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「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会 (2016年7月14日)開催のお知らせ

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2016年第4回会合を、以下の要領にて開催いたします。

今回は、グローバル企業のマネジメントのあり方・手法そして人材について、ドイツ系企業の日本社長であるへレウス株式会社・土屋淳様にご講演いただきます。 土屋様は元々技術者で機能性材料の開発等に携わられましたが、日本企業を振り出しに、その後、米国企業・ドイツ企業の経営者を経験され、
「欧米のグローバル企業といっても、いろいろな違いがある。その中心にはエトス(納得感)のあり方の差がある。実はグローバル化は外資企業にとっても難しい」
という趣旨の論文を昨年『化学工学』第11号・12号に発表されています。

実際のグローバル・ビジネスの世界で活躍中の経営者から、具体的で臨場感のあるお話が聞ける、またとないチャンスです。ぜひご参加ください。


<記>

■日時:2016年7月14日(木) 18:30~20:30

■場所:
慶応大学 三田キャンパス・北館・会議室3(地下1階)
    アクセス (http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html)
    ※キャンパスマップの【1】になります

■講演タイトル:
グローバル人材に求められるもの

■概要:
日本企業、米、独外資系企業での経験、体験から、グローバルビジネスにおいて相互理解のための総合的なコミュニケーションスキルの重要性を言及する。コミュニケーションによって得られる納得感こそが組織の価値向上のために不可欠な要素であり、違う文化を背景に持つ者同士が同じベクトルを向くことができると思う。

■講師:土屋 淳(へレウス株式会社・代表取締役社長)

■講師略歴:
1952年生まれ。 1981年東京大学工学部合成化学科博士課程卒業、工学博士
職歴:1981-1984 米国国立研究所
    1984-2002 三菱化学 (1989-2000年米国駐在)
    2002-2006 米国企業 Rohm and Haas Japan 取締役
    2007- ドイツ企業 Heraeus Japan 代表取締役社長

■参加費用:無料。
ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

参加を希望される方は、確認のため、できましたら当日までに佐藤までご連絡ください。なお会場には定員があるため、場合によってはお断りせざるをえないケースも考えられますので、ご了承ください。


佐藤知一@日揮(株)
by Tomoichi_Sato | 2016-06-29 18:37 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

経験から学びすぎることの危険 ~ゆらぎある事象の原因分析について

1973年、第四次中東戦争が勃発した。イスラエルに対してアラブ国側が先制攻撃をしかけて始まったこの戦争は、緒戦段階でエジプト軍の地対空ミサイルが効果を上げ、イスラエル空軍機を多数撃墜した。戦争は結局、米国の後押しを得たイスラエル側が、ある程度まで押し返して、わずか2週間ほどで終わる。ただ、この時の余波で第一次石油ショックが起こり、油価の暴騰とエネルギー供給危機に、日本を含む西側諸国は大きな動揺を経験する。

イスラエルの側も、それまで過去の戦争ではアラブ側を圧倒していたのに、大きく面目をつぶした。とくに空軍の損失は甚大で、しかも損失の出方は偏っているようにみえた。たとえば、同じ基地から飛び立った二つの飛行中隊のうち、片方は4機を失ったが片方は無傷だった。このため、損害を被った飛行中隊のどこが悪かったのか見つけようと、調査が開始されていた。しかし一方の中隊がとくにすぐれていると考えるべき理由はなかった。作戦にも違いはなかった。かくして、調査はパイロット一人ひとりの生活や態度に向かっていった・・。

しかし、後にノーベル経済学賞を受賞することになるダニエル・カーネマンは、この調査をやめさせるようイスラエル空軍に進言した。カーネマンはもともと心理学者である。ただ、かれのアドバイスはもっと単純なものだった。「この違いの説明について、最もあり得る答えは『偶然』である。あるかどうかも分からない原因を求めて調査するのは意味がない上、パイロットたちには、自分や死んだ戦友に落ち度があったのではないかと感じさせ、さらによけいな重荷を背負わせることになるだろう」、と。

この話は、D・カーネマン著「ファスト&スロー 〜あなたの意思はどのように決まるか?」に書かれているエピソードである(邦訳上巻・p.171)。ところで、彼のこのアドバイスの意味は、お分かりだろうか? わたしも、最初ちょっとよんだときには理解できなかった。だが、これは統計の大数の法則を思い出してみると、分かるようになる。たとえば、いま、サイコロを振って、出た目の数が5〜6なら○、1〜4の間なら×、だとしよう(○が出る確率は1/3だ)。では、次の二つのうち、どちらがより珍しい事象だろうか?

(1) サイコロを4回振って、全部○が出る
(2) サイコロを10回振って、全部○が出る

誰だって、(2)の方が起こりにくいことは知っている。サイコロをふって、1/3の確率が4回続くのと、10回続くのでは、当然ながら10回の方が珍しい。

これを逆に言うと、4回振って全部○になる(1)の方が、10回セットの(2)よりも起こりやすい訳だ。母数が少ない場合には、偏った結果の出る確率が高い。大数の法則とは、「試行の回数が多いほど結果は平均値に近づく」というものだが、「母数が少ない場合は、平均値よりもずっと偏った結果の出る確率が、相対的に高い」と表現することもできる。カーネマンは、だから、小数の飛行中隊のサンプルから、むりに差を見つけようとするのはやめた方がいい、と進言したのである。

カーネマンの著書には、さらにこんな例も紹介されている(p.160)。「全米にある3,141の郡部で、腎臓の重篤な病気の出現率を調べたところ、顕著なパターンが発見された。出現率が低い郡の大半は、中西部・南部・西部の農村部にあり、人口密度が低く、伝統的に共和党の地盤である」--これをよんだ人は、「いなかのきれいな環境のおかげで腎臓の病気が少ない」と、つい考えやすい。

では、その病気の出現率が高い郡はどこか。正反対の環境にあるところ、すなわち東海岸や西海岸の大都市・近郊で、人口密度が高く、民主党支持層の多いリベラルな地域だろう、と普通は考える。しかし、答えは正反対である。じつは、出現率が特に高い郡もまた、「中西部・南部・西部の農村部にあり、人口密度が低く、伝統的に共和党の地盤」にあるのだ。

これは一体どういうことなのか? 病気の出現率が特に高い地区も、特に低い地区も、似たようなところにあるとは。いなかの環境は健康にいいのか、悪いのか?

説明は簡単である。人口密度の低い郡は、つまり母数となる人口が少ない地区である。だから、平均値よりもかなり外れた統計値(高低いずれも)が現れる確率が高いのだ。もっと人口の多い郡では、ずっと平均値に近づく。ちょうどサイコロを4回振るのと10回投げるのでは、後者の方が平均的結果に近づくように。それ以外の因子、たとえばロケーションや農業や政治的スタンスは、あまり腎臓に強い関連性はないらしい。

わたし達の脳は、ちょっとした出来事にもパターンを見つけ出す能力を持っている。その一方で、確率というのは、直感的に分かりにくい概念である。その結果、わたし達はしばしば、偶然のゆらぎがもたらす確率的な現象を、何かの必然性がもたらした結果だと考えやすい。

病気に対する投薬の効果も、確率的なものである。「8割の方の症状が軽減しました」というような広告を、よく目にする。それはつまり、「効かないケースも2割くらいある」訳で、つまり人間に対する薬の効果は確定的ではないのだ。患者の身体には一人ずつ個性があるからだろう。だが、「医師たちにおいては不確実性よりも自信を示す方が好まれる」(同書p.50)。このため、患者が健康を回復したのはこの薬が効いたのだ、と素人は思い込みがちだ。

もう一つだけ例を挙げよう。男性は女性より背が高い、という命題を考えてみる。一般論としては、たしかにそうだ。ただ、男性も女性も背の高さの分布には幅がある。だから個別にはもちろん、奥さんより背の低い旦那さんだっていくらも存在する。任意の成人男女のペアを取り出した場合、男性の方が背がつねに高い訳ではなく、90何%かの確率で高い、としかいいようがない。このように、統計的分布の中から個体をとりだして比較する場合、状態を表す命題も確率で表現することになる。背の高さばかりではない、世によく言われる「男は女よりも○○だ」という命題も(性別でなく人種や出身地でも)、基本は確率的である。

さて、原因分析とは、
(1) AならばBである、という知識と、
(2) XはBであった、という事実から
(3) Xの原因はAだろう、と推論すること、
である。さらにそこから、
(4) ××の状況ではAすべき(あるいはAを避けるべき)と学ぶこと
が、いわゆる教訓(Lessons Learnt)であり、これが組織のPDCAサイクルを支えている。

ところで、(1)の「AならばBである」、の多くは、確率的なゆらぎを伴う事象である。したがって原因分析も確率的な推論になるべき、ということになる。

物知りな方は、ここで「ベイズ推計」という手法を思い出すだろう。ベイズの定理の説明などは省略するが、結果に対する情報から、その原因となる仮説の「確からしさ」を確率で計算する手法である。通常の確率は、サイコロを繰り返し投げるようなときに、特定の状態が将来起きる頻度を推定するものだ。つまり将来の予測である。どれくらいの頻度で起きるかを論じるので、頻度論ともよばれる。ところがベイズ推計の確率は、過去どういう状態だったのかを推定するもので、同じ確率といっても意味が違う。「Xの原因はAだ」という仮説の確からしさ=信頼度を、ゼロから1までの値で示している。これを『主観確率』という。

ちょっと分かりにくいので、簡単な例を挙げて占めそう。新製品ライン設置のプロジェクトは、設計・製造・据付の三つの工程をへて遂行される。ただし新規の仕事なので、各工程で20%の確率でミスが発生する危険性がある。前工程でミスが生じても、次工程の側では気づけない。さて、今この新製品ラインを試運転したところ、うまく動かないないことが分かった。このとき、不良発生の原因が製造工程のミスだった確率はいくらか?

直感的に考えると、三つの工程どこでも等しくミスが発生するのだから、その確率は1/3 = 33.3%じゃないかと思える。あるいはもう少し注意深い人なら、「最初の設計工程でミスが発生しない確率は4/5だ。次に製造工程で不良が発生する確率は1/5。だから第2工程が原因である確率は4/5 x 1/5 = 4/25 = 16%だ」と計算するかもしれない。

だが、どちらも間違いである。「上流から不良が送られてきたら、次工程は不良の根本原因にはならない」のだから、三つの工程は平等はでないはずだ。二番目の推論は、「この新製品ラインが正しく動かない」という結果情報をすでに得ていることを無視している。

正しくは、こうなる:ラインが正しく動く確率は、4/5 x 4/5 x 4/5 = 64/125だ。逆に言うと正しく動かない確率は 1 - 64/125 = 61/125 である。他方、製造工程で最初にミスが発生する確率は4/25である。したがって、「トラブルが発生した際に、製造が不良の根本原因だった」(=最初に不良が発生したのは製造工程だった) 確率は、4/25 ÷ 61/125 = 20/61 = 32.8%で、1/3よりは少し小さい。

過去の事象は、すでに確定している。このプロジェクトの失敗が製造工程で生じたのか、真実はYesかNoか、ゼロか1かの、いずれかだ。だがその真実は、わたし達には知り得ない。わかるのは、「ミスは製造工程で生じた」という関する仮説の確からしさ(主観確率)で、それがこの場合、32.8%なのである。

主観確率とは奇妙な概念だが、それでも数学的には確率の公理論を満たせるので、確率とよばれる。頻度論とちがい、一度限りの事象に関する仮説の確からしさを、周辺の観測事実を援用しながら計算し更新していくので、主観確率の概念はプロジェクト・リスク分析などにも用いられる。プロジェクトは個別でユニークな仕事であり、そこで起きる事象はつねに一度限りだからだ。プロジェクトの事後に行われる原因分析も、だから本当は確率的な推論なのである。

しかし、わたし達の思考習慣は、そういう風になっていないことが多い。たとえば、一般に法律論は確定的な因果律を求めたがる。「AはXの原因と断定できるか」が、法律家の問いだ。そして断定できなければ無罪放免とする。「疑わしきは罰せず」の原則である。これは法制度の安全弁となっている訳だが、その代わり、昔の公害と疾病発生のように、因果関係が立証できないと、免責されがちになる(放射線量と健康被害の議論などもその同類で、確定的な因果関係があるとも、ないとも、断定するのは困難だろう)。法的責任がからむと、そもそも客観的事実を共通認識する事自体が難しくなる。

だから、という訳ではないが、これが組織ではしばしば逆転して「疑わしきは原因を探せ」「疑わしきは担当者を責めろ」の原則(?)が生まれる。原因分析の推論は「責任追及」に支配されがちとなるため、「疑わしき」リスクは排除する方向に、皆が動く。さもないと自分が責任を問われ、組織から排除されかねないからである。こうした習慣は、わたしが「安全第一主義」と名付けた組織文化をもつところでは普通に行われている。「前例」を求める役人、「完璧」を求める購買担当者、「大手」にしか発注しないIT部門、皆このたぐいだ。トラブルが発生したら、疑わしき部門や担当者を必死に探し出し、皆が自分以外の誰かの責任だといいたてる。こんな組織では人々が防御的・責任回避的になるだけで、失敗の経験から本当に学ぶことは難しい。

そこまでひどくない場合でも、トラブル事象が起きると、性急にその「原因説明」をしたがる人は多い。新製品ラインがトラブった。詳しく調べると製造工程の人の判断ミスだった。やっぱり! 前にも似たトラブルはあったなあ。子会社化されて以来、工場のやる気が落ちているんじゃないのか? そこで担当者を含む部署に訓示が出され、チェックを徹底するよう指示が出された・・

これで安心するのは早計である。人はミスをする存在だからだ。そしてミスは上流工程ほど影響が大きい。先ほどの計算の続きをしめすと、失敗が生じたとき、根本原因が設計工程にある確率は41.0%、製造工程起因が32.8%、据付工程起因が26.2%だ。たまたま今回は製造で問題が生じたが、つぎに問題が起きたら、設計から疑ってみるべきである。わずか1、2回の経験で原因を決めつけるのは性急に過ぎるのだ。
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教訓は単純である。それは、確率的なゆらぎが絡む問題については、学びは長期的・統計的でなければならない、ということだ。個別の結果に対して、すぐ原因を特定して性急に学ぼうとしてはいけない。それは初動で戦友を失った空軍のパイロットをさらに詮索するようなものだ。野球では強打者でさえ、打率は3割程度である。だとしたら、イチローが個別の打席で凡打だった原因を毎回議論して役に立つか、ということだ。少なくとも数試合、傾向を見なければ調子は論じられない。

ゆらぎのある事象の原因分析においては、大きな傾向・パターンを見るべきである。人は確率的存在だ。そして一定確率でミスをする。それを防ぐにはシステムが必要で、システムを考えるには時間をかけた観察が大切だ。経験から性急に学びすぎない態度が肝心なのである。

(追記)
上記の3工程の問題は、その昔、早稲田の入試に出たという問題を下敷きにしたものだ。元の問題は「5回に1回の割合で帽子を忘れるくせのある人が、正月にA、B、Cの3軒を順に年始回りをして家に帰ったとき、帽子を忘れていることに気がついた。2番目の家Bに忘れてきた確率を求めよ」
だった。計算すると、
- Aの家に忘れてきた確率=41.0%、
- Bの家に忘れてきた確率=32.8%、
- Cの家に忘れてきた確率=26.2%
になる。だから、帽子を忘れてないかを最初にたずねるべきは、Aの家だということになる。三つの家は同じ条件のなのに、確率が違うのは直感的に奇妙に思えるだろう。だが、いったん前の家で帽子を忘れたら、次の家ではもう忘れようがないのだ。わたし達の直感は、かくのごとく確率的事象に惑わされやすいのである。

<関連エントリ>
 →「熱気球の浮上、または原因分析のシステムズ・アプローチについて」 (2016-06-15)
by Tomoichi_Sato | 2016-06-23 22:19 | リスク・マネジメント | Comments(0)

熱気球の浮上、または原因分析のシステムズ・アプローチについて

熱気球は今やいっぱいに膨らみ、空に飛び立とうとしている。乗員が地面との係留ロープをとき、重りの砂袋を一つまた一つと、放り捨てていく。やがて気球のカゴはゆらりと地を離れ、5つめの砂袋を捨てたところで、ゆっくりと、そして次第に勢いをつけて舞い上がっていく・・

昔、北海道の十勝平野に熱気球レースを見に行った。空にたくさんの、カラフルな球体が浮かぶ、とても幻想的な光景が忘れがたい。何とかと煙は高いところに上りたがる、という諺があるが、少しでもいいからのってみたいと、わたしも思った。それで、家族で体験できるミニ気球に乗せてもらった。もちろん乗員付きだ。それでも気球から見下ろす地上は、なんだかすがすがしくて、小学生だった子どもも大喜びだった。

さて、気球はなぜ、浮かび上がったのか。5つめの砂袋を捨てたことが、気球の飛び立った理由ではない。誰でも知っているように、まわりよりも軽い熱気を溜めた丸い袋が、飛び上がる力の源泉だ。まさに煙は高いところに上りたがるのだ。5つめの砂袋は「きっかけ」の一つである。たまたまそれが、その時にはきっかけになるめぐり合わせだったのだ。

もちろん、それがきっかけになるためには、それ以前に4個の砂袋が、地上に落とされていなければならない。また条件によっては、きっかけは6個目になることも、4個目だったこともあるだろう。一つ落とすごとに、少しずつ気球全体は浮力を増す。ただ、それは係留ロープの張力という、目に見えにくい事象にあらら割れるに過ぎない。そして、ある限界を超えたとき、その瞬間に浮上という劇的な出来事が起きるのである。

何か劇的な出来事を目撃したとき、その原因は何かを詮索しようとするのがわたし達の通性だ。しかし、わたし達が出来事の「真の原因=真因」を探ろうとするとき、わたし達の目はしばしば、わかりやすいきっかけを探すことになる。とくに、ことが企業の業績などになると、その「浮力」(競争力)の構造的変化は、外的にはなかなか見えにくい。一方でメディアも一般の人々も、「分かりやすい物語」を好む。だから、5つめの砂袋がV字回復のカギだった、という物語が流布しはじめる。『5の数字』の書いてある砂袋を探せ、と叫ぶ者まで出てくる。

わたし達の社会では、メディアは「知情意」のうち、「情」に訴えかける物語性を好む。理知に働きかける、多角的・構造的な分析と説明は、敬して遠ざけられがちだ。そのことが、わたし達が劇的事象の真の原因を探る力を、落としていることに多くの人は気づかない。

もう一つ、例を挙げよう。今度はトラブル事象の例だ。

仏教の創始者・釈尊は最晩年、旅で寄ったパーヴァー村で、チュンダという名の鍛冶屋の子が捧げた食べ物を食べて、重い食あたりになる。そしてほど遠からぬクシナガラの地で臨終を迎えることになる。伝説によると、師が重い病気になったと知ったチュンダは、沙羅双樹の下に横たわる尊師の前にいき、自分の捧げた食物が原因で死病を招いたことを深く後悔し、許しを請うた。しかし、釈尊はチュンダにこう答える。

「嘆くな、チュンダよ。わたしはお前の食物を食べたから、死ぬのではない。わたしは、この世に生まれてきたから、死ぬのだ。」

チュンダの食物は、きっかけでしかない。生あるものは、すべて死す。それが道理であると、釈尊は教える。つまり、釈尊の死の根本原因は、「生まれてきたこと」自体にあると、考えることができる。チュンダの捧げた食べ物は一説にはキノコ料理だったというが、詳細は不明である(托鉢僧は基本的に、もらった食べ物は好き嫌いをいわず、食べなければならない)。ただ、キノコ料理を食べるもの全てが死ぬ訳ではない。しかし、生まれてきたもので、死ななかった者はない。

(1) Aという事実があるとき、Xという事象が必ず起きる
(2) Bという事実があるとき、Xという事象が起きることがある

この二つを比べて、Xの真因はBだ、と断じるのはたしかに無理があろう。

とはいえ、変死事件があり、警察が呼ばれたとき、「原因はガイシャが生まれてきたことにあります」では刑事は納得しまい。被害者が高齢であった上に、傷んでいた食べ物を食べた。直接の死因は食中毒にある、と医師は鑑定し、食事を作ったものに疑いの目が向けられる・・

では、やはり食物が真因なのか。しかし釈尊は一人で旅していた訳ではないのだ。アーナンダほかの弟子を伴っていた。彼らはたぶん同じものを食べたが、死ななかったのだろう。ならば仏陀入滅の、真の原因は何か?

おちついて考えてみれば分かる。釈尊はすでに高齢だった(臨終の言葉に、「29歳で出家して以来50年間・・」という部分がある)。そして各地をめぐる遊説の旅。高齢というフラジャイルな内部環境に、疲れと傷んだ食べ物という外因が働きかけて、死に至る食中毒症状が引き起こされた。「高齢・疲れ」+「傷んだ食べ物」、という組み合わせが原因なのである。

わたし達は何かトラブル事象が起きたときに、その原因は「一つ」に特定できると考える。だが、多くのトラブルは、二つ以上の複数が同時に組み合わさることで、発生する。一つだけなら、発生しない。

右手と左手を打ち鳴らしたら、音が出る。右手だけでは、音は鳴らない。左手だけでも、ならない。ふたつの手が必要なのだ。このとき、「原因は右手ですか、左手ですか?」と問うのは愚かだ。

ながながと何の話をしているのかって? わたしはずっと「学び」について考えているのである。本や教師から知識を得るだけが「学び」ではない。自分が遭遇した出来事から、何かを「学ぶ」ことで、わたしたちは成長する。だが、事象を見たときに、その真の原因をきちんと把握しなかったら、正しく学べないだろう。5という数字の砂袋を無意味に探し回るだけになってしまう。

ところで、わたし達は「事象の原因を探る」ための方法論について、遺憾ながら十分な訓練を受けていない。あなたは高校や大学で、原因分析という授業を受け、試験を通りましたか? 少なくとも、わたしは受けていない。それどころか、まことに驚くべき事だが、そもそも21世紀の現代社会にあっても、原因分析にはまだきちんとした哲学的・科学的方法論が、十分確立していないというのが、最近のわたしの仮説である。

こういうと、抗議する人もたくさん出てきそうだ。安全工学にはRCAがあるじゃないか、信頼性工学のFTAはどうなのか、と。だが(賭けたっていいが)RCAやFTAが何の略号か知らない人が、世間の98%を占めるだろう。刑事や検察官なら、99.9%以上かもしれない。事故で専門家が呼ばれもせず、世間で普通に使われもしない技術は、社会的に確立しているとはいえない。血液型やDNA鑑定の技術なら誰でも知っている。だが原因分析の技術は、そうではない。そんなものはいらない、と多くの人は考えている。なぜなら、自分でできるからだ、と。

果たしてそうだろうか。もしそうなら、わたし達の社会は、事故や経験から学ぶ能力がとても高いはずである。では、最近わたし達を襲った大きな社会的災害や困難から、国民的な知見として何を共通に学んだのか。それはどの報告書のどこに明記されているのか? 経験から学ぶことは、万人に必要なスキルである。だが万人が身につけてつかえる方法論は、今のところ欠けていると、わたしはいいたい。そうでなければ、経済状況や経営問題について、世間ではなぜ、「浮上の原因は5つめの砂袋」のごとき表層的な分析や、「分かりやすい」だけの無責任な説明がまかり通っているのか。

熱気球の浮上も、釈尊の病没も、いずれも二つ以上の『原因』がかかわっている。熱気球の場合は、バルーンの空気による構造的な浮力に加えて、複数の重りの砂袋を捨てるという、きっかけの動作。釈尊の場合は、高齢と遊説による体力低下という構造的な不安定と、腐った食べ物の摂取という、いささか危ない(冒険的な)きっかけの行動。熱気の浮力や高齢はいずれも内部状態(内部環境)に関することだが、これは強風や酷暑といった外部環境であっても、同様なことが起きただろう。つまり、一般化すると、こう定式化できる:

「良好な環境」+「チャレンジ行動」→ 成功事象
「危険な環境」+「冒険的行動」  → トラブル事象
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いずれも、二つ以上が同時に起きることが、事象の発現には必要だった。それぞれ一つずつは必要条件だが、十分条件ではなかった。傷んだ食べ物をとる程度のあぶない(冒険的)行動の場合は、ふつう、システムの自己防御作用が発動して、正常に戻る。だが、内的環境の不安定な変化に、外的なインパクトが一つ以上加わることで、そのシステムは『レジリエンシー』を失う。

おシャカさんの話をしていたのに、ここで急に「システム」という言葉が出てきて驚いたかもしれないが、人間の身体は非常に精密なシステムである。長い進化の過程を経て、驚くほど精妙かつ安定な仕組みにできあがっている。動的(自発的に動く)なのに、平衡や免疫その他の多重防御装置がきちんと作動して、安定に存続し続ける。むろんレジリエンシーには限界があるので、たとえば誰かが銃弾を撃ち込むような問題行動をすれば、システムは動作を(単一の原因で)停止するだろう。だからそんなことが簡単に起きないように、人間は、社会という名の、もう一つ上のレイヤーのシステムを作って、さらに防御をはかっている。

おい、熱気球はシステムなのか、って? あれも、砂袋とバルブ(熱気を排出する)という、安定化制御のための仕組みをもった乗り物である。そして複雑な情報処理機能を持つ乗員が操作している。人間はこわがりだから、単純に見えるバルーンにだって、二重にも三重にも防御の手立てをセットしている。だから、もし熱気球に事故が起こったら、それは二つ、あるいは三つ以上の原因が重なったケースがほとんどのはずだ。それがシステム的なものの見方、システムズ・アプローチによる原因分析である。

そして複数ある理由のうち、自分たちがコントロール可能な要因をみつけ、そこに対策を講じる。わたし達がコントロールできる原因を、真因Root Causeとよぶ(これがRCA=Root Cause Analysisでの定義だ)。老齢はコントロールできない。食べ物はできる。だから食べ物について対策を考える。それも個別に毎回どうするかを考えるのではない。たとえば、若い弟子から先に毒味をしていくルールにするなど、システムとしての方策を講じるのである。

わたし達は機械的なものの見方になれているために、単一の原因を探してしまうことが多い。それが現代の原因分析の、一つの限界だ。しかし、世の中の少なからぬ物事は人間を含む系(システム)として動いている。もしも組織の中に『学び』の能力を根付かせたり、あるいは最近はやりの用語でいえば『教訓』(Lessons Learned、あるいはLessons & Learns = L&L)を活かしたかったりしたら、複数の原因の組み合わせを探るという思考の習慣(OS)を身につける必要がある。それが、リスク・マネジメントとかナレッジ・マネジメントといわれる活動の根本なのではないか。

現代の原因分析には、もう一つ弱点がある。それは確率的事象の原因論である。だが、例によって長くなりすぎた。この続きは、回を改めてまた書こう。

<関連エントリ>
 →「トラブル原因分析を、責任追及の場にしてはいけない」 (2014-11-09)
 →「なぜなぜ分析は、危険だ」 (2014-04-26)
by Tomoichi_Sato | 2016-06-15 05:52 | リスク・マネジメント | Comments(0)

講演のお知らせ(6月16日)

直前のお知らせで恐縮ですが、今週の木曜日・6月16日の夜に、OR学会サプライチェーン戦略研究部会に招かれて、

海外プロジェクトへのシステムズ・アプローチ ー 理論・技法・展望

と題する講演を行います。
これは基本的に、この3月に東京工業大学CUMOT「ストラテジックSCM講座」でお話しし、好評をいただいた発表のアンコール講演です。ただ、先週フランスのリールで開催された、国際的PM標準を比較評価するGAPPS Thought Leadership Forumの参加報告などもおりまぜて、大学での講義とはまたひと味違った雰囲気のものにするつもりです。

ご期待ください。

<記>

題目:海外プロジェクトへのシステムズ・アプローチ ー 理論・技法・展望
講師:佐藤 知一 (日揮株式会社 経営戦略室 室長代行、静岡大学 客員教授)
日時:2016年6月16日(木) 18:30から20:30まで
場所:青山学院大学 総研10階18会議室

・会場アクセス・講演要旨は下記ホームページをご参照下さい。
 http://scsr.jp/

・参加希望者は、前々日正午(6月14日正午)までに下記から事前申し込みをお願いします。
 http://scsr.jp/form.html
by Tomoichi_Sato | 2016-06-12 17:57 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

Calculating real values of activities - an introduction to the risk-based project value

“A Guide to the Project Management Body of Knowledge” (PMBOK Guide)(R) by Project Management Institute (PMI) has been introduced to Japan and widely accepted by the IT industry in recent 10 years. As it became well known, technique of Earned Value Management System (EVMS) has also been widely tried put in practice. EVMS is a very useful tool that can monitor and control cost and progress of a project at the same time. In Japan, the concept of “Earned Value” (EV) has corresponding word “Dekidata” (出来高). This word and concept can be tracked back even to 18c Edo-era in Japanese construction industry. However, we could not develop any management system using EV, which is a bit pity for us.

By the way, introduction of the EVMS seems to have made many practitioners to hold a misperception that it is applicable and powerful to control any types or situations of project. No, it is not. The EVMS should be used carefully with appropriate premises and methods. It is not an omnipotent tool.

The weak point of the EVMS may be clearly understood when we try putting it to the research and development (R&D) type of projects for new products. Let us consider very simple example: suppose there are two people starting a garage company. One is an engineer and the other is a salesman. The engineer has made a brilliant new idea. With this idea, he thinks he can make a very unique product having new features from parts and materials costing only $2,000 amount. The salesman says to the engineer that he can easily find a customer to buy the product at a price of $10,000 if it is really manufactured and be functional.

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However, the engineer thinks success probability of making the product would be fifty-fifty, as it is the first attempt for his new invention. On the other hand, the salesman is 90% confident that he could find a customer. It is a very simple new product development project with only two activities: development activity and sale activity. Initial cost of the development activity requires $2,000. Sales activity would cost only some phone calls and transportation, therefore negligible small.
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Now, here is a question. Suppose their project have just successfully completed the first activity, development. The engineer has fabricated the new product and it’s functional. Then, what is the current project progress in percentages? How do you think?

Conventional EVMS tells us that the project progress percentage should be measured by current EV divided by total EV (which equals to the total budget of the project). In this case, current EV is $2,000, and the total budget is also $2,000. Therefore, progress becomes 100% even though they have completed the first activity! Do you concur to this calculation?

Clearly, this calculation does not match perceptions by practitioners. You cannot manage projects properly, with measurements which is not acceptable to people. Some may argue that a cause of this problem is in the assumption of zero cost in the second activity for sales. Then, let’s assume sales may cost $10. Progress calculation now becomes 2,000 / 2,010 = 99.5%. When we round up after the decimal point, it is still 100%. It does not resolve this issue. You can see challenges when we apply the EVMS progress calculation automatically to new product development projects.

What is the root cause of this issue? It comes from the assumption widely used in EVMS that “budgeted cost of an activity is regarded as its value”. It means that low cost activities are low value activities, in other words. In general, costs of intellectual activities such as design or concept development are relatively small because it just human salaries. To the contrary, manufacturing or implementation activities normally cost higher as they require material and outsourcing expenses. Physical labors are high value than intellectual world. EVMS has evolved in procurement projects in the US DoD. Cost-based progress measurement seems to have been base of their way of thinking.

If the cost-based progress calculation is not acceptable, then how about this? “This is a collaborative project with two persons, so, we say 50% progress at the completion of the first half.” However, this is not a theoretical resolution, rather a political compromise. What do we say if development needs 2 persons or sales takes 5 guys? Progress measurement system depending on political voice power may not be useful in the fair management. Then, what should we do?

I give the answer first. We can calculate progress with "risk-based value” of the project activity. In this case, it tells us the current progress = 81.8%. New product development projects are collaborative endeavors undertaken to attain unique outcome, which are always associated with risks of failure. In fact, any project is associate with risks. In such cases, theory of the risk-based value analysis of projects are applicable and useful. Let me describe it in the below sections.

The above contradiction with the EVMS comes from assumption that value of an activity is its budgeted cost. It gives us 100% completion in the middle of a project. In order to avoid this, we have to weigh the real value of an activity in the project. Then, what is the “real value”?

Let us simplify this project. How about making it into a single activity project of “make-and-sales”? It requires initial cost of $2,000. Risk probability of failure of this project equals to 55%, because 100% - 50%×90% = 100% - 45%=55%. If this project successfully completes, then it will bring out monetary value of $8,000 as a profit.

However, at the beginning of the project, revenue of $10,000 is not assured. Its expected value is calculated as just $4,500, because 10,000 x 45% = 4,500. On the other hand, it is sure they have to expend $2,000 as an initial cost for parts and materials. Therefore, the expected monetary value of the project is just $4,500 - $2,000 = $2,500 at the starting point. Success of “make-and-sales” activity will increase and realizes their project value from $2,500 to $8,000. It will contribute value to the project by $5,500 (= $8,000 - $2,500).

Let me put this in other way. Value contribution of an activity can be expressed as an increase of the expected monetary value of the project; the difference of values before the activity’s starting point and after its successful completion. Expected monetary value of a project is determined by costs and incomes (cash flows) of its consisting activities, and risk probability of failure associated with the activities.

Then, what would be with the project with two activities: development and sales as in the original example. Let us calculate. Expected monetary value of the project (we call it “risk-based project value", or RPV in short, hereinafter) is as follows:

After completion of “sales” activity: $10,000 - $2,000 = $8,000.
After completion of “development” activity: $10,000 x 90% - $2,000 = $7,000.
Before starting of “development” activity: $10,000 x 90% x 50% - $2,000 = $4,500 - $2,000 = $4,500.

Therefore,

Value contribution of “sales” activity = $8,000 - $7,000 = $1,000.
Value contribution of “development” activity = $7,000 - $2,500 = $4,500.
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Total contributions of the two activities are $5,500 in total, which corresponds to the value contribution of the “make-and-sales” activity in the simplified case.

Now, we are ready to measure the progress. They have just completed the development and are about to start the sales. Progress can be obtained as attained (“earned") contributed value divided by total value contributions, like the EVMS tells us. It is,
$4,500 / $5,500 = 81.8%.

OK? Real value of an activity is represented by an increase of the project’s expected value before and after of the activity execution. The value depends on risk probabilities of failure with project activities. Please see the above example. Value contribution of development is greater than that of sales. This difference comes from the fact that the development has higher risks, or in other words, more difficult. The more the work difficult, the more it brings value when successfully completed. The theory of risk-based project value proves why our common-sense insights are true.

What if the risk probability of sale in the above case is zero? You can immediately see the value contribution by the sales equals to zero. Activities with no risks are zero values to contribute to the project, even if they are necessary to complete.

Practical projects have activities far more than two, and there are parallels projects. Even with these cases, calculation of the RPV and value contribution of activities are possible. Please see my academic papers in the references.

And, please see the above case once more. Conventional management theory has usually treated as development as the “cost center” activity and regarded the sale as “profit center” one. This is one background of the phenomenon that sales sections have more influential power in companies. However, if we compare real value contributions of the two activities in the above case, development has greater value. It is clear which is more important in the viewpoint of management.

The theory of risk-based project value enables evaluation of components in value-chain in a enterprise or calculation of added-values in a supply chain. This was made possible because we included concept of “risk probability” into cash flow analysis. I hope the readers understand how this theory can be a powerful tool for us.

References:

(1) Sato, T. (2014): “Risk-based project value – the definition and applications to decision making”, Procedia - Social and Behavioral Sciences. Vol. 119, pp.152-161.
(2) Sato, T. (2009): “Risk-based Project Value Analysis: General Definition and Application to Progress Control”, Journal of Japan Industrial Management Association Vol. 60, No. 3E.

Please also listen to my podcast from PMI (Project Management Institute) series, which is available from below URL.
https://www.pmiwdc.org/pm-pov/2016/04/advances-in-pm-part-2
by Tomoichi_Sato | 2016-06-10 06:53 | English articles | Comments(0)