<   2014年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

稼働率100%をねらってはいけない

多くの製造業においては、工場の稼働率が、重要な管理指標として今も使われている。3週間前のエントリ「原価の秘密 - なぜ、黒字案件だけを選別受注すると赤字に陥るのか 」(2014/07/06)でも説明したように、製品の個別原価を計算する際、材料費や労務費などの他に、製造機械の使用時間に応じた費用を含めるのが普通だ。その製品の加工作業で、製造機械が何時間必要だったかをベースに、機械のコストをチャージする。いわば“機械の使用料”だ。

個別の機械1時間あたりの使用料単価を『機械賃率』と呼ぶが、これは各機械の年間の維持費用(減価償却費等)を、年間の実稼働時間で割って計算する。機械の遊んでいる時間が多いほど、実稼働時間は減るから、同じ作業をしていても原価が上がる、というのがふつうの会計の仕組みだ。だから、製造業では稼働率を上げるべく、あれこれと努力するという訳である。

そして、前回のエントリを読まれた方は気づかれたかもしれないが、じつはこの事情は社内人件費についても、まったく同様なのである。人件費というのは、残業等で多少の変動はあるにせよ、基本的には固定費である。だから、単位作業時間あたりにかかる人件費(これを本来は『賃率』とよぶのだが)は、年間総人件費を、実稼働時間で割って計算する。

これはとくに、原価の内で人件費のしめる割合が高い業種で、かつ個別原価計算をしている企業では重要である。製造業以外でも、たとえば、建設業や建築設計業、ソフトウェア産業などで、人の稼働率が重要視される。

ところで、以前も書いたとおり、受注ビジネスでは、稼働率は受注した仕事量によって決まってしまう。したがって、製造側の努力で稼働率を上げるためには、受注量に合わせて製造機械をスリム化する、ということになる。

そこで、工場長であるあなたは、ある日、思い切って社長に設備廃棄の相談をしに行くことにした。過去5年間の受注量は、ほぼ横ばいであった。大きな市場成長もない代わりに需要減退もない。あなたの頭痛の種になっている高価な製造機械の生産能力と、平均の受注量を比べると、ほぼ3:2だった。つまり、平均稼働率は、2/3 = 67%だったという訳である。ところで、この機械は、同一能力を持つモジュールの三連構造になっている。だから、1モジュールだけを廃棄すればいい。そうすれば、生産能力と受注量がバランスして、稼働率はちょうど100%になるだろう。

あなたの提案に、意外にも社長はあっさり賛同した。経理上は、いったん除却損が発生する。しかし、これは特別損失で処理するので、工場原価にも営業利益にも関わりないことになった。かわりに、年間の減価償却費は、2000万円から1330万円に減ることになった。製造原価も下がる訳である。ありがたい。

あなたは工場に帰り、さっそく設備廃棄を指示する。保守係長だけは、「まだ使えるのに」とぶつぶつ言ったが、経営判断である。

ところが、3ヶ月ほどたったとき、あなたは工場の中を歩いてみて、なんだか以前より雑然としていることに気がつく。整理整頓はどうなったのだ? 5S運動の責任者を呼んで問い詰めると、彼の答えは、「整理整頓は以前と同様に努力しています。ただ、何だか最近、仕掛かりのモノがやたらと多いんです」だった。

さらに、営業部長からあなたに連絡が入る。「最近、納期遅れが頻発している。別に短納期で受注した訳じゃなく、以前と同じ納期でお客に約束しているのに、これではこまる。早急に改善してほしい」というのだ。早速あなたは、生産管理部門にレポートを命じる。すると驚いたことに、最近は軒並み納期に遅れているのだ。おまけに、受注量が増えた訳でもないのに、仕掛在庫量が急増している。そして、肝心の機械の稼働率だが、なぜか90%台前半をうろうろしている。なぜ100%稼働しないのか? あなたは機械の前に行き、担当者をつかまえると、彼の答えはこうだ:「だって、削るべき部品が来ないので、手待ちになっているんです。来るときにはどーんとかたまりになって来るんですけれどね・・」

いったい何が起きたのか。受注量に合わせて、生産能力を削減し調整した。誰も別に遊んでいない。以前とかわらず、みな必死に働いている。なのに、リードタイムは長くなり、在庫は増えた。理由があるにちがいない。だが、それは何だろうか?

変動のせいなのだ。

まず、顧客からの受注には、ばらつきがある。平均需要は変わらなくても、個別の案件はばらばらのタイミングにはいってくる。ラーメン屋と同じで、まとまって客が入ったり、しばらく誰も来なかったりするのだ。そして、機械側の処理能力についても、変動は不可避だ。製品別の処理の難しさ、作業者の技能、削る材料の品質、どれもばらつきがある。

その結果、どうなるのか? 簡単なシミュレーションをしてみると分かる。わたしが今から15年前に書いた「図解 サプライチェーンマネジメント」から、原稿の一部を引用してご紹介しよう。
--------------------------------------
工程をバランスさせるとムダが増える

◆生産管理の逆説

 生産者の立場で供給活動のマネジメントにたずさわる者は、しばしば奇妙な逆説に遭遇します。それは、たとえば、
・工程をバランスさせるとムダが増える…?
・各部門が最善を尽くすと全体が悪化する…?
・機敏な計画は需要変動をよぶ…?
といったパラドックスです。

◆工程をバランスさせるとムダが増える

 生産ラインの各工程の能力を均一にすればムダな仕掛在庫が減るはずだ、という常識があります。しかし、簡単なシミュレーションで、これは嘘だということが示せます。

 仮にいま、5工程からなる生産ラインを考えましょう。「工程」は必ずしも製造工程と限りません。包装・検査・搬送かもしれないと考えてください。そして各工程の一日あたりの処理速度と原材料の投入量を、均しくサイコロの目の数(1~6の乱数=平均値3.5)で与えることにします。各工程とも手持ちの仕掛在庫量はゼロからスタートします。

e0058447_10593448.gif


 結果は安定するでしょうか?

 図をご覧ください。答えはNoです(青い部分が生産数量、赤い部分が仕掛在庫)。途中の在庫はどんどん増えてゆき、15日後に至ってもまだ増加傾向にあります。(これは乱数シミュレーションなので全体傾向で見てください)

e0058447_1059564.gif


◆変動は避けられない

 なぜこんな結果になるのでしょうか? それは変動のせいなのです。

 投入量と処理速度は平均値が同じでも毎回ばらつきがあります。各工程で処理速度が投入量より小さければ在庫が溜まっていきます。しかし、逆に投入量より大きくても、在庫はゼロ個以下にはなれません。工場ではプラスの変動とマイナスの変動が打ち消しあわないのです。

 中間在庫が山のように溜まると、生産(アウトプット)速度はある程度安定しますが、在庫は無制限に少しずつ増えつづけてゆく訳です。
--------------------------------------

おわかりだろうか? この現象は、じつは工程がたった一つでも起きる。受注量と処理能力がイコールだと、なぜか仕掛在庫量が無限に増えていくのだ。

物知りの読者の方なら、「待ち行列理論」をご存じだろう。この現象は、待ち行列理論で説明できる。なにかのサービス窓口がある(工場ではこれが『工程』に相当する)。そこにバラバラのタイミングで顧客がやってくる(工場では受注案件に相当し、案件別の削るべき素材がそれを表す)。待ち行列理論では、処理能力と受注量の比を、記号ρで表す。そして、処理に入るまでの平均待ち時間は、非常に単純な式

 ρ/(1-ρ)

で与えられる(これは工場では、工程の前に積まれている仕掛在庫量に相当する)。グラフにすると、こうなる。ρが1に近づくほど、待ち時間は急激に増大することに注意してほしい(厳密にはポアソン到着とか指数分布などの仮定があるのだが、詳細は省く)。

e0058447_1103324.gif


そして、このρとは、あなたの着目する機械の稼働率と同じ意味なのだ。ということは、あなたが良かれと思ってやった、設備廃棄による能力削減は、リードタイム(=待ち時間)の増加と、仕掛在庫量の無制限な増大を意味するのである。どうしてこうなるかは、上の文章にも説明したとおりだ。受注のばらつきはプラスにもマイナスにも振れる。だが生産の方は、手待ちの時(受注の間隔が空いたとき)には、目の前に削るべき材料がないから、プラスとマイナスを中和できないのだ。仕掛在庫はマイナスになれない。これがネックになって、変動がプラスの側にのみ蓄積されていく。そして、

「原価を下げるために稼働率を上げろ」 → 「受注量に合わせて生産能力を削減しろ」

という、それ自体を見れば正当に見える指示が、結果として、自社の生産性を著しく損なう結果になるのだ。

見込生産の場合ならば、工程の変動があっても、素材を支給するスピードを調整することで、工程を遊ばせないようにコントロールできる。あるいは、営業に対して「平準化して売れ」と号令することも可能だろう。しかし、受注生産では、そうはいかないのだ。設備削減で、稼働率100%をめざしてはいけないのである。

そして、最初に述べたように、この話は製造業のみならず、人が中心となるサービス業でも全く同じである。受注量に合わせて余剰人員を削減しました。その結果、一人あたりの仕事量は変わらいはずなのに、ひどく生産性が落ちました。そして納期が遅れて、お客の信用を失いました--こんな事例を、身の回りに見かけたこともあると思う。本当は人も設備も、受注量に対して、ある余裕を持たなければならないのだ。

*******************

だが、そもそもこの話の根幹は、どこにあるのか。このような問題におちいった根本原因は何だろうか。

それは、あなたの会社では誰もマネジメントについて、きちんと理解していないということだ。社長も、工場長であるあなたも、経理課長も、誰も設備削減の行き着く先について見通せなかった。受注量と処理能力のバランスが、仕掛在庫やリードタイムに与える影響について、法則性があるということを、誰一人、知ってさえいなかった。

たしかに社長もあなたも、部下を采配し、計画を立て、トラブルに対応し、顧客や業者とやっかいな交渉もしただろう。だが、管理業務はしても、マネジメントはしていないのだ。なぜなら、『マネジメントとは、専門的な知識と訓練が必要な、専門職である』ということを、誰も理解していなかったからだ。

では、そのような知識・訓練は、どこから得られるのだろうか? MBAをやとえばいいのか。いや、昨今のビジネススクールは、経営戦略だとか企業ガバナンスだとか、大所高所のカッコいいテーマはお好きなようだが、在庫だのリードタイムといった泥臭い話題は、ほとんど講義もされないようだ。外資系コンサルタントも、ほぼ同様である。経済メディアはいうに及ぶまい。

企業という複雑な組織(システム)には、特有のダイナミクスと法則性がある。それをふまえて、マネジメントしていくための技術が存在する。わたしはこれを、『マネジメント・テクノロジー』と呼ぶことにしている。専門職としてのマネジメントの第一歩は、マネジメントには技術がある(技術が要る)と認識することだ。

そして、わたしのこのささやかなサイトは、『マネジメント・テクノロジー』の初歩を、一つ一つ説明していくためにある。マネジメント・テクノロジーは、別段、社長や工場長だけのためのものではない。それは“人を使う”立場にある者全員に、必要である。人を使うことの中には、外注先を使うことも含まれるから、若手を含めて誰もにかかわりのある技術だ。むしろ、若いうちから皆が理解しておく方がいい。工場長や社長になってから、“あれ? 俺には何かが足りないな”と気づくのでは遅すぎるからである。


<関連エントリ>
 →「原価の秘密 - なぜ、黒字案件だけを選別受注すると赤字に陥るのか 」(2014/07/06)

追記:本項を書くきっかけとなったのは、7月16日に開催された「生産革新フォーラム」(MIF研)における、佐々木俊雄氏の『Dynamic Production Management(DPM)』理論に関するご講演であった。ここに感謝して記したいと思う。
by Tomoichi_Sato | 2014-07-27 11:04 | ビジネス | Comments(3)

PRINCE2の教え--プロジェクトで大事なのはマネジメントかガバナンスか?

このサイトをご覧の読者の方なら、『鉄の三角形』という言葉をご存知と思う。プロジェクトを定める「スコープ」「コスト」「スケジュール」という三大制約条件を、三角形の形で模式的に示したものだ。

三角形の一片の長さは、他の辺に影響を与えずに変えることができない。同じように、プロジェクトの三つの制約条件は、独立でなく必ず他と関わり合っている。例えばプロジェクトのやるべき責任範囲である「スコープ」が増えたとしよう。すると「コスト」が増えるか、「スケジュール」が伸びるか、あるいはその両方が必ず起きる。そこでプロジェクトマネージャーは、これら3つのファクターの相互関係とバランスを、よく考えながらコントロールする必要がある。

ちなみに、製造業の三大ファクターと言えば「QCD」、すなわち、品質(Quality)・コスト(Cost)・納期(Delivery)である。プロジェクトの場合は、品質で三角形を書くこともあるが、ふつうはスコープを用いる点が大きな違いだ。では品質はどこに行ったのかというと、品質を確保し保証し検証するための活動(activity)として、スコープが含んでいると解釈される。品質要求のレベルに応じて、プロジェクトのスコープが増えたり軽くなったりする訳である。

ところで、現代プロジェクト・マネジメント理論(モダンPM論)の中心的な技法は、

 ・WBS (Work Breakdown Structure)
 ・EVMS (Earned Value Management System)
 ・CPM (Critical Path Method, PERT/CPMとも表記)

である。これらを知らずに、プロジェクト・マネジメントは語れまい。PMBOK Guide(R)などでも丁寧に記述している。

とくに計数管理が必要なプロジェクトでは、上記は必須の技法である。計数管理は、ほんの数人・数ヶ月程度のプロジェクトを一度やるだけなら、たいして要りはしない(リーダーシップやチームワークや「気合い」で乗り切れる)。だが、大規模な場合や、小規模でも複数プロジェクトを常時動かしている場合は、数字でのコントロールがやはり大事になってくる。

ところで、上記の三つのマネジメント技法は、それぞれがちょうど『鉄の三角形』の三辺に対応している。スコープをマネージしたければWBSを、コストをマネージするにはEVMSを、そしてスケジュールにはPERT/CPMという具合だ(図参照)。この対応関係は、偶然の産物ではあるまい。プロジェクトを運営して行くにあたって、最大の制約条件を何とかコントロール下におさえるべく、上記三つの技法がそれぞれ発達してきた、という事情なのである。

e0058447_22443372.gif


ちなみに、プロジェクトの難しさや失敗率について語るとき、米国Standish Groupの統計が引用される。これは3年に一度行われる大規模調査の統計である。そこでの成功・失敗の定義は次のようになっている(2003年度版による)。

(1) Successful: completed on time, on budget, with all specified features.
(2) Challenged: completed and operational, but over-budget, over time and with fewer features than specified.
(3) Failed: the project is cancelled before completion or never implemented.

すなわち、品質・コスト・納期を計画通り満足して終わった「成功プロジェクト」と、完了したが3 大制約条件を満たせなかった「困難なプロジェクト」、そして中断終了した「失敗プロジェクト」のクラスがある。かくて、WBS, EVMS, CPMのマネジメント三技法は、プロジェクトの成功率を高めるために貢献する訳だ。

もちろん、WBSにせよEVMSにせよCPMにせよ、技法の中核的アイデアは単純だが、実際に適用となるとかなり奥が深い。わたしの所属するエンジニアリング業界では、コスト・エンジニア、スケジュール・エンジニアなどの専門職が形成されており、プロマネの参謀的なスタッフとして、マネジメントを補佐していく。プロジェクト・マネージャー自身も、この三つの技法について、ある程度は習熟し、議論でき、きちんと決断できるだけのハード・スキルが望まれる。『鉄の三角形』を御すのは、決してたやすい仕事ではない。

しかし。

プロジェクトには、もっと別の難しさもある--そういう風に、わたしは最近つよく感じるようになった。それは、プロジェクトは予算内に完遂するが、成果物に価値が見いだせない、という形での失敗だ。仕様どおり作ったけれど使われなかったシステム、予算内に完成したけれど利用客のさっぱり来ない道路や空港、期日どおり出荷したが売れない新製品・・わたし達のまわりには、そうした失敗例が、実はあふれているのではないか。そして、このような失敗は、上記のStandish Groupの統計の、どれに分類されるのだろうか? 明らかに、どれでもあるまい。

だとすると、プロジェクトは、スコープ・コスト・スケジュールの『鉄の三角形』を守るだけでは、不十分なのだ。こうした失敗はそもそも、プロジェクトのゴール、プロジェクトが生みだすべき成果物に、十分な利用価値が見いだせない状態なのに、最後まで進めてしまったことに原因がある。である以上、プロジェクトを途中でいったん止めて、ゴールや成果物を根底から見直すべきであるし、それが無理ならば、プロマネを交替させるか、いっそプロジェクトを中断撤退すべきだったのだ。

では、その判断を下すべきなのは、誰か?

明らかに、プロジェクト・マネージャーではない。プロマネは、自分で始めたプロジェクトを、途中で降りる権限はない。プロマネ自身を罷免する権限もない(自分で辞任することはできるが、「罷免」とは本人が望まないのに強制的に辞めさせることである)。

である以上、その決断を下すべき者は、プロマネより上位に位置する権限者である事が分かる。それは、プロジェクト・オーナーかもしれないし、ステアリング・コミッティーかもしれないし、場合によってはプログラム・マネージャーかもしれない。ともあれ、プロマネを任命した権限者が、プロジェクトの価値や行く末について、要所要所でジャッジするべきなのである。

“ある程度の自立性(自律性)を持つ組織を、どう動かすべきか”の方策を、『ガバナンス』と呼ぶ。自律性を持つ組織に対し、何かの役割を委託した際に、委託した側の利益や期待に合致するように働いてもらう必要がある。そのためには、どうコントロールをきかせるべきかが、ガバナンスだ。株主が会社の運営を役員に委託する際に、株主利益から反しないようにはかることを企業ガバナンスと呼ぶのが、その典型である。

ガバナンスでとくに大事なことは、相手が勝手に変な方向に進んでいかないようにすることだ。何かをまかせる以上、資源をおかしなことにつかわれてはまずい。したがって、上に書いたように、プロジェクトの方向性を適時ウォッチし、成果物が期待した価値を生みだすように下す判断は、プロジェクト・ガバナンスの領域なのである。

旅客の来ない空港、使われない情報システムは、まさにプロジェクト・ガバナンスの不全を示している。プロジェクトの最大の失敗は、ガバナンスがきちんときかないことなのだ。

そこで、PRINCE2の登場である。先日、わたしが主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」では、講師に落合和雄氏を招いて、英国のプロジェクト標準であるPRINCE2の勉強会を行った。その席上、落合氏が開口一番いわれたことが、

 「PRINCE2は、プロジェクト・マネジメントよりもプロジェクト・ガバナンスの方法論です」

という言葉であった。PRINCEの原型は、1989年、イギリス政府の情報システムのプロジェクト・マネジメントの標準として中央電子計算機局 (CCTA) が開発した。やがてこれは、IT向けに政府機関以外でも使われるようになる。そして、より汎用的なマネジメント手法として PRINCE2 が1996年に発表され、今や英国でのプロジェクトのデファクトスタンダードとなっている。

PRINCE2の中心にあるのは、段階的な漸進主義(Manage by stages)と、プロジェクトのもたらす便益(Benefit)へのフォーカス、そしてマネジメントの階層性である。PRINCE2では、プロジェクト・マネジメント・チームならびにその機能には、3つの階層がある。

(1) Project Board - Directing (プロジェクト理事会 - 方針指導)
(2) Project Manager - Managing (プロジェクト・マネージャー - マネジメント)
(3) Team Member - Delivering (チーム員 - 実務)

という階層になる(なお、PRINCE2にはまだ日本語版の正式翻訳がない。上記の括弧内は、わたしの勝手な意訳である)。

そして、指示は上から下へ、報告は下から上に伝えられる。とくに、コスト、スケジュール、スコープ、品質、リスク、ベネフィットにおいて、何らかの予期せざる大きな変動があった場合、必ずそれは上位組織に対して報告され、判断を仰がなければならない(Manage by exception=例外管理)。組織は、「許容できる変動の範囲(tolerances)」をあらかじめ定めておく。

こうして、プロジェクトが、上位組織の知らぬ間に変な風に進まないよう、たがをはめておくのである。まさにガバナンスである。ちなみに、Project Boardよりもさらに上位の階層は、企業(Corporate)ないしプログラム・マネジメントだと規定されている。PMBOK Guideは「プロマネがどうプロジェクトをマネージするか」を中心テーマに据えて、いわばプロジェクトという単位の中で考えている。これに対しPRINCE2は、プロジェクトを企業活動全体の文脈の中にはめこむことに、苦心している。

落合氏は、元大手SIerのSEという異色の経歴を持つ税理士だが、「PRINCE2のようなきちんとしたガバナンスの発想は、日本企業にはとても必要だが、もしかすると文化的に受け入れられないかもしれない」と言われた。「しかしPRINCE2を見ていると、世界中の植民地を支配した大英帝国の根っこにある考え方が、本当によく分かる」とも。

わたしの受けた感想は、また方角が少し違うものだった。PMBOK Guideが記述する10のマネジメント・エリアやそのプロセス群は、受注型プロジェクトによくフィットする。他方、RPINCE2の規定する概念や手順は、むしろ自社が自発的に行うタイプのプロジェクトに向いているのではないか、と感じたのである。

もともと、初期のPMBOK Guideは、米国の防衛宇宙産業とENG産業の人たちが中心になってまとめたものだった。だから、受注型ビジネスが主軸になるのは当然なのである。そして、受注型プロジェクトの最大の特徴とは、スコープ・コスト・スケジュールの三大制約が厳しいことにある。だからこそ、その三つを統括する立場にいるプロマネには、かなりの権限が与えられ、決断がなされるべき、という思想になる。

PRINCE2はむしろ、オープンエンドな自発型プロジェクト、たとえば自組織(官庁を含む)が発案し投資する情報システム開発などが典型例である。そこではむしろ、プロジェクトの方向性と、組織全体の方向性のアライメントが重要なのである。だから、ある意味では過剰に上から介入される(ように見えかねない)3階層モデルや例外管理が大事とされるのだ。

したがって、PRINCE2は、製造業におけるBOM再構築プロジェクトなどには最適ではないかと感じる。あるいは新製品開発や、業務改革プロジェクトなどにもいい。こうした種類の自発型プロジェクトは、“基本設計さえ決めれば、あとは力仕事”というスタイルでは進めにくい。むしろ、“考え考え、少しずつ進んでいく”スタイルがあっている。いいかえれば、「歩きながら考える」である。欧州の定番ジョークに、“フランス人は考えてから走り出す、イタリア人は走ってから考える、そしてイギリス人は歩きながら考える”というのがあるが、PRINCE2はまさに、歩きながら考える英国文化の産物なのだろう。

<関連エントリ>
 →「プロジェクト・リスクとは目標の反対概念である」 (2013-09-08)
by Tomoichi_Sato | 2014-07-21 22:51 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

お知らせ:「ITmedia/MONOist」に、生産の海外展開に関する第二回記事を公開しました

製造業の技術者向けコンテンツを配信しているWebメディア「ITmedia/MONOist」に、生産の海外展開と工場立地に関する連載記事(4回シリーズ)の第2回目を公開しました。
意外と知られていない、アジアの工場立地先としての社会背景と、これから先の進出のねらい目の国について、大胆に解説しています。

・「工場立地」面から見たアジア各国の特性と課題
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1407/17/news002.html

このシリーズは、TPMコンサルタントとして海外で長らく活躍してこられた田尻正治氏との共著です。
工場の海外展開に関心のある読者の方々のご来読をお待ちしております。

参考:<第1回記事>
・生産の海外展開に成功するカギ――工場立地を成功させる20の基準とは?
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1406/16/news003.html


日揮(株) 佐藤知一
by Tomoichi_Sato | 2014-07-19 15:31 | 工場計画論 | Comments(0)

反応、感想、そして批評--受け手にとってより良きリアクションを生むために

わたし達は、消費社会に生きている。普段は職場で生産にかかわる仕事に従事していても、家に帰れば、消費者としてふるまう。いや、ちょっと昼飯を外に食べに行く時でさえ、消費者に戻るのだ。そうして毎日、お金を出して何かを買う。買うのはモノだったり、劇場での視聴だったり、旅行という体験だったりする。そして買ったモノや体験を、なぜかわたし達は、口に出して人に伝えたがる。考えてみれば、不思議な習性である。消費してそれで終わり、にしてもいいはずなのに、良きにつけ悪しきにつけ、何か一言いいたくなるのだ。

もっともわたし達は、自分でお金を払わない物事に対しても、あれこれと批評を口にする。TVで見る番組は、広告代という形で間接的に費用を払っているとしても、新聞で読む世の中の出来事、親戚の結婚式の体裁から、ゴミ出しの時に合う近所の奥さんの性格まで、すべて品評の俎上にのせられる。App Storeでは有償アプリも無償のものも、同等にレビュー対象だ。(ちなみに、日本のApp Storeのユーザレビューは、「悪のり的なレビューが世界でも突出して多い」と言う人もいる。 「WWDCへ殺到する開発者達 後日レポート」などを参照のこと。その当否はわたしには分からないが、一般にレビューアー側は「レビューの質」ということにかなり無頓着かもしれぬ)

これほどに世に多く行われている行為なのに、あまりその組立てや良い手筋について、論じたものは無いようだ。そこで本サイトはいつものユニーク性を発揮して、消費者としてのリアクション--『批評』というものを構造分析してみようと思う。どういう役に立つのか書いている本人もよく分からないが、とにかく気になるものについては考えてみる、という習性の導きにしたがって進めてみよう。とくとご笑覧あれ。

最初に、批評的なるものについて、三つのレベルを区別するところから始めたい。それは反応、感想、そして批評である。(これはわたしの個人的な用語定義なので、これ以降は『カギ括弧』でかこって表示する)

反応』とは、対象に対して当人が感じる“快・不快”が、ほぼ直接に表出されたものである。「うまい!」「まずいな。」 「まあ、チョウチョよ!」「きゃー、蛇よ!」・・このパターンは、いくらでもある。むろん、世の中には少数派として、蝶が苦手な人や蛇が好きな人もいるわけだが、話者の快・不快は、ほぼ口調からくみ取れる。そういえば、Facebookの「いいね!」(like!)ボタンも『反応』レベルに属するかもしれない。

ところで、聞き手・読み手なしでも『反応』は発せられることがある。そばに誰もいなくても、反射的に口に出てしまうわけだ。そういう観点からいうと、『反応』は必ずしもコミュニケーションを意識しない行為だ、と言えるかもしれない。もともと「蛇だ!」というような叫びは、集団内の信号ないしアラームとして機能したはずである。人間は言葉を持っているから単語や文で説明できるが、動物たちだって、警戒の鳴き声や、歓迎の鳴き声などで、この程度のレベルは表出している。『反応』とはたぶん、わたし達がもっと原始的な動物だったころから、持ち続けている脊髄反射的行為なのだ。

これに対して『感想』とは、自分が対象から受けた感情(エモーション)を言葉に表現したもの、と定義しておこう。「心を打つ話に、涙が止まりませんでした」とか、「笑止千万なゲーム運びに、あきれかえった」といったものが『感想』である。これは一応、コミュニケーションのニーズを持っている点が、『反応』とは異なる。人間には、感情を他者と共有したいという欲求がある。悲しい、とか悔しい、といったネガティブな感情でも、それを誰かと共有できると、心のどこかに満足感を覚える--そんな性質を人は持っている。それが『感想』を生みだす原点であろう。

では、『批評』とは何か。単なる『反応』や『感想』と違い、『批評』は独立した書き物として、それ自体も価値を持ちうる。だから、“プロの批評家”という存在も可能な訳である。作家とは別に、文芸批評家がいたりする。

『批評』は基本的に、読み手を想定して書かれている。原則として『批評』の読み手は、その芸術なり商品の消費者である。ときには作家宛の手紙、みたいなスタイルによる批評も存在するけれども、それは一種の意匠にすぎない。批評は、その対象作品をまだ知らない人に対する道案内であり、経験した人にとっては、より深い理解への手助けを提供する。だからこそ、『批評』は独自の価値を持ち、それ自体が商品ともなりうるのである。いや、たとえ原稿料がなくても、自分が書いた『批評』が多くの人の目に触れて支持を受けたら、当然誰だってうれしいと思う。

では、少しは読むに足りる『批評』を書くには、どうしたらいいだろうか? 自分はプロの批評家でもないのに、ずいぶん無謀な試みだが、一つ考えてみよう。それにはまず、良い『批評』と思われるものの構造を、理解する必要がある。

わたしの見たところ、すぐれた『批評』は大きく二つの部分、4つの要素から構成されている(図参照)。

e0058447_23445663.gif


全体はまず、(1)事実の記述と、(2)分析・評価、の二つの部分からなる。前者はさらに、(1a)対象に関する事実の要約、(1b)周辺情報、の二要素を含む。後者は、(2a)対象の分析、そして(2b)評価からなっている。これらがすべて揃っていないと、『批評』としては完備しない。対象に関する情報だけで評価がなければ、ただの商品紹介みたいだし、対象の情報記述がなく書き手側の分析・評価だけだと、なんだか広告か政党新聞を読んでるみたいだ。

(1a)「対象に関する事実の要約」は、特段の説明は不要だろう。『批評』の対象の多くはなんらかの作品(創作品)だが、しばしば商品・工業製品・サービスなども対象に含まれる。さらに、スポーツなどのパフォーマンスや、出来事・イベントなどの事象も対象になることがある。『批評』はまず、対象について、事実をサマライズするところから普通ははじまる。

(1b)「周辺情報」とは、たとえば作品が対象ならば、その作者に関する情報などである。場合によっては、プロデューサー、出版社なども含むだろう。また、対象のジャンルに関する情報も必要かもしれない。さらに、その作品なり事象なりが生まれるまでの来歴、それが世に出てからのインパクト、他者による評価なども紹介されるかもしれない。

(2a)「分析」では、作者の意図・ねらいを分析(推定)することが中心に来る。むずかしい創作物では、その前にまず解釈が必要だろう。また事象が相手の場合は、その発生の原因や波及を分析(推定)することになる。そして、自分の受けた印象や感情を整理する。もちろん、深い作品などの場合、分析不能(「言葉にできませんでした」)ということも、あるかもしれない。

ちなみに分析を記述する際には、自分との利害関係の有無を明確にすることも行われる。これは、『批評』の信頼性ないし中立性を確保するためだ。

最後に来る、(2b)「評価」とは、すなわち良し悪しの議論のことである。むろん、どんなものを評価する場合であれ、通常は多元的な尺度が用いられる(ストーリーは面白いが、キャラクターは平板だ、など)。評価は時間的にも、短期評価と長期的評価とがある。そして、何ごとであれ、批判するよりも、上手にほめる方がずっと難しい。良い批評だな、と感じるのは、そうした対象へのリスペクトを感じさせる文章である。

ちなみに、いつだったか東海林さだおのエッセイを読んでいたら、彼がTV番組を見て憤慨した話が書いてあった。その番組では、オーストラリアを訪問したうら若い女性タレントが、たしかカンガルー肉の料理を口にするのである。その肉は固いのか柔らかいのか、味は淡泊なのか濃厚なのか、固唾をのんで見ていると、タレント女子はただ一言、「おいし~い!」とだけ言って終わったというのだ。それじゃあちっとも視聴者が分からないじゃないか! と東海林さだお氏は憤慨する。

そのレポーターさんのお仕事は、事実も分析もなく、評価だけだった、という訳だ。まあ、ここでいう『感想』レベルだ。『感想』では何がこまるかというと、事実の報告も分析もないため、“それを誰が言ったか”、でしか判断する方法がない点だ。しょせんTV番組なんだからその程度で我慢しろ、という言い方もあろう。でも、どうせ費用をかけて放送するんだから、もう一手間かけてレポーターにしゃべらせれば、ずっと情報量が上がったはずである。放送する側に、そういうマインドがないのだろう。

いうまでもないが、事実と意見を区別する、というのがレポートの基本である。事実とは何か。哲学的にはいくらでも深入りできる問いだが、ここでは、事実とは「お互いに検証可能なこと」(客観性)だと定義しておこう。そうすれば、対象がカンガルー料理だろうが何だろうが、少なくとも『批評』の前半は、客観的に議論し検証できるようになる。

同じように、評価のところでも、自分の「好き・嫌い」と対象の「良し・悪し」を意識して分離する態度が大事である。好き嫌いは感情レベルのことがらで、これは個人差がある。他方、作品の良し悪しというのは、大勢の人の間で、時間をかけて定まっていくものだ。だから、自分の好き嫌いが普遍的でないことを認め、両者を区別することが『批評』には望まれる。

そしてもう一つ。創作物の質の良し悪しと、その作者の人格を短絡的に結びつけないことも、大事な態度だろう。批評は作者の人格攻撃であってはならない。社会事象とその当事者のケースも、同じである。よく、子どもの出来が悪いと、すべて親のせいにする人がいるが、これと同じように作者と作品にも“親子関係”を想定し、「こんなもの作るのはロクな奴じゃない」みたいな事を言うのは、あまり賢い態度ではない。なぜなら、批評する者自身にも同様に、人格攻撃がはね返ってくるからである。そのような社会では、自由な、まともな、闊達な批評など存在し得なくなる。もちろん、創造性など育つわけがない。

以上をまとめると、良い『批評』のためには、
 ・事実と意見を、区別する
 ・自分の好き嫌いと、対象の良し悪しを区別する
 ・対象の評価と、作者の人格評価を区別する
という、三つの区別が求められるわけである。

これを言いかえると、作品や事象の評価を、議論可能な形にしていくことが、『批評』の最大の役割なのであろう。事実なら議論できる。良し悪しについても、互いに意見交換は可能だ。推測に関する水掛け論、たんなる個人的感情についての言い合いのムダを防ぐ。そうして、議論の中で、少しずつ共通理解の土台を広げ、次のより良い体験、より良い制作にフィードバックする--これが『批評』の機能であり、価値なのである。

そして、議論の価値を信じる社会でないと、このような『批評』は成り立たない。話し合いを信ぜず、「問答無用!」だけが通用する社会には、『批評』も無用である。

もちろん、世の中には『批評』に似て非なるものも存在する。一番多いのは、対象にカテゴリーのレッテルを貼ることで「評価」を代用するやり方である。「こんなのは××にすぎない」というやつだ。こうした文言は、『感想』または『批評』の形をしていても、じつは『反応』レベルに近い。たんに、レッテルの共有イメージにもたれかかっているだけで、ハイ・コンテキストな同質集団内のみで成立する言い方である。これでは、集団の外の人間とは対話できないままだ。

いうまでもないが、『反応』や『感想』は短文に向く。140文字に制限されているコミュニケーション・チャンネルでは、『批評』は書きにくい。その結果、そうした世界では、消費者のリアクションはみな短く、類似する。そして内容よりも「どの有名人が言ったか」で支持者(フォロー数)がかわっていく。そんな世界は、とても数値分析(テキストマイニング)しやすい世界である。基本的に、商品の売り手企業や広告企業は、むしろ『批評』をあまり歓迎しないと見るべきだろう。

といっても、誤解しないでほしいが、わたしは『反応』や『感想』より『批評』が高級だとか、どんな事柄に対しても『批評』だけを書くべきだ、などと主張しているのではない。そんなこと、わたし自身するつもりもないし、できる時間もない。だから日常では『反応』を口にするだろうし、Facebookでは「いいね!」を押し続けるだろうし、書評や映画評も『感想』ですませるかもしれない。ただ、その時その時に、自分がどのレベルを言葉にしているのかは、意識しようと思うのだ。

そして考えてみると、「仕事の評価」「人の評価」でも、作品・事象の『批評』と同じ構造をしていることが分かる。わたし達が、他人の仕事の成果や仕事ぶりを評価する機会は、音楽評を書く機会よりもずっと多い。また、その帰結も非常に重要である。だとしたら、『批評』の構造を胸に刻み込むのは、とても大事なことではないか。

分析・評価とは、すなわち、「アナリスト」の仕事である。対象が企業経営の場合は「証券アナリスト」、市場の場合は「市場アナリスト」、業務フローの場合は、「業務(システム)アナリスト」である。ちなみにわたし自身は、「プロジェクト・アナリスト」を自称し、その職域を認知してもらうべく、研究部会活動などもいそしんでいる。だから、(文末になってやっと分かったが)、良き『批評』の構造分析は、わたし達自身の仕事の糧なのである。


<関連エントリ>

→「仕事のレポートはこう書こう」 2011-05-08)
by Tomoichi_Sato | 2014-07-14 23:48 | 考えるヒント | Comments(0)

原価の秘密 - なぜ、黒字案件だけを選別受注すると赤字に陥るのか

かつての古き良き時代、右肩上がりの高度成長の頃は、なにごとも単純明快で分かりやすかった。製造業は、生産量を上げることにひたすら邁進した。「作れば売れる」時代だったからだ。昭和40年代や50年代の日本企業の多くは、欧米先進国から技術を導入しつつ、自分でもそれを改良し、使いこなしていった。その時の工場運営でキーとなる指標が、機械の稼働率だ。

たとえば、あなたの会社が3億円の大枚をはたいて、海外から高価な製造機械を導入したとしよう。15年間の寿命を想定すれば、減価償却費は毎年2千万円だ。それでも、旧式の機械+手作業に比べれば数倍以上の生産能力を上げられるし、より高品位な製品も作れる。だからソロバン勘定に合うはず、と考えて導入に踏み切るわけだ。

当然ながら、社長は工場長に対して、この機械を最大限活用しろ、とハッパをかける。機械は動いていても止まっていても、同じ減価償却費がかかる。だとしたら動かさなければ損である。他方、社長は営業部門に対しても、もっとたくさん売ってこい、と号令をかける。工場は見込生産で大量に作るのだから、放っておくと工場倉庫に製品在庫が積み上がってしまう。これを流通チャネルに卸すのが営業の仕事である。多少値引きしたっていい、薄利多売、大量生産が経営のポリシーであった。

工場の側は、どうやって高価な機械の稼働率を向上させるか考える。稼働率とは、次の式で定義されている。
       
 [稼働率]= 年間の実稼働時間 ÷ 年間の総操業時間
       
稼働率を阻害する要因はいくつかありうる。たとえば、
 (1) 段取り替えやセットアップに手間がかかり、実稼働にすぐ入れない
 (2) 機械の故障で稼働できない
 (3) 機械は動かせるのだが、資材手配の不手際で、加工すべき部品がこない
 (4) 加工手順やツールがまずくて、1個を加工するのに余計に時間がかかる
等々。いずれも、技術的な問題である。工場長は各部に指示を出して、問題に対処するよう命じる。

さて、原価管理には『賃率』という概念がある。単位時間あたりの労務費をいう。もし製造工程が機械中心で人手の関与が少ない場合は、労務費よりも減価償却費などのウェイトが原価の中で大きくなる。そこで「機械賃率」を同様に定義して、原価計算に使う。機械賃率は以下のような計算になる。(お手数ですが、等幅フォントで見てください)


         設備の減価償却費      設備の減価償却費
 [機械賃率]= ----------= ------------
         年間の実稼働時間    年間の総操業時間×稼働率


あなたの工場では、年間の総操業時間は2,000時間である。そして導入した機械の減価償却費は毎年2,000万円だ。だから、機械が100%フル稼働できれば、機械賃率はちょうど1時間あたり1万円になる。部品を1時間加工したら、1万円の原価がかかる勘定だ。もし80%稼働率ならば、賃率は1万2500円になる。つまり、同じ製品を同じように加工したとしても、年間全体の稼働率を上げれば、機械賃率は下がり、したがって原価が安くなる。だから、工場は機械の稼働率を最大限上げるよう努力すべし、ということになる。

ただし、機械の本当の実稼働時間は、その年度が終わって締めてみないと分からない。それでは意思決定に支障をきたすので、ふつうは期初に「今期の推定稼働率」を決めて、それで製品の標準原価を計算する。そして、期末になったら「今期の実稼働時間」を集計し、最初の想定と違いが出た場合に、「原価修正」をかける。

これが、見込生産時代にできあがった工場運営、原価管理の考え方だった。

それから、時代は下った。長い不況を経て、「作れば売れる」時代から、「顧客の望むものでなければ売れない」時代になった。プロダクト・アウトから、マーケット・インへと、市場環境は変貌した。製造業の多くは、見込生産から受注生産形態へと、変化せざるを得なかった。生産設備も業界全体で過剰となり、フル稼働で製品を作ることなど望みにくいご時世となった。

さて、あなたは今や工場長である。当時は最新鋭だった機械も一度買い直した。それもいささか古くなったが、まだ現役で、工場の中核の製造機械である。減価償却もまだ残っていて、あいかわらず年間2000万円かかる。これが、あなたの頭痛の種だ。

ところで、営業部門が今年度の有力受注案件として、3つの案件を持ってきた。
 案件A: 受注金額=1,200万円、製品数量=400個 (販売単価=3万円)
 案件B: 受注金額=1,250万円、製品数量=500個 (販売単価=2.5万円)
 案件C: 受注金額=2,500万円、製品数量=1,000個 (販売単価=2.5万円)

顧客も違えば、作る製品の品種も違う。あなたは、それぞれの案件の原価をあたってみた。以後の話を簡単にするため、あなたの工場は、(1)機械による加工製造、(2)外注による仕上げ梱包、の2工程だけとしよう。また社内の人件費は、どの案件でも一律なので無視することにする。あなたは生産技術部門や資材購買部門に確認した上で、それぞれの製品1個あたりの単価を以下の通りと見積もった。

 案件A: 材料費単価=10,000円、外注費単価=2,500円 機械加工時間=0.8時間
 案件B: 材料費単価= 7,000円、外注費単価=4,000円 機械加工時間=1時間
 案件C: 材料費単価=12,500円、外注費単価=3,000円 機械加工時間=1.2時間

ここで、機械加工1時間あたりの機械賃率が問題になる。過去数年間の平均を見ると、稼働率は80%だった。したがって、1時間あたり1万2500円である。これを使うと、各案件の原価と利益が明らかになる。

 案件A: 受注金額=1,200万円、製造原価=900万円 利益=300万円
 案件B: 受注金額=1,250万円、製造原価=1,175万円 利益=75万円
 案件C: 受注金額=2,500万円、製造原価=3,050万円 利益=▲550万円

案件Aはそれなりの利益、Bはかつかつだが、Cはかなりの赤字と見積もられた。社長主催の生販会議で、あなたはこの数字を報告する。社長は、「赤字はもうたくさんだ。案件を選別しろ。案件Cは捨てて、AとBの受注に全力をつくすこと」と営業部長に指示を出した。努力の結果、無事にAとBの2案件は受注にこぎつけ、あなたも工場で奮闘した結果、予定どおり製造出荷させることができた。

ところで、年度末になって、本社から呼び出しがかかった。経理部門から社長に「今期は赤字になります」と報告が上がったのだという。そこで社長が怒って、工場長を呼べ、と命じたのだ。たいへんな剣幕だという。--そんな馬鹿な。黒字案件だけを受注したはずではないか?半信半疑のあなたが本社に行くと、まず社長に怒鳴られた。「工場は何をやってるんだ! 赤字だと報告が上がっているぞ!」

訳が分からないまま、あなたは経理に説明を求める。経理課長の説明はこうだ。「今期の実稼働時間は、集計によると、
 A案件: 0.8×400=320時間
 B案件:  1×500=500時間
で、合計820時間のみでした。そこで、機械の実際賃率を求めると、
  2000万円÷820時間=2.44万円/時
になります。そのため、原価修正が、
  (1.25-2.44)×820=-975万円
となるため、修正後の利益は
  300+75-975=▲600万円
の赤字ということになりました。」

あなたは頭がくらくらしてくる。黒字案件だけを選別受注したのに、なぜ赤字になるのか。経理課長は、「機械の稼働率が想定よりずっと低かったためです。原価を下げるためには、もっと稼働率を上げてください。」

あなたの横顔にむかって、社長が追い打ちをかけるように怒鳴る。「こんな高コスト体質でどうするんだ! さっさと工場に戻って、全力でコストダウンに取り組め!」

*** *** ***

さて、どうしてこんなことになってしまったのだろうか? あなたは(あなたの会社は)、本当はどうすべきだったのだろうか?

そもそも案件がA, B, Cと三つあった訳だから、受注戦略としては、三つとも全部を狙うか、あるいは二つを選別受注するかで、A+B, A+C, B+C, A+B+Cのの4つの組合せが考えられる。それぞれのケースについて、売上・利益・機械の実稼働時間・機械の実際賃率・原価修正、そして修正後の利益を求めてみると、表1のようになる。

e0058447_1946040.gif


これをみると、黒字案件のみを選別受注する「A+B」は、実は修正後利益が一番の赤字となることが分かる。一方、AやBに赤字案件のはずのCを組み合わせる方が赤字は小さく、全部受注した「A+B+C」の場合に、はじめて黒字になることが分かる。その差は、原価修正額の違いからくる。「A+B」だとマイナス975万円だが、「A+B+C」だとプラス535万円なのだ。このような結果になる最大の原因は、機械の稼働時間が、「A+B」では820時間しかないのに、「A+B+C」では2,020時間になるためである(これは年間操業時間の2,000時間をわずかに超えているが、残業すれば対応可能な範囲だ)。

4つのケースで、年間の実稼働時間と、機械賃率の関係を示したのが、次のグラフだ。経理課長のいったことは、ある意味では正しい。機械の実稼働時間を増やすほど、原価は下がるのだ。

e0058447_19464681.gif


だが、それは工場の努力で改善できることだろうか? そもそも不況のため、工場はフル稼働できずにいるのだ。上にあげた4つの稼働率阻害要因を、もう一度見てほしい。セットアップ時間や故障時間を減らしても、部品をタイムリーに手配しても、実稼働時間それ自体は増えはしない。まして、生産技術を工夫して製品1個あたりの加工時間を減らしたら、どうなるか? 実稼働時間が減って、稼働率が下がってしまうのだ!
 
受注生産の最大の特徴は、生産量を自分の好きに増やせないという事である。受注生産では、機械の稼働率や、工場全体の操業率は、受注した仕事量に依存する。あなたが工場長としてできるのは、むしろ稼働率を下げること(=生産性を上げること)なのだった。だから、「稼働率を上げろ!」と社長が号令をかけるべき相手は、工場ではなく営業なのだ。営業が仕事をとってきて、はじめて年間の稼働率が上がる。大量見込生産の時代には、稼働率は技術的課題だった。受注生産では、稼働率は営業の課題なのだ。

おわかりだろうか。わたしがいつもくりかえしている主張、「大量生産時代の社内ルールや評価を残したまま受注生産に移行したことが、今日の製造業における問題の根底にある」の一例が、これである。工場を稼働率で目標管理する事は、大多数の製造業には、もはやフィットしないのだ。

では、どうしたらいいのか? 現実には、年間の案件が期初に全部見えている訳ではないので、上のような表を作って受注戦略を考える事は不可能だ。どの案件を受注すべきか、またいくらの受注金なら受けるべきか、個別に決めるための簡単な方法が必要である。

そして、それを可能にする指標は存在するのだ。それは「スループット」である。

 [スループット]= 受注金額-変動費= 受注金額-材料費-外注費

あなたの会社で発生する『原価』は、大きく分けて、生産量に直接リンクして発生する変動費(材料費・外注費)と、固定的に発生する費用(減価償却費・社内人件費・水道光熱費等)である。スループットという尺度は、このうち変動費だけを差し引いて得られる、一種の「粗利」であり、製造業会計では「粗付加価値額」に、ほぼ等しい(厳密には少し違うが説明は略す)。そして会社は、この「スループット」(受注金から材料費・外注費を差し引いて手元に残った金額)から、さらに人件費・減価償却費その他の固定費を払って、プラスならば利益が出るのである。上記各案件のスループットは次のようになる。

 案件A: 受注金額=1,200万円、変動費=500万円 スループット=700万円
 案件B: 受注金額=1,250万円、変動費=550万円 スループット=700万円
 案件C: 受注金額=2,500万円、変動費=1,550万円 スループット=950万円

あなたの会社の固定費は年間2000万円だ。少なくとも、これをカバーして上回るだけのスループットを、積み上げなければならない。だとしたら、「A+B」では1400万円しかないのだから、赤字になるのは明らかではないか。三つ全部受注する「A+B+C」で2,350万円となり、黒字になるのはこのケースしかないのだ。

また、年度内の案件が全部見えていなくても、個別の案件ごとにスループットは計算できる。したがって受注戦略としては、スループットの累計が、なんとか年度の固定費を上回るように案件を狙っていくべきだ、ということになる。競争環境下では、もし必要なら多少の値引きをしてでも、スループットを確保する。たとえば上記の例で案件Cは、2,500万円の代わりに2,150万円までは値引きしてでも、受注する方が会社のためになる。

機械の減価償却費は、固定費である。それを、「稼働率」と「機械賃率」を用いて変動費化して原価計算に組み入れる、というのが、通常用いられる製造業の原価管理だ。この手法は、機械の能力が制約であり、作れば売れる大量生産時代は有効であった。しかし上の例で見たとおり、受注生産で仕事量が不足気味のときには、かえってミスリードになる。

上の例は分かりやすいように極端な例を用いた。ただし、非現実的かもしれないが、非論理的な計算はしていない。そしてこの程度ならば、社長がもう少し落ちついて考えれば、案件Cを切り捨てるのはまちがいだと分かったはずだ。だが現実のビジネスでは、原価の計算はもっとややこしい要素と過程をへて、行われる。ERPシステムを入れて、計算を精密化しようとしたりする。だからかえって、怖いのである。誰も原価の全体構造や動的メカニズムを理解しないまま、単に数字だけに追われることになる。その結果、黒字案件だけを選別受注しようとしたりしがちだ。そして、いつの間にか赤字に陥る企業が、現実に存在しうるのだ。そうならないためには、あなた自身も、工場長も、営業部長も、そして社長も、マネジメント全員が、もっと原価の秘密を理解しようと努力しなくてはならない。


<関連エントリ>
 →「もう一度、付加価値とは何か?」 (2010/06/06)
 →「書評:『受注生産に徹すれば利益はついてくる!』 本間峰一・著」 (2014/06/21)
by Tomoichi_Sato | 2014-07-06 19:56 | ビジネス | Comments(0)