マネジメント・テクノロジーを考える場にようこそ

このほど、新しく「マネジメントのテクノロジーを考える」というサイトを立ち上げた。

新サイトの目的は、マネジメント・テクノロジーのための情報源とすることである。そのために、2000年4月からずっと開設運営してきたわたしのサイト「革新的生産スケジューリング入門」のコンテンツを、全面的に移行した。SCM・BOM・PM・ITなどに関わる数百の記事がある。これに加えて、個人的に書いてきた「気まぐれ批評集」なども移してある。

このサイトは、近いうちに、マネジメント・テクノロジーを学ぶコミュニティのためのプラットフォームとして、拡張していきたい。現在、わたしが主宰している『プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会』の「PM教育分科会」では、世に類例のない新しいタイプのPMトレーニングを開発中である。これに関連するフォーラムや、e-Learningなどを今後、立ち上げたいと考えている。とはいえ、こちらはまだ構想段階なので、現時点ではわたしの個人コンテンツ集の体裁になっている。

新サイト開設に伴い、さらに二つほどやろうと思っていることがある。

第1に、本サイト(brevis.exblog.jp)の最新の記事を届けるために、メーリング・リストをはじめるつもりだ。これにより、いちいち見に来なくても、新しい記事がお手元に届くことになる。

もう一つ。過去に書いた数百の記事の中から、マイ・ベスト・セレクションを選んで、電子書籍化することを考えている。もちろん、メーリング・リストに登録してくださった方々には、先着順で無料進呈するつもりである。詳しい案内は、また後日させていただこう。

ところで、タイトルに使った『マネジメント・テクノロジー』という言葉は、一般用語ではない。世の中には「固有技術」「管理技術」の区分があるが、後者のカタカナ版というつもりで使っている。管理技術のままでも良いのだが、「管理」という日本語は英語のManagementよりも曖昧性が高い上に、その高圧的なニュアンスを嫌う人も少なくない。そこで、英語風に言いかえたのである。

元々この言葉は、わたしの勤務先の同僚・秋山聡氏が使い始めたもので、わたしもお借りして使わせていただいている。だから、Googleなどで"Management technology”と検索しても、そのものズバリのサイトは、なかなか出てこない。○○マネジメント技術、たとえばdata management technologyといったものはヒットする。また、Management of technology(MOT=技術経営)関連のサイトは、いくらでもある。だが、わたしの意図するマネジメント・テクノロジーは、技術の経営とは全く異なる概念だ。

マネジメントという言葉は多義語だが、その中核には「人を動かす」という意味がある。人に働いてもらって、あるいは、人と一緒に動いて、共通の目的を達する。このための技術を、マネジメント・テクノロジーと呼ぶ。

人が働く場合は、通常、それにともなって情報や物のやりとりがある。したがって、物の数量、品質、置き方、動かし方、などにかかわる技術も必要だ。情報やデータのインプット、伝達、蓄積、処理などの技術も大切になる。

そしてもちろん、お金に関わることがら、つまり見積や予測、集計にも技術がある。また、時間に関わること、所要期間の見積、集計、納期の予測も技術の対象だ。なによりも、人の集団としての組織を、どうデザインし、統率し、成長させるかという大きな難しい課題もある。

こうした事柄に関する技術は、分野・業種にかかわらず共通性が高い。たとえば在庫理論はマネジメント・テクノロジーの一種だが、在庫しておく対象が、石炭だろうがPCだろうが、共通に使える。最近流行の言葉に、<競争領域>と<協調領域>という用語があるが、共通性の高いマネジメント・テクノロジーは、後者に属するといえるだろう。

ただし、こうしたマネジメントに関する知恵は、従来バラバラに存在していた。在庫理論、会計学、品質工学、情報システム、人材開発・・という風に。

大事なことは、そこに「システムズ・アプローチ」という心棒を通すことだと、わたしは考えている。時間・品質・在庫・コストなどの項目は、バラバラに存在し、バラバラに管理できるものではない。製造業のQCDをみれば分かるとおり、品質とコストと納期は、互いに関係している。品質を上げようとするとコストがかかり、低コストでやろうとすると納期が延び、と言う風に。互いに制約し合っていると言ってもいい。

その一番わかりやすい例が、プロジェクト・マネジメントだ。現代のPM理論は、1950年代に米国で生まれた。プロジェクトを、単位作業(Activity)のネットワークで構成される「システム」だ、と考えたときにモダンPMの理論と手法が誕生した。だから、上に述べたわたし達のPMトレーニング・カリキュラムでは、プロジェクトを「システム」だと実感することに重きを置いている。

そもそも、マネジメントの能力は、生まれつきの才能でもないし、「気合い」だけで増大する物でもない。技術(テクノロジー)によって増大する、という思想が、わたし達のよりどころである。ただし、人が持つ能力は、かなり移転可能な部分と、どうしても属人的な部分に分かれる。これを、ハード・スキルとソフト・スキルと呼ぶ。

ハード・スキルとは、技術と理論を中心とした、座学で習得しやすい能力である。これに対し、ソフト・スキルとは、問題解決や交渉力といった、繰り返し練習によって身につく能力である。

そして、この両者を支える思考と行動習慣の体系を、OSとよんでいる。2年前に上梓した拙著『世界を動かすプロジェクト・マネジメントの教科書』では、この考え方に立って、以下のような「S+3K」がOSとして大切だ、と表現した。

 S: システムズ・アプローチ
 第1のK: 言葉を大切にする(言語化)
 第2のK: 契約と責任を重んじる(契約責任制)
 第3のK: かならず計画を立てる(計画重視)

ちなみに第2・第3のKは、とくに海外プロジェクトで重要になる要素だ。しかし、PMの観点だけでなく、より一般的に、システムズ・アプローチを内部から支える要素をあげると、以下の3点を大切にする態度になるのではないか:

  • 言葉
  • ロジック(論理・法則性)
  • 記憶(経験・歴史)

これはたとえば、あなたが上司や顧客としていだきたくない人物像を考えると分かる。まず、言葉をぞんざいに扱う人たちは、正直、あまりありがたくない。言っている意味が通じない人、意味内容がすぐ変わる人、逆に、狡猾に言葉をすり替える人などなど。

二番目にこまるのは、ロジックを無視する人だろう。1+1を、3とか5にしろと主張する人。仕事のパターンや傾向、法則性を無視する人。そして何でも「気合いと根性」だけで押し切る人たちだ。つまり、論理を「面倒くせぇ」で片付ける人である。顧客として上司として、あまりお相手をしたくないタイプである。貴方の周囲でも、見かけることはないだろうか。

そして敬遠したい三番目のタイプは、記憶しない人たちである。つまり、過去の過ちをすぐに忘れる(忘れたふりをする)人、約束や主張をしょっちゅうクルクル変える人、記録を軽視し、なんでも記憶と印象だけに頼る人。こういう人達は、できればリーダーに戴きたくない。

さて、前述のPMトレーニングについては、すでに6月と9月の2回にわたり、研究部会の内部でボランティア受講者を募り、改良を加えてきた。順調にいけば来年初頭あたりから、お披露目できるだろう。そして、これはわたし達が考える、「マネジメント・テクノロジーとしてのPM」の最初のカリキュラムになる予定である。

このコースは、プロジェクト・マネジメントの「初級者を対象とする」というつもりで設計し、参加者を募った。ところで、最近気がついたのだが、この「初級」「中級」という概念自体、もう少しきちんと定義すべきだったようだ。たとえば世間のPM資格試験では、プロジェクト実務経験年数や時間数などに準拠しているが、はたしてそれは妥当なのか?

分科会の中で議論するうち、わたし達はもっと別の定義の方が、ふさわしいと気がついた。それは、以下のような簡単なものである。

マネジメント・テクノロジーにおける初級者とは、自分でなんとか実行することができる人を指す。言われたことをそのとおり実行する場合も、自分で考えてやってみる場合もあるだろう(もちろん、言われてもできない人は、入門以前である)。

これに対し、中級者とは、他人に教えることができる人を指す。すなわち、自分の関わるマネジメントの手順・技術について、言語化でき、また元となる理論や定石を理解しており、それを実例と共に伝えられる人である。

そして上級者とは、新しいやり方を開発できる人である。
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このように定義してみると、いろいろなことがすっきりする。たとえば、何年間、いや何十年間も、実務経験を積んでいても、人を教えることをせず、ただ「俺の背中を見て育て」という人は、まだ初級者なのである。その人の中で、やり方が言語化・定式化されていないからだ。その人自身は、マネージャーとして高い能力を、あるいは持っているかも知れない。だが、その技能が個人に属するだけなら、組織はその人のレベルを超えることはなくなる。

つまり、個人のテクニックは、いくら積み上げても、移転・共有可能な「テクノロジー」にはならないのだ。シニア世代の引退を控え、あちこちの職場で若手への「技術移転」が課題となっている。しかし、そもそも移転可能な形になっていないままでは、誰が受け取れるだろうか?

教えることは、じつは自分も学ぶことだ。教えるのが一番、勉強になる。それは多くの人が経験したことだと思う。もしかするとわたし達の社会は、年を経た、ベテランの、しかし初級者ばかりでできているのかもしれない。

せめてわたし達は、はやく中級者になろう。


# by Tomoichi_Sato | 2017-10-20 08:21 | ビジネス | Comments(2)

お知らせ:納期遵守のための1日セミナーを開催します(11月18日・大阪)

来る11月18日(土)に、大阪府工業協会で納期遵守をテーマとした1日セミナー(有償)を行います。主に受注生産型の工場における、納期遵守のための生産計画と統制(コントロール)について、製造業の実務家向けに、理論・事例と演習を含めてお話しします。3年前からはじめた本シリーズも、今回で5回目の開催になります。

人手不足が深刻化している昨今、多くの企業が納期問題に直面しています。しかし、だからといって生産性の向上はそう簡単ではないし、高価な最新鋭機械を導入すれば解決する問題でもありません。生産リードタイムは、生産システム全体のパフォーマンスで決まるからです。

拙著「革新的生産スケジューリング入門」や「BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)」をお読みになった方はご承知の通り、わたしは具体的なテクニック論のみならず、原理・原則に関する体系的な理解を重視します。そのため、生産活動の仕組み全般を『システム』としてとらえ、その生産システムをより良く運用するにはどうしたらいいか、また仕組みをより上手に設計するためには何に留意したらいいか、を考える『システムズ・アプローチ』をとります(もちろん、ここでいうシステムとはコンピュータのことではありません)。

したがって業種分野については、わりと間口を広くとってお話しできる点が特徴です。普通の現場改善コンサルタントの講義に、飽き足りない気持ちでおられる技術者の皆さんのヒントになればと思っています。関心のある方のご来聴をお待ちしております。


<記>

日時: 2017年11月18日(土) 9:30-16:30

テーマ: 「納期遅れを起こさない 生産統制のポイント
     ~ 工程管理担当者の実務能力の強化 ~」

主催: 公益財団法人 大阪府工業協会

会場: 大阪府工業協会研修室
     大阪市中央区本町 2-6-12 サンマリオン NBFタワー4F
     (市営地下鉄御堂筋線「本町」駅9番出口より徒歩4分)

セミナー詳細: 下記のPDFファイルをご参照ください(「受講申込書」も兼ねています)


# by Tomoichi_Sato | 2017-10-15 22:15 | サプライチェーン | Comments(0)

能力評価のレベル0からレベル2まで 〜 組織を作る概念のシステムとは何か

生まれて初めて乗った飛行機は、アエロフロートだった。大学院の修士課程をでる前の3月、わたしは一人で卒業旅行にでかけた。まだ旧ソ連の時代だ。旅行の行き先はドイツとスペイン、そして英国。モスクワ経由でフランクフルトに向かい、ドイツ中部の家々の屋根の色を見下ろしたときの印象は、今でも鮮明だ。ドイツでは父の元・部下で、当時フランクフルト近郊の現地法人で働いていたNさんに、いろいろとお世話になった。スペインでは、マドリードにあった父の会社の取引先の方が一緒に夜、食事をしてくださった。今考えると、いくら取引先のキーマンの息子だとは言っても、取るに足りぬ生意気な若造のお相手をしてくれた訳だ。まことに頭が下がる。

行く先々で聞かれた質問が一つあった。「なぜ、お父さんの会社に行かないのですか?」という質問だ。ドイツでもスペインでも現地の人に聞かれた。わたしにはむしろ、「へえー、ヨーロッパ人って、そういう考え方をするんだ」と新鮮な驚きを感じた。家業ならいざ知らず、父は会社の役員だったが社長でも創業者でもない。親と同じ会社に入るなんて、むしろ古くさい、前近代的な考えだと思っていた。だから合理的近代人である西欧の人達が、そんな風に思うことが意外だったのだ。

前回、「人材配置・昇進のレベル0からレベル2まで」 http://brevis.exblog.jp/26081033/ で、“生まれつきリーダーは決まっている”、という観念でできている組織(たとえば同族会社など)は、レベル0だと書いた。だが、誤解しないでほしい。わたしは同族企業をすべて批判しているのではない。すぐれた業績を上げている同族企業を、わたしはたくさん知っている。とくに英明で優れたリーダーが社長職を継いでいるところは、大胆な決断もスピード感を持って下せるし、従業員からも尊敬されていて、立派な組織が多い。

レベル0という位置づけは、ポテンシャルの基底状態、つまり一番自然に発生し、そこから出てもまたその位置に戻りやすい状態を指している。「リーダーとなるべき人は生まれつき決まっている」という観念は、組織づくりの設計思想としては、レベル0=出発点だ、ということを申し上げているにすぎない。事実、歴史を見ると、古代にはこうした考えでいろいろな制度が設計されていた。そして、それなりに機能していた。

ただし、当たり前だが、レベル0のままでは組織の維持に差し支えるような事態も、起こりうる。オーナー社長の残した一人息子が暗愚で、かわりになる子どもが親族にいないとか、いても嫁に行った娘だった、といった話はいくらでもある。こうなると、お定まりのお家騒動だ。すぐれた同族企業が沢山あるのは事実だが、すべての同族企業が素晴らしい訳ではない。

逆に、レベル2の組織では「基準とルールを作って組織を動かす」と、『マネジメントのレベル0からレベル2まで』 http://brevis.exblog.jp/26064558/ では書いた。しかし、こうした組織が全て素晴らしい訳でもない。基準とルールを定めて人を動かすのは結構だが、ルール本来の目的が忘れられ、単に維持することが自己目的化することもある。そうした組織ではしばしば、官僚主義と大企業病が跋扈するようになる。すると、大きな環境変化への適応不全が起き、「ヒーロー待望論」と共に、レベル0の組織まで一気に縮退することさえある。

だからこそ、ルールというものは、それ自体に定期的見直しと改良がビルトインされなければいけない訳だし、マネジメント・システムを組み上げるポジションには、マネジメント能力の高いものを配置しなければならない。レベル2のマネジメントには、レベル2の人材配置が必須なのである。だが、そもそもマネジメントの能力とはどのような性質のものなのか。いや、ことはマネージャー職にとどまらない。いやしくも適材適所を実現するためには、いろんな種類の能力が、うまくアセスメントし評価できなければならないのだ。

ここで、「能力評価」に対する、3つのレベル分けを定義しよう。

レベル0: 能力は生まれつきでほぼ決まる
レベル1: 能力は素質に加えて、「やる気」が大切である
レベル2: 能力は素質・意欲に加えて、知識・技術・不断の訓練で成長する

能力は生まれつきの素質やセンスで決まる、という見方は、素朴な出発点=レベル0である。「持って生まれたセンスのないやつに、いくら教え込んだって無駄だ」という言い方は、世間でもネットでもよく見かける。こういう風に発言すると、 クールでカッコよく聞こえるのも確かだ。部下の能力を即座に峻別し、ダメな奴からカットする上司。「お前はクビだ」というセリフで有名になったお金持ち。ただしこうした人びとは、部下(=人的資源)とは自分の所有物ではなく、組織や社会からの借りものだ、という事を忘れている。でも、その話は脇に置いておこう。

レベル0の能力観において重要になるのは、持って生まれた素質の選別である。これに対し、レベル1では、本人の意欲・やる気を重視する。多くの人が好むスポーツや競技もののストーリー、とくに昭和時代に隆盛した「スポ根」ものは、こういう能力観をベースにした説話である。最近読み直した’90年代の人気マンガ「ヒカルの碁」(原作・ほったゆみ)の第1巻では、主人公のライバル・塔矢アキラがまだ幼少の時、父である塔矢名人と会話する。

「お父さん、ボク、囲碁の才能あるかなあ」
「ハハハ。それがおまえにあるかどうか、わたしにはわからんが・・
 そんな才能なくっても、おまえはもっとすごい才能をふたつ持っている。
 ひとつは、誰よりも努力を惜しまない才能。
 もうひとつは、限りなく囲碁を愛する才能だ。」(p.150)

競技を愛して努力を惜しまなければ、必ず強くなる。これが少年マンガの中心テーゼだ。このテーゼは、人を努力に誘い、打ちのめされた人を再び奮起させる点で、たしかにレベル0よりも上である(もっとも「ヒカルの碁」の塔矢アキラは、誰が見たって生まれつき卓越した素質の持ち主だが)。レベル0の考え方では、基本的に人には、あまり努力による伸びしろがない訳だから、誰を選抜するかが評価の中心になる。

日本の教育制度(と称しているもの)は、じつは選抜のシステムである。教科書的知識を教え、それを選抜の基準とする。だから記憶力が良くて、出題者の意図を読むのが達者な人間ばかりが、引き上げられる。そして若いときに一度選抜されれば、パスポートは一生有効だ。そういう制度を持つわたし達の社会は、ほぼレベル0の論理で動いていると言っていい。予備校は、「意欲重視」のレベル1を、(集客と宣伝のために)あえて掲げているかもしれないが。

では、レベル2は? それは、成長を加速するための装置として、知識や技術があり、さらに繰り返し練習することによって、能力は深まる、という考え方だ。素質ややる気が不要だ、と言っているのではない。とくに訓練の努力には、熱意が不可欠だ。素質のある者は、訓練のスタート地点がかなり進んでいる。でも、それだけでは不十分だし、効率がわるい。人の能力には、伸ばせる余地が非常に大きい。これがレベル2の能力観である。

さて、3回にわたって「マネジメントのあり方」「人材配置・昇進のやり方」「能力評価の考え方」について、3つのレベルを定義してきた。ところで、これらの3レベルは、互いに関係し合っている。

たとえば、「生まれつき」で配置・昇進を決める、人材のレベル0からはじめようか。その極端が、貴族主義であることは、前にも述べた。そこまでいかずとも、あまたいる候補人材の中から、傑出した者を少数、見いだして、多少の試練で延ばしてやれば、リーダーの後継者になる。こういう論理はよく見かける。ビジネススクールの教授陣でさえ、こんな考え方が多いと思う。

真に傑出した人間は、滅多にいない。まことに稀少である。そのことはわたしも認めよう。ただし、それが生まれつきの資質やセンスによるものかどうかは、異論がある。

でも、ごく少数の生まれつき優秀な人間と、圧倒的多数の魯鈍な愚民−−こういう対立図式で世の中をとららえる人は、案外多い。この種の人達は「帝王学」という言葉も、けっこう好む。すぐれた血筋の子弟を、幼少の頃からリーダーたるべく教育する方法、を指しているらしい。ただしその学的内容は不詳で、どこかに「帝王学会」なるものが存在する訳でもないようだ。学問と言うより、一種のロマンであろう。生まれつき優秀な種なら、水をやって日を当てればほぼ自動的に育って、花が咲くものと信じているのだろう。

ともあれ、優秀なリーダーはごく少数だから、後の者たちに対しては、全てを指示し決めてやらなければならない、と考えるのも道理である。つまり、

・リーダーは生まれつきで決まるものである
 (なぜなら)
・リーダーたる能力は生まれつきの資質である
 (ゆえに)
・リーダーは自分が全てを決める

という風に、概念が円環を描いて互いを支え合う構造になっている。
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似たような構造は、レベル1同士の間でも成立する。人はやる気と意欲で伸びるのだ、というのが能力評価のレベル1だ。やる気を引き出すには、互いに競争させるのが一番だ。だから組織をエリアや職能別に縦割りにして、リーダー候補たちをそこに割り当てて任せ、「結果を出せ」といって競わせる。これがマネジメントのレベル1。そうして、成果・業績でリーダーを昇進させる。人材配置・昇進のレベル1。とてもつじつまが合っている。

・能力ははやる気と意欲で伸びる
 (そこで)
・人に任せて、「結果を出せ」という
 (そして)
・業績で人を昇進させる

たとえば、組織を地域や職能で縦割りにして、たがいに損益やKPIを定めて競わせる、といった仕組みをとる企業は非常に多い。工場間も競わせ、その成績・順位に応じてボーナスまで決めるという噂の某自動車会社など、その典型かもしれない。競争原理こそ人を動かす、との信念なのだろう。
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レベル2ではどうか。能力は、マネジメント能力を含めて、知識・技術と練習によって伸びる。そこで、人材教育と実地訓練の仕組みを組織にビルトインしなければならない。実地訓練の途上では、個人の業績が不安定になることもあるだろう。だから、配置・昇進では、短期の業績ではなく、能力評価を基準にしたルールにしなければならない。

・マネジメント能力で人の配置・昇進を決める
 (しかるに)
・能力は知識・技術・不断の訓練で成長する
 (よって)
・組織は基準とルールを作って動かす
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このように、マネジメント・ポジション・能力の3種類の概念は、それぞれのレベルにおいて、互いを支え合っている。要素が互いに支え合ってできあがる仕組みを「システム」とよぶ。システムは、要素が変わらない限り、ある意味安定である。

人間集団が持つ、体系化され組織化された、思考と行動の習慣を、わたしは『OS』とよんでいる。Operating Systemであるから、システムだ。概念の世界にも、システムが存在することに注意してほしい。そしてこのシステムこそ、見えないけれど、いろいろな制度とふるまいをしばっている。

厄介なのは、レベル0はレベル0なりに、レベル1はレベル1なりに、安定であることだ。レベルを全体として1ランク上げるためには、概念、つまり人びとの考え方を、同時にあげないといけないことだ。無理に異なるレベルの要素を接ぎ木しても、システムは不安定になる。一要素でも劣化すると、全体がおそらく下のレベルに縮退しやすくなる。

たとえば、基準とルールでできあがった組織でも、リーダーの配置・昇進が生まれつきで決まりがちだと、人材教育が機能しなくなり、人びとのモチベーションと能力が下がって、機能不全に陥るだろう。あるいは、いくら能力に応じて人を配しても、そして教育の場をつくっても、リーダーが全て自分で決めるような組織では、部下の能力が活かされず生産性が下がるであろう。基準・ルールがあり、業績で人を昇進させても、技術開発と教育が軽視されたら、みるみる競争力を失うであろう。

わたしが(そして研究部会の仲間を含めたわたし達が)、マネジメントにはテクノロジー(技術)が存在し、それを学び練習する場が必要だ、と主張してきたのは、能力観が全体の中で一番弱い環だと思うからである。ルールも能力主義も、皆、良く知っている。だが、マネジメント能力が独立した能力であり、そこに技術も訓練もあるのだ、ということは、まだ常識化していない。そこを少しでも、強めたいのである。

卒業旅行で初めて訪れたドイツでは、Nさんにつれられてノイ・シュヴァンシュタイン城を見物に行った。「狂王」とよばれたバイエルン国王ルートヴィヒ2世が、19世紀末に建てた美しい城である。孤独なロマンティストで、中世伝説のマニアだった彼は、最終的に臣下に幽閉され40歳で死んだ。近代化を迫られるバイエルン国に、中世風の気まぐれな王様は、もはや足かせだった。「なぜ親と同じ会社に入らないのですか?」とたずねてきたドイツ人たちは、しかし、貴族による世襲だけではうまく行かないことも、良く知っていたのだ。少なくとも、国王を英明に育てる「帝王学」までは、持ち合わせていなかったのである。


<関連エントリ>
 →「それは知識ですか、スキルですか、資質ですか?」 http://brevis.exblog.jp/20592802/ (2013-06-02)
 →「人材配置・昇進のレベル0からレベル2まで」 http://brevis.exblog.jp/26081033/ (2017-09-30)
 →「マネジメントののレベル0からレベル2まで」 http://brevis.exblog.jp/26064558/ (2017-09-22)


# by Tomoichi_Sato | 2017-10-07 23:37 | ビジネス | Comments(0)

人材配置・昇進のレベル0からレベル2まで

わたしが主宰する『プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会』では先日、「プロジェクト・マネジメントの1日研修トライアル」という催しを開いた。これは、わたし達の研究部会の中にある「PM教育分科会」というグループが、オリジナルに開発中の研修プログラムについて、希望者を募って“βテスト”を実施したものである。参加者がいるか心配だったが、幸いにも10数名の方が申し込まれ、休日を丸一日つかってわたし達の研修プログラムを体験し、有用性を検証していただいた。

その内容はまだ開発中のため、ここで詳しくは述べないが、社会人向けの、初中級者レベルのコースとして設計したものだ。もちろん世の中には、すでに多数のPM研修がある。だが、その多くはPMBOK Guideなどの知識を座学で学ぶ、資格試験対策である。あるいは逆に、ケーススタディの討議中心で、しばしばプロジェクトの火消しなどの題材を扱っている。だが、そもそも良きプロジェクト・マネジメントとは、火の手を起こさぬようにするためのものではないか。

わたし達は、知識・技法などのハード・スキルと、コミュニケーションや問題解決などソフト・スキルの、バランスの取れた研修プログラムの開発を目指している。とくに、プロジェクト全体の構造を俯瞰して理解する「システムズ・アプローチ」習得に、重きを置いて設計した。ありがたいことに、参加された方々のフィードバックは、こうした意図に沿った形で、前向きなものが多かった。

ところで、この一日トライアル研修の最後に、講師側のふりかえりを述べる機会があり、わたしはほとんど即興で次のようにお話しした。

「皆さんにとって、望ましいリーダー、ついて行きたいと感じるリーダー像とは、どのようなものでしょうか。わたしは、3つの条件があると感じています。

第一に、落ち着いていること、です。いつも落ち着いていて、何かトラブルが起きても、すぐ感情的になったり逆上したりしない人。わたしが職場で知っている、真に優秀なプロジェクト・マネージャーたちはだいたい、冷静で穏やかな人が多い。情緒的にupsetすると、正しく判断することができなくなるので、これが大事なのです。

二番目に、人の話を聞くこと、でしょう。ちゃんと下の者の話を最後まで聞いてくれる人。賛成してくれるかどうかはともかく、話をしやすい人。そういうリーダーの所には、良い情報もまずい情報も、上がっていきます。担当者による問題の抱え込みが起きにくい。そうすれば、プロジェクトに突然のサプライズもなくなります。

第三は、先が見通せること、ですかね。外部や環境の変化に反射的に対応して、右往左往するのではなく、ちゃんと先を見通せる人。こういう人にこそ、ついて行きたいですよね。

そして、こういった三つの事柄の前提として、一番大切な能力があります。それは、『事実を客観的・多面的に見ること』です。プロジェクトとは生き物で、しかも複雑な仕組みでもあります。それが今、どういう構造になっているのか、どういうインパクトがあると、どんな範囲に影響がありうるのか。そうした事実を、自分だけの希望や思い入れを離れて、客観的に、かつ多面的にとらえて理解すること。これがあるから、落ち着いていられるのだし、先を見通せるのです。そして、人の話をきかなければ、客観的・多面的に見ることもできません。

問題が起こったぞ! さあどうする、どうする・・といきなり騒ぐ前に、現実を見ること。それも複眼で見ること。そしてちゃんと数字の裏付けをもって見ること。そうした能力を身につける練習こそ、わたし達が目指していることです。」

ここに即興的にあげた3つの条件が、はたして適切なのか、他にもっと大事な条件はないのか、異論はあろう。そもそもプロマネ論とかリーダー論とか、世間では好んで論じられるテーマである。たとえば最初の「落ち着いている」にしても、普通だったら、「ものに動じない」「人間としての器が大きい」「大人物である」といった人物論になっていくだろう。

そして、「大人物とはいかなる者だろうか」「そう、たとえば西郷隆盛は・・」というような話につながっていきそうである。そういう会話も、もちろん結構だ。だが、人物論みたいなことをいくら論じられたって、それが貴方やわたしの、次のアクションにつながっていくだろうか? 人物の器量や性格は生まれつき、という事だったら、凡人で小心者に生まれたわたし(たち)は、どうしたらいいのか? ましてやプロマネに西郷さん級の大人物を要求されたって、それを各社何十人単位で用意できるものか。

ところで、少し前だが、「功ある者には禄を、徳ある者には地位を与えよ。」という言葉を、人事に関連して聞いたことがある。つまり仕事で功績を挙げた人間には、ボーナスなど報奨金で報い、上の地位に引き上げるのは、むしろ人徳ある者にしろ、という意味である。これはなかなか良い格言だと思った。

ちなみに、この言葉はまさに西郷隆盛の遺訓の中にあって、人に知られるようになったらしい。調べてみると、官は其の人を撰(えら)びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、云々という言葉があるという。ただしこれは元々、中国の古典である「書経」に、『徳懋(さかん)なるは官を懋にし、功懋なるは賞を懋にする。』からとられているようだ。

多くの組織では、人が昇進昇格するきっかけは、仕事で目立った業績を上げることである。営業マンなら大きな受注を、研究者なら画期的な発明を、技術者ならばすぐれた設計を認められて、組織の位階を上がっていく。そして人の上に立つ。

それと「目立つ」業績という点もミソで、たとえばプロジェクトが最初から最後まで平穏無事に進んだら、とても素晴らしいことなのだが、目立ちにくい。他方、大きな問題が生じて、それを大騒ぎして解決すると、とても目立つことになる。だからいつの間にか、「火消しこそプロマネの本領」みたいな通念が生まれていく。

ともあれ、2000年頃から、多くの企業で「成果主義」人事制度が導入され、業績と人事評価が直結するようになった。それはそれで、良い面も多かったのだと思う。年功とか性別とか学歴(大学入学歴)だけで、人が差をつけられるのはおかしいと、大勢が感じてきたからだ。ただ、その「成果」の定義をめぐって、いろんな議論や混乱も生じた。

おそらく一番よろしくなかった点は、人事査定において、人材の「配置・昇進」と「給料」の二つが、直列にリンクしていたことではなかったか。前回の記事にも書いたが、ほとんどの組織は、位階のシステム、つまりピラミッド型の形態をとっている。上の方にいくほど、人数は少ない。部下が多く、権限が大きくなる。そして収入が高くなる。

結果として、目立つ成果を上げた者は、より上位のポジションに配置され、大勢の部下をマネジメントするようになる。だが、本当に辣腕の営業マンは、優秀な営業マネージャーになるのか? 独創的な研究者は、すぐれた研究所長になるのか。緻密な設計のできるエンジニアは、卓抜したプロジェクト・マネージャーになるのか? 大きな疑問ではないか。

ボーナスの査定と昇進は、一緒のモノサシで測ってはいけない。給与と栄誉は区別しろ、と西郷南洲遺訓の「功ある者には禄を、徳ある者には地位を」は教えている。そう、業績と昇進を直結してはいけないのである。会社に利益をもたらした者には、金銭的に報いる。でも昇進は別に決める。

とはいえ、「」とは何だろうか。それを半期に一度の人事査定で、評価できるのだろうか。お前の部下の徳を5点満点で答えろ、といわれても、わたしは正しく評価できる自信はない。逆に「佐藤は有徳とは言えないな」と評価されるなら、まあ強くは反論できないけれども。

では、組織の位階の中で、人を上位のポジションにつけるには、何を基準にすべきか。それは当然、「マネジメントの能力」ということになる。

そして、「マネジメントは職域から独立した専門的能力である」という概念が確立していないから、わたし達の社会では人事に混乱が生じやすいのである。以前も書いたが、日本の官庁や多くの企業では、いろんな部署を経験させた「ジェネラリスト」をマネージャー職につける、という考え方が伝統的に強い。

だが、それはオーケストラにたとえれば、「最初はビオラを弾き、それからフルートに異動させ、第一バイオリンでコンサートマスターを経験させれば、指揮者になれるだろう」という考え方に近い。楽器の奏法(つまり専門職域の固有知識)を知っていることは指揮者に必要だろうが、十分条件ではない。指揮者は指揮者であって、指揮の専門の勉強と訓練が必要なのである。

ただ、かりに能力ある者を昇進させるという考えを認めたとしても、まだハードルがある。「マネジメントの専門能力」を測る方法を確立していないと、結局、その部署の全体の業績やらKPIで、マネージャーの能力評価を代用することになるのだ。そして業績というのは、短期的な環境条件によってブレやすい。だから結果として、運の良かった者を昇進させる、ということも生じやすい。

結局、人材配置・昇進のやり方には、3つのレベルがあることが分かる。

レベル0は、リーダーの地位を、「生まれつき」で決めるやり方である。たとえば家柄とか人種とかカーストとかで。「器量」「人物」で決める、という考え方も、これに近い(そういうのは生まれつき持っているものだ、というのが通念だから)。

これはまあ、たとえば古代の王様のように、古い考え方ではある。現代でも、同族会社などこのタイプかも知れない。ただし一定範囲なら、それなりに有効である。同族経営にも、すぐれた会社は沢山ある(トヨタ自動車だって、ある意味そうだ)。ただ、その有効性は、同族の中できちんとした評価・選抜が行われていることが条件になる。

レベル1は、功績を挙げた人間をリーダーの地位に就ける、というやり方だ。ただ、その危険性については、これまで述べたとおりだ。専門職域で有能だからといって、マネージャーとして有能とは限らない。名選手、かならずしも名監督ならず。むしろすぐれた専門家は、高い報奨で報いるべきである。その結果として、役員よりも年収の高い社員が出現したって、いいではないか。その逆にして、人を使えない専門家が上に立って組織を乱すよりは、ずっと良い。

そして人材配置・昇進のレベル2は、マネジメントの能力によって、ポジションを決めるというものである。いや、リーダーの地位だけではない。専門職域への配置だって、やはり専門能力と適性で決めるべきだ。そういうのを適材適所とよぶ訳ではないか。

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ただ、レベル2に達するには、マネジメント能力という概念がきちんと確立して、かつ、それを適正に測る方法が必要である。人事制度にそれだけの成熟度が求められる。とくにマネジメント能力は、短期的な成果だけで測ってはいけない。それは野球にたとえれば、一打席の出塁結果だけで、打者の技能を測るようなものだ。あるいは一試合の勝敗だけで、監督の能力を測るようなものだ。

人を評価するには、「待つ」時間が重要なのである。


<関連エントリ>
 →「スペシャリストか、ジェネラリストか?」 http://brevis.exblog.jp/24313514/ (2016-04-18)
 →「マネジメントのレベル0からレベル2まで」 http://brevis.exblog.jp/26064558/ (2017-09-22)


# by Tomoichi_Sato | 2017-09-30 21:00 | ビジネス | Comments(0)

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(10月12日)開催のお知らせ

各位:

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2017年第4回会合を開催いたします。

今回は、製造業におけるプロジェクトの一つである、受注設計生産のスケジューリングについて、この分野の専門家である(株)シムトップスの伊藤昭仁様にご講演いただきます。

日本の製造業の生産形態は、高度成長時代の大量見込生産から、次第に受注生産中心へと移っています。中でも、顧客の個別仕様に合わせて、受注してから設計し生産する受注設計生産(一品受注生産ともいう)は、プロジェクトの一種でもあり、もっとも生産管理の難しい形態ということができます。それは設計・調達というホワイトカラー業務と、製造現場の両方をシームレスにコントロールする必要があるからです。また、生産スケジューリングの基礎データとなるBOM(部品表)が、受注時点ではまだ固まっていない、という難しさもあります。

この受注設計生産プロジェクトの分野において、早くからスケジューラをはじめとするソリューションを開発してきた伊藤氏から、現実に即したお話を伺います。また久しぶりにIT業界の方のご講演でもあります。

いささか直前のご案内になりましたが、ぜひご参加ください。

<記>

■日時:2017年10月12日(木) 18:30~20:30

■場所:慶応大学 三田キャンパス・北館会議室2(1階) (定員:28)
キャンパスマップ 【1】

■講演タイトル:
「受注設計生産のプロジェクトスケジューリングの課題と改善期待効果」

■概要:
 量産を前提にしない受注設計生産では、事前に基本マスターの整備ができず、プロセスフロー(BOP)の定義が困難な場合が多い。その結果、ストラクチャー型のBOM (部品表)を前提にした生産管理システムや生産スケジューラの適用を難しくしている。これらの現状の課題と、受注設計生産へのプロジェクトスケジューリングを適用するための取組みと日々の工程管理における改善期待効果を述べる。

■講師: 株式会社 シムトップス 伊藤 昭仁(いとう あきひと)

■講師略歴:
 1991年 株式会社シムトップス 設立と共に入社20年以上にわたり、受注設計生産の製造業向けの生産スケジューラ/工程管理システムの導入前の提案からシステム導入後の立ち上げサポートまで、広範囲の業務に従事。国内主要自動車メーカの金型部門、工機部門、試作部門、半導体製造装置から発電設備などのプラント設備まで、幅広い受注設計生産タイプの生産工場へ100社以上のシステム導入経験を持つ。

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

 参加を希望される方は、確認のため、できましたら当日までに三好副幹事(miyoshi_j@kensetsu-eng.co.jp)までご連絡ください。

以上、よろしくお願いいたします。
佐藤知一@日揮(株)

# by Tomoichi_Sato | 2017-09-28 07:51 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

マネジメントのレベル0からレベル2まで

九州・佐賀県の唐津市。玄界灘に面した市のはずれに、名護屋という場所がある。Google Mapの航空写真で見ると、緑の多い、人家の少ないのどかな土地だ。かつてここに、一里四方の広さを持ち、10万人以上が居住する一大都市が、ごく短期間だが存在していたことを知る人は少ない。

その都市をつくるよう命じたのは、太閤秀吉である。彼が晩年、大陸支配をねらった戦争(後に文禄の役とよばれることになる)をはじめるにあたり、出陣の基地としてこの名護屋港を選んだのだ。彼は全国の諸侯・武将に、この辺鄙な港へ集結し、各人の負担をもって、都の聚楽第に遜色がないほど豪壮な城と館を築くよう言い渡した。そして数万の人力を投入し、半年ほどの短期間のうちに完成させた。

全国の大名武将たちは、たとえ些細な手落ちでも関白に訴えられ、無能者として俸禄を没収されかねないので、「自ら家臣を率いて森や遠方の山に出かけ、材木を切ったり、城壁や門に用いる巨大な石を運搬した」と、宣教師フロイスは記している(川崎桃太「続・フロイスの見た戦国日本」p.76)。できあがった名護屋城は、大阪城に次いで、日本で2番目に大きな城であった。当時の秀吉の、権勢のすごさがよく分かる。

わたしが子どもの頃、両親が買い与えてくれた本の中に、子ども向けの「太閤記」があった。とても面白い物語だった。太閤記は彼の生涯を、日吉丸の時代からはじめて、木下藤吉郎を経て豊臣秀吉になるまで、いろいろなエピソードを集めて物語ってくれる。秀吉という人物が、日本史でも傑出したリーダーであったことは間違いない。

しかしこの太閤記が、最後どのように終わったのか、なぜか記憶に残っていない。秀吉が大陸に出兵したことは書かれていた。だが、伏見城でどう斃れたのか、晩節があやふやなのだ。あまりヒロイックに描けなかったのかもしれない。天下人になった秀吉の意思と気まぐれには、日本中の武家たちが右往左往させられた。

大陸出兵に際し、秀吉は名護屋城に居を移した。すでに甥の秀次に関白の座を譲って太閤となっていた秀吉は、秀次に対して、この戦争に勝利した暁には、お前をシナの関白に任命し、都周辺の百ヶ国を与えてやる、と手紙で約束した。しかしその後、自分に待望の嫡子が生まれると、秀吉は秀次に蟄居、そして自害を命じた。秀次の首は京都で晒し首になり、眷属30数名は皆、殺害された。だが、このような罰を受けた理由は不明で、いまだに日本史学者の間でも謎である。

晩年の秀吉は、あらゆる事を自分で全て決めたがる、独裁者であった。むろん、戦国時代に独裁者は珍しくなかったろう。彼が仕えた信長だってそうだった。自分の狭い領地の中では、秀吉よりもっと気まぐれで暴虐な大名も大勢いただろう。だが歴史上、秀吉ほど巨大で広範な権力を手にした日本人はいなかった。関白の任命権は本来、天皇にあるはずだが、天皇家の権威など彼の眼中にはなかった・・

マネジメントのレベルということを、最近考えている。レベルといっても、上手・下手という意味ではない。自然なあり方から、どれだけ進化しているか、のレベルである。

世の中には、あらゆることを自分で全て決めたがるリーダーもいる。晩年の秀吉のように。あるいは、人に権限を任せて、働かせることで全体を動かすリーダーもいる。もちろん、任せるといっても、全面的に自由にさせることは少ない。自分が望む方向にむけて、働かせる必要があるからだ。そこで、どういう風に部下をしばるかで、さらに違いが出てくる。

人間は社会的動物で、お互いに関わり合いながら群れを作って生きているが、互いに競争心を持っている。どちらが優り、どちらが劣っているか、優劣・強弱・上下を、たえず繰り返し競い合う。これはある程度、本能的に持って生まれた性質らしい。上に立った方が、下の者に対して、命令的にふるまう。集団で一番上になった者は、他の全員に対して、判断や指示を下す。

だから、リーダーが全てのことを決めるのは、マネジメントにおいてある意味で一番自然的な、あるいは本能的なあり方だと言える。リーダーと、その他大勢。家父長制の家族など、この類型に近い。これを「マネジメントのレベル0」とよぼう。

ところで、人間の作る組織にはふつう階層があり、リーダーにはトップ・上位・中位・下位・・のような位階がある。その位階に応じて、決められる権限範囲が狭まっていくようなシステムをとるのが通例だ。その典型が軍隊である訳だが、秀吉は武将であり、つまり軍人の職業的リーダーだったといえる。彼は傑出した知将であり名君だったからこそ、あそこまで駆け上がったのである。会社組織などもこれに倣って、社長・本部長・部長・課長といった階層を決めている。

なぜ、組織はこのようなシステムになっているのか。そこには、どのような合理性があるのか。また階層は、多いほど良いのか、少ないほど良いのか。こうした問題を、システム工学の視点から、制御とマネジメントの最適なあり方に関連して考えている。

ちなみに、経営学に『システム論』を明示的にはじめて取り入れたのは、米国のバーナードであった。彼は”Functions of Executive”(邦訳「経営者の役割」)という本で、組織が機能するためには、共通目的・協働意識・コミュニケーションの3要素が必要だ、と喝破した。彼がシステムズ・アプローチをもって組織をとらえたのは、彼が電話会社の経営者だったことも関係しているかもしれない。

ただし、彼の著書では、組織になぜ「位階の体系」(Status System)の必要性が生じるのか、論じていない。この点について、後にバーナードは、「ハムレットは描いたつもりだが、オフェーリアを逸した」と洒落た言い方をしている。

この問題に本格的に取り組んだのは、経営学者としてはじめてノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンだった。サイモンは、組織に位階があるのは、意思決定のために必要な情報収集の完全性と、そのコストのバランスをとるためだとしている。「組織は、決定を分散させることによって、市場と同様、情報の需要を局所化し最小化することができる」(サイモン「システムの科学」p.49)。

部下に何らかの役割を与えて、それを任せる。これが位階のシステムの機能である。その事によって、トップの地位にある者は、より集約された情報を元に、より効率的に決断を下していくことができる。

リーダーが全てを決める、レベル0のタイプの組織で、何がまずいかというと、組織の規模が大きくなるほど、リーダーの決断のための負荷が大きくなることだ。当然、トップはあらゆる問題をめぐって忙殺されることになる。忙殺されると、長いスパンで先を見通すための時間がなくなってしまう。かくて組織は、その日その時のリーダーの気分によって、右往左往することになる。

家族や氏族、あるいはその延長としての、古代の地縁集団的な国家ならば、規模は知れているから、「あらゆることをリーダーが決める」方式で回していけるかもしれない。だが、それが一定規模を越えると、位階と権限分散の仕組みを持つ方が、組織として生き延びる可能性が高まることになる。

任せる、にも大きく二通りある。まずは組織なり守備範囲などをすっぱり分けて、それぞれにリーダーを置き、「あとは死ぬ気で頑張れ」「俺がほしいのは結果だけだ」といって働かせるタイプ。たとえば国土を領地に分割して、諸侯を冊封し、そのテリトリー内では殿様や貴族としてふるまうことを許す、中世の封建制度などは、その一つの表れだ。これを「マネジメントのレベル1」と呼ぶことにする。

もう一つは、組織の位階にしたがってリーダーやサブ・リーダーたちを順におくのだが、共通したルールと基準を定めて、それぞれの裁量範囲と判断のよりどころを与えるやり方。これは近代国家などでより多く見られる仕組みである。「マネジメントのレベル2」としようか。レベル1のサブリーダーないし殿様たちだと、まだ自分の領域内では気まぐれでいられる。だがレベル2の仕組みでは、各層のリーダーの決定や行動について、予見可能性が高くなる。だから部下たちは、ついて行きやすくなる。以前、英国のジョン王に関する記事(http://brevis.exblog.jp/21571341/)のときにも書いたとおり、リーダーの行動の予見可能性と、決断の一貫性は、ついて行く人間にとって死活的に重要である。

こうした違いは、単にマネジメントのスタイルの違いだ、という人達もいる。いわばリーダーの美学であり、個人の好みだと。その場合、どれが上でどれが下というレベル感はない。だが、わたしは3種類をあえて、レベルと考えている。その理由は、レベル0の方が自然発生的にできやすいのに、レベル2はかなり人工的で、作るのに時間がかかるからだ。いってみれば、レベル0は基底状態のようなもので、ポテンシャルが低いのである。レベル1から2へと上がっていくには、エネルギーがいる。

そして、組織や対象が大きくなればなるほど、レベル0かから1、そして2へと、マネジメントの仕組みを上げていく必要がある。そうしないと、回らなくなっていくからだ。
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もちろん仕組みやシステムには、完全な正解と言うことはない。レベル2にも欠点がある。それは、ルール・ベースであるため、ルール自体を変えるのに時間がかかったり、ルールが想定していない事態への対応がうまくいかないことだ。つまり、より安定した時代・環境向きの仕組みと言えるかもしれない。

でも、秀吉が天下を取った後は、世の中は平安に向かっていた。本当に全国津々浦々まで、支配権が拡大されていた。秀吉ほどの人物なら、作り上げるべき仕組みくらい、見えていたはずだ。ではなぜ、そうならなかったのか? なぜレベル1から、レベル0に逆戻りするような方向に動いたのか。

巨大な権力それ自体が、彼を引き下ろしたのだ。これがわたしの推測である。軍隊的な組織では、リーダーは部下に対して命令を下し、逆らえないよう強制力を持つ。これを権力とよぶ。そして権力とは、どうやら麻薬のように、それを所持する人間を惹きつけ、酔わせ、判断力を低下させてしまう効果があるらしい。これが権力というものの持つ、恐ろしさである。一旦権力を握ると、手放したくなくなる。

そしてそういうリーダーは、回りにイエスマンばかりをおくようになる。あるいは、面従腹背の者ばかりを。最終的に、リーダーの元には、本当に役に立つ客観的な情報は届かなくなる。それで適切な判断ができる訳がない。だから、大きすぎる権力をもったレベル0のマネジメントは、倒れるとき甚大な被害をもたらす。

だからこそ、人間社会はルールというものを発明してリーダーをしばり、システムがレベル0に落ち込むのを防ごうとするのである。ただ、環境条件によっては(たとえば大地震の際など)、いったんレベル1に戻る方が適応力が高まることもあるだろう。どういう条件の時に、どのようなマネジメントのあり方が最適になるのか。それについてずっと考えているのである。

太閤秀吉は結局、中国・朝鮮に対する戦争の最後を見ずして死んだ。秀吉が死ぬと、厭戦気分の広がっていた日本の軍勢は朝鮮半島からあっという間に敗走した。出陣基地だった名護屋城は、城壁にいたるまで破壊され、建物材木は持ち去られた。そのこと自体が、人びとの気持ちを物語っている。そしてこの無謀な戦争は最終的に、豊臣家の滅亡のみならず、東国に対する上方の没落をも、もたらす遠因となったのだ。


<関連エントリ>
 →「組織におけるルールはいかなる機能を持っているのか」http://brevis.exblog.jp/21571341/ (2014-01-14)




# by Tomoichi_Sato | 2017-09-22 23:24 | ビジネス | Comments(0)

ミニレビュー:携帯用折畳みキーボード 3E Wallet

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3E社の携帯型折りたたみキーボードを6ヶ月ほど使ってみたので、感想を書いてみたい。商品名は”Wallet”という名前で、型番は3E-BKY4である。接続はBluetoothで、MacOS, Windows, iOS, Androidとすべて使えるようだが、わたしはもっぱらiPad Pro 9.7’と組み合わせて使っている。

この製品の良い点は、三つある。

(1) 薄くて軽いこと。厚さは6mmない。折りたたんでも13mmで、とにかく薄いので、携帯性にすぐれている。カバンに入れても邪魔にならないし、iPad(わたしはスマートカバーをつけて使っている)と重ねて持った際も、とても持ちやすい。重量は176gで、これも際だって軽い。

(2) フルキーボードで、キーピッチもまあまあ広いこと。これは入力機器の基本性能として大切なことだ。それに打鍵時のアクションも、まあしっかりしている。

(3) 写真で見てわかるように、開いたときに7度の角度で左右に傾斜のある、エルゴノミクス・キーボードになっていること。最初は慣れるかな、と少し不安だったが、すぐにまったくストレスなく使えるようになった。そして、手首の角度からいって、たしかにこの方が自然である。たたんだ時はほぼ長方形なので、収納に不便はない。

ということで、気に入って職場で毎日使っている。それまでは、ながらくREUDOのBluetoothキーボードRBK3200BTIをiPadと組み合わせて使ってきたのだが、職場では完全に3E Walletにかえてしまった。

ただし、気になる点もいくつかあるので、書いておこう。

(4) キー・ストロークが浅い。これは薄さを実現するためには仕方ない訳だが、わたしの好みからいうと十分とはとても言えない。この点は、REUDOのキーアクションの方がはるかに快適。だが、たとえば今この記事を書くのに使っているMacBook Proのキーボードだってかなり浅いので、まあ良い勝負だとは言える。

(5) iOSと組み合わせて使う場合、マニュアルや刻印と異なり、なぜかCaps Lockキーが英字/かなモードのトグルキーになる。これは便利なような不便なような仕様だ。「カタカナひらがな」キーで変わってくれるとうれしいのだが、まあiOS側にも問題があるのかもしれない。

(6) Controlキーが、左下にある。わたしはずっと、MacでもWindowsでも、ControlキーをAの左隣において使っている(Macキーボードは元々そうだし、Windowsではソフトで置換している)。ところが、Walletだけはそれがきかない。ちょっとだけ不便である。まあiOSで使う場合、Walletの「Win」キーがCommandキーに相当するので、Cut & pasteなどのショートカットでは問題は感じないが。

(7) 打鍵はわりと静かではあるが、静音とは言えない。大勢の中で使う際は、気を遣うべきだろう。

とはいえ、半年間ほぼ毎日使ってもきちんとトラブルなく動いているし、電池もまだ一度も交換していない。開けば、自動的にBluetoothで接続される。非常に快適である。キーアクションが浅くても良いから、軽量なキーボードを探している方には、おすすめである。

なお、なぜかしらないが、Amazonでは売っていないようだ。不思議だ。わたしはヨドバシで買った。



# by Tomoichi_Sato | 2017-09-16 12:08 | ビジネス | Comments(0)

すべての工場は空調を付けるべきである

前にも書いたような気がするが、冷房が苦手である。20代の終わりころ、南国で冷房病にかかった。以来、冷たい人工の風にあたり続けると、次第に首肩の筋が緊張し、頭痛がする体質になってしまった。電車は、だから弱冷房の車両を探して乗る。職場でも、なるべく冷房の風があたらない席をありがたがる。

この数日間、台湾で休暇を過ごした。街は活気にあふれ、見どころも多く、食事も美味しい。とても良い所だと思ったが、一点、どこでも冷房がきついのには閉口した。盛夏は過ぎたとはいえ、日中の気温が34℃にもなるこの時季、むろん冷房なしで客を迎えるなどありえない。

それは分かるのだが、蒸し暑い陽当たりを汗だくになって歩いた後、冷房の効いた建物や乗り物に入ると、汗が急冷されて、体温のフィードバックコントロール系が混乱していくのを実感する。防護のために上着を持っているが、そんな物では追いつかない近代技術の暴力である。一日出歩くと、クタクタになった。

もちろんこういう困惑は、台湾に行かずとも、住む街でいくらでも体験できる。わたしがよく利用するT電鉄は、冷房をガンガン効かせることが顧客サービスの第一だと心得ているらしく、春の連休くらいになると待ち構えたかのように冷房を入れ始める。せっかく上着がいらない気節になったのに、用心のために持ち歩かなければいけない。冷房がT社のサービスポリシーの産物であることは、車両が乗り入れ先のS鉄道に入ると急にゆるくなることで分かる。もっともS社は、冬は暖房の効きがわるくて寒いので、これはこれで閉口だが。

というように冷房嫌いで虚弱体質(?)なわたしが、なんでこんなタイトルの、しかもある意味で挑戦的な記事を書こうとしているのか、賢明なる読者はいぶかっておられると思う。でも、もう少しだけ我慢して、個人的な思い出話に付き合ってもらいたい。

子どもの頃、両親に連れられて初めて東海道新幹線に乗った。夏休みに東京から熱海に行くつもりだったのだが、列車の中で両親は気をかえて浜松まで足を延ばすことに決めた。新幹線はまだ開通したばかりだった。日本が資金調達のために世界銀行から大枚を借りて、結局その借金が国鉄を潰す遠因となった、戦後の一大近代化プロジェクトの成果である。

その最新鋭の列車の席に座ると、車両の天井から冷気を出す仕掛けをさして、うれしそうに「エアー・コンディッショニングだ」と父親は言った。亡き父はエンジニアで、そういう進歩的な仕組みが好ましかったのだろう。わたしは子どもだったので、両親と一緒に海に行けるだけで楽しかったから、暑くても気にならない。でもこのとき父親が胸中、何を考えていたのかは、ずっと後になるまで分からなかった。

その頃の公共施設は、冷房なんてかかっていないのが普通だった。学校もそうだ。小学校から大学院まで、わたしが通った学校は(たまたますべて公立だったかもしれないが)、冷房なしだった。今では信じられないだろうが、某県立高校に至るや、冬の暖房さえなかったのである。「一冬我慢すれば慣れる」と、ベテラン教師はうそぶいた。同じテニス部のK君(後に台湾駐在を経験し、わたしに見どころを紹介してくれた)が、教室内でコートを着て震えていた姿を、今でも覚えている。

会社に入ると、さすがに冷房がかかっていた。入社当時のオフィスは、横浜郊外の住宅地にある、築30年は越した古い鉄筋の建物だったが、それでも空調はあったのだ。エンジニア達が働く職場で、図面を引きながら汗がポタポタ、紙の上に落ちるようじゃまずい、という配慮だったのかもしれない(当時は図面は製図台で引いていたし、仕様書なんか全部手書きだったものじゃよ、お若いの)。とくに電子計算機サマなぞ、室温20℃という尋常ではない部屋に置かれていた。

週休二日制で、大学と同じ最新鋭の電子計算機を実業務に使用し、職場にはちゃんと冷房のかかっている会社は、ものすごい大企業とはいえないけれども、少しだけ誇らしかった。

つまり、冷房というのは、ながらく近代化の象徴であり、また贅沢品でもあったのだ。これが昭和時代に育った人たちの、頭の中の概念なのである。平成になってもう30年近くになるというのに、私たちの社会はいまだに、昭和の概念で、しばしば動いている。

さて、以前、「工場レイアウト設計の典型的問題と、そのエレガントな解決法」 http://brevis.exblog.jp/24532084/ という記事で、工場のレイアウトについて、あえて2階に製品出荷口を設けることで、多層階ながらシンプルなモノの流れを作ったN社の例を挙げた。そして実はもう40年以上も前の事例だ、ともつけ加えた。実はこのプロジェクトをリードした人は、新工場を作るにあたり、どのような設計思想で取り組んだのかを、技術評論社から出版した「実践的NCマネジメント入門」という著書に書き残してくれていた。

その中心となる生産システムの構想については、ここではあえて触れない。ただ、この人は新工場を作るにあたり、「この日本に町工場を一つ、いまさら増やしても仕方がない」と考えたのだった。そして、きわめて先進的な生産システムづくりとは別に、実現したことが一つあった。それが、全館空調の機械工場である。

N社は金属加工と機械組立を仕事としている。まあ、鋳物のドンガラを削る仕事である。知っての通り、金属加工は切削油のモウモウたる煙漂う職場であり、その工場は鉄骨スレート葺の建屋、外気開放型の仕事と相場が決まっていた。夏暑く、冬寒い。そして危険だ。今で言う3K職場である。

この人はそういう職場を変えようとした。だが、ことは簡単でない。まず、切削油はどうするのか。彼は水性の切削油に変えることに決めた。もちろん、そんな事をしたら、工作機械の刃物の切れ味が、全く変わってしまう。今まで工場の職人達が、慣れて蓄積してきた加工のスキルが、全部チャラになってしまう。

この人の方針変更はしかし、それだけではなかった。切削に使うバイト(刃先)をすべて、使い捨てのスローアウェイに変えさせた上に、種類を50本に制限した。新しい工場ではNCマシンを全面的に採用する。そこで、これを期に加工条件の標準化を図り、データベース化しようというのが、ねらいだった。それは、従来、職人の各個人が抱え込んでいたノウハウの共有化だった。

それにNCマシンならば、それまでの人間の手作業ではできなかった加工条件を試せる。その際は、チップの寿命を無視しよう、と決めたのである。そして設計図を作る技術部には、この50本のセット内で加工できるように、部品図面を作り直すよう依頼した徹底ぶりである。

しかし、こうした急進的な方針は、当然ながら現場の職人の反発を招いた。ある日、彼のところに、現場の職長代表が20人くらい、談判にやってきた。そして、「こんな切れないバイトじゃ生産性ガタ落ちだ」という。

これに対し、この人はなんと答えたか。以下、技術評論社刊「実践的NCマネジメント入門」から直接引用しよう。

「わたしはこの時、2つのことを話したように記憶している。1つは、個人個人がそれぞれ自分流の研ぎ方でやっていたら、いつまでたっても個人であって、全体の能率が上がる可能性はない。それで組織的に統一して集中研磨に移っているのであるが、この集中研磨を担当している『トギ屋』に一生なってもいいと言う人は手を上げてもらいたいということ。

第2に、スローアウェイは切れないというが、NCはスローアウェイで問題なく作業を行っている。スローアウェイを使いこなす自信のない人は、NCに切削条件を習いにいったらどうだ、という2つであった。NCに習いに行けということは、とりもなおさず前年入った新入り(NCの加工プログラムを作成した)に習いに行けと言うことである。

現状ではいくら能率が落ちても過渡期だから一向かまわぬ。5年先で、どちらが良いか判断しようではないかと。」(同書p.96-97)

結局、この方針のまま押し通してして、新工場建設プロジェクトは進められた。そして工場への全面的空調の導入も、行った。ただ、新工場の建屋の費用や新しい機械の購入費はともかく、けっこう大きな費用となる空調費用だけは「どうやってソロバンを置いたらよいのかすら、わからなかった」と書いている(p.56)。つまり、今風に言えば、投資の費用対効果、ROIが計算できないということだ。

ともあれ、N社の新工場は、斬新なレイアウトから大胆な生産システムの構築まで、「多品種少量・受注設計生産の機械工場はこうあるべき」との理想を、既存のこだわりを捨ててゼロから発想して作ったものとなった。建物は建築学会賞を受賞した。

では、全館空調の効果はいかなるものだったのか? それは、直接には測れない。それまで冷房なしでやってきて、特に問題があったわけでもない。自分たちが『快適』に仕事をしようというにすぎぬ。 だが、「こうした環境整備とそれによる不断の整理整頓、モラールの向上によって、新工場建設後、かすり傷を含めて労災件数が10分の1以下に激減し、不就労災害がほとんどなくなった」ことは事実だ(p.57)。

それで? ながながと、40年以上も昔の事例のことを書いてきたのは、理由がある。N社の工場を設計したのは、じつはわたしの父親なのだ。

父親が新幹線で「エアー・コンディッショニングだ」といったとき、考えていたのは工場のことだったはずだ。言うまでもないが、空調とは冷房のことではない。空調は「空気調和」の略で、"Air Conditioning"の訳である。人が快適に過ごせるよう、建物全体の空気の純度や湿度・温度を調整すること。これが空調の意味である。もちろん、空調は冷房とイコールではない。多くの人が不快になる冷房だったら、それは空調として機能していない。

だが、なぜそんなものが工場に必要なのか。それは、工場とは人が働く場所だからだ。近代化の象徴でもなく、贅沢でもない。人が働いて、そこで価値を生み出す以上、少なくとも技術的に可能である限り快適な空間・環境であるべきだ。働くことには苦心も忍耐も伴うが、しかし、それ自体が「面白い」ことでなければ、良い仕事は生み出せない。

工場の労働が、一生をかけてやる甲斐のある仕事であるためには、どうあるべきか。どうあってはいけないか。著書の中では、「シビルミニマム」という言葉を使っているが、話は空調だけの問題ではない。細分化された仕事を延々繰り返すあり方が、望ましいのかどうか。チップのスローアウェイ化について、「工場全体をスローアウェイ化しようとしたのは、NCの問題を除けば、来る日も来る日もバイト研ぎをやっている『トギ屋』を廃止しようとしたのが主要な理由である。」という。それに比べれば、空調化などたやすい事だったろう。

むろん、こういう主張を書けば、いろいろな反論が寄せられよう。先回りして予見しておくと、
(1) そんなことをしたらコスト競争力を失い、結局は中国やアジアに仕事全体を奪われかねない、
(2) 工場の製品特性や製造レイアウトから考えて、建屋の空調化は現実的に無理、
(3) 工場労働以外にも寒暖激しい労働環境はいくらもあるのに、なぜ工場だけ空調するんだ
くらいに大別できるだろう。

(1)については、その程度で失われるような競争力ならば、しょせんビジネスとしては長続きしまい、と答えよう。だって本社のオフィスは空調しているのでしょう? だったら空調は必要経費ではないか。いや、そんなにコストが心配なら、いっそオフィスも空調はやめて経費を節約したらいい。そもそも、そんな事をいっていたら、人手不足が深刻化する昨今、働き手を確保できなくて立ちゆかなくなるに違いない。

エンジニアなら、(2)の理由もいろいろ思いつく。フォークリフトが内外を頻繁に出入りする、大型の資機材を搬出しなければならない、火を使う作業である、天井が高くて空調効率がわるい・・。だが、そうしたことは本質的ではない。水性の切削油と同様、やろうと思えばいろいろな工夫がありうるのだ。それを講じるのがそもそもエンジニアの仕事ではないか。

間違ってほしくないが、空調=冷房、ではない。働く環境をできるかぎり快適かつ衛生的にすることが、空気調和の目的なのだ。その目的を理解した上で、必要なら局所冷却とかミストシャワーとか成層空調だとかを取り入れればいい。

では、(3)はどうか。わたしは建設業の人間なので、屋外作業がゼロにならないことは重々知っている。建設業だけではない、農業も、警備業などサービス業も、屋外で働かなければならない。こういう人達がいるのに、なぜ工場労働者だけが空調にあたっていられるのだ? 他の業種を差別するのか?

答えは、逆である。他に屋外作業があるから、工場も空調不要なのでは、ない。厳しい屋外作業に対しては、むしろハードシップの費用を上乗せして払うべきなのである。それが市場原理ではないか? 自営業の農家はともかく、給料をもらって働く職場である限り、厳しい環境の方がフィーが高いのは当然である(スキルへの報酬差は別として)。今、もしそうなっていないのだとしたら、現状こそ差別されているのだ。

こういう発想が出てくるのは、結局、地方が低賃金労働者を出稼ぎの形で無尽蔵に送り出していた、昭和時代の意識の名残なのだろう。40年以上も前に、小さめの中堅製造業が実現できていた全館空調の工場を、多くの企業がいまだに思いつきもしない。わたしのこの議論だって、今はたまたま人手不足だから聞く人も多少いるだろうが、また景気が低迷すれば逆戻りする可能性大であろう。空調など贅沢だ、と。

工場というのは、「人が働くとはどういうことか」の思想を具現化したものである。どんな工場も、それを見るだけで、その企業が「働くこと」をどう考えているのか、分かってしまう。工場を見た人が、すごい、是非ここで働きたい、と感じる場所にしたいのか。それとも、自分の息子や娘には、働かせたくない場所なのか。あるいは、こうたずねてもいい:工場とは、働く人が知恵や技を育てて価値を生む場所なのか、それとも金が金を生むための道具でしかない場所なのか。

もし日本企業が後者のような経営観を是としないならば、工場には空調をつけるべきである。




# by Tomoichi_Sato | 2017-09-12 23:56 | 工場計画論 | Comments(3)

IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (3) MESの未来像とは


最近、ある工場を見学に行った。ここでは仮にX社と呼ぼう。中堅の機械メーカーで、精密な加工技術を要する製品(というか、より大きな機械に組み合わせて使うモジュール的部品)を作っている。顧客の個別仕様要求が多く、生産形態としては受注設計生産に属する。

組立工程の現場のチーフ格の人から、話を聞いた。ここの現場では、一種の「デジタル屋台」というべき方式を採用している。ちょうどラーメンの屋台のように、一人に一台の作業用のラックが与えられ、目の前の端末には組立工程の作業指示が1ステップずつ、3D的図面に表示される。

X社が作っているのは小さな製品で、組立にはネジ止めを多用する。ネジ止め作業では屋台(ラック)に付属する電動ドライバーから、トルクなどの情報を自動的に取って、作業を自動的にチェックし、ミスを防止している。他企業でも見たことがあるが、優れたやり方だ。

ラックのサイドに部品入れの抽斗が並んでいて、部品はそこから手で取り出して、とりつける。取り出すべき抽斗の位置も、自動的に表示される。そこまではいいのだが、使うのは小さなネジなので、どうしても取り出すのにイラついたり、あるいはサイズや本数を間違えて取ってしまうことがある。

そこでこのチーフ格の人は、何か解決策はないものかと考えた。そしてある日、100円ショップから、色付きストローを何本か買ってきた。ストローの先端を、ちょっと丸める。そしてストローの逆側からネジを何本か入れてみた。こうすると、ストローの中でネジが数珠つなぎになり、ストローの先端からは、ネジの先っぽが顔を出す。一本引っ張って取り出せば、次のネジがまた顔を出す。

かくてワンアクションで、確実にネジを1本取ることができるようになった。ネジの種類に応じて、ストローの色をかえれば、取り間違えも防止できる。見事な知恵である。これ以外に他の現場でも、いろいろ創意工夫を聞いて、X社の職場の志気の高さに感心した。

それにしてもX社は、多品種 小ロットの受注設計生産がメインである。このデジタル屋台の作業指示の3D的画面は、誰がどのように作っているのだろうか? 3D-CADで設計しているから、というのは答えの半分でしかない。繰返し性の高い量産工場なら、3Dモデルから、工程設計者が細かく作業展開して、指示データを作っておくことができる。しかし小ロット個別受注で、そんな手間がかけられるのか?

X社の秘密は、設計の標準化と、コンフィギュレータの利用にあった。設計については、徹底した標準化を進め、製品各部分のサイズや材質については、パラメータ化している。また、共通部分と、個別にカスタムで変えるべき部分についても切り分けられているようであった。その上で、見積と受注段階で、コンフィギュレータを使う。コンフィギュレータというのは、製品の顧客要望の仕様を入力すると、適切な部品やパラメータの組み合わせを自動的に検索・計算してくれるソフトウェアのことである。

これによって受注時に、基本的な設計BOM(E-BOM)が自動的に選定されており、また価格も見積もられる仕組みだ。その設計BOMと付帯情報は、3D-CADに組み込まれたロジックにより製造BOM(M-BOM)に自動展開され、さらに別のソフトにより、デジタル屋台の作業指示画面が生成される。

製造現場の作業者に対して、ステップ・バイ・ステップで標準作業の指示を与える機能は、典型的なMESの機能である。医薬品分野のMESでは、「SOP(標準作業指示)」機能と呼ばれる。組立の分野では、紹介したような組立図の画面表示がよく行われる。作業の着手と完了時に、ワークに付随するバーコードやRFIDを読み取って、誰がどの部品をいつ・どれだけの時間をかけて製造したかをモニタリングする「POP(製造時点情報管理)」と並んで、MESの基本機能と言っていい。かなり制御層に近いので、前回記事の言い方を借りれば”Lower MES"ということになるが。

ところで、作業指示をステップ単位で表示するためには、MESが対象製品の製造部品表(M-BOM)と、作業工程表(BOP=Bill of Process)のデータを知っていなければならない。ご存じの通り、部品表(BOM)と作業表(BOP)は、製品設計からスタートする情報の流れ、すなわち製品の『エンジニアリング・チェーン』の中で生成される。つまり、MESという仕組みは、企業のエンジニアリング・チェーンときちんとデータ・レベルで結合されていないと役に立たない、ということになる。

そして製品のエンジニアリング・チェーンというものは、納入先顧客数が増え、製品の品種数が増えるほど手間暇がかかるようになり、部品点数や個別仕様が増えるほど、設計変更の可能性が増える性質を持っている。少品種・大量見込生産の高度成長期に比べ、個別受注設計・小ロット生産が主体の今日は、エンジニアリング・チェーンとMESのスムーズな結合・連携は、はるかに重要かつ難しいといえるだろう。多くの企業では、生産技術部や製造部の技術者達が人手で対応して、つないでいるのが現実だ。

エンジニアリング・チェーンからBOMやBOPデータを受け取ることと並んで、MESにとって大事なのは、生産オーダーの情報を上位系から受け取ることである。どのオーダーは、どの顧客向けで、どんな数量と納期になっているのか。これが分からないと、各工程における優先順位やスケジューリングができないことになる。製造工程のスケジューラは、前回も紹介した通り、MESのもう一つの重要な機能である。こうした納期・顧客・数量のデータは、サプライチェーン関係の仕組みから入ってくる。MESの3層モデルが示すところである。

エンジニアリング・チェーンとサプライチェーン。MESがつながる相手は、これだけで十分だろうか。いや、まだある。

IoT技術が進展しつつある今日、MESの普及を阻害してきた現場の機械・制御系とのやりとりが可能になり、稼働監視や複数機械の連携制御、そして予防保全などが新たな期待となっている。それはつまり、MESが設備情報のマスタ・リストを持たねばならないことを意味する。工場の機械設備等のBOM構成・能力やプロファイルなどのマスタデータはどこから来るか。それは、設備に関するもう一つのエンジニアリング・チェーンからくる。多くの企業では、生産技術部門や保全部門などが主導し、工務部門や調達部門もかかわる業務の流れである。

他には? MESが現場作業者に指示を出し、制御系やPOPなどから工程実績をとれるようになると、次には工程別や個人別の生産性に目がいくと思う。「デジタル屋台」などはそれに非常に適した仕組みである。作業ステップごとに、組立作業時間の実績が分かる。こうなると、自分の目標値や自己ベストや職場のチャンピオンの時間との比較も可能になる。こうした生産性比較は、上手に使えば個人のモチベーションアップにつながる(もちろん、下手な使い方をすれば、単に全員を「競争馬の疲弊」に追い込むことにもなり得るが)。

ともあれ、こうなるとMESは人事や労務管理プロセスから、作業者のマスタ・データを受け取り、あるいは能力・実績を送り返す必要が出てくる。

まだある。製造現場には、顧客サイドからのフィードバックが入ってくることがある。主に品質に関する情報だ。顧客サービス部門が起点で、製造部門にまず入り、そこから設計をさかのぼって製品企画部門に至る、製品改善のチェーンである。5月にフィンランドで開催されたMPD 2017で、たまたまご一緒したIVIのエバンジェリストである富士通の高鹿初子さんは、これを「顧客サービスから製品企画に持ち帰るフィールド・プロセス」と呼ばれていた。よい言葉だと思うから、借りることにしよう。

MESには、フィールド・プロセスから来る品質に関するクレームや提案を、製品ロットやシリアル番号とともにインプットする機能も必要だ。

結局、それはMESが情報のハブになる、ということだ。これが、IoT技術の進展と共に、MESに起きる一つめの変化なのだ。従来のMES機能モデルでは、本社の上位系から計画情報を受け取り、実績情報を返す、と書いてきた。前々回で、わたしは「8の字モデル」をご紹介したが、そのバリエーションだ。ISA-95はもっと複雑だが、資材・スケジューリング・在庫といったSCM系情報が中心で、品質・保全系がサブに見える。だが今後は、MESは製造業における情報のハブとしての機能を、強化する必要があるだろう。もっと分かりやすくいえば、外部とのインタフェースがもっと増えるだろう。同時に、マスタデータの同期をどう図るかという、運用設計上いささか面倒な点も考慮しなければなるまい。
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もちろん、こうした機能の全てを皆がいつも必要とする訳ではない。また、MESパッケージがこれら機能全てを備えるべきだとも思わない。製造現場のニーズは多様であり、個別目的にフィットしたパッケージやモジュールを選んで組み合わせて使う、という風になっていくのではないか。それはプロセス産業で一足先に実現している姿だ。

さて、冒頭のX社の事例を見学しながら、わたしは10年近く前にかかわった別の企業のことを思い出していた。そこをY社と呼ぼう。Y社も個別性の高い多品種少量・受注生産形態の、機械のメーカーだった。受注の半分以上が、設計工程のある受注設計生産だったと思う。

Y社を思い出したのは、そこもやはり受注に当たってコンフィギュレータを活用していたからだ。かなり早い段階から自社開発していたと聞く。営業部門は引合いの段階からコンフィギュレータを使って型式選定や見積を行い、受注後は、自動的に標準製作部分と、追加設計の必要な部分に分けてE-BOMが出力される。部品の発注手配も、そこから行われる。設計部門が設計作業をおえてE-BOMを完成登録すると、システムが自動的にM-BOMに展開していく。なかなかすぐれた仕組みだった。

Y社の元々の構想では、M-BOMと図面情報から、工作機械(NCマシン)の加工プログラムまでつなげて、生産性を高めるはずだった。だが、Y社の製品は、部品点数や材料のバリエーションが非常に多く、またサイズも最初のX社の製品よりずっと大きい。結果として、マテリアル・マネジメントがいくつかの理由で混乱して、部品在庫が沢山あるはずなのに、欠品による納期遅れが多発していた。エンジニアリング・チェーンから自動的に製造管理の仕組みにつなげるアドバンテージを、生かし切れていなかった。何より、個別オーダーの納期管理の責任が、いくつかの部門間に分散されていた。

わたしは、社内に「受注コントロールセンター」的な機能を作って、納期管理を徹底させることを提案した。ちょうど空港の管制センターが、入ってくる飛行機に次々に指示を出して、限りある滑走路やゲートを割り当てていくように、個別のオーダーの指示とモニタリングを集中化するのだ。かなりの受注オーダーをさばくY社の業態には、こうした機能が必要に思われたのだ。だがそのためには、情報システム関係にもかなりの改変が必要になる。結局その提案は受け入れられずに終わった。

冒頭のX社は、PCベースの工場スケジューラを導入して、この問題を乗りこえようとしておられた。まだ工場の全工程まではカバーし切れていない様子だったが、その方向性はとても正しい。標準形はあれども個別性の高い要求使用を受けた受注生産を、マス・カスタマイゼーションと呼ぶ。そう。ドイツIndustry 4.0がターゲットにしている生産形態である。マス・カスタマイゼーションでは、製造全体をカバーするような、中央管制システムのような仕組みが必要なのだ。

そして、まさにIoT技術の進展が、それを次第に可能にしてくれている。これまで、現場の手作業やアナログ機械の状態監視ができなかった。また工場内を動く部品やワークの、所在や流れを追いかけることも困難だった。IoTのおかげで、そうした要求は、(コストのハードルはあれども)指呼の間に入ってきたのだ。Lower MESという言葉が出てきたように、MESが制御層と直接やりとりする界面がずっと広がった。今後は、MESと制御システムとのつながりはもっとシームレスになっていくだろう。そして工場全体の流れや動きがリアルタイム的に分かるようになるだろう。

MESの分野に起きる、もう一つの大きな変化とは何か。それは、MESと制御システムがより一体化して、工場全体の「中央管制システム」のような仕組みが生まれることである。従来からプロセス・プラントには中央制御室があり、そこから工場全体を監視し指示を出すことができた。ディスクリート系工場も、いずれ、似たような中央管制システムを持つようになるだろう。これがわたしの二番目の予想である。

もっとも、こうした予想に対しては、「欧米流トップダウン式の中央制御の仕組みは、日本のボトムアップな現場力を損なう」という反論があり得よう。読者はどう思われるだろうか?

でも考えてみてほしい。空港には管制塔がある。では、航空機の世界はトップダウンだろうか。飛行機の機長は、ただ上から言われたことをやるだけのロボットのような存在だろうか? そうではあるまい。たぶん、そういう意見は、中央に情報のハブを持つ仕組みと、軍隊式の命令服従型の組織構造を、なんとなくごっちゃにしている。冒頭のX社は、中央管制システムの実現に相当近い位置にいる。だが、現場の人はものすごく独自な知恵を出して、さらなる改善を続けているではないか。誰かがオーダーの最初から最後までを追いかけていることと、現場の創意工夫とは、まったく矛盾しないのだ。

わたしはむしろ、中央管制システムの実現に対して、もっと別の心配をもっている。それは、誰がこのような制御とITにまたがったシステムの構想を描き、設計をリードし、実装と運用の面倒を見るのだろうか、という問題だ。よほどの大企業だったら、工場にも情報システム部門があるだろう。だが普通の企業では、情シス部門は本社にいて、製造現場の泥臭いことには手を出したがらない。多くの工場では、生産技術や製造部の、「ちょっとパソコンに詳しい若手」が、片手間にその任に当たることになっているのだ。だがこんな大きな仕事、片手間でできるだろうか?

製造現場にIoT技術が広がる現在こそ、わたしは経営層に、こうした生産情報系への関心を持ってほしいと切望する。「ウチの現場力は外国に負けない」と自負されるのは結構だ。だがその現場力は、きちんとモノと情報が交通整理された工場ではじめて十分発揮できるのだ。

昨今、ものづくりの競争力のコアは製品開発にある、製造は単なる力仕事だ、といった通念がメディアで流布しているように思う。冗談言わないでくれ、というのがエンジニアリング会社で働くわたしの率直な実感だ。経営者はもっと製造現場を見て、そこで働く人達の悩みを理解してほしい。せめて聞く耳を持ってほしいと思うのだ。

それを怠ったら何が起きるかって? いうまでもない。ここに書いたこと、これまで3回にわたって縷々説明してきたことは、すべて日本にも外国にも共通した話なのだ。放っておけば、必ずや頭の良い外国人達が、情報のハブとしてのMESと、MESによる中央管制システムの仕組みを、実現していくだろう。それが第4次産業革命のコア技術となるのだ。いや、そればかりか彼らは例によって、勝手に標準規格を作って、押しつけてくるかもしれない。そして日本はまた、その動きを後追いすることになりかねまい。

そういう受け身の状態を、わたしはこれ以上見たくない。だから、こうした予測や議論を共有したくて、記事に書いているのである。まあこんなサイトに書いたからといって、経営層の人が見る気遣いはあるまい。しかし、読者の中には心ある技術者の方がいて、こうした意見を含め上申されるかもしれない。わたしはいろいろと足りない人間だが、言葉を連ねる能力だけは、多少あると思っている。

多くのエンジニアは、寡黙である。寡黙なるが故に、力量があっても理解されない。せめてわたしは、声なき技術者にかわって、言挙げし続けようと思っている次第である。


<関連エントリ>
 →「IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (1) MES普及を妨げたもの」 http://brevis.exblog.jp/25991822/ (2017-08-19)
 →「IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (2) MESの機能と階層を理解する」 http://brevis.exblog.jp/26007261/ (2017-08-27)
 →「部品表と工程表」 http://brevis.exblog.jp/25634844/ (2017-03-22)

# by Tomoichi_Sato | 2017-09-04 23:28 | サプライチェーン | Comments(0)

IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (2) MESの機能と階層を理解する


前回の記事(http://brevis.exblog.jp/25991822/)で、IoT技術の発達はMES(Manufacturing Execution System=製造実行システム)にどのような影響を及ぼすかを考えたい、と書いた。MESの概念が提唱されてから、すでに20年がたつ。その間、限られた一部の業界を除くと、MES自体はあまり大きく広まらなかった。そのボトルネックが、製造現場の機器や人との通信インタフェースにあったことも、前回書いたとおりだ。

そもそも、MESとは何か。どのような機能を持つITシステムなのか。これをきちんとおさえないことには、IoT技術のインパクトも論じられない。MESの持つべき機能については、MESA Internationalが早くから「MESの11機能」を定義していた。「MES入門」の中村実氏の解説を元に列挙すると、次のようになる。(なお、日本語だけだと誤解されかねない部分があるので、元の英語も併記した)

(1) 生産資源の配分と監視 Resource Allocation & Status
 生産資源の監視・管理、資源の配分と予約、資材や設備の監視・管理、などを行う。なおここで生産資源とは、人・機械・治具・金型など、それがないと製造ができないが、材料と違い製造後にも残って他の仕事に使えるものをいう。

(2) 作業のスケジューリング Operations/Detailed Scheduling
 スケジューリングの策定、ロットの発番とリリース、実績の把握に基づくスケジュールの修正。この部分だけを見ると、いわゆる工場スケジューラの機能である。

(3) 差立て・製造指示 Dispatching Production Units
 差立て(ディスパッチ)、製造指示の発行、ロット(現品)管理、現場作業員に対する作業のガイダンスを行う。このうち、製造指示書の発行と差立ては、中堅以上の工場ではどこでもほぼIT化されていると思う。

(4) 仕様・文書管理 Document Control
 仕様・工場モデルの設定・管理(BOM、SOPを含む)、製造記録の管理、ペーパーレス・オペレーションなどを行う。なおSOPとはStandard Operating Procedureの略で、「標準業務手順書」のことである。医薬・食品など品質管理を厳密に求められる分野で重視される。

(5) データ収集 Data Collection Acquisition
 作業報告・POP、データ収集・蓄積などを行う。日本の現場では、作業報告はおおくは日報の形で記録され、翌日上がってくるのが普通だろう。POPとはPoint of Productionの略で、流通業界でPOS(Point of Sales)システムとよばれるものの製造現場版だ。つまり、作業の着手と完了時に、指示書のバーコードをスキャンして、どこの誰が何をいつやったか、リアルタイムに収集する仕組みである。
 他方、「データ収集」(Data Aquisition)と英語で言う場合は、制御系のDCS/PLCなどからタイムスタンプ付きデータを、リアルタイムに自動的に転送してくる仕組みを普通いう。

(6) 作業者管理 Labor Management
 作業者管理・セキュリティ管理などを行う。といっても勤怠管理や現場のゲート・コントロールなどは普通、別に仕組みがあるはずだろう。

(7) 製品品質管理 Quality Management
 統計的品質管理、品質情報の蓄積と管理、品質分析・解析の支援、顧客サービスの向上などを行う。

(8) プロセス管理(工程品質管理) Process Management
 通常のプロセス制御、高度なプロセス制御(工程間制御、フィードフォワード、モデル予測制御など)、例外状況のアラートなどを行う。

(9) 設備の保守・保全管理 Maintenance Management
 保守・保全管理を行う。なお、この部分だけに特化したCMMS(Computerized Maintenance Management System)というパッケージのソフトウェアも存在する。

(10) 製品の追跡と製品体系の管理 Product Tracking & Genealogy

(11) 実績分析 Performance Analysis
 レポート作成、分析作業支援、進捗管理、出荷予測を行う。

・・以上だが、読んでいて、なんだか分かりにくいと思うのはわたしだけだろうか? たとえば、通常のプロセス制御(フィードバック制御など)が、なぜ (8) Process Management機能の一部なのだろうか。これは制御層の仕事ではないのか? また、トレーサビリティ関連の機能が(3)(7)(10)に分散しているように見えるのはなぜだろうか。どうも今ひとつ、自分の頭の中ですわりがわるいのである。

そこで調べてみると、じつはMESの機能モデルはこれだけではないことがわかる。

たとえば、ISA-95 (IEC/ISO 62264)という標準規格がある。ISA-95は、ビジネス(経営)ドメインと製造ドメインとのインタフェース仕様を定めたもので、その中には以下の12の生産関連機能が書かれている(番号はわたしが勝手にふった整理番号である)。

ビジネスドメイン:
 1 オーダ処理、
 2 製品原価管理、
 3 製品出荷管理、
 4 マーケティングと販売、
 5 研究開発および生産技術、
 6 調達、
製造ドメイン:
 7 生産コントロール
両者の境界線にまたがる機能:
 8 生産スケジューリング、
 9 製品在庫管理、
 10 品質保証、
 11 保全管理、
 12 資材およびエネルギー管理

ビジネスドメインと製造ドメインにまたがる機能がMESの役割と考えると、スケジューリング、在庫、品質、保全、資材・エネルギーの5(6?)種ということになる。ただこれらは「お仕事の機能」であって、IT機能モジュールという意味ではないので注意。

ほかに、あまり知られていないが、日本発の標準化を目指した製造科学技術センター(MSTC)の「オープンMES」の9機能というのがある。

1 製造指示管理、
2 工程管理、
3 設備管理、
4 資材管理、
5 搬送管理、
6 製品仕様管理、
7 スケジュール管理、
8 工程仕様管理、
9 保守管理

ISA-95と比較すると、搬送管理や工程仕様管理が入っている点が目をひく。こちらはさらに、製造現場に立脚したモデルという感じを受ける。ただオープンMES自体は、実証目的で試験的実装まで行われたが、技術的及びマーケティング的理由で、現実には広まらなかった。

ところで、ARC Advisory Group(米国の製造業系ITの調査コンサルティング会社)のつい最近の調査レポート:
ISA-95 Integration Standards: Evolution, Revolution or Irrelevance
を読んでいたら、興味深いことが書いてあった。著者はIoT技術の普及進展と共に、MESがいかに影響を受けるかを論じていて、とくにISA-95規格が「進化するのか変革されるのか、それとも無関係なのか」と問うている。その中に小さな図が一つはいっていて、例の3層モデル風の絵が描かれているのだが、そこではMESをさらに

 - Upper MES
 - Lower MES

に分けているのだ。Lower MESは、制御層に一部食い込んでいる(ISA-95はパーデュー大学が開発した機能階層モデルを採用しているので、「制御層」という言い方はしないが)。上位MESと下位MES? 似たような表現を、別の制御ベンダー資料でも見たことがあった。
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いったい、Lower MESとは何か。それは制御層の機能を抱え込んでいるか、切れているのか? これは、上記MESA Internationalの(8) プロセス管理 Process Managementで感じた違和感にも通じている。そもそも、本社機能と現場をつなぐのがMESシステムではなかったのか。だったら現場の機械を動かす制御が、どうしてMESの一部なのか。

こういうヘンテコな現象がMESの機能モデルで生じるのは、じつは理由があるのだ。それは、上述のアメリカ発の標準体系が、ディスクリート系とプロセス系の両方を取り込んだ結果なのである。彼らは抽象化と汎用化を強く志向する人達なので、どんな製造業にも当てはまるモデルを求めたのだろう。だが、それが混乱の元だった。両方をそれなりに見てきたわたしの意見では、プロセス系と組立加工(ディスクリート)系は、制御層の構造がものすごく違っているのである。

簡単に言うと、プロセス産業では、制御レベルで工場(製造ライン)全体が統合されている。プラントにはDCSというシステムが中央制御室にあって、そこから工場内の全てのできごとが監視でき、また主要な機器・バルブなどを操作できるようになっている。

ところが、ディスクリート系では制御が機械単位で行われているのが普通だ。現場に製造機械がある。それのモーションを制御するPLCは、機側盤の形ですぐ横についていて、オペレーターはそのパネルから操作するのが普通だ。搬送機器なども同様である。だが、工場レベルではバラバラだった。前回書いたように、建物の一歩外に出ると、中の機械が動いているか止まっているのかさえ分からないのである。

これではこまるから、複雑な機械作業の連動が必要な半導体や液晶や医薬品工場では、MESが発達したのだ。MESが各機械・設備を統括し、連動して工程間制御の指示を出す。だからMESの中に制御的な機能が入ってくるのである(いわゆるLower MES)。これはプロセス系MESではほとんど不要なことだった。

現場センサーの接続についても、状況はまったく異なっている。プロセス系では、現場の圧力計のトランスミッターと、中央制御室のDCSのメーカーが違っていても、つながってあたり前である。通信がつながるかどうかの心配なんて、誰もしない。もう何十年も前からそうなのだ。だがディスクリート系では、長らく、つながること自体が技術力の証だった。「つながる工場」といったって、つながり度が全然違うのである。

だから制御システム業界では、プロセス系をPA(Process Automation)、ディスクリート系をFA(Factory Automation)と呼び、社内的に区別してきた。技術の考え方がまったく違うからだ。

プロセス系とディスクリート系は、製造における仕様や品質管理の思想も違う。このことは、強調しておいた方が良い。ディスクリート系では、モノに属性がある。また、モノに(やろうと思えば)シリアル番号をふれる。それが当たり前だと、皆、思っているだろう。なぜなら、扱うモノが個体で、混合しないからだ。

だが、プロセス系では、モノではなく、ライン(配管内の流れ)に属性がある、と考える。なぜなら扱うのが流体や粉体で、任意の比率で混合するからだ。そして混合比率も性状も、経時的・連続的に変化する。ただしプロセス系といっても、連続生産でなくバッチ生産の場合は、品質的に均質と言える範囲をロットと定義して管理する必要があるが。

ともあれ、無理に木に竹を接ぐと奇妙なモデルが生まれる。これが、「システム・モデラーが天職」を自称するわたしの、MES標準化活動に関するいささかゴーマンな主張である。もちろん、プロセス系とディスクリート系の境界領域は存在する。わたしのいう「切替型連続生産」業種で、上流はプロセス、下流はディスクリートになる。こういった領域ではモデリングにも細心の注意が必要だと、わたしも思う。

それで、主題はIoT時代のMESの将来であった。わたし自身は、プロセス系のMESについて、すでに「MES入門」「MES活用最前線」でいろいろ書いてきたので、この記事ではあえてディスクリート系のMESについて論じよう。IoT技術が現場とのつながり方を速く広くしてくれたことで、MESはどうなるのか。MESとは工場の製造管理者(工場のホワイトカラー層)を助ける仕組みである、というのがわたしの前提である。一部の欧米人は、本社が直接、MESで製造現場を指示統制できれば製造管理者など不要になると空想しているかもしれないが、わたしはそうは考えない。

その前提の上で、わたしはMESに二つの変化を予想している。だが、今回も問題整理で長くなりすぎてしまったようだ。変化の方向性については、稿を改めて、次回書く。


<関連エントリ>
 →「IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (1) MES普及を妨げたもの」 http://brevis.exblog.jp/25991822/ (2017-08-19)
 →「工場計画論(6) ディスクリートとプロセス--製造業の分類学」 http://brevis.exblog.jp/12850087/ (2010-06-23)



# by Tomoichi_Sato | 2017-08-27 12:54 | サプライチェーン | Comments(0)