<   2013年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧

お知らせとごあいさつ

今回の事件に関し、何人かの方から心のこもったお見舞いの言葉を頂戴しました。お礼を申し上げます。

また、友人・親戚からは、お前は無事かと安否確認の問い合わせをうけました。わたし自身はずっと横浜にいて何事もありませんでしたが、ただ祈って待つ以外、何もできないことに耐えがたい思いでした。

アルジェリアの砂漠の地で、無念のうちになくなられた会社の先輩・同輩の方々に痛惜の念を表するとともに、ほかにもこの事件に巻き添えになり、罪もないのに命を落とされた大勢の方の、ご冥福を深くお祈りしいたます。

まことにやりきれない思いで、言葉もありません。
文章を書く気にもならず、ずっとこのサイトも更新せずにおりましたことをご了解下さい。


日揮株式会社
 佐藤知一

(なお、来月8日に計画しておりました「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」ですが、好川哲人氏をお迎えして予定どおり開催するつもりです。案内は、こちらのHPをご覧ください)
by Tomoichi_Sato | 2013-01-24 21:36 | ビジネス | Comments(2)

冬の夜話--欧州の経済と心理について

横浜は久しぶりに大雪だ。おお、寒い。

昨年後半から今年にかけて、北半球ではどこも荒れ模様の気候に手を焼いている。北米では妙に暑かったり暴風に見舞われたり、ユーラシアは早くから寒波に見舞われたり。2ヶ月ほど前、プライベートでフランスを旅行したのだが、その時も北部は結構寒くて驚いた。南仏はまださすがに穏和な天気だったけれども、最後の二日間だけドイツのケルンまで足をのばして、あらためて寒さにふるえ上がった。

寒い時分は屋内観光にかぎる。パリでサント・シャペルという中世の古いステンド・グラスの残る教会に行ったときのこと。受付で料金を払ったら、係の人が「これは硬貨が違ってるよ。正しいお金じゃない」と突き返してきた。見ると、たしかに1ユーロ硬貨じゃない。で、手にとって裏の刻印をよく見ると、何と、昔流通していた20フラン硬貨だった。日本から財布に入れて持っていったユーロの中に、紛れ込んでいたらしい。相手も気がついて、「ずいぶん久しぶりにこのお金を見ましたよ」と笑っていた。

EUが各国通貨からユーロに切り替わる2002年の正月、ちょうどわたしはフランスに1年間駐在している最中だった。それまで、一応は慣れていた通貨換算がリセットになり、あらためて別の為替レートで計算し直さなければならない。まあ1ユーロは当時約100円だったから、まだしも比較的やりやすかったけれど、普通の市民はいちいち大変だったにちがいない。あらゆるものの物価や金銭感覚が、全部一度ご破算になるのだ。

それでも、ユーロが流通し始めてからせいぜい3週間ほどの間で、財布の中の紙幣・貨幣が急速にユーロに置き換わっていったのには驚いた。お金の流通速度の速さを実感したのはその時がはじめてだ(まあ、自分はもともと大して持っていないから、回転速度がいよいよ速かったのかもしれぬ)。1月程度の間は二種類の貨幣の並行運用期間で、その間は店などでも両方の通貨で値段が並記されていたものだ。

しかし会計系のシステムとか、自販機とかキャッシュディスペンサーとか、内部処理を考えるとたまったもんじゃない。自分がその種の担当者でなくて助かった、とも思ったものだ。わたしはその時、電子商取引サイトの仕事に携わっていたのだが、これは元々、マルチ・カレンシーの設計だったからとくに影響はない。でも、すべての国内システムを、一時期マルチ・カレンシー処理に変えなければならなかったのだから、それだけでも一大労力だったろう。

通貨が切り替わって翌月だったか、ローマに行って旧知の友人にあった。通貨統合で何か変わりましたか? とたずねたら、「物価が上がりました」と彼女は答えて、憮然としていた。フランスもそうだが、端数を切り上げたり、別の料金体系に移行したりで、結局物価が多少上がったのだ。

でも、それだけではない。通貨統合のもう一つの、もっと重要な影響は、それまで自国通貨が弱かった国々で、外国からお金を借りやすくなり、バブルが生じたことだろう。2004年頃だったか、スペインを旅行した親戚が、あちこち不動産バブル状態で驚いたと言っていた。

バブルはいつかは破裂する。これが、わたし達の学んだ歴史的教訓だ。宴の後、つけを回して最後に払いきるまで、ずいぶんと時間がかかる。だからといって、バブルを壊れないよう維持するのも、歪んだ話だろう。じっさい、日本のバブル時代は、ずいぶんいびつに歪んだ時代だった。今日のユーロ危機も、結局はバブルの後始末である。好き放題に借りて蕩尽した奴、うっかりそれに金を貸したのんきな奴、そしてそいつらに年金なんかを預けていた奴。当然お互い、いがみ合いになる。

今回、パリの地下鉄などに乗って感じたのは、人々の雰囲気が暗いことだった。もともと冬の季節は皆、黒っぽいコートを着たがるから、車両の中なんかカラスの集団登校みたいな感じにはなる。しかし、それだけではない、何か心理的に暗い感じを、一緒に旅した息子なども感じたようだ。

その感覚は、南仏で再会した古い知人(わたしが2001年の頃、働いていた駐在先の元上司で、もうリタイアしている)とよもやま話を交わしていくうちに、深まった。劇場でダンスを観た幕間に、最近の情勢を彼は話してくれた。一言でいうと、ドイツとドイツ以外の国の間で、感情的な対立が強まってきている。以前は外交上の、あるいは経済政策上の対立にすぎなかった。そもそも独仏両国は、大して仲が良くない。だからこその欧州統合だったはずだが、ギリシャ危機に端を発して、スペイン、ポルトガル、イタリアと順に傾いてきて、ユーロ体制はすでにかなりの軋みを発している。ところが、この危機に際して、ドイツの企業家達は裏で巧妙に立ち回って、うまく利を漁っている。たとえば農業分野ではこう、あるいは金融ではこう、と、彼はいくつか具体的な例を挙げて説明した。

そういうことがいくつも積み重なって、他国の人間は次第に感情レベルでドイツを疎みはじめている、と彼はいう。じゃあ、通貨統合は崩壊ですか、とわたしがたずねたところ、「もっとひどいことが起きるかもしれない」、との答えが返ってきた。「つまり、我々がかつて通った道だ。そんな状態が近づいたら、自分はヨーロッパを逃げ出すしかない。」--だとしても、極東は今、あまりお勧めじゃないですね。似たような感情的対立があちこちにありますから。タヒチなんてどうですか? そう、冗談交じりに返すのがせいぜいだった。

「まあ、自分は悲観論者すぎるのかもしれない」と、その知人は言った。わたしも、そう願いたいところである。彼はブルジョワ階級の出身だから、いざとなれば逃げ出せるだけの資産もあるだろう。しかし、そうではない一般人はどうするのだ。

それにしても、バブルはいつかは破裂する、という事実を体験したのは、別に日本だけではない。ヨーロッパでも、アメリカでも、アジアでも、なんどもこの事象は起きている。それなのに、なぜわたし達は過去から学ばないのだろう? なぜ、同じ過ちを繰り返してしまうのだろう?

それは、「マネジメントの地位」というものと、本質的な関係があるような気がする。何か過去から学ぶためには、『それは失敗だった』という認知が必要だ。痛い思いをするから、我々は学ぶのだ。そして、次は良くしようと願う。今は不十分で、改善が必要である、と。逆に言えば、“失敗が許されない組織”は、過去から何も学ばない。すでに最上の水準にあり、すべては成功か、少なくとも無事だった訳だから。仮にまずいことが起きても、それは隠され、蓋をされ、あるいは言いかえられて、忘れられてしまう。誰かが覚えていてもらっては困るのだ。だから、もし何かを学ぶ組織を作りたければ、それはすなわち「失敗を許容する組織」でなければならない。

失敗は失敗として、不良は不良として認め、記録する。ただし、失敗したからといって、それを誰か個人の責任に帰して、そいつを譴責排除して終わり、とはしない。誰もが失敗する可能性を持っているが、それが通常の錯誤の範囲だったら、錯誤が失敗に直結しないよう、二重三重の防護策を考える。もしそれが果敢な挑戦の結果だったら、その勇気は誉め、ただ前提や無意識の仮説を正しておく。そして、長期的な目でパフォーマンスを評価していく。わたし達は誰しも欠陥のある人間だから、そうしないと前に進めないのだ。

ところが大金融機関のトップだとか、政界のボスだとか、官僚組織の首級格となると、そうはいかないらしい。彼らは最高の組織の頂点にいて、自分達のミスを一瞬でも認められない立場にいる。こうした人たちが、自分のミスを率直に告白し、国民に長い目で考えてくれるようお願いした会見を、見たことがあるだろうか? 少なくともわたしは記憶にない。重大な判断を下す、トップ中のトップ・マネジメントの地位とは、学びを拒絶した地位なのだ。失敗を認めたときは、彼らがその椅子から永久に降りるときである。次にその椅子に座ったものも、前任者が愚かだったとは思うかもしれないが、自分も同様に愚かかもしれないとは夢にも考えない。

こうしてわたし達は、繰り返し同じ過ちをおかす社会に住んでいるらしい。ではこの無限ループから、どうやったら脱出できるのか? もっと素晴らしく賢いリーダーを指導者に選ぶべきなのか。いや、それでは同じループに陥るだけだ。だとしたら、どこにも完璧なリーダーはいないと考えて、お互いにチェック&バランスをとらせる仕組みを作っていくしかない。それで果たしてうまくいくかというと、むろん保証はない。たぶんわたしは知人と逆で、楽天的すぎるのかもしれない。しかし、そうしていく以外の知恵が思い浮かばないのである。

それにしても、奇妙なことが一つある。調べてみると分かるのだが、昨年1年間で、実はフランスの株価指数CAC40は13%も上昇しているのだ。そればかりではなく、ドイツのDAXは29%も上がり、FTSEも上がり、いやギリシャでさえインデクスは33%も上がった。米国のS&P 500、NASDAQもそれぞれ13%、16%の上昇だ。これはどういう事なのか? 欧州も米国も、経済低迷に苦しんだ1年ではなかったのか。あの上海さえ、わずかだが株価が上がっている。

わたしはエコノミストではないから、この奇妙な現象の説明は専門家に任せたい。ただ、素人のわたしにも分かることが、一つだけある。株価はすでに、経済状態を表す第一の指標ではなくなっているらしいという事だ。景況を知るには、雇用だとか、成長率だとか、貿易だとか、その他の指標をいろいろ総合的に分析し判断しなければいけないのだろう。だとしたら、ほんのひととき株価が上がったといって、景気回復だなどと喜んでいるのは、いささか早計だということになりそうである。
by Tomoichi_Sato | 2013-01-14 23:30 | ビジネス | Comments(0)

Tomorrow will be a better day -- 未来志向のマネジメントのために

居間に入ったらTVがついていた。新春の経済番組がちょうど終わるところだったらしい。アナウンサーがおごそかな声で、コメンテイター達を前に「今年は厳しい選択を迫られる年になるでしょう」と言ってしめくくった。いやはや。そんなこたあ、言われんでも知っているつもりだよ。でもTVスタジオから、上から目線で言われたくない。

世の中には、厳(おごそ)かなるメッセージを好む人たちが一定数いる。それはまあ趣味の問題だから、口ははさむまい。世の中にはライトなメッセージを好む軽薄な人たちも大勢いて、それぞれの世界を形作っている。重厚と軽薄と、別にどちらが上でどちらが下というものではない。両者がうまく感情のバランスをとってくれればいいのだが、水と油のようにお互い不干渉になっている。そして世の動きにつれて、それぞれ一喜一憂する。わたし達の時代には、共通の感情や言語が乏しいのだろう。

今の中高年はみんな忘れたふりをしているが、わたしが子ども時代だった頃、日本の舗装道路は穴ぼこだらけで(アスファルト舗装なのに深い穴があく訳をいまだに理解できずにいる)、道は狭く、世の中は単純だった。品物は安くてすぐこわれ、やっぱりメード・イン・ジャパンだねと皆で自嘲した。製品のデザインも、それを作る技術も、海外からの輸入か物真似だった。その海外という場所はハワイでさえ夢のように遠く、白黒だったTV番組「奥様は魔女」が、米国の中産階級サラリーマンの、ゴージャスなウェイ・オブ・ライフを垣間見せてくれた。

そういう時代、人々の感情も共通して単純だった。頑張って働けば、明日は今日よりも生活が良くなる。これを「希望」と呼びたければそう呼んでもいいが、当時は誰もそんな呼び名では考えなかった。常識以前の、あたりまえだったからだ。だから学校でも、頑張って勉強して上の学校に行くのが望ましいことだった。「進歩」が皆の共通言語だった。確かに公害もイジメ問題も存在したが、そうした社会の影は、世の中が進めば解決すると、多くの人が信じた。景気循環の谷間も、台風か自然現象のように首をすくめつつ、在庫を取り崩して過ごせばすんだ。

単純だった時代の卒業生が、長らく世の中の舵取りを続けてきた。それはそれで結構なことだが、一つだけ問題がある。「未来を考える能力」の問題だ。逆説的なことだが、経済成長期には、あまり長期的に考える必要がない。目の前の問題だけを次々に考えて片付けていれば、豊かさという報酬を得られたからだ。短期的なアップダウンはあっても、長期的には右肩上がりが保証されるから、競うのは目前の波乗りの腕前だけ、ということになる。

長期的な視野を持って「未来を考える能力」を持つ人が生まれるのは、むしろ先の読めない、波乱の時期だ。たとえば戦乱の時代を生きた孔子を思えばよい(時節柄、中国人がおいやならギリシャのソクラテスでもいい)。彼らは実務家としての手腕にも長けていたが、より遠い視点から、人間社会におけるあるべき姿という、正解のない問題を考え続けた。いや、そうした知性をもつ人は、どの時代にも同じように生まれるが、世が注目するかどうかが違うのかもしれない。

禍福は糾(あざな)える縄の如し、という言葉がある。これは長いスパンで世を見られる人の述懐だろう。短期的な起伏に、一喜一憂してはいけない。それはちょうど、波の上下を見て、海面の高さを決めてはいけないのに似ている。ある精神科医が患者を諭したように、個別の波は見ず、大きな岩がすっかり沈んだのを見とどけて、はじめて潮が満ちたのを悟ることができるのだ。

そう言いながら、短慮な自分はなかなか日々の焦りを乗りこえられない。たとえば、今でも思い出すのは南米のプラント建設現場での一日だ。その日、ようやく仮設電源で空調が動いたコンピュータ・ルームに、届いたばかりのサーバ類やネットワーク機器を設置すべく悪戦苦闘していた。現地の電気工事業者には任せられない微妙な調整作業のために、アメリカのSIerからエンジニアを呼んで作業にあたらせたのだが、例によって次から次へと思わぬ落とし穴にはまり込み、お終いにはドアのキーを室内に置き忘れたまま、自分でオートロックを閉めてしまうというオマケまでついていた。

事務所に戻ったわたしが、よほど堪えた顔をしていたのだろう。先に上がっていたアメリカ人エンジニアが、わたしの顔を見て、笑いながら、"Sato-san, tomorrow will be a better day!"と声をかけて帰って行った。わたしも思わず、力なくではあったが笑い返して、手を振った。と同時に、明日、打開のために試すべき案を一つ思いついた。

このとき、わたしは大事なことを学んだのだった。失敗したら、笑えばいい。自分自身を、自分で笑えばいい。笑えば、脳がリラックスする。リラックスできれば、ほかの視点を見つけることができる。怒ったり恐れたりしているときは、注意は対象に固定されて、他の面が見えなくなる。怒りは人を多少高揚させるという良い面もあるが、怒りばかりを謳っているとあまりろくな事になりそうもない。

それにしても、"Tomorrow will be a better day."(明日は良い日になるだろう)とは、なんと良い言葉だろうか。どん底に思える時でも、それより次は良くなるのだ。こういうセリフを冗談めかして言えるところが、アメリカ人の美点かもしれない。彼らの組織の感情的な弾性を、なんとなくこういう一言に感じた。

似たような英語の諺に、"Every cloud has a silver lining."がある。太陽を隠すどんな暗雲も、その向こう側には陽光に照らされて銀色の内張りがある。良くないことでも、その向こう側には美しい、良い面があるのだと、この諺は伝えている。これもあるアメリカ人から、自分の好きな諺として教わったものだ。

そういえば昨年、中東で会ったベテランのプロジェクト・マネージャーは、様々な苦労話を語った末に、「しかしまあ、この歳になると、良いことの裏には悪いことがあり、悪いことの裏には良いことがある、という風に思えるようになってきたよ。」と述懐していた。まさに、あざなえる縄ではないか。その縄目のずっと先をどう読むかに、マネジメントの手腕はかかっているのだろう。

目先の読みにくいときだからこそ、遠い先を考える必要がある。未来志向というと、外交用語か何かのように薄っぺらに聞こえるかもしれない。しかし、わたし達が何ほどかを成し遂げるためには、長期的な視点に裏打ちされた「未来を考える能力」と、あまり揺るがずに安定した「感情」が必要なのだ。そして、それを仲間の『共通言語』にまで昇華できたとき、おそらく本当に意味のあるチーム・スピリットが生まれるはずなのである。
by Tomoichi_Sato | 2013-01-06 22:25 | 考えるヒント | Comments(0)