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お知らせ:雑誌「リスクマネジメントTODAY」に新国立競技場問題の記事を執筆しました

財団法人リスクマネジメント協会の発行する月刊誌「リスクマネジメントTODAY」 11月号に、

 『プログラムマネジメントで競技場問題の混乱を解く ~ ロンドンにあって東京になかった成功要件』

という記事を執筆しました。

新国立競技場の建設プロジェクトは周知の通り迷走を続けた後に、リセットとなった訳です。
この問題に対し、第三者委員会の検証報告書など公表された情報を元に、わたしがプロジェクト・アナリストとして分析した論文です。ロンドン・オリンピックにおける英国政府の取り組みなどと比較しつつ、この問題の根幹には、じつはプロジェクト・マネジメントの上位概念であるプログラム・マネジメントの不在がある、ということを論証します。

ご注目ください。
by Tomoichi_Sato | 2015-10-31 10:33 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

プロジェクトにおけるスケジュールと費用のトレードオフを考える

9月にスケジューリング学会で「プロジェクトにおけるスケジュールと費用のトレードオフを考える」というタイトルの講演発表を行った。わたしがこの何年間か個人的に続けている『リスク基準プロジェクト価値』(Risk-based project value = RPV)分析の手法を用いて、スケジュール・リスクのコスト化という問題に初めてくさびを打ち込んだ研究の発表である。サイトに書くにはやや理屈っぽい話であるが、小さな学会でもあったので、ここにその要旨を(数式は極力飛ばして)再録する。
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日揮株式会社の佐藤です。本日は「プロジェクトにおけるスケジュールと費用のトレードオフを考える」というタイトルで発表させていただきます。

皆さん、ちょっとこういう問題を考えてみてください。皆さんはあるプロジェクトのプロマネです。このプロジェクトは全体納期に対して、1日10万円の遅延ペナルティがかかっています。さて、このプロジェクトの中に外注製作のactivityがあり、A社に発注すると製作納期は45日です。他方、これに並行して内製の作業があり、そちらがクリティカル・パスとなっているため、この外注製作activityにはフロート(日程上の余裕)が18日あります。さて、ここにB社が現れ、納期は60日かかるけれども 金額はX円お安くできます、との提案をしてきました。この場合、フロートは3日間に減ります。皆さんなら、どちらを選びますか?

どちらを選んでも、プロジェクトの全体期間に影響はありません。である以上、差額がたとえ1円でも、B社を選ぶのが合理的だ、というのが従来のクリティカル・パス法(Critical Path Method = CPM)の考え方でした。しかし、わたしならそうしません。差額が20万や30万円なら、A社のままにするでしょう。たぶん多くの実務家もそうすると思います。でも、なぜそう判断するのか?

考えられる説明は二つです。佐藤の頭がおかしくて、合理的な結論が理解できない(笑)のか 、さもなくば従来のPERT/CPMの論理に、何か欠けている部分があるのです。

コストとスケジュールは、プロジェクトのパフォーマンスを測る主要な二大指標です。プロマネはコスト節約、スケジュール短縮のため様々な努力をはらいます。しかし両者の間にトレードオフが生じた場合、いずれを優先すべきかは難問でした。コストとスケジュールは独立な指標で、互いを関係づける定量的で適切な方法がなかったためです。かりに納期ペナルティが設定されている場合でも、個別activityのレベルでの意思決定は簡単ではありません。CPMでいうフロートの存在のためです。先ほどのケースの場合、差額がいくらならB社の選択が合理的になるのか。これは、Activity期間短縮に見合うコストは一般にどう決めるか、ないし「スケジュール・フロートは1日いくらの価値があるのか」という問題であります。

本研究では、この問題に理論的な解決を与えます。


1 リスク基準プロジェクト価値(RPV)の導入

先ほどの問題で、実務家がB社を選びたくなるのは、A社だとフロートがわずか3日しかなく、全体スケジュールが延びるリスクが高まるからです。つまりこの問題の分析には、リスク概念の導入が必要になるのです。

わたしは以前より、『リスク基準プロジェクト価値』(Risk-based project value=RPV)という評価尺度を提案しております。RPVはプロジェクトの任意の時点において、すでに達成したキャッシュフローと、将来のキャッシュフローの期待値との合計で表されます。ただし将来キャッシュフローの期待値は、それが実現されないリスク確率で割り引いて求めます。プロジェクト開始時点のRPVは計画段階のプロジェクト価値を表し、プロジェクトの進行とともに通常はRPVは増大していくことが証明できます。(注:詳細は佐藤知一著「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」静岡学術出版(2013)を参照のこと)

今、単一のactivityからなるプロジェクトを考えます。Activityの開始時に費用Cを投下し、完了時に収入Sを得るとします。また、このactivityは最短でTmin(日)で完了できると考えられます。だが現実にはばらつきがあり、その期間Tは確率分布p(T)にしたがい、期待値はTavg(日) だとします。このとき、プロジェクトの納期がTminより1日遅れるごとにL円のペナルティがかかると、計画時点でのリスク基準プロジェクト価値は次式の通りになります。

RPV = S - C - L(Tavg - Tmin)  ・・・・・・式(1)

したがって、ある施策がp(T)を変化させてTavgを△Tだけ短縮するが、コストがX円かかるとすると、その施策が合理的となるのは

L△T > X ・・・・・・式(2)

となる場合です。

たとえば最短期間Tminが30日で、平均期間Tavg=45日なら、もし1日のペナルティが10万円の場合、10 (45 - 30) = 150万円の納期ペナルティを覚悟している訳です。ここで、30万円の追加コストをかけて平均期間Tavgを40日に短縮できる施策があったら、10 (45 - 40) > 30 ですから、その施策は見合うのです。ここまでは自明でしょう。


2 期間短縮とInverse Floatの概念

次に、このactivityにもう1本の並行activity #2が存在し、確定した期間T2を持つ場合を考えます。Tavg > T2の場合、activity #2は、Tavg– T2(日)のフロート を持ちます。たとえばT2 = 36日だったとしましょう。すると45 - 36 = 9日のフロートがある訳です。ただし元のactivity #1がかりに最短期間Tmin(30日)で完了できたとしても、プロジェクト全体期間はactivity #2がつっかい棒のように邪魔をするため、T2(36日)よりは短くなりません。一般に並行するactivityが存在する場合、クリティカル・パス上のactivityの期間短縮がプロジェクト全体期間に与える影響には、限界があるのです。
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図 1: 2個のActivityからなるプロジェクト

さて、米国のPMコンサルタントであるSteven Devaux氏は、スケジューリング問題の分析のためにCritical Path Drag (CP Drag)という尺度を提案しました(「納期が延びる要因を指標化する - スケジュールのDRAGとはどんな尺度か」、または Devaux: "Total Project Control" Revised Edition. CRC Press, 2015参照)。これは、「あるactivityの期間がゼロになった時の、プロジェクト全体の工期短縮値」で定義される量です。CP Dragはcritical activityでは正の値だが、non-critical activityは0になります。

これを応用して、activityのスケジュール短縮効果に関する新しい尺度を提案したいと思います。これは、「あるactivityの期間が最短値Tminになった時の、プロジェクト全体期間の変化」で定義される日数です。ある意味でフロートの反対概念ですから、Inverse Floatと呼び、以下、記号IFで表現します。ちなみにフロートとは「プロジェクト全体期間に影響しない範囲でとれるactivity期間の最大値」です。

IFは0か負の値をとります。Non-critical activityのIFは0です(短縮しても全体期間に影響しないため)。Critical activityの場合、Tminで実行できたならプロジェクト全体期間は通常、Tavg – Tmin だけ短くなります。ですが、もし並行activityが存在し、そのフロート値がTavg – Tminよりも小さい場合は、そちらが新たにcritical pathとなるため、全体期間はそれ以上短縮されません。

Inverse floatは、それ単体でもスケジューリングの実務において有用です。たとえば、プロジェクト全体の納期を早めるために、critical pathを構成する各activityの期間短縮を考えるときは、まず各activityのIFを求めた上で、その値の大きなものから検討すべきです。

たとえば、あるcritical activityはTavg = 10週、かつTmin = 5週で、並行activityは2週のフロートを持っていたとします。このactivityに万全のリスク対策を施して5週まで短縮しても、critical pathは並行activityの側に移ってしまい、3週分の短縮努力は実りません。このactivityのIFは-2週ですから、2週以上の短縮効果は得られないことは明白です。IFを計算すれば、ムダな短縮の努力を避けることができます。

Activity iの短縮が全体期間に与える限界値がIF(i)ですから、Maximum potential gain: Gmax(i)を次式で定義できます。

 Gmax(i) = – L・IF(i) ・・・・・・式(3)

ある施策がX円かかり、それがactivity iの期間を△T(>-IF)だけ短縮しても、もし

Gmax(i) < X ・・・・・・式(4)

が成り立つ場合、その選択は合理的ではないと判断できます。Gmax(i)はこの問題に一種の十分条件を与えるのです。


3 Potential Assistの概念

図2の事例に戻ります。このケースではactivity #1のIF = T2 –Tavgです。このときRPVを計算すると(数式は略す)、単一activityのRPVより減少することが分かります。すなわち、フロートを持つ並行activityを追加すると、全体期間に直接の影響はなくても、期間短縮の可能性を最大–IFだけ阻害し、プロジェクトの収益期待値RPVを下げる場合があるのです。

逆にactivity #2に追加費用をかけることで期間をT2 < Tminまで短縮できれば、RPVを元の値まで増大できる。これをPotential assist (PA)と呼ぶことにします。

今、T2 = Tmin + yとし、Potential assistをyの関数としてPG(y)の形で表すと、これはクリティカル・パスに並行するactivityがフロートをx日消費する潜在的コストを表します。したがって、追加コストX円により、そのactivityの期間をy日短縮する(フロートをy日増大する)施策があるとしたら、

 X < PA(y) ・・・・・・式(5)

が成り立てば、その選択は合理的となると判断できます。

(講演発表ではこの後、具体的なactivity期間の分布形について、PERTで用いられるベータ分布の場合について検討した。β分布はa, bの二つのパラメータで規定されるが、PERTでは a + b = 6 という仮定があるため、実質的にはaの値のみで分布系が決まる。S=3, C=1, L=2としてRPVを計算し、並行activityの期間短縮によるRPV増分値を示したのが図2である。たとえばa=2の分布系で、並行activityが0.33だけ短縮すれば(これは最初にあげた60日→45日にほぼ相当する)、プロジェクトの収益期待値RPVは0.15ほど増大する。これが期間短縮のためのコスト増を合理化できる必要条件を与える訳だ。)
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以上が講演の要旨である。はっきり言って、現時点ではまだこの奥の深い問題のとば口に立ったばかりで、解決すべき事柄は多い。しかし一つの手がかりは得られたように思う。それはコストとスケジュールが、意外にもリスクという因子を通じて互いに関係し合っているという視点である。できればこの問題に関心を持つ同士が現れて、ぜひ互いに発展させていきたいと願っている。

というのも、(この学会の後で、ある大学教授が言われたことだが)日本にプロジェクト・マネジメントの本格的な研究者は非常に少ないからである。そのことは、日本発で国際的に通用するPM研究論文数の少なさを見ればよく分かる。たしかにPMPの資格取得者は多く、関連学会や団体も一応それなりに賑わっている。しかし、よその誰かが作ったPM標準を勉強することと、自分なりにものを考えて筋道を作っていくのとは別のことである。すでに大勢が踏みならした道を歩いて行くのと、沃野に道を切り開く違いといってもいい。

日本にはプロジェクト・マネジメント学科を標榜した大学が、学部レベルでは未だに私学の千葉工業大学1校しかない。しかし隣の中国には修士課程(MPM)が最高学部の北京大学、清華大学以下150大学くらいある。欧米でのPM博士課程にも他のアジア人学生はよく見かけるし、研究論文も多い。はたして物づくりニッポンは本当にこのような状態のまま、
 「マネジメントは人だよ、人。」
 「リーダーをどう育てるかだ」
 「プロジェクトの現場は理屈では割り切れない」
などと言い続けていて、大丈夫なのだろうか? たしかにプロジェクトは人が動かすものだ。人が理屈だけで動かないことも確かだ。だが、マネジメントを客観的に計量化し、予測可能性を高める仕組みも一方では必要なのだ。それは、プロジェクト・マネジメントという普遍的な仕事を、リーダーの資質というただ一点に委ねず、誰でも一定レベルで遂行できるようにするためである。

つまり、マネジメントの『技術』のためには、マネジメントの『科学』がなければいけないということだ。わたしはこの科学が理系に属するのか文系に属するのかは知らない(「文系・理系」などという日本にしか存在しない分類には正直、興味がない)。わたしが知っているのは、この種の科学は未来に属しているということだけである。
by Tomoichi_Sato | 2015-10-26 07:19 | プロジェクト・マネジメント | Comments(3)

書評:「アラブの春」の正体 重信メイ・著

「アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命 (角川oneテーマ21) 重信メイ・著 (Amazon.com)

2010年12月初旬、わたしは『日本アラブ経済フォーラム』に出席するため、北アフリカの地中海岸の都市、チュニスにいた。2年に一度開かれるそのフォーラムは、日本とアラブ諸国が経済協力のあり方を話し合う場で、その時は日本から外相・経産相をはじめ高級官僚、経団連の委員など、総勢200名以上の参加者があったはずだ。アラブ諸国からもそれ以上の参加者があった。

チュニジアの首都チュニスは、対岸のシチリアにも少し似て風光明媚な街であった。わたし達は、美しい景色やカルタゴの遺跡とともに、治安の良さとイスラム色の薄さにも驚いた。石油の出ないチュニジアは観光と製造業に力を入れており、欧米からの旅行客を呼び込むために、非常に努力してきたとのことだ。金曜日のモスク礼拝が信者の義務であるイスラム社会であるにもかかわらず、土曜と日曜が休日なのもその一つだ(他のアラブ社会では木金か金土を休む)。また、若い男女が連れ立って、夜の街をデートして歩いている。隣国のアルジェリアから来た同僚は、信じられないという面持ちで見ていた。

ただしチュニジアの治安の良さには、負の面もあった。噂では、あの小さな国に、ドイツに匹敵する数の警官がおり、多くは私服として国民を監視しているという。また世俗的で開放的な政策をずっと推進してきたベン・アリ大統領は23年間もその座にあり、親族の汚職の話題も絶えない。

しかし、あの会議に集まった数百人の参加者のうち、チュニジアでそのわずか半月後、一人の青年の焼身自殺をきっかけに国民的な反政府運動が国中に沸き立ち、ベン・アリ政権が崩壊することになるとは予想しなかったに違いない。それどころか、その運動が他のアラブ諸国に飛び火して、『アラブの春』と呼ばれる現象になるとは、たぶん誰一人として想像できなかっただろう。

本書は、日本とレバノンを活動拠点として活躍するジャーナリスト・重信メイが、チュニジアの「ジャスミン革命」が始まって2年後の2012年10月に書いた解説書である。まだ現在進行中の出来事を扱っているため、すでに今日と状況が変わっている部分もある。たとえばエジプトはムバラク大統領が失脚し、当時はイスラム同胞団のモルシ大統領政権だったが、その後周知の通り軍のクーデターが起きてモルシは拘束された。イエメンはサウジアラビアが空爆を行い、リビアはカダフィの死後、事実上の分裂状態が続いている。また「イスラム国」ISの記載もない。

とはいえ、日本人にとって分かりにくい「アラブの春」の一連の動きについて、著者はアラビア語の現地報道などに即して、手際よく見取り図をまとめている。国別に状況は多様であるが、著者の意図をくみつつ、わたしが理解したのは以下の点である。

(1) 「アラブの春」という共通現象は存在しない。それは実はキャンペーンの名前である

(2) そのキャンペーンは、主に欧米の大手メディアが喧伝しているが、中心にいたのはカタールの放送局アル・ジャジーラであった

(3) チュニジアの革命は、どんなに長く続いた独裁体制も、意外に脆い事実を近隣諸国に示した

(4) 近隣諸国の住民たちは、長く続く政権の腐敗(それが王政であれ共和政体であれ、また親米国であれ反米国であれ)に抗議の声を上げるようになった。その運動にはイスラム同胞団など原理主義傾向の強い団体も荷担した。エジプトはその典型である。

(5) 利権を持つ欧米諸国は、危機感を抱いた一部のアラブ諸国と手を携えて、自分たちと利害の反する国の指導者を放逐する活動をはじめた。それを民主化革命の応援であると位置づけ、「アラブの春」の名を利用した。これがリビアのカダフィや、シリアのアサド、そしてイエメンのサレハに対して実際に起こったことである。


著者の重信メイは、日本人の母とパレスチナ人との父の間で1973年に、レバノンのベイルートで生まれた。ベイルートのアメリカン大学を卒業後、2001年に日本国籍を取得、同志社大学メディア学専攻の博士課程を修了し、ジャーナリストとして活躍している。ちなみに母は日本赤軍のリーダーとして有名な重信房子であるが、著者自身は極左ではないし、頑迷な反米思想の持ち主でもない。むろん、独裁政権の腐敗を嫌う程度にはリベラルといえるが、本書も極力、ジャーナリスト的に中立な立場で書かれている。

中東およびアラブ諸国の現象が分かりにくいのは、元々は言語・宗教・風習を共有する一つの広大な地域だったところに、現代的な「主権国家」概念を無理に持ち込んで、国境線で分断したためである。この分断にあたって、欧米諸国の利害と、首長達の思惑が重なり合ったことが、問題を複雑にしている。またイスラム教もわたしたちの文化からは遠く、なじみがない。だが、そういいいながら、わたし達の社会は、この地域から産出される化石燃料に多くを依存している。

そして、(たいていの日本人は気づいていないのだが)中東社会の多くの人は、日本人に親近感と期待を抱いている。どういう期待か? それは欧米の旧宗主国とは違い、妙な利権も軍事的利害関係も持たぬ中立な近代国に対する期待である。わたしは請負業者としてあの地域を多少旅したことがある程度だが、それでも、そうした期待を肌身で感じたことが何度かある。そしてわたしの商売は、あの地域が平和でないと成り立たない商売でもある。

自分の商売の利得のために、他国の平和を願うというのは、さほど立派な話ではないが、利益のために他国の戦争を望むよりはマシであろう。ただ、わたし達が具体的に、この地域に貢献できることは少ない。その少ないことの一つが、現地をよく知るジャーナリストの報告を読み、より多角的・複眼的に中東を理解しようと試みることである。リビアが直接民主主義をとる高福祉社会だったとか、エジプトでは軍が金融機関を持ち自分で商売していたとか、サウジにはいまだに奴隷制に似た制度が残っているとか、初めて知る意外な事実に本書は満ちている。

2015年度のノーベル平和賞はチュニジアの「カルテット」(国民対話のための4者委員会)が受賞した。この受賞を予期していた日本人は、外交の専門家でも多くはなかったに違いない。わたし達が自分の頭の中の地球儀の歪みを直すためにも、もっとこうした書は読まれていいと思う。
by Tomoichi_Sato | 2015-10-21 19:08 | 書評 | Comments(0)

忙しすぎる人のための手短な処方箋

「なんで1日は24時間しかないんだろう?」とはじめて思ったのは、大学3年生の秋だった。

朝から昼過ぎまでは授業。その後、ほぼ毎日、学生実験。なんとか夕方までに片付けると、すかさずサークルのあるキャンパスに移動する。それからサークルでイベントの準備。毎日9時ぐらいまでかかっていただろうか。それから外食して家に帰る。家までは片道1時間半だ。帰宅してから、実験のレポート作成。化学工学の実験は、数字の計算量が半端でなく多い。だいたい寝るのは2時半か3時だった。そして翌朝6時半に起きる。これが毎日だ。今からは信じられないだろうが、当時の学校はすべて週休1日が当たり前で、土曜日も授業があった。

「ああ、1日が30時間、いやせめて27時間あれば、あと3時間は余計に眠れるのに」と切実に思った。そんな生活リズムは初めてだったから、まず胃腸がぶっ壊れた。昔から睡眠不足に弱いのだ。

そんな学生時代の自分に、誰かが「忙しさを脱したいなら、1日あと15分間余計に差し出せ」などとアドバイスしてきたら。きっと怒髪天を衝く勢いで怒っただろうな(ついでにいうと、昔から短気なのだ)。

1日15分間、余計に差し出して、何に使うのか。答えは、「日誌To Doリストに使う」のである。一日のはじめにTo Doリストを見直して、その日の予定とやらなければならない宿題(タスク)を確認する。タスクはたいてい複数あって溜まっていたりするから、その中の優先順位の高いものを選び出して作業時間を割り当てる。そして1日が終わったら、To Doリストから終わったタスクを消去し、新たに生じたタスクを追加する。そして1日をふりかえって簡潔に日誌に記録する。計画に5分、振り返りと記録に10分。だいたい15分あれば終わる。

わたしはこれまで、To Doリストと日誌の習慣づけを、全ての人に勧めてきた。「時間管理術 (日経文庫)」にも書いたし、このサイトでも何度か書いてきたと思う。大学の講義でも、繰り返し説いてきた。

だが、実行に移す人は、決して多くない。なぜだろうか? その理由には心理的なものと、技術的なものがあると思う。

まず、心理的な障害の面からいこう。なぜやる気にならないのか。答えはたぶん、簡単である。「忙しすぎて、そんなことしてる時間なんてない」であろう。『ふりかえり』の時間? とんでもない。今でさえ寝る暇もないのに、この上そんな役にも立たないことなんて、やってられるか! 振り返って反省したら、何か一つでも目の前の仕事は片付くとでも言うのかよ。単に余計な手間が増えるだけだ。計画と優先順位? 計画通りに仕事が進んだら、誰も苦労しねえよ。優先順位なんぞ、中学生じゃあるまいし、頭ん中でその場その場で決めてらぁ。

人が、「忙しすぎてXXなんかできません」というとき、もちろんそれは事実なのだろうが、でも実はその裏に隠された意味があるのが不通だ。それは、「そんなXXなんて自分にとって優先順位が低いので、する気になれません」という意味である。投入する労力に比べて得られる効果が期待できないと思うとき、優先度は低くなる。たいていの人間はバカではないので、自分の中で無意識に優先度を決めている。息をすることを忘れる人間はいないし、飲食だってまず忘れない。睡眠は多少は優先度を下げられるが、最後になると強制的に襲ってくる。そういう部分には、「本能」というファームウェアが強力なフックをかけているからだ。

起きている間に、自分が意思の力で決めることのできる活動にも、人は様々な優先順位のフィルターをかけている。たとえば
「面白い仕事を、つまらない(やりがいのない)仕事より優先する」
「期限が近い作業を、まだ期限が遠い作業より優先する」
「命令した人の地位が高いものほど優先する」(課長より常務に言われたことを先にする)
「自分の人事評価に直結する作業を、評価に関係ない作業より優先させる」
などがそれだ。

そのフィルターの一つに、「直接作業を間接作業よりも優先させる」がある。直接作業とは、具体的な成果物につながる(もっとわかりやすくいえばお金に直結する)仕事だ。たとえば見積書を作るとか、部品加工を外注するとか、顧客にプレゼンするとかだ。他方、間接作業とは、お金にはすぐは結びつかない仕事だ。タイムシートをつけるとか、出張報告を書くとか、ファイルを整理するとか。そして「To Doリストを維持したり日誌をつけたり」する行為も、このカテゴリーに入る。

こうした間接作業は、心理的に優先度を下げられがちなのを会社も知っている。だからルールで規定したり、お金に結びつけたり(「タイムシートを記入しないと月給が出ないわよ)して、強制する。

ちなみに会社全体で見れば、稼ぎに結びつく直接業務を主に受け持つのは、営業とか製造とか購買などの部門である(「ライン部門」と呼ばれる)。他方、コストを使うだけで稼がない間接業務を主に受け持つのは、たとえば総務とか研究開発とか情報システムといった部門である(「スタッフ部門」と呼ぶ) 。そして多くの企業では、ライン部門の方がスタッフ部門よりも発言権が大きい。出世コースに乗りやすいのはライン部門だし、不況になると真っ先に削減対象となるのはスタッフ部門だ。

そのような序列感覚に不満を持つ人も、スタッフ部門には多い。たしかに直接お金を稼ぐ仕事ではないが、将来の種まきのために投資したり、職場の仕組みや環境を維持・向上することで、間接的に収益アップに貢献している。だから同じように大切なのだ、と。

もしそんな不満を持つ間接部門の人たち、たとえば情報システム部門に働くITエンジニアが、自分自身の中では直接作業ばかりを優先させて、To Doリストや日誌のような「計画や段取りや振り返りみたいな間接作業なんかムダ」と思っているとしたら、それは自己矛盾というものだろう。

もう少し言うならば、直接作業と間接作業は、価値創出に短期的に貢献するか、中長期的に貢献するか、の違いとみることもできる。研究開発も、サーバのお守りも、それがなければ中長期的に会社のパフォーマンスが下がっていくのだから。目先の短期的な収益ばかりでなく、中長期的な成長のために先行投資や出費も辞さない姿勢こそ、良きマネジメントではないか。多くの人は、そう望んでいる。ならば、それを自己管理にも求めるべきだろう。

もっとも、殆どの人は、そもそも『時間管理』という独立したスキルが存在することを知らない。そして、管理の第一歩は記録をつけて現状を客観的に知ることだ、という初歩を知らない。ダイエットしたい人は体重を計って記録する。お金を貯めたい人は家計簿をつけて出費を記録する。時間も同じである。自分の時間の使い方も正確に知らないで、時間管理の第二歩目を踏み出せるわけがない。ちなみに第二歩目とは、「計画を立てる」だ。To Doリストはそのための道具で、とくに「失念による混乱」を防ぐのに有効だ。そうした習慣化を組織ぐるみで実践することこそ、わたしの言う『チャレンジのOS』確立への道である。

とはいえ、わたしのサイトを読みに来るような方は、こうした事は先刻ご承知だろう。そこで、少しテクニカルな話をしよう。To Doリストも日誌もトライした。だが続かずに挫折してしまった。そんな悩みをもつ人向けの処方箋だ。

To Doリストには二種類のタイプがある。追記型と転記型である。追記型とは、一つのリストにどんどんタスクを追記していく。終わったら二重線を引いて消す (あるいはチェックマークを入れる)。これを続けるタイプだ。リスト全体は次第にどんどんと膨らんでいく。わたしの勤務先の先輩方は、紙のノートにこれをつけている人が多かった。長いプロジェクトだと、ノートが2冊にも、3冊にもなっていく。

しかし、終わらないタスクは元の場所にいつまでも残る。すると当然、残ったタスクはあちこちの頁に取り残されて、大海の中の小島のようになり、一望できなくなる。こうなると、その日のタスクの優先度を決めるのが難しくなってしまう。これが追記型の欠点だ。ただし、世にある多くのTo Doリスト用ソフトウェアは追記型だが、この欠点を補うために、完了したタスクは一定期間(たとえば翌日)になると表示から消えてしまうようにしている。たとえばasana.comなどはクラウド型としてはよくできたソフトだと思うが、この方式をとっている。

他方、転記型のTo Doリストとは、毎日が別々のセクション(ノートなら別の頁)になっている。その日が終わったら、完了したタスクは当然消す。しかし、その日に完了できなかったタスクは、次の日の欄に転記して、消してしまう。つまり一日の終わりには、その頁のタスクは全て消された状態になる。かくして残タスクは、つねに一望できる状態に保たれる。そのかわり転記作業自体は、ちょっとだけ面倒くさい。

わたしは長い間、HP 200LXというハンドヘルド・コンピュータのTo Doリスト用ソフトを使っていた。このソフトは本質的には追記型だが、見かけ上、転記型に見える工夫をもっていた。HP 200LXが動かなくなった後、ちょっとExcelで追記型をためしたが、その後、転記型にかえた。きっかけは、「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」(ダベンポート著)を読んだことだ。機知にあふれた本書の中で、彼女は転記型To Doリストを紹介していた。

わたしが転記型をすすめる理由は、二つある。まず、転記作業が「ふりかえり」「タスクの見直し」の契機になるためだ。

実を言うとTo Doリストが続かなくなる最大の理由は、見るのが嫌になるためだ。なぜ、嫌になるのか。それは、いつまでも同じタスクが、何日も何日も消えずに残っているからなのだ。そうした残るタスクは、作業量が大きすぎるか、気が重すぎるか、自分の力量には無理があるからである。やらなければ、と思う。しかしできない。こういう状態を1ヶ月以上も続けると、To Doリスト自体を見るのを無意識に忌避するようになる。

そんな時は、タスク自体を見直して、大きすぎる時にはサブタスクに分解するとか、重すぎる時は誰かにまずヘルプを頼むという予備タスクを追加する、とかいった工夫が必要だ。転記型の方が、確実に見直しやすい。転記という一手間がそれを促すのだ。

もう一つのメリットは、転記型To Doリストなら、毎日の実際の消費時間をその横に記録できることだ。そうすると日誌と連動しやすい。これは、追記型ではむずかしい。

わたしは現在、To Doリストに、タスクのみならず、その日の会議や外出や講習といったイベントもすべて記入するようにしている。まず、時間の決まっているイベントを順に並べる(自動的にソートする)。その間のあいている時間帯に、タスクを分散して、着手予定時間を決める。

このとき、大事なテクニックがもう一つだけある。それは、1日の勤務時間(たとえば8時間なり9時間なり)を、予定で埋め尽くさないということだ。仕事の種類にもよるが、たいていは予期しない割り込みや、会議の時間延長などが起きる。そこで、1~2時間程度の余裕時間(バッファー)をとっておく。1時間がいいのか2時間でも足りないかは人と仕事によるだろうが、しばらく繰り返すと体感で分かってくる。

そうして、一日の終わりには、To Doリストの予定作業の右に実際の消費時間を記入する。それを日誌にコピー&ペーストすると、日誌の基本部分はできあがってしまう。リストからは完了したタスクを消し、残ったタスクは翌日に転記する。日誌には、以前紹介したように、「その日のラッキーな出来事」を3件、書き加える。これで終わりである。ダベンポートはTo Doリストを紙のノートで運用しているが、一日終わったら、その頁に大きな×印を書いて消すという。そうすると、リラックスの脳内物質ドーパミンが「どっと分泌される」のだそうだ(笑)。

大学3年生の時のわたしに、こうした説明をしたら、分かってくれただろうか。さて、正直、難しいかもしれないと思う。1日に15分、確実に余計な作業が増える。目の前の仕事は減らない。その効用は何だと、理詰めでつめよってくるだろう。ある種の物事(とくに目に見えにくいマネジメント能力)は、自分で経験し体得してみないと分からないことが多い。To Doリストと日誌で、計画と振り返りのリズム(お好みならPDCAサイクルと呼んでもいいが)を作ることは、実は多忙を減らしはしない。ただ自分の日々の予見可能性を高めることで、「多忙感」を減らすのだ。

多忙の解決ではなく「多忙感」の解決。なんだ結局、心理面の話じゃないか、とお思いかもしれない。そう言っても、別にかまわない。時間管理の目的は、見えない外乱に振り回される日々ではなく、自分が自分の主人として「考える時間」を持つ日々を作ることにある。その『考える時間』こそ、大学3年生のわたしが渇望していたものだったのだから。

<関連エントリ>
 →「“仕事が面白くない”症候群とたたかう三つの方法」(2015-09-30)

 『チャレンジのOS』については、新著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書 ~グローバルなチャレンジを成功させるOSの作り方」 もご参照ください。
by Tomoichi_Sato | 2015-10-14 23:15 | 時間管理術 | Comments(0)

なぜ生産管理システムはちゃんと機能しないのか

ずいぶん刺激的なタイトルではある。まるで佐藤は、生産管理システムを作って販売している大手の全ITベンダーを敵に回しているようではないか。だが、趣旨はまったく逆である。生産管理システムを使おうとしているユーザ企業(つまり製造業)の無意識に持っている前提や期待が、現今の生産管理システムのよって立つロジックとかけ離れている点を指摘しよう、というのがねらいだ。そうして、もっとユーザが不満を持たずにちゃんとITツールを使いこなせるようにできたら、と思ってこの文章を書いている。

もっとも、こう書くと今度はユーザ側から、「滅多なことは言わないでくれ。ウチはちゃんと生産管理システムを使っているぞ」と反論されるかもしれない。とくに結構な金額のソフトウェアを購入した現場ほど、そうであろう。社長に導入効果を聞かれて、いや、まだうまく動いていませんとはまさか答えられない。

経営者の側だって同じである。「はい、当社は最新式のシステムを工場に入れましたので、これでコストダウンと在庫削減を確実にはかれます」と、外部に説明しているはずだ。多少まだ運用でごたごたしている部分はありますが、それは入れたばかりで現場が慣れていないからです。——こんな説明を社長が顧客や銀行にしている最中に、「いや、もう導入から半年もたっていますが、計画系の機能は使えてません」なんて、口を挟めるはずはない。

その通り、たいていの現場ではシステムは使えているし、使っているのだ。ただしそれは、伝票印刷システムとして、である。今日の多品種化した工場では、よほど零細規模でもない限り、手書き伝票だけで全部を回すことなど無理である。だから工場では、製造指示書も、購入伝票も、発注伝票も納品書も、全部プリントアウトされたものを使っているはずだ。

あるいは半期ごとの生産実績集計表(よく「管理帳票」と呼ばれている)もシステムから出てくるかもしれない。製造原価表だって、出しているところは少なくないと思う。つまり、管理系機能も使っているわけだ。もしかしたら、半期ごとの棚卸し伝票も出力してくるかもしれない。ここまでくれば上出来である。なぜなら、きちんと在庫管理機能まで使えていることの証明だからだ。指図系、管理系、原価系、そして在庫系機能——十分、使いこなしているではないか。だったらなぜ佐藤は、こんな喧嘩をふっかけるようなエントリを書いているのか。

なぜなら、それだけでは「ちゃんと」使えていることにならないからである。今日の主流の生産管理システムには、MRP(Material Requirement Planning = 資材所要量計画)と呼ばれるロジックが中核に組み込まれていて、それによって生産を最適化しようとの狙いで設計思想ができあがっている。生産の最適化とは何か。それは、最小の在庫で、納期遅れのない生産を実現し、なおかつ製造原価も最小に抑える、というものである。

そのような設計思想に合致した形でシステムを運用して、実際に「これこの通り、システムの指示するとおり作業を進めたおかげで、毎年みるみる在庫は減って工場内は倉庫もスカスカ、納期遵守率は99.7%で、かつ製造原価率も60%を切りました!」というなら、たしかに『ちゃんと使っている』。

だが、もしそうでないなら——つまり、実際の作業順序の指示や調整は人間系でやっていて、欠品は多いのに在庫品は通路まではみ出し、納期遅れが頻発、サプライヤーへの臨時督促も年中で、全員へとへとになるまで働いてるのに「ウチは高コスト体質でこまる」と営業や経営者に言われているのだとしたら。その場合、どこかで、何かがズレている訳だ。そのズレは、どこから来るのか。それは(工場外の連中が胸の中で思っているように)工場の従業員が無能だからか、それとも別に原因があるのか? という話なのである。あー、イントロが長い(^^;)。

MRPのロジックとは大まかに言えば、各製品ごとに、最終納期と納入数量と手持ち在庫量から逆算して、工程別の製造作業や材料購買の最適数量と着手タイミングとを決め、その生産スケジュールに従って指図書や発注書を発行して現場を動かす方式である。ロジックが具体的にどのようなものかは、すでに解説も書いたし、あるいは自著でも細かに説明しているので、そちらを参照してほしい。
 <関連エントリ> 「MRPとは何か」 (2008-05-15)
 <著書> 佐藤知一・山崎誠著「BOM/部品表入門
    佐藤知一著「革新的生産スケジューリング入門

では、MRPの計画系機能が使えないとは、どういう事象を言っているのか。簡単である。実行できない生産指示が出てくるのだ。たとえば、製造機械の能力ではとうてい処理しきれない量の指示が出る。あるいは、機械が故障で止まったのに指示が出てくる。さらに、サプライヤーからの納入予定が遅れていて(あるいは品質欠陥が出て)材料が欠品しているのに、作れという指示が出てくる。さらに、前工程の完了から次工程の着手指示までがひどく間延びした間隔になっていて、仕掛品の置き場にこまる、などなど。しかたなく、製造指示は伝票としては出しておくが、その着手タイミングは別途、人間が判断したりExcelで線を引いたりして決めなければならない・・では、なぜこのようなことが起きるのか?

イントロが長かったから、先に結論を言おう。多くの企業がMRPをベースとした生産管理システムを《ちゃんと》使えていないのは、実は工場の努力が足りないせいではない。納入したITベンダーが、仕事を間違えたからでもない。MRPの最適化ロジックの根幹を活用するための条件を、当の工場も、販売(営業)側も、そして経営者のブレーンであるはずの会計部門も、理解していないからである。もう少し言えば、MRPがよって立つロジックの背後にある前提条件と考え方が、今日の多くの国内製造業の期待と合わないからだ。(米国の製造業にはちゃんと合っていて、事実グローバルにMRPを使っている企業も多い)。

MRPのロジックの前提とは何か。それは、三つの原則からなる。

第一は、「バックワード・スケジューリングの原則」である。最終納期からさかのぼって(バックワードで)着手タイミングと正味所要量を計算する。これは納期遵守と、過剰在庫削減を目指したロジックだ。必要なモノを、必要なときに、必要な量だけ、生産する。いいかえるならばジャスト・イン・タイムである。

第二は、「経済的ロットまとめの原則」である。これは原価低減をめざしたロジックだ。経済ロットとは別名、Wilsonの経済ロット数量ともいう。機械にはどうしても品種切り替えに伴って、段取り替え作業が必要になる。これは1個作ろうが1000個作ろうが、同じロス時間(つまり切替コスト)が発生する。そういう意味では、1000個まとめて作った方が得なのだが、そのかわり1000個分の保管スペースのコストが大きくなる。そこで、切替コストと保管コストの合計が最小になるようなロットサイズで作るのが一番経済的だとわかる。これを計算するのがWilsonの経済ロット公式である。部品材料の調達においても、似たような関係が成立するので、経済的発注ロットで買うのがコスト最小となる計算だ。

そして第三の原則が、「計画生産の原則」なのである。製造業は計画ありき。計画性のある物作りが重要との考え方だ。作るモノが毎日猫の目のように変わるより、生産計画に従って粛々と準備し手配し作業する方が、生産効率は高まる。そこで、MRPの場合では、製品単位で期間別の生産数量を決める(これを基準生産計画:MPS = Master Production Scheduleとよぶ)。そして基準生産計画をきちんと守るよう、生産側と販売側が対等な協力をする。

さて、上記の三つの原則には、それぞれ裏面がある。バックワード・スケジューリングの着守備計算をするためには、各工程における「標準リードタイム」という固定値を設定しなければならない。この標準リードタイムを決める仕事は難物だ。なぜなら、リードタイムは作る数量や、その時点の工程の混み具合に依存するからだ。いや、その前に、製品から各部品の製造指示に展開するためには、部品表(BOM = Bill of Material)のマスタデータが、計画時点できちんと完備していなければならない。だが、細かなオプションや顧客の個別仕様がある製品は、受注時点では部品表が細部まで決まり切らない。

「経済的ロットまとめの原則」とは、いいかえるなら、必要最低限よりもたくさん作りだめする、という意味である。今月納期の注文が10個、来月納期の注文が10個あったとする。経済的ロットサイズが20個だったら、来月の分もまとめて作る。とうぜん、10個は1ヶ月間、在庫になる。「余計な在庫」ではないが(来月には出荷される)、棚を占有するのは事実だ。材料発注についても同様。

「計画生産の原則」の裏面とは、つまり特急の注文や割り込みには対応しない、という意味だ。MRPでは「計画のタイム・ホライズン」という考え方をする。これは、向こう2週間なら2週間、計画をフリーズ(固定)して、一切の追加変更を許さない、という期間だ。顧客が泣きつこうが脅そうが一切お断りする。また、計画外の突発的事象、たとえば機械の故障やサプライヤーの納期遅れによる欠品なども、考慮しない。計画サイクルが一巡したら、その期間内に完了できなかった製造指示や仕掛品リストを、次回の計画にとりこむ。このときやっと、「もう一度やり直せ」という指示が出るのである。

MRPのロジックにはこうした不都合があるのに、本家の米国では、なぜ動くのか。それは、MRPを運用するための知恵ないし習慣があるおかげだ。それは、まず長目の「タイム・バケット」設定だ。タイム・バケットとは計画における最小時間単位で、日でも週でも、あるいは時間でもいい。とにかく、そのバケットの中は均等とみなす。たとえば週次バケットの場合、月曜日にやろうが金曜日になろうが、区別しない。そこで、バケットを長目にとることで、生産量の特定日への集中を避けて平準化をはかるわけだ。故障が起きてもその間に直せばいい。リードタイム設定も、比例して長めになる。

アクション・メッセージも、もう一つの運用上の知恵である。たとえばサプライヤーからの納入遅れがあり、欠品が予測されるときには、「納入を1週間早めるように督促せよ」といったメッセージが、システムから自動的に出される。こうして計画と現実の乖離を防ぐわけだ。

そして、安全在庫の確保がある。もともと、ロジスティックスの補給線が長い大陸のアメリカ人は、欠品という事態を反射的に嫌う。そこで、たっぷりと安全在庫を持つ。これと、経済的ロットまとめとが相まって、工場内ではめったに欠品が起きないようになっているのだ。だから、BOMも細かな購入部品までは設定管理する必要はなくなる。

ところが、上記の前提は、日本企業ではほとんど無意識に否定される。保管コストの高い日本では、経済的ロットサイズはかなり小さくなるため、むしろ段取り替え時間の短縮が志向される。「在庫=ムダ」というドグマの浸透によって、安全在庫も極小化される。欠品が起きても、電話一本で翌日にはサプライヤーが持ってきてくれるのだ。

そして何より、数日間の短納期しか許さず、しかもつねに気が変わりやすい顧客の存在。これに追随することが、いつの間にか営業部門の至上命題になっている。また、目に見えるコストの計算には細かくこだわるくせに、そうした「臨機応変生産」が隠れたコストを生じていることには無頓着な会計部門の存在。かくして、わたし達の社会では、MRPベースの生産管理システムの計画系機能は「使えない」という烙印を押されることになる。

だが、それは「使えない」のではなく、「どんな使い方に向くのか、よく知らない」のである。
たとえていえば、アメリカ製のダンプカーか巨大トレーラーで、日本の街角の狭い小路をちょこちょこ運ぼうとするようなものだ。もちろん、うまくいくはずはない。もし宅配便のような小口搬送を時間指定でしたければ、トラックを小型に変えて(小ロット化)、回転半径を小さくし(段取り最小化)、かつ高精度なカーナビ(生産スケジューラ)を使うなどの工夫がいる。

じっさい、生産管理システムの計画系機能とは、車のカーナビのようなものである。自動車で移動する場合は、どういうルートを取るか、どんなスピードを出すかで、コスト(燃費)も納期(移動時間)もほぼ決まる。だから、いかに賢いルートを見つけるか、またルートから外れたり、交通規制がかかったりした際に、代替ルートをすぐ見つけられるか、がポイントになるのだ。

生産管理システムの、指示帳票系機能は、いわば車のハンドルやブレーキに相当する。たしかにこれがなければ車は運転できない。だが、一応運転できたからといって、人の判断が最善のルートである保証はない。また実績管理系機能は、車の走行キロを示すメーター類に相当する。あった方がもちろんいい。だが、それは過去を示すだけだ。これから先、どの道を通るべきかは教えてくれない。

ただ、MRPの計画系機能は、たしかに日本の現場要求から見ると、大ざっぱすぎる。なんだか新幹線の路線図を見ているようだ。GPSを積載した最新型のカーナビに相当するのは、先進的生産スケジューラ(APS = Advanced Planning & Scheduling)である。

そして日本は、幸いにもAsprovaFlexscheをはじめ、PC上で動作する優秀な生産スケジューラ製品がいくつもあって、世界のこの分野をリードしているのだ。もしMRPだけでは不便なら、車にカーナビを乗せるように、生産管理システムのパッケージに、生産スケジューラを組み合わせて使えばいい。ずっと目の細かい制御ができるようになる。むろん、そのためにはマスタデータの整備から、営業との納期回答の取り決めまで、いろいろと知恵を絞る必要はある。だが、すでにそこに道具立てはあるのだ。あと必要なのは、経営者の理解と、現場の勇気である。
by Tomoichi_Sato | 2015-10-07 07:20 | サプライチェーン | Comments(0)