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『月を売った男』に学ぶ、設計とマネジメントの分業

  • 月を売るとは

久しぶりに(たぶん何十年ぶりかに)、ロバート・A・ハインラインの『月を売った男』を読み直した。1953に書かれた本作は、20世紀米国を代表するこのSF作家の、初期の代表作である。

そして、『月を売った男』こそ、ビジネスとマネジメントの本質を理解したい人にとって、いや、少なくとも米国のビジネスを知りたい人にとって、必読の書だと、あらためて感じた。もしあなたが米国企業と一緒に仕事をしようとしている立場の人なら、世のビジネス書を差し置いて、真っ先に読むべき本である。

ハインラインは「未来史」と呼ばれる独自の史観に沿って、多数の作品を発表している。日本ではおそらく『夏への扉』が、一番人気の高い作品だろうと思う。わたし自身は『月は無慈悲な夜の女王』がもっとも好きだ。主人公が自らの才覚を駆使して、世の荒波を乗り切っていく、というのが米国好みのストーリーだ(これに対し、身分制社会を経験した欧州は、人生をもう少し複雑ととらえている)。ハインラインは、このアメリカ流の王道を行って、しかも科学技術自体がキラキラした光を発していた20世紀中盤の空気感をとらえて、力強い。

『月を売った男』自体は中編である。D・D・ハリマンという主人公の実業家は、自分が月に行くという夢のような計画(小説の書かれた1953年にはまだ宇宙飛行自体が実現していなかった)を実現すべく、それに必要な資金と人材を、あらゆる手段を使ってかき集める。そのために、月に関わるあらゆる権利やリスクやらを、世界中の利害関係者に「売って」いく。前半の白眉は、この部分だ。

ハリマンは無論、月ロケットの設計と建造も並行して進める。その仕事のために、優秀と評判の技術者ボブ・コスターを雇って、ロケット基地に送り込む。この後、この小説では、プロジェクト・マネジメントの観点でとても印象的なエピソードが入る。

  • 経営者はエンジニアをどう遇したか

ハリマンは、雇ったコスターのロケット設計の進捗が遅れているときく。そこで自ら基地に乗り込んで全体を見て回り、それから技師長の机で書類の山に埋もれているコスターに向かって、こうたずねる。(以下、拙訳でご紹介する)

「君は仕事で組織のトップになったのは初めてかね?」コスターは、ちょっとためらってから認めた。

「月ロケット現場を成功に導けるエンジニアは君だと、あのファーガソンが信じたから君を雇ったんだ。(中略)だが、トップとしての管理の仕事は、設計とは違う。(中略)この頃、ちゃんと設計の仕事はできているかい?」

「やろうとはしているんです。」コスターは図面を広げたもう一つの机を指差した。「あっちで、夜遅くに仕事しています。」

「そいつは良くないな。エンジニアとして君を雇ったんだ、ボブ。今のこの組織は間違っているよ。各部署は活発に動いてなきゃいけないのに、動いてない。そして君の部屋こそシーンとしているべきだ。だが、君の部屋ばっかりやかましくて、各現場は墓場みたいだ。」

「わかってます。なんとかしなきゃならないんですが、私が技術的な問題に取り組むたびに、どこかの阿呆が、トラックだとか電話回線だとか、あらゆる雑用について、決めてくれと言ってくるんです。すみません、ハリマンさん。自分でなんとかできると思っていたんですが。」

ハリマンは優しく言った。「そんなことに揺さぶられちゃだめだ。このごろよく眠っていないだろう?(中略)君の頭脳は、反作用ベクトルとか燃料効率とか応力設計を考えるはずで、運送契約なんかに使うべきじゃないんだ。」
(そしてハリマンは本社に電話する)「ジム、お前の部下のジョック・バークリーはいるか? 今抱えている仕事を外して、すぐにこっちに来るよう言ってくれ。」

(中略、その当人が到着する)「ボブ。ジョック・バークリーを紹介しよう。彼は君の新しい直属の部下だ。君はチーフエンジニアとして、組織のトップであり続ける。ジョックは他の雑用を引き受ける摂政殿下だ。これからは、月ロケットの細部の問題以外、君は何にも煩わされる事は無い。」

2人は握手する。「コスターさん、1つお願いがあります。」バークリーが真面目にいった。「あなたは、技術的なことに集中しなければいけないのですから、私をバイパスして誰に連絡してもらっても構いません。ただ、お願いですから、何が起きているかは、必ず私にもわかるようにしておいてください。(中略)それから、技術的なこと以外で何か必要なことは、決して自分でやらないでください。マイクのスイッチを入れて口笛を吹けば、後は全部、私がやりますから。」

バークリーはハリマンの方を見た。「じゃあ、ハリマンさんはあなたと本当の仕事について話したそうですから、自分は失礼して、雑用に務めます。」

ハリマンは椅子に座った。コスターも腰掛けて「ひゅう」と言った。「どうだ、気分は良くなったかね?」

  • 技術とコマーシャル(ないしビジネス)の分業

さて、ご存じかも知れないが、欧米流のビジネス慣習では、仕事は「技術面」Technicalと「商業面」Commercialに分けられる。国際入札では、提案書は「技術提案書」Technical proposalと、「商業提案書」Commercial proposalを、分冊にわけて入札するのが普通だ。前者は成果物の仕様とか図面、そして実装方法といった技術面の提案説明からなる。後者は見積価格とか納期とか役務分担など、お金と契約に関わる事がかかれる。

両者は提出の締め切り日も違う。先に技術提案書を出して、入札審査に合格しないと、商業提案書を受け取ってもくれない。関わる部署も異なる。前者に関わるのは技術部門で、後者に関わるのは、財務・法務・営業・調達といった(日本風に言えば「事務屋」ないし「文系」の)部門だ。

この後者に関わるような仕事の面を一般に、commercialと呼ぶ。これをカタカナになおして「コマーシャル」と言ってしまうと、TV広告のような全然別のものを指してしまうので、やむなく「商業」と訳しているのだが、これも無理な訳語だ。

でも、上で紹介した『月を売った男』のバークリーが、技術者コスターから引き取った仕事こそ、まさにこのCommercialな業務だった。

ところで、この物語のポイントは、全体のボスであるハリマンが、技術者コスターの下に、事務屋バークリーを置いたことだ。通常のやり方では、あるいは日本の我々の常識では、お金や契約を握っている人間は、技術者の上に立って、技術者を「管理」することになる。だがハリマンは、いや、作者ハインラインは、通常とは逆の配置にした。その方がより機能することを知っているからだ。

なぜ逆の方が、より機能するか。それは、月ロケットの設計が、技術開発的な要素の強い仕事だからだ。技術開発と言うのは、ある意味、問題解決の連続であって、最初にきちんとしたプランが立てにくい仕事だ。全体の予算枠はあるだろうが、何にどれだけお金を使い、どこを節約できるかは、技術的な問題解決がかなりを左右する。

逆に、列車の運行や、役所の窓口業務のように、計画があって、なおかつ、仕事が比較的精度高く、コントロールできるようなタイプの業務では、技術者が左右できる範囲は少ない。そうした分野で組織を作れば、常識の通り、財務家が技術屋の上に来るようなスタイルになるのだろう。欧米企業で、本社の財務部門が強いのも、財務に明るいMBAが出世コースなのも、そうした背景があるからだ。

ちなみに『月を売った男』のバークリーのように、組織のトップではなく、トップに対するスタッフ的なポジションにある場合、これをBusiness Managerといった職名で呼ぶことが多い。これも翻訳しにくい用語なので、我々の業界では仕方なくビジネス・マネージャーとカタカナで表記している。まあCommercialもBusinessも、この文脈では似た意味である。

  • マネジメントとは雑用の集合である

「腕の良い技術者が何よりも頭にくるのは、小切手帳を持ったぼんくらが、ああやれこうやれと仕事の指図をすることです。」という台詞も、『月を売った男』には出てくる。作家ハインラインは、技術開発に起こりがちな問題を、よく洞察していた。だからこそ、技術者の下にビジネス・マネージャーを置く布置にしたのだ。

仕事が大きくなると、分業していくのが効率的である。プロマネの仕事もそうだ。技術者コスターは月ロケット製造プロジェクトのトップ、すなわちプロマネだ。そして彼の一番能力を発揮する仕事は、技術開発だった。それ以外は、彼にとって雑用だった。それは分業して、誰かに受け持ってもらうのがいい。

「雑用」とは何か。それは当人にとって、必要ではあるが、自分の価値につながらない仕事という意味である。したがって、何が雑用であるかは、その人によって違う。

財務マンから見たら、予算管理は雑用ではない。法務マンから見たら、運送契約は雑用ではない。どれもプロジェクトを成功に導くには必須の仕事である。だが、設計主任技師のやるべき仕事ではない。だから、作者はコスターの仕事から、こうしたビジネス・マネジメント的な業務を抜き出して、バークリーに分業させたのだ。

何が雑用かは、その人の見方によって違う。つまり「雑用」とは、客観的なカテゴリーではないのである。逆にいうと、他者は雑用と感じているが、自分にとっては能力発揮の場と思える仕事は、そうしたニーズを満たすことで価値にかえることができるのだ。

わたしの働くエンジニアリング業など、その典型かも知れない。我々の顧客は、要するにプラントの産出する製品やエネルギーが欲しいのであって、プラントを作り上げるまでの果てしなく煩雑な手順など、あまり優先度が高くない。だからそうした雑用は、それを得意とするエンジニアリング会社にアウトソースする方が、ベターだろう。少なくとも米国企業はそう考えたから、エンジ産業は米国発なのだ。

これに対して、極東に位置するわたし達の社会では、どうしてもマネジメント=「人の上に立つ」という理解が強い。儒教的な伝統から来た思想なのかも知れない。そしてまた、「理系と文系とどちらが上か」といった二分法的議論も、好きな人が多い。だがそれこそ、資本主義が続く限り、金を握った文系職種の方が上に立って管理する、という思考になりやすい。

繰り返すが、それは定常業務ではなりたっても、非定常性の強い技術開発的な分野ではうまく機能しない。また、非技術的な(ビジネス・マネジメント的な)役割を分業して、トップの下にスタッフとして置くやり方もあるのだ。マネジメントというのは、地位の上下ではなく、役割分担だ。そしてわたし達はもうそろそろ、2千年前の儒教的な思考を抜け出しても良い頃だと思うのである。


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# by Tomoichi_Sato | 2023-02-06 11:53 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

恵方巻きとB2Cビジネスの混沌

  • 節分の憂うつ

今年も節分が近づいてきた。何だか年を経る毎に、1月の過ぎるのがあっという間に感じられるようになってくる。

ところで、もう10年以上前から、節分になると「恵方巻き」を方々の店で売るようになった。しかも、この宣伝を始めるタイミングが、毎年だんだん早くなっている。最近では、まだ年が明けて松の内なのに、コンビニでは恵方巻のポスターが、「年賀状あります」の張り紙の横に並ぶようになった。

わたしはこの、松の内の恵方巻の広告を見るたびに、なんだかせわしなく感じて、疲れるのである。そして、B2Cビジネスで働かなくてよかった、とつくづく思ってしまう。お節料理と年賀状の次は、恵方巻と節分豆。その次はバレンタインデーのプレゼント。さらにその次は桃の節句。そして卒業式と入学祝い・・。こうして、季節ごとに次々とイベントを打ち、新しくヒットしそうな商品を並べ、その売れ行きに一喜一憂する。そういうビジネスに、自分はとても耐えられそうにない。

もちろんこれは個人的趣向を言っているだけで、B2Cはつまらない商売だとか、恵方巻は嫌いだとか批判してるのでは、もちろんない。単に、わたしは他人の頭の中を読むのが苦手なのである。特に論理ではなく、他人の感覚的な好き嫌いを、推測するのがとても下手なのだ。
もちろん、感覚的なことが好きで、他人の気持ちを読むのが上手な人は、どんどん新しい商品の企画を作って、ヒットを狙えば良い。ヒット商品とブームこそ、B2Cビジネスの花形だ。一発当たれば大きく儲かる。急成長もできる(最近では「エクスポネンシャルな」成長ともいうらしい)。

  • AIは機械の価格を予測できるか

ところで話は、(いつものことだが)ちょっと飛ぶ。昨年、ある方と「AIを使って商品の価格予測ができるか」について議論になった。その方はAI技術者だが、わたしと同じくプラント系の出身である。データ・サイエンティストとして、最新の機械学習技術を駆使し、プラント分野の熱交換器の価格を、そのスペック(仕様)から推定しようと考えておられた。

熱交換器という器械は、原理的には単純だが、非常に幅広い分野で用いられる。家の冷蔵庫も、空調もカーエアコンも、熱交換器を使う。プラント分野でも多用する。

ことにプラントでは、その熱交換の要求量(Heat duty)と、流れる流体の種類、そして運転温度と圧力に応じて、サイズも材質も構造も多種多様な熱交換器を、毎回個別に設計し、製作して据え付ける。いちいち設計して、製造業者に引き合いをしないと、価格も見積もれない。おかげでプラント・エンジ会社の予算計画の手間を、非常にくってしまう。

そこで、熱交換器の基本的なスペック値を与えたら、すぐに重量と価格を推定するシステムを作れば、かなり価値があろう、というのがその方のねらいだった。実際、予備的な分析で、重量はそれなりに予測可能であることが見えていた。

しかし、わたしは言った。「重量の推定は可能だし、設計情報としても有用でしょう。しかし、価格の予測はやめた方が賢明です。少なくとも、わたしは期待しません」

相手は当然、反論してきた。「プラント用熱交換器は金属のかたまりなので、価格の大きな部分は重量、すなわち材料費に支配されるはずです。」

わたしは答えた。「だからこそ、価格を計算するためには、地金の単価を予測する必要があります。しかし、もしAIにそんなことが可能なら、ロンドン金属取引所(LME)の素材価格が予測できる事になり、相場で大儲けできるでしょう。熱交の価格推定なんかより、ずっとましですよ。」

でも現実には、どこぞのAIベンチャーがLMEの価格を支配した、なぞとは聞かない。それは、AIに相場価格が予測できないからだ。技術は進歩するから、将来も絶対に不可能だと断言するつもりはない。ただ、現時点では難しいのだ。難しいのには、理由がある。

  • 市場価格とボラティリティ

自由市場では、価格は対数的なランダムウォークをたどる。これは確か、ノーベル賞経済学者サミュエルソンが証明したんじゃなかったか。そしてランダムウォークは、平均値の周りに正規分布になる。突飛な事は滅多に起こらない、というのがその意味だ。

ところが現実には、希にだが突飛なことが、市場では起きるのである。1998年8月のアジア通貨危機による暴落は、リーマン後の我々が見ると、まだカワイイもののように記憶しているが、あのような変動が起きる確率は、ランダムウォーク理論から言うと10万年に1度しか起きない現象だった。

フラクタル理論の提唱者であるフランスの数学者マンデルブロは、著書『禁断の市場』で、金融市場における価格の性質を説明し、「価格の予想は無理と思え、しかしボラティリティなら予測可能だ」と言っている。ボラティリティとは、価格の暴れ方の指標である。

市場価格はなぜ、アバレるのか。それは、単純な消費量と供給量だけではなく、値段の上下に関する思惑が、売買の量に影響するからだ。ある商品(株式でもいい)の価格が上昇基調にあるとする。すると売買で利ざやを得ようとする買い手が集まってくる。そのため、ますます価格が上がっていく。他人がその株の値上がりを期待すると、自分も買うことが合理化される。このように、集中強化現象が起きるのだ。もしこれが逆に働くなら、価格は一定水準の回りを安定的に上下するだけだろう。だが、ここには原因と結果の一種のループが生じて、これが不安定性を生み出す。

このプロセスは、化学でいう一種の自己触媒反応だと言ってもいい。自己触媒反応とは、A→Bという反応があるとして、その生成物であるBが、反応自体の触媒の役目を果たすケースだ。Bができると、それが反応速度を速めるから、さらにBができる。こうして反応に加速度がついていく。フラスコ内の化学反応では、原料がなくなったり、化学平衡に達したら、系は落ち着く。だが大きな市場のように外部から供給が続く流通系では、ボラティリティは簡単にはおさまらない(ついでながらボラティリティとは元々、揮発性を意味する化学用語だ)。

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  • AIと博打とB2Cビジネス

価格のボラティリティーが大きくなると、そこには一種の博打性が生じる。そして博打は、一攫千金の夢を与えるから、多くの人を惹きつける。博打という言い方が物騒に聞こえるなら、「賭け」という言葉に置き換えてもいい。

一部のB2Cビジネスがヒット商品やブームに傾斜するのは、「一発大儲け」の夢があるからで、それはボラティリティの高い賭けということになる。わたし達の社会は、'87年〜'95年頃までの「バブル時代」で、ボラティリティの魔性に、ずいぶん引き寄せられた。それまでの産業界のコツコツ真面目文化が、あの数年間で賭けの文化に変貌したといってもいい。

バブルは短期間で崩壊し、その後はずっと不況の時代が続いている。だが、産業界を牛耳る人びとのものの考え方は、元に戻っただろうか? 希望のない社会では、人々は夢を見るしかなくなるので、じつは無意識に博打に傾斜しがちなのではないか。

株式投資も、ヒット商品狙いも、SNSでの「いいね」集めも、ボラティリティの高い世界での一種の賭けであると考えられる。こうした行為には「博打」というレッテルは貼られていないから、メディアは安心して後押しをする。メディア自体が、注目ニュースというボラタイルな夢をつねに追いかけるビジネスだ。

そしてAIベンチャーもまた、ボラティリティの高いビジネスだと言っていい。

実を言うと、現代のAI(つまり機械学習)は、B2Cビジネスと相性がいい。B2Cは、消費者という形で、多量のデータ源を持つからだ。機械学習は学習データの量が、なんといっても判別や予測精度の基礎になる。Googleが10年前に、猫の写真を深層学習で判別したとき、1千万枚の写真をデータとして使った。今はもっとずっと効率は良くなっているが、それでもデータ数が多いに越したことはない。

(余談だが、これに比べると、幼児がほんの数例の猫の実物を見て、猫というカテゴリーを学習できる能力は驚異的である。人間がなぜ、少数のサンプルから、一般的カテゴリーを引き出せるのかは、「プラトンの問題」と呼ばれ議論が続いているが、まだ未解決だ)

現代のビジネス界では、GAFAが巨人として君臨しており、メディアも畏怖しつつ動向を注視する。そのGAFAは、GoogleもAppleもFacebookもAmazonも、一般消費者向けのB2Cビジネスを基盤としていることに注目してほしい。B2Cだからこそ大量のデータを集めて経営のレバレッジに利用できたし、そもそもB2Cだからこそ企業として急成長できたのだ。

だが、日本においてビジネス界の大多数のプレイヤーは、B2Bの分野にいることを忘れてはなるまい。B2Bビジネスはヒット商品とかブームのでにくい、ボラティリティの低い世界だ。そして顧客数が少ないので、マーケティングにAIを適用するのも困難だ。

B2CとB2Bは、このように様々な部分で性質が異なっている。それなのに、メディアやネットでは、知名度の高いB2C企業の事績紹介が主流である。だが、データの量と深さと質が根本的に異なる両者では、いわゆるDXなる取組も、まったく異なる性格のものになるはずであろう。その点を、多くの論者は忘れているように思う。

ちなみにボラティリティの大きな、博打の横行する社会では、情報のコントロールが何よりも重要になる。情報によって、人を惹きつけることもできるし、他人の裏をかくこともできるからだ。このように、わたし達の社会は、情報をコントロールして他人を誘導し、囲い込む力が非常に大きくなるリスクを抱えている。現代では情報コントロールこそ、重要な権力なのだ。

今年の恵方は丙の方角、すなわち南南東だそうだ。そこには幸い、太平洋が広がっている。黒潮の大きな流れに思いをはせつつ、わたし達が偏った情報の網に囲い込まれないよう、春の平安を祈ろう。

<関連エントリ>
→「B2B企業にイノベーティブなITは可能か」 https://brevis.exblog.jp/24666585/ (2016-09-18)



# by Tomoichi_Sato | 2023-01-31 16:43 | ビジネス | Comments(0)

プロジェクトは不安定性な存在か

  • PM教育に関する、二つの問い

プロジェクト・マネージャーの教育について、ときどき社外の方から相談を受けることがある。こうしてプロジェクト・マネジメントについてBlogで書いたり、あるいはPMをテーマとした研究部会を主催したりしているからだろう。「社内のプロマネをどう育成したら良いか」だとか、「ちゃんとPMの方法論を勉強したいのだが、PMBOK Guideを読むだけで良いのだろうか」といったご相談である。前者は主に、社内のPMO的な立場の方が多く、後者は個人単位の自己啓発を考えておられる方だ。

前者のような問いに対するお応えの仕方は、様々なパターンがあり、ときには先方の社内研修などを引き受けることもある。後者のような問いだったら、たとえば「基礎知識として、PMBOK Guideくらいは一応お読みになってもいいと思いますが」とは申し上げている。

だが、PMの勉強としてPMBOKで十分かというと、答えはNOだろう。PMBOKは教科書風の第6版 にせよ、かなり改変され簡略化された第7版にせよ、あらゆる種類のプロジェクトに適応可能なように、非常にジェネリックな記述をしてあるため、自分の仕事に展開応用するには、カスタマイズのための知識が必要だ。

それに、率直に言うが、プロジェクト・マネジメントというスキルを身につけるには、本を読んで知識を得るだけでは足りない。自分で考える訓練が必要で、だからPMPの資格試験でも実務経験を必須としているのだ。

  • 学びに必要な時間と期間

当たり前だが、マネジメント業務の中核には、決断を下す、人を動かす、問題を解決する、などの仕事がある。だから意思決定能力、コミュニケーション能力、体系的な思考能力などが必須になる。これらは良い先生や手本となる人について学ぶ方が良い。

ということで、個人的な学びに対しては、このサイトでもときおり告知している、日本テクノセンターや浜松ソフト産業協議会主催の、有償セミナーなどをご案内することもある。1日ないし2日間のコースだ。でもわたし自身としては、より多面的に、かつインタラクティブにすすめるために、もう少し時間がほしい。大学のPM講義では1学期間・全15コマ(1コマ90分)を教えるが、本音ではそれくらいのペースが必要だと思う。

ちなみに、わたしが静岡大学でプロジェクトマネジメントの講義をはじめて、今年で7年になる。教えているのは大学院・総合科学技術研究科工学専攻の「事業開発マネジメント」コースである。

このコースは通称、MOT (Management of Technology=技術経営)と呼ばれる学科で、言ってみれば『理系向けのビジネススクール』のような位置づけのカリキュラムになっている。同様の学科は全国の国公立・私立大学に20あまり存在し、その多くが2000年代に設置されたものだ。

文化系のビジネススクールと同様に、MOT学科は主に社会人向けの大学院という位置づけであるため、土日や平日夜間の授業が中心になっている。わたしの「プロジェクト・マネジメント」科目は、1学期分・15コマだが、浜松キャンパスまで平日夜に毎週通うことは難しいため、月1回・土曜日に4コマを集中講義するスタイルで行っている(秋学期で10月〜1月までに4日間、最後の日だけは3コマ分)。

受講生の多くは社会人なので、講義する側も楽しい。わたしはこれまで、法政大学の学部3年生と、東京大学の大学院生に対しても、1学期間のPMを、それぞれ10年近く教えた。それはそれで面白かったが、学生や院生は、人と一緒に働いた経験が少ないし、その苦労もあまり知らない。でも社会人を2年でも3年でも経験すると、プロジェクトがずっと身近な問題と感じられるようになる。なのでPM能力の必要性も、身にしみて分かる。

学びの場において大切なのは、同じ意欲や問題意識をもった仲間の存在だ。何かを勉強すると言っても、社会人の場合は忙しいし、費用面の制約もある。だから仲間がいる方が、ずっと脱落しにくくなるのだ。そして、教える方もずっとやりがいが出る。

  • プロジェクトの不安定性について

先週末は、静岡大学での今年度の最後の講義日だった。そこで受講生の方と議論したトピックを一つ、紹介しよう。まさにちょうど、PMBOK Guideがカバーしていない論点であった。それは、プロジェクトの安定性に関することだ。

プロジェクトは、意思決定の連続である。プロジェクトの始まりの日から完了の日まで、プロマネはたえず、様々な決断を迫られる。設計はAでいくかBにするか。ツールはXを選ぶかYにするか。発注先はN社がいいかM社がベターか。客先に追加を要求して揉めるべきか、我慢して見かけは平静な関係に続けるべきか・・

一つひとつの決断において、分かれ道があり、結果がプラスになったりマイナスになったりする。プロジェクトの採算を指標にした場合、黒字が増えたり減ったりする。それは言ってみれば、沢山の分岐のあるネットワークを通過していくようなものだ。あるいは、もっと卑近な例にたとえると、パチンコの玉が、並んでいるピンの列の間を、左右に転がり落ちていくようなイメージかもしれない。

しかし、だとすると、プロジェクトの結果というのは、ある平均値の回りに、適度な分散を描く正規分布的な形になりそうなものである。ななめの格子状に並んだピンにパチンコ玉を上から落とせば、結果はそうなる。左右の分岐確率に違いがあっても、二項分布になるはずだろう。

ところが、実際にはそうならないのだ。わたしは勤務先で、プロジェクト・マネージャーが毎月出してくるMonthly PM Reportをレビューする仕事を何年もやったが、むしろ、プロジェクトは良い方とわるい方に、二極分化していくのである。

良い方のプロジェクトは、レポートを見ると、先月はこんな風に客先と合意できた、翌月は発注先も適切なところを選定できた、翌々月は設計が予定より早く終わりそうだ、という具合に、良い出来事の報告が続いていく。

ところが、逆のパターンもある。まずいプロジェクトでは、先月も客先から強引なクレームをもらった、翌月はサプライヤーの品質でトラブルが起きた、翌々月は現場への動員が予定より遅れた、という具合に、苦しいことばかりが続くのだ。こうなると、レビューする側でさえ、PMレポートを開けるたびに、ため息をつくことになる。

  • 現在のモダンPM論に足りないもの

その仕事を続けるうちに、わたしは、プロジェクトとは山上のボールのようなものだと、感じるようになった。谷間に置いたボールは、左右どちらの方向から力を受けても、元の位置に戻るような性質がある。安定なのだ。しかし、山の上に置いたボールは、左右どちらかからちょっとでも力を受けると、逆の方向に転がり、いったん転がりはじめると、その方向に加速度をつけて進んでいく。
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プロジェクトも同じだ。良いプロジェクトは良い結果の方向へ、まずいプロジェクトは困難な結果の方向へ、二極分化していく。不思議なことに、PMレポートには、今月は良い、翌月はまずい、翌々月は良い、という風に、良し悪しの間を行き来するものは無かった。どちらかに偏っていくのだ。

これはつまり、プロジェクトという対象が、制御工学的なダイナミクスの点では、不安定であることを示す。では、どのようなメカニズムで、それは不安定になっていくのか。安定にするには、どうしたら良いのか。今のところ、このような観点からプロジェクト・マネジメントを論じた研究や指南書は、見た記憶がない。もちろんPMBOK Guideにだって、書いてはいない。

わたしの勤務先では、IT Grand Plan 2030という長期的なIT技術開発のロードマップを発表している。その中では、「プロジェクトデジタルツインの構築とシミュレーション(将来予測) 」という項目も、目指すべき目標として謳っている。これはつまり、プロジェクトのシミュレーターを作って、その着地点(完了期日と完成コスト)を予測しようという構想だ。ちょうど台風の進路予報のように、プロジェクトの経路と着地点を予測する。ただしそれは台風の予報円のように、幅を持った予測になるだろう。

これを実現するには、プロジェクトのダイナミクスを予測できるためのモデリングが必要である。そして、それはプロジェクトの本質的な不安定性も、再現できなければならないはずだ。

だが今のところ、PM分野における着地点予測手法は、EVMS的なモデルがベースにあるから、基本的に確定的なものだ。せいぜい、ちょっと乱数シミュレーションを付加した程度のものである。こんなモデルを何万回動かしたしたところで、平均値の回りに正規分布する安定な結果しか出てこないのは、見えている。

おわかりだろうか。現在のPM論には、何か大事な部分が欠けているのである。
材料科学に携わる人たちは、「第一原理計算」という方法論を使う。これは固体の性質を、量子力学の原理(波動方程式)に基づいて計算する手法である。あいにく、PMの世界には、まだ第一原理も、そのダイナミクスを表す方程式も存在していない。

プロジェクトは人間同士の営みであり、数理モデルが万能だとは思わないが、それでも参考にはなる。わたし達がプロジェクト・マネジメントに悩むとき、そして世の中の知識体系や教科書を勉強しようと志すとき、じつはまだ、これは第一原理さえ確立していない分野なのだ、と肝に銘ずるべきではないだろうか。


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# by Tomoichi_Sato | 2023-01-24 06:14 | プロジェクト・マネジメント | Comments(2)

アートと科学、その配合の妙

  • あなたの思考は論理的か

エンジニアとは、考える仕事である。わたし達にとって、思考は仕事の中心プロセスであり、一番大事な商売道具である。である以上、自分の思考は有用で、正確で、かつ効率的であることが望ましい。知識労働者たるべきエンジニアが、肉体労働だとか、果ては感情労働(上司や顧客や仲間との感情的なフォロー等)について忙殺されているとしたら、嘆かわしいことだ。

とはいえ、わたし達が仕事で、とくに設計で行う思考は、ちゃんとすべて論理的だろうか。

この問いに答えるには、当然ながら「論理的」とは何かが、明確になっていなければならない。論理的とは、数式の展開計算のように、あるいは記号論理の真理値表のように、確実に正しい方法論に従う手続きを進める事だろうか?

思考には、一般に二つのモードがあると言われている。演繹(deduction)と帰納(induction)である。演繹とは、前提から結果を導き出す事で、帰納とは気づき・発見のことである。「人は全て死す、故にソクラテスもプラトンも死す」と推測するのが演繹で、「ソクラテスもプラトンも死んだから、人は皆死ぬのだ」と推論するのが帰納である。

この二つの単語の語源は、どちらも「ducere(導く)」から来ている。接頭辞のin-は入る方向、de-は離れる方向を示す。つまりinduction とは知識を導き入れる事、deductionとは知識を導き出す事を意味する。

もっとも、中山元の「思考の用語辞典」 によると、帰納の方が演繹よりも弱い推論だ、という。たとえば、ウィトゲンシュタイン(元はエンジニアだった)はこう言う。「太陽が明日昇るだろうと言うのは仮説である。太陽が昇るか昇らないかを、われわれは知らないからである」(「論理哲学論考」 6.36311節)。まあ厳密にはそうかもしれないが、でも十分なエビデンスがあれば、推論は普通、それなりの説得力をもつ。

いずれにせよ、論理性とは真であること、整合性(無矛盾であること)を重んじる。つまり真を重要な価値とする。では、このような真理を追求する方法と知識を専門的に磨いているのは誰か? 答えは科学者たちである。科学者は真理に仕える。彼らは確実で、正しいことを言うことが求められる。科学研究の論文で、根拠レスなあやふやな主張を自信満々述べることは許されない。

したがって科学的知識・能力は、思考の正しさを保証する、ということになる。科学が技術の基礎であるとは、そういう意味でもあるのだ。

  • エンジニアの頼るべき基礎は科学だけか?

ところで、本当にエンジニアが思考能力を磨くためには、科学を勉強していればいいのか。わたしが受けた工学部の教育は、そういう考えで出来上がっていたように思う。と言う事は、科学こそが技術とイノベーションの母である、と言えるのだろうか?

ついでにいうと、政策立案の分野では、科学と技術はよく、「科学技術」と一緒に表現される。この表現にも、わたしは、かねてから違和感があった。科学と技術は、相当に別物ではないか。

国の政策立案の中心部にいる人たちは、「科学技術」の振興が成長をうながすと考えているらしい。より具体的にいうと、研究開発に公的予算を投じれば(それも有望な最新分野と有能な研究者達に集中的に投じれば)、必ずやイノベーションを通じて、経済成長に貢献するはず、という信憑があるようだ。内閣府の戦略的イノベーション創造プログラムなどは、その代表例であろう。

だが、繰り返しになるが、エンジニアとしての実感から言うと、科学と技術は別ものである。技術では、科学的に真であること以上に、役に立つこと=有用性が求められる。科学的に証明されていなくても、経験的に裏付けられていれば、それを使うのがエンジニアだ

例えばアスピリンと言う薬がある。19世紀末にバイエル社によって発見され、鎮痛解熱作用があるので広く使われてきた。しかしこの薬がなぜ効くのか、その作用機序については、70年近く謎だった。科学的には謎でも、医師たちは処方してきた。臨床を預かる医師たちには、エンジニア同様、真であるよりも、有用性の方が大事なのだ。

  • 良い設計=デザインは、アートと科学の配合である

話を少し戻すが、エンジニアの一番大事な仕事は設計である。では、良い設計をするためには、論理的な思考、科学的な訓練だけで充分だろうか。

よく、優れた設計能力を持つ同僚などを表して、「あの人はセンスが良い」などと表現する。ここで言うセンスとは、何なのか。あなただったら、「論理的で正確だ」と言われるのと、「センスが良い」と褒められるのと、どっちが嬉しいだろうか。

設計がどんな行為であるかについては、すでに以前、「設計とはどういう行為か、AIで設計を自動化できるか?」で論じた。設計とは、『機能を形状・構造に落としこむ』作業である。 設計対象に可動部分があったり、対象が入力を出力に変換する仕組み(システム)である場合は、その構造に、制御機構を与える作業が続く。

そして設計は、逆問題でもある。普通の問題(順問題)は、与えられた構造から、その性質や振る舞いを予測する。しかし、仕様で与えられた性質や振る舞いを示す構造とはどんなものかを考えるのが、逆問題である。

ジェームズ・ワットの蒸気機関は、その良い例だろう。それ以前に使われていた、ニューコメンの蒸気機関は、温めたり冷やしたりを繰り返すために、間欠的な動作しかしできなかった。ワットは連続して効率よく動く蒸気エンジンを作りたかった。そのために蒸気を温める部分と冷やす部分を分離し、かつ、遊星歯車や遠心調節器の機構を開発した。

彼のこのような発明は、演繹や帰納といった、論理的思考の結果だろうか? どこか、試行錯誤で発見的・探索的ではないだろうか? 

もう一つ、設計の事例を見よう。ワットの発明から80年近く後、19世紀半ばの「ロイヤル・アルバート橋」だ(写真はWikipedia英語版からの引用による)。340mの川幅に、30m以上の空頭高を確保するため、鋼鉄製の二重レンズ型トラスを考えて、作った。良い設計=デザインも、一種の発明と言える。設計者は、天才的技師ブルーネル。彼については、「英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと」 で書いたので、ここでは繰り返さない。
アートと科学、その配合の妙_e0058447_18141342.jpg
こうした本当にレベルの高い設計物を見た人間は、「美しい」という。センスが良い、とは、美しい設計を生み出す能力を指している。これは、論理性とは別の能力だ。

美を生み出す人、美を大切なものとして美に仕える人を、アーティストという。彼らの仕事はアートだ。ただし、英語のArtの翻訳は、日本語の「芸術」ではない。もっと幅広い、個人的なスキルも含めた、「技芸」に近い。

よく、「経営にはサイエンスとアートの部分がある」と言われる。ビジョンを作り人を動かす経営の仕事は、科学的論理だけでは足りない、という意味だ。でも、それなら、エンジニアの設計も、科学とアートの部分がある。優れた設計の仕事には、アートと科学の、配合の妙を感じるではないか。

さらにいうとモデリングも、科学の部分とアートの部分がある。モデルは現実を再現し、予測・シミュレートできないと役に立たない。予測には確実に科学知識や論理性が必要だ(演繹の作業だから)。だが、対象系の複雑なふるまいを見事に再現・予測できるモデルが、とてもシンプルで明晰な構造になっていると、わたし達は「美しい」と感じる。あるいは、抽象度の高い少数のパラメータから、現実的で豊穣なインスタンス群を生成できると、「美しい」と感じる。

  • わたし達の仕事には、アートが足りない

論理性とアートは、ふつう相反するもののように思われている。でも、それは少し近視眼的だ。なぜなら、論理性の権化である数学の世界で、一番の褒め言葉は「美しい」なのだから。

論理について言うと、帰納も演繹も、AIのおかげで、機械でかなりできるようになった。猫の写真を見分けられるようになって10年が経つ。いまやGTP3など、よくまあと思えるような、まことしやかな記事や論文を、自然言語で生成してくれる。しかし発明とアートの部分は、まだまだだ。というか、機械に「センス」を植え付けるようになるまでには、ずいぶん跳躍が必要そうに思える。

わたし達は、論理的で素早く思考できる人を、「頭が良い人」とよんで、感心する。だが正確で効率的であるだけでなく、美しい成果物を生み出せる人は、「賢い人」と呼ばれ、感動を呼び起こす。できるならわたし達は、賢い人を目指したいと思う。

そのためには、アート(センス)の部分を、もっと評価して伸ばしていく必要がある。あいにく、今の世の中は、アートだの芸術だのは「不要不急」だとされ、コロナ禍でもまっさきに切り落とされる領域だった。なぜ不要不急かというと、すぐお金儲けにつながらないから、という社会常識があるからだ。それが結局、わたし達の産業と製品サービスを、貧困なものにしてきたのではないか。

ただ、アートをもっと重視すると言っても、必要なのは専門家としてのアーティストと、各人の中に育てるべきアートの、両方の部分がある。アートの専門教育の場は世の中に、すでにたくさんある。だが、エンジニアに必要な素養としてのアート、技能としてのアートを育てる場は、極めて少ない。センス的な部分はすべて徒弟制度、というのがこの国の実態だ。

この状況もまた、「サーキュラーな問題」になっていて、すぐにマクロに解決できる処方はあまり思いつかない。ただ、そもそも、センスというのは個性につながっていて、ミクロなものではないだろうか。だとしたら、まず出発点とすべきなのは、わたし達一人ひとりが、もう少しだけ「アートと科学の配合の妙」に、より感覚を磨くことにあるはずだ。

<関連エントリ>
「設計とはどういう行為か、AIで設計を自動化できるか?」 https://brevis.exblog.jp/28975247/ (2020-05-07)
「英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと」 https://brevis.exblog.jp/24622591/ (2016-08-28)


# by Tomoichi_Sato | 2023-01-17 17:04 | 思考とモデリング | Comments(0)

思考とモデリングの方法に向けて

今年の正月は、5日と6日も休んで、比較的長く休暇をとった。昨年、比較的多忙だったので、少しは休養を取りたいと思ったからだ。しかし残念ながら、やるべき宿題を抱えていて、あまり十分に休めなかった。いや、もっと正直に言おう。わたしはじっくり考える時間を取りたかったのだ。だが年末年始の間も、やるべきことに追われて、あまり考える時間を取れなかった。

忙しさに追われて、考える時間がない。これはわたし達の社会の、共通の病気かもしれない。忙しいから、深く考える暇がない。深く考えないから、その場しのぎの仕事が増えていく。結果としてあまり大きな成果が上がらず、瑣末な問題ばかりが増えて、その解決に時間が取られる。おかげで深く考えることができないから…

ここでは問題状況が、因果関係のループを形作っていることがわかる。わかりやすく言うと、卵と鶏の関係である。では、このような問題は、どう解決すべきか。

ここで1つ、逆手を思いついた。本サイトにおいて、しばらく、思考とモデリングの技術についてテーマに取り上げ、考えを整理していこうと思うのだ。というのも、本サイトの文章を書くことも、わたしにとって、取り組まねばならない宿題の一種だからだ。

高名な国際的経営コンサルタントだった故・今北純一氏との対話について、ちょっと前に書いた。20年以上前、日本を遠く離れた異国の地で、日本の不況に関し、わたしは率直な自分の意見を答えたのだが、あの問答には、じつは続きがある。今北さんは、なぜ日本がそんな状況に陥ってしまったかについて、わたしの見解を尋ねられたのだ。

その時、わたしは答えた。「考える力の低下が、不況の根本の原因だと思います。」この考えは、今も変わっていない。

考える力の喪失、とくに深く考える力が弱まっている。そのことが、わたし達の社会における、組織や個人の行動の有効性をかなり損なっている。日本人が働かないから、怠惰だから、不況になったのではない。皆、必死に働いているのだ。それなのに成果が上がらない。エネルギーが、どこかで無駄に浪費されている。そして皆、頑張ることに疲れ果てている。

長い不況を脱し、自信と希望を強めるためには、深く考える力を再興する必要がある。その事は明らかだ。

ところでこう書くと、「ではなぜ、考える力は低下したのだ?」との質問が出てくるだろう。そして教育制度だとか、国民性だとか、多忙のせいだとか、いろいろな原因説明が行われる。

でも多忙については、すでに書いたように、原因と結果の関係が卵とニワトリのようにループになっている。他の原因説明についても、やってみれば分かるが、似たような結果になる。それら複数のループが、「思考力の低下」と言う点で交錯しているのだ。

わたし達が考えるのは、問題解決のためである。だったら、思考能力を高めるためには、問題解決技法を学べば良いではないか?

調べてみたらすぐにわかるが、問題解決技法については、すでに書籍や方法や、セミナーコースの広告やらが、うずたかく積み上がっている。あまりたくさんありすぎて、どれを選んだらいいかが、むしろ問題だ。で、この問題を解くにはどうしたら良いかというと…

でもここで1冊、とても良い本を紹介しよう。「問題解決大全」。著者の名は、読書猿。ペンネームで、正体は謎のブロガーだ。でもこの人は図書館の中に住んでいるんじゃないかと思うほど、非常に浩瀚な読書歴を誇っており、その守備範囲も広い。

本書のサブタイトルは「ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール」である。そして37種類の技法が詳細にわかりやすく解説されている。

ただしこの本が真にユニークなのは、全体が、第一部「リニアな問題解決」と第二部「サーキュラーな問題解決」に分かれていることである。

著者は世の中の問題解決技法を、その問題認識に従って2種類に分類する。1つ目は、リニアな問題意識、すなわち、「原因→結果」がリニア(直線的)につながっているという立場である。2番目は、原因と結果が、ループのように円環を描いている、と考える立場だ。問題解決技法をこのように分類する視点を、わたしは他に知らない。

問題とは「目指すべき目標と現状のギャップである」、としたハーバート・サイモン(ノーベル賞受賞の経営学者)の定義は、よく知られている。サイモンの認識に従えば、ギャップとなる障壁を解決するための道具や手法を用いて、進めば良いことになる。

この問題認識の延長線上には、「ロジックツリー」や「特性要因図」といった分析技法が出てくる。とてもアメリカの経営学的な、論理的でわかりやすい、かつトップダウンな方法論にフィットした考え方である。

これで解決できる問題はもちろん多いので、身に付けておくべき基本だとも言える。ただしこのサイモンの定義は、リニアな問題認識である。「なぜ」を5回繰り返す「なぜなぜ分析」も、リニアな手法の1つだ。

だがリニアな問題解決技法は、原因と結果がループを描いている種類の複雑な問題には、なかなかうまく適用できない。ここに、「サーキュラーな問題解決」と言うカテゴリーを持ち込んだ点こそ、著者の独創性があると思う。
思考とモデリングの方法に向けて_e0058447_11204026.png

ただし本書には37の技法が開設されているが、サーキュラーな解決技法は全体の3割しかない。やはりリニアな技法のほうがずっと多いのだ。しかもサーキュラーの問題解決技法の多くは、問題の定義や理解、そして情報収集に比較的集中していて、解決策を見いだす部分がやや弱いと言える。

一例を挙げると、TOC理論で有名なゴールドラットの「現状分析ツリー」(Current Realty Tree=CRT)がある。これ自体は図解を使ったわかりやすい技法で、例えばわたしが講師を今年度から手伝い始めた、社会人のための「ストラテジックSCMコース」(日本ロジスティクスシステム協会)でも長年、問題分析にこの方法を教えてきている。しかし実際に人にこれを描いてもらうと、リニアな因果関係図を作って満足してしまう事が多い。

とは言え、かなり幅広い分野の問題解決技法を概観できる点で、この「問題解決大全」はとても有用な本だ。いや、むしろこの本の1番価値のある部分は、著者による前書きではないかと思う。

この前書きの中で著者は、なぜリニアとサーキュラーと言う2つの区分を設けたかについて解説している。さらに、有限の問題解決技法が、無限に出てくる問題を解決できるためには、それ自身が「方法を生み出す方法」でなければならない、と指摘している。

加えて、問題解決者はその結果についての責任を、「運不運」の影響も含めて負わなければならない、だから問題解決には意志の力が必要であるという。「問題解決を学ぶ事は意思の力を学ぶことである」(p.11)との主張は、奇しくも、先にふれた故・今北氏の考えにも通じている。本書は、この比較的長い前書きを読むためだけでも買う価値がある。

ついでに言うと、深く考える能力を育てるためには、ある程度込み入った知識・文章を理解することが必要になる。だが忙しすぎる人、考える能力が低下している人は、長い話を呑み込む能力が、あまり無い。なので、ごく手軽な方法に飛びついたり、手近な成功例をそのまま真似たり、しがちである。ここにも因果のループが生じているのがわかるだろう。このように問題事象のあちこちに因果のループがあると、こじれてほどけぬ結び目のように、変革がとても困難になる。

要素と要素の間の、インプットとアウトプットの関係が、環状のループを形成している仕組みを、「システム」と呼ぶ。システムをどのように作り、どのように動かしていくか。これがシステム工学の課題である。だからこそ、思考とモデリングの技法を考える事は、すなわち、真に役立つシステム工学を考えていくことに他ならないのである。

<関連エントリ>
→「問題解決への出発点とは」 https://brevis.exblog.jp/30196826/ (2022-12-14)
→「意思を持つために――未来はわたし達の意思がつくる」https://brevis.exblog.jp/30153969/ (2022-10-25)


# by Tomoichi_Sato | 2023-01-10 11:26 | 思考とモデリング | Comments(1)