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減らすべき在庫、生かすべき在庫の区別 — 在庫管理論を再考する(3)

昨年末、拙著『BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)』が増刷になった。初版が2005年1月だから、ありがたいことに10年間、現役で売れ続けていることになる。累計部数も1万部近い。多くの人に手にとっていただけたということは、それだけ部品表の問題に悩む人も多いことを示しているのだろう。

この本は帯の部分に「マテリアル・マネジメント改革の基本技術」とサブ・タイトル風に銘打っている。BOMはマテリアル・マスタ(品目マスタ、部品マスタなどとも呼ばれる)とともに、製造業におけるDNAにも似た役割を持っており、モノの供給・流れ・消費を司っているからである。

ところで、わたしは勤め人なので、本を書くには土日か夜の時間しかつかえない。したがって、1冊の本を書くのに丸1年はかかる。そして1年もあると、執筆してているうちに、本の主旨が最初の意図から変わっていってしまうことがある。本書を書いたときが、まさにそうだった。書き始めた当初は、ERP技術者のために、MRPのパラメータ設定のノウハウを書くつもりだったのだ。だが、書き上げてみると全く別の主張をもつ本になっていた。すなわち、「BOMは製造業のDNA情報であり、そのデータを特定のパッケージソフトなどに依存すべきではない」という結論になったのだ。

BOMの概念は、生産計画手法MRPとともに、米国で’60年代に発達した。MRPの基本コンセプトは、当時の米国における生産管理思想を色濃く反映している。大量見込生産、豊富な生産資源(機械設備能力)、大ロットにふんだんな在庫・・そして何より、生産という仕事を一種のシステムとしてとらえ、非常に理性的かつロジカルにモデル化して、コンピュータ(当時のことだから大型汎用機)で計画・指示しようという発想だ。

この発想は、’70年代前半のオイルショック以降、転換を迫られて、需要にミートしたタイムリーな生産と、在庫陳腐化リスクの低減が求められるようになるのだが、そこでの武器もまたMRPであった。ATPなど様々な機能拡張を経て、’80年代にはMRP IIとして模様替えされ、’90年代には各種ERPパッケージに組み入れられるようになった。その流れは今でも連綿として続いており、グローバル化したサプライチェーン全体での生産・在庫を最適化するために、現代流の超高速MRPを中核にして、販売操業計画S&OPをまわしていく方策が、多くの欧米系企業でとられている。

ところが日本は’80年代、電機業界や自動車業界の輸出の黄金期であり、「日本流経営」に自信満々、“もう欧米に学ぶところなし”と公言してはばからぬ人が続出した。さらに麗しきバブル時代に入ると、生産管理なんて泥臭い仕事には、誰も関心を示さなくなった。このためMRP II以降の発展がまったく入ってこないし、普及もされない状況が10年間続いた。これをわたしは「生産管理の失われた10年」と呼んでいる。バブル崩壊後の’90年代後半は、米国からSCMなどの最新概念がまた入るようになったが、しかし同時に日本企業は工場の閉鎖と海外移転に走るようになった。こうして、生産管理論全般の足腰が弱まってきた。

わたしの本業は工場づくりである。製造業のお客様に工場を作り、また工場の操業管理のためのコンピュータシステムを設計して納める仕事に、ずっとたずさわってきた。ところが、国内顧客はバブル経済崩壊以降、なんとなく、生産管理の基本コンセプト自体がぐらついているケースが多いように、感じられた。同時に、長引く不況のせいか、あるいはERPブームのためか、生産管理システムをきちんと構築できるIT技術者の数も減ったようだった。このままではまずい。わたしがときおり本を書いたり、こんなサイトをずっと運営し続けているのも、もう少しきちんとした議論の土台作りに微力ながらも貢献したいと考えてきたからだ。

さて、BOMの本を書いている途中で、中間部品および原材料の在庫の問題にぶつかった。在庫管理の本は、主に製品在庫に焦点をあてて書いていることが多い。しかしBOMは部品材料の表なのだから、そいつをどう定義し、どう管理すべきか、あらためて考えることになった。『BOM/部品表入門』の第5章「在庫管理のためのBOM」は、まるまる一章を、その問題にあてている。

それを考えるうちに、在庫と一口に呼ばれるものの中にも、じつは複数の異なるカテゴリーがあることに気がついた。そのきっかけは、「引き当て」の概念である。

「引き当て」とは、モノに使用の予定を紐づけることである。あなたが本を探しに書店に行ったとしよう。たとえば、名著の呼び名も高い佐藤知一の『BOM/部品表入門』(笑)を探しているとする。店頭を探したが見当たらない。そこで仕方なく注文をいれることにする。数日後、書店から入荷の連絡を受け、また店にいってみる。注文カウンターにいくと、奥から本を出してきてくれる。たぶん注文主の名前を書いたスリップが添付されているだろう。ところが、よく見ると、棚にも同じ本が置かれているのを発見する。書店がこの本は売れ筋と判断して、2冊仕入れていたのだ。店頭に置いてある本と、注文カウンターの奥にとってある本は、同じモノの在庫である。だが、そのカテゴリーが異なる。1冊は、すでにあなたという特定顧客による消費予定が決まっている。書店はこの本を、他の客先に売るわけにはいかない。しかし店頭に積んだ1冊の方は、誰に売っても良い。というか、誰に売るか(売れるか)決まっていない。

このような状況のことを、引き当て済み在庫=1冊、未引き当て在庫=1冊、と表現する。こうした引き当ての概念は、製品のみならず中間部品にも原材料にも適用される。

さて、「在庫を減らせ!」という号令がかかったとき、減らすべきなのは引き当て済み在庫の方なのか、それとも未引き当ての方なのか? いうまでもないことだが、すでに顧客のついている引き当て済みの本を処分(返品)する訳にはいかない。減らすなら、まず未引き当ての在庫を減らすべきである。

ところで、店頭にある製品で引き当て済みのものは、「売約済み」在庫になる。しかし、中間部品や原材料で、特定の使用予定(製造オーダー)に引き当てられているものは、まったく別の呼び方になる。それは英語でWork in Process = WIPと呼ぶ。日本語なら「仕掛品」とか「仕掛在庫」になる。原材料で使用予定が決まった瞬間から、製品になってめでたく工場から出荷するまでの間は、次の使用予定が決まっている限り、WIP=仕掛在庫になる。工場内や工場間で輸送中のモノもそうだ。いいかえると、製造リードタイムがゼロでない限り、工場内には必ず仕掛在庫が存在する。たまに、「うちの工場は在庫ゼロを目指しています」などという所があるが、それは仕掛品ゼロ、すなわち「何も製造しないこと」を目指していることになる。

仕掛在庫(WIP)と似ているものに、エージング在庫がある。たとえばウィスキーを樽の中で熟成させる。これには年月がかかる。だが、ウィスキー工場で「15年も在庫しているのか! 死に筋在庫だから早く処分しろ!」と叫ぶ者がいたら愚かである。必要があって寝かしている。このように、仕掛在庫やエージング在庫、輸送中在庫など、すべて次工程で使用されることが確定しているものをまとめて、わたしは『フロー在庫』と呼んでいる。

では、特定の使用予定に紐づいていない、未引き当て状態の在庫は何と呼ぶのか? 答えは、ストック(Stock)である。英語で見込生産のことをMTO = Make to Stockとよぶが、この事情をよく表している。ストックするために製品を作る。ストックの在庫を店頭に積み上げて、客を呼ぶ。そしてこの用語は、中間部品でも原材料の在庫でも、共通だ。まだ特定の使用予定に紐づいていない状態、すなわち、いつか発生するかもしれない将来の需要に備えるために置いておくものをストック在庫と呼ぶ。

ところで、ストック在庫であれフロー在庫であれ、その発生には二種類の理由が考えられる。計画的につくって置いているものと、偶発的に生じるものだ。たとえば、工程間でロットサイズが異なる場合は、どうしても途中で在庫が生じる。これは工程間バッファーの一種で、計画上やむをえず生じるフロー在庫である。しかし、同期するべき工程間のタイミング不良が起きて、発生してしまう滞留品は、偶発的なフロー在庫である。そして、意図せずにできてしまって、しかも使用予定が決まっていない種類の在庫は、いわば『できちゃった在庫』だ。

工場がまず第一に撲滅すべきなのは、この『できちゃった在庫』である。それに比べれば、タイミング不良による滞留は、望ましくはないが、下流工程で全部消費されるのだから、まだしも罪は軽い。そして、計画的なストック在庫やフロー在庫などは意図した在庫であり、むしろ積極的に活用すべきだ、というのがわたしの考えである。

在庫削減もけっこうだが、この4つのカテゴリーを区別せずに、むやみに減らすことばかり取り組むべきではない。ためしに、現在、工場内で抱えている在庫のうち、どれがストック在庫でどれがフロー在庫なのか、一度落ち着いて区分してみてはどうか。そして、そのうちのどれくらいの割合が偶発的な発生かも、概算してみるといい。そうすれば、より適切で現実的な削減目標が決まるだろう。

ちなみに、『BOM/部品表入門』では、6つのカテゴリーに分類していた。しかしちょっと多すぎて覚えにくく、また、APICS(米国生産在庫管理学会)の分類定義などを見ても4つに大別しているようなので、最近は4つのカテゴリーに集約して説明している。また企業個別の事情によっては、もっと適切な分類だってあり得るだろう。

いずれにせよ、わたしがここに書いたようなことは、落ち着いて考えれば、誰にだって分かることである。だが、今日、こうした分類で在庫問題に取り組んでいるところも少ないし、生産管理の解説書などでもあまり見かけない。とても残念なことだ。それこそ、「生産管理の失われた10年」の影響だろうと思う。そして、念のために書いておくが、その10年間の空白は、決して不況のために生じたのではなかった。わたし達の社会の、実力以上の好況と自信過剰によって生じたのである。


<関連エントリ>
 →「その在庫はストックですか、フローですか?」 (2012-06-02)
→「MRPとは何か」 (2008-05-15)
by Tomoichi_Sato | 2015-01-25 21:55 | サプライチェーン | Comments(0)

生産スケジューリングと生産統制に関するセミナーのお知らせ

来る2月18日(水)と19日(木)に、それぞれ大阪と東京で、有償セミナーの講師を務めます。
内容的にはかなり重なっており、日本に多い受注生産型の工場を主な対象に、納期遵守のための生産計画とスケジューリング、リードタイム短縮ならびに生産統制について、事例と演習を含めてお話しします。

拙著「革新的生産スケジューリング入門」や「BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)」をお読みになった方はご承知の通り、わたしは具体的なテクニック論のみならず、原理・原則に関する体系的な理解を重視しています。そのため、生産活動全般を『システム』としてとらえ、その生産システムをより良く運用するにはどうしたらいいか、より上手に設計するためには何に留意したらいいを考える『システムズ・アプローチ』をとります。したがって業種分野については、わりと間口を広くとってお話しできる点が特徴です(もちろん、ここでいうシステムとは仕組みのことであり、コンピュータのことではありません)。

普通の現場改善コンサルタントの講義に、飽き足りない気持ちでおられる技術者の皆さんのヒントになればと思っています。関心のある方のご来聴をお待ちしております。

<大阪>

日時: 2月18日(水) 10:00-17:00

テーマ: 「納期遅れを起こさない 生産統制のポイント
     ~ こうすればうまくいく、受注型生産工場の生産計画 ~」
主催: 公益財団法人 大阪府工業協会
     http://www.opmia.or.jp/
会場: 大阪府工業協会研修室
     大阪市中央区本町 4-2-5 本町セントラルビル
     (市営地下鉄御堂筋線「本町」駅8番出口すぐ)
セミナー詳細: 下記のPDFファイルをご参照ください(「受講申込書」も兼ねています)
     https://dl.dropboxusercontent.com/u/17787880/Osaka20150218.pdf


<東京>

日時: 2月19日(木) 10:30-17:30

テーマ: 「生産スケジューリングの基礎とリードタイム短縮のポイント 
     〜 デモ付 〜」
主催: 株式会社日本テクノセンター
     http://www.j-techno.co.jp
会場: 株式会社日本テクノセンター研修室
     東京都新宿区西新宿2-7-1 小田急第一生命ビル22F
     (都営地下鉄大江戸線「都庁前」駅または丸ノ内線「西新宿」駅)
セミナー詳細: 下記のURLをご参照ください(受講申込もここからできます)
     http://www.j-techno.co.jp/seminar/ID50L7N0O4H
by Tomoichi_Sato | 2015-01-22 23:03 | サプライチェーン | Comments(0)

在庫をどの形で持つか — 在庫管理論を再考する(2)

前回、このサイトでわたしは「在庫というものの意義をちゃんと積極的に評価して、そのコストやリスクに見合う適切な活用方法を考えるべき」だ、と書いた。「そのコストやリスク」のうち、『在庫のコスト』とは、前回も説明したとおり、保管費用と在庫金利に代表されるコストである。

それでは『在庫のリスク』とは何か。代表的なものは二つある。保管期限切れリスクと、不動在庫化のリスクである。在庫品目の中には、保管期限のあるものが存在する。電子材料系や化学品などに多いが、一定の有効期限がある。飲料・食品などでは賞味期限というかたちをとる。いずれにせよ、ある一定の期限を過ぎたら、在庫として無価値になってしまうのだ。したがって、基本的には保管期限が来る前に、使い切ってしまわなければならない。ちなみに生産スケジューリングの分野では、とくに中間在庫品に有効期限のある問題は、解くのが最も難しい部類に属する。これに保管スペースの容量上限などが組み合わさると、もう超絶技巧級の難物である。手作業ではまず解けないと思っていい。

そこまで難しくなくても、よく悩みの種になるのが、「3分の1ルール」というやつだ。大手流通チェーンではよく、「3分の1ルール」なる規則が納入業者に課されることがある。これは、「有効期限(賞味期限)が残り3分の2以上あるものしか受け取らない」というルールである。そもそも大手流通チェーンでは、有効期限付きの商品はロット逆順の納入を許さない。つまり、2月末の期限付き商品のロットが出荷された後で、1月末期限のロットを納めようとしても受け取ってくれない、という慣習である。「3分の1ルール」はこれに加えて、「有効期限が3分の2を切ったもの」、すなわち製造日から有効期限の3分の1以上が経ってしまった商品は、受け取らない、とする。さらに、「販売期限は、賞味期限の3分の2の時点までを限度とする」というルールも、しばしば同時に行われている。

たとえば有効期間が6ヶ月の商品を1月末に製造したとする。有効期限は7月末だ。ところがこのルールによると、4月に入ったら、もうその商品は大手流通チェーンは受け入れてくれなくなる。1/3経ってしまったからだ。そして、受け取ってもらった商品でも、もし小売店頭で5月以降まで売れ残っていたら、どうなるか。その場合は、残り期間が1/3を切ってしまったので、卸に返品されてしまう。当然、卸は廃棄せざるをえなくなる。これが「3分の1ルール」に伴う在庫リスクである。

この慣習は2000年頃から食品業界を中心に広まったと言われている。が、さすがに問題が多いので、最近はやや見直しの機運にある。問題が多いといっても、別に、サプライチェーンにおける『在庫リスク』が大きすぎ、経済の生産性阻害要因になるから、という観点ではない。主に「返品された食品を廃棄するのはもったいない」という価値観ないし道徳観(?)からである。もちろん、チェーン側からすれば「消費者の要求からこうなった」との説明がされるから、ことは消費者意識にまで問題の裾野は広がっている。

さて、もう一つの在庫リスクは、不動在庫化、いわゆる「死に筋在庫」化の可能性である。作ったはいいが、使われぬまま、いつまでも動かずに残ってしまう。広い意味では、品目の陳腐化のリスクもこれに含まれる。使えることは使えるのだが、もう仕様が古くなって、使いたくない。(なお、「不動在庫」のかわりに「不良在庫」という用語が使われることもあるが、後者は品質検査の結果、ロットアウトした在庫なども含んでしまうので、ここでは不動在庫と呼んでおく)

不動在庫になってしまった品目が見つかった場合、最終的には除却廃棄処分にするか、あるいは捨て値で見切り販売するか、ふつうは二つに一つである。まあ、製鉄やガラスなど素材産業の一部では、製品を原料の一部に戻すこともあるが、いずれにせよ会計上はコストが発生する。有効期限切れも同様である。

ところで、この件について、ある方からご質問をいただいたので、少しここで補足させてもらうことにしたい。それは、在庫を持つことによるコスト・メリットと、不動在庫化するリスクとの数値的比較の方法についてである。

一般に、リスクとコストを比較する場合には、

 (発生確率)×(影響金額)

で計算して比較する、というのが、標準的な考え方だ。これはプロジェクト・リスク・マネジメントでも、あるいは労働安全のリスク・アセスメントなどでも共通である。では、「不動在庫化する事態」の『発生確率』とは、どういう定義で、どうやって見積もるのか。

これは、計画上の意思決定をする際の、「計画のタイム・ホライズン内において、不動在庫化する確率」を意味している。つまり、在庫日数の期間内に、死に筋品目となってしまう確率である。たとえば、今、適正在庫量が1ヶ月分だという計算が成り立ったと仮定しよう。その場合、「向こう1ヶ月間に、その品目が(需要ストップのために)破棄せざるを得なくなるリスク」の確率を推定するのである(1ヶ月分のストックが無くなった時点で、再び製造手配をかけるのだから、1ヶ月以上先の心配はする必要が無い)。同じように、たとえば5日分が適正在庫量なら、向こう5日間に陳腐化する確率、1年分なら、向こう1年間に陳腐化する確率、ということになる——まあ、適正在庫量が1年分もあるという状況はふつう考えにくいが。

仮にこれが、向こう1ヶ月間に陳腐化する確率が10%くらいあるような、足の速い分野の製品や部品の場合、陳腐化リスクを金額に換算すると、年間売り上げの0.83%ということになる。これが大きいとみるか小さいとみるかは、その企業それぞれの事情や判断によるだろう。たとえばこの在庫を持つことによって、納期遅れ(欠品)リスクが減るとか、あるいはロットまとめ効果によって生産コストが低減するとか、そうした効果との比較になるわけだ。無論、こうした検討評価をするためには、過去、自社の品目が、どれだけの頻度で除却処分になったかを、分析しておく必要がある。不動在庫化が、きちんと定期的に検知されるような管理の仕組みも必須である。

しかし、比較検討において、在庫期間ではなくもっと長期間(たとえば年度内)での確率を考えてしまったり、あるいは「確率」という見方をせずに、その在庫品目の評価額それ自体を使って計算してしまうと、リスクは必ず過大評価になってしまうだろう。じつをいうと、リスクを論ずるときに、確率の概念に抵抗を示す人は、案外多い。確率がいくら小さくても、万が一起きたらどうするんだ、不確かな確率論などナンセンスだ、という訳である(これは余談だが、エネルギー問題や環境問題に関しては、市民活動家達の「絶対安全」論を批判するわりに、自分のビジネスの話になると、突如ひどくリスク回避的になる人も、まま見かける)。もちろん超長期的に見れば、どんな品目だっていつかは寿命が尽きる。つまり100%陳腐化するのである。だからといって、どんな品目も作るのはムダだ、生産は無常だ、となったら、ほとんど仏教の禅問答であろう。

ところで、もう一点だけ、補足しておきたいことがある。前回の記事でのべた在庫活用論を、なぜか『製品在庫』という文脈のみで受けとめた方が、ある程度おられたようだ。もちろん違う。在庫には、製品在庫も、中間部品の在庫も、そして原材料の在庫もある。それを、どの形で(どの位置でと言ってもいいが)ストックしておくべきか。これは生産システムの設計・運用上、とても大事なポイントである。

図を見て欲しい。工場では、最上流の原材料の形から、部品、中間製品を経て、自社の最終製品まで、モノは形を変えていく。主なストック・ポイントを最終製品の形で持つのが、いわゆる『見込生産』(英語でMTO = Make to Stock)形態である。Dell Computer社のBTO方式に代表されるような『受注組立生産』(ATO = Assemble to Order)では、中間製品やモジュール単位でストックし、受注と同時に組立作業に入る。一般の『繰返し受注生産』(MTO = Make to Order)では、ふつうさらに上流側の部品や原材料でストックを持つ。『個別受注生産』(受注設計生産とも言う:ETO = Engineer to Order)は都度手配品のみでストックは通常もたない。

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そして、どの生産形態であれ、主要なストック・ポイントまでの上流側は、需要見込み(需要予測)で製造し、下流側は確定受注にひもづいた製造になる。もし、主要なストック・ポイントを上流側にもっていけば、受注から納入までのリードタイムは長くなるだろう。リードタイムが長いと言うことは、生産計画(需要見込み)の誤差も大きくなる。ただし、汎用的な原材料のストックだから、在庫の不動化・陳腐化リスクは小さくなる。逆に、ストック・ポイントを下流側に移すほど、納入リードタイムは短縮され、計画誤差も小さくなるが、在庫品の汎用性は失われ、陳腐化リスクは大きくなる。

このようなトレードオフ状態の中で、主要なストック・ポイントをどの形で持つのかは、生産活動全体のシステム・デザインと運用にとって、とても大事な判断なのである。一製品には複数の部品が関わるのが通例だから、話は決して単純ではない。さらに生産のサプライチェーンが地理的にも広がっている場合、それぞれどこに配置するのか、冷静で合理的な見きわめと、そのための原理原則が必要になる。

そして最後に、もう一言だけ付け加えさせていただこう。中間部品・原材料の不動在庫化リスクがいやなので、自社では一切、主要な在庫を持たず、すべてサプライヤーから都度調達することにしている、という企業も、ときおりある。いわゆるJIT調達化である。しかし、考えてみてほしい。もし、あるサプライヤーから仕入れる部品・材料が、特定の顧客向けで汎用性がなく、他に転用も転売もできない種類のものだとしたら、そのサプライヤーだって、その部材(=彼らにとっての製品)の不動在庫化リスクを抱える点では同じである。結局、自社のリスクを、サプライヤーに押しつけているだけで、サプライチェーン全体のリスクはちっとも下がっていない。それはまるで、机の引き出しを整理して、見つけたいらないモノを、他の引き出しにしまうのと似ている。サプライヤーは、その在庫陳腐化コストを、結局は価格に乗せて請求してくるだろう。

もし買い手側の企業がそれなりの企業規模なら、そんな無意味なJIT調達などはやめて、むしろ自分で部品在庫のリスクを引き受ける代わりに、毎月一定量の発注をして、部品メーカー側が平準化生産をできるように、手助けするべきだ——これは畏友・本間峰一氏の主張だが、まったくその通りと思う。生産効率を上げ、生産コストを下げる一番の定石は、生産量の平準化なのだ。セットメーカーである大企業がリスクをとって、中小の部品メーカーには作りやすい平準化生産の環境を与えてやる。こんな風に、多くの業界が動いてくれれば、わたし達の経済だって、もっと活性化すると思うのだが。


<関連エントリ>
 →「在庫は本当に悪なのか — 在庫管理論を再考する」 2015-01-11
 →「ATO、BTO、CTO」 2007-11-09
by Tomoichi_Sato | 2015-01-18 23:04 | サプライチェーン | Comments(0)

在庫は本当に悪なのか — 在庫管理論を再考する

少し前、生産管理に関して人前でお話しさせていただいたときのことだ。“納期遅れを防ぐために、もっと積極的に在庫を活用しよう”という趣旨の説明をしたあとで、ふと心配になって、セミナーの受講者の方にこう質問した。——皆さん、在庫は悪だと思いますか? 

すると、40名近い受講者がほぼ全員、「悪だと思う」という答えの方に手を上げた。わたしはちょっと驚いて、前に座っていた方にたずねた。

——どうして、悪だと思うのですか?
「だって、置いておけば、コストがかかるでしょう。場所代とか。在庫がなければかかりません。」というのがその人の答えだった。
——たしかに、どこか倉庫を借りておいておけば、保管費用がかかりますよね。でも、失礼ですが、御社の工場は借地ですか? もし自社の敷地だとしたら、工場の隅っこに置いておいておけば、1円もコストはかかりませんよ?
「それは、そうかもしれませんけれど・・金利がかかります。」

これはもちろん、とても正しい指摘だ。在庫というのは、キャッシュをモノの形に変えて、寝かせてあるものだと解釈できる。材料費と工賃で合計100万円分の製品や半製品を、1ヶ月間もムダに寝かせたら、それは何の利息も生まない。その100万円分を、銀行に預けるなり別の形で運用するなりすれば、利息を生む。つまり、在庫というのは、生み出せたはずの利息を失っているのである。それどころか、もしその100万円が借金ならば、その分の金利がかかることになる。これを『在庫金利』とよぶ。

——つまり、在庫金利という形のコストがかかっていると、おっしゃるわけですね。とても正しいご指摘です。ところで、現在の金利は、いくらですか? 100万円のお金を1ヶ月寝かせたら、いくら損するのです?
「え? ・・さあ。考えたことありません。」
——そうですか。日本は過去10年以上にわたって、いわゆるゼロ金利政策をとっており、金融機関の利率は非常に低いのです。定期預金だって、いいとこ年0.2%程度ですから、月0.02%以下ですよ。100万円分の在庫を寝かせたって、月に200円足らず。仮に1億円分を在庫しても、月に2万円弱。車1台の駐車場代より安いくらいです。それでも、在庫は悪ですか?

「在庫は作りすぎのムダです!」という声が、ほかの人から上がった。助け船ということなのだろう。わたしはその方に聞いた。
——作りすぎは、なぜいけないのですか?
「余計な加工や運搬を発生させますし、人員過剰や不良など他の問題も隠してしまうから、作りすぎは最悪のムダなんです。」
——外から買ってきた部品を資材倉庫に置いておくだけなら、別に作りすぎのムダは発生しませんよね。金利もほとんどゼロだ。それでも最悪のムダですか?
「・・・。」その方は、それでも釈然としない顔つきで、席に座った。他の人たちも、同様である。

どうやら、『在庫は悪である』という“常識”のすり込みは、わたしの思った以上に製造業では強烈なようだ。とにかく在庫は減らさなければいけない。そういう強いドライブが、つねに意識にかかっているらしい。そうなると、どれくらいの納期遵守率に対して、どれくらいの在庫量レベルが適切なのか、という問題設定自体が、聴衆の思考のフレームワークに受け入れられなくなってしまう。わたしは次に、Wildonの公式を使って、最適なロットサイズと在庫量のバランスを説明するつもりだった。そして欠品率と安全在庫水準のバランスへと、論旨を展開する予定だったのだ。

しかし、在庫は「必要悪だ」くらいの認識ならまだしも、「絶対悪だ」と信じられていると、在庫量と他のリスクとのバランスをとる、という発想自体が成り立たなくなってしまう。一種の思考停止ポイントである。在庫を無制限に持っていいというのは、明らかに間違いだ。だが、在庫はつねにゼロであるべし、というのも非常に硬直した発想であり、生産システム全体の運用を、ゆがめてしまう。

そもそも在庫は、なぜ発生するのか? それは、累積需給曲線で考えると、分かりやすい。累積需給曲線とは、横軸に時間(日付)をとり、縦軸に、着目している品目の数量をとったグラフである。これに、2本の線を引く。一つは「累積需要曲線」で、これは販売量、すなわちそれぞれの日までに、需用側(=使用者)に納入すべき数量の累積値をとる。数量の単位は、個数でも、重量でも容積でも、扱いやすい単位でいい。もう一つの線は「累積供給曲線」だ。これは、その日までに、生産され出荷可能になった数量の累積値をとる。累積の基点は、月初でも、年初でも良い。ただし累積供給曲線の方は、もし期初に何らかの在庫量があったら、その値を切片としてプラスする。

もし、ある日までに累積需要量が100個あったとする。それに対し、累積供給量が120個の予定だったら、それは120 - 100 = 20個の在庫が発生していることを示す。すなわち、累積需給曲線における、供給線と需要線の差(縦の高さ)は、その時点での在庫量を示している。

また、たとえば累積需要量が80個になる日付が15日で、累積供給量が80個に達する日が10日なら、そこには15 - 10 = 5日の納期余裕があることを意味する。つまり累積需給曲線における、供給線と需要線の日付の差(横の幅)は、その数量における納期余裕を示している。

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ちょっと待った。それは消費財を売っているようなメーカーの話だろ? ウチは受注生産で、注文を受けてから出荷するんだ。だから製品在庫なんて基本的にないし、供給線が需要線を上回るなんてことはない——そう、反論される方も大勢おられるだろう。

たしかに、その通りだ。受注生産形態では、受注量で累積需要曲線を引くと、累積供給曲線よりも上側(左側)に来る。そして、受注の時点から納入の時点までの差(横の幅)は、すなわち納入リードタイムを指している。では、縦の差は? それは、ある時点での受注残高(注残)を示しているのだ。

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また、消費財などの見込生産形態で、もし、供給曲線が需要曲線を下回ることになったら、何が起こるのか。それは「欠品」である。すなわち、その時点で、注残(=納期遅れ)が生じるのだ。

これでお分かりだろう。在庫圧縮とリードタイム削減は、まったく同じ問題の両面なのである。何の問題かって? それは、「需要曲線と供給曲線の不一致」という問題だ。言いかえると、生産管理の第一の課題とは、需要曲線と供給曲線をうまく一致させることにある。「生産管理の目的は、最小の在庫で最短のリードタイムを実現すること」と言う人も、ときどきみかける。それも、同じ事を言っている。つまり需要曲線と供給曲線が、どちらが上でもなく下でもなく、つまり一致させるべきだという意味だ。

ちなみに同じようなグラフは、対象が中間部品でも、原材料でも描ける。中間部品の場合、需要量とは、下流側の工程による使用量(消費量)を意味し、供給量とは、上流側工程での製造量を意味する。これが原材料のように、外部から調達する資材の場合は、「供給量」とはサプライヤーからの納品予定数量になる。たとえ受注生産の企業であっても、部品や原材料はある程度、在庫を持っているものだ。ボルト・ナットの果てまで一切、受注してから手配しますという企業は、たとえ個別受注生産でも少ないはずだ。ましてカンバンで引っ張られている繰返し受注生産形態(多くの部品メーカーなど)では、なおさらである。以前も書いたことだが、カンバン方式の調達というのは、内示でPushし、カンバンでPullする方式だ。内示で材料の手配をかけるわけだから、必ず材料の供給線は需要線よりも左側(上側)にくる。

それで、なぜ、この二つの線を一致させることは難しいのか? 理由は大きく言って、二つある。

第一に、わたし達の予測能力に限界があるからだ。需要線の側は、顧客の気まぐれでぐるぐる変わりうる。一方、供給線は、ある程度の予測と計画(生産計画や調達計画)を立てて進める必要がある。そして計画には一種の慣性があって、そうクルクルとは変えられないのだ(変えると、今度は生産効率が下がってしまう)。だから、予測と実際に乖離が生じて、二本の線がずれてしまうのだ。まあ、トヨタ自動車のようにサプライチェーンで販売チャネルを握っている企業は、販売力をフルに行使して顧客の気まぐれをうまく誘導し、需要曲線の側もコントロールしてしまうことを目指しているが、すべての企業が同じようにできるわけではない。

そして第二の理由は、もっと単純だ。顧客が、十分なリードタイムをくれないのだ。もし原材料の手配から最終製品の完成検査まで30日かかる製品があったとして、顧客が注文後30日間も鷹揚に待ってくれるなら、工場の中に一切、在庫はいらない。注文を受けてから、原材料を手配しても間に合うからだ。しかし、顧客が20日しか待ってくれなかったらどうか? まして、一般消費財のように、目の前に商品がなかったら、すぐ別の競合商品を買われてしまう場合は? その差に相当する分、すなわち10日分とか、30日分は、先回りして作っておかなければならないはずだ。先回りして作っておいた品物、それは在庫である。在庫とは、だから「時間の缶詰」なのだ。在庫に投資することで、企業は時間を買っているのだ。

そこから逆に言うと、在庫というのは、需給のギャップの結果うまれるものだから、ある一部門の判断だけではなかなかコントロールしがたいのである。世の会社に「生産管理課」や「品質管理課」はあまたあれど、めったに「在庫管理課」が存在しないのは、このためである。ということは、在庫問題のオーナーシップも、曖昧だという事態を意味する。「在庫は悪」だといいながら、マクロに取り組む組織を持たず、単に『在庫責任』をどこかの部署に押しつけ合っているケースも、ままある。

それくらいならば、在庫というものの意義をちゃんと積極的に評価して、そのコストやリスクに見合う適切な活用方法を考えるべきじゃないか。これが、かねてからのわたしの考えである。今のところ幸い、日本では、まだゼロ金利に近い状態が続いている。できるうちに、“最適な在庫の配置”を検討しておくべきだと思うのである。

もっとも、ここまで書いても、まだ在庫を増やすことに懐疑的・消極的な読者は多いことと想像する。それは、そもそも『在庫』というものを、無定義に、ひとくくりにして考えているからだろう。正確に言うと、在庫には、四種類がある。そのうち、積極的に削減すべきなのは、一種類だけなのだ。だが、この話ははじめるとまた長くなるから、稿を改めて論じよう。

需要曲線と供給曲線の一致は、繰り返すが、生産管理の第一の課題である。これは一種の理想状態であって、現実にはいろいろな変動による乖離が避けられない。しかし、まず、上手な計画によって大筋を一致させること、その上で、生産に支障が出ず、かつ顧客に迷惑がかからぬよう、在庫活用とスケジューリングで細かな調整を可能にすることが、望ましい方策であろう。それを、具体的にどう進めるべきかについては、来月、大阪と東京でそれぞれ1日ずつセミナーを開催する予定である(2月18日・大阪府工業協会、19日・日本テクノセンター)。詳細については追って当サイトでもご案内するつもりだが、この問題に関心のある方のご来聴を期待する次第である。


<関連エントリ>
 →「Pushで計画し、Pullで調整する」 (2014-02-14)
by Tomoichi_Sato | 2015-01-11 22:43 | サプライチェーン | Comments(3)

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(1月28日)開催のお知らせ

明けましておめでとうございます。
「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」2015年の第1回会合を、下記の要領にて開催いたします。
(訂正):最初、この記事で1月27日(水)と書きましたが、1月28日(水)が正しい日付です。お詫びして訂正します。

皆さんは「プロジェクト・ファイナンス」という仕組みをご存じでしょうか? プロジェクトそれ自体の価値を担保として、必要な資金を調達する手法です。どんなプロジェクトも、費用・時間・労力を投入して何らかの価値ある結果を作り出す投資事業と考えることができます。とくに資金を十分に持っていない者に対し、有形の担保でもなく連帯保証でもなく、プロジェクトそれ自体の価値とリスクを評価して、金融機関がお金を貸してくれるという仕組みがプロジェクト・ファイナンスです。

今回は、国際協力銀行株式会社の内藤英雄様にご講演いただきます。内藤様は国際協力銀行(略称・JBIC)の経営企画部長であり、本分野のプロ中のプロともいえる方ですが、今回はとくにお願いして、我々初心者にもわかりやすいプロジェクト・ファイナンスの入門編ともいうべき内容のお話をしていただきます。

プロジェクト・ファイナンスは従来、途上国における資金調達方法として発達してきましたが、最近は国内外を問わずいろいろな場面で注目されるようになってきました。これから新興国での海外型プロジェクトにチャレンジする日本企業にとっても、また国内で新しい事業創出に取り組もうとする人にとっても、大いに参考になるはずです。ぜひ、ご期待ください。


<記>

■日時:2015年1月28日(水) 18:30~20:30

■場所:三田キャンパス・旧図書館・小会議室
http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
キャンパスマップ・【2】になります

■講演タイトル:
「プロジェクトファイナンス ― 基本・特徴・課題 ―」

■概要:
 「プロジェクトファイナンス」(PF)は主に大規模プロジェクト向けの長期ファイナンスの金融手法の一つで、海外の資源開発やインフラ事業等において積極的に活用されています。日本でもPFI(Private Finance Initiative)事業向けのファイナンス手法として普及しつつありますが、海外と比べますと、まだまだ発展途上の段階です。当日は、PFの基本的な内容や特徴から始め、PF組成に必要なリスク分析や関係者間でのリスク分担等の内容についてもご紹介し、時間の許す限り、PPPやPFI等の民活インフラ事業を進める上での実践的な課題についてもご案内したいと考えています。


■講師: 内藤英雄 (国際協力銀行株式会社)

■講師略歴:
・1985年(昭和60年)3月 一橋大学(社会学部)卒業
・1985年4月 日本輸出入銀行(現(株)国際協力銀行)入社
・2011年1月 欧阿中東ファイナンス部長
・2011年7月 電力・水事業部長、プロジェクトファイナンス協議会議長
・2013年7月 経営企画部審議役
・2013年12月 経営企画部長(現職)


■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(\1,000)は免除されます。

 参加を希望される方は、確認のため、できましたら当日までに佐藤までご連絡ください。


佐藤知一@日揮(株)
by Tomoichi_Sato | 2015-01-08 12:29 | プロジェクト・マネジメント | Comments(2)

習慣化の力

一陽来復」——昔の知人からきた年賀状に書いてあった。良い言葉である。いかにも冬の一番の底、陽の射す時間の最も短い時に、また温かい時節がめぐりくることを期待する気持ちがこもっている。賀頌とか謹賀新年とか月並みな言葉でないところが、この人の賀状のセンスなのだろう。

現在の西暦では1年の始まりを今の1月1日に置いているが、なぜこのタイミングを年の初めにしたのか。少し調べてみたことがあるが、よくわからなかった。太陽暦だったら、例えば冬至だとか、あるいは春分の日だとか、そこら辺のタイミングの方がなんとなく適切ではないか。もちろん、ちょうど深夜に一日の始まりを置くように、これから新しい時が生まれ変わる最も暗い季節に、新しい年の始まりを置く気持ちは、北半球の人間として、理解できる。またカトリックをはじめキリスト教の一部では、クリスマスの8日後(つまり今の1月1日)は教会歴の祝日にあたる。だが、それがゆえにわざわざ冬至からずらしたのか? 今ひとつ、不思議である。

しかし面白いことに、ほとんどの人はそういうことには疑問を感じないで、その日になれば「年が改まり」、「新年おめでとう」と挨拶しあう。今までそうしてきたから、そして皆がそうしているから、である。それが習慣の力だ。そして、本当に、大晦日の夜から元日の朝になると、本当に何か空気まで新たに、清浄になったような気さえする。面白いものだ。

新年を迎えて、「今年こそは・・」と何か抱負をいだくというのも、また習慣の力の一つだろう。年末、サイトのアクセス統計を見ていたら、ちょうど1年前に書いた「今年の抱負はこう作ろう」が、また急に多くの人に読まれているのに気づいた。面白いものだ。抱負なんて、いつ思い立ってもいいはずなのに、それでもやっぱり、新年に立てるのだ。わたし達の気持ちはそれだけ、何らかのリズムを求めているのだろう。リズムがある、というのが生きている印なのかもしれない。

抱負というのは、それまでの自分から「変化したい」「成長したい」と思うから立てる。「昨年のままでずっといいです」という抱負を述べる人は、まずいない。まあ、仮に「今のトップの座を今年も維持します」との抱負があったとしても、それは維持が難しいことだからこそのチャレンジなのである。

人や組織が変化し、自分の望むあり方に近づいていくためには、どんなことが必要で、どんなプロセスをたどるのか。諸先生・先輩達からうかがったことや、わたし自身が見聞きし体験したことなどをあわせると、それはどうやら、小さなことの積み重ねによるらしい。端から見ると、急に生まれ変わったように、あるいは突然大舞台のチャンスがやってきたように見える場合も、内実はそれまでに地味な努力や、勇気のいる小さなチャレンジの繰り返しによって、次第に内的な成長を積み重ねている。それによって、自分がself-confidenceをもってやれる範囲(=自由度の範囲)が増えていき、その結果、あるときから変化の閾値を超えるのだ。決して、ただ何もせずに待っていれば白馬の騎士がやってきて、救ってくれるわけではない。組織の場合でも、小さな成功体験を内部で積み重ねることによって、次第に同調者が増えていき、ある時点で臨界質量を超えて急に広がっていく。そんなプロセスをたどるらしい。

小さなチャレンジを繰り返していくことによって、人はできることを増やし、成長していく。そのために、具体的な目標や抱負が必要なわけだ。

ところで、新年の抱負を考える際、まずやらなければいけないことがある。それは、昨年の抱負の達成度をふりかえることだ。当然のことである。ところで、去年の抱負って、何だっけ? え、紙に書いて壁に貼り、毎日それを眺めて気持ちを奮い立たせていた? 大変すばらしい。しかし、多くの人は(過去のわたしも含めて)たいてい忘れちゃうのである。

そこで、ふりかえりのツールとして、日誌が登場する。わたしはかれこれ20年以上、日誌をつけている。日記ではなく、『日誌』だ。最初はMacのHyperCardで簡単なアプリ(スタック)をつくって記録していた。その後、いくつか変遷を経て、ツールも変わった。HP200LX上のIP.COMを8年間つかっていたこともある。メディアはどうであれ、シンプルなテキストのデータベースであること、検索が可能であることが条件だ。だって、ふりかえりのツールなのだから。

わたしは機会があるごとに、多くの人に日誌をつけるよう、すすめてきた。『時間管理術 (日経文庫)』でもそう書いたし、このサイトでも、「日誌をつけよう」(2012-05-13)のシリーズを書いた。大学の授業などでも言ってきた。「お金を上手に管理したいと思う人は、家計簿をつける。それと同じように、時間管理を上手になりたい人は、自分の時間の使い方を日誌に記録しなさい」と。

でも、日記をつけていますか、とたずねて、Yesに手を上げる人はとても少ない。なにせ、「日記」ときくと、反射的に「三日坊主」という言葉がでてくるほどだ。思い立つ人は多いが、続けられる人は少ない。

なぜなら、日誌をつける作業は、直接には何も生み出さないからだ。日誌をつければお金が儲かるとか、成績や勤務査定が上がるとか、異性にモテるようになるとか、そういう直接の御利益がまったく見当たらない。だからモチベーションがつづかないのである。

直接の利益がなくても、日誌という名の記録がそれなりにたまると、過去のふりかえりが可能になり、いろいろと価値が出てくる。去年の抱負だって、すぐに見つけられる。いつ、どんなイベントがあったか。誰に会ったか(年を追うごとにわたしは人の名前の記憶力が低下してきているので、これで大いに助かっている)。何かを買ったり修理したのはいつか。すぐに見つけられる。それが記録をつける=Documentationという習慣の価値である。

船の船長は、航海日誌をつけている。Ship Log Bookという。わたしは、航海日誌もちゃんとつけられないような、だらしない船長の船には、乗りたくない。同じように、わたしはプロジェクト日誌をつけないプロマネの仕事は、あまり手伝いたくない。プロジェクトは航海と同じで、最初に航路を決めても、とりまく周辺環境は変わりやすいし、人の出入りはあるし、思いもよらぬ出来事や故障もある。なぜ、あのとき、そういう決断をしたのか。何が理由で、航路に遅れたのか。すべてにさかのぼってトレーサビリティを確保しておくのは、とても大切なことだ。

もちろん、大切なことは皆、わかっているのである。でも、モチベーションが続かないのだ。なぜなら、しばらく続けないと、日誌は価値が出てこないからだ。経験的に言うと、最低でも、100日くらいだろうか。ここに、いわばポテンシャルの壁がある。そこを超えないと、続かない。そこを超えると、もう日誌をつけることが習慣化する。習慣として身につくと、もはや苦ではなくなる。たとえば旅行や風邪で2〜3日、日誌をつけられない場合には、逆になんだか気持ちが落ち着かなくなってくる。

ToDoリストも同じである。わたしはこれも、時間管理術の一環として、ことあるごとに人にお勧めしている。だが、これも習慣化が必要である。習慣になると、これがないと落ち着かない。たまたま出先で何かやるべき事を思いついて、手元に適当な道具がないときは、携帯メールで自分宛にTo Doを送ったりする。あとでリストに転記するためである。それさえなければ、手に文字で書く(ま、それくらいわたしは忘れやすいということでもある^^;)。

名刺も同じだ。もらったら、数日以内にExcelのデータベースに名前、所属、住所、電話番号、メルアドを入力する。すでに1,000件以上のリストになっている。たった一度会ったきりで、二度と会うかどうか分からない人も、区別せずに入力する。それと・・いや、もうよそう。わたしの個人的な習慣をここにだらだら述べたって、しかたない。それに、こういう「チマチマした習慣」には興味を持てない人だって、大勢いる。でも、そういう豪快な行動派の人たちだって、定期的にやりたいと思っている、何かを抱えているのだ。

では、何かを習慣化したかったら、どうすべきか。一番いいのは、「仲間を作る」ことなのだ。同志を見つけて、おたがいに、習慣化することを誓い合う。ときどき顔を合わせては、「おい、お前、あれどうなった?」とかたずね合う。一応誰だって見栄があるから、やらなくちゃな、と思う。そうして続けている内に、ほんとうに、なしではいられないものと化していく。

『MBAが会社を滅ぼす』(→本サイトの書評)や『マネジャーの実像』などの著作でも知られる、現代経営学を代表する学者の一人であるH・ミンツバーグは、「コミュニティシップ」Communityshipという聞き慣れない英語(一種の造語)を提唱している。英雄的なリーダーシップでも、従属的なフォロワーシップでもない、仲間による統合的な力だ。彼はあるとき、企業人である義理の息子から、窮地に立たされたIT会社をなんとか立て直すにはどうしたらいいかとたずねられた。ミンツバーグのアドバイスはあっけないほどシンプルだった:週に1回、職場のランチタイムに、ミドル・マネジャーたちが集まって、自分のふりかえりをお互いに披露して話し合え、と。これは思いの外、成功して、しまいには彼の義理の息子は「Coaching Ourselves」というプログラムをビジネスとして始めたほどだ。ここで現れる力が、仲間による習慣化の力なのである。

そういうわけで、わたし達が何かを新しくはじめて、それを習慣化したいと思ったら、仲間を見つけて、折々にお互いに表明しあい、お互いを助け合うことが必要なのだ。習慣は、集団の中でこそ強まり、維持しやすい。そして、そのためには『場』も必要だろう。

そうした習慣化された思考・行動こそ、いわば新しい能力なのだ。わたしは、組織において体系化された態度・行動習慣の集合を、(いわゆる知識コンテンツやアプリケーション・ツールよりもベーシックなため)組織の『OS』レベルの能力と呼ぶことにしている。組織のOSレベルの能力を、どうインストールしアップグレードしていくか。これこそ、マネジメントにおける最大のチャレンジであろう。

というわけで、まあ、そこまで大げさな立場にない若手やミドルにも役立つような、海外型プロジェクトの進め方に関する新著も、準備中だ。その中でも、「チャレンジのOS」と、そのコンポーネントである8つの行動習慣について、詳しく説明するつもりである。さらに、わたしが主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」も、個人的に新しい取り組みを志望する人たちに役立つような『場』を提供できるようにしたいと考えている。

何か心に決めても、自分一人だと、三日くらいしか続かない。それくらい、年頭の抱負を続けるのは日常に流されてむずかしい。そこから脱出して、自分が成長していくためには、わたし達は他者と共同した「習慣化の力」が必要なのだ。


<関連エントリ>
 →「日誌をつけよう」 (2012-05-13)
by Tomoichi_Sato | 2015-01-04 23:19 | 時間管理術 | Comments(1)