購買リードタイムとは何か?

知人が調剤薬局に薬をとりにいった。やや特殊で高価な薬である。順番がきたので窓口にいったら、担当の人が「申し訳ありません。この薬は今、在庫が無くて取り寄せになりますが、2~3日お待ちいただけますか?」という。知人が、手元に数日分あるから待てます、と答えると、「もし定期的に購入されるのでしたら、在庫しておきますので次回からはお待たせすることはありませんが、どうしますか」とたずねられたそうだ。

医薬品はふつう見込み生産されている。だから、メーカー在庫は必ずある。かりに薬局に在庫が無くても、2~3日で取り寄せられる。医薬品は人の命にかかわる場合もあるので、メーカーは『供給責任』の名のもとに、必ず在庫をもっておくものなのだ。ちなみに医薬品は国が価格を決める特殊な商品で、どこの調剤薬局にいっても値段はかわらないのが原則だ。だから、その薬局に格別不満がないかぎり、知人が定期的な利用をコミットすれば、購買リードタイムは数日間から数十分に短縮できる。つまりほぼゼロになるわけだ。

このエピソードを紹介したのは、購買リードタイムを決める要素が、短いやりとりの中にすべてあらわれているからだ。製品在庫、定期的な消費、コミット(約束)、価格、見込み生産、取り寄せ、輸送・・。

リードタイムとは、何らかの指示(オーダー)を出してから、それが完遂(フルフィルメント)されるまでに要する期間のことである。調達においては、購買オーダーから納品までの期間をさす(なお、購買と調達を区別する場合もあるが、ここでは説明を省く)。注文してから、手元に届くまで。

生産管理システムやスケジューリング・システムでは、購買リードタイムを標準日数(固定値)としてマスタに登録する場合が殆どである。では、この日数は、誰がどのように決めるべきか。また、その日数の信頼性や、その短縮方法はどう検討すべきか。こうした問題は、従来の生産管理理論があまりフォローしてこなかった領域と思われる。

たとえば、ある部品の購買リードタイムが2ヶ月とマスタに登録されているとする。ところで、その部品はじつは毎月買っているものだとしよう。このリードタイムの値は正当だろうか、それともおかしいだろうか?

集中購買を行なっている会社では、購買部門がリードタイム日数を登録・メンテしているケースが多い。購買部門はその品目の取引を新規にはじめた際、サプライヤーに引合いをして価格と標準納期を決め、登録する。価格は年に1回くらいネゴを行なって見なおすだろう。だが、リードタイムはそのままにされる場合が少なくない。納期は、個別には催促することもあるが、標準値をネゴって短縮できるものではない(また効果も少ない)と購買部門は考える。なぜなら、購買リードタイムとは、サプライヤー側にとって見ると、注文を受けてから出荷するまでの生産リードタイムに相当するからであり、旋盤で4時間かかるものを3時間にまけておけ、と言ったって現実的ではないはずだ・・。

ところが、これは大間違いなのである。冒頭の調剤薬局の例を思いだしてほしい。定期的に消費がコミットされるものは、製品在庫として置いておくことが可能になるのだ。コミットというと、なんだか『引取り保証』のようなものを連想されるかもしれないが、それは極端な例である。サプライヤー側にとって、“見込みが立つ”商品は、(よほど高価な部品でないかぎり)見込み生産ができるのである。

つまり、購買リードタイムを決めるのは、サプライヤー側の見込みと購買側の予定(思惑)とを、どれだけ一致させられるかという事である。購買予定が継続的で平準化されていれば、それだけサプライヤーは見込みで先行生産が出来るから、リードタイムは短くなる。購入が断続的だったり、購入量のアバレが激しい場合は、こわくて見込みでは作れない。いきおい受注生産になるから、リードタイムは生産に必要な期間より短くはできないことになる。新規部品の場合は必ずこのケースだから、納期は長くなる。

もし、毎月購入する部品があったとして、それが比較的平準化されているならば、標準リードタイムは2ヶ月どころか2日でも納入できるように交渉可能なのだ。しかし量が毎月ひどくバラバラなら、在庫を置いておけとは言えないだろう。もっとも、半期や年間でならせば平均的というのなら、まだ多少の交渉の余地はある。

これは言いかえるならば、購買リードタイムの値を実質的に決めることができるのは、購買部門ではなく生産計画部門だ、ということを意味している。当初の登録は購買部門でも、それを見なおして短縮できるのは生産計画部門なのだ。なぜなら、購買部門は部品消費予定を決める立場にないからだ。集中購買方式をとる日本の少なからぬ企業が、ちっとも納期競争で海外に勝てないのは、こうした事情に対する無理解が生んでいる可能性も高いと私はにらんでいる。
# by Tomoichi_Sato | 2007-07-01 15:07 | サプライチェーン | Comments(0)

マネジメント改革の工程表 岸良裕司・著

機知に溢れた、楽しい本である。正直言うと私は、(「気まぐれ批評集 書評」のページを見てもらえれば分かるとおり)あまりビジネス書のたぐいを読まない。理由の一つは、書評には最初から最後まで全部読み終えた本だけを取り上げることにしているからだ。ビジネス書はしばしば、必要な箇所だけを参照するために買うので、全部を読み通すことがあまりない。さらにもう一つ、たいがいのビジネス書のスタイルが、肌に合わないこともある。理論の説明中心で教科書的になるか、あるいは雑誌記事的な事例と感想の羅列だけで、通るべき芯が通っていないか、どちらかのケースが多い。そしてユーモアが足りない。

さいわいこの本には、軽快なウィットがあふれている。これは著者の資質のあらわれなのだろう。著者の岸良氏夫妻には、昨年秋のシドニーのプロジェクト・マネジメント国際学会ProMAC 2006の席上でお会いしたこともある。察するに岸良氏は、理論家や伝道師というより、優れたファシリテーターなのではないか、という気がする。

そのセンスは、本書の装丁や用語などによく現れている。表紙には著者の言う「サバよみ虫」や「かねくい虫」など“会社の害虫”のイラストが描かれている。サバよみ虫とは、5日でできる仕事でも『10日かかります』とサバを読んで膨らませて答える奴らのことだそうだ(別に彼らは悪気ではなく、責任感が強すぎるためこう答えるのだ)。だから文中の『会社の害虫図鑑』によると、サバよみ虫は「人の責任感を栄養源にして急速に成長する。個別最適の組織と組織の隙間などに好んで生息する」と書かれている。

害虫には他にも、「くれない虫」(=外部への不満が強い)「べき虫」(=理想論だけ言う)「パーキンソン虫」(入った予算は全部使ってしまう)などがいるという。だがイラストを見ると愛嬌のある可愛い虫たちで、妙に憎めない。このイラストはすべて、まゆこ夫人の手によるもので、そのセンスだけで本書の魅力を2割以上アップしている。

本書のテーマは、クリティカル・チェーンを中心にした、プロジェクトの進め方である。クリティカル・チェーン・プロジェクトマネジメント(CCPM)とは、TOC(制約理論)の創始者で『ザ・ゴール』の著者ゴールドラット博士の提案した手法だ。プロジェクト・スケジューリング理論は、1950年代のおしまいに米国ランド・コーポレーションとデュポン社でPERT/CPMが開発されて以来、ほとんど半世紀の間、進展らしい進展がなかった。その停滞を破った画期的理論がCCPMである。

しかし本書は、いきなり正面からCCPMを解説するようなことはしない。むしろ著者の目から見た、日本の会社のマネジメント改革に蔓延している問題点を明確にするところからはじめる。その問題点とは何か。それは管理の未熟や不足ではない。管理過剰なのだ。

会社に問題が生じる、とする(どんな会社にも問題は必ずある)。改革プロジェクトがたちあがる。しかし他の仕事は減らないので、いきおい余裕がなくなる。目標も見えにくい。結局プロジェクトはずるずると遅れてしまう。すると経営幹部の支援も得られなくなる。こうして一つがこけると、他に悪影響が波及してくる。いきおい、目標管理や数値管理をもっと徹底しろ、ということになる。するとさらに報告作業が増える。そしてもっと余裕がなくなり、他のプロジェクトも軒並み遅れて・・・

では、その解決法だが、著者はここでクリティカル・チェーンを導入すると、すべて見事さっぱり解決する、という。そしてCCPMの中核であるタスク期間短縮とバッファ・マネジメントの話に進んでいく。しかし、ここはちょっと飛躍がありすぎるように感じた。

むしろ、その後の章に書かれている、「ODSCで目標を共有する」の方が、私にはオリジナリティが溢れていると思う。ODSCとは、Objectives(目的)・Deliverables(成果物)・Success Criteria(成功基準)の略だ。これを、全員参加のミーティングで最初につくっていく。さらに、このODSCからさかのぼってタスクを洗い出し、工程表を一緒に作成していくのである(ただしCCPMには階層的WBSという考え方はない)。

プロジェクト計画時に、目的/成果物を定義し、タスク・リストと工程表を作成すること自体は、PMBOK Guideにも書かれている、ごく当たり前の作業である。ポイントは、皆の参画意識を引き出す、そのやり方にある。著者にファシリテーターとして優秀な資質がありそうだと思うのはここの点だ。この章だけでも本書は読む価値がある。

ところで、エンジニアリング会社ではCCPMを使わないのかと、ProMAC 2006の会場でも私は聞かれた。CCPMは優れた手法で、私もときどき利用している。しかし、オフィシャルな答えはNOだ。その理由は、CCPMにはコスト管理の視点が全く欠けているからである。エンジ会社の受注するプロジェクトは、納期と予算とスコープにしばられている。そこでつねに直面するのは、コストとスケジュールの間の見合い判断である。機器を日本のメーカーA社から買えば納期は確実だが高い。東欧のB社から買えば安いが納期に不安が大きい。このときどちらを取るべきか? こうした問いに、CCPMは直接答えてくれない。

むしろクリティカル・チェーンの手法は、コストのほとんどの部分が社内人件費であるような種類のプロジェクト、すなわち社内改革プロジェクトに向いていると思う。これならば「納期」イコール「コスト」であるから、トレードオフ問題に悩まずにすむ。そう言う意味でも、タイトルにあるとおり、この本は「マネジメント改革」に直面している人におすすめである。
# by Tomoichi_Sato | 2007-06-24 01:05 | 書評 | Comments(1)

工場見学ほど面白い物はない

今月はじめ、中国の大連に行って来た。中国東北部の玄関口にして最大の港町・大連市である。100年前にロシア人が建設した、アカシアの並木の美しいこの街は近年、急速に発展中だ。今回は、コンサルタント集団「生産革新フォーラム」(略称MIF研)主催の、中国工場見学ツアーに参加しての旅行だった。ただし(大連は日系企業もこぞって進出しているが)見学先はすべて中国企業にかぎった。中国の製造業の本当の実状ないし実力を見たい、というのがそのねらいだったからだ。紹介の労をとってくれたのは大連理工大学で、そのキャンパス見学も行なった。

結果は、衝撃的だった。見学の第一印象を一言で言うと、「まいった」になろうか。あるいは「すごいな!」かもしれない。いくつかの企業を回り、大学を見学したあとの感想は、正直、「やばいぞ。」にかわっていた。

見た工場のどこがすごいのか。それを言う前に、なぜ私は工場見学をするのか、書いておきたい。じっさい、私は工場を見るのが大好きだ。そうでなければ、独立コンサルタントでもない私が、なぜ会社まで休んで、自費で海外への見学ツアーに参加するのか。
それは、一言でいって、工場が複雑なシステムだからである。だから設計は難しく、かつ面白い。工場は単に、建て屋のドンガラのなかに製造機械をならべただけのものではない。生産にたずさわる人がいる。部品・材料・製品・副資材などのモノが流れる。電力やガスや用水などのユーティリティも供給しなければならない。制御システムや情報システムもいる。そこには生産思想のすべてがあらわれてくるのだ。以前、『流れをつくる』(「タイム・コンサルタントの日誌から」2007/03/18)や『製品という名のシステム、工場という名のシステム』(2005/11/14)にも書いたことだが、製品に設計思想があらわれるように、工場にはサプライチェーンの設計思想があらわれる。

ところで、日本でイメージする中国の製造業というと、安い人件費の労働者を大量に投入した、人海戦術のものづくり、といった風のものだろう。'90年代以降、日本企業が中国に工場進出した最大の動機は、“安価な労働力”だった。品質はあまり望めないが、とにかく安い部品や、低付加価値の製品。Made in Chinaのイメージそのものだ。

では、じっさいに私たちが見た工場はどうだったのか。たとえば、大連三至机器(正しくは「至」ではなく土の上にムを3つ並べた漢字だが、無いので代用)という会社を見学した。年商50億円程度の中堅製造業だ。給排水に使う大口径コルゲート樹脂のパイプを製造する産業機械のメーカーである。大型の産業機械だから、とうぜん受注生産である。しかも、部品製造からの受注生産なのに、生産リードタイムはわずか50日だという。

ふつう日本の工場だったら、ひと声「納期は6ヶ月」というところだ。基本設計に1ヶ月、鋳物やモーターや特殊部品の資材購入に3ヶ月、部品加工1ヶ月、組立と立合検査に1ヶ月、というわけだ。まあ、この50日が部品購買リードタイムを含むのかどうかは、確認しなかった。鋳物やモーターがあるから、それもふくめて50日というのはかなり難しいから、工場で部品加工に着手してから完成出荷までの期間だろうか。しかし、購買が個別注文ではなく標準品だったら、それでも全体はかなり早いはずだ(日本で購買リードタイムがやたら長くなるのは、手配慣習に起因する理由があるのだが、それはまた別の機会にふれよう)。

ここの工場は、スペイン製の大型FMSマシンをはじめ、森精機の多軸NCなど自動加工機械が20台以上、ずらりと並んで直線的な加工ラインを形づくっている。汎用機もあるにはあるが、補助的役割に見える。モノは工程内にあまり滞留しないで、きれいに流れて行くらしく、フロアに仕掛りがそれほど無い。これが日本の普通の工場だったら(たとえ大手企業でも)、マシンの回りに1ヶ月も2ヶ月も前の部品が平然と積まれていたりするものだ。

こうした自動機のオペレーターは、みな若い。大連の専門学校で加工機械を学んだ人材を採用しているという。人よりも機械の台数の方が多い。ぜんぜん人海戦術ではないではないか。それだけではない。自動化ラインを中心に部品加工をしているということは、部品設計自体が、それなりに自動加工を意識して標準化されていることを意味する。つまり、製品設計・生産技術・製造管理全体に、筋が一本とおっているのだ。

部品加工を自社でやれば、それだけ設計ノウハウ・製造技術ノウハウが自社に蓄積される。多くの日本企業がやっているように、最終組立だけ自社に残して部品加工を外に出してしまうと、付加価値額の比率も低下するし、結局自社の力が落ちていくのだ。

くり返すが、ここは民間資本の中堅企業である。投資はまったくの自費でやっている。国家から土地建物や資金を投入されている国策会社ではないのだ。それなのに、生産の『あるべき姿』を考えて、果敢に挑戦している。まことに恐れ入った。

なんだかベタ褒めみたいになったので念のために書いておくが、私は別に中国ファンでもないし、誰かに何か恩義があるわけでもない。中国にだって政治的不自由やバブル経済や農村の疲弊、環境破壊などさまざまな困難がある。中国人が理想的な人格者ばかりでない(むしろ聖人君子からははるかに遠い人が多い)のも、先刻承知だ。だがむしろ問題なのは、『チャイナ・シンドローム』(「コンサルタントの日誌から」2004/06/06)にも書いたように、私たち日本人の単層な思いこみの方なのだ。

帰る前の日は、今回の見学先を紹介してくれた大連理工大学を訪問した。広々とした落ち着きのあるキャンパス、すぐれた設備にも感心したが、いちばん印象を受けたのは真面目に勉強する学生たちだった。東北3省のトップ校であり、むろん優秀な人間は多いと思う(東北3省だけで人口は1億3千万人と日本をしのぐから、そこのトップとは、東大以上のレベルといってもいい)。

しかし、何より、今の中国では、一所懸命に学べば、それだけ良い未来につながるはずだという、単純な希望がある。百年前の清朝末期には考えられもしなかった希望である。若い人が、希望を持てる社会。理想を目指しても嘲笑されない社会。私たちも、そうした世の中をもう一度つくらなければ、きっと5年後10年後には、中国に「先進事例」を逆に学びに行くことが当たり前になっていくだろう。
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# by Tomoichi_Sato | 2007-06-15 00:05 | サプライチェーン | Comments(0)

心理的バリアーをのりこえる

自分のやるべき仕事を、To Doリストやタスク・リストなどの形に書いておくのは、良い習慣だ--近著『時間管理術』の最初の方でこう書いたら、「近頃の若いビジネスマンはそんな当たり前のことまで、本で勉強しないと分からないのか」とベテランのプロジェクト・マネージャーに、あきれられてしまった。昔はそんなことは自分で編み出すか、先輩から盗んで覚えるのが当たり前だった、ということらしい。

しかし、大学出がまだエリート候補だった高度成長期ならともかく、今やホワイトカラーなど、誰もがありつける、ありきたりの職業となった。徒弟制度的な技術継承もくずれつつある。だから今日では、時間管理術はキャリアアップに必須の、学ぶべき技法だと思う。

自分がいつまでに何をやらなければならないのか、それがどれほどの負荷量の仕事なのか、ホワイトカラー業務の場合はなかなか見えにくい。生産現場だと、製造オーダーや出荷指示といった紙の差立てがきちんとしているし、それが現物と(まともな工場では)対応しているはずだから、仕事量は明確だ。仕事量が可視化できれば、おのずから進捗も計りやすいし、コントロールも可能になる。見えない仕事はいつまでたっても、制御不能のままなのである。

かくいう私も、To Doリストはずいぶん以前からずっとつけている。ところで、こうしてリストをつけて、毎朝・毎夕に更新していくと、ときどき気になることが出てくる。それは、いつまでたってもリストから消えずに居座り続けるタスクの存在である。

タスクは内容の他に、かならず期日(due date)を書くのが原則だ。しかし期日が厳密に決まっていない仕事、「近いうちにやらなきゃならない事」というのも現実には存在する。そうしたタスクは期日をブランクにしたり、あるいは1週間後などの適当な目安を設定することが多い。期日が来たら、私が使っているツールでは自動的に翌日に持ち越しになる(持ち越し不可の設定も可能だが)。こうして、いつまでもTo Doリストに残って消えないタスクがときどき生じる。正直に告白すると、最長で半年以上も生き残っていたタスクがあったと思う。毎日それを見ていると、しだいにTo Doリスト自体をメンテするのがいやになる。

それくらいだったら、さっさとそのタスクを完遂すればいいじゃないか、と思われるだろう。そう。それが正論である。しかし、私自身の中には正論にしたがえぬ部分が若干、あるのかもしれぬ。そして、類似の体験をじつは皆もっているようだ。では、どんな種類のタスクがTo Doリスト残りやすいのだろうか。工数のかかる仕事か、あるいは難易度の高い仕事か。それとも専門領域外の仕事か?

そうではない。私が手をつけずにずるずると先延ばしにする仕事、それは心理的に「面倒くさい」タスクなのだ。工数にも難易度にも専門性の有無にも、直接は関係がない。工数がかかって難しい、しかも経験の少ない分野でも、よろこんで取りかかれる仕事はいくらでもある。困るのは、心理的な負荷の高い仕事の方だ。

経営学は労働を、肉体労働と知的労働に分類している。それはさらに、習熟の要否によって単純労働と熟練労働に分かれる。高度な指先の研磨加工もあるし、単純な伝票処理もあろう。そうしたタスクの工数(負荷)は、肉体か頭脳のどちらかの使用時間で計られるのが決まりだ。ところが、仕事の中には、さほど時間がかかるわけではないが、心理的な負荷の大きなものがあるのだ。

友人の社会学者・石川准氏の本の中で、私は「感情労働」という概念を知った。感情労働とは肉体労働でも知的労働でもなく、感情の消費を要求される仕事をさす。その代表例として、ナースによる看護があげられていた。看護には知的な面も肉体労働的な面もある。しかし、その負荷の大きな部分は、患者に対する感情のプロセスによって生じるという。

同じ事が、どうやらビジネスの世界にもときどき生じるらしい。難しくはないけれど面倒くさい仕事。たとえば顧客への追加交渉だとか、人事考課だとか、あるいは些末な規則のために、細心の注意を払わないと官庁や管理部門からこっぴどく怒られる仕事だとか。こうしたものは心理的なブロックとなって、着手をしにくくするのだ。

それでは、どうすべきか。自分の心理的傾向、すなわち性格をかえるのが一番だが、これはお手軽にはできそうもない。そこで別の方法を考えよう。まず、心理的なブロックの存在に気づくことが第一だ。問題の存在を認識すれば、もう3割は解決に近づいたも同然だろう。

そのために、まずTo Doリストでの繰り越し回数をチェックするといい。もし同一のタスクを、未着手のまま5回以上くりこしていたら(つまりカレンダー日でいえば1週間たっていたら)、それは「心理的バリヤーつきタスク」だと認識する。

つぎに、心理的な障害のあるタスクは、それを小さなサブ・タスクに分解してみる。「顧客に値上げ交渉をする」という仕事が、気が重くて延ばしのばしになっている場合、「交渉材料のネタを準備する」「競合製品の価格リストを作る」「顧客に面談のアポを入れる」などにブレークして、着手してしまうのだ。本にも書いたとおり、少しでも自分自身の背中を押してやるような形にするのがコツだ。

同時に、自分自身で簡単なモットーをかかげるのもおすすめだ。たとえば私は、「迷ったときは積極的な方を選ぶ」というモットーを、先輩から教わった。これは自分自身の背中をちょっと押すのに効果がある。「迷ったときには、念を押せ」というのもある。これは優秀なプロマネからきいたことばだ。コミュニケーションには念を入れろ、との教訓がこもっている。

こうした面倒くさいタスクは、かなりの場合、上司からふってくる。以前、『To Doリストなんか書いている時間がない』(「コンサルタントの日誌から」2007/03/11)にも書いたように、本当はTo Doリストは、作業を指示した人が書き込むべきものである。だがそれは、現実にはなかなか、かなわない。タスクは自分で管理せざるを得ないのだ。それでも、自分の背中を少しずつ押す術を身につければ、少しずつは前に進むことが出来るのである。
# by Tomoichi_Sato | 2007-06-05 23:23 | 時間管理術 | Comments(0)

プラント業界のリスク・オーバービュー

プラント資機材の値上がりがはじまったのは、2003年の中頃だったと思う。最初はステンレス鋼の品薄だったのだが、みるみるうちに価格が急騰し、年が明けてもおさまるばかりか、勢いはますます激しくなった。品種もステンレスや合金材から、炭素鋼の値上げに波及していき、2005年は高止まりのうちに暮れた。2006年はニッケルや基礎化学材料も上げた。納期も長くなった。そのため、この時期にうっかりした見積を出して受注したメーカーやエンジニアリング会社は、ずいぶん影響をうけることになったはずだ。

プロジェクトのリスク・マネジメントは、まず計画段階でリスク分析表を作成し、方針を決めてコントロールしていくやり方が基本だ。リスク分析表には、考えられうるリスク項目を列挙し、その影響度を定量化し、かつその発生確率を想定して、重要度と対策をきめていく。こうしたことはプロジェクト・マネージャーの常識であって、誰でも必ずやらなくてはならない。リスク分析もせずにスタートするのは、天気予報も見ず、傘も持たずにピクニックにでかけるようなものだ。

しかし、それだけで十分なのだろうか。フランク・ナイトというアメリカの経済学者は、「企業活動を左右する真に重要な要因は、発生確率が予測できないような不確実性にある」と考え、確率が予測できる「リスク」と、確率が予測できない「真の不確実性」を区別すべきだと主張した。これは、不確実性や結果のばらつきをリスクだと定義する、たいていの経営学や金融工学の見解と真っ向からぶつかる。

2003年の当初に、資機材が5割も上がると想定できたプロマネは、ほとんどいなかっただろう。たいていのプロマネは、自分のつくるべきものについて、技術的・組織的・採算的リスクはよくわきまえている。しかし、資機材市場の高騰のように、すべてのプロジェクトに横断的な事象までは、とうてい予見できない。こうしたリスクを察知するためには、PMOだとかコントロールセンターだとかいった、高見からみる(オーバービュー)組織が必要なのだ。だが、それでもなかなか予見は難しい。

プラント・建設業界の資機材がなぜ高騰したのか。なぜ需給がタイトになったのか。それには大きく二つの理由が考えられる。一つは中国であり、もう一つは中東である。2008年オリンピックにむけて猛スピードで突進しはじめた隣の大国は、その旺盛な食欲で東アジア市場の資材をどんどん飲み込んだ(『チャイナ・シンドローム(2) 中国が買い占める世界のエネルギー資源』、タイム・コンサルタントの日誌から 2004/06/13参照)。中央政権が多少のブレーキを試みたが、それではぜんぜん止まらない。

ちなみに、最近、米国のEnergy Information Administrationは年報の中で、世界のエネルギー消費は現在から2030年までの間に、57%も増加するだろうというショッキングな予測を出した。中国は2020年代には、アメリカを追い越して、世界最大のエネルギー消費国になるという。当然ながら、中国を含む発展途上国のCO2の排出量も増大して、先進国をしのぐことになる。

いま、日本国内では石油製油所の改造工事が盛んだが、これも中国が影響している。製油所の装置構成をかえて、ガソリンや灯油といった薄利の消費財をつくる工場から、プロピレンのような化学原料を製造する工場にかえつつあるのだ。その化学品の行く先も中国である。

その中国は今や、あきらかな株バブルの中にいる。今年の初め頃、いったん株価が下げて全世界に波及したが、まだ過熱状態の中にいる。北京オリンピックまで本当にもつのか、疑問に思う人も増えてきた。ゆるやかに減速着陸してくれればいいが、あの国でそんな高度な制御が可能なのかどうか。クラッシュ・ランディングになったときの影響は、ステンレス高騰どころの騒ぎではあるまい。

もう一つの要因は中東のバブルである。これはもともと、原油価格がずっと高止まりしていることに起因している。そのため、中東産油国に大量のオイルマネーが流れ込むことになった。ExxonMobilやShellの好業績をみると、欧米の石油企業だけがもうけているかに見えるが、じつは世界市場におけるオイルメジャーの支配力はかなり下がっており、原油の利益の大半は産油国の国営石油会社に入るかたちになった。

とはいえ、いくら中東にオイルマネーが流れ込んだといっても、最近のプラント資機材の値上がりは投資事業計画に影を投げかけはじめた。すでに、延期やキャンセルになったプロジェクトも出始めている。

加えて、中東にも大きな不確実性がある。イラン問題だ。今年に入ってからずっと、米英は明らかにイラン攻撃を考えている。4月には英軍が領海侵犯を口実に露骨な挑発を行なったが、イランは賢くも(狡猾にも?)それに乗らなかったので、いったんは戦争の危機は去ったかに見えた。しかし、最近再び米国は空母をペルシャ湾に送り、大規模な演習を行なっている。トルコやパキスタン国境付近でも、イランと事を構えるべく多数を動員している。

その直接の背景には、イランの核燃料濃縮問題があるが、このままイランを放置しておくと中東でのプレゼンスが大きくなりすぎ、アラブ諸国が脅威と感じている現実がある。こうした情勢は日本のマスコミではなかなか分からないが、プラント業界に身をおくものとして、当然ながらイラン情勢については懸念をもってニュースをウォッチしてきた。たとえば東京財団の佐々木研究員による「中東TODAY」などを読むと、現地における緊張感がつたわってくる。まさにかつて、イラク戦争がはじまる前に、『海の向こうで戦争がはじまる』(「考えるヒント」2002/12/05)で書いたときとそっくりである。

こうして考えてみると、プラント業界の活況は、薄氷の上でたき火を焚いている宴のような状況だ。みなが賢明に振る舞って、何事も起こらずに好況が続くことを、切に望んでいる。しかし、どんな不確実性についても、いちおう考慮しなければならないのが、我々の因果な仕事なのである。
# by Tomoichi_Sato | 2007-05-30 00:55 | ビジネス | Comments(0)

ITは組織形態をかえるか

Kさん。メールをいただいたのに、ご返事が遅れて申し訳ありません。ITは組織形態をかえるか、というご質問ですが、ちょっと考えはじめてみたところ、意外に奥の深い問題なのに気付き、どうご返事しようか迷っていたのです。私自身、まだ頭の中で完全に答えが整理しきれたとはいえません。

この問題が難しいのは、「組織の変化」を考える際に、それが構造の変化なのか機能の変化なのかを区別する必要があるからです。企業組織に限らず、どんな仕組みであれ、それが目的に対してはたすべき機能があり、その機能を実現するために諸要素を組み合わせて構造をもたせます。組織を論じるとき、ふつうの人はすぐ「組織図」を連想しますが、これは目に見える構造の面をあらわしているだけです。しかし、構造は機能とあわせて、しかも現実の制約条件の下でみないと、正しく理解できません。

ちょっとわかりにくいと思いますので、例を挙げましょう。A社は全国に販売網をもつ、耐久消費財とサービス部品のメーカーです。組織は営業部門、物流部門、生産部門といった縦割り型です。ところでA社では少し前に、サプライチェーン・マネジメントの実現のために生産システムの改革を行ないました。ここは、全国各地の営業所・デポで製品在庫や部品在庫を持っています。以前は、営業所単位で販売動向と在庫量を見て、出荷依頼を工場に対して行なう形でした。

ところが、各営業所の在庫をオンラインで結ぶとともに、A社では営業の出荷依頼業務自体をやめてしまいました。かわりに物流部門が毎週、オンラインで各営業所の在庫量を見て、ある定数から減った分だけ補充輸送するようにかえたのです。工場としては、各地からバラバラに出荷依頼(=生産指示)がくるかわりに、ある程度まとめられた形で物流部門から依頼が来るので、計画がやりやすくなりました。それも在庫が切れる前に前向きにアクションできるので、緊急オーダーが少なくなったのです。物流部門も、いくつかの補充品種の混載などを考える余地が出てきました。

さて、この会社はITで組織が変わったと言えるでしょうか? 組織図上は、何もかわっていません。しかし、機能的には大きくかわりました。営業部門から補充手配業務を減らしたことは、『使用者と補充者の分業』(「コンサルタントの日誌から」 2007/02/12)の観点からいうと、はっきりと進歩です。

そればかりではありません。物流部門は、以前はただ「言われたとおりのことをする」だけの部門でした。しかし、(1)NOという権限が無く、(2)成功して当たり前で失敗すると怒られ、かつ(3)付加価値がないから外注化でコストを下げるだけ、と思われている部署で、だれが喜んで働けるでしょうか。それが、少しながら采配の自由度をもつ部署に生まれ変わったのです。

組織論は、勤め人の最大の関心事でしょう。それは自分の評価と直結しています。できれば大きな部門の、上の階層になって、花形として責任ある仕事をしたい。みな、そう思っています。だから組織図の方ばかりに目がいく。機能はどうあるべきか、という話には、なかなかならない。なっても、自分のささやかな権限を少しでも拡大したい、という方向にばかり願望は向かいます。

Kさん。あなたが「ITは組織をかえるか」という問題を立てられたとき、その底には、“今の組織はかえるべきだ”という潜在的な意識があったことと思います。しかし、現状のどこに問題があるのか。それは機能の問題なのか構造の問題なのか。かえるとしたら、何の理由で、何を目的にかえるべきなのか。そこが大事です。まさか、栄達や権力がほしいから、という理由ではありますまい。

組織をかえると言うとき、たいていの人はフラット型を空想します。ますますピラミッド型に、管理階層を高くする方向にかわってほしいという人は、めったにお目にかかったことがありません(本社の上の方の人は別として)。

しかし注意すべきなのは、ITが組織のフラット化をもたらすか、というような問題の立て方をしないことです。「組織のフラット化」は、ビジネス・ジャーナリズムが外資系の高級経営コンサルと一緒に、一種のマジック・ワードとして宣伝したおかげで、それ自体が目的化したきらいがあります。「二大政党制」だの「国際化」だのと同じ、是非の議論が忘れられた思考停止用語と化しているので、気を付けなければなりません。

ITの発達はほぼ確実に、中央集権化をうみます。これまで地方や現場が自律性をもてたのは、状況が本社からすぐ見えなかったからです。組織のトポロジーは、指示命令形態と情報伝達速度によって決まります。情報と意思決定の関係がこれを左右するからです。そして、意思決定(権限)範囲は、原則的には「責任」の範囲(これをスコープと呼ぶ)に対応するわけです。

Kさん。私は、すべての企業に共通な、理想的組織像など存在しないと考えています。ITが、その理想像を「ベスト・プラクティスとして」提供してくれる、などと思わないことです。まず目的があり、必要な機能がある。そして制約条件を満たすように、構造を決めていく--これが「設計」というものではないですか。ならば、制度設計も同じです。エンジニアならおわかりでしょう。どうか、その視点を忘れないでください。
# by Tomoichi_Sato | 2007-05-21 23:21 | サプライチェーン | Comments(0)

プロマネのハードスキルとソフトスキル

「ハードスキル」と「ソフトスキル」という用語をはじめてきいたのは、2003年のことだったと思う。米国で参加した会議におけるPMコンサルタントの講演で、この区別を知った。プロジェクト・マネジメントに携わる人間のスキルを、「ハード」と「ソフト」に二分する思考方法は、そのときまで私の中には無かった。

米国の思考法は、つくづく「分けていく」思考法だな、と思う。分類し、分析し、分業する。全体を部分に細分化して、それぞれの特徴・特性を多面的に把握する。そして目的合理性の見地から、それらを使い分け、組み合わせていく。だから道具立ては専門分化したツールの集合体になる。PMBOK Guideの構成を思い出してほしい。まるでゴルフバッグに入ったクラブの束みたいだ。あるいはナイフとフォークを何本も並べるフルコースの食事のようだ。(これに対し日本人は最初から最後まで一膳の箸だけですませる。最小限の道具だけで何でもできるよう、自分の側があらゆるスキルを駆使するのが日本のスタイルだろう)

さて、そのスキルだが、プロジェクト・マネジメントの理論や手法やツールなど、形式化された知識を使いこなせる能力、これを「ハードスキル」とよぶ。一方、問題解決や交渉やモチベーションアップなど、非定型な(主に対人的な)技能を「ソフトスキル」という。

当然ながら、良いプロジェクト・マネージャーには、この双方のスキルが必要である。では、これらはどう習得すべきか? 習得の面からいうと、両者は全く異なる。ハードスキルは本や座学で学べる。しかしソフトスキルは、持って生まれたセンスを経験の蓄積の中でみがいていくしかない。前者はコンピュータなどの仕組みに乗せやすいが、後者はなかなか仕組みにのせにくい、といってもいい。

と、こう書いていくと、“だからソフトスキルを充実させる方が重要な課題で・・”とつながりそうに思えるかもしれない。しかし、私は今のところ逆だと考えている。ソフトスキルは、部下を持ち中間管理職の立場になったら、誰でもその必要性に気づく。プロジェクト的職種だろうが、そうでなかろうが、あまり関係がない。だから世の中の本屋には、リーダーシップ論や人心掌握術や処世訓があふれかえっているのだ。だれもがこの問題について悩んでいる。つまり、だれもがこの問題を認識している訳だ。

ところが、プロジェクト・マネジメントのハードスキルに関しては、その存在すら知らない管理者がいまだに圧倒的に多い。問題を認識していなければ、改善の対策などあるわけがない。さすがにIT系企業ではCMMiだとかPMBOK GuideだとかITILだとか、毎年あの手この手でおどかされているから、うすうすその存在については気がついている。しかし、それ以外の業種・職種ではどうだろうか。製造・生産技術・研究開発・マーケティング・経営企画・サービス・・・あらゆる分野で非定型な「プロジェクト」は存在する。中には企業の短期・中期の命運を左右する大きなプロジェクトもある。にもかかわらず、こうした世界のプロマネたちは、「プロジェクト管理に理論がある」という基本的なことさえ知らずに仕事をしているかもしれないのだ。まるで、海図も測量器具も知らずに航海に出る船長のように。怖ろしいではないか。

たとえば、12ヶ月スケジュールのプロジェクトがあったとしよう。今、開始してから3ヶ月たった。当初の計画では、現時点までに600万円の出費が予想されていた。ところで、実際の出費は500万円だった。このとき、「このプロジェクトはコストを予定内におさえているから安心だな」とプロマネが判断したら・・それは決定的に間違っている。プロジェクトのコスト管理は、定常業務と同じような予実対比で見てはいけない。これがアーンドバリュー分析(EVMS)の教えである。

EVMSに限らず、WBSコード、アロウアンス、クリティカル・パス、トータルフロート、TRM、マイルストーン、ドキュメント・インデックス・・・これらプロジェクト管理の基本的な理論や手法はみな、ハードスキルの範囲だ(とはいえ、適当に選び出したこれら用語がすべてカタカナの外来語であるということ自体が、この国のビジネス文化を象徴しているなあ)。

幸い、ハードスキルは短期間で一通りの知識を学べる。学んだ知識を実践力にかえていくためには繰り返し練習が必要だが、その機会は実務にいくらでもころがっている。だからこちらの方が優先課題だ、と私は言うのである。そのためにはまず、プロマネ、ならびにその上にいる上級管理職が、ハードスキルの存在を知らなければならない。

私の知っている米国人は長らく金融関係でシステム開発にたずさわっていたが、中年になってからこうした理論を学び、「あと10年早くこれを学んでいたら、あれほど苦労せずにすんだのに!」と痛感したという。彼はのちに、独立してPMコンサルタントとなり、こうした知識の普及活動に従事することで、大勢の人が自分と同じような無駄な苦労を避けられるように貢献している。

前回、私は『だれのための生産管理?』(「タイム・コンサルタントの日誌から」2007/05/06)で、人間不在の管理論を強く非難した。しかし、今回はまったく逆のことをあえて書いている。人間論を排除したPM論が必要なのだ。リーダーシップ論も人格論も部下の掌握術も、いらない。まず、ハードスキルを学ぶべし!
# by Tomoichi_Sato | 2007-05-14 22:00 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

誰のための生産管理?

「佐藤さん。もし3億円の宝くじがあたったら、どんな仕事を選びます?」 ソフトウェア会社の親しい営業マンが、私にたずねてきた。客先からの帰り道、一緒にローカルな電車に乗っているときだ。え、3億円当たったらどんなものを買うか、じゃなくて? 何だか質問がおかしくない? 思わず、そう聞き返した。しかし、聞き間違えではなかったらしい。彼はこう答えた。

「今は私、ソフトウェアの営業をしている訳ですが、学校を出る頃は、どんな仕事に就こうかいろいろ迷ったわけです。収入と、仕事の内容と、労働条件と、就業地と、いろんな条件を天秤にかけて、多少の成り行きもあって今の仕事になりました。で、もし3億円当たったら、(親兄弟に多少配っても)あとは、今の自分の生涯賃金の残りの分、あるわけですね。贅沢さえしなければ、食べる心配は無くなります。

でも、そのとき、毎日何もせずにだらだらしていたら、自分がダメになると思うんですね。そこで、あらためて仕事を選び直すとして、でも最大の制約条件である賃金の多寡を、もう考えなくてもいいんですから、だとしたら何がいいかな、なんて時々思うんです。」

今、食べる心配が無くなったら、どんな職業を選び直したいか。それは気軽に聞こえながら、ずいぶん本質的な問いだった。いや、それよりもっと心を打たれたのは、『毎日遊んでいたら自分がダメになる。だから働かなくちゃいけない』と考える、彼の市民的倫理の誠実さだった。この人はずいぶん信頼できる、まともな人だな。そう、思った。たしかに、働くことは、人間がちゃんと生きていくために必要なことだ。かつて、精神を健康に保つ秘訣をたずねられたフロイトは、「働くことと愛すること」と答えたという。

それでは、工場で、来る日も来る日も似たような仕事を、それもキツくてキレイでもない仕事を続けていく労働者にとって、働くことの意義は何だろうか。代償としての賃金だろうか。たしかに、それが最大の目的ではあろう。しかし、それだけで人間は仕事を続けるだろうか。人が働くのは、多少なりともそれが好きであり、かつ、それが自分の精神的満足につながるからである。仕事がなぜ満足につながるかのか。人間は(不思議なことに)「だれか他者に求められる」ことを必要としており、仕事はその製品やサービスなどの成果を通じて、だれかの求めにフィットすることを示すものだからだ。それが付加価値というものの源泉なのである。

ちょうど1年前、『生産管理とは何か』(「生産計画とスケジューリングの用語集」2006/5/07)で私は、“生産管理とは、『生産システム』の円滑な運用のために必要とされる間接業務の全てを指す”と書いた。これをもっとわかりやすいように敷衍しよう。それは、こうだ。「付加価値を生み出す直接作業を、サポートするための間接作業すべてが、生産管理である」、と。

付加価値を生み出す直接作業、とは何か。それは、部品や材料を加工し組み立てる作業だ。ならびに、製品を工場から消費者の元に運ぶ作業である。それ以外はすべて間接作業だ。治具をセットしたりバイトを研ぐのも間接作業、部品を倉庫から配膳するのも間接作業、機械設備の保全も間接作業。差立や生産指図をつくるのも、生産計画やスケジューリングをたてるのも、設計図を引くのも、すべて間接作業である。工場の管理職として朝礼で訓示を垂れたりするのは間接業務の最たるものだ。

こうした間接作業が不要だ、などと言っているのではない。バイトがなければ旋盤はひけない。部品が製造ラインにこなければ組立はできない。だが、こうした仕事はすべて、直接作業を「支える」ためにあるものだ。プレイヤーではなく、サポーターである。主役はあくまで製造部にいる労働者であって、あとの物流課や資材課はそれを下で支えている。その下にはさらに、生産管理課や生産技術課や設計課などの技術屋がいる。その下には管理職が、そして一番下の縁の下に、「工場長」がいるのだ。こうして、工場組織図のピラミッドとはまったく上下が逆の、逆三角形型のピラミッドが見えてくる。これが、生産システムというものの姿なのだ。

さて、それで。プレイヤーとして最上辺にいるはずの、製造課の労働者の働くヨロコビとして、いったい何が差し出されているのか。賃金だろうか。尊敬だろうか。正社員としての身分の安定だろうか? かれらが宝くじにあたったとき、それでも選び直す仕事だろうか?

トヨタ生産方式を導入すると称して、脱コンベヤライン・一人屋台生産の方式が広まりはじめたとき、多くの生産管理者は「これで生産量に応じたフレキシブルな配員が可能になる」といって評価した。生産技術者は省スペースに安堵した。これらはお金に換算できることだ。もう少し労務管理よりの人間は、立ち仕事が腰痛や腕肩の故障を減らすことを喜んだ。これもまあ、お金にかかわる問題だ。

しかし、「これで働く人間のモチベーションアップにつながる」という面をトップに評価する人は、決して多くなかったように思う。なぜモチベーションアップか。それは、自分の責任範囲が一つの製品全体に及ぶようになるからだ。それが働く人間の喜びではないだろうか。ただし、これは組立工程だから言えることで、加工や成形工程となると、製品への関わりは部分的にとどまらざるを得ない。こうした作業区の直接工には、人間としての最低限のシビル・ミニマムとして、何が配慮されているか。それが生産管理の中心課題ではないのか。

「シビル・ミニマム」という言葉は、もう死語に近い。『パンのみに生きるにあらず』(「コンサルタントの日誌から」2002/2/08)にも書いたとおり、企業は利益目的の経済合理性がテーゼであるにもかかわらず、仕事に魅力がないと続かないという、非合理性を合わせ持っている。会社というもののもつ、根本的な矛盾である。フロイトの言う「働くことと愛すること」を、直接工がどう仕事で感じられるか。そのことを忘れた生産管理は、人間不在の管理論、根と肥料を忘れた農業のようなものだ。

え? あなたの会社では、すでに現場は全員、派遣になっている? 低コスト化のためにEMS(受託製造会社)に売却した? おかげで利益が上がって株価も上昇した、と。なるほど、おめでとう。すでにあなたの会社は根っこを失った「切り花」の状態だ。根を捨ててポータビリティを獲得したわけだ。美しく咲いている間に、資本市場というマーケットで、禿げ鷹ファンドに切り売りされる日も遠くないだろう。
# by Tomoichi_Sato | 2007-05-06 10:40 | サプライチェーン | Comments(0)

プロジェクト・タイム・マネジメントのベーシック

スケジュールという英単語は、もともと『一覧表』とか『箇条』という意味に近い。箇条書き、の箇条である。そこから転じて、主に米国で時間割や予定表の意味に使われるようになったときく。これをtime scheduleという。だから、PMBOK Guideの初版を作った人たちが、9つの知識領域の中で時間軸上のマネジメントのことを、スケジュール・マネジメントなどと呼ばずに、タイム・マネジメントと呼んだのは、本来の英語感覚からすると元に戻ったわけである。

その、プロジェクトにおけるタイム・マネジメントの基本は何だろうか。大きく7点ほどあげることができる。

(1) プロジェクト全体のタイム・スケジュールの目標、すなわち納期を達成するために、スケジューリングの仕組みを確立し、その水準を維持すること。

(2) プロジェクト組織を構成する各機能単位(グループ)に対して、成果物単位での「完了目標日」を含んだ詳細スケジュールを示し、またそれを保守すること

(3) すべてのスケジュールを、そのアクティビティのWBSレベルの如何にかかわらず、CPM(Critical Path Method=クリティカル・パス法)による詳細なネットワーク・スケジュールの中での位置関係を明らかにし、また影響範囲を追跡可能とすること

ここまでの3点は、Plan-Do-Seeのマネジメント・サイクルの中で、Planすなわちプロジェクト計画段階の作業に属する。いわゆるスケジューリングと呼ばれる領域である。教科書的には、(2)のWBSの列挙や(3)のクリティカル・パス法にもとづいたネットワーク・スケジュールを作成が、よくハイライトされる。しかし、一番大事なのは(1)、すなわち、タイムキープするための体制と仕組みの確立である。

そして、たいていの実務では、マスタ・スケジュールを立案してガント・チャートを書き終えると、その時点で安心してしまいがちである。そのあと、そのガント・チャートは一度も見なおされなかったりする。しかし、本当のタイム・マネジメントはこの後からはじまる。

(4) 進捗とパフォーマンスの記録をとり、それをレポーティングすること

これが、Plan-Do-SeeのDoの部分の中核である。記録し、報告する。これをみな、面倒くさがって怠る。そして、ひとたび問題が発生すると(しかもプロジェクトでは必ず、つねに問題は発生する)、それはプロマネに気づかれぬまま、担当者の胸の内に隠微に広がりはじめる。それを防ぐためには、

(5) プロジェクトの状況をモニタリングし分析して、各アクティビティがプロジェクト全体の要求するスケジュールに合致するよう保証すること

(6) プロジェクトのスムーズな遂行を可能にするような、健全なマネジメントの決定がよってたつべき基準を提示すること

(7) プロジェクトの主要やマイルストーンや完了日に影響する潜在的問題を早期に予見すること。そうした問題はマネジメントや最終顧客が先手を打って防げるように、きちんと報告されること

というSeeにかかわる部分の作業が必要になる。こうしたこと全体が、プロジェクト・タイム・マネジメントである。その中心は、(4)進捗とパフォーマンスの計測、にある。この計測が正確かつ迅速に行なわれるプロジェクトは、ちょうど正確なGPSを積んで運航する船のようなものだ。今どこにいて、どれだけの速力で、どこに向かっているかがつねに把握できている。非常に安心である。

むろん、たとえGPSを積んでいても、海に嵐が発生するのは防げない。すなわちリスクの顕在化である。しかし、待避路をとるのは早く確実になる。これが、タイム・マネジメントのベーシックなのである。
# by Tomoichi_Sato | 2007-04-26 23:44 | 時間管理術 | Comments(0)

時間の量から時間の質へ

自分はどちらかというと夜型の人間である。こうして、サイトにアップする文章を書いているのも夜のことが多い。まわりが暗くなり、あたりが寝静まって、音も光もレベルを落としたときが一番、思考に集中できる。以前、『静寂の価値』(「考えるヒント」2004/08/20)にも書いたが、雑音に囲まれBGMをかけながら数式や文章をひねったりするなど、まったくできない。

私の場合、朝一番にその日の仕事のTo Doリストを見ながら段取りと手順を考える(最近はこうした時間管理術の基本を「パーソナルPM」などと呼ぶ人もいるようだ)。その際、込み入った文章をつくる作業はどうしても夕方以降にスケジューリングすることになる。最近は以前より早めに出勤する習慣にかえたが、だからといって朝一番に頭が集中できる訳でもないところがつらい。夕方から用事や会合がある日の多い週は、成果物がなかなか上がらないことになる。だから、私の場合、集中できる夕方から夜の時間をいかに確保できるかが、仕事の能率を左右するわけだ。

それで、昼間は何をするかというと、いわゆる“管理”をしている。これは幸いにも、中間管理職という種類の動物には、いくらでもついて回るような仕組みになっている。プログレス・レポートの数字を集計したり、ミーティングの議事録を整理したり、出張承認をしたり、部下の設計書に些細なミスを見つけてインネンをつけたりといった、高邁ではあるがあまり集中力のいらない軽微な労働である(ジョーダンですよ社長。本気にしないでください^^;)。

しかし、管理職になる以前、すなわち会社の付加価値にもう少し直接的貢献をしていた時代には、昼間も仕様書や設計計算の仕事をしていた。そして、生産性は当然ながら夜間の集中時よりもずっと落ちていた。周囲の雑音や大声が障害になる。なにより、昼間は仕事への割り込みが多い。上司に呼ばれたり電話がかかってきたり。少し能率が上がってきたところで、すぐスローダウンしてしまう。

私の勤務する業界では、仕事量を計る基準として、マンナワー(Man-hour、人時)を使う習わしだ。むろん人日や人月ではかる業界もある。いずれの単位を取るにせよ、人数と時間の積は、人件費コストを算出する指標としては適当だろうが、仕事量の尺度としてはまったく不適当だ。それは、昼間だと2時間かかるフロー図の作成が、夜だと1時間以内でできてしまうことからも明らかだ。ましてや、集団の仕事においてはミス・リーディングでさえある。

あるまとまったプロジェクトが、5人がかりで12ヶ月、つまり60人月かかる、と仮定しよう。この仕事は、倍の10人を投入すれば6ヶ月でおわるだろうか。60人投入すれば一月で、1,800人投入すれば1日で済むか? むろん、そんなバカなことはない。人月という「量としての時間」だけでは、開始から終了までの期間という「線という時間」は出てこないのだ。では、その両者をつなぐ物は何なのか?

その答えは、「並列性」と「タスク集中度」である。並列性とは、その仕事を細かく分けて同時並行に進められる程度である(コンピュータ・アルゴリズムの世界における並列性の概念を思い出せばいい)。たとえば100通の封筒に宛名と切手を貼る仕事は、1人でやるより2人でやる方が2倍効率が良い。他の担当者と関わりなく、各自が進められるからだ。しかし、100枚のタイルに絵を描いて、大きな壁画をつくる仕事では、完全に人数に比例して効率は上がらない。どうしても他人とのインタフェースが発生するからだ。まして、ブロックを下から順に100枚積む仕事となると、並列性はさらに損なわれる。

リソースを追加投入してタスクの期間を短縮することを、PMBOK Guideでは「クラッシング」と呼ぶ。クラッシングが可能になるためには、そのタスクの並列性が高くなくてはならない。一般に力仕事の方が並列性は高い。仕事に内部構造があって、相互の連関性や依存性が高いほど、クラッシングはききにくくなる。システム設計はその典型だろう。

もう一つのポイントである「タスク集中度」は、どれだけ連続した時間を一つのタスクに集中できるかである。“集中”には二重の意味があって、雑音抜きで精神集中できる時間、という面と、複数案件のかけもちをせずに一つの仕事に専念する、という面がある。いずれも、とくに思考を要するタスクにおいて重要である。逆に言うと、ある仕事が50時間を必要とするというときは、それは「連続して集中できる50時間」が必要だ、と意識して使うべきなのだ。細切れな1時間を50回足しても、それは50時間にはならない。それが質のある時間ということである。

時間の量だけでなく時間の質を問題にしたければ、割り込みを許して時間を細切れにしてはいけない。そのためには、直近の予定は固定する必要がある。そして、自分自身を予約してしまうことだ。サラリーマンの場合、これは自分一人の努力だけではなかなか勝ち取れないだろう。だから私は、朝一番にTo Doリストを見て一日のパーソナル・スケジューリングをすることを皆にすすめるのだ。ほんのわずかな時間である。整流のために時間を取らないことが忙しさの原因だということに、みんな早く気づくべきだろう。
# by Tomoichi_Sato | 2007-04-19 23:38 | 時間管理術 | Comments(0)