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「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(6/17) 開催のお知らせ

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」 は、小生が主査を務めるオープンな研究会です。スケジューリング学会の下に位置していますが、学会員でなくても、どなたでも自由に参加できます。

ご承知のとおり、企業や市場などを分析評価するプロフェッショナルを『アナリスト』と呼びます。プロジェクトと、その上位概念であるプログラムに対しても、アナリストの職能を確立する必要があると考え、ほぼ二ヶ月に1回のペースで研究会活動を続けています。

今月は外部講師として、東京大学の川島博之先生をお招きし、講演をしていただきます。川島先生は、東大の国際環境経済学の専門家としてご活躍中ですが、 また最近では、数々のベストセラー著作を発表し、アカデミアの外からも注目を集めておられます。

『食糧危機』をあおってはいけない 」(文芸春秋)
農民国家・中国の限界 ―システム分析で読み解く未来」(東洋経済新報社)
『作りすぎ』が日本の農業をダメにする」 (日本経済新聞出版)
『戦略』決定の方法  ビジネス・シミュレーションの活かし方」 (朝日新聞出版)

本講演では、プロジェクトマネジメントにとってもっとも重要な戦略決定について、 システム分析の観点からお話をうかがう予定です。どうぞご期待ください。
参加費は無料です。

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<記>

日時: 6月17日(月) 18:30-20:00
場所: 慶應義塾大学 三田キャンパス、旧図書館・2F小会議室
    〒108-8345 東京都港区三田2-15-45
    http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
    キャンパスマップの【2】です。

タイトル: 「『戦略決定の方法』 ビジネスシミュレーションの生かし方

講師: 東京大学  川島博之 准教授

内容:

協調を旨とする日本人のものの考え方や組織の在り方は戦略的ではない。 協調に重点を置いているために時代な流れに適合している時は大きな力を発揮するが、 一度流れから外れると、方向を変えることが苦手である。 本講演では、ビジネスシミュレーションを生かした戦略決定の考え方について解説する。

参加費用: 無料。
    ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、
    学会の入会金(\1,000)は免除されます。

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参加を希望される方は、人数確認のため、 できれば当日までに研究部会主査にご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

研究部会 主査  佐藤知一(日揮株式会社)
by Tomoichi_Sato | 2013-05-29 18:32 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

オークション理論と「勝者の呪い」

ミクロ経済学の一分野に「オークション理論」と呼ばれる研究領域がある。広義のゲーム理論に属し、最近注目度の高まっている分野だ。わたしが主査を務めるスケジューリング学会の「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」でも、昨年夏に政策研究大学院大学の安田洋祐先生を招いて、講演していただいた。ところで、わたしが前回書いた入札は、ある意味でオークションの一種である。では、オークション理論とは何なのか、昨年の講義録などを紐解きながら、ちょっと勉強してみよう。

オークションというと、英国のサザビーズやクリスティーズなど、美術品の競売がすぐ連想される。参加者同士が、互いに値をつりあげていき、最後に残った者が(つまり最高値をつけた者が)その品物を落札することができる。格式ばっていて、派手であり、かつ競り合いの様子がその場で見える。ちょっとした見ものである。

ところで、同じ公開の場でのオークションで、かつ最高値をつけた者が落札する仕組みなのに、まったく逆のプロセスをたどる方式もある。つまり、売り手である主催者が、最初に高い値段を設定する。そして、それを少しずつ下げて行く。最初に手をあげてその価格に合意した参加者が、落札できる。オランダで発達した方法で、日本でも花き市場などで採用されている。オランダ生まれなので、これを、「ダッチ・オークション」と呼ぶ。そして英国流の競り上げ方式を、「イングリッシュ・オークション」と呼んで区別する。

さて、我々が普通ビジネスの世界で行う入札は、こんな人前でのオープンな競り合いはしない。価格と、様々な条件を書いた見積書を、(ライバルに覗き見られないよう)封書にして提出する。クローズドな条件下での競争だ。それも、一度提出した価格は勝手に変えることはできない。こうした方式を、「封印入札」とよぶ。そして、販売入札では最高価格をつけた者が落札できる(なお、工事入札では主催者側が買い手だから、逆に最低価格をつけた者が落札する)。

さらに、この封印入札にも変種がある。それは、一番良い価格を提示した者が勝つのだが、その時の2番目の価格でそれを売買する、という仕組みだ。切手売買の世界などで行われてきたらしい。一見、奇妙な方式だが、たとえば「1円入札」などの弊害を防ぐことができる。1円入札とは、売値わずか1円の見積で応札するやり方で、もちろん採算などあうはずはない。だが、どうしてもその仕事をとりたい、メンツをかけてでもライバルを妨害したい、という業者が行う、イレギュラーな行為だ。1円という価格が「前例」になったり、無理な受注で遂行が破綻しかけたり、現実には多くの不都合が生じる。2位価格なら、こうした問題を多少は防ぐ事ができる。

オークション理論の創始者であるヴィックリーは、この2位価格入札に、新しい生命を吹き込んだ。これこそ理論的に最も美しく合理的な競争方式だ、というのである。絵画などの競売では、品物の「価値」は参加者各人が、自由に、自分の価値観のみに照らして決めることができる。ところで、2位価格入札においては、入札者は自分の感じる価値を、そのまま提示価格とするのが最適戦略になることを、彼は数学的に示した。

それだけではない。ヴィックリーは、この2位価格封印入札と、イングリッシュ・オークションが実は戦略的に等価であり、また逆に通常の1位価格封印入札とダッチ・オークションが等価であることを明らかにした。

2位価格封印入札と、イングリッシュ・オークションが等価だというのは、ちょっと奇妙な気がするが、これは落ち着いて考えてみると分かるはずだ。ある美術品を、自分は1億円の価値があると感じ、ライバルは9,000万円だと思っている。他の参加者はもっと低い値打ちしか見ていない。このとき、ササビーズのオークションなら、順に値をせり上げていって、8千万円台の後半で、ライバル以外の競争相手は黙って降りてしまうだろう。ライバルは9,000万円で声をかける。このとき、自分は1億、と正直に言う必要はない。相手より少しでも高い、9,100万円の値を出せば、もう相手に勝のだ。だから、競り上げ式競売では、実は参加者の中の第2位価格が、事実上の落札価格になる。

そして、この2位価格封印入札では、入札者は自分の感じる価値を提示価格とするのが最適戦略(ナッシュ均衡)になる、というのがヴィックリーの発見だ。これは、数学的には非常に美しい性質であり、多くの研究者を引きつけた。ヴィックリーはさらに、競争者が多ければ一位価格オークションも二位価格オークションも、売り手にとっては期待収入が同じになるという「収入同値定理」を証明して、後にノーベル経済学賞を受賞する。余談だが、彼は受賞のニュースを聞いた3日後に亡くなるが、「ビックリーして死んじゃいました」というのが日本の研究者でつぶやかれているジョークだそうだ(^^;)。

オークション理論はこの後、“どんな方式をとれば主催者側の利益が最大化するのか”(とくに複数の財を同時に扱うとき)という『制度設計』の方向に向かう。これは'90年代の米国で、周波数帯など公共財の入札方式に応用されて、大きな社会的価値を生む。またヴィックリーお勧めの2位価格入札は、2000年代の初めに、ネットオークション世界最大手のeBayや、世界最大の広告業者であるGoogleの広告オークションAdWordsなどに採用されて、ネットの分野で次第に広まっていく。

ところで、わたしのような受注ビジネスに関わっている人間にとっては、主催者側の制度よりも、入札者側の戦略の方に興味がある。2位価格入札では、「自分の感じる価値」をそのままオファーすることが最適戦略だと、理論は告げる(1位価格入札では少し安めが最適になる)。ところが、これには前提があって、美術品や切手のように、買い手が自分で、他人とは関係なく、純粋に『価値』を決められること、との条件がついている。私的価値(Private Value)と呼ばれる条件である。

しかし工事入札などは、そうではない。どこかに真の評価額があるのだが、見積の誤差のために、参加者は正確にはそれを決められない。とはいえ、対等な能力を持つ参加者同士では似た評価をするわけだ(このような条件を『共通価値』Common Valueという)。おまけに、それ以上は赤字になる原価ラインがあるから、ナイーブに値引きすると、落札した後で後悔することになる。これを『勝者の呪い』と呼ぶ。それを避けたい者は、逆に消極的な入札をして、あまり値引きをしなくなる。というわけで、主催者側から見ても、競争が売り手の利益には必ずしも貢献しないことになる。

この『共通価値』の条件下では、数学的な扱いがかなり面倒になるため、理論解析はあまり進んでいないようだ。そこでわたしも微力ながら、この問題について少し検討してみた。見積誤差がある時には、真っ正直な入札者だけの競争でも、安めの落札価格となって、一種の「勝者の呪い」が生じることを、前回示した(『競争入札における見積精度とコスト超過のこまった関係』2013/05/19)。

では、入札の競争相手が真っ正直であるとき、自分はどのような値引き戦略が最適になるのか。見積精度を±5%(AACE Class 2)とし、通常の利益マージンを10%とした場合、計算手順は省略して結論だけを述べると、入札者が2社の場合、利益の期待値はおよそ6%となる。3社相見積もりの環境では、通常の見積よりも4%ほど出精値引きして応札するのが最適であるが、その時の利益期待値は約5%にすぎない。利益が5%といっても、そもそも見積精度が±5%なのである。最初からぎりぎり塀の上を歩いているようなものだ。しかもこれは、「相手は正直者」という前提での計算である。相手も同じように値引きを書けてくる場合、最適価格はさらにこれを下回るのは明らかである。

となると、結論は明白だ。単なる値引き合戦は無益だから、価格だけの勝負の場に引きずり込まれてはいけない--これが大原則である。もし、それがどうしても避けられないなら、どうするか。さらなるコストダウンを追求する? でも、それは競争相手もやっていることだ。そもそも、購入材料費も人件費も相場というものがある。

だとしたら、とるべき方策の一つは、外部調達の比率を下げて、内製化率を上げることだろう。スループットを上げる、と言いかえてもいい。そうすれば、一つには、見積精度を上げることができる(毎回外から買うからコストが読めなくなるのだ)。また、価格変動リスクへの耐性を強めることができる。無論、すべて外注化して、競わせれば安くなるはずだ、という従来の常識の逆を行くことになる。でも、それも当然なのだ。薄利の世界で無理に競わせれば、相手を破壊するだけだというのが、上で見た理論の結果なのだから。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-26 19:30 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

競争入札における見積精度とコスト超過のこまった関係

プロジェクト入札における見積リスクと最適応札価格について」というタイトルの講演発表を、日本経営工学会の春季大会で行った。学会だったので聴きに来られる方が限られていたため、ここにそのエッセンスを(数式はのぞいて)採録することにする。

ご存じのとおり、わたしが勤務するエンジニアリング業界では、ほとんどのプロジェクトが競争入札で決まる。エンジ業界に限らず、建設業界やSI(システムインテグレーション)業界などのプロジェクトも、競争入札を実施することが多い。発注者側は基本仕様書とITB(Invitation to Bid)あるいはRFP(Request for Proposal)を用意し、応札者に配付する。応札側は、仕様書にもとづいて見積作業を行い、応札価格を決める。

入札だから、技術要件で失格にならない限り、原則として最低価格の提示者が受注できる。しかし、見積精度には限界があり、かつ実行時にコスト超過が発生するリスクがある。しかも大型案件では見積作業自体にかなり費用を要するため、失注時の損失も大きい。「かなりの見積費用」とは具体的にどれぐらいかというと、わたしの業界では数千万円とか数億円とかの規模になる。それだけの金銭と労力をかけても、入札に敗退すればまったくのムダとして消えてしまう。容易ならざるビジネスだと、いつも思う。

見積費用がどれくらいかかるかは、無論、見積の手法自体に依存する。経営者が、基本仕様書もろくに見ずに「エイヤッ」と応札価格を決めるだけなら、費用はほとんどタダである。実際には、ある程度の概略設計作業が必要になる。コスト・エンジニアの世界的協会であるAACE (Association for the Advancement of Cost Engineering) Internatioalが策定したRecommended Practiceでは、超概算から確定詳細見積まで、5段階の見積手法が規定されている。プラント業界における見積は普通AACE Class 2と呼ばれるコスト推算手法を用いる。

このAACE Class 2は、かなりの費用・労力がかかるわけだが、どれほどの精度があるのか。AACEによると、確立した技術分野では、±5%の精度を持つといわれる。これは同じ技量の者が同一条件でコスト推算した場合、結果が平均値の±5%の範囲内におさまる確率が高いと解釈できる。AACEは分布関数の形に言及していないが、正規分布と仮定すると、見積結果は平均値±5%の範囲にほぼ(=95%の確率で)入ると考えられる。

ところが、わが同僚のコスト・エンジニアたちは一般に、プロジェクトの実行結果を見積と比較するとコスト超過側になる確率が高いと感じている。このため、コスト見積の分布形は非対称である(たとえば-5%~+10%など)としばしば信じられている。これは本当だろうか? なぜそうなるのだろうか?

この理由を考えるにあたっては、コスト・エンジニアがプロジェクトの『実行結果』を知りうるのは、入札に勝ったときだけであることを思い出す必要がある。入札に敗退したときは、結果としていくらかかったかは(競合他社がやっているのだから)天のみぞ知る、である。

繰り返しになるが、同等の能力を持つ者同士が競争入札を行う場合、見積精度自体がランダムな誤差を持つため、まったく同じ仕様書を元にしても、入札価格に差が生じる。このとき最低価格を提示した者が落札し実行するのであるから、「コスト超過が起きやすい」という現象は、実は『真の値』よりもそもそも低めの応札価格で、プロジェクトを受注したこと自体に原因があると考えられる。

たとえば本当は100のコストがかかる仕事をライバル3社が見積もった結果、見積作業自体のもつ誤差のために、A社:103, B社:97, C社:99とそれぞれ見積もったとする。入札に勝つのは最低価格の97を提示したB社だから、勝者はじつは最初から3のハンディを負った形で出発するのだ。終わってみると100かかって、“コスト超過になってしまったな”と感じる。逆に、プラスの側にブレたA社は敗退し、もし実際にやってみたら安く上がる結果になるはずだが、それは経験できない。だから経験を積んだ者ほど、コスト超過ばかりが記憶に残ることになるのではないか。

では、複数の入札者が、それぞれ、±5%の精度を持つ正規分布で応札価格を決めて入札した場合、その中の最低価格はどんなパターンを描くのか。数学的な詳細は省き、シミュレーションの計算結果だけを示すと、下図のようになる。

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(図1 入札最低価格の分布)

グラフは、真の値を1として、入札を1万回やってみたとき、勝者(最低価格)のばらつきをグラフに示したものである。自分1社のみが入札した場合は、当たり前だが平均値=1の正規分布になる。2社の入札の場合は、最低価格の平均=0.985となり、3社入札の場合、最低価格の平均=0.978である。つまり、競争相手が増えるごとに落札価格の平均は下がる。もっとも広く用いられる三社相見積りでは、真の値よりも2.2%ほど安い値段での受注となる。これは、10%程度のマージンが常識である建設・重工・エンジ業界などにとっては無視しえない金額である。

さらに入札者数と入札最低価格の関係を調べてみた。見積精度も、±5%のみではなく、10%, 15%, 20%とふってみて、入札者数が増えると落札価格がどう下がるかをグラフ化したのが下図である。

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(図2 入札者数と入札最低価格の関係)

横軸が入札者の数である。見積精度±5%の場合、5社競合では真の値より3%価格ダウンとなる。そして、±10%精度だと、5社競合では6%ダウン、±15%精度では9%ダウン、±20%精度では約12%ダウンである。たとえば見積精度が±10%で、1億円のプロジェクトを競争入札する場合、同等の力量を持つ5社が呼ばれたら、落札価格は9,600万円前後になる可能性が高い。念のためにいっておくと、ここには営業的な値引き競争は一切入っていない。技術者たちが愚直に見積作業をした結果が、これだけの価格ダウンを生むのだ。そして現実には、この上でさらにコストダウン努力だとか営業での値引きだとかが加わって(というか、さらに差し引かれて)出し値が決まる。利益などろくに出なくなってしまう。

そもそも考えてみると、10%程度しかマージンのない重工・エンジ業界で、コストを±5%の精度で見積もること自体に、かなりのリスクというか無理があるわけだ。SI業界だって、平均マージンが最近は何%程度なのか、わたしは詳しく知らないが、見積精度がそれよりも有意に小さくなければ、赤字プロジェクトの比率が減るわけがない。

以上を考えれば、企業が入札型の単純価格競争に陥るのを避けること、ないし、適切な競争案件選択をすることが、いかに利益確保上、重要であるかがあらためて理解できる。このような業種においては、いかにムダな見積や競争を避けるかが、戦略(=つまり「いをす」)課題の一つとなるのである。

もちろん、これとは別に、他社が普通に見積もってきた場合、どれくらい値引きして応札するのが最適かという問題も思い浮かぶ。とはいえ、例によってまた長くなってきたので、その問題については項をあらためて別に書こう。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-19 19:03 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

書評: 「採用基準」 伊賀泰代

採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの

「マッキンゼーの採用マネジャーを12年務めた著者が初めて語る - 地頭より論理的思考力より大切なもの」が表紙の惹句である。これだけで、出版社がどのような読者層に何をアピールしようとしているか、よく分かる。『マッキンゼー』という、外資系コンサルの中でも最高級のブランドにあこがれ、その採用の基準を知ってみたいと感じる読者がターゲットであろう。

ところで、実際に読んでみると、採用基準に関する話題はこの本のボリュームの4割程度で、あとの6割は『リーダーシップ』に関する説明である。著者も、もっぱらこちらを訴えたかったにちがいない。日本ではリーダーシップの概念がうまく理解されていない、と繰り返し著者は書く。しかしマッキンゼーが採用にあたって最も重視するのは、地頭の良さでも論理的思考力でもなく、「将来、グローバルリーダーとして活躍できるポテンシャルである」(p.34)という。

では、そのリーダーシップとは何か。ごく一部の人間だけでなく、組織の構成員全員に求められるリーダーシップとは、どのようなものなのか。

著者は、事故で電車が止まったとき駅のタクシー乗り場にできる、長い行列の例で説明する。「海外ではこういう場合、必ず誰かが相乗りを誘い始めます。」(p.198) これがリーダーシップの発揮なのである。しかし日本人はもくもくと列に並び、一人ずつタクシーに乗っていく。誰かに指示されれば、たぶん素直に相乗りを始めるだろう。ただ、そういう役割を自分でやろう、という気が全く無いのがこの国の人の特徴だ、と指摘する。

マッキンゼーでは、「全員がリーダーシップを発揮して問題解決を進める」(p.75)前提で仕事が進む。「全員がリーダーシップをもっているチームでは、議論の段階では全メンバーが『自分がリーダーの立場であったら』という前提で、『私ならばこういう決断をする』というスタンスで意見を述べます」(p.128)- だからこそ、高いパフォーマンスをもった組織が生まれる、という。なんとなれば、「わたし達が職場でしばしば目にする、リーダーに対する建設的でない批判の大半は、『成果にコミットしていない人たち』によって」なされるからである。

ちなみに、著者によれば、「実はリーダーシップと常にセットで考える必要があるのが『成果主義』なのです」「成果主義とは、『努力でもプロセスでもなく、結果を問う』という考えであり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。」(p.87)という。これは、通常の日本企業の成果主義よりもはるかに厳しい要請である。

では、リーダーとは具体的にどのようなアクションをとる人なのか。著者は「目標を掲げる」「先頭を走る」「決める」「伝える」という4点をあげ、さらにマッキンゼーでそれをどのように育てていくかを語る。リーダーシップは生まれつきの資質ではなく、学んで向上させることができる技量である、という強い信念があるようだ。

著者のいうリーダーシップを、読者として自分なりに言いかえてみると、すなわち、目的志向で、目標達成に主体的にコミットし、問題を解決するために自らチャレンジし、また人を動かしていく態度と能力のことだろう、と想像する。それは確かに、とても大切な技量だ。それは、その反対の条件を考えてみると、よく分かる。

主体性  ←→ 指示待ち
目的志向 ←→ 形式(手続き)主義
影響力  ←→ 従順、無批判、付和雷同
チャレンジ精神 ←→ 事なかれ主義

でも、考えてみると、左側の条件を満たす人材は、日本のどこの会社だって求めているのではないだろうか。「ウチは従順で事なかれ主義の、指示待ち人間だけを採用するから」などと公言する経営者はいるまい。

それならば、日本にはなぜ、リーダーシップを持つ人の総量が足りないのか。著者は、今の日本の問題は「カリスマリーダーの不在ではなく、リーダーシップを発揮できる人数の少なさにある」(p.180)とする。そして、その理由を、日本企業の中央集権型ガバナンスで説明する。「中央集権体制とは、求められるリーダーシップ・キャパシティがきわめて少ない、上意下達を旨とする体制なのです」「日本でそういった体制が長く続いてきたひとつの理由は、経済が発展途上期であったということです。中央集権型のシステムは、ニーズが画一的な世界に向いています」(p.209)

だが、そのような体制が、逆に飽和市場社会となった日本を苦境に追い込んだ。だから現在の日本を救うには、もっともっと多くの人が、リーダーシップを身につける必要があり、そのために企業も公教育も仕組みをととのえるべきだ、というのが主張である。

本書の主張は非常に明確で、かつ具体例も多く、面白い。著者のいうリーダーシップというものも、身につけられればとても素晴らしい、と読んでいて率直に感じた。しかし、この後は少しだけ批判を述べさせていただく。

まず、このような「全員がリーダーシップを発揮する」仕事の組織は、経営コンサルティングという業態に一番マッチしていることを、指摘しておきたい。経営コンサルタントの仕事は普通、クライアントの依頼をうけて、特定の課題解決のための調査と提案を行う、個別性の高い業務だ。リーダーの元、何人かのコンサルタントがチームを組んで行う。チーム内は各人の得意分野に応じて、緩やかな分業で仕事が進む。階層はフラットで、知的で創造的な仕事ぶりがむしろ求められる。チームの総人数が1ダースを超えるような大規模な仕事は、あまり多くない。仕事のスパンも数ヶ月単位が多い。すなわち、すぐに成果(売上や顧客の評価)が得られる業態なのである。

逆に、非常に大規模な人数の組織が必要で、結果として階層的な指示系統が必須で、かつ軍隊的な規律が必要とされ、全体の成果が出るまで何年もかかる種類の仕事というのも、世の中には存在する。そうした組織で、末端が皆、独自の考えと主張をもち、指示された内容も自主的に自由に選択して動かれたら、メリットよりデメリットの方が大きくなりそうだ。「自分がリーダーだったらこう決断する」、という表明も、必要な情報の全体像が得られない下位ポジションの人間が主張したら、独りよがりで滑稽なだけである。

日本企業の苦境が、リーダーシップの総量の不足によるものだ、という説明も、本当だろうか、と疑問を持つ。というのも、米国の大企業でも、社員が事なかれで形式主義で、上の顔ばかり見ている組織を知っているからである。リーダーシップを持ち優秀な人間は、ほんの一握りしかいない。それでも、非常に大きな利益をあげている。ビジネスモデルのおかげか、政治的権益のおかげか、それとも一部の優秀な人間のおかげか、判断は微妙である。

また逆に、1970年代後半から80年代にかけては、日本企業が光り輝いて見え、逆に米国企業は利益と自信を失っていた時期だった。だから、まさにこの時期、マッキンゼーに代表される経営コンサルティング業界が米国で成長したのであった。では、あのときは、米国のリーダーシップの総量が少なく、日本には沢山あったのだろうか? そうでもあるまい。だとしたら、リーダーシップと組織の成果(業績)は、必ずしも一致しないことがあるように思われる。

とはいえ本書は、示唆するところも多い。社会福祉の仕組みについて、人々がリーダーシップを発揮してともに助け合うような世の中の方が、結局は経済的だという主張は賛同できる。「共助システムが増えれば増えるほど、公助への負担は少なくなります。反対に、リーダーシップの総量が不足する国では、何もかもお金と公的な制度で解決せざるを得なくなり、とめどなく予算が必要となります」(p.187)

コンサルタントに必要な頭の良さとは、分析力よりも、問題解決案を考える能力だというのも、重要な指摘だ。とくに、著者が『知的体力』と呼ぶ、(正解のない問題を)何時間でも何日でも考え続ける能力は、ほとんどの人が見落としている、大事なポイントだと思う。ほんの数時間のケース面接でふらふらになってしまうような知的体力の乏しい応募者では、先々こまるのだ。そうした若者は、いつも正解のある問題ばかりに取り組み、記憶のストックの中から正解を探し続けてきたのだろう。わたし達に必要なのは、著者のいうリーダーシップとともに、この知的体力の向上だろうと考える。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-11 09:48 | 書評 | Comments(3)

日本のメタン・ハイドレート活用をはばむ(かもしれない)陸上側の課題とは

日本近海には天然ガス資源の一種である『メタン・ハイドレート』が大量に眠っている。メタン・ハイドレートとは、メタン分子を水分子が取り囲むような形で固体化した包接化合物で、低い水温と高い圧力のもとで生成する。一種の透明な氷に似ているが、メタンが閉じ込められているので火をつけると燃える。このメタン・ハイドレートの採掘を実用化すべく、国の後押しを受けて研究者たちが最近活発にチャレンジしていることは,新聞報道などで見た人も多いだろう。エネルギー資源をほぼ100%近く輸入に頼っているわたし達の社会にとって、自国内に未開発資源が大量にあるというニュースは心強い限りである。

さて、半年ほど前だが、東大柏キャンパスで開かれた日本船舶海洋工学会の秋期講演会に呼ばれて、「石油・ガス開発における国内産業界の取り組みについて」の題で講演をした。これは『我が国の海洋産業について考える』というオーガナイズド・セッションの一部で、メタン・ハイドレートなど海洋での非在来型エネルギーを、陸上側における石油・ガス産業などが利用する際の課題について話してもらいたい、との要請であった。船舶海洋工学会に集まる参加者は、いわば海の人々で、陸上の事情にはあまり詳しくない。だから課題があればともに考えていこう、とのご趣旨である。

海底に眠るメタン・ハイドレートをどうガスとして採掘し取り出すか。たしかにこれは技術的に非常にチャレンジングで面白い課題だ。とくに安全かつ効率的に取り出すのは難しい。メタン・ハイドレートはある意味、不安定な物質で、下手に刺激すると爆発的な乖離を引き起こすらしく、北欧の深海底には自然に引き起こされたらしい大規模爆発の跡が残っている。しかし、かりにうまく海の真ん中でメタンガスを効率よく採取できたとして、それをどう利用するのか。エネルギーが足りないのは日本の本土なのだから、船の上で燃やしても何の役にも立たない。陸まで持ってこなければならないのだが、わたしの考えでは、そこに4種類の課題がありそうだ。

課題その(1)は、ガスの前処理と輸送方法の適切な決定である。普通に考えるなら、ガス・パイプラインによる陸地への輸送が第一の選択肢となろう。ただ、パイプラインは相当の距離を、それなりの深度の海底に敷設することになるので、コストと安全性の両面で不安がある。ガス中の水分・CO2などは、パイプラインに送り込む前にある程度除去しておくことが望ましい。これは採取地点のあたりに浮体構造の処理設備をおくことでなんとか解決するだろう。

もう一つの選択肢は、LNG化によるLNGタンカー輸送である。浮体構造の天然ガス液化プラント(F-LNG)で液化し、LNG船で輸送する方法だ。ただし、これを実現するためには、産出ガス量がある程度必要であり(あまり少量だとLNGプラントの効率が上がらない)、当然それなりの投資額となる可能性がある。

陸上まで無事に運んだとして、次なる課題その(2)は、陸上側での受入基地の設置である。受入基地の目的は、ガスの精製・貯蔵・陸上出荷だ。産出されるガス組成と輸送形態にもよるが、我が国の厳しい環境規制に適合したガス精製・貯蔵設備と広い土地が必要になる。メタン・ハイドレートでいま注目されているのは南海トラフだが、そうなると和歌山や四国・九州南岸あたりに立地が必要である。また、通常の天然ガス精製技術はある程度確立しているが、ハイドレート由来ガスに関してはチャレンジも生じるだろう。

しかし、活用における最大の障壁は、課題その(3)の「販売のサプライチェーン整備」にあると考えられる。受入基地まで運び込まれた天然ガスは、当然ながらその先に販売チャネルが必要である。ところが、ここにエネルギー・サプライチェーンの分断という問題が立ちはだかるのだ。

周知の通り、我が国のエネルギー業界は消費者への供給形態にしたがって、「石油業界」「ガス業界」「電力業界」という風に分かれている。資本関係も互いにほぼ独立である。これは日本の特色と言っていい。本来エネルギーというのは互いに転換可能であり、じっさい日本では天然ガスの国内用途の約7割が電力(火力発電所)に使われている。そのため海外では、同一企業グループが石油もガスも発電も取り扱う形態が多い。石油メジャーや韓国の財閥などはその典型である。

しかも日本の電力ならびに都市ガス業界は、地域独占事業の形態をとっている。全国区でエネルギーを販売しているのは石油業界だけである。ガス業界はさらに、導管供給主体の「都市ガス」業界と、「液化石油ガス」(プロパンガス)業界に分かれる。都市ガス業界は、東京・大阪・東邦・西部の大手4社の他に、中小規模の地域会社が多数存在する構造だ。というわけで、消費者用・事業用を問わず、ガスの販売業者は地域性が強い。

この問題をさらに難しくているのは、日本におけるガス・パイプライン網の欠如である。我が国には米国のような広域ガス・パイプラインが存在しておらず、また将来も引けないだろうと予測される(理由はここには書けないが、この予測に同意する業界人は多いはずである)。このため、ある地域で受け入れたガスを、他地域のユーザーに輸送供給するのは困難だ。だからメタン・ハイドレート由来の天然ガスを、どの地域の基地に受け入れるかは、各社にとって死活的に重要となる問題なのである。

せっかく日本近海でメタン・ハイドレート採取が実用化しても、それはごく一部の地域しか恩恵をもたらさない可能性がある。その根本原因は、わたし達の社会に総合的・全国的なエネルギー・サプライチェーンが存在していないことにある--物理的なインフラの意味でも、業界構造や地域独占の壁という意味でも。理想をいえば、いろいろな地域で、自由な発想を持った供給業者が競争し、それを他地域の消費者が自由に選べる形となることが望ましいのだが、残念ながら一朝一夕には実現するまい。

では、どうしたらよいのか。

一つの方法は、ガスを採取する洋上プラントで、同時にガソリン・灯軽油化することである。天然ガスを物理的に冷却・圧縮するLNG化と異なり、化学反応によって石油中間留分に転化する技術をGas to Liquid(GTL)と呼ぶが、これはすでにカタールや南アなどで実用化されている。そして、ガソリンや灯軽油ならば、通常の安価なタンカーによって、日本のどこにでも輸送が可能である(LNG船はそれ自体が高価な上、LNG受入基地は日本に少ない)。さらに、石油製品の輸送網は全国化しているため、サプライチェーンの問題も小さい。

もう一つの方法は、天然ガスとして陸上に受入れ、その場所でエネルギー複合供給ビジネスを起こすやり方だ。単に都市ガスとして域内に供給するだけでなく、同時に発電ならびに地域熱供給事業も行う。電力ならば、一応、電力網を超えて販売することも可能だ。供給の安定性や操業の自由度から考えた場合、このように都市ガス・発電・熱のコンビネーションで複合供給ビジネスも構想しうるだろう。先の方法と組み合わせて、GTLをメニューに入れるのも一案だ。無論、こうした取り組みには、地域と業界の規制の壁を超えるための様々な工夫が必要かもしれないが。

いずれにしても、海底のメタンをうまく掘り当てたとしても、それを本土に持ってきて活用するまでには、かなりいろいろなチャレンジが想像される。事業費もかなりかかるだろう。だとすると、最後の課題その(4)として、ファイナンスとリスクの克服をあげなければなるまい。海洋資源開発事業は巨額の投資を必要とし、リスクも大きい。リスクの中には、国内あるいは国際的なガス価格の下落なども含まれる。そう言う意味で、たとえば石油天然ガス・金属鉱物資源機構など公的資金の最大限の活用が望まれようし、もちろん賢明なるわれらが政府は、すでにその方向に向けて課題を整理中、だと信じたいところである。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-06 16:46 | サプライチェーン | Comments(1)