在庫精度とは何か

在庫量を調べるには人手と時間、すなわちコストがかかる。この単純な事実がしばしば忘れられるようになったのは、コンピュータが製造現場に普及して、在庫管理にも利用されはじめてからのことに違いない。それ以前の生産管理技法は、在庫量を調べるにはコストがかかることを前提に組み立てられていた。だからダブルビン法などのように、在庫量が発注点を切ったかどうかだけを見るような仕組みが工夫されたのだ。

コンピュータ以前の製造現場では在庫管理をどうやっていたかというと、倉庫番の持つ入出庫台帳で追いかけるしかなかった。入庫・出庫の手書きの数字を足し引きするわけだから、在庫量はすぐには分からない。品目別にページや欄を分けて記入すれば、個別の現在庫量は把握できたが、増減の傾向や、あるいは複数品種の合計値などをつかむのは至難のワザだ。またどうしても誤差が多かった。

そのために、きちょうめんな現品棚卸作業が要求されることになった。保管棚にある物品をいったん全部取り出して、数をかぞえ直す作業である。帳簿と数字が合っていなければ、帳簿の方を修正する。帳簿と現物の差を、在庫差異とよぶ。在庫差異を現在庫量で割った比率が『在庫精度』である。

在庫差異にはプラスとマイナスがあるため、単純に足し算をすると打ち消し合ってしまう。したがって工場全体で評価する際には、絶対値の合計をとる。通常は工場全体で1-2%以内におさえられる(そうでなかったら入出庫と保管のやり方にどこかおかしな点があるはずである)。また、扱う品種数の多い工場では、全品種をすべて棚卸ししていると膨大な作業になる。そこで、循環棚卸といって、一部の品種を順繰りに毎月チェックしていき、在庫精度を一定に保つような工夫がされてきた。

こうした手作業の現場に、コンピュータによるリアルタイム在庫が導入されたことの衝撃は大きかった。それまでは在庫数量といっても霞の向こうに朦朧とした姿があるだけだったのに、いきなり全ての数字が鮮明な写真のごとく見えるようになったのである。総在庫量の計算だって一瞬だ。しかし、このために、かえって在庫精度のことが忘れられるようになったように思える。

そもそも在庫差異が発生する理由はいくつかある:

(1)入出庫の伝票記入漏れ
 伝票を書かずにいきなり物を動かせば、数が合わないのは当たり前である。記入漏れの中には、保管場所を変更したのに、それを訂正しなかった、なども含まれる。

(2)減耗・破損
 物品の中には、有効期限や賞味期限などがあって使えなくなるもの、あるいは保管中に破損する物があり、これらは在庫差異の原因になる。

(3)盗難
 日本ではあまり心配が(今のところは)無いが、きわめて高価な物品や、あるいは外国の工場などでは常に注意が必要である。

(4)品質管理上の区分移動
 不良品はふつう在庫に計上しない。しかし、良品と信じて受入れ入庫した物が、品質検査の結果はねられることはときどきある。この際に、在庫量からの差し引きを忘れるのである。

(5)移動中
 同じ社内で、資材をA工場の倉庫からB工場の倉庫に横引き移動するとき、A工場から出庫処理をして在庫が減り、一方まだB工場では入庫計上されないと、在庫が一時的に見えなくなってしまう。荷物として車上にある物に、ともすると起こりがちなことだ。

(6)支給品在庫・預かり在庫
 外注先に対して支給した材料は自社の資産だから、在庫量に計上しなければいけない。これが見えなくなることがある。また逆に、客先からの預かり在庫(製品として所有権は客先に渡して代金ももらったが、まだ自社倉庫に保管しているもの)も在庫差異をうみがちなポイントである。

米国の生産コンサルタント、オリバー・ワイトは'80年代のはじめに、「在庫精度が5%を切れないような会社では、MRPなどの生産管理システムは使えない」と書いている。在庫精度の向上維持は、一見当たり前のことに思えるが、当たり前のことを当たり前に実行することは、案外、努力のいるものなのである。
# by Tomoichi_Sato | 2006-10-21 19:37 | サプライチェーン | Comments(0)

ダ・ヴィンチ・コード(下) ダン・ブラウン

上巻では快適なペースで進んできたこの小説も、しかし、下巻に入って、コプトの福音書や死海文書の引用からキリストの生涯の隠された“秘密”を云々しだすと、話の展開は急に興ざめするようになる。ことに「シオン修道会」などの与太話が始まるに及んでは、とてもまともにつき合える代物ではなくなる。まあ、その歴代総長のリストなど、ある意味では抱腹絶倒なジョークではあるけれど。

それにしても、小説の悪役のネタにされたカトリック信徒組織オプス・デイこそ、いい面の皮である。私自身は、この超保守的な運動は好きになれないし、米国での政治がらみの布教活動にもなにかと批判はたえないが、だからといって情け容赦ない狂信者で殺し屋の元締めとして描くのはどうかと思う。この組織をモデルとした、フィクションとして描けば済むことなのに。

結局、この小説は扉に書かれた「宗教および美術関係の記述は全て事実に基づく」というステートメントが全体の鍵なのだ。作者はこのために、オプス・デイという実在の組織を使わざるを得なかったのだろう。そして、多くの読者も、このステートメントを額面通り信じたらしい。ダ・ヴィンチが自作の絵を『モナ・リザ』と名付けたかどうか、その一点からしても、おかしいと疑うのが健全なセンスと思うのだが。最後の晩餐でキリストの隣にいる人物が女性(マグダラのマリア)だ、という指摘も、面白いと言えば面白いが、だとしたら肝心の聖ヨハネはどこにいるのか? 食事は早々に映画でも見に行ったのか?

この小説が欧米でも日本でもベストセラーになったという事実は、結局のところ普通の読者がいかに騙しやすい存在であるかを明瞭に示している。「この記述は事実だ」と書かれたら、そしてそれが知的でキザに書かれていたら、それを信じてしまうらしい。騙される人たちは、騙されたがっている人たちでもある。既存宗教が自分たちの魂を救ってくれなさそうだから、そいつの正体を暴こうという三文芝居に群がってしまうらしい。まことに、大衆操作の容易な世の中である。この幻惑のベストセラーの唯一の価値は、そうした現代社会の危うさを数字で浮き彫りにして見せたことであろう。
# by Tomoichi_Sato | 2006-10-21 19:35 | 書評 | Comments(0)

ダ・ヴィンチ・コード(上) ダン・ブラウン

電車に乗っていたら、中高校生とおぼしき男の子達が、キリスト生誕の話をしていた。定食屋で食事をしていたら、隣の席の若い労務者二人が、『マグダラのマリアってのは・・』と話している。マスコミに乗ったブームってのは恐ろしいものだ。その不正確さも。

面白い小説だと聞いて読んでみた感想は、“英米人って、つくづく聖杯伝説が好きだな”ということ。聖杯伝説の構造は、失われた貴重な物を探しに行って、冒険を続けるが、結局手に入れられずに終わるストーリーになっている。どうしてこういう話が好きなのか、ちょっと不思議ではある。

それにしてもこの小説は、その昔、米国でベストセラーになったS・S・ヴァン=ダインやエラリー・クィーンのミステリ小説に、よく似ている。スリリングなストーリー展開と、ペダンティック(衒学趣味)な味付けと--これがアメリカのスノッブ読書階層に受ける秘訣らしい。それに、ロマンチックな風味も重ねてあるから、男性のみならず女性にも受けるというわけだ。

だから当然、この小説の舞台は欧州、それもパリにとることになった。おお、なんとロマンチックで知的でミステリアスな! おかげで、登場人物達にむりやり英語をしゃべらせるため、そうとう無茶な設定になっている。ことにダイイング・メッセージやアナグラムマで英語だもんなあ・・。それでも上巻は、それなりにサスペンス小説としてうまいテンポで読者を引っ張っていく。途中、随所に挿入される図象学的うんちくがいかにテキトーであっても、話が面白い間は目をつぶって読み続けられるのだ。
# by Tomoichi_Sato | 2006-10-21 19:34 | 書評 | Comments(0)

プロジェクト・マネジメントの世界は変わりつつある

オーストラリアのシドニーに行ってきた。ProMAC 2006に出席するためだ。正式にはInternational Conference on Project Management 2006といって、APAC(アジア・パシフィック)地域のプロジェクト・マネジメント国際学会である。2年ごとに持ち回りで開催されており、前回のProMAC 2004は東京で(正確には千葉で)開催された。第一回は2002年でシンガポールで行なわれた。2年後の第4回はアラスカ州のアンカレッジで開かれる予定だ。

3年前、米国ボストンで開催されたProjectWorldに参加したときの感想を、この「タイム・コンサルタントの日誌から」で『プロジェクト・マネジメントの世界は動いている』と書いた(2003/06/07)。その感は今回さらに強くなったと思う。このPM業界(というのもおかしな表現だが)に、多くの俊英が集まって、急速に経験の集積と手法の進歩するのが感じられる。

豪州側は豪PM協会とPMI Sydney支部が主催者になっているが、Defenceつまり政府国防関係も共催しているところが面白い。そしてかなり熱心に活動に参加していた。もともとプロジェクト・マネジメントと軍事との関係は深い。PERTは米国海軍のコンサルタントであったランド・アソシエイツが開発した手法だったし、 EVMSだって米国国防省が調達の標準手順として採用したからここまで広まったと言うことができる。それ以外に、建設/エンジニアリング関係の発表も多かった。むろんIT産業も参加している。製造業もいる。とにかくオーストラリアからの参加者は分野の裾野が広い、と感じる。

ひるがえって、日本からの参加者はというと、ここには若干の片寄りを感じた。参加者の数でいえば、おそらく2番目に多い国だと思うが、そのほとんどはIT業界の企業人なのである。それも、特定の大企業数社に限られていて、各社から大勢くり出している、という感じだ。こうなると容易に想像がつくが、日本人同士がかたまって日本語でしゃべっている状態になる。ちょっと、もったいない。

それはともかく、学会発表はなかなか興味深いものも多かった。一例を挙げれば、"Earned Schedule" の考え方の提案がある。米国海軍のコンサルタントLipke氏が発表で、EVMSの応用として、CPIやSPIといったアーンドバリュー分析の指標をいろいろと調べ、遂行途中で真の納期を精度良く予測するために、"ES"という新たな尺度の提案をしている。事実の集積に基づいた議論で面白かった。

私自身は2年前のProMAC 2004で初めて公開した『リスク基準のプロジェクト評価手法』の発展版を発表したわけだが、リスクは一つのキーワードだった。ほかに多くの参加者を集めていたテーマは組織論と人材教育だろうか。誰もが悩むテーマだからだろう。しかしこの種の話題はどうしても「工学」というより「経営学」みたいなアプローチになる。言葉による分析、インタビュー調査による集計が中心で、エンジニアとしてはどうにも歯がゆい。

プロジェクト・マネジメントの議論は、どうしても理工学的アプローチと、“文系”的アプローチの両面が出てくる。対象が人間の集団だから、それは無理もないことだと思うが、理論や手法として世界で通用するためには、やはり沢山の事実への適用によって磨かれないといけない。自戒を込めて言うわけだが、日本がこの分野で貢献するためには、もっと広い業種・分野での意見の交換が必要ではないかと思うのだ。
# by Tomoichi_Sato | 2006-10-11 21:52 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

緊急だが重要でないもの--ダブルビン法による在庫管理

決して電子黒板のマーカーペンのインク切れを起こさない方法を、前回「ホワイトボードの謎 - 在庫の「見える化」の効用」で紹介した。同じ色のペンはつねに2本ずつ用意する。1本が書けなくなったら備え付けのビニール袋の中に、その場ですぐ捨てる。補充係が定期的に電子黒板を見回って、ビニール袋から不用になったペンを回収し、同色のペンを補充しておくのである。

お気づきの方も多いだろうが、このやり方は「ダブルビン法」と呼ばれる在庫管理方法の応用である(「ツービン法」と呼ばれる場合もある)。ダブルビン法とは、資材を保管するときに、半分ずつ別の容器に入れ(あるいは二つ棚を用意し)、その片方が無くなったら、補充手配をかける方法である。上記の例では、使用済みペンをビニール袋に捨てる動作が、すなわち補充手配に相当する。似たようなやり方は、乾電池であるとか、感熱ロール紙であるとか、切れるとちょっと不便なものにも応用できる。私の知っている人は、お米をこのやり方で買っていた。小型の米びつを二つ用意して、片方が切れたら買いに走るのだ。

ダブルビン法は“簡易在庫管理”手法だと言われることが多い。ダブルビン法が適している在庫対象は、次の3つの特徴に合致するものだ:(1)欠品すると困る、(2)比較的安価である、(3)消費量は多くないが比較的安定している--電子黒板のマーカーペンは、この条件にたしかに合致している。つまり、切れると困る(緊急性がある)が、重要と言うほどでもない品目だ。ついでにもう一つ例を挙げるなら、よくデパートのトイレットペーパーで、予備のロールがついているホルダーを見かける。あれもダブルビン法だ。たしかに安価だし、在庫が無くなるととても困るし。

いわゆる在庫のABC分析をやったとき、BC分類に入るもので上記3条件を満たす場合は、ダブルビン法が楽である。しかし、なぜ楽なのだろうか? この点を突き詰めた考察はあまり見たことがない。じつは、ダブルビン法は、在庫数量をカウントする手間がいらないから楽なのである。在庫量を把握するには、手間とコストがかかる。そして必ずしも簡単ではないのだ(マーカーペンの中のインクの残量を測れるかどうか考えてみてほしい)。在庫管理理論は、この点をあまり強調していないようだが、モノの数を把握するには、コストがかかるのだ。

ダブルビン法は、在庫チェックと補充手配を同時に“見せる”ことができる点がすぐれている。この技法は、発注点を切るまでは、いちいち在庫量を測定する必要はない、との考え方が根底にあるのだ。

そのかわり、最大在庫量の半分を発注点としているため、平均在庫量は多めになる(だから単価の安いものにしか向かない)。また需要変動が激しく、あるとき一瞬にして全在庫が無くなってしまうようなタイプの品目にも向かない。

ペンやロールのように、物理的に2個セットにできるものは簡単だが、お米のように1kgでも2kgでも5kgでも、好きな分量に分けられるものは、どう水準を設定すべきだろうか。これは、先々の説明にも関係するので、今は答えを書かないでおく。ちょっと考えてみてほしい。

ところで、最初に書いたマーカーペンの補充だが、一点だけ問題があることにお気づきだろうか? じつは、マーカーが2本トレイに置いてあると、使用者は両方のペンをランダムに使うことになる。すると、2本が同時にインク切れになる可能性もあるのだ。同じ問題は、トイレットペーパーでも起こる。たまに、単純なホルダーを二つ並べているトイレを見かける。両方のロールが使われていく。すると、どちらも残量が僅少になっていくケースがあるわけだ。これではダブルビン法の意味になっていない。

ダブルビン法を成り立たせるためには、すなわち、二つある在庫の内、使うのはつねに一方だけで、残りは必ず全量残っている状態にするべきなのだ。だから、同じペーパーホルダーを二つ並べてはいけない。マーカーペンでは、どうすべきか。答えは簡単だ。補充した新品のペンには、テープかシールを貼っておく。そして、新品と使用中のペンが並んでいたら、必ず使用中のペンを使い続けるようにすれば良いのである。
# by Tomoichi_Sato | 2006-09-30 13:02 | ビジネス | Comments(0)

ホワイトボードの謎 - 在庫の「見える化」の効用

私は世界中のオフィス事情を知っているわけではないが、「電子黒板」は他国に比べて日本が圧倒的に普及率が高いように感じる。米国のオフィスはあいかわらずフリップ・チャート(flip chart)が主流だ。フリップ・チャートとは、油絵のイーゼルみたいな台木の上に、白い紙を何枚も重ねたもので、1枚書き終わるとめくって次の紙を出すようになっている。なぜか彼らはこのローテクで安価な道具がお好きだ。フランスとか、ヨーロッパではホワイトボードをよく見かけたが、複写機能がないので、結局それをまたノートに写さなくてはいけない。せっかくきれいな図を書き終えて、さて、と思ったら複写できないのに気づき、がっかりしたことは一度や二度ではない。

それにひきかえ、わが国では電子黒板(正確には電子白板か)がよく普及している。何年か前、米国の自動化システムベンダーが私の勤務先に来て、あちこちで電子黒板を活用しているのに感心して帰った。しばらくしてから彼らのオフィスを訪問したら、真新しい電子黒板をうれしそうに見せて、“これでやっと俺達の会社も21世紀に仲間入りだ”とジョークを言っていた。

ところで、これほど便利なホワイトボードだが、私はその米国のオフィスで実際に打合に使おうとして、日本と全く同じ問題点を発見して、びっくりした。フェルトペンが、書けないのだ。書こうとすると、すぐにインクがかすれてしまう。別のペンを手に取ってみるが、そちらも同じだ。5,6本おいてあった中で、まともに書けたペンは1本もなかった。

このホワイトボード用ペンのインク切れ現象は、わが日本でもいたる所で遭遇する。どこかの秘密結社の陰謀か嫌がらせではないかと思うくらいだ。電子黒板を用いた打合の生産性は、おそらくインク切れ問題のために、どこでも2割くらい低下しているのではないか。日本でもアメリカでも、なぜ、この問題を放置しておくのだろうか? 不思議である。というのも、この問題を解決する、ごく簡単な方法を私は知っているからだ。

その方法だが、まず、透明なビニール袋を用意する。それを、電子黒板の枠にぶら下げる。そして、インクが減って書けなくなってきたペンは、そのビニール袋の中に、即座に捨てるのだ。そして、事務用品の担当者は、毎日、各部屋の電子黒板を見て回り、袋にペンが捨てられていたらそれを回収し、同じ色の新品のペンを置いておくのだ。ペンは、各色2本ずつ電子黒板に置いておく。こうすれば1本が書けなくなっても、まだ残りの1本は使える状態にある。

いつも不思議に思うのは、使えなくなったペンを捨てずにトレイに残しておくことだ。だから毎回、使おうとしても使えない問題に皆が遭遇する。たぶん、インクがある時点からすっぱり無くならないで、少しずつかすれていくから、捨てにくい心理が働くのだろう。だから捨て場と、補充の流れを作ってやれば、問題は解決する。

しかし、この問題の根本は、ペンに残っているインクの「在庫量」が見えないことにある。もしもインクの残量を外から見えるように何か工夫したら(フェルト式だから難しいとは思うが)、たぶんインク切れのペンがトレイに残っていることはなくなるはずだ。

「見える化」という言葉はトヨタ自動車が使っているおかげで、ずいぶんと普及した。しかし、ホワイトボードの謎を見ると、まだまだ本当の意義は浸透していないのかな、とも感じる。たとえば、見えない在庫量を見えるようにしてやれば、それだけでいくらでも工夫の余地が生まれてくるのだ。見えないと、誰も改善しない。

いや、もう少し正確に言おう。「見える化」の効用は、在庫削減や生産効率の向上もさることながら、イライラ感の減少にたいへん役立つのだ。ちょうど書けないペンを持ってイライラすることが減るように。それはカッコよく言えば、リスクの減少である。事実を見せれば、人間は馬鹿ではないから、落とし穴は避けて通れるのだ。

リスクのある環境では、われわれは余計な思考の労力と心配を必要とする。それを無くすることは、単なる能率の向上以上に、価値があるのだ。それは、以前ここに書いた「静寂の価値」にも通じることだ。在庫の「見える化」は何よりもまず、この点に意義を見いだすべきなのである。
# by Tomoichi_Sato | 2006-09-15 23:32 | サプライチェーン | Comments(0)

生産管理には理論がある

あなたは、20万トン級タンカーを運転したことがあるだろうか? ま、私だって、むろん無い。しかし、昔、大学に入りたてのころ、大学祭で船舶工学科の学生が作った「タンカー・シミュレーション」をさわらせてもらったことがある。当時まだパソコンが普及しておらず、そのシミュレーターは大学の大型計算機に接続されており、船の位置はX-Yプロッターに書き出すようにできていた。手のひらに載るゲーム機でフライト・シミュレータが動いてしまう今からは、信じられぬほど大昔の話だ。

しかし、タンカー・シミュレーションの仕組みはそれでも十分、実用的なリアルタイム性をもっていた。なぜなら、タンカーの運転はとてもゆっくりした作業だからだ。シミュレータ上には運河の線が描かれており、その曲がった岸壁にぶつからないように舵を切っていかねばならない。しかし、何度やっても私のタンカーは曲がりきれずに岸壁にぶつかって沈没してしまう。タンカーの反応が非常に遅いからだ。右に面舵をとっても、船体がちょっと右に曲がるまで何十秒もかかる。巡航速度は結構速いから、その間に何十メートルも進んでしまう。タンカーはきわめて運転の難しい乗り物なのだった。

船舶工学科の学生がその時教えてくれたのは、船の運航方法には理論がある、ということだった。まず、船には慣性がある。動力と舵があり、水面との摩擦がある。海流や風による一定方向に外力がかかる。波などのランダムな外乱もある。舵を切ってから船体の向きが完全に変わるまでの時定数は、こうして決まる。タンカーは重量が大きいから、時定数はかなり長い。すぐに方向転換できるヨットとは運転の仕方が違うのだ。f=m・aという力学の公式を、私は妙に実感を込めて思い浮かべた。

船の運転には理論があり、それを学ばないと船長になれない。それは当たり前のことに思える。しかし、(このサイトの読者の方ならばもう話の流れは分かったと思うが)陸の上の会社の世界では、理論を知らないまま管理者の地位についている人が少なくない。そもそも、生産管理だとかプロジェクト管理だとか販売管理だとかに「理論」があることさえ知らない管理者が多いのだ。不思議なことである。

生産管理には理論がある。船の運航が重量や速度や動力や水・風の外力にしばられるように、生産はその在庫量や速度や生産資源や需要・技術動向にしばられる。そこにはf=m・aに相当するきちんとした関係性がある。

しかし生産管理に理屈があることは、なかなか気づきにくい。なぜなら、工場というものは巨大な仕組みであり、その『時定数』が長いからだ。舵を切ってから右に曲がるまで、あるいは動力を上げてからスピードが上がるまで、時間がかかるので因果関係が分かりにくい。しかも、生産とは営業から物流までの一貫した機能から成り立つシステムである。言ってみれば一隻のタンカーというより、複数の船からなる船団のようなものだ。ある場所で起きた事象が、思いもよらぬ別のところに波及したりする。因果関係が直感的でない。

でも、一応大学で経営工学などの講義をちょっとでも聴いたことがある人なら、理論を知っておこうという意思は持つだろう。困るのは、理論を知ろうとしない人の方である。「知ろうとしない人」が管理者になると、乗組員は大変だ。船長、あと20mで岸壁です、このままではぶつかります、と報告しても、“馬鹿者、気合いと根性で曲がるんだ!”と怒鳴り返される。なにしろ、運行は理屈ではないのだ。ぶつかったら、航海士や機関士が根性がなかったことにされてしまう。

生産のマネジメントとは予測(リスクの先読み)とフィードフォワードである。その基礎には、生産システムの力学がある。これから数回に分けて断続的に、在庫理論を例にとり、それを説明していきたいと思う。
# by Tomoichi_Sato | 2006-09-02 10:55 | ビジネス | Comments(0)

MRPは受注生産形態に適用できるか

日本の製造業の9割は、受注生産形態である。たしかに自動車や家電・情報機器といった花形産業の製品は見込生産品で、メーカーはいずれも世界的に有名な大企業だ。また、われわれが日常生活で触れる食品や衣料なども見込生産品だから、日本では見込生産形態が主流のように思えるかもしれない。

だが、こうした産業を支えている膨大な数の部品・材料製造業は、ほとんど受注生産の形態で運用されている。それらはしょせん中小の系列あるいは下請け企業だと勘違いしている人もいるが、巨大な製鉄所だって受注生産形態で運用されている。企業規模の大小の話ではない。“メーカー”というと、最終消費者の手に届く品物を作るスター企業で、あとは部品製造の中小下請けだ、だから受注生産は特殊な例外だ、という奇妙な錯覚は、生産管理の世界では、まず捨てた方が良い。

さて、生産管理の世界では、もう一つ奇妙な神話ないし誤解がある。それは、MRPは生産管理をコンピュータの仕組み上にのせるための、ベスト・プラクティスである、というものだ。これは、主にERPパッケージを販売するIT企業のSEたちに信奉されている。もうちょっと気の利いたSEだと、この上にAPS(革新的生産スケジューラ)という上級コースもあるが、通常の顧客にはMRPで十分だ、と割り切って考えている。

現在のERPパッケージのほとんどは、MRP(もう少し正確にいうとMRPⅡ)をベースに生産管理機能をつくっている。そして米国生まれのMRPは計画生産の思想、つまり見込生産形態の考え方が濃厚にある。むろん、MRP自体は、きちんと慎重に運用すれば受注生産でも立派に使えるし、それは米国でも実証済みである(米国だって受注生産企業はいくらでもある)。

しかし、受注生産の企業、とくに製番管理で工場を動かしている企業にMRPを導入するにあたっては、必ず注意しなければならない点が二つある。それは、購入部品の在庫ポリシー、ならびに個別設計と先行手配の関係だ。いずれも購買に関係していることに気づいてほしい。

MRPは、各部品に標準リードタイムを設定する。購入部品の場合は、外部に発注してから納入されるまでのリードタイムを設定する。この納入リードタイムがくせもので、我が国の取引慣行では月締めが原則だから、じつは発注タイミングによって納入までの期間は案外変動する。そこでいきおい安全サイドにとって、最大値を設定することになる。だから製造全体の標準期間が長くなる。

するとどうなるか。MRPでは出荷日から逆算してすべての手配スケジュールを決めるから、部品手配のリードタイムを長く取ると、とうぜん、設計に使える期間が短くなる。しかし顧客の個別仕様は昨今、ぶれてなかなか決まらない。購買手配しようにも、設計が決まらなくては手配できない。もう一つ困ったことに、MRPはBOM(部品表)ありき、の発想でできている。設計が完了して、部品表がすべてそろわないと、MRPは購買手配オーダーを発行してくれない。一部の長納期品だけ先行手配、という運用がきかない。

その結果、一部の部品がどうしても当初の予定通りに工場に納入されなくなる。工場は、材料のモノがそろわなくては製造できない。にもかかわらず、MRPは元の予定通りに、製造オーダーを現場に対して発行する。こうして、不可能なミッションを与えられて現場の班長は円形脱毛症になってしまう。

もともと日本の製番管理は、あまり常備品在庫を持たず、毎回、個別手配をかける方式である。一方、MRPは常備品在庫とロットまとめの思想を前提としている。だから、購買品が届かないために製造スケジュールをフォワードでずらす、という仕組みがない。BOMの完成を待たずに、部分的に先行発注する発想もない。

最近私が見聞きした経験では、こうした生産形態の違いに無自覚なまま、生産管理分野にMRPを導入しようとするケースが目立つように思える。ようやく不況を脱しつつある我が国の製造業では、10年以上にわたった投資の空白期間を埋めるために、ERPパッケージの適用分野を生産部門にも広げようとする動きが多い。しかし、繰り返すが、MRPを受注生産に適用するには、かなりの注意と、業務の変更が必要なのだ。それは、“パッケージのベスト・プラクティスに業務を合わせ、BPRを推進する”といったカッコいい主張とは、まったく別の次元の話である。
# by Tomoichi_Sato | 2006-08-19 10:56 | サプライチェーン | Comments(0)

製品アーキテクチャー分析--付加価値を高めるためには

日本の製造業の花形は自動車と電子情報機器である。作り手のほとんどは大企業で、一般消費者にアピールする製品を作っているから、知名度も高く宣伝も多い。いきおい、マスコミのクローズアップ報道や、生産管理の解説書は、こうした産業に焦点を当てがちになる。いずれも消費者にBtoCで販売する製品であるから、そのベースは見込み生産である。その結果、多品種だが大量生産の工場を、どう上手にグローバル展開するか、といった面ばかりが喧伝される。

しかし、日本の製造業の9割は、じつは顧客の個別仕様に応じた品目をつくる、受注生産の形態をとっている。自動車メーカー1社に対して、それを支える膨大な系列部品メーカーの存在を考えてみれば、容易に想像がつくはずだ。自動車部品は「すりあわせ型」である。だから部品メーカーはほとんどが受注生産になる。一次部品メーカーに対する二次サプライヤーも同様の立場で、最終顧客の仕様にあう素材を提供しなければならない。

受注生産の特徴は、自分の都合で生産計画を立てることができない点だ。来た注文を、納期に合うように、端からこなしていかなければならない。つまり、イベント・ドリブンな企業形態なのである。設計自体は最初の製品開発と初期流動の時点で済んでいる。だから繰返し受注生産のかたちになる。

さて、繰返し受注生産は儲かる業態だろうか? 製造の効率化は、計画性と、設計の標準化と、購買先の自由度、そして生産の平準化などから生まれる。しかし、この業態ではどれもアウトだ。計画も立てられず、設計は顧客次第、購買先も(個別注文だから)複数から安いものを選ぶのに手間がかかる。唯一、平準化だけは、顧客次第では可能かもしれない(むろん一個流しなどの工程改善の努力は必要だが)。だから、この業種では付加価値を高くとることがかなり困難だ。

するとやはり、最終消費者向けの製品をつくらなければ儲からないのだろうか? じつは、それも早計なのだ。スーパーやドラッグストアなど、安売りチェーンストアに並ぶ商品は、すべて消費財である。誰でも作れて、特色を持たぬ商品は、すぐに価格競争に巻き込まれる。パソコンなどもそうだ。パソコンのような、モジュール化された汎用部品・中間製品を組み合わせて作る「モジュール型」製品には、誰もが参入できる。世界市場相手の価格競争から抜け出すのは容易ではない。

このようなわけで、前回の図表にも説明したとおり、製品アーキテクチャーが「製品=すりあわせ型、部品=すりあわせ型」のタイプと、「製品=モジュール型、部品=モジュール型」のタイプは、付加価値を大きくとることがむずかしいと考えられる(以上は私自身の分析であって、必ずしも藤本教授の学説ではない。念のため)。

そこで、モジュール型製品を作る場合は、部品はきっちり最適設計を徹底し、すりあわせ型部品から作ることで原価低減とリードタイム短縮をはかるべきだ。一方、すりあわせ型製品を作る業界では、オプション仕様の組合せをうまく取り入れて、見かけ上の個別仕様を実現すると共に、部品レベルの共通化を図ってモジュール型を指向すべきだ、ということになる。

どちらも、言うは易く行なうは難し、である。なぜなら、特定の部署だけの努力でどうにかなる話ではないからだ。設計も、販売も、調達も、製造も、みなが協力し合って進むしかない。そして、そうした決断のみが、『経営戦略』の名で呼ばれるにふさわしい決断なのである。
# by Tomoichi_Sato | 2006-08-18 11:38 | ビジネス | Comments(0)

製品アーキテクチャー分析--儲かる製品と部品の組合せ

東大経済学部の藤本隆宏教授といえば、『能力構築競争』(中公新書)など、主に自動車業界の徹底した調査に立脚した、ものづくり理論で有名である。藤本教授の創見は「製品アーキテクチャー論」で、ひらたく言えば“すりあわせ型”部品構成と“モジュール型”部品構成の区別にある。

「すりあわせ型」の部品構成とは、すなわち製品を個々の部品から構成するときに、個別に部品を細かく仕様決め・設計して、それらを組み合わせてつくるタイプだ。その典型は自動車であり、自動車の部品は、たとえ同じ企業であっても、車種によってばらばらである。カローラのシートはクラウンには使えない。つまり、他の部品との組合せは限られており、その中で重量や強度や材質などを最適化してある。

一方、「モジュール型」の部品構成とは、製品を標準的なモジュールの組合せで実現するタイプだ。その典型はパソコンで、CPU・マザーボード・筐体・モニタ・キーボードなど、それぞれ単機能で完結したモジュール(サブアッセンブリー)の組合せで製品を作る。それぞれのモジュール間のつなぎ方(インタフェース)は業界の中で標準化されており、IBMのパソコンにEIZOのモニタをつないでも、ちゃんと表示してくれる。

製品の持つBOM(部品表)の構造を、このように分析する視点はそれ以前にはなかった。そして、製品自体も、すりあわせ型商品とモジュール型商品に大別することができる。すりあわせ型商品は、顧客の個別の細かなニーズにぴったりと“すり合う”ように作られた商品である。モジュール型商品とは、カタログの中から選ぶタイプの商品だ。寿司屋で言えば「おこのみ」か「おまかせ」かの違いと言っていい。むろん、すりあわせ型商品は受注生産になり、モジュール型商品は見込み生産になる。これが生産管理手法の違いを生む根本要因なのだ。

ところで、藤本教授によれば、儲かる産業と儲からない産業の違いは、製品と部品のアーキテクチャーによって傾向づけられる、という。これは、どういうことだろうか。

たとえば、自動車製造が、今日もっとも付加価値を生む産業であることは疑えない。ところで、自動車という商品は、基本的にカタログ商品である。さまざまなオプションをお好みで選ぶことは可能であるが、車種という基本モデルの枠組みは決まっている。つまり、モジュール型商品である。一方、その部品は、既にのべたようにすりあわせ型部品からなっている。

ひるがえって、造船・エンジニアリングはどうか。自分の属する業界だからよく知っているが、この業種は(今現在は中東の石油バブルで受注が多いが)基本的に付加価値の小さい仕事だ。粗利が小さく、リスクは大きい。この業種の特徴は、個別仕様のすりあわせ型の機械・資材を買って、プラントという個別注文のすりあわせ型の商品をつくる。

パソコン業界はどうだろうか。90年代はじめには“電子立国”などと自称していた日本だったが、今やデスクトップPCで大きな利潤を上げる会社は、ほとんど無くなってしまった。パソコンはカタログで選ぶモジュール型商品である。そして、構成部品もモジュール化されている。

ところで、ご存じの方は少ないようだが、今の日本は電子材料製造の業界では、非常に強力なパワーを持っている。シリコン半導体ウェハや液晶材料は、日本のメーカーが世界市場の半分以上を占めており、かつ大きな利潤を上げている。いまや電子材料立国なのだ。そして、商品は個別仕様のすりあわせ型だが、原材料は一般化学の産物であり、モジュール型である。

以上をまとめると、次の図のようになる。

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|            |モジュール型商品|すりあわせ型商品
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|モジュール型部品 | パソコン・家電 | 電子材料    |
|            |           |           |           
|            |(付加価値 小) |(付加価値 大) |
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|すりあわせ型部品 | 自動車     | 造船・エンジ  |
|            |           | ニアリング   |
|            |(付加価値 大) |(付加価値 小) |
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おわかりだろうか。BOM(部品表)の形を見ると、儲かる業界かどうかが、ある程度わかるのである。そして、同じタイプの商品・部品の組合せは儲からないのだ。上の図で言うと、左下か、右上に行かなければならない。

これが部品表構造の視点から見た、選ぶべき企業戦略なのだ。世に出回っている経営評論の如きと、いかに違うかお分かりだろうか。経営者の資質だとか、工場の世界展開とか、マーケティングの巧拙とか、そうした要因も大事かもしれない。しかし、儲かるか儲からないかは、製品のアーキテクチャーで構造的に決まってしまうのだ。

では、なぜこうなるのか。そして、左上や右下にいる企業は、どうしたら儲かるようになっていけるのか。長くなってきたので、この続きはまた書こう。
# by Tomoichi_Sato | 2006-07-30 11:24 | ビジネス | Comments(0)