここら辺が、この研究部会を続ける意義に関連してくるんですよね。 ついでながら、先月、あるオーストラリア国立大学のプロジェクトマネジメントの専門家が、わたしに会いたいと言ってきたんです。大阪の国際学会で基調講演をやるために、日本に来ていて、帰り道に東京によるんだけど、ちょっと会って話しないかって言われました。そこで慶応大学の松川先生に同席していただいて、簡単なディスカッションをしました。 この人の研究論文をあわてて見てみたら、非常に面白い。プロジェクトのアウトプットとアウトカム、プロジェクトの価値、プロジェクトのインパクトなどが、どういう関係に成り立っているのかを簡潔にまとめたエディトリアルを、International Journal of Project Managemen (JPMA) に書いている。 プロジェクト・マネジメントの分野では、ヨーロッパのJPMAという論文誌と、アメリカのPMIが出しているProject Management Journal (PMJ)、この二つが最高峰です。そのヨーロッパの方の最高峰の雑誌にエディトリアルを載せている人が、なんで佐藤に会いたいって来たのか。理由をたずねたら、 「JPMAのレビューアー・リストを見たら、日本ではお前しかいなかった」 というんですね。たしかに、わたしの知っている限り、過去十年間でこのジャーナルに論文を投稿したのは、わたしともう一人、神奈川大学にいる石井信明先生だけです(石井先生は、実は日揮で同僚だった人です)。 日本には、世界に発信できる PM研究者が少ないのです。わたしは欧州IPMAのWorld Congressも行きましたし、PMIのGlobal Conferenceにも行って、研究成果を発表しましたけど、日本人発表者の姿はほとんどないです。聴きに来てる人、取材に来てる人は、いましたよ。でも発表する人がほとんどいない。 まあ残り時間も15分を切りましたから、ここから先は、今後どういうことを考えなきゃいけないか、という課題の話をします。 プロジェクトの計画とは、普通は WBS を展開して、アクティビティ・ネットワークを作り、コスト・時間・リソースを計算して、最後にリスクアセスメントをやる、というステップでスタンダードなプロジェクト計画を作るわけです。 総合的にリスクアセスメントを行って、リスク事象を洗い出し、スコアリングをして、重要なものにリスク対策を取り、プロジェクト計画を最適化しろ、と。これは世の中の標準的な教科書に、みんな書いてある。こういうことは、ちゃんとした企業だったらやってるわけです。 問題は、そのプロジェクト計画の最適化です。先ほど、ガレージ・カンパニーのケースを説明しましたよね。あのケースでは、どんな製品を作るのかを知らなくても、アクティビティ・ネットワークの設計を変えることによって、プロジェクト価値が上がるんです。そのアクティビティの中身を知らなくてもいい、というところがポイントです。 方策としては、例えば、冗長化(パラレル・ファンディング戦略)によるリスク低減だとか、リワークの許容によるリスク低減とか、あるいはアクティビティの分割・工程順序の変更によって投下費用のタイミングを改善する、などがあります。こうしたネットワーク設計 によって、プロジェクト計画を最適化していくことができます。このやり方を、今は、非常にスキマティックに書いているだけですけれども、もっとちゃんと工学的にディベロップするべきだと思うんです。 プロジェクトとは、アクティビティに分解することができ(それがWork Breakdown Structureです)、その一番下のアクティビティ(ワークパッケージ)よりも下側については、プロマネは普通、立ち入りません。それは固有技術の領域なので、担当者に任せる。 逆にプロジェクトより上位の問題、このプロジェクトを進めるのか、やめるのか、みたいなことは、プログラム・マネジメントの領域です。 なので、プロジェクト・マネジメントとは、上下に挟まれた領域において、プロジェクト計画を策定し、進捗をコントロールし、問題解決して、完了分析していく、というような仕事です。この領域の仕事をより良くするためには、技術が必要で、そのテクノロジーのためには科学的研究が必要ですよね、というのが、わたしが今日、通して言いたいことなんですね。 それではこの先、プロジェクト・マネジメント研究で、どういうテーマが必要になるのかを、最後にお話ししようと思います。 この絵は2018年、つまりもう6年前ですが、日揮が発表した「IT Grand Plan 2030」のロードマップ図です。その時点で、2030年までの12年間のグランドプランを、わたしが中心になって作ったんです。 この右上の方に、「プロジェクトデジタルツイン」とあり、「着地点の予報円」と書きました。これは何かというと、その当時、すでに「デジタルツイン」って言葉が流行り始めたのですが、物理的なプラントのデジタルツインを作るのは当たり前だろう。それは図の途中でやると表明しました。 でも、我々は目に見えないプロジェクトというものの、デジタルツインの構築を目指そう。 そういうふうに、この時に決めたんです。では、着地点の予報園とは何かというと、コストとスケジュールの座標軸で、このプロジェクトが先々、どういうルートを通っていくだろうか? ということを表示するものです。ちょうど台風の予報円です。プロジェクトには振れ幅・リスクがあるので、台風のように、点じゃなくて予報円になる。 ここで問題は、それを予測するための予測方程式って何か? です。 現代のモダンPMには、実は足りないものがいろいろあります。大きく三つ挙げるとすると、1つ目はこれです。まず、今のモダンPMには、第一原理がない。 第一原理っていう言葉は、実は今日来られてない副幹事の串田さんに、教えてもらった言葉です。串田さんはもともと、阪大で材料研究をしてドクターをとった人なんですけど、要は材料の物性を予測する時に、第一原理計算を行う。第一原理とは、具体的に言うと波動方程式ですね。波動方程式から材料の物性が予測できる。 プロジェクトのデジタルツインを構築して、挙動を予測するためには、つまり、その対象系を予測するための、基礎式がいるんです。でも、今のモダンPMの世界には何もない。 プロジェクトはアクティビティからなるネットワークだから、アクティビティ・ネットワーク上のダイナミック・シミュレーションになるだろう、とぼんやり予測してますけど。そういうものが、本当は必要です。それがないと、予報円などいうことはできないのです。 そして二番目は、13年前から言ってることの繰り返しになりますけど、プロジェクトの価値論がいる。今のモダンPMには、プロジェクトの価値論がない。あるいは最近やっと、ベネフィットとかアトラクティブネスという形で、プロジェクトの価値論にだんだんシフトしてきている。 少なくとも欧州のプロジェクトマネジメント研究はそうです。オーストラリアはどちらかというと、欧州に近い。PM研究で価値論というものを、だんだん考えるようになってきている。 価値論としては、最低でも、お金とリスクが取り扱えることですけれども、それは必要条件だけど、十分条件ではありません。当たり前ですけど、非金銭的価値も重要ですから。価値とは多元的であることをベースにした、判断基準が必要になるでしょう。 そして三番目のテーマは、設計論です。 そもそもプラント屋だから言うわけじゃないのですが、プロジェクトの遂行計画の骨格って、実はプロジェクトが作り出す成果物の、アーキテクチャによって、相当程度に左右されます。 プラントを現地に行ってゼロから組み立て作るのか、それともどこかの造船所のヤードで、モジュールを組み立ててから、現地に運んで据え付けるのか、ということが、プラントの世界では重要なんです。そのアーキテクチャの違いによって、プロジェクトの遂行計画は全然違うわけですよ。 成果物の設計とプロジェクト計画って、表裏一体の関係になっている。だから設計論もいるんです。ところが今のモダンPMには、設計論がない。 でついでに言うと、プロジェクト計画を作るっていうこと自体も、一種のデザインなんですね。このデザインという行為は、必ずサイエンスの部分と、アートの部分があります。とはいえ、できれば自動設計を追求していくべきであるっていうのが、わたしの考えです。 以上の結びとして、最後に申し上げたいことがあります。学生への講義の時などでも、最後にいつも説明することですが、マネジメントとは、目的を達成するために人に仕事をしてもらうことです。人が人を動かすので、必ずそこにはヒューマンファクターがかかわってきます。あの人の言うことだったら、ついていこうとか、あいつの言うことだけは聞きたくない。そういう部分は、マネジメントには必ずあります。 しかし、マネジメントを誰もが一定レベルで遂行できるようにするための、計量的・客観的なテクノロジーもあるわけです。 つまり、世の中の技術は、2種類に分けることができます。1つ目は、『固有技術』です。固有技術とは、対象固有の科学法則に縛られる領域のテクノロジーです。つまり機械設計であるとか材料開発とかねシステム設計、これみんなこういう技術です。 わたしは、もともと大学の専攻は化学工学、ケミカル・エンジニアリングでした。すなわち化学プラントの設計論ですが、これも固有技術です。 ところが、それ以外にもう1種類、技術がある。それが『管理技術』とわたしが呼んでるものです。これは、人間の作業の集合に対して適用するテクノロジーです。それは業種・分野固有の部分がないので、汎用的です。その代表例が、例えばWBSとかクリティカル・パスです。あるいは在庫理論なんかもある意味そうです。在庫するものが、お水だろうが、ダイヤモンドだろうが、共通して使えます。 それで、問題は、日本の大学教育が残念ながら、この管理技術=マネジメントテクノロジーを、ずっと軽視してきたことです。管理技術を大学で学ぶ機会が、非常に少ない。だから、経営工学の先生方はみんな、非常に悔しい思いをしておられる。 わたしは化学工学は勉強しましたけど、今日お話したことは、すべて全部、社会人になってから学んだことばかりです。でも、それは何とばかげていることか。本当は、マネジメント・テクノロジー=管理技術を、ちゃんと教育の中に確立しないといけないと思ってます。 まあ、慶応大学は管理工学科があるぐらいだから、ちゃんとわかっておられる。問題は、東大と京大ですよ。まあ、東大と京大が悪いというよりは、文科省がわかってないことの現れです。文科省はなんでわかってないかというと、実は財務省が管理技術ということを理解していないからです。 マネジメントには独立した領域があり、独自の技術があるっていうことを、日本の法学部出身の人たちが理解していない。そのために、管理技術の教育にも研究にも、お金を使わないのです。 だから、我々はこういう状態で集まって勉強しなきゃいけないということなんです。 でもまあ、愚痴っぽい話はさておき、今申し上げたように、モダンPMには、まだまだ付け加えるべき領域があるのです。それを一緒に研究したいと思って、この研究部会を始めたわけですけれども、なかなかこの国では、そういう活動に対して興味を持ってくれる人が多くないという現実があり、この研究部会を一旦たたもうと思います。 でもわたし自身は、こういう研究が必要だという旗を下ろすつもりはないので、また何らかの形で、この先も続けていきたいと願っています。 ということで、ちょうどお時間になりました。皆様、本日は本当にどうもありがとうございました。 <関連エントリ> 「研究部会・最終講演『プロジェクト&プログラム・マネジメントの過去・現在・将来』より(1)」 https://brevis.exblog.jp/32702011/ (2014-08-26)
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by Tomoichi_Sato
| 2024-08-31 19:30
| プロジェクト・マネジメント
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このサイトでもお知らせしたとおり、8月19日の最終例会をもって、「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」は活動を終了しました。そのときの、わたしの講演『プロジェクト&プログラム・マネジメントの過去・現在・将来』の最初と最後の部分を、ここに紙上再録してお届けすることにいたします(中間部分はアカデミックなOR的な研究の紹介のため、Blogでは割愛します)。 研究部会に参加された方も、ご都合で参加できなかった方も、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。 ◇- — -◇- — -◇- — -◇- — -◇ 今日が最終回ということで、若干残念ではありますけれども、まあ13年間、続けてこられたのは皆様のおかげだと思っています。まずは御礼申し上げたいと思います。 スケジューリング学会の下でずっと続けてきた研究部会で、主査はわたし、それから副主査として、静岡大学の八巻直一先生、それから慶応大学の松川弘明先生に、ずっと幹事をお願いしてきました。あと、今日は残念ながら参加できないんですけれども、副幹事として未来生活研究所の串田悠彰さんにご尽力いただいています。 この研究会の目的、もともとやろうとしていたことは、次の3つのことです。ですが、この目的に向かって、ほとんど 1mm も進んでないなという反省があって、この研究部会の形を今のまま続けるのは問題があるかなと思い、最終回にしているのです。 一つ目は: 「プロジェクトとその上位概念であるプログラムの価値、スケジュール、リスクなどの客観的な分析と評価手法を工学的に確立する」 この「工学的」が大事なんです。主観的に評価するのは簡単です。でもそれを工学的にやりたいと思った訳です。 二つ目は: 「それによって組織におけるプロジェクトあるいはプログラムの意思決定に資するとともに、プロジェクト・アナリストという専門職域を構想したい」 と考えたわけですが、残念ながらそう願う人は、ほとんどいなかった。少なくともこの国には。これが、13年間やってみた感想です。 三つ目が: 「現実のプロジェクト/プログラムの事例検討を行う。それを可能にするクローズドな場をつくる」 これはこれで少しは実践し、意義もあったと思うんですけれども、学会というのはオープンが原則なので、学会活動の一部としてやることができない、という矛盾を最初からはらんでました。まあ、ここら辺もプロジェクト・マネジメントの分野に取り組む難しさだとは思っています。 ちなみに、2016年から始めたPM教育のための分科会がありまして、いろんな方に協力いただきながら、仕組みを作り上げました。また、八巻先生には教育を実践する場として、浜松ソフト産業協会と橋渡しいただいて、毎年続けてきました。それは2日間のプログラムとして、八巻先生、串田さん、それからわたしの3人で、実施してきました。 ともあれ今日は、初心に帰って、この研究部会で何ができて、何ができていないのかを振り返りたいと思ってます。 2011年の5月に研究部会の第1回を開催しました。まだ、関東全体が毎日、余震におびえていた時期でした。第1回の研究講演はわたしがやったので、その時のパワポを今日は持ってきました。その主要部分を振り返り、その後のわたし自身の研究の進展を多少ご紹介します。 そして最後に、タイトルは大きく構えちゃいましたけど、今のプロジェクト・マネジメントについての課題、まあマネジメント自体もそうですけど、特にPM研究での課題、ないし必要な部分は何かについて、かなり個人的な意見を入れてお話しさせていただこうと思います。 ところでちょっとだけイントロを。今日は実は、この前に、東京海洋大学でPM講義をしてきました。大学でプロジェクト・マネジメントを教える際に、いつもつかっているクイズ問題があるのです。そこからスタートさせて下さい。 (注:以下は、当サイトに掲載した『モダンPMへの誘い 〜 この質問の意味が分かりますか? 』 2024-01-14 と同じ趣旨の説明のため、こちらもご参照いただきたい) 問題プロジェクトが起きたとき、その状況をどう調べるか。皆さんが化学企業の経営者だとしたら、プロマネに何をたずねるべきか。今は21世紀なので、2000年前の始皇帝と同じことを聞いてちゃおかしいんですよね。 皆さんが経営者だったら、部下のプロマネを呼び出して聞くべきことって、実はこういうことなんです。
少なくともわたしの会社の経営者だったら、言葉遣いは少し違うかもしれないけど、こういうことを聞きますよ。ここに出てくる三つ用語が分かるようになってくれ、っていうのがプロジェクト・マネジメントの大学の講義の目的・狙いです。 それぞれ、WBSはスコープをコントロールする道具であり、クリティカル・パスはスケジュールを予測するためのツールであり、EVMSとはコストのコントロールの仕組みなわけです。これらは最低限、必要条件として、理解してないとモダンPMが分かったとは言えない。 もちろんこれら三つが分かったからといって、プロジェクトを上手くマネージはできないですよ。必要条件であって、十分条件じゃない。でも、少なくとも、ここに出てくることが何か分からない状態では、とてもじゃないけど、ある程度の大きさのプロジェクトを計量的にマネジメントすることはできないわけです。 そのモダンPMの基本概念とは、「大きくて複雑な仕事も、単位となる要素業務、すなわちアクティビティの連鎖によって表現できる」ということです。1950年代のアメリカ人が、この事に初めて気がついたんです。それはデュポンのエンジニアたちでした。この時から、やっとモダンPMが始まった。 ほぼ同時期に、ブーズ・アレン・ハミルトンの人たちも、ポラリスミサイルの開発で、似たような概念に到達するんです。 つまり、紀元前215年から1950年までの、2000年以上の間、人類はプロジェクトって、まるごと一個しか理解できず、このでっかい丸ごとを、どうにかしようとしてきた。 それを、アクティビティと、その論理的な順序関係で表現された、ネットワークだと気がついて、そこからモダンPMが始まったわけです。 アクティビティの連載によって作られる一過性の仕事が、「プロジェクト」ということなんですね。 だからプロジェクト・マネジメントには、アクティビティ・ネットワークのシステム工学の理解が必要だとこういうことになるわけです。なるんですけれども、話は実はそれだけで済まないんですね。 というのは、プロジェクトにはいろいろなネイチャー(性質)があるからです。システム工学の立場から言うと、システムはどれぐらいの規模・スケールなのかが大事です。またもう一つは、そのシステムのいわば構造、ないしシステムのドライバー(駆動力)がどこにあるのかが、大事になります。 それをプロジェクト・マネジメントに当てはめると、こういうチャートになる。 縦軸は規模を表します。上に行くほど大きく、下は小さい。ただし異なる分野のプロジェクトの規模を、お金で比較することは難しいので、ここでは技術分野が単一に近い均質なものか、多数の分野の技術が変わるか、と書いてます。 横軸は何かというと、右側にあるのは自発型のプロジェクトです。つまり、スコープは自分で決めることができる。 自分がイニシエートできるプロジェクトです。そして左側にあるのは受注型です。わたしの勤務先、日揮みたいなエンジニアリング会社がやってるプロジェクトは、ほとんど全部これです。受注型では、スコープはお客さんが決めるっていうタイプです。 そして、この4象限のどこにあるかによって、実はプロジェクト・マネジメントに必要とされるものが変わってくるんですよね。 この右下の小型プロジェクトは、単一分野で自発型のプロジェクトです。こういう種類は、端的に言って、管理技術ぬきで、リーダーシップと気合いで、なんとか行けちゃうんです。 これが受注型になって、スコープ制約が厳しくなると、基礎的なプロジェクト・マネジメント技術が必要になってきます。 さらに、これが大型になると、専門的プロジェクト・マネジメントの技術が必要になります。そして上の右側になると、もうプログラム・マネジメントの領域になるんです。 たとえるならば、左上はオーケストラであって、いろんな専門の人たちがいて、プロジェクトマネージャーという名前の指揮者のもとに、タクトに合わせて動いてる。じゃあ右下はどうかっていうと、ジャズバンドで、指揮者がいなくても、お互いのインタープレイで動いていける。 プロジェクト・マネジメントを議論する時に、もう一つ注意しなきゃいけないのは、リーダーシップとマネジメントの区別ということです。これも経営学の世界では、いろんな流儀の定義があるんですけど、とりあえずここではこういうふうに整理しています。 マネジメントって何かっていうと、それは他人に働いてもらって目的を達することです。つまり、スポーツでいえばチームの監督の仕事です。監督は自分でバット振ったりしないですよね。指示を出すだけです。かつ、英語のマネージって、どっちかというと、御しがたい対象をなんとか乗りこなすみたいな、暴れ馬を乗りこなすイメージです。 またマネジメントってのは、普通は強制力を持ってるんですよ。いうことを聞かないと、どうなるかわかってるだろうな。こういうことを言える強制力です。 そして一番の特徴は、これです。マネジメント・システム化ができる。皆さんの会社にもクオリティ・マネジメント・システムとか、なんとかマネジメントシステムって、いろいろおありになるでしょう。システム化できるんです。 これに対して、リー ダーシップって何かというと、スポーツチームのキャプテンの役割みたいなもので、対等な仲間を動かしていくことです。 だから、マネジメントとリーダーシップの両者は、人を動かす力というところが、共通してるんです。 でもリーダーシップってのはどちらかというと、自分が強制力を持たない相手を動かすことに普通は使うので、その時には影響力を使うしかない。 かつリーダーシップっていうのは、普通は属人的で、システム化できません。リーダーシップ・システムなんて、聞いたことないでしょ? 今ここで議論したいのは、プロジェクト・マネジメントです。それは特に、図の左側の、リーダーシップと重ならない、非属人的なマネジメント技術の領域です。そして技術を開発するためには、工学的研究が必要だということで、この研究部会を始めたんですよ。 今から13年前です。 ここからしばらくですね、この13年前の研究について、少しご説明しようと思います・・ (→この項続く。ただし研究の部分の説明は省略し、次は課題と展望の部分のお話をご紹介します) <関連エントリ> 『モダンPMへの誘い 〜 この質問の意味が分かりますか?』 https://brevis.exblog.jp/30687052/ (2024-01-14) #
by Tomoichi_Sato
| 2024-08-26 00:54
| プロジェクト・マネジメント
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「千利休」 (Amazon) 今年に入って読んだマンガの中で、いや、すべての本の中でも、ピカイチのインパクトを持つ傑作。刊行は20年前の本だが、Amazonを見ると、幸い、まだ手に入る。わたし自身は鎌倉・六地蔵近くの古書店で見かけて、即刻購入した(古本だが美本だった)。著者が千利休に取り組んでいるという話は、昔の短編集のあとがきで読んでいたのだが、本当に出したのかどうか、実は知らなかったのだ。 本書は、『美』に関する本である。「 私が生きた戦国時代は、自分の才覚で、身分という宿命からさえも、自由になれた時代だ。私は私の美意識にしたがうことにした」と、表紙にある。主人公・千利休が冒頭のエピソードで語る言葉だが、本書全体を通したテーマだ。では、彼の美意識とは、そして美とは、いったい何なのか? 恥ずかしながら、わたしは茶の湯については、全く何も知らない。ティー・セレモニーにも、参加したことが無い。日本の伝統文化を何一つ知らずに、それで日本人と言えるのかとも思う。だが、技術者としての会社員生活には、茶道も美学も、まるで無縁だった。 ただ若い頃、蔵本という友人の新居を訪れたとき、聞いた言葉だけは今も記憶に残っている。新婚ほやほやの彼の家に、小さな茶道の道具一式が置いてあった。奥様も彼も、茶を嗜むらしい。彼いわく、お茶を点てるという所作は、それなりに心を落ち着ける効果がある。だから忙しい日の夜、なんとなく気分が苛立っているとき、二人でお茶を点てて一服すると(どうやらそれ自体、30分くらい時間がかかるらしい)、すっと気持ちが静まる、と。それは素晴らしい習慣だと、聞いて思った。 「茶の湯は、ただ湯をわかして飲むだけ」と、千利休は言う。だがその割に、茶の湯にはいろいろな道具立てや決まりが顔を出す。そしてその道具、とくに「大名物」(おおめいぶつ)と呼ばれる茶道具は、単に美しいだけでなく、ひと財産としての価値がくっついている。 その大名物を巡る、戦国大名たちの駆け引きとドタバタ劇が、あの時代を動かす大きな原動力だったことを、本書で初めて学んだ。 千利休は、堺の商人の生まれである。家は納屋衆、すなわち貿易用の貸し倉庫業者で、今で言えばロジスティクス業だ。同時にととや(魚問屋)も営んでいた。本名は与四郎、姓は田中だが、この時代の商人の名字は屋号かもしれない。祖父は足利将軍に仕える文化人だった。 病弱な父が没すると、彼は若くして家業を継ぎ、商才を発揮してビジネスを伸ばしていく。このビジネス・マネジメントのセンスは、後に「北野大茶湯」などの一大イベントのプロデューサーの仕事に、活かされていくのだ。 とはいえ本書は、利休の若い頃の感受性を、丁寧に(女性マンガ家らしく)描いている。帳簿付けの傍ら、近所の先生に、習い事として「茶の湯」を習いに行く。つまり、彼の子ども時代に、茶の湯はすでに文化・儀礼として成立していて、ゆとりのある町人が習う事だった。そして茶の湯は、社交のための作法、今で言えばゴルフみたいな、人脈作りに必要なスキルになっていたのだ。 彼は18歳の時に、茶の湯の大家・武野紹鴎(たけのじょうおう)に弟子入りし、生涯の師と仰ぐことになる。そして口切りの茶事のために、大徳寺で剃髪、「宗易」という号をもらう。その後ずっと、彼は世間からは「千宗易」と呼ばれることになる。「千利休」という号は、晩年(切腹の6年前)に、禁中茶会のために天皇から下賜されたものだった。 ところで本書を読んで、初めて学んだことがある。それは、堺という町の性格である。堺は戦国時代の自由貿易港として知られていたが、なぜそれほどまでに財が集まったか。それは、鉄砲という新時代のハイテク武器のおかげなのだ。堺には以前から鋳物師たちが集まって農機具や武具を作っていたが、機を見るに敏な堺商人たちは、鉄砲が戦争のあり方を一変させると見抜いて、その製造販売を一手に引き受けた。つまり武器商人として財をなしたのであり、利休もその一人だったのだ。 (鉄工業の町としての性格は、今でも堺に残っている。日本製鉄の製鉄所をはじめ、クボタ、ダイキン工業など、大手中小の工場が軒を連ねている訳だ) 話を戻す。武野紹鴎の茶の湯の弟子の一人が、松永久秀(松永弾正)だった。彼は下剋上を体現した人物で、山城の商人から出発し、大名三好家の家老になり、さらには将軍足利義輝まで殺してしまう。彼のある意味、俗物的なキンキラ趣味を、作者はマンガでよく描き出している。そして彼が執着したものが、茶の湯の大名物だったのだ。 日本の美意識について書いた、橋本治の優れた論考「風雅の虎の巻」 で、彼は『真・行・草』の違いについて述べている。それによると『真』は本格・正統な様式であり、『行』はそれを少しカジュアルにしたものである。ところで『草』は、『行』をさらに崩したものと思われがちだが、実は『真』をプライベートにしたものだという。 それに従えば、茶の湯の『真』は、中国にある。茶はそもそも鎌倉時代の初めに、栄西禅師が中国から持ち帰ったものだ。彼が宇治で、持ち帰った茶の木の栽培に成功したので、宇治茶は今でもブランドとして残っている。中国直輸入の茶の葉を、中国の茶道具で淹れる。これが真で、だから足利将軍は中国製の名物を多くコレクションした(東山御物)。茶をたしなむ場所は書院である。 『行』は日本製の道具を使うが、“本場物に引けを取らない”お道具、という事になる。これに対して、茶の湯の『草』は、プライベートな茶室を建てて行う、佗(わび)茶である。佗茶は紹鴎の師である村田珠光が始めたと言われている。 この佗茶の「枯れかじけた」美意識こそ、利休が目指したものだったはずだ。だが、だとしたら、「北野大茶湯」(秀吉の聚楽第落成記念)のような一大イベントや、有名な黄金の茶室に、どうつながっていくのか。 ここに登場するのが、織田信長である。彼は風流だの風雅だのには、関心が無かった。だが、人々を動かすものが何であるかについては、卓越した感覚を持っていた。信長は戦国武将たちが、ゴルフ代わりの茶の湯の名物道具に執着していくのを見て、「名物狩り」を行う。所有する民間人からは無理やり買い上げ、征服した大名からは徴用した。そして、戦功を上げた部下に対し、知行地の代わりに下賜していくのである。これを「茶湯御政道」と呼ぶ。 だから信長に城を攻められた松永弾正は、大名物を渡すくらいなら、と、道具と共に爆死する。また信長に謀反を起こした荒木村重は、名物を手に、妻子を残して逃げる。怒った信長は村重の親族家臣500人以上を殺す。この辺り、作者は信長の苛烈さと共に、武家たちの茶の湯の名物道具への執着心の恐ろしさを、見事に描き出す。 同時に信長は堺商人たちの利用の仕方についても、十分な知恵を働かせて交渉していく。そして天下人となった信長に、堺茶人のトップ・利休は、茶頭として仕えることになる。かくて、佗茶を希求しているはずの利休は、政治の中心に入っていくのである。 それにしても清原なつのという作家は、信長の人物を利休に評させて、「この人はなんと禁欲的で厳しい合理主義者なのだろう」と述べているのは、実に卓越した感覚である。信長を、残酷で利己的な独裁者、と評する人間はいくらでもいよう。だが、彼をストイックで理知的な、頭の良い人間だと見抜く作者の洞察は、敬服に値する。 その信長が、わずかな手勢と共に本能寺に出かけたのも、実は茶の湯の名物道具を公家に披露する茶会のためだった。明智光秀が信長を討ったと聞いた秀吉は、まさにこれこそ千載一遇のチャンス、と思ったに違いない。信長が生きている限り頭の上がらない秀吉にとって、光秀を討ち取ってしまえば天下は自分の手に入るのである。 そして利休は、以前から親交のあった秀吉が天下人となってからも、その第一の茶頭として仕える。秀吉は彼のパトロンとして、財力と権力を惜しみなく与える。かくて黄金の茶室と、聚楽第落成へとつながっていくのである。それは利休の美意識が、名物の鑑定相場を左右する力を持つということだった。しかし、秀吉の成金的な好みと、佗茶への希求とに、利休の内面は次第に引き裂かれていく・・ ところでこのマンガの一つの大きな魅力の一つは、登場人物が皆、自分たちの方言丸出しの口語でしゃべることである。信長は「こんなでぇすかな雪ん中、松永のじいさまは来んでもええわ」といい、秀吉は「わっちが育った美濃の田舎のたんぼの中の家を思い出すぎゃあ」と語る。どこまでリアリティがあるのか、わたしにはさっぱり判断がつかないが、岐阜出身の作者のことだから、きっとそれなりに確信を持ってのことなのだろう。 清原なつのという作家は、昔からファンだった。そう、70年代に『りぼん』でデビューした頃からで、今でも書棚に何冊も短編集を持っている。マンガ家は何より絵が大事だが、人物の輪郭線が優しく、かつ、瞳の描写が美しい。とても少女マンガらしい絵柄である。 と同時に、この人の作品は、なぜか理系の男性読者を引きつけるところがある。作者自身が、たしか金沢大学の薬学部出身で、医薬品企業の研究所勤務という風に、理系の人でもあるのだが、それ以上に、SFと歴史昔語りを中心としたテーマの選び方、エピソードの切り取り方に、それを感じるのだ。ちなみにペンネームも平安初期の貴族・清原夏野から取っているあたり、古典と歴史への憧憬を強く感じさせる。 本書「千利休」は、清原なつのという作家の長いキャリアの、一つの頂点を示す傑作だ。この人は本質的に短編作家だが、あえて分厚い長編に挑み、成果はまことに素晴らしい。本書を通して、あらためて日本文化を考え直す、大事なヒントを得た気がする。 本書は電子書籍でも手に入るが、できるなら紙の本をおすすめする。本は、とても装丁が美しい。装丁デザイナーの名前が見当たらなかったので、あるいは作者自身の装丁なのかもしれない。 #
by Tomoichi_Sato
| 2024-08-19 00:19
| 書評
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皆様、 「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」は、8月19日の最終例会をもちまして、活動を終了いたします。最終回は、主査を務める小職が、講演をいたします。 当研究部会は2011年5月、まだ首都圏が東日本大震災の余震で苦しんでいた時期に、スケジューリング学会下の部会として、発足いたしました。以来13年間にわたり、活動を続けてこられたのは、ひとえに参加者の皆様、そして貴重なお話をいただいた講演者の皆様のおかげと、感謝しております。 当研究会が目的として掲げたことは、以下の3点でした:
そして例会では外部講師をお招きして、プロジェクトとプログラムに関わる様々なテーマを幅広くお話しいただき、会員でQ&Aとディスカッションを行ってきました。このディスカッションが非常に楽しく、恒例となった講師を囲んでの懇親会を含めて、有益な意見交換の場になったと思っています。テーマ設定については、あえて分野・業種を問わず、また特定のPM標準や限られたマネジメント領域に集中しないよう、工夫してきたつもりです。 日本でプロジェクト・マネジメントの考え方が受容されてきたのは2000年代に入ってからですが、その多くはIT業界における問題解決の文脈でした。そして処方箋として、内外の標準ガイドブックが紹介され、資格制度が広まった訳です。それは十分意義のある事でしたが、他方、「教科書のお勉強と暗記」「語られるのはITプロジェクト系の話題が中心」という弊害も生みました。 他方、プロジェクトの上位概念であるプログラムに目を転じると、日本ではほとんど理解もされず現実に適用もされない状況が続いています(東京オリンピックの顛末を見ればお分かりと思いますが、あれは本来、ロンドン・オリンピックのように『プログラム』としてマネージされるべきものでした)。そしてプログラム論は、経営思想やイノベーション談義という、実務にどう用いたらいいか不明瞭な領域に拡散し留まったままに見えます。 当研究会は、そうした状況に風穴を開けるべく、方向性を模索してきました。とくに2016年ごろから分科会活動として始めた、「PM教育」のためのシステム(仕組み)作りは、一定の成果を上げたと自負しています。ネットワークとしてのプロジェクトの全体像を、手を動かし目で見渡して理解する事は、プロマネのスキルを育てる上で大切な要素だと信じます。 しかしながら、当初掲げた「プロジェクトの客観的評価」「アナリストの職域確立」という目標に向かっては、ほとんど一歩も進めない状況が続いてきました。端的に言って、日本社会では初級プロマネの養成と職域確立がいまだに課題であり、投資としてのプロジェクトを第三者が価値評価し裏書きするニーズは全く無いのだ、と結論せざるを得ません。 プロジェクトの価値を考えて発進すべきかどうかを決め、また問題プロジェクトの状況を評価して撤退すべきかどうかを決めるのは、上位にあるプログラム・マネージャー(ないしプロジェクト・スポンサー)の責任です。こうした関係性の認識を広め、マネジメントの中心課題である評価と決断を、より良いものにしたいと願ってきた訳ですが、力不足もあって、進捗らしい進捗をえることはできませんでした。 最終例会では、小職が第1回例会で発表した「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」の提案内容をふりかえり、その後の進展も加味しながら、プロジェクトのこれからについて率直な議論をしたいと思っています。 第1回は、副主査である静岡大学・八巻先生のお力添えで、田町にあったキャンパス・イノベーション・センターで開催しました。最終回は、同じく副主査である慶応大学・松川先生のご厚意により、新川崎にある慶応の新しくモダンなキャンパスに隣接した会議室で開催します。東京の中心部からは少し離れているため、リアルとオンラインのハイブリッド形式で開催する予定です。 大勢の方のご来聴をお待ちしております。 <記> ■日時:2024年8月19日(月) 18:30~20:00 (ハイブリッド形式) ■講演タイトル: 「プロジェクト&プログラム・マネジメントの過去・現在・将来」 ■概要 1. リスク基準プロジェクト価値(RPV)の概念:第1回研究部会講演の主要部分振り返り 2. その後の貢献価値理論の進展:時間短縮の価値評価、サプライチェーンの移転価格等 3. 日本のプロジェクト・マネジメントの課題と提案 上記のような主題を中心に、ある程度自由な意見交換を行いたいと思っています。 ■講師:佐藤知一 (研究会主査、日揮ホールディングス(株)勤務) ■講師略歴: 日揮ホールディングス(株)チーフエンジニア(ビジネス・アナリスト)、戦略企画オフィス経営企画ユニット所属。1982年に入社、内外の製造業とエネルギー産業の工場作りの設計とプロジェクト・マネジメントに携わる。博士(工学)、筑波大学教授(グローバル教育院)、静岡大学客員教授 ■会場:AIRBIC 会議室5 〒212-0032 神奈川県川崎市幸区新川崎7-7 AIRBIC (JR新川崎駅 徒歩10分) ■参加希望者は、小職までご連絡ください。オンライン希望の方には、後ほど会議のリンクをお送りいたします。 #
by Tomoichi_Sato
| 2024-08-06 11:18
| プロジェクト・マネジメント
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