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プロジェクト・コミュニケーションのベーシック 〜 情報のトレーサビリティを確立する

英語のCommunication と、日本語の「コミュニケーション」という言葉には、微妙なニュアンスの違いがある。わたし達が会話で「コミュニケーションが良くなった」などと語る場合、ふつうは双方向の意思疎通を意味している。「前の課長は向こうが一方的に命令してくるだけだったが、今度の課長はちゃんとコミュニケーションができるよな」という風に。もっと柔らかい言い方をすれば、『ふれあい』みたいな、感情面での同調というニュアンスを含む。

ところが英語のCommunicationは、原則として情報の伝達を意味している。それは、たとえ一方向でも成立する。だから、TV局が電波で大勢に向けて一方的に情報を発信する様な仕組みを、英語ではMass Communicationとよぶ。これは日本語でマス・コミュニケーションとなり、いつものように発音しやすい4文字言葉化して「マスコミ」になった(口頭では、コミュニケーションではなく「コミニュケーション」と発音する人がほとんどだ)。

PMBOK Guide(R)が、プロジェクトの10個のマネジメント知識エリアの一つとして、Communication Managementを入れたのはとても卓見だったと思う。だが、これを「コミュニケーション管理」と、ベタな日本語のニュアンスで捉えてしまうと、本質がずれてしまう。じゃあ赤提灯にいって酒でも飲んで、メンバー同士の「コミニュケーションを良くしよう」みたいな発想になりがちだ。だが、それではプロジェクト・コミュニケーションの半分も捉えていないことになる。

PMBOK Guide(R)は元々、大規模なプロジェクトのことを念頭に置いて作られた。だから、全員が顔見知りでない状態で、どのように知識・情報を確実に他者に伝達するか、ということが問題意識のベースにある。そこで「コミュニケーション計画」のような概念が出てくるのだ。そして実行段階は、「インフォメーションの配布」ということになる。英語のCommunicationは、一方向の配布がベースだからだ。どこにも“飲みニュケーション”みたいな話題の入る余地はない。この英語はむしろ、「情報伝達のマネジメント」と訳した方が、日本の読者にはピンときたと思う。

プロジェクトにおいてコミュニケーションが重要なことは、いまさら言うまでもないだろう。ただ、これほど我々にとって分かりにくく、つかみ所のない領域もない。PMBOK Guide(R)があげる10の知識エリアは、(全体を統合するProject Integration Managementを除くと)大きく二つのカテゴリーに分けられる。

A. スコープ、コスト、スケジュール(タイム)、品質
B. 人的資源、調達、リスク、ステークホルダ、コミュニケーション

上記のカテゴリーAは、いわゆる「ハード・スキル」に属する知識エリアである。つまり、定量的・計数的な管理技術として、かなり確立している分野である。そして、WBS、EVMS、CPM(クリティカル・パス法)、SQC(統計的品質管理)などの手法が開発されている。1950年代のクリティカル・パス法の発見が、モダンPMの誕生をうながした、という歴史も頭に入れておきたい。

そして「ハード・スキル」の特徴は、技術的手法論とツールが発達しているために、座学で習得が可能なことだ。むろん本で読んだり講義で聴いたりしただけでは不十分だ。自分で練習し実践してみないと、使いこなすレベルには達しない。しかし、知識を得ることによって、入門者は相当程度にレベルアップできる。なんとなく、自分にもできそうだ、と感じさせてくれる。

ところが上記カテゴリーBの方は、どちらかというと「ソフト・スキル」に近い面が強い。ソフト・スキルとは、日本語で『人間力』みたいな言葉を使いたくなるような、属人性の高い技能である。人を使う、業者を使う、危険を予知する、利害関係者とうまくやりあう、人に何かを伝達する・・。こうした能力にも、もちろん頼るべき原理原則はある。だからPMBOK Guide(R)でも苦心惨憺して、プロセスだのツールだのを説明している。だが、それを読んで、「うん、これなら俺もできそうだ」と感じる読者は希だろう。

プロジェクトにおけるコミュニケーション(情報伝達)の最大の目的とは何か。それは、次の二つに集約できる。

(1) 必要な知識・情報を、必要な人たちに、必要なタイミングで、最新の内容で伝える
(2) 伝えたことを確認し、トレーサブルにしておく

こうしたことは、PMBOK Guide(R)には明記していない(あの本は全体としてプロセス志向で記述しており、あまり目的志向には書かれない)。しかし、たとえばエンジニアリング業界ではもう何十年も前から、欧米を中心に、世界的にこの目的に従うやり方を守ってきた。

(1)についてはあまり説明の要はないだろう。上の表現はあえて、ジャスト・イン・タイムの「必要なものを、必要な量だけ、必要なタイミングで供給する」という言い方を真似て書いている。必要な情報のみを伝達し、余計なことで膨らまさない。必要な(そして正当なアクセス権限のある)人たちだけに、それを伝える。そして遅滞なく必要なタイミングで伝える。いずれも、当たり前のことだ。ちなみに、文書や図面情報の内容が最新であることがすぐ分かるように、リビジョン番号を明記することなどは、今時どこの業界でもやっているはずだ。

(2)の方は、しかし、業界によってはあまり常識化していないと思う。とくに「伝えたことを確認する」というのは、いささか欧米流に感じられるだろう。かの国々では『発信者責任の原則』でビジネス文化が動いており、相手に伝わるよう、ちゃんと伝えるのは、発信者側の責任だからだ。だからこそ、相手が分かったかどうか、自分から確認する。

ところが、わたし達の社会は『受信者責任の原則』で暗黙のうちに動いている。伝わらない・分からないのは、メッセージを受け取った側の、理解する努力が足りないからだ、ということになっている。分からないのは恥だから、質問も返さない。逆に「一度しか言わないからな!」と偉い人が怒鳴ったりする。こういう土壌を持った社会に、「コミュニケーション・マネジメント計画を立てましょう」などといっても、何のことやら、である。

トレーサブルという言葉には、多少注釈が必要かもしれない。「トレーサビリティ」という用語は、誰にも分かりやすいように選んだもので、わたしの勤務先では、「トラッキング可能」という方が通じるだろう。いずれも、後からさかのぼって、どういう経緯で今どこまでたどり着いているかを、明らかにできるという意味だ。ちょうど牛肉トレーサビリティと同じように、である。

このためには、すべての情報の伝達に、ユニークなIDをふることが必要になる。それは、わたし達の業界では、何十年も前の紙の時代から、実践してきたことだ。たとえば顧客に公式なレターを発信する。あるいはベンダーに仕様書を送付する。ベンダーから逆に承認図が上がってくる。これを協力会社の関係部署に送付する。こうした伝達行為はすべて、IDをふって、リストに記録する。たとえば、

T-YOC-ABC-0012

といった具合だ。最初の一文字は伝達の種類を表す(TならTransmittalで、書類の送付状である)。次に、発信者-受信者、を表すコードが来る。関連するステークホルダはすべて3文字の略号をつけるのがわれわれの慣例だ。最後は連番である。だから上記のIDは、

「YOCからABC社への書類送付状の12番目のもの」

という意味になる(YOCというのはYokohama Operation Centerの略で、わたしの勤務先の本社のことである。建設現場もあるためこういう表記をするのだ。どうでもいいけど)。これを連綿とリストに記帳していく。その書類送付状には、添付された一連の仕様書や図面の番号とリビジョンが記載されているはずだ。紙の時代だったら、この送付状は複数枚つづりになっていて、受け取った側は受領サインを記入して、返送する。こうして、受領確認が行われる。現代ではもちろん、こうした手続きはすべて電子化されているが、エッセンスは同じである。

だから仮に、後になってABC社と追加交渉でもめたときにも、「T-YOC-ABC-0012でこの図面はあなたに何月何日に送っていて、そちらも受信確認を返しているではないか」という風に証拠立てられる。言った・言わないの無駄な議論を省けるだけではない。情報を受け取った側も、お互いがそれを注意深く取り扱うようになる。

書類送付状ではなく、単純な文章による伝達(昔ならレター、今ならeメール)も、同様である。IDをふっておき、発信した内容、受信した内容は、プロジェクト・チームとしてセンター・ファイルしておく(これも昔なら紙、今ならデータベース)。チーム員はいつでも、それを探せるようにする。こうしたセンター・ファイルをきちんと持っているならば、少なくともそのプロジェクト・コミュニケーションは及第点であるといえよう。

そしてこういう手続きに従って、すべてのやりとりをトレーサブルにしておくよう、新入社員の時から習慣づける訳だ。これがわたしのいう、組織の「OS」の一部を形成していく。こうしたベーシックな行動習慣をチーム員みなが持って、はじめて、プロジェクト・マネージャーの能力が本来の仕事に生かせるようになるのである。


by Tomoichi_Sato | 2016-09-25 12:43 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

B2B企業にイノベーティブなITは可能か

あなたは、ある中堅SIerの開発部長だ。会社は受託システム開発をなりわいとしており、有名ではないが堅実な経営を続けている。そんなあなたはある時、突然社長に呼ばれて、こう言い渡される。

「君には明日から、わが社のCIOになってもらいたい。これまで外の顧客の仕事をずっとしてもらってきたが、明日からは経営者の一員として、わが社の情報システムを見てもらうつもりだ。紺屋の白袴じゃないが、我々の社内IT利用は、十分とは言えない。君には是非とも、これまでの外販の経験を活かして、イノベーティブなITの仕組みを作ってもらいたい。単なる業務の効率化だけではなく、新しいビジネスを生み出せるようなITの仕組みを、だ。」

経営者の一員、すなわち役員に抜擢された訳だ。とても誇らしい気持ちになる。しかし社長室を出て自分の席に戻ると、あなたはだんだんと大変な役回りを引き受けたらしいことに、気づき始める。わが社にとってイノベーティブなITの仕組みとは、いったい何を意味するのか。

あなたの会社は、造船業を中心に、重機や鉄工所などの業界を得意先として、基幹系情報システムを構築してきた。その分野の業務知識は、確かなものだ。船舶特有のさまざまな規制、複雑な業界構造や商慣習。そうした経験を組み込んだシステムでは、他社に負けないと思う。またIT技術の面でも、先進的なトレンドを、(真っ先にとは言えないにせよ)それなりに取り入れてきた自負はある。たしかにいくつかの案件では手ひどい赤字を被ったが、全体としては確実に利益を残してきた。

「しかし、今の分野の市場だけでは、先細りだ」との社長のセリフを、あなたは思い出してみる。「君も知っているように、SIビジネスはだんだんと難しくなってきている。かといってSE派遣だけで食っていくのも無理だ。新しいビジネスを創出しない限り、わが社の未来はない。」社長はそう断言した。あなたも、同感ではある。だが、自社にとっての新しいビジネスとは、何だろう? 流行のビッグデータやIoT、あるいはWeb技術だろうか。受託開発で生きてきた自分たちに、そういった技術の蓄積はない。やってできないかというと、なんとかなりそうな気もする。だが「気もする」だけの技術を売り込んで、買ってくれる顧客はいるだろうか。

あなたは自社の顧客リストを眺め直してみる。20〜30社が、主要顧客だ。過去にさかのぼれば数百社になるが、業界再編もあり、今は限られている。その代わり、比較的継続して仕事を受注してきた。その半分ちょっとは、大手コンピュータメーカー、いわゆる「ITゼネコン」からの下請けだ。他に自社が直接営業をかけてとってくる案件が3割程度。営業部門の人数も限られているので、そう手広く回れない。

あなたはビジネスメディアや業界セミナーなどで情報を集めることにした。IT業界の著名人、外資系コンサルタント、調査会社などの言うことには、一つの共通点があった。それは、米国のイノベーションの成功例を引きあいに語り、ふりかえって日本のIT業界の不調を批判する、というものだ。シリコンバレーにはグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなど錚々たる大企業がひしめき合っていて、しかも小規模なベンチャーが活発に新技術を開発、提案し続ける。その中にはUberやAirBnBなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの成長株がいる。ベンチャーキャピタルの出資や買収も活発だ。

すごいなあ、とあなたは思う。たしかにイノベーションの生きた事例だ。だがそれを、どう自社のヒントにしたらいいのか。日本と違って米国では、7割のIT技術者がユーザ企業にいて、それでビジネス開発とシステム構築を同時並行に進められるのだ、という話も聞いた。だが日本の構造は急には変わらない。あなたの会社のSEたちを、顧客側に派遣して、いやたとえ移籍したとしても、すぐにビジネスを開拓できるだろうか。そもそも何のビジネスをか。Uberを真似て、船を手配するスマホアプリ? まさかね。

まあ、あなたの会社は9割がIT技術者だ。だから自社のビジネス開発に自社リソースを活用するのは、ありだ。それにしても自社システムの弱みはどこか。会計システムは2年半前に更新したばかりだ。プロジェクト管理システムは自社製で、UIが使いにくいし、人月コスト集計が翌月10日過ぎになって遅いという不満はある。だがこれを改良したとしても、社長の言う「単なる業務の効率化」に過ぎないではないか。では顧客管理とCRMか? しかしたった30社程度だったら、Excelでも十分だ。

自社内のシステム改革に手がかりがないのなら、せめて顧客のイノベーションをIT面で支援し、ともに手がけるというのはどうだろうか。船自体のUberは無理でも、ドックが空いたら、互いに貸し借りする仕組みはどうか。・・しかし所要時間わずか数十分のタクシーと、数十ヶ月間も占有するドックを、同列には考えられないし。

あなたは次第に焦りを感じ始める。せっかく役員に取り立てられたというのに、どう采配を振るったらいいのか分からないのだ。そんなある日、あなたは、会社を中途退社し経営コンサルタントとして独立した先輩と偶然、出先で会う。久しぶりに酒を酌み交わしながら、あなたは愚痴ともつかぬ最近の課題と悩みを口にする。するとその先輩は、意外なことを言う。「新ビジネスで急成長することをイノベーションと呼ぶのだとしたら、B2B企業に、イノベーティブなITなんてありえないよ。」

−−どういう意味ですか?

「B2Bというのは、Business to Business、つまり企業相手に商売をしている企業だ。これに対して一般消費者を相手にしている会社は、Business to Consumer、略してB2Cと呼ぶ。」

−−それくらいは、知っています。

「じゃあ、君のところの顧客筋である造船業や鉄工業、重機械なんかはどちらだ?」

−−えーと、B2B、ということになりますね。普通の一般人が、ふらっときて船を作ってくれとたのむようなものじゃありませんから。重機・鉄工も同じです。

「そういう顧客企業で、イノベーティブなCIOの人を見たことはあるかい?」

−−うーん。そりゃ、会社にもよりますね。たとえばA社のCIOであるKさんなんか、尊敬できる方ですよ。業務のことも分かっておられるし、ITの理解も確かです。ユーザを上手く説得して動かす力量もあります。あの方がいたから、A社の基幹システムはうまく収まったんです。

「なるほど、立派だ。だけど、その基幹システムはA社にとって『業務の効率化』の道具だろう? 新しいビジネスを生み出すような、イノベーティブな仕組みじゃない。」

−−じゃあB社の例はどうですか。Hさんは情シス部長で、CIOというポストじゃないですが、E-BOM管理とWebEDIとをうまく統合して、サプライヤーを束ねるサプライチェーン・マネジメントのシステムを作ったんです。おかげで製造納期が1ヶ月近く短縮できるようになりましたよ。

「けっこう。だがそれも『業務の効率化』だろう。新ビジネス創出とはいえないね。」

−−そうなりますか。そうすると、ほかにいい例を思いつかないですね。そもそも顧客の中でCIOって肩書きのある会社は3割くらいですよ。あとは情シス部長が、IT系の役職では一番上です。それも大方の人はIT部門上がりなので、発想がIT技術よりで、あまりビジネス創出的な人材がいないんです。いっちゃなんですが、みな人材が小粒なのかな。

「なんでも問題を人材のせいにしちゃいけない。人材のせいにすれば、どんな問題だって説明できてしまう。人の資質が理由じゃないんだ。そもそも、ITシステムの活きるメリットは何だと思う? 人の仕事をITが置き換えるときの、アドバンテージを知っているかい?」

−−今さらわたしに向かって、何ですか(あなたはちょっとむっとして、答える)。まず、高速性です。大量のデータを高速に処理できます。そして繰返し性。機械は同じ単調作業を繰り返させても、飽きません。それから、正確性ですね。計算機はミスをしません。ですが、これと今の話と、どうつながるんです。

「ごめんごめん、怒らせたようなら、あやまる。まさに君が言った三つの点が、ITシステム導入のメリットだ。だから、会計業務だとか、給与計算とか、設計計算だとかが、真っ先にIT化の対象になった。大量・単調、だが正確な処理だ。これが金融だとか保険だとか、多数の消費者と直接やりとりするB2C企業の場合、勘定系や顧客とのトランザクション処理まで広がる。そしてWebの登場とともに、流通販売というもう一つのB2C業界も、お客と直接やりとりする仕組みをつくるようになった。」

−−はあ。

「とにかくB2Cでは、お客の数が多いんだ。一つひとつの取引は単純だが。だから、ITシステムを顧客に直接使ってもらうメリットが生じる。大量・単調、だが正確な処理のね。そして顧客がITを使ってくれるようになると、次は、そのチャネルを活かして、新しい商品を売り込むという、マーケティングの道具になるようになった。わかるね。」

−−ですが、それと今の話とどうつながるんです?

「いいかい。『新しいビジネスを創出する』というのは、マーケティングの仕事そのものだ。正確に言うと、マーケティングと商品企画の二つの仕事だね。新規顧客の開拓と、新しい商品の開発。B2Cでは、それをWebなどのITシステムを通して、直接できる。そして、B2Cビジネスのもう一つの特徴は、ボラティリティが高いことだ。」

−−ボラ・・何ですって?

「ボラティリティ。当たり外れの大きさのことさ。もとは株式の値動きの大きさを指すのに使われた用語だ。ボラティリティの高い市場では、一発あてると大きく成長できる。ヒット商品で急成長する会社の話は、よくニュースに取り上げられる。逆に言うと、ニュースになりやすいのは、ヒット商品の現れる、B2C企業だ。おまけにB2C企業は消費者相手に広告宣伝を打つ。だからメディアとの関係も強い。ますます、メディアに取り上げられやすい。」

−−はあ。

「それでだね。君がさっきあげていた米国のイノベーティブな企業、アップルだとかグーグルだとか、それからUberなんてのは、みんなB2Cの会社なんだ。一部は企業向けサービスもしているが、メインは消費者向けだ。企業向けでも、アマゾンのAWSなんて非常に多数の企業向け、B to many Bだな。だからB2Cに近い。そして、多数の顧客相手だからこそ、ITがビジネス創出のカギとして役に立つ。
 ひるがえって君の得意先の、鉄工・重機・造船みたいな分野は、特定少数の企業相手のB2Bビジネスだ。多くは受注産業。営業プロセスも長くて複雑。だからセールスをWeb経由でやっている会社なんていないはずだ。営業でITをフル活用している例があるかな?」

−−まあ、ありませんね。ITは、社内業務の効率化がメインです。・・あれ? とすると。

「社長さんのおっしゃる新ビジネスの創出というのは、マーケティングと商品企画だ。ただ誤解してほしくないんだが、マーケティングと営業機能は別だよ。営業は、なんなら代理店にアウトソースすることも可能だ。だがマーケティングは、自社で考えなくてはならない。ドラッカーはある本の中で、“企業に真に必要な機能はマーケティングと商品開発だけで、あとは全てアウトソースしてもいい”と書いているくらいだ。だが、B2BではITをマーケティング手段に直接活かすことが難しい。いや、そもそもB2Bの受注産業には普通、マーケティング部門すらない。ITは営業にさえ、活かしにくい。仕事が大量・単純でなく、少数・複雑だからだ。」

−−すると、B2B企業ではイノベーションにITを使うのが難しい、ということですか。

「もしもイノベーションという言葉が『新ビジネスの創出』という意味だとしたら、そうだ。少なくとも、マーケティングにITを活用するのは難しいだろう。新商品開発にITを使うことはありうるかもしれない。たとえばGEのビッグデータみたいに。まあ、あの会社もB to many Bだがね。また、社内ベンチャーで、ITを活用した全然別のB2Cビジネスをはじめる、というケースはあり得る。だがそれは今の会社をどう成長させるかとは、別の話だ。
 さて、では、君の会社のようなSIerは、B2Bかね、B2Cかね?」

−−それは・・B2Bです。

「そうだ。日本のたいていのSIerは、大手コンピュータメーカーを除けば、そうさ。だから社長さんの望むような、イノベーティブなITの仕組みをつくるのは、難しい。」

−−じゃ、わたしはどうしたらいいんですか。SI市場は先細りです。わが社は座して死を待て、とおっしゃるんですか!

「そうは言っていないよ。マーケティングにITを直接活用するのは難しい、と言っているだけだ。マーケティング自体が不要だ、などとは言ってない。むしろ逆だ。今まで受注ビジネスのB2B企業は、営業部門は持っていたが、マーケティング機能を持たないところが多かった。それは顧客の注文を待つ、御用聞きで生きていけたからだ。だがこれからはそうじゃない。マーケティング機能をちゃんと確立しなければならない。」

−−マーケティング。でも、それをウチの営業部長に期待できるかなあ。

「そこが誤解なんだ。マーケティングは営業じゃない。その二つは、設計と製造現場が違うくらい、違う仕事だ。中堅企業や中小企業では、マーケティングは社長がリードすべきなんだ。それこそ経営の中心的仕事なんだから。それを、IT企業だからってCIOに丸投げしちゃいけない。
 君も『イノベーション』という、カッコいい言葉に踊らされてはダメだよ。それは急成長と同義語ではない。ボラティリティの低いB2B分野では、画期的新技術が出たって、会社の急成長に結びつくことは珍しいんだ。新技術が上手なマーケティング戦略と組み合わされると、少しずつゆっくりと、目立たぬうちに、ニュースに報じられないまま、いつのまにか市場を侵食していく。そして着実に、利益を上げていく。そういう実例は、じつは日本には数多い。日本はB2B企業が製造業を支える国だからね。」

−−そうなんですか。

「生き残りたかったら、アメリカの派手な会社の真似ではなく、日本の、目立たないが技術とマーケティングで利益を出している会社の経営に学ぶことだ。技術力だけでも、マーケティング力だけでも、利益は出せない。その両者をつなぐことが、経営なのだから。」


<関連エントリ>

by Tomoichi_Sato | 2016-09-18 23:21 | ビジネス | Comments(1)

国際人として最低でも守るべきたった一つのルール ~ 「ありがとう」と家族に対してでも言う

じつをいうと、「国際人」だとか「国際的」だとかいう言葉が嫌いである。
(えーと、そういえばネットでは、何かを「嫌いだ」というセンテンスで文章を書き始めない方がいい、と聴いたことがある。好き嫌いは人それぞれだし、ネガティブな気持ちを発信すると、他人のネガティブな気分を引きつけるかららしい)
それでは、言い直そう。わたしは「国際人」とか「国際的」といった言葉が苦手である。・・ま、これで何かが変わったかどうかは不明だが。

でも、国際人とは一体、何を指すのか。わたしはそこが今ひとつ、分からない。ちなみに、国際人という言葉は、英語で何というのだろうか。International person? Cosmopolitan? どちらも、なんだか日本語で言う「国際人」とはフィットしないような気がする。たぶん、そういう概念は存在しないのだ。無論、”international"という形容詞はもちろんあって、意味も確立している。ただし人に対しては、あまり使わない。活動だとか、カンファレンスだとか、組織に対して形容することが多いと思う。最近は国際人と呼ぶかわりに「グローバル人材」という言葉が大はやりだが、こちらもGlobal human resourceでは何のことだか分からない。

さよう、その概念や実態はよく分からないのだが、そういうことを言いたくなる気持ちの方は、少しだけ理解できる。なぜなら、わたし達は、他の国と、少なくとも仕事の面では、随分違うからだ。

ご存じの通り、ちょうど1年前、わたしは「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」という著書を世に問うた。とくに海外プロジェクトの進め方について、勘所をまとめた本だ。幸い洛陽の紙価を高め・・とまでは至っていないが(笑)、それなりの評価はいただいている。でも、ときおり、疑問に思われる方もおられるようだ。なぜ、「海外プロジェクト」とひとくくりにできるのか、と。

海外といっても、アメリカ、中国、ベトナム、タイ、インド、英国、ドイツ・・とばらばらではないか。皆、それぞれに文化が違う。個性も癖もある。それを一括りに「海外」と言ってしまっていいのか? 同じ処方箋を書けるのか?−−そういう、もっともな疑問である。

だが、海外プロジェクトについては、ほぼ同じ処方箋で、どこでも適用できるのである。世界各国それぞれに個性的なのは事実だが、日本のビジネス文化だけは、他と飛び抜けて違うからだ。これは数字で証明できないが、長年それなりにいろいろな国で働いてきた、わたしの実感である。

ちなみにホフステッドという研究者は、多国籍企業IBMの従業員の分析を通じて、国民性が4つの次元からなることを明らかにした。その研究結果を見る限り、日本は他から飛び抜けて離れてはいないじゃないか、という反論が聞こえそうだ。

それは承知している。それでも、わたし達は違うのだ。どこが? それは、自他の関係性と、言葉に対する態度において、である。その結果として、契約取引に関する考え方が、ほとんど180度くらい違う。だからビジネス上では危ないのだ。比較文化論的には、全体の違いはたかがしれているだろう。だがビジネス文化だけを取り上げると、大きく異なる。

もう一つ。個人の対等性の概念が薄いのも、わたし達の文化の特徴である。この点は東アジアにある程度共通しているかもしれないが、個人間の鋭い対立を好まない特性とあいまっている点が違っている。その結果、わたし達の社会では、「場」とかグループ・団体への帰属と、人間の上下関係が、行動や判断基準の中心になる。これも自他の関係性のあり方から来る、一つの帰結である。そして、これはマネジメントのあり方に大きく影響している。「日本的経営」といわれる、タテ社会とコンセンサス(責任不在)によるマネジメント・スタイルである。だれもこれを、「アジア的経営」と一般化して呼びはしない。日本と他のアジア諸国とはかなり違っていることを、多くの欧米人は気づいているからだ。

という訳で先日も、サプライチェーン戦略研究部会で海外プロジェクトの進め方について講演した際、野村総研の方から「日本だけ、なぜかくもマネジメントのあり方が違うのでしょうか?」とご質問をいただいた。だが、それは質問する方が逆です、とわたしはお答えした。そういう質問はむしろ、エンジニアリング会社の社員が、シンクタンクのコンサルタントに聴くべき問いでしょう、と。わたしこそ理由を知りたいです、と。そう。この違いに気づいている人は、気がついているのだ。

さらに、他国をよく知らず、自国の枠内でのみ考えたがる点も特徴だ、という声もあろう。だから国際化が課題なのだ、と。だが、これは大きな人口と文化を抱えた大国なら、共通する特徴だとわたしは考える。アメリカだって、中国だって、大衆レベルでは似たようなものなのだ。だから日本のみの問題ではない。

だがそれにしても、もしあなたが国際人だとかグローバル人材にあこがれるのだとしたら、どうしたらいいのか? わたしは「国際人」や「グローバル人材」が何かはよく理解できないのだが、とにかく、日本の国境を一歩でも超えて活躍したいのなら、英語教育家の故・中津燎子氏が、かつて海外に行こうとする若い女性に与えたアドバイスを紹介したい。中津氏は、その娘さんにおっしゃったのだ。

「もし、朝食の席であなたのお母さんが、お茶か何かを食卓にいるあなたに出してくれたら、必ず『ありがとう』と口に出して言うようにしなさい」、と。

それはひどく単純な一言(行動)だ。だが、それを言うことで、母親は自分とは別の人間であることをあらわしている。感謝の言葉は、対等な人同士の時に使うものだ。それは、相手に対するディセンシー(謙虚さ)を示す。他人に何かをしてもらって、それで無言のままだったら、その行為は「あたりまえ」だ、という態度を意味している。いや、もしかしたら、内心ではあなたも感謝しているかもしれない。が、それは相手に確実には伝わらない(ついでに余計な話だが、「ねえ、わたしのこと愛してる?」と『言語による確実な伝達』を要求する^^;のは、ふつう女性の側だ、ということになっている)。だから、言葉にして伝えることを、自分のルールとする。 それを、習慣として自分の中に刻み込むのである。

「他人に何かをしてもらって」と今、書いたが、母親は他人だろうか? 他人とは、家族の外、身内の外、ムラの外をいうのだ、というのがわたし達の文化的習慣である。それに、そんなのいちいち水くさいじゃないか。

だが、たとえ親子で、上下関係があっても、なおかつ根本では対等な、別個の人格である。だから感謝の気持ちは、言語化して確実に伝えなければ伝わらない−−こうした論理で、世界の8割以上の国の文化はできあがっている。

それと同じように、取引において、売り手と買い手は、根本では対等である。そういう論理が、多くの国ではデフォルトである。現実には、立場の強弱もあるし、多くの場合、買い手の方が強い。だが、買い手が王様のようにワガママで、売り手は奴隷のようにふるまうのは「フェアでない」(公正の原理に反する)、というのが西洋社会の通念である。だから、両者の権利と義務をはかりの左右において、公平を期す。それを言語化した「契約」をたてよう、ということになるのだ。

そんな「契約」を、なんと神様が人間との間においたりする。でもって、人間がさらに神様とネゴシエーションしようとしたりする。こういう神話的な物語を小さいときから学んで育ってきたのが、世界の多数派なのだ。まあ、アジアの東側やアフリカのサハラ以南では、そんな神話はあまり見当たらないが、しかし、そのかわりマネジメント層はたいてい欧米で教育を受けてきた人たちであることを忘れてはならない。だから結局、世界のほとんどは契約社会である、という風にできている。

じゃあ、家族に「ありがとう」と言ったら、それですぐ国際人になれるのか? もちろん違う。ただ英語を喋る前に、英語の根底にあるOSを理解しようと言っているのだ。私は礼儀やマナーの話をしているのではない。そうした振る舞いの根底にある思考や行動の習慣OS)のことを言っている。何も欧米人が家庭でしている事を、そのまま真似ろと言っているのでもない。尊大で、家族に礼も言わない人間だって、きっと中国やアメリカにはごろごろいるだろう。そうではなくて、普段家族に礼を言う習慣がない私たちが、自覚してそれを習慣つけるといいと言ってるだけだ。そしてそれは、手始めに過ぎない。

上に述べた拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」では、わたし達が海外でビジネスに取り組む際、身につけるべきOSの要素として、
S+3K
をとりあげた。一番中心にあるのは、
・システム的な見方をする(Systems approach)
ことである。それにつづいて身につけるべき習慣は、
・言葉を大切にする(言語化)
・契約と責任を重んじる(契約責任制)
・かならず計画をたてる(計画重視)
である。システム・言葉・契約・計画の頭文字をとって、『S+3K』とよんだのである。この最初の2つのKが、今回の話に関係している。

わたしは、エンジニアにとって今後必要となるPM教育やリーダー教育に、こうしたS+3Kの要素をぜひ入れなければいけない、と考えている。誰もが遠くない将来、海外と何かの形で関わる可能性が大だからだ。そのときトラブルになってから、
「え? 目下のベンダーのくせに何で対等に要求してくるんだよ?」
「契約書に書いてあるって、あんなの形だけのセレモニーだったんじゃないの?」
などと、慌てふためいても遅いのだ。

だから、別段、国際人向けの教育コースなどをとらない人にも、申し上げたいのだ。小さな習慣から、自分の中に刻み込んでおいた方が良い。母親がお茶をくんでくれたら、配偶者がコップをとってくれたら、「ありがとう」と声を出して言おう。それで損することは、何もない。


(追記:中津燎子氏が上記のアドバイスをされた話は、「再びなんで英語やるの? (文春文庫 (195‐2))」の中だったように記憶しているのだが、今、書棚にその本がないため確認できない。もしかすると「未来塾って、何?―異文化チャレンジと発音」だった可能性もある)

by Tomoichi_Sato | 2016-09-11 22:15 | 考えるヒント | Comments(0)

技術リーダーの出現をはばむもの

「最近の日本の経済はどうですか?」——外国人と食事をしていると、よくたずねられる話題だ。先週、北米の関連会社から来たエンジニアと食事していた時も質問された。またその前の週にも、フランスで開かれたPM関係の国際シンポジウムの夕食会で、隣り合わせた顔見知りに、まったく同じ事をきかれた。彼は米国のビジネススクールの学部長だった。反対側に座ったインド人(彼は豪州の大学教授だったが)も、興味深そうに聞き耳を立てる。米国もオーストラリアも日本から見れば隣国のようなものだが、こちらの発信力が低いせいか、日本の状況はさっぱり分からないらしい。わたしは答えた。

--良くないよ。GDPは成長どころか、じり貧だ。株価は一応保っているけど、最近の報道によると、日銀と政府系の年金基金はなんと、上場企業全体の7%もの株式を買って持っているらしい。つまり買い支えているわけだ。

「それはあまり健全じゃないね。でも、かつて日本はあれほど元気だったのに、なぜこんなに長い間、不調なんだ?」

その問いに答えるのは、簡単ではない。経済学者が10人いたら、たぶん10通りの説明があるのだろう。銀行の不良債権のせいだ、というのがかつての説明だった。だがそれが収まっても治らない。少し前には、通貨供給量の不足だ、といって金利をマイナスにまで下げた。法人税率が高すぎるのだ、という解説も聞いた。別の日に、ホテルの部屋で寝転がってCNNを見ていたら、「アベノミクスはなぜ失敗するのか」という題名の解説で、米国のエコノミストが「生産人口の減少が原因だ」と主張していた。だがそれなら、似たような状況にあるはずの欧州、たとえばルクセンブルクは、一人あたりGDPをなぜあれほど高く維持できているのか?

--経済の専門家じゃないから真の原因はよく分からないけど(と、わたしは答えた)、ビジネスの世界にいる人間として、一つだけ言えることがある。

「なんだい?」

——日本企業の収益力が全体に落ちていることだ。日本企業はわりと技術志向で、製造業を中心に成功してきた。そして欧米の背中を見て、追いつけ追い越せ(catch up)で走ってきた。だが、日本が世界のほぼトップに立ったとき、「その先」をリードする新しい技術が、あまり生まれなかったように思う。優れた製品も、少しはあった。だけど多くは不況とコストダウン競争の中で擦り切れていったんじゃないかな。

「だが、どうして新しい技術を創れなかったんだ?」

その問いに対する答えは、わたしにはなかった。帰り道にあれこれ考えてみる。ベンチャーキャピタルの不在のためか、大企業の技術的保守体質のせいか。それもあるだろう。ただ、前回書いた英国のブルーネルのように、前人未踏の大きな構想を抱き、次々に実現していくタイプの技術リーダーが、'90年代以降のわたし達の社会には必要だったのではなかったか。もちろん小山稔氏(青色ダイオード)とか内山田竹志氏(ハイブリッド自動車)とか、幾人かはわたしも思いつく。だが、あまり多く育たなかったことは、たしかなようだ。そもそもそういう職種が必要なことさえ、あまり意識されていないのではないか。

ものづくりの世界では、エンジニアと職人と、どちらもいないと物ができない。ただ、技術リーダーがいないと、収益力のある、すぐれた製品やビジネスは生まれにくいのだ。もし技術リーダーが生まれにくいのだとしたら、エンジニアのマインドセットには、なにか欠けているに違いない。あるいは、企業の側のパーセプションに歪みがあるのか。

日本には大勢の技術者がいる。わたしもまあ、そのはしくれだ。では、技術者が目指すべきキャリアパス上の目標は、どのような姿であるべきか。その問題についてわたしはこのところ、ずっと考えている。「職人的であること、エンジニアであること」http://brevis.exblog.jp/24607574/ の中で、わたしは、[エンジニア] - [職人] - [技術リーダー]の三角形の領域を考えた。エンジニアのキャリアパスは、ある意味、この領域上にある。

三角形の領域の中で、右下から出発するエンジニアが、上の技術リーダーに向かわないで、多くの人がじつは左下の職人的なあり方に向かって、進んでしまう。ここで「職人的」というのは、別に肉体労働ではなくて、知的作業でも、職人的な働き方を好む人たちという意味だ。それは一体なぜなのか。なぜ、上辺に流れないのか。それを考える必要がある。

ただしその場合、この三角形の軸が一体何を意味しているのかを理解しなくてはならない。右の斜辺と、左下の職人の頂点を対比する軸はなにかというと、おそらくそれは、

 <個人> ←→ <組織>

だろう。右辺にいる人たちは、組織の中で働いて、組織というものの力をいわば信じている。しかし職人は基本的に、個人主義だ。日本の職人が個人主義というと、なんだか妙に聞こえるかもしれない。だが、あるいは過去20年間の不況と終身雇用制の崩壊を考えると、多くの技術者たちは、いつ自分が組織から切られても外で生きていけるように、自分個人の職能・商品価値を高める方向に動いた結果なのかもしれない。

では、左斜辺と右下の技術者を対比する軸は何か。意外かもしれないが、これは

 <感覚> ←→ <理知>

の軸だろう。つまり、技術リーダーとか職人的な人たちは、どちらかというと自分たちの感性を中心に物を考える傾向が強い。ところが技術屋とは、経験や勘もあるけれど、あくまでも科学原理にしたがって動くことを旨としている。だからこそ、技術とは移転可能だし、座学で教育可能なのだ。

ところで底辺と、上の頂点を対比する軸は何なのか? わたしはしばらく考えあぐねた。

こういう問題を考えるときには、三つの頂点の裏を考えてみると、ヒントが得られることが多い。裏とはつまり、三つの職種(技術者・職人・技術リーダー)が「行きすぎた形」「そこまで行ってはいけない形」を考えてみることである。

職人の「行きすぎた形」とは何か。それは『アーティスト(芸術家)』だろうと、わたしは思った。では技術者の「行きすぎた形」とは何か。それは『科学者』ではないか。アーティストと科学者は、それぞれこういう特性を持っている:

「アーティスト」
・創造性とひらめきを大切にする
・教育制度は信じない。むしろ敵だと思う
・自分が好きな仕事だけがしたい(夢に生き貧困に死す)

「科学者」
・普遍性と厳密性を大切にする
・多くは大学人で、教育制度の頂点にいる
・社会から身分と自由と研究費を与えられるべきだと願っている

では、上の頂点にある技術リーダーの裏の姿、こうあってはいけない姿とは何なのか? 考えてみるとどうやらそれは、『出世主義者』ということになりそうだと気がついた。出世主義者とは、こういう特性を持っている人たちだ:

「出世主義者」
・権力と統制を大切にする
・自分以外の人間は道具だ(さもなければ敵だ)と思っている
・大きな仕事を人にさせたい

現実的であるべき技術者や職人が、アーティストや科学者を気取ってもらっては、いささかこまる。だがアーティストも科学者も、世の中全体にはもちろん必要である。それだけの価値があるから、わたし達の社会は彼らを支えている訳だ。では、出世主義者は世の中に必要なのか? わたしはそう思いにくいが、ただ世の中に一定数いるからには、何らかの社会的必要があって存在しているのだろう、とも想像する。
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しかし、技術者が三角形の領域の上に向かって動こうとすると、どうもそこで出世主義者の像とかぶるような姿が感じられるのではないか。それが、技術リーダーの成長を難しくしているのではないか。

さて、三角形の底辺と、上の頂点を対比する軸は何だろうか。リーダーシップの軸? 地位の軸?
 
それは専門性(スペシャリスト)の軸ではないか、というのがわたしの仮説である。あるいは逆に、悪名高き<ジェネラリスト>の軸だといってもいいかもしれない。「自分の専門性を失うことに対する不安」が、おそらく技術者が上に向かう流れを阻害してるのに違いない。しかしわたしは、これを上向きに「インテグレーション能力の軸」と呼ぶことを提案する。ジェネラリストではなく、インテグレーション能力を持った人。事実、ブルーネルとはそういう能力を持つ人ではなかったか。

<インテグレーション能力>
<専門能力>

こう呼べば、技術リーダーも育成可能だとわかるし、自分で成長を目指すこともできる。なお、「リーダーシップの軸」と呼びたいと思う人もいるかもしれない。リーダーシップという言葉は受けが良く、人気が高いが、その内容については社会的・学問的合意がじつは存在しないので、わたしはあまり定義には使わないことにしている。あるいは「管理技術の軸」と呼びたい気持ちも多少あるが、この言い方だけでは誤解を招きかねないので、ここでは避けておこう。

わたし達の社会に必要なのは、このインテグレーション能力を明確にし、技術リーダーの職種を確立することだと思われる。

その職種名を何と呼ぶのか? 私だったら迷いなく、「プログラム・マネージャー」と呼ぶだろう。だが残念ながらこの呼び方は、日本ではほとんど普及していないし、理解もされないに違いない。じつは欧米には、別の候補の名前もあるのだが、長くなるのでここでは省略しておく。

この技術リーダー職種には、価値があるのだろうか? もちろんある。ただし、その価値は労働市場ですぐ取引出来るような価値ではない。だって個人個人で、その仕事の内容は大きく違うのだから。でも、あなたが19世紀英国の経営者だったら、ブルーネルをいくらで雇っただろうか? 相当な価値であることは間違いない。また、仮に、今のあなたの職場に、ブルーネルのような能力のある人がいたとしよう。彼を引き留めるために、あなたの会社はどうするだろうか? 彼のような人を育てるために、あなたの会社はどれだけの労力と投資を支払うだろう?

私たちの住む島国には、人しか資源はないと、小さい時からきかされてきた。だとしたら、わたし達はそういう人材を育てるために、どんな手を打つべきなのか、そろそろ考えるべき時なのではないか。


<関連エントリ>
 →「職人的であること、エンジニアであること」http://brevis.exblog.jp/24607574/ (2016-08-21)
 →「英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと」http://brevis.exblog.jp/24622591/ (2016-08-28)


by Tomoichi_Sato | 2016-09-05 22:43 | 考えるヒント | Comments(4)