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お知らせ:月刊「工場管理」に工場づくりの連載記事を執筆しています(ダウンロード可能)

お知らせです。以前もご案内しましたが、日刊工業新聞社の雑誌「工場管理」に、『ゼロから始める新工場づくり ~人材の集まる工場ができるまで~』という連載記事を書いています(丸山幸伸氏と共著)。新しい工場を作る際のステップを、構想から始まり、マスタープランづくり、投資判断を経て、工場設計・資機材調達・建設・試運転まで、勘所とプロジェクト・マネジメントについて解説する記事です。

連載は昨年8月からスタートし、今月発売の6月号で第11回目を迎えます。とくに第8回以後は、工場設計に関して、製造機械・物流設備・建築・空調・電気エネルギー・用役設備・制御ITシステム、といった多面的な分野に関し、エンジニアリング会社ならではの知見を込めた記事を続けますので、まさに連載も佳境に入った感があります。

参考までに各回の章立てと内容を以下に紹介しましょう(来月分まで予告を兼ねて載せておきます)。

  • 第1回 新工場づくりの期待と悩み (2022年8月号)
工場のエンジニアリングとは、
現場の悩み・その1 人材不足、
現場の悩み・その2 投資不足、
工場はコストセンターか、
新たな投資の必要性、
工場づくりに向く日本のエコシステム、
「工場エンジニアリングの視点」とは
  • 第2回 工場のマスタープラン、その1:立地を選ぶ  (2022年9月号)
ゼロベースで「工場のあるべき姿」を考える、
工場の立地はいろいろな経緯で決まっていく
(サプライチェーンの中の地理的位置づけ・人材市場の地域状況・投資および操業コストの地域性・その他外部環境)、
これからの工場はどこに行くのか
  • 第3回 工場のマスタープラン、その2:敷地の使い方を決める (2022年10月号)
敷地の使い方~あるケースから、
ベテラン建築士の教訓、
敷地の使い方で決めるべきこと、
地域に対する「顔」と関わり方、
工場を取り巻く法律(都市計画法・建築基準法・消防法)
  • 第4回 工場のマスタープラン、その3:生産形態を設計する (2022年11月号)
生産形態とは何を指すのか、
4 つの代表的生産形態(見込生産 MTS = Make to Stock、繰返し受注生産 MTO = Make to Order、受注組立生産 ATO = Assemble to Order、受注設計生産 ETO = Engineer to Order)、
教科書にない5 番目の生産形態とは、
カップリングポイントとは何か、
生産形態をデザインしよう
  • 第5回 工場のマスタープラン、その4:生産量・生産方式とレイアウト (2022年12月号)
生産数量と品種数を設定する、
生産方式を考える(連続ライン方式・フローショップ方式・ジョブショップ方式・セル生産方式・固定ロケーション方式)、
在庫ポイントと物流動線を考える、
多層階レイアウトの課題
  • 第6回 マスタープランと投資判断 (2023年1月号)
マスタープランの目的とは、
操業までの工程とスケジュール、
投資額と費用の見積り、
経済性評価とDCF法、
マスタープランからプロジェクト体制へ
  • 第7回 工場の分類とシステム的な特性を理解する (2023年2月号)
どこをベンチマークするべきか、
プロセス系かディスクリート系か、
製造データに関する違い、
中央制御室の存在、
生産システムの密結合と疎結合
  • 第8回 設計基本条項と生産品目 (2023年3月号)
設計基本条項とは、
生産品目とP-Q分析、
工場レイアウトと部品表、
工場とは「モノの流れる場」である
  • 第9回 工場基本設計の全体像 (2023年4月号)
設計とはどういう仕事か、
工場設計のインプットとアウトプット、
工場基本設計の全体像とアウトプット
(製造設備計画、物流設備計画、ユーティリティ・給排水・衛生設備計画、空調設備計画、生産情報管理システム計画、電気エネルギー設備計画、建築計画)、
工場の「回路図」を表すダイアグラム
(ブロックフローダイアグラム、メカニカルフローダイアグラム、プロセスフローダイアグラム)
  • 第10回 製造機械の設計とレイアウト (2023年5月号)
工場機能の見える化、
製品の製造工程(プロセス)を設計情報へ、
工場の自動化レベルの設定・機械台数、
メカニカルフローの作成、
製造環境の設定とレイアウト
  • 第11回 物流設備の設計とレイアウト (2023年6月号)
モノの流れの整理、
物量と荷姿の把握、
物流の機能とは何か、
自動搬送の種類、
自動搬送設備を用いた新しい工場レイアウト(スタッカーフロー・モールフロー)、
能力検討ならびに生産設備との取り合い
  • 第12回 制御/ITシステム設計 (2023年7月号)
工場レイアウトと制御・IT システム、
制御ITシステムは効率的レイアウトを助ける、
IT システムへの苦手意識を克服する、
IT システムの基本設計とは(ITアーキテクチャ・要件定義)、
IT システム導入のプロセス、
制御システムとIT システムの違い

HPなお上記の記事は、雑誌発行を順次追う形で、日揮(株)ネクストファクトリー・ソリューション部のHPに、PDF版を掲載していきます。こちらは登録いただければ、無料でダウンロード可能です(現時点では第7回まで掲載済み)。

なお、日揮は「プラント・エンジニアリング会社」として知られていますが、本連載記事はむしろ、化学プラントのような「装置産業」ではなく、主に機械・電気・食品・日用品など固体の製品を扱う、組立加工系=「ディスクリート系」の工場を対象として、書いています。これは日本国内における工場の大半が、こうした人手の多く介在する職場だからです。

とはいえ工場とは、人と設備と物品とツール群からなる、きわめて複雑な仕組みです。それを計画し設計し実現するために、つねに全体からの視点が必要です。本連載では、エンジ会社のシステムズ・アプローチを通して、あらためて工場づくりという仕事の勘所と面白さを感じていただけるのではないかと、自負しております。大勢の方に読んでいただければ、まことに幸いです。

<関連エントリ>

# by Tomoichi_Sato | 2023-05-25 10:07 | 工場計画論 | Comments(0)

ERPとMESの分担はどうあるべきか

  • MESという用語、MOMという用語

昨年後半から何回か、スマート工場に関連し、製造実行システムMESに関するレクチャーをしたり、人前でお話しする機会があった。その中でいただいた質問やコメントについて、ここで少しばかり解説を補足させていただこうと思う。

最初の論点はMESとMOMの違いである。私が幹事を務める(財)エンジ協会「次世代スマート工場のエンジニアリング」研究会 では、一昨年、そして昨年と2回にわたって、MESに関するシンポジウムを開催した。そのシンポジウムでは、あえてMESとMOMをあまり区別せず、一括してMESと呼ぶことにした。また、野村総研・経産省に提出した「国内工場におけるMES(製造実行システム)導入動向等調査レポート」 では、MES/MOMという書き方をした。つまり、あえて両者を区別しなかったわけだ。しかしこの2つは同一の概念だろうか?

本当は、両者は違う。MESとMOMは、それぞれ別のグループの人たちが、異なった時期に、違う概念を指して作った造語だ。MESの方が先に提唱された用語で、MOMはより広義な概念として、後から作られた。だから{MES} ⊂ {MOM}という風に理解してもいいのだが、MESという言葉が先に普及し、業界によってはかなり広い用途に使われている。だからMES ≒ MOM だったりもする。

Manufacturing Execution System = MESは、もともとIT系の調査コンサルティング会社の米国AMR Research社の造語であった。彼らは多くの企業で、現場を制御する制御系システムと、本社におけるビジネス系システム(ERP)との間をつなぐ仕組みが欠けているとして、その『ミッシング・リンク』をMESと名付けた。この用語はその後、MESA Internationalという団体に引き継がれ広まっていった。

他方、自動制御工学の標準化団体であるISA (International Society of Automation)は、生産に関わるビジネス系と、現場の機械制御を橋渡しするために、ISA-95と呼ぶ技術標準の制定を90年代後半に始める。その中で、ビジネス系とショップフロア制御の間の業務領域として、Manufacturing Operations Management = MOMという概念を規定する。

  • MESとMOMとは違うのか

ここでMESはITシステムの種類をあらわす語なのに、MOMは業務の種類を示す語である点に、注意して欲しい。だから、製造マネジメント業務を助けるシステムは、本来はMOM Systemとよぶのが正しいはずだ。だがERPとかPLMも、本来は業務領域の概念だったが、今ではシステムの略号として、皆が使っている。ということで、MOMも通常はシステムの種類を著す用語になっているのだ。

なお、ISA-95(後にIECの標準となり、IEC 62264という番号でもよばれる)では、MOMの業務領域の中に、製造、品質、在庫、保全に関わる業務があるとしている。そして、世の中的には、これら4種類をカバーするシステムとして、下記の用語が普及してきた:
  • 製造実行:Manufacturing Execution System (MES)
  • 品質検査:Laboratory Information Management System (LIMS)
  • 工場在庫:Warehouse Management System (WMS)
  • 設備保全:Computerized Maintenance Management System (CMMS)
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したがって、{MES} ⊂ {MOM} という関係だと見ることはできる。ただし、上記の4つの略語は、ISA-95の規定する用語ではない。業界によっては、そもそもMOMという用語が普及していない(半導体業界など)。という訳で、まあ MES ≒ MOM という風に捕らえておくのが、無難なのだとわたし個人は思っている。

  • ERP(生産管理システム)とMESは何が違うのか

この問題には、関心を持たれる方が多い。MESはそもそも、上で述べたように、ビジネス系システムであるERPと、現場の制御システムをつなぐ役割なのだから、そのつなぎ方や役割分担に関心が向かうのも、当然である。

ところで、前述の通りMES・MOMの概念は、いささか幅を持っている。ERPはある意味、守備範囲がもっと混沌としている。ERP = Enterprise Resource Planningはもともと、SAP社の造語であった。ではSAP社のプロダクトを使っていたら、ERPを使っていると言えるのか? そんな事はない、とSAPのライバル会社達はいうだろう。

ちなみに、わたしの勤務先もSAP社のS4/HANAを使っているが、対象業務は財務会計のみである。プロジェクトのコスト・コントロール業務さえ、SAPの外側でやっている。これでERPを使っているといえるのか? それとも、人事や労務やプロジェクト・マネジメント系システムまで含めて、当社のERPです、と呼ぶべきなのか?

とりあえずここでは、後者の言い方でいくことにしよう。つまり、ここでいうERPとは、財務・人事・販売・調達、そして上位系の生産管理等の機能をカバーするITシステム群を指す、とする(単一のパッケージであるか、自社開発システムかは問わない)。

次なる(やっかいな)問は、「じゃあ『上位系の生産管理』って、何?」という疑問だろう。それと製造実行系システムは、何が違うのか。うーむ。きっと多くの製造業で、皆が経営層への説明に困っているのだろうなあ。上の人達も、ITには苦手意識があったりするから、突っ込んで理解しようという気持ちも薄い。「生産管理ステムなら、もうあるじゃないか!」と、(営業畑上がりの)事業部長あたりに担当者がドヤされている姿が目に浮かぶようだ。

そこで簡単に区分してしまうと、配下にある複数の工場(生産機能)と、外部とのインタフェースをとりもつのが、上位系の生産管理なのだ、と考えることにしよう。具体的には、受注と出荷である。あるいは製品の在庫である。また調達と外注である。各工場と、顧客やサプライヤーとの間で、そして物流センターとの間で、受発注や入出庫や請求などを滞りなく行う機能を提供するのが、上位系の生産管理システムである。

  • ERPとMESの連携・分担はどうあるべきか

ERP層の生産管理システムが重視するKPIは、したがって、まずコスト(原価)であり、そしてデリバリー(納期)である。これらは注文書で確約するからだ。品質はまあ、不良率などの形でマクロに捉えればいい(部品の発注量に影響するので)。部品表も、購買部品表P-BOMがあればいい。

そしてERP層では、製造がどのようなプロセスで、どんなスケジュールで進んでいくかは、ラフにしか捉えない。極端に言えば、生産オーダーを工場に発行してから、製品ができあがってくるまで、全くトンネルの中で進捗が見えない、という例も珍しくない。それでもとりあえず、納期遅れが頻発しない限り、本社業務に影響は与えないからだ。

ところが、製造実行システムMESは、そうは行かない。現場の機械制御や人への作業指示に落とし込むためには、きちんとした製造部品表M-BOMと工程表BOPデータが必要だ。トレーサビリティのためには、製造ロット番号の発番や、工場内の物品の識別子も必要だ。上位系の生産管理では、品目別にマクロな在庫数量があれば用はすむが、MESでは物品のカタマリの識別やロケーションまで追いかける必要が出てくる。

・・こう書いていくと、ERPとMESの間で、共通するマスタデータがいろいろあるのが見えてくる。マスタデータの対象となる代表選手は、4M(作業者Human・物品Material・機械Machine・製造手順Method)である。と同時に、マスタデータの粒度や構造が、ERPとMESで結構、違いそうだということが分かる。その違いは、誰が面倒を見て、どう同期化するのか。これがERP-MESの分担の一つのポイントだ。

  • 計画系機能の位置づけの悩み

もう一つのポイントは、計画系機能のあり方である。具体的には、生産スケジューリング機能だ。現在どこの工場でも、頻発する顧客の納期変更や部品の納入遅れなどに、手を焼いている。そのたびに生産スケジュールを組み直す必要があり、そこに手間がかかっている。指示がしょっちゅう変わるので、現場も混乱しがちだ。

ところで、ほとんどのERP/生産管理パッケージは、MRPをベースにした生産計画機能を実装している。MRPについては、このサイトで何度も書いているので繰り返しになるが、計画変更に弱い。また能力負荷の上限といった制約条件を考慮したり、BOMの一時的代替といったフレキシビリティにも乏しい。

そこで生産オーダーは一応、生産管理システムから帳票発行するが、そこに記されている日程は目安に過ぎず、実際の日程はExcelで、工場の誰か担当者が毎日更新して現場に配る、といった運用が広く見られる。

では、MESにスケジューリング機能はないのか? 高級なMESパッケージは、その機能を持っている。ただしここで、厄介な問題がある。部品の調達である。生産スケジューリングにしたがって、部品も納期を決めて発注したい。そして納入状況を見て、スケジュールを調整したい。

ところが「購買・調達はコスト管理にかかわるから、ERP層で行うべき仕事」という暗黙の前提が、多くの企業にはある。集中購買方式を取っているなら、なおさらだ。かくて、ERPの生産計画と、現場Excelスケジュールとの乖離が続くことになる。

もう一つの解決方法は、ERPとMESとは別に、生産スケジューラAPSを導入することだ。幸いにも我が国にはAsprovaとかFlexscheといった、優れたスケジューラ・パッケージがある。

APSで詳細な生産スケジュールを作成し、ERPには部品購買の納期を送ってやり、MESには工程別の製造オーダーを発行する。MESからは進捗データをAPSに持ち帰り、次のスケジュール作成に反映する。生産実績や在庫データはMESからERPに報告する。大変スマートなやり方だ。

実際に、このような3つのシステムの組合せで運用している会社にヒアリングしたこともある。いずれも非常に明確なIT化の指針を持って、仕組みを構築しておられた、レベルの高い企業だった。

ただし、このような仕組みを運用するとなると、マスタデータを3種のシステム間で連携しなければならない。BOM/部品表データを取ってみても、決して簡単でないことは想像がつこう。まして、受注後に設計業務が介在するような、受注設計生産形態だったりすると、難しさは大きい。

ということで、残念ながら「ERPとMESの連携・分担はどうあるべきか」という問題については、どの企業もこれでオッケー、という『銀の弾丸』はないのである。自社の生産形態、BOM/BOPの複雑さ、計画系機能の重さ、そして運用組織のあり方、などを勘案しながら、個別に考えていかなければならない。

そして、このような本社と工場の両方にまたがる製造分野に詳しいコンサルタントが、我が国では足りないのだ。本社系に強い戦略コンサル、現場改善に強い個人コンサルは、それなりに沢山、活躍しておられる。だが本社から現場まで、ERPからMES・制御システムまで、全体を見る能力のある人は極めて限られている。

だから、という訳ではないのだが、やはりこうした問題に悩むエンジニアが集まって、可能な範囲で情報共有や意見交換できる場が、必要だと思って、数年前からエンジ協会の下に研究会組織を立ち上げたのだ。

今年度から、従来の会社単位の参加という枠組みを超えて、個人レベルでも参加できる「スマート工場エンジニアーズ・フォーラム」制度を作る。当研究会の有償セミナー・シンポジウムのどれかに参加することが、唯一の条件となる。正式な募集はこれからだが、エンジ協会のHPを経由して広報する予定にしている。この種の問題に頭を悩ませている大勢の方々の、ご参加をお待ちする次第である。

<関連エントリ>
→「MES(製造実行システム)を理解したいエンジニアのために 〜 この6編の記事で全体像が必ず分かる」 https://brevis.exblog.jp/30070564/ (2022-08-12)
→「なぜ生産管理システムはちゃんと機能しないのか」 https://brevis.exblog.jp/23748681/ (2015-10-07)


# by Tomoichi_Sato | 2023-05-16 22:38 | サプライチェーン | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(5月25日)開催のお知らせ

直前のお知らせになり恐縮ですが、今年度第2回のP&PA研究部会を開催します。

先月の例会でも少し予告いたしましたが、今回は(株)構造計画研究所野本真輔さんをお迎えして、サプライチェーン・マネジメント改善プロジェクトの実際についてお話しいただきます。

サプライチェーン・マネジメント(SCM)という言葉が登場し、日本で注目されるようになったのは'90年代後半でした。その頃、米国のSCMソフトベンダーであるi2 TechnologiesManugisticsといった会社のパッケージが華々しく登場し、期待を集めたのです。従来のMRPベースの硬直的な生産計画を革新した先進的スケジューリング・ツールや、経験値ベースではなく数理モデルに基づく需要予測などが売り物でした。(ちなみに2000年に出版した、佐藤知一「革新的生産スケジューリング入門」でも、i2社のFactory Plannerを題材に取り上げました)

しかしサプライチェーン・マネジメントの変革は、たとえ企業内のサプライチェーンだけに限っても、多くの部門やステークホルダが関わります。ましてサプライヤーや取引先が絡めば、それがたやすい取組でないことは、容易に想像がつきます。何かソフトウェア・パッケージを買ってきて導入すれば済むような仕事ではないのです。

そうこうする内に、i2Manuは米国のドットコム・バブル崩壊に巻き込まれ、失速していきました。日本の製造業は長引く不況に内向きになり、改革よりも守りの姿勢に徹するようになったのは、ご承知のとおりです。

しかし市場における需要の変化は、ますます激しくなるばかり。同一社内で製造と販売がバラバラに動いていては、在庫と欠品問題は解決しません。加えて、近年の半導体その他部品の、サプライチェーンの混乱です。お手本だったはずの自動車産業さえ、見えないコストと機会損失に困惑しています。やはり、もう一度SCMのあり方を見直すべきだ。そう考える企業が増えてきてるのは当然でしょう。

(株)構造計画研究所は、SCMソフトウェアの分野では'90年代からパイオニア的な存在でした。そこで長年、SCM分野に関わってこられた野本さんから、最近の製造業におけるSCM改革プロジェクトの具体的事例をお伺いします。非常に示唆に富んだお話になるだろうと期待しています。ぜひふるってご参加ください。

<記>

■日時:2023525日(木) 19:0020:30 (オンライン形式)

■講演タイトル:

SCM改善プロジェクトの事例紹介」

■概要

生産管理、SCMの改善は困難だと思っている方が多いかもしれません。

在庫の大幅な低減、リードタイムの短縮、納期遵守率の向上などの、大きな成果を上げた3社の事例を紹介します。

共通する考え方、手法、経緯 など、各社の方のインタビューや資料を交えて紹介します。

キーワードは、「つながりの見える化」です。

■講師:野本 真輔 様 (株式会社構造計画研究所)

■講師略歴:

19871995 日産自動車 追浜工場(IE、生産管理)

1995~   構造計画研究所 (最適化、シミュレーション、システム開発)

2012年ころから、生産管理システム 開発・販売・導入支援

■参加希望者は、三好副幹事までご連絡ください。後ほど会議のリンクをお送りいたします。

■参加費用:無料。

ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(\1,000)は免除されます。

以上、よろしくお願いいたします。

佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2023-05-12 10:56 | プロジェクト・マネジメント | Comments(3)

書評2冊:河合雅雄「森林がサルを生んだ」、伊谷純一郎「チンパンジーの原野」

  • 「森林がサルを生んだ―原罪の自然誌」 河合雅雄・著

「森林がサルを生んだ―原罪の自然誌」https://amzn.to/3M28hSd (Amazon)
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河合雅雄と伊谷純一郎は、日本のサル学を作り上げた今西錦司の高弟である。ともに京都大学教授となり、霊長類のフィールド研究と社会構造の理論構築に長年、従事してきた。

河合雅雄「森林がサルを生んだ」は1979年、伊谷純一郎「チンパンジーの原野」は、1977年に出版された。どちらも学術書ではなく、一般書の位置づけで、雑誌「アニマ」の連載を元にしている。だが内容もアプローチも、とても対称的だ。2冊を読むと、ちょうど複眼視のように、人間社会の成り立ちが立体的に(ただし、まだ朦朧としているが)見えてくる。

現代の生物学研究は、ネオダーウィニズムと分子進化論のパラダイムの中にあり、擬人的な解釈や表現は、科学にふさわしくないとして排除される。しかしサルは、社会的にも知的にも、かなり高度なものを持っている。その研究者は、彼らの感情や動機などを想像せざるをえない。だから河合雅雄は、(ゴリラが)「死んだゴリラの上に葉っぱをかけて去っていったという現象の中に、宗教に通じる何ものかを見出そうとするのは、擬人的に過ぎるという非難を甘受しなければならないだろうか」(P. 12)と書く。

もっとも本書の主対象は文化現象ではない。もっと原初的なサルをふくむ霊長類の進化を、動物生態学のパースペクティブでとらえようとする。哺乳類は、爬虫類が開拓した生態的地位(ニッチ)をそっくり受け継いだが、「サルは森林の中に生活の場を開拓していった。爬虫類の中で、森林の樹上をすみ場所にしたものはなかった」 (P. 18)わけで、新しい開拓者なのである。そして、森林の樹上生活者を脅かす捕食者はほとんどなかったため、サル類は適応放散して分化していった、ととらえる。これが本書の出発点である。

サルは森林の遊動生活を通じて、豊富な食物を手に入れ、食性により次第に個性化を強めていく。また樹上生活のため出産数を1頭にまでへらし、出産間隔を長くしていく。

ところで、生まれてすぐに巣を離れる離巣性の動物は、行動を子孫に伝えるためには、遺伝しか方法がない。しかし群れ生活は、伝播できる行動のバラエティーを、大きく広げた。それにより、行動の模倣と、初期的な文化(有名なイモ洗い行動のような)が発生していく。無論、人間のような言語文化は、さらにそれを広げた訳だが。

その先に続くのは、道具であった。「人類とは道具を使う動物である」とかつては言われたが、「野生チンパンジーの道具使用と製作が明らかにされたことによって、この定義はあえなく廃棄される運命になった」(P. 119)

では、道具の主な目的は何か。欧米系の学者は、闘争における武器ではないか、と考えるようだ。ただ、著者は反論する。「ゴリラ、チンパンジー、ホエザルなどいくつかの種で、外敵に対して棒をふりまわす、木の枝を投げる、落とす、石をけとばすなどをして、威嚇や攻撃を試みることが観察されている。(中略)しかし、武器としての道具使用は、霊長類でも極めて貧困であり、むしろ食物獲得の問題に基盤を置いていると考える方が妥当なようだ」(P. 124)

すなわち、道具の使用は、種としての食性的な適応能力の拡大にあった、との立場である。ある意味、たしかに適応能力の拡大こそが、進化の歴史だろう。もっとも、「適応は、生物の進化を可能にする原動力であるが、実は適応とは一体どういう性質のものなのか、生物学はまだその実態を明らかにしていない」(P. 142)とも釘を差している。

さて、河合雅雄の研究上の大きな業績の1つは、ゲラダヒヒの社会が重層的な構造を持っていることを明らかにした点だ。ゴリラやチンパンジーなど霊長類でさえ、複雑だが単層的な社会構造しか持たない。しかしゲラダヒヒは小さな群れの上に、それを束ねた大きな群れ集団を持つ。まるで人間の氏族と地域社会みたいだ(無論、これは喩えである)。

この社会構造のあり方は、「なわばり制」と関係があるらしい。「なわばり制を持つ種は、すべて単層の社会であることに注目する必要がある」(P. 181)

なお、欧米の学者は、なわばりの原理をもとに、集団の形成から、人類の国家の起源までをつなげて考える傾向があるらしい。そこに貫通するのは、互いの生存競争と集団間の闘争の視点である。しかし著者はこの見解に批判的だ。狩猟採集民の調査によって、彼らの社会には、なわばり制がないことが明らかになってきたからだ。

そして結局、本書の関心は、サルの集団構造と、個体間の闘争や殺し合いの問題に収斂していく。「集団を作る肉食獣は、仲間を殺したり食べたりすることがかなり一般的であるようだ。この理由はまだはっきりしないが、1つの解釈はポピュレーションの自己調節と言うことに求められるだろう」(P. 240)。本書の副題が「原罪の自然史」となっているゆえんだ。

著者がなぜこのような問題意識で本を書いたかについては、あとがきでようやく明らかになる。当時、著者は日本政府の援助を得て、エチオピア南部に国立公園を建設し、調査を行うプロジェクトを進めつつあった。しかし、エリトリア及びソマリアとの内戦が激化し、涙をのんで中止の決断をせざるを得なかった。「私は効果不幸か、ウガンダとエチオピアの革命の際に現地にいた。そしてアフリカの政情や、今回のエチオピアの紛争でも、人間の計り知れない闘争性と権勢欲を如実に感じてきた。(中略)また、開発途上国と言われる国の人々が、西洋文明を摂取することによって、いかに素朴な人々の心をすさませて行くかを、肌で感じてきた」(P. 252)

人類という、様々な長所を持ちつつ、強い攻撃性も内包した生き物が、なぜ出現したのか。人類は霊長類から分岐して進化したわけだが、霊長類は他の哺乳類とはかなり異なった特性を内包している。その理由は、森林を生息場所にしているという生態学的背景から考察してみたいというのが、本書の目的意識である。その問いに、必ずしも決定打となる答えを出してはいないが、数多くのヒントが散りばめられている。そんな求心力のある本である。

  • 「チンパンジーの原野―野生の論理を求めて」 伊谷純一郎・著

「チンパンジーの原野―野生の論理を求めて」 https://amzn.to/3VMb19O (Amazon)

(画像付きリンク) 

伊谷純一郎の「チンパンジーの原野」は、非常に不思議な本である。サルに関する研究の本かと思って本書を開くと、第1章から第2章、第3章と、ずっと西部タンザニアの調査紀行が旅行記風につづられ、現地のトゥングウェと言う人々の文化人類学的な記述が続いていく。チンパンジーの話が出てくるのはようやく前半3分の1を過ぎてからである。

ただし、この文化人類学的な分析が、淡々と書かれている割に、半端な深さではない。著者はトゥングウェの言語と習慣に精通し、彼らの生活を取り巻く多様な動物・植物が、その言語空間の中でどのように定義され分類されているかを、学名との対比の形で、精緻に洗い出す。これは生物学者としての訓練を受けた研究者でなければ、できない仕事だ。

さて、4章からしばらくは、チンパンジー集団の観察方法と分析の実践がつづく。移動性の高い野生動物群の観察というのは、とほうもなく時間と工夫と忍耐力のかかる仕事だが、GPSもデジカメもない時代のアフリカで、著者らはそれを実現する。研究の主題はなにか。それは、サルと人間の、社会構造の分析である。

「霊長類の社会構造の発展の歴史は、より多くの個体との交渉を保とうという傾向と、特定の集団の安定した結びつきを達成しようという、背反する2本の糸に操られてきたということができる」(P. 148、傍線は筆者)と著者は書く。これはまさに、体系的理論家でもある伊谷純一郎がこの問題に対して引いた、見事な補助線であろう。

チンパンジーの社会構造を調べつつ、群れがオス同士の結びつきを媒介にして、安定して継承されていくことに着目する。それは世代間の継承のない、ゴリラなどとの違いでもある。

本書は第8章から再び、ムブティ・ピグミーという森に住む狩猟採集民との交流と記述になり、最後に「損失の社会学—孤猿・仔殺し・カニバリズム」「混交の社会学—混群・交雑・収斂」の2章の考察でまとめられる。

霊長類には子殺しや同族を食べるカニバリズムの現象も多くの観察が積み上がっている。「人類の祖先の化石の中に、おびただしいカニバリズムの痕跡が残されていることも思い起こさなければならない。(中略)同時に、この一連の現象が、高等霊長類に至って目立って増えていることにも注目する必要がある。それは、進化を遂げたが故に、本能の絆から半ば解かれたが故に、現れてきた現象だと言うことを意味している」(P.300)。そして、ローレンツらのエソロジーが、進化した霊長類に単純にその論理を外挿する傾向をいましめている。

著者はさらに、サルにはしばしば異なる種からなる群れが存在し、その交雑が見られることを手がかりに、「高等霊長類の進化は、種の分化だけではなく、いくつもの種の収斂が大きな役割を果たしてきた事はまず間違いがない。そして、我々人類も、混交に混交を重ねながら、ホモ・サピエンスへと収斂していった歴史をもっているにちがいない」(P. 319-320)と、かなり大胆な推論をする。

分子進化と自然選択によって生物のありようが説明できる、というのがネオ・ダーウィニズムのパラダイムである。しかし高度な知能を持つ霊長類の場合、記憶・判断・意思・推測・感情など複雑な脳の内部状態を持っているため、単純な外界反応のメカニズムだけでは行動を説明するのが難しい。とくに集団(社会)と文化(伝承される習慣)を持ち始めれば、なおさらである。そこを動物社会学の切り口で、ほとんど構造主義のような視点を持って挑み続けているのが、日本のサル学の面白さであろう。

それと同時に、河合雅雄や伊谷純一郎らの著書をよんで感じるのは、英米の研究者達が無意識に前提する、「生存競争となわばり闘争」中心の視点への違和感である。サルや人の社会に、様々な形での同族への攻撃性が存在するのは、研究からも明らかだ。しかし同時に、継承されサステイナブルな集団社会を形成する能力も発達してきたことも、見過ごしてはならない。おそらく、社会には存続と刷新の、両面の力がつねに必要なのだ。その両面を見る視点こそ、日本のサル学のポテンシャルなのだろう。




# by Tomoichi_Sato | 2023-05-09 15:12 | 書評 | Comments(0)

考える技法——どう考えるかより、いつ考えるかの方が大事である

  • やり方より、潮時

考える技法、思考のノウハウについては、世の中に数多くの本やコンテンツがある。しかし、いつ考えるべきかという問題については、あまり論じたものを見たことがない。今回はこれについて考えてみよう。

Systems Thinkingの方法論などで知られるジェラルド・M・ワインバーグの名言に、「やり方(Know-how)よりも大事なのは、しおどき(Know-when)だ」と言う言葉がある。良い結果を得るためには、どのようにやるかの方法を知ることも必要だが、いつどんな時にその方法を用いるべきかを知ることの方が大切だ、と言う意味である。

考えるという行為も、同様だ。「どう」考えるかだけでなく、「いつ」考えるべきかを、理解しておく必要がある。

ここで言っている「いつ」とは、もちろん朝昼晩などの時間帯のことも含む。だが、それは人によっていろいろだろう。朝型の人も、夜型の人もいる。自分がいつ集中できるかは、それなりにわかって習慣化しているものだ。

むしろ、ここで問題にしたいのは、「自分がどういう状態のときに」考えるべきであり、逆にどういうときには考えるべきではないのか、と言う問いだ。

  • 思考と感情と欲求のシステム・モデル

その問いに答えるためには、わたし達の心の中にある、「思考と感情と欲求からなるシステム」の性質を理解しておく必要がある。
考える技法——どう考えるかより、いつ考えるかの方が大事である _e0058447_19505530.png

図を見て欲しい。システムズ・エンジニアリングの世界ではよく、IPOモデルの形でシステムを表現する。IPOとは、Input-Process-Outputの略だ。左側にインプットとしての「知覚」がある。わたし達が視覚、聴覚、触覚などを通じて、外界や自分自身の体内から、脳にインプットされる情報である。

真ん中にはプロセスがあるが、これは思考と感情と欲求の3層構造になっている。そして右側には、アウトプットとしての「行動」がある。アウトプット行動には、言語や記号を書いたり話したりするほかに、顔や表情・口調などが伴うし、さらに身体の様々な反射的あるいは意識的な動きが付随する。

真ん中のプロセスの最上位層にあるのは、「思考」であり、今、わたし達が問題にしている行為だ。思考がコンピュータのように、単純な演算処理なら、インプットの記号列があり、記憶や計算処理を経て、アウトプットとしてまた記号列が生成されるだけだ。しかし生き物としての人間には、その下に「感情」の層がある。

  • 感情は思考をドライブする

思考のエンジンそれ自体は、外界からの様々な情報をトリガーとして、起動する。わたし達が何かを考え始めるきっかけとなるのは、外界からの些細な情報の場合が多い。例えば、いつもの電車が時間通りに来ない、といった状況への気づきが、「何が起きたんだろう?」という思考のトリガーになる。

他方、感情は、思考のエンジンにいわば燃料を与え、その方向付けをして駆動する。「まずい。このままじゃ遅刻だ。朝1番に大事な会議があるし…」という訳で、あなたの思考は、電車が来ない理由を推測するだけでなく、代替ルートについても頭の中で探索を始める。

ところで問題なのはここからだ。代替ルートを探すだけなら、すでに頭の中にあるかもしれないし、今どきならスマホを取り出して、乗換案内などを検索すれば済む。後は、まだこのまましばらく待ってみるか、今すぐ代替ルートに切り替えるかを決断するだけだ。本当だったら、それは理知的に決断すべき問題だ。

ところが、ここに「感情」が登場すると、「思考」の回り方が影響受ける。あなたは怒っているかもしれない。「ここの鉄道ときたらしょっちゅうこれだ。何とか金を取り返したり、クレームしてダメージを与えたりする方法は無いものか」と言う方向に思考が転換していく。

あるいは、あなたは、恐れているかもしれない。「顧客を前にした大事なプレゼンテーションだと言うのに、どうしていつもこんな巡り合わせなんだ。また上司に怒鳴られるに違いない。今期の査定に響いたらどうしよう。別の職を探すべきだろうか」と思考は転じていく。

  • 思考のどうどう巡りはこうして生まれる

鉄道会社にダメージを与えたり、もっと良い職を探したりする問題に、すぐ答えは出ない。なので、あなたの思考は堂々巡りになる。と言うよりも、これらの問題は、あなたが多分これまで既に何回も、いろんな角度から、ぼんやり考えてきた問題なのだ。

感情は思考に対し、新しい問題よりも、手慣れたいつもの問題を考えるように、しばしば誘導する。だが、答えは出ない。そしてあなたは、考えるための脳のリソースを浪費して、極めて非効率的な思考の時間を費やしてしまう。

厄介なことに、思考の機能の中には、「想像力」がある。将来の具体的なシチュエーションを想像したり、過去にあった状況を目の前に再現するような機能である。感情によってドライブされた思考は、しばしば、このような想像の情景をアウトプットとして差し出す。この想像は、さらに自分の感情をかきたてることになるだろう。「憂い」とか「悩み」といった感情は、こうした自分の想像から再体験され、再生される種類の感情である。

言いかえると、わたし達が感情の強い影響下にあるときは、考えるべき時ではない。考えても、思考の生産性が著しく低くなるからだ。また新しいことも、なかなか思いつかなくなる。

  • 欲求の構造を理解する

じゃあ、感情をコントロールすればいいだろう、と思うかもしれない。いつも沈着冷静、クールに居れば良いのだ。こういうセルフイメージが持てるとかっこいいし。

ところが実はこれは簡単ではない。なぜなら、図に示すように、感情の下には、もう一つ「欲求」のレイヤーが存在して、感情を左右しているからだ。

わたし達の抱える欲求には、様々な要素がある。もちろん1番下には生き物としての生理的欲求がある。食べたいとか眠りたいとか。その上には、もう少し人間として分化した欲求がある。人間は社会的動物なので、多くは人との関係に関わった欲求である。

たとえば「承認欲求」とは、人からよく思われたい、尊敬されたい、あるいは得をしたいといった欲求である。「支配欲求」とは、文字通り、他人を自分の支配下に置いてコントロールしたいと言う欲求だ。(ここらへん、わかりやすさを優先し、あまり心理学や脳科学の正統な学術用語には従っていないことをお断りしておく)

共感欲求」と言うのは、あまり聞かない言葉かもしれないが、他人と感情を共有したいと言う欲求だ。人間とは不思議なもので、悲しみとか怒りといったネガティブな感情でさえ、それを他者と共有できると、心のどこかで満足感を得られるのである。しかし、それとは、逆に、周囲の人から独立したい、違いを示してアイデンティティを得たいという「分離欲求」を持つことも多い。

こうした欲求は、体感や快不快といったインプットを蓄えつつ、喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの感情を励起する。あなたが鉄道会社に怒りを感じているのは、その下に支配欲求を抱えているからかもしれない。ボーナスの査定を恐れるのは、もちろん承認欲求に根ざしている。

  • 思考の生産性低下を避けるために

欲求は満足することによって、ひとまずは沈静化する。生理的欲求ならば、感覚や体感で直接満足させられるだろう。社会的欲求ならば多くは、ネガティブな感情が消えて、ポジティブな感情に転化したことで、満足される。

難しいのは、こうした自分の抱える欲求が、なかなか自分自身に意識されないことだ。意識のアテンションは、一種の舞台上のサーチライトのようなもので、照らし出されてはじめて、観客(意識)が認知できる。サーチライトは多くの場合、思考の舞台上を動き回る物体を照らし出すが、ストーリーや音楽といった感情のモードは、ぼんやり感じさせるだけだ。まして、舞台装置や小屋全体の構造は、よほど注意深い観客でないと理解できないようになっている。

そのような訳で、わたし達はしばしば、いとも簡単に「感情」に「思考」を乗っ取られる。そういう時にものを考えてはいけない。問題解決のために、深く考えるような行為には適さないのだ。感情の波が通り過ぎ、自分の中の欲求が沈静化するのを待ってからでないと、良い考えは浮かばない。

少なくとも何かを真剣に考えようとするときは、その前に、自分は今どういう感情のモードの中にいるかを自己点検するべきだ。自分が、怒りや恐れや不安の波の中にいないことを確かめた上で、問題に取り組んだ方が良い。

もう一つ。必要ならば、自分が「考えない」「感じない」でいるための方法を身に付けるのが良い。茶道を嗜む、ある友人はかつて、夫婦で何となくイライラしているときは、お茶を立てていただくことにしていると言っていた。それによって、心が落ち着くのだと言う。感情のサイクルはせいぜい、20-30分である。30分ほどかけて波が通り過ぎれば、冷静な思考モードに入るチャンスが得られる。

わたしのように、音楽を聴いている間は、思考できない人間にとって、音楽もまた1つの道具だてだ。もちろん音楽は感情を同調させ、ドライブする装置だが、感情の波をあえて後押しし、通り過ぎさせる役には立つ。

わたしがこのところずっと、感情というものについて調べたり考えたりしているのは、こうした理由による。「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」で、折に触れて感情をテーマとした講演者を招いてきたのも、こうした問題を共に考えたかったからだ。

わたし達は自分で思っているよりも、はるかに感情的な動物だ。感情的に考え、感情的に行動している。それにもかかわらず、自分は合理的だ、知性的だと信じている。自分の感情的な、あるいは欲求に動かされた行動や決断を、後づけで理屈付けて、合理化するのに長けている。自分を合理化することに、貴重な思考のリソースを使っている。考えるべきでない時に、考えるべきでない方向に思考をドライブしたからだ。

考えるべき時に、考える。考えるべきでないときには、考えるのをやめる。それだけで、思考の生産性は上がる。ただ必要なのは、自分が感情と欲求に動かされやすい人間だとの、自己認識なのである。

<関連エントリ>
「感情のマネジメントとは、どういう事を指すのか」 https://brevis.exblog.jp/28237710/ (2019-04-26)


# by Tomoichi_Sato | 2023-04-25 20:02 | 考えるヒント | Comments(0)