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お知らせ:BOM/部品表に関するオンラインセミナー講演を行います(6月16日)

お知らせです。
来る6月16日(火)に、BOM/部品表に関する有償オンラインセミナーを行います。昨年12月に行った対面セミナーのアンコール版です(お陰様で昨年は満員でした)。ただし昨今の情勢を鑑み、オンラインで受講可能としております。

2004年に「BOM/部品表入門」を上梓して以来、わたしは15年以上にわたって、BOM=部品表のマネジメント重要性を、訴え続けてきました。幸い本書はいまだに現役で、累計1万部以上が売れたばかりか、中国語版もかなり好評です。

いやしくも製造業である限り、どの企業も、BOMは必ず持っています(そうでなければ材料も購入できませんから)。しかし、BOMのデータをきちんとマネジメントできている会社は、決して多くないようです。なぜ、BOMのマネジメントが難しいのか。それは、生産の中核に位置づけられる基準情報であるにもかかわらず、複数の部門がいろいろなフェーズとタイミングで関わるからです。

とくに近年は、
 ・新製品開発・投入のサイクルが早くなった、
 ・製造のサプライチェーンが国境をまたいで海外に伸びた、
 ・企業買収や提携が進んだ、
などの要因が相まって、BOMデータの維持運用を難しくしています。

他方、最近は製造業でも「DX」ブームの声とともに、データ・サイエンスやデータ・マネジメントに関心が集まり、あらためてBOMのあり方が注目されているようです。さらに、BOP(Bill of Process=工程表)概念の普及や、海外を中心としたPLM(Product Lifecycle Management)ソフトウェアの発達など、この分野での進展も確かにあります。

今回は、前回の内容をさらにバージョンアップし、著書に述べた量産型製造業だけでなく、BOMを扱いにくい個別受注生産にも光を当て、「自分で考え身につく」セミナーを目指します。

BOM/部品表マネジメントに関心のある方のご来聴を、心よりお待ちしております。


<記>

BOM/部品表の基礎と効果的な活用ノウハウ

日時: 2020年6月16日(火) 10:30~17:30
主催: 日本テクノセンター(東京・新宿)

セミナー詳細: 下記よりお申し込みください(有償です)
なお、PC環境等の制限によりオンライン視聴が難しい方は、日本テクノセンター研修室でも受講が可能です。


よろしくお願いします。
               (佐藤知一)

<関連エントリ>
  
  

# by Tomoichi_Sato | 2020-05-28 21:48 | サプライチェーン | Comments(0)

AIで設計は自動化できるか(3) 〜機械にできる仕事、人間が果たすべき仕事

「佐藤さん。AIを使って、設計を自動化することができると思われますか?」

――おやおや。何かご相談があるという話でしたが、いきなり難しい質問ですね。どうしてそんなことを考えておられるのですか。

「自分はこのところずっと技術部門で、いわゆるPLMと呼ばれるような設計用のITツールに関わる仕事をしています。ただ、単に設計図面や部品表を共有するだけではなく、もっと画期的に設計の生産性を向上するには、AIの力が必要だろうと思って調べはじめたんです。そうしたら佐藤さんの会社の、『ITグランドプラン2030』構想が検索に引っかかりました。その中に『AI設計』という活動があって、興味を持ったんです。」
AIで設計は自動化できるか(3) 〜機械にできる仕事、人間が果たすべき仕事_e0058447_22300144.jpg
日揮ホールディングスHPより引用(https://www.jgc.com/jp/news/assets/pdf/20181218_1.pdf

――なるほど。ただ、我々のようなプラント・エンジニアリング会社と御社では、設計業務も随分違うと思います。御社では、なぜAIに自動設計させたいのですか? 狙いはなんでしょう。

「それは…ですから、設計生産性の画期的な向上です。」

――と言うと? 御社では設計の生産性がこまるほど低いのですか?

「いえ、そう言うと語弊がありますが…ただ設計のミスとかは、案外多いですね。出図の後の、変更のフォローも悩みの種です。」

――つまり、省力化と正確性の向上を図りたいから、AIに設計をやらせたいと。そういうことですか?

「佐藤さんの会社では、違う狙いがあるんですか?」

――正確性の向上も、目的の1つにはありますよ。でもそれは部分に過ぎません。他に、例えば大量で単調な設計作業を肩代わりさせたいから、ということもあります。プラントの世界では、追いかけなければならない設計対象品目の数が、半端なく多いですからね。でも、一番最終的な狙いは、これまでの人間では発想できなかった設計を得たいから、です。

「そこなんです! 自分が言いたかったことも。今まで思いつかなかったような形状の製品を設計する。これができれば凄いじゃないですか。佐藤さんの会社が発表されているロードマップを見ると、『革新的なプロセス機器の自動設計』が最終ゴールに描かれています。これがそういう意味ですよね?」


――その通りです。非常にクリティカルな操作条件の反応器や熱交換器などを、まったく新しい形状で設計できるようになることを、目指してます。でもそのためには、3D Printerや新素材の開発も同時に必要でしょうがね。それも同じロードマップに入っています。

「なるほど。ただ、そこに至る道筋とステップが、よく分かりません。なんだか一本道ではなくて2つの線が合流した形になってますよね。これはどういう意味ですか?」

――それを説明するには、まずこのロードマップ図の見方を説明しなければなりません。ロードマップの横軸は、図中のそれぞれのテーマの狙いを示しています。図の左側に位置するのは、短期的な狙いです。ここではキャパシティーアップと書いていますが、これは私たちの組織の生産性を上げると言う意味です。」

「生産性。まさに私たちの課題と同じです。」

――図の真ん中へんに位置するのは、品質向上・リスク低減です。すなわちプロジェクトをより可視化して、突然問題が吹き出すことを防ぐのが目的です。そして1番右側にするのは、新しいデザインや価値を、顧客に提供することです。つまり左側にあるのは短期的な課題、真ん中が中期的で、一番右はより長期的な狙いになります。

「AI設計は、比較的左側に寄っていますね。」

――その通りです。そして縦軸は、それぞれの取り組みの難易度を表しています。上に行けば行くほど、難しい。ですから、このロードマップの全体配置で言うと、左下のほうにある取り組みは、短期的な狙いで、かつ、難易度も低いですから、すぐ着手べき、となります。逆に右上のほうにあるテーマは、長期的な狙いで、難しいですから、当然将来の取り組みになります。ですから、全体としては、左下から右上に向かって、我々のいわば「デジタルジャーニー」の道筋があるわけです。

「なるほど、図の構造はよくわかりました。」

――それで、AI設計に話を戻します。出発点になるのが1番左下の、単純作業の自動化です。先程言ったように、私たちの設計業務には、多量で単調な作業がかなり含まれています。チェック作業とか、ツールや図面間の転記作業とか。そこでRPAなどを使って自動化し、エンジニアをつまらない作業から解放する。

「RPAはAIとは言えないですが。」

――もちろんです。ただ、こうやって設計作業を棚卸しし、最初に整理しておく必要があります。その上でAIの応用を考えねばならない。ところで、AIのエンジンと言うのは、買ってくれば、そのままポンと使える道具ではありません。そこには設計の知識やルールの埋め込みが必要になります。そのためには、ベテランのエンジニアが持っている暗黙知を、形式知化して、AIのエンジンが理解できる形に埋め込んでやらなければいけません。

「それが左上にある、『シニア技術の形式知化・ルール化』なんですね。ただ、どうしてこれは、こんな外れた場所にあるんでしょうか?」

――われわれはこのテーマに、昔から何度も取り組んできたんです。ところが、なかなかうまくいきませんでした。難易度が高いので、図の左上にあるのです。

「実は、うちの会社でも、同じような問題に突き当たっています。なぜこれって難しいのでしょうね?」

――理由はいくつかあると思います。単純に、シニアが忙しすぎて、時間を捻出できない、から始まって、センスや感覚論で説明してしまう傾向があるとか、いろいろです。でも1つの問題は、設計プロセスを形式化するための、方法論なり技術が、曖昧だったことにあります。そこで我々は、DSMという手法を導入して取り組むことにしました。

「DSMって、なんですか?」

――Design Structure Matrixの略で、米国のD. V. Stewardが1981年に、設計プロセスのモデル化のために提案した技法です。設計変数(設計諸元)をマトリクスの縦横に取って、設計における依存関係を表現します。Bという設計変数を導出するのに、設計変数Aが必要だったら、マトリクスのB行のA列に1を記入します。記法は単純ですが、複雑な設計プロセスを形式知化し、設計上の問題を抽出することができます。
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「というと?」

――通常の順次導出関係は、対角線よりも左下にある”1"で示されます。逆に、対角線よりも右上に1があったら、それは設計の後工程から前工程へのフィードバック(つまり手戻り)を示すのです。そこで設計変数の順序入れ替えやグルーピングを行って、マトリクスを整理し、プロセスを改善するのです。もちろん、1のマス目で表される、それぞれの設計変数間の導出関係の後ろには、計算ロジックがある訳です。

「なるほど」

――わたし達は、シニア技術の形式知化から、メインのAI設計の流れに合流する点を、「AIローディング・ポイント」とよんでいます。これをちゃんとやらないと、設計へのAIの活用は成り立ちません。

「その次にある『プロットプラン自動設計』というのは何ですか?」

――プロットプランとはプラントの配置計画のことで、空間設計の基礎になるものです。化学プラントの設計では、最初にプロセスシステム、つまり全体の機能的な設計をします。電気工学で言う回路設計だと思ってください。それから、システムを構成する個々の要素、つまり機器や配管などの空間的な配置を決めます。これがプロットプランです。プロットプランは全体コストに大きな影響を及ぼすので、エンジニアリング会社の競争力の源泉ですが、考慮すべき要素も多く、現在はベテランにかなりを頼っています。

「そこでAIの登場ですね」

――うーん、そうなんですが、話はそう単純じゃありません。プロットプランはコストを左右する、といいましたが、じゃあ単に、敷地面積や配管の物量だけを最小化すればいいかというと、そうではないんです。施工性であるとか、地下埋設物の存在とか、操業時のアクセス性とか、かなりいろいろな要素が関わります。つまり、評価尺度が複数あって、しかもあちらを立てればこちらが立たず、というトレードオフ関係が生じやすいのです。

「そうなると、最適化問題という訳ですか」

――そうです。それも多目的最適化問題になります。多目的最適化ではパレート・フロンティアとか、いろんな概念とテクニックが登場しますが、要するに答えは一つとは限らないのです。しかも、配管長とかケーブル長とか敷地面積などは、明示的に計算できますから、最適化エンジンの中に組み込めますが、施工性とか操作性は、ある意味とても定量化しにくいものです。だから、エンジンには組み込めない。

「じゃあ、どうするんですか?」

――出てきた答えを、人間が評価するしか無いのですよ。多目的最適化エンジンに、制約条件と目標値を与えて、複数のケースを計算させてみる。その結果を、エンジニアが評価して、部分的には修正して、またエンジンを動かす。こういった、一種のマン・マシン・ループの生じる仕事になります。

「それは、あまりうれしくないですね」

――そうでしょうか。でも、現在はすべてのプロットプラン設計作業を、ベテラン技術者がやっていますから、限られた納期の中では1ケースのプランを作るのが精一杯です。それが、複数ケースを比較評価して、ベターなものを選べるのだったら、十分うれしいと思います。

「なるほど、省力化は図れるのですね」

――いや、省力化よりも大事なことがあります。それは、技術者が『評価』という、価値ある仕事に集中できることです。さまざまな観点・尺度から、設計成果物を評価し、必要に応じて改善する。この部分は、AIにはできません。計算機には価値観も思想もありませんからね。人間の大事な仕事なんです。従来は設計のバルキーな計算や作図作業にほとんどの時間を取られ、せいぜい設計結果のチェック&レビューくらいしかできませんでした。評価尺度についても、十分意識化してこなかった。そこは大きな前進になります。

「ふーん。そうなると、AIの出番はどうなるのですか?」

――まあGartner社などは、最適化もAIの領域内に含めていますが、技術的には以前からあったものです。それで、現在、世の中でAIと呼ばれているものは、ほぼ機械学習、それも深層学習です。その中心機能は、パターン認識、つまり類似性の判別と判定にあります。具体的には、画像認識による個人の顔の特定や、音声認識などのアプリケーションですね。もちろん、故障の予知保全なんかも応用分野の一つです。

「そこは弊社でも注目しているところです」

――そうですか。ところで、パターン認識技術って、設計に応用できると思いますか?

「できるんじゃないでしょうか。過去の設計事例から類似パターンを引っ張り出して、サジェスチョンしてくれるとか、でるといいなと思っています。」

――たしかに、サジェスト機能くらいなら、ありえるでしょう。保証はないけど、おおよその答えを言うだけですから。でもね、いやしくも科学法則に縛られた理工学領域の設計では、ベストの類似パターンを探し出してきたって、その計算結果が制約条件を満たさなければ、アウトですよ。設計の世界では、yesかnoかは白黒はっきりしています。耐荷重が100kgの条件なのに、出てきた答えが98kgしかなかったら、アウトプットには使えないのです。そこは、SFじゃないけど「冷たい方程式」が支配する領域なんです。

「だったら、シミュレーション機能と統合して、条件を満たす順に類似結果を表示したらどうですか。PLMの中に過去の設計図面をすべて登録し、PLM得意のシミュレーションI/Fを使って計算すればいいでしょう。そこから人間が、いいものを選ぶ」

――はい。だから、機械学習は、わたしのいう「選択的設計問題」だったら使いやすいと思うのです。もちろん、過去の設計成果物が、きちんとデジタル化され、かつ、設計変数や制約条件などのメタデータも、標準形式化され登録されている前提ですが。

「まあ、そこはちょっとハードルが高いですけれど、頑張れば可能ですね」

――ですね。で、そのとき課題になるが、設計ルールや、設計変数間の関係、つまり設計知識の扱いなんです。過去の図面は、頑張ればデジタル化できるでしょう。ただ、メタデータやルールや知識を、扱いやすい形式にする部分がポイントです。今の深層学習系AIソフトと、一世代前のルール型AIや知識ベースの両方が、じつは設計の自動化には必要なのです。

「ふーむ。でもIBM Watsonなんかは、何でも知っているという話ですが」

――クイズ番組に出るような知識ならね(笑)。ただ、御社の設計作業に関する知識は、知らないんじゃないですか。それをインプットするのは、御社の仕事のはずです。

「たしかに。」

――しかも、今のAIが活用できるのは、選択型問題や、演繹的決定による設計問題に限られます。先ほど説明したプロットプランのような最適化問題は、パターン認識ではアプローチできません。ましてや、形状や構造を設計する、システム合成問題は、なお難しいでしょう。

「じゃあ、AIでの設計は不可能、と思われるのですか?」

――そうは言いません。今の深層学習とパターン認識によるアプローチの最大の問題は、過去の設計データの蓄積に依存している点です。深層学習は、万の単位の教師データを必要とします。しかし、設計という行為は、つねに一回限りです。製造では全く同じ製品を繰返し作ります。だからパターン認識による欠陥検出や故障予知などがきくのです。他方、設計は、全く同じ図面を再生産することはしません。毎回、必ず何かが違うのです。エンジニアリングには「個別性の罠」があるのです。

「ますます、不可能に思えてきましたが」

――それは、過去の設計結果に頼ろうとするからです。そうではなくて、計算機が、自分で設計結果を生み出していけば良いのです。少しずつ、設計パラメータを変えて、結果を計算する。そして、評価関数を与えてやって、良いものを選んでいく。計算機は飽くことなく、いくらでもランダムな組合せで設計をジェネレートします。そこから、よりベターなパラメータ群を選んでいく。

「それって、強化学習ですね」

――そうです。AIで設計を自動化したかったら、強化学習しかないのですよ。このように、計算機が自分でベターな設計を生成していく手法を、Generative Designといいますが、その代表例が、「トポロジー最適化」の技術です。これは、機械部品などの形状について、人間がある初期値を与えてやり、そこから自動的に肉付けを変えていって、もっとも重量が少なく強度の高い結果を求めていくような手法です。すでに商用のソフトウェアも存在します。

「やっと、トンネルの向こうに光が見えてきたような気がします」

――そうですか。ただね、強化学習では、設計をジェネレートするたびに、その評価をしなければならないのです。単純な構造部品なら、重量と強度の計算程度ですみます。しかし、たとえば熱交換器程度でも、ちゃんと評価しようとすると、毎回、熱伝導計算と計算機流体力学の両方を解かなければなりません。かなりマシンパワーを食う計算です。

「でも、マシンパワーはクラウドと並列化技術のおかげで指数関数的に進化し続けています。そういう意味では、強化学習による設計も、楽観視して良さそうですね。」

――まあ、そうだといいですね。ただ、ちょっと気になる点もあります。現在のAIコミュニティを見ていると、強化学習の分野は倒立振子問題から始まって、ロボットアームの制御みたいな、連続変数の制御問題の枠組みばかりを注視しているように感じられます。トポロジー最適化のような、形状の連続的変形の問題は、それでもいい。連続変数の最適化制御問題は、非線形性が強くても、最後は偏微分方程式を力づくで解く方向に進めます。

「はあ。」

――ところが、形状の設計ではなくシステム構造の設計となると、問題は離散的な設計変数の組になります。離散系の最適化問題は、連続系とは全く異なる難しさがあるんです。詳しい話は省きますが、NP完全になりやすいので、経験的なヒューリスティックが必要になる。そのことを、ORの分野の人はよく知っていますが、まだAI系の人は無頓着に思えます。

「というと、結局、AIは設計をどこまで自動化できるんでしょうか?」

――将来に渡って、設計エンジニアは不要にはならない、ということです。要求を分析し問題構造を理解する、設計の知識ベースを入力・更新する、複数の目的関数を設定する、でてきた結果を評価する、必要に応じてそれを修正する、そして設計のツール自体を進化させる。こうした仕事は、相変わらず人間に残ります。もしAIが将来、設計技術者を不要にすると思うなら、それは無用な心配です。むしろ今のAIは、設計に活用しようとすると、ずいぶん寸法が足りない。一寸法師のようなものです。
 一寸法師だって、大勢を上手に使えば、エンジニアの退屈な仕事はそれなりに手助けしてくれます。ただ、それを上手に進化させられるかは、わたし達にかかっているのです。


<関連エントリ>
 (2020-05-07)
  (2020-05-15)



# by Tomoichi_Sato | 2020-05-24 23:12 | 考えるヒント | Comments(1)

AIで設計を自動化できるか? (2) 〜「良い設計」の条件を考える

前回の記事「設計とはどういう行為か、AIで設計を自動化できるか?」 でも書いたとおり、設計とは『機能を形状・構造に落としこむ』(そして必要な場合は制御機構も与える)行為である。だから、設計は典型的な逆問題になる。逆問題とは、アウトプット(結果)から、インプットやプロセス(入力・過程)を逆算する問題だ。一般的には、一意に解けない。だからこそ、設計者のスキルやセンスの活躍する領域がでてくる。

設計者に、スキルの高低とかセンスの良しあしがあることを、否定するエンジニアは少ないだろう。毎回、画一的な答えを出すだけなら、ロボットでも代替できる。だが、設計者はロボットではないはずだ。では、設計者という人間のスキルやセンスとは、何を指すのか。

当たり前だが、それは、「良い設計」を作れる能力を意味している。誰が見ても、「うーむ、良い設計だ」と感心する出来栄えのアウトプットを、ある程度コンスタントに生み出せる能力。そういう人は、スキルが高い、センスが良い、と言えよう。

では、「良い設計」とは、何なのか? 

良しあしを言うからには、そこに、何らかの評価尺度と基準があるはずである。前回の記事では、機能・構造・制御の3要素に関連して、3つの評価項目を取り上げた。

(1) 有用性:有用でないモノは、作るに値しない。有用性とは「機能」が生み出すもので、設計対象の性質やふるまいのうち、使用者の期待に合致する(あるいは他の機能を助ける)部分を指す。若干ニュアンスはかわるが、「機能性」と呼んでも良い。

(2) 存続性:ちゃんと存続しないモノ(作っても瞬時に壊れるような物)は、使えない。存続性は、「構造・形状」(と材質)が、保証する。力学的安定性ともいう。ただしソフトウェアのような無体物は、構造的単純性(スパゲッティ状態でないこと)で置き換えて、解釈すべきだろう。

(3) 操作性:使用者の意思に沿って動かないモノは、使えない。操作性は、「制御」の機構が実現するもので、制御性といっても良い。普通はそのために、ユーザ・インタフェースが必要になる。

言いかえると、ユーザの期待を上回るような機能・性能があり、形状や構造は単純ながら堅牢安定で、かつユーザの意のままに動かせるようなモノを作れたら、良い設計だという事になる。

しかし、評価基準はこれだけか? そんなことはない。

まず、真っ先に設計者の脳裏に浮かぶのは、『コスト』であろう。コストが優先、コストは安いほうが良い。これは多くのエンジニアに刻み込まれた価値観だ(とくに日本では)。もちろん、正確に言うと、「同じ性能や品質が実現できるならば、コストは安いほうが良い」である。コストダウンで性能や品質が犠牲になっては、本末転倒だ(だが、しばしば設計者が、「コストダウン優先」という『転倒』を、要求されたりするのが見受けられるが)。

その「コスト」はさらに、設計作業それ自体の人件費、材料部品の購入費、そして製造や検査の労務費、機械設備の減価償却費や光熱費、などから構成される。このうち、最後の製造間接費は普通、企業の製造部門が固定費として担うので、設計部門の責任範囲外だ。しかし設計人件費・材料費・労務費のどこまでが、設計部門の「コスト」の対象になるかは、その企業の組織ポリシー次第でかわる。

だから、ある者は、たとえ材料費が少し増えても、製造の手間が下がれば、全体コストが下がるから「良い設計」と思い、別の者は、材料費さえ下がれば、製造が面倒になっても「良い設計」だと考える(労務費は設計者の責任範囲外の場合)、といった現象がおきる。もちろん、設計作業の人件費しか見ない者もあるだろう(製造を外部企業に委託している場合など)。このように、何が良い設計なのかは、その会社の経営のモノサシにかなり依存するのだ。

さて、同じ性能や品質が実現できるなら、コストは安いほうが良い、と上に書いたが、では「性能」や「品質」は、どんな評価尺度なのか? とくに設計が実現すべき『品質』とは何なのか。まさか、製造品質のことではあるまい(さすがに普通それは製造部門の責任だ)。では、設計図や仕様書に誤りがないこと? 誤字や転記ミスがなければ、「良い設計」になるのか? それって最低限、守るべきことではないか。

設計における品質の問題とは、ユーザの要件や無意識的期待への合致、で測られるべきであることを思い出そう。そこで、よくITの分野で行うように、「機能要件」と「非機能要件」という角度からとらえなおすほうが、分かりやすい。

 性能=機能要件に属する特性
 品質=非機能要件で決まる特性

たとえば自動車でいえば、『移動』という主要な機能目的に直接付随する特性、つまり走行距離、最高速度、可載重量、馬力、加速性、燃費、回転半径などが、性能の範囲だ。逆に、高速安定性だとか剛性だとか衝突安全性、そして空間の広さや居住性、運転のしやすさといった非機能要件が、品質と関係する。良い設計というのは、機能要求を満たしつつ、非機能要件も適度に満足させるバランス感にある。

つまり、設計とは、与えられた制約条件の中で、複数の評価尺度を、なるべく最大化するような設計変数の組を見つける作業である、ととらえることができる。ORの分野の用語でいいかえると、設計とは多目的最適化問題なのである。

そして、複数の評価尺度の間には、しばしば、「あちらを立てればこちらが立たず」というトレードオフの関係が生じる。自動車の例を続けると、走行距離を伸ばすには燃料タンクを大きくすることになる。だが、そうすると車体重量がまして、燃費や加速性が犠牲になる。加速性を上げるためにエンジンの馬力を上げると、今度は燃費が下がる、じゃあ車体を軽量化しようとすると、高速安定性が損なわれるし材料コストが上がる、といった具合だ。

AI(機械学習)の分野には、「ノー・フリー・ランチ定理」と呼ばれる定理がある。すべての最適化問題に対して、最強の性能となるようなアルゴリズムは存在しない、という定理だ。魔法の「銀の弾丸」はない、といってもいい。設計で突き当たるトレードオフの問題は、この定理を思い出させる。どこかを強めると、どこかが弱くなるのだ。

そこで、評価尺度の間にトレードオフが生じるとき、どの項目を優先して、どこは犠牲にすべきかを決める、より高いレベルの指針が必要になる。これを『設計思想』Design phylosophyと呼ぶ。良い設計とは、すなわち設計思想の明確な仕事である。ジョブズの生みだしたiPhoneは、たしかに設計思想の明確な製品だった。逆に設計思想の薄弱な、八方美人的な製品は、個性が薄く人を引きつける力が弱くなる。

もっとも、自動車や携帯電話のような複雑なシステム製品の設計となると、それ自体が設計変数の多い大規模な問題で(部品点数だけでも相当になる)、評価尺度の項目も多く、非常に難しい。これに比べて、前回取り上げた、椅子の設計だったら、形状も構造もずっと単純だ。設計変数も、ずっと少ない。座面の高さや耐荷重量、脚の本数などの主要な設計パラメータは、たぶん所与で決まっているだろう。

そのような場合、主に問題となるのは、形状と材質を与えたとき、所定の力学的強度を満たすかどうか、のチェックであろう。これなら単純なシミュレーション計算(場合によっては手計算)で確認することができる。さらにキャスターなどの制御機構を考え、総重量を求め、部品表とコストを計算し・・という具合に、設計作業は順次、進んでいく。こういう仕事ならば、手順書を作って、スキルの低い設計者や外部に委託することも可能になる。

いや、もっと単純な設計作業だって、無いわけではない。それは、あらかじめ決まっている選択肢の中から、要求仕様に基づいて、条件に合致する物を選ぶような作業である。わたしの職場では、よくこうした仕事を「カタログ・エンジニア」とよんだりする。分厚いカタログの中から、適切な製品や部品を選んで、その特性を仕様書に転記するだけの作業だからだ。

このように考えると、設計という仕事には、カタログから選ぶだけの単純な作業から、複雑なシステム製品の内部構造と制御機構を実現する仕事まで、大きく4つくらいのレベルがあることが分かる。それは、考えるべき設計変数の数と、評価尺度の複雑性に応じて、図のようにマッピングすることができよう。
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つまり、設計行為には4つのレベルがあると考えられる

1. 選択的決定:いわゆるカタログ・エンジニア
2. 演繹的決定:設計計算で主要な設計変数を逐次導出する
3. 最適化決定:評価関数を最大化する設計変数の組を探索する
4. システム合成:多軸的な評価関数をバランスよく満たすような構造と制御機構を合成する

当然ながら、この順番で設計は難しくなる。ただ、4の「システム合成」の高度な大仕事も、その中のプロセスを細かく分解してみると、部分的機能モジュールの最適化決定や演繹的決定、あるいは単純な部品の選択的決定、などが含まれているのが分かるだろう。そして設計チームの中で、スキルに応じて、そうした作業が振り分けられていくはずである。

このように考えると、AIで設計を自動化できるか、という問いに、さらに一歩近づいた訳である。その答えについては、次回の記事で考えてみよう。


<関連エントリ>
 →
(2019-09-22)



# by Tomoichi_Sato | 2020-05-15 12:18 | 考えるヒント | Comments(0)

設計とはどういう行為か、AIで設計を自動化できるか?

2月の中旬、まだ大勢の人の集まる会合が可能だった頃(なんだか遠い昔のようだが)、「日本学術振興会 プロセスシステム工学第143委員会」(通称「PSE143委員会」)という場に招かれ、講演をさせていただいた。会合全体のテーマは「新しい設計手法・視点」で、わたしは『システム設計は果たして工学たりうるか?』と題するお話をした。

設計とは何か、という問題について、最近あれこれの角度から考えてみている。わたし自身はエンジニアリング会社でずっと働いており、とくに駆け出しの頃は、設計部門でキャリアを積んだ。今は設計の現場から離れてしまったが、今でも設計の良し悪しこそ、その後の仕事の質や利益を、大きく左右すると信じている。そして、プロジェクト・マネジメントの分野に設計論が欠けていることが問題だ、とは以前も書いたとおりだ。

では、ひるがえって、設計とはどういう行為なのか、設計の質とは何が決めるのか、そして昨今皆が注目しているAI(人工知能)という道具は、設計において役立つのかどうか。こうした議論は、あまり十分されていないように感じる。そこで、上記の講演の内容を一部再録する形で、読者諸賢の検討の俎上に差し出そうという次第である。

ちなみに委員会の名称にある「プロセスシステム工学」とは、簡単に言うと化学プラントの全体設計及び制御に関する工学、というほどの意味である。プラントというのは、外観を見た方はご存知の通り、装置や機器を多数の配管が網の目のように縦横無尽につないだ形をしている。あれ自体が、非常に複雑なハードウェア・システムなのである(もちろん制御ソフトウェアもその上で動く)。だから、わたしの講演タイトルにある『システム設計』は、ITソフトウェアの設計というよりも、もっと広い意味でとらえていただきたい。

さて。そもそも、設計とはどういう行為なのか。設計という仕事を、真っ向から研究対象としてとらえた学問は存在するのか。すなわち、『設計論』の系譜とは、どうなっているのか?

不思議なことに、ここがまず、出発点として曖昧なのである。読者の中には理工学系の教育を受けた方も少なくないと思う。では、一般的に設計とはなにか、どういう原理で考え、どう進めるものなのか、教わった方は多いだろうか? わたし自身の記憶は、あいまいだ。工学部では、それぞれの専門領域の手法論は細かに教わる。だが、分野を横断した、一般的な設計論というのを、あまり聞いた覚えがない。

じつは早くも1960年代に、この点を問題視した人がいた。後に東大総長となる故・向坊隆である。彼は応用化学系の研究者だったが、戦後日本における工学教育の見直しの必要を説き、エンジニアが共通に学ぶべき『基礎工学』の21の科目を提案した。その第10科目が「設計論」で、第21科目は「システム工学」だった。

設計論を担当した渡辺茂は、後に著書「設計論」(岩波書店、1975)をまとめる。彼の「設計の定義」は、こうだ:

「設計とは思いついた“あるもの”に具体的な形を与え、その着想の正しさを確認することであって、次の三つの行動からなりたっている。
1. “あるもの”を作りたいときめる
2. それに形を与え、使用する素材をきめる  
3. その作り方をきめる」
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・・感心しましたか?

率直に言うと、「何それ?」というのが、読んだ時のわたしの感想だ。渡辺茂は機械工学の人だった。だから形と素材に、主要な関心がある。しかし、電子回路の設計や、プラントの制御方式に悩んでいる設計者にとって、<形を与え、素材を決める>と言われて、心に響くとは、とても思えない。ソフトウェア設計者には、いうに及ばずだろう。

もう少し時代が下って、1979年。東大の精密機械工学科の吉川弘之は、設計についての公理的理論として『一般設計学』を提案する。一般設計学では、基本的な概念として「実体」,「実体概念」,「属性概念」が定義され、位相空間論の方法が用いられる。たとえば、「公理1(認識公理):実体は属性(あるいは機能,形態などの抽象概念)によって認識あるいは記述することが可能である」、といった具合だ。

わたしはここで、その内容を詳しく解説するつもりはない。あまりに抽象的で難解だからだ。もしご興味があれば、たとえば、下記の講義録などを参照されたい。

また、後に角田譲は、位相空間論ではなく「チャンネル理論」の数学的枠組みを用いて、「抽象設計論」を提案する(2001年)。その内容については、以下の文献も参考になる。
菊地誠(2003): 一般設計学と抽象設計論に関する考察. 京都大学数理解析研究所講究録 1318, 136-148,

ただ、エンジニアとして正直に言うと、上記のような公理論的な枠組みをいただいても、実際の設計の仕事にどう活かしたらいいか、さっぱり分かりません、との感想になってしまう。

という訳で、いつものことながら、自分で納得できる答えを自分で考えるしかない、という事になった。
設計とは、どういう行為か? わたしの答えは、こうである。

設計とは、『機能を形状・構造に落としこむ』作業である。
設計対象に可動部分があったり、対象が入力を出力に変換する仕組み(システム)である場合は、その構造に、制御機構を与える作業が続く。

これだと分かりにくいだろうから、具体的な例をあげてみよう。たとえば、椅子を設計することを考える。

椅子は、人がその上に一時的に腰掛けるためのものだ。すなわち、一定の高さに座面を提供することが、その機能である。そこで、座面の高さ、かかる体重(外力)などが、主要な設計パラメータになる。設計パラメータというのは、問題固有の特徴的な設計変数のことだ。
設計とはどういう行為か、AIで設計を自動化できるか?_e0058447_19565226.jpg
野良の切り株だって、座る役には立つ。だから、考えている椅子が、もし「切り株」のように、単一の材料からなる場合、形と材質だけを決めれば、事足りる(構造の概念は不要だ)。

だが、もちろん異なる形状と材質からなる、座面と、それを支持する脚部からなる「構造」を考えてもよい。そして普通の椅子は、そうなっている。この場合、座面の広さ・材質、座面を支える脚の形状と本数、地面との接し方、などの設計変数を決める。

その上で、手で持ち上げられる重さにおさめたい、とか、耐荷重は最大100kgとか、回転できるようにしたいとか、背もたれも必要だとか、さまざまな要求仕様や、製造上の制約条件を加味して、考えを進める必要がある。

最終的には、製造する人にとって必要な、製作図面と、部品表(BOM)と、製造仕様書とを設計のアウトプットとして出さなければならない。もし売り物にするならば、さらに「使用説明書」(ユーザマニュアル)もいるだろう。

ところで、椅子の設計において、形状や構造はたしかに分かる。だが、椅子の「制御」とは何だろうか? そんなものは必要なのか? どこかにマイコンをつけて、モータをサーボ制御するのか?

そう思うのは、制御ということを、現代制御理論の枠組みで捉えすぎるからである。制御の原義とは、「設計対象のふるまい方を、ユーザの意思や動きに合致させる仕組み」なのだ。それはユーザとの入出力操作により、性能(有用性)や安定性を変えるメカニズムである。

椅子の場合はどうか? たとえば、キャスターつきの脚部は、ある意味、椅子の位置を「制御」しやすくするための仕組みだ。また、そのキャスターにストッパーがついていたら、それは移動性のみならず、安定度を確保するための制御の仕組みでもある。また、座面の高さや、背もたれの角度の調節メカニズムだって、立派な制御機構である。

ちなみに、上に述べた「機能」と「構造」の概念についても、きちんと記しておいたほうがいいだろう。

機能とは、設計対象のふるまいや、対象がもたらす変化のうち、ユーザの期待に合致して(あるいは他の機能とつながって)有用なところを意味する。すなわち、製品の生み出すアウトプット(物・運動・情報)や、あるいは働きを「機能」と呼ぶのだ。椅子ならば、座面を提供して人の体重を支えることが、主たる機能である。ちなみに、アウトプットや変化を生むだけでなく、自然な変化を防ぐ事も、「働き」の一種である。だから、塗装は鉄のサビを防ぐ「機能」を持っている、という。

構造とは、モノとして存続性(安定性)があり、そのふるまいにおいて機能(有用性)がもたらされるような、要素の形と材質の組合せをいう。なお、これは設計対象が、物理的な実体を持つような場合の話である。ソフトウェアとか、あるいは「企業組織を設計する」際のように、実体がない設計対象の場合は、「構造」とは、要素的な機能のかたまり(モジュール)と、その連携関係のことを示す。

余談だが、宮崎駿の映画「風立ちぬ」で、主人公の堀越二郎が、食堂で出てきた魚の骨をつまみあげて、「なんて見事な形なんだ」と賛嘆するシーンがあった。堀越は航空機工学のエンジニアだから、部品の形状に、非常に興味がある。

機械・土木・建築など、物理的な形状に近い設計の分野では、『形状』は機能と、構造(力学的構造)を橋渡しする、重要な要素である。だから最初の定義に、『機能を形状・構造に落としこむ』と書いたのだ。ちなみに電子回路の設計や、化学プラントのプロセスシステム設計(=プラントの回路設計)では、機能的な要素の結合関係が重要であって、物理的な距離は、まあ副次的な役割にとどまる。そして無体物の設計では、形状は問題にならない。

少し長くなってきたので、これまでのところを簡単にまとめよう。

1.設計とは、『機能を形状・構造に落としこむ』作業である。必要な場合は、さらに制御機構を与える作業が続く。

2.機能とは、設計対象のふるまいや変化のうち、ユーザの期待に合致する(あるいは他の機能とつながる)ところを意味する。つまり「有用性」が評価基準となる(無用なものは設計する価値がない)

3.構造とは、設計対象を構成する要素の形と、つながり・組合せを意味する。機能として期待するふるまいをし、かつモノとしての「存続性」(力学的安定性)が評価基準となる

4.制御とは、設計対象のふるまい方を、ユーザの意思や動きに合致させる仕組みであり、ユーザとの入出力操作により、性能や方向性・安定性を変える。つまり「操作性」が評価基準となる

さて、わたし達が工学部で習うような実験手法とか、あるいは利用可能な計算ソフトなどがやってくれる仕事は、基本的に「形状・構造が与えられたときに、その性能・ふるまいを計測・予測する」道具である。有限要素法による構造力学計算も、空洞実験やCFDの流体力学計算も、電子回路シミュレータも、分子軌道法による計算化学も、そうした手法論である。

だが、設計という仕事において必要とされるのは、ちょうどその逆の動きだ。つまり、
「形状・構造 → 機能・性質」
ではななく、
「機能・性質 → 形状・構造」
を考えなければならない。

形状・構造から出発して、機能や性質を導出するプロセスは、手順は複雑かもしれないが、答えは一意に決まる。しかし機能から、それを実現する構造・形状を求める作業は、一意に決まるとは限らない。おそらく非常に広い可能性の領域から、適切な形状や組み合わせを求める必要がある。

つまり、設計とは典型的な逆問題なのである。『逆問題』とは、アウトプットからインプットを推測する(あるいはインプットの変換プロセスを推定する)タイプの問題だ。そして、逆問題の答は、一意に決まらない場合が多い。でも、設計においては、何か答えを出さなくてはならない。だから、ここに設計者の経験値や「センス」が介在する余地が生まれるのだ。

設計という仕事には、サイエンスだけでなく、アートの部分がある。「良い設計」と「ダメな設計」が分かれるのは、このためだ。答えが一つしかないなら、設計に良し悪しなど生じるはずがない。だが、現実には設計者のスキルが、重要な役割を果たすのだ。

こう考えてくると、「AIで設計を自動化できるか?」という問題も、アプローチの方向が見てくる。長くなってきたので、この続きは項を改めて、また書こう。


<関連エントリ>


# by Tomoichi_Sato | 2020-05-07 20:07 | 考えるヒント | Comments(0)

書評(巣ごもり読書のための):「経営戦略全史」「三体」「浄瑠璃を読もう」

連休である。ただし緊急事態宣言の下、行楽も映画もパーティも自粛要請で、家に「巣ごもりGW」を余儀なくされている方も多いと思う。そういう方々のために、少し厚めで読みごたえのある、でも案外スイスイ読み進められてしまう本を3冊、ご紹介しよう。いずれも最近、面白く読んだ本ばかりである。


1. 「経営戦略全史」 三谷宏治・著

テレビのニュースを見ていたら、今回の世界的パンデミック危機に対して、ニュージーランドと台湾が、素晴らしい対応力を発揮したと報じていた。ニュースキャスターと解説者は、ニュージーランドの女性首相が国民に切々と協力を訴えるビデオを紹介しながら、成功の最大の理由は、この首相のリーダーシップにあると断じた。

やれやれまたか、とわたしは思った。ニュージーランド政府がどのようにこの問題を把握監視し、どういった体制を組んで、どのような政策をとったのかは、ほとんど報じない。つまり危機対応の戦略については、何も触れないのだ。

組織が成功したら、それはリーダーのおかげだと考える。リーダーシップとは、やる気によって決まると、この国では理解されている。つまり成功したら、やる気のおかげだと考える。失敗したら、やる気が足りなかったのだと考える。

このような社会では、自他の経験から何も学ぶことがないので、何の進歩もない。もちろん、何の戦略論も生まれない。

経営学と言う学問が生まれたのは、ほぼ100年前だ。米国のテイラー、フランスのファヨールらから始まって、特に1960年代以降、米国で隆盛した。その中心テーマは、経営戦略。そして経営戦略コンサルタントと言う専門職も発した。

著者の三谷宏治氏は、名門ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)でキャリアを積み、現在はビジネススクールの教授と著作業に勤しんでいる。複雑な経営戦略論の広大な地平を、わかりやすい見取り図にまとめて、示してくれる能力は大したものだ。

著者によると、経営戦略論は大きく2つの系譜に分かれる。「ポジショニング」派と「ケイパビリティ」派だ。これはとてもうまい切り取り方だと思う。経営学における科学主義と人間主義の2つの見方を代表させ、2つの陣営(「大テイラー主義」vs.「大メイヨー主義」)の対抗するドラマのように描き出す。

日本ではアカデミアの経営学と、実業における経営層との間に、大きな分断があるため、本書のような良い解説がとても価値を生む。また、経営戦略に関心を持ち始めた若手中堅層のビジネスマンにとっても、とても面白い入門書になっている。もちろん著者は、最後に、自分の編み出した手法の詳しい解説を付け加えることも忘れない。

戦略論を編み出した学者やコンサルタントたちの人物像と似顔絵をつけているのも、この本の良い点だ。架空対話も含めて、学問のダイナミズムを、活き活きと描き出している。

本書を読むと、自分まで頭が良くなったような感じになり、経営戦略を自家薬籠中にしたような気持ちになれる。ただ読者が注意すべきところがあるとすれば、これら戦略論のほとんどが、分析と解釈のための道具であって、発明と発想の方法論ではないことだ。

コストリーダーシップとか、ブルーオーシャンとか、定石の枠組みを知ることは大切だ。だが具体的な戦略は、やはり自分の頭で考え出さなければならないのでる。



2. 「三体」 劉 慈欣・著

1967年春、北京。「文化大革命」に沸く若き紅衛兵たちの狂乱的状態と殺戮から、いきなり小説は始まる。長年続く飢餓と貧困と圧制に、当時の中国の若年層は、怒りの感情を内心たぎらせていた。そのガソリンにも似た感情に火をつけたのが、毛沢東の文化大革命キャンペーンだった。彼らは徒党を組んで『紅衛兵』等を自称し、競い合いながら、暴力による「反動的分子」狩りを都市の内外で始める。

その悲劇に巻き込まれた一人が、大学教授の葉哲泰だった。コペンハーゲン解釈やビッグバン理論などの「ブルジョア的反動的」科学理論を講義したという理由から、大勢の目の前で、父親が愚かな若者達に殴り殺されるのを見ているしかなかった、娘の葉文潔。彼女がこの小説の前半の主要人物だ。

「三体」は、物理学者の物語である。天体物理を専攻したがゆえに、遠い寒村に下放され、さらに「紅岸」と呼ばれる電波基地に幽閉された彼女が、どうやって文革時代を生きのびたかは、次第に明らかになるが、ストーリー自体は序盤が終わると、いきなり40数年後の現代に飛ぶ。ナノマテリアルの専門家・汪淼は、トップクラスの物理学者が、次々と謎の自殺を遂げるという事件に巻き込まれ、その背後を探りはじめる。

高エネルギー粒子加速器プロジェクトに関わった、天才女性物理学者・楊冬の遺した「物理学は存在しない」という、不可思議な遺書の意味を探る内に、彼は『三体』と呼ばれる、他の星の歴史を、追体験できる参加型ゲームへとはまり込んでいく・・

互いに引力を及ぼし合う三つの質点系の運動は、一般には解析的に解けず、数値的な予測も至難である。では、三重星系を周回する惑星に生まれた知的生物にとって、宇宙はどのように見えるのか。この小説の中心テーマは、決定論的な宇宙観への挑戦だ。それを、複数の主要人物が織りなす、群像的なストーリーで、きびきびと描き出していく。

物語は密度が高く、テンポも早い。1963年生まれの著者・劉慈欣は、天性のストーリーテラーである。2006年に発刊された本書は、英訳されて、2015年にヒューゴー賞を受賞し、その名声が世界的に確定する(英語以外の作品がヒューゴ—賞をとるのは史上初めてだった)。ただ、物理学者達が主要人物といっても、この小説は、科学的考証を核としたハードSFではない。作中人物が「三体」ゲームを称していうように「時代考証は結構いいかげん」で、科学の面でも該博な知識のかたわら、随分と楽しい空想が膨らんでいる。

それにしても、わたし達、現代日本の読者にとって、この小説の面白さの大きな要素は、現代中国のメンタリティを知ることにあるだろう。中国というのは、「英雄たち」と「その他大勢」が、くっきり二つに分かれる社会らしい。そこでは庶民は、要するに「虫けら」である。めまぐるしく権力者の入れ替わる中国社会の支配層を見上げる彼らは、ちょうど予測不能な三つの太陽の動きを見上げる異星人たちに、似ている。ただ、その庶民達にも、強い上昇志向がしばしば湧きあがる。そうした反エリート感情を代弁する、私服刑事・史強のキャラが、この小説に複雑なひと味をつけ加えている。

本書は、波に乗っている現代中国を象徴するような、波瀾万丈のエンターテインメントだ。だが、そのストーリーの背後には、文化大革命の深い傷跡がある。それは、危機に陥った独裁者が、社会の最弱層の怒りに火をつけて、政治に利用しようとした、暴力と狂気の時代だった。だからこそ著者は、1967年の北京から話を始めたのだ。抑圧された人間社会の行く末を予言することは、三体問題を解く事よりも、難しいらしい。

 「三体」劉 慈欣 (Amazon)
 「三体」劉 慈欣 (honto)


3. 「浄瑠璃を読もう」 橋本治・著

橋本治は、鑑賞の名手である。鑑賞とは、我が国語の世界にのみ存在する特殊なジャンルで、引用を中心とした肯定的解説であり、かつ、それ自身が良質な文学となっていなければならない。つまり文章の下手な人は、良い鑑賞が書けないのだ。批評の1ジャンルと言うこともできるが、欧米の批評 Critiques とは全く異なる。批評は、対象との間に距離を取り、その客観的価値を分析しようとする。だが、自分が対象と同一化することこそ、日本文学の鑑賞における重要な要件なのだ。

とはいえ、1年前に亡くなった作家・橋本治は、現代日本を代表する知性の一人であった。彼は浄瑠璃の物語世界に、深い愛情を示すが、それを生み出した社会の有様や、矛盾に満ちた江戸時代の倫理観を、冷静に見通すことも忘れない。

浄瑠璃とは、人形浄瑠璃(いわゆる文楽)の台本テキストである。「丸本」と呼ばれた浄瑠璃の台本が江戸時代は多数出版され、貸本屋経由で読まれていた。もちろん、歌舞伎のドラマも、かなりの部分は浄瑠璃によっている。近代日本人のメンタリティを築いた浄瑠璃の物語群は、しかし今日は忘れ去られ、出版物さえなかなか入手できない。

本書はその中から、代表的な8作品:
  • 「仮名手本忠臣蔵」(かなでほんちゅうしんぐら) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1748年)
  • 「義経千本桜」(よしつねせんぼんざくら) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1747年)
  • 「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1746年)
  • 「本朝廿四孝」(ほんちょうにじゅうしこう) 作:近松半二(1766年)
  • 「ひらかな盛衰記」(ひらかなせいすいき) 作:文耕堂(1739年)
  • 「国姓爺合戦」(こくせんやがっせん) 作:近松門左衛門(1715年)
  • 「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく) 作:近松門左衛門(1711年)
  • 「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん) 作:近松半二(1771年)
を紹介してくれる。

18世紀前半のおよそ60年間をカバーする上記8作品は、人形浄瑠璃という高度な芸能ジャンルの盛衰を表している。初期の立役者・近松門左衛門の時代、人形は一人遣いだった。人形が複雑微妙な感情表現のできなかった当時、太夫の語る台本こそが、文学性を差配していた。だからこそ、日本生まれの日中ハーフの英雄・鄭成功を主人公とする「国性爺合戦」のような、外国を舞台とするスペクタクルもヒットしたし、実在の心中事件に取材した「冥途の飛脚」の、非情なストーリーも生まれたのだ。

近松門左衛門の没後10年経った1734年に、はじめて現在と同じ人形の「三人遣い」が現れた。この技術的イノベーションによって、一挙に人形の感情表現が豊かになり、浄瑠璃の隆盛を招く。竹田出雲らトリオの作になる忠臣蔵、源義経の悲劇、そして「寺子屋」シーンで有名な、菅原道真の3人の家来達の物語が、円熟期の代表作となっていく。

しかし、時代は下って、近松半二の頃(彼は近松門左衛門の孫弟子にあたる)になると、浄瑠璃はもはや、人間が演じる派手な歌舞伎に押されて、衰退期に入っている。彼の巧みなドラマ性で一旦は息を吹き返すが、彼以後の浄瑠璃はもう、新作が現れずに「古典化」し、演奏の芸術として生きながらえる。

浄瑠璃の台本は長くて複雑で、細部がバロック的に装飾され、どんでん返しも多くて、全貌が分かりにくい。現代では「通し」でなく、部分単位でしか上演されず、橋本治もストーリー全部を紹介するようなことはしない。彼が解説し鑑賞するのは、封建社会に生きる人達の、メンタリティと死生観である。それはたとえば、こんなものだ:

「今となっては見過ごされたやすく忘れられてしまう『人形浄瑠璃を貫く価値観』というものがある。(中略)その最大のものは、『きっぱりと決断出来ない人間はだめだ』である。ぐずぐずしているのはバカで、人は、きっぱりと決断すべき時にはさっさと決断していなければだめなのであるーーこの前提があって、その先にもっと重要な『心構え』がある。それは『バカはだめ』である。

 きちんとした結論を出すのに必要なのは、情報収集とその分析である。江戸時代で情報収集などということは簡単じゃない。伝聞と噂話だけで、この確認が容易にはできない。だから情報分析の方が重要で、自分に関わりのある人物の情報であればこそ、その断片を耳にしただけで『核心』にピンとこなければならないーーつまり『人に聡い』のである」(P.191-192)

また、こうも書く。

「『明確な状況認識があれば、事態は必ず打開される』というのは幻想で、そうだったら、頭のいいサラリーマンは会社を変革できているのである。明確な状況認識があったって、事態は打開されないーーこれは、封建的な江戸時代管理社会でも、現代管理社会でも、同じである。

 だからといって、『明確なる状況認識』を放棄してもいいという理由にはならない。だから、『明確なる状況認識』をして分析し、その後に『覚悟』が訪れる。(中略)状況認識の結果『こりゃだめだ』をひそかに理解した人は、だからこそ、孤独の内に覚悟を決める。」(P.193)

浄瑠璃の登場人物たちは、今日の我々の目から見ると、あっけないくらい、すぐに死んでゆく。彼らも我々も、命が惜しいのは同じだし、色や欲に惑わされやすいのだって、同じだ。違いがあるとすれば、聡さへの希求と、覚悟のあり方であろう。窮屈な封建時代は、また、庶民階級でさえ、大人と大人でない者の区別が、はっきりしていた時代でもあった。かの時代の「大人」とは、今のカタカナでいう「オトナ」とは、まったく別のものだ。人に聡く、決断でき、密かに覚悟を持てる大人になれ。浄瑠璃の劇は、そう、我々観客に指し示しているのである。

 「浄瑠璃を読もう」橋本治 (Amazon)
 「浄瑠璃を読もう」橋本治 (honto)


# by Tomoichi_Sato | 2020-04-29 23:36 | 書評 | Comments(0)

サービス経済から、ふたたび実物経済の時代へ

私のプロファイル」 にも書いているとおり、ここ数年は勤務先での中長期的なIT戦略の立案と遂行に、たずさわっている。世の中は少し前からDigital Transformation、略してDXというバズワードが席巻しており、わたしのような者のところにも、戦略コンサルやらITベンダーが入れ代わり立ち代わりやってきては、DXの話をしてくれる。何事も勉強と思い、ありがたく拝聴させてもらっているが、だんだん耳にタコができたような気がしてきた。だって、皆が同じ話をするのだ。

その最大のキーワードは、経済の『サービス化』である。サービタイゼーション(Servitization)という、あまり聞き慣れない英語もついている。これまでの世の中は、せっせとモノを作っては売る、物の経済の時代であった。しかしその時代は終わりを告げ、いまやサービスを中心としたソフトなビジネス・モデルに転換すべき時である。そう、来客の方々は力説される。

モノを作って売り切り、その時点で顧客と縁が切れ、しかも安値競争にさらされるような旧式のビジネスは捨て、これからは、顧客から継続的に収入を得る「サブスクリプション・モデル」に転換するべきである、らしい。すなわち経済のサービス化であり、これがなぜか、DXと共に語られている。御社もぜひDXを進められるべきです、それには、センサーとIoTとビッグデータ解析とAI(機械学習)の活用が必要で、という風にセットで売ってくださる話になっている。

さらに上記に加えて、「デザイン思考」と「アジャイル開発」と「MVP」が、おまけについてくる。MVPって誰のことかと思ったら、Minimum Viable Productの略で、実用になる最小限のプロダクト(といってもモノとしての製品ではなく、ECサイトのようなITシステムを指す)のだそうだ。デザイン思考を使ったグラフィックなファシリテーションをすると、驚くような素晴らしいアイデアが次々と生まれるから、それをベースに、アジャイルなチームが最小限のMVPシステムを短期間にローンチする。そこから顧客接点のデータを収集して、AI分析で製品改善に加速度をつければ、驚異的なスピードでビジネスが成長する、らしい。

あのー、ウチはプラント・エンジニアリング会社で、顧客の数はごく限られていて、一つの受注プロジェクトは終えるまでに3年も4年もかかるんですけど。顧客接点のMVPって言われても、何作ったらいいか想像もつきません。そうお答えしても、なにせ新しき良き便りをたずさえて来られるエバンジェリストの方々には、馬耳東風のようだ。

ご訪問いただく各社とも、いかに自社がユニークな顧客サービスに特化しているかを訴えるくせに、ほぼ同じ提案をしてくる点は、感心するくらいだ。外資系戦略コンサルタントも、欧米ITベンダーも、国内大手SIerも、ドイツ人も日本人もアメリカ人も、全員が似たようなことをいう。こういうのがグローバリゼーションというのだなあ。それとも世界宗教と呼ぶべきかな?

経済のサービス化こそ、救いにいたる道です。そういう話を聞いているうちに、ときどき瞼の裏に、ある工場の部品倉庫の姿が浮かんでくる。中規模な電子機器の組立工場だったが、真ん中にとても立派な部品倉庫を持っていた。そこに部品在庫を、16週間分も保持していると、説明者から伺った。つまり4ヶ月分である。在庫回転率にすれば、わずか年3回。会計士や経営コンサルが聞いたら、目をむきそうな数字だ。

その会社の名前は、Beckhoff Automation。ドイツの制御機器メーカーである。本社は北ドイツの小さな地方都市にあって、わたしは日本法人のご厚意で、3年近く前に、そこを訪れる機会をいただいた。同社は産業用のIPC(Industrial PC)を中心とした高性能な製品群を、開発販売している。

わたしは同僚と一緒に、同社の開発部門のエンジニアと、石油ガス系プラントでの応用についてディスカッションした。石油プラントは爆発性で危険なものを扱うため、安全計装には特別厳しいところがあり、さらにプラントの中はDCSが支配する世界だが、井戸元に近い領域では有用だろう。技術的な内容は省くが、そんな議論を交わした後に、本社の近くの工場の一つを見学させていただくことになった。

その工場の様子については、以前すでに一度書いたので、繰り返さない。平屋造りで天井は高く、内部も明るいし、ドイツらしく清潔で、良い工場だった。夕方近かったので、働いている人たちにもリラックス感があった(なにせ基本は、残業などしない人たちなのである)。でも一番印象に残ったのは、部品在庫を16週間分、持っている、という話だった。

なぜ、そんなに在庫を抱えているのか。それは、「日本に学んだ」からだ、というのだ。といっても、日本企業が得意とする、在庫ミニマムの“JIT生産”や“JIT納品”に学んだのではない。まるで逆である。あの恐ろしかった3.11の震災時に、サプライチェーンの途絶を見て、これは危険だ、と思ったらしい。部品がたった一つ欠けても、製品はちゃんと機能しない。だとしたら生産を継続するためには、部品を保つ必要がある。

ドイツには地震なんて起きないじゃないか。ま、それはその通りだろう。だが、どのような事態が起きて、外部からの供給が途絶するか、誰もわからない。現にドイツは数週間前から、東側との国境を閉ざしており、すでに自動車工場が操業停止に追い込まれた。今年のはじめ、誰がそんなことを想像しただろうか?

Beckhoff社の製品は、高機能・高信頼性が売り物の、産業用システムである。壊れたら、納入先の製造ラインや工場全体が止まりかねない。だから、すぐに代わりの製品やスペアパーツを納入できる体制が大事なのだろう。4ヶ月分の部品在庫は、それを保証するための担保なのである。

供給責任』という考え方がある。顧客が頼りにするモノは、継続して供給できるようにする責任が売り手にも生じる、との意味だ。医薬品や医療機器・材料の業界では当然とされる考えだが、他の業界ではあまりポピュラーではない。だが同社は、この考え方に立って経営判断をしていると、わたしは感じた。

産業用の製品は、当然ながら性能と信頼性が大切だ。ただ、「信頼性」には、製品の品質的な信頼性(故障率の低さ)以外に、供給の信頼性も含まれる。在庫という「実物」が、彼らの信頼性を保証する。だから、わたし達のような来客に、それをちゃんと見せて説明してくれるのだ。

もちろん、だからといって、バリエーションの多い製品の形で在庫を持つのは愚かだろう。同社は賢いから、そんな事はしないはずだ。部品の共通化をはかりやすい設計思想のもとで、共通部品を在庫するようにしていると思われる。そしてこれは、経営判断の結果である。Beckhoff Automation社はドイツの典型的な中堅企業(Mittelstand)で、創業者がオーナーの同族企業だ。だから、経営者が自分でリスクを取って、決めることができる。

ひるがえって、JIT納品を誇る日本のメーカー各社は、どうやって供給の信頼性を約束するのだろうか? たしかに日本のメーカーは、JITで在庫をギリギリまで削減したおかげで、内部留保のキャッシュはいっぱい持っている。サプライヤーも、忠実だ。だが、供給の継続は、手形のような「約束」でしかない。

いうまでもないが、パンデミックが世を覆う今は、不安の季節である。そして不安の反対語は、信頼ではないか。あなたは口約束と実物と、どちらを信頼するのか。

別の言い方をしてもいい。経済学風にいうと、世の中には実物資産と、金融資産がある。実物資産は目に見えて、その使用価値もはっきりしている。金融資産は紙の上の数字(あるいはどこかの計算機上のデータ)であって、実物資産との交換可能性を示しているだけだ。それが債権であれ手形であれ、あるいは銀行口座であれ、何らかの手段で、実物と交換できるはずだから交換価値があるのだ。

ただ債権も手形も、いや、たとえ銀行口座でも、貸し倒れになるリスクが必ずついて回る。いや、貨幣そのもの無リスクだろうって? でも、お札をよく見てほしい。「日本銀行券」と書いてあるはずだ。あれは実は、譲渡可能な銀行預金証書の一種なのだそうだ。え、日銀はつぶれない? うん。わたしもそう信じたい。だが、インフレでお札の交換価値がみるみる下がっていく可能性は、ゼロではない。実物資産の利用価値のほうが、むしろ安定してる。

ちなみに経済のサービス化におけるサブスクリプション・モデルは、モノの所有権を売買するのではなく、モノの利用権をベースに商売しよう、という思想だ。その事例を、わたしもずいぶん教えてもらった。

たとえば、ジェットエンジンというモノを売るのではなく、エンジンの稼働時間を売る。これは英ロールスロイス(Power by the Hour)、GEもやっている、賢いやり方だ。あるいは、タイヤを売るのではなく、走行距離を売る。これはミシュランとか、ブリジストンなどが試みている。IoTとセンサー技術で、データを取って分析し、活用もできる。かくして、モノを売るのではなく、成果を売るビジネスに転換が進んでいるのだ、と。

またゼネコンは、建物を売るのではなく、建物のサブスクリプション型ビジネスを、一斉に志向し始めた、とも聞いた。すなわち、不動産というアセットを所有し、保守メンテ付きで賃貸する訳らしい。これって、PFI事業と同じに聞こえたが、まあ顧客が民間の場合はPFIとは言わないのかもしれぬ。

あるいは、その昔、計算機メーカーがやっていた、大型ホストコンピュータのレンタルも、一種のサービタイゼーションだったのだろうか? TSSサービスも利用料モデルだった(まあ、こんな化石時代の話を知っているITエンジニアなんて、もうほとんどいないだろうが・・)。

サブスクリプション事業の利点は、大きく3つほどある、という話である。すなわち、

(1) 顧客からみて試しやすい。なにせ資産を買うより、ちょっとだけの期間の利用料を払って、試しに使ってみることができるからだ。言い換えると、新規顧客開拓が容易だ、ということである。

(2) 顧客の囲い込みで安定収入を得やすい。売り切りはワンタイムの収入に過ぎず、安定しないが、サブスクリプションならば継続的に日銭を得られる。

(3) 顧客と継続した関係を築きやすい。なんといっても、良い顧客体験(UX)を売ることで、フィードバックを得て、さらにベストなUXへと磨きがかけれられるし、新しいニーズを知ることもできる。

そういう風に、良い事だらけだと、推薦者たちはおっしゃる。だが、どうして光のあたっている良い面ばかりを見て、反対側を見ないのだろう? 物事には必ず両面がある、というのは基本的な常識、思考習慣だと思うのだが。

新規顧客を得やすい、ということは、顧客が離れやすい事をも、同時に意味している。それは当然だろう。隣にもっと魅力的なサービスを提供するライバルが出たら、顧客はそちらもすぐに試して比較できるのだ。したがって、上記のメリットは、スイッチング・コストが高くて、顧客の囲い込み(ロック・イン)が可能でない限り成立しないはずである。

スイッチング・コストとは、他の製品に替える際のコストである。たとえば、ジェットエンジンは、そう簡単に取り替えられない。だからロールスロイスやGEのサービスは成り立つのだ。

まあ仮に顧客を囲い込めても、まだ問題がある。

このサイトでは何回も書いているが、サービスとは、リソース提供ビジネスである。自社が保有している、人的リソースや、物的リソースの利用料(占有権)を、お金に変える商売だ。そして、リソース提供である以上、その稼働率が、収益性の最大の鍵になる。リソースの維持には、固定的にお金がかかる。だから、つねに高稼働率の状態で回っていないと、利益が出ない。

いいかえると、サービス業は、急激な需要減少に弱いのだ。今回のパンデミックの事態で明らかなように、航空機需要が落ち込んで、エンジンが地上で寝ている間は、サブスクリプションでは一銭もお金が入ってこないことになる。

もう一つ、サービス経済でまずい点がある。それは、需要回復のスピードだ。今回の危機が去って、世の中の需要が元に戻ったとしよう。その時、実物経済ならば、たしかに需要もV字回復するだろう。たとえば医療機関では、マスクその他が足りずに在庫が底を打った。もしもマスクの供給が無事に復活したら、元の在庫レベルまで補充・回復するため、沢山買うだろう。あるいは今後のことを心配して、もっと買いだめするかもしれない。つまり、需要はV字回復する。

しかし、サービスの場合はどうか。あなたは外出自粛要請が終わったら、たくさんの場所を旅行しまくるだろうか? ホテルに泊まりまくるだろうか? 映画を見まくるか? 飲み会を10件、はしごするか? それはちょっと、無理だろう。

低迷期が終わっても、サービス業の需要はV字回復しない。これがサービス経済と実物経済とで、最も違う点である。サービスは「同時性」(リアルタイム性)という特性があるからだ。サービスでは占有時間に応じて、料金ををチャージする。そして、誰にとっても時間は有限だ。1日は24時間しかない。

つまり、サービスは在庫できないのだ。

今回の騒ぎが終わって、パンデミックが去ったあと、どんな世の中になるのか、いろいろな予想がある。ただ、全くもとのままの姿には、もう戻らないだろうと、多くの人が予測している。その理由の一つは、リーン(在庫最小)でグローバルに伸び切ったサプライチェーンの、脆弱性が明らかになったからだ。

だとしたら、供給の信頼性を再び高めるために、また配下のサプライヤーに事業を継続してもらうためにも、ある程度の部品在庫を持っておく選択肢もあるのではないか。もちろん全部の会社が、4ヶ月分も部品在庫を保つ必要は、ない。だが幸にも、大企業の多くは、すでに無借金経営で、キャッシュを持っている。だったらそのお金で、国内のサプライヤーに発注し、自社の常備在庫を増やしてはどうか。むしろ今なら、良い買い物ができる可能性が高い。

このご時世に、金融資産の数字だけ積み上げたって、リターンはそれほどは多くあるまい。むしろ天下の回りものとして、実物経済に寄与するほうが、少しは役に立とうというものだ。お魚券の論議じゃないが、今の大企業は、貯蓄性向が妙に高すぎないだろうか。お金とは、生きた使い方をしてこそ、ご利益(りやく)があるはずなのである。


<関連エントリ>


# by Tomoichi_Sato | 2020-04-23 22:48 | サプライチェーン | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(5月14日)開催のお知らせ

来る5月14日(木)に、2020年の「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」第2回会合を開催します。今回は、PMにおける感情のマネジメントを社会心理学の視点から考えるため、東洋大学の北村英哉教授をお招きしました。昨年から継続的に議論している、『感情』シリーズの第3弾です。

プロジェクトとは不安定なもので、良い方向であれまずい方向であれ、いったん転がりはじめると加速度がつきやすい傾向があります。こうした不安定さには、プロマネ自身やチームのメンバーがもつ、無意識の『感情的バイアス』が、大きな役割を持っていると想像されます。しかしプロジェクトにおける感情の問題は、これまであまり注意を向けられたことがなく、せいぜい組織のモチベーション・アップや報奨とからめて論じられる程度でした。

北村先生の『偏見や差別はなぜ起こる?』によると、偏見などのバイアスは、社会心理学的には「態度」の一種であり、そこには認知・感情・行動の3つの側面がある、のだそうです。無意識のアンコンシャス・バイアスは、認知的には「ステレオタイプ」として現れ、感情的には「偏見」となり、結果としてコミュニケーションを阻害していきます。そして行動面では、社会的差別にまでつながりうる訳ですが、最近のコロナウィルス禍で、わたし達はあらためて、差別がいかに起こりやすいかを実感しています。

プロジェクト・マネジメントの基本は、現実を客観的に見ることにあります。もちろん、だれしも無意識の思い込みから完全に自由にはなれませんが、そのメカニズムがどう働くかを知ることはできます。社会心理学という耳慣れない研究分野の知見が、わたし達の仕事において役立つヒントを提供してくれると期待しております。大勢の方のご来聴をお待ちしております。

(なお、現在の緊急事態宣言と外出自粛要請が、どのような形で明けるかは、まだ不明です。場合によっては、リアル会合+Web会議、あるいはWebのみでの研究会実施とする可能性もありますので、ご了承ください)


<記>

■日時:2020年5月14日(木) 18:30~20:30

■場所:田町キャンパスイノベーションセンター 
 5F スペース:509AB
 (JR田町駅の芝浦口から右方向の階段をおりて、50mほど先の右手の建物です)

■講演タイトル:
「無意識の思い込みの弊害: 感情の社会心理学の観点から」

■概要:
組織内でも対外的にも役割に伴い、人はステレオタイプ的なイメージをもち、それが無意識のうちに働くことでコミュニケーションの阻害要因となることがあります。
こうした無意識の思い込みともいえる「アンコンシャス・バイアス」について近年の知見と、具体例、実践的な対処などをめぐって、感情研究の観点から議論したいと思います。

■講師:東洋大学教授  北村 英哉
 
■講師略歴:
東京大学大学院社会学研究科博士課程中退 博士(社会心理学)、
関西大学教授などを経て、現在、東洋大学社会学部社会心理学科教授。
専門は、社会心理学、感情心理学。 
主要著作:『偏見や差別はなぜ起こる?』(ちとせプレス、共編著、2018年)、『心の中のブラインド・スポット』(北大路書房、共訳、2015年)、『進化と感情から解き明かす社会心理学』(有斐閣、共著、2012年)など。

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。
 参加を希望される方は、確認のため、できましたら前日までに三好副幹事までご連絡ください。

 以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2020-04-14 23:21 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

誰が決断を下すのか? 〜タスクフォース組織のすすめ

先週は入社式のシーズンだった。しかし今年はコロナウィルス禍の影響で、式自体を延期したり、全員集合の形式をやめて、オンライン配信にした企業も多かったはずだ。新入社員の側も、さぞや不安だったろうと思う。通常であれば、入社式のあとは、しばらく集合研修の形で新人教育を行い、その後に正式に部門配属になる。だが、今年はそれも分散型でオンライン教育が中心になるに違いない。

なにせ「人の和」を重視するのが、わたし達の社会の文化だ。だから顔と顔を突き合わせ、親しさを重ねることで組織を作り上げていくスタイルが、好まれる。そして一斉採用なので、「同期」という絆も生まれる。米国の会社のように、個別採用で、入社したら1時間程度の簡単なガイダンスがあるだけ、あとは業務マニュアルをポンと渡されて、割り当てられた仕事をしていく、という風ではない(もちろん米国にだっていろいろな企業があり、これは一部の例だが)。

日本では、民間企業を始め、官庁・公的機関などほとんどの組織が、『機能型組織』(Functional organization)と呼ばれる形態をとっている。だから、入社して組織に配属されるとは、何らかの機能を担う部署の、ピラミッドの一番下に所属することを意味する。

機能型組織とは、図に示すように、上に役員層(エグゼクティブ)がいて、その下に部門長(ミドル・マネジメント)がおり、さらにその下に部員がいる構造になっている。各部門は、それぞれ異なる機能的な役割を担う。たとえば図では、「設計」「調達」「建設」の例を示したが、もちろん業種業態によって、「営業・製造・物流」だったり、「診療・看護・医事」だったり、いろいろだろう。自分の業種で、読み替えて見てほしい。
誰が決断を下すのか? 〜タスクフォース組織のすすめ_e0058447_07534120.jpg
各機能は、さらに、インプット・業務プロセス・アウトプットが、だいたい決められている。設計ならば、設計の予条件や顧客要求などがインプットで、設計計算や結果のチェックや作図・仕様書作成などの作業を経て、2D/3D-CADの製作図面やモデル、技術仕様書、操作マニュアル、部品表(BOM)のリストなど、アウトプットを生み出す。

こうした機能型組織の特徴は、機能(要素技術)をベースとして、分業によって業務を進めていくことだ。部門(部署)ごとに、担当する仕事の種類が異なる(営業/会計/製造など)。各部門は、その機能的な能力・技術を磨くことで、最大効率を目指す。そして部門内では、能力・スキルや経験年数により、序列がつくられ、秩序をもって運営されていく。

機能型組織の長所は、技術蓄積・継承・業務改善が行いやすい点だ。セールスならば営業部門、設計ならば技術部門、経理ならば会計部門、という風に、仕事を進める技術やスキルの、オーナーシップが明確になっている。そして、とくに製造業の場合、権限(予算執行や人事評価)は、ライン部門長に集中している。

ただし、欠点もある。分業によって部門間に壁ができやすい、部門を超えた人材の流動性が抑えられがち、といった事がそうだ。しかし最大の問題は、複数の部門が協力して当たらなければならないような、緊急の課題や、期限付きの活動が、進めにくい点にある。

拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』 では、そうした例の一つとして、新製品開発の事案をとりあげた。ある製造業の社長が、たまたま訪問した先の海外企業のトップと意気投合して、その新興国の市場向けに、共同で製品を開発する約束をして帰ってくる。主人公はその会社で働く若手のエンジニアで、技術部門に属しているが、まだ製品開発をリードできるような立場ではない。ただ、明らかに複数部門が関わらなければ、成功しないことぐらいは分かる。

開発案件の担当メンバーの一員となった彼は、その案件の行く末を心配して、大学時代の大先輩にどうしたらいいか、アドバイスをもらいにいく、という設定である。

だが、なぜ主人公は、そういう心配をしたのか? もう一度、図を見てほしい。こういった組織図の、縦横を結ぶ線のことを、英語でなんと呼ぶか、ご存知だろうか。答えは、"Reporting line”だ。つまり、文字通り、レポート(報告)する関係を示す線である。具体的に、誰がどの人に対して報告するか(あるいは逆に、指示がおりるか)を、この線があらわしている。

会社の公式なコミュニケーションは、全部このReporting lineに沿って動かすのが、ルールである。線が結ばれていない人同士は、直接、指示や報告のやり取りはしない(食堂や部活でおしゃべりするような、非公式なコミュニケーションは別として)。ある部門の担当者が、別の他の部門の担当者と、なにか依頼や相談をしたい場合は、線に沿って、部門長を経由して伝達する必要がある。

たとえば設計の担当者は、設計部門長にまず書類や事案を上げ、設計部門長はそれを、調達部門長に渡す。調達部門長は、それを担当者に下ろす。これが会社組織の、公式なルールである。それをバイパスしたりショートカットしたりすると、部長から「俺は聞いていないぞ。勝手なことを決めてくるな!」と叱られたりする。なぜなら部門長は、部内の業務すべてに、一応責任を負っているからだ。

ところで、このような会社に、複数部門にまたがって緊急対応が必要な事案が、何かふってわいたら、どうするか? たとえば拙著にあげたような製品開発でもいい。あるいは今回の、コロナウィルス禍への対策などでもいい。

たとえば図の一番下の点線で囲まれた部分のように、ある事案なりプロジェクトに関わる担当者たちが、何か調整をしなければならなくなったとしよう。その際、彼らは公式なレポーティング・ラインを通してしか、やりとりができない。組織のルール上は、直接お互いに話をすることができないからだ。

しかし、個別の事案の個別の調整を、全部、部長を通して行うのは、果たして現実的だろうか? 部長同士の会議(部長会)なんて、どこの会社でも、せいぜい週に1回か、2週に1回程度だろう。当然ながら、コミュニケーションのスピードが非常に遅くなる。

じゃあ、設計部長が個別事案の相談のために、調達部長や建設部長のところに出向いていって、話すのではどうか? かりに部長同士が、ちょうど空いている時間をうまく取れたとしても、話し合いの結果、意見が対立したら、どうするか。

日本企業はコンセンサス(合意)で進むのが、基本だ。しかし、それでも合意できなかったら、誰が最終的に決断を下すのか? まさか、物理的に声の大きい人か? いや、そんな事はあってはならない(はずだ・・たぶん)。

もちろん組織図上には、「役員」がいる。だが多忙な役員が、個別の事案の調整まで全部、面倒など見きれる訳がない。

ちなみに、具体的な完了条件(ゴール)があり、複数の人が協力する必要があり、そしてリスクがあるような種類の仕事を、『プロジェクト』と呼ぶ。機能型組織では、結果として、複数の機能部門にまたがるようなプロジェクトを進める際に、問題が発生しやすくなる。部門間の課題について、誰が決断を下す人なのか、不明になるからだ。これが、機能型組織の限界だ。

いいかえると、部門横断的に(これをクロス・ファンクショナルといったりする)進めるべき事案が生じても、プロジェクト・マネージャーが存在しないのである。プロマネがいないのだから、プロジェクトの期限(納期)や必要なコストについて、全体を見て判断し、責任を負う者がいないことになる。したがって、プロジェクトの遂行スピードが遅く、誰も終了時期を確約できない状況になりがちだ。

日本の製造業は、機能型組織が強い。逆に言うと、複数の事案やプロジェクトを効率的に回すのには、あまり長けていない、といえるだろう。そしてこの事が、日本企業の競争力を阻害する大きな原因になっているのである。というのも、新製品開発競争や、新市場の開拓、そしてサプライチェーンの海外展開など、部門間を超えて対応しなければいけない課題が、今日では目白押しだからだ。

では、どうするべきなのか? その答えが、『タスクフォース』型チームの組成である。

タスクフォース(Task force)という言葉は、元々米軍が使い始めた、軍事用語である。日本語で言えば「機動部隊」に相当する。すなわち、特定の課題(Task)に対応するために、臨時で動員した人員組織(force)を意味する。

タスクフォースにアサインされた人は、原則として、もともと所属していた部署の仕事は中断して、その特定課題の仕事に専任する。通常は、執務場所も移動して、タスクフォース・チームとして同じ場所に顔を合わせる。そしてチームのリーダーやサブリーダーの指示の下に、仕事をする。そうして、最終的に所定の任務を達成したら、チームは解散となり、メンバーは元の部署に戻っていく。だからタスクフォースは、時限的な組織である。

これに対して、機能部門はパーマネント(永続的)な組織である。永続的だから、若手の教育研修とか、技術蓄積とか、業務改善といったことにも取り組む。タスクフォース・チームでは、原則としてこういった事は行わない。そもそも、仕事のできない、「使えない」人材は、普通タスクフォースにはアサインされない。きちんと能力をもった選りすぐりのメンバーを、一時的に集めて、機動的に課題に当たるのである。

なお、「タスクフォース・チーム」と、「プロジェクト・チーム」は同じものか、違うのか、という問いがある。ネットを調べると、タスクフォースは短期的で、プロジェクト・チームは長期的な仕事に使う場合が多い、などという解説が出てくる。

だが上に述べたように、時限的(有期的)で明確なゴールがあり、複数の人間が協力して当たらないと成功しないような仕事は、原理的にすべて『プロジェクト』である。だから基本的に、両者は同じものだ。実際、欧米のメジャー企業では、Project task force(PTF)という言い方も、よくしている。

タスクフォースの特徴は、とりくむ特定課題について、責任を任されている事だ。必要な権限と、予算と、人員をつけられている。だからこそ、機動的に判断して動けるのである。逆に言うと、細かいこともいちいち上の判断を仰がなければいけなかったり、予算の執行権がなかったり、勝手に人を引き剥がされたりするようでは、タスクフォースは課題解決の責任を負えない。

無論、予算枠が足りない、人が足りない、といった問題は現実にはありがちだ。しかし、だとしたらタスクフォースのリーダーは、その事実を上位マネジメントに訴えるべきだし、逆に上位の管理者(会社の重要なタスクフォースだったら普通は役員層)は、タスクフォースがちゃんと任務を果たせるよう、支援する責務がある。

タスクフォースでは、リーダーが、強いリーダーシップを持つことが大事だ、といった解説もよく見かける。もちろん、それは大切だ。だが、もっと大切なことがある。それは、

 「チームのメンバーは、自分の元の部署の利害や部門長の命令ではなく、タスクフォース・のリーダーの判断に従う

という行動習慣を全員が持つことだ。それを周囲も認めることだ。

たとえば自分が物流部門出身だったとしよう。ある時のリーダーの指示・判断が、どう見ても物流コスト的に余計かかりそうだったとする。仮にたとえそうだとしても、タスクフォースにいる限りは、その指示に従う必要がある。もちろん、リーダーに意見を言うことはあっても良い。しかし、最終的な判断の権限は、リーダーにある。

そこで、出身母体の物流部門の価値基準を優先して、指示を実行しなかったり、あるいは物流部門長にかけあって反論したり、してはいけない。タスクフォースのリーダーと、もとの所属部門の部長の意見が異なったら、タスクフォースの指示で動くべきだ。そうしないと、部門間の合意で決めていたスローなやり方と、何も変わらなくなってしまう。

リーダーはいろいろな角度から、課題の全体像を見て、判断するはずだ。もしかしたら、かりに結果として物流コストが上がっても、製造リスクが下がるのかもしれない。どちらにしても、結果に対する責任は、タスクフォースのリーダーが負うからだ。責任と権限範囲は、対応しなければならない。これが組織の原則である。

時限的で、緊急度が高く、集中して取り組まなければならない課題については、ある程度、権限もタスクフォースのリーダーに移譲(集中)する必要がある。それは、一時的な処置である。安定した時期は、部門間のコンセンサスと、公式なレポーティングラインだけで仕事を動かしてもいい。緊急時は、そうはいかない。

ところが、長らく機能型組織の中だけで生きていると、この原則が見えなくなりがちだ。部門間のバランス・オブ・パワーで生きていると、誰かに一時的に権限が集中するのを、反射的に嫌う傾向がでてくる。これが、タスクフォース組織を活かせるかどうかの、一番のボトルネックなのだ。

もちろん、これは、物流のことをろくに知りもしないリーダーが、何でも勝手に決めていい、という意味ではない。そのために、物流部門から「仕事のできる」メンバーをタスクフォース・チームに入れてもらったのである。そのメンバーも、物流の観点から課題を考え、影響を考慮し、リーダーに提案しなければならない。

つまり、タスクフォース組織を組む際には、影響のありそうな関連機能の部門から、なるべく広くメンバーを入れる必要がある。課題やプロジェクトに利害関係を持つ人のことを『ステークホルダー』と呼ぶ。タスクフォース・チームは、外部のステークホルダー(つまり社内の関連部署の部門長たち)から、やいのやいのと助言だの苦言だのをもらって右往左往せずにすむように、あらかじめステークホルダーの技術や知見を「内部化」しておくのである。

逆に言うと、機能部門長は、タスクフォースに人を出してほしいと要請された場合、余っている人を出すのではなく、ちゃんとした能力を持つメンバーを出す必要がある、ということだ。これもまた、多くの日本の組織では、言うは易く行うは難し、である。部門長は、自部門の都合を第一に考える習慣が強いので、有力なメンバーを割かれるのに抵抗感を持つからだ(それに、大抵の組織では、そもそも有能な人が足りない)。

また、上記に関連して、タスクフォースは、独立した予算枠と執行権を持たなければならない。特定課題に関連する物流コストがアップしても、それは物流部門の成績に集計されるのではなく、タスクフォースのコストになる。こうして、外部からの独立性を担保するのである。

上に述べた拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』のケースでも、本当は、共同製品開発のためのタスクフォース・チームの設置を、すぐに社長が命じるべきだったのだ。だが、社長はそういう事をしないで、案件を、ただ機能型組織に任せた(丸投げした)だけだった。誰がプロジェクト・マネージャーで、どう決断していくのかすら、分からない。そういう状況下にあって、主人公がどう動くか、またそれを助けるための組織的な形態は何か(著者としては実はこの部分の解決に苦労したのだが)、ご興味があればぜひお読みいただきたい。〜以上、コマーシャルの時間でした(笑)。

ともあれ、まとめよう。タスクフォース・チームとは、特定の課題を解決するために、時限的に集められた組織である。それがちゃんと機能して活きるためには、守るべき条件がある:

(1) タスクフォース・チームは、独立した権限と予算執行権を持つ
(2) 幅広い関連部署から有能なメンバーを集める
(3) 各メンバーは(出身部署の利害代表者として動くのではなく)、タスクフォース・チームのリーダーの決断に最終的に従う

このようにして、機動的な部隊を動かし、「誰が決断を下すのかわからない」状態を避けるのである。

ただし上記の「幅広い関連部署」を考える際には、ある問題や対策が、どこまで広い影響範囲を持つのかに関して、きちんと豊かに想像力を働かせる必要がある。想像力と書いたが、それは、物事の依存関係(連鎖的な因果関係)を、幅広くたどっていける論理的な思考能力である。

いいかえると、タスクフォースを成功させるためには、『システムズ・アプローチ』が大事だ、という事だ。じゃあ、そのシステムズ・アプローチとは何か、という話になるが、これはまた深い議論が必要なので、別の機会にまた書こう。


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# by Tomoichi_Sato | 2020-04-07 08:18 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

書評:「ザ・クリスタルボール」 エリヤフ・ゴールドラット著


クリスタルボール(水晶玉)とは、西洋の女占い師が、未来を予見するときに使う道具だ。そしてもちろん、占いの予言など、科学的に信頼できないものの代表例である。

しかし消費者向けのB2Cビジネスの世界では、どうしても「需要予測」なるものに頼りたくなる。とくに小売りの世界では、そうだ。何が売れるかを見極めて、売れ筋の商品を仕入れる。手元にない商品は、売れない。もちろん自動車のディーラーのように、納車まで数週間単位で待ってくれる業種もあるにはある。だが、一般消費財は、「じゃ別の店に行って探すわ」といって商機を逃してしまう。

より科学的で正確な予測を得て、万全な計画を立てたい。そうした思いを、一般消費財の分野で持つ人は多い。少なくとも、欧米的な思考では、そうなる。だが、『計画重視』が導く、「あらゆる細部を完全に計画すれば、ビジネスの問題は解決する」という思考習慣に反対するのが、著者ゴールドラットの基本的スタンスだ。

本書はエリヤフ・ゴールドラットが2009年に発刊した、最後のビジネス小説である。「制約条件の理論」(TOC = Theory of Constraints)で有名なゴールドラットは、イスラエル人の元・物理学者だが、むしろアメリカでビジネス・コンサルタントとして活躍した。最初はOPTという名前の生産スケジューラを開発して売っていたが、彼の名を一躍有名にしたのは『ザ・ゴール』というビジネス小説だった(初版は1984年で、Jeff Coxという作家が執筆に協力した)。爾来、彼はむしろコンサルタント兼作家として、カリスマ的な影響力を発揮してきた。

考えてみると、彼の小説を日本語の翻訳で読むのは初めてだ。初期の三部作”The Goal”, “It’s Not Luck”(日本語訳のタイトルは「ザ・ゴール2」), “Critical Chain”(「クリティカル・チェーン」)は、いずれも90年代に英語で読んだ。当時、彼の著書は日本語に翻訳されていなかった。ゴールドラットは日本嫌いで、ザ・ゴールは世界各国語に翻訳されたのに、日本語訳だけは許可されなかったと言われていたのだ。

ちょうど90年代後半は、「サプライチェーン・マネジメント」という概念が日本にも紹介された時期だった。わたしが中村実氏や本間峰一氏らと共著で「サプライ・チェーン・マネジメントがわかる本」を執筆したのが1998年。この時期、ゴールドラットのTOC理論は、SCMの概念に大きな影響を与えており、彼の著書は必須の文献だったのだ。


ポールとキャロラインは、ハンナズショップ(「ハンナのお店」)という、家庭用品チェーン店の経営に関わっている。主な商品はホームテキスタイル(繊維製品)、つまりテーブルクロスとかベッドシーツとか羽根布団のたぐいだ。妻のキャロラインは、このチェーンの創業者の娘で、仕入の責任者をしている。ポールは娘婿という形で、フロリダ州のボカの店長を任されて3年目だ。

しかしポールの店は、売上を順調に伸ばしているとは言い難い。その上に、地下倉庫の天井で水道管が破裂し、店の在庫品が水浸しになるというトラブルに見舞われる。彼の店は、陳列棚を含めて2,000 SKU (Stock Keeping Unit) 以上の品目を、合計で4ヶ月分保有していた。倉庫の修理は数ヶ月かかる。その間、彼らはギリギリまで圧縮した約20日分の在庫で、店を回さなければならなかった・・

ビジネス小説では、主人公が陥るトラブルの設定がポイントになる。トラブルは物語に、スリルと緊張感をもたらすからだ。陥るトラブルが簡単すぎると、サスペンスが薄くなる。しかしトラブルが深刻すぎると、抜け出して解決するのに知恵のみならず、かなりの幸運が必要になって、ご都合主義的な匂いが出てしまう。またトラブル状況が特殊すぎると、読者にとって参考になりにくい。ここらへんがなかなか、難しいのだ。
(『ザ・ゴール』がベストセラーになったのは、主人公アレックスの工場がピンチの上に、彼の仕事一辺倒の姿勢に嫌気が差して、妻がいなくなってしまう、という公私両面のダブルパンチ状況が見事だったからだ)

ともあれ、ポールはやむなく、地域倉庫(フロリダ州のその地域の店舗群に、商品を供給している物流センター)のロジャー主任に協力を頼む。本来の規則では、一定の搬送ロット数量を満たさない限り、オーダーをためてからでないと出荷できないのだが、毎日必要な分を、すこしずつ小口で配送してもらうようにする。

ところが、この方式が意外な功を奏して、彼の店は翌月、急に売上が20%も上昇し、利益率も地域でトップになる。こまめな補充で、品切れとなるSKUの種類が減ったためだった。ポールは、この方式を他の店にも広げたらどうだろうか、と考え始める。だが、「販売=商品在庫を抱えること」という固定観念にしばられた売り手たちの考えを変えさせるのは容易なことではなかった・・

他方、妻のキャロラインは、仕入先であるインドの縫製業者との交渉に難儀していた。価格ネゴも大変だが、そこはバイヤーとして手慣れている。むしろ品質や納期に、トラブルが頻発するのだ。しかし、彼女も次第に、大ロットの注文に問題の原因があることに気づき始める。そして染色布の段階でサプライヤー側に預け在庫しておき、小ロットの注文で分納させるという方法を思いつく。

・・小売業の仕事に関わった経験のある読者は、店舗の保有する在庫が4ヶ月分、と聞いて腰を抜かしたかもしれない。日本では考えられないことだからだ。だが、米国のサプライチェーンを理解するためには、あの広大な大陸の距離感覚について、ある程度の想像力をもつ必要がある。彼らにとって、500マイル(=800km)以下、つまり東京-広島間より短い距離など、「長距離」の言葉に値しないのだ。

そうした大陸を、東岸から西にむけて、順に制覇していった彼らにとって、「ロジスティクス」(輸送と補充)ほど重要な物事はなかった。モノが手元にないからといって、すぐ取りに戻るなどという事はできないのだ。現在でも、米国の端から端まで自動車輸送すると、最低で丸4日かかる。業者に電話すれば必ず翌日モノが届く日本とは、基本的な感覚が異なるのだ。必然的に、輸送は大ロットになる。

そして彼らは、「1ダースなら安くなる」というビジネス倫理(?)に忠実に従い、店を作るときでも工場を立てるときでも、最初から大規模なものを考える。生産も大規模、購入も輸送も大ロット、消費者もまとめ買い。だから米国のスーパーで売っている、普通の牛乳のサイズは1ガロン(=4L)のボトルで、紙パックは2Lが標準だ。

このような大量生産・大量消費・広大な流通網の世界で、気ままな消費動向を抱えながら、すべてを完璧に計画しつくそうというのは、確かに無理な相談である。ゴールドラットの制約理論(TOC)は、こうした「計画至上主義」の問題に対する解決策として、「バッファー・マネジメント」の考え方を提案する。

バッファー』とは、モノについてもリソースについても、また処理キャパシティについても使う言葉だが、モノのバッファーとは、要するに在庫である。消費の変動に対応するために、バッファーとしてのストック在庫を置く。問題は、そのバッファーをどこに、どれだけの量、配置するかである。

互いに独立に変動するばらつきは、足し算すると、変動の程度が相対的に小さくなる、という性質がある。それは増減が、互いに打ち消し合うからだ。だから1店舗でのシーツの売上の変動よりも、複数店舗合わせた売上の変動のほうが、相対的に(=平均値でばらつきを割ったら)小さくなる。

だから、大きな原則としては、在庫を各店舗で個別に持つよりも、地域倉庫や、さらに上位の工場倉庫に集約するほうが、変動に対する安全在庫量が小さくなる。これがバッファー集約の効果である。

また逆に、製造(仕入)で言えば、サイズやカラーなどおびただしいバリエーションの製品群について、個別に生産量を計画するよりも、それを上流側で集約した共通材料(=染色布)でストックし、個別の需要に応じて小口に製造オーダーを切る方が、リードタイムも短く無駄が少ない、ということになる。

では、そのバッファー在庫の量はどのようにして決めるか。TOCでは、青(安全)・黄色(注意)・危険(赤)の3つのレベルを設定して、ユーザーが実際の在庫推移を監視しながら、発注点などを調整することを推奨する。これがゴールドラットの「ダイナミック・バッファー・マネジメント」(Dynamic Buffer Management = DBM)の基本的な考え方だ。

何か理論式で天下り式に決めるのではなく、現場の担当者が、現実を見ながら調整する。米国では、在庫量は1日あたり平均需要量の何倍分、といった計算式で、本社が機械的に決めることが多いのだが、TOCはそういう点で、ボトムアップ的でもある。この小説には、『ザ・ゴール』に出てくるジョナ氏のような、老賢者は登場しない。主人公たちが、自分たちで頭を捻りながら、解決策を見出していく。そこにスリルもあるのだが、「怪我の功名」みたいな話の運びには、若干の物足りなさがある。

それに、率直に言うと、読んでいて内容的に、いささか古さを感じる面もある。地域単位の営業倉庫をやめ、全国で1箇所の(あるいは、せいぜい東西2箇所の)物流センターに在庫を集約する動きは、日本ではすでに2000年代のはじめから、いくつもの先進的な業界で進んでいたことだ。もちろん米国と事情は違うにせよ。

また、イタリアのベネトン社は、非常に数多くの種類のカラー製品を扱うために、すでに80年代の終わりから、白地の布でストックし、需要に応じて染色加工して出荷するサプライチェーンを構築していた。HP社もインクジェットプリンタの国別仕様の違いを吸収するために、主要部品は米国で集中生産し、電源モジュールだけ各国で後づけする方式をとっていた。いずれも上流側にバッファーを持つ工夫だ。

そして在庫をサプライチェーンの上流側で集約するといっても、商品の平均的な出荷量や変動、そしてその単価によって、実際にはどこに主要な在庫ポイントを持つべきかは変わる。ジョージア工科大学のSpearmanとHoppらは、98年に「Factory Physics」(工場物理学)を著して、すでにこの問題に数理的に取り組んでいた。そうした成果や知恵は、いずれも本書が現れる前から世にあったものだ。

もちろん、本書に書かれている解決策を、そのまま適用して、劇的効果の出る企業は、今でもいくらでもあると思う。DBMを通じて、現場がボトムアップに在庫問題に取り組むというアプローチは、現実問題としてはとても適切だろう。しかし、もう少しマクロな観点から、理論的なGuiding principle(指導原理)があってもいいとは思う。

本書がそうした理屈を議論する場でないことはもちろんだ。だが、物理学者だったゴールドラットの事実上最後の著作が、あまり意外性のない解決策を経て、メザニン・ファイナンスや集中出店戦略といったエピソードで閉じるのは、少しだけ寂しい気がする。

ゴールドラット博士は2011年に64歳で没する。あれだけの影響力のあった人だから、伝記の一つも出ていいと思うのだが、まだ米国でも出版されていないようだ。TOCは未だに人気が高く、とくに思考プロセス(TP)手法は信奉者が多い。ゴールドラットという人には、一種の宗教的なカリスマ性があったのだろう。

だが、そうした自信と熱狂が、かえって一般的普及の阻害になっている面もあるように思える。彼自身にも、未来を予言するクリススタルボールがあれば良かったのだろうか。


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(2018-08-11)


# by Tomoichi_Sato | 2020-03-30 08:12 | 書評 | Comments(0)

危機対応のマネジメントをダメにする『政治主義』とは何か


前回の記事(「危機なんて、ほんとに管理できるのか?ーー現場感覚という事」 2020-03-16)では、事前対策的なリスク・マネジメントと、事後対応的な問題管理(イシュー・マネジメント)は、全く別のものだと書いた。別のものだが、もちろんこの2つは車の両輪で、どちらも必要だ。

ただ、わたしの経験では、英米系企業は「計画万能」的な態度が強く、リスク・マネジメントを重視したがる(PMBOK Guideにも、その傾向は伺える)。他方、日本企業は「現場力」に自信を持つ傾向が強く、事前対策は軽視するきらいがある。

だからといって、日本企業は、いったん事が起きたあとの事後対応に強いかというと、一概にそうは言えまい。それは発生するトラブル事象(イシュー)の、種類と数によるのではないか。テクニカルな種類のトラブルには、比較的強いと思う。日本企業のミドルや現場の技術者・ワーカーは、概ね優秀であり、責任感も強い。だから、自分の範囲内で対応できる問題は、個別に解決して、前に進む態度を身に着けているからだ。

しかし、発生するトラブルが非常に深刻なものの場合、あるいはまだ深刻とは言えないが「テクニカルに対応しづらい」種類の、異質なトラブルの場合は、対応に余計な時間がかかるように思われる。非常に深刻なトラブルでは、現場やミドルの裁量権を超えた判断をしなければならなくなる。だが本社組織というのは、しばしば官僚主義に侵されていて、重要な例外的決断になればなるほど、どこで誰が決めるのか分からなくなりがちだ。

テクニカルに対応しづらい種類のトラブルとはなんだろうか? 一つは、通常は想定しがたい異質な他者からの介入・影響、といった問題だ。極端なことを言えば、戦争とかテロだが、そこまで言わずとも、未知の第三者や監督官庁が突然現れて、無理難題をふっかける、という事は、時々ある。

もう一つの例を挙げると、個別にはテクニカルに対応可能なトラブルなのだが、それが妙に多数起きて、組織全体のパフォーマンスが下がってくる、という種類の問題だ。たとえば製造で言えば品質問題が頻発するとか、プロジェクトで言えばジリジリと進捗が遅れて納期を割り込んでくる、といったトラブルである。こうした問題は、ゆっくりと表面化して、気づきにくい。マネジメントが気づいたときには、かなり手遅れになっている、などという事態も起こりうる。

以前も書いたことだが、どんな組織やシステムにも、自分で問題を解決して自己平衡を保つ機構が、ビルトインされている。そうでなければ、その組織は長続きしない。たとえば社会で言うなら、医療機関や保険制度などがそれにあたる。

しかし、そうした自己回復機構には、キャパシティの限界がある。それを超えると、問題を多数抱えたサブシステムが崩壊に向かって、全体のレジリエンス(危機対応能力)が失われてしまう。こういう状態になったら、もう「現場力」だけでは止めようがない。そうなる前に、気づいて手を打つのが、マネジメントの仕事である。

ところが、ここで危機対応のマネジメントに対して、重要な障害になりうる要素が登場する。それは、組織における「政治主義」(=党派主義)の存在である。前回の記事では、「官僚主義的組織」の問題を指摘したが、じつは、それ以上に障害となりうるのが、この「政治主義」的行動なのだ。

「政治主義」とは何か。それは、ビジネスにおける政治的な態度である。すなわち、「経済合理性よりも、個人や徒党の利害・権力争いを優先させる」態度をいう。企業というところは、基本、利益追求の場である。だから、経済合理性が最上位に置かれるのが本来だ。だが、政治主義的な態度の人たちが一定数いると、組織の利潤よりも、その人達の権力獲得や党勢助長が優先されるようになる。あるいは、他の政治主義的な党派との勢力争いが主眼になってしまう。世の中に時々ある、派閥争いがその典型である。

ビジネスにおける政治主義は、三つほどの特徴的な思考習慣を持っている。リーダーシップ信仰、敵失追求重視、そして現実無視の楽観主義である。ひとつひとつ見ていこう。

(1) リーダーシップ信仰

政治主義では、組織のパフォーマンスは、上に立つリーダーのみで決まる、と考える人が多い。そこには、リーダーのあり方以外に、組織の構成員や業務手順や仕組み(システム)にも問題が内在しうる、という発想がない。だから、自分(達)がリーダーになれば、万事すぐ順調になる、と楽観しがちだ。

(2) 敵失追及重視

リーダーシップがすべてを決めると信じているため、自分たちと敵対する徒党のリーダーが、組織の上に立っている場合、失敗はすべて敵であるリーダーの責任と考え、責を負わせたがる。そこで、連座制、連帯責任、任命責任、説明責任、などの概念を用いて攻撃する。

このため、政治主義では、他責的な思考のみが発達する。大きな問題が発生しても、避難措置や原因分析を軽んじ、敵であるリーダーを変えればいい、と考える。全体の利益よりも、自分たちの政治的損得が優先するのである。したがって、一致協力が必要な危機的状況でも、団結力を妨害するように動きがちだ。

(3) 現実無視の楽観主義

上とは逆に、自分たちの徒党がリーダーを出している場合、どんな状況であろうと、「すべては順調」という結論が先にくる。自分に都合の悪い事実は、調べもせず、見なくなってしまう。楽観主義故に、リスクや悲観論を口にする者は、潜在的な敵であり、危険分子と考える。リスク対策的な仕組みは、コストの無駄で、生産性の阻害要因とされ、限界まで切り詰められる事になる。

なにせ政治主義的な人たちは、党派的信条と「やる気」さえあればOK、と考えるので、結論に合わせて現実を説明したがる。だから、手近にある事例や推論は、なんでも武器にする(全体を考える必要はない)。敵の問題は「屁理屈」をこねてでも論難する。自分たちの問題は「言い逃れ」で無視、である。


上記3つの行動習慣の結果として、政治主義が招くのは、客観的・総合的な思考能力の低下だ。言葉を軽んじる者は、結局、思考も軽んじることになる。何よりも、政治主義が跋扈すると、他の集団と、「議論」が成立しなくなってしまう

そもそも「議論」とは何だろうか。まともな議論を行うためには、
・問題解決という共通目的
・客観的事実という共通認識のグラウンド
・事実とデータを積み上げながら、仮設を互いに強化しあっていく作業
が必要である。議論を通じて、複数の視点(それぞれの立場)から、状況がどう見えるかを検討するのである。

もちろん、まともな議論においては、相手のメンツという感情面も配慮することが大切だ。両者が互いに、自分たちの勝利だ、少なくとも一応満足できる、という形で決着するのが、望ましい(ちなみに、参加者の間でゼロサムゲームとなるような事態での議論を、「ネゴシエーション」と呼ぶ)。

という訳で、議論では、事実とデータを重んじ、言葉を大切にする態度が必要となる。にもかかわらず、政治主義の人たちは、言語もデータも、そして現実も軽視する傾向が強い。だから、他者との関わりにおいては、議論の代わりに、貸し借りと「裏取引」だけに長けていく。

自分たちのリーダーが政治主義的かどうかは、日々接している人ならば自然と分かる。ずっと上位の遠い存在の場合は、上に述べた3つの特徴から推測する必要がある。

そもそも、こうした政治主義(党派主義)はどこから発生し、どうして成長してくるのだろうか? 自分の地位や権力、出世を優先する態度自体は、誰の心の内にも潜在的にあると思われる。その底には、承認欲求、制御欲求といった欲求が動いている。その欲求の対象が、組織内の権力や職位に集中するのである。

ただ、このような傾向が増長するにあたっては、社会の(そして組織内の)競争原理の強さが、大きく影響する。そして、「勝った者が皆もらう(Winner takes all)」方式の、利益誘導・格差助長的ルールが、その傾向を強めるだろう。いわゆる「能力主義」「成果主義」などの言葉で今世紀になってから浸透した、あの考え方である。

能力主義自体は本来、官僚主義的な年功序列制度の毒消し、という意味を担っていたはずだ。だが政治主義的な人たちは、「能力=自己の党派に属すること」という短絡思考なので、結果として組織は序列重視、命令服従型組織(軍隊式の組織)になっていく。そして目下の人間の「自由」は、目障りに思うようになる。

政治主義的な党派間では、貸し借りと裏取引で「野合」し、勢力を拡大・膨張していく。野合なので考え方は異なるはずだが、そこは「強力なリーダー」の神話で統一する訳だ(神話なので、本当に強力なリーダーかどうかは、問わない)。危機が起きると、リーダーを批判する者たちは、「この非常時に和を乱すとは、不届きだ」といって排除される。だから、政治主義者は内心、危機を待ち望んでいたりする。

こうした政治主義的な動きを止めるには、どうしたら良いだろうか? 相手は権力を持っているので、隠密理に動き、仲間を増やして対抗しよう、と考える事になる。だが、そうなると、今後は自分たち自身が政治主義化する道を、たどることになる。何のことはない、ミイラ取りがミイラになりやすいのだ。

かくて、組織の中に一度、有力な政治主義の党派が芽生えると、それは周囲を飲み込んで拡大していき、組織全体を支配していくことも少なくない。単なる経済合理性よりも、政治主義のほうが攻撃力が強いからだ。そして、トップの地位を占めると、独裁的な権力を行使するようになりかねない。

そうなる前に、政治主義的な動きを止めるにはどうしたら良いか? 答えは明白だ。それは、リーダーの地位を決める手順のルール化と透明性である。政治的動きの最終的な目標は、権力ある地位につくことだ。だから、リーダーや昇進昇格が客観的にルール化されていることが、大切なのだ。ちょうど、中世の英国で、暗愚なジョン王の暴政にこまった諸侯が、名文化したルールであるマグナ・カルタを王に突きつけたように。

また、組織内にむやみに位階とポジションを増やさないことも大切だ。政治主義は、フラットな組織では活躍しにくいのだ。

なお、ここでいっているのは、ビジネス組織における傾向であって、「政治主義」といっても、実際の政党やら政治家たちの話をしているのではないので、誤解なきよう。ちょうど前回の記事で「官僚主義的組織」といっても、別に官庁の話をしたのではないのと同様だ。いや、実際のところ公務員でも、自分の所属する組織の官僚主義に、内心、辟易している人はけっこういる。

同じように、現実の政治に関わっている人で、自分たちの中の党派主義に不満を持つ人がいても、不思議ではない。ただ、政党政治の世界は権力闘争の面が強いから、どうしても政治主義的になりがちだ。そして、この政治主義の傾向は、信じているイデオロギーの種類に関わらない。たとえばヒトラー支配下のナチス政権と、スターリン独裁下のソ連共産党は、どちらも非常に政治主義的である点では、よく似ていたはずだ。

だが、政治主義者による独裁権力は、それ自身の内に崩壊の種を抱いている。政治主義者がリーダーの地位をとると、結果として、イエスマンばかりがリーダーを取り囲むようになるからだ。そうなると、リーダーのところに、不都合な情報が上がっていかなくなる。どんなに優秀なリーダーだって、正しい情報が入ってこなければ、正しく判断できなくなるだろう。

そういうときに、「裏取引」できない相手が登場することがある。裏取引できない相手とは、たとえば黒船のように、異世界から来た侵入者である。江戸幕府は黒船の出現で、一気に政治的権威を失墜する。黒船は、それまで幕府が知っていたテクニカルな問題対応を、拒絶する存在だった。こういう時、楽観主義に基づいて、ギリギリまで削減していた、リスク対策と保険的制度の欠如が、最終的に自分たちの首を絞めることになる。

本当の危機にあっては、自らの組織内で、あるいは近隣の組織と、一致協力する必要がある。なにか手を打つためには、事実とデータに基づき、総合的な思考能力を要する。だが、それこそ、自分たちが軽視し、組織から排除してきた能力なのだ。だから政治主義的な組織は、結局は長続きしない。

黒船の出現のあと、国論は四分五裂になり、クーデター的事変も内戦も発生した。だが、外国が介入して国が分断される事態は、なんとか避けられた。それは幸いにも、「分断は植民地化への道だ」と理解していた有能な人たちが、対立する双方の側にいたからだ。

危機対応のマネジメントで必要なのは、競争原理ではなく、協力原理に基づいた行動である。協力原理とは、自己利益の追求を一旦脇において、共同体利益を求める態度にほかならない。それは同時に、前例や権威を超えた、臨機応変な自発的な働きを必要とする。自発性こそ、政治主義を中和する最大の良薬なのである。


<関連エントリ>
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(2020-03-16)


# by Tomoichi_Sato | 2020-03-23 19:56 | リスク・マネジメント | Comments(1)