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書評:「オランダ紀行」 司馬遼太郎・著


  • よその国を多面的に見るためには

今月のはじめ、オランダに数日間、出張した。アムステルダムで開かれた石油ガス業界のデジタル化に関するカンファレンスに出席するためだ。オランダに行くのは、2度目である。いや、30年以上も前に、ベルギーのブリュッセルから日帰りで観光に行ったことがあったが、それを入れても3度目だ。

出張には、軽い本を持っていく。今回持っていったのは、司馬遼太郎の「オランダ紀行」 の文庫本である。わたしは司馬遼太郎の小説はほとんど読まないが、彼の外国に取材した文章は、案外面白いと思う。「愛蘭土(アイルランド)紀行」、イベリア半島紀行の「南蛮のみち」、そしてベトナム戦争終盤のルポ「人間の集団について」など、どれも感心した。

旅行先で、その国に関する本を読むのは、実地勉強の面もあって、有用だと思う。ただ一般に、紀行文というのは退屈だ。著者がたまたま経験したことが、断片的に感傷を込めて書かれている程度のものが多い。だからわたし自身も、紀行文は原則として、書かない。ただ、この著者は、新聞記者出身だったからか、自分の見聞きした体験だけでなく、対象国を立体的に、多面的に理解し記述しようという姿勢がある。

立体的に一つの国を理解するとは、どういうことか。それは、文化と文明の両面において、また人間と自然の両面において、そして歴史と地理のパースペクティブにおいて、考え感じるという意味である。

多くの作家・文人は、文化と人間と歴史の側にしか興味が無い。だがこの著者は、オランダ絵画も土木技術も、出会った老医師にも霧の気候にも、スペイン独立戦争にもドイツとの関係についても、目配りしている。しかも対象の国に、敬意と愛着をもって文章を編んでいる。

  • 文明と土木技術

世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が作った」——この言葉ほど、オランダ人を見事に表した一言はないだろう。オランダの国土の3分の1は、海面下の低さにある。彼らは堤防を築き、干拓地をつくることで国土を広げていった。

オランダは風車で有名だが、なぜあんなに風車が必要だったか? 風車の用途は、麦の粉ひきだけではない。じつは水を汲み上げるポンプの動力なのだ。海抜よりも低い干拓地から、水を海に排水するためのポンプである。

文庫本のP.139に、わかりやすい図が載っている。水のくみ上げは、2段階になっている。干拓地の排水溝(-4mのレベル)から、排水ポンプによって、まず内側の第1の堤防を越え、もう少し高い集水溝(-2mのレベル)に水をくみ上げる。さらにもう1段、排水ポンプを使って、そこから外側の第2の堤防の外、つまり海(0m)にくみ上げて流すのである。そのための動力として、「19世紀頃までは風車にたより、19世紀なかばごろから蒸気機関によるポンプになった。今はディーゼル機関か、電気に拠っている」(p.139)

このように国土の創生と維持の根底に、土木技術があることを、ここの国民は肌身で知っているはずだ。それは受け継ぎ、育てなければならない。主要な国立大学から『土木工学』の名前のつく学科がすべて無くなってしまった、東洋の島国との差が、これだろう。

また17世紀、スペインから独立した時代には、火砲のニーズが高まった。これが金属冶金の技術を刺激した。また鋳鉄の砲は、砲口をくりぬかなければならず、原始的な旋盤などの工作機械を発達させた。最初は人力だったが次いで水車の力が利用されたらしい。

「水車が動力になったとき、今まで錐を回してえぐっていたのをやめた。錐の方を固定し、砲身を水車でぐるぐる旋回させてえぐるようになった。水車の力で金属が加工されるようになったことは、人の意識まで変え、このあたりから近代工業の誕生にむかって文明がすすんだのではないかとおもわれる。」(p.285)。こうした技術への洞察と目配りが、本書の特徴の一つである。

  • 商業の合理主義

ところで著者の考えでは、古代、ローマ文明は帝国主義(収奪の機構)の形をとって、ヨーロッパの他民族の居住地を占領していった。やがてローマ帝国が滅び、キリスト教がその文明の輝きを継承する。中世、司祭たちは、村村における文明の指導者でもあった。

文明を背負ったその「カトリックが古びてきたのは、商人の台頭による」(p.27)。「商工業は、従事する個々において独立自尊の精神がなければ成り立たない」からだ(p.69)。「理性は、いうまでもなく物の質量を量るということから出発する。物の質量を量るのは、商工業社会から生まれるのである。」(p70)。つまり商品経済を通した合理主義の考え方が、聖俗革命を推進した。これが著者の歴史認識である。

15世紀末、オランダはエラスムスと言う理性的な人文主義者を生んだ。哲学者スピノザや国際法の始祖グロピウスも、オランダの人たちだ。「造船も要塞作りも、エラスムスやスピノザにおける透明な理性も、グロピウスにおける国際法も、すべて商業と言う機能の所産だった。商業は、物質(商品の品質)と量(商品の数)で見、また物事を理性で見るのである。」(p.281)

それどころか、「17世紀の黄金時代のオランダは、農業と言ういわば生き方と言っていい営みに、換金性と言うものを持ち込んだ」(p.281)

ハイネはドイツの詩人だが、彼の詩『流刑の神々』の中に、オランダ商人が自由に移動する民の象徴として、でてくるようだ。「商工業の発達が、ハイネの大好きな自由と言う思想を拡大し、封建制の首を絞め、カトリック教会までを制約していた。」(p.50)

もっとも、この考えに従えば、農業経済社会では自由も個人も育たないのだろうか? 確かにまあ、農本主義的な保守思想は、個人の自由とか権利主張を、うとましく思うようだが。

  • 株式会社という発明

さて、突飛に聞こえることを承知で言うが、「アメリカ人はオランダ人の子孫である」と、わたしはよく感じる。無論、民族的・血縁的な子孫ではない(アメリカの主流はアングロ・サクソンだということになっているし、実際には結構ドイツ系が多い)。だが、その実際的で、オープンで、気取らない態度、そして実務を組織的に進めるやり方、平民的で貴族社会を嫌う態度などの点で、むしろ英国やドイツよりもずっと、オランダのほうが米国人の気質に近い。

オランダ人は古代から小さな船を北海に漕ぎ出し、漁業や交易をしてきた海洋民族だが、大航海時代に入り、大きく勢力を伸ばす。

「彼らはたいてい仲間(マート)を組んで船を買い、有能な船長をやとい、その船長に買いつけのための金を渡す。ぶじ帰ってくれば出資した額に応じて利益を分配していた。途中船が沈めば損失もまた分散される。1航海を限ってのこんなやり方を、江戸時代の日本の経済用語でいうと当座という。」(日本の「当座預金」といった用語のルーツが、こんな江戸時代にあることを初めて知った)

しかしオランダ人たちは、もっと恒常的な形態は無いかと考えるようになった。その結果としてできたのが、株式会社という独創的な形だった。やがて、これがオランダの東印度会社になる。」(p.107)。「物事を組織的にやるという、今日の巨大ビジネスのやり方をあみだしたのは17世紀のオランダであり、18世紀初めの英国は、それをいわばまねたに過ぎないとさえいえそうである」(p.29)。だとしたら、確かに、アメリカ人はオランダ人の精神的な子孫である、といってよさそうだ。

  • 3人の画家について


本書では、3人の画家がそれなりの頁数をかけて紹介されている。オランダの誇る画家レンブラントと、隣国ベルギーの画家ルーベンス(彼はオランダ国境に接する街アントワープを本拠地にしていた)、そしてフランスでの画業が有名なフィンセント・ファン・ゴッホである。

レンブラントの大作「夜警」は、アムステルダム国立美術館最大の呼び物である。わたしはこの美術館を3回たずねたが、いついっても、絵の前には人だかりが絶えない。なお、この絵は群像であり、オランダ絵画には群像が多いが、実は「割り勘」のためだという。有力な大貴族の居ないオランダでは、市民達がお金を出し合って、画家に肖像画を描かせたのだ。もちろんご存じの通り、割り勘は英語でDutch account = オランダ式会計、という。

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レンブラント「夜警」(フェンスとガラスカバーのある実物の前で撮影したので、やや映り込みがある)

ともあれ中世末期から近世にかけて、オランダは欧州における絵画の中心地の一つだった。その特徴は、克明な写実性と、非宗教性である。それはたとえばフェルメールのような絵を見ても分かる。室内でミルクを器に注ぐ女性の姿は、ほんとうにそこで生活の時間が切り取られたかのような、静謐さがある。当時のオランダ絵画がなかったら、欧州の各美術館はずいぶん淋しくなってしまうに違いない。

ところで、ゴッホという人はフランスの印象派の系譜として理解されている。燃え上がるような色彩で、えもいえぬ情念を絵の中に溶かし込んだ彼の作品は、写実とはほど遠いと思える。しかし彼の画業を、時代を通して見ていくと、やはり彼だってオランダ絵画の長い系譜の末に現れた人だと、感じることがある。

司馬遼太郎はゴッホの人と思想について、残された全6冊分もの手紙をていねいに読み込むことで、再現を試みている。それは決して、巷間いわれているような狂気だの非合理だのではなく、非常に物事を深く考える精神だという。

「ゴッホはイエスが好きでほとんど一体感を持っていたが、現世においては短命で、恵まれなかった」(p.324)という指摘は、重要だと思う。そして、「イエスが復活したように、ゴッホも自分自身の復活を信じていたはずである。イエスの問いかけが現世ではむなしかったように、ゴッホの絵もまた他者からかえり見られることがまれだったが、かれ自身、のちになればたれもが自分の作品を見てくれると信じていた。」(p.295)——この確信こそ、ある意味、ゴッホを理解するカギかも知れない。

ちなみにゴッホの苗字は正確にはvan Gochである。ドイツ語のvonとか仏語のdeなどは英語のofにあたるが、苗字につくと貴族の家系であることを示す。しかし、オランダではそうとは限らないという。ナポレオンがオランダを占領した時、オランダ人に苗字をつけることを強制した。このことにオランダ人たちは腹を立てて、結構適当な苗字をつけたりしたらしい。ゴッホの先祖のように、単に出身の村名を冠して、ファンをつける人もその時期多かった。(p.299)

  • 蘭学と日本

ところで、「絵画が純粋芸術などとされるのは近代に入ってからで、それ以前は‐ 宗教画以外は‐ 建築、機械学、医学といった技術の良き伴侶の1技術であった」(p.17)。だから医学書の図も、オランダ流に見事に精確だったはずである。

オランダ絵画の写実主義は、解剖学概論と言う医学書を通じて、「解体新書」と言う形で、近世日本に大きな影響を与えた。ここに、オランダと日本の特異な歴史的関係が成立する。オランダを通した学問、蘭学を学ぶことが、「江戸中期、商品経済の影響で成立しつつあった合理主義的な考え方をいっそう加速させた」(p.16)というのが、著者の意見である。

  • ベイラントの自由

自由と理性と合理主義。もちろん結構なものだ。だが、オランダには「ベイラントの自由」と言う、いささか不名誉な言葉もある。アムステルダムの商人ベイラントは、自国がスペインに対する独立戦争を戦っていた時に、こっそり敵のスペイン軍に武器を売っていた。

「資本主義は人類に、自由と個人と言う2つの贈り物をした。自由と個人は、経済活動の中では、前時代にはなかった高エネルギーを持っている。この活動力に対し、いわば歯止めとしての自律性と倫理性をプロテスタンティズムは説き続けた。」

「今は宗教の時代ではないが、資本主義には強烈な倫理性が必要であることに変わりがなく、ベイラント現象をふせぐことが市場原理を守ることが第一条件である」(p.271)。これが、著者の資本主義社会に対する認識なのだろう。

  • オランダの退潮

「オランダが、はるかに船を送って日本と接触するのは、日本史では関ヶ原の年の1600年で、オランダでは、17世紀と言う黄金時代の幕開けの頃だった。オランダの人口は、わずか150万に過ぎなかった。」(p.83-84)

ちなみに、オランダの「国としての正しい称号は、ネーデルラント王国で、オランダと言うのは、低地の1部であるホラント州から来た通称である」(p.26) 。日本語のオランダは、ポルトガル人がホラントを訛ってオランダと呼んでいたかららしい。

そのオランダは、17世紀が最盛期であった。しかし「英仏にねたまれ、英国から2度にわたって戦争を仕掛けられて屈しした。フランスからも侵入を受け、国力も文化も衰えた。」

17世紀末に、まだ若きロシア皇帝ピョートル大帝が、身分を隠してオランダの造船所に、技術を習得するために働いた。その彼も、オランダのかげりに気がつき、にわかに英国視察を思い出す。

だが、衰退の本当の原因は別のところにあったらしい。「オランダは、技術を怠りつつあった。金が金を生むと言う金融のほうに浮かれ、製造業おろそかにし始めたために、英国との間に工業技術の差が大きくなり始めていたのである。」(p.263)。まことに、今日のわたし達が90年代初めに刊行された本書を読んで、一番恐ろしく感じるのは、この記述の箇所ではないだろうか?

日本はオランダから蘭学を通し、非常に多くのことを学んだ。だがもう一つ学ぶべきなのは、世俗的で非宗教的な商人国家オランダの、正しい盛衰の歴史なのである。



# by Tomoichi_Sato | 2022-06-30 20:27 | 書評 | Comments(0)

目に見えるスマート化、目に見えないスマート化

最初に、お知らせです。日本の医薬品業製造に関する最大のカンファレンス・展示会である、「インターフェックス・ジャパン東京」(7月13日~15日)で、スマート工場について講演します。専門技術セミナーという枠組みで、初日に下記の通りお話する予定です。

<記>

日時: 2022年7月13日(水) 11:30~13:00 (小生の講演時間は40分です)

タイトル: 「医薬品工場のさらなるスマート化 ~ 産業間比較から考えた特徴と課題

概要:医薬品工場は自動化・情報化の面で、通常の組立加工系工場よりも、スマート度が高いといえる。ただし多品種化や需要変動への対応など、計画系機能では課題も見受けられる。工場全体のスマートさをどう実現するのか、直近のMES実態調査を参考に検討する。

主催: インターフェックス・ジャパン事務局(RX Japan株式会社)

会場: 東京ビッグサイト

セミナー申込み詳細: 下記をご参照ください


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  • 医薬品工場は、どれほど「スマート」か

じつは最初、スマート工場化をテーマに講演依頼を受けた時、今さら何を話そうかと思った。というのも、医薬品工場はすでに、他の平均的工場に比べ、相当に自動化の進んだ「スマート工場」であるからだ。

医薬品は、クリーン環境で製造するため、そもそも手作業をきらう。だから製造工程の自動化・機械化が進んでいる。おまけにクリーンルームなので、紙の持ち込みも避けたい。しかし製造作業や品質検査作業の実績を、正確に記録しなければならない。いきおい、電子記録も重視されることになる。

しかも医薬品では、厳格なロット管理が要求される。このため、原料や中間品に対して、きちんと識別子IDを貼付し、読み取ってていかなければならない。これもコンピュータ化を要求する。医薬品製造にはGMP(Good Manufacturing Practice)という法規制が世界的にかかっていて、記録と証拠が重視される・・といった理由により、結果として医薬品工場ではMESシステムの普及が進み、工場を作る際も、最初からMESがあるのが当たり前、になった。

ところで、スマート工場とは、自動化の進んだ工場だと考えていいだろうか?

以前は、外国首脳などが来日した際に、よく先進的な工場として自動車工場のボディ溶接ラインなどを見学している様子が、ニュースになった。プレスした大型の板を自動溶接し、またたくまに自動車のボディを形作っていく、いわゆる「ボディ・ショップ」見学である。無人のラインで多数の溶接ロボットが火花を散らして動き回る様子は、派手で分かりやすく、何か先進的なものを見たような気になる。

もっとも今どき、「先進的工場」を見たくて日本に来る欧米人はほずいぶん減っただろう(そういうのが見たければ、中国かシンガポールに行くのが現在の常識である)。またそもそも、日本の製造業は工場をあまり人に見せないようになった。

一般消費財を作る工場は、それでも小学生向け見学コースなどをしつらえて「地域貢献」している。だが生産財を作る工場は年々、非開示的になっている。コロナ禍がそれを加速した面もあるが、企業がだんだんと秘密主義的になっているのかもしれない。何を隠すのか? 見られるとまずいような先進的な製造機械なのか? 

元々、工場見学では「ライバル企業様はお断り」が普通だ。で、他の業界の素人にも見られるとまずいほどの、先進的設備投資をしている工場が、今の日本にどれほどあるかは不明である。それとも実は、「隠すものが何もないことを隠している」のかもしれぬ(これは探偵小説「ブラウン神父もの」の著者、G. K. チェスタトンが好んだ逆説だが)。

とはいえ、同じ業界同士で工場見学しあう、仲の良い業界もある。医薬品業界が、まさにそれである。医薬品の場合、製品の競争力の根源は、錠剤や液剤に(量的にはほんのちょっぴり)含まれる有効成分だ。そこは官庁許認可と知財権ががっちりガードしているから、他社は真似しようにも簡単には真似られぬ。そして、工場のラインを見学したって、その薬効成分の内容など分かる訳もない。この点、製品の目に見える形状や構造自体が、差別化ポイントになる機械業界や電機業界との違いである。だから医薬品業界は、学びあい、競い合って、工場の自動化・情報化を推し進めてきた。


  • 工場のスマート化=自動化+情報化(+グリーン化)

ところで以前も書いたことだが、「スマート工場」に学問的な定義はない。だから誰でも自分なりの定義を主張することができる。ただ、世の中の通例を見る限り、少なくとも「自動化」と「情報化」が大事な要素であることは見て取れる。

自動化(または機械化)とは、どんなことだろうか? 例を上げるなら、デパートのエスカレーターである。エスカレーターは、人が階段を上がる動作を、自動化してくれる。その気になれば5階だって10階だって、連続して登ることができる。

つまり自動化の主な効果は、人間の労力を減らすこと、あるいは人間ではできない速さや強さや精度で、仕事をできるようにすることにある。ただし、エスカレーターというアナログ機械には、誰がいつ乗り降りしたかを記憶するような、情報系の機能はない。自動化とは、必ずしも情報化を含まないのである。

では情報化とは、どんなことか? それは学校の出席簿を思い出せば良い。先生が授業のはじめに、「○○君」「はい」と点呼出欠を取り、その結果を紙の出席簿に書き込む。

出席簿自体はアナログで、まだデジタルデータにはなっていないことに注意してほしい。それでも、いつ誰がどの授業に出席したかを、ふり返って確認することができる(記録)。また学力低下など問題が生じた時の、原因を探る手助けにもなる。さらに、手書きの記録を数値化し、計算することで、傾向や、予測・計画のベースともなる。

自動化が、どちらかというと人や物を空間内で動かすのに対して、情報化は、現在・過去・未来の時間軸で視点を移動したり、集計によってより広い範囲を俯瞰するのに役立つことに注意して欲しい。もちろん出席簿をつけたからと言って、授業という苦痛な作業(?)が、楽になるわけではない。情報化は、必ずしも自動化を伴わないのである。

さらにいうと、現代で「スマート工場」という時は、環境負荷(CO2排出等)の低減や、作業環境の向上といった「グリーン化」も、大事な項目だと、わたしは考えている。だが今回は特に、工場の自動化と情報化を軸にしたスマート化について、主に考えている。実は、目に見える自動化と、目に見えぬ情報化があって、後者のほうが大事になってきている、という話をしたい。


  • 工場内の仕事の階層と、自動化

一般に、工場における生産に関わる仕事には、次の2つのレイヤーがあると考えて良い。

第1のレイヤー:実際のものづくりに関わる作業

これは「製造現場業務」と呼んでもいい。もう少し詳しく見ると、加工・組立等の付加価値を直接生む業務と、配膳・補充などに分けることもできる。後者は、それ自体では付加価値は生まないが、加工・組立を支えて効率化する仕事である。

第2のレイヤー:ものづくりの計画(指図/手配)・実績把握(記録/分析)・工場外との調整(問合せ/回答)に関わる業務

こちらは「製造マネジメント業務」と呼ぶことにする。具体的には生産計画・購買・保全・QAなどだ。これらの業務は、工場の間接スタッフがになっている。彼らは工場内の事務所スペースで仕事をしていて、工場見学などでも普通は見えない。この仕事の中には、第1のレイヤーの具体的仕組み作り(たとえばSOP=Standard Operation Procedure、標準作業手順書の作成など)が含まれる。

あえていうならば、第2のレイヤーの上には、さらに工場長(工場管理業務)があると言ってもいい。

図を見てほしい。この図のピラミッドは、わざと普通と上下を逆に描いている。通常だったらピラミッドの一番上に工場長が居て、その下にスタッフ層、そして一番下に現場職人、といった「上下関係」を示すだろう。だが、本当は、加工・組立など直接作業を、配膳・補充など間接作業がサポートし、さらに第1レイヤー全体を、第2レイヤーの製造マネジメント業務がサポートする。そして、一番下で全体を支えるのが、工場長だと、あえて考えている。
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ちなみに第2レイヤーは、本当は製造サポート業務と呼ぶべきだと、個人的には思う。「マネジメント」では偉そうに権力をふるう語感があるが、図のように、本来は『支える』機能だからである。だが、英語でManufacturing Operation Managementという言葉がISA-95の国際標準として通用しているため、やむなくそうしておく。

ついでながら、国際標準ISA-95が依拠するPurdue Modelでは、第1のレイヤーをLevel 0〜Level 2と定義し、第2のレイヤーをLevel 3と定義している。これについても多少の議論があるのだが、ここでは省略しよう。ともあれ、自動化・情報化は、レイヤー1・2の各層において、進める事となる。


  • 自動化・情報化をはばむもの

そもそも自動化(オートメーション)という言葉は、単純な動力等の機械化にも使うし、「自動制御」のようにコントロールにも使う。ただ、さすがに現代では、単純そうに見える機械にも何らかのチップが組み込まれているので、純粋なアナログ機械の時代よりは、情報系との関わりが強い。あえて、そこを分類するなら、

(1) 手足の代わりとしての自動化(機械化・ロボット化と制御):OTの領域
(2) 眼の代わりとしての自動化(計測・画像認識):OT的AIの領域
(3) 頭(記憶・判断・予測)の代わりとしての自動化:ITの領域

といった形になるだろうか。もちろん、ここにあげたのは、人間の作業の置き換えとして自動化・情報化を考えるケースだ。

このうち、第1レイヤーの仕事に適用するのは、主に(1)と(2)だ。つまり多関節ロボットが並んで自動車のボディを溶接しているラインが、その典型例である。こうした自動化は見えやすく、効果も分かりやすい。

では、こうした第1レイヤーの自動化の障壁となるのは、何だろうか? それは現在の製造業が直面している、多品種化(個別受注化)と短納期化にあるのだ。

なぜか。品種が増え、生産スケジュールも撹乱されがちだと、作業の繰返し性が低くなる。繰返し性が低いと、自動化が難しい。ロボットやAGVやNC工作機械を動かすには、プログラム(ティーチング) が必要だ。だが多品種で1回限りで超短納期なのに、プログラムなんて書いていられるだろうか?

かりにプログラムは作れても、そもそも指示を与えなければ機械は動かない。ところで生産スケジュールが頻繁に変わり、あるいは細部は現場リーダー任せだったりしたら、どうやってAGVに、A地点からB地点まで品目Xを何時何分に運べ、と指示できるだろうか? 自動化機械は日単位のアバウトな日程計画では動けないのだ。


  • 目に見えぬスマート化の意義とは

こうしたハードルを乗りこえるためには、第2レイヤー(製造マネジメント層)が、もっと「スマート」に定型化されている必要がある。具体的には、以下の2つの状態を目指す取組みである。

(1) QCDに関するコントロールがほぼリアルタイムに行えている

製造業の三大KPIである、品質(Quality)・コスト(Cost)・納期(Delivery)にもとづいて、工場は普通、運営されている。つまり製造マネジメントの中核に位置する訳である。しかし多品種化し納期変動の多い状況下では、従来の方法、つまり紙と人間の記憶に頼ったベースでは、リアルタイム性も正確性も低くなる。これでは現場の機械類に対して、制御の指示を出すことができない。

そこで、現場の自動化を可能にするために、

・詳細な生産スケジュール計画・指示と進捗把握、
・製造条件と品質検査項目の指示、変更管理と製造ロットのトレース
・オーダー別の人員と機械など製造資源の占有時間、材料・エネルギー消費などの記録

などが、第2のレイヤーできちんと情報化されている必要がある。

(2) 4Mに関する情報がデータ化されており、それもバラバラではなく関係づけられている

4Mとは、いうまでもなく、人(Man)・モノ(Material)・機械(Machine)・方法(Method)を指す。人の記録は勤務台帳や製造日報で、モノの状態は現品票で、機械の状態は運転保守記録で、方法はベテランの頭の中に・・といった具合に、情報がバラバラにある状態では、上記QCDのリアルタイムなコントロールができない。

とくに4つ目のM(Method=レシピないしBOP/SOP)が定型化され、マスタデータ化されている必要がある。そうでないと、第1レイヤーの自動化機械にプログラムを送れないからだ。だが、ここが形式知化されている職場は、決して多くあるまい。(医薬品工場というのは、その例外の一つだが、それはGMPという規制がかかっていて、事前に承認された適正な方法と手順で、製造することが求められるからである)

このように、第1レイヤーの自動化を支えるのも、第2レイヤーの情報化の重要な役割なのである。第2レイヤーの仕事自体は知識労働だから、その自動化とは「頭の代わり」であって、主に知識処理の高速化・大容量化、すなわち情報化(ITシステム化)に他ならない。


  • しかし情報化は、最後には目に見えるようになる

さて、問題なのは、第1レイヤーの自動化は現場に行くとすぐに目に見えるのに、第2レイヤーの情報化は目に見えにくいことだ。工場を見学する人も、注意深くないと(=生産管理にある程度通じていないと)、第2レイヤーがどれくらい情報化されているかを、見抜くのは難しい。

しかもやっかいなことに、頭の代わりの自動化・情報化は、投資対効果が見えない。なぜなら、それは生産量やコストの改善ではなく、俊敏性ないし適応能力の向上をもたらすからだ。車でたとえれば、積載量や最高速度や燃費が上がるのではなく、回転半径や加速性・安定性が向上するようなものだ。

しかしあいにく、わたし達の「生産性」「効率性」に関する評価尺度は、大量生産時代に確立された。それはちょうど、行き先の決まった一直線の道を走るトラックのような基準で定義され、測られる。くねくね曲がった都市の道を、宅配便の車のように個別に回るケース、すなわち多品種化し短納期化した昨今の状態では使えないのである。

つまり、わたし達の会計尺度には、何か重要なミッシング・リンクがある、といえるだろう。このことが、経営者や株主の、自動化に対する無理解・無関心を生んできた。前回の記事に書いたような、製造業のデジタル・ディバイドの遠因をつくってきたのである。

しかし第2レイヤーの情報化は、最終的には目に見える効果、それも結構劇的な効果をもたらす。それは工場のレイアウトにおける変化である。再び医薬品分野の話に戻るが、日本の医薬品工場のレイアウトは’90年代の終わり頃から、大きなイノベーションがあった。詳しくはセミナーで話す予定だが、物流搬送を自動化することで、従来と異なる発想の多層階レイアウトが可能になったのである。

それを可能にしたのは、MESとマテハン・システムの組合せであった。つまり、第2レイヤーの情報化と、第1レイヤーの自動化が組み合わさって、通常の工場と相当に異なる合理的なレイアウトが可能になったのだ。それは、行けば誰の目にも見える変化だ。それも、医薬品工場にMESがあることが前提となったから、実現したのである。ここまでいって初めて、工場の総合的なスマート化と呼べるのではないだろうか。

このような変化は、もちろん医薬品工場特有の条件はあるにせよ、他の産業でも潜在的に可能だと考えられる。正直に申し上げておくと、わたし自身は、医薬品工場プロジェクトには1件しか携わったことがなく、決してその分野の専門家ではない。ただ、幸か不幸か、わたしはいろんな産業の工場・プラントに関わってきた。その目から見て、すなわち産業間比較を通して、今後の製造業へのインプリケーションをお話しできればと思っている。


なお、上記でご案内したインターフェックスの専門技術セミナーは有償ですが、主催者からの優待枠が多少あります。もしご興味ある方がいらっしゃれば、ぜひ小生まで(勤務先のアドレスの方に)ご連絡ください。勤務先よりコンタクトさせていただきます。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2022-06-21 22:07 | 工場計画論 | Comments(0)

製造業のデジタル・ディバイド現象を心配する

デジタル・ディバイド』という言葉は普通、個人や社会階層の比較に関連して使われる。総務省の情報通信白書によれば、「インターネットやパソコン等の情報通信技術を利用できる者と利用できない者との間に生じる格差」をいうのだそうだ。実際、インターネットの利用度は、高齢者および低所得世帯ほど低い、とのデータが示されている。また地域間や国の間にも、差がある。ちなみに日本語版Wikipediaは、デジタル・ディバイドを『情報格差』と訳して(リダイレクトして)いる。

ただしDivide(分断)という英語には、格差(difference)以上に強い響きがある。これは人間が2つのグループに分けられて、他のグループには簡単に移れない状態を示している。階級や人種のように、社会的に固定されてしまうのである。

ネットやPC・スマホを活用して、情報を瞬時に得られる者は、市場の取引などでも、うまく立ち回る。経済的に利益を得たら、さらに情報収集に投資する。拡大再生産である。逆に情報を得られぬ「情弱」の人間は、雇用でも不利な扱いを受ける。収入が乏しいので、ネットやPCも買えない、だからますます情弱になる、という悪循環が成立し、両者の格差が固定化される。これをデジタル・ディバイドと呼ぶ訳だ。たとえ格差が大きくても、違いを自助努力で乗りこえられるなら、ディバイドとは言わない。

さて。昨年、わたしが幹事を務める「次世代スマート工場のエンジニアリング研究会」では、経産省からの受託事業として、我が国製造業におけるMES(製造実行システム)の実態調査を、野村総研と共同で行った。MESに関するこの種の調査としては、おそらく日本で初めてのものである。調査報告書は、いささか大部だが、以下のURLから読むことができる。
(前半は野村総研の5G利用に関する調査であり、MESに関する報告はP. 66以降にある)

調査は、アンケートによる定量分析と、デプス・インタビュー形式による深掘り分析からなっている。アンケート調査では、300名を超える回答を得たのだが、製造業の回答者の約4割(企業数ベースで)が、MESを何らかの形で導入・利用していると答えた。これには個人的に大変、驚いた。実は、もっとずっと少ないと思っていたのだ。ちなみに今回調査は、昨年10月に行ったMESに関するオンライン・シンポジウムの参加者を対象としており、日本のすべての製造業の平均値を表すとは言えない。だが、思ったよりもMES導入への関心が進みつつあることを示している。

と同時に、アンケート調査からは心配な事実も見えてきた。残る約6割の企業はまだMESを導入していない訳だが、3~5年以内に導入する具体的計画もなく、とくに導入を推進すべき組織も存在しない、という状況が半数以上であることが、分かったのだ。

ここでちょっと、MESについて簡単に解説しておこう。このサイトでも何回か書いているが、MES = Manufacturing Execution Systemとは、製造現場におけるオペレーション・マネジメントをデジタル化するシステムである。もっとわかりやすく言うと、工場の中で、複数工程を横断して使う仕組みである。特定の設備や工程だけの、自動化や制御のシステムはMESとは呼ばない。

MESという用語は'90年代はじめ頃から使われている(その前は、CIM = Computer Integrated Manufacturingといった、もう少し大雑把な用語の中にくくられていた)。ただ、その後、国際規格ISA-95の制定の中で、あらためてMOM = Manufacturing Operation Managementという、より抽象化した概念が提案された。だから今日では、MESとMOMという2つの用語が併用されている。MESよりもMOMの方が広義の概念だ、との主張もあるが、呼び名は業界ごとの慣習もあるため、上記報告書ではMES/MOMと併記した。

繰り返すが、MESは工場レベルで使うシステムであり、工場の中で行われる、製造、検査、物流、保全などのオペレーションを統括・支援する。それって生産管理システムとかERPと何が違うの? と思われるかもしれないが、ERPは販売・受注や製品物流・請求、そして財務・人事まで、企業全体レベルの基幹業務を回すシステムだ。生産管理システムも、多くは複数工場を対象にしている。そのかわり、個別の機械装置や作業単位までは、通常見ていない。MESの方が、もっと粒度が細かい。

MESはERP/生産管理システムなど上位のIT系から指示を受取り、その実績を報告する。またMESは、製造現場にあるPC端末やPLCなど制御系(今日的な呼び方ではOTの領域)ともインタフェースをとって、必要なデータをモニタリングする。この部分は従来、製造スタッフによる紙の記録やExcelなどを経た、手作業で行われてきた。MESはそこをデジタル化し、製造指示や履歴データを蓄積してくれる。このため、いわゆる「スマート工場」には必須の道具立てである。

さて、話を調査の方に戻す。MESを導入し積極的に活用している企業が、それなりの比率で存在するのに対し、他方で導入をリードする組織もなく、導入計画の目処も立たない企業が、多く存在している。これはどういうことか。

一般の商品には、普及のサイクルがあって、初期には冒険心に満ちた「イノベーター」や「アーリー・アダプター」が使い始めるが、普及率が20%台に入ると、加速度的に広がると言われている。事実、携帯電話もスマホも、そういう道を辿った。だが、MESシステムはすでに普及期に入りつつあると思われるのに、マジョリティにはまだ、全く動きが見えてこない。

これは製造業における、一種のデジタル・ディバイド現象を示しているのではないか。それが調査結果を見て、気づいたことだった。

なあに、日本企業の腰が重いのはいつものことさ、MESも周りがみんな入れ始めたら、遅れまいと導入するようになるよ。ERPシステムの時を見れば明らかじゃないか。そういう意見もあるだろう。あるいは、MESシステムはまだ高価だ。だから導入率は企業規模に比例するはずだ。そんな推測も可能だろう。

だが、20社以上への詳細なヒアリングを進めるにつれて、どうやらそんな単純な話ではないことが見えてきた。導入の進め方は、必ずしも企業規模だけでは決まらない。類似する業種間で比較しても、かなり先進的な使い方をする中堅企業もいれば、まったく関心のなさそうな超大企業もいる。経済力だけでなく、デジタル化に対する企業のスタンス自体に格差があるようだ。

このことは、売り手側であるMESベンダーのヒアリングからも裏付けられた。国内・外資系の複数社から聞いた話では、「製造現場からスタートしたMES導入の商談は、途中で止まって、なかなか進まない。他方、本社主導で、全社レベルのものづくり改革の一環としてMES導入が決まったものは、すんなり前進する」との傾向があるらしい。つまり、工場側が製造マネジメントをデジタル化したい、と提案しても、本社レベルでの決済がおりない企業が多数ある、ということなのだ。

調査の回答を見ると、MES導入の予算承認を上げても、本社の決済が通りにくい理由は、その投資対効果(ROI = Return on investment)が説明しにくい点にあるらしい。「MESを入れたら、いくらコスト削減につながるんだ。いくら儲かるんだ?」という本社の質問に、うまく答えられないのである。

それはそうだろう。MESを入れたって、すぐに現場の人が減るとか、在庫が少なくなるとかいった効果は期待できない。そこが、工程レベルの自動化投資と異なる点なのである。自動機を入れました、それで人が減りました、原価が下がりました、は分かりやすい。他方、MESを導入したって、工場レベルでの製造マネジメントの明確度(クラリティ)は上がるが、すぐ何かが減るようには見えない。

たとえて言うならば、MESとは、船につけるGPSのようなものである。GPSは現在の位置や速度を正確に教えてくれる。従来の工場の生産活動は、アナログ系で構内いっぱいに拡散しているから、何がどこまで進んでいるかは、現場を走り回って班長に訪ねないと、「現在位置」がわからなかった。それを瞬時に、正確に教えてくれるのがMESなのである。だが、そのような情報の精度と速度に、どのような『価値』を見出すのか。

今どき、船にはGPSを必ずつける。GPSを装備していないような船には、乗りたくない、と思う。だがGPSをつけても船の燃費が上がるわけでも、運転操舵が上手になるわけでもない。じゃあ、GPSの価値とは何なのか・・?

結局この問題は、大げさに言うなら、企業の経営思想に関わる問題だと分かる。企業経営や工場運営が、より正確なデータによって向上すると考えるのか。そんなことより、現場のやる気で決まると考えるのか、の違いである。あるいは、情報化投資とは、効率化とコスト削減だけが目的なのか、それとも他にも価値がありうると考えるのか、の違いだろう。

投資対効果だけを言い続けるなら、船にGPSを買う決断はない。その代わり、目視航海できる優秀な人財がつねに確保できなくては、仕事は続かない。ことは、事業継続性の問題なのだ。たしかに、日本の製造業の人財は優秀だ。あるいは優秀だった。だが今や、どこの会社も人手不足で嘆いているではないか。デジタル化とは、属人化を避けるための最良の道具なのである。

かくて、世の中には、デジタル化に邁進する製造業と、投資対効果にこだわりながら事業継続も危うい製造業の二手に分かれていくようだ。同じ業界内でも、ディバイド現象が起きつつある。

また、社内にMES導入をリードする組織がないのも、重要な問題だ。多くの企業の情報システム部門は本社にあって、主に本社系のシステムの開発運用をしている。工場内のシステムは生産技術や製造部の所管だ、との認識が主流であろう。

ところで今、わたしはこの文章を出張先のドイツで書いている。そこでためしに、ドイツ人の技術者にたずねてみた。貴国ではふつう、情報システム部門と製造部門との切り分けはどうなっているのか?

答えは明瞭だった。「ITシステムは情シス部門が運用し、現場のOTシステムは製造部門が見る」と。だからドイツでは、MESは情シス部門の所管であり、当然ながら工場にもその組織(の一部)があるのである。まあ日本でも、医薬品業界などのように工場にMESがあるのが当たり前の業種では、たしかにそういう会社が多い。そして技術的に見ても、IT/OTで区分するのが合理的に思える。

だが大多数の企業では、工場にITシステムを開発し運用できる組織がない。ITの費用対効果が分からないからだ。あるいは、そもそも経営者がそうした生産現場の問題に、関心が薄いのかもしれない(要検証だが)。

日本の製造業は、デジタル・ディバイド現象で、全体として競争力が薄れていく。もともと日本の製造業は、一種のスケール・ディバイドの構造があった。ただしデジタル化の中を上手に動けば、中堅中小が逆に伸びる可能性もある。だが世界的には、いわゆるLeap frog現象で、日本が中進国に更に追い抜かれかねない。これが上記MES調査レポートをまとめる際に、気づいたことだった。

この文章は、最初「製造業のデジタル・ディバイドを乗りこえる」というタイトルで書き始めた。しかし、乗りこえるためには、経営層の理解が必須であることを、書きながら、あらためて考えざるを得なかった。そのための処方箋は、簡単ではない。

今週の前半、わたしはアムステルダムで、石油ガス業界のデジタル化に関するカンファレンスに出席した。そこでも問題は、デジタル化を阻害する最大の要因として、組織文化が挙げられていた。言いかえれば、価値観の問題である。欧米企業では経営者がトップダウンでDXを進めています、みたいな言説をよく聞くが、現実を見ると結構皆、苦労している。技術上の課題も大きいが、価値観の課題も大きいのだ。

本サイトの読者諸賢は、ほとんどが実務家であって、経営者ではあるまい。そして、データと情報の価値については、前向きな方が多いことと想像する。今のところわたしが言えるのは、こうしたROIを超える価値観を、経営層に繰り返し訴えかけることしかない。もちろんわたし達の国のことだから、「黒船が来たら」いきなり価値観が180度転じる可能性もあるだろう。だが、そんなものが来る前に、自分たちで変わることを期待したいのである。

<関連エントリ>
  (2021-09-17)

# by Tomoichi_Sato | 2022-06-12 23:12 | サプライチェーン | Comments(0)

BOMに関する新連載記事のお知らせ

2004年の末に『BOM/部品表入門』を山崎誠氏と共著で上梓し、以来18年が過ぎました。おかげさまで同書は今年に入ってからも増刷が決まり、累計1万2千部を超えています。また中国語版も、正確な販売部数は不明ながら、着実に売れ続けています。それだけ、BOM/部品表のマネジメントに悩む製造業の方が、内外で多い証拠でしょう。

その後、何度か有償の一日セミナーも行ってきました。こちらもそれなりに継続し、ニーズの根強さを実感すると共に、BOMをめぐる課題の裾野の幅広さを感じました。ただし同書で十分カバーしきれなかった項目や、出版後に浮き彫りになった種類の問題もあります。また新たに確立普及してきた概念・ツールなどもあります。たとえば、以下のような事柄です:

・E-BOM、P-BOM、M-BOMの関係
・製番管理や個別受注生産におけるBOMの扱い
・品質トレーサビリティと製造ロット
・E-BOMとM-BOMの乖離
・資源表(BOR) など

ちなみに上記の本は、BOMをめぐって設計・生産技術・製造・購買・営業・・など、様々な部門の関わりを示し、またその要求事項を明らかにするという構成で書きました。わたしが本を書くと、なぜか必ず対話劇みたいになる(笑)のですが、同書も架空の企業におけるBOM構築プロジェクトに対して、外部コンサルタントが各部門と対話する形式になっています。その縦割りの多部門に対して、横串を通すのが、「事務局」としての情報部門だ、という仕立てです。

こういう構成の本は珍しいようですが、BOMという多面的な基準データの全体像を理解するには、適切だったようです。

今回ご縁があって、大興電子通信さんから、同社のWebメディア『DAiKO+PLUS』で、BOMに関する連載記事を書いてもらえないか、という依頼を受けました。そこで、部門単位の視点を保ちつつ、上述のような新しいトピックを組み込んだ上で、読みやすい長さの記事を書くことにしました。全部で11章(「はじめに」を含むと12セクション)です。これを、6月から毎週1記事ずつ、掲載していただくことになりました。

なお、大興電子通信さんは、<部品表中心の生産管理システム>『rBOM』という、とてもユニークなソフトウェア・パッケージを開発販売されています。ただし、わたしの記事はとくにrBOMについては触れていません。宣伝目的ではなく、あくまで一般的なBOMの解説記事として書きました。

記事はPDF形式で提供され、登録ユーザがダウンロードできます。よろしければ、ぜひ、お読みください。ちなみに初回のイントロは、こんな風です:


はじめに 〜 今、なぜBOMが問題なのか
最近、「データ・ドリブン経営」という言葉を、ときどき耳にするようになりました。「製造業DX」について語る人も、増えてきているようです。そして「スマート工場」という用語も、もう何年も前から話題になっています。

これらの言葉が実際に何を指すのかについては、必ずしも意見が定まっていません。ただ共通するのは、これからの製造業ではデータが非常に重要になる、ということです。
もちろん、製造業がこれまで、データを無視してきた訳ではありません。設計図は今や、多くがCADデータでしょうし、製造指図も生産実績も、多くの企業では生産管理システムの中に、データとして記録されているはずです。品質検査記録から、サプライヤーとの発注・入荷、製品の出荷実績に至るまで、ほとんどは手書き伝票でなく、情報システムで管理しているでしょう。

ならば、なぜ今更「データが大事」という標語が叫ばれるのでしょうか。

こういうケースを考えてみてください。顧客からある日、納入した製品に関する品質のクレームが入りました。一大事です。品質検査記録を調べ、納入製品が、どの製造ロットに属しているかを、さかのぼって確定しなければなりません・・・


以下はぜひ、サイトでダウンロードしてご覧ください。記事は毎週水曜日に更新されます。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2022-06-03 22:06 | サプライチェーン | Comments(0)

『アンチToDo』リストのすすめ

前々回の記事「その時間の使い方は投資? 営繕? それとも価値創出ですか」で、わたしの個人的タイムシートはToDoリストと一体型だ、と書いた。ところで、わたしのそのツールはもう一つ特徴がある。それは、『アンチToDo』リストの機能ももっている点だ。

アンチToDoリスト』とは何か。あまり聞いたことがない人も多いと思うが、それはタスクの優先順位の決め方に関連している。

言うまでもなく、ToDoリストには、タスクの優先順位のカラム(欄)が必要だ。リストには自分が今現在抱えているタスク、すなわち、やらなければならない仕事が並んでいる。一度にできることには限りがあるから、当然ながら優先順位づけが大事になる。それぞれのタスクに優先度を考えてインプットし、大きな順にソートする。そして上から順に実行する。

優先度の入れ方はABCでもいいし、数字でも良い。あまり細かく分けても実際的ではないので、せいぜい3ランク程度でいい。そのかわり、優先度は毎日評価し直さなければならない。タスクの緊急性が、毎日変わるからだ。締切の2週間前と、締切の当日とでは、当然ながら緊急度が違う。

タスクの優先順位付けを、その「重要度」と「緊急度」の二つの評価軸で考えるとわかりやすい。縦軸に重要度を取り、大事なものほど上に置く。横軸には緊急度を取り、急ぐものほど右に置く。この図は、ベストセラー『7つの習慣』の著者スティーブン・コヴィーが広めたので、コヴィーのマトリクスと呼ぶこともある。
『アンチToDo』リストのすすめ_e0058447_17532000.png
図の右上にあるのは重要で緊急なタスクだから、当然ながら優先度が高い。左下は、重要でも緊急でもないタスクだ。優先度は低く、慌てて手をつける必要は無い。問題は左上にある「重要だが緊急でないタスク」と、右下の「重要でないが緊急なタスク」の順位づけである。

「重要だが緊急でないタスク」とは、どんなものか。例えば自分が外国語の勉強を志しており、オンラインのレッスンを受けたいと思っている、としよう。ただしレッスンは今日でなくても、いつでも受けられる。これが、重要だが緊急でないタスクだ。ところが、今日中に客先に打たなければならない、事務的な連絡のメールがある。つまらない雑用だ。これが「重要でないが緊急なタスク」である。

そして、わたし達は大抵の場合、右下の緊急なタスクに追われて、時間を費やし、結果として左上の重要なタスクを後回しにしてしまう傾向がある。つまりいつまでたっても、大事と思っている勉強が進まなかったりするのである。

ここで言う重要度とは、効果の大きさと考えても良い。緊急度とは、遅れた場合に受ける罰や被害などペナルティの程度である。

だから多くの論者は、人がマトリクスの右下にかまけて、左上を後回しにする傾向を批判し、なるべく左上の優先度を上げて着手しろ、と述べる。確かにごもっともだ。

ところで、わたしの意見では、この図には第3の軸があるのだ。ただ、わたし達には、それがよく見えていない。その第3の軸とは、そのタスクを行うための感情的なコストである。もっとわかりやすく言うと、やりたいか、やりたくないかの気持ちである。コストといっても、お金でも時間でもない。ただ、「面倒くさい」「気が重い」「心配だ」「恥ずかしい」など、感情的な障害を乗りこえるための心の上でのコストだ。

そして、このコストが、バカにならない。というか、そういう感情的なコストを、普段は自覚していない。

わたし達は、感情的動物である。それも相当に、感情的な動物だ。わたし達は、好き嫌いとか、快不快とか、面白い・つまらないとかいった、あまり論理的には説明しにくい状態に基づいて、行動を決めていく。でも、わたし達は自分自身に対して見栄っ張りなところがあって、自分は理性的に判断し行動しているつもりになっている。他人にもそう説明するし、自分でもそう信じている。

図でいうと、右上の象限にある、重要で緊急なことでさえ、なかなか手がつけられない経験がないだろうか? 正直、わたしには、よくある。優先順位は高いのだ。ToDoリストでも、上に来ている。なのに、それを飛ばして、次のタスクをやったりしている。なぜか? 感情的に嫌だからだ。

たとえば、顧客に期限を延ばしてくれないかと交渉にいかなければならない。とても重要だ。そして1日延ばしたら、事態はさらに合意が難しくなる。分かってる。だが、どうしても億劫で、つまり感情的なコストが高いので、やりたくないのである。

こういう問題点に気がついたのは4年ほど前だった。以来、単に重要度と緊急度だけで優先順位を決めるのではダメだ、と考えるようになった。重要だが、感情的なコストが高いタスク、いわば『アンチToDo』をどうにか進める手立てが、自分には必要なのだ。

ただし、ToDoリストと別に、もう一つアンチToDoリストを作るのは、あまり良い考えとは思えなかった。なぜなら、やりたくないことのリストなど、そもそも見たくないに決まっているからだ。リストを見なくなったら、何のために作っているか分からなくなってしまう。それに、自分は1人しかいないのだから、ToDoリストも1つにすべてをまとめるべきだ、との方針にも反している。

リストは1つにする。そして、1日の初めには、やるべきリストに緊急度と重要度の観点から優先順位をつける。その上で、優先度の高いタスクの中で、自分が「やりたくない」と感じているものを、一つ選ぶのである。(ちなみにわたしは、優先順位には1-2-3の、3つのランクをつけている。その中で、感情的にやりたくないアンチToDoの優先度を、マイナス1に書き換える。わたしのツールは昇順でソートするようになっているので、自動的に最上位に上がってくる)

その日に選ぶアンチTo Doは、1つだけで良い。2つも3つもは、できない。そのかわり覚悟を決めて、それをやる。本当は、朝のうちにやってしまえば、その日は昼から軽い気分で過ごすことができる。だが夕方まで回してしまうことも、しばしばだ。

どうしたら、感情的にやりたくないタスクを、進めることができるのか。この数年間、いろいろ試してみてわかったことを少し並べてみよう。

まず、「やりたくない」感情を自分で認める事だ。これが出発点である。自分には感情がある。理性的な能力も少しはあるが、相当に感情的である。でもそれが多分、普通なのだ。知らぬうちに感情の奴隷になっていなければ、それで良い。

ToDoリストを運用する際には、その日にできなかったタスクを、翌日に回す。あるタスクを、5回続けて翌日回しにしたら、それは一種のアラームだと思ったほうがいい。きっと自分にとって、感情的なコストが高いのだ。

では、あるタスクが自分にとって感情的負荷の高い、アンチ・タスクだと分かったとしよう。それにどう取り組むか。

1つの方法は、それを「やる」と他人に宣言することである。「顧客に納期延長の交渉を始めます」と上長に宣言する。「外国語のオンラインレッスンを、今週始めるから」と家族に公言する。そして後戻りできないよう、自分の背中を自分で押すのである。

もう一つ大事なのは、そのタスクを小さなステップに分解してみることである。顧客との交渉なら、いきなりメールをうったり、相手のところに行って話を始めたりはするまい。交渉は準備段階が大切だ。
・まずは現在の状況に至った経緯を明らかにする。契約条件、これまでの工程、相手の注文、などなど。
・次に交渉のシナリオを考える。納期延長のメリットとデメリット、「BATNA」、落としどころなど。
・そして説明資料をまとめる。関係部署と合意を取る。
・それから顧客とアポを取る。交渉はやはりface-to-faceが原則だ。
・一度では合意に至らないかもしれない。帰ってから上司との相談も必要だろう。

……こんなふうに、大きなタスクを、最低でも4つか5つの小さなステップに分けるのである。そして一つ一つ、進めていく。

もう一つ大事なことがある。それは、1日に15分で良いから、必ず手をつける事である。小分けしたステップの1つが終わらなくてもいい。とにかく、少しでも進める。1日の終わりに、少なくとも自分は先延ばしにはしなかった、と思えるようにする。それによって得られる小さな安心感・自尊心が、実は大事なのだ。われわれは感情的な動物で、自尊感情も、自分を安定させるために必要だからだ。

繰り返しになるが、わたし達は理性で後付けの理屈をつくって説明することが上手だ。その割に、というか、そのために、というべきか、ともあれ自分自身の感情的な状態に案外、無自覚である。そのことが、わたし達の社会的な、あるいは協同的な働きを、いつも難しくしている。

そのためにはまず、自分の感情的な状態について検知する姿勢が大切だ。そういうタイミングをつくる。朝一番でも、夜のふりかえりでもいい。また、そのときは「身体」というセンサーも、案外、役立つ。どきどきしているとか、喉が締め付けられるようだとか、胃が重いとか、頭が痛いとか。予兆程度でも、気づけるようになった方が良いと思う。

そしてまた、「我にかえる」ことが大切である。よく職場などで対立的な議論、言い合いになり、頭に血が上ることがある。あと先を忘れた状態だ。だが、その時ふと、我にかえることができれば、少しはのぼせが冷めて、議論も視野が広がる。

ToDoリスト、タスクリストは、「やらなきゃならないこと」のリストである。だがわたし達には、「やりたくないこと」も少なくないのだ。もちろん、やりたいこと・楽しいことだけやって、お金もやりがいも手に入るのが理想ではある。

でも感情というのは色彩と同じで、一様に見えても細かく寄ってみると、いろいろな色が混ざり合っているものだ。全体として「楽しい」ことだって、細かく見ると「面倒な事」もいろいろ混ざり合って、できあがっている。その面倒な事につっかかって、やりたい事の全体のバランスが失われないよう、アンチToDoとのつき合い方を磨かねばならないのである。


<関連エントリ>
   (2022-05-12)
   (2015-09-30)


# by Tomoichi_Sato | 2022-05-28 18:07 | 考えるヒント | Comments(0)