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JUAS『ソフトウェアメトリックス調査2014』を読み解く

まず、ちょっとこのグラフを見てほしい。
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「何だこのグラフ。点がバラバラに散らばってるだけじゃないか。」
--そんな反応が多いだろうと思う。一応斜めに直線を引いているけれど、点はその線上から、ほとんど倍半分のいきおいでずれている。無理やり引いているだけで、法則性があるとはとても言えないな。誰だよこんなグラフ作ったの・・。

だが、このグラフ、わたしはとても面白いと思う。これは、「一般社団法人 日本情報システム・ユーザー協会」、通称『JUAS』が独自に行った調査の結果をグラフにしたものだ(JUAS発行「ソフトウェアメトリックス調査2014」p.66よりスキャンして引用)。グラフの横軸は情報開発プロジェクトの全体工数。単位は人月だ。そして縦軸は、プロジェクトの全体工期(=期間の長さ)で、単位は月数である。図上に散らばった多数の点一つ一つは、個々のプロジェクトを表す。

なお、よく見ると横軸は一定間隔ではない。10の隣が100、一つおいて500、1000(人月)という具合に、ちょっと奇妙な間隔に見える。実はこれは工数の立方根を横軸としたグラフになっているのだ。そして、図中に引いてある回帰直線は、
 y = 2.50 x^(1/3)
という非線形な関係を表している。すなわち、
 (全体工期)=2.50 * (全体工数の1/3乗)
になっている、事を意味する。

つまりプロジェクトの全期間の長さは、それにかける必要工数の1/3乗におよそ比例する。この式によれば、たとえば00人月の工数がかかるプロジェクトでは、
 2.50 * (100^0.33) = 11.6ヶ月
かかるだろう、という予測が成り立つ。200人月なら、14.6ヶ月だ。

JUASの2014年度調査は、会員企業からのアンケート調査で集められた累計1,076件のプロジェクト実績データを分析している。ちなみにこのグラフにプロットされたデータ数は407点。条件は、ウォーターフォール法で進められた再開発・改修プロジェクトで、FP(ファンクション・ポイント)値が3000以下またはソースコード量が330,000行以下のものだけを抽出したグラフである。なお図中に R2=0.86 と書かれているが、このR2は統計学で「決定係数」と呼ばれ、回帰式で説明できる分散(バラツキ)の割合を示す。プロジェクト全体期間の長さは、バラバラであるが、その86%が「全体工数の1/3乗」との関係で決まる、ということをおよそ意味している。

たしかにグラフの見た目は、ひどく点が散らばっている。しかし、これは社会調査的な結果であることを考慮するべきだろう。そして、この「1/3乗則」の関係は、再開発・改修のプロジェクトだけでなく、新規開発プロジェクトだけのデータでも成り立つし、全プロジェクトに対してもほぼ成り立つことが、JUASの同じレポートで示されている。式の比例定数は2.67だったり2.56だったりするが、大きくは違わない。決定係数も、0.85前後だ。つまり、「一般に情報開発プロジェクトの全体期間は、それにかかる工数の1/3乗に比例して決まる部分がかなり大きく、それは新規開発でも、既存システムの再開発・改修でも、あまり変わらない」という、非常に示唆に富んだ統計的事実が分かるのである。

これが、データの力である。正確には、データを蓄積し、それを読み解くことによって得られる力だ。最近はビッグデータというバズワードが大流行だが、データ件数が1,000程度ではスモールデータだろう。しかし、このグラフの点一つひとつが、どれほど多くの人の労力と汗と涙の結果で得られたか、その重みを考えてみてほしい。そして、こうしたデータ調査を毎年、ITユーザ企業に対して行い、結果を解析する仕事をJUASは10年近くにわたって継続している。この努力と姿勢に、わたしは率直に敬服する。

わたしがJUAS(日本情報システム・ユーザー協会)という組織のことを知ったのは、つい近年である。同じ『ソフトウェアメトリックス調査』2013年版を見てからだ。中身を見て、驚嘆した。膨大なデータを会員企業からアンケートで集め、戦略を持って分析している。その文章にも明確な主張があって、面白い。すなわち、ソフトウェア工学という重要な、しかしいまだ薄弱な工学を進歩させて実務に役立たせるためには、現実のデータに基づくベンチマークが絶対に必要だ、との主張である。いわゆる業界団体だとか役所の外郭団体が定期的に出すA4サイズ簡易製本のレポート類は、めったに面白いものがないという印象が強かったのだが、これだけは違った。

たとえば、システム開発に使用する言語については、こんな結果になっている(p.45):
- COBOL 17.2%
- C 13.8%
- VB 13.1%
- PL/SQL 16.8%
- Java 46.9%
- HTML 8.0%
現在、半分近くのシステム開発はJavaで行われており、その比率はまだ伸びている。だがCOBOLもいまだ17%、PL/SQLも17%と、微減ながら現役である。CやVBよりもまだ多い。これは調査対象企業が製造業・流通業など一般企業で、その大半が業務系システムであることも大きく影響しているだろう。

なお、パッケージソフトを利用した開発は全体の10.4%にすぎない(p.43)。9割近くのシステム開発が、スクラッチから書いているのだ! 2013年調査では17.5%、2012年度は18.3%だった。つまりパッケージソフトの利用は、むしろ減少しているのである。かつて2000年頃のITバブル期、ERPブームの時代には、パッケージを使わない奴は馬鹿みたいなことを、世間では喧伝していた。いま、その風潮はひっそりと、だが明確に反省期に入っている。

システム開発のプラットフォームでは、こうなる(p.44):
メインフレーム=22.6%、オフコン=1.2%、Unix=33.2%、Linux=21.4%、Windows=52.8%。
これはマルチアンサーだから合計は100%以上になるが、オフコンを含む汎用機がまだ十分現役であることにも、少し驚いていい。システムのアーキテクチャでは、
汎用機:21.2%、C/S:26.6%、Web:68.2%。
この比率は2013年度からほとんど変わっていない(p.44)。クラサバもまだ根強いなあ、との印象である。上の結果とあわせると、現在でも業務系システムはその多くが、JavaでWebベースで、かつスクラッチから書かれている。某社の某基幹システムを思い出して、ううむ確かに、などと思ってしまう。

しかし、ここら辺はまだ序の口だ。JUASはできあがったシステムの品質についてもたずねる。彼らの品質(欠陥率)の定義は、
 欠陥率=(顧客側総合テスト~フォローのフェーズで発見された不具合数)/(プロジェクト全体工数)
である(p.76)。UAT以降のバグ数を、人月あたりで割り算したものだ。この指標の立て方には異論もあると思う。だが、ユーザ企業から見ると、とても実質的で分かりやすい。このモノサシをたてて、彼らは経年変化を調べている。その変化は、緩やかだ。つまり一定の統計的傾向があるのだ。その中央値は0.20、平均値は0.58である。そして過去8年間に、平均値は1.00から0.20へ、また中央値は0.35から0.18へと、おおむね減少してきた。

ソフトウェア開発の品質は、次第に、だがかなり決定的に、向上しているのだ(バグをABCランクで重要度の重み付けをした数値については、報告書を参照してほしい)。それだけではない、「品質については、要件定義・設計・実装の各フェーズがすべて請負・請負・請負の契約のものの品質が明らかに悪い」(p.191)と大胆にも分析している。『業者にお任せ』型の開発は、よい品質を生まないのだ。

ソフトウェア開発の生産性はどうか。パッケージ開発以外で、かつIFPUG法で計測した127プロジェクト(うち新規開発と改修・再開発はほぼ半々)について、人月あたり全体の平均は約11 FPだった。ファンクション・ポイントではなく、単純に画面数と帳票数から全体工数を推算する式も出している(p.148)が、補正決定係数は0.34なので、あまり精度はよくない)。

JUASの調査は開発だけでなく、運用保守まで対象に入れている。自社開発システムの稼働後の開発費用・保守費用の比率では、稼働までの開発費用を100とした場合、初年度には平均して追加開発費が19.4%、保守費が8.5%かかっているという(p.196)。年間IT総予算の中の運用費用の割合も、大企業の場合は55%に上る(p.245)。なお、情報子会社の保有状況を見ると、子会社ありが19.7%、なしが80.3%である(大企業に限ると、保有比率はもっと高くなる)。

また今年度から、「マスターデータ管理」ならびに「アジャイル法と超高速開発法」についての質問も追加されたらしい。マスターデータ管理では、「導入済み」企業が8.7%であるのに対し、「未検討」はまだ70.6%だ。開発方法論では、2014単年度の回答集計ではウォーターフォール法が101件であるのに対し、アジャイル法7件、超高速開発法が47件だ(p.47)。500万円以上のプロジェクトを対象としているわりに、思ったより新しい手法が多いと、わたしは感じた。ただ、調査開始以来の累計データでは、まだ9割以上がウォーターフォールである。データ件数がまだ少ない上に、今回は品質データがとれていないため、一番興味ある「新しい開発手法の品質満足度はどうか」が分析されていないが、これは次年度以降の課題だろう。

このほかにも、まだまだ紹介しきれないほどたくさんのデータと知見が詰まった本である。この調査は経産省からJUASが受託して行われたものだが、世界的に見てもこのレベルの調査をオープンにしているところはあまりなく、欧州からうらやましがられているとも書かれている。これはひとつには、日本の経済規模が大きいため、それなりに多数のユーザー企業が存在することによるものだろう。ソフトウェアのメトリクス(計量指標)に興味ある人々にとって、必携の参考資料だと言えると思う。とくに、繰り返しになるが、JUASのこの調査報告書には明確な『主張・思想』のある点が、読んでいて小気味よい。こうした報告書では希有の体験である。

ところで、最初にあげたグラフから、工数の立方根と全体プロジェクト期間の関係を導くような分析アプローチに対しては、当然、疑問や批判もあるだろうと思う。上記の式はマクロな関係を示しているだけだから、もし誰かが、“全体工数は100人月だから期間は11.6ヶ月でスケジュールを作成しました”、などといって計画書を持ってきたら、わたしは「まずきちんとWBSから具体的スケジュールを組んで持ってこい。」とつっかえすだろう。その上で、推算式はバックチェックにつかうはずだ。森を見るマクロな視点は、木の枝を見るミクロな作業の積み上げにおいて、何かクレイジーな勘違いをしていないかをチェックするためのものだ。あるいはせいぜい、ごく初期の段階での超概算見積などに使う程度だ。使い方を間違えてはいけない。

しかし、もっと根本から疑問を呈する人もいるかもしれない。「法則性と言うにはあまりにもバラツキが多く、精度が悪い。それに、プロジェクトというのは元々、ユニークで個別な存在だ。だから、過去データから見てこうなるはず的な議論はナンセンスだ。」 

この反論は、よく見ると二つの別々の意見から成り立っている。まず、「法則と言うにはバラツキが大きすぎる」という意見。これはいいかえると、精度が高ければ法則として使う、という立場を表している。ところが後半は違う。「プロジェクトはすべて個別でユニークな存在だから、過去を参考にするよりも、自分の意思が大事だ」と言っている。この立場から見れば、そもそも法則性などというものは認めないことになる。だからこの二つは、実は並び立たない両極端の意見を表している。

前者の立場を、ここでは「科学法則主義」と呼ぶことにしよう。これは、電気におけるオームの法則のように、厳密な関係性を求めている。たしかに冒頭のグラフは点のバラツキが大きい(だからワザとこれを引用したのだ)。おそらくプロジェクトの全体工期を決める要因としては、工数以外にまだ大事な変数があって、その要因が層別し切れていないために、このようなバラツキを生んでいるのではないか、とも考えられる。他方、後者の立場を「個別主義」とここでは呼んでおく。プロジェクトはすべてユニークだと考える立場だ。この立場ではリーダーの気合いやパッションを重んじる人が多い。

いずれの立場も、主義主張であるから、それ自体が正しいとか正しくないとかは簡単に議論しがたい。しかし、この両者は両極端であるにもかかわらず、不思議な共通点がある。それは、JUASが苦心惨憺して集めた過去のデータは価値がない、と見る点だ。JUASのこの報告書の著者は、科学法則主義でも個別主義でもなく、その中間の立場にいる。そして、過去のデータはそれなりに参考になるし、価値があると考える。過去のデータの価値をどれだけ認めるかを模式的なグラフにしてみると、両端がゼロ(無価値)で、真ん中が盛り上がる形になっているにちがいない。

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そして、わたしもJUASの著者と同じ立場である。過去を知り、過去のデータに学ぶことには、とても大きな価値があるのだ。科学法則主義と個別主義は、たとえているならば二人の登山家であろう。山の中で道に迷って、日もとっぷり暮れてしまった。正しい道を探しているのだが、科学法則主義者は「磁石が不正確で正しい方位を指さない」といって途方に暮れ、個別主義者は「そもそも方位なんてものは当てにならないのだ」と文句を言っている。それだったら、他人の足跡を探せばいいじゃないか、とわたしは思う。足跡の集積が、道になるのだ。他人の経験に学ぶことこそ、わたし達が賢くなる一番の早道ではないだろうか?
by Tomoichi_Sato | 2015-03-28 19:08 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

書評:「『戦略』決定の方法 〜ビジネス・シミュレーションの活かし方」 川島博之・著

「戦略」決定の方法 〜ビジネス・シミュレーションの活かし方(Amazon)

「きみ。インドは経済が急成長しているが、水不足で困っているという話だ。特に南インドはひどいらしい。我が社の水ビジネスにとって南インド市場は有望だ。ついては現地に飛んで市場戦略の提案書をつくってくれ。」

そう、上司が言い出したら、どうするか。深く考えてのことではあるまい。きっと今朝、新聞で読んでの思いつきだろう。でも、上司の命令は命令だ。しかし南インドとなると、ネットでも本屋でもろくな情報は手に入らない。現地を見るのは鉄則だが、行き当たりばったりでは自分の目に見えた程度のことしか分かるまい・・

こういうとき、どうすべきかを、本書は順を追って丁寧に教えてくれる。すなわちシステム分析とシミュレーションを用いた、戦略決定の方法である。手順としては、次のようになる(p.12-22)。

(1) 目的を一つに絞り、数量化する
南インドのどこに水ビジネスのチャンスがあるのかが、自分の知りたいことだ。何よりの手がかりは水需要とその伸びだろう。これを「評価基準(criterion)の設定」とよぶ。

(2)分割して考える
対象がぼんやりと大きくて手がかりがない場合は、要素に分解して考えてみるべきだ。そこで水需要を、農業用・工業用・住宅用に分けてみる。これを「階層化」とよぶ。

(3)手がかりとなる数字を探す
南インドの農業用水といっても、それ自体の統計値は入手困難だ。だが農業用水の需要は、農地面積に比例しているのではないか。これは統計が見つかったが、どうも増えていない。その一方、農業生産量は増えている。灌漑の増加かとも思ったが、どうやら肥料や機械化の進展によるものらしい。これでは農業用水の需要増はあまり期待できそうもない。

(4)自分なりの仮説を立てる
南インドの工業用水の統計もない。しかし国際機関のデータによると、世界の工業用水の需要は、工業生産の増加に比べて、ほとんど増えていないことがわかった。工場の水利用の効率化が進んでいるのだろうか。これは現地でチェックすべきポイントかもしれないが、あまり有望には思えぬ。では、住宅用は? これなら、生活水準の向上とともに、シャワーや選択や水洗トイレの普及で増えるのではないか。南インドの人口も、一人あたりGDPも伸びている。となると、住宅用が有望に思えてきた。

(5)データの変化を時系列に見る
南インド地域の人口分布を時系列的に調べてみた。すると、地域全体の人口増加率を上回るスピードで、大都市の人口が増えている。都市への人口集中がはじまっているのだ。

(6)過去に似たケースがないかを探す
日本でも高度成長期に、都市への人口集中が進んだ。このときは上下水道をはじめとする都市インフラがまにあわず、社会問題が生じた。ならば南インドでも、上下水事業や、ミネラルウォーターなど飲料水ビジネスがターゲットとなりそうだ、と考えられる。

・・ここまで問題が絞り込めれば、現地視察で見るべきポイントも明確になる。「全体像を俯瞰しつつ、攻略のポイントを明確に提示した」(p.22)優れた戦略提案ができそうだ。

このような問題へのアプローチが、著者の言う「システム分析」である。・・え? システム分析って、システム・アナリストの仕事のこと? アナリストってあれでしょ、もう年取ってコーディングが面倒くさくなったSEが、俺は『上流工程』指向だとか言いいながらやる、業務フロー描きのことじゃないの?

そうではないのだ。「システム分析(systems analysis)」は、まだコンピューターなどなかった、第二次世界大戦前夜の英国で生まれた。「イギリス本土を狙うドイツ軍に対し、劣勢に立たされたイギリス軍は、少ない戦力で有効な防衛戦略を立てるためにノーベル賞級の科学者達を動員、支援化学の知識や手法を戦争に関わるあらゆる分野に応用させた」(p.8)のである。当初、「作戦研究operational research」と呼ばれたこのやり方は米国にも取り入れられ、戦後になって「OR」(operations research)や「システム分析」と呼ばれるようになる。

第二次大戦の当初、ドイツ軍は電撃的にフランスを制圧し、イギリスは劣勢に陥る。まだ米国もソ連も参戦していない。ドイツは1940年7月、イギリス侵攻のために沿岸部の制空権を奪うべく、空軍による攻撃を開始する。「バトル・オブ・ブリテン」の開幕である。まだレーダーが未発達の当時、空からの攻撃側が圧倒的に有利というのが常識だった。しかも戦闘機の数はドイツ1100に対して英軍800と劣勢である。「戦闘における損害は戦力の二乗に反比例する」というランチェスターの法則(p.44)を持ち出すまでもなく、劣勢は明らかだった。

このときチャーチル政権下の英国は、物理学者ブラケット(後にノーベル賞受賞)をリーダーに、対空防衛作戦に助言するための物理学・生物学者らの科学者チームを組んで、定量的・客観的に問題を考えさせた。これがいかに画期的な決断か、言うまでもないだろう。軍事の素人に、作戦を助言させようというのだ。

彼のチームは、数少ない照準用レーダーの配置にあわせて高射砲を集めることを提案する。その結果、防空網に空白ができてしまうが、「高射砲をばらまくより、正確な照準に合わせて集中的に狙い撃ちした方が効率的である」という結果を、科学者達はそれまでの出撃記録のデータを分析して得ていた。事実、その方策により、敵1機を撃墜するまでに必要な高射砲の発射弾数は2万から4,000まで減るのである。またレーダー以外にボランティアの肉眼の報告も活用し、どこの基地から何機飛ばすかを数式化しておいた。しかも彼らは、「数的不利を挽回するまでの間、現存の空軍戦力でできる限り温存する」方針の下、ドイツが誘い出す全面戦闘に決して乗らなかった。レーダーと飛行場の守備に重点を置き、市街地への爆撃などは放置するという徹底ぶりである。

結局、「バトル・オブ・ブリテン」は10月にドイツが撤退して終わる。ドイツ軍の3ヶ月間の損耗率は、英軍の2倍近かった(p.69)。これが、システム分析の力なのだ。
著者は、日本軍の特攻と比較することも忘れない。当初こそ効果のあった神風攻撃に対し、米軍はすぐシステム分析に基づいた対処法を考え出す。空母の前方に多数の駆逐艦を配し、襲来をレーダーで早期に発見、空母から迎撃機を差し向ける。かいくぐって標的に近づいた特攻機も、強化された対空砲火でほとんどが撃墜されるのである。成功率は3%程度と、驚くほど低かった。「特攻の悲劇は、システム思考のできない国の悲劇でもありました。」(p.68)

システム分析を上手に行うための最大のポイントは、「モデリング」にある。良いモデルをつくるには、要素の絞り込み方が重要である。かつて経済企画庁は、日本経済の予測モデルをつくり、数千もの連立微分方程式からなる、と自慢していたが、予測はちっとも当たらなかった。じつは、大蔵省(当時)の意向で、低い経済成長率を発表できなかったのである。答えが先にあって、複雑なコンピュータ・モデルをいくら回したって、何にもならない。こういう、つじつま合わせのためのシミュレーションは現在でもしばしば見かける。システム分析の失敗例として著者があげるのは、(1)ローマクラブの「成長の限界」、(2)マクナマラ国防長官のベトナム戦略、(3)ブラック=ショールズの金融工学によるファンド(LTCM)、である。

他方、問題の立て方、評価尺度の選び方も重要だ。「同じシステム分析と言っても、イギリス型とアメリカ型にはかなりの違いがあります」(p.139)と著者は言う。金銭など数字的な分かりやすさを重視して割り切るのがアメリカ型である。これに対して歴史的な視点を重視し、問題を立体的に把握しようとするのがイギリス型で、その結果えられる結論は、「多分に分析者個人の哲学を反映したものになります」(p.139)。それでも、複雑な問題に対してはイギリス型がベターだと著者は考える。

ちなみに著者の川島博之氏は、1953年生まれ、東大農学部の助教授である。なぜ農学部の先生が「システム分析」を? と思うかもしれない。じつは川島先生は工学部・化学工学の出身なのである。大学院からは環境問題を研究し、その後、農業問題、食糧問題の研究に転じる。このときに武器としたのがシステム分析とシミュレーションであった。そして近年、この手法を応用して、
「食糧危機」をあおってはいけない」、
電力危機をあおってはいけない
データで読み解く中国経済―やがて中国の失速がはじまる
などの著書を次々に上梓し、啓蒙活動に力を入れておられる。2013年の6月には、わたしが主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」に招いて講演いただいたが、具体例が多く、かつ意外な視点に満ちていて、非常に面白い内容であった。

本書は最初、大学生・院生を相手としたシステム分析の専門書として構想したらしい。ところが昨今、出版不況にあえぐ出版社は、「大学生は本なんか読みません」「数式の入った本なんて売れません」と、どこも協力を渋って、やむをえず文化系のビジネスパーソンをも対象とした「『戦略』決定の方法」になったらしい。たしかに、これだけの高度な内容を、数式を一切使わずに伝えていく著者の説明能力は見事である。また、挙げられている例も、ビジネス戦略から始まって、技術・経済・軍事・環境など幅広い。システムズ・アプローチに興味を持つ読者に、安心して勧められる良書である。

ただし、上記のような出版事情については、一言いっておきたい。この件では、著者は専門書を断られたがゆえに、かえって広い読者層を得たと言えるだろう。けがの功名である。しかし、本当にこれでいいのだろうか。もっと日本人が本を読んでいた頃、高級な知的人士は、「アメリカ人は本を読まない」とバカにしていた。しかし、知り合いのコンサルタント氏は、90年代にアメリカで出版した工業系の専門書で、まだ毎年それなりの印税収入を得ているという。多少高くても、彼の地では専門書は売れるのである。それは、能力向上には本格的な勉強が必要だと、彼らが思っているからだろう。

「短時間で手軽に勉強したい」→「その結果、能力はあまり向上しない」→「失敗が多い」→「だから収入もあまり伸びない」→「いつまでも忙しい」→「勉強する暇がとれない」→ よって、「短時間で手軽に勉強したい」。 わたし達の社会によく見られる、このようなダウン・スパイラルはいい加減、卒業すべきではないか。きちんと勉強し、繰り返し練習し実践することでしか、有益な能力は身につかないのである。もちろん、個人だけではない。そうしたことを理解せずに、若手に「即戦力」を要求する企業組織の側も、それにより、同じダウン・スパイラルに陥ってることに気づくべきであろう。あなたは「即戦力を育てる」医科大学を卒業したばかりの医師に診察してもらいたいだろうか? 「一週間で資格が取れる」訓練を受けたパイロットの飛行機に同乗したいだろうか? 

わたしなら、ごめんだ。
by Tomoichi_Sato | 2015-03-19 23:57 | 書評 | Comments(0)

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会(4月10日)開催のお知らせ

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2015年第2回会合を、以下の要領にて開催いたします。

今回はいつもと少し趣向を変えて、当研究部会の副査であり、前スケジューリング学会長である八巻直一先生から、日本の技術開発史から見たマネジメントの問題点について、肩のこらない雰囲気のお話をいただく予定です。テーマは、お得意の分野である鉄道=蒸気機関車の話題です。 「日本的マネジメントの感性」(静岡学術出版)の著書もある八巻先生の語り口を、お楽しみください。


<記>

日時: :2015年4月10日(金) 18:30~20:30

場所: 三田キャンパス・旧図書館・小会議室
    http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
    キャンパスマップの【2】になります

講演タイトル: 「技術開発に夢を乗せて - 日本の蒸気機関車開発の悲哀 -」

概要:「新幹線の父」とよばれた島秀雄氏。そのお父上である島安二郎は、日本の蒸気機関車の父であった。単身ドイツに渡ったのち、国産蒸気機関車の開発に成功し、我が国の鉄道技術の礎となった。 本日は、そこに見える技術立国日本の悲哀などをかみしめることにしたいと思います。
気楽なお話ですので、ワイワイ議論をお願いいたします。

講師: 静岡大学名誉教授 八卷直一

講師略歴:
・昭和45年 3月 東京都理科大学大学院理学研究科修士課程 修了
・昭和45年 4月 東京理科大学理学部応用数学科助手
・昭和57年 4月 株式会社システム計画研究所取締役
・平成 8年12月 静岡大学工学部教授
・平成12年12月 静岡大学総合情報処理センター長(併任)
・平成18年 4月 静岡大学工学研究科事業開発マネジメント専攻長(~平成21年3月)
・平成19年 4月 CIO補佐 情報基盤担当学長補佐(~平成21年3月)

著書:
「非線形計画法」八卷直一・矢部博(共著)、朝倉書店(1999)
「問題解決のためのAHP入門」八卷直一・高井英造(共著)、日本評論社(2005)
「大学のITコンプライアンス」八卷直一(監修)、静岡学術出版(2007)
「日本的マネジメントの感性」八卷直一、静岡学術出版(2011) 他多数

参加費用: 無料。
ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、
学会の入会金(\1,000)は免除されます。

参加を希望される方は、確認のためできましたら当日までに佐藤までご連絡ください。
なお、席に限りがありますので、お早目のご連絡をおすすめします。

以上

by Tomoichi_Sato | 2015-03-14 18:46 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

勤め人の子弟と、顧客ロイヤルティについて

横浜・妙蓮寺の中華点心舗「混江龍」は、わたしのひいきにしている店である。すべてテーブル席で、7、8人で満員になってしまうような、小ぢんまりした店を、店主が一人できりもりしている。しかし食べ物はどれも驚くほど美味しい。自然な材料を、余計な人工調味料など使わずに、一つ一つ丁寧に調理して出してくれる。この店は中華なのに、珍しくメニューに麺類がない(夏など、店主が気が向くと手打ちの冷やしそばを出してくれることはある)。客は普通、昼定食とか夕定食とかをたのむ。主菜に副菜、スープと漬け物、ごはんのセットで、料理の内容はその日の季節や素材を活かしたものだ。料理の質と価格の比から見て、横浜広しといえども、(超高級料理店でとんでもないお金を払うなら別だが)勤め人が気軽にいけるクラスでは一番お値打ちの店の一つだと、わたしは思う。

ところで今、勤め人という言葉を使ったが、これで思い出すことが一つある。わたしの息子が大学に入りたてで、アルバイトを探している頃のことだった。わたしは連れ合いと二人でこの店に食べに来ていて、ふと思いついて冗談交じりに店主に提案した。せっかくこれだけの腕を持っているのだから、この店をもうちょっとだけ拡張して、せめて10人以上のお客が入れるようにしたらいかがか。その折には、給仕応対係としてウチの息子をバイトで雇っていただいて・・

すると店主は、いつものように温和な笑顔で、こう答えた。「そうですねえ、ちょっと無理じゃないでしょうか。勤め人のお子さんに、客商売は向かないんですよ。」

勤め人の子弟に客商売は向かない、といわれて、わたしはちょっと考え込んだ。わたしの勤務先はエンジニアリング会社である。工場を設計して作るのが仕事だが、ある意味ではもちろん、客商売である。そしてわたし自身、勤め人の子弟なのだ。てことは、わたしは向かない仕事を長年してきたことになる。

そしたら、隣にいた連れ合いが、ぽつりと別のことを口にした。「そういえば、チェーン店とかファーストフードとかでも、都内の古い街にある店よりも、郊外のベッドタウンの店の方が、応対が良くないのよね。店員が気が利かないの。」 それは要するに、ベッドタウンで働いているアルバイトや店員のほとんどが、勤め人の子弟だからだ。そう、彼女は思ったらしい(ちなみに、連れ合いは町なかの商売の店に生まれて、小さい頃は家に住み込みの職人が大勢いたという)。

サラリーマンの子弟は客商売に向かない、というのは店主の長年の経験によるのだろう。店主ご自身も飲食経営の家に生まれ、大きな店で修行してこられた方ときく(一時は勤め人もされたらしいが)。むろん、勤め人の子弟で立派に客商売をしている人だって大勢いよう。これはまあ比較の問題であって、強いて言えば女性より男性の方が、概して背が高い、という程度の違いなのだろう。だが、わたしにとって、妙に納得感のある話だった。勤め人の子弟は、客商売において大事なところが欠けているらしい。

それにしても、なぜ、そうなのか? 気が利かないからだ、というのが彼女の説明である。では、『気が利く』とは、どういうことなのか。

ここでわたしは、アメリカの空港で見たファーストフードの店を思った。早朝、空港に着き、飛行機を待つ間に朝食をとろうと、あいている数少ない店に客が行列する。早番のレジ係はてきぱきと端から応対し、オーダーをとっては奥に伝え、伝票を客に渡して待たせる。客は伝票番号を呼ばれたらカウンターに来て、伝票とつきあわせた上で品物を受け取る。まるで工場の流れ作業だ。そしてあちこちに、オーダーが間違わないよう、順番や品物が混乱しないよう、工夫が凝らされている。実に見事だった。アメリカの企業は、どこもこうしたシステムやマニュアルを作らせたら、とてもうまい。
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アメリカは多民族国家である。どこの誰が雇われても一定の、70点のレベルで仕事ができるよう、仕組みとシステムを組み立てるのがビジネス文化である。きっと、顧客満足度調査だって、定期的に組み込まれているに違いない。だが、かりに味のことは置いておくにせよ、これは気が利いている状態なのか? そうとは言えまい。

都会のファーストフードで店員の気が利かないのは、安い賃金や、劣悪な労働環境のためだ、という説明もあるだろう。しかし、それでは、ファーストフードのアルバイトの賃金が今の倍になったら、どうだろうか。今の倍も払ったらビジネスが成り立たない、という反論がすかさず来そうだが、世の中には(どこかの国の農政を見れば分かるとおり)補助金なる仕組みも立派に存在している。経費の半分をお上が負担してくれる、というのは良くある仕組みだから、バイトの給料が倍になったら、という思考実験を妨げるものではない。そして労働環境も、労働基準監督署も満足するくらい改善したら。そうしたら、どこのチェーン店も気が利くようになるのか。「スマイル0円」以上に、顧客にうれしい店になるのか。70点が90点に上がるだろうか?

あれこれ想像してみたが、そうはなるまい、とわたしは思った。なぜなら、働いている人たちは、チェーン店の良くできた「システム」から逃れられないからだ。顧客がその店を選ぶのも、立地や価格がメインであって、満足度のためではあるまい。だから手頃な競合店が現れたらすぐ客を奪われるだろう。顧客のロイヤルティを上げたければ、店員の別の面を、つまり「気が利く」といったような面を上げる必要があるのだ。だが、どうやって?

もう一つ、思い出した事例があった。かつてあるコンサルタント会社の人と、北陸に出張したことがある。この方は一種の顧客満足度調査をいろいろやられている方で、面白いことを言った。航空会社のJ社さんの、全国の空港地上職員の応対を調べたとき、これから向かう北陸の空港だけが、図抜けて成績が良かった、という。ところで、その空港のチーム員は、社員ではなく全員が派遣会社のスタッフなのだそうだ。「じゃあ、その派遣会社が良いんですか?」「ところが違うんです。実はライバルのA社さんも、同じ派遣会社から地上職員をやとっているんのです。ですが、J社さんの方がずっと評判がいいのです。」

じっさい、わたし達二人がカウンターに近づくと、まだ数mも離れているうちから、カウンターの向こうに座った5名の女性職員全員がにっこりと立ち上がり、お辞儀をする。いやみがなく上品で、とても感じが良かった。もちろん応対も丁寧でしっかりしている。客が来たら椅子から立ち上がって、礼をする。ただ当たり前のことだが、それが自然にできると、こんなにも違うのか。わたしは同僚が自分の席に何か依頼に来るとき、いつも立って話を聞いているだろうか? 同僚は客ではないとしても、自分が横柄な人間に思えてきた。

「でも、どうして同じ会社なのに、こんなに違うんでしょうか?」わたしはたずねた。「そうですね。よく分からないのですが、一番右に立っていたチーフの個人的な資質の違いが、影響しているんじゃないかと思っています。チーム員を、よく引っ張っているんです」と、その方は答えたのだった。そういえば近くには古都・金沢がある。チーフはそこの商家の出身だろうか、などと根拠もないことを想像してみた。

気が利くという事柄の中身を、少しブレークダウンして考えてみよう。それはおそらく、四つくらいの要素から成り立っているらしい。
(1) 顧客が何を望んでいるのか、言われなくてもすぐ気づくこと
(2) どういう対応を取ったら、どうなるか先読みができること
(3) 瞬時の判断ができ、機転を利かせられること
(4) 自分に許された裁量の範囲内で、リスクを取って行動できること
これらが満たせれば、“うん、たしかに気が利いているな”と顧客にも認められるはずだ。

わたし自身のことに引きつけて考えてみると、どうも(1)と(3)に問題があるらしい。わたしは他人が何を望んでおり、どういう感情を持っているかに対して、どうも気づきが鈍感だし、おまけにクルクルと瞬時に頭が回るたちではない。だから、「優しいんだけど、思いやりがないのよね」というのが、わたしに対する批評である(たぶん、わたしの部下だったらもっと厳しい批評を言うだろうが)。

テクノロジー、技術というものは、移転可能である点に特徴がある。技術とは、ある、うまいやり方を移転可能にしたものだ。うまいやり方が個人に属していて、誰にもすぐ伝えることができない場合は、スキル(技能)と呼ばれる。ところが、電気回路の設計であれ、機械の設計であれ、誰が計算しても基本的に同じ数字が得られるというのが、科学法則に基づく技術の本質だ。

そういう意味で、仕事をきちんと部品に細分化して、それぞれを動かすための技術を整備し、全体をとりまとめるためのシステムを組み上げていく事は、仕事から属人性をなくして、一定レベルの品質を保つ上ではきわめて有効だ。だが、そのような仕組みの中で働いている人間は、どう感じるか。最終的には、自分であっても、他の誰であっても、同じ結果になるわけだから、自分がまるで交換可能な部品であるような感じがするだろう。働いている人を、部品かモノのように疎外していく状態が、今の技術やシステム化の行き着く姿なのだ。

このような職場では、基本は指示と報告で人を動かす。指示に従えば、規定通りの給料を払う。従わなければ、クビにするぞと脅すことになる(だって交換可能なのだから)。こうした人の使い方を、”Management by Fear”=「恐怖によるマネジメント」と呼ぶのだと、最近聞いた。当然ながら、働く側のモチベーションは、「言われたとおりのことをやっていればいいんだろ」という、最低の状態に留まることになる。言われたことはする。言われないことはしない。こうした勤め人であるわたし達の態度は、無意識のうちに子弟に伝わっていく。彼らにとって、上記の(1)から(4)までを発達させるインセンティブは、何もない。

もっとも、日本の企業の場合、もちろんマニュアル化もしているし、システムも作り込んでいる。だが、ある程度の部分は品質を個人個人の、属人性で担保するところが、残っている。だから、働いている人間(とくにホワイトカラー)は、そうしたシステムの隙間を自分で埋めることによって、自分が代替不可能であることの担保にしようとする。かつて、「必要な人はいつもたった一人しかいない」に書いたとおりだ。だが技術的ソリューションの進歩は、そのスキマを少しずつ確実に埋めようとしていく。

でも、職人や個人商店とその子弟は、なぜ、少しは気が利くようになるのか。そうしないと、店がつぶれるからか? ——だとしたら、結局それは「恐怖によるマネジメント」と同じ事ではないか。何か別の要因があるはずだ。

そう考えていたら、隣のテーブルのお客さんが、席を立った。「ごちそうさま。ああ、美味しかった!」といって、勘定を払っていく。店主もまた温和な笑顔になって、おつりを渡しつつ、何か声をかけている。なんとなく、ここには勘定のやりとりだけでなく、感情の交換があるな、と、シャレのようなことを考えた。美味しい食べ物を出す。食べた人はそれで、ハッピーになる。出した人もそれを感じて、ハッピーのお釣りをもらう。

そして、そこにこそ「気が利く」の本質があるのではないかと、思い至った。取引はビジネスだが、その上に感情のやりとりがある。相手が幸せになり、自分を認めてくれれば、自分もうれしい。だから、先読みやリスクテークをしてでも、相手に満足してもらえるようになりたいと思う。そうしたことが、ほとんど無意識の習慣として、身につく。それが、気が利くということではないか。それを、「倍の給料」や「恐怖のマネジメント」で人に強いることができると思うのは、愚かである。

それにしても、顧客が幸せになる姿を、直接見られる仕事は、なんてうらやましいんだろうと思った。わたしの仕事は、一つのプロジェクトが3年も4年もかかる。今、自分が設計したことが、結果になって現れるのはかなり先であり、それを使う人たちだって、今目の前にいる担当者とは別のことが多い。だから、相手の満足度がよく見えないのだ。誰かに幸せになってもらった、という実感が、とても得にくい。食べ物屋さんは、目の前の人をその場で幸せにできる。なんてすごい仕事だろうか。
(むろん、これは勤め人のセンチメントであり「隣の芝生」であることは分かっている。自営業者から見れば、休暇を取っても給料の出る勤め人が、とても楽に見えるに違いない)

企業というのは、仕事の質が70点あればビジネスとして成り立ちうるし、75点もあれば、大企業に成長できるかもしれない。だが、顧客ロイヤルティの高い、イノベーティブな企業になるのは、75点では無理だ。おそらく85点か90点くらいのパフォーマンスが、コンスタントに出なければいけないのだ。ところが、マニュアルだとか、システムだとか、そういった技術的なソリューション、テクニカルな方策だけでは、どうしても破れない壁がありそうだ。その壁は、働いている人間の感情面、もう少し言えば、自尊感情と同僚や顧客へのリスペクトから来ているのではないだろうか。そして働く人間の自尊感情は、基本的に「他者による認知」=ありがとうという感情、から来るのだ。そして大組織で直接顧客と接しない立場でも、自分の下流側部門、あるいは自分が支援する対象部門が、自分たちにとっての「顧客」である。

わたし達の仕事をさらにもっと良くしたければ、もう少し感情のやりとりに、注意を向ける必要があるのだ。対人的に鈍感な自分にとって、それこそが必要なトレーニングなのだろう。いや、まず手始めは家族に対してかもしれない。・・お皿に残った美味しい点心風デザートを平らげながら、わたしはこっそり、そう思った。


<関連エントリ>
 →「アメリカン航空に乗るおじさんの日記 - サービス業の本質とリスクについて」/(2014-03-30)
 →「R先生との対話 — 受注ビジネスにおける顧客満足とは何か」 (2015-02-01)
by Tomoichi_Sato | 2015-03-11 07:33 | ビジネス | Comments(0)

とれるだけ仕事をとってはいけない

最初に、損益分岐点の説明からはじめよう。企業は、製品やサービスを売って売上を得る。しかし、世の中にタダの物はないので、そこには必ず費用(原価)が発生する。その費用が製品の販売数量に単純に比例する場合、企業は売上に比例した利益を得ることになる。この関係を図(a)に示す。横軸は、売上である。工場の視点から言うと、売上向上すなわち稼働率向上を意味するから、横軸は稼働率と見てもよい。縦軸は金額で、実線が売上高を、点線が費用を示す。費用は純粋に、売上高に比例する。これを変動費ともいう。売上に伴って、変動するからである。たとえば製品を作るのに必要な原材料の購入費がそうだ。あるいは、製品を加工するための外注費などもそうだ。
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ところが、企業にはこれとは別に、売上高にまったく関係なく、固定的に発生する費用がふつうある。これを固定費という。その典型例は、設備機械の減価償却費である。あるいは、従業員の給料などもそうだ。売上があろうがなかろうが、給料は払わなくてはならない。事務所や工場用地の賃料もそう。

こうした固定費があるため、費用合計の線は、図(b)に示すように、グラフの原点ではなく、縦軸に少しプラスの切片を持つようになる。ところが売上の方は当然ながら原点から右上がりの直線だから、この二つの線は、どこかでクロスして、それより右側は売上の方が大きく(つまり利益が出る)、その点より左側は、費用の方が大きく(つまり赤字に)なる。損失と利益を分ける点なので、これを損益分岐点(Break-even Point)とよぶ。経営者は当然、なんとかして売上を損益分岐点よりも大きくして、利益を出そうと努力することになる。また逆に、なんとか固定費を下げて、損益分岐点を小さく(原点よりに)ずらそうと工夫するだろう。
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ここまでは、まあ基本である。問題はこの先だ。

以前、「稼働率100%をねらってはいけない」(2014-07-27)にあげたグラフ(c)を思い出してほしい。工場の設備は、稼働率が高くなり100%に近づくと、急激に待ち行列が長くなる。これは、受注のタイミングや製造作業の時間にバラツキがあるために生じる現象である。注文が立て続きに来ると待ち行列が長くなるが、注文の間隔が開いたときは(行列の長さはゼロ以下にならないので)行列の短縮効果には限界があり、プラスとマイナスが打ち消し合わないために発生する。だから工場には、ある程度は余剰の能力が必要であり、不況になったからといって、遊休設備を捨てて工場稼働率を100%に近づけよう、などといった施策をとってはいけない。これはORの一分野である待ち行列理論から論理的に導き出される性質だ。
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ところで、この待ち行列の長さはすなわち、その会社における仕掛在庫量を表している。なぜなら、注文を受ける→すぐ原材料を手配する→原材料がサプライヤーから到着する→製造機械の前で行列になって待っている、という訳だから。いや、たとえ物が手元にあろうと輸送中であろうと、手配をかけてしまえば事実上、それはもう在庫なのだ。そして在庫であれば必ず、保管費用や在庫金利が発生する。それだけではない。待ち行列が長くなり、製造リードタイムが長くなることは、納期遅れの頻度が高まる訳だ。厳しい顧客だとペナルティを要求されるだろう。不良が出た際、作り直しの工程への影響も甚大になる。苦肉の策で他社に製造の一部を外注すれば、当然コストがかかる。そうでなくとも、工場にモノがあふれかえってくると、動線が錯綜し、モノ探しのムダな手間が増える。つまり、全体としてコストが増えるのだ。

したがって、
 全体の費用 = 固定費 + 変動費 + 製造待ち行列にかかる余計な費用
ということになり、図(d)のような右上がりの曲線(下に凸)になる。この図から分かるように、費用の線は、今度は2回、売上と交わる。一つは先ほどの損益分岐点のあたりだ。もう一つはもっと右側、稼働率が危険水域に達する地点である。これ以上、仕事をとると逆に赤字が発生する。これをわたしは「危険稼働率」と呼んでいる。

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だから製造業では、急に好況になったからといって、営業部門が「とれるだけ仕事をとって」きてはいけない、ということが言える。ほとんどの企業では営業部門を「売上高(受注高)」で目標管理しているから、仕事があればあるだけ取ってこようと、まるで獲物の群れを追う狩猟動物のように反射的に動くが、これは実は危険なのだ。もっとも図(c)は、工場を単一工程でモデリングしたケースであり、実際の工場はもっと複雑な構成になっているから、この危険稼働率は簡単には算出できない。だが、いずれにせよ費用合計が下に凸の曲線になること自体は確かである。

さて、ここまで読んだ読者の中には、「ウチは製造業じゃないから関係ないや」と思うサービス業の方もおられるかもしれない。「別に、仕掛在庫とか発生しないし」と。

ところが違うのである。たとえ在庫の発生しないサービス業でも、それが受注ビジネスであり、かつ受注前に見積設計作業が必要であったら、受注量を増やしすぎるとかえって赤字になることが、最近の研究で明らかになってきているのだ。なぜか。

昨年11月に、わたしが主催する「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」は文教大学の石井信明教授をお招きして、講演していただいた。タイトルは「需要変動化における受注戦略のマネジメント 〜受注ビジネスを例に〜」である。石井先生の講演は、まず、とある受注ビジネス型業界におけるライバル企業2社の、過去40年間の売上と経常利益の比較から始まる。じつは、わたしがよく知っている業界である。この業界では過去40年間に、ほぼ10年ごとに成長局面があった。顧客となる市場に、一種のブームがあったからである。

しかし2社の業績をよく比べてみると、受注変動の大きなA社の方が、そうでないB社と比較して利益が低い傾向が読み取れる。とくに、大きな受注高を上げた少し後に、ひどく赤字を出す傾向があり、長い年月の間では、それが企業の収益力の足を引っ張っていることが分かる。いいかえるなら、同じような業界のアップダウンを経験しても、受注量が比較的平準化されているB社の方が、長期的には成長力が高いのである。

どういうメカニズムでこのような現象が生じるのか。石井教授の立てた仮説は、こうである。競争入札が主体で、受注前に見積設計を要求されるような業界においては、精度の高い見積ができる人材はある程度経験を積んだベテランであろう。そうした人材は、当然ながら社内で限られている。経験の足りない人間が見積をすると、見積自体の精度が落ちる。精度が落ちるというのは、別に見積の値自体が小さくなるという意味ではなく、平均値からのプラス・マイナスの振れ幅が大きくなる訳である。

さて、入札できまる受注ビジネスにおいては、当然ながら提示価格が競合企業の中で最も低い者が、仕事を受注できる。コストを低く見積もった案件ほど、受注の可能性が高まるが、とうぜん受注後の採算は低くなる。そして、見積の精度が悪いほど、コストを低く見積もる可能性が高まり、低採算で案件を受注してしまう可能性も高まることになる。そうなれば、受注段階からすでに、プロマネの管理範囲を超えるような想定外のコスト差異を背負って、スタートしなければならないわけだ。

そして、受注ビジネスにおいて、企業は普通、受注した案件の遂行と、次の案件の見積作業を複数、平行して抱えている。ところが、受注量が多くて業務繁忙期にあるときは、見積に十分なリソース(ベテラン人材)を投入できるとは限らない。その結果、見積の精度が落ち、不採算で仕事を受注してしまうのだ。そして、いったん赤字のジョブを受注してしまうと、その問題を押さえ込むために、さらにベテラン人材を張り付けざるを得ない。また赤字プロジェクトは納期も遅れがちだから、そうした人材を次の案件に回すことも難しくなる・・

石井教授は上記のようなダウン・スパイラルの現象をモデル化して、シミュレーション実験を行った。見積精度は、見積作業に割り当てられる人時に対するロジスティック曲線(S字カーブ)で近似する。詳しい説明は省くが、多期間にわたり、毎年同額の受注を継続する場合、受注高が上がると平均利益も上がっていくのだが、ある点を超えると利益が下がりはじめる結果になった。つまり、平均利益を最大化する受注高が存在するのである。これは、上に説明したような繁忙による見積精度低下によって起こる。

つぎに、三つの受注戦略をシミュレーションで比較してみる。戦略Aは固定型で、目標受注量を固定し、毎年、その目標額を受注すべく、案件の入札を繰り返す。戦略Bは変動型で、前期の受注量が小さかった場合は目標値を大きくし、前期にたくさん受注高が上がった場合は、翌年の目標値を下げる、という具合にする。そして戦略Cは抑制型とよばれ、戦略Bと同様に前期が良ければ当年の受注は抑制するが、たとえ前期の受注量が小さくても、毎年の受注量上限を達成したらそれ以上は入札には参加しない、というものである。そして、今度は、市場の需要にも変動を加えた。

それを15年分、回した結果は、きわめて明瞭だった。市場の需要に変動がある場合、15年間の合計利益は、
 戦略C(抑制型) > 戦略B(変動型) >> 戦略A(固定型)
となったのである。つまり、毎年の受注量に上限を決めて、受注量の平準化を図る戦略が、もっとも安定して収益を上げられる。そして、不況時にも目標を変えずに「とれるだけ仕事をとろう」と入札を繰り返す戦略Aは、他よりもかなり利益が低くなるのである。

ちなみにこの研究は、プロジェクト・マネジメント分野では世界トップの論文誌であるInternational Journal of Project Managementに昨年掲載されたので、もし詳細を知りたい方は、そちらを参照されるといい(Ishii, N., et. al.: An order acceptance strategy under limited engineering man-hours for cost estimation in Engineering–Procurement–Construction projects. JPMA, Vol. 32, pp.519-528, 2014)。

という訳で、教訓は一つである。つまり、たとえ市場環境が好況であっても、“この際、とれるだけ仕事をとろう”、としてはいけないということだ。自分の組織の処理能力を超えて受注してはいけない。それどころか、たとえ稼働率100%に満たなくても、危険水域を超えて受注をしてはいけないのだ。そうすれば、後でツケが回ってくる可能性が非常に高い。短期的には、運がよければ、切り抜けられるかもしれない。しかし、長期的には、自分の成長力を損なうのである。

そして、わたしが何より心配なのは、世の中にはこうした研究があるのに、産業界ではいっこうに気にしないどころか、知ろうともしない様子であることだ。最初に書いた、工場内の仕掛在庫に関わるダイナミクス研究は、米国ではFactory Physics(工場物理)と呼ばれ、広い意味での経営工学の一部である。後半に紹介した石井先生の研究は、プロジェクト・マネジメント分野の研究だ。どちらも、たしかに理論的研究に見える。しかし、ビジネスに対する示唆は非常に大きいものがある。それなのに、わたし達の社会では、産業界はこうした研究に関心がなく、もちろん研究費を投じようという動きもろくにない。

「ウチの社長は文系だから」という言い訳もよくきく。だが、上記の理屈は、ふつうに考える能力のある人なら、理解できる範囲のことである。まともな経営者は、「じゃあ、ウチの危険稼働率は何%なんだ?」とたずねるだろう。それを推算するのが、エンジニアの能力ではないか。「製造業を捨てた」はずの米国では今なお、工場物理が盛んに研究されている。一方、「ものづくりが日本を救う」はずのわれらが社会では、“数式の載った本なんて出版しても、誰も買いません”、と出版社がいう始末だ。どこかで、わたし達の社会の知的風土は、劣化してきていないだろうか? ・・これが単なる杞憂であることを、わたしは願うが。
by Tomoichi_Sato | 2015-03-03 23:12 | サプライチェーン | Comments(7)