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企業のミッション・経営理念を日米比較する

まずは、ちょっとクイズからはじめよう。下の文言は、ある会社の経営理念である。

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これはどこの会社のものだろうか? 答えは下の方でかくが、見る前に少しだけ考えてみていただきたい。
・・思いつきましたか? では、第二問。次のスローガンと企業理念は、どこの会社のものか。

世界人類との共生のために、真のグローバル企業をめざす○○○○」
 企業理念 :
  世界の繁栄と人類の幸福のために貢献すること
  そのために企業の成長と発展を果たすこと

これをぱっと見て、いや、たとえ三度繰り返し熟読してみても、どこの企業のものか推測するのは難しいだろう。どこの会社でも、当てはまりそうな気がするからだ。世界人類とかグローバルとか、言葉は大上段だから、中小零細企業ではあるまい。だが、表だって社会との「共生」を目指さない、つまり社会と敵対的であろうと公言する企業がいるだろうか? グローバルをめざす日本企業は、今や過半数だろう。成長と発展だって、どの会社だって望むはずである。この標語と理念なら、ほとんどすべての大企業に当てはまりそうだ。わたしの勤務先だって、あてはまるとおもう。

最初の問題の答えは、「三洋電機(株)」である。2008年に経営が立ちゆかなくなり、2009年にはパナソニックに買収された同社は、法人格としてはまだ存続しているが、実質的には従業員ゼロだときいている。残念ながら、“なくてはならない存在”でありつづけることはできなかったのだ。同社で一所懸命に働いていた人々にとって、今はさぞ無念な言葉だろうと想像する。

第二の問題の答えは、あえて書かない。誰もが知っている、とても立派な企業である。だが、この標語と理念で、この会社がどういう会社か、分かる方は少ないと思う。気になる方は、まあ、ネットで調べればたぶんわかるのではないか。誤解しないでいただきたいが、わたしはこちらの会社を批判するつもりなど、全くない。たぶん、あれほどまでに優秀で差別化された製品を作り続ける同社にとっては、もはや理念の上で差別化する必要などなかったんだろうな、と想像するだけだ。

少し前のことだが、わたしは企業理念やミッション・ステートメントについて少し興味を持って、調べてみたことがある。上の二つは、そのときに見つけた例である。調べるにあたっては、

ミッション・経営理念 社是社訓―有力企業983社の企業理念・行動指針」社会経済生産性本部・編集   (Amazon.com)
世界最強の社訓―ミッション・ステートメントが会社を救う」パトリシア・ジョーンズ、ラリー・カハナー著  (Amazon.com)

の2冊の本を参考にした。前者はタイトルにもあるごとく、983社(ほぼ日本企業)をカバーし、後者は米国企業約40社を調査しカバーしている。ただし出版年次は、日本の方が2004年、米国は原書の出版が1995年で、いささか古い。したがって、すでに現状とかわっている会社もあるし、最初の会社のケースのように、会社自体がすでに消滅している例も含まれている。

ただ、そのように歴史の荒波にもまれた(?)結果を見ることで、気づくこともあった。最大の発見は、日本と米国では企業理念やミッション・ステートメントのあり方が、随分違うということだ。内容が違うのはもちろん当然だが、「あり方」が違うのだ。

日本企業の社訓・経営理念 は、大きく三つのパターンに分かれるように思えた。すなわち、(1) 古き創業者の語録、(2) カタカナの並ぶ広告代理店作成風、(3) 主に社員に語りかける訓示的な言葉、の三種類である。 古き創業者の語録は、しばしば毛筆や旧仮名遣いでなされていて、内容もじつに品格高く、高邁である。たとえば、会社設立の目的が

「一つ、真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」

にはじまり、経営方針には

「一つ、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する」

と書いた、東京通信工業(株)の設立趣意書などはその典型の一つだろう。これを敗戦の翌年である昭和21年に書いた創立者・井深大氏の理想主義にはまことに敬服する。ましてその後の同社の道のり(社名をソニーと変更した)を考えると、感銘深いものがある。しかし、ここまで高踏派ではない創業者ももちろん多数いたようで、もっと町の商人的な、分かりやすい、つまり平凡なレベルの言葉遣いも多い。

(2)については、はっきりいってわたしの趣味ではないので、ここではあえて紹介しない。バブル時代、CI=コーポレート・アイデンティティづくりが流行ったが、結局は広告代理店にロゴマークとスローガンづくりを依頼しました、みたいな印象が強かった。おまけにカッコいいつもりの外来語の多用。(いや、お前のサイトだってカタカナ言葉だらけだろ、というご批判はもちろん承知の上だが^^;)。

(3)のカテゴリーでは、とくに「お客さま」「信用」「品質」「社会への貢献」が、比較的多く使われる言葉である。ここらへん、いかにも日本企業らしいなあ、と感じる。とにかく、比較的短く、情緒に訴えかけるものが多い のも特徴だ。

これに比較して、米国企業のミッション・ステートメント は長く、構造的で、理屈っぽい。主たる文章に、補足説明のパラグラフが並ぶ 例が多い。たとえば、こんな感じだ:

Mission :
 われわれは、クライアントにはすぐれた価値を、スタッフには輝かしい成功を、オーナーには卓越した業績をもたらすべくつとめる

クライアントへの責任
・われわれは、クライアントの成功こそわれわれの成功であると考え、彼らのために献身する。
・われわれは、彼らのニーズを理解し、現実的な助言、効果的な施策、革新的な製品開発など、すぐれた価値を提供することで、つねに彼らの期待を上回るべくつとめる。
・またわれわれは、つねに最先端のメソッドとノウハウを提供すべく継続的な研究を進める。

これは老舗の技術コンサルタントArthur D. Little社のステートメント(の一部)だ。たいへん立派なものである。「米国では会社は株主の所有物で、経営はただ株主利益だけを目的として進められる」と解説されることが多いが、これを読む限り、同社はそう単純には規定していない。会社はクライアント(顧客)と、従業員と、オーナー(株主)の三者に、それぞれもたらすべきものがある、と考えている。

米国の文章は、その多くに、主力の商品・サービスが分かる言葉が入っていることも特徴だ。「自分たちは何者であるか」を、明確に定義する点に主眼があるのだろう。用語で言うと、
- 「顧客の満足」
- 「価値」
- 「社員(スタッフ)」
- 「適切な価格」
などが多く使われる言葉である。 日本と比較すると、信用・品質のかわりに価値や満足がきている点がまあ、面白い。

ジョーンズとカハナーの著書は、単に各社のステートメントを集めただけではなく、実際に各社のキーパーソンに対してインタビューを行い、そうした文章が設定されるまでの過程を取材しているので、非常に興味深い。起草や決定プロセスも様々だ。ただ、これを読むと米国企業では、’80年代にはじめてミッションを文章化したところが多いことに気づく(同書は1995年刊行)。日本でCIとスローガンづくりが流行りはじめたのは前述の通り’80年の終わり頃だが、米国はその約10年先を走っていたわけだ。しかし逆に言うと、’70年代までは米国企業でも、ほとんどはミッション・ステートメントを持っていなかったことになる。

なぜ、米国企業は経営理念だとかミッションだとかの文章を、’80年代に必要とするようになったのか?

ここから先はわたしの推論だが、その理由は、不況と多角化戦略の進行が背景にあると思われる 。米国はいうまでもなく、1945年の第二次大戦終結以後、ずっと経済成長のレールをばく進していた。「GMの利益はアメリカの利益」といわれたのは’50年代のことだ。それが、’60年代終わり頃から少しずつ変調を来し、はっきりと曲がり角にさしかかったのは’70年代半ばのことだった。

それを象徴する出来事は、オイルショックと、ベトナム戦争の終結(敗北)だった。ニクソン大統領が金ドル交換停止を宣言し、ドルの威信がゆらぎはじめたすぐ後のことだ。これによって、安価な石油をガブ飲みする大量消費型の生活(アメ車がその象徴)に、ブレーキがかかることになった。

いわゆる「経営コンサルティング会社」が米国で急速に発展するのも、この時期である。成長が鈍化し、不況に突入したとき、企業は何よりも人員整理と経営の立て直しを迫られた。

その結果とられた方策はなんだったのか? それは、企業買収による多角化であった。M&Aはごく普通の企業戦略ということになった。だが、その結果として、複合的な企業グループが誕生した。いいかえると、「何の会社なのか分かりにくくなった。」

その典型は、長距離バスの代名詞だったグレイハウンド社の歴史に見ることができる。サイモンとガーファンクルの名曲「アメリカ」にも登場する同社のバス事業が、停滞期に入って以降、同社は買収による多角化に打って出ることになる。WikiPediaから引用しよう。

「グレイハウンド社は・・1970年代には巨大な多角化経営企業となり、アーマー精肉会社からダイアル石鹸会社、トラベラーズ・エクスプレスの為替事業、MCIバス製造会社、さらには航空機の貸し出しまで手がけるようになっていた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/グレイハウンド_(バス)) 他に、わたしの記憶に間違いが無ければ、電池のデュラセルも買収していたはずだ。

このような会社が、いったい何をしたい企業なのか、戦略は何なのか、誰も説明できないだろう。もちろん株主にだって分かるまい。だから、’80年代に入ると、あらためて企業自身によるポジショニングの宣言が必要になったのだ。ちょうど米国の経営学も、ポーターらのポジショニング戦略論の全盛時代に突入していた。

では、日本の企業は?

日本企業がバブル時代にアメリカの流行を追いかけたことは、すでに述べた。ただし日本の場合は、むしろ「多角化のために」CIを導入したケースが多い。このころ企業はこぞって、名前から「建設」「観光」など業種を表す語尾をとって、「○○コーポレーション」などのモダンな(?)社名に変更した。昭和の泥臭い創業者社訓から、無味無臭な平成流「経営理念」への転身が行われたのである。

だがバブル景気は長く続かなかった。その後20年以上にわたり、企業は景気低迷時代を過ごすことになる。その間、企業の経営理念の文章はどう変化したか? モダンだがどこの会社にも共通するような優等生的な文章、という点で、あまり大きな変化はなかったように、わたしには思える。それはつまり、差別化も個性化も、十分には希求されなかったことを示している。

わたし達が「理念」やら「哲学」やら「ミッション(使命)」やらの明文化を求めるのは、わたし達が中途半端に豊かになってしまったからである。お爺さんが山に芝刈りに、おばあさんが川で洗濯をする農家に、ミッション・ステートメントは必要なかった。戦後の闇市から東京オリンピック頃までの、誰もが生きるのに必死な時代には、理念なしでも商品を作れば片端から売れた。

その後、成長した経済が曲がり角にきて立ち尽くしたとき、自分で進む方向を決めるために、はじめて哲学や使命が切実になったのである。それはファッションでお隣の先進国がやっているから自分も、といったものではなかったはずだ。言葉というのは、思考を伝達するための道具である。他者に対しても、自分に対しても。言語化することで、わたし達は自分を強化できる。「言葉を大切にする」ということが、組織の『OSレベル』の能力だと繰り返し書いているのは、このためである。

わたし達の社会はもう一度、誰にでも当てはまる優等生的な文章は忘れて、自分の頭で理念を練り直すときにきていると思う。自分が誰か、他とはどこが違うか、何をめざしているのかを、あらためて訴えかけるべきだ。そしてその説明の中心には、必ず「価値」論がくるはずだと、わたしは強く信じている。
by Tomoichi_Sato | 2016-03-27 22:58 | ビジネス | Comments(2)

映画評:★★★ 「それでも僕は帰る」、 ★★★ 「独裁者と小さな孫」

最近見た映画評をあと二つアップします。

★★★ 「それでも僕は帰る ~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」

横浜シネマジャック&ベティにて。

監督:タラール・デルキ、製作:オルワ・ニーラビーア、ハンス・ロバート・アイゼンハウアー
編集:アンネ・ファビニ
シリア/2013年/89分
公式サイト:http://unitedpeople.jp/homs/

2010年12月、チュニジアで始まった民衆の反政府・民主化活動は、独裁者ベン・アリ大統領の放逐にいたり、その動きは隣接する中東地域に飛び火していく。後にメディアが「アラブの春」と名付けた運動だ。シリアでも、長年にわたるアサド大統領父子の抑圧的な政権に対し、民主化要求が高まっていく。この映画は、そのシリアのホムス市で、反政府側にたって闘う若い男たちのドキュメンタリーである。

ホムス市はシリアの西部にあって、首都ダマスカスと北部のアレッポ市の中間に位置する国内第三の都市で、交通の要衝でもある。映画の中心となるのは、元サッカーのユース代表選手だったバセット青年と、その友人で市民カメラマンのオサマの二人だ。彼らは最初、非暴力的な抵抗運動に参画し、政府への民主化要求を訴えていく。

しかし2012年に入り、アサド政権の軍は反体制運動への暴力的な弾圧を強化する。そこでバセットは仲間とともに、武器を手にして闘いはじめる。彼を駆り立てるのは、自由への熱望と、郷土への燃え立つような愛情、祖国愛である。

政府軍は迫撃砲でホムス市街の建物を片端からすべてなぎ倒し、反政府派の立てこもる地区を包囲し兵糧攻めにしてていく。迫撃砲というのは文字通り、建物を破壊するための武器であり、大量殺戮のための道具だ。これはまったくの内戦である。政府軍が、自国民を相手に戦争を仕掛けているのだ。反応の薄い国際社会にいらだったバセット達は、いったん市の包囲網を脱出し、外部地域からの支援を求めに行く。そして映画の最後で、彼は志願した義勇兵の仲間とともに、トラックの背に乗って、再び決死の覚悟で故郷のホムス市に向かうのである。

この作品が製作されたのは2013年だが、現在も彼は存命ときく。ただホムスでIS側の勢力と闘っているとも、逆にISに忠誠を誓ったとも言われているが、不詳である。

この映画は中東の貧しい国・シリアにおける、正義感と郷土愛に燃える青年達の姿を活写したドキュメンタリーだ。映像も切実で美しい。だが、観に行くときには注意した方がいい。この映画では、作り物でない文字通り本当の内戦が映し出されている。目を背けたくなるような、ショッキングなシーンも少なくない。だが何よりも恐ろしいのは、次第次第に、主人公格の20歳の若者バセットの顔つきが変わっていくことだ。最後はもう、目つきが普通ではなかった、と一緒に観に行ったつれあいは感想をもらしていた。

いったん戦争と殺し合いを始めると、もう誰にも止められなくなるのだ。


★★★ 「独裁者と小さな孫」

渋谷Uplinkで。

監督:モフセン・マフマルバフ、脚本:モフセン・マフマルバフ、マルズィエ・メシュキニ
撮影:コンスタンチン・ミンディア・エサゼ、編集:ハナ・マスマルバフ、マルズィエ・メシュキニ
出演:ミシャ・ゴミアシュウィリ(大統領)、ダチ・オルウェアシュヴィリ(孫)、ラ・シュキタシュヴィリ(売春婦)、グジャ・ブルデュリ(政治犯)ほか
グルジア・フランス・英国・ドイツ/2014年/119分
公式サイト:http://dokusaisha.jp

傑作だ。脚本も、キャメラの構図も、編集も、そして出てくるグルジアの俳優たちも、とても良い。子役のダチ・オルウェアシュヴィリも素晴らしい。

監督のモフセン・マフマルバフはイラン出身だが、現在は故国から逃れて、ずっと外国で映画を製作している。この映画の撮影地はグルジアだ。念のために書いておくと、グルジア(英語名ジョージア)は旧ソ連のコーカサス地方に位置する国で、黒海に面している(さらにいうと、20世紀最大の独裁者の一人スターリンは、グルジア出身だった)。この映画の最後に、独裁者の元大統領が小さな孫を連れてたどりつくのが黒海の浜辺で、そこから他国に逃れる船を探そうとするのである。ただし映画には具体的地名は一切出てこない。東欧や中東ならどこにもありそうな、普遍的な地域の一つとして描かれている。

この映画は、予告編にもあるとおり、独裁者の大統領が、首都の街の明かりを電話一つで全部つけたり消させたりする象徴的なシーンで始まる。彼の権力を孫に見せてやるため、遊びでやるのだ。首都には石造りの歴史的な建物や、新しい近代的ビルなどが並んでいる。

その彼が、突然の政権崩壊と革命で首都を追われ、小さな孫を連れて逃亡する中で、次第に貧しい田舎の実相があきらかになっていく。そして皮肉にも、釈放された政治犯達と同道して海辺の村を目指すのだ。革命の後、国の権力は混乱し、地方では武力を持つ軍人たちが、したい放題の勝手をするようになる。そしてハネムーン旅行中のカップルをとらえて、花嫁を凌辱しようとたりする。その後のシーンは、ユーラシア大陸の古い風習を知らないと、分かりにくいかもしれない。多くの国では、若い女性の純潔を非常に大事にし、そこに一族の名誉をかける。名誉を汚されたら、命をもって償わせる必要があるのだ。売春婦という職業への侮蔑も、その文脈をもって見るべきである。

ただ、深刻なテーマを扱いながら、要所要所にユーモアがあふれていて、とても映画的な娯楽性の高い仕上がりになっている。具体的な政治メッセージは、何もない。独裁者が共産主義なのか資本主義なのか、キリスト教なのかイスラム教なのか無神論者なのか、一切わからない。わかるのは、独裁政治は愚かで、自分も国民も不幸に陥れるが、革命がすべてをすぐに解決する訳でもない、という真理である。

ストーリーには普遍性があり、見事だ。しかも非常にローカルな地域性を感じる風景の中に描かれている。映画として、まことに上級である。
by Tomoichi_Sato | 2016-03-25 23:04 | 映画評・音楽評 | Comments(0)

映画評:★★★ 「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」

2016/01/11
逗子シネマアミーゴで。

監督・脚本:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル
出演:ヴィヴィアン・マイヤー、ジョン・マルーフ、ティム・ロス、ジョエル・マイロウィッツ、メアリー・エレン・マーク
2013年 アメリカ映画(83分)
オフィシャルサイト:http://vivianmaier-movie.com
DVD: 「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」(Amazon.com)

すごい映画だ。なんだか頭を殴られたような衝撃を得た。過去1年に見た映画で、最もすごい作品だ。

2007年、シカゴ郊外で亡くなった無名の老女の遺品の中から、夥しい量の写真とネガが見つかる。生涯、乳母とメイドで暮らしてきた孤独な彼女が撮りためた写真は、その素晴らしさで、瞬く間に世間の注目を集める。この映画は、そのネガを掘り当てた本人ジョン・マルーフが自分で監督した作品だ。彼は残された手がかりをもとに、ヴィヴィアン・マイヤーという名前しか分からない不思議な女性の生涯を掘り起こすべく、証人を探して次々にインタビューしていく。

この映画は、そのインタビューと彼女の写真の集積だ。彼女の写真には、アメリカ社会の、いや、ほとんど普遍的な人間性の、活写がある。彼女は撮影にローライフレックスという、手持ち型のかわった二眼レフをつかっていた(彼女はしばしば鏡に映った自分自身の写真も撮っており、そこにはっきり写っている)。映画の中で専門家が言うのだが、このカメラは胸元にもってファインダーを上からのぞき込むタイプだ。だから「隠し撮り的な使い方に向いている」という。被写体が、写されていると意識しない瞬間をとらえることができる。

そのカメラがとらえだした、アメリカの市街を行き来する人々の表情は、その高貴さも残酷さも含めて、まことにリアルだ。フレーミングも天才的だといっていい。だが、彼女はそれをまったく発表しないばかりか、現像すらしていなかった。それはなぜなのか。彼女はどのような境遇に生まれ、どんな来歴の人だったのか。なぜしばしば偽名も使ったのか。この映画はそうした疑問を、一つひとつ手彫りで明かそうとしていく。アカデミー賞のドキュメンタリー部門候補になったのは当然だ。編集も撮影も素晴らしい。

ただ、天才的な写真の腕前とは対照的に、彼女の人生は次第に光彩を失って、貧困の中に追い詰められていく。そして先進国の中でアメリカ社会ほど、生存競争に負けた貧困者に対して過酷な場所は、ない。それは観光客や社用で訪問した人間には見えにくい世界だ。雇われ人のヴィヴィアン・マイアーには、健康保険はなかった。病気になったらどうするの?とたずねられたとき、彼女が答えたセリフは、

“Poor people are too poor to die.” (貧乏人には死ぬためのお金はない)

だった。

逗子シネマアミーゴは、カフェを兼ねた小さな映画館だ。海辺にあって、なかなか心地よい。連れ合いが「去年観た中で一番すごい映画」だと紹介してくれたので、休日にリラックスすべく観に行ったのだ。しかし、正直、映画の最後には、涙が出た。この映画はまだいくつかのミニシアターで上映される予定だ。DVDも発売されているが、ぜひ映画館のスクリーンで観るべきだ。写真と視覚芸術に少しでも関心のある出来るだけ多くの人に観てもらいたい。強く推薦する。
by Tomoichi_Sato | 2016-03-22 22:11 | 映画評・音楽評 | Comments(0)

Drag Cost - The true cost that takes into account delivery schedule effects

"Liquidated damages" is a legal term used in the contracts. It represents potential compensation by the contractor for damages caused by delays in delivery or poor product performance. The contractor is obliged to pay penalty costs stipulated in the liquidated damages clause, in case it fails to satisfy mandatory contractual requirements.

Liquidated damages cost on the schedule delay is often calculated on pay-per-day basis; delayed days multiplied by, for example, thousand dollars or million dollars per day. In addition, a ceiling amount for the penalty is usually defined, say, up to 8% of the contract price. Although the liquidated damages are a stringent term, it clarifies the formula and boundary with schedule risks. Therefore, contractors may regard the term better than unlimited liability. To my observation, American and European companies will never sign agreements that requires unbounded compensation for schedule delays.

Penalty cost for schedule delays is usally clear with the contracted projects in this manner. Then, how about the internal projects that are initiated by the company itself? New product development project is an example. Consider a case that its target date of market-in was the end of December. However, the first lot was actually shipped in next February. Sales and marketing people might complain, but there were no real damages -- is this correct?

The answer is NO. Let's suppose the product life length in the market will be 5 years. Expected revenues will be 100 million Japanese Yens per year (I use "¥1 M” notation for 1 million Yens hereinafter for simplification). Profit margin will be at 20% or ¥20 M. It means revenues in total will be ¥500 M and profits will be ¥100 M in five years. This will be the expected income up to December 2021, if shipped in December 2016. However, it may be too optimistic to expect the same income for 5 years in case market-in date is delayed to February 2017. The life length of a new product is not determined by physical persistency but by competition with others. Therefore, we should think the duration of sales become shorter if market-in date delays. It means profit will decrease by 20 x (2/12) = ¥3.3 M.

In other words, profit decreases ¥3,300,000/40 = ¥830,000 per day if delayed (20 working days per month assumed). About ¥10,000 is lost per hour. ¥140 loss per hour, or ¥2 loss per second. Saying “oh!” costs ¥2. If you drop a 1 Yen coin onto the ground, you should not bend your body to pick it up. Because it may take more than 0.5 second, and costs you more than ¥1. This is the “time is money” sense for the new product development projects.

Okay. Then, suppose my project is a contracted type without any liquidated damages terms. My time won't be a cost? Even if delivery delays, we just make apologies to my customer, perhaps together with our sales guy. How about this?

A good try, but NEVER count on such ideas. Now, this is the very important point. In the contractor's business such as the systems integrators, number of project managers governs the company's capability of work. A project manager needs to be engaged from the very beginning to the end of the project. Missing chances of getting new contract because no PM is available at that moment - this often happens in real business situations. PM is the bottleneck resource for contractors.

Suppose PM is 5 times valuable than normal engineers in your company. It does not mean PM wages are 5 times higher, but PM is a scarce resource from the company's viewpoint. Let's assume annual wage of average engineers is ¥5 M per year. Then, value of PM availability is ¥25 M per year. A year has roughly 250 working days. So, its value is ¥100,000 per day or ¥3.5 per second. Loss of PM availability caused by delays will cost more than the previous new product development project case.

Time is money in any projects. Based on this principle, I would like to remind the readers of DRAG. It is the metrics I explained in the previous English article in my blog. It evaluates impact of an activity duration to the entire project duration. An activity having DRAG of 10 days can be regarded that it pushes final project delivery date by 10 days. Basically, DRAG = 0 for an activity which is not on the critical path. DRAG of a critical path activity normally has plus value, depending on its duration and existence of parallel activity paths.

DRAG Cost is defined as DRAG days multiplied by the penalty cost per day for project delivery delays. It is a monetary value. For instance, DRAG Cost of an activity having DRAG of 8 days equals to ¥1.6 M when penalty cost is ¥200,000 per day of delay. DRAG Cost represents cost effects of each activity's duration in the project.

Each activity, of course, needs cost to execute itself. Suppose execution costs are given in the below table for the Fig. 1, then summation of execution costs and DRAG Costs are as shown in the right end column.
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        Duration   Execution  DRAG   DRAG   Overall
                cost          cost   cost
---------------------------------------------------------------------------------
1. Basic design  20 days  ¥1.0 M  20 days   ¥4.0 M  ¥5.0 M
2.1 Hardware    35 days  ¥4.0 M  10 days   ¥2.0 M  ¥6.0 M
2.2 Installation   5 days   ¥0.3 M   5 days   ¥1.0 M  ¥1.3 M
3.1 Detail design 10 days  ¥1.2 M   0 days     ¥0 M  ¥1.2 M
3.2 Software   20 days  ¥6.0 M   0 days     ¥0 M  ¥6.0 M
4. System test  15 days  ¥2.5 M  15 days   ¥3.0 M  ¥5.5 M

When we compare execution costs only, "3.2 software" seems to be the most costly activity. However, calculation result shows "2.1 Hardware" and "3.2 software" both have the highest costs of ¥6 M and next is "4. System test" of ¥5.5 M, when we take into the DRAG Cost. It means we should tackle activities in this order when maximizing the project profit.

Business trends nowadays make many people simply think "tackling for profit means trying cost down". However, the DRAG Cost provides us another approach. Duration of "2.1 Hardware" may not be easy to shorten, as it relies on vendors. Case of "3.2 software", DRAG=0. It has no effects on the project delivery even if we can shorten it.

Therefore, we should tackle "4. System test" activity. Can we make it shorter with assigning double number of people? Of course, double resources does not reduce duration by half. There will be learning curve with people, and more communication time may be required as members increase. Let's say duration will be cut off by about 30%. Then, its dration becomes 10 days instead of 15 days. Execution cost will increase, because double resources are assigned for 2/3 duration. Hence, execution cost will be 4/3 times larger, which is ¥3.33 M in total. Meanwhile, delivery date becomes 5 days earlier. DRAG Cost will decrease by ¥1.0 M. In total, we will gain ¥0.17 M. If this is not sufficient, then the next target may be "1. Basic design".

This approach is also applicable to cases with multiple sources for hardware procurement with different conditions. For example,
 A company: delivery = 35 days, price = ¥4.0 M
 B company: delivery = 25 days, price = ¥5.0 M
We can calculate total costs as: A company = ¥6.0 M, and B company = ¥5.0 M. In this case, we should buy from B company although its price is a bit higher.

Concepts of DRAG and DRAG Cost were proposed by Mr. Steven Devaux, an US-based project management consultant in late 90's. He calls summation of the execution cost and DRAG Cost as "True cost" of the activity. Traditional project management theory could not resolve trade-off between time and cost. Time is time, and cost is cost. They have been two separate worlds, until the day he established his new methodology. Hence, DRAG concepts are very valuable.

We have to elaborate this method more in order to apply to real problems. Creating an appropriate tool is very important contribution to the management. It will bring out a big diffenrence, it is like going out to the sea with having GPS equipment. I believe more people should learn the DRAG Cost approach.


[Related articles]
"Introduction to the basic of scheduling, and DRAG as the metrics for project delays” (2016-02-13)

[Website by Steven Devaux]
"Total Project Control"
by Tomoichi_Sato | 2016-03-20 15:58 | English articles | Comments(0)

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会の合同シンポジウム(4月2日・浜松市)開催のお知らせ

お知らせです。

スケジューリング学会「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(主査:日揮株式会社・佐藤知一)は、 OR学会「サプライチェーン戦略研究部会」(主査:日本IBM株式会社・米沢隆)と共同で、

 『サプライチェーン戦略とプロジェクトマネジメント

のシンポジウムを開催いたします。日本企業が業容を変革し、これからの市場と競争力を獲得するためにかかせない二つの重要な柱について、聴き応えある講演とディスカッションを行う予定です。どうぞご期待ください。

場所は日本の製造業のメッカの一つ、静岡県浜松市です。
大勢の方のご来聴をお待ちしております。

<記>

日時: 2016年4月2日(土)13:00-17:00
場所: 「アクトシティ浜松」  コングレスセンター43会議室
    〒430-7790 静岡県浜松市中区中央3-9-1  http://www.actcity.jp/
    JR浜松駅に隣接したコンプレックスのDゾーン、「楽器博物館」の上階です。

講演プログラム:
 13:00-13:15 オープニング
 13:15-14:15 講演1 渡辺重光 様(株式会社フレームワークス 会長)
 14:15-15:15 講演2 曽根卓朗 様(ヤマハ株式会社 主席技師)
 15:15-15:30 (休憩)
 15:30-16:45 パネル・ディスカッション
  パネラー:渡辺重光様、曽根卓朗様、
   高井英造(サプライチェーン戦略研究部会・顧問)
   佐藤知一(プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会・主査)

講演内容:

講演1:サプライチェーン戦略を支えるIOTロジスティクス
渡辺重光様 (株式会社フレームワークス 代表取締役会長)
IOT時代を迎えた今、サプライチェーン戦略の実効性を高めるために「高度なロジスティクス」を実行する事が必要不可欠となっている。本講演では、話題のオムニチャネルリテイリングや新しいB2Bビジネスを支えるロジスティクスについて、最新事例やIOT等の最新技術を交えて解説する。

講演2:通信カラオケシステム新規開発に見るプロジェクトマネジメント
曽根卓朗様 (ヤマハ株式会社 音響技術開発部 主席技師)
経験のない新たなジャンルの商品をスクラッチから新規開発した当時を振り返り、ソフトウェア開発プロセス、トップマネジメント等にフォーカスしてプロジェクトマネジメントの観点から現代に繋がるエッセンスを考察する。

主催:
 日本経営工学会・スケジューリング学会・OR学会
協賛:
 経営情報学会 東海支部

参加費用:
シンポジウムは無料です。
ただし浜松までの交通費、ならびに懇親会費用は各自ご負担願います。
ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

懇親会:
講演会終了後、懇親のため宴会を開催します。ぜひあわせてご参加ください。
場所:「マインシュロス」 http://www.hamamatsu-soko.co.jp/ms/
    〒430-8691静岡県浜松市中区中央3丁目8番1号
    TEL: 053-452-1146  会場より徒歩2分
 料金:¥5,000 (飲み放題)

参加を希望される方は、人数確認のため、できれば前日までに、懇親会の参加可否を含めて研究部会主査にご連絡ください。
よろしくお願いいたします。


日揮(株) 佐藤知一
by Tomoichi_Sato | 2016-03-13 07:50 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

ユーザ側の『ITイノベーター』こそ、急いで育成するべきだ

昨年のことだが、あるIT系コンサル兼調査会社の主催するカンファレンスに出席した。参加者は大手企業や官庁などのITリーダーばかり40〜50人ほど。「ITリーダー」というのはやや微妙な表現だ。主催者側は本当は「CIO」の参加を期待したのだろうが、実際の参加者の大多数は、情報システム部長さん達だったので、こういう言葉を使ったらしい。わたしはCIOでも情報システム部長でもないが、まあ現在は社内の中期的な情報戦略をつかさどる立場なので、この場に混ぜていただいた。

わたしが参加したセッションは二つ。「グローバル企業のITガバナンス」と、「IT人材の育成」をテーマにしたものだった。円卓を10数名で囲んでディスカッションする形式で、コンサルタントが議論をファシリテートする。なかなか興味深い試みだったと思う。同席したのは、自動車会社が3社、大手通信業者、大手製造業、外資系メーカー、エネルギー企業、航空会社などなど。わたしの勤務先など、この中ではかなり小ぶりな方である。なお、呼ばれたのはユーザ側企業ばかりで、いわゆるIT専門のベンダー企業はいない。

グローバル化した日本企業が、海外子会社を含めたITガバナンスと統制をどう行うか、というテーマも意外な苦労話が多くて面白かったが割愛する。今回は、ユーザ企業のIT部門長さん達が、部門内の人材育成にどう取り組んでいるか、という話の方を紹介したい。

ま、紹介したいと書いたが、じつは「IT人材の育成に、これといった決め手はないですね」というのが参加者の共通した感想なので、紹介すべき妙法はとくにないのである(^^;)。みな似たような苦心を重ねているんだな、と互いに確認し合えただけだ。どういう苦心かというと、『人材のミスマッチ』である。

なにせユーザ企業なので、IT部門に所属するITエンジニアといっても、元からそれを志望して会社に入る例は少ない。ただ配属された以上は、それなりに能力とキャリアアップが求められるし、また自らも志向するのがサラリーマンというものだ。そこで、エンジニアとしては専門技術を求めて、ITのスペシャリティを深めよう、それで評価されよう、としていく。それはITインフラ系であったり通信系だったり、データベースやWeb技術、パッケージの知識だったりする。

しかし、ユーザ系企業が情報システム部門に本当に求めているのは、もっと別の能力なのだ。それはエンドユーザー業務を理解し、IT技術をテコにして、それを改革していく提案能力である。開発フレームワークだのクラウド並列処理だのは、専門のITベンダーや情報子会社のプロに任せておけばよい。それよりも、最新の技術を応用すれば、ライン業務をどう変えることができるかの知恵を、会社の側は期待しているのである。ITスペシャリストとして生きたい部員の側と、業務改革のリーダーを期待する経営側の期待がミスマッチを起こしている。それが今の問題なのだった。

(もっとも、上記の話はシステムの開発や修正改善を主に外部委託する企業の話で、内製志向の強い会社には必ずしも当てはまらない。ただその会合にきていた20社弱の内、ネット専業の企業を除くと、極力内製する方針の会社は1社のみだった)

また、多くの企業の悩みは、そうした情報システム部員が、「ユーザから要求されたものを作ります」という受け身の姿勢に留まっていて、業務側への提案や踏み込み姿勢が足りない、という点であった。ここは個人の資質にもよるとは思うのだが、とにかく消極的である、提案能力が足りない、というのが不満点らしかった。

では、かくいう部門長さん達ご自身はどうなのだろうか。みな、一応の業績を上げてきたからこそ、大企業の部長までなられた訳だろう。それなりに業務側への踏み込みも、提案能力もおありに違いない。そう思って話を聞いているうちに、分かったことが一つあった。部長さん達の中には、ずっとIT畑一筋の人もいれば、途中からIT部門に配属になった人もいた。ただ多く共通している点は、何か大規模なシステムの改革や、あるいは企業自体の合併などもっと大きな改革に立ち会って、そこで頑張って力を発揮したことだった。

かりに情報システム部長職というのが、ユーザ企業におけるITエンジニアの到達点だとしよう。この点にたどりつける人は、たまたま大規模システムの作り直しや、業務改革の波にぶつかった人だ。その中で業務の知識も得たし、開発プロジェクト・マネジメントの全体像も実感をもって身につけることができた。ユーザと交渉し押し切ったこともあろう。だが、そうした大きな変革は、毎年ある訳じゃない。ふつうは、よくて5〜7年に一度という程度ではないだろうか。 10年に一度かもしれない。では、そういう「大波」に立ち会えなかった技術者達はどうしたらいいのか?

これが米国のように、IT技術者の流動性の高い社会ならば話は別だ。米国は日本よりもずっと内製志向が高いが、そのかわりIT分野はエンジニアの転職も多い。昨年わたしはボストンでPMとアナリストのカンファレンスに出席したが、そこで話した感じでは、3,4回の転職歴の持ち主はザラだ。大きなプロジェクトがあると会社は人を集める。それが終わると、また機会を求めて別の職場に移っていく。こうして、しょっちゅう業務システムをつくる技術と経験を得る、という感じだ。だが、日本でITエンジニアだけ急に転職市場が増えるとは、考えにくい。

議論を聞いているうちに、わたしは、ユーザ企業の側がなんだか無い物ねだりをしているような気がしてきた。ユーザ企業はIT技術を活用して、社内業務を改善したり、あたらしい市場へのリーチを広げたりしたい。それはいいのだが、じゃあ業務を改善する主役となるのは、情報システム部門のITエンジニアであるのか、それとも業務部門側のユーザであるべきなのか? ユーザ側で業務に詳しい人のことを、SME (Subject Matter Expert)とIT分野では呼んだりする。つまり業務エキスパートである。業務をイノベーションし、新しい業務を設計するのは、ユーザ側の業務エキスパートなのか、ITエンジニアなのか? 本当はユーザ側がイノベーションをリードし、IT側がサポートする、というのが正しい姿ではないだろうか?

これは、逆の面から考えてみると分かりやすい。つまり、改革後の新しい業務システムができあがったとき、そのシステムのオーナーシップは誰が持つべきか、という視点である。それはユーザ側であるべきだと、わたしは思う。情シス側がオーナーシップを持つのはおかしい。新しい家を建てたら、所有者は住民である。まさか建築家がオーナーにはならない。その新しい家が、住む上でまだ不都合だったら、補修や改良工事もする必要がある。その判断は、オーナーである住人がするべきだ。工事にかかるお金と、その改良で得られる便益を比べて、判断するのだ。これを工務店の側がやったらおかしい。

である以上、わたしは情報システム部門のエンジニアが、IT技術のプロとして控えめであることは、けっしておかしな姿だとは思わない。建築家だって弁護士だって医師だって、優秀な人はむしろ謙虚で控えめではないか。ただしプロとして主張すべきことは、断固として主張する。筋がおかしいことは指摘する。でも、「あんたは住み方をこう変えるべきだ」なんて押しつけがましいことは言わない。

業務を変える視点を持つべきなのは、むしろ業務ユーザ側の人間なのである。彼らが、このご時世、最新のIT技術を使えばもっと効率の良い、あるいはイノベーティブな業務の仕方に変えられるはずだ、と発想し、リードしていくのが、本来の正常な姿ではないか。違うだろうか?

今のIT技術者への期待論を見ていると、まるで建築士に、「何でも良いからカッコいい家を作ってよ」とそっくりかえって言い放つ住人の姿のようだ。自分がどんな暮らしをしたいのかも言えないくせに、提案だけを求める。そして、出てきた図面を見ると、「こんな値段じゃ高すぎるよ!」と、必ず文句をつける。そんな施主ばかりだから、日本には良い建築が増えないのだ。いや、話題がそれた。

こうした視点から見ると、わたし達の社会では、むしろユーザ側におけるITの教育が不足しているように思われる。まあ、ユーザ全員がITに詳しくなる必要はない。ただ、10人に一人で良いから、IT的なセンスのあるユーザがいた方が絶対、組織にとって有用なはずである。

ここでいう「IT的なセンス」とは、別段パソコンに詳しいとか、Excelのマクロが器用にかける、といったことは意味していない。むしろ、システムで得られるデータの分析と問題抽出、解決の仕組みのデザイン、要件の確定、といった能力が肝要なはずである。

こう考えてみた結果、ユーザ側の(仮称)『ITイノベーター』に必要なスキルと能力は、大きく分けて6つのエリアからなるのではないかと、今のわたしは思っている。それは以下のようなものだ。
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1. 要件定義(業務デザイン)の能力

業務フローを理解・作成し、ありたい姿を構想できる設計能力。これが第一だ。さらにいえば、データ処理機能の理解や、コード(ナンバリング)設計のセンスまでカバーできれば、もっといい。ユーザ側はいろいろな業務要求をもっているものだが、その「要求の品質」を確保する能力が大事である。そのためには、短期・中長期な要求をバランスさせ、部門・全体の両方の視点から、考えなくてはならない。

2. システムのもたらす価値評価の能力

情報システムがもたらす価値を評価できる能力が、ユーザには絶対に必要だ。これは、結局オーナーシップをもつのがユーザ側だからである。その価値が、ウン千万円の開発投資や運用コストに見合うかどうかを判断し、経営層にアピールするのもユーザ側である。ITコストを見積もる作業は、ITエンジニア側の仕事だ。ただITコストの概算感覚とか、開発スケジュールの推定感覚とかがあると、もっと素晴らしい。

3. 開発プロセスにおけるユーザ側リーディング能力

開発プロジェクトは山あり谷ありである。その間、ユーザ側の代表として、他のユーザを引っ張ってもらわなければならない。そのためには、開発プロセスへの基本的な理解や、ユーザ・インタフェースの構想・デザイン案の評価能力が、どうしても必要である。

4. 業務へのシステム展開とチェンジ・マネジメントの能力

まさにこの部分こそ、情シス部門のITエンジニアにはできない仕事である。「チェンジ・マネジメント」自体はかなり広い概念だが、新業務運用のための組織化や、新業務手順のマニュアル作成などは、その仕事の一部になる。むろん、ユーザへの教育トレーニング実施もリードしてもらわなくてはならない。

5. データ分析・活用能力

情報システムには、すぐに膨大なデータが蓄積されていく。このデータは(今時のバズワードであるビッグなんとかを持ち出さないまでも)「宝の山」であるはずだ。そのデータを集計し、傾向分析する能力は、ユーザ側においてとても大切である。手法としてはExcelの散布図だって、十分なケースが多い。だが、「データを読む目」はもってほしい。そして、その中から、さらなる改善課題を抽出したいのである。

6. 共通能力

これはユーザ側だけに限ったことではないが、自社の経営戦略・事業戦略の理解、デザイン思考、問題解決力、そして説得力・交渉力などは、誰にも必要なスキルである。


こうしたことを、従来ITエンジニアばかりに要求し、ユーザ側には「日々の業務多忙に埋没」を許してきたことこそ、多くの組織が今日直面している問題の根底にあるのだ・・といったら大げさに過ぎるだろうか。だが、「ITをテコにした業務の改良・改革」は、ユーザ側のITセンスを持ったイノベーターと、IT部門側でプロの経験と力量をもったパートナーとの、二人三脚の仕事であるべきだと、わたしは信ずるようになった。

だから問題なのは「情シス部門の人材の育成」だけではない。むしろ、「ユーザ部門におけるITイノベーターの育成」こそ急務なのではないか。はやく適性のある者を選んで、スキルや技術を身につけさせていかないと、組織が環境変化についていけなくなってしまう。もっとも育成と言っても、世を見渡した限り、あいにくIT分野では情報技術者向けの育成カリキュラムしか、研修セミナーでも書店でも見当たらない。どこか先進的な大学かどこかが、ユーザ部門のIT能力向上のコースを開発してくれないものかと、切に願っている次第である。なければ、いっそ世に浄財を求めて自分で私塾でもつくろうか(^^)

<関連エントリ>
 →「品質とは(本当は)何だろうか - (2) 応答」 (2012-04-24)
by Tomoichi_Sato | 2016-03-06 22:04 | ビジネス | Comments(0)