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欧州におけるIndustry 4.0 − その虚像と実相(1)

「フィンランドの大学では、受講している科目は何度でも試験を受け直せる、ってホントですか?」−−先月、ヘルシンキで会ったA先生に、わたしはたずねてみた。答えは、”yes”だった。毎月、試験日がある。事前に登録しておけば、会場で、複数の科目の試験を受けられる。そうして、自分が納得いく成績を取れるまで、何度でも繰り返しチャレンジすることができるのだそうだ。ただし教授の側は毎月、試験問題を出す訳だから、大変だろう。それでも、納得できるまで学べる。随分と教育を重視した制度だ。

そもそもフィンランドの大学は、4年で卒業する制度ではないらしい(年限は一応10年以内とか)。学費は交通費も文房具代まで含めて、無料である(小学校から大学まで)。だったら皆が大学に殺到するかというと、そうでもないようだ。卒業はそれなりに難しい。また、大学以外にポリテクニックなど職業訓練校の存在もある。フィンランドの教育制度は近年、日本でとみに話題になったが、良し悪しや比較の議論以前に、教育に関する考え方がかなり違う、としかいいようがない。単線のエスカレーターではなく、乗り降り自由な複線みたいな印象だ。少なくとも、日本の東大・京大を頂点としたピラミッド構造とは、随分違う。

こうしたことは、現地に行って、いろいろ見聞きしてみないと分からない。よく「百聞は一見にしかず」というが、とくに社会的な仕組み(システム)のことに関しては、そうである。

5月末から6月にかけて、ドイツとフィンランドに、短い出張に行ってきた。その時に見聞きして考えたことを、報告したい。まさに百聞は一見にしかず、の旅であった。出張の目的は、次世代の工場のエンジニアリングに関する我々のビジョンを発表すること、ならびに『Industry 4.0』の震源地であるドイツでの実相を調べること、の2点だ。

最初の目的のために、フィンランドで開催された"Manufacturing Performance Days 2017”(略称MPD 2017) https://mes.eventos.fi/event/mpd2017/pages/programme というカンファレンスにまず参加した。場所は、フィンランド第二の都市、タンペレ(Tampere)である。ここは首都ヘルシンキから高速鉄道で1時間半、東京と静岡くらいの距離にある工業都市で、湖水地帯にある。この町をはさむ二つの大きな湖の間に6mの落差があり、これを利用した水力発電設備が、町の発展の基礎となった。
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本カンファレンスには、昨年、自分が主催する研究部会のメンバーであるKさんの紹介で、来日したタンペレ工科大学のTuokko名誉教授にお目にかかったご縁があって、発表枠を得ることができた。このMPD 2017とは、小さな規模ながらレベルが高い国際会議と展示会で、今回が10年目である。ちょうどフィンランド建国100周年に当たるとかで、過去最高の約800名が参加した。主な参加者は:
- 大学および国立の研究機関(たとえばドイツのフラウンホーファー研究所や中国科学院)、
- 産学連携組織(欧州には各国にあり活発)、
- 企業:地元フィンランド企業に加えて、Siemens, SAP, Daimler, Bosch, Beckhoffらドイツ勢。さらに米GE, 仏Dassault, 米McKinsey, 英Rolls-Royce, スウェーデンのVolvoなど錚々たる企業が参加している。

ちなみに日本からは、我々日揮と、IVI(「つながる工場」で知られる日本の組織"Internet Valuechain Initiative")のエバンジェリストとして、富士通の高鹿さんが参加された。

それで、佐藤が何を講演発表したかというと、およそ以下のような骨子の話である:

(1) IoT技術の進展、およびIndustry 4.0に代表される社会的要請の二つの導因(ドライバー)により、これからの工場のあり方は大きくかわる。
(2) すなわち、中央制御室を持つ、より統合された「システムとしての工場」に進化する。
(3) そうなると、「工場のシステムズ・エンジニアリング」が必要になる。
(そして、そこにはプロセス産業での教訓も活かされるだろう)
(4) そこで、我々はその確立を目指して活動していく。

といった主旨だ。詳しくはいずれ項を改めて書くつもりだが、講演資料はネットからすべて公開されているので、興味がある方はご参照いただきたい。
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カンファレンス全般の感想を少し書いておこう。まず印象に残った発表・展示としては、
- Siemens社のIoTプラットフォームであるMIndSphereの発表デモ
- タンペレ工科大学のMinna Lanz教授によるMESの連携システム構想
- アールト大学によるIoTを使ったクレーンのスマート化実験
- GEのドイツ自社工場における"Brilliant factory"実践取組みの報告、
などを代表例としてあげておきたい。

ただし、IoT技術レベルのテクニカルな話題と、Industry 4.0関係のハイレベルな議論が多く、中間の「工場レベル」の話が少なかった。強いてあげるなら、GEの事例に加えて、我々日揮とIVIの日本勢の2発表くらいかもしれない。ここは一種のミッシング・リンクになっていると、わたしは感じた。

最終日には、タンペレ工科大学の見学もさせていただいた。人口20数万人の工業都市の大学ながら、工学系研究のレベルが高いのには目を見張った。キャンパスに着くと、完全自動運転のマイクロバスが構内を走っているのに気がつく。すでにこのレベルでは実用に供しているのだ。いくつか研究室を見せていただき、院生達とディスカッションもしたが、実験設備も研究内容も世界レベルである。ここでわたしは、はじめて金属3Dプリンタの実物を見た(院生が実験で使っていた)。

たまたま見学したのが機械系学科だったこともあるだろうが、ロボティクスや建機の自動運転研究などが面白かった(写真は多軸ロボットとヒューマンインタフェースの研究を解説するLanz教授)。フィンランドは林業の国でもあり、建機メーカーもあって実際的である。ちなみにカンファレンスでは、英Rolls-Royceと共同した、船舶の自動運転研究がトピックになっていた。フィンランド政府が、海面での規制を緩和し、船の自動航行の実験を可能にしたのである。(ついでにいっておくと、日本ではロールス・ロイスを超高級自動車メーカーだと思っている人が多いが、むしろ英国の三菱重工みたいな存在だと思えばいい)
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またタンペレ工科大学を含むフィンランドで、生産マネジメント分野の研究もしっかりしている点に感心した。スコープが広く、製造業全体の問題として考えている。これに対し日本では、近年この分野の専門家がほとんど大学にいなくなってしまった。品質管理や在庫・スケジューリングといった個別の専門家は、いるにはいるのだが、Industry 4.0のような広い文脈で、全体を語れる研究者がいないのだ(たぶん論文になりにくいからだろうが)。

大学は企業とも距離が近く、共同研究を多く行っている。上記の設備なども、企業(フィンランドだけでなくドイツ企業なども含め)との共同研究で購入しているようだ。企業は資金と機材を提供し、大学は人手と知恵を提供するサイクルが、うまく回っている。もっとも、フィンランドという国は現在、「ノキアの次」を、皆が探している感じがする。ノキアは世界市場を相手にした大企業であったから、それだけ喪失感も強いのだろう。

ところで、MPD 2017でいろいろな講演者や出展企業の人びとの話を聞くうちに、わたしはあらためて、欧州製造業におけるドイツの影響力の大きさを実感するようになった。北欧の辺境に位置するフィンランドだけでなく、スウェーデン、フランス、ベルギー、スペイン、オランダなどからの参加者とも話したのだが、その感は強い。それはたぶん、ドイツの製造大国としての存在感としてよりも、むしろ、Industry 4.0に代表される構想力と、システマティックで重厚な進め方のためだろうと感じる。

ドイツの重厚な進め方とは、どんなものか。たとえば、少し前に英国で「人工知能は将来、人間の47%の仕事を置き換える」というショッキングな研究が出された。これは日本でも話題になったが、欧州でも当然、驚きを持って受け止められた。ところでドイツでは、この問題に関して、追検証のスタディを複数の研究機関に委託した(ドイツは連邦制なので、各地の州政府が独立して動く気風がある)。

その追試研究の結果の数字はまちまちながら、ドイツでは「せいぜい1割程度」という答えとなった。それでも、その報告を重く見て、ドイツは「雇用(Arbeit) 4.0」という次の国家プロジェクトを始動した。同じ時期、日本では、この研究を客観的に再評価する指令を、国や財界が学会に下したという話を聞かない。むしろ47%という数値を、あちこちの人が我田引水や威かしのために、メディアで触れ回った印象しかない。

この例でも分かるとおり、ドイツではどうやら産→官→学のサイクルがきちんと回っている事と、総合的で実証的なアプローチによって、説得力があるのである。行く前は、正直言ってそんな風には想像していなかった。この点は自分の不明だった。しかし、それならドイツにおける製造業の実態はどうなのか?

それを知るために、カンファレンスの後、わたしはドイツに向かったのである。だが長くなってきたので、この話の続きは、また書こう。


by Tomoichi_Sato | 2017-06-25 22:54 | 工場計画論 | Comments(1)

怒りやすい人びと・怒っていると気づかない人びと

近所の通りを歩いていたら、信号が黄色から赤に変わりはじめたのに、交差点に突っ込んできた乗用車があった。強引に右折して進んでいく。歩道近くの歩行者たちは、あわてて身をひき、皆がひやりとした。車のドライバーは、年配の男性だった。みたところ団塊の世代くらいか。車種はそれなりの中型車だった。

何を怒っているのだろう。わたしは思った。あきらかに、何かに腹を立てているかのような、乱暴な運転だった。別に渋滞でもなく、忙しい通勤の時間帯でもない。だから別のことに腹を立てているのだ。

それにしても、彼は何に怒っているのか。立派な車も持ち、たぶんきちんと家庭もあり、年齢から見て、日本の高度成長の栄光と共に生きてきたはずだ。年金だって、それなりにもらっているだろう。多くの若い人から見れば、うらやむべき境遇ではないか。

もちろん、日常生活には腹の立つ場面はたくさんある。出がけに夫婦げんかでもしたのか、あるいは、好きなチームが夕べ大敗したのか。それとも愛する日本が国際競争力ランキングで先進国中、最下位になったニュースでも見たのか? だが怒りの原因が何であれ、いったん人前に出たら、それに飲まれない分別を身につけているはずの年配ではないか。別のところで腹いせするなど恥ずかしい——それが大人だろうに。

別の経験もある。会社帰りにある店に入ってカウンターに座り、好きなギネスの黒ビールを頼んで、本を読んでいた。すると突然、近くにいた男性(彼もたまたま団塊の世代のようだった)が、「貴方は明るい方ですか、暗い方ですか?」とわたしに問いかけてきた。わたしは一瞬、訳が分からず目をぱちくりしていたと思う。冗談めかしていたが、難詰する口調だ。すぐに、“こんな洒落た店なのに一人で暗く本なんか読みやがって”、と相手が思っているらしいことが見て取れた。余計なお世話ではないか。するとマスターが(その店のマスターが英国人だった)割り込んできて、「この人はこうして静かに飲むのが好きなんでしょう」と取りなしてくれた。

この男性も、わたしに腹を立てたらしい。だが、なぜ? 飲み屋で一人、本を読むのは彼の美学には適わないかもしれないが、迷惑をかけた訳でもない。彼は本当は何か別のことに怒っているのに、はけ口を、たまたまわたしに向けたのだ。

話を、ちょっとだけビジネス方向に向けよう。以下に紹介するのは、ITエンジニアが好む話題=『生産性』をめぐる問答だ。好むといっても、わたしの体験では、多くのITエンジニアは生産性というモノサシを信じていない。かわりに、「できる奴はできない奴の10倍、生産性が高い」「いや、30倍だ」「100倍だよ」「できない奴はゼロなんだから、無限大さ!」と言う風に、モノサシの客観性を無力化する会話を好む。仕事に費やす時間と成果は無関係、天才画家が一瞬のひらめきで創作するようなものだ、という逸話がいいらしい。

——生産性が人によって10倍違うというお話ですけれど、では、参考までに具体的に測った個人別の数字かグラフを見せていただけませんか?
「そんなものは別にありませんよ。こういうのは感覚論ですから。」
——そうですか。でも感覚論だけでは、こまる事もありませんか?
「ま、人の評価というか査定はね、やはり主観で決めるしかないと思いますよ。でも特に不都合はありません。」
——査定はそうでしょう。ですが、顧客が画面を10枚追加しろと急に追加要求してきたとき、生産性の基準が無かったら、どれくらい余計に時間がかかるのか、現有人数で足りるのか、答えられますか?
「そういうのもケースバイケースですね。経験の問題です。」
——ははあ。でも以前から、FP(ファンクション・ポイント)法とかCOCOMOとか、定量的見積手法が提案されていると聞いていますが
「そんなの実務には使えませんよ。ブレが大きすぎてね。」
——うーん・・では、どうやってプロジェクト全体の期間や工数の見積をされるんですか。
「教えてあげましょうか。それはね、ウチの場合、営業マンが上の者と一緒に、表を作るんです。横軸に月数をとって、基本設計や実装といったフェーズごとに、毎月何人くらい動員するか、サブチーム単位で人数を記入して、掛け算すれば工数が出ますから。」
——ああ、マンニング(配員)の表ですね。しかし、その表を作るにしても、システム規模から見て基本設計は3ヶ月でいいとか、設計SEは10人で足りるだろうとか、何か推算はされているはずです。その基準は何ですか?
「(とつぜん怒り出して)そんなの知りませんよ! 営業が勝手に見越して決めてくるんだ! こっちがどんなに苦労しているか知りもしないで、競争に勝てないからって無理に値引きまでして。いい加減にしてくれってんだ!」

日頃から我慢にガマンを重ねて不合理に耐えつつ、そのことを口に出せずに過ごしている人は、あるきっかけで急に怒り出すことがある。怒るなら、本当はその理不尽な上司だか営業だかに向かって訴えればいい。だが組織人ゆえに、感情を押し殺している。自分の気持ちを、見て見ぬふりをしている。そうすると、憤懣の感情が圧縮されたガスのように溜まっていて、直接関係ない方向、本来の理路を指摘した第三者に向けて、突然吹き出すのだ。

エンジニアの生産性を測定するのが難しいのは、事実である。そして多くの知的作業従事者は、自分の生産性を他者に規定されたくないし、ましてや、測って給与を査定してもらいたいとも、思うまい。

しかし、だから生産性は定義できないのだとか、測定しなくていいと考えるのは、プロジェクト・マネジメントの観点からは、全く別である。作業対象の規模のスケールと、生産性の基準が無ければ、工数の見積ができない。見積れなければ、マネーを稼ぐことができず、安定したビジネスが成り立たない。ビジネスが成り立たなければ、エンジニアが落ち着いて技術に打ち込む仕事ができないのも、道理ではないか。もし営業部門がバカでなかったとしたら、見積のブレは逆に、技術屋の側にふりかかってくるのだ。

だが、どこかで、そういった「不都合な論理」は自分の心からシャットアウトして、考えないようにしてきたのだろう。自分の中でひそかに『思考停止線』を引いている人びとは、しかし、いつのまにか次第に、この世は理不尽だ、自分は不当に扱われている、と思い始めていく。

あるとき聞いた精神科医の講演によると、怒りには実は三種類あるらしい。3つのモード(様相)があるのだ、という。それは、一過性の普通の怒りと、蓄積された抑鬱性の怒りと、冷えた軽蔑の怒り、である。

最初のタイプの怒りは、イライラやムカッとした感情で、放っておくといつかは発散し沈静化する。これは普通の感情で、誰にでもあるし、生きものとして正常な防御反応であるとも言える。何か問題が生じていることを、自分や周囲に気づかせるのだ。

二番目の怒りは、とくに朝、顕著に生じるものらしい。ああ! また一日がはじまるのか。なんでこの世はこんなにしんどいんだ! 起きるとそう感じて、うめき声を上げる。継続的な恨みや怒りが原因となる抑鬱、暗さである。これは普通、怒りとは意識されない。また、起きて活動するのが非常に億劫である。だいたい鬱の傾向のある人は、朝が辛い。朝は調子いいのに、毎日午後から暗くなっていく人は、まず、いないのだそうだ。

三番目は、やたらと他人をバカにする軽蔑である。日常的・習慣的な軽蔑の態度が、薄められた怒りの一種であることは、はじめて知った。軽蔑は誰にもありうる感情だが、これは心の体温を下げていく性質がある。怒っているのに、自分が怒っていることに気づかせない、いつわりの感情らしい。そして心の病態としては、要注意なのだという。

こうした病態を持つ、怒りやすい人びとには、病識がない。つまり、自分の怒りがこじれてしまっていることに、自覚がない。この人達の心の中には、おそらく、自分は社会から正当に扱われていない、という怒りが伏流しているように思われる。(もっとも、「自分は社会から十分すぎるほど正当に評価されている」と感じる人など、世の中にほとんどいないと思うが、そこは程度の問題だ)

そして、少しずつ他者への攻撃性が高まっていく。普段の日常では栓をして押さえ込んでいるが、何かの機会で噴出する。聞いた話だが、ある種の不祥事を起こした企業がいると、そこの代表番号めがけて、直接被害を受けた訳でもない人びとから、大量の抗議の電話がかかってくるものらしい。とくにTVワイドショーなどで取り上げられると、クレーム電話は一層エスカレートする。なんであれ、他者に「不正義」があり、非難してもいい理屈がつくと、群がる人達がいるのだ。道徳や正義の顔をした、一種のいじめである。

それで、どうしたらいいのか。わたし達が怒りをこじらせないためには、何か手立てはあるのか。

わたしは専門家ではないし、人それぞれに状況は違うと思う。そこで、これから書くのは、わたし個人の考えであることをお断りしておく。

まず、自分の感情に注意を向けることが、第一歩だろう。あ、自分は腹を立ているな、と気づくことだ。これは、言うほど簡単ではない。強い感情の波は、たいてい自分自身を巻き込んでしまい、客観的な味方を難しくするからだ。それでも、練習すれば、少しずつは気づけるようになるのではないか。

また、そのためには、他人の感情にもよく気づくよう、練習するのも一法ではないだろうか。他人の感情に気づきやすくなれば、自分の感情に対する感度も上がるに違いない。

なお心理学者によると、女性の方が男性より感情的に見えるが、案外、自分の感情を見ているもう一人の自分が、心の中にいたりするらしい(わたしは女性の心理は全く不案内なので、受け売りである)。

そして、「感情は育てるものである」という認識を持つことが、第二歩ではないか。こういうことを、わたしは子どもの頃に教わったことがない。だが知的能力が育てるべきものであるのと同じように、感情も大切な心の働きであり、やはり育てるべきものなのだ。情操教育という不思議な言葉があるが、大人になっても、自分の情操を豊かにすることは、必要なのである。

そして三歩目。それは「感情をコントロールする能力」を身につける・・ではない。ここが、一番のキモなのだ。わたし達の文化では、感情は押し殺すものだ、と繰り返し(無言で)教え込まれる。義理や社会の掟に従うために、腸が煮えくりかえりそうでも、それを表に出さずに堪え忍ぶのが立派である、と。そういうドラマを、歌舞伎の「寺子屋」から東映ヤクザ映画まで、いろんなバリエーションで繰り返し提供される。

おまけに、西洋、とくにアメリカ流の近代市民社会の倫理が、「感情より理性」「感情的になってはいけない」と教えている。これをわたし達は近代に、直輸入してしまった。先生方はいまでも、学校でこの建前を教えている。さらに最近の米国流「ポジティブ・シンキング」は、怒りというネガティブな感情を忌避する傾向に、輪をかけている。

だが、わたし達は、あまりにこうした教えに従順すぎたのではないだろうか。押さえ込み、無視した感情は、心の深層に潜り込み、いつか爆発する時を待っているのではないか。わたし達は上手に感情をコントロールできるほど、まだ大人ではないのではないか。それを、素直に自覚すべきではないか。

怒るべきときには、怒るべき相手に、ちゃんと怒る方がいい。それがわたしの考えである。直接相手にぶつけるのが社会的に無理なら、そのあと一人になった時でも、あるいはその日、寝る前でもいい。心の中で、いったん止めてしまった感情を追体験する。正しい対象に対して、ちゃんと感情を解き放つ方が、人間らしい。そうすれば感情は一過性の波として、心の中を去っていく。変に感情を抑えようとすると、むしろろくな事にならない。

それでも気持ちがざわつくときは、ときに短い瞑想をすると効果的だ。心を落ち着かせ、短くても静かな時を過ごすことは、わたし達に心のレジリエンシーを回復させてくれると感じる。

わたしがこんな事を書くのは、わたし自身が、短気で怒りやすい人間だからである。とくにわたしは、利口なふりをして底の浅い会話、論理的なふりをして理屈の通らない説明が、大嫌いである。そういう場面にあたると、つい、強い尋問口調の問いかけをしてしまう。つまり怒ってしまうのだ。だが、自分が怒っていることを自覚できない。自分は正当なことを言っているつもりでいる。

でも、論理的なつもりで、じつは感情的になっている人間ほど、はたから扱いにくい者はない。こうして無用に、人間関係を傷つけてしまう。これで人生、どれだけ損をしたことか。まったく頭を抱えたくなるほどだ。

こうした感情的欠点に気づくようになったのは、本当につい最近のことだ。もっと前に理解していれば、もう少し尊敬される人間、いや、せめてもう少し親しみやすい人間になっただろうに。だから怒りについて、自戒を込めて書いているのである。

成長に価値を見いだせる人は怒りにくい、という。そうだろうな。怒ること自体は、わるいことではない。だが、上手な怒り方と、間違った怒り方があるのだ。目の前のことに怒るのではなく、自分の本当の問題原因に対して怒る方がいい。わたし達は情緒的な文化を持っているのだから、もっと感情という資源を大切にすべきだ。そしていつわりのそして感情に自分が振り回されるのは、避けた方がいい。だからわたし達は、感情に関する小さなスキルを身につけるべきなのである。自分の感情を、ひどくこじらせてしまう前に。


by Tomoichi_Sato | 2017-06-17 09:24 | 考えるヒント | Comments(0)

講演発表のお知らせ:「ディスクリート型工場におけるプロセスシステムの設計」

直前のお知らせになり恐縮ですが、来週6月21日(水)に、東大で講演をいたします。
化学工学会の研究部会であり、かつ日中の開催ですが、製造業の今後を考える上で超重要なことをお話ししますので(大げさ? ^^;)ご都合がつく方のご来聴をぜひお待ちしております。非会員でも参加できます。また、いわゆる化学プラント業界以外の方のご参加もお待ちしております。

主催:化学工学会 システム・情報・シミュレーション部会 統合化工学分科会
日時:平成29年6月21日(水)10:00~12:00
場所:東京大学工学部3号館大会議室3(6B04号室)
会議室は建物の6階です。

テーマ:「ディスクリート型工場におけるプロセスシステムの設計

プログラム:
(1) 10:00 - 10:10 総合案内 平尾雅彦・杉山弘和(東京大学)
(2) 10:10 - 10:40 話題提供
日揮株式会社 佐藤 知一氏
「ディスクリート型工場におけるプロセスシステムの設計」
(3) 10:40 - 12:00 ディスカッション

講演要旨:
エンジニアリング会社の立場から、通常のプロセスプラントと、固体の加工組立を行うディスクリート型工場を比較すると、種々の際だった違いを見いだす。これをシステム工学の見地から分析し、両者が「密結合なシステム」と「モジュラーな集合体」と見なせることを示す。
さて、最近のIoT技術の進歩と、Industry 4.0の要請などのインパクトは、ディスクリート型工場に根底的な変化をせまる契機となっている。将来、どの工場も中央制御室を持つようになるだろう。このような変化に対応するためには、工場設計の手順を再考する必要がある。その上で、人工物のシステムの分類と、システムズ・エンジニアリングの(再)構築について論を進めたい。

ディスカッションの時間を多めに取っているのは、研究会の方向性についても議論する場とするためです。
参加を希望される方は、できましたら今週中に佐藤まで(勤務先へのメールにて)ご連絡ください。

よろしくお願いします。


佐藤知一@日揮(株)


by Tomoichi_Sato | 2017-06-14 07:28 | 工場計画論 | Comments(0)

BOM(部品表)で苦労する会社、得する会社

よくセミナーなどで、「マネジメントとはどんな仕事でしょうか?」と問いかけると、「PDCAサイクルを回すことです」という答えが返ってくることがある。とくに製造業では、継続的改善のためのデミング・サイクルが、全員の頭にまことによく刷り込まれている。これ自体は立派なことだと思う。

だがPDCAサイクルを回すことだけが、マネジメントのすべてではない。そこは誤解してもらいたくない、と思う。なぜなら、企業の中には、一過性の仕事というのも多数存在するからだ。新製品を設計する、試作品を検査する、特注品を製造する、新工場を海外に開設する・・こうした仕事はすべて、一過性である。PDCAサイクルは、繰返し性のある仕事を、さらに高いレベルに改善していくことで、だからCheckとActionが入っている。じゃあ繰返し性のない一過性の仕事は、どうしたら良いのか?

一過性の仕事を計画すること、実行可能にすること、再利用可能にすることも、またマネジメントの機能である。わたし達の社会では、量産型の時代は終わって、ますます個別性と一過性の高い仕事の比率が増えてきている。それをどうマネージ可能(Manageable)にするか、という問題に、もっと真剣に立ち向かう必要がある。それはBOMをめぐる状況に、典型的に現れていると思う。

BOM(部品表)は何のためにあるのか?

BOMとは、マテリアルのリストのことである。これは拙著『BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)』にも書いたし、このサイトでも繰り返し触れていることだ。マテリアル(資材部品)のリストを持たない製造業は、ない。資材の買い物をするのに必要だからだ。製造業はモノを加工変形し付加価値をつけるビジネスのことである。だからBOMを持たない製造業などというのも、存在しない。

それなのに、「ウチもそろそろBOMをちゃんと整備しなければ・・」とつぶやく会社が存在するのは、なぜなかのか? それは、以前も触れたように、BOMデータベースについての問題意識を感じるからだ。つまり、単なる使い捨てのリストではなく、再利用可能なマスタとしてのBOMデータベースの必要性と有用性、である。一過性の仕事を再利用可能にすること。これはマネジメント機能の一つである。そして、当たり前だが、BOMデータベースの必要性・有用性が、作成し維持する手間を上回るならば、持つ価値がある。

では、BOMデータベースの有用性、つまり目的とは何か? 端的に言って、ストラクチャー型(構造型)のBOMマスタは、部品展開(工程展開)と製造オーダー発行のために用いられる。これがあれば、生産オーダー(すなわち製品単位の生産数量指示)を、工場の各工程・作業区単位の細かな指図(製造オーダー)の束に、律儀に機械的に正確に展開してくれる。これを手作業でやるのは大変だ。もちろん、製造指示などなしでも、職人が勝手に判断して作ってくれる職場もあるだろう。だが職人が数百人もいたら、正確な指示なしでは動けない。指示を出せば実績が上がってくるのが常であり、そのデータは工数や材料費を通じて、コスト計算と、スケジュール推算のベースになる。計画可能になるのだ。

ここでいうストラクチャー型部品表とは、別名「製造部品表」(=M-BOM)と呼ばれるものだ。親部品と子部品の数量関係が規定され、それがどのような工順(作業の並び)を通してできあがるかが、紐づけられている。このM-BOMがマスタ化される目的は、つまり製造現場の計画と指示のためである。そしてM-BOMの作成の起点は、「設計部品表」(E-BOM)にある。

設計部品表=E-BOMは、もともと、製品組立図に表示するP/N, B/Mから発している。P/NはPart Numberの、B/MはBill of Materialの古い略号で、現在もこの呼び名を使っている企業がどれほどあるかは、良く知らない。組立図には、それを構成する部品に、引き出し線を引いて、数字を丸で囲んだ「フーセン(風船)」を表示する。これがP/Nである。そして図の脇に、数字と部品名とを並べた表をつける。これがB/Mの原型だ。B/Mは今ではBOMと呼ぶことの方が多いし、CAD/PDMで維持するのが普通だろうが。

設計部品表E-BOMとは、つまり製品と、部品図面への紐づけを示す情報だ。ただE-BOMは、必ずしも設計の必要性で生まれたとはいいにくい。これは製造や購買のための情報という側面が強い。もちろん、E-BOMをデータベース化すれば、部品の再利用には有用だろう。設計の手間が減るからである(再利用可能にする仕事)。また、部品を共通化できれば、さらに有用である(ただ設計の手間は多少、増えるかもしれないが)。

ここまでをまとめると、BOMデータの目的は、
・資材購買のため
・製造指示のため
・コスト推計のため
・工程(スケジュール)計画のため
ということになる。

これらの便益が、作成の手間を上回るならば、BOMマスタデータで得する会社になる。逆に言えば、これらの便益より、作成の手間が大きいと感じられると、BOMマスタデータは構築されないままだろう。では、どんな場合に、構築が難しくなるのか。

BOM構築の第一の難所は、作成の手間をかける部署と、便益を得る部署が違う事から生じる。E-BOMは設計部門が作成し、M-BOMは生産技術部門が展開する、というのが多くの会社の実情だ。しかも設計部門は本社に、生産技術部門は工場にあったりする。かくして両者は、次第に乖離していく可能性がある。

当たり前だが、BOMや構成するマテリアルの属性などは、上流側(設計部門)が入力すればベターである。だが、これを入力する手間は、設計部門にはあまりメリットももたらさないように思われる。かくして、属性入力は製造側が、あとで設計仕様書を見ながら手作業で入力したりする。

また、製造の都合で代替部品や代替工順(外注化)が行われることも、E-BOMとM-BOMが乖離していく理由の一つだ。では、この両者の整合性をとるのは誰の仕事か? どの部署も、あえて自分からは動きたくはない。会社全体の利益より、部門のコストを優先するのは、おかしな話だ。だが現実にはしばしば横行している。まあ、もっともこれは、会社の上層部が、本気で号令をかければ解決可能ではあろう。

BOM構築の第二の難所は、もう少しやっかいだ。もともと階層構造型のBOMデータのモデルは、米国の生産管理方式であるMRPから生まれた。MRPは’60年代の終わり頃に、IBMが中心になって作り上げた仕組みだ。そして現在でも、多くのERPパッケージや、生産管理パッケージの基本に組み込まれている。

ところでMRPには、当時の米国の生産思想を反映した、(暗黙の)前提条件がある。以下にそれを列挙してみよう:
(1) 製造指示はロット単位に、プッシュ型で行われる
(2) 工場の生産能力は十分にある
(3) 製造リードタイムはリーズナブルに与えられている
(4) 生産計画が確定したら、変更は少ない(受け付けない)
(5) BOMのトポロジーはA型である(組立加工的)
(6) 製品のバラエティ(オプション数)は多くない
(7) 計画立案時点で製品のBOMは確定している

一つひとつを解説すると長くなるので、ここではしない。ただ、上記の前提条件の全部が当てはまる日本の企業は、滅多にないだろう。あなたの会社はどうだろうか?

にもかかわらず、やはり最低でも製造オーダーの発行と資材の発注書くらいは自動化したい、というニーズが強い。で、どうするのか。結果として、MRPシステムでM-BOMデータベースからの部品展開機能だけを使い、スケジュールや進捗管理は手作業化する、というのが大方の企業のあり方である。研究会仲間のコンサルタント本間峰一氏は、この状態を「生産管理システムが伝票発行マシン化する」と表現している。

スケジュールや進捗管理は、実際には手作業なのだが、現場の裁量と有能さでなんとか乗り切るのが、日本企業である。ところが製造現場を良く知らない経営者は、「ウチは生産管理をシステム化している」と信じている。それどころか、現場の追随能力を超えた変更を、営業が(受注ほしさに)受けてしまうのも、よくある話だ。これが、BOMで苦労する会社の実態である。

一体、どうしたらいいか?

ここですべての解決策を書くことは、無論できない。だが、少なくとも大事なことが一つある。それは、「BOMで苦労している」という事実を、会社レベルで共有することだ。そして、適切なBOMデータのマネジメントは、便益(とお金)をもたらす、という認識を経営者が持つことが必要である。

しかし、これだけでは記事としてあんまりだろうから、一例として、上記の前提条件(5)があてはまらないケースについて、少しだけヒントを書いておく。A型のBOMとは、複数の部品を組み立てて、サブアッシーをつくり、製品を作っていく、集合型の部品表のことだ。これが当てはまらない場合とは、たとえば共通の中間部品・材料から、多数のバリエーションが生じるV型、T型のBOMのケースである。
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現在のMRP系の仕組みは、V型、T型のBOMを扱うのが上手ではない。そのまま動かすと、一つの共通部品・材料に対して、多数の製造オーダーが集まってしまう。しかもどれかの受注に納期変更や数量変更が生じると、影響範囲の特定はますます複雑になる。

こういうケースでは、共通する中間部品の上流側と、下流側の指示方式をかえるべきなのだ。上流側は、需要予測に基づく計画(見込)生産がおそらく適している。あるいは、(需要変動が小さければ)在庫推移監視方式で生産するのが良い。「在庫推移監視方式」というのは渡辺幸三氏の発案した用語で、文字通り、在庫の推移を監視して、適切な在庫量を切らさないように、補充生産指示をかけていくやり方である。

他方、下流側は確定オーダーに紐づく受注生産で動かすのが良い。このように、部品展開計算を途中の中間部品でせき止める(通して部品展開しない)ことで、個別の注文の変更による影響範囲やリワークが、全体に広がらないようにコントロールするのが大事なのだ。もっともこのような方式の実現には、在庫増が伴うし、営業部門や購買部門や原価管理部門の、理解と協力が必要だ。

・・さて。では、こうした生産・販売・在庫方式の変革を、リードするのは誰か? これが次なる疑問であろう。よくビジネス界の英雄物語に出てくる、「生まれつきのリーダーシップ」を持った人か? まさかね。そんな人が、あちこちの職場にいてくれるとは、あまり期待できまい。おまけに、生まれつきだったら、育てることも叶うまい。

そうではなくて、実際に必要なのは、生産システム全体を見通す能力を持った人である。それだったら、(もちろん資質にもよるが)教育可能だ。

わたしはこの点で、中堅企業に期待を持っている。

大企業では、縦割り分業病で変革がスローすぎる。小企業では、BOMソフトウェアに投資できまい。中堅企業ならば、変革の可能性を一番持っている。日本ならば、中堅企業にも、優秀な人はたくさんいる。

そしてわたしは、近々開催するBOMのセミナーで、限られた時間ではあるが、こうした問題への取り組みについて説明したいと思っている。何だ、お前の宣伝かよ、と思っていただいても別に構わない。ただ、わたしは、払っていただいた費用に見合う分の、気づきを持ち帰っていただけるよう、約束の意味も込めて書いている訳だ。本を読めばすむことを、セミナーでお話しするつもりはない。12年前に発刊した以降に、わたし自信が気づき学んだことをお伝えしようと思っている。

わたしがこうしたセミナーをお引き受けする理由は、参加者に知識を伝授して「教育」するためではない。BOMの問題は各社に固有性がありすぎて、的確な解決法を限られた時間に伝えるなど、現実にはむずかしい。そうではなくて、自社にはどんな視点が欠けているか、何を学ぶべきかを参加者の皆さんに気づいてもらうためにやっているのだ。

気づけば、「学び」が発動する。きちんと学んだ人だけが、自分の問題を解決できるのである。


<関連エントリ>
 →「BOM/部品表に関するセミナー講演のお知らせ(6月20日・東京)」 http://brevis.exblog.jp/25787223/
 →「同じモノか、違うモノか? - マテリアルの同一性問題をめぐって」http://brevis.exblog.jp/24176770/ (2016-02-28)
 →「書評:生産管理・原価管理システムのためのデータモデリング 渡辺幸三」 http://www2.odn.ne.jp/scheduling/Rec2004.html#label00087 (2004-07-05)

by Tomoichi_Sato | 2017-06-04 04:54 | Comments(0)