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最適解を組み合わせても、良い生産システムは作れない

先週の7月20日に「生産革新フォーラム」で行った講演『上手な工場見学の見方・歩き方 〜エンジニアリング会社の視点から〜』には、幸い大勢の方が来場され、このテーマに対する関心の高さをうかがうことができた。そして同時に、「工場設計」という重要な仕事に関する、世間での情報源の少なさも、あらためて再認識することになった。工場づくりのポイントを学びたいと思っても、世の中には殆ど教科書・参考書の類いがないのだ。

たとえば、前回も書いたとおり、機械組立加工系の工場レイアウトには、やっかいな典型的問題がある。それは上下動線の錯綜と分断の問題である。「材料受入→部品加工→組立→検査→梱包出荷」という工程の順序のうち、前半の部品加工はしばしば大型で重い機械設備が必要になり、後半の組立検査は人手中心の作業である。だから、敷地の制約で二階建て以上の工場を計画する場合、重い機械を要する部品加工工程を1階におき、組立検査工程を上階に配置することが普通だ。重たい機械を2階以上に設置するには、床の耐荷重を上げなければならず、建築コストが上昇するからだ。

ところが、原材料搬入も製品出荷も普通はトラックで行うから、搬入搬出口は1階に設置する。そして倉庫も、(それが材料倉庫・中間部品倉庫・製品倉庫のどれであっても)重たいので1階におく。かくして、工場の中には、1階→2階→1階→2階→1階というような縦の物流動線が複数必要になる。そればかりでなく、生産の流れが複数フロアにまたがって分散すると、全体としてどこに滞留が生じているか分かりにくくなるし、どこかで問題が生じても、他のフロアは気づかずに操業を続け、結果として仕掛品の山とワークロードの不均衡を生み出してしまう。「流れをつくる・流れを見せる」が工場レイアウトの基本なのに、それにそむくことになるのだ。

この問題の一つの解決法は、前回ご紹介したN社の事例のように、製品搬出口を2階に持って行く方法である。1階から搬入した材料は1階で部品に加工する。そして2階で組み立てた製品は、2階から梱包出荷する。N社の場合、上流側の部品加工はNCを用いたロット加工であり、下流側は個別受注生産になるため、必ず中間部品在庫が生じる。そこで中間部品在庫用の立体自動倉庫を置き、自動倉庫に縦搬送機能を持たせることによって、工場全体の中に1階→2階という明確な流れをつくったのである。「入口と出口を分けて、流れをつくる」は物流倉庫の基本だが、それを工場全体で実現したのである。

もう一つの解決法が、講演で説明したK社の工場レイアウトだ。K社は我々が数年前に見学した、川口市にある歯車メーカーである。従業員数約200名、年商数十億 の中堅企業だ。K社の工場は3階建てだが、製品種別にしたがってフロアを分けている。大型歯車は1階で、小型歯車は2階で、それぞれ全工程を完結できるようにしてある。したがって、2階にも重量のある機械を置いている。建築の素人であるわたしの目から見ても、床の耐荷重は大きめの構造になっていた。 建築費が上がることは承知の上 でのレイアウトである。

だが、一つの品種の製造の流れが、フロア内で見通せることのメリットの方が、建築費の節減よりも大きいという判断があったのだろう。大変立派な判断だと、わたしは思う。K社を見学に行ったのはたしかリーマンショックの直後だったと思うが、急激な受注減を受けても、ちゃんと持ちこたえて経営されていた。「製造は労賃の安い中国で」というのが常識のごとくメディアで宣伝され、「日本の中小製造業は、大企業の新製品開発サポート業務くらいしか生き残る道はない」と経済産業省が勝手に決めつけていた時代を、ちゃんと生き延びているのだ。

じつは、K社を良く知る知人の指摘によると、K社にはもう一つ首都圏に工場があり、そちらは何とN社と同じような、2階搬出口によるレイアウトになっているという。同社にはこの他にも、学ぶべき立派な事がいくつもあって、講演でもその一端を紹介した。まともな工場を作り、まともな方針で経営している企業は、サステイナブルに事業を継続できるのだと、強く印象づけられた工場見学だった。

それにしても、N社やK社などの創造的な中堅企業ではずっと前から実現できているレイアウトが、なぜ全国の大企業の工場ではできていないのだろうか。工場の規模が違いすぎるから? わたしはそうは思わない。というのは、現代日本ではどこの製造業も、多品種少量生産を否応なく迫られていて、個別の製品群で見ると、そんなに巨大大量生産の工場というのは無いからである。大企業には創造性の高い人材が少ないから? いや、中小企業の経営者たちは口を揃えて、優秀な学生は大企業にばかり入りたがる、というであろう。

わたしは、「部門の縦割り(サイロ化)の弊害が、非効率な工場設計を生んでいる」のではないかと疑っている。企業が大きくなればなるほど、組織構造は立派になり、分業が進み、それぞれの部門が明確な責任範囲を受け持つ体制が発達する。小さな企業では、一人がいろんな事を見なければならない。だが大きな組織では、守備範囲にしたがって、工場づくりなどの仕事も進められる。

そのような分業体制の中で、「各人がその持ち場で最善を尽くす」ことにより、企業全体として最良の結果を得る。——これが一般に信じられている原則だ。たとえば、工場設計においては、機械類は生産技術部門が、建物は総務部門が担当するケースが多い。機械は最高のパフォーマンスのものを導入し、建物は最も安価で堅牢なものをつくる。かくして素晴らしい工場ができあがる、はずである。

しかし、そうではないのだ。N社やK社の例を見ればわかるとおり、建設費の点ではむしろ、外周スロープや耐荷重などで余計なコストをかけている。とうてい最適解とはいえはない。しかし、ある部分ではあえて最適から外すことで、全体としては効率とフレキシビリティを兼ね備えた優れた工場(生産システム)に仕上がる。これが「システム」を設計する仕事の妙味である。なまじ分業化を進めると、こうした視点が消え失せてしまうのだ。

わたしの見た限りでは、日本のディスクリート型製造業における工場づくりは、典型的には次のような流れで進む。

(1) まず、生産技術部門の機械エンジニアが、製造工程の中核となる製造機械装置の基本設計を行う
(2) 続いて、生産技術部門が機械メーカーを選定し、そのメーカーとともに詳細設計を進める
(3) さらに、生産技術部門は資材部門の協力の下、汎用機など補助製造設備の選定を行う

ところで上述の通り多くの企業では、「建物は総務部門の管轄」という決まりになっている。そこで、

(4) 上の流れに並行して、総務部門は設計事務所をよんで、建屋の建築レイアウトをすすめる
(5) ついでゼネコンが入ってきて、建築の実施設計にむけた作業を続ける

ただし工場は建屋と製造機械だけでは成り立たない。保管用の倉庫や搬送装置など、物流搬送設備が必要だし、あるいは電力・水・圧縮空気などのユーティリティも必要だ。というわけで、

(6) 生産技術部門が、製造機械の設計を追う形で、物流搬送設備等の基本設計をすすめる
(7) ついで、生産技術部門が物流メーカーを選定し、そのメーカーとともに詳細設計を進める

で、その結果どうなるか。技術を良く知らない総務部門の事務屋さんが設計事務所に命じて描かせた、ガランドウの建屋プランの中に、生産技術のメインとサブのグループが、エンジニアの視点でそれぞれ選んできた機械設備を配置しようとする。答えはご想像の通りだ。きれいに収まる訳がない。しかたなく、それぞれ基本設計に戻ってやり直しとなる。かくて目に見えぬ無駄な時間が浪費されていく。
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こうした再調整のリワークを避けるたければ、あらかじめ、機械 – 建築 – 設備の間の取り合い(インタフェース)に、かなり余裕を見ておくしかない。インタフェースとはすなわち、耐荷重、電力容量、貫通孔などなどである。だが、当然これはコストアップを意味する。よほど余裕のある工場でなければ(あるいは総括原価方式などで顧客にコスト転嫁可能な企業でなければ)できる相談ではない。

しかし、それよりも問題なのは、「建築コスト最小」と「機械パフォーマンス最高」の足し算の方程式を無理やり解いた結果、全体の流れが錯綜した空間構造、レイアウト変更が容易でない空間構造になってしまう点である。これが、操業後の見えない非効率の温床になる。分業と「すり合わせ型」意志決定が、全体の設計思想なき工場を生んでしまうのだ。

おわかりだろうか。A. 大きな問題を、複数の小さなサブ問題に分解する。→ B. そして、それぞれのサブ問題に対して、最適解を求める。→ C. それらを組み合わせて、全体に対する最良の解を得る・・というのは、いつでも成立する訳ではないのだ。このアプローチは有用だが、元の問題が「足し算の論理」で評価できる場合にしか、成り立たない。そして、わたしの言う『生産システム』は、そうした足し算だけでは評価できない典型なのだ。そこでは、もっと別のアプローチ、すなわちモデリングとシミュレーションを使ったシステムズ・アプローチが必要になる。有用性・冗長性・安定性など複数の評価尺度を考えながら、システムの構成員である人間のふるまいを予測し、導くような設計論が必要なのだ。

そして、だからこそ工場見学は面白いのである。そこには相矛盾する複数の問題に対する、知恵が込められている。込められている、はずである。少なくとも、現場近くで実際の仕事を見ているエンジニア達は感じているはずなのだ。ただ部門単位での局所最適を足したって、全体として良い仕組みは生まれないのだ、と。


<関連エントリ>
 →「工場レイアウト設計の典型的問題と、そのエレガントな解決法」 (2016-06-16)
by Tomoichi_Sato | 2016-07-25 22:37 | 工場計画論 | Comments(0)

工場レイアウト設計の典型的問題と、そのエレガントな解決法

工場見学ほど面白いものはない。なぜなら、工場はそれ自体が大きくて複雑なシステムそのものであり、そのシステム作りに各社独自の工夫も盲点も現れてくるからだ。——そういう意味のことを、これまで何度も書いてきた。また、すでにお知らせしたとおり、来る7月20日(水)に「生産革新フォーラム」(通称「MIF研」)で『上手な工場見学の見方・歩き方 〜エンジニアリング会社の視点から〜』というタイトルでお話ししたいのも、その点だ。だが、もう少し具体的に、わたしがよその工場を訪問したら、最初にどこを見るかについて書いてみたい。

ものづくりの方式やプロセスにはいろいろバリエーションがあるが、機械組立加工系を例にとると、だいたい次のような工順(工程順序)をふんでいる:

 材料受入 → 部品加工 → 組立 → 検査 → 梱包出荷

この途中に通常、「在庫保管」も入るが、どこに入るかは工場の方針次第のため、ここでは省略しておく。

効率的で作業しやすい工場設計・レイアウトを考える場合、上記の5つの作業を行うワークセンターを、どこにどう配置するべきかが問われる。普通、工場は建屋の中に入っているから、建築面における空間設計と、生産技術面での機械配置の折り合いが必要になる訳だ。これは日本国内の既存の工場の場合も、海外に新工場を作る場合も同じである。

とくに土地代の高い日本や、一部のアジア都市近郊部では、敷地面積が限られるため、どうしても工場は2階建て以上の多層階構造になる。すると、どの階にどの工程を配置するかで、頭を悩ませることになる。

このレイアウトを考える際、制約条件が一つある。あまり重い機械・装置は、上の階に乗せたくない、という制約だ。建築には、床の「耐荷重」という概念があり、m2あたり500kgとか1 tonとかいった数字で表す。これが大きくなればなるほど、当然ながら構造に剛性を持たせなければならない。柱や梁は太くなり、床・スラブは厚くなり、斜めにブレース補強なども必要になるだろう(慣れた人になると、柱・梁の太さや配置を見ただけで、耐荷重がどれくらいの値か見当をつけることができる)。つまり、「耐荷重=建設コスト」なのである。だから、あまり重たいモノは、2階以上には配置したくない。

ところで多くの場合、「部品加工」の段階はかなり加工機械・装置を使うことになる。プレスマシンだとかマシニングセンターだとかFMSだとかいった大型の機械装置である。そして重い。他方、組立作業とか検査作業は人間の手作業が中心だ。だからそれほど大がかりな機械はいらない(せいぜい搬送用コンベヤ程度だ)。

こう考えると、自然、部品加工のワークセンターは1階に置き、組立・検査工程は2階以上に配置しよう、という方針が出てくる。実際、わたしが見た日本の多くの機械系工場は、こういう発想でレイアウトされている。

ところが、ここに問題が一つ生じるのだ。それは「モノの流れ=動線」の問題だ。

いうまでもないが、外部から購入した原材料・部品は、トラックで運んでくる訳だから、当然1階に受入口を持つことになる。また自社で生産した製品も、トラックに載せて搬出する訳だから1階に出口がいる。いきおい、出荷梱包のスペースも1階におくことになる。かくて、モノは1階から入って、加工され、途中で2階以上に持ち上げられて組立・検査を受け、また1階におろされる。縦方向の物流動線が、最低でも往復2パス必要になる。

それだけではない。上ではワザと省略したが、「在庫」の位置の問題がある。倉庫という設備も、かなり重たい代物だ。だから、上層階に大きな倉庫を置くと、金がかかる。いきおい、原材料倉庫も、中間品倉庫も、製品倉庫も、1階におくことになる。じゃあ、工程間に生じる仕掛かり在庫は? 物量にもよるだろうが、多ければやはり1階になる。

かくて、複数の上下動線が必要になる。エレベーターを使うにせよ、ダムウェイターや垂直コンベヤを使うにせよ、上下階を貫通する位置が建築上必要になる。いきおい、各階のレイアウトが制約される。そして物流動線が複雑化する。

それだけではないのだ。もっと深刻な問題は、モノの流れが見えにくくなって、どこで何が滞留し、どの工程で問題が生じているのかが分かりにくくなってしまうことだ。ちょっと想像してみてほしい。あなたの家の台所が、上下2階に別れているとする。1階には流しや冷蔵庫が、2階にはコンロや電子レンジや盛りつけ場がある。かりにその間はオシャレな螺旋階段か何かで結ばれているとしても、いかに非効率かわかるはずだ。この非効率を、工場規模で実演しているのが、日本の多くの工場なのだ。まあ、そうした非効率に気づかずにいる“シアワセな人”が工場長の場合も、よく見かけるが。

こういう問題が生じる遠因は、企業内の縦割り組織にもある。多くの会社では、製造機械は生産技術部門の所管だが、建物それ自体の発注は、総務部門の事務屋さんたちの管轄になっている。かくて、機械は機械、建物は建物で計画されて、全体を「システム」の効率の問題としてとらえる視点が欠けているのだ。

では、どう解決するべきか。よほどお金のある工場、あるいはクリーン度が必要とされて人手の作業を嫌う半導体や医薬品工場などは、「立体自動倉庫」を導入して、複数階からの出し入れ可能にするかもしれない。スタッカー式クレーンをもつ立体自動倉庫は、縦搬送と保管の両面の機能を持つすぐれた仕組みである。だが、高価だ。その上、これが故障すると(あるいは定期メンテに入ると)工場全体の機能が止まってしまう。だからバックアップの搬送の仕掛けが必要になる。さらに建築設計面から言うと、レイアウト上の大きな制約事項になる。「在庫が見なくなる」という理由で、これを嫌うJITコンサルも多い。

工場内の物流動線は、「流れをつくる」が基本である。モノの流れをつくり、滞留が見えるようにする。これが「見える化」の本流だ。なのに土地が狭く多層階の工場では、その実現が難しい。どうしようか。こういう点が、エンジニアの知恵や工夫の発揮すべき場所である。

この問題に対して、エレガントな回答を与えた例を一つ紹介しよう。東京近郊にある、N社の工場である。この工場では、セオリー通り、1階に重量の大きな加工機械設備を置き、1階に組立・検査エリアをおいた。工夫したのは、あえて2階に製品搬出口をもうけたことだ(念のために書くが、平地に建っている工場である)。これを可能にするために、建物の側面に長いスロープを周回させ、搬出用トラックが2階にアプローチできるようにした。原材料の搬入口は1階にした。原材料倉庫も1階だ。

ところで、この工場は多品種少量の受注生産形態だ。ただし部品はGT(グループテクノロジー)を応用し、NCでロット加工をする。だから、組立工程との間に、必ず中間部品の在庫が発生する。そこで、1階と2階を貫通する形で、小規模な立体自動倉庫を置き、ここを中間部品倉庫・兼・上方向搬送路とした。かくして、1Fの受入から2Fの搬出まで、流れができた訳だ。モノの見通しは、抜群に良くなった。
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お分かりだろうか。これが工場の「システム・デザイン」なのだ。サプライチェーン上の要求と、機能要素(各工程)の関係と、空間配置の制約とを同時に解いて、人間が判断しやすく働きやすい仕組みをつくる。こういう設計思想の明確な工場を見ると、勉強になった、見て得したな、という気持ちになる。

ついでにいうと、この工場は、機械工場であるにもかかわらず、全館空調である。鉄骨スレートでは断熱性が悪いので、鉄筋コンクリート構造だ。そして空調のために、煙の出やすい切削油を全て水性にかえたという。当然、切削条件がかわってしまい熟練工のノウハウが生かせなくなる訳だが、快適な労働環境のためには当然という判断だった。こうした点が認められ、この工場は日本建築学会賞をとったときいている。

え? そんな素晴らしい工場なら、ぜひ見学してみたい? 残念ながら、もはや不可能だ。なぜなら、この事例は45年前のものだからだ。同じ敷地はまだ残っているが、業容拡大に伴って建物自体はかなりの増改築があり、元の姿は残っていない。ただ、世の中にはいまだ鉄骨スレートぶき、外気とツーツーで寒暖激しい労働環境の機械工場がゴマンとある。たとえ空調はあっても、動線は複雑、可視性は最低、そして欠品と納期遅れで右往左往、という工場だらけだ。もっとずっと前に、こうした先進事例の発想に学んでおけば、自社の改善にも役立っただろうに。

なぜ他の工場に学ばないのか? 先賢に学ぶことこそ、我々が成長する最大の近道ではないか。たしかに同業ライバルの見学はお断りという会社は多い。だが少しでもものごとを抽象化してとらえる能力さえあれば、別の業界の工場からも、学べる点はたくさんあるのだ。そして、(少しだけ宣伝めいたことを言わせてもらえば)多数の工場づくりにかかわってきた工場づくりのプロ=エンジニアリング会社の価値だって、そこにあるのである。

20日の研究会では、こうした点をお話ししようと思う。ちなみに、上に述べたN社の例は、解決法のひとつに過ぎない。機械組立加工系でも、別の解決法もあるのだ。それがK社の事例である。K社はどのようにこの問題を解決したのか? 興味を持たれた方は、ぜひ会場にお越しいただきたい。もしかしたら満席になるかもしれないので、ぜひ駆け足で(笑)。


<関連エントリ>
 →「工場見学ほど面白い物はない」 (2007-06-15)・・・この記事を書いてから、もう10年近く過ぎましたが、はたして予言が当たりましたかどうか。
by Tomoichi_Sato | 2016-07-16 21:32 | 工場計画論 | Comments(0)

講演のお知らせ:『プロに学ぶ、上手な工場見学の見方・歩き方』

例によって直前のお知らせで恐縮ですが、研究会で講演します。
来る7月20日(水)18時30分より、わたしが幹事の一員をつとめる中小企業診断士協会「生産革新フォーラム」で、

プロに学ぶ、上手な工場見学の見方・歩き方

と題する講演を行います(場所は日本橋堀留町公民館の予定です)。

わたしは工場づくりのプロ集団であるエンジニアリング会社に長年勤めておりますが、同時に工場見学も大好きで、機会があれば国内外のいろいろな工場を見学してきました。

製造業は業種や製品によってバラエティが大きく、たとえば日本では「工場」と「プラント」を別物のように考えています。が、英語ではどちらもPlantで、工場長はPlant Managerです。実際、見た目は両者でかなり違いますが、共通点も多く、また悩みや課題、そして解決の方向性も共通しています。

多くの工場(とくに消費財メーカー)は、顧客や地域社会との良好な関係づくりのために、工場見学の標準メニューや見学コースも用意しています。そういうコースを歩いて、「見た気分」になるのは簡単ですが、本当に大事なのは、その工場がどのようなレベルにあるのか、どのような設計思想でつくられているのか、どこに仕組み(システム)上の工夫があるのか、そしてどこに非効率やカイゼンのタネが潜んでいるのかを、見抜く力です。

このサイトでも以前、「超入門:上手な工場見学の見方・歩き方」と題するエントリを書きましたが、今回の講演ではこの内容をバージョンアップし、工場を「生産システム」ととらえることで、目に見えにくい仕組みを見抜くとともに、工場の未来の姿についても考えます。本研究会は診断士でなくても自由に参加できますので、工場作りに関心のある大勢の方のご来聴をお待ちしております。


佐藤知一@日揮(株)
by Tomoichi_Sato | 2016-07-12 12:31 | 工場計画論 | Comments(2)

トラブルには技術的原因と、マネジメント的原因がある

トラブルの原因分析について、このところ2回にわたって考えてきた(「熱気球の浮上、または原因分析のシステムズ・アプローチについて」・「経験から学びすぎることの危険 ~ゆらぎある事象の原因分析について」 )。原因分析の手法にこだわっているのは、それが「学び」と「成長」の鍵だからである。自らの能力を向上させ、成長するためには、仕事の結果(成果)から学ぶべきだと、わたしは信じている。個人も、組織集団も、である。

仕事の結果としてトラブルが生じたら、そこから素直に学ぶ。成功からも学べるが、失敗から学ぶ方が、記憶に強く残るからだ。そして(当然ながら)すべてに成功できる人なんていない。あの本田宗一郎だって、「自分は失敗ばかりしていた」と言っているくらいだ。他人から見たら成功でも、自分ではそこに足りない点を見る、というのがこの経営者の卓越した点だったのだろう。

さて、繰り返すが、『根本原因』Root Causeとは、トラブル事象を因果関係で最上流までさかのぼって、「わたし達がコントロールし改善できる要因とみなせる事柄」を言う。自分が改善できない範囲の要因を、根本原因ととらえてはいけない。たとえば「不況のせいだから」とか「経営者がアホだから」というのは、根本原因にはならない(居酒屋談義ではよくきく説明だが)。

わたし達の意志の及ばない範囲のことは、ふつう「環境」とよぶ。市場環境とか自然環境とか職場(内部)環境といった言葉である。環境はわたし達の行動に影響を及ぼして、仕事の結果(成果)をけっこう左右する。「行動」と「環境」が成果を決める二大因子なのだ。

成果 = 行動 + 環境

そして、わたし達の行動は、実際には、わたし達が持つ「能力」と、「道具」と、わたし達の「意志」(決断)によって決まる。

行動 = 能力 + 道具 + 意志(決断)

能力とは潜在的なもので、多くの場合は結果を達成した確率から間接的に測られる。野球の打率のようなものだ。確率になるのは、環境がそのたびごとに変動する(相手の投手だとか体調だとか球場だとか)からである。以前の記事で、「チャレンジ行動」と「冒険的行動」を区別して書いたが、じつはどちらも確率的なものであって、単に失敗のリスク確率がリーズナブルか非常に大きいかの違いでしかない。リスク確率が高くて、無謀に思える冒険的行動をとるのは、「意志」(決断)でそう決めたからだ。もちろん、能力は使う道具にも依存する(良い道具を選んで使いこなすことは能力の一部である)。
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さて、トラブル事象の原因分析をしていくと、原因には大きく二種類あることに気がついてくる。第一は、直接の技術的原因(きっかけ)である。それは、

(1) 能力に関わるもの:単純ミス、担当者の能力の低さ
(2) 道具に関わるもの:道具の故障、不適切な道具の使用
(3) 人間の意志(判断)に関わるもの:問題行動、悪意
(4) 環境に関わるもの:危険な環境、無理な制約

といったことだ。いずれも、上の方程式にある項目と関連している。

ところが、大きなトラブル事象の場合、直接の技術的原因(きっかけ)以外に、「マネジメント的な原因」が存在するのが常である。マネジメント的原因とは何か。それは、技術的原因(きっかけ)で生じかけたトラブルが、そのまま仕事の成果に出ないような「仕組み」を作ることを怠った、あるいは仕組みが機能しないのに放置していた、ということである。

たとえば、上記(1)の単純ミスについて考えよう。人間はミスをおかす生き物である。ミスをしない人はいない。だから、ポカよけ・多重チェック・インターロックなどの仕組みを講じるべきなのだ。乾電池を逆向きに入れられない形に設計する、といった工夫がポカよけであり、外側の扉を閉めないと内側のドアが開かない暗室の入り口のような仕組みが、インターロックである。一般に、人間のミスや誤判断を防ぐ仕組みを総称して「フールプルーフ」とよぶ。

また、(2)道具や機械は必ず故障するものである。故障が生じたとき、それが重大事故や製品の欠陥に結びつかないようにする仕組みを「フェイルセーフ」とよぶ。本質的安全設計、多重化・冗長化、バックアップ、ニンベンのついた自働化、工程内検査(自工程完結)などがその例だ。

(3)の人間の問題行動については、たとえばルール・契約・教育研修などによって低減できる。「無知」というのは問題行動の大きな源泉だが、まさに過去のLessons Learnedから「学び」を共有することが、最大の対抗策である。

(4)の危険環境については、人間が危険な環境(作動中の機械なども含む)に直接触れないよう、防護柵を設置するなどの「セーフガード」が必要である。「作業環境」を清潔・快適に保つことが大事なことは、言うまでもない。また自然災害についても、発生を極力リアルタイムに検知・予測できるような仕組みをつくる、あるいは保険をかけて事後の回復を容易にする、などの手段がある。

トラブルや問題発生の可能性を予見して、フールプルーフ・フェイルセーフ・訓練・保険・セーフガードなどの対策を講じること。これを、一般に『リスクの事前対策』とよぶ。リスクの事前対策は、トラブル発生時の事後対応、そしてトラブル終結後の原因分析・学びとならんで、リスク・マネジメントの三本柱である。

大きなトラブル事象の原因分析をすると、たいていの場合、上に記したリスクへの事前対策が適切にとられていなかったこと、つまり「マネジメント的原因」が見つかる。逆にいうと、大きなトラブルは、直接の技術的原因(きっかけ)と、マネジメント的原因が同時に組み合わさったときに起きるのだ。もちろん、マネジメント的原因を見つけるためには、仕事の仕組み(システム)を見とおす能力がいる。

トラブルに学んで成長するためには、まず、起きた事実を、利害や好き嫌いなどの感情を離れて、できるだけ客観的に見る必要がある。そして現実と、意図した結果(約束や目標)からの乖離を見る訳である。ここが曖昧だと、原因分析のプロセスが起動しないため、何も学ぶことができなくなってしまう。また、かりに原因分析をしたとしても、マネジメント的原因の方を見過ごすと、一切の責任は、直接のきっかけを作った担当者にかぶさってしまう。あるいは不運な環境のせい、ということになってしまう。そして次のトラブルの根本原因は残ったままだ。だから担当者が変わっても、いつも似たようなトラブルの繰り返しということになる。いつも似たトラブルを繰り返すときは、「マネジメント的原因」の存在を疑うべきである。

今回の話は、ここで終わりにしてもいい。しかし(いつものくせで)もう一言だけつけくわえておこう。じつは、こうした「学びのサイクル」を阻害するものが、身近にあるのだ。思考習慣の上の問題、あるいは組織のOSのバグと言ってもいい。

それは、仕事の成果を、すべてリーダーの人格だけで説明する議論である。「あの仕事はうまくいった、それはリーダーのAさんが立派だったからだ。」「この仕事は失敗だ、なぜならリーダーのX氏がダメな奴だからだ。」・・こうした議論は、実質的に何も生まない。そもそも人の性格なんてすぐには変えられないのだから、結局、「リーダーを取り替える」しか、処方箋が出てこない。

こうした議論は、派閥や権力争いのある場所で生じやすい。そういった人間集団では、トラブル事象は、つねに「敵を攻撃する材料」としてとらえられる。結果として、不都合な事実やトラブルは、しばしば隠されることになる。こうした状況を皆さんはご覧になったことはないだろうか? たしかに人間集団には、権力争いがつねにつきまとう。だが、こんな組織で学びや成長がありうるだろうか?

こうした不都合を防ぐために、『ガバナンス』の仕組みが生まれたのである。ガバナンスとは、マネージャーをマネジメントする仕組みである。あるいは、リーダーの勝手気ままを牽制する仕組みといってもいい。

ガバナンスの仕組みでは、ルールや目標を明文化し、リーダーの恣意的判断や結果への言い逃れを防ぐ。ルールによって、リーダーや組織全体の行動の予見可能性を高めるのである。また記録をとり、第三者によるチェックを可能にすることも重視される。無論、必要に応じてはリーダーその他のポジションを入れ替えることもある。株主総会と取締役会というのは、代表的なコーポレート・ガバナンスの仕組みだが、まさにこういう仕掛けになっている。

こうしたガバナンスを構築することは、たしかにめんどくさいし、余計な間接業務が増える。日本版J-SOX と内部監査とで、いらん仕事が増えたと感じている向きも多いだろう。現在のJ-SOXのあり方を、全面的に弁護するつもりなど、わたしにもない。また、あれだけ守っておけばガバナンスは十分だというつもりもない。上に縷々述べたとおり、ガバナンスの仕組みとは、組織が学んで成長するために必要な、後戻り防止装置なのである。

わたし達は、お殿様が何でも独り決めできた、昔の時代に生きている訳ではない。ガバナンスは、組織の現代化には必須の仕組みなのである。かつての時代、殿様が無能だと、組織は何も学べなかった。わたし達は違う。仕事の成果を客観的に見て、目標値と比べて評価し、問題があれば原因分析を行って、仕事のシステムを改善することのできる時代に生きている。こうした仕組みこそ、やれ戦略だとかなんだとかいう前に押さえるべき、基本中の基本なのである。

<関連エントリ>
 →「熱気球の浮上、または原因分析のシステムズ・アプローチについて」(2016-06-15)
 →「経験から学びすぎることの危険 ~ゆらぎある事象の原因分析について」(2016-06-23)
 →「ハイボールと、本質的安全設計の教え」(2014-01-19)
by Tomoichi_Sato | 2016-07-09 15:48 | リスク・マネジメント | Comments(0)

映画評:★★★ 「スティーブ・ジョブズ」

2016/06/07
機内TVにて。
監督:ダニー・ボイル、脚本:アーロン・ソーキン、編集:エリオット・グレアム、音楽:ダニエル・ペンバートン
出演:マイケル・ファスベンダー(スティーブ・ジョブズ)、ケイト・ウィンスレット(ジョアンナ・ホフマン)、セス・ローゲン(スティーブ・ウォズニアック)、ジェフ・ダニエルズ(ジョン・スカリー)、マイケル・スタールバーグ(アンディ・ハーツフェルド)、パーラ・ヘイニー=ジャーディン(19歳のリサ・ブレナン)、他
2015年アメリカ映画

スティーブ・ジョブズ (DVD)」 (Amazon.com)

近頃、これほど面白い、引きつける力の強い映画を観たことがない。機内TVの小さな画面で、ほんの試しに選んでみただけだったが、あっという間に引き込まれて一気に見てしまった。

映画の構成はシンプルである。ジョブズの生涯で最も重要な三つの製品発表であった、1984年のMacintosh、 1988年のNeXT、そして1998年のiMacの、プレゼンテーション開始直前のそれぞれ40分間を描く三部構成。登場人物たちもかなり重なっているので、時こそ飛躍はあるが、ほとんど古典演劇の三一致原則のような完成度を感じる。この単純なプロットで、スティーブ・ジョブズの公私にわたる複雑な物語と人格の成熟とを描き切った脚本・編集・そして演出の手腕は見事である。

ジョブズが傑出した人物だったことは多くの人が認めるだろう。だが個人的には自惚れが強く気まぐれで傲慢で独裁的で、しかも非常に傷つきやすい人間だった。自分のボスには到底仰ぎたくないタイプである。Macintoshプロジェクトの生みの親だったジェフ・ラスキンは、「現実歪曲フィールド」という、重力場をもじった造語で彼を形容している。それくらい強引なのだ。Macintoshは結局ジョブズが乗っ取って、マウスとGUIを前提としたコンピュータにしてしまう。

この映画では、シテ役のジョブズに対して、ツレ役のジョアンナ・ホフマンが連れ添って、彼と現実界のインタフェースを引き受ける。このケイト・ウィンスレットの演技はとても良い。ジョアンナは最初のApple時代に「ジョブズにもっと果敢に逆らった社員」賞を二度も受賞した人だ。広報マーケティング担当者として出てくるが、元はラスキンがMac開発チームに雇った人で、彼女がMacintosh User Interface Guidelineの最初のドラフトを書いたと、映画を見た後で知った。それはさておき彼女が、プレゼン前で極端に興奮するジョブズをなだめ、娘のリサと和解させようとしたり、次々とバックステージを訪れてくるウォズやスカリーらと話させる。この趣向が面白い。

もっとも、プレゼン前40分間という枠組みのため、とにかく皆を楽屋裏に呼び寄せなくてはならず、そこに無理があるとも言える。娘のリサが3回とも見に来ていた、などというのも明らかに脚色だろう。事実を元にした実名フィクションなのだから、その脚色の手腕をほめるべきだが、うっかりすると全て現実にあった話だと誤解する観客も出てくる。そこであえて廊下の壁に連想的な映像を映し出したりして、これはフィクションですと告げる。さすがである。

ビジネスマンとしてのジョブズのキャリアは、失敗続きだった。初期のApple II販売の成功を除くと(開発したのはウォズだ)、Lisaで失敗し、Apple IIIからも拒絶され、起死回生のMacintoshも高くて遅くて大赤字だった。プレゼン最初の音声デモは、アンディ・ハーツフェルドがメモリを512KBにこっそり増設して、やっと乗り切ったと映画は描いている。

結局彼は自分が呼んだスカリーに逆に追い出され、AppleをクビになってNeXT社を作る。だが肝心の製品Cubeは発表後1年経ってようやく売り出され(つまり未完成のままボストンであのプレゼンをやったのだ)、これも大赤字。しかしNEXTSTEP OSをAppleが買収する形で、古巣に舞い戻る。そこでも赤字のため首切りリストラを実行し、3度目の起死回生としてiMacを開発する。

iMacの成功によってジョブズは再び時の人となり、その後の快進撃は誰もが知っている。だから映画はその後は描かない。この映画の優れているところは、ジョブズ生涯の最後の成功を、彼の人間としての成熟に結びつけて暗示している点だ。その象徴として、娘のリサが三度にわたり登場する。いったんは親子の認知を拒否し、そのくせ新型コンピュータにはLisaの名前をつけ、しかし母子が経済的に困窮してもたいして面倒を見るわけでもない。

こうした彼の矛盾と弱さは、シリア人男性とアメリカ人女性の間の私生児として生まれ、里子として「返品された」という彼の出生時のトラウマに、そのまま直結している。その「返品」劇は、Appleの臨時役員会で彼が解任される時に、もう一度再演されるのだ。

大人になってから彼が経験する二度目の拒絶=Apple追放は、しかし赤ん坊の時と違って、本人が呼び寄せたものだ。彼があまりにも他人の感情を理解せず、無視したことから生じている。現実歪曲場の中心には、自分の感情だけしか存在しなかったのである。仕事の成果のみが彼の存在証明で、そのくせ、仕事では他人に働いてもらうことが必要だった。

じっさいジョブズほど、シリコンバレーで珍しい経歴の持ち主はいない。彼はエンジニアでも天才プログラマでもなく、MBAあがりのプロの経営者でもない。そうした仕事は彼の仲間だったウォズや、アンディ・ハーツフェルドや、スカリーが受け持ち、また逆の意味で旧敵ビル・ゲイツなどが果たしていたのだ。

では、スティーブ・ジョブズとは何者だったのか。大学も出ておらず、モノも製作できず、審美眼はあるかもしれないが、自分で絵を描いたりデザインをするわけでもなく、大企業の勤務経験もなく、技術も素人だ。こんなキャリアで成功できた人間が、シリコンバレーで他にいただろうか?

ジョブズにできたこと、ジョブズが持っていたこと、そして他の人間に足りないものが、一つだけあった。それは「一貫性」への強い執念である。あらゆる細部にわたって、彼は自分の思想と趣向にこだわった。ハードと、OSと、ソフトと、デザインがすべて首尾一貫していることを、彼は求めた。それがジョブズの製品と、大勢の亜流たちとの決定的な違いだった。そのことは、三回のプレゼンの準備過程にとてもよく現れている。思想の一貫性こそ、ジョブズがいつまでも現役でいられた秘密である。彼に比べるとウォズもスカリーも、いやビル・ゲイツでさえもはや過去の人だ、という印象をわたし達はぬぐえない。

ただし最初のMacも、二度目のNeXTも、一貫性の魅力はあったが、バランスに欠けていた。それが製品としての弱さだった。

iMacこそ、彼の製品がバランスを備えはじめた最初の例だ。それは彼の精神が、試練を経て、中庸を得始めたことの表れであると、描かれている。その証拠に、三度目のプレゼンに望む主演マイケル・ファスベンダーの顔は、実際の映像に残っているまだ中年のジョブズではなく、病気で痩せて哲人の風貌を帯びはじめた晩年のジョブズの顔をしているからだ。これこそ、演出上の最大のトリックであろう。それまで一切、他人の感情に歩み寄ることがなかった彼が、ようやく娘リサへの愛情に動かされて、和解に向けて足を踏み出してゆく。

だからその後、実際にiMacがヒットしたかどうかは、ストーリーとしては本当はどうでもいいことなのだ。彼が他者に愛情を与えることを通して、自分が必要とされていることを確信するところで、映画は終わる。そのことこそ、誰にも共通な、真の成功に向けた一歩だったからである。
by Tomoichi_Sato | 2016-07-04 22:36 | 映画評・音楽評 | Comments(0)