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“仕事が面白くない”症候群とたたかう三つの方法

まず、絵をちょっとご覧いただきたい。モネの傑作「日傘を差す女」(1891年)である。
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陽光の降り注ぐ戸外に、すっと立つ若い女性を下からのアングルで描いている。青空と白い雲をバックに、白いドレスと青いスカーフの立像。背景と人物に同系色を使いながら描き分けて、全体にちょっとドラマチックな階調を生み出している点が、この画家の手腕だ。顔はわざと表情を描いていないので、登場人物の内なる情念ではなく、ただ光と風の中に立つ喜びだけが、肌身の感覚として伝わってくる。

ところで、足元の草をよく見てほしい。もし手元の端末で拡大可能なら、画像を大きくして見てみるとよく分かるが、全体として夏草のように見えながら、個々には赤や水色や紫や緑など、ずいぶん原色に近い色彩が、まちまちな形に、ほとんど粗っぽい筆遣いで置かれているだけだ。そして彼女の来ているドレスも、よく近寄って見ると、本当の白地はほとんどなくて、赤や青やその中間色が多彩に塗られていることが分かる。

それでも、普通の距離を置いて絵の前に立つと、ちゃんと白いドレスを着た女が草原の上にいるように見える。クローズアップして見ると、バラバラな原色なのに、カメラを引くと、ある色調があらわれる。このことを、モネという画家は意識して描いている。

ここで話は(例によって)飛ぶ。あれは入社して何年後のことだったろう。まだわたしが中堅と呼ばれるようになる前、ほんの駆け出しだったころだ。部の忘年会で、今年のふり返りや来年の抱負などを、皆が順番にしゃべっていた。そこでわたしは、「来年はまた面白い仕事がしたい」と言ったのだ。面白い仕事。それは、2、3年に一度くらいはめぐってくるはずだ。わたしはその時、そう考えていた。前回の面白い仕事から、もうしばらくたつ。だから来年はまた面白い仕事に巡りあいたいと願ったのだ。

前回の面白い仕事とは何か。それは、病院の患者数予測システムを作る仕事だった。わたしの勤務先は主にプラントや工場を作る仕事だが、病院とか研究所とかいった技術的に複雑な建物も作っている。病院を建てたときの来院患者数の予測は、計画と設計の基礎だ。そこで入手可能なデータの分析を行って 予測モデルをつくるのがわたしの仕事だった。別に医療は専門でも何でもないが、そこは素人の蛮勇、なんとか現実データを説明できるモデルを見いだした。そして地図情報システム(当時はまだホスト・コンピュータに高価なグラフィック端末をつないで表示した)の上で、地域の人口分布をメッシュに切り、交通工学の手法で移動時間を算出して、来院数を計算するシステムを開発したのだ。

その仕事は幸い、ある東北の小さな新設病院の仕事に結実したし、それ以降、わたしの勤務先が顧客を開拓するツールになった。これはちょっとした、わたしの誇りだった。たしかに途中はかなり労力も使い、数値のモデル化に迷いもして大変だったが、最終的には「面白い仕事」に感じられたのだ。

しかし、面白い仕事がしたい、と考えることは、現在の仕事はつまらないと思っていたことの裏返しだ。いや、その時、自分が「今の仕事は面白くないな」と意識してはいなかったかもしれない。だが、忘年会の席上で、ふとそうした感情が泡のように浮かび上がってきたのだろう。普段は意識下に押さえ込んでいたはずなのに。

さて。話は、再度飛ぶ(す、すまない・・)。

今月初めのことだが、PMAJのシンポジウムで、慶応大学大学院システムデザインマネジメント(SDM)学科の専攻長である前野隆司教授の講演を聴いた。教授は元々キヤノンのロボット技術者で、後にアカデミアの世界に転じた方だ。昔、脳科学と認知をテーマとした本を1冊読んだことがあった。結論は必ずしも納得できないが面白い考え方の本だった。しかし、講演によると、前野教授はロボティクスの研究から始まって、しだいに認知論や脳科学に範囲を広げ、イノベーション方法論を経て、さらに最近は「幸福学」の研究もされている、といい、著書も紹介された(幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書))。

人間の幸福感情については、心理学を中心にこれまで多くの研究が積み重ねられてきた。その知見から、物・金・地位による幸福感は、たいして長続きしないことが分かっている。金や地位を得れば、一瞬は幸せになるが、やがてすぐにもっと欲しくなって飢餓感が生まれてくるのだ。前野教授は長続きする幸福の事例をいろいろと分析し、「成長・自己実現」「人とのつながり・利他」などの4つのカテゴリーからなることを見いだしたという。

非常に面白い見方だ。とくに、人間が幸福感を感じるメカニズムを解明し、それを最大化できるような社会システムや組織デザインを考えようという工学的アプローチは、わかりやすい。

しかし、家に帰って反芻し考えるにつれ、また少しずつ分からなくなってきた。そもそも感情というのは移ろいやすい。今、恋人と一緒で幸福でも、離れたらすぐ孤独や猜疑心にさいなまれる。そして会えばまた幸せになる・・そんなものではないか。だとすると「幸福である」とは、どの瞬間に測ったものなのか?

人間の感情は重層的だ。「面白い」とか「うれしい」とか「やりがいがある」という感情は、個別の局面ではすぐに阻害されやすい。たとえば上に述べた、わたしの最初の本格的な仕事は、実際には大変な作業も多かった。患者数の予測など、本当にできるかどうか、誰にも保証はない。山ほどのデータを解析するのに、(今では信じられないだろうが)ホスト・コンピュータでいちいちプログラムを書くしかなかった。当時はPCなどというしゃれたものはなかったし、そもそもExcelというソフトの誕生以前の話だ。

終わってみて、それなりに無事成功したから、ふりかえって「あの仕事は面白かった」と思う。それは、多少の距離を置いたから言えることだ。そのさなかにいる時は、面白いと感じる瞬間は少ない。だとすると、「面白い仕事」であっても、実際には数%の面白さと、90数%の徒労感のまじった、まだら模様の時間ではないか。結果が失敗したら、その数%の時間だって記憶の前面から消えてしまうかもしれないのだ。

しかも、こまったことに「面白い仕事」とは、失敗するかもしれない仕事でもあるのだ。なぜなら、そこにチャレンジの要素があるからこそ、自分の成長につながり、やりがいやおもしろさを感じるのだ。結果が見えてしまうような、何のリスクもない仕事は「つまらない仕事」でもある。

だからといって、仕事に対する感情は、かりそめのものに過ぎない、などと言うつもりはない。感情は、わたし達の時間を豊かにし、人間に生きる価値を与える一つの源泉である。そのことは、事故などで感情機能を喪失した人の症例を見ればわかる。働く者の感情を無視して、ただ命令と統制だけで動かそうとする組織は、必ず長期的にパフォーマンスが落ちていく。「仕事は会社として必要なんだから、面白い・面白くないなどと言わずに働け」と上司が命じたら−−そんな感情を押し殺したような灰色の続くシステムに、誰も長く耐えられるわけはない。

それでは、どう考えたらいいのか。わたし達は、仕事に対する感情に、どう向き合ったらいいのか? 

そこで、冒頭のモネの絵を思い出してほしい。足元の草も、ドレスの色も、じつは単色ではなかった。ローカルには赤や青などの原色が置かれながら、全体としては、ある形と光の階調が生み出される。モネはこれを、「網膜上での混合」と呼んだ。当時すでに、白い光は異なる色の混合であることは知られていた。しかしパレット上で色絵の具を混ぜ合わせても、鈍い灰色になるだけだ。逆に原色を斑点のように置くことで、見る者の眼の中で、あるいは脳内で、光が感じられるようになる。モネの発明したこの技法が、印象派の「明るさ」を生み出したのだった。

この一筆ごとの原色を、その時点その時点での自分の感情だと思ってみてほしい。個別には喜怒哀楽の、いろいろな感情がある。だが、全体の中でそれがうまく位置づけられ、形と意味を持てれば、より高次な「面白さ」を感じられるようになる。人間の感情は認知によって方向が与えられ、形が作られていく。こういう意味で、人間の感情は重層的なのだ。ただし、そのためには、いったん「目を遠ざけて」見る努力が必要になる。

わたしは以前、古代の異国に生きた一人の女性についてふれて、「幸せであることと、価値があることとは、すこし違う」と述べた(「クリスマス・メッセージ:幸せな人」2014-12-23 )。動乱と困難の時期を生きた女性が、自分の人生を不幸だと感じなかったとしたら、それはなぜなのか。幸せであることは大切だが、自分のしていることに価値があると思う方が、もっと大切だと。

そこで、わたしは自分への自戒も込めて、こんな風に考える。仕事に対する感情を、よりポジティブに保つためには、三つのことをすべきだと:

第一に、自分の感情に気づいて向き合うこと。自分の感情を押し殺したり否定してはいけない。つまり、感情をバカにしてはいけないということだ。そうすれば、退屈や嫌悪を含めて、個別にはいろいろな感情を自分が持っていることを知るだろう。自分の感情を対象化し言語化できれば、人はその感情に対処しやすくなる。これほどつまらないのはなぜだ。どうしたら面白く、あるいはせめて楽になるのか。そういう工夫の余地が生まれる。感情を言語化できないうちは、人はその感情に支配されて奴隷状態になりやすい。それは議論の場などで、けっこう怒っているくせに、自分は論理で話しているだけだと思い込んでいる人を見れば、よくわかる。

二番目に、少し離れた視点から、現在の仕事の意味や価値を考えること。これは、なかなか難しいことだが。仕事の渦中にいると、どうしても離れがたくなる。その時には、自分の信頼できる先輩なり上司なり、あるいは家族友人でもいいが、そういう人たちと話してみるのがいい。すると、自分で気づかなかった仕事の全体像や、意義に気がつくこともある。むろん、そんな良い上司に恵まれないから、こんなに不幸なんだ、と思う人もいるだろう。ただ少しずつでも、億劫さを乗りこえて、話す努力を続けることは、決して無駄にはなるまい。

それでも誰とも話が通じず、壁に囲まれていると感じたらどうするか。そのときにおすすめしたい第三の方法がある。毎日、ありがたいと感じたことを日誌に3つずつ書くことだ。これを、3週間続ける。それだけである。わたしはこれを、ショーン・エイカーという人の「幸福と成功の意外な関係」 (TEDTalks) というエントリーで学んだ。あの震災の直後のことだったろうか。それ以来、毎日実行している。どんなつまらないことでもいい、必ず3つ書く。今日は昼食が美味しかった、iPodがシャッフルで好きな曲を続けて選んでくれた・・何でもいい。

この習慣は、わたしが自分の毎日を見る認知の仕方を、確実に変えてくれる。エイカーは、わたし達が「成功したら幸せになれる」と考えているのは逆で、幸せに感じることこそ成功の源である、という。そして、上記の簡単な習慣化で、脳の認知の仕方をかえることができると主張する。

これを知って以来、4年あまり実行してきて、成果はどうだったのか? 佐藤は少しでも楽天的になったのか? 自分では、それはよくわからない。ただ、苦虫をかみつぶしたような、近寄りづらい自分はやめて、せめて少しは「にこやかな自分」であろうと思うようになったのは事実だ。実現できたかどうかは、周囲の評価に任せよう。ただ、知性だけではなく、そういう感情面が大切だと考えるようになってきた。だからこんなあやしげなエントリを書いているのだろう。

理知的な働きのすごさを、人は「頭がいい」とよぶ。しかし、感情的な働きも伴ってこそ、はじめて「賢い」とよばれるのではないか。わたしは自分が成功したかどうかは知らない。ただ、少しでも「賢さ」に近づきたいと、願うようにはなったのだ。
by Tomoichi_Sato | 2015-09-30 12:36 | 考えるヒント | Comments(5)

プロジェクト・ポートフォリオ・マネジメントと、顧客を選ぶということ

プロジェクト・ポートフォリオ・マネジメントという言葉をはじめて知ったのは2003年頃のことで、ITRという調査会社のレポートからだった。当時わたしは米国のPM関連製品について調べていたのだが、米国ではじつに100種類以上のPMソフトウェア・パッケージが発売されていた。その中でメジャーな商品は、ローエンドがMirosoft Project、ハイエンドがPrimavera Project Plannerというプロ向きの製品だった。Primaveraは大規模プロジェクトの計画とスケジュール・コントロールに特化した製品で、日本ではごく一部の業界でしか使われていないため知名度が低いが、欧米ではエネルギー産業や航空宇宙産業に広く使われてきた。MS ProjectもPrimaveraも現在ではサーバ型製品が主流だが、10年以上前はPC上でのスタンドアローン・ユースが普通だった。ちなみに当時すでにASP型(今でいうクラウド型)商品もでていたが、メジャーな製品はなかった。

ほかに、ERPのプロジェクト管理モジュールというものも存在した。SAP R/3のPSだとか、Oracle EBSのPAなどだ。これらは金額的には超弩級だが、プロジェクト・マネジメントの日々の実務を助けるツールというより、プロジェクト会計や原価管理のための道具であった。

しかし調査会社のレポートによると、これ以外に第3のカテゴリーが勃興しつつあるという。それがプロジェクト・ポートフォリオ・マネジメント(略称PPfM)であった。これはプロジェクトを投資ととらえ、企業が持つ複数のプロジェクトの組み合わせを、ちょうど金融資産のポートフォリオと同じように最適化し管理するための道具立て、との位置づけだった。

プロジェクトの上位計画をプログラムと呼ぶことは、当時も知っていた。アポロ計画は英語ではApollo Programという。そして個別の飛行ミッション、たとえばアポロ11号をプロジェクトと呼ぶのだ。プロジェクトの下には「フェーズ」がある。Program > Project > Phaseの序列は、頭文字をとってPPPと呼ばれていた。しかし、実は第4のP、すなわちポートフォリオ(Portfolio)があって、それはプログラムよりも上位の概念なのだった。

そして米国の市場は、明らかにこのプロジェクト・ポートフォリオ・マネジメントに向かっている、とレポートは結論していた。この予測は、米国に関していうと、きわめて適切であった。MS ProjectもPrimaveraも、その後の新バージョンではポートフォリオ・マネジメントを意識した形で、プロダクトを再デザインしていった。サーバ型製品が主流になったのも、ある意味でその影響である。PPfMにねらいを特化した製品も出るようになった。

そして日本市場は米国のトレンドを数年遅れて追っている。したがって、今後の期待株はPPfM関連の製品にある、とレポートは言いたげであった。

しかし、わたしは、それが日本でも広がるという予測には疑問を持った。そもそも、わたし達の社会では、プロジェクト・マネジメントは受注者がやる仕事だと考える風潮が強い。まるで投資者(発注者)は、発注書さえ切ってしまえば、あとは口々に好きな放題な要望を言えばよく、それをとりまとめるて調整するのは受注者の仕事だと思っているかのようだ。発注者こそ、きちんとプロジェクトを舵取りしなければならない、という社会的常識はきわめて薄い。

そして受注者にとって、プロジェクトは投資ではない。競争環境下にいる受注ビジネス企業は、どのプロジェクトをやるかは自分で決められないのだ。だからポートフォリオ・マネジメントなどやりようがない。日本では普及しないし、ソフトも売れないだろう。これが、わたしの予測だった。

10年以上が経った現在でも、わたし達の社会でポートフォリオ・マネジメント・ブームが来そうな兆しはない。企業にプロジェクト・ポートフォリオ・マネージャーという役職が設置されたという話も、いっこうに聞かない。

・・だが、つい最近、わたしは重大な見落としをしていた事に気がついた。それは、6月に開催した「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」でのことだった。

6月の研究部会では、元NECの田島彰二氏を講師に迎えた。田島さんは世界におけるプロジェクト標準化活動では、日本を代表する論客として長年、活躍してこられた方だ。国内より海外でずっと知名度が高い。PMIの各種スタンダードの巻末にある貢献者リストで、最も頻繁に名前を見かける日本人だろう。最近では、国際標準化機構ISOの、プログラムとポートフォリオ・マネジメントの標準策定に尽力しておられる。

その田島さんが、欧州で参加されたポートフォリオに関するワークショップで出題されたグループワークの問題を紹介された。著作権の関係もあるので正確な引用はできないが、おおよそこんな問題だった:

あなたは脱サラをして、風光明媚なエリアに地産地消のピザ屋を開くことにした。店を構え、レシピを工夫し、地元の仕入れもなんとか道筋をつけて、順調に運営しはじめたところだ。ところである日のこと、あなたのところに電話がある。これから観光バス1台に乗り込んだ団体ツアー客50名が、店の評判をきいて昼食に行きたいというのだ。今は11時過ぎだが、12時には来るという。それだけの数の客が来たら、小さなあなたの店は完全に満杯になる。それに、あなたの店はいつも11時半に開店して、いつもそれなりの常客が来てくれているのだ。さて、あなたはどうするべきか?

田島さんは研究部会の参加者を二人一組にわけて、それぞれに8分間で意見をまとめるよう依頼した。各チームの話し合いを見ていると、出題にどう取り組むか、参加者の頭がフル回転している様子がありありと感じられた。まず、50人分ものピザの材料はあるのか? 仕入れは今から追加手配して間に合うのか? 椅子やテーブルの数は足りているか? 店の外にもテーブルを並べるべきか。フロアのサービス係の人数は。かまどは一度にそれだけの数量を焼けるのか。そして、いつもの常客にはどう応対するのか。本日貸し切りにする? だが何とかやっと安定運営にこぎつけた店で、常客を断ったらまずくはないか。いや、そもそもこんな飲食店の話、どこがプロジェクト・マネジメントなんだ!?

だが、これは非常に面白い出題だと、わたしは思った。この話は、突発的な需要増が見込まれるケースで、どう戦略的な意思決定を下すかを問うている。その際にポイントとなるのは、経営資源が限られている、ということだ。店の従業員数も、スペースも、かまども椅子もテーブルも、そしてピザ製造の材料も、すべて『経営資源』の一種である、という風に抽象化して問題を捉えることができるかに、かかっている。

経営資源が限られている際に、どこに重点的に投入していくかという問題こそ、ポートフォリオ・マネジメントの要点である。そして、需要に対して経営資源が限られている場合、考えられる主な対応は、二つしかない。
(1)ボトルネックの資源を手配する(資源制約を緩める)
(2)顧客を選別する、
の二つである。だからこの地産地消ピザ屋の問題は、この(1)(2)の視点に気がつけるかどうか、回答者の戦略思考能力(抽象化能力といってもいい)を試しているわけだ。

ところで、わたしの見た限り、参加者のほとんどは(1)の対応策にのみ集中して議論していた。材料をどうするか、テーブルや椅子やスペースをどう広げるか、という議論で、つまりボトルネックはそうした点にあるだろう、という仮定に立っている。

しかし、(2)を明確に意識して、「観光客か常客のいずれかを選んで、他はお断りしよう」との意見は、あまり出てこないようだった。仕事(需要)が来たら、それをどうこなすかを必死に考える。しかし、顧客を選ぼう、という発想は意識に上らない。なんて技術屋的だろうと、わたしは感じた。

常客に加えて50人もの観光客が来たら、店は明らかにパンクする。無理に受け入れたら、確実にピザの味やサービスのクォリティは下がるだろう。それでも受け入れようと決めるのは、たしかにひとつ戦略的決断である。だが店の将来を考えたら、下手に今、評判の落ちるような仕事はできないのだから、顧客を選ぼう、というのもやはり戦略である。どちらがベターかは議論の余地もあろうし、たぶん正解はない。ただ、この両面の視点を持つことは、経営者として必須だ。

顧客は選べないし、選んではいけない、という思い込みは、わたし達の間に強固に存在している。顧客の中には上客も、こまった客も存在する。しかし注文しに来てくれた客である以上は、応対しなければいけない。応対すべきである。もし今かりに手一杯でも、一度断った客はたぶん二度と来ない。だから何とか応対を考えるべきだ、と。値切ってくる客とも、仕事を失わないよう、どこかで折り合いをつけるべきだ、と。

しかし、世の中にはまったく別の視点も存在するのだ。それは、経営とは顧客(のセグメント)を選ぶことである、という視点である。「経営者の仕事とは、店の前に客の行列をつくることだ」という意見も読んだことがある。客がつねに行列をなしていれば、自分のペースで、クオリティを落とさずに仕事ができるし、値切りにも応ぜず、いやな客はお断りできる。そのためには、どのような形で他社との競合から避けるか、どのような見えない参入障壁を築くか、どのような独自技術や商品を作り、どうマーケティングしプライシングていくかこそ、戦略である−−そんな見方だって、存在するのだ。

ポートフォリオとは元々、書類を束ねる紙挟みを意味する言葉だ。そこから派生して、債権や株などいろいろな金融資産の束、組み合わせを意味するようになった。さらにそこから広がって、経営資源を投入する行為自体も、一種の投資と考え、それをうまく組み合わせようとするのが、現代のポートフォリオ・マネジメントである。

経営資源はつねに、有限である。そこで、どこにどう投入するかを、選ばなくてはいけない。何かを選んだら、他は捨てることになる。捨てたり、やめたり、断ったりすることが、ポートフォリオ・マネジメントから必然的に導かれる行為である。その対象の中には、市場のセグメントや、需要や、見込案件が含まれる。

あいにく長らく不況の続いた現在、案件選別という考え方は、受注ビジネスの分野ではきわめて薄弱だ。とにかく有望そうな案件にはトライしてみる。三つでも四つでも追いかけてみる。どれがとれるかは、わからない。二つ以上とれたら、どうするかって? そんなこと、とれる前に心配しても仕方がない。取れてから考えればいい・・「とれるだけ仕事をとってはいけない」とわたしが信じるようになったのは、つい近年のことである。

わたし達はやはりもう少し、ポートフォリオの視点を持つべきではないかと思う。日本プロジェクト・マネジメント協会が、日本独自の標準である「P2M=プログラム&プロジェクト・マネジメント」の改訂3版を昨年度出したが(わたしも標準ガイドブックの貢献者の一員である)、田島氏は、「経営戦略とプログラムの間に、ポートフォリオ・マネジメントを入れるべきだった」と批判している。たしかに、上記のような状況を考えると、正当な批判というべきだろう。顧客(セグメント)を選ぶこと、そのために圧倒的な競合力のある市場を作ること、それをめざして経営資源を投入すること、そして仮想的な顧客の行列を生み出すこと。そうしたポートフォリオの視点こそ、今のわたし達が必要とするものかもしれない。

<関連エントリ>
 →「とれるだけ仕事をとってはいけない」(2015-03-03)
by Tomoichi_Sato | 2015-09-21 14:18 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

海外プロジェクト・マネジメントにおけるシステムズ・アプローチとは 〜化学工学会展望講演(9/09)から

・・・ただいまご紹介いただきました日揮の佐藤です。本日このセッションには、アカデミアの先生方、また実務界の諸先輩が大勢お見えになっていると思います。そこで、まず皆さんに考えていただきたい問題があります。

時は紀元前215年のこと。秦の始皇帝は、北方の異民族・匈奴の侵入を防ぐため、部下の将軍・蒙恬に城壁の建設を命じました。 今日「万里の長城」として知られるものの原型で、歴史に残るビッグ・プロジェクトでした。
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しかし、長城はなかなか完成しません。そればかりか、苦役にかり出された民の怨嗟の声も届きます。そこで始皇帝は、自分の長男・扶蘇を現地に派遣し、建設事業の状態を調べることにしました。では、扶蘇が現地でまず調べるべき事は何でしょうか? ご自分が始皇帝なら、何を調べろと扶蘇に命じますか?

(本サイトの読者諸賢も、この先を読む前に、ちょっと考えてみてください。)

次に、第二問です。
今度は、皆さんは化学企業の経営者になったと想像してください。そして自社の業容拡大のため、南米の新興国に新しく化学プラントを建設することにしました。

皆さんは部下をプロマネに任命し、現地に派遣しました。しかし、プラントはなかなか完成しません。現地のパートナー企業の不満の声も届きます。そこでTV会議で現地のプロマネを呼び出し、話すことにしました。では、皆さんがまず質問すべき事は何でしょうか?

いずれも、遠隔地で遂行する「問題プロジェクト」の実態を調べるケースです。

最初のケースについて、詳しい史料が残っているかどうか、寡聞にして知りません。しかし想像するに、2000年前の扶蘇がが訊ね、調べたのは、こんな事だったのではないでしょうか?

− いったい今までいくらの費用を使ったのか?
− 長城の建設はいつ終わるのか?
− そもそもこの蒙恬将軍という男は、どういう人物か? はたして信用できるのか。

では、二番目のケースについてはどうでしょうか。まさか、現代人の皆さんが、2000年前の扶蘇と同じことをたずねて良い訳はないですよね? 現代ならば、プロマネにたずねるべきは、こんな質問のはずです:

− プロジェクトの『スコープ』はどうなっているのか。WBSを見せろ。
− このプロジェクトの『クリティカル・パス』は何か? アクティビティ・ネットワークの上で示せ。 主要なリスクは何か?
− 現在までのPV, AC, そしてEVはいくらか。完成時のCost EACを予測せよ!

現代のプロジェクト・マネジメント理論(以後『モダンPM』と略称することにします)が生まれたのは、20世紀中盤のことでした。モダンPMは、1950 年代にデュポン社が化学プラント建設プロジェクトの工期予測のために開発した、スケジューリング手法である”Critical Path Method” (CPM)に始まります。

このCPMは、プロジェクトを複数の要素作業(アクティビティ)から構成される『システム』としてモデリングした、システムズ・アプローチの産物です。プロジェクトを構成するアクティビティのネットワークを考えたとき、プロジェクトの全体工期はネットワークの始点から終点までを結ぶ最長の経路=クリティカル・パス(Critical Path)によって決まる、というのが、CPMの理論的骨子です。
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クリティカル・パスに属するアクティビティの比率は、実規模のプロジェクトでは全体の2~3割程度と言われています。他のアクティビティは、日程上のフロート(余裕日数)を持っているのです。そしてクリティカル・パス上の仕事が遅れた場合、他の仕事をどんなに頑張っても、プロジェクト全体の納期が遅れます。だから、納期遅延のおそれのあるプロジェクトでは、状況把握のために、まずクリティカル・パスがどこにあるかを問うのです。

またCPMは、スケジューリングとコスト管理に際だった違いがあることを示しています。コストの世界では、どこかのアクティビティで1円得すれば、プロジェクト全体で1円、得します。単純な足し算の論理です。しかし、時間の世界はそうなりません。フロート(余裕日数)を持つアクティビティを、いくら頑張って短縮しても、プロジェクト全体の納期にはちっとも貢献しないのです。プロマネはどこがクリティカル・パスになっているか、つねに意識し、そこに集中すべきです。だから、現代でプロマネに問うべき3つの質問に、この項目が入っているのです。

さて、モダンPMの発展史で次に議論になったのは、「プロジェクトはどのようにアクティビティに分解すべきか」という問題でした。ここで確立したのが、WBS(Work Breakdown Structure)という概念です。プロジェクト全体のスコープ(作業範囲)をアクティビティで階層的に構成し、管理番号を付番したものをWBSと呼びます。各アクティビティは、達成すべきアウトプット(成果物)と、必要なインプットが決められており、担当する人とリソースを割り当てる 必要があります。また、それをさらに下位のサブ・アクティビティに階層的に分解することができます。

WBSはスコープ、すなわちプロジェクトの責任範囲を可視化したものです。またWBSはプロジェクト組織の分担の表現でもあり、またコストをロールアップし集計する際の基準にもなります。ですから、WBSをよく見れば、どのようにプロジェクトを進めようとしているのかがすべて見て取れます。だから問題プロジェクトの状況把握では、最初にWBSについて質問するのです。

このようにWBSはモダンPMにとって非常に重要なのですが、多少の論争がありました。ある人々は、プロジェクトを、仕事のプロセスに沿った機能別・仕事の種類別に分解すべきだと考えました。これをFunctional-WBS(略称F-WBS)といいます。たとえば化学プラント建設を例にとると、基本計画・設計・調達・建設・試運転・・といった分解になります。
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他方、いや、プロジェクトは必ず何らかの成果物を生み出す活動なのだから、成果物自体の構成に準じた分解をするべきだと主張した人々もいます。これを、Product-WBS(略称P-WBS)と呼びます。たとえば化学プラントならば、製造設備・ユーティリティ設備・物流エリア・事務棟、といった分解です。

両者に論争があったということは、実はどちらか片方では十分ではないことを示しています。そこで、両者を縦横にとった二次元マトリクスでアクティビティを数え上げるのが、もっとも理想的な方法だという考えに至ります。単位要素となるアクティビティは、「製造設備-設計(1-E)」「物流エリア-調達(3-P)」といった具合です。
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ただしこの方法では、アクティビティが必要以上に小さく分解されすぎてしまうことがあります。アクティビティが小さすぎると、情報収集やレポーティングなど、コントロールにかかる手間が増大し、本末転倒の「管理のための管理」になる 危険性があります。そこで、いくつかをまとめて、アクティビティの最小単位「ワークパッケージ」とする 技法が用いられています。

WBSにつづいて70年頃から発展したのが、EVMS(アーンドバリュー・マネジメント・システム)と呼ばれる手法です。扶蘇が蒙恬将軍にたずねたであろう問いを思い出してください。「この仕事にこれまでいくら費用を使ったのか?」--それでは、もしも現在までの出費(Actual Cost = AC)が、当初計画していた現時点までの予算(Planned Value = PV)よりも小さかったら、プロジェクトはうまく出費をコントロールしていると言えるでしょうか? たとえば、現時点までの出費予定が1億ドルだったのに、現実の出費実績が9千万ドルだったら、うまくいっていると判断していいでしょうか?

そうは言えないのです。なぜなら、単に仕事が遅れているために 出費実績が計画より小さいのかもしれないからです。むろん、本当にうまくコストを押さえ込んでいるのかもしれない。どちらの理由で1千万ドルの差が生じているのかは、この二つの数字だけいくら眺めたって分かりません。

そこで、Earned Value = EVとよぶ第3の金額を計算してみるのです。EVとは、「現時点までに完了した作業(アクティビティ)の予算金額合計」のことで、日本語では『出来高』と呼ばれます。かりに、前述のプロジェクトでEVを計算してみたら7500万ドルだったとしましょう。これから何が分かるでしょうか? まず、EVとPVを比べます。すると、EVの方が小さいですね。つまり、元々の予定では現時点までに1億円分のアクティビティが終わっているはずだったのに、現実には7500万ドル分しか完了していない訳です。これは、プロジェクトの進捗が予定よりも遅れている(予定の75%の進捗しかない)事実を示します。

さらに、EVとACを比べると何が分かるでしょうか。EVが7500万ドルなのに、ACが9000万ドルということは、すでに終わったアクティビティについては、当初の予算では7500万ですむはずだったの出費が、実際には9000万かかった、つまり見込よりも余計にコストがかかっていることを意味します。まとめると、このプロジェクトは、進捗は予定よりも遅れており、なおかつコストは予算より超過しているという、非常に危険な状態にあることが、わかるのです。これはEVという指標を導入することで明らかになったことで、予算PVと実績ACの二つだけをいくら比べたって、分かりません。これが、プロジェクトの予算管理と、通常の定常業務の予算管理との大きな違いなのです。

では、プロジェクトの完成時にはいったいいくらの金額になる見込なのか。これを完成予測額(Cost Estimate at Completion = Cost EAC)と呼びます。それは、すでに使ってしまったお金ACと、残っているアクティビティを完了するのにこれからまだ必要となる金額ETC(Estmate to Complete)の合計ということになります。Cost EAC = AC + ETCです。ACは9000万ドルですね。あと、仕上げなければいけない作業が、元々の予算計画ではまだ2億ドル分あったとしましょう。すると、Cost EACは2億9000万ドルでいいでしょうか?

むろん、それでは楽観的すぎます。まず、これまで7500万ですむと思っていた仕事が現実には9000万かかっていたことを思い出してください。これは、平均するとちょうど2割だけ、実際の出費が高いことを示します。このトレンドは、おそらく将来も続くでしょう。EVMSの膨大な経験が教えるところによると、プロジェクトが全体の2割を過ぎたあたりから、AC/EVの比率は安定してきます。である以上、残る仕事も、2億ドルではなく、2.4億ドルはかかりそうです。おまけに、進捗が遅れていることもお忘れなく。納期に間に合わせるためには、人を増員するなどキャッチアップのために余計な費用が必要でしょう。となると、たぶんCost EACは3億3000万をもっと上回ることが予想されます。

このように、EVを用いてコストと進捗をコントロールしていく手法を、Earned Value Management System = EVMSと呼びます。

モダンPMで用いられている三大技法であるCPM、WBS、そしてEVMSの原理を、簡単にご説明しました。この3つはちょうど、プロジェクトを取り囲む三大制約である『スケジュール』『スコープ』そして『コスト』に対応しています。この三大制約は別名、「鉄の三角形」とも呼ばれ、プロマネは日夜その中で苦労しながら進んでいるのです。だからこそ、これを押さえるための手法が真っ先に発達してきたのでしょう。
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もちろん前述の原理を、現実のプロジェクトに適用するためには、いろいろな道具立てやノウハウの集積が必要です。そうした原理・ツール・ノウハウの総体を称して、技術と呼ぶのです。プロジェクト・マネジメントの技術です。

こうしたマネジメント技術の基本を押さえた上で、プロマネのリーダーシップやメンバー達のモチベーションを問うのならわかります。プロジェクトは結局、人間がやることですから。しかし、こうした基本さえ知らずに、いきなりリーダーの人格や志気を問題にするとしたら、そして、プロジェクトの構造を見ずに、ただ全体の費用や納期だけを見るとしたら、2000年前の扶蘇と同じではないでしょうか。

国内で顔見知り同士が、同じ言語と文脈を共有して、以心伝心で仕事を進めていける国内プロジェクトならば、技術なしでも気合で乗り切れるでしょう。しかし海外プロジェクトは、根本的に違います。 こうした技法を押さえた上で、さらにわたし達が身につけるべき思考と行動の習慣、いわばマインド面でのOSがあるのです。それは端的にいえば、

言葉を大切にする(言語化)
・かならず計画をたてる(計画重視)
契約と責任を重んじる(契約責任制)
そして、
・システム的な見方をする(Systems approach)

です。 システム・言葉・計画・契約の頭文字をとって、 わたしは「S + 3K」と呼んでいます。


・・ということで、展望講演はこの後、海外プロジェクトの進め方を概説し、さらに現在のモダンPM理論に欠けている価値評価をめぐって、わたしが進めてきた「リスク基準プロジェクト価値」研究成果を紹介した。そして、今後のモダンPMの発展には「仕事のプロセスシステム工学」が大事になるだろう、という話で締めくくった。だが長くなりすぎるので、後半は割愛させていただこう。なお念のために書いておくと、化学工学とは元々、化学プラントの設計論であり、とくに各種装置を組み合わせてプラント全体のシステムを設計・最適化する手法論を「プロセスシステム工学」と呼ぶ。

プロジェクトもまた一種の化学プラントに類似したシステムであり、個別のアクティビティという要素を組み合わせて、全体のシステムを作り上げ、動かしていく。そうした思考方法=システムズ・アプローチこそ、これからのプロジェクトにとって必須のものだ、というのが、聴衆の皆さんに伝えたかったコアのメッセージだ。

では最後に、WBSをはじめとするモダンPMの技術、そしてシステムズ・アプローチを中心としたマインド面でのOSについて、もう少し深く知りたい方のために、格好の入門書をご紹介しよう。1年半かけて書いた、わたしの新著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』である(笑)。今週末から書店に並ぶが、電子版はさきがけて本日から発売である。ぜひ手にとってご覧いただきたい。海外プロジェクトに長年実務で携わり、また近年はPM理論研究と教育も実践してきた人間として、類書にない思想と技法を盛り込んだつもりである。

地図を読んでも山には登れず、海図を見ても船は航行できない。だが、どこに登るべき山があり、渡るべき海があるかは分かる。本を読んでも能力がすぐ得られるわけではないが、できればぜひ一人でも多くの方に、海を渡って広い世界を目指してほしいと願っている次第である。
by Tomoichi_Sato | 2015-09-15 22:18 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(10月13日)開催のお知らせ

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」2015年の第5回会合を、下記の要領にて開催いたします。

皆さんは「シナリオ・プランニング」手法について聞いたことがあるでしょうか? 事業プログラムの戦略立案においては、つねに複雑で不確実性の高い環境の中で予測を行い、最適な目標とアクションを選ばなければなりません。またプロジェクトのリスク・アセスメントにおいても、定量化し確率を予測できる事ばかりではなく、定性的な先読みが求められる局面がしばしばあります。そうした問題に対応するため、主に欧州を中心に開発されてきた手法がシナリオ・プランニングです。

この手法の初期の有名な成功例は、'70年代に石油メジャーであるロイヤル・ダッチ・シェル社が作成した「石油危機シナリオ」でした。同社は事前に複数シナリオによる予測を行い、組織内の体制を整えていたことで、世界的な石油ショックに効果的に対応することができました。同社はその後もシナリオ・プランニングの手法を継続して発展させ、戦略構築に結びつけてきました。そして、他の企業・政府機関などでも戦略構築のために広く使われるようになったのです。

今回は、シナリオ・プランニングに関する日本の権威である、昭和シェル石油チーフエコノミストで東京大学客員教授の角和昌浩様をお招きして、その方法と成功のポイントについてお話しいただきます。業種を問わず、戦略や予測に関心のある方に興味深い内容になると思います。

<記>

■日時:2015年10月13日(火) 18:30~20:30
■場所:三田キャンパス・北館会議室2(1階)(定員:28)
http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
キャンパスマップ・【1】

■講演タイトル:「シナリオ・プランニングによるビジネス環境分析
        ~シェルのグローバルシナリオ作成に学ぶ」
■概要:
シェルグループは、なぜシナリオプランニングを戦略検討ツールとして40年以上、継続してやっているのか。このツールを戦略検討作業や戦略決定に取り込むと、どういう便益があるのか。最新のシェルのシナリオ作品を紹介しながら、その方法と成功のポイントを理解していただきたいと思います。

■講師: 角和 昌浩 (かくわ まさひろ)
    昭和シェル石油株式会社 チーフエコノミスト 兼 東京大学 公共政策大学院 客員教授
■講師略歴:
 1977年3月 東京大学法学部政治学科 卒
 1977年4月 昭和石油(現昭和シェル石油)入社
 1982-83年 ロンドン大学東方アフリカ研究所 中近東学科留学
 1987-89年 石油公団に出向
 1992-95年 ロイヤル・ダッチ/シェルロンドン本社に出向
 2003年10月 日本エネルギー経済研究所 兼 名古屋大学エコトピア科学研究所客員教授 兼 電力中央研究所客員研究員
 2009年4月 現職にいたる

■参加費用:無料。 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

参加を希望される方は、確認のため、できましたら前日までに佐藤までご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

佐藤知一@日揮(株)
by Tomoichi_Sato | 2015-09-10 23:04 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

書評:「世界一やさしい問題解決の授業」 渡辺健介・著

世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく」 渡辺健介・著 (Amazon)


問題解決って、何だろう?

問題だったら、誰にとっても、あふれるほど身の回りにある。やってる仕事がうまく進まない。そもそも作業自体がつまらない。人も予算も足りないし、顧客はバカで無理難題ばかりいうし、上司は無責任で同僚後輩は無能で業者は頼りないし、官庁は現場を知らずに勝手な要望を言うし、家に帰れば配偶者は仏頂面で娘息子は口もきかない、といった具合だ。問題とは学校卒業以来、長年のつきあいである。いや、学校にいたときだって、入学試験から期末テストまで、問題とにらめっこの日々だったではないか。だとしたら、晴れて小学1年生で入学して以来、ずっと問題とつきあいつづけている訳だ。

ただし、学校のテストで出る問題には、一応、正解がある。やっかいなことに、現実で向き合う問題には、正解があるんだかないんだか、よく分からぬ。いや、その前に、出題者という者がいない。「出題者の意図を推し量って・・」が学校での問題への取り組み方だった。それにテストの多くは、知識を問う問題だったが、現実では知識を持っていてもすぐ使えなかったり、役に立たなかったり、足手まといだったりさえする。

そんな現実の問題の解決方法を、小中学生にも分かるくらいやさしく教えてくれる、というのがこの本である。著者の渡辺健介氏は、中学2年生からアメリカで教育を受け、1999年にイェール大学を卒業、マッキンゼー東京支社に入社。さらに2003年にはハーバード・ビジネススクールに留学し、2005年にマッキンゼー・ニューヨークオフィスに移籍。2007年に本書を刊行後、独立して、現在デルタスタジオ代表取締役、というピカピカの経歴だ。

著者は22歳のときにマッキンゼーで「問題解決能力」(Problem Solving Skill)の体系的なトレーニングを受け、「これが『考える』ということなのか! なぜこれをもっと早く教えてくれなかったんだろう」と強く思ったという。国際人として必要な資質は、語学より、むしろこのような思考の総合力——問題を解決する方法を考え抜き、実際に行動に移す姿勢にある、と信じ、それを子ども達に広めようと、本書を書き、自分の会社デルタスタジオを設立した、ということらしい。

実際、本書は全頁カラー多色刷りで本文はわずか100頁ちょっと、マツモトナオコさんの面白かわいいイラスト入りで、子どもでも手に取りやすい体裁にできている。しかし、買ったのはむしろ大人のビジネスパーソンだったようで、発売後3週間で10万部を売るベストセラーとなる。ビジネス書のランキングで堂々一位、たぶん累計で30〜40万部は出ているらしい。

では、実際に紹介されている問題解決の手法とはどのようなものなのか。本書ではイントロ部分のあと、具体的に二つの問題が取り上げられている。一つ目は、「中学生バンド『キノコLovers』を救え!」というストーリー、二番目は、CGアニメ監督を夢見るタローくんが、たりないお小遣いでパソコンを手に入れるまでの話である。

中学生バンド『キノコLovers』の直面している問題は、どうしたらもっとお客さんに聴きに来てもらえるか、というテーマだ。ここで原因分析のために「分類の木」(ロジックツリー)というツールが、まず導入される。潜在的な聴衆(学校の生徒先生あわせて500人)を、グループ別に分類する。これをさらに「はい、いいえの木」の形に整理し直す。そして、「お客が少ない」問題の原因として3つの仮説を立てて、「課題分析シート」を使って、調査の上で仮説を検証する。

その結果、有力な仮説が見えてくるわけだが、次にはその障害を破るためのアクションを考える。ここでも打ち手について「分類の木」を活用しリストアップしていく。さらに、実行のしやすさを横軸に、効果を縦軸にした「可能性と効果のマトリックス」をつかって、打ち手の優先順位をつけていく。そして「ガントチャート」の実行プランをつくる、という手順である。

二番目のタローくんのケースでは、まず目標設定について、
 ×「パソコンがほしい」「パソコンを買う」
 ○「どうすれば、半年以内に、60000円のさくら社製の中古パソコンを、人にお金を借りずに、お金を貯めて買うことができるか」
という風に具体化することからはじめる(つまり、SMART = Specific, Measurable, Achievable, Related, Time-boundである。ただし著者はこの言葉を書いていないが)。そして「仮説の木」やギャップチャート、前述のマトリックスなどを使い、最終的にはアクションのガントチャートに落とし込んでいく。さらに著者は、多数の選択肢の評価に使う「Pros-Cons List」や「評価軸×評価リスト」などにもふれている。

ただし、こうしたツールやテクニックだけを知っていても、それだけで問題解決能力が身につくわけではない。銃刀類をいくらコレクションしても、それで戦士になれる訳ではないのと同じだ。問題解決には順番がある。それは目次にあるとおり、
(1) 原因を見極める
 - 原因としてあり得るものを洗い出す
 - 原因の仮説を立てる
 - どんな分析をするか考え、情報を集める
 - 分析する
(2) 打ち手を考える
 - 打ち手のアイディアを幅広く洗い出す
 - 最適な打ち手を選択する
 - 実行プランを作成する
といった手順だ。どんなときに、どのツールを使うべきなのか。適切なタイミングが大事なのだ。

しかし、それ以上に大事なのは、問題解決に向かう姿勢そのものである。たとえ未経験で難しく思える問題にでもチャレンジし、やりとげようとする姿勢、そしてできると考える楽観的な自信の持ち方。わたしの最近の言い方でいえば、つまりチャレンジの『OS』である。著者は、「考え抜く技術」・「行動をする癖」という表現をつかい、これを身につけた子どもを『問題解決キッズ』と名付ける。問題解決キッズは、周囲によくいる、
・最初からあきらめる「どうせどうせ」子ちゃん、
・自分では行動しない「評論家」くん、
・行動するが結果から学ばない「気合いでゴー」くん
たちとは違う、という訳である。

そして、問題解決キッズを日本社会に育てるべく、著者はマッキンゼーのキャリアを捨てて、自分の「デルタスタジオ」(http://www.whatisyourdelta.com)を設立する。しかし、やめた直後はけっこう苦難の道だったらしい。たまたまその時期のことが、日本財団会長の笹川陽平氏のブログに書いてある(http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/972)が、「あと6カ月間マキンゼーに勤務すれば、ハーバード留学の奨学金の返還は必要ないそうだが、お世話になった会社への奨学金の返済と子供達に教える場所の借り入れで、貯金はなくなり、100円ハンバーガーをかじりながら板の間に寝ている生活」で、笹川氏の息子さんに布団をもらいうけたという。そんな時代を乗り越え、現在、著者は子ども達だけでなく社会人にも、問題解決のトレーニングを提供している。

ただし、本書で取り上げられている問題2例は、じつは「マーケティングと顧客獲得」「財務戦略」の事例であって、いかにも外資系経営コンサルタントが得意としそうな問題分野である。だからこそ、マッキンゼーの解決技法のフィット率が高いのだ。著者のキャリアを考えれば当然の話だが、世の中にあまた存在する問題の中で、経営コンサルが得意なものとそうでないものがあることを、読者は頭の中で区別して読み進める必要があるだろう。

それともう一点。そもそも、ここで著者が取り上げているロジカルシンキング的な解決の方法論が、本質的に向かない種類の問題もある。それは、リアルタイム性を要求される問題だ。たとえば風雨の中で船の進路を決める問題は、おちついて仮説を立てて分析している暇なんかない。ある程度「考える時間」のとれる、時定数のゆっくりした問題向きなのだ。

不得意な種類は、まだある。たとえば、美しい音楽を作曲するだとか、いいデザインをするには、といった問題も、仮説検証の方法では解けない。あるいは、難しい数学の問題だ。本書には数学の成績を上げるにはどうしたら良いか、という例題がのっている。しかし、特定の数学の問題を解くには、ロジカル・シンキングの方法は、あまり役に立たない。

数学問題の解決方法がロジカル・シンキングでない、などといったら、ムキになって反論してくる人もいるかもしれない。たしかに数学の9割9分はロジックだ。だが、正解があるかどうかも分からない、証明できる保証もないような数学問題を解く際の最初の着想は、ある種、非論理的な着想やひらめきだったりする。その証拠に数学の世界には、まだ証明できずにいる「予想」というものが結構あって、役に立っているではないか。

つまり、著者が紹介するマッキンゼー流の問題解決技法は、決して万能ではない、ということだ。じつはこの種の技法が得意とするのは、わたしが「パフォーマンス問題」と呼ぶ種類のものである。パフォーマンス問題とは、個人や、集団のアウトプットを、なんらかのモノサシで測ったときに、現れるたぐいの問題である。個人なら成績とか、バンドなら客数とか、企業なら財務数値とか、そういった問題だ。それを、きちんと論理立てて仮説検証で分析し、原因を明らかにした上で、対策を立案評価して具現化する−−そうした性格の問題には、とても役立つだろう。

しかし、数値化しにくい問題、たとえば恋人の機嫌が良くないとか、仕事が面白くない、といった問題は取り組みにくい。もちろん、恋人の機嫌を無理やり「数値化」することは可能かもしれない。そしてSMART的な目標値を設定すれば・・だが、そんな論理的だが野暮なことをしている間に、相手はもっと機嫌を悪くして、去って行ってしまうだろう。こうした美学や洞察のかかわる問題、そしてリアルタイム性の高い問題には、ロジック以外に、直感とか「身体知」とでも呼ぶべき、別種の能力の発揮が必要となるのである。

こまったことに、ロジカルな問題解決技法は、それ自体がきちんと体系化されていて、とても「頭が良く」見える。カッコいいのである。だから、どんな問題も解決できそうな気がする。では、米国にはロジカル・シンキングを身につけたコンサルタントがあれほど大勢いるのに、なぜ金融危機やら二極分化やら格差社会といった山ほどの問題を抱えているのか? (まあ他の国に比べればましだ、という意見もあるのかもしれないが)

それは、問題を部分化するからなのだ。巨大で複雑な問題、手のつけようも分からない悪構造の問題に立ち向かうとき、わたし達が気をつけるべき事がある。それは、手元の道具や方法論で攻めやすい「部分問題」だけを切り取って、解決しようとする態度である。大きな問題の一部だけを取り出して、きれいにしようとする。それで改善する部分もあるかもしれないが、もっとやっかいな問題を残りの部分に発生させてしまう可能性もあるのだ(恋人の機嫌のように)。

誤解しないでほしい。本書に紹介されたような問題解決の技法は、パフォーマンス問題にはとても有用である。もしあなたがまだ良く知らないなら、ぜひ手にとってよく学ぶことをお勧めする。だが、それは万能の道具ではない。問題解決にとって一番大切な能力とは、「どういう問題をたてるか」にあるのだから。
by Tomoichi_Sato | 2015-09-06 23:05 | 書評 | Comments(0)

学会発表のお知らせ 2件

9月に学会での講演と発表を2件行います。片方は海外プロジェクトに関する概論的な展望講演で、来週、札幌で行います。もう一件はスケジューリングに関する理論的な研究発表で、月末に東京で行います。


(1)展望講演:「海外プロジェクト・マネジメントにおけるシステムズ・アプローチ         ~理論・技術・展望~」

化学工学会第47回秋期大会 講演番号J117
http://www3.scej.org/meeting/47f/index.html
日時:2015年9月9日(水)14:20~15:00
場所:北海道大学 札幌キャンパス 工学部N棟3F

概要:現代のプロジェクト・マネジメント理論は、1950 年代にデュポン社が開発したクリティカル・パス法に始まります。それは、プロジェクトをActivity 群からなる『システム』と捉えたアプローチの産物でした。本講演では、その後の PM 理論の発展を概観するとともに、現状の課題、ならびにプロジェクト評価に関する最新の研究について紹介します。

本講演は、部会シンポジウム「情報統合とモデリングアプローチ」の一環です。


(2)「プロジェクトにおけるスケジュールと費用のトレードオフを考える

スケジューリング学会「スケジューリング・シンポジウム2015」
http://www.scheduling.jp/symposium/2015/
日時:2015年9月27日(日) 16:30~
場所:青山学院大学 青山キャンパス 17号館3F

概要:コストとスケジュールはプロジェクトのパフォーマンスを測る二大指標ですが、両者にトレードオフが生じた場合、意思決定は一般に難しい問題となります。現在のPM理論では、コストとスケジュールが独立な指標と考えられ、互いを関係づける定量的で適切な方法がなかったためです。仮に、たとえプロジェクト全体の納期にペナルティがかかっているケースでも、殆どのアクティビティはPERAT/CPMでいうフロート(余裕日数)を持っており、期間の延長が直接、コスト超過に結びつきません。
本報告では、わたしが近年研究を続けている「リスク基準プロジェクト価値(RPV)分析」の理論的フレームワークを応用して、新しい評価尺度を提案し、スケジュール問題のコスト評価問題を理論的に解決します。
なお、わたしは15:30からのこのセッションの座長も務めます。


いずれも学会のため参加費がかかりますが、関心のある方のご来聴をお待ちしております。
by Tomoichi_Sato | 2015-09-02 08:51 | ビジネス | Comments(0)