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学ぶ人になりたいか、真似る人になりたいか

先週の10月21日(金)に、わたしが主査を務めるプロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会(長いから以後はP&PA研究部会と略そう)で、「プロジェクト・マネジメント教育への新しいアプローチ」と題する報告を行った。P&PA研究部会では数ヶ月前から有志6名が集まって、(仮称)PM教育分科会をつくり、ディスカッションしてきた。その中間発表と、会員同士の意見交換が当日の主な内容だった。

「新しいアプローチ」とはどういう意味か? それは「教えない」ことだ。いや、より正確には「教えすぎない」ことというべきか。わたし達は、教育とは「正解の知識」を伝授することではない 、と考える。マネジメントという行為は、ほとんどの場合、正解のない問いに答えて決断していかなければならない。なぜ正解がないかというと、どのような意思決定であれ、それがプロジェクトにもたらす結果には不確実性がつきまとうこと、また複数の価値基準がしばしば錯綜してトレードオフが生じるからだ。

である以上、「正解となる知識を暗記してすばやく問いに答える」風の受験勉強では、役に立たない。ただ、わたし達がくぐり抜けてきた受験競争では、ほぼ全ての問いに『正解』があり、それにどれだけ近づくかで勝敗が決まってきた。この教育のやり方は、行きすぎるとさまざまな弊害を生む。わたしは大学で定期的に教えているが、よくそうした「教育の害」を実感する。

現代の学生達にとって、学ぶことは、しばしば「目の前に出される課題をなんとかやっつける」ことと同義語になっている。目前の課題を(教科書やネットや友達の答えを見て)なんとか真似てしのぐと、もう忘れてしまう。わたしは授業の初めに、前の週の復習をするのだが、少なからぬ学生の頭の中に、前回の記憶が残っていないので驚かされる。グループ演習で手を動かして理解させたはずの事柄さえ、印象は残っても、知識はきれいさっぱり抜けているのだ。見事なほどの記憶の断捨離である。

そういうことを何年か繰り返したので、わたしは最近では極力、教える知識の量を減らすことにした。WBSとかPERT/CPMとかEVMSとか、さすがにプロジェクト・マネジメントの授業なのだから、話さない訳にはいかない。しかし知識伝達の量はなるべく少なくして、授業の中で考える課題を出すことに腐心している。知り得た知識を自分で吟味し納得しないうちは、身につかないからだ。また毎回、「今週のGood Question賞」を発表して、なるべく良い質問を教師に出すことを奨励するようにした。

それにしても教育が知識の伝授でないとしたら、いったい何なのか。教育の目的とは、「自分の中の不足を知り、自分で『学ぶ力』を身につける」ことである 、というのが、現時点でのわたし達の共通認識だ。教えること(Push型)から、学ぶ力をつける(Pull型)に転換しなければ、少なくともPM教育は機能しないだろう。その観点から、

「教育とは、成長を支援するプログラムのマネジメントである」

と定義し、PM教育のシステム作りとは、PMに興味を持つ者の成長支援プログラムの『プログラム・マネジメント』として構想する。それがわたし達のアプローチである。

分科会のメンバーは現時点で6名、うち1名が大学教員で、残る5名が実務家だ。業種もIT、通信、建設、エンジと多岐にわたる。この6人で、本当に役に立つPM教育のためのシステム(仕組み)を構想し、モデル研修の内容をデザインしている。

後者については手始めに、初学者向けの二日間の集合研修カリキュラムを検討中だ。座学は半日で、残る1日半は「ミッション・インポッシブル」と題するグループ演習になる。詳細はまだ開発中だから省くが、対象者は、ようやく固有技術について目鼻がついてきて、これから人を率いてプロジェクトを進める立場につくような、若手中堅クラスである。業種分野は広く構えて、なるべく多くの専門に共通するPM技術を学んでもらう場としたい。

それにしても、わたし達はセミナー屋でもないのになぜ、こんなことを考えるようになったのか。それはもちろん、皆が職場でプロマネの教育養成に悩んでいるからだ。現代の企業は、教育ということに対する取組みが、ひどくやせ細ってしまった。「会社は教育機関ではない」という言葉も聞かれる。また「業務多忙なときに、教育に割いている時間はない」という事もあるだろう(不況なのに多忙なのはたぶん、人減らしが進んだからである)。そして「即戦力」を求める風潮も強い。

まあ、昔の日本企業はもっと社内教育が素晴らしかったのかというと、そこはまた別の事情もあった。昭和の高度成長時代には、先進技術は欧米から来るものであったし、皆が「先進国」の真似をして、追いつけ追い越せ、でなんとか成長した時代であった。その時代、欧米がまさに日本にとって「正解」であった。だから正解を知って真似ることが、大人から子どもまで国是だったのである。

そのような時代はおよそ20年前、バブル崩壊と共に終わった。欧米を追い抜いて世界一、と鼻高々だったその時、わたし達の前にはもはや、真似をすべき正解は消え失せていた。自分の頭で考えなければならない状況がやってきたのだ。その壁をうまく乗りこえられないまま、真似るべきロールモデル探しで、ずっと企業も役所もメディアも、時間を空費してきたのではないか。

わたしはここで、「学ぶ」ことと「真似る」こととを、区別して使っている。真似ることは、乳児の時からできる。脳にはミラー・ニューロンというものがあって、他者の動きをそのまま真似ることができる仕組みがファームウェアとしてビルトインされているのだ。真似ることで、赤ちゃんは運動能力を身につけ、育っていく。ただ、そこには本能はあれども、目的意識はない。

学ぶことや習うことには、目的意識がある。そして学びには、必ず言語による伝達が伴う(真似には言語は必須ではない)。
目的意識 + 基本的な概念理解(言語化)+ 繰返し練習
これが「学びの基本構造」だ。

学びは、自分の中の不足や未熟を自覚することで起動される。ただ、ここで気をつけなければいけないのは、「学ぶ」つもりで、無意識に「真似る」体勢になることだ。

たとえば、よく他の業界の方から「エンジニアリング会社ではどうPMを教育されているのですか?」とたずねられることがある。PMが確立された業種というイメージが強いからだろう。エンジ会社だってプロマネ育成に悩んでいる点ではかわりがないのだが、まあ、自分の勤務先を例に挙げて、まず、我々のところでは「プロジェクト・エンジニア」という、いわばプロマネの見習いの職種があります、その経験を何年か重ねて、はじめてプロマネに抜擢される訳ですが、もともとプロマネ志向を持って入社する人も多いから、若い段階からそうした職種に配属する訳です・・というようなお話をする。

するときいている人の3人に2人はため息をついて、「ウチじゃプロマネになりたいと思って就職してくる人間なんて皆無です」といわれる。ベースが違いすぎて参考にならない、という訳だ。そこで問いをやめてしまう。あるいは、問いをかえて、PM用のソフトウェアは何をお使いですか、といった質問になり、この業界ではデフォルトで世界的にPrimaveraですよ、英語版ですが、とお答えするとまた、問答は行き止まりになる。簡単に真似られる点が見つからないためらしい。

だが、学びたかったらそこから先が大切なのだ。たとえば、「じゃあ佐藤さんもプロマネになりたくて今の会社に就職されたのですか?」ときいてくる人は滅多にいない。わたしも設計部門に最初入ったのだし、プロマネ志向でない新入社員はたぶん半数以上だろう。そういう人たちを多数抱えてプロジェクトを回す仕組みはどうなっているのか、プロジェクトの効率性やモチベーションを維持するにはどう工夫しているのか、PMO組織はあるのか。そういう点こそ、探るべきだろう。そして、自社とどこが共通してどこが違うのか、何をすべきか考える。

つまり学ぶということには、「共通性を洞察し、言語化する力」が必須なのだ。「学ぶ力」の基礎は抽象化能力だといってもいい。ここが弱いと、学びが真似に陥りやすい。

自分の勤務先の話だと面はゆいから、別の例を挙げようか。たとえばあなたが製造部の人だとする(製造業に興味のない読者は、続く数段落は飛ばしてもいいが)。そしてトヨタかその直系の工場を見学に行ったとする。整理整頓の行き届いた工場、数々のカイゼンの工夫、極小化された仕掛在庫、そして噂に聞くかんばんや自働化やアンドン・・かなわないな、ウチとレベルが違うや、と思う。説明員の人は、壁に張り出された顔写真付き技能マップの前で、トヨタ生産方式の話をする。そして「仕事=作業+改善」という概念で、改善をしないと一人前の仕事をしていることにならないから、皆が職場の問題の見える化を進めて、解決できるようになるため「物づくりより人づくり」に取り組んでいるのです、等と語るだろう。

あまりにもレベルが違うから、一気に自社をその状態にもっていくことは難しい。その時、真似る人は、じゃあどうしようかと考える。そして、カンバン方式だとか、定位置停止だとか、あるいは壁への掲示物だとか、取り入れやすそうな技を真似ようと考えるだろう。

では、学ぶ人はどう考えるか。まず、トヨタは生産計画にもとづいて大枠を決め、平準化で日々の指示を出し、かんばんや自働化を使って日々の細かな変動に対応しているらしいと考える。つまり大きな構造をまず、見るのである。なぜ、ウチと違って、トヨタでは生産計画が成り立ちうるのか。それは自動車という季節性の小さい商品の特性、そして輸出を含む販売力により、出荷量が計画しやすいからだろう。おまけに、日単位の指示についてきてくれるサプライヤー群がいる。だからこそ、在庫を絞って問題を表面化するという曲芸みたいな改善方法が可能になる。

そして、それを支えるのは「仕事=作業+改善」の概念を人々に徹底化したことだと気づく。一方、ウチはどうか。個別性の強い受注生産だ。出荷量は月単位では読みにくい。おまけに、現場の人たちに問題解決をしろといっても、それだけの素地を訓練してこなかった。問題が起きると怒 られた。だから問題が表面化しないよう、むしろ沢山の在庫を抱えることを推奨してきたようなものだ・・。そういう所で無理にカンバン方式を導入しても、現場は回らなくなる。じゃあせめて、組立工程の能力と日々の指示をバランスするところからやってみようか。「ミズスマシ」までは無理としても、まず部品の配膳作業だけでも分業化して、生産の停滞が材料によるものか組立工の技量によるのかくらいは、分かるようにしてみよう・・

学ぶ人は全体の構造を見る。そして自分との違いを考えた上で、取り組むヒントを探す。一方、真似る人は、すぐ取り入れやすいものを探そうとする。つまり、学ぶ人は大技を学ぶ。そして、自分ならどうするかを考える。真似る人は、小技しか真似られないのだ。少なくとも、マネジメントの技術については、そうだ。

お分かりだろうか? マネジメントの分野で、学ぶ力を得るためには、「学び方を学ぶ」必要があるのだ。学び方は一種のソフト・スキルで、練習が必要である。集まって演習できる場が望ましい。だから(話を元に戻すと)わたし達はPM教育の場とカリキュラムみたいなものを構想しようと考えているのだ。教育の目的が、「自分で『学ぶ力』を身につけること」、とはそういう意味である。

そして、わたし達がこんな取組みをはじめた理由は、そもそも企業における教育がやせ細ってしまっているためなのだ。だとしたら、技術者の側が、自分の身を守るために手を結び、互いの学びの場を作っていくべきだろう と、わたしは考える。ベテラン技術者も、そうした動きを側面支援するべきである。

わたし達の今回のチャレンジが、どこまで進めるかは分からない。だが心意気としては、会社にも頼らない。国にも頼らない。そして自分で自立できる能力を作る。それがわたし達に必要なことなのではないだろうか?


<関連エントリ>
 →「『わかる』ことと『知る』こと」 (2010-02-24)http://brevis.exblog.jp/12208254/
 →「プロジェクト・マネジメントの教育について」 (2014-01-27)http://brevis.exblog.jp/21619967/
<参考>
 「“JIT生産”を卒業するための本―トヨタの真似だけでは儲からない」 中小企業診断協会生産革新フォーラム・著


by Tomoichi_Sato | 2016-10-30 12:36 | 考えるヒント | Comments(1)

お知らせ:納期遵守のための1日セミナー(11月25日・大阪)

来る11月25日(土)に、大阪府工業協会で納期遵守をテーマとした1日セミナー(有償)を行います。一昨年からはじめたセミナーもバージョンアップを重ね、今回で4回目の開催となります。

主に受注生産型の工場における納期遵守のための生産計画と統制(コントロール)について、製造業の実務家向けに、理論・事例と演習を含めてお話しします。

拙著「革新的生産スケジューリング入門」や「BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)」をお読みになった方はご承知の通り、わたしは具体的なテクニック論のみならず、原理・原則に関する体系的な理解を重視します。そのため、生産活動の仕組み全般を『システム』としてとらえ、その生産システムをより良く運用するにはどうしたらいいか、また仕組みをより上手に設計するためには何に留意したらいいか、を考える『システムズ・アプローチ』をとります(もちろん、ここでいうシステムとはコンピュータのことではありません)。

したがって業種分野については、わりと間口を広くとってお話しできる点が特徴です。普通の現場改善コンサルタントの講義に、飽き足りない気持ちでおられる技術者の皆さんのヒントになればと思っています。関心のある方のご来聴をお待ちしております。


<記>

日時: 2016年11月25日(金) 10:00-17:00

テーマ: 「納期遅れを起こさない 生産統制のポイント
     ~ 工程管理担当者の実務能力の強化 ~」

主催: 公益財団法人 大阪府工業協会

会場: 大阪府工業協会研修室
     大阪市中央区本町 4-2-5 本町セントラルビル
     (市営地下鉄御堂筋線「本町」駅8番出口すぐ)

セミナー詳細: 下記のPDFファイルをご参照ください(「受講申込書」も兼ねています)

by Tomoichi_Sato | 2016-10-27 22:41 | サプライチェーン | Comments(0)

私の名前をドアからはずす時(レオ・バーネットの言葉)

レオ・バーネットという広告会社をご存じだろうか。元はアメリカ・シカゴを発祥の地として、今は世界各国に支社を持っている。

わたしはこの会社のことを、パトリシア・ジョーンズとラリー・カハナー著「世界最強の社訓―ミッション・ステートメントが会社を救うという本の中で知った。この本では主に米国企業が約40社選ばれ、その社訓や経営理念などが、簡単な解説とともに紹介されている。大企業も小企業も、製造業からリテールまでカバーされている中で、レオ・バーネット社だけは、抜群に異色だった。多くの企業が、Mission Statement だとかManagement Policies といったテーマのもと、きれいな言葉を論理的に説明口調で並べているのに対し、この会社だけはひどく直截的だった。いわく、

「われわれの使命は、すぐれた広告をつくることにある。創業者のレオの言葉を借りれば —
 われわれのそもそもの存在意義は、世界中で文句なくベストの広告を作ることにある 。

 すなわち、テーマやアイデアがかぎりなく大胆で、斬新で、魅力的で、ヒューマンで、真実みがあり、焦点がはっきりしていて、思わず見てしまうような広告 。
 長期的には会社の名声を高め、同時に、いますぐ収入をもたらすような広告をつくることにある」

非常に分かりやすい。言葉は少ないが、ぎりぎりまで選び抜かれている。ただ単に、わが社は「ベストな広告」を作る、と言うのは、気楽で簡単だ。だが「世界中で文句なくベスト」の広告、と言い切るのは簡単ではない。良いプロダクトをつくることこそ、自社の存在意義である。そしてこの文章は長期的な視点にも、ビジネスにとって大事なお金を得ることにも、目配りがきいている。

だが彼らは、実際には、どんな仕事ぶりなのか。ためしにネットで調べてみた。下の写真は、Leo Burnett社が英国のマクドナルドのために制作し、賞を受賞した広告である。

なかなか良いと、わたしは思う。広告デザインは、感性に訴えるため、どうしても見る人の好みで判断される。だがハンバーガーショップの宣伝をするのに、商品も見せず、味についても言わず、ファミリー向けの親しみやすさも訴えないのは意外だ。画面は暗く、写真は重い。都会のオフィスで夜更け、ただ一人デスクに向かう人。あるいは、深夜の路上で客に応対するタクシーの運転手。

孤独な彼らに対して、”If you’re awake, we’re awake”(あなたが眠らずにいるとき、わたし達も眠らない)とだけ訴える。それは終夜営業のショップの価値訴求である。あたりまえだが、そこの食べ物はけっして贅沢でも上質でもない。だが開いていて助かった、という一瞬を想起させる。これ以上、知名度を向上させる必要もないハンバーガーチェーンの売上を、深夜枠だけ少しでも上げることにつながる、優れた広告であろう。

創業者のレオ・バーネットは1891年生まれで、まだアメリカが恐慌の余波にあえぐ禁酒法時代の直後に、シカゴに広告会社を作った。経営の才にも恵まれていたと思うが、上に述べたように「良い広告」への強いこだわりを持って、あまり拡大志向をせずに同社を育てた。彼が自社のために作った、有名な標語とポスターがある。それは

『星にむかって手を伸ばせ。
 必ずしもつかまえられるとは限らない。
 だが、泥をつかむことにもならない』

というものだ。また中西部育ちの彼は、顧客を迎える自社の受付に、赤い、良く熟した、甘酸っぱい香りのする、つやのあるリンゴを、いつも鉢に山盛りにしていた。そして訪問者に自由にとって食べてもらう。バーネット社のリンゴは、名物になった。リンゴを商標にした有名なレコード会社やコンピュータメーカーが登場する、ずっと前のことである。

バーネットは1967年に社長をやめて会長職に退く。このとき彼は、引退にあたって有名なスピーチをする。「私の名前をドアからはずす時」というのが、その題だ。いうまでもなく、レオ・バーネット社という社名は、彼自身の名前である。スピーチの最初に、彼は言う。

「君たちの後継者は、私の名前をドアからはずし、自分たちの事を『トゥエイン・ロジャーズ・ソーヤ&フィン』(笑)とか『エイジャックス・アドバタイジング』とか何とか、呼びたくなるかもしれない。」

ちなみに前者はマーク・トゥエインの児童小説の名前のもじりだ。そして彼は続ける。

「もし君たちにとってそれがよければ、私は一向に構わない。だが、私のほうから『どうしても私の名前をドアからはずせ』と要求するのはどういうときかを、話しておきたい。

 それは君たちが広告を作るために費やす時間より、金儲けに費やす時間が多くなったときとか、

 我々の会社を作っている特別な人たち、ライターやアーティストやビジネスのプロフェッショナルたちにとって、広告を作るという純粋な楽しさや心の昂ぶりというものが、お金と同様にとても大切なんだということを忘れたときとか」

そして彼は、以下、会社として危惧すべき状況を一つひとつ、まるで連祷のように述べていく。

「自分の仕事をさらに良くしようとする、絶え間ない努力の意識を君たちが失ったときとか、
(中略)
 もはやあのヘンリー・ソローがいう『良心のある会社』でなくなった時とか、
(中略)
 事務所で最後までたった一人でタイプライターをたたいていたり、デザイン・ボードに向かっていたり、カメラを構えていたり、ブラック・ペンシルで何かを書き付けていたり、夜遅くまでメディア・プランを作っていたりする、そうした孤独な人たちへの尊敬の念を、君たちが失くした時とか、

 我々の会社の今日を作り上げてきた、そうした孤独な人たちへの、深い感謝を忘れたときとか、

 そうした人こそ、より一層の努力をしているから、例え一瞬であろうと熱くて手が届きそうにもない星を、実際につかんだのだ、ということを忘れたときとか。

 ・・こんなとき、私は君たちに、私の名前をドアからはずすよう強く求める。断じて、私の名前をはずしてほしいのだ。たとえ死んだ後でも、私はあの世から甦ってきて(笑)、夜中にオフィスの全てのドアから私の名前を削り取る。

 そしてあの世に戻る前に、私の名前の入った全ての文房具を焼き払い、たぶん、通りすがりにいくつかの広告を破り捨て、忌々しいりんごは全部、エレベーターの穴の中に投げ込んでやる。

 すると次の朝、君たちはもうここがどこかわからない。君たちは別の名前を探さなければならないのだ。」

ここには、仕事というものに対する強い信念がある。それは、良い仕事をするということ自体が、働く労苦に対する最大のリワード(勲し)であり、モーメンタムである、という信念だ。お金という報酬は、その結果でしかない。優れた仕事の次が、お金であって、その逆ではない。

だから彼は、夜更けの事務所で、最後までたった一人でタイプライターをたたいている孤独な人への敬意と感謝を忘れてはならない、と主張する。働く人が、いつでも交換可能な、単なる消耗品になりさがった組織は、もはや自分の名前にはふさわしくないのだ、と。その主張はまさに、上に紹介したマクドナルドの広告に、奇しくも対応しているではないか。レオ・バーネットの魂は、彼が引退した50年の後にも、まだ生きているのだ。

これが、理念の力である。

人々を束ねて率いていくのは、むずかしい。それが創造的な仕事にたずさわる人たちであれば、なおむずかしい。それは権力や、金銭や、おどしや、皆が因循と従っているおかしな行動習慣であってはならない。人を動かすのは、なによりも「世界中で文句なくベストな仕事」をしたいという、自負に満ちた欲求であるべきだ。上司は部下の心の中に、何よりもその気持ちを探して光らせなければならない、と。

だが、そのためには、「何がベストか」についての、確とした理念を持つ必要がある。だから、ともすれば怠惰と徒労に流されがちな日常の中で、わたしもつねに自問自答しなければならないのだ。お前は果たしてベストな仕事をしているのか、と。


<関連エントリ>
 →「企業のミッション・経営理念を日米比較する」(2016-03-27) http://brevis.exblog.jp/24255070/

(注)
レオ・バーネットの引退スピーチの画像は、YouTubeで見ることができる:

またスピーチの日本語訳全文は、ネットでは(誰による翻訳か不明だが)以下のURLで読むことができる。上の文中ではここから一部改変して引用させていただいた:

by Tomoichi_Sato | 2016-10-22 18:12 | ビジネス | Comments(2)

プロジェクト・コミュニケーションのベーシック(2) ~ ドキュメント・インデックスを作る

前回の記事「プロジェクト・コミュニケーションのベーシック ~ 情報のトレーサビリティを確立する」で、英語で言うCommunication Managementとは、日本語的感覚でいう「コミュニケーションの管理」ではなく、むしろ『情報伝達のマネジメント』に近い、と書いた。だから、伝達のトレーサビリティ確保が大事になる、と。

今回はその続きである。だがもう一歩進んだあり方として、「ドキュメントのインデックス化」の話をしたいと思う。ドキュメントのインデックスとは何か? 簡単だ。それはプロジェクトが作成する文書・図面類をリスト化して、多少の属性を付加したものである。「ドキュメント・リスト」と呼ばれる場合もある。

なあんだ、そんなのならいつでも作ってるよ。そういって、ドキュメントが保存されているサーバのプロジェクト・フォルダから、ファイルのリストを印字して持ってくる人がいる。ファイル名の他に、作成日、更新日、ファイルサイズ、種類などの属性が並んでいる。--これのことでしょ?

全然違うのだ。そんなリストは、プロマネにとってどんな行動の契機も与えない。そのファイル・リストを見たら、まだ出来上がっていないドキュメントが何と何か、分かるだろうか? どの図面が予定よりはるかに遅れて作成されたのか、問題発見の手がかりになるだろうか。誰を応援したり督促したりすべきなのかの、判断材料になるだろうか? なるまい。

プロジェクト・マネージャーという職種は、最初に計画を立て、実行段階ではその計画からの逸脱をチェックしながら、問題をつぶしたり変更を追いかけたり、決断を下したりして、なるべくプロジェクト全体の生み出す価値を高めていくのが仕事である。だから問題発見のツールをいろいろ持っていて、そのセンサー感度を上げる仕組みが必要だし、問題解決のためには、何がいつどこで起きたのかを、正確にさかのぼってたどれる道具が必要なのだ。

ドキュメント・インデックスは、そのためのツールである。これ自体は、単純な表になっている。プロジェクトで作成しなければならないドキュメントを、すべて、重複も漏れも落ちもなく、計画段階であらかじめリストアップしておく。そして、各ドキュメントは、誰が担当で作成するのか、WBSのどのアクティビティで作成するのか、したがっていつ作成される予定なのかを、あらかじめ決めて書いておく。

つまり、ドキュメント・インデックスは、初期段階では「まだ存在していない文書の属性付きリスト」なのである。ファイル名のダンプリストじゃ役に立たないことは、おわかりだろう。それは「すでに存在している文書のリスト」を示すだけだ。あるいはもう少し高級な、いわゆるContents Management System風のリストも、役に立たない点では変わりない。そうした道具立ては、存在しているファイルの『在庫管理』には有用だろう。だが、まだ存在しない、これから作成すべきドキュメントについてのコントロールには、あまり役に立たない。

ドキュメント・インデックスというは次のような構造をしている。持つべき主な属性は、以下の通りだ:
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(1) ドキュメントのID
(2) ドキュメントの名称
(3) ドキュメントのリビジョン番号
(4) プロジェクトNo.およびWBS No.
(5) 発行目的
(6) 作成者・検討者・承認者
(7) 発行予定日
(8) 発行実績日
(9) ドキュメントを構成する電子ファイルのリスト

すべてのドキュメントは、ユニークなIDを持っていなければならない。これは当たり前のことだ。従業員番号のない社員がいてはいけないのと同じである。何かをトラッキングしたりコントロールするためには、IDがいる。これは情報システムの世界では常識であろう。(それなのに、自分が仕事をする段になると、設計文書をタイトルだけで『管理』して平然としているシステム・エンジニアがいたりするのは若干、謎である)

ドキュメントにはリビジョン番号があるのは当然だが、WBSの中のどのアクティビティで作成されるものかを示すことも(当然ながら)大事である。誰が担当で、いつ出来るのかは、それによって決まる。作られたら、次にどこのアクティビティで利用されることになるのかも、注意しなければならない。かつて「仕事の最小単位--アクティビティの構造を学ぶ」にも書いたように、文書(情報)はアクティビティのアウトプットであると共に、次のアクティビティのインプットともなるからだ。

ちなみに、わたしの勤務先では、ドキュメントのIDは、種類を示すコードと、それを作成するアクティビティのWBS No.を元にして構成している。一つのアクティビティから複数のドキュメントが作られるのが普通だから、後ろに連番をつける。かつ、それを電子ファイルの命名規約にもしている。ついでながら、仕事のプロセスを示すFunctional WBS (F-WBS)は標準的なコード体系にしたがっているため、どのプロジェクトでも、たとえばポンプの設計図書は同じF-WBS No.を持っている。だから、ドキュメント番号やファイル名称を見ただけで、「これはポンプの調達仕様書だな」と分かる仕組みになっている。

それから、インデックスには、何のために発行されるのかという目的がいる。つまり、顧客に出す承認用(For Approval)だとか、顧客からOKをもらった施工用(For Construction)だとか、あるいは据付工事後の最終納品版(As-Built)といった区別である。もちろん、顧客に気に入られないと、承認用を2回も3回も出し直し、という事態だってありえる。だからリビジョン番号と発行目的は、1対1にはならないのである。ちなみに「発行」という用語は、英語のIssueの翻訳だが、耳慣れないと思う人もいるかもしれない。これは、正式版として社内関連部署や顧客や外注先に対して配布する作業を意味している。「出図」という言い方をする企業もある。

作成者・検討者・承認者の項目は自明だろう(スペースの関係で一つにしているが、実際には別々にするのが普通だ)。

そして何よりも大事なのは、「発行予定日」と「発行実績日」である。プロジェクトの計画段階で、ドキュメント・インデックスを作る際に、個々のドキュメントの発行予定日を記入しておく。これは、プロジェクトのマスター・スケジュールに合致していなければいけない。そして、遂行段階に入って、実際にどんどんドキュメントが作成されるようになったら、それぞれの実績日を記入していくのである。

この予定日と実績日があるから、プロマネは問題を事前に検知したり、メンバーに上手に督促したりすることができるようになるのである。「今週、発行予定のドキュメントはこれとこれです。担当者はもし何か問題を抱えているようなら教えてください。支援します。」といった風に、週次のミーティングでいう訳である。

そして実際に発行されたドキュメントは、必要とする関連部署(下流側のアクティビティに関わる部門)や外部ステークホルダーに送付するとともに、プロジェクトのセンター・ファイルに保管する。情報伝達のトラッキングが必要になったら、プロマネは(あるいは、もう少し大規模なプロジェクトの場合は、専任のライブラリアン役の担当者が)、そのセンター・ファイルと、インデックスの履歴をチェックする。これがドキュメント・コントロールの仕事である。わたしが勤務先でこのようなやり方を初めて知ったときは、その見通しと効率の良さに舌を巻いたが、わたしの先輩達はどうやら何十年か前に米国の同業者達のやり方に学んだらしい。

またこうしたデータがあると、横軸に日付をとって、縦軸に発行予定ドキュメント数の累計をプロットしていけば、S字カーブが得られる。これに実績の線を書き加えれば、プロジェクト全体の遅れや進み具合が一目瞭然になる。一般に、設計作業の進捗は目に見えにくく、把握しづらい。ドキュメント・インデックスは、その進捗を可視化するためのツールになるのである。

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わたしの業界では(海外の大規模プロジェクトは特に)進捗に応じて顧客が支払う契約が多い。このとき、設計の進捗を、発行されたドキュメントの数で測るのである。全体で100部の図面やドキュメントを作成する予定であり、現時点では45部が発行済みだから進捗45%、といった計算である。単純だが、分かりやすい。むろん、図面には情報量の大小があるし、ドキュメントだって厚いのも薄いのもある。だからそんな進捗計算なんかナンセンスだと、いえないことはない。だが、今日までに100部作成する予定なのに、まだ10部しか出来ていなかったら、やはり何かおかしいと判断するきっかけにはなる。測れないものは、マネジメントできない。もし設計をマネージしたいのなら、設計の進度を測る何らかの仕掛けが必要なのだ。

最後は、そのドキュメントを構成するファイルのリストである。本文はWordだが添付資料はExcelの表です、といったものはよくある。こうしたセットを、ひとつの「ドキュメント」として扱うのである。だから、個別のファイル単位にしか属性を扱えないCMSみたいなツールは、ちょっと不便だということになる。

と、ここまで読んだ読者の方は、二つの疑問を持たれるかもしれない。

Q1: 本当に最初の段階で、プロジェクトが作成すべきドキュメントを全部もれなく洗い出せるのか? 途中でどんどん増えてしまったりするのではないか。
Q2: ドキュメントの発行予定日なんて、そんな初期に決められるはずがない。

このような疑問は、プロジェクトの「初期の段階」という理解にズレがあるために生じると思われる。まさかプロジェクトの初日に、ドキュメント・インデックスを作れる訳はない。プロジェクト計画がある程度進んで、WBSが作成され、マスター・スケジュールが出来上がったタイミングでなければ、もちろん作ることはできない。それはすなわち、プロジェクトの全体像の目鼻がついた段階だ。目鼻とはつまり、成果物の構成(Product-WBS, P-WBS)がだいたい決まり、かつ、それを作るまでのプロセス手順(F-WBS)が見えて、アクティビティ・マトリクスができた時点である。
(アクティビティ・マトリクスとWBSについて知りたい方は、拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書 〜 グローバルなチャレンジを成功させるOSの作り方」参照のこと)

もちろん、プロジェクトの遂行途上で、インデックスにドキュメントを追加せざるを得なくなったり、あるいは削除(キャンセル)することもあり得る。追加は、当然ながらユーザの意向でスコープの増加があった場合、そして当初の見積が不足していた場合の二つがある。だから、この両者は区別できるようにしておかなければならない。そしてプロジェクトが完了したときに、自社理由で増えた分と、外部理由で増えた分が、それぞれどれだけあったかを調べ、次にドキュメント数を見積もるときには、どう教訓(Lessons Learned)を生かしたら良いかを、考える材料にするのである。こうしたことをしない限り、見積の精度など向上する訳がない。

そして、ドキュメント・インデックスを作る理由は、まさに自分たちの予測能力を高めるためにあるのだ。ドキュメント・インデックス作成というのは、プロジェクトのマスター・スケジュールなどと似ていて、プロジェクト全体を表す一種の『モデル』なのである。プロジェクトという複雑な、かつ見通しにくいシステムをモデリングする事。これこそが、プロジェクト・マネジメントの中心技術でなくて何だろう? 最終形を見通さぬまま、なりゆきでドキュメントを積み上げていっただけでは、最後に手元に残ったリストを見ても、次に生かすのは至難の業だ。経験から学ぶためには、自分が何を見通して、何を見通せなかったかを、後から追えるようなトレーサビリティが必要なのである。


<関連エントリ>

by Tomoichi_Sato | 2016-10-12 23:37 | プロジェクト・マネジメント | Comments(2)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会 (2016年10月21日)開催のお知らせ

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」2016年の第5回会合を、下記の要領にて開催いたします。今回は研究部会WGのメンバーとの検討をもとに、久しぶりにわたし自身が講演いたします。この問題に関心をお持ちの方のご来聴をお待ちしております。

<記>

■日時:2016年10月21日(金)18:30~20:30
■場所:三田キャンパス・北館会議室2(1階)(定員:28)】
 キャンパスマップ・【1】

■講演タイトル:「プロジェクト・マネジメントの教育に対する新しいアプローチ

■概要:

受注型プロジェクトに多く携わる企業では、プロマネの育成はつねに重要な課題です。PMP資格の取得奨励などを進めても、なかなかそれだけでは実効性が上がりません。片や、自発型プロジェクトを進めるべき企業や官庁などでは、「プロジェクトをマネージするには技術がいる」という意識すら薄く、結果として幾多の失敗事例がメディアをにぎわす状態が続いています。

本講演では、“教育とは自己成長を支援するプログラムである”という認識に立ち、企業内や大学での教育に携わってきた経験を元に、エンジニアがPM能力を高めるための新しいアプローチについて提案します。今回の内容は、当研究部会の中で自主検討してきた「PM教育WG」の途中経過報告でもあり、参加者による積極的なディスカッションを期待します。

■講師: 佐藤知一(さとう ともいち)
日揮(株)勤務、静岡大学客員教授、東京大学・法政大学講師、工学博士・PMP

■講師略歴:
 1982年4月 日揮株式会社入社
 1985年10月~1986年9月 米国East-West Center 環境政策研究所 研修派遣
 2001年5月~2002年4月 仏Technip社との電子調達サイト Operation Manager
 2010年6月 「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」により学位取得
 2016年9月~ 現職(日揮株式会社 グローバル戦略室)に至る
〔受  賞〕日本経営工学会論文賞(2009)

■参加費用:無料。 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金¥2,000が免除されます。

会場の人数に上限があるため、参加を希望される方は、できましたら前日までに三好副幹事までご連絡ください(連絡先は学会HP参照)。

以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮(株)

by Tomoichi_Sato | 2016-10-08 09:36 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

書評:「人間の安全保障」 アマルティア・セン著

人間の安全保障 (集英社新書) - Amazon.com

アジア初のノーベル経済学賞受賞者、アマルティア・センの名前をはじめて知ったのは、佐伯胖の「『きめ方』の論理 ―社会的決定理論への招待―
を読んだときだった。社会的決定の問題を扱う同書の中で、センの有名な「リベラリズムのパラドックス」の定理や、「パレート伝染病」の概念による見事な問題解決に舌を巻いた覚えがある。

センと再び出会うのは、数年後に、会社の英会話教室で、先生から課題としてわずか2頁の雑誌記事を読むよう渡されたときだった。記事では、インドなど発展途上国における飢饉について、その原因は天候や農業の不作ではない、という驚くべき分析が示されていた。それは食料を買うためのお金や市場での配分割り当て、彼の用語で言う”Entitlement"が欠乏していたために引き起こされるという。それは天災ではなく人災であり、適切な政策によって防止可能だというのだ。その短い解説記事の著者が、アマルティア・センだった。

センはインドのベンガル地方に1933年に生まれ、英国ケンブリッジ大学で博士号を得た経済学者である。その研究領域は、集団的意思決定に関する公理論的数学手法による検討から、いわゆる厚生経済学、とくに貧困問題まで幅広い。1998年にはノーベル賞を受賞している。

本書は、その彼が行った短い講演などを集めたものである。薄い新書版だが、その内容は結構濃い。目次は以下の通りだ。

・安全が脅かされる時代に
・人間の安全保障と基礎教育
・人間の安全保障、人間的発展、人権
・グローバル化をどう考えるか
・民主化が西洋化と同じではない理由
・インドと核爆弾
・人権を定義づける理論
・持続可能な発展 — 未来世代のために

「民主化が西洋化と同じではない理由」など、やはりアジア人でなければ書けない視点だ。また「人権を定義づける理論」は、他の講演と合わせて『ですます調』で翻訳されているが、じつはかなり本格的な理論的論文である。

だが本書の中心的テーマは、やはり『人間の安全保障』Human securityである。その概念を確立するため、彼は2001年に設置された委員会の議長を、緒方貞子氏と共に務めている。人間の安全保障とは何か。なぜ通常の、国家の安全保障national securityだけではダメなのか。

それは、国家が安全でも、その国民一人ひとりが安全とは必ずしも言えない時代に突入しているからである。国民の安全は、無論、国家の安全に依存する。だが、国が一応安泰なのに、多くの国民が餓えや病気に苦しむ可能性があるのが、現代なのだ。

「<人間の安全保障>は、(経済・社会の)安全な下降に真剣に目を向けることに重点を置いています。(中略)景気の下降は、成長の過程で取り残された人々、つまり解雇された労働者や万年失業者などがおかれた慢性的に不安定な状況に、追い打ちをかけます」(p.39)と、彼は言う。「成長と拡大による利益の配分が不均衡で公正でないことは、かねてから議論されてきました。しかし、たとえその問題がうまく処理されても、景気が急降下すれば、無防備な人々の生活は、きわめて苦しい状態に追いやられるかもしれません。経済の拡大とともに、人々の生活が全体的に向上したとしても、暮らし向きがわるくなるときは、得てしてその転落の度合いに極端な差が生じます。」(p.39)

これに対抗するためには、国民一人ひとりが、自衛の方策をもつ必要がある。それが教育であり、経済的自立であり、また女性の平等である。彼は1999年にノーベル賞の賞金を使って、インドとバングラデシュに「プラティチ基金」をつくり、社会的な男女平等の達成を図ろうとする。

「女性の教育と識字力の向上が、子どもの死亡率を下げる傾向があることに関しても、多くの証拠があります。(中略)女性のエンパワーメントには、これまでたびたび指摘されてきた、男女の生存率に見られる格差(とくに若い女性の生存率の低さ)を縮めるのにも大きく影響しているようです」(p.31)

「わたしがマーブブル・ハクのために作成した『人間的発展指標』には、識字率と学校教育を、人間の潜在能力を増大させるための中心的存在として、また<人間的発展>の総合的な指標に不可欠なものとしています。」(p.25、故マーブブル・ハクはパキスタンの経済学者で、<人間的発展>の概念を主唱した)

彼の言う『エンパワーメント』とは自己決定能力のことを指す。必要なものを入手し、利用できる法的・社会的・経済的パワーを含む能力や、資格を備えることである。センは上に述べたエンタイトルメントやエンパワーメントなどのように、よく世間で使われる用語に、独特の概念定義を持たせて使うので、読者は注意が必要である。『ケイパビリティ』という述語もその一つだ。

「自由を得る機会については、一般に『ケイパビリティ』という考え方が有意義なアプローチを示してくれます。ケイパビリティとはすなわち、人間の生命活動を組み合わせて価値のあるものにする機会であり、人にできること、もしくは人がなれる状態を表します。」(p.151)

ここには彼の中心的な思想が現れている。通常の経済学者は、財貨を得て人が豊かになることを望ましいことととらえ、また経済効率が最大化するような財の配分は何か、という問題を立てる。そして、一種の目的関数としての「効用」を仮定する。お金が増えれば、効用も増大する。ところが、センのアプローチは異なっている。彼は、財貨の増大を目的ではなく手段だと考える。何の手段か? それは人が持つ自由な選択肢を増やすための手段なのだ。(わたし流に言うと『自由度』である)

「効用に注目するのではなく、人間としてふさわしい条件としての自由の重要性に注意を傾けることから始めれば、私たちが自らの権利と自由を称えるだけでなく、他の人々の重要な自由に関心を向けることにも、行動を起こす理由を見出せるようになります。」(p.147)

お金をたくさん持てば、一般に人間の自由な選択肢も増える。ただし、場合によっては、そうならない時もある。たとえば、あなたが500万円出せば、社長も500万円分を補助して、1千万円相当の会社の株を得ることができるとしよう。当然、あなたの財は増えた訳だ。ところが社長曰く、「この補助は固定株主を増やすための施策だから、君は退職するまでは決してこの株を売ってはならない」という。それでもあなたは幸せだろうか。あなたの効用は増しただろうか? むしろ自由に使えたはずの500万円を何十年間も固定されて、不満に思うのではないか。アマルティア・センの議論を、わたしはこのように理解している。

インド出身の彼はさらに、先進国の勝手なふるまいが、個人や社会の安全保障を脅かす危険も指摘する。

「国連安全保障理事会の5常任理時刻は、1996年から2000年にかけての世界の武器輸出のうちの81パーセントに関与していました。アメリカだけでも、世界の武器総売上の50%近くのシェアがあります。そればかりでなく、アメリカの武器輸出の68%が開発途上国向けでした。」(p.63)

このような主張が、すべての人の耳には快く響かないことも事実だ。それどころか、「貧困と国家間の不平等が研究テーマ」と聞いただけで、そいつは左翼だ、などと決めつける輩が出てくるのが、今日の時代である。アマルティア・センが左翼だなどと聞いたら、彼の夫人の父親であるロスチャイルド男爵は笑うだろう。ただ彼は、人間社会を良くするためには、経済学のみでなく倫理学の研究も必要だと、信じているだけである。そして実際、高度な数理論理学を駆使して、倫理学と経済学の共通課題である意思決定理論を構築したのである。本書には数式は一切出てこないが、入門のための格好の一冊だろう。


by Tomoichi_Sato | 2016-10-03 22:36 | 書評 | Comments(0)