学ぶ人になりたいか、真似る人になりたいか

先週の10月21日(金)に、わたしが主査を務めるプロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会(長いから以後はP&PA研究部会と略そう)で、「プロジェクト・マネジメント教育への新しいアプローチ」と題する報告を行った。P&PA研究部会では数ヶ月前から有志6名が集まって、(仮称)PM教育分科会をつくり、ディスカッションしてきた。その中間発表と、会員同士の意見交換が当日の主な内容だった。

「新しいアプローチ」とはどういう意味か? それは「教えない」ことだ。いや、より正確には「教えすぎない」ことというべきか。わたし達は、教育とは「正解の知識」を伝授することではない 、と考える。マネジメントという行為は、ほとんどの場合、正解のない問いに答えて決断していかなければならない。なぜ正解がないかというと、どのような意思決定であれ、それがプロジェクトにもたらす結果には不確実性がつきまとうこと、また複数の価値基準がしばしば錯綜してトレードオフが生じるからだ。

である以上、「正解となる知識を暗記してすばやく問いに答える」風の受験勉強では、役に立たない。ただ、わたし達がくぐり抜けてきた受験競争では、ほぼ全ての問いに『正解』があり、それにどれだけ近づくかで勝敗が決まってきた。この教育のやり方は、行きすぎるとさまざまな弊害を生む。わたしは大学で定期的に教えているが、よくそうした「教育の害」を実感する。

現代の学生達にとって、学ぶことは、しばしば「目の前に出される課題をなんとかやっつける」ことと同義語になっている。目前の課題を(教科書やネットや友達の答えを見て)なんとか真似てしのぐと、もう忘れてしまう。わたしは授業の初めに、前の週の復習をするのだが、少なからぬ学生の頭の中に、前回の記憶が残っていないので驚かされる。グループ演習で手を動かして理解させたはずの事柄さえ、印象は残っても、知識はきれいさっぱり抜けているのだ。見事なほどの記憶の断捨離である。

そういうことを何年か繰り返したので、わたしは最近では極力、教える知識の量を減らすことにした。WBSとかPERT/CPMとかEVMSとか、さすがにプロジェクト・マネジメントの授業なのだから、話さない訳にはいかない。しかし知識伝達の量はなるべく少なくして、授業の中で考える課題を出すことに腐心している。知り得た知識を自分で吟味し納得しないうちは、身につかないからだ。また毎回、「今週のGood Question賞」を発表して、なるべく良い質問を教師に出すことを奨励するようにした。

それにしても教育が知識の伝授でないとしたら、いったい何なのか。教育の目的とは、「自分の中の不足を知り、自分で『学ぶ力』を身につける」ことである 、というのが、現時点でのわたし達の共通認識だ。教えること(Push型)から、学ぶ力をつける(Pull型)に転換しなければ、少なくともPM教育は機能しないだろう。その観点から、

「教育とは、成長を支援するプログラムのマネジメントである」

と定義し、PM教育のシステム作りとは、PMに興味を持つ者の成長支援プログラムの『プログラム・マネジメント』として構想する。それがわたし達のアプローチである。

分科会のメンバーは現時点で6名、うち1名が大学教員で、残る5名が実務家だ。業種もIT、通信、建設、エンジと多岐にわたる。この6人で、本当に役に立つPM教育のためのシステム(仕組み)を構想し、モデル研修の内容をデザインしている。

後者については手始めに、初学者向けの二日間の集合研修カリキュラムを検討中だ。座学は半日で、残る1日半は「ミッション・インポッシブル」と題するグループ演習になる。詳細はまだ開発中だから省くが、対象者は、ようやく固有技術について目鼻がついてきて、これから人を率いてプロジェクトを進める立場につくような、若手中堅クラスである。業種分野は広く構えて、なるべく多くの専門に共通するPM技術を学んでもらう場としたい。

それにしても、わたし達はセミナー屋でもないのになぜ、こんなことを考えるようになったのか。それはもちろん、皆が職場でプロマネの教育養成に悩んでいるからだ。現代の企業は、教育ということに対する取組みが、ひどくやせ細ってしまった。「会社は教育機関ではない」という言葉も聞かれる。また「業務多忙なときに、教育に割いている時間はない」という事もあるだろう(不況なのに多忙なのはたぶん、人減らしが進んだからである)。そして「即戦力」を求める風潮も強い。

まあ、昔の日本企業はもっと社内教育が素晴らしかったのかというと、そこはまた別の事情もあった。昭和の高度成長時代には、先進技術は欧米から来るものであったし、皆が「先進国」の真似をして、追いつけ追い越せ、でなんとか成長した時代であった。その時代、欧米がまさに日本にとって「正解」であった。だから正解を知って真似ることが、大人から子どもまで国是だったのである。

そのような時代はおよそ20年前、バブル崩壊と共に終わった。欧米を追い抜いて世界一、と鼻高々だったその時、わたし達の前にはもはや、真似をすべき正解は消え失せていた。自分の頭で考えなければならない状況がやってきたのだ。その壁をうまく乗りこえられないまま、真似るべきロールモデル探しで、ずっと企業も役所もメディアも、時間を空費してきたのではないか。

わたしはここで、「学ぶ」ことと「真似る」こととを、区別して使っている。真似ることは、乳児の時からできる。脳にはミラー・ニューロンというものがあって、他者の動きをそのまま真似ることができる仕組みがファームウェアとしてビルトインされているのだ。真似ることで、赤ちゃんは運動能力を身につけ、育っていく。ただ、そこには本能はあれども、目的意識はない。

学ぶことや習うことには、目的意識がある。そして学びには、必ず言語による伝達が伴う(真似には言語は必須ではない)。
目的意識 + 基本的な概念理解(言語化)+ 繰返し練習
これが「学びの基本構造」だ。

学びは、自分の中の不足や未熟を自覚することで起動される。ただ、ここで気をつけなければいけないのは、「学ぶ」つもりで、無意識に「真似る」体勢になることだ。

たとえば、よく他の業界の方から「エンジニアリング会社ではどうPMを教育されているのですか?」とたずねられることがある。PMが確立された業種というイメージが強いからだろう。エンジ会社だってプロマネ育成に悩んでいる点ではかわりがないのだが、まあ、自分の勤務先を例に挙げて、まず、我々のところでは「プロジェクト・エンジニア」という、いわばプロマネの見習いの職種があります、その経験を何年か重ねて、はじめてプロマネに抜擢される訳ですが、もともとプロマネ志向を持って入社する人も多いから、若い段階からそうした職種に配属する訳です・・というようなお話をする。

するときいている人の3人に2人はため息をついて、「ウチじゃプロマネになりたいと思って就職してくる人間なんて皆無です」といわれる。ベースが違いすぎて参考にならない、という訳だ。そこで問いをやめてしまう。あるいは、問いをかえて、PM用のソフトウェアは何をお使いですか、といった質問になり、この業界ではデフォルトで世界的にPrimaveraですよ、英語版ですが、とお答えするとまた、問答は行き止まりになる。簡単に真似られる点が見つからないためらしい。

だが、学びたかったらそこから先が大切なのだ。たとえば、「じゃあ佐藤さんもプロマネになりたくて今の会社に就職されたのですか?」ときいてくる人は滅多にいない。わたしも設計部門に最初入ったのだし、プロマネ志向でない新入社員はたぶん半数以上だろう。そういう人たちを多数抱えてプロジェクトを回す仕組みはどうなっているのか、プロジェクトの効率性やモチベーションを維持するにはどう工夫しているのか、PMO組織はあるのか。そういう点こそ、探るべきだろう。そして、自社とどこが共通してどこが違うのか、何をすべきか考える。

つまり学ぶということには、「共通性を洞察し、言語化する力」が必須なのだ。「学ぶ力」の基礎は抽象化能力だといってもいい。ここが弱いと、学びが真似に陥りやすい。

自分の勤務先の話だと面はゆいから、別の例を挙げようか。たとえばあなたが製造部の人だとする(製造業に興味のない読者は、続く数段落は飛ばしてもいいが)。そしてトヨタかその直系の工場を見学に行ったとする。整理整頓の行き届いた工場、数々のカイゼンの工夫、極小化された仕掛在庫、そして噂に聞くかんばんや自働化やアンドン・・かなわないな、ウチとレベルが違うや、と思う。説明員の人は、壁に張り出された顔写真付き技能マップの前で、トヨタ生産方式の話をする。そして「仕事=作業+改善」という概念で、改善をしないと一人前の仕事をしていることにならないから、皆が職場の問題の見える化を進めて、解決できるようになるため「物づくりより人づくり」に取り組んでいるのです、等と語るだろう。

あまりにもレベルが違うから、一気に自社をその状態にもっていくことは難しい。その時、真似る人は、じゃあどうしようかと考える。そして、カンバン方式だとか、定位置停止だとか、あるいは壁への掲示物だとか、取り入れやすそうな技を真似ようと考えるだろう。

では、学ぶ人はどう考えるか。まず、トヨタは生産計画にもとづいて大枠を決め、平準化で日々の指示を出し、かんばんや自働化を使って日々の細かな変動に対応しているらしいと考える。つまり大きな構造をまず、見るのである。なぜ、ウチと違って、トヨタでは生産計画が成り立ちうるのか。それは自動車という季節性の小さい商品の特性、そして輸出を含む販売力により、出荷量が計画しやすいからだろう。おまけに、日単位の指示についてきてくれるサプライヤー群がいる。だからこそ、在庫を絞って問題を表面化するという曲芸みたいな改善方法が可能になる。

そして、それを支えるのは「仕事=作業+改善」の概念を人々に徹底化したことだと気づく。一方、ウチはどうか。個別性の強い受注生産だ。出荷量は月単位では読みにくい。おまけに、現場の人たちに問題解決をしろといっても、それだけの素地を訓練してこなかった。問題が起きると怒 られた。だから問題が表面化しないよう、むしろ沢山の在庫を抱えることを推奨してきたようなものだ・・。そういう所で無理にカンバン方式を導入しても、現場は回らなくなる。じゃあせめて、組立工程の能力と日々の指示をバランスするところからやってみようか。「ミズスマシ」までは無理としても、まず部品の配膳作業だけでも分業化して、生産の停滞が材料によるものか組立工の技量によるのかくらいは、分かるようにしてみよう・・

学ぶ人は全体の構造を見る。そして自分との違いを考えた上で、取り組むヒントを探す。一方、真似る人は、すぐ取り入れやすいものを探そうとする。つまり、学ぶ人は大技を学ぶ。そして、自分ならどうするかを考える。真似る人は、小技しか真似られないのだ。少なくとも、マネジメントの技術については、そうだ。

お分かりだろうか? マネジメントの分野で、学ぶ力を得るためには、「学び方を学ぶ」必要があるのだ。学び方は一種のソフト・スキルで、練習が必要である。集まって演習できる場が望ましい。だから(話を元に戻すと)わたし達はPM教育の場とカリキュラムみたいなものを構想しようと考えているのだ。教育の目的が、「自分で『学ぶ力』を身につけること」、とはそういう意味である。

そして、わたし達がこんな取組みをはじめた理由は、そもそも企業における教育がやせ細ってしまっているためなのだ。だとしたら、技術者の側が、自分の身を守るために手を結び、互いの学びの場を作っていくべきだろう と、わたしは考える。ベテラン技術者も、そうした動きを側面支援するべきである。

わたし達の今回のチャレンジが、どこまで進めるかは分からない。だが心意気としては、会社にも頼らない。国にも頼らない。そして自分で自立できる能力を作る。それがわたし達に必要なことなのではないだろうか?


<関連エントリ>
 →「『わかる』ことと『知る』こと」 (2010-02-24)http://brevis.exblog.jp/12208254/
 →「プロジェクト・マネジメントの教育について」 (2014-01-27)http://brevis.exblog.jp/21619967/
<参考>
 「“JIT生産”を卒業するための本―トヨタの真似だけでは儲からない」 中小企業診断協会生産革新フォーラム・著


# by Tomoichi_Sato | 2016-10-30 12:36 | 考えるヒント | Comments(1)

お知らせ:納期遵守のための1日セミナー(11月25日・大阪)

来る11月25日(土)に、大阪府工業協会で納期遵守をテーマとした1日セミナー(有償)を行います。一昨年からはじめたセミナーもバージョンアップを重ね、今回で4回目の開催となります。

主に受注生産型の工場における納期遵守のための生産計画と統制(コントロール)について、製造業の実務家向けに、理論・事例と演習を含めてお話しします。

拙著「革新的生産スケジューリング入門」や「BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)」をお読みになった方はご承知の通り、わたしは具体的なテクニック論のみならず、原理・原則に関する体系的な理解を重視します。そのため、生産活動の仕組み全般を『システム』としてとらえ、その生産システムをより良く運用するにはどうしたらいいか、また仕組みをより上手に設計するためには何に留意したらいいか、を考える『システムズ・アプローチ』をとります(もちろん、ここでいうシステムとはコンピュータのことではありません)。

したがって業種分野については、わりと間口を広くとってお話しできる点が特徴です。普通の現場改善コンサルタントの講義に、飽き足りない気持ちでおられる技術者の皆さんのヒントになればと思っています。関心のある方のご来聴をお待ちしております。


<記>

日時: 2016年11月25日(金) 10:00-17:00

テーマ: 「納期遅れを起こさない 生産統制のポイント
     ~ 工程管理担当者の実務能力の強化 ~」

主催: 公益財団法人 大阪府工業協会

会場: 大阪府工業協会研修室
     大阪市中央区本町 4-2-5 本町セントラルビル
     (市営地下鉄御堂筋線「本町」駅8番出口すぐ)

セミナー詳細: 下記のPDFファイルをご参照ください(「受講申込書」も兼ねています)

# by Tomoichi_Sato | 2016-10-27 22:41 | サプライチェーン | Comments(0)

私の名前をドアからはずす時(レオ・バーネットの言葉)

レオ・バーネットという広告会社をご存じだろうか。元はアメリカ・シカゴを発祥の地として、今は世界各国に支社を持っている。

わたしはこの会社のことを、パトリシア・ジョーンズとラリー・カハナー著「世界最強の社訓―ミッション・ステートメントが会社を救うという本の中で知った。この本では主に米国企業が約40社選ばれ、その社訓や経営理念などが、簡単な解説とともに紹介されている。大企業も小企業も、製造業からリテールまでカバーされている中で、レオ・バーネット社だけは、抜群に異色だった。多くの企業が、Mission Statement だとかManagement Policies といったテーマのもと、きれいな言葉を論理的に説明口調で並べているのに対し、この会社だけはひどく直截的だった。いわく、

「われわれの使命は、すぐれた広告をつくることにある。創業者のレオの言葉を借りれば —
 われわれのそもそもの存在意義は、世界中で文句なくベストの広告を作ることにある 。

 すなわち、テーマやアイデアがかぎりなく大胆で、斬新で、魅力的で、ヒューマンで、真実みがあり、焦点がはっきりしていて、思わず見てしまうような広告 。
 長期的には会社の名声を高め、同時に、いますぐ収入をもたらすような広告をつくることにある」

非常に分かりやすい。言葉は少ないが、ぎりぎりまで選び抜かれている。ただ単に、わが社は「ベストな広告」を作る、と言うのは、気楽で簡単だ。だが「世界中で文句なくベスト」の広告、と言い切るのは簡単ではない。良いプロダクトをつくることこそ、自社の存在意義である。そしてこの文章は長期的な視点にも、ビジネスにとって大事なお金を得ることにも、目配りがきいている。

だが彼らは、実際には、どんな仕事ぶりなのか。ためしにネットで調べてみた。下の写真は、Leo Burnett社が英国のマクドナルドのために制作し、賞を受賞した広告である。

なかなか良いと、わたしは思う。広告デザインは、感性に訴えるため、どうしても見る人の好みで判断される。だがハンバーガーショップの宣伝をするのに、商品も見せず、味についても言わず、ファミリー向けの親しみやすさも訴えないのは意外だ。画面は暗く、写真は重い。都会のオフィスで夜更け、ただ一人デスクに向かう人。あるいは、深夜の路上で客に応対するタクシーの運転手。

孤独な彼らに対して、”If you’re awake, we’re awake”(あなたが眠らずにいるとき、わたし達も眠らない)とだけ訴える。それは終夜営業のショップの価値訴求である。あたりまえだが、そこの食べ物はけっして贅沢でも上質でもない。だが開いていて助かった、という一瞬を想起させる。これ以上、知名度を向上させる必要もないハンバーガーチェーンの売上を、深夜枠だけ少しでも上げることにつながる、優れた広告であろう。

創業者のレオ・バーネットは1891年生まれで、まだアメリカが恐慌の余波にあえぐ禁酒法時代の直後に、シカゴに広告会社を作った。経営の才にも恵まれていたと思うが、上に述べたように「良い広告」への強いこだわりを持って、あまり拡大志向をせずに同社を育てた。彼が自社のために作った、有名な標語とポスターがある。それは

『星にむかって手を伸ばせ。
 必ずしもつかまえられるとは限らない。
 だが、泥をつかむことにもならない』

というものだ。また中西部育ちの彼は、顧客を迎える自社の受付に、赤い、良く熟した、甘酸っぱい香りのする、つやのあるリンゴを、いつも鉢に山盛りにしていた。そして訪問者に自由にとって食べてもらう。バーネット社のリンゴは、名物になった。リンゴを商標にした有名なレコード会社やコンピュータメーカーが登場する、ずっと前のことである。

バーネットは1967年に社長をやめて会長職に退く。このとき彼は、引退にあたって有名なスピーチをする。「私の名前をドアからはずす時」というのが、その題だ。いうまでもなく、レオ・バーネット社という社名は、彼自身の名前である。スピーチの最初に、彼は言う。

「君たちの後継者は、私の名前をドアからはずし、自分たちの事を『トゥエイン・ロジャーズ・ソーヤ&フィン』(笑)とか『エイジャックス・アドバタイジング』とか何とか、呼びたくなるかもしれない。」

ちなみに前者はマーク・トゥエインの児童小説の名前のもじりだ。そして彼は続ける。

「もし君たちにとってそれがよければ、私は一向に構わない。だが、私のほうから『どうしても私の名前をドアからはずせ』と要求するのはどういうときかを、話しておきたい。

 それは君たちが広告を作るために費やす時間より、金儲けに費やす時間が多くなったときとか、

 我々の会社を作っている特別な人たち、ライターやアーティストやビジネスのプロフェッショナルたちにとって、広告を作るという純粋な楽しさや心の昂ぶりというものが、お金と同様にとても大切なんだということを忘れたときとか」

そして彼は、以下、会社として危惧すべき状況を一つひとつ、まるで連祷のように述べていく。

「自分の仕事をさらに良くしようとする、絶え間ない努力の意識を君たちが失ったときとか、
(中略)
 もはやあのヘンリー・ソローがいう『良心のある会社』でなくなった時とか、
(中略)
 事務所で最後までたった一人でタイプライターをたたいていたり、デザイン・ボードに向かっていたり、カメラを構えていたり、ブラック・ペンシルで何かを書き付けていたり、夜遅くまでメディア・プランを作っていたりする、そうした孤独な人たちへの尊敬の念を、君たちが失くした時とか、

 我々の会社の今日を作り上げてきた、そうした孤独な人たちへの、深い感謝を忘れたときとか、

 そうした人こそ、より一層の努力をしているから、例え一瞬であろうと熱くて手が届きそうにもない星を、実際につかんだのだ、ということを忘れたときとか。

 ・・こんなとき、私は君たちに、私の名前をドアからはずすよう強く求める。断じて、私の名前をはずしてほしいのだ。たとえ死んだ後でも、私はあの世から甦ってきて(笑)、夜中にオフィスの全てのドアから私の名前を削り取る。

 そしてあの世に戻る前に、私の名前の入った全ての文房具を焼き払い、たぶん、通りすがりにいくつかの広告を破り捨て、忌々しいりんごは全部、エレベーターの穴の中に投げ込んでやる。

 すると次の朝、君たちはもうここがどこかわからない。君たちは別の名前を探さなければならないのだ。」

ここには、仕事というものに対する強い信念がある。それは、良い仕事をするということ自体が、働く労苦に対する最大のリワード(勲し)であり、モーメンタムである、という信念だ。お金という報酬は、その結果でしかない。優れた仕事の次が、お金であって、その逆ではない。

だから彼は、夜更けの事務所で、最後までたった一人でタイプライターをたたいている孤独な人への敬意と感謝を忘れてはならない、と主張する。働く人が、いつでも交換可能な、単なる消耗品になりさがった組織は、もはや自分の名前にはふさわしくないのだ、と。その主張はまさに、上に紹介したマクドナルドの広告に、奇しくも対応しているではないか。レオ・バーネットの魂は、彼が引退した50年の後にも、まだ生きているのだ。

これが、理念の力である。

人々を束ねて率いていくのは、むずかしい。それが創造的な仕事にたずさわる人たちであれば、なおむずかしい。それは権力や、金銭や、おどしや、皆が因循と従っているおかしな行動習慣であってはならない。人を動かすのは、なによりも「世界中で文句なくベストな仕事」をしたいという、自負に満ちた欲求であるべきだ。上司は部下の心の中に、何よりもその気持ちを探して光らせなければならない、と。

だが、そのためには、「何がベストか」についての、確とした理念を持つ必要がある。だから、ともすれば怠惰と徒労に流されがちな日常の中で、わたしもつねに自問自答しなければならないのだ。お前は果たしてベストな仕事をしているのか、と。


<関連エントリ>
 →「企業のミッション・経営理念を日米比較する」(2016-03-27) http://brevis.exblog.jp/24255070/

(注)
レオ・バーネットの引退スピーチの画像は、YouTubeで見ることができる:

またスピーチの日本語訳全文は、ネットでは(誰による翻訳か不明だが)以下のURLで読むことができる。上の文中ではここから一部改変して引用させていただいた:

# by Tomoichi_Sato | 2016-10-22 18:12 | ビジネス | Comments(2)

プロジェクト・コミュニケーションのベーシック(2) ~ ドキュメント・インデックスを作る

前回の記事「プロジェクト・コミュニケーションのベーシック ~ 情報のトレーサビリティを確立する」で、英語で言うCommunication Managementとは、日本語的感覚でいう「コミュニケーションの管理」ではなく、むしろ『情報伝達のマネジメント』に近い、と書いた。だから、伝達のトレーサビリティ確保が大事になる、と。

今回はその続きである。だがもう一歩進んだあり方として、「ドキュメントのインデックス化」の話をしたいと思う。ドキュメントのインデックスとは何か? 簡単だ。それはプロジェクトが作成する文書・図面類をリスト化して、多少の属性を付加したものである。「ドキュメント・リスト」と呼ばれる場合もある。

なあんだ、そんなのならいつでも作ってるよ。そういって、ドキュメントが保存されているサーバのプロジェクト・フォルダから、ファイルのリストを印字して持ってくる人がいる。ファイル名の他に、作成日、更新日、ファイルサイズ、種類などの属性が並んでいる。--これのことでしょ?

全然違うのだ。そんなリストは、プロマネにとってどんな行動の契機も与えない。そのファイル・リストを見たら、まだ出来上がっていないドキュメントが何と何か、分かるだろうか? どの図面が予定よりはるかに遅れて作成されたのか、問題発見の手がかりになるだろうか。誰を応援したり督促したりすべきなのかの、判断材料になるだろうか? なるまい。

プロジェクト・マネージャーという職種は、最初に計画を立て、実行段階ではその計画からの逸脱をチェックしながら、問題をつぶしたり変更を追いかけたり、決断を下したりして、なるべくプロジェクト全体の生み出す価値を高めていくのが仕事である。だから問題発見のツールをいろいろ持っていて、そのセンサー感度を上げる仕組みが必要だし、問題解決のためには、何がいつどこで起きたのかを、正確にさかのぼってたどれる道具が必要なのだ。

ドキュメント・インデックスは、そのためのツールである。これ自体は、単純な表になっている。プロジェクトで作成しなければならないドキュメントを、すべて、重複も漏れも落ちもなく、計画段階であらかじめリストアップしておく。そして、各ドキュメントは、誰が担当で作成するのか、WBSのどのアクティビティで作成するのか、したがっていつ作成される予定なのかを、あらかじめ決めて書いておく。

つまり、ドキュメント・インデックスは、初期段階では「まだ存在していない文書の属性付きリスト」なのである。ファイル名のダンプリストじゃ役に立たないことは、おわかりだろう。それは「すでに存在している文書のリスト」を示すだけだ。あるいはもう少し高級な、いわゆるContents Management System風のリストも、役に立たない点では変わりない。そうした道具立ては、存在しているファイルの『在庫管理』には有用だろう。だが、まだ存在しない、これから作成すべきドキュメントについてのコントロールには、あまり役に立たない。

ドキュメント・インデックスというは次のような構造をしている。持つべき主な属性は、以下の通りだ:
e0058447_22301426.jpg

(1) ドキュメントのID
(2) ドキュメントの名称
(3) ドキュメントのリビジョン番号
(4) プロジェクトNo.およびWBS No.
(5) 発行目的
(6) 作成者・検討者・承認者
(7) 発行予定日
(8) 発行実績日
(9) ドキュメントを構成する電子ファイルのリスト

すべてのドキュメントは、ユニークなIDを持っていなければならない。これは当たり前のことだ。従業員番号のない社員がいてはいけないのと同じである。何かをトラッキングしたりコントロールするためには、IDがいる。これは情報システムの世界では常識であろう。(それなのに、自分が仕事をする段になると、設計文書をタイトルだけで『管理』して平然としているシステム・エンジニアがいたりするのは若干、謎である)

ドキュメントにはリビジョン番号があるのは当然だが、WBSの中のどのアクティビティで作成されるものかを示すことも(当然ながら)大事である。誰が担当で、いつ出来るのかは、それによって決まる。作られたら、次にどこのアクティビティで利用されることになるのかも、注意しなければならない。かつて「仕事の最小単位--アクティビティの構造を学ぶ」にも書いたように、文書(情報)はアクティビティのアウトプットであると共に、次のアクティビティのインプットともなるからだ。

ちなみに、わたしの勤務先では、ドキュメントのIDは、種類を示すコードと、それを作成するアクティビティのWBS No.を元にして構成している。一つのアクティビティから複数のドキュメントが作られるのが普通だから、後ろに連番をつける。かつ、それを電子ファイルの命名規約にもしている。ついでながら、仕事のプロセスを示すFunctional WBS (F-WBS)は標準的なコード体系にしたがっているため、どのプロジェクトでも、たとえばポンプの設計図書は同じF-WBS No.を持っている。だから、ドキュメント番号やファイル名称を見ただけで、「これはポンプの調達仕様書だな」と分かる仕組みになっている。

それから、インデックスには、何のために発行されるのかという目的がいる。つまり、顧客に出す承認用(For Approval)だとか、顧客からOKをもらった施工用(For Construction)だとか、あるいは据付工事後の最終納品版(As-Built)といった区別である。もちろん、顧客に気に入られないと、承認用を2回も3回も出し直し、という事態だってありえる。だからリビジョン番号と発行目的は、1対1にはならないのである。ちなみに「発行」という用語は、英語のIssueの翻訳だが、耳慣れないと思う人もいるかもしれない。これは、正式版として社内関連部署や顧客や外注先に対して配布する作業を意味している。「出図」という言い方をする企業もある。

作成者・検討者・承認者の項目は自明だろう(スペースの関係で一つにしているが、実際には別々にするのが普通だ)。

そして何よりも大事なのは、「発行予定日」と「発行実績日」である。プロジェクトの計画段階で、ドキュメント・インデックスを作る際に、個々のドキュメントの発行予定日を記入しておく。これは、プロジェクトのマスター・スケジュールに合致していなければいけない。そして、遂行段階に入って、実際にどんどんドキュメントが作成されるようになったら、それぞれの実績日を記入していくのである。

この予定日と実績日があるから、プロマネは問題を事前に検知したり、メンバーに上手に督促したりすることができるようになるのである。「今週、発行予定のドキュメントはこれとこれです。担当者はもし何か問題を抱えているようなら教えてください。支援します。」といった風に、週次のミーティングでいう訳である。

そして実際に発行されたドキュメントは、必要とする関連部署(下流側のアクティビティに関わる部門)や外部ステークホルダーに送付するとともに、プロジェクトのセンター・ファイルに保管する。情報伝達のトラッキングが必要になったら、プロマネは(あるいは、もう少し大規模なプロジェクトの場合は、専任のライブラリアン役の担当者が)、そのセンター・ファイルと、インデックスの履歴をチェックする。これがドキュメント・コントロールの仕事である。わたしが勤務先でこのようなやり方を初めて知ったときは、その見通しと効率の良さに舌を巻いたが、わたしの先輩達はどうやら何十年か前に米国の同業者達のやり方に学んだらしい。

またこうしたデータがあると、横軸に日付をとって、縦軸に発行予定ドキュメント数の累計をプロットしていけば、S字カーブが得られる。これに実績の線を書き加えれば、プロジェクト全体の遅れや進み具合が一目瞭然になる。一般に、設計作業の進捗は目に見えにくく、把握しづらい。ドキュメント・インデックスは、その進捗を可視化するためのツールになるのである。

e0058447_22311024.jpg
わたしの業界では(海外の大規模プロジェクトは特に)進捗に応じて顧客が支払う契約が多い。このとき、設計の進捗を、発行されたドキュメントの数で測るのである。全体で100部の図面やドキュメントを作成する予定であり、現時点では45部が発行済みだから進捗45%、といった計算である。単純だが、分かりやすい。むろん、図面には情報量の大小があるし、ドキュメントだって厚いのも薄いのもある。だからそんな進捗計算なんかナンセンスだと、いえないことはない。だが、今日までに100部作成する予定なのに、まだ10部しか出来ていなかったら、やはり何かおかしいと判断するきっかけにはなる。測れないものは、マネジメントできない。もし設計をマネージしたいのなら、設計の進度を測る何らかの仕掛けが必要なのだ。

最後は、そのドキュメントを構成するファイルのリストである。本文はWordだが添付資料はExcelの表です、といったものはよくある。こうしたセットを、ひとつの「ドキュメント」として扱うのである。だから、個別のファイル単位にしか属性を扱えないCMSみたいなツールは、ちょっと不便だということになる。

と、ここまで読んだ読者の方は、二つの疑問を持たれるかもしれない。

Q1: 本当に最初の段階で、プロジェクトが作成すべきドキュメントを全部もれなく洗い出せるのか? 途中でどんどん増えてしまったりするのではないか。
Q2: ドキュメントの発行予定日なんて、そんな初期に決められるはずがない。

このような疑問は、プロジェクトの「初期の段階」という理解にズレがあるために生じると思われる。まさかプロジェクトの初日に、ドキュメント・インデックスを作れる訳はない。プロジェクト計画がある程度進んで、WBSが作成され、マスター・スケジュールが出来上がったタイミングでなければ、もちろん作ることはできない。それはすなわち、プロジェクトの全体像の目鼻がついた段階だ。目鼻とはつまり、成果物の構成(Product-WBS, P-WBS)がだいたい決まり、かつ、それを作るまでのプロセス手順(F-WBS)が見えて、アクティビティ・マトリクスができた時点である。
(アクティビティ・マトリクスとWBSについて知りたい方は、拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書 〜 グローバルなチャレンジを成功させるOSの作り方」参照のこと)

もちろん、プロジェクトの遂行途上で、インデックスにドキュメントを追加せざるを得なくなったり、あるいは削除(キャンセル)することもあり得る。追加は、当然ながらユーザの意向でスコープの増加があった場合、そして当初の見積が不足していた場合の二つがある。だから、この両者は区別できるようにしておかなければならない。そしてプロジェクトが完了したときに、自社理由で増えた分と、外部理由で増えた分が、それぞれどれだけあったかを調べ、次にドキュメント数を見積もるときには、どう教訓(Lessons Learned)を生かしたら良いかを、考える材料にするのである。こうしたことをしない限り、見積の精度など向上する訳がない。

そして、ドキュメント・インデックスを作る理由は、まさに自分たちの予測能力を高めるためにあるのだ。ドキュメント・インデックス作成というのは、プロジェクトのマスター・スケジュールなどと似ていて、プロジェクト全体を表す一種の『モデル』なのである。プロジェクトという複雑な、かつ見通しにくいシステムをモデリングする事。これこそが、プロジェクト・マネジメントの中心技術でなくて何だろう? 最終形を見通さぬまま、なりゆきでドキュメントを積み上げていっただけでは、最後に手元に残ったリストを見ても、次に生かすのは至難の業だ。経験から学ぶためには、自分が何を見通して、何を見通せなかったかを、後から追えるようなトレーサビリティが必要なのである。


<関連エントリ>

# by Tomoichi_Sato | 2016-10-12 23:37 | プロジェクト・マネジメント | Comments(2)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会 (2016年10月21日)開催のお知らせ

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」2016年の第5回会合を、下記の要領にて開催いたします。今回は研究部会WGのメンバーとの検討をもとに、久しぶりにわたし自身が講演いたします。この問題に関心をお持ちの方のご来聴をお待ちしております。

<記>

■日時:2016年10月21日(金)18:30~20:30
■場所:三田キャンパス・北館会議室2(1階)(定員:28)】
 キャンパスマップ・【1】

■講演タイトル:「プロジェクト・マネジメントの教育に対する新しいアプローチ

■概要:

受注型プロジェクトに多く携わる企業では、プロマネの育成はつねに重要な課題です。PMP資格の取得奨励などを進めても、なかなかそれだけでは実効性が上がりません。片や、自発型プロジェクトを進めるべき企業や官庁などでは、「プロジェクトをマネージするには技術がいる」という意識すら薄く、結果として幾多の失敗事例がメディアをにぎわす状態が続いています。

本講演では、“教育とは自己成長を支援するプログラムである”という認識に立ち、企業内や大学での教育に携わってきた経験を元に、エンジニアがPM能力を高めるための新しいアプローチについて提案します。今回の内容は、当研究部会の中で自主検討してきた「PM教育WG」の途中経過報告でもあり、参加者による積極的なディスカッションを期待します。

■講師: 佐藤知一(さとう ともいち)
日揮(株)勤務、静岡大学客員教授、東京大学・法政大学講師、工学博士・PMP

■講師略歴:
 1982年4月 日揮株式会社入社
 1985年10月~1986年9月 米国East-West Center 環境政策研究所 研修派遣
 2001年5月~2002年4月 仏Technip社との電子調達サイト Operation Manager
 2010年6月 「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」により学位取得
 2016年9月~ 現職(日揮株式会社 グローバル戦略室)に至る
〔受  賞〕日本経営工学会論文賞(2009)

■参加費用:無料。 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金¥2,000が免除されます。

会場の人数に上限があるため、参加を希望される方は、できましたら前日までに三好副幹事までご連絡ください(連絡先は学会HP参照)。

以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮(株)

# by Tomoichi_Sato | 2016-10-08 09:36 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

書評:「人間の安全保障」 アマルティア・セン著

人間の安全保障 (集英社新書) - Amazon.com

アジア初のノーベル経済学賞受賞者、アマルティア・センの名前をはじめて知ったのは、佐伯胖の「『きめ方』の論理 ―社会的決定理論への招待―
を読んだときだった。社会的決定の問題を扱う同書の中で、センの有名な「リベラリズムのパラドックス」の定理や、「パレート伝染病」の概念による見事な問題解決に舌を巻いた覚えがある。

センと再び出会うのは、数年後に、会社の英会話教室で、先生から課題としてわずか2頁の雑誌記事を読むよう渡されたときだった。記事では、インドなど発展途上国における飢饉について、その原因は天候や農業の不作ではない、という驚くべき分析が示されていた。それは食料を買うためのお金や市場での配分割り当て、彼の用語で言う”Entitlement"が欠乏していたために引き起こされるという。それは天災ではなく人災であり、適切な政策によって防止可能だというのだ。その短い解説記事の著者が、アマルティア・センだった。

センはインドのベンガル地方に1933年に生まれ、英国ケンブリッジ大学で博士号を得た経済学者である。その研究領域は、集団的意思決定に関する公理論的数学手法による検討から、いわゆる厚生経済学、とくに貧困問題まで幅広い。1998年にはノーベル賞を受賞している。

本書は、その彼が行った短い講演などを集めたものである。薄い新書版だが、その内容は結構濃い。目次は以下の通りだ。

・安全が脅かされる時代に
・人間の安全保障と基礎教育
・人間の安全保障、人間的発展、人権
・グローバル化をどう考えるか
・民主化が西洋化と同じではない理由
・インドと核爆弾
・人権を定義づける理論
・持続可能な発展 — 未来世代のために

「民主化が西洋化と同じではない理由」など、やはりアジア人でなければ書けない視点だ。また「人権を定義づける理論」は、他の講演と合わせて『ですます調』で翻訳されているが、じつはかなり本格的な理論的論文である。

だが本書の中心的テーマは、やはり『人間の安全保障』Human securityである。その概念を確立するため、彼は2001年に設置された委員会の議長を、緒方貞子氏と共に務めている。人間の安全保障とは何か。なぜ通常の、国家の安全保障national securityだけではダメなのか。

それは、国家が安全でも、その国民一人ひとりが安全とは必ずしも言えない時代に突入しているからである。国民の安全は、無論、国家の安全に依存する。だが、国が一応安泰なのに、多くの国民が餓えや病気に苦しむ可能性があるのが、現代なのだ。

「<人間の安全保障>は、(経済・社会の)安全な下降に真剣に目を向けることに重点を置いています。(中略)景気の下降は、成長の過程で取り残された人々、つまり解雇された労働者や万年失業者などがおかれた慢性的に不安定な状況に、追い打ちをかけます」(p.39)と、彼は言う。「成長と拡大による利益の配分が不均衡で公正でないことは、かねてから議論されてきました。しかし、たとえその問題がうまく処理されても、景気が急降下すれば、無防備な人々の生活は、きわめて苦しい状態に追いやられるかもしれません。経済の拡大とともに、人々の生活が全体的に向上したとしても、暮らし向きがわるくなるときは、得てしてその転落の度合いに極端な差が生じます。」(p.39)

これに対抗するためには、国民一人ひとりが、自衛の方策をもつ必要がある。それが教育であり、経済的自立であり、また女性の平等である。彼は1999年にノーベル賞の賞金を使って、インドとバングラデシュに「プラティチ基金」をつくり、社会的な男女平等の達成を図ろうとする。

「女性の教育と識字力の向上が、子どもの死亡率を下げる傾向があることに関しても、多くの証拠があります。(中略)女性のエンパワーメントには、これまでたびたび指摘されてきた、男女の生存率に見られる格差(とくに若い女性の生存率の低さ)を縮めるのにも大きく影響しているようです」(p.31)

「わたしがマーブブル・ハクのために作成した『人間的発展指標』には、識字率と学校教育を、人間の潜在能力を増大させるための中心的存在として、また<人間的発展>の総合的な指標に不可欠なものとしています。」(p.25、故マーブブル・ハクはパキスタンの経済学者で、<人間的発展>の概念を主唱した)

彼の言う『エンパワーメント』とは自己決定能力のことを指す。必要なものを入手し、利用できる法的・社会的・経済的パワーを含む能力や、資格を備えることである。センは上に述べたエンタイトルメントやエンパワーメントなどのように、よく世間で使われる用語に、独特の概念定義を持たせて使うので、読者は注意が必要である。『ケイパビリティ』という述語もその一つだ。

「自由を得る機会については、一般に『ケイパビリティ』という考え方が有意義なアプローチを示してくれます。ケイパビリティとはすなわち、人間の生命活動を組み合わせて価値のあるものにする機会であり、人にできること、もしくは人がなれる状態を表します。」(p.151)

ここには彼の中心的な思想が現れている。通常の経済学者は、財貨を得て人が豊かになることを望ましいことととらえ、また経済効率が最大化するような財の配分は何か、という問題を立てる。そして、一種の目的関数としての「効用」を仮定する。お金が増えれば、効用も増大する。ところが、センのアプローチは異なっている。彼は、財貨の増大を目的ではなく手段だと考える。何の手段か? それは人が持つ自由な選択肢を増やすための手段なのだ。(わたし流に言うと『自由度』である)

「効用に注目するのではなく、人間としてふさわしい条件としての自由の重要性に注意を傾けることから始めれば、私たちが自らの権利と自由を称えるだけでなく、他の人々の重要な自由に関心を向けることにも、行動を起こす理由を見出せるようになります。」(p.147)

お金をたくさん持てば、一般に人間の自由な選択肢も増える。ただし、場合によっては、そうならない時もある。たとえば、あなたが500万円出せば、社長も500万円分を補助して、1千万円相当の会社の株を得ることができるとしよう。当然、あなたの財は増えた訳だ。ところが社長曰く、「この補助は固定株主を増やすための施策だから、君は退職するまでは決してこの株を売ってはならない」という。それでもあなたは幸せだろうか。あなたの効用は増しただろうか? むしろ自由に使えたはずの500万円を何十年間も固定されて、不満に思うのではないか。アマルティア・センの議論を、わたしはこのように理解している。

インド出身の彼はさらに、先進国の勝手なふるまいが、個人や社会の安全保障を脅かす危険も指摘する。

「国連安全保障理事会の5常任理時刻は、1996年から2000年にかけての世界の武器輸出のうちの81パーセントに関与していました。アメリカだけでも、世界の武器総売上の50%近くのシェアがあります。そればかりでなく、アメリカの武器輸出の68%が開発途上国向けでした。」(p.63)

このような主張が、すべての人の耳には快く響かないことも事実だ。それどころか、「貧困と国家間の不平等が研究テーマ」と聞いただけで、そいつは左翼だ、などと決めつける輩が出てくるのが、今日の時代である。アマルティア・センが左翼だなどと聞いたら、彼の夫人の父親であるロスチャイルド男爵は笑うだろう。ただ彼は、人間社会を良くするためには、経済学のみでなく倫理学の研究も必要だと、信じているだけである。そして実際、高度な数理論理学を駆使して、倫理学と経済学の共通課題である意思決定理論を構築したのである。本書には数式は一切出てこないが、入門のための格好の一冊だろう。


# by Tomoichi_Sato | 2016-10-03 22:36 | 書評 | Comments(0)

プロジェクト・コミュニケーションのベーシック 〜 情報のトレーサビリティを確立する

英語のCommunication と、日本語の「コミュニケーション」という言葉には、微妙なニュアンスの違いがある。わたし達が会話で「コミュニケーションが良くなった」などと語る場合、ふつうは双方向の意思疎通を意味している。「前の課長は向こうが一方的に命令してくるだけだったが、今度の課長はちゃんとコミュニケーションができるよな」という風に。もっと柔らかい言い方をすれば、『ふれあい』みたいな、感情面での同調というニュアンスを含む。

ところが英語のCommunicationは、原則として情報の伝達を意味している。それは、たとえ一方向でも成立する。だから、TV局が電波で大勢に向けて一方的に情報を発信する様な仕組みを、英語ではMass Communicationとよぶ。これは日本語でマス・コミュニケーションとなり、いつものように発音しやすい4文字言葉化して「マスコミ」になった(口頭では、コミュニケーションではなく「コミニュケーション」と発音する人がほとんどだ)。

PMBOK Guide(R)が、プロジェクトの10個のマネジメント知識エリアの一つとして、Communication Managementを入れたのはとても卓見だったと思う。だが、これを「コミュニケーション管理」と、ベタな日本語のニュアンスで捉えてしまうと、本質がずれてしまう。じゃあ赤提灯にいって酒でも飲んで、メンバー同士の「コミニュケーションを良くしよう」みたいな発想になりがちだ。だが、それではプロジェクト・コミュニケーションの半分も捉えていないことになる。

PMBOK Guide(R)は元々、大規模なプロジェクトのことを念頭に置いて作られた。だから、全員が顔見知りでない状態で、どのように知識・情報を確実に他者に伝達するか、ということが問題意識のベースにある。そこで「コミュニケーション計画」のような概念が出てくるのだ。そして実行段階は、「インフォメーションの配布」ということになる。英語のCommunicationは、一方向の配布がベースだからだ。どこにも“飲みニュケーション”みたいな話題の入る余地はない。この英語はむしろ、「情報伝達のマネジメント」と訳した方が、日本の読者にはピンときたと思う。

プロジェクトにおいてコミュニケーションが重要なことは、いまさら言うまでもないだろう。ただ、これほど我々にとって分かりにくく、つかみ所のない領域もない。PMBOK Guide(R)があげる10の知識エリアは、(全体を統合するProject Integration Managementを除くと)大きく二つのカテゴリーに分けられる。

A. スコープ、コスト、スケジュール(タイム)、品質
B. 人的資源、調達、リスク、ステークホルダ、コミュニケーション

上記のカテゴリーAは、いわゆる「ハード・スキル」に属する知識エリアである。つまり、定量的・計数的な管理技術として、かなり確立している分野である。そして、WBS、EVMS、CPM(クリティカル・パス法)、SQC(統計的品質管理)などの手法が開発されている。1950年代のクリティカル・パス法の発見が、モダンPMの誕生をうながした、という歴史も頭に入れておきたい。

そして「ハード・スキル」の特徴は、技術的手法論とツールが発達しているために、座学で習得が可能なことだ。むろん本で読んだり講義で聴いたりしただけでは不十分だ。自分で練習し実践してみないと、使いこなすレベルには達しない。しかし、知識を得ることによって、入門者は相当程度にレベルアップできる。なんとなく、自分にもできそうだ、と感じさせてくれる。

ところが上記カテゴリーBの方は、どちらかというと「ソフト・スキル」に近い面が強い。ソフト・スキルとは、日本語で『人間力』みたいな言葉を使いたくなるような、属人性の高い技能である。人を使う、業者を使う、危険を予知する、利害関係者とうまくやりあう、人に何かを伝達する・・。こうした能力にも、もちろん頼るべき原理原則はある。だからPMBOK Guide(R)でも苦心惨憺して、プロセスだのツールだのを説明している。だが、それを読んで、「うん、これなら俺もできそうだ」と感じる読者は希だろう。

プロジェクトにおけるコミュニケーション(情報伝達)の最大の目的とは何か。それは、次の二つに集約できる。

(1) 必要な知識・情報を、必要な人たちに、必要なタイミングで、最新の内容で伝える
(2) 伝えたことを確認し、トレーサブルにしておく

こうしたことは、PMBOK Guide(R)には明記していない(あの本は全体としてプロセス志向で記述しており、あまり目的志向には書かれない)。しかし、たとえばエンジニアリング業界ではもう何十年も前から、欧米を中心に、世界的にこの目的に従うやり方を守ってきた。

(1)についてはあまり説明の要はないだろう。上の表現はあえて、ジャスト・イン・タイムの「必要なものを、必要な量だけ、必要なタイミングで供給する」という言い方を真似て書いている。必要な情報のみを伝達し、余計なことで膨らまさない。必要な(そして正当なアクセス権限のある)人たちだけに、それを伝える。そして遅滞なく必要なタイミングで伝える。いずれも、当たり前のことだ。ちなみに、文書や図面情報の内容が最新であることがすぐ分かるように、リビジョン番号を明記することなどは、今時どこの業界でもやっているはずだ。

(2)の方は、しかし、業界によってはあまり常識化していないと思う。とくに「伝えたことを確認する」というのは、いささか欧米流に感じられるだろう。かの国々では『発信者責任の原則』でビジネス文化が動いており、相手に伝わるよう、ちゃんと伝えるのは、発信者側の責任だからだ。だからこそ、相手が分かったかどうか、自分から確認する。

ところが、わたし達の社会は『受信者責任の原則』で暗黙のうちに動いている。伝わらない・分からないのは、メッセージを受け取った側の、理解する努力が足りないからだ、ということになっている。分からないのは恥だから、質問も返さない。逆に「一度しか言わないからな!」と偉い人が怒鳴ったりする。こういう土壌を持った社会に、「コミュニケーション・マネジメント計画を立てましょう」などといっても、何のことやら、である。

トレーサブルという言葉には、多少注釈が必要かもしれない。「トレーサビリティ」という用語は、誰にも分かりやすいように選んだもので、わたしの勤務先では、「トラッキング可能」という方が通じるだろう。いずれも、後からさかのぼって、どういう経緯で今どこまでたどり着いているかを、明らかにできるという意味だ。ちょうど牛肉トレーサビリティと同じように、である。

このためには、すべての情報の伝達に、ユニークなIDをふることが必要になる。それは、わたし達の業界では、何十年も前の紙の時代から、実践してきたことだ。たとえば顧客に公式なレターを発信する。あるいはベンダーに仕様書を送付する。ベンダーから逆に承認図が上がってくる。これを協力会社の関係部署に送付する。こうした伝達行為はすべて、IDをふって、リストに記録する。たとえば、

T-YOC-ABC-0012

といった具合だ。最初の一文字は伝達の種類を表す(TならTransmittalで、書類の送付状である)。次に、発信者-受信者、を表すコードが来る。関連するステークホルダはすべて3文字の略号をつけるのがわれわれの慣例だ。最後は連番である。だから上記のIDは、

「YOCからABC社への書類送付状の12番目のもの」

という意味になる(YOCというのはYokohama Operation Centerの略で、わたしの勤務先の本社のことである。建設現場もあるためこういう表記をするのだ。どうでもいいけど)。これを連綿とリストに記帳していく。その書類送付状には、添付された一連の仕様書や図面の番号とリビジョンが記載されているはずだ。紙の時代だったら、この送付状は複数枚つづりになっていて、受け取った側は受領サインを記入して、返送する。こうして、受領確認が行われる。現代ではもちろん、こうした手続きはすべて電子化されているが、エッセンスは同じである。

だから仮に、後になってABC社と追加交渉でもめたときにも、「T-YOC-ABC-0012でこの図面はあなたに何月何日に送っていて、そちらも受信確認を返しているではないか」という風に証拠立てられる。言った・言わないの無駄な議論を省けるだけではない。情報を受け取った側も、お互いがそれを注意深く取り扱うようになる。

書類送付状ではなく、単純な文章による伝達(昔ならレター、今ならeメール)も、同様である。IDをふっておき、発信した内容、受信した内容は、プロジェクト・チームとしてセンター・ファイルしておく(これも昔なら紙、今ならデータベース)。チーム員はいつでも、それを探せるようにする。こうしたセンター・ファイルをきちんと持っているならば、少なくともそのプロジェクト・コミュニケーションは及第点であるといえよう。

そしてこういう手続きに従って、すべてのやりとりをトレーサブルにしておくよう、新入社員の時から習慣づける訳だ。これがわたしのいう、組織の「OS」の一部を形成していく。こうしたベーシックな行動習慣をチーム員みなが持って、はじめて、プロジェクト・マネージャーの能力が本来の仕事に生かせるようになるのである。


# by Tomoichi_Sato | 2016-09-25 12:43 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

B2B企業にイノベーティブなITは可能か

あなたは、ある中堅SIerの開発部長だ。会社は受託システム開発をなりわいとしており、有名ではないが堅実な経営を続けている。そんなあなたはある時、突然社長に呼ばれて、こう言い渡される。

「君には明日から、わが社のCIOになってもらいたい。これまで外の顧客の仕事をずっとしてもらってきたが、明日からは経営者の一員として、わが社の情報システムを見てもらうつもりだ。紺屋の白袴じゃないが、我々の社内IT利用は、十分とは言えない。君には是非とも、これまでの外販の経験を活かして、イノベーティブなITの仕組みを作ってもらいたい。単なる業務の効率化だけではなく、新しいビジネスを生み出せるようなITの仕組みを、だ。」

経営者の一員、すなわち役員に抜擢された訳だ。とても誇らしい気持ちになる。しかし社長室を出て自分の席に戻ると、あなたはだんだんと大変な役回りを引き受けたらしいことに、気づき始める。わが社にとってイノベーティブなITの仕組みとは、いったい何を意味するのか。

あなたの会社は、造船業を中心に、重機や鉄工所などの業界を得意先として、基幹系情報システムを構築してきた。その分野の業務知識は、確かなものだ。船舶特有のさまざまな規制、複雑な業界構造や商慣習。そうした経験を組み込んだシステムでは、他社に負けないと思う。またIT技術の面でも、先進的なトレンドを、(真っ先にとは言えないにせよ)それなりに取り入れてきた自負はある。たしかにいくつかの案件では手ひどい赤字を被ったが、全体としては確実に利益を残してきた。

「しかし、今の分野の市場だけでは、先細りだ」との社長のセリフを、あなたは思い出してみる。「君も知っているように、SIビジネスはだんだんと難しくなってきている。かといってSE派遣だけで食っていくのも無理だ。新しいビジネスを創出しない限り、わが社の未来はない。」社長はそう断言した。あなたも、同感ではある。だが、自社にとっての新しいビジネスとは、何だろう? 流行のビッグデータやIoT、あるいはWeb技術だろうか。受託開発で生きてきた自分たちに、そういった技術の蓄積はない。やってできないかというと、なんとかなりそうな気もする。だが「気もする」だけの技術を売り込んで、買ってくれる顧客はいるだろうか。

あなたは自社の顧客リストを眺め直してみる。20〜30社が、主要顧客だ。過去にさかのぼれば数百社になるが、業界再編もあり、今は限られている。その代わり、比較的継続して仕事を受注してきた。その半分ちょっとは、大手コンピュータメーカー、いわゆる「ITゼネコン」からの下請けだ。他に自社が直接営業をかけてとってくる案件が3割程度。営業部門の人数も限られているので、そう手広く回れない。

あなたはビジネスメディアや業界セミナーなどで情報を集めることにした。IT業界の著名人、外資系コンサルタント、調査会社などの言うことには、一つの共通点があった。それは、米国のイノベーションの成功例を引きあいに語り、ふりかえって日本のIT業界の不調を批判する、というものだ。シリコンバレーにはグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなど錚々たる大企業がひしめき合っていて、しかも小規模なベンチャーが活発に新技術を開発、提案し続ける。その中にはUberやAirBnBなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの成長株がいる。ベンチャーキャピタルの出資や買収も活発だ。

すごいなあ、とあなたは思う。たしかにイノベーションの生きた事例だ。だがそれを、どう自社のヒントにしたらいいのか。日本と違って米国では、7割のIT技術者がユーザ企業にいて、それでビジネス開発とシステム構築を同時並行に進められるのだ、という話も聞いた。だが日本の構造は急には変わらない。あなたの会社のSEたちを、顧客側に派遣して、いやたとえ移籍したとしても、すぐにビジネスを開拓できるだろうか。そもそも何のビジネスをか。Uberを真似て、船を手配するスマホアプリ? まさかね。

まあ、あなたの会社は9割がIT技術者だ。だから自社のビジネス開発に自社リソースを活用するのは、ありだ。それにしても自社システムの弱みはどこか。会計システムは2年半前に更新したばかりだ。プロジェクト管理システムは自社製で、UIが使いにくいし、人月コスト集計が翌月10日過ぎになって遅いという不満はある。だがこれを改良したとしても、社長の言う「単なる業務の効率化」に過ぎないではないか。では顧客管理とCRMか? しかしたった30社程度だったら、Excelでも十分だ。

自社内のシステム改革に手がかりがないのなら、せめて顧客のイノベーションをIT面で支援し、ともに手がけるというのはどうだろうか。船自体のUberは無理でも、ドックが空いたら、互いに貸し借りする仕組みはどうか。・・しかし所要時間わずか数十分のタクシーと、数十ヶ月間も占有するドックを、同列には考えられないし。

あなたは次第に焦りを感じ始める。せっかく役員に取り立てられたというのに、どう采配を振るったらいいのか分からないのだ。そんなある日、あなたは、会社を中途退社し経営コンサルタントとして独立した先輩と偶然、出先で会う。久しぶりに酒を酌み交わしながら、あなたは愚痴ともつかぬ最近の課題と悩みを口にする。するとその先輩は、意外なことを言う。「新ビジネスで急成長することをイノベーションと呼ぶのだとしたら、B2B企業に、イノベーティブなITなんてありえないよ。」

−−どういう意味ですか?

「B2Bというのは、Business to Business、つまり企業相手に商売をしている企業だ。これに対して一般消費者を相手にしている会社は、Business to Consumer、略してB2Cと呼ぶ。」

−−それくらいは、知っています。

「じゃあ、君のところの顧客筋である造船業や鉄工業、重機械なんかはどちらだ?」

−−えーと、B2B、ということになりますね。普通の一般人が、ふらっときて船を作ってくれとたのむようなものじゃありませんから。重機・鉄工も同じです。

「そういう顧客企業で、イノベーティブなCIOの人を見たことはあるかい?」

−−うーん。そりゃ、会社にもよりますね。たとえばA社のCIOであるKさんなんか、尊敬できる方ですよ。業務のことも分かっておられるし、ITの理解も確かです。ユーザを上手く説得して動かす力量もあります。あの方がいたから、A社の基幹システムはうまく収まったんです。

「なるほど、立派だ。だけど、その基幹システムはA社にとって『業務の効率化』の道具だろう? 新しいビジネスを生み出すような、イノベーティブな仕組みじゃない。」

−−じゃあB社の例はどうですか。Hさんは情シス部長で、CIOというポストじゃないですが、E-BOM管理とWebEDIとをうまく統合して、サプライヤーを束ねるサプライチェーン・マネジメントのシステムを作ったんです。おかげで製造納期が1ヶ月近く短縮できるようになりましたよ。

「けっこう。だがそれも『業務の効率化』だろう。新ビジネス創出とはいえないね。」

−−そうなりますか。そうすると、ほかにいい例を思いつかないですね。そもそも顧客の中でCIOって肩書きのある会社は3割くらいですよ。あとは情シス部長が、IT系の役職では一番上です。それも大方の人はIT部門上がりなので、発想がIT技術よりで、あまりビジネス創出的な人材がいないんです。いっちゃなんですが、みな人材が小粒なのかな。

「なんでも問題を人材のせいにしちゃいけない。人材のせいにすれば、どんな問題だって説明できてしまう。人の資質が理由じゃないんだ。そもそも、ITシステムの活きるメリットは何だと思う? 人の仕事をITが置き換えるときの、アドバンテージを知っているかい?」

−−今さらわたしに向かって、何ですか(あなたはちょっとむっとして、答える)。まず、高速性です。大量のデータを高速に処理できます。そして繰返し性。機械は同じ単調作業を繰り返させても、飽きません。それから、正確性ですね。計算機はミスをしません。ですが、これと今の話と、どうつながるんです。

「ごめんごめん、怒らせたようなら、あやまる。まさに君が言った三つの点が、ITシステム導入のメリットだ。だから、会計業務だとか、給与計算とか、設計計算だとかが、真っ先にIT化の対象になった。大量・単調、だが正確な処理だ。これが金融だとか保険だとか、多数の消費者と直接やりとりするB2C企業の場合、勘定系や顧客とのトランザクション処理まで広がる。そしてWebの登場とともに、流通販売というもう一つのB2C業界も、お客と直接やりとりする仕組みをつくるようになった。」

−−はあ。

「とにかくB2Cでは、お客の数が多いんだ。一つひとつの取引は単純だが。だから、ITシステムを顧客に直接使ってもらうメリットが生じる。大量・単調、だが正確な処理のね。そして顧客がITを使ってくれるようになると、次は、そのチャネルを活かして、新しい商品を売り込むという、マーケティングの道具になるようになった。わかるね。」

−−ですが、それと今の話とどうつながるんです?

「いいかい。『新しいビジネスを創出する』というのは、マーケティングの仕事そのものだ。正確に言うと、マーケティングと商品企画の二つの仕事だね。新規顧客の開拓と、新しい商品の開発。B2Cでは、それをWebなどのITシステムを通して、直接できる。そして、B2Cビジネスのもう一つの特徴は、ボラティリティが高いことだ。」

−−ボラ・・何ですって?

「ボラティリティ。当たり外れの大きさのことさ。もとは株式の値動きの大きさを指すのに使われた用語だ。ボラティリティの高い市場では、一発あてると大きく成長できる。ヒット商品で急成長する会社の話は、よくニュースに取り上げられる。逆に言うと、ニュースになりやすいのは、ヒット商品の現れる、B2C企業だ。おまけにB2C企業は消費者相手に広告宣伝を打つ。だからメディアとの関係も強い。ますます、メディアに取り上げられやすい。」

−−はあ。

「それでだね。君がさっきあげていた米国のイノベーティブな企業、アップルだとかグーグルだとか、それからUberなんてのは、みんなB2Cの会社なんだ。一部は企業向けサービスもしているが、メインは消費者向けだ。企業向けでも、アマゾンのAWSなんて非常に多数の企業向け、B to many Bだな。だからB2Cに近い。そして、多数の顧客相手だからこそ、ITがビジネス創出のカギとして役に立つ。
 ひるがえって君の得意先の、鉄工・重機・造船みたいな分野は、特定少数の企業相手のB2Bビジネスだ。多くは受注産業。営業プロセスも長くて複雑。だからセールスをWeb経由でやっている会社なんていないはずだ。営業でITをフル活用している例があるかな?」

−−まあ、ありませんね。ITは、社内業務の効率化がメインです。・・あれ? とすると。

「社長さんのおっしゃる新ビジネスの創出というのは、マーケティングと商品企画だ。ただ誤解してほしくないんだが、マーケティングと営業機能は別だよ。営業は、なんなら代理店にアウトソースすることも可能だ。だがマーケティングは、自社で考えなくてはならない。ドラッカーはある本の中で、“企業に真に必要な機能はマーケティングと商品開発だけで、あとは全てアウトソースしてもいい”と書いているくらいだ。だが、B2BではITをマーケティング手段に直接活かすことが難しい。いや、そもそもB2Bの受注産業には普通、マーケティング部門すらない。ITは営業にさえ、活かしにくい。仕事が大量・単純でなく、少数・複雑だからだ。」

−−すると、B2B企業ではイノベーションにITを使うのが難しい、ということですか。

「もしもイノベーションという言葉が『新ビジネスの創出』という意味だとしたら、そうだ。少なくとも、マーケティングにITを活用するのは難しいだろう。新商品開発にITを使うことはありうるかもしれない。たとえばGEのビッグデータみたいに。まあ、あの会社もB to many Bだがね。また、社内ベンチャーで、ITを活用した全然別のB2Cビジネスをはじめる、というケースはあり得る。だがそれは今の会社をどう成長させるかとは、別の話だ。
 さて、では、君の会社のようなSIerは、B2Bかね、B2Cかね?」

−−それは・・B2Bです。

「そうだ。日本のたいていのSIerは、大手コンピュータメーカーを除けば、そうさ。だから社長さんの望むような、イノベーティブなITの仕組みをつくるのは、難しい。」

−−じゃ、わたしはどうしたらいいんですか。SI市場は先細りです。わが社は座して死を待て、とおっしゃるんですか!

「そうは言っていないよ。マーケティングにITを直接活用するのは難しい、と言っているだけだ。マーケティング自体が不要だ、などとは言ってない。むしろ逆だ。今まで受注ビジネスのB2B企業は、営業部門は持っていたが、マーケティング機能を持たないところが多かった。それは顧客の注文を待つ、御用聞きで生きていけたからだ。だがこれからはそうじゃない。マーケティング機能をちゃんと確立しなければならない。」

−−マーケティング。でも、それをウチの営業部長に期待できるかなあ。

「そこが誤解なんだ。マーケティングは営業じゃない。その二つは、設計と製造現場が違うくらい、違う仕事だ。中堅企業や中小企業では、マーケティングは社長がリードすべきなんだ。それこそ経営の中心的仕事なんだから。それを、IT企業だからってCIOに丸投げしちゃいけない。
 君も『イノベーション』という、カッコいい言葉に踊らされてはダメだよ。それは急成長と同義語ではない。ボラティリティの低いB2B分野では、画期的新技術が出たって、会社の急成長に結びつくことは珍しいんだ。新技術が上手なマーケティング戦略と組み合わされると、少しずつゆっくりと、目立たぬうちに、ニュースに報じられないまま、いつのまにか市場を侵食していく。そして着実に、利益を上げていく。そういう実例は、じつは日本には数多い。日本はB2B企業が製造業を支える国だからね。」

−−そうなんですか。

「生き残りたかったら、アメリカの派手な会社の真似ではなく、日本の、目立たないが技術とマーケティングで利益を出している会社の経営に学ぶことだ。技術力だけでも、マーケティング力だけでも、利益は出せない。その両者をつなぐことが、経営なのだから。」


<関連エントリ>

# by Tomoichi_Sato | 2016-09-18 23:21 | ビジネス | Comments(1)

国際人として最低でも守るべきたった一つのルール ~ 「ありがとう」と家族に対してでも言う

じつをいうと、「国際人」だとか「国際的」だとかいう言葉が嫌いである。
(えーと、そういえばネットでは、何かを「嫌いだ」というセンテンスで文章を書き始めない方がいい、と聴いたことがある。好き嫌いは人それぞれだし、ネガティブな気持ちを発信すると、他人のネガティブな気分を引きつけるかららしい)
それでは、言い直そう。わたしは「国際人」とか「国際的」といった言葉が苦手である。・・ま、これで何かが変わったかどうかは不明だが。

でも、国際人とは一体、何を指すのか。わたしはそこが今ひとつ、分からない。ちなみに、国際人という言葉は、英語で何というのだろうか。International person? Cosmopolitan? どちらも、なんだか日本語で言う「国際人」とはフィットしないような気がする。たぶん、そういう概念は存在しないのだ。無論、”international"という形容詞はもちろんあって、意味も確立している。ただし人に対しては、あまり使わない。活動だとか、カンファレンスだとか、組織に対して形容することが多いと思う。最近は国際人と呼ぶかわりに「グローバル人材」という言葉が大はやりだが、こちらもGlobal human resourceでは何のことだか分からない。

さよう、その概念や実態はよく分からないのだが、そういうことを言いたくなる気持ちの方は、少しだけ理解できる。なぜなら、わたし達は、他の国と、少なくとも仕事の面では、随分違うからだ。

ご存じの通り、ちょうど1年前、わたしは「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」という著書を世に問うた。とくに海外プロジェクトの進め方について、勘所をまとめた本だ。幸い洛陽の紙価を高め・・とまでは至っていないが(笑)、それなりの評価はいただいている。でも、ときおり、疑問に思われる方もおられるようだ。なぜ、「海外プロジェクト」とひとくくりにできるのか、と。

海外といっても、アメリカ、中国、ベトナム、タイ、インド、英国、ドイツ・・とばらばらではないか。皆、それぞれに文化が違う。個性も癖もある。それを一括りに「海外」と言ってしまっていいのか? 同じ処方箋を書けるのか?−−そういう、もっともな疑問である。

だが、海外プロジェクトについては、ほぼ同じ処方箋で、どこでも適用できるのである。世界各国それぞれに個性的なのは事実だが、日本のビジネス文化だけは、他と飛び抜けて違うからだ。これは数字で証明できないが、長年それなりにいろいろな国で働いてきた、わたしの実感である。

ちなみにホフステッドという研究者は、多国籍企業IBMの従業員の分析を通じて、国民性が4つの次元からなることを明らかにした。その研究結果を見る限り、日本は他から飛び抜けて離れてはいないじゃないか、という反論が聞こえそうだ。

それは承知している。それでも、わたし達は違うのだ。どこが? それは、自他の関係性と、言葉に対する態度において、である。その結果として、契約取引に関する考え方が、ほとんど180度くらい違う。だからビジネス上では危ないのだ。比較文化論的には、全体の違いはたかがしれているだろう。だがビジネス文化だけを取り上げると、大きく異なる。

もう一つ。個人の対等性の概念が薄いのも、わたし達の文化の特徴である。この点は東アジアにある程度共通しているかもしれないが、個人間の鋭い対立を好まない特性とあいまっている点が違っている。その結果、わたし達の社会では、「場」とかグループ・団体への帰属と、人間の上下関係が、行動や判断基準の中心になる。これも自他の関係性のあり方から来る、一つの帰結である。そして、これはマネジメントのあり方に大きく影響している。「日本的経営」といわれる、タテ社会とコンセンサス(責任不在)によるマネジメント・スタイルである。だれもこれを、「アジア的経営」と一般化して呼びはしない。日本と他のアジア諸国とはかなり違っていることを、多くの欧米人は気づいているからだ。

という訳で先日も、サプライチェーン戦略研究部会で海外プロジェクトの進め方について講演した際、野村総研の方から「日本だけ、なぜかくもマネジメントのあり方が違うのでしょうか?」とご質問をいただいた。だが、それは質問する方が逆です、とわたしはお答えした。そういう質問はむしろ、エンジニアリング会社の社員が、シンクタンクのコンサルタントに聴くべき問いでしょう、と。わたしこそ理由を知りたいです、と。そう。この違いに気づいている人は、気がついているのだ。

さらに、他国をよく知らず、自国の枠内でのみ考えたがる点も特徴だ、という声もあろう。だから国際化が課題なのだ、と。だが、これは大きな人口と文化を抱えた大国なら、共通する特徴だとわたしは考える。アメリカだって、中国だって、大衆レベルでは似たようなものなのだ。だから日本のみの問題ではない。

だがそれにしても、もしあなたが国際人だとかグローバル人材にあこがれるのだとしたら、どうしたらいいのか? わたしは「国際人」や「グローバル人材」が何かはよく理解できないのだが、とにかく、日本の国境を一歩でも超えて活躍したいのなら、英語教育家の故・中津燎子氏が、かつて海外に行こうとする若い女性に与えたアドバイスを紹介したい。中津氏は、その娘さんにおっしゃったのだ。

「もし、朝食の席であなたのお母さんが、お茶か何かを食卓にいるあなたに出してくれたら、必ず『ありがとう』と口に出して言うようにしなさい」、と。

それはひどく単純な一言(行動)だ。だが、それを言うことで、母親は自分とは別の人間であることをあらわしている。感謝の言葉は、対等な人同士の時に使うものだ。それは、相手に対するディセンシー(謙虚さ)を示す。他人に何かをしてもらって、それで無言のままだったら、その行為は「あたりまえ」だ、という態度を意味している。いや、もしかしたら、内心ではあなたも感謝しているかもしれない。が、それは相手に確実には伝わらない(ついでに余計な話だが、「ねえ、わたしのこと愛してる?」と『言語による確実な伝達』を要求する^^;のは、ふつう女性の側だ、ということになっている)。だから、言葉にして伝えることを、自分のルールとする。 それを、習慣として自分の中に刻み込むのである。

「他人に何かをしてもらって」と今、書いたが、母親は他人だろうか? 他人とは、家族の外、身内の外、ムラの外をいうのだ、というのがわたし達の文化的習慣である。それに、そんなのいちいち水くさいじゃないか。

だが、たとえ親子で、上下関係があっても、なおかつ根本では対等な、別個の人格である。だから感謝の気持ちは、言語化して確実に伝えなければ伝わらない−−こうした論理で、世界の8割以上の国の文化はできあがっている。

それと同じように、取引において、売り手と買い手は、根本では対等である。そういう論理が、多くの国ではデフォルトである。現実には、立場の強弱もあるし、多くの場合、買い手の方が強い。だが、買い手が王様のようにワガママで、売り手は奴隷のようにふるまうのは「フェアでない」(公正の原理に反する)、というのが西洋社会の通念である。だから、両者の権利と義務をはかりの左右において、公平を期す。それを言語化した「契約」をたてよう、ということになるのだ。

そんな「契約」を、なんと神様が人間との間においたりする。でもって、人間がさらに神様とネゴシエーションしようとしたりする。こういう神話的な物語を小さいときから学んで育ってきたのが、世界の多数派なのだ。まあ、アジアの東側やアフリカのサハラ以南では、そんな神話はあまり見当たらないが、しかし、そのかわりマネジメント層はたいてい欧米で教育を受けてきた人たちであることを忘れてはならない。だから結局、世界のほとんどは契約社会である、という風にできている。

じゃあ、家族に「ありがとう」と言ったら、それですぐ国際人になれるのか? もちろん違う。ただ英語を喋る前に、英語の根底にあるOSを理解しようと言っているのだ。私は礼儀やマナーの話をしているのではない。そうした振る舞いの根底にある思考や行動の習慣OS)のことを言っている。何も欧米人が家庭でしている事を、そのまま真似ろと言っているのでもない。尊大で、家族に礼も言わない人間だって、きっと中国やアメリカにはごろごろいるだろう。そうではなくて、普段家族に礼を言う習慣がない私たちが、自覚してそれを習慣つけるといいと言ってるだけだ。そしてそれは、手始めに過ぎない。

上に述べた拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」では、わたし達が海外でビジネスに取り組む際、身につけるべきOSの要素として、
S+3K
をとりあげた。一番中心にあるのは、
・システム的な見方をする(Systems approach)
ことである。それにつづいて身につけるべき習慣は、
・言葉を大切にする(言語化)
・契約と責任を重んじる(契約責任制)
・かならず計画をたてる(計画重視)
である。システム・言葉・契約・計画の頭文字をとって、『S+3K』とよんだのである。この最初の2つのKが、今回の話に関係している。

わたしは、エンジニアにとって今後必要となるPM教育やリーダー教育に、こうしたS+3Kの要素をぜひ入れなければいけない、と考えている。誰もが遠くない将来、海外と何かの形で関わる可能性が大だからだ。そのときトラブルになってから、
「え? 目下のベンダーのくせに何で対等に要求してくるんだよ?」
「契約書に書いてあるって、あんなの形だけのセレモニーだったんじゃないの?」
などと、慌てふためいても遅いのだ。

だから、別段、国際人向けの教育コースなどをとらない人にも、申し上げたいのだ。小さな習慣から、自分の中に刻み込んでおいた方が良い。母親がお茶をくんでくれたら、配偶者がコップをとってくれたら、「ありがとう」と声を出して言おう。それで損することは、何もない。


(追記:中津燎子氏が上記のアドバイスをされた話は、「再びなんで英語やるの? (文春文庫 (195‐2))」の中だったように記憶しているのだが、今、書棚にその本がないため確認できない。もしかすると「未来塾って、何?―異文化チャレンジと発音」だった可能性もある)

# by Tomoichi_Sato | 2016-09-11 22:15 | 考えるヒント | Comments(0)

技術リーダーの出現をはばむもの

「最近の日本の経済はどうですか?」——外国人と食事をしていると、よくたずねられる話題だ。先週、北米の関連会社から来たエンジニアと食事していた時も質問された。またその前の週にも、フランスで開かれたPM関係の国際シンポジウムの夕食会で、隣り合わせた顔見知りに、まったく同じ事をきかれた。彼は米国のビジネススクールの学部長だった。反対側に座ったインド人(彼は豪州の大学教授だったが)も、興味深そうに聞き耳を立てる。米国もオーストラリアも日本から見れば隣国のようなものだが、こちらの発信力が低いせいか、日本の状況はさっぱり分からないらしい。わたしは答えた。

--良くないよ。GDPは成長どころか、じり貧だ。株価は一応保っているけど、最近の報道によると、日銀と政府系の年金基金はなんと、上場企業全体の7%もの株式を買って持っているらしい。つまり買い支えているわけだ。

「それはあまり健全じゃないね。でも、かつて日本はあれほど元気だったのに、なぜこんなに長い間、不調なんだ?」

その問いに答えるのは、簡単ではない。経済学者が10人いたら、たぶん10通りの説明があるのだろう。銀行の不良債権のせいだ、というのがかつての説明だった。だがそれが収まっても治らない。少し前には、通貨供給量の不足だ、といって金利をマイナスにまで下げた。法人税率が高すぎるのだ、という解説も聞いた。別の日に、ホテルの部屋で寝転がってCNNを見ていたら、「アベノミクスはなぜ失敗するのか」という題名の解説で、米国のエコノミストが「生産人口の減少が原因だ」と主張していた。だがそれなら、似たような状況にあるはずの欧州、たとえばルクセンブルクは、一人あたりGDPをなぜあれほど高く維持できているのか?

--経済の専門家じゃないから真の原因はよく分からないけど(と、わたしは答えた)、ビジネスの世界にいる人間として、一つだけ言えることがある。

「なんだい?」

——日本企業の収益力が全体に落ちていることだ。日本企業はわりと技術志向で、製造業を中心に成功してきた。そして欧米の背中を見て、追いつけ追い越せ(catch up)で走ってきた。だが、日本が世界のほぼトップに立ったとき、「その先」をリードする新しい技術が、あまり生まれなかったように思う。優れた製品も、少しはあった。だけど多くは不況とコストダウン競争の中で擦り切れていったんじゃないかな。

「だが、どうして新しい技術を創れなかったんだ?」

その問いに対する答えは、わたしにはなかった。帰り道にあれこれ考えてみる。ベンチャーキャピタルの不在のためか、大企業の技術的保守体質のせいか。それもあるだろう。ただ、前回書いた英国のブルーネルのように、前人未踏の大きな構想を抱き、次々に実現していくタイプの技術リーダーが、'90年代以降のわたし達の社会には必要だったのではなかったか。もちろん小山稔氏(青色ダイオード)とか内山田竹志氏(ハイブリッド自動車)とか、幾人かはわたしも思いつく。だが、あまり多く育たなかったことは、たしかなようだ。そもそもそういう職種が必要なことさえ、あまり意識されていないのではないか。

ものづくりの世界では、エンジニアと職人と、どちらもいないと物ができない。ただ、技術リーダーがいないと、収益力のある、すぐれた製品やビジネスは生まれにくいのだ。もし技術リーダーが生まれにくいのだとしたら、エンジニアのマインドセットには、なにか欠けているに違いない。あるいは、企業の側のパーセプションに歪みがあるのか。

日本には大勢の技術者がいる。わたしもまあ、そのはしくれだ。では、技術者が目指すべきキャリアパス上の目標は、どのような姿であるべきか。その問題についてわたしはこのところ、ずっと考えている。「職人的であること、エンジニアであること」http://brevis.exblog.jp/24607574/ の中で、わたしは、[エンジニア] - [職人] - [技術リーダー]の三角形の領域を考えた。エンジニアのキャリアパスは、ある意味、この領域上にある。

三角形の領域の中で、右下から出発するエンジニアが、上の技術リーダーに向かわないで、多くの人がじつは左下の職人的なあり方に向かって、進んでしまう。ここで「職人的」というのは、別に肉体労働ではなくて、知的作業でも、職人的な働き方を好む人たちという意味だ。それは一体なぜなのか。なぜ、上辺に流れないのか。それを考える必要がある。

ただしその場合、この三角形の軸が一体何を意味しているのかを理解しなくてはならない。右の斜辺と、左下の職人の頂点を対比する軸はなにかというと、おそらくそれは、

 <個人> ←→ <組織>

だろう。右辺にいる人たちは、組織の中で働いて、組織というものの力をいわば信じている。しかし職人は基本的に、個人主義だ。日本の職人が個人主義というと、なんだか妙に聞こえるかもしれない。だが、あるいは過去20年間の不況と終身雇用制の崩壊を考えると、多くの技術者たちは、いつ自分が組織から切られても外で生きていけるように、自分個人の職能・商品価値を高める方向に動いた結果なのかもしれない。

では、左斜辺と右下の技術者を対比する軸は何か。意外かもしれないが、これは

 <感覚> ←→ <理知>

の軸だろう。つまり、技術リーダーとか職人的な人たちは、どちらかというと自分たちの感性を中心に物を考える傾向が強い。ところが技術屋とは、経験や勘もあるけれど、あくまでも科学原理にしたがって動くことを旨としている。だからこそ、技術とは移転可能だし、座学で教育可能なのだ。

ところで底辺と、上の頂点を対比する軸は何なのか? わたしはしばらく考えあぐねた。

こういう問題を考えるときには、三つの頂点の裏を考えてみると、ヒントが得られることが多い。裏とはつまり、三つの職種(技術者・職人・技術リーダー)が「行きすぎた形」「そこまで行ってはいけない形」を考えてみることである。

職人の「行きすぎた形」とは何か。それは『アーティスト(芸術家)』だろうと、わたしは思った。では技術者の「行きすぎた形」とは何か。それは『科学者』ではないか。アーティストと科学者は、それぞれこういう特性を持っている:

「アーティスト」
・創造性とひらめきを大切にする
・教育制度は信じない。むしろ敵だと思う
・自分が好きな仕事だけがしたい(夢に生き貧困に死す)

「科学者」
・普遍性と厳密性を大切にする
・多くは大学人で、教育制度の頂点にいる
・社会から身分と自由と研究費を与えられるべきだと願っている

では、上の頂点にある技術リーダーの裏の姿、こうあってはいけない姿とは何なのか? 考えてみるとどうやらそれは、『出世主義者』ということになりそうだと気がついた。出世主義者とは、こういう特性を持っている人たちだ:

「出世主義者」
・権力と統制を大切にする
・自分以外の人間は道具だ(さもなければ敵だ)と思っている
・大きな仕事を人にさせたい

現実的であるべき技術者や職人が、アーティストや科学者を気取ってもらっては、いささかこまる。だがアーティストも科学者も、世の中全体にはもちろん必要である。それだけの価値があるから、わたし達の社会は彼らを支えている訳だ。では、出世主義者は世の中に必要なのか? わたしはそう思いにくいが、ただ世の中に一定数いるからには、何らかの社会的必要があって存在しているのだろう、とも想像する。
e0058447_22361879.jpg
しかし、技術者が三角形の領域の上に向かって動こうとすると、どうもそこで出世主義者の像とかぶるような姿が感じられるのではないか。それが、技術リーダーの成長を難しくしているのではないか。

さて、三角形の底辺と、上の頂点を対比する軸は何だろうか。リーダーシップの軸? 地位の軸?
 
それは専門性(スペシャリスト)の軸ではないか、というのがわたしの仮説である。あるいは逆に、悪名高き<ジェネラリスト>の軸だといってもいいかもしれない。「自分の専門性を失うことに対する不安」が、おそらく技術者が上に向かう流れを阻害してるのに違いない。しかしわたしは、これを上向きに「インテグレーション能力の軸」と呼ぶことを提案する。ジェネラリストではなく、インテグレーション能力を持った人。事実、ブルーネルとはそういう能力を持つ人ではなかったか。

<インテグレーション能力>
<専門能力>

こう呼べば、技術リーダーも育成可能だとわかるし、自分で成長を目指すこともできる。なお、「リーダーシップの軸」と呼びたいと思う人もいるかもしれない。リーダーシップという言葉は受けが良く、人気が高いが、その内容については社会的・学問的合意がじつは存在しないので、わたしはあまり定義には使わないことにしている。あるいは「管理技術の軸」と呼びたい気持ちも多少あるが、この言い方だけでは誤解を招きかねないので、ここでは避けておこう。

わたし達の社会に必要なのは、このインテグレーション能力を明確にし、技術リーダーの職種を確立することだと思われる。

その職種名を何と呼ぶのか? 私だったら迷いなく、「プログラム・マネージャー」と呼ぶだろう。だが残念ながらこの呼び方は、日本ではほとんど普及していないし、理解もされないに違いない。じつは欧米には、別の候補の名前もあるのだが、長くなるのでここでは省略しておく。

この技術リーダー職種には、価値があるのだろうか? もちろんある。ただし、その価値は労働市場ですぐ取引出来るような価値ではない。だって個人個人で、その仕事の内容は大きく違うのだから。でも、あなたが19世紀英国の経営者だったら、ブルーネルをいくらで雇っただろうか? 相当な価値であることは間違いない。また、仮に、今のあなたの職場に、ブルーネルのような能力のある人がいたとしよう。彼を引き留めるために、あなたの会社はどうするだろうか? 彼のような人を育てるために、あなたの会社はどれだけの労力と投資を支払うだろう?

私たちの住む島国には、人しか資源はないと、小さい時からきかされてきた。だとしたら、わたし達はそういう人材を育てるために、どんな手を打つべきなのか、そろそろ考えるべき時なのではないか。


<関連エントリ>
 →「職人的であること、エンジニアであること」http://brevis.exblog.jp/24607574/ (2016-08-21)
 →「英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと」http://brevis.exblog.jp/24622591/ (2016-08-28)


# by Tomoichi_Sato | 2016-09-05 22:43 | 考えるヒント | Comments(4)