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プロジェクトは失敗するものである、という英国人の思想

1993年3月、ロンドン証券取引所は、ビッグバンを背景に7年にわたって進めてきた、株式取引決済システム「トーラス」開発プロジェクトの中止を発表した。証券取引所はすでにこの事業に8000万ポンドの費用を投じており、人件費を含むシティ(ロンドン金融街)全体の投下コストは、総額5億ポンドに上っていた。証券取引所のP・ローリンズ理事長は、責任をとって辞任する。

「トーラス」は、株式売買のバックオフィス業務である株式決済処理の電子化・効率化を目的とした、英国金融界の共同事業で、中心的な推進役はロンドン証券取引所であった。トーラスは米国のパッケージソフト「ヴィスタ」をベースに開発されることになっており、本来ならば、'91年10月に稼働しているはずだった。それは一度、'92年夏に延期されていた。しかし、中止決定時点では'93年中の稼働すら危ぶまれる状況だった。

ちなみにこのプロジェクトは、ローリンズ理事長がはじめたものではない。'89年に弱冠38歳で理事長職に着任した彼は、その後の数年間、シティの規制緩和への対応に忙殺されていた。それがひと段落したとき、「トーラス」プロジェクトを見て、それが容易ならざるものであることに気づいたのであった。その当時、プロジェクト・マネージャーであったクーパース&ライブランド社のJ・ワトソンは、稼働開始日見通しの記者質問に絶句して答えられない状況だった。ローリンズ理事長は第三者のアンダーセン・コンサルティング社にプロジェクトの調査を依頼する。約3ヶ月間の調査の後、アンダーセンは、「トーラスの設計は未完成」と報告する。

結局、ローリンズ理事長は、この「トーラス」プロジェクトと差し違える形で辞任する。それは同時に、何年間も長時間の労働に耐えてきた、シティの大勢のSEとプログラマたちの失業をも意味していた。

この巨大プロジェクトが、いかなる経緯をとって迷走し頓挫したかについて、我々は詳しく知ることができる。経営学者ヘルガ・ドラモンドが、関係者への徹底的なインタビューを含む詳細な調査研究を行い、『プロジェクト迷走す―ビッグバン「トーラス」システムの悲劇』という本にまとめて公開したからだ。この本はきわめて興味深いアカデミック・ドキュメンタリーとなっている。

誰の目にも混乱を極めていたトーラス・プロジェクトを、関係者たちはどうして途中で止められなかったのか。従来の経営学では、(1)それまでにつぎこんだ損失に目が眩んで、合理的な決定ができなかったのだ、あるいは、(2)情報の不確実さゆえに、正しいリスク判断ができなかったのだ、という説明がなされてきた。いずれも、意思決定が合理的に行われなかったのだ、という解釈である。

しかしドラモンドは、プロジェクトの経緯を詳しく調べて、そのどちらも当たっていないと考える。そして、合理的な意思決定の積み重ねが、全体としては非合理な意思決定を導く、という第3の理論を提案する。ひとつひとつは当然にみえるミクロな意思決定の集積が、マクロにはまったくの不合理を導く。これを、ドラモンドは「意思決定エスカレーション」理論と呼んだ。

ドラモンドの理論の当否については、いろいろな議論があるだろう。だが、わたしが感心するのは、このような大きな失敗事例が、きちんと第三者によって検証され、分析が行われるイギリス社会のあり方である。これを英国文化のもつ理知性と公明正大のあらわれ、と解釈することも可能だろう。いやあ、英国人特有の変てこな自虐趣味さ、と皮肉ることもできる。だが、ともあれ、社会的資本を投下した事例については、その経緯や結果について、第三者による検証が必要だ、との発想が、彼らにははっきりある。

英国は失敗の研究がよく行われる、とも言える。もちろん日本でも、畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」というベストセラーがあるし、「失敗学会」という学会組織もあって、失敗事例研究の普及につとめている。ただ、逆に言えば、そのような学会を作って旗振りをしなければいけないほど、わたし達の社会では「臭いものに蓋」という態度が蔓延している訳である。

当たり前のことだが、失敗を研究し分析しても、そこから教訓を学んで同じ轍を踏まぬよう努力するのでなければ、無意味である。失敗からの「学び」こそ、リスク・マネジメントの要(かなめ)なのだから。

もう一つ、英国の例を挙げよう。『FIDIC標準契約約款』と呼ばれる、海外の建設プロジェクトで広く使われる契約書の雛形がある。歴史はそれなりに古いものだが、1990年代の終わりに、英国主導で大きな改訂が行われた。これはじつは、80年代以降、英国で建設プロジェクトの失敗が相次いだためだったといわれている。

なぜ失敗プロジェクトが相次いだか。その最大の理由は、「発注者が請負業者に対して、あまりにも過剰にリスクをヘッジするような一方的な契約条件を求めたため」であった。もともと一括請負契約は、発注者がある程度のリスクを受注者にヘッジする形態である。だが、受注者のリスク管理能力を超えてリスクを押しつけすぎると、受託側がプロジェクトを正常に遂行できなくなる。結局、受注者が発注者と一蓮托生に沈没してしまう事例が、多く出たのである。その失敗の反省にたち、FIDIC約款は、受注者に対してよりフェアーとなるよう、条項を明確化したと言われる。まことに大人の知恵ではないか。

ちなみに契約法務の世界では、いわゆる商務仲裁機関も英国が主導している。さらに、損害保険(再保険)の世界も、英国がメジャーだ。彼らはリスク・マネジメントに関しては徹底している、と言うべきだろう。そして、「仕組みを作って世界を動かす」ことにかけては、たしかににたけている。

英国が自国向けに標準を作ると、それなりに実際的である点も特徴である。たとえば、プログラム・マネジメントの分野で、米国PMIのThe Standard for Program Managementと、英国商務省のManaging Successful Programmes (MSP) を読み比べるとわかるが、後者の方がずっと分かりやすく、何をどうすればいいか具体的である。「PMIの標準は、コンサルタントを呼ばないと分からないよう、わざと抽象化して書いている」という人もいるくらいだ。それと、MSPは、限られた少人数で著述しているらしく、全体の記述に一貫性があり、たしかに読みやすい。なお、ついでながらプログラムという語のスペリングが、米国と英国で少し違っている点も面白い。

同じ英国商務省が、プロジェクト・マネジメントに関して制定した標準がPRINCEである(現在はPRINCE2となっている)。PRINCEは元々、英国の官公庁で発注するコンピュータ・システム開発のプロジェクトに失敗があまりに多いため、それを改善するために生まれたと言われている。日本プロジェクトマネジメント協会の元理事長で、現在は北陸先端科学技術大学の教授である田中宏さんに以前うかがった話によると、PRINCE2というのは、“プロジェクトというものは放っておくと失敗するものである”という思想が根底にあるのだそうだ。まあ、たしかにこの「自虐的」規定の仕方は、いかにも英国人風である。だが、彼らが確立した立憲君主制や三権分立制などに見られるように、制度設計というものは、“放っておくと失敗する”という発想をベースに考えた方がリスクが小さいのである。

マネジメント標準というのは、それに従っていれば万事うまくいく、というような魔法の教科書ではない。せめてこれぐらいは知っておいた上で、自分の仕事にあわせて取捨選択しろよ、という体系的な道案内の書である。それを読むには、読み手のインテリジェンスが必須である。

ところで、このインテリジェンスというものは、知識や法則や論理的演繹といった、「頭の良さ」だけではないらしい。むしろ、自分はまだ一度も歩いたことのない道なのに、この先に何かがありそうだと察知するような能力のことを、インテリジェンスとよぶのである。わずかなデータしかないのに、何だか価値がありそうだと気づいたり、ヤバそうだと感づく嗅覚のような能力--それこそが、プロジェクトという深い森の中を正しく導く、導き手なのである。

だからインテリジェンスというものは、こまったことに、経験によって深まったり、逆に鈍ったりする。自分がいかに何も知らないかを分かれば、深まるし、なあに所詮こんなものよ、と知ったつもりになれば、逆に能力は鈍るものらしい。単なる経験年数ではない。経験から、何をどう学ぶか、なのである。

わたし自身がインテリジェンスをもちあわせているなどと言うつもりは、もちろん、さらさらない。だからこそ逆に、失敗に学ぶのがお好きな英国発のプロジェクト・マネジメント標準PRINCE2がどんなものか、知りたいと思って、今週、研究部会で講演をお願いした次第なのである。PMBOK Guide(R)は読んだけど、何だかもの足りない気がする--もう少し別の知恵はないのだろうか、そんな疑念をお持ちの同輩諸賢のご参加をお待ちする次第である。


 →「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(2014/07/01) 開催のお知らせ

<関連エントリ>
 →「組織におけるルールはいかなる機能を持っているのか
by Tomoichi_Sato | 2014-06-29 23:12 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

お知らせ:Webメディア「ITmedia/MONOist」に、生産の海外展開に関する記事を書きました

主にエンジニア向けのコンテンツを配信しているWebメディア「ITmedia/MONOist」の依頼で、生産の海外展開と工場立地に関する連載記事(4回シリーズの第1回目)を執筆しました。

・生産の海外展開に成功するカギ――工場立地を成功させる20の基準とは?
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1406/16/news003.html

TPMコンサルタントとして海外で長らく活躍してこられた田尻正治氏との共著です。
工場の海外展開に関心のある読者の方々のご来読をお待ちしております。


日揮(株) 佐藤知一
by Tomoichi_Sato | 2014-06-24 07:28 | 工場計画論 | Comments(0)

書評:「受注生産に徹すれば利益はついてくる!」 本間峰一・著

受注生産に徹すれば利益はついてくる! - 取引先に信頼で応える“おもてなし"経営 -」 (Amazon)

良書である。著者は長年、金融機関系のコンサルティング会社で活躍した後、最近独立された中小企業診断士で、わたしの所属する「生産革新フォーラム」(通称『MIF研究会』)の会長でもある。知人の著書を紹介するときは、ほめるにせよ批判するにせよ中立の立場で書くのが難しいわけだが、本書は幸いにも非常に良くできており、安心しておすすめできる。

安心して推薦できる最大の理由は、本書が「受注生産」企業を対象に据えて、そのポジティブな面を書いているという、ユニークな視座にある。前から述べているとおり、日本の製造業の9割は受注生産の形態にあると想像される。にもかかわらず、世間にあふれるビジネス書の殆どは、自動車メーカーだとか著名電機メーカーなどに範をとって、“企業経営はこうあるべし、あああるべし”を論じるばかりだ。

さらに、それだけでは足りずに、Appleではこうだサムスンではああだと、海外事例を述べ立てては、(暗に)日本企業もその真似をするべきだ、と論じる。ちょっと、いい加減にしてくれよ--ずっと受注ビジネスで生きてきたわたしなどは、いいたくなる。GoogleやAmazonが、一度でも受託商売で苦労したことがあるのか? かりにあっても、ごく例外だろう。雑誌やメディアが、そうした著名海外企業を取り上げるのは、何よりも急成長会社だからだ。それに消費者向けビジネスだから知名度が高いこともある。

消費者を相手としたB2Cの商売は、たしかにうまくあたれば、大きく成長することができる。メディアは「目立つ変化」にとびつく性質があるから、急成長会社に注目する。しかし、それはとてもボラティリティの高いビジネスモデルである。成功企業の後ろには、実際には敗退し市場から退場していく多数の企業群があるはずだ。では、B2CではなくB2Bの、すなわち製造業向けに生産財をつくっている企業はどうだろうか。そのほとんどは、受注生産形態の会社である。

「受注生産企業って、本当に儲からないんだろうか? コンサルタント活動をしていると、儲かっている受注生産企業に出会うことも多いのだけれど・・」 これが、本書を書くきっかけになった問いだったらしい。著者は続ける。「減益企業は大げさに騒ぎ立て、儲かっている企業は低く静かに伏せているとはよく言われることだが、受注生産企業はもともと知名度が低いこともあり、儲かっている企業があってもまわりからは気づかれにくい」(p.1)

本書は、著者がさまざまな受注生産企業のコンサルティング経験をふまえて書いた、受注生産企業へのエールの書である。実際、現在の日本の製造業は、(メディアや官庁は気づいていないが)技術的にも利益的にも、受注生産企業が支えていると言っても過言ではない。さらに、日本の文化や社会風土自体も、受注生産形態に非常に向いていると言えよう。

それなのに、「受注生産=下請け」「受注生産=薄利」といったステレオタイプのイメージが蔓延し、働いている人たちは何となく劣等感を感じたりしている。さらに、見込生産に範をとった、間違った経営指針がとられがちである。この点をただして、もっと自信を持って受注生産に徹しよう、そのために必要な経営指針・営業政策・生産管理はこれだ、とノウハウを開陳するのが本書の特徴である。

本書は7章構成になっている。前半では、「受注生産が日本企業の強みだ」「受注生産を取り巻く環境変化が起きている」という風に、全般的な状況説明があり、後半は受注生産メーカーの「利益向上策」「工場運営の秘訣」「生産管理」「新規営業戦略」など個別の方策が書かれている。

ところで、受注生産と見込生産は、本当に企業ごとに分かれるのか? という疑問もあろう。無論、同一の企業で混在していることもある。いや、自社製品による見込生産を得意としてきた大手消費財メーカーが、受注生産に乗り出す例も増えていることを知って驚いた。「PB (Private Brand=流通業者のオリジナルブランド)製品は、メーカーのNB(National Brand)製品と異なり、広告宣伝費が発生しないことなどから低価格で販売されることが多い。そのためもあって、当初は販売力の乏しい中小メーカーが製造を担当して流通業者に供給するのが一般的であった。(しかし)最近では大手メーカーも積極的に、量販店向けPB製品を手がけるようになってきている。」(p.14)

受注生産企業は、顧客のわがままにふりまわされるケースも多い。大企業のわがまま要求の例として、著者は次のようなことを上げている。

・今日発注したものを今日中に納品しろ
・要求仕様が変わっても費用は追加しない
・取引先の在庫品を有償支給品として受け入れろ
・エビデンス(注文書など)がない状態で非公式手配してくる
・納品後に注文主や支払条件を変更してくる など(p.42)

たしかに、おかしな要求がしばしばまかり通っているのは、わたしも知っている。ただし著者は、「こうした不公正な取引慣行を役所が是正しろ」とは、言わない。逆に、「わがまま要求に対応するために行ってきた企業努力こそ、日本の受注生産企業が築き上げてきた世界に誇る強みである」(p.42)と、ポジティブにとらえる。そして、「自社が海外企業に負けない受注生産力を持っているのであれば、それに対して自信を持ってアピールすること」(p.43)と書く。つまり、弱みを強みに転換すべきだ、というのが本書の主張である。日本企業の受注生産における高いフレキシビリティは、海外サプライヤーからモノを買った経験のある企業ほど、痛感する点でもある。

むろん著者は刃を返して、わがままな大企業を厳しく批判することも忘れない。「現在、日本の上場企業において半数以上の企業が実質無借金経営状態にある。かれらがJIT調達による流動在庫の削減に注力する意味がどれだけあるであろうか。中小の下請企業に在庫を押しつけるのではなく、自社で在庫を持つことにより下請企業の生産を平準化させて、生産効率を高めるアプローチの方が正しいのではないだろうか。」(p.50) まことに正論である。そして、大企業の在庫恐怖症の背景には、ERPの導入があったことも、しっかりと指摘している。

他方、受注生産企業側にもいろんな課題がある。ひとつは、業績が比較的安定している(急成長もないが、顧客との取引停止にでもならぬ限り急降下もない)がゆえに、ぬるま湯体質になりやすい点だ。じつは、「金融機関に融資を申し込んだ場合も、最終製品メーカーに比べてすんなりと審査が通ることが多い」(p.66)というのだから結構なことだが、「対外的な派手な宣伝活動もなく、大ヒット商品を生みだし大儲けして社内が盛り上がることも少ない。その結果、何となく『自社はつまらない』と感じてしまう社員が増えがちだ」(p.68)。

それゆえ、「業務改善活動は取引先からの圧力で始めることがあっても、社員自らが率先して業務改革に取り組むことは少ない」(p.68)・・まるで、日本自体の縮図を見るようではないか。

肝心の「利益向上策」「工場運営」「生産管理」については論点が多いので、個別には紹介しきれない。ぜひ本書を紐解いてほしい。利益計画の中心は、『スループット』管理にある。受注生産企業は自社だけで売上を向上させることは難しいので、営業マンを売上高で駆り立てるのは、じつは愚策である(この点が消費財メーカーとの最大の違いだ)。そうではなく、スループット・マネジメントを推奨する。

スループットとは、売価から外部購入費(材料費・外注費)を差し引いたもので、小売業では「粗利」に相当し、製造業では会計用語で言う「付加価値額」にほぼ等しい。これを積み上げて、年間の作業経費(人件費・減価償却費等の固定費)を上回るように、受注をコントロールしていく。たとえ見かけ上は赤字案件でも、それを受注することで固定費をカバーする足しになるなら、ちゃんと受注していく。そうした判断は、従来の原価管理(固定費を配賦して変動費化する)では、うまくできない。今の会計学手法は、じつは「作れば売れる」見込生産・実物経済時代の発想でできあがっているからである。

著者の考え方は、じつはゴールドラットのTOC理論(制約理論)にかなり基づいている。工場運営で、ボトルネック工程(制約工程)を平準化し最大活用せよ、という発想など、その典型であろう。しかし、受注生産企業は製番管理より流動数曲線管理が向いている、とか、理想的な現場管理システムはいらない、とか、「設計部門を治外法権にしない」(p.184)など、随所に著者らしいノウハウの蓄積を感じさせる。

最後の第7章は、「新規営業戦略」である。欧米流のマーケティング理論をふりかざしても、それは日本の受注生産企業にはあてはまらない。まして「ソリューション提案」など、顧客企業にとっては余計なお世話である。また中小が最終製品開発を志向しても、販路などの障壁で無理が多い。そこで、あくまで「ハイレベル受注生産力」を、その5大要素である
 「技術対応力」
 「納期対応力」
 「品質管理能力」
 「アフターサービス力」
 「事務処理能力」
ごとにアピールすべし、と指南する。とくにこの章は、かつて大手電子通信メーカーで営業をしていた著者の経験がいかされる分野であろう。

受注生産ビジネスは、決して特殊な形態でも、二流の形態でもない。日本の産業は、じつは受注生産企業が屋台骨を支えている。そして、日本企業の受注生産力は世界随一である。ただし、これまでメディアや官庁、学会などの無理解により、その点が正しく認識されてこなかった。しかし、ようやくここに良い指南書を得ることができた。これを機会に、多くの受注生産企業がもっと世界に雄飛してほしいと、切に願う。
by Tomoichi_Sato | 2014-06-21 19:35 | 書評 | Comments(1)

なぜ納期に遅れるのか

日本の製造業の9割は、受注生産の形態だろうと、以前書いた。確たる統計を知っている訳ではない。経験にもとづく感覚的なものである。だが、一般の人の常識とは異なっているので、こういうと驚く人が少なくない。いつかも、ある企業にお邪魔したとき、そこの部長さんが「ウチは受注生産なので特殊です」と胸を張っておられた。他所のコンサルなんかに、わが社の仕事の難しさが分かってたまるか、という雰囲気も、少し込められていたかもしれない。貴方の会社はぜんぜん特殊でも例外でもありませんよ、とお答えしたが、相手は半信半疑だった。

なぜなら、世間でいう製造業とは自動車とか、家電・パソコンとか、カメラ、飲料・食品、日用雑貨などであり、そこに共通したイメージがあるからだ。すべて、自社で開発した製品を、需要を見込んで生産し販売する「見込生産」の形態で動いているメーカーである。だから、そうした生産形態が普通であり、受注生産は例外的だという思い込みが、いつの間にか広まったのだろう。ついでにいうと、いずれもTVコマーシャルをさかんに打つ業種であり(消費者相手に製品を売る商売だから当然だが)、知名度も高い。経済メディアも、取り上げる頻度がどうしても高くなる。そもそもメディアにとっては重要な広告出稿主、という事情もある。

しかし、自動車メーカー1社の後ろに、「系列」と呼ばれる部品メーカー数百社がつき従っていることを考えれば、受注生産形態の企業の方が、数としては圧倒的に多いことは理解できよう。自動車部品メーカーは典型的な「繰返し受注生産」と呼ばれる形態である。製造する部品の仕様は、納品先である顧客が決める。決められた仕様の部品を、いつまでに、何個、どこそこに納入してほしい、と注文を与えられて、製造しておさめる。これは電子部品メーカーや、材料メーカー、容器メーカーなど、非常に幅広い業界に共通である。企業の大小では別に決まらない。端的に言って、製鉄所でさえ、受注生産で動いているのだ。

その受注生産における最大のポイントの一つが、納期である。もちろん、コストも大事だ。品質も大事だ。だが、とくに繰返し受注生産の企業は、継続的な供給体制の一環として、サプライチェーンに組み込まれて動いている。値段は(たとえば)半期単位で決められており、また品質だって顧客仕様で定まっている。いきおい、指定された納期の遵守率が、競争上の要点になる。

(ところで、『遵守』は“じゅんしゅ”と読みます。従い守る、の意味ね。先日、東大の授業で、何人かの東大生がこの漢字を“とんしゅ”と読んでいたけれど、それじゃ『頓首』だかんね)

さて、ところがこの納期、守るのがなかなか難しいのである。--ときくと、首をかしげる人もいるかもしれない。個別に顧客の注文をきいて設計するような「個別受注生産」なら、納期遅れもあるだろう。とくに顧客がぐずぐずと迷って決めない場合など。しかし、決まりきったものを、同じ仕方で作るだけの繰返し生産で、何で納期を守れないのか? 単純な力仕事ではないか。そう、思われる方もおいでだろう。

しかし、それは製造という仕事の実態を知らないまま、頭の中だけで考えるから、そう見えるのである。実際には、工場では多種多様な品物が流れている。今日の製造業で、同じ一品種をずっと作り続けていればいい、などという企業はほぼ存在しない。ふつうは多品種を、切り替えながら生産している。同じ製造装置や道具でいろいろな品種を加工製造するから、切り替えが必要なのである。そのためには、各工程に、「何々を、いつから着手し、いつまでに作れ」という指示(製造オーダーとか製造指図と呼ぶ)を的確に出さなければならない。

おまけに、需要は納入先の都合で、勝手に変動する。さらに、原材料・部品の手配の問題もある。工場内に鉄鉱石の鉱脈があるならいざしらず、どんな工場も原材料や部品は外部から調達するのである。とうぜん、いつ、何を、どれだけ注文すべきかという問題が出る。足りなくなれば、生産が止まってしまう。余りすぎれば、コストになるし、置き場所を圧迫する。

つまり、工場というものを一つのシステムと見た場合、かなり高度な制御を、連続して的確にやらないと、思った通りに機能しないのである。需要という予条件(インプット)がある。工場が抱える製造機械や道具や人びとの数と種類、というリソースの制約条件がある。外部調達にかかわる制約もある。こうした変わりやすい環境と制約条件の中で、複数品種(それぞれ異なる数量と納期を持つ)の製造を継続的に行った上で、さらにコストを最小化せよ、というのがシステムの運転に求められる要請である。工場の生産管理が、そう簡単な仕事でないことは、お分かりいただけると思う。

では、納期遅れはなぜ、起きるのか。一言でまとめると、「平均リードタイムが要求納期より長い」ということになる。しかし、じゃあリードタイムをむやみに短縮すればいいかというと、そうではないのだ。納期遅れが生じる原因が、工場ごとに異なっており、同じ対策が全てに当てはまる訳ではない。そこで、Structured Approachを応用してみよう。分析的な観点に立ち、直接の原因、そのまた原因、という風に列挙してみるのである。

まず、「需要が読めない」という原因が考えられる。

え、需要? 受注生産の話じゃなかったの? 注文を受けてから作るのが受注生産なんだから、需要の読みなんか、関係ないはずだろう? ・・はい、そこの方。とっても論理的ですね。でも、ふっふっふ。それは考えが甘い。わたし達の社会は、そんな論理では動いていません。「部品Aを100個、丸ペケ工場まで持ってこい。納期は明日の夕方、5時。」--これが、現実の姿です。部品Aを、組立て研磨し検査して包装し、トラックで運ぶだけで精一杯。部品Aを作るための材料を手配する時間なんてゼロ。粗材を切り出し加工する前工程だって、やっておかなかったら、そんな短納期に間に合う訳がない。そうした事前作業は全て、需要を読んで行われる、というのが繰返し受注生産の現実なのである。

自動車業界など一部の業界では、「先行内示」というものをサプライヤーに開示する。来月は何個、再来月は何個、注文する予定でいる、と書かれている。しかし、内示書は確定注文ではない。確定値は、「かんばん」などと呼ばれる納入指示書でようやく決まる。だから、先行内示が実需と合わない可能性はつねに残っている。

次に、「適切な指示が出ない」という原因も考えられる。工場の指示系統(生産計画系統)に問題があって、すべての工程にタイムリーに指示が出ない。しかたなく、現場がそれなりの判断と読みと慣例で作業せざるを得ない。そんなケースも、たしかにある。

需要は一応読めて、指示も出るのだが、「指示どおり作れない」という状況も、もちろんありうる。というより、たぶん実態はこれが一番多いだろう。

なぜ指示どおり作れないか。理由はいろいろだ。まず「図面がない」という問題。これは、完全な繰返し受注生産では起こらないが、仕様・性状に変更要求やオプション指定があり、そのために技術部門で設計図面を起こすときに、生じる問題だ。モノもある。製造機械も空いている。だが図面がないので作業できない。情けない、とお思いか? そういう方は、宮崎駿の「風立ちぬ」で、主人公が工場に着任したときのシーンを想い出すとよい。あの場面では、別の同僚が上司に向かって、「現場への出図が間に合いません!」と訴えるのだ。(飛行機はもちろん、受注生産である)

それから、人・道具・設備が能力不足、という状況も考えられる。まず、人が足りない。あるいは、機械設備の能力が足りない。それから、ツール・治具が足りない。さらに、人も機械も道具もあるのだが、生産性が低い。いずれの場合も、納期遅延が生じる。

それ以外にも、材料・部品が足りない(欠品)という状況だってある。モノが無ければ現場は動けない。なぜモノが無いのか? 理由は三つだ。適切なタイミングに注文をしていなかったのか、注文はしたが数が足りないのか、あるいは、あるはずなのに見つからないのか(最後のが一番くやしいが)。

そして、指示どおり作れたのだが、検査したところ不良が出て、作り直しになってしまった、という状況。

以上を樹形図的にまとめると、図のようになる。一番下のレベルの原因だけを図から拾い上げると、12種類になる。納期遅れの、12の原因である。もっと細かく分類することも可能だが、まあこの程度で実務的には十分だろう。

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したがって、納期遅れ問題を解決するためには、上記の12種類の原因のうち、どれが起きているかに応じて、対策を考えるべし、ということになる。たとえば
「適切な指示が出ない」 →製造指示システムを構築する。
「人が足りない」 →人を増強あるいは教育する。
などなど。Structured Approachにふさわしく、きわめて論理的で、シンプルである・・

ところが、これだけでは問題は解決できないのだ。

なぜなら、納期遅れ問題が起きている工場では、上の12の状況が複数、同時に発生しているからだ。人も足りず、機械設備も古く、だから生産性も低いのに、内示と実需が合わないおかげで、工場は余計なモノがあふれかえって、必要な材料部品がすぐ見つからない。せっかく作っても不良で作り直しになる。結果として指示系統が混乱して、適切な指示が出なくなる・・。これが、システムにまつわる問題のややこしさ・難しさだ。

では、どうしたら良いのか。

こういう時には、とるべきアプローチに順番がある、とわたしは考える。その話を、17日の大阪府工業協会のセミナーでは説明するつもりである・・のだが、それでは本サイトの読者諸賢にあまりに不親切だろうから、最初にすべきことだけは書いておこう。

それは『不良を減らす』である。最低限、満たすべき品質を上げて、不良による作り直しを、まず防止する。なぜなら、「予期せぬ作り直し」ほど、生産スケジュール全体をかく乱するものはないからだ。人の不足、設備能力不足、欠品問題などは、ある工程単位には遅れを生じさせるだろう。もちろんその影響は連鎖的に波及していくのだが、まだしも読みが可能である。しかし作り直しは、どの工程まで後戻り・リワークが生じるか、全く見えない点が一番問題だ。このような、スケジュール担当者にとってもっとも読みにくいかく乱要因を、まず抑えること。

しかも不良問題は、工場が見逃して出荷し、納品先で発見された場合、顧客に与える迷惑度が非常に大きい。納期遅れの比ではない。信用失墜も大である。

何もわたしは、「品質がつねに一番」だから、できる限り品質を上げろ、などと主張しているのではない。最低限、満たせる水準でいい。不良ゼロ・歩留り100%を、などといっているのではない。歩留り80%でもいいから、まずは、予期できる水準に抑え込み、予期せぬリワークを防ぐべきだ、と申し上げている次第である。

では、その次は? 二番目にとるべきアプローチは、「在庫を活用する」である。だが、そろそろ紙数が尽きたようだ。この話の続きは、いつか、また語ろう。


<関連エントリ>
 →「Structured Approachができる人、できない人
 →「映画評:『風立ちぬ』
by Tomoichi_Sato | 2014-06-15 22:35 | サプライチェーン | Comments(1)

BOMに関するセミナー講演のお知らせ(7月3日・東京)

もう一つ、お知らせです。

来る7月3日(木)に、BOM/部品表に関する有償セミナーの講師を務めます。場所は東京・新宿です。

ご承知のとおりBOM/部品表の構築と保守は、製造業にとって古くて新しい問題です。とくに近年は、
 ・新製品開発・投入のサイクルが早くなったことと、
 ・製造のサプライチェーンが国境をまたいで海外に伸びたこと、
 ・企業買収や提携が進んでいること
などの要因が相まって、BOMの維持運用を難しくしています。

この問題は10年ほど前に一度注目を集めた時期があり、わたしもその頃、拙著「BOM/部品表入門」を上梓しました。それから10年がたちましたが、根本の問題はまだ多くの企業で未解決のまま残っているようです。ただ、昨今多少は情報化投資の余裕が出てきたことと、データ・マネジメントに関心が集まったことで、ふたたび注目されているのかもしれません。

この問題に関心のある方のご来聴をお待ちしております。

<記>

日時: 7月3日(木) 10:30~17:30

テーマ: 「BOM/部品表の基礎と効果的な活用ノウハウ・応用例 ~演習付~」

主催: 日本テクノセンター

会場: 〒163-0722 東京都新宿区西新宿二丁目7番1号
     小田急第一生命ビル22F

セミナー詳細: 下記をご参照ください
     →詳しい開催案内


 よろしくお願いします。
               (佐藤知一)
by Tomoichi_Sato | 2014-06-12 00:03 | サプライチェーン | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(2014/07/01) 開催のお知らせ

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2014年第4回会合を、以下の要領にて開催いたします。

今回は、落合和雄氏に「PRINCE2」についてご講演をお願いすることにしました。

皆さんは、PRINCE2という名前を聞いたことがおありでしょうか? PRINCE2は、英国発のプロジェクト・マネジメント標準資格で、英国商務局が開発したものです。 現在、この種のものは米国発のPMBOK Guide/PMP(R)が日本ではメジャーで、ほとんどこれが唯一の『グローバル・スタンダード』だと信じている人もいるようです。しかし、それは違います。最近ではPRINCE2が世界的に注目を集めており、資格受験者数もPMPを追い抜こうという勢いです。その理由は、抽象論ではなく、実務者のために具体的に使える方法論をめざして開発されているからです。

また、PMBOK Guideが最初からどの産業をも全方位的にカバーしようとしているのに対し、 PRINCE2は元々IT系プロジェクトを対象とした標準から出発し、他分野にも適用範囲を広げてきたことも特徴です。このため、とくにIT分野に対して親和性の高い資格となっています。

講師としてお招きした落合和雄氏は、税理士・中小企業診断士ですが、以前は長らくSI会社に勤務され、SEのバックグラウンドもお持ちです。 非常にバランスのとれたお話が聞けると期待しております。

   <記>

日時: 2014年7月1日(火) 18:30〜20:30

場所: 慶応大学 三田キャンパス・北館・会議室2(収容数:28)
    アクセス http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
    ※キャンパスマップの【1】になります

テーマ: 「PRINCE2の概要」

講師: 落合 和雄 (税理士・中小企業診断士)

要旨:
PRINCE2の基本的な概念とフレームワーク
PRINCE2の7つのテーマ
PRINCE2の7つのプロセス

講師プロフィル:

 1953年生まれ。77年東大卒、新日鉄情報通信システムなどを経て、 現在経営コンサルタント、システムコンサルタント、税理士として活動中。 経営計画立案、企業再建等の経営指導、プロジェクトマネジメント、システム監査等の経営、 IT関係を中心に、コンサルティング・講演・執筆等、幅広い活動を展開。

 主な著書に、「年金に頼らない蓄財術」(アスキー)「ITエンジニアのための法律がわかる本」(翔泳社)、 「実践ナビゲーション経営」(同友館)などがある。

参加費用: 無料。

ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(\1,000)は免除されます。

参加を希望される方は、確認のためできましたら当日までに佐藤までご連絡ください。
多くの方のご参加をお待ちしております。
by Tomoichi_Sato | 2014-06-10 20:07 | プロジェクト・マネジメント | Comments(4)

書評:「英語と運命」 中津燎子・著

英語と運命」 中津燎子 (Amazon)

まことに面白くてインパクトの強い、しかし、ある意味で不思議な本である。

著者・中津燎子氏の最初の本「なんで英語やるの?」(1974)は、わたしが若い頃読んで、最も影響を受けた本の一つであった。出版された時、日本の英語教育界に与えた衝撃の大きさは、今ではちょっと想像がつきにくいほどだ(大宅壮一賞を受賞した)。また、この人の「こども・外国・外国語」 (1979)は、やや目立ちにくいが、最良の作品だと思う。日本社会における、帰国子女の知られざる困難について、はじめて具体的に記述した、深く胸を打つノンフィクションであった。

本書はその、大正15年生まれの著者の、78歳の時の著作である。「つきあい続けて日が暮れて」というちょっと奇妙な副題が示すとおり、これは日本語と英語という二つの文化のギャップと摩擦についての論考であるのと同時に、著者の自伝としての色彩も濃い本だ。だが中身は真っ当であり、わたし達にとって非常に重要である。日本語と英語、日本国と米国とのギャップで長年奮戦してきた著者の、思想の吐露の結実だといえよう。

「なんで英語やるの?」というデビュー作で、著者は「なぜ、日本人なのに英語を勉強するのか?」という、とてもラディカルな問いをたてた。普通、生徒は「学校の指示だから」「義務だから」勉強せよ、との大人の指示に従う。では、大人の側は、なぜ、英語の学習を子ども達に要求するのか? ひるがえって、大人たちはなぜ(たとえば)英会話を学びたいのか?

進学や就職に有利だから、何となくカッコいいから、つまり、他人もやっているから当然、という程度の理由しか、通常はかえってこない。では、言語は第一義に音声的な存在であるのに、なぜこの国では「読み書き」と「英会話」が分断されているのか? 英語は子音にも母音にも息の量が必要なのに、なぜ、腹式呼吸や喉頭筋のトレーニングをしないのか?——こう、著者はたたみかける。もちろん、誰からも答えなど返ってこない。

なぜなら、そもそも、自分の行動に「なぜ」を発する習慣、理由を問いかけ説明する習慣が、わたし達の社会では薄いからだ。英語圏ではもっとも基本的なこの習慣が薄いまま、ただ「英語」だけを学ぼうとするのは、土台や基礎のないところに建物を移設するのと同じではないか。どこか根本が、見失われている。それが「なんで英語やるの?」の問いかけだったと、わたしは思った。

「こども・外国・外国語」は日本に戻ってきた帰国子女たちが直面する、知られざる困難、生きる上での猛烈な困難について書いた本だ。なぜ、困難なのか? それは、日本社会が無意識にとっている、人間関係とコミュニケーションに対する態度(とくに欧米系文化との差)のためである。父母の都合で、欧米系の教育環境ですごした子ども達は、知らないうちに、欧米的なコミュニケーションへの態度を、空気のように吸い込んで育つ。そして、日本社会に戻るやいなや、水の中に突き落とされるように、ねっちりと濃密な非言語的関係性の中に放り込まれる。見かけ上は、「外国語が上手でいいわね」といわれながら、日常では強い違和感と疎外にさいなまれる。だが、日本社会の側では、その隠微な差別を自覚していない。すべては無意識に行われており、意識と乖離している点に根本問題があるのだ。

本書は、前述したように、自伝的要素が強く、論考と自伝が、互い違いにサンドイッチのようになって構成されている。大正末年生まれのこの人は、女性差別的で暴力的な、それも予測しがたい時にキレる父親に育てられた(この点、先ごろ紹介した姫野カオルコ「昭和の犬」の境遇にちょっと似ている)。父は通訳で、そのため戦前のスターリン時代のウラジオストック(外地)で幼少の頃、育った。そして九州の保守的な土地柄の村に戻って、敗戦を迎える。つまりこの人自身が、帰国子女の草分けなのだ。

敗戦を機に、大人たちの言うことが、180度変わる。このことに対し、著者は終生、強い憤りと不信をいだくことになる。彼女は生活のため、福岡の米軍の電話局で、交換手として働く。そしてそこで、日系二世・ジェームズ山城氏に英語発音の基礎訓練を受ける。このジェームズ山城式訓練は「なんで英語やるの?」にも出てくるが、4メートル離れて背を向けて座っている山城氏に向かって、米国の小学生の英語教科書を朗読していき、彼が聞き取れなかったら「ノー」といってやり直しになる、という単純至極な(しかしある意味、逃げ場のない真剣勝負的な)訓練法であった。

そして、朝鮮戦争がはじまる。本書の中でも、この部分は恐ろしいほどの臨場感である。福岡にある米軍の電話局は、対応と出撃のための通信のハブとなってしまう。米軍は明らかに戦争準備ができていなかった、と彼女は見る。事実、投入した部隊は次々と全滅していく。そして釜山が陥落したとき、つぎは福岡だ、と職場にいた彼女たちは思う。

結局、戦争自体は38度線まで押し返して膠着状態のまま終わるわけであるが、この朝鮮戦争では、「(特需の)経済効果のほかに、朝鮮動乱以後で明らかに占領軍政府側が日本人全般を見る目が変わった。何かしら『信頼』に似た感情を持ったように見えた」(p.135)と書いている。開戦直後の大混乱のスキを狙ってクーデターを企てた、旧日本軍のグループもいなかった(米軍はこのリスクを本気で心配していた)。

その後、著者はカトリック神父たちの計らいで渡米・留学。シカゴで商業美術を学び,現地で日本人と結婚し、9年後に帰国する。そして帰国後、岩手で子ども相手に型破りな英語教室をはじめる。このときの奮戦記が「なんで英語やるの?」という本になるのだ。その後、南大阪に移った著者は、そこを拠点に大人向けの「未来塾」を展開しはじめる。だが成人教育の成果に次第に疑問を感じ、結局、'99年に「未来塾」を閉鎖する(それと前後して心臓病をわずらい、一線の活動から身を引くことになった)。

著者の考える、日本語と英語の最大の違いとは何か。それは、
「1.モノスゴイ破裂の子音と、息で作る短母音の存在
 2.スピーチという名称で一括されている、言語による闘争の存在」(p.150)
だと書いている。まず、この認識自体が、普通の英語教育者とぜんぜん違う。そして彼女は、この二点を乗り越えるための成人訓練をはじめたのである。それは、彼女自身が福岡の米軍電話局で実践し学び取ってきたことだった。

それにしても、なぜ日本には熱心な英語学習意欲を持った人が多いのに、日本の英語教育の成果は思わしくないのか? 本書の残り半分は、この問いをめぐって展開する。成人への英語教育を通じて見えてきた、現在の日本人の問題点である。

その多くは、意識されざる障害であった。たとえば、英語のスピーチの前に、日本人は日本語のスピーチができない(カリキュラムでは英語の前に日本語によるスピーチを課した)。まず、「紹介すべき事実の概要と、意見と感想が区別されない。次に、自分の言いたいことを単刀直入に言えない。おまけに、時間配分の概念がほとんどない」(p.309-310)。意見と感想がつねに強すぎる「感情」で結ばれ,一体化していて、しかもその事を全く自覚できない、という(p.310-311)。

発声や呼吸は、意識と身体を結ぶ領域なのに、ほとんどの受講生は、自分の身体を意識(対象化・客観視)することができないのも、大きな障害だった。 みな、言語を、単なる道具だと見ている。その根底にある文化的差違について無自覚なのである。最後に子どもの教育に戻ろうとした著者にとって、成人教育は、「日本人の大部分にとって英語学習とは、気分が良くなるためのシアワセ丸薬みたいなもの」(p.331)という苦い認識を残したようであった。

著者は、文化的差違の根源として、現代日本の三つの気質(はにかみ・ためらい・人見知り)と、三つの態度(解決の先送り・決断の後回し・様子待ち)を指摘する。そして、この「無意識の障害」を乗りこえない限り、日本人は21世紀を生き残れない、と断ずる。

ここから先は、わたしの感想・意見であるが、日本語のコミュニケーション態度の基本は、「受信者責任」である。そこでは、受け手がすべてを推察すべきとされる。「言わずとも分かる」が前提なのだ。だから、「質問し返すこと」は、受け手の能力不足を示すし、「繰り返し質問すること」は、その語り手が部外者(他人)であることを示唆する。その証拠に、人前で話した経験がある人は分かると思うが、日本人の聴衆は、何か講義・講演してもほとんど手を上げて質問しない。

わたし達の社会の言語観(表出されない無意識の態度)によると、言語は「すでに分かっている知識、共有されている感情・感覚を再確認する」ために発せられる。ここから生じるのは、質問がヘタ、説明はもっとヘタ、という事態である。自分だけが分かってる、独りよがり状態といってもいい。それでもいいのだ。ムラ社会では、お互い文脈は共有しているのだから。

ところが英語では(に限らず印欧語はほぼ全て)、「発信者責任」である。発信者が伝える努力をし、相手の理解を確認する。ここでは、自他の区別が前提となっている。だから、「欧米式の基本の教育は、どれだけ自分の考えを正確に人に伝えられるか」(p.318)であり、それを幼稚園の頃から仕込まれる。

こまったことに、わたし達は今や、外国とのビジネス上のつきあいに直面し、海外型プロジェクトの機会が増えている。ところで、『マネジメント』の原義・原型は、「人を動かして目的を達すること」である。である以上、自分の望むことを(何語であれ)きちんと説明できなければ、マネジメントなんてできる訳がない。

では、どうしたらいいのか? ここで、著者の作った、『異文化お互い様リスト』(p.347)というものが役に立つ。著者は世界の文化を、「ソフト型文化」(日本、タイなど)と「ハード型文化」(アメリカ、中国、ドイツなど)に大別する。そして、その特徴を列挙する。たとえば、以下のようなものだ。
 〔ソフト型文化)「主張よりも妥協が美点」 ←→ (ハード型文化)「主張は常識」
 〔ソフト型文化)「対立は喧嘩と考える」  ←→ (ハード型文化)「対立は喧嘩ではない」

その上で、お互いが相手をどう見るか・見えるかを整理する。
 〔ハードからみたソフト型文化)「妥協する人はごまかしているように見える」
 ←→ (ソフトからみたハード型文化)「きつい主張は生意気に見える」
 〔ハードからみたソフト型文化)「聞こえない言葉は存在がゼロ」(推察はしない)
 ←→ (ソフトからみたハード型文化)「声が大きくやかましすぎる」

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ここでは一部を引用しただけだが、それぞれ10項目あげらており、英訳もついているから、ぜひ原文を見てほしい(ちなみに上図の最後の2行は、海外型プロジェクトの説明に使うためにわたしが勝手につけ加えたもので、原文にはない) 。海外ビジネスに直面するわたし達にとって、非常に参考になる、必須文献だと言ってもいい。

本書を貫いている隠れたテーマは、著者がもつ、自分をとりまく人びと(日本の社会)に対する強烈な違和感であり、その原因への飽くなき探求である。女性差別的で暴力的な親に育てられた上に、母国語である日本語の根付きが浅い、という自覚を大人になってから持つ。

そんな逆境の中、なぜ著者は強烈なまでに正気でいられたのか? それは、自分の頭で、「なぜ?」と考え続けたからであろう。そして、他人の答えで納得したふりをし、あきらめなかったからだろう。彼女が長らく暮らした欧米語の社会では、Why?は許され、答えられる(あいにく日本社会では、「なぜ?」と聞くのは不躾である)。女性であり、社会に組み込まれなかったことが逆に幸いしたのかもしれない。

本書は、今日の英語教育の主流から見ると、きわめて論争的な本である。だが、言葉に関する論争がわきおこり、深まるのは、とても良い事だ。それはわたし達が無意識に抱いている言語観や、他の文化とのギャップを意識化し前景化してくれるからだ。とくに海外とのコミュニケーション問題をかかえた多くの人々に、強く推薦する。
by Tomoichi_Sato | 2014-06-08 18:00 | 書評 | Comments(6)

講演のお知らせ(6月17日・大阪)

6月17日(火)に大阪で、有償セミナーの講師を務めます。
主に受注生産型の工場における、納期遵守のための生産計画・統制について、事例と演習を含めてお話しします。


<記>

日時: 6月17日(火) 10:00-17:00

テーマ: 「納期遅れを起こさない 生産統制のポイント
     ~ こうすればうまくいく、受注型生産工場の生産計画 ~」

主催: 公益財団法人 大阪府工業協会
     http://www.opmia.or.jp/

会場: 大阪府工業協会研修室
     大阪市中央区本町 4-2-5 本町セントラルビル6F
     (市営地下鉄御堂筋線「本町」駅8番出口すぐ)

セミナー詳細: 下記のPDFファイルをご参照ください(「受講申込書」も兼ねています)
     https://dl.dropboxusercontent.com/u/17787880/Osaka0617.pdf


直前のお知らせで恐縮ですが、この問題に関心のある方のご来聴をお待ちしております!
by Tomoichi_Sato | 2014-06-02 23:20 | サプライチェーン | Comments(0)

石油・ガス業界のニュースから見えてくる、奇妙な国際関係のループ図

先月、ロシアと中国がシベリア産天然ガスの大型商談で合意したのとほぼ同じ日に、ロイター発で中国の石油・ガス関係のもう一つのニュースがでた。それは最近、中国のイランからの原油輸入量が倍以上に急増した、という報道である。中国は一応、産油国であるが、とうてい最近の自国のエネルギー需要をまかなうことはできず、石油の輸入国でもある。それが、イランから沢山の原油を輸入することで、両国関係をさらに緊密化する傾向にある、という情報であった。

イランと中国といえば、ロシアと並び、米国の世界戦略を邪魔する仮想敵国であり、油断のならない相手である、というのが一般の感覚であろう。それが石油・ガス取引を軸に手をつなぎつつある、という印象をこのニュースは与える。

ところが、ちょっと調べてみると、ことはそれほど単純ではない。まず、中国はかなりいろいろな国から原油を買っている。これは輸入国にとっては、エネルギー安全保障の観点から見て当然なことだろう(日本もそうしている)。その輸入の最大の相手は、サウジアラビアであり、それに並ぶ第二の輸入国はアフリカ南西部の国・アンゴラである。3番めが中東のオマーン。そして、従来はロシアとベネズエラが4位5位あたりに並んでいた。そこにイランが食い込んできた、といっても、まだ全体の第4位にすぎない。かわりに、サウジとベネズエラからの輸入量が多少減っている。たしかにイランからの輸入は1年前に比べ倍増したが、オマーン、イラクからだって倍増している(International Oil Daily誌5月22日付け記事による)。したがって中国が、経済制裁にあえいできたイランとの関係を、石油輸入によってことさら緊密にした、というのは当たらない。

むしろ、中国とイランの関係でいえば、問題が生じている。じつはひと月ほど前、イランが油田開発のビッグ・プロジェクトで、発注先であった中国CNPC社をクビにした、という驚くべきニュースが業界紙にのった。それも、日本には因縁のアザデガン油田である。アザデガンは世界級の埋蔵量を持つ大油田であるが、開発はまだ進んでいない。資源小国・日本にとって、海外に大きな石油権益を持つことは長年の夢であったが、かねてより原油輸入で比較的良好な関係にあったイランからの申し入れもあって、ここを開発する計画があった。しかし、(Wikipediaなどではきわめて抑えた筆致になっているが)アメリカの横槍があって事実上断念せざるを得ず、結局その一番美味しい果実は中国がもっていったのである。

ところが、中国CNPC社による南アザデガン油田開発プロジェクトの進捗は、ひどく遅れていたらしい。業を煮やしたイランは、数回の公式な警告と3ヶ月間の猶予期間をおいたのち、結局契約をキャンセルしたという。記事によるとイラン側は、現場に来ている中国人たちが「ろくに働きもせずダラダラ遊んでいるだけ」と、相当に辛辣な物言いをしている。言われた方のCNPC社というのは、前回も書いたロシアとの大型ガス商談の契約当事者である。

中国にはCNPC, SINOPEC, CNOOCの大手石油三社があり、どれも貪欲に海外展開中だ。しかし、Petroleum Intelligence誌(5月26日付)はこの事件で、「中国の国営石油会社の海外プロジェクト遂行能力には大きな疑問符がついた」と書いている。じっさい、CNPC社は同じイランで2年前に、巨大ガス田South Pars 11から同様の理由でクビになっているし、そのライバルSINOPEC社もヤダヴァラン油田で似たような状況に陥っている。イランだけではない。アフリカのチャドでは環境汚染をめぐり1200億円の罰金を課せられたり、とにかく中国が近年進めてきた資源投資プロジェクトは、あちこちでほころびを見せているのだ。

さて、イランをめぐっては、もう一つ奇妙なニュースがある。中東問題の専門家である東京財団の佐々木良明氏のBlogで知った(www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2014/02/no_1832.thml)のだが、英国はイランのメラト銀行に対し、40億ドル(約4,000億円)もの巨額の賠償金を払うというのだ。メラト銀行はイラン最大級の民間銀行である。そこに対し、英国政府が賠償金を支払うべし、と最高裁で判決が出た。なんの賠償か? それは、メラト銀行がイランの核開発プロジェクトに関わっているとの、事実無根な風評を英国政府がまきちらし、営業妨害をしてきたことで生じた、商業上の被害に対してである。つまり、風評被害というわけだ。もっとも英国のThe Guardian紙などによると、英国政府は最高裁判決が出た後も、まだぐずぐずと支払いを遅らせているという。

さて、このニュースは何を意味するのだろうか? 英国は稀に見る公正な民主主義国で、三権分立が確立し、司法が政府の不法を懲罰することもある国家だ、と見ることもできよう(もちろん英国はそう見てほしいだろう)。しかし、もう少しイジワルな見方もある。英国政府は、イランの資源が欲しくて、イランとの関係改善をねらっている。ただし米国との協調関係の手前、表立っては動けない。そこで、司法に賠償金の判決を出してもらった。それすら不服で、従いたくはないのだが、最高裁の命令なのでいたしかたなく払う・・という演出にした。

どちらが真実なのか。むろん、わたしには分からない。たぶん、永久に誰にもわからないのだろう。英国外交とはそういうものなのだ。英国は20世紀のはじめ、イランの石油の1/10とひきかえに、コサック部隊の軍人を支援してクーデターを起こさせた(と聞いている)。シャー・パーレビ政権の誕生だ。日本ではなぜか「パーレビ国王」と誤訳されてきたが、シャーとは、ロシアのツァーなどと同じで、「皇帝」という意味である。パーレビ政権とはその後半世紀の間、ゴタゴタしてきたが、結局イラン革命で追い出されて、関係が切れたままである。英国は隣のイラクとも、思うようにはできていない。ために、そろそろイランとよりを戻すことを考えてるのかもしれない。

ところで、わたしは一年前の記事:「シェールガス革命と、エネルギー価格のゆくえ」 (2013/04/28)で、英国の石油メジャーであるBP社とロシアのロスネフチ社との資本取引を通じて、ロシアが英国に対して、外交上の貸しを作ったことを指摘し、「今後、ロシアの重要なデシジョンにおいて、英国が何らかの後押しを目立たぬ形でするのではないか。」と書いた。

昨今のウクライナ情勢、とくに英国の煮え切らない態度を見ると、昨年のこの予想を裏付けているのではないか、という気がしなくもない。石油・ガス業界のニュースを見ている限り、ロイヤル・ダッチ・シェル社も、BP社も、ロシアとの共同プロジェクトへのコミットメントは継続すると表明している。いや、英国ばかりではない。フランスの準メジャー級石油会社トタルも、米国のExxonMobil社でさえ、ロシアでの投資継続を表明した。つまり、少なくとも現時点では、欧米の石油業界の間には、ロシアと手を切って戦うべきだ、という雰囲気はない。

いや、当事者のロシアとウクライナでさえ、ガスの取引に関しては、いろいろジャブの応酬はあれども決裂状態ではないのだ。石油・ガスの供給には影響がない、とロシア側も欧米側もいっている。ロシアの大手石油・ガス関連企業は、いずれも欧米のメジャーとパートナリングを組んでおり、かつ金融市場から巨額の借金を負っている。つまり、欧州はロシアのガスに依存し、ロシアは欧州の資金に依存している。"If the world shuts down Iranian oil and gas exports, Iran is in trouble. If the world shuts down Russian oil and gas exports, the world is in trouble."(世界がイランの石油・ガスの輸出を禁じれば、イランはこまる。しかし世界がロシアの石油・ガスの輸出を止めれば、こまるのは世界のほうだ)というPetroleum Intelligence Weekly紙(3月10日)が、業界のムードを示しているのだろう。

2月中旬頃だが、ロシア問題を専門とするエコノミストの方の話を聞く機会があった。まだロシアがクリミア半島を併合する前だったが、すでにウクライナ問題がかなり深刻化した時期だ。その時、その専門家は、ウクライナの現在の事態は、ロシアの勢力の増大ではなく、むしろ地盤沈下を示しているのだ、と語ったのが印象に残っている。ロシア経済は長らく不況であり、もはや石油・ガスと武器輸出くらいしか頼るものがない。産業が育っていないのだ。それゆえ、プーチン大統領の権力基盤も実際にはかなり弱まってきた。もしロシアの影響力が非常に強ければ、あんな混乱した状態に陥る前に、もっと目立たぬ形でウクライナを従わることができたはずだ。--そういう話だった。だからこそプーチンは、中国との天然ガス商談を、かなり妥協してでも結びたかったのだろう。

かくして、話は、中国→イラン、イラン→英国、英国→ロシア、ロシア→中国、と一巡する。この順に、それぞれ悩まされる種を抱えており、こっそりギブ&テイクの関係をとりむすぼうとしている訳である。こんな風に、素人が片手間にちょっと見ただけでも、石油・ガス業界の目立たぬニュースをつないでいくと、目に見えにくい蜘蛛の糸のような形で、世界のあちこちがループのごとく結びつきあっていることがわかるのだ。

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だから、できるなら我らが政府にも、こうしたエネルギー関係の情報分析の専門家をおいてほしいと思う。エネルギー基本計画の遂行や修正に必要だからである。情報とロジスティクスは、わたし達の社会において一番弱いところだ。むろん外交や防衛関係分野では、情報専門家が熱心に収集と分析を続けている。しかし、彼らは西シベリアの天然ガスとヘンリー・ハブ価格とのスプレッドなどには、注意を払うまい。え、日本には総合商社がいる? もちろん、商社はそうした情報を知っている。しかし商社にとって情報は飯の種である。他社に知ってほしくない情報は、出すはずはない。だから、専門官がいるべきだと思うのだ。

わたし達が住んでいるこの世界は、見た目より、ずっと複雑なものである。複雑なものは、むりに単純化して理解せずに、複雑なまま頭に入れる努力を払わなければならない。そうしないと、予測を誤るだろう。そして、毎度書いていることだが、予測こそ適切な計画の基礎なのである。
by Tomoichi_Sato | 2014-06-01 23:29 | ビジネス | Comments(0)