「ほっ」と。キャンペーン

熱気球の浮上、または原因分析のシステムズ・アプローチについて

熱気球は今やいっぱいに膨らみ、空に飛び立とうとしている。乗員が地面との係留ロープをとき、重りの砂袋を一つまた一つと、放り捨てていく。やがて気球のカゴはゆらりと地を離れ、5つめの砂袋を捨てたところで、ゆっくりと、そして次第に勢いをつけて舞い上がっていく・・

昔、北海道の十勝平野に熱気球レースを見に行った。空にたくさんの、カラフルな球体が浮かぶ、とても幻想的な光景が忘れがたい。何とかと煙は高いところに上りたがる、という諺があるが、少しでもいいからのってみたいと、わたしも思った。それで、家族で体験できるミニ気球に乗せてもらった。もちろん乗員付きだ。それでも気球から見下ろす地上は、なんだかすがすがしくて、小学生だった子どもも大喜びだった。

さて、気球はなぜ、浮かび上がったのか。5つめの砂袋を捨てたことが、気球の飛び立った理由ではない。誰でも知っているように、まわりよりも軽い熱気を溜めた丸い袋が、飛び上がる力の源泉だ。まさに煙は高いところに上りたがるのだ。5つめの砂袋は「きっかけ」の一つである。たまたまそれが、その時にはきっかけになるめぐり合わせだったのだ。

もちろん、それがきっかけになるためには、それ以前に4個の砂袋が、地上に落とされていなければならない。また条件によっては、きっかけは6個目になることも、4個目だったこともあるだろう。一つ落とすごとに、少しずつ気球全体は浮力を増す。ただ、それは係留ロープの張力という、目に見えにくい事象にあらら割れるに過ぎない。そして、ある限界を超えたとき、その瞬間に浮上という劇的な出来事が起きるのである。

何か劇的な出来事を目撃したとき、その原因は何かを詮索しようとするのがわたし達の通性だ。しかし、わたし達が出来事の「真の原因=真因」を探ろうとするとき、わたし達の目はしばしば、わかりやすいきっかけを探すことになる。とくに、ことが企業の業績などになると、その「浮力」(競争力)の構造的変化は、外的にはなかなか見えにくい。一方でメディアも一般の人々も、「分かりやすい物語」を好む。だから、5つめの砂袋がV字回復のカギだった、という物語が流布しはじめる。『5の数字』の書いてある砂袋を探せ、と叫ぶ者まで出てくる。

わたし達の社会では、メディアは「知情意」のうち、「情」に訴えかける物語性を好む。理知に働きかける、多角的・構造的な分析と説明は、敬して遠ざけられがちだ。そのことが、わたし達が劇的事象の真の原因を探る力を、落としていることに多くの人は気づかない。

もう一つ、例を挙げよう。今度はトラブル事象の例だ。

仏教の創始者・釈尊は最晩年、旅で寄ったパーヴァー村で、チュンダという名の鍛冶屋の子が捧げた食べ物を食べて、重い食あたりになる。そしてほど遠からぬクシナガラの地で臨終を迎えることになる。伝説によると、師が重い病気になったと知ったチュンダは、沙羅双樹の下に横たわる尊師の前にいき、自分の捧げた食物が原因で死病を招いたことを深く後悔し、許しを請うた。しかし、釈尊はチュンダにこう答える。

「嘆くな、チュンダよ。わたしはお前の食物を食べたから、死ぬのではない。わたしは、この世に生まれてきたから、死ぬのだ。」

チュンダの食物は、きっかけでしかない。生あるものは、すべて死す。それが道理であると、釈尊は教える。つまり、釈尊の死の根本原因は、「生まれてきたこと」自体にあると、考えることができる。チュンダの捧げた食べ物は一説にはキノコ料理だったというが、詳細は不明である(托鉢僧は基本的に、もらった食べ物は好き嫌いをいわず、食べなければならない)。ただ、キノコ料理を食べるもの全てが死ぬ訳ではない。しかし、生まれてきたもので、死ななかった者はない。

(1) Aという事実があるとき、Xという事象が必ず起きる
(2) Bという事実があるとき、Xという事象が起きることがある

この二つを比べて、Xの真因はBだ、と断じるのはたしかに無理があろう。

とはいえ、変死事件があり、警察が呼ばれたとき、「原因はガイシャが生まれてきたことにあります」では刑事は納得しまい。被害者が高齢であった上に、傷んでいた食べ物を食べた。直接の死因は食中毒にある、と医師は鑑定し、食事を作ったものに疑いの目が向けられる・・

では、やはり食物が真因なのか。しかし釈尊は一人で旅していた訳ではないのだ。アーナンダほかの弟子を伴っていた。彼らはたぶん同じものを食べたが、死ななかったのだろう。ならば仏陀入滅の、真の原因は何か?

おちついて考えてみれば分かる。釈尊はすでに高齢だった(臨終の言葉に、「29歳で出家して以来50年間・・」という部分がある)。そして各地をめぐる遊説の旅。高齢というフラジャイルな内部環境に、疲れと傷んだ食べ物という外因が働きかけて、死に至る食中毒症状が引き起こされた。「高齢・疲れ」+「傷んだ食べ物」、という組み合わせが原因なのである。

わたし達は何かトラブル事象が起きたときに、その原因は「一つ」に特定できると考える。だが、多くのトラブルは、二つ以上の複数が同時に組み合わさることで、発生する。一つだけなら、発生しない。

右手と左手を打ち鳴らしたら、音が出る。右手だけでは、音は鳴らない。左手だけでも、ならない。ふたつの手が必要なのだ。このとき、「原因は右手ですか、左手ですか?」と問うのは愚かだ。

ながながと何の話をしているのかって? わたしはずっと「学び」について考えているのである。本や教師から知識を得るだけが「学び」ではない。自分が遭遇した出来事から、何かを「学ぶ」ことで、わたしたちは成長する。だが、事象を見たときに、その真の原因をきちんと把握しなかったら、正しく学べないだろう。5という数字の砂袋を無意味に探し回るだけになってしまう。

ところで、わたし達は「事象の原因を探る」ための方法論について、遺憾ながら十分な訓練を受けていない。あなたは高校や大学で、原因分析という授業を受け、試験を通りましたか? 少なくとも、わたしは受けていない。それどころか、まことに驚くべき事だが、そもそも21世紀の現代社会にあっても、原因分析にはまだきちんとした哲学的・科学的方法論が、十分確立していないというのが、最近のわたしの仮説である。

こういうと、抗議する人もたくさん出てきそうだ。安全工学にはRCAがあるじゃないか、信頼性工学のFTAはどうなのか、と。だが(賭けたっていいが)RCAやFTAが何の略号か知らない人が、世間の98%を占めるだろう。刑事や検察官なら、99.9%以上かもしれない。事故で専門家が呼ばれもせず、世間で普通に使われもしない技術は、社会的に確立しているとはいえない。血液型やDNA鑑定の技術なら誰でも知っている。だが原因分析の技術は、そうではない。そんなものはいらない、と多くの人は考えている。なぜなら、自分でできるからだ、と。

果たしてそうだろうか。もしそうなら、わたし達の社会は、事故や経験から学ぶ能力がとても高いはずである。では、最近わたし達を襲った大きな社会的災害や困難から、国民的な知見として何を共通に学んだのか。それはどの報告書のどこに明記されているのか? 経験から学ぶことは、万人に必要なスキルである。だが万人が身につけてつかえる方法論は、今のところ欠けていると、わたしはいいたい。そうでなければ、経済状況や経営問題について、世間ではなぜ、「浮上の原因は5つめの砂袋」のごとき表層的な分析や、「分かりやすい」だけの無責任な説明がまかり通っているのか。

熱気球の浮上も、釈尊の病没も、いずれも二つ以上の『原因』がかかわっている。熱気球の場合は、バルーンの空気による構造的な浮力に加えて、複数の重りの砂袋を捨てるという、きっかけの動作。釈尊の場合は、高齢と遊説による体力低下という構造的な不安定と、腐った食べ物の摂取という、いささか危ない(冒険的な)きっかけの行動。熱気の浮力や高齢はいずれも内部状態(内部環境)に関することだが、これは強風や酷暑といった外部環境であっても、同様なことが起きただろう。つまり、一般化すると、こう定式化できる:

「良好な環境」+「チャレンジ行動」→ 成功事象
「危険な環境」+「冒険的行動」  → トラブル事象
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いずれも、二つ以上が同時に起きることが、事象の発現には必要だった。それぞれ一つずつは必要条件だが、十分条件ではなかった。傷んだ食べ物をとる程度のあぶない(冒険的)行動の場合は、ふつう、システムの自己防御作用が発動して、正常に戻る。だが、内的環境の不安定な変化に、外的なインパクトが一つ以上加わることで、そのシステムは『レジリエンシー』を失う。

おシャカさんの話をしていたのに、ここで急に「システム」という言葉が出てきて驚いたかもしれないが、人間の身体は非常に精密なシステムである。長い進化の過程を経て、驚くほど精妙かつ安定な仕組みにできあがっている。動的(自発的に動く)なのに、平衡や免疫その他の多重防御装置がきちんと作動して、安定に存続し続ける。むろんレジリエンシーには限界があるので、たとえば誰かが銃弾を撃ち込むような問題行動をすれば、システムは動作を(単一の原因で)停止するだろう。だからそんなことが簡単に起きないように、人間は、社会という名の、もう一つ上のレイヤーのシステムを作って、さらに防御をはかっている。

おい、熱気球はシステムなのか、って? あれも、砂袋とバルブ(熱気を排出する)という、安定化制御のための仕組みをもった乗り物である。そして複雑な情報処理機能を持つ乗員が操作している。人間はこわがりだから、単純に見えるバルーンにだって、二重にも三重にも防御の手立てをセットしている。だから、もし熱気球に事故が起こったら、それは二つ、あるいは三つ以上の原因が重なったケースがほとんどのはずだ。それがシステム的なものの見方、システムズ・アプローチによる原因分析である。

そして複数ある理由のうち、自分たちがコントロール可能な要因をみつけ、そこに対策を講じる。わたし達がコントロールできる原因を、真因Root Causeとよぶ(これがRCA=Root Cause Analysisでの定義だ)。老齢はコントロールできない。食べ物はできる。だから食べ物について対策を考える。それも個別に毎回どうするかを考えるのではない。たとえば、若い弟子から先に毒味をしていくルールにするなど、システムとしての方策を講じるのである。

わたし達は機械的なものの見方になれているために、単一の原因を探してしまうことが多い。それが現代の原因分析の、一つの限界だ。しかし、世の中の少なからぬ物事は人間を含む系(システム)として動いている。もしも組織の中に『学び』の能力を根付かせたり、あるいは最近はやりの用語でいえば『教訓』(Lessons Learned、あるいはLessons & Learns = L&L)を活かしたかったりしたら、複数の原因の組み合わせを探るという思考の習慣(OS)を身につける必要がある。それが、リスク・マネジメントとかナレッジ・マネジメントといわれる活動の根本なのではないか。

現代の原因分析には、もう一つ弱点がある。それは確率的事象の原因論である。だが、例によって長くなりすぎた。この続きは、回を改めてまた書こう。

<関連エントリ>
 →「トラブル原因分析を、責任追及の場にしてはいけない」 (2014-11-09)
 →「なぜなぜ分析は、危険だ」 (2014-04-26)
# by Tomoichi_Sato | 2016-06-15 05:52 | リスク・マネジメント | Comments(0)

講演のお知らせ(6月16日)

直前のお知らせで恐縮ですが、今週の木曜日・6月16日の夜に、OR学会サプライチェーン戦略研究部会に招かれて、

海外プロジェクトへのシステムズ・アプローチ ー 理論・技法・展望

と題する講演を行います。
これは基本的に、この3月に東京工業大学CUMOT「ストラテジックSCM講座」でお話しし、好評をいただいた発表のアンコール講演です。ただ、先週フランスのリールで開催された、国際的PM標準を比較評価するGAPPS Thought Leadership Forumの参加報告などもおりまぜて、大学での講義とはまたひと味違った雰囲気のものにするつもりです。

ご期待ください。

<記>

題目:海外プロジェクトへのシステムズ・アプローチ ー 理論・技法・展望
講師:佐藤 知一 (日揮株式会社 経営戦略室 室長代行、静岡大学 客員教授)
日時:2016年6月16日(木) 18:30から20:30まで
場所:青山学院大学 総研10階18会議室

・会場アクセス・講演要旨は下記ホームページをご参照下さい。
 http://scsr.jp/

・参加希望者は、前々日正午(6月14日正午)までに下記から事前申し込みをお願いします。
 http://scsr.jp/form.html
# by Tomoichi_Sato | 2016-06-12 17:57 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

Calculating real values of activities - an introduction to the risk-based project value

“A Guide to the Project Management Body of Knowledge” (PMBOK Guide)(R) by Project Management Institute (PMI) has been introduced to Japan and widely accepted by the IT industry in recent 10 years. As it became well known, technique of Earned Value Management System (EVMS) has also been widely tried put in practice. EVMS is a very useful tool that can monitor and control cost and progress of a project at the same time. In Japan, the concept of “Earned Value” (EV) has corresponding word “Dekidata” (出来高). This word and concept can be tracked back even to 18c Edo-era in Japanese construction industry. However, we could not develop any management system using EV, which is a bit pity for us.

By the way, introduction of the EVMS seems to have made many practitioners to hold a misperception that it is applicable and powerful to control any types or situations of project. No, it is not. The EVMS should be used carefully with appropriate premises and methods. It is not an omnipotent tool.

The weak point of the EVMS may be clearly understood when we try putting it to the research and development (R&D) type of projects for new products. Let us consider very simple example: suppose there are two people starting a garage company. One is an engineer and the other is a salesman. The engineer has made a brilliant new idea. With this idea, he thinks he can make a very unique product having new features from parts and materials costing only $2,000 amount. The salesman says to the engineer that he can easily find a customer to buy the product at a price of $10,000 if it is really manufactured and be functional.

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However, the engineer thinks success probability of making the product would be fifty-fifty, as it is the first attempt for his new invention. On the other hand, the salesman is 90% confident that he could find a customer. It is a very simple new product development project with only two activities: development activity and sale activity. Initial cost of the development activity requires $2,000. Sales activity would cost only some phone calls and transportation, therefore negligible small.
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Now, here is a question. Suppose their project have just successfully completed the first activity, development. The engineer has fabricated the new product and it’s functional. Then, what is the current project progress in percentages? How do you think?

Conventional EVMS tells us that the project progress percentage should be measured by current EV divided by total EV (which equals to the total budget of the project). In this case, current EV is $2,000, and the total budget is also $2,000. Therefore, progress becomes 100% even though they have completed the first activity! Do you concur to this calculation?

Clearly, this calculation does not match perceptions by practitioners. You cannot manage projects properly, with measurements which is not acceptable to people. Some may argue that a cause of this problem is in the assumption of zero cost in the second activity for sales. Then, let’s assume sales may cost $10. Progress calculation now becomes 2,000 / 2,010 = 99.5%. When we round up after the decimal point, it is still 100%. It does not resolve this issue. You can see challenges when we apply the EVMS progress calculation automatically to new product development projects.

What is the root cause of this issue? It comes from the assumption widely used in EVMS that “budgeted cost of an activity is regarded as its value”. It means that low cost activities are low value activities, in other words. In general, costs of intellectual activities such as design or concept development are relatively small because it just human salaries. To the contrary, manufacturing or implementation activities normally cost higher as they require material and outsourcing expenses. Physical labors are high value than intellectual world. EVMS has evolved in procurement projects in the US DoD. Cost-based progress measurement seems to have been base of their way of thinking.

If the cost-based progress calculation is not acceptable, then how about this? “This is a collaborative project with two persons, so, we say 50% progress at the completion of the first half.” However, this is not a theoretical resolution, rather a political compromise. What do we say if development needs 2 persons or sales takes 5 guys? Progress measurement system depending on political voice power may not be useful in the fair management. Then, what should we do?

I give the answer first. We can calculate progress with "risk-based value” of the project activity. In this case, it tells us the current progress = 81.8%. New product development projects are collaborative endeavors undertaken to attain unique outcome, which are always associated with risks of failure. In fact, any project is associate with risks. In such cases, theory of the risk-based value analysis of projects are applicable and useful. Let me describe it in the below sections.

The above contradiction with the EVMS comes from assumption that value of an activity is its budgeted cost. It gives us 100% completion in the middle of a project. In order to avoid this, we have to weigh the real value of an activity in the project. Then, what is the “real value”?

Let us simplify this project. How about making it into a single activity project of “make-and-sales”? It requires initial cost of $2,000. Risk probability of failure of this project equals to 55%, because 100% - 50%×90% = 100% - 45%=55%. If this project successfully completes, then it will bring out monetary value of $8,000 as a profit.

However, at the beginning of the project, revenue of $10,000 is not assured. Its expected value is calculated as just $4,500, because 10,000 x 45% = 4,500. On the other hand, it is sure they have to expend $2,000 as an initial cost for parts and materials. Therefore, the expected monetary value of the project is just $4,500 - $2,000 = $2,500 at the starting point. Success of “make-and-sales” activity will increase and realizes their project value from $2,500 to $8,000. It will contribute value to the project by $5,500 (= $8,000 - $2,500).

Let me put this in other way. Value contribution of an activity can be expressed as an increase of the expected monetary value of the project; the difference of values before the activity’s starting point and after its successful completion. Expected monetary value of a project is determined by costs and incomes (cash flows) of its consisting activities, and risk probability of failure associated with the activities.

Then, what would be with the project with two activities: development and sales as in the original example. Let us calculate. Expected monetary value of the project (we call it “risk-based project value", or RPV in short, hereinafter) is as follows:

After completion of “sales” activity: $10,000 - $2,000 = $8,000.
After completion of “development” activity: $10,000 x 90% - $2,000 = $7,000.
Before starting of “development” activity: $10,000 x 90% x 50% - $2,000 = $4,500 - $2,000 = $4,500.

Therefore,

Value contribution of “sales” activity = $8,000 - $7,000 = $1,000.
Value contribution of “development” activity = $7,000 - $2,500 = $4,500.
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Total contributions of the two activities are $5,500 in total, which corresponds to the value contribution of the “make-and-sales” activity in the simplified case.

Now, we are ready to measure the progress. They have just completed the development and are about to start the sales. Progress can be obtained as attained (“earned") contributed value divided by total value contributions, like the EVMS tells us. It is,
$4,500 / $5,500 = 81.8%.

OK? Real value of an activity is represented by an increase of the project’s expected value before and after of the activity execution. The value depends on risk probabilities of failure with project activities. Please see the above example. Value contribution of development is greater than that of sales. This difference comes from the fact that the development has higher risks, or in other words, more difficult. The more the work difficult, the more it brings value when successfully completed. The theory of risk-based project value proves why our common-sense insights are true.

What if the risk probability of sale in the above case is zero? You can immediately see the value contribution by the sales equals to zero. Activities with no risks are zero values to contribute to the project, even if they are necessary to complete.

Practical projects have activities far more than two, and there are parallels projects. Even with these cases, calculation of the RPV and value contribution of activities are possible. Please see my academic papers in the references.

And, please see the above case once more. Conventional management theory has usually treated as development as the “cost center” activity and regarded the sale as “profit center” one. This is one background of the phenomenon that sales sections have more influential power in companies. However, if we compare real value contributions of the two activities in the above case, development has greater value. It is clear which is more important in the viewpoint of management.

The theory of risk-based project value enables evaluation of components in value-chain in a enterprise or calculation of added-values in a supply chain. This was made possible because we included concept of “risk probability” into cash flow analysis. I hope the readers understand how this theory can be a powerful tool for us.

References:

(1) Sato, T. (2014): “Risk-based project value – the definition and applications to decision making”, Procedia - Social and Behavioral Sciences. Vol. 119, pp.152-161.
(2) Sato, T. (2009): “Risk-based Project Value Analysis: General Definition and Application to Progress Control”, Journal of Japan Industrial Management Association Vol. 60, No. 3E.

Please also listen to my podcast from PMI (Project Management Institute) series, which is available from below URL.
https://www.pmiwdc.org/pm-pov/2016/04/advances-in-pm-part-2
# by Tomoichi_Sato | 2016-06-10 06:53 | English articles | Comments(0)

書評:「アナバシス 〜敵中横断6000キロ〜」 クセノフォン・著


アナバシス―敵中横断6000キロ (岩波文庫) (Amazon)

紀元前401年。西ユーラシア世界で圧倒的な力を持つ大国ペルシャ王家には、内紛が生じていた。ダレイオス(ダリウス)2世の没後、王位を継いだ長兄アルタクセルクセスに対し、弟のキュロス王子は謀反の意志を抱く。彼は当時、エーゲ海に近い現在のトルコ西部を統治していたが、勇猛果敢で知られたギリシャ人の傭兵1万数千人を密かに集め、手勢とともに、兄王のいる都バビロンに向かって上征をはじめる。本書のタイトル「アナバシス」とは、『登り、上征』を意味するギリシャ語である。

キュロス王子とギリシャ傭兵軍団は、小アジア半島を横断し遙か遠路を突っ切って、バビロンに急進する。兄王の動員できる軍勢の方が、人数は明らかに多い。だが、(ペルシャは)「国土と人口の巨大なる点では強力である半面、連絡路が長大で兵力が兵力が分散しているために、急戦をしかけられたとき場合には弱体をさらすのである」(p.37)。彼らはシリア、アラビアをへて、現在のイラク南部にあるバビロン目前まで到達する。ここまでですでに1500キロ以上の行軍だろう。

ところがバビロン近郊クナクサの戦いで、血気にはやったキュロス王子は乱戦中に命を落とし、なかば手中にあった勝利を逃してしまう。そして敵中に取り囲まれたギリシャ人傭兵1万数千は、敵王に降伏して許しを嘆願するか、包囲網を脱出して故国まで帰る道を探すか、いずれかを選ばなくてはならなくなる。

このとき、部隊の中にいたアテナイ(アテネ)出身のクセノポン(クセノフォン)という、まだ30歳そこそこの若手が隊長達の議論に加わって、脱出の戦いを進言する。理路整然たる弁論の力で、事実上の指揮官の地位についた彼が、真っ先に命じたことは、なんと軍が所有する運搬用の馬車と、野営用の天幕と、余計な糧食・荷物をすべて焼き捨てることだった! 彼はいったい、何を考えたのか?

クセノフォンは、哲人ソクラテスの直弟子の一人である。彼が遺した「ソークラテースの思い出」(メモラビリア)は、若い頃読んで以来、わたしの座右の書となった。騎士階級に生まれた彼は、ギリシャ全土を巻き込んだ内戦であるペロポネソス戦争の暗い時代に育つ。戦争自体は前404年にアテネ側の敗北で終わるが、彼はソクラテスの元で学び薫陶を受けた後、荒廃したアテネの現状に見切りをつけ、ペルシア行きを考えるようになる。相談を受けたソクラテスは、デルポイ(デルファイ)の神託をたずねることを勧める。

だがクセノフォンが実際にアポロンにたずねた問いは、無事に旅たち帰国するためには、どの神に祈願すべきか、であった。それをきいたソクラテスは、それ以上彼を引き留めることはしなかった。そしてクセノフォンが出立した2年後、ソクラテスは偽善的な弁論家たちの讒訴によって、刑死するのである。(この間の事情は「メモラビリア」に詳しい)

さて、ペルシャ王の軍勢を辛くも逃れたクセノフォンたちギリシャ傭兵軍団は、チグリス川沿いに北上して雪深い古代アルメニアの山中に分け入り、さらに山脈を越えて黒海沿岸まで北上する。その間、謀略あり裏切りあり戦闘あり分裂ありだが、ともあれ最後には5千人のギリシャ兵士たちが、エーゲ海に近いペルガモンまで帰還する。それが、この「アナバシス」の物語である。

クセノフォンは名文家として知られ、著書も何冊か残している。とくに、上記の「メモラビリア」と並んで、古代の農園経営を論じた「オイコノミコス(家政について)」は有名で、現代の経済学”Economics”という名称は、この著作のタイトルから由来している。ソクラテス門下の同輩であるプラトンが、哲学や美学といった抽象的学問を創造したとするならば、クセノフォンは経済学や家政学など実学の基礎を築いたのである。

本書「アナバシス」の一つの特徴は、クセノフォンの従軍記であり回想であるにもかかわらず、すべて三人称で書かれていることだ。それも自分自身は、第3巻になってようやく「さて、部隊の中にアテナイ出身のクセノポンなる者がいた」という風に登場(?)してくる。なぜ彼がこのような書き方をしたのかは不明だ。しかし、登場してくる人物たち一人一人に、的確な人物批評をしている点が、本書の魅力でもある。たとえば、プロクセノクスという将校については、「彼は善良で優秀な人間を統括する能力はあったが、部下の兵士たちに敬意や恐怖心を抱かせる能力は十分でなく、部下が彼を憚るより、むしろ彼の方が兵士を憚るほどであった」(p.105)と書く。こんな風に客観的な人物論を展開したいからこそ、三人称を選んだのかもしれない。

また、出てくる数々の固有名詞や、距離・人数・物量・金額などの数字の詳細さにも驚くべきものがある。これはクセノフォンの記憶力がすごかったというよりも、むしろ正確に記録をつけておくことに、こだわったためではないかと想像する(彼より70年後になるが、アレキサンダー大王は進軍をはじめたときに、カリステネスという従軍史家を随行させたほどだった)。こうして記録をとっておくことによって、次の行軍で過去の教訓を生かせるからである。記録をつけずにすべて曖昧な記憶に頼るということは、結果として、計画をやめて出たとこ勝負、気合いと勘と根性に頼って行動することになる。「航海日誌をつけない船長の船には乗りたくないし、プロジェクト日誌をつけないプロマネの仕事はしたくない」とわたしが思うのは、このためである。

電話も無線もなくGPSも正確な地図もない時代の行軍とは、いかなるものだったのか、現代に生きるわたし達にとってはなかなか想像が難しい。移動は基本的に、徒歩である。ペルシア軍は機動性の高い騎兵をもっていたが、ギリシャ傭兵たちにはそれもほとんどなかった。遠隔地との連絡は、伝令によるしかないのだ。そのような時代の戦記だが、それでも非常に面白く、かつ勉強になる。なぜなら、道具立てのハードウェアは随分違うが、人を率いるときのあり方、戦略の立て方と決断、リスクと危険の予知、弁論と説得と交渉、そして未知なる相手の評価といった、リーダーとして必要なソフト・スキルは、現代とほとんど変わりがないからだ。

その分、わたし達は2400年前と比べて、あまり進化していないのだとも言える。だとしたら現代の軽佻浮薄な人士のビジネス書などを読むよりも、時代の風雪に耐えた古典を学ぶべきではないだろうか?
# by Tomoichi_Sato | 2016-05-31 21:14 | 書評 | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(5月27日)開催のお知らせ

** お知らせ **
本日(5/27)の研究部会は、昨日までにすでに当初の想定をはるかに超えた参加申込があり、会議室の定員を大きく上回る満員の状況になりました。
大変恐縮ですが、事前連絡なしの当日参加はお断りせざるをえなくなりましたので、ご了承ください。


プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2016年第3回会合を、以下の要領にて開催いたします。

今回は、プロジェクトの納期を劇的に短縮するCCPM(クリティカルチェーン・プロジェクト・マネジメント)の手法について、実際に導入して成果を上げた大和ハウス工業株式会社の松山竜蔵様にご講演をお願いすることにしました。

CCPMとは、「ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か」などの著者であり、TOC理論で有名な故ゴールドラット博士の提案した、画期的な方法論です。納期を短くするために各アクティビティの所要期間の見積手法を見直したり、個別期限を撤廃したりするやり方はそれなりに知られています。しかし、そうしたテクニック以上に、プロジェクト・チーム員のモチベーションを上げるためのいろいろな工夫が大事になります。

IT部門の基幹業務でCCPMを実践しておられる松山様から、その勘所を教えていただきますので、ぜひご期待ください。

<記>

■日時:2016年5月27日(金) 18:30~20:30

■場所:慶応大学 三田キャンパス・北館・会議室3(地下1階)

   アクセス http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
   ※キャンパスマップの【1】になります

■講演タイトル:
クリティカル・チェーン法を機能させるマネジメント

■概要:
CCPMはPMBOK第5版でも、タイム・マネジメントの技法として取り入れられていますが、一般的になかなか実行することが難しいと思われています。せっかくCCPMでバッファをとったスケジュールをプランニングしても、実行の段階であっという間にバッファは使い果たされ、納期が守れなくなっていき、何でCCPMの効果が出なかったのかと振り返った時に、契約の問題や評価の問題があって、クリティカル・チェーンにリソースが集中できないからだ、ということも言われます。

もちろん契約の問題がないわけではないでしょうが、それよりもまず、アグレッシブな計画がアグレッシブなものとして実行できるような、メンバーが意欲的にチャレンジできる残日数のアクティブな管理の方法について考えてみたいと思います。

■講師: 松山竜蔵 (大和ハウス工業株式会社)

■講師略歴:
大和ハウス工業で本社・事業所の経理を歴任。2010年4月から会計分野へのSAP導入プロジェクトのプロジェクトリーダ。

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

 参加を希望される方は、確認のため、できましたら当日までに佐藤までご連絡ください
# by Tomoichi_Sato | 2016-05-27 09:11 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

プロジェクト・マネジメントの目的とは何か

中堅エンジニアが壁を破って成長するには、何を学ぶべきか。そういう問いに関連して、ここ何回か書いている。初級の仕事を一通りおえて、とりあえず一人前のことはできるようになっても、その先にしばしば壁がある。そこを乗りこえて面白い仕事をしていくためには、もう少しマクロにものを見て、人を動かせるようになっていく必要がある。

今年の1月に、静岡大学と浜松ソフト産業協会の共催によるプロジェクト・マネジメント講座に呼ばれて、初日の講師を務めさせていただいたときも、その話から始めた。集まった方はほぼ全員がIT技術者だった。IT分野は勉強会も盛んで、知識欲に燃えた熱心なエンジニアも少なくない。わたしはたずねた。
「この中で、現在プロマネの仕事をされている方はいらっしゃいますか?」

手を上げた方は全体の1/3もいなかった。ある意味、予想通りではある。プロマネの仕事をばりばりこなしている人は、こうした講座を聴きに来る必要がないし、第一、忙しくて聴きに来る暇もないだろう。わたしは受講者の方に申し上げた。

「すると、ここにいる過半数の方は、SE的な仕事をメインにされているソフトウェア技術者だと思います。じゃあ、もう一つおうかがいします。今やっている仕事が楽しい人、手を上げてください。今の仕事が楽しくて楽しくて仕方がない人は?」

結果はご想像に任せよう。少なくとも、全員からはほど遠かった。「つまり、楽しくない仕事をしている人が、結構いらっしゃる訳ですね。では、今の皆さんの状況を打破するためには、どうしたらいいでしょう? 充実した、面白い仕事をするためには? ——たしかに皆さん、勉強熱心でいらっしゃる。しかし、あるレベルに達したら、そこから先はソフトウェア技術だけでは、充実した仕事はむつかしいのです。」そう、わたしは続けた。

「たった一人でプログラムを書いて、世界を転換させる、そんな夢を抱いて業界に入った人もいるでしょう。ただ、それで成功する人は、たぶん百万人に一人。それ以外の人は、他人と協力して、チームで仕事に取り組まなければなりません。そして面倒なユーザを説得し、上司を動かして、目的を達する必要があるのです。一つの目的のために、人を動かす技術。それがプロジェクト・マネジメントです。良い仕事をしたければ、プロジェクトの動かし方を知るべきなのです。」

仕事を良く理解したければ、仕事の『なぜ』=目的をしっかり把握する必要がある。プロジェクトとは、一つの目的のために、チームを動かして進める仕事だ。プロジェクトの目的とは、たいていはシステムなどの成果物と、そのアウトカムである。そこは、はっきりしている。

では、プロジェクト・マネジメントという仕事の目的はなんだろうか。

え? それはプロジェクトの目的と同じじゃないか。つまり成果物としてのシステムだよ——という答えは、じつは答えになっていない。もしそうなら、コーディングやテストという仕事が、プロジェクト・マネジメントの内部になければいけないことになる。もしかりにチームがプロマネ抜きでちゃんと仕事を果たして、システムを納品したら(理屈の上では可能だ)、プロジェクト・マネジメントの役割は何なのか? いや、理屈の上どころか、チームの足を引っ張る無能なプロマネだって、実在する。じゃあ、上手なプロマネと下手なプロマネの違いはどこから生まれるのか。有能なプロマネは何に奉仕し、無能な奴は何に失敗しているのか?

答えは簡単だ。プロジェクト・マネジメントの目的は、プロジェクト価値を最大化することなのだ。

え、それだけ? ——そう。それだけだ。この目的を分かっているプロマネは、良い成果物が短期間にできるよう、チームの目標を明確化し、チームが働きやすい場や状況を作り上げ、問題を適時解決していく。ときには余計な管理で手間取らせないよう、手出しを控えたりする。逆のプロマネは・・言わなくてもお分かりだろう。

以上。

ま、ここで終わりにすれば、最近やたら長い傾向にあるわたしの記事の中では、画期的に短いエントリになるな。そうすれば省エネだし、地球環境にも優しい(?)かもしれない。が、ちょっとだけ補足を付け加えることにする(だから長くなるのだが・・)。

前々回の記事によれば、生産マネジメントの目的は、「生産の仕組み(生産システム)をつくり、活かし、進化させ、それによって働きがいを創出すること」だった。だったらPMだって、「プロジェクトの仕組みをつくり、活かし、進化させ、働きがいを創出する」という風にならないのか? 生産とプロジェクトはある意味、兄弟ではないか。そう感じられる読者もおられるかもしれない。

だが、そうではないのだ。プロジェクトを立ち上げ、場や組織を作るのは、プロジェクト・マネジメントの目的ではなく、「本来業務の一部」である。チーム作りは、手段に過ぎない。レンガを積むことは、レンガ職人の仕事の目的ではないことを思い出してほしい。本来業務は、仕事の目的ではない。

そして、プロジェクトはその定義上、一度限りの仕事であり、プロジェクト組織は一過性のものなのだ。生産マネジメントは永続的な仕事だが、プロジェクト・マネジメントは一過性の仕事である。そこが根本的に違う点である。

じゃあ、進化させるのは? つまり、プロジェクトで得た知見や教訓を、他のプロジェクトの改善に結びつけること。もっと別の言い方をすれば「組織のプロセス資産」の強化だ。これはPMの目的ではないのか?

あいにく、知見やL&Lや組織の資産は、プロジェクトの波及効果(アウトカム)の一部である。良いアウトカムを生み出すことは、プロジェクト価値を高めることの中に、すでに含まれている。という訳で、プロジェクト・マネジメントの目的は、生産の場合より、ずっとシンプルな文章で表現できるのである。

もともとプロジェクト・マネジメントは、直接の成果物を生み出さない、「間接業務」である。だからもし、プロジェクト・マネジメントに全体の1割のコストがかかり、それが全体に対し1割以上の価値向上をもたらさなかったら、そんな作業は引き合わないのだ。

ただし念のため書いておくが、価値(Value)とは、利益(Profit)とイコールではない。ここを間違える人は、受注型ビジネスの業界に多い。プロジェクトの価値とは、受注金から原価を差し引いた値だろ、と。だが、それだけではないのだ。価値は、金銭的価値と、非金銭的価値とからなっている。受注型プロジェクトではたしかに、利益という金銭的価値はとても大事だ。だが、たとえば、その顧客やその分野での実績を得られたとか、プロジェクトで人が育ったとか、そうしたお金に換算しにくいアウトカムもまた、プロジェクトの価値の一部なのだ。

だから、「プロジェクト・マネジメントの目的はプロジェクト価値を最大化することだ」という定義は、すなわち「価値とは何か」という大きな問題を考えることを、プロマネに要求しているのだ。金銭的価値、そして複数のお金に換算しがたい価値があるとき、どれをとるのか、どれを優先するのか、そうした問いに、自覚的なプロマネは答えなければならない。

もともとマネジメントが決断能力を持つためには、価値観が必要である。「決断」はマネジメントの中心にある行為だ。そして、何が「良い」状態であり、どうなれば「価値が高い」かが明確でなければ、適切に「決める」ことはできない。ただし残念ながら、現在のプロジェクト・マネジメント理論には、こうした適切な価値論が欠けている(唯一、英国OGCのガイドライン"Management of Value"だけが、この問題への一つのアプローチを与えていると思う)。

もう一つだけ付け加えておこう。それは「プロジェクトは見えないシステムである」ということだ。プロジェクト価値の向上は、その見えないシステムの設計や運転からもたらされる。そこがこの仕事のむつかしさなのだ。

現代プロジェクト・マネジメントの考え方は、1950年代の『クリティカル・パス法』の誕生とともに生まれた。これはプロジェクトというものを、複数のアクティビティ(要素作業)から構成されるシステムととらえた、システムズ・アプローチの産物であった。つまりモダンPMとは、「プロジェクト=システム」という視点の上に立っているわけだ。

それ以前までは(つまり古代のピラミッド建設や万里の長城の時代から20世紀初頭の帝国覇権主義の時代まで、えんえん数千年にわたって)、人間はプロジェクト全体を「かたまり」としてしか見ていなかった。大きなかたまりのまま計画したり操作しようとしたりしてきたが、決してうまくいかなかったのだ。デュポン社の化学プラント建設スケジュールや、ポラリス潜水艦ミサイルの納期の予測のために、クリティカル・パスやPERTの手法が開発されてはじめて、人類はやっとプロジェクトに対する科学的理屈を手に入れたのである。
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ところで、プロジェクトをシステムとしてみた場合、生産システムや交通システムなどとは歴然とした違いが一つある。それは、「実在」か「過程」かの違いだ。

生産システムは、空間的にも実在しているし、それに属する機械や人間も目に見える。永続的な仕組みである。しかしプロジェクトは、同じシステムではあるが、目に見えない。全体が同時に実在している訳ではないからだ。個別の瞬間には、その時点で走っているいくつかのアクティビティが動いているだけで、全体像を「見る」ことはできない。

たまにIT産業の方から、「プラント・エンジニアリングの業界はうらやましいですね。プラントが出来ていく姿は目に見えますから。ソフトウェアは目に見えないから大変なんです」といわれることがある。どういたしまして! それはものごとを表層的に見ているだけである。現場に組み上がっていくプラントは目に見えるかもしれないが、結果でしかない。プロジェクトの成否を決める大事な部分は、その現場に資材を届けるサプライチェーンであり、工事図面を作成するエンジニアリング・チェーンである。こうしたアクティビティは世界中に散らばっているし、よく目にも見えないのだ。

プロジェクトは目に見えないシステムである。それは(哲学者のホワイトヘッド風にいうならば)永続的な「実在」ではなく一過性の「過程」である。それを設計し運転していくのが、PMである。途中で後戻りできない。だから大変なのだ。

そして、プロジェクトは人間をその構成要素として含む「第二種のシステム」である。機械的な構成要素だけからなる「第一種のシステム」は、科学法則だけで予測可能だ。だが、自分で勝手に判断する人間を含む第二種のシステムでは、予測や制御がはるかにむずかしい。そして、だからこそ面白いのだし、上手くいった場合には価値が高いのだ。プロジェクトは放っておくと混沌に陥りやすい。それを束ねて、ある目的成果物やアウトカムを生み出す。放置した場合と統合した場合の価値の差が、プロジェクト・マネジメントの良否を測る尺度である。

価値観と、システムズ・アプローチの視座。これの二つが、プロジェクト・マネジメントの目的、すなわちプロジェクト価値の最大化を実現するために、必要なのである。こういうことは、輸入版のPM教科書にはあまり書いていない。いや、じつをいうと、わたしがこのことに気がついたのも、ほんの数年前のことだった。それまでは自分でもうまく言語化できていなかったのだから、いつも偉そうなことを書いているわりには、お恥ずかしい次第だ。

言葉にすること。それはマネジメントの第一歩である。マネジメントとは(少なくともその中核の意味は)人を動かすことにある。人を動かすには、テレパシーが使えない限り、言葉で伝えるしかない。だから言語化はとても大事なのだ。そして動かすべき「人」の中には、じつは未来の自分も含まれる。いや、正直にいうと、未来の自分ほど、動かしがたく、迷いやすく、忘れっぽい存在はいない。だから目的の言語化とは、何よりもぶれない自分自身への、道しるべなのである。

<関連エントリ>
 →「見えない壁に突きあたった中堅エンジニアが学ぶべき、三つのこと」(2016-04-04)
# by Tomoichi_Sato | 2016-05-25 22:56 | プロジェクト・マネジメント | Comments(1)

生産システムとは、どういう仕組みだろうか

法政大学の西岡教授といえば、現在、「つながる工場」のための緩やかな標準づくりで、日本版インダストリー4.0として注目を集めるコンソーシアム"Industrial Valuechain Initiative”(IVI)https://www.iv-i.org/を率いている方だ。その西岡教授は、日本機械学会の研究分科会報告の中で、世の中にあるシステムは、二種類に大別できる、という興味深いことを書いておられる。

「自動車や携帯電話など、人がその外側にいるシステムを第一種のシステムと呼び、人がシステムの内部にいて、その構成要素となっているものを第二種のシステムと呼ぶことにしましょう。はたらく作業者である“私”にとって、私は生産システムの一部であり、システムの内側にいます。これまで工学の世界では、第一種のシステムを多く手掛けてきました。その反面、第二種のシステムは、挙動が自然法則のみに依存せず、なかなか理論化で きません。」(http://www.jsme.or.jp/fad/sig/cm/N008_industrial_valuechain_initiative.pdf
P.3-4より、筆者が語順を一部改変して引用)

これは非常に卓見であると思う。わたしの知る限り、これまで、この二つのシステムを区別して論じた工学者はほとんどいなかった。第二種のシステムは、従来の科学法則のみに立脚したシステム工学だけでは、うまくいかない。より新しいアプローチが必要なのだ。

わたしは前回の記事で、「生産のマネジメントとは、生産の仕組み(システム)をつくり・活かし・進化させ、それによって働きがいを創出すること」だと書いた。では、『生産のシステム』とは、具体的には何をさすのか?

もちろん(くどいようだが)ここでいう「システム」とはコンピュータ・システムのことではない。人間をその要素として含む、第二種のシステムである。

そして(当たり前だが)生産システムは人工物である。どこからか造物主の手により忽然と現れた訳ではないし、自然に生じたものでもない。誰かが作ったものなのだ。作ったのは、一個人ではないかもしれない。繰り返し、多くの人の手で少しずつ進化し、改良されたかもしれない。だが、そこには人工物としての設計意図がなければいけない。

この『生産システム』、普通の言葉では「工場」に相当するといってもいい。ただし「工場」という語は、建物とか場所を意味する場合もあるし、あるいは企業組織内の一部門を意味する場合もある。また、購買とか生産技術とか受注センターは、本社にあったり工場から離れていたりすることもある。だから「工場」と、わたしのいう生産システムは、つねにイコールではない。

さて、人工物であるシステムを理解するには、その目的・機能・構造を見れば良い。目的とは、
(0) 最終的に何をめざし、何の役に立つのか、
ということだ。

システムの機能とは、具体的には以下の6点で代表される。
(1) 直接的に何をアウトプットするのか
(2) そのためのインプットは何か
(3) その動的特性はどうなっている(どうあってほしい)のか
(4) インプットや取り巻く環境とのインタフェースはどうなっているのか
(5) その制約条件は何か
(6) そして、その性能(目的関数)は何でどう測るのか

またシステムの構造とは、
(7) 何の要素から成り立っているのか
(8) 要素間はどのような形状(空間的配置)で接合し合っているのか
(9) 要素間はどのようなインタフェースでつなげられているのか
で表現できる。ちなみにシステムの構成要素もまたシステムである場合は、「サブシステム」と呼ばれる。

あるシステムが何か、という疑問は、上にあげた10個の質問に答えることで、ほぼ記述できる。

では、生産システムの目的に関する、質問(0)からいこう。生産システム自体の目的は、生産という行為を通じて、永続的に付加価値を生み出し続けることである。これを達成できなくなった場合、つまり付加価値を生めなくなったとき、あるいは付加価値は生むが一過性で、将来まで継続できないときは、その存在理由が疑われる。

生産システムの機能の根幹とは、「(1)需要情報というインプットを、(2)製品というモノ(あるいは製品に実現された付加価値)に変換してアウトプットすること」である。このことは、このサイトでもすでに何度か述べてきた。そのサイド・インプットとして、原料・部品 や、用役・副資材 などがある。
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(3)動的特性は、製品の種類や業態により、さまざまだ。それは一般に、「生産リードタイム」という言葉で代表される、需要変化への追尾特性をいう。(4)主要なインプット(需要情報)とのインタフェース方式によって、いわゆる「生産形態」が分類される。生産形態は教科書にある4種類、つまり
- ETO (Engineer to Order):受注設計生産
- MTO (Make to Order):繰返し受注生産
- ATO (Assemble to Order):受注組立生産
- MTS (Make to Stock):見込生産(「需要予測生産」ともよぶ)
および、
- 下請け型受注生産
の5つからなるが、複数製品でこれらが混在することもある。なお、最後の「下請け型受注生産」はわたしが名付けたもので、日本の部品製造業に多く見られる特殊形態だが、普通の教科書には載っていない(たぶん欧米には存在しない)ものだ。詳しくは「“JIT生産”を卒業するための本―トヨタの真似だけでは儲からない」第5章を見られたい。

生産システムの(5)制約条件として代表的なものは、「生産リソース」(つまり構成する人や製造機械類)を、すぐには増減できないことであろう。もちろん他に、資金的な制約もあるのが普通だし、それ以外にも労働基準法や環境規制などさまざまな法規制にしばられている。

生産システムの(6)目的関数(性能)については、すでに別のところで述べた(「システムとはいったい何を指すのか」http://brevis.exblog.jp/20878001/)。この話は奥が深いのでここでは詳述しない。

つぎは構造面だ。(7)構成要素(生産リソース)は以下のものから成り立っている:
- 働く人々(「組織」として構造化されている)
- ハードウェア(製造機械・物流設備・工具・金型・治具類)
- 建物(正確には、それによって作られる作業空間) →これは(8)空間的接合を主に決める

リソース間の(9)インタフェースでやりとりされる情報は、紙の伝票も電子データもあるが、これは指示系と実績系に分けられる(生産計画、製造実績など)。その中核には、「広義のBOMデータ」がある。広義のBOMとは、
- BOM(部品表)データ
- 品目データ
- 工順(工程表)データ
- 資源表
- BOQ(資源能力表)などなど
である。これらは、さらに、行き交う一過性のもの(トランザクション)と、繰り返し利用されるもの(マスタ)に分類される。とくにBOM・工順・BOQなどは、生産形態に応じて、マスタ化されている場合と、毎回、設計によってデベロップしていかなければならない場合がある。

わたしがこのような生産システムの全体像の認識にいたったのは、10年くらい前のことだったかと思う。キーポイントは、主要なインプットが「需要情報」であると気づいたことだった。というのは、わたしがエンジニアリング業界に入った頃は、いまだ高度成長期の工場観がずっと受け継がれていたからだ。それは、
「工場とは原材料をインプットとして、製品をアウトプットする仕組みである」
というものだった。今のわたしの認識との違いは、お分かりだろう。従来概念での主要なインプットは、「需要情報」ではなく「原材料」だったのだ。
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では、需要情報はどこにあるのか? もちろん、そんなものは、無くてもよかったのだ。高度成長期とは「モノは作れば売れる」時代だった。この時代の工場概念は、大量生産・薄利多売とワンセットだった。しかしバブル時代を経て、次第に世の中は成熟市場となり「モノあまり時代」になった。製品は必然的に多品種化し、気まぐれな顧客ニーズに合わせて生産しないと売れなくなった。つまり、主なインプットが交代したのだ。

こうした時代の変化にもかかわらず、生産システムの設計思想は、多くの企業で変わらぬままとなっている。そもそも、旧来の生産システム自体、誰かが意識してデザインしたものか、それとも、よその真似や「業界常識」でそうなったのか、よく分からぬ会社が少なくない。そして、海外に工場を建てるときも、無意識に「マザー工場」のあり方をコピーしていく。それでうまくいったら不思議である。

だから、「今こそエンジニアリング会社の出番です」、とはまあ、言うまい。ただせめて、工場のハードを更新したり建て増したりする際に、「生産システム」の設計の視点を、もっともってほしいと思う。わたしは工場見学が趣味の人間だが、あちこちで、あまりにも勿体ない事例を見てきた。もっとうまく設計し運用すれば、同じ費用でずっと付加価値の上がる工場になるのに、と感じるのだ。

それにしても(自分で書いていて思うのだが)、こんな抽象的な話、誰かの役に立つのだろうか? 生産管理のセミナーなどを聴きに来られる方は、ふつう、目の前の問題(ペイン)に悩む人ばかりだ。在庫過剰とか納期遅れとか。いや、赤字や売上不振など、もっと深刻な問題もあるはずだ。明日の米びつの心配が最優先だ、というのがふつうの感覚であろう。そんなとき、「生産システム」などという認識は、何かの役に立つのか?

それは、地球儀は何の役に立つのかという質問に似ている、と思う。地球儀は、町中で道に迷っている人に、直接は役に立たない。過去や未来をマクロに考えたい人に役立つだけだ。

あるいは、運転免許の講習に、自動車の構造説明なんて無用じゃないのか?という問いにも、似ている。ほとんどの受講者はきいていないし、きいても理解できないだろう。だが、考えてみてほしい。オイルは汚れ、タイヤの空気圧は低く、ラジエーターの水は足りないのに、ローギアのまま高速を走って、“この車は何で早く走らないんだろう?”と悩む運転手は、あなたの回りにいないだろうか? みな、毎日の運転でヘトヘトに忙しい。でも、その悩みは、すこしだけ「仕組み」の根本を理解することで、直せるのかもしれないのだ。

<関連エントリ>
 →「生産システム-その目的と機能は何か」 (2008-08-04)
 →「システムとはいったい何を指すのか」 (2013-08-01)
# by Tomoichi_Sato | 2016-05-17 22:57 | サプライチェーン | Comments(0)

生産管理という仕事の目的は何か

以前、このサイトの読者の方から質問をいただいたことがある。「生産管理とはそもそもどういう仕事でしょうか?」という主旨だった。この方は製造現場から生産管理へ異動になった際に、仕事の全体像や目的をきちんと考えたく思い、本屋やネットを探して、わたしのサイトの「生産管理とはどういう仕事か」http://brevis.exblog.jp/7709373/ という記事にたどりついたのだそうだ。

上記の記事で、わたしは「生産管理とはあくまでサポーターであり雑用係といえる」と書いた。だが、この答えでは今ひとつ納得しきれない気持ちがあって、メールいただいたという次第だ。この記事は2008年4月、つまり今から8年も前に書いたものだが、いまだにそれなりのアクセス数がある。ということは、こうした問題を考えあぐねている人は、世の中にけっこう多いのだろう。

ただこの記事は、「サポーター、雑用係とはあんまりな言い方」というコメントも頂戴した。わたしは、プロジェクト・マネジメントの仕事は雑用の集積だ、などと考えている人間なので、『雑用』をムダだとか下層の仕事だという風には思っていない。むしろ一種の謙譲語として使っている。そうとらえることで、かえって仕事の本質、本来の目的が見えやすくなるのではないかと考えたのだ。だが、むろん雑用という言葉に引っかかり、ムッとされた方もいるだろう。自分の大切な仕事を雑用とは何だ、と。

でも、ちょっと考えてみてほしい。かりにあなたがジャズバンドのリーダーだったとする。仲間と一緒に音楽するのが純粋に楽しい。ところで、近々ライブを計画している。会場を手配し、曲目を決め、お知らせやチラシを作成して配り、必要ならゲストを呼んで、練習のためにスタジオも借りなければならないだろう。採算の心配もしなければならない。こうした面倒な仕事のほとんどは、リーダーであるあなたが采配する。そして、こうした仕事は、あなたや他のメンバーにとって、「雑用」に思える。なぜなら、あなた方にとって“本来の目的”は、楽器を演奏して音楽を楽しむことにあるのだから。

純粋に音楽を作ることにのみ心が向かう人にとって、それ以外の手配や環境作りは、雑用である。だから、バンドが成長し有名になったら、誰か「マネージャー」を雇って、そうした事は一切任してしまいたい。でもそれまではリーダーがまとめ、メンバーと分担して雑用を続けるしかない。ところで、雇われマネージャーにとって、会場手配や広報や会計などは、「本来の仕事」である。本人はもしかすると「雑用係です」と謙遜した言い方を、外部に向かってはするかもしれないが、その人自身にとっては、ちっとも雑用ではない。バンドに必要な、大事なことだからやっているのだ。

「製造部門」の仕事が音楽作りに相当するならば、いわゆる「生産管理部門」の業務は、雇われマネージャーの仕事に相当する。では、この雇われマネージャー、いいかえると生産管理の仕事の、目的・使命とは何なのか? それが今回の主題だ。

(ところで余談だが、最近、ノートルダム清心学園理事長でベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者・渡辺和子氏が講演の中で、
「この世の中に『雑用』というものはございません。わたし達が用を雑にしたとき、いい加減にしたとき、その用は『雑用』になります」
と発言されているのを知り、面白く思った。ちなみにこの方はカトリック修道会のシスターだが、この講演は鎌倉の禅宗の総本山の一つ円覚寺で行った夏期講座だったのが、また面白かった)

さて、生産マネジメントという仕事の目的は何か? この問題を考えるにあたって、まず言葉について整理しておきたい。わたしは「管理」と「マネジメント」という用語を、あえて区別して使っている。両者はイコールではない。日本語の「管理」に相当する英語は、Management、Control、Administrationの3つがあり、かなり別の領域をさしている。この英語の区別については以前も「マネジメントと管理はどこが違うか」http://brevis.exblog.jp/10625203/ に書いたのでここでは繰り返さない。

日本語の「管理」がまた、くせ者の言葉である。ビジネス社会で管理といえば、権限・権力・地位などを通常伴っている。ところが「生産管理」だけは、管理なのに地位・権力がない(まあ品質管理や在庫管理も同様だが)。もしも生産管理が“生産を管理すること”を意味するのならば、工場組織はピラミッドの一番下に製造部門がいて、その上に生産管理部門があり、そのトップはすなわち工場長である——ということになりそうだ。だが、そんな会社は見たことがない。

にもかかわらず、多くの会社では——ここが日本語および日本のビジネス文化の不思議なところだが——生産管理は「管理」だから“技術屋ではなく事務屋の仕事”とされ、しばしば文系の配属先となっている。そのことの是非はおくとしても、こうした事情がますます、問題を分かりにくくしている。だからここでは、あえて一番広義で、ハイレベルな(=抽象度の高い)言葉である「マネジメント」を使うことにする。一般に、問題を考える際には、より大きな視野から問題の位置づけをとらえる方が、局所的でおかしな習慣の枠にとらわれずにすむからだ。

で、そもそも生産のマネジメントの目的とは何なのか? わたしの答えは比較的シンプルである。それは、生産の『仕組み』(システム)を 、
1 生み出し 、
2 活かし 、
3 進化させる。 そして、
4 それによって働きがいを創出する
ことを使命としている。
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使命の中に「進化させる」ことが含まれているから、この使命は永続的で終わりがないことを示している。生産の仕組み(システム)とは、生産のための機械設備や、働く人々や、そのための空間(建屋)や、情報・データをやりとりする手順全てを含んでいる。なお、「システム」という言葉を使ったが、これはコンピュータとは直接関係がない。すべて紙と帳票で動かしていたって、それが『仕組み』である以上はシステムと呼べる。

いやいや、ちょっと待ってくれよ、と読者は思われるかもしれない。生産の仕組みを生み出す、つまり製造ラインを設計したり設置したりするのは、「生産技術部門」の仕事ではないか。“活かす”の部分の主役は、「製造部門」ではないか。だって彼らが製造機械を動かしているのだ。そして“進化させる”となると、たとえば「保全部門」「品質管理部門」の仕事もからむし、まして“働きがいの創出”なんて、経営者の仕事じゃないか!

そうかもしれない。だが、繰り返すが、上に述べたのは、もっとも広義でハイレベルな、『生産のマネジメント』のめざす目的、使命である。この中には、工場長がやるべきことから、現場の一担当者がやるべき事まで、すべて含まれている。そして個別の企業の生産技術・生産管理・資材購買・加工・製造・品管・保全・物流・・といった縦割り組織が、本当にこのような目的にふさわしい分業形態と目標設定になっているかどうかは、別問題である。

また、“活かす”という言葉にも注意してほしい。製造部門が機械を動かしているからといって、それを“活かし”ているとは、必ずしも言えない。もしかりにポルシェを町内の宅配便につかったら、ポルシェを動かしてはいるが、活かしていることになるだろうか? かりにもし製造部門が高機能な連続鋳造装置をフル稼働させて、その結果、使いもしない素材の在庫の山を築いたら、それは活かすことになるのか? それを生産管理部門が止める事の方が、活かすことになるのではないか。ある仕組みを、より価値の高い使い方に仕向けることこそ、“活かす”の意味なのである。

普通の工場における、いわゆる「生産管理部門」の中心的な仕事とは、計画・スケジュールの立案、作業の手配指示、進捗確認、そして問題発生時の対応などであろう。区別のため、これを狭義の「生産管理」と呼ぶことにする。ではなぜ、このような種類の仕事が必要なのか?

すべて一人でやる職人の工房には、「生産管理」はいらない。頑固親父が一人でやっている和菓子屋を想像してほしい。 材料の手配も、製造も、来客の注文さばきも、みな一人でやって、できている。

狭義の生産管理が要るのは、生産のスケールが大きくなって、分業が発生するためなのだ。一日に千人のお客が来る大店(おおだな)の御菓子司は、一人ではさばけない。売り子と作り手の分業、仕入れと仕込みと配達の分業、などが生じてくる。つまり店という「システム」になったのだ。かくして、販売(注文)と生産のすり合わせ 、製造と資材(購買)のすり合わせ、品質検査と出荷のすり合わせ・・・こうした調整が必要になる。 いいかえると、情報の交通整理である。こうした交通整理が、いわゆる狭義の生産管理の本質なのだ。

近代的な生産の仕組みにおいては、必ず「指示」と「報告」が行き合う。生産指示に対して、生産実績の報告が上がり、資材購買指示(発注)に対しては、納品書(納入報告)が上がる。こうした指示と報告情報のハブとして、全体の管制塔となること。それによって人や機械などの生産の仕組み・システムを「活かす」こと。 つまり、最小のインプットで最大の付加価値(スループット)を得られるようにすること。ただしそのことが労働条件の過酷化を招いて、「働きがいを創出する」障害とならないようにすること。効率の最大化だけに着目して、変化に適応し「進化する」ゆとりを無くさないようにすること。こうしたことが生産管理の仕事である。

これほどまでに大事な役割であるにもかかわらず、「生産管理」が余計な間接業務、事務作業だと思われているケースをときおり見かけるのは、なぜだろうか? たぶん、組織がどこかで目的意識や価値観を見失っているのだ。まるで売り子や配達の仕事をバカにして、「俺の菓子作りの腕があるからこの店があるんだ」とうそぶく職人のように。

まあ、世の中にはどんなに丁寧に説明しても、自分の抱えた仕事だけが偉くて、他はくだらぬと信じる手合いが一定数いる。彼らは自分がシステムの一員であることを知らない。大店全体がシステムとして機能し利益を出すから、職人も安心して腕をふるえるのである。システムでは、すべての要素がちゃんと機能して、はじめて全体が価値を生み出す。だから、要素間でどれが偉いの偉くないのという議論は、無意味なのだ。たとえどこかの要素(部門)が情報のハブとなり、そこが指示を出ししていても、それは「そうした役割」をおっているだけで、上下関係ではなない。たしかに生産管理は製造作業を直接する訳ではないから間接業務だが、大切な業務である。「大事な雑用」が、世の中にはあるのだ。

ものづくりをテーマとした展示会やサイトなどでも、取り上げられるテーマの中心は、製品の設計技術や、製造機械の生産技術・検査技術などであり、生産管理を真っ正面から取り上げたものは少ない。わたしは、このことを大変残念に思っている。それは生産管理が、生産システムの情報のハブである事を、多くの企業も技術者も認識していないことを示しているからだ。要素技術ばかりに熱中し、全体のシステムを見ないビジネス文化に、わたしは危惧を抱いている。ちょうど楽器をいじることのみに熱中し、それ以外はすべて「雑用」と貶めるジャズバンドのメンバー達のように。それは、「システムズ・アプローチ」の弱さを示しているのだろう。

最初の質問を寄せられた方には、こうお答えした:
「『そもそも生産管理とは何か』という問いを立てられたところがまず、素晴らしいと思います。“そもそも論”を考えようとする人は、少数です。100人中98人は、目の前の仕事や直接の成果だけを考えているのが現実です。これでどうして改善やら改革が可能でしょうか?
わたしのサイトは、『そもそも論』を自分の頭で考える人(=システムズ・アプローチの素質がある人)に役立つサイトを目指しています。」

そして、生産システムのマネジメント理解する糸口として、共著の「“JIT生産”を卒業するための本―トヨタの真似だけでは儲からない」をおすすめした。この本の第5章は、わたしが書いている。べつに(信じてもらえないかもしれないが)自著の宣伝のためにおすすめしたのではない。こういうアプローチで生産管理を論じた本が、滅多にないからなのだ。生産管理の仕事は、カンバン方式だとかMRPだとかのツール・手法の集合ではない。生産というシステム全体を見て舵取りをする、航海士やパイロットのように高度な技術専門職であることを、一人でも多くの人に知ってもらいたいからである。

<関連エントリ>
 →「生産管理とはどういう仕事か」(2008-04-09)
 →「マネジメントと管理はどこが違うか」(2009-07-15)
# by Tomoichi_Sato | 2016-05-11 07:00 | サプライチェーン | Comments(0)

お知らせ:プロジェクト・マネジメントの一日研修セミナーを行います

研修講演のお知らせです。

新著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』発刊を記念し、来る6月16日に、日本テクノセンターで

プロジェクトを成功させるための実践的マネジメント技法とそのノウハウ ~演習付~

と題する1日研修を行います(有償です)。

周知の通り、産業構造の変化や競争激化に伴い、プロジェクト的な業務の比率は業界を問わず高まっています。受託システム開発や建設分野に限らず、製造業の新製品開発や個別受注生産、そして新サービスや海外事業の展開など、多くの場面で「一度限りのチャレンジ」=プロジェクトのより良いマネジメントが求められています。

本講座では、プロジェクト・マネジメントがカバーすべき主要な機能について解説します。とくに、プロジェクトの成功をしばる三大制約条件であるスコープ・コスト・スケジュールと、それらをコントロールする技法であるWBSEVMSPERT/CPMについて、演習を交えてしっかりと学びます。また「海外型プロジェクト」の特性と進め方に関しては、講師自身の長年の経験に基づく実践的な解説を行います。

ただし、プロジェクトの成功はプロマネ個人の知識レベルや、スキルだけでは決まりません。組織がもつ思考と行動習慣(いわば組織の「OS」)に応じて人を動かすことが大切だからです。たとえば、

 ・計画がきちんと立てられず、行き当たりばったり
 ・だれが何を決めるのかわからず、意思決定が遅れる
 ・以心伝心・暗黙の了解で動いて、言葉にしない
 ・契約感覚に乏しく、地雷を踏んでしまう

といった項目に、もし一つでも思い当たることがある方、そして中小規模のプロジェクト実務に携わっていながら世間のPM標準では満たされぬ思いを感じておられる方々には、ぜひ受講していただきたいと願っております。単なる外国の教科書の解説ではなく、実践的で身につく知識とスキルを学べる講習ですので、とくにこれから海外系のプロジェクトに取り組もうとされる方に、おすすめします。

お申し込みは案内サイトから行えます。大勢の方のご参加をお待ちしております。

佐藤知一
# by Tomoichi_Sato | 2016-05-08 21:13 | プロジェクト・マネジメント | Comments(2)

Sunk cost principle and DIPP criteria for project portfolio management

Among various concepts and principles for the management theory, “sunk cost” principle looks easy to learn, but is the most difficult to apply in practices. The sunk cost means the money we have already spent for a subject matter. Because it was already spent, our decision making should not be affected by it. The principle of sunk cost tells us to decide based on future prospectives of the matter. However, our way of thinking often reflects past history, and it is hard to make right decisions.

Let’s take an example. Suppose a woman bought ticket for a concert at ¥8,000 (roughly $70). It is a good price. However, she cannot find her ticket in her handbag when she arrives the concert theater. She might have lost it or just left it home. She confirms with the box office that seats are still available at the same price. She has money to buy it. The concert is held only that night. Then, what should she do? She should buy another ticket to enter, or just return home?

If she believes the concert is worth ¥8,000, then she should buy another ticket. She might have lost or forgot her original ticket. Whichever it was, the money she paid for the ticket never comes back. It is the “sunk cost”. The question is, now, simply to compare the concert value and price of ¥8,000, as seats are available and she can pay that amount. And for her, concert value would be greater (that’s why she bought one ticket before).

Nevertheless, people often wonder on this problem because they transform the question into “is this concert worth ¥16,000?”. This example problem was originally raised by the Nobel Prize Economist Daniel Kahneman (2012). He explains: “if the lady’s income this month is just ¥8,000 less that the normal month, then does she buy the ticket? Most people may answer “yes”. However, if the same problem is presented in a different fashion of “lost ticket she once bought”, then many reply wrong answer. This is because they put the lost ¥8,000 on the cost accounts. (Kahneman: “Thinking, Fast and Slow” chapter 34)

Similar problems arise during the course of much larger projects. I dare not mention its proper name, but a huge national dam construction project in northern part of Kanto region has been a political issue for several years. The underlying cause of this dispute is a fact that the central bureaucracy does not have any criteria or mechanism to terminate projects once they were commenced. One more complicating factor is a way of thinking “we’ve already spend so much amount of money, so we cannot stop the project to make it in vain”. Oh yeah, it’s natural to consider that way, unless we learn the principle of sunk cost. According to the economics, it is not relevant to our decisions no matter how much money has been spent. We have to make up our mind, just based on comparison between “amount of money to spend till the end" and “value of the dam when completed”.

It is very difficult to decide whether to continue or stop projects regardless of their sizes. Reality is that efforts and faces of project members are at stake.

“Amount of money to spend till the end” of a project is called cost ETC (estimate to complete) in the PM theory. “How many days till the end” is called time ETC. Cost ETC refers to the cost from now till completion regardless of the amount already spent. Total cost of a project when completed is called “cost EAC (Estimate at Completion)”.

Decisions about project commencement, continuation and termination are the problems in the project portfolio management domain. The most important factor is normally the economic evaluation, except for non-profit projects such as academic researches. There are various criteria for economic evaluation like NPV/IRR of DCF method, or payout period. However, there is a common limitation with them: they are all comparison between the total investment cost and the total profits. They are applicable for planning phase decisions, but not appropriate for judgement of ongoing projects because they do not take into account of the sunk cost principle.

In order to conquer these limitations, DIPP was proposed as a metric for portfolio management. DIPP stands for Devaux's Index of Project Performance, originally conceived by Mr. Stephen Devaux as well as DRAG and drag cost which I explained in previous articles.

Definition of DIPP is quite simple:
 DIPP = EMV / Cost ETC

Where, EMV represents Expected Monetary Value which is anticipated profits of the project. Its division by Cost ETC gives DIPP calculation. For example, suppose there are four projects ongoing. Some of them are in planning phase and some in execution phase, as shown in the below table.

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Very simple. Now, there comes another new proposal for Project E.

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It seems to be a good idea to include Project E into our portfolio because it has higher profitability - unless it has any impacts to others. However, there is often a limitation of available man-power resources. Pursuit of Project E may affect other project schedule. If we have proper scheduling tools, we can evaluate it. The simulation result shows following impacts to the other projects.

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Please be aware that EMV of each project decreases due to delay of the finish date. If we are too greedy and put priority to Project E, it will end up with depleted DIPP of the overall portfolio from 2.9 to 2.2. It may not be a good decision.

Of course, this is just a desktop calculation. We all know that other factors, such as gut feelings, prides or customer relations, etc. coming into the equation. However, it would bring out a significant difference for corporate performance in the long run, whether the management makes decisions with knowing this equation or without knowing it. Please also be aware that normal DCF method cannot evaluate such portfolio impact problems due to lacking of the sunk cost calculation.

DIPP increase as a project proceeds. This is because the Cost ETC, denominator of the equation, becomes smaller as the project reaches to its goal. When we have to prioritize budgets or resources among projects having different progresses or phases, it is rational to select the one which has the largest DIPP (normally the closest to the goal).

I have explained methods developed by Mr. S. Devaux in three article series. They were proposed in the US and have put in practices in military industries to some extent. I first learned them at the conference Project World in Boston in 2003. In that conference, many other new ideas or techniques were presented. I could feel enthusiasm by the people gathering in the PM field in the States.

12 years have passed since then. DRAG, DIPP or any other new idea has not been introduced to Japan. Discussions about PM in our country are still bound within PMBOK Guide(R) knowledge areas or just reports of in-house trial & errors. I believe we should have more sensible antenna for new evolution in PM theories in the world.




"Introduction to the basic of scheduling, and DRAG as the metrics for project delays" (2016-02-13)

"Drag Cost - The true cost that takes into account delivery schedule effects" (2016-03-20)
# by Tomoichi_Sato | 2016-05-03 23:37 | English articles | Comments(0)