★★ 都市ヴェネツィア フェルナン・ブローデル

フランスの歴史家ブローデルによる、肩の凝らない(しかし正確な)ヴェネツィアの歴史案内。地中海世界の専門家らしく、この小さな、しかし巨大な都市共和国とその領土を、歴史と地理の中にあざやかに定置してみせる。それは、さながらムラノ島のガラス細工のように多面的で、さまざまな角度からの光と反射に満ちて、美しい。

写真家クイーリチによる本書の写真も、とても美しい。もともと、きわめてピクチャレスクな水の街なのだ。しかし、その瞬間をフィルムの上に捉えるのは、別の力量である。

とはいえ、訳者・岩崎力のあとがきや細川周平の解説は蛇足であり、がらくただ。この名著に何の価値もつけ加えていない。
# by Tomoichi_Sato | 2005-03-19 23:38 | 書評 | Comments(0)

 ★★ 釈尊の生涯 中村元

1963年刊行の本書は、現在、平凡社ライブラリーの一冊として新書版で手に入る。出た当時は、かなり革命的な内容の本だったにちがいない。にもかかわらず、日本の仏教界がこれで大論争に巻き込まれたとか、刷新運動に展開したとか、あまり聞いたことがないのは、不思議なほどである。

著者は初期の仏典や関連資料をよりどころに、仏教の開祖であるシャカ族のゴータマ・シッダッタ、尊称ブッダの出生から出家・悟り・布教・臨終までを、ていねいにたどる。そこからは、一切の誇張や神秘や奇跡的エピソードが、後世の附託としてすべて除外され(ここが第一に論争的なところだ)、等身大の人間としての姿に描かれる。

また、ブッダ自身の思想的な深化も、数々の教典を歴史順に逆にたどるような手法で、その地層をより分けていく。たとえば、苦行を放棄して中道の悟りに至った、とふつうは言われているが、これも後世の仮託であるという。著者の立場は、

「仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分の悟りの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をした」

「ゴータマはその臨終においてさえも、仏教というものを説かなかった。彼の説いたのはいかなる思想家・宗教家でもあゆむべき真実の道である。ところが後世の教典作者は右の詩に接続して、仏教という特殊な教えをつくってしまったのである」

という説明に集約されている。こうした意見までをも容認する日本仏教というものの懐の深さに感心すべきなのか、こうした異見さえも無視する日本仏教というものの鈍感さを心配すべきなのか、私のような異教徒には、なかなか定かではないのである。
# by Tomoichi_Sato | 2005-03-14 23:44 | 書評

 ★★ WBS入門 Gregory T. Haugan著

WBS(Work Breakdown Structure)はプロジェクト・マネジメントの根幹をなす基準情報だ。プロジェクトの遂行に必要な全てのワークを階層的に構成したもので、通常はそれに整理番号を付番する。WBSはプロジェクトの計画段階で作成し、ワーク・スコープと、コスト見積と、作業期間(工数)見積のベースになる。そして遂行段階では、作業指示と進捗コントロール(コスト・スケジュール・スコープ変更)のマスタ・リストとして用いられる。終結段階ではWBSはデータ収集と分析のキー情報となる。

それくらい重要な概念であるWBSは、にもかかわらず良い参考書に恵まれていない。WBSが生まれたのは1960年代だから、ずいぶんと長いこと空白時代が続いていたわけだ。プロジェクト・マネジメントの標準的教科書PMBOK Guideも、2000年版まではWBSについてほとんど何も語っていない。したがって、本書が訳出されたのはまことに時宜にかなったことではある。

本書の長所は、原則論とチェックリストをきちんと押えた、教科書的な作りになっていることだろう。その原則はある意味ではシンプルで、たった2つしかない。それは、
「100%ルールを守れ」
「レベル2にプロジェクト・マネジメント要素を置け」
というものだ。100%ルールとは、ワークの親子関係をトップダウンで分解定義していくときに、子レベルのワークを全て集めたものは、親レベルのワークを100%カバーしていなければならない、という原則だ。東京都を23区に分解したら、区の合計は都のエリア全部をカバーしていなければならぬ訳だ。

レベル2にプロジェクト・マネジメント要素を、というのは、少し説明が必要だ。まず、この著者はプロジェクトをレベル1、その直下のワーク(「フェーズ」に相当する場合もある)をレベル2と数える。これは、WBSをレベル0から数えはじめるエンジニアリング業界などとは少し違う流儀だが、まあ習慣の問題だろう。そしてプロジェクトの最初のレベルに分解する際、忘れずに「プロジェクト・マネジメント」という作業を入れなさい、と説く。これはまことに正統な指摘だろう。というのも、実はこれを忘れるケースが、わが国でも非常に多いからだ。

つい最近も、日本を代表する大手企業のWBSを見せてもらったことがある。レベル1-4まで定義された詳細なものだったが、どこにもプロジェクト・マネジメントという仕事が見あたらない。思わず、「御社ではプロジェクト管理はなさらないのですか?」などと口走ってしまった(こんなことを口にするから、私は仕事をもらえないのだ)。まあ、WBSのどこにもプロジェクト・マネジメントが無かったら、上手にPM管理ができている訳もないのだから、ある意味ではつじつまが合っている。だが、そういう自覚のない大企業がこの国には山のようにあるのだ。

ただし、この本の読者は、著者が「WBSは成果物の階層分解を基本にせよ」という思想を基本にしていることに注意すべきである。そもそも、WBSの世界には、『成果物中心主義』と『作業(プロセス)中心主義』の二つがあって、長らく神学論争を繰り広げてきた歴史がある。著者Hauganは航空宇宙産業で、米国防総省相手のプロジェクト管理にたずさわってきた経歴の持ち主だ。MILのスペックは個別受注品の調達にフォーカスを当てた作りであるため、どうしても成果物中心主義になりがちである。

その点は著者も自覚していると見えて、プロジェクトを主目的によって「成果物」「サービス」「結果」の3タイプに分類し、それぞれに適したWBSのスタイルを提案している(「結果」タイプというのは、組織変革プロジェクトなどのように具体的な産出物が存在しない種類を指している)。そして、「サービス」「結果」タイプではプロセス的な要素を置いていい、としている(というか、そう置くしかないのだが)。

しかし、成果物をBOMのようにブレークダウンしていっただけでは、プロジェクト・マネジメントのような横断的要素が欠落してしまう。したがって、「レベル2にプロジェクト・マネジメント要素を置け」という要請が出てくるのである。

『成果物中心主義』と『作業(プロセス)中心主義』が論争を続けてきたということは、逆にいうと、そのどちらかだけではプロジェクトの記述は不十分なのである。これを克服するための方法は一つしかない。それは、成果物とプロセスの二次元のマトリクスを作成して、その平面の中でワーク・パッケージを作成する方法である。残念ながら、本書ではそこまでは書いていない。そもそも、そんな高等な技術を実行できる企業は、世界のエンジニアリング業界だってほんの1,2社しかいないのだから、まあ無理もないことだが。

本書は、WBS作成の入門者にとっては、それなりに実用的な参考書だ。ただし、原書にない日本版の「付録」が、180ページの本の4割を占めているのは、親切といえるのかどうか。経済産業省のCIO補佐官(外資系コンサル会社)のインタビューなど、なぜWBS入門書のおまけに付いているのか、少々原因不明である。また、付録2にはプロジェクト・マネジメントの初歩的な用語概念の解説もたくさんついているが、ちょっと中途半端であろう。用語の選び方を見ると、そもそもこの本がIT業界の人間をもっぱら読者として想定していることは、よく分かる。監訳者の伊藤衡氏も外資系ITメーカーを転々とした人のようだから、版元の翔泳社のねらいは明白である。翻訳の文章自体はこなれたレベルだが、細かな用語の選び方などは、若干不注意な点が見られて、ときどきちょっと惜しまれる。
# by Tomoichi_Sato | 2005-03-09 23:46 | 書評 | Comments(0)

★★★ 江崎浩司の世界

みなとみらいホールにて。
副題は「愛するがゆえに笛は飛ぶ」。まあ実に、江崎さんらしいタイトルではある。

曲目は、バレンタイン・デーにちなんで、第1部は江崎浩司・脚本編曲による音楽物語「シンデレラとウグイス夫婦」(エイク・クープラン・モーツァルト・クライスラーなどの小曲とナレーションで構成する)、第2部はヘンデル・スカルラッティ・ヴィヴァルディなどのバロック歌曲をオーボエで演奏する前半と、バッハ・モンティ・R=コルサコフ・モーツァルト・ドビュッシーなどのヴァイオリン曲やピアノ曲をリコーダーで(!)演奏する後半からなる。実に意欲的なプログラムだ。

それにしても、この人の笛の巧さは、まことに驚嘆すべきレベルだ。長久真実子さんのチェンバロ伴奏も良いが、「マルチ笛吹き職人」を自称する江崎さんの演奏のクオリティの高さには、心底驚いてしまう。リズムの正確さ、音程やフレージングの絶妙さ、指使いの速さ(誰がいったい「くまんばちの飛行」や「チャルダッシュ」をあのスピードでリコーダーで演奏できるだろうか!)、ブレスの巧みさ、そして何よりも歌心の繊細な表現が素晴らしい。これほどのレベルのリコーダー奏者は、賭けたっていい、世界中を探しても、そうは居まい。

しかも、彼はどんどん上手くなってきている。今回出たばかりのCD「空飛ぶ笛」を買ってかえって聴いたが、彼がほんの3年前に録音した缶入りCD「Bath Herb & Music」と聴き比べてみると、その進歩の度合いが分かる。同じジャズ曲「煙が目にしみる」が入っているが、その差は明瞭だ。この人は最近2,3年で、はっきりと音楽とは何かをつかんできたのだ。小節線に区切られた音のかたまりではなく、歌うフレーズの生きた流れとして、音楽を表現できるようになっている。30代の人間の成長力というものだろう。

それほどのレベルの演奏会を、横浜みなとみらいの小ホールで、満員とはいえない人数の聴衆とともに、たったの3千円で聴けるのだ。この国の音楽環境の良さを感心するよりも、この国の音楽愛好家の耳のありかを疑ってしまう。本当にこれでいいのだろうか? 彼が先月タブラトゥーラで披露したオリジナル曲のタイトルに「だれもわかってくれないし」というのがあったが、まさに、彼の気分を表わしているに違いない。サントリー・ホールで、大真面目に「男はつらいよ」を演奏して、耳が化石になった石頭連中の顰蹙を買ったりした彼だ。成長しつつある彼の才能は、今やクラシックだの古楽だのといった枠の中に押し込めておくには、大きすぎるようになったのだ。

どうか、江崎さんのコンサートがあったら聴きに行ってほしい。これからも彼がどんどん新しい音楽に挑戦していけるようなチャンスに恵まれることを、私は切に祈っている。
# by Tomoichi_Sato | 2005-02-10 23:49 | 映画評・音楽評 | Comments(0)

プロジェクト・マネジメントの世界は動いている

1年ぶりに米国に行って来た。6月1日からボストンで開かれた"ProjectWorld 2003" に参加するためだ。帰り道、米大陸を横断する飛行機内で、つくづく思った。プロジェクト・マネジメントの世界は動きつつある--しかも、かなり急速に。プロジェクトマネージャを自認し、仕事にしている人たちも、そうでない人たちも、この変化にキャッチアップするため、最新のPM手法を学ぶ機会をつくった方がいい。そして、あらためてPMとは何かを考え直すべき時が来たようだ。

CPM(クリティカル・パス法)がデュポン社で開発され、PERTの手法が原子力潜水艦プロジェクトのために米海軍で(正確には彼らのコンサルタント会社によって)開発されたのは、1950年代の終わりのことだ。両者は別々に、しかしほとんど同じ時期に現れた。時代がそれを要請したのだろう。『プロジェクト』という概念が米国で成立する時期だったのだ。

それから40年以上の歳月がたった。その間、あまり進歩がなかった、とまでは言うまい。しかし、他のManagement Scienceの分野と比べると、穏やかな歩みでしかなかった。たとえば生産管理でのMRP→MRP II→APSといった劇的な進化を考えると、その違いがわかる。

プロジェクト・マネジメントの世界が、再び変動しはじめるきっかけを作ったのは、1996年版のPMBOK Guideの制定だった。正式には、"A Guide to the Project Management Body of Knowledge"という、一種のハンドブックである。作成者は非営利の業界団体PMI(Project Management Institite)で、80年代半ばから続いた努力の集大成であった。ここで、用語・概念の共通化、管理対象の9分野の定義や、アーンドバリュー分析といった基本的手法への手引きがそろったわけだ。

それをきっかけにして、従来は建設・エンジニアリング業界中心だったPMIに、他の分野、とくにIT業界から、かなりの数の参加者が来るようになった。その前は数千人単位だった会員数は、いまや全世界で10万人を超えている。その半分以上がIT業界といわれるが、かなり広い業界で『プロジェクト・マネジメント』が注目されているのだ。今回のProjectWorld 2003でも、金融業界や医薬品業界に向けたワークショップが開かれている。

こうして世界中から、より多くの有能な人材が参加するにつれ、従来のPERT/CPM手法を広めるだけではなく、その枠にとどまらぬ新しいアイデアがどんどん生まれつつある。古い革袋に新しい酒、という訳だ。

その沸騰する中心の一つが、Project Portfolio Managementという考え方である。これまで単一プロジェクトの中だけで考えがちだったPM論の枠を超え、複数プロジェクトをかかえる企業において最適ポートフォリオをつくるため管理手法だ。そのための技法もいろいろ提案されている。ソフトウェア的にも、Primavera社等の専門ソフトが続々このPortfolio Management用ツールを出しはじめたばかりか、Microsoft社も最新版のMicrosoft Project 2003 サーバー版で採用したから、おそらく今後の中心トレンドとなることは間違いない。

もうひとつ、今回"ProjectWorld 2003"に参加して感心ことは、女性の参加者の多さだった。全体の4割以上が女性だったと思う。少なくとも米国にあっては、プロジェクトマネージャとは、もはや根性と体力と男臭さで勝負するような「男のための職業」ではなくなりつつあるのだ。そして、それはとても良いことだと思う。

このように、今、PMの世界はホットで非常に面白い。私自身も今年はプロジェクト・マネジメントをキーワードとした新しいビジネスに挑戦しようと考えている。当分この世界からは目が離せなさそうだ。
# by Tomoichi_Sato | 2003-06-07 21:57 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)